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2015年8月29日 (土)

『第一次世界大戦』というのは、なるほどそういう戦争だったのね

『国際連盟(国際連合)・国民国家・民主国家・福祉国家と並べれば、勃発から一〇〇年たった現在でも、第一次世界大戦期が現代国家・社会・文化の基本的枠組みの原点であり続けていることに納得がいくはずである。第一次世界大戦はなお歴史になっていないのである』

 と、著者の木村靖二氏が結論として書くように、まさに歴史はリニアにつながっており、現在の戦争の史実と、初めての「総力戦」として戦われた第一次世界大戦はひとつのつながりとして捉えないと理解されないのであろう。

 特に第一次世界大戦後に締結されたベルサイユ条約は、まさにその条約自体がナチス・ドイツの勃興の原因となっているし、サイクス・ピコの秘密協定なんていうフランス、イギリス、ロシアの間で結ばれた密約はまさにこの第一次世界大戦の中で結ばれたのであり、それが現在世界で大問題となっているイスラム国が生まれるきっかけでもあるのだ。

Photo 『第一次世界大戦』(木村靖二著/筑摩eブックス/2014年7月18日刊)

 戦史はまあいいとして、取り敢えずそのベルサイユ条約についての問題から見ていこう。

『大戦後のヴェルサイユ講和条約は、戦争責任をめぐる論争をさらに激化させた。戦勝国側が、ヴェルサイユ条約第二三一条で大戦は「ドイツとその同盟国の攻撃によって」引き起こされ、彼らこそが連合国が蒙った多大な損失に責任を負うべきだと断定して、賠償請求の根拠にしたからである』

『ドイツ側は、ヴェルサイユ条約が交渉もなしに一方的に押しつけられたものとして、その不当性を糾弾し、とりわけこの戦争責任(戦責)条項を強く非難した』

『西欧諸国側でも、ヴェルサイユ条約がドイツに過酷で、ドイツ国民がそれに反発したことにも、一九三三年のナチス・ドイツ成立の一因があるのではないか、との反省が強まり、ドイツ単独責任論の見直しが進められることになった。こうして一九三〇年代後半には、第一次大戦勃発に際し、特定国の責任を問うことはできないという合意が成立した』

『一九五〇年代末に、西ドイツのハンブルク大学歴史学教授フリッツ・フィッシャーの第一次大戦研究によって、「合意」は根本から揺らぐことになった。彼は当時東ドイツにあった旧ドイツ中央文書館所蔵の第一次大戦前・戦中のドイツ政府関係史料を克明に調査、検討し、ドイツ政府・軍部がサライェヴォ事件をドイツの世界強国実現の機会と見て、開戦に積極的役割をはたしたと主張した。第二次世界大戦の開戦責任がナチス・ドイツにあることは否定できなかったから、もしフィッシャー説が正しければ、ドイツは二〇世紀前半の二つの世界大戦の元凶ということになる』

『彼は、第一次大戦のドイツの戦争目的とナチス・ドイツの第二次大戦での戦争目的の連続性に注目し、ナチズムをドイツ史の例外と説明してきた保守派を批判して、ドイツ近現代史を見直すことに関心があり、第一次大戦史研究それ自体の新展開を意図したわけではなかった』

『戦後になって、戦時中の膨大な戦費とその返済が世界経済の構造を変化させるような、深刻な問題を内包していることが明らかになった。それが戦後のヴェルサイユ条約でのドイツに対する巨額な賠償要求に繫がり、一九二〇年代の国際関係の正常化に大きな障害になった』

『第一次大戦を近代史あるいは二〇世紀の歴史のなかでどう位置づけるか、はこれまで様々な観点から検討されてきた。大きな時代の括りでは、大戦が近代から現代への転換点になったということは現在広く認められている』

『第一に、大戦は列強体制が支配的であった国際関係を否定し、対等な国家から成る国際関係――その具体化が国際連盟である――に導いた』

『ヴェルサイユ条約をはじめとする戦後の一連の講和条約の第一部は国際連盟規約が掲げられている。大戦後の国際体制はヴェルサイユ体制とよばれるが、それは国際連盟と一体化した体制を目指したものであった。国際体制の転換は、同時に様々な次元での変動を伴った』

『第二に、国際社会の構成単位が、帝国から国民国家に移行したことが挙げられる』

『これは民族自決権が、国際社会の基本原理と認められたことの結果である』

『第三に、大戦は、国民国家に二つの重要な現代的内容を与えた。一つは公的領域・政治への国民参加である』

 つまり、第一次世界大戦において多くの国で「徴兵制」がとられ、国民の多くが戦争に参加するという「総力戦」という形に戦争が変化したということなのだ。

『国民を納得させるには「義務の平等には権利の平等を」という原則を承認するほかなかった。総力戦の民主化効果というと強い言い方になるが、国民参加型国家、大衆参加型社会への移行を推進したのは確かに大戦であった』

 第一次世界大戦の後、多くの国々で普通選挙が開始されたというのは、決して偶然の一致ではなくて、こうした必然性があったということがよくわかる。

『民主化と連動した国家の性格の変化の別の側面は、国民国家の福祉国家化、社会国家化である』

 とは言うものの、第一次世界大戦においては、まだまだ「軍事の政治に対する優位性」というのがあって、「戦争は軍人がするもの」という考え方が一般的であったようだ。既に第一次世界大戦に先立つこと200年、クラウゼビッツが喝破した『戦争が他の手段を以ってする政治の延長』であるという考え方は、当時の軍人だって知らない訳ではなかったはずなのに、結局、戦争を軍人の専権事項であるとする考え方がまかり通ってしまったのが、戦火を徒に拡大させることになってしまったという過程が、本書を読むとよくわかる。

 その意味では、ロシア革命によってレーニンやトロツキーらの「革命家=政治家」がドイツとの戦争を領導し、終戦にもってきたという功績は、なかなかに括目してみる必要があるかもしれない。つまり、「政治が戦争を領導した」っていう意味でね。

 とは言うものの、その結果生まれたソビエト連邦も既に無くなってしまったけどね。

『第一次世界大戦』(木村靖二著/筑摩eブックス/2014年7月18日刊)今はKindl版しかないようだ。

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