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2015年7月10日 (金)

『我が逃走』ハチャメチャだけれども、納得できる生き方

 しかしまあ、こういうのを「ジェットコースターみたいな人生」っていうんだろうか。

 とにかく、成功とその後の失敗と、そして更なる人生ってのが、なんか振幅が大きすぎるんですね。家入氏って。

 なんせ、元ひきこもりの起業家だもんなあ。その部分で既に振幅の大きい人生だって予感があったんだろうか。

Photo 『我が逃走』(家入一真著/平凡社/2015年6月9日刊)

『いまから十四年前の二〇〇一年、二十二歳のときに、僕は福岡の片田舎でレンタルサーバー「ロリポップ!」を立ち上げた。そのときの会社名は「合資会社マダメ企画」。なけなしの貯金をはたいての創業だった。そのときは別に、会社を大きくしたいなんていうことはまったく考えていなかった。家で仕事ができて、仕事をしながら子育てができればそれでいいや、と思っていた』

『その後、マダメ企画は「株式会社paperboy & co.」、略して「ペパボ」へと進化した』

『ゆったりとした、家族経営スタイル。これが福岡時代のペパボだった』

『それは、「会社に行きたくない」という後ろ向きな理由で起業した僕が初めて「経営者」に憧れを感じた瞬間だった。
「ペパボの自由度は守ります。そのまま来ていただければ大丈夫ですよ」
 熊谷さんの言葉に背中を押され、僕たちは福岡に支店を残しながらも、東京に本社を持つGMOインターネットグループの一員となったのだった』

『二〇〇八年十二月十九日、中央区日本橋にあるジャスダック東京証券取引所。その重々しい建物の前で、僕は緊張した面持ちで立ちすくんでいた。今日、ついにペパボの株式が市場に公開されるのだ』

『株価は初値四千円。大変好調なスタートだった』

『ペパボが上場したのが十二月。年が明けた一月には、僕が代表取締役社長を降りて、ケンタロこと佐藤健太郎が社長に就任することが決まった』

 と、ここまでは取り敢えず順風満帆。

 ところがカフェに手をだしてからがハチャムチャなんだなあ。

『でも僕は、カフェが大好きだった。カフェというより喫茶店というべきだろうか。なぜなら昔、両親が喫茶店を営んでいた時代があったからだ。
 それは、まだ僕が幼かった頃のこと。記憶はおぼろげだけど、ちょっとすすけた思い出の中のその場所は、いつも笑顔の両親がいて、コーヒーの匂いがして、皿を洗う音がして、マンガがあって、ソファがあって、とにかく居心地の良い、幸せな空間だった。そののちの僕の青春時代は、引きこもりになったり、父親が交通事故にあったり、母親が深夜まで働きに出ないといけなくなったり、両親が離婚をしたり、父親が自己破産したりで、どちらかというと波瀾万丈な方向へと急展開したけれど、思い出の中のあの喫茶店は、いつも平和で幸せなムードのままだ』

『(いつか僕も、カフェがやれたらな……)そう空想することがあっても、それが現実になるなんて、当時は思ってもいなかった』

『二〇〇八年五月、僕の初めてのカフェ、ハイスコアキッチンがオープンした』

『ペパボ上場の際、ある程度の株を手放した僕のもとには、数億円の現金がドカッと転がり込んでいた。
 パーティカンパニーの資金もそこから運用し、足りなくなると、随時、その個人資金から補填していた。ハイスコアキッチンの利益はいまだ微々たるものだったから、毎月の赤字を僕の個人資金でまかなっている状況だった』

 この辺の金銭感覚は、経営者としては陥ってはいけないところなんだが、それを平気で書いちゃうってところが、家入氏の凄いところだ。

『同時に、僕は個人的にいろんな会社へ出資を行っていた。金額は数百万円のときもあれば、数千万円というときもあり、面白そうな人や事業にはポンポンとお金を出していた。それでも、お金が底をつくことはなかった。それぐらいの大金が、僕のもとにもたらされていたのだ。「お金がある」ということの精神的な安定感は大きかった。「お金のことは考えずに、好きなことができる」。そう思えることで、どこへでも行けるような自由を得た気分だった』

 まあ、それはそうだ。そりゃお金を出していれば、悪く言う人はいないし、もっともっとといろいろな話を持ち込んでくる人も多くなってくるし、そんなところでいい気になってお金を出しても、まだまだ大丈夫だったんだろうな。

 でも……。

『一日三百万円使う夜遊びを、仮に三十日間続けたら九千万円になる。それに、自宅に帰りづらくなっていた僕はほかにもいくつか部屋を借りていて、住居費だけで月に三百万円くらいかかっていた。お金がなくなった要因のひとつは僕の無駄使いなのだ。誰かを疑うまでもない』

 ってなっちゃうところが地獄ですな。

 で、ペパボもカフェ運営会社も手放してしまう家入氏なのだが、しかし、読んでいてすがすがしい気分で読めるのは、そうした失敗にも、この人全然めげていないとことなんだなあ。

『ペパボ、カフェ、リバ邸、選挙。居場所をつくるのが僕の仕事だとばかりに、いろんなところで旗を揚げてきたけど、自分がそこに滞在して、時間を過ごすことはほとんどしてこなかった。つくって壊す、というわけじゃない。つくって移動してしまうのだ』

『止まらずに動き続けてきたおかげで、僕はいまでも少しずつ成長している(と思う)。もうペパボにいたあの頃の僕じゃないし、カフェをつくって六本木で浮かれていた頃の僕でもない。でも僕は僕で、変わらない部分もある。このふたつのバランスが、自分の中で落ち着いたような気がしている。さまざまな経験をしたことで、もしかするとほんの少しだけ、自信がついたのかもしれない』

 まあ、まだまだ若い家入氏だ。今後もどんなことをしてくれるか楽しみではある。

 あ、勿論、都知事選には家入氏に投票しましたよ。

『我が逃走』(家入一真著/平凡社/2015年6月9日刊)

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