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2015年6月12日 (金)

イマドキの「反原発」を嗤いましょう

 まあ、『電気作家』というのは、「伝記作家」あるいは「伝奇作家」のモジリであるということぐらいは分かってはいるんだが、萩野アンナ氏がそんなに反原発バッシングにあっていたとは知らなかった。

Photo 『電気作家』(萩野アンナ著/ゴマブックス/2015年3月11日刊)

『私は先述したように、電力会社関連のルポに関わった、ある日、週刊誌に自分の名前を見つけた。ある批評家(S高信)によって、私は「原発おばさん」のひとりに分類された』

 ほほう、萩野アンナ氏は佐高信氏から「原発おばさん」と呼ばれたのか。

『……呼び名を「原発おねえさん」にしてくれ、と頼むほど私は非常識ではない。しかし私は「原発おばさん」であると同時に、火力おばさん、風力おばさん、波力おばさん、海洋温度差発電おばさん、発酵した牛糞によるバイオガス発電おばさん、雪冷房おばさん、電気自動車おばさん、NAS電池おばさん、核融合おばさん、地熱おばさん、ヒートポンプおばさん、LEDおばさんなどなど、なのだ。
 ある雑誌からエネルギーが主題の連載依頼を受けて、最初は断った。私は数学どころか算数レベルでつまづく。とても理系のルポが可能とは思われなかった。
「でもコレをやると、人が行けない所に行って、ふつう見られないものを見れますよ」
 その一言で私は決めた。
 おかげで日本全国の大・中・小さまざまなエネルギーの現場を体験できた。オギャーと生まれたエネルギーが、あっという間にヨチヨチ歩きまで育ったのも、この目で確認した。
 取材の初期は、「雪冷房」の登場と重なる。山形の舟形町の人が、雪は天から送られた手紙であるとという中谷宇吉郎の言葉に触発されたのがこの新技術のきっかけだった。
 豪雪地帯は、除雪に手間と金をかける。しかし、雪がプレゼントなら、人間に何らかのプラスをもたらしてくれるはずだ。
 発想の転換を科学者がかたちにした。最初は建屋に雪を詰め、エアーを通して冷気を室内に送る方法だった。本州で実用化の後、北海道の美唄がこの技術に注目した。黒ダイヤ(石炭)が廃れた後、白ダイヤ(雪)が町おこしの可能性を担うようになった。
 現代の氷室は、三六〇〇トンの雪で十万俵の玄米を低温保存し、ドラム缶百八十本分の原油を節約する。
 雪冷房もヒートポンプの導入で、部分ではなく全館冷房が可能になった。
「利雪」の唯一のネックは。貯雪庫に場所と金をとられることだ。私が取材した二〇〇七年の時点で、すでに解決策が出ていた。木屑をまぜた雪の山を夏はガソリンスタンドならぬ「雪スタンド」として使用し、冬は残った木屑でバイオマス暖房をする。
 同様の知恵が各地で芽吹き、育っている。
 しかし雪冷房が沖縄では不可能なように、地産池消のエネルギーは全国区にはなれない。ファッションにたとえるならば一点モノだ。これにuニクロ大量生産を上手く組み合わせるのが理想、というのが実感だ。
 エネルギー界のuニクロは火力・水力・原子力だった。福島が爆発して、原子力は諸悪の根源とマスコミで決まった。長年の反原発派が声を大きくするのは当然だが、それまで無言だった人たちまで声高になっている』

 確かに、2011.3.11以降、急に声高になった反原発派の人たちの中には、それまで原発については何の発言もなかった人たちが多くいる。とにかく「原発反対、原発再稼働反対」って言っていればトレンディだと思っている人たちだ。しかし、3.11の時だって同じ宮城県の女川原発はまったく問題なく普通に停止しているし、日本全国には福島第一原発のような危険な原発ではない、「比較的」安全な原発だってあるのだ。とにかくヒステリックに原発に反対するのではなくて、もっと現実をキチンと見分けながら原発に対処しなければならないのではないか。

『原発が罪なら「でんこちゃん」まで有罪、という発想には既視感がある。私は戦争を知らないが、うちの母親は第二次大戦中に思春期だった。母から聞かされ続けたあれこれは、私の血肉になっている。
 ある日、憲兵が窓から漏れるピアノの音に気付いた。
「貴様、敵性音楽を演奏しとるのか!」
 演奏していたのはベートーベン。同盟国ドイツの作曲家だった、とオチが付く。
「鬼畜米英」の旗印のもと、チャーチルやルーズベルトの肖像画が踏み絵になった。今なら「TEPCO」のロゴや「でんこちゃん」だろうか』

 原発は確かに低コストのエネルギーではある。しかし、それは正常に運転されていることが前提で、一度トラブルを起こしてしまうと、とたんにそれへの対処として、とてつもなく高コストのエネルギー源になってしまう。だからこそ電力会社はいかにして(低コストな)安全な原発を作るかを目指しているのだ。

『完璧は神の領域である。神が死んだ後も、フランスのようなカトリック国では人間の限界に対する意識が強い。百パーセントの安全はありえない、と知った上で原子力を運用している彼の国では、チェルノブイリ級の大事故は未だに無い』

 というのは完全に幸いしただけなのだろう。だって、フランスのようなヨーロッパ旧大陸にある国では地震の被害はまず出ないし、津波だってあり得ない。それでこその原発なんだろうけれども、それでも原発を持つというのは、国にとっては別の意味があるのだ。

 つまり、それは第二次世界大戦の敗戦国、日本が核武装をするための準備であるということこそが、日本が原発を持っている理由なのだ。

 広島、長崎でもって原子力爆弾の被害にあった日本ではあるけれども、しかし、その日本であってもアメリカと同時期に原子力の研究は行っていた。しかし、戦後になってその研究は戦勝国から禁止されてしまったのだった。その時の原子力研究者のルサンチマンは相当なものだったらしく、結局、それが当時の為政者を動かし、原子力の平和利用という名目で原子力発電の研究という形で、原子力の研究が続けられたのだ。

 しかし、原発というのは何かのきっかけでディザスターの原因となることは、為政者も知っていたわけで、本来なら送電コストのことを考えれば、火力発電所のように電力の大量消費地のそばに発電所を持ってくることが一番いいのだが、原発は消費地から遠く離された過疎地に作られる。

 最大電力消費地である東京のそばに原発なんか作ってしまっては、いざというときは数万人、数十万人、数百万人の人たちに大変なことが起きてしまうことを避けたのですね。

 一方、過疎地では発電所の下請け業務で仕事が増えるし、関連予算から地域振興資金がかなりの分量で配分される。まあ、原発がある地方にいくと、なんとまあ「箱もの」が多いことか。まあ、振興予算を獲得した地方行政組織もやるに事欠いて、誰も利用しないような箱ものばかり作ってしまい、まさに彼らの無能ぶりをさらけ出しているんだけれどもね。

 って、これって沖縄の軍事基地と同じ発想なんだなあ。

 ということは、この国からは、軍事基地も原発がなくなるってことはない、ってことだろう。

 であるならば、廃炉技術を研究するために原発を動かしながら研究をする、ってことのほうが未来を見据えた現実的な方法論なんじゃないだろうか。

 と、私なんかは思うんですけどね。

『電気作家』(萩野アンナ著/ゴマブックス/2015年3月11日刊)

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