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2015年8月11日 (火)

『「日本」を捨てよ』ってそういう意味だったの?

『「日本」を捨てよ』って言っても、「日本」という国を捨てろっていうことではなくて、「日本という国」の概念を捨てて、新しい概念を獲得しようっていうことなんだな。

 まあ、私なんかは「日本という国」を捨ててもいいとは考えているんだが……。

Photo 『「日本」を捨てよ』(苫米地英人著/コグニティブリサーチラボ/2015年3月15日刊)

 例によって、読書メモから……

『閉塞感を感じ、自分の国に不信感を抱いている日本人は、なぜ政府に対して暴動も起こさず、デモ活動もせず、黙って言いなりになっているのか? ――本書の問題意識はここから出発しています』

『考えても答えが出ないから自分の意見はもてず、「政治家や官僚がちゃんと考えてくれないと困る」と文句ばかりが増える。まともな議論がなされないまま、いつのまにか閣議や国会で何かしらの結論が出され、その後一週間ほどは「議論が尽くされていない」と批判が新聞に載るが、じきにその問題は忘れ去られていく……』

 まあ、日本の民主主義ってせいぜいそんなものなのだろう。

『いわゆる多数決による議決だけで意思決定をするとしたら、民主主義はたんなる「多数派による独裁」でしかありません。国会にせよ、裁判にせよ、株主総会にせよ、議決にいたるまでに十分にディベートが行われ、十分な情報が議論の場で提示されるからこそ、妥当な判断が可能になるのです』

 それが本当の民主主義なんだろうけれども、結局、日本の政党は「党議拘束」をかけてしまい、政治家個人がものを考えることを禁止してしまう。政党の議員はせいぜい採決の時に、自分の党に反対だったら欠席する程度の抵抗しかしない。この辺が、自分は共和党員だが今回の政策に関しては民主党に賛成しようという自由がある、アメリカの連邦議会の考え方を、我が国も見習うべきところだろう。そのためには、両論の持ち主が徹底したディベートをして、意見を交わすべきなのだが、日本の場合はそんなことをすると「空気を読め!」なんていう下らない発想が前面に出てしまい、ディベートが成立しなくなってしまう。

「徹底したディベート主義」は「徹底した民主主義」の前提条件である。そんな意味では、日本の民主主義は単なる「手続き民主主義」であり、初めから結果の見えている「多数派による独裁」でしかない。

 苫米地氏はそんな日本人のメンタリティを支えているのは「儒教思想」だと言っている。

『儒教思想は、近代民主主義社会の大原則であるフェアネスと真っ向から対立するのです』

『当然、儒教思想に洗脳され、ディベートが機能せず、情状酌量が横行する日本社会にもフェアネスは存在しないことになります』

 そんな儒教思想が蔓延する日本という社会だからこそ、いわゆる「ネット右翼」という存在もあるのだろう。

『こうした自己肯定欲求が噴出する背景には、経済的・社会的に弱い立場にある人々の憤懣があるのでしょう。あるいは、本書でこれまで指摘してきたような、日本の社会構造のなかで可能性を阻まれている人々の絶望感が原因なのかもしれません。いずれにせよ、心を病んだ人々の防衛本能の発露と言ってもいいと思います。 そのため、ネット右翼のなかには、オフ会やデモを通じて恋人ができると、「これからは日本じゃなくて彼女を守ります」などと平然と言い放って、運動から引退してしま若者もいるとか。微笑ましい話ですが、これなども一見、愛国心から発したと見られる運動が、じつは若者の承認欲求の問題にすぎないことを物語るエピソードです』

『ネット右翼の問題は愛国心の高まりというよりも、若い世代の居場所探しの問題、メンタルヘルスの問題と考えるべきこと。「自殺者が増えている」「うつ病の患者が増え、SSRIなど抗うつ剤の処方が年々異常な伸びを示している」といった問題と同列に語られ、対処されるのが適当でしょう』

 こうした行き詰まりの社会における対処法として、苫米地氏は、しかし、もっとも日本には向いていない方法論を提示するんだなあ。

『さて、信仰における無教会派的な思想が政治思想として現れたのが、「無政府主義」(アナーキズム)だと私は理解しています。 無政府主義は、十九世紀フランスの思想家プルードンに始まり、マルクスと争ったロシアのバクーニンらによって革命思想として練り上げられていきました。その主張の中心は、政府や国家、教会など、あらゆる権威の否定です』

『政府、さらには国家まで否定する無政府主義の思想も、基本的には同じであることがわかると思います。特定の人間たちの組織である政府が、それ以外の人間たちを支配するからアンフェアになる。だから政府などぶっつぶせ、という思想なのです』

『私はここに、日本人が自由な可能性を勝ち取るための道があると思っています』

 というのは確かではあるが、じゃあ、日本人がそんな「個」、それも徹底した「個」の立場に立って物事を考えることは可能なのだろうか?

 それでなくても「空気を読め!」である。『閉塞感を感じ、自分の国に不信感を抱いている日本人』だが、『政府に対して暴動も起こさず、デモ活動もせず、黙って言いなりになっている』日本人なのである。

 まあ、だからこそ敢えて、一番日本人が取り組むのが難しい方法を提案するのかも知れない。

『日本が抱える問題について考えるとき、日本の具体的現象を考察の対象にしようとします。優秀でまじめな人ほど、日本の政治、日本の経済、日本の文化、なかでも戦後の政治、バブル期以降の経済、企業の文化……と、いっそう具体的な分析を進めていくことでしょう』

 しかし、だからこそ……

『日本の諸問題を考えるときに、「日本」という枠よりも抽象度の高い思考を心がけると、どうなるでしょうか。「日本」にとどまらず「アジア」、さらには「世界」まで思考を広げる。たんに比較するのではなく、大きな視野で物事をとらえるようにする』

 というのだが……。

 そういえば昨日(8月10日)の日経新聞に、ソ連崩壊を予言した『最後の転落』、アメリカが衰退期に入ったと指摘した『帝国以後』などのベストセラーを出した、フランスの人口学者エマニュエル・トッド氏のインタビューが載っていたが、その中で「人口減の日本は移民を受け入れるかどうか議論しています」という記者の問いかけに対して。

『移民受け入れは不可欠だが、複雑な問題だ。朝鮮半島出身者が日本社会に溶け込む難しさは誰もが知っている。2度目の明治維新さながらの国民意識の転換が必要だ』

 と答えているのが印象的だった。

 つまり、そのくらいの意識の転換がないと、日本人は日本を抽象化できないってことなんだなあ」。

『「日本」を捨てよ』(苫米地英人著/コグニティブリサーチラボ/2015年3月15日刊)

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