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2015年7月 9日 (木)

原町田「町田壹番商店街」絹の道

 小田急線町田駅を南口に出ると、「絹の道」の碑がある。

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 片側には「此方 はちおうじ」、反対側には「此方 よこはま」と書かれたこの碑、昭和58年に「原町田誕生400年記念」として、町田壹番商店街が建立したもの。

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 つまり、文化・文政期(1804~1829年)に編まれた「新編武蔵国風土記」に「神奈川道」と称された道の一部がここ原町田中央通りな訳なんだ。

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 神奈川道(町田街道)とは、長野・山梨・群馬などで作られた絹織物が一度八王子で集積されて、ということで八王子には呉服屋さんが多いわけで、ユーミンの実家の荒井呉服店なんかもその一つ。その後、横浜まで運ばれて、当時の主要輸出商品として、横浜港から外国へ送られたのである。で、「絹の道(シルクロード)」ってな訳ですね。

 で、八王子と横浜の中間地点がここ町田。なので、旅人もこの辺りで一休みしたのかも知れない。そんな形で町田市というのが発展されたのだろうなあ。まあ、プチ宿場町みたいなもんですかね。

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 しかし、町田市ってなんか特別な思いのある町で、海に近いところになると東京都と神奈川県の境は多摩川なのだが、この町田市辺りでは多摩川は東京都の中の方にまで食い込んでいて、境川が東京都と香川県の県境になる。で、JR横浜線町田駅と小田急線町田駅に挟まれた地域が「原町田」として、町田市の中央部分を形成する。

 って言うか、高崎と八王子を結ぶ八高線、八王子と横浜を結ぶ横浜線それぞれが、基本的に「絹の路線」だったんですね。

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 それはいいとして、ということなので、この原町田の商店やデパートは町田市民だけでなく、相模原市民の買い物客や通勤客も含めて始終ごった返しているということになる。そう言えば、私の友人の相模原市民も最寄駅は町田だったな。

 小田急線で新宿から町田を目指しても、登戸を過ぎるとずっと神奈川県を走って、玉川学園と町田だけが再び東京都なのだ。と言っても別に町田が飛び地なのではなく、八王子や稲城からずーっと南東に伸びた先が町田というわけ。

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 で、厚木飛行場への進入路になっているので、米軍や自衛隊の飛行機がちょっと五月蠅い町田なのでありました。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-50mm/F3.3-4.5 @Machida (c)tsunoken

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