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2015年8月28日 (金)

叩かれ女の正論

 まあ、確かに最近の香山リカさんは、結構「叩かれ女」なんだろうな。最近では小林よしのりとの「アイヌ」問題とかね。

 金慶珠さんというのは、最近はあまりテレビを見なくなってしまった、というか金さんがよく出ているらしい討論番組なんかを殆ど見なくなってしまったので、金慶珠さんという人は良く知らない。が、まあ香山さんが「おわりに」で書く通り「――なんて繊細でピュアでチャーミングな人なんだろう」ということですね。まあ、ちょっと「化粧濃いめ」だけれどもね。

 まあ、香山さんもチャーミングな人だけれども(でも本物の「香山リカ」ほどではないけれどもね)、まあ、こうしたチャーミングでセクシーな女性がどんどん論壇にも出てきて欲しい。

Photo 『叩かれ女の正論』(金慶珠、香山リカ著/イースト新書/2015年8月17日刊)

 とは言うものの、ネトウヨ諸君からは「サヨク」(と呼ばれているけれども、私に言わせれば「リベラル」に過ぎないんだけれどもなあ)だと認識されているらしい香山リカさんと、どちらかというと保守に属するようである金慶珠さんの対談本は、残念ながら双方の言っていることは片方から言うことに、もう一方は応えずに自分の考え方を言うだけというようなやり取りで、お互いの考えていることの接点をどこかに見つけるに至っていない、という残念な対談本なのでありました。

 例えば

『日本では一九九二年にバブルが崩壊しますよね。それまでは世界的に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされ、自国を「エコニミック・アニマル」と自嘲しつつも経済大国であることにアイデンティティを感じていた。でも、バブルが崩壊して、はたと気づくと世界はそれこそグローバル経済の時代。日本のありかたは時代遅れという空気になっている。次いで一九九七年に北海道拓殖銀行という北海道の老舗の銀行と山一證券が相次いで破たんします。それだけではなく、その翌年である一九九八年には、国内での自殺者が三万人を超えるんですね。私が子どもの頃は、日本は交通事故も自殺もだいたい年間一万人台と言われていました。それがその後どんどん増え、ついに三万の大台を突破してしまったんです』

『その二年前、九五年には、地下鉄サリン事件と阪神・淡路大震災という、都市型の大きなテロ・災害が起きています』

『こうして見ると、九〇年代というのは日本が自信喪失をする期間だったと思うんですよね。そこでなんとか誇りやプライドを取り戻したい。そのためにも他国を下に見て、自国を称揚するしかなかったのです』

 という香山氏の発言に続いて

『文脈は異なりますが、九〇年代は韓国にとっても大きな変化に見舞われた時代だったということです。あえてこういう言い方をしますが、日本におけるバブルの崩壊はいきなりストレートパンチでガーンと殴られたわけではなく、徐々に効いてくるジャブのような出来事だった。それがかえって大胆な政策転換のタイミングを逃し、長期的な景気低迷を招いたのかもしれません。
 ところが、同時期の韓国では、一九九七年のアジア通貨危機に見舞われて、いきなりデフォルトの危機に瀕します。まさにKO状態。仕方なしにIMF(国際通貨基金)から多額の借金をつくり、同時に企業閉鎖や統廃合が相次ぎ、社会全体が危機に直面することになります。
 そこで韓国が日本と違ったのは、さらなる成長主義やグローバリズムというものに社会を徹底的に合わせていったことです。そうしなければ「もはや生き残ることができない」という危機意識が社会のなかにあったと思います。「ぼんやりとした不安」ではなく、まさに「今そこにある危機」を目の当たりにした経験でした。興味深いのは、こうした危機意識が、韓国社会に新たなナショナリズムを生み出す原動力ともなった点です。「私たちは大丈夫、為せば成る!」といった自らの力を誇示する動きがあちらこちらで見受けられるようになりました。二〇〇二年W杯におけるあの異様なまでの盛り上がりは、そんな危機を乗り越えた者の「雄叫び」でもあったのです。
 その意味で韓国のナショナリズムはある意味でわかりやすく。国家主義・民族主義的な視座を明確に持っています。これに対し、日本のナショナリズムの視座というか、その主義主張の「主体」は明確に見えづらいと感じることがあります。「日本国籍」に一体化する国家主義でもなければ、「日本人」性を掲げるという民族主義でもない。そもそも「日本人」という概念自体も非常に曖昧なものです』

 と金氏は返すんだけれども、ふたりの語る「ナショナリズム」に論議のズレがあるように感じるのは私だけだろうか。

 問題はナショナリズムではないのである。むしろ「ナショナリズム」というよりは「排外主義」でしょ。「排外主義」に関する英語としては「ゼノフォビア」「ショーヴィニズム」「ジンゴイズム」 などの語がある。

『「ゼノフォビア」は、外国嫌いや、外来の人物や風習を嫌悪・排斥することを指す語であり、「攘夷」に近い意味合いである。通常、「排外主義」という場合にはこのゼノフォビアが同義語に充てられる。これに対し「ショーヴィニズム」は、外国の嫌悪と同時に自国の優越を強調する語で、「○○至上主義」「○○優越主義」に近い語である。また「ジンゴイズム」は、好戦的な排外・愛国主義を指す語で、戦争を辞さない姿勢を強調する』(Wikipediaより)

 つまり、問題はナショナリズムではなくて、排外主義的になってしまうナショナリズムについての考え方なはずなのであり、香山氏はそこを慎重に、まず「ナショナリズム」について語った後に在特会なんかの「排外主義」について語ろうとしていたものが、金氏によってそこは早急に、まず「排外主義」を「ナショナリズム」に繋げて語ろうとしてしまう。

 香山氏が「叩かれ女」だったり、「炎上キャラ」だったりするのは、基本的に彼女がメディアなどで話している「内容」についてなのだが、金氏の「叩かれ女」や「炎上キャラ」は、多分その「話し方」なんだろうな。

 このように、この対談本の殆どの会話がこうした「スレ違い」によって構成されているのであります。

『香山さんのように、社会のなかで求められる発言をするというのは、すごく大事なことです。一方で私のように「求められない発言」というのも、やっぱり社会にとっては必要だと思うんです。どんな社会にも、求められる役割と求められない役割がある。求められなかったとしても、結果としてそれが役立つ場合もあると信じるしかない』

『社会的役割が違っても、どちらからも発言し続けるということ。いずれにせよ、それが「叩かれ女の正論」でしょうね』

 って分かっているんだから、まあ、別に金氏も香山氏も「叩かれ女」であることに違和感は持っていないということがわかったんだから、いいじゃないか。

『叩かれ女の正論』(金慶珠、香山リカ著/イースト新書/2015年8月17日刊)

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