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2015年7月29日 (水)

新宿・牛込柳町・近藤勇出世の礎

 それは外苑東通りと大久保通りの交差点、牛込柳町(というのは旧称:現在は「市ヶ谷柳町」)の傍にあるという。

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 で、行ってみればちょうど交差点のところで工事中の看板があって「文化財発掘調査工事中」とある。これは今私が住むマンションの建て替えの時にも「旧・柳沢吉保邸」にあったマンションだったためにやったのと同じだな、ということでここかなと思ったのだが、そうではないらしい。

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 実は、その裏側の道をちょっと行ったところに、こんな狭い路地があって、その奥に肝心の「モノ」はあったのだ。

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 つまり、こここそは近藤勇が百姓の子から武士になるきっかけとした「試衛館」跡なのだった。

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 近藤勇は武蔵国多摩郡上石原村(現在の調布市野水:調布市野川公園のあたり)の百姓・宮川久次郎とみよの三男として天保5年(1834年)に生まれた。幼名は勝五郎。宮川家は百姓と言っても、苗字が許されているので、小作農ではなく、むしろ庄屋に近い家柄だったのだろう。でないと、「自分は武士になる」なんてところまでは考えつかないだろう。

 勝五郎は嘉永元年(1849年)、15歳にして江戸牛込にあった天然理心流剣術道場・試衛館に入門する。翌、嘉永2年6月に免許皆伝になってしまうんだから、これは近藤勇が凄かったのか? あるいは……。

 まあ、天然理心流というのは比較的新しい剣術流派だったので、武士だけではなく、広く町人・農民にまで出かけて行って剣術を指南していたので、そのネットワークに近藤勇も乗ったのであろう。

 で、同年10月19日に天然理心流第三代目・近藤周助の養子となり、周助の実家である嶋崎家へ養子に入り、嶋崎勝太と名乗ったという。のちに正式に近藤家と養子縁組をし、島崎勇と名乗ったのちに、近藤勇と名乗ったという。つまり、ここで近藤勇がはじめて武士となったのである。安政5年(1858年)には日野の牛頭天王社の奉納額に「島崎勇藤原義武」と記しているというから、あれっ? いつの間にか「藤原家」になっちゃったのかなあ? ってなもんであるけれども、まあ、昔の武士は大体藤原姓を名乗ったみたいだから、まあ、これはいいか。

 万延元年(1860年)に御三卿・清水徳川家の家臣である松井八十五郎の長女松井つねと結婚。

 翌年、府中大國魂神社で、天然理心流宗家四代目襲名披露の野試合を行い、晴れて正式に天然理心流第四代目宗家として、名を成したのである。

 ここまで来れば晴れて武士である。ただし、まだ主君はいないので、言ってみれば「浪人」と同じ身分だなあ。浪人というのは主君を持たない武士なので、実際には武士としては扱われない、「浪人」を「牢人」と書くこともあるのはそれが理由。まあ、浮浪者みたいな扱い。誰からも禄を食んでいない状態。

 文久3年(1863年)、江戸幕府は14代将軍・徳川家茂の上洛警護をする浪士組織「浪士組」への参加を募り、近藤ら試衛館の8人はこれに参加することを決める。これが、後に新撰組となる動きの始まりだ。

 実は、この時の上洛の目的は朝廷に尊皇攘夷の志を建白するということであり、浪士組は取り敢えず徳川家茂が上洛した以上は既に無用ということで、江戸帰還を命じられた。しかし、浪士組は江戸帰還派と京都残留派に割れ、近藤や芹沢鴨らは京都に残留する。

 同年3月、二条城において京都守護職を務める会津藩主・松平容保は幕府老中から京都の治安維持のために浪士を差配するよう命じられ、近藤ら京都残留組が会津藩預かりとして、京都壬生寺に駐留する「壬生浪士組」となって、将軍在京中の市中警護を行うことになった。

 その壬生浪士組が「新撰組」となるのは、同年8月のことだった。ここで、やっと新撰組は武士として認められることとなったんのである。

 しかし、新撰組というのは、警察組織というよりはテロ組織に近かったんだけれども、当時の時代背景からは仕方なかったんだろうなあ。

 同じ百姓から武士になったというのであっても、豊臣秀吉の時代と、近藤勇の時代ではこれだけ違うという一例かも知れない。

 かたや天下人、かたや犯罪人だもんなあ。もっとも近藤勇を犯罪人に仕立て上げたのは薩長だけれどもね。それも政治の為せる業。

NIKON Df + Ai NIKKOR 24mm/F2.8 @Ushigome Yanagicho Shinjuku (c)tsunoken

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