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2015年6月

2015年6月30日 (火)

『縁の切り方』というネガティブな言い方よりは「幸せの感じ方」のほうがいいんじゃね?

「ウェブはバカと暇人のもの」などで「ネット上等」の人たちに悪罵を繰り返している中川淳一郎氏に、過去、こんなにも壮絶な恋人との別れがあったとは知らなかった。

 まあ、その辺にも現在の中川氏を形成する何かがあったのかも知れない。

 その辺は本稿のポイントではないので、皆さん気になる人は本書を読んでください。本稿では触れません。

Photo 『縁の切り方』(中川淳一郎著/小学館eBooks/2014年12月19日)

 基本的な論点は以下の通り。

『インターネットがあるお陰で多種多様な人々と交流できる、という定説は誤りだ。結局、自らフォローする相手を選べ、検索で自分の心地良いものばかり探すことが可能なネットは、同じような考えを持つ人との接点を結局は作るもの。所詮「多種多様な人々の交流で新しい価値観が生まれる」なんてものはあり得ない』

『原理として、インターネットは誰にでも話しかけることは可能だ。だが、実際に話しかけたり、その後もやり取りを続けるのは、同じような趣味嗜好を持ち、同じような仕事をしている人に結局は帰結する』

『ネットの初期の頃は、コミュニケーションをいかにして取るかということを考えていたが、ツイッターなども出てきてから、あくまでもブログは自己表現の場であり、アフィリエイト等の収入を得る場所であると考えるようになる。そして不快な人間はブロックできるツイッターや、知り合い限定が基本のフェイスブックにコミュニケーションの場所は移していく流れになった』

『私は普段からネットの意見はロクなものはない、と悟りきっているし、「行動する保守」の方々からは常に叩かれ続けている。あとは何者かは分からないが、定期的に2ちゃんねるに私の悪口を書く者もいる。それも驚くほど詳しい。実際の知り合いだろう。そこで彼らと分かり合おうとも思わないし、所詮人間は分かり合える存在でもないことを認め、ネットの意見についてはいかにスルーするか、という程度の気持ちで付き合い、時々好意的な人がいたらその人とは仲良くする、という程度の期待値でいいのである』

『ネット上であれば、ブログのコメント欄は廃止。ツイッターでネチネチと異論を寄せてくるユーザーはブロック。これでいいのだ。一般の生活であれば、君子危うきに近寄らずを徹底する』

 まあ、これまで中川氏がいろいろな書籍で書いてきた通りのことであり、特別目新しいものではない。

 これまで私も書いてきたように、インターネットの発達のおかげで誰でも情報発信ができるようになり、誰でも自己表現がネット上でできるようになった。これ自体は素晴らしいことである。これまで一部のマスコミ関係者やら、ミニコミ製作者しかできなかった情報発信が「誰でも」「気楽に」できるようになったんだから。ただし、こうして「誰でも、気楽に」情報発信ができるということは、その情報発信自体が玉石混淆になるということであり、ロクに文章の書き方の道理とか、マスに自分の考え方を公表する際の基本的なルールを知らない者までが、それこそ、これが「自己表現だ」という勝手な自分ルールだけで自分の考え方をネット上で公表している訳であるが、じゃあ、その時、その自分の考え方を公表している自分をネット上でさらけ出しているかといえば、全然そうじゃないんだなあ。

 いろいろな人のブログを読んでいる私だが、たいていブログを読むとその「プロフィール」欄を見る。そこで、プロフィールで自分の本名とか、自分の人物を特定できる項目が入っている人はほとんどいない。他人を批判するような記事を書いている場合でもである。でも、これって言論の世界で言ってしまうとルール違反なんだよなあ。別に「自分の言いたいことを言う(書く)」ってことには、何の枠組みもいらない。誰かを褒めたり讃えたりすることにも、別に勝手に書けばよろしい。しかし、人を批判したり、非難したりというようなことを書くときには、それなりのルールがある筈なんだ。つまり、批判に対する反批判が出来るように、書いた人物を特定できるようにする、というルールだ。当たり前でしょう。批判には反批判が出るのは当然であり、その時に批判者が誰であるかを明確にしておくのがマスコミのルールだ。でなかったら、それこそ闇夜に突然後ろから襲い掛かって袈裟がけにして切るようなものだ。

 基本的に、ネットであってもこうした意見表明に関してはマスコミと同じルールが適用されなければいけないのではないか。でないと、結局は「言いっぱなし」という一番いけない結論になってしまう。そこには民主主義はない。

 2011.3.11の話。

『少なくとも東京では避難所生活を強いられることもなければ、仮設住宅に入るということもなかった。あったとしてもすぐに元の生活に戻れた。ぬくぬくと暖かい部屋の中でツイッターを見ては【拡散希望】とヒューマニズムに溢れたことをお手軽に書いて、復興に協力していると考えている者も多数いた。そんな時に氾濫したのが「つながり」「一人じゃないんだよ」そして「絆」という言葉だ』

『2011年の流行語ともいえる「絆」だが、果たして日本全国が共感した言葉になり得たのか。被災地の人々にとっては、自分の生活を少しでも改善させることと、前述のたけし氏の言葉通り、家族の死という悲しみをいかに乗り越えるかを考える余裕しかない』

 まあ、「絆」なんて浮ついた言葉は、震災とは何の関係もない清水寺の坊主が勝手にほざいて書いた言葉だからどうでもよいが、それをあたかも自分に関係あるような気分になって、安全地帯からネットでほざいたような奴は、現在、安保法制反対を唱えて週末デモをやっている人たちと同じような、なんか低いレベルでもって政治や制度、法制などを考えている人たちと同じようで、なんか気持ち悪い。

 まあ、違憲法の集団安全保障法に関しては別に書くとして、結局「絆」とかなんとか言っても、被災地現場の人たちにとっては、自分の家族や親戚がどうなったのかが大事であって、被災者同士の助け合いというのが大事だとはわかってはいても、それは二番目の問題なんだよな。

『フェイスブックで「いいね!」がたくさんつくのが幸せなのか?
多くの友人と毎週末BBQやハロウィンのパーティーをやっている状態が幸せなのか? 
反日勢力を倒すべく、毎週末街頭に繰り出して「日韓国交断絶!」とシュプレヒコールをあげるのが幸せなのか?』

 と中川氏が書くように、多分のそんな形でしか幸せを感じられない人たちは、やっぱり「幸せ」じゃないんだろうなあ。

「闇夜に人を斬る」なんてのは、幸せな人がやることじゃない。

『縁の切り方』(中川淳一郎著/小学館eBooks/2014年12月19日)紙版は小学館新書

2015年6月29日 (月)

あらかわ遊園はウィーンのプラーター公園か?

 都電荒川線荒川遊園地前駅の前が「あらかわ遊園」なのであります。

 この辺の微妙な違いが「分かるかなぁ?」

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 ま、それはいいとして、この「あらかわ遊園」は「荒川区立」という珍しい公立遊園地なので、他の遊園地みたいな施設は一切ないのがいいところ。

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 乗り物もメリーゴーランドとか、コーヒーカップとかこわいものは一切ない。 

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 併設されている動物園もヤギやヒツジ、ポニーなんかの草食動物ばっかりの優しい動物だし。

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 動物園を一周する汽車もあったりするんだが、まあ、その程度。

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 この遊園地の一番の見世物はやはり観覧車なのだろう。入園者のほとんどが、やはりこの観覧車に足を向けている。

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 とは言ってもこの程度の観覧車です。荒川区全体を見晴らせるわけではない。ちょっと高いマンションの屋上という程度の高さ。

 まあ、ヨーロッパあたりに行ってしまうとこんな観覧車がある公園なんかがあるのが当たり前、という気分になってしまったりしますね。

 例えば「ボルジア家支配のイタリアでの30年間は戦争、テロ、殺人、流血に満ちていたが、結局はミケランジェロ、ダヴィンチ、ルネサンスを生んだ。スイスの同胞愛、そして500年の平和と民主主義はいったい何をもたらした? 鳩時計だよ」というオーソン・ウェルズの『第三の男』の台詞が、この「あらかわ遊園」に行くと思いださせるのです。

 なんか、そんな『第三の男』のプラーター公園を想い起こさせる「あらかわ遊園」なのでした。

 あらかわ遊園はウィーンの公園か、って?

NIKON Df + Ai NIKKOR 24mm/F2.8 @Ogu, Arakawa (c)tsunoken

2015年6月28日 (日)

カレッジフットボール、春シーズン終了! さて秋はどうなるのか?

 先週、関西学生リーグ1部の京都大学との定期戦に、10年ぶりに勝利して勢いが上がっている東京大学ウォリアーズであります。

 この春、最後の定期交流戦でもある防衛大戦にも勝って、秋への勢いをつけたいところ。とは言っても、東京大は実質2部とは言っても、取り敢えず1部リーグBIG8の6位につけているチーム。2部リーグ8位の防衛大学とはダンチの違いがある筈なんだが……。

 ということで、今年の東大春のシーズン最終戦、対防衛大学戦が昨日、東京大学御殿下グラウンドで行われた。

 試合は防衛大のキックオフ、東大のリターンで始まったが、ランニングバック(RB)#33宮山がいきなりビッグリターン。3年生のクォーターバック(QB)#16荒川が自ら走り込んでタッチダウン(TD)。

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 しかし、インサイドのランに強い、つまりそれだけフィジカルが強い、防衛大学。早々にTDを決めて7対7に。

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 が、その後のシリーズではRB#21関野が長躯ランをしてTD。14対7に。

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 しかし、ワイドレシーバー(WR)#13団栗のパスキャッチもあり、再びTD。21対7にし。

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 第2Q、RB#21関野が再び走って本日2度目のTD。28対7に。

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 その後は、両者相譲らずという感じでゲームは進んで、結局、前半戦の最後は東大のフィールドゴールということで、前半戦は31対14で終える。

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 第3Q、レシーブを選択した防衛大は取り敢えずTD。31対21.

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 ところが、この後防衛大の最大のミスが出てくるんだなあ。

 つまり、31対21にした後の防衛大のキックオフなんだが、オンサイドキックで自チームのキックオフ・ボールを得ようとする。それはまあ普通の作戦なんだが、これがファウルがあって5ヤード下がってやり直し。で、その次にも同じくオンサイドキックを狙ってきたのだ。

 普通、オンサイドキックっていうのは「奇襲作戦」なんだから、一度失敗すれば二度目はやらない筈の作戦なんだけれども、これがもう一度同じ奇襲作戦をやるんですね。蹴る方向もまったく同じ。

 当然それは東大側からすれば読まれている作戦なんだから、東大がボールを獲得するわけです。で、当然東大側のTDにつながって38対21になってしまう。

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 う~ん、大丈夫か自衛隊? こんな士官に領導されているようでは世界に通用する軍隊になれるのか? と、ちょっと気になりますね。

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 で、結局後半から出場したQB#15古屋がエンドゾーンへ。ということで38対21ということになって、第4Qはそのまま両チームとも0対0で、38対21ということで試合は決着。

 まあ、昨日の対防衛大戦は、いろいろ反省点はある試合ではあったとしても、今秋のリーグ戦をどう戦うかというのが問題だろう。

 今春の成績は

4/26 対上智大戦 62対11

5/9  対国士舘大戦 28対27

5/22 法政大戦 27対63

6/3 対中央大戦 0対34

6/20 対京都大戦 14対10

6/17 対防衛大戦 38対21

 ということで、4勝2敗だった訳だが、春シーズンで言えば法政、中央に負けるのは仕方がない、もともと力が段違いなんだからね。この秋シーズンのポイントとなるのは立教大戦だろう。勿論、1部BIG8から1部TOP8に上がるには全戦全勝して12月12日の入替戦に勝たなければならないのだが、そのためには基本的にはBIG8トップ(ということは実は昨年の入替戦で専修大に負けたんだけれどもね)の立教大勝たなければならないということ。

 はてさて、今年の秋シーズンの東京大学ウォリアーズはどうなるのであろうか。

NIKON Df + SIGMA DG 150-500mm/F5-6.3 APO HSM @University of Tokyo, Bunkyo (c)tsunoken

2015年6月27日 (土)

『AKIRA』がない『ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム』展って何だ?

『ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム』展が6月24日から、六本木にある国立新美術館で始まっている。

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「展覧会概要」に曰く……

『日本のマンガ、アニメ、ゲームは世界に類を見ない多様な表現をメディアの壁を超えて押し広げつつ、時には世相の変化や進化するテクノロジーを作品世界に映し出し、また時には拡張された現実や未来社会を私たちに提示します。そして、キャラクターたちは作品世界を飛び出し、私たちの日常に自在に入り込む存在となっています。
 手塚治虫が亡くなった1989年以降、私たちは幾度かの震災やテロ事件を経験し、他方で、インターネットやスマートフォンの普及をはじめとするテクノロジーの進化を享受してきました。このような社会潮流の中で、私たちの意識やライフスタイルはめまぐるしく変化してきました。同時代のマンガ、アニメ、ゲームに触れることは、その時々の日本の社会の重層的な側面を見ることと言ってもよいでしょう。
 本展覧会は、1989年から現在までの25年間に焦点をあて、複合的メディア表現として深化している日本のマンガ、アニメ、ゲームを総合的に展望し、私達の想像力と創造力を再発見する機会となることを目指します』

 う~ん、それはいいねだけれどもね……。

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 しかし、なんで1989年で区切るんだろう。

 手塚治虫氏が亡くなって、昭和が終わった年だからというのは、なんとも説得力がない。手塚氏はまだしも、「昭和が終わった」なんて「マンガ、アニメ、ゲーム」とはなんの関係もないじゃないか。

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 こうした展覧会の場合、テーマに沿って「どの時期からどの時期までを対象とするか」というのは、すぐれてキュレーターの思想が見えてくるものなのだ。

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 だとすると、「何故、1989年なんだ?」「何故、1988年じゃないのか?」という疑問が湧いてくる。

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 では「何故、1988年なのか?」に答えよう。

 つまり、1988年はあの「日本発世界行き」のアニメーション作品『AKIRA』が日本で公開された年なのだ。日本のアニメ表現が初めて世界に知られることになったきっかけが『AKIRA』なのである。その『AKIRA』を差し置いて「日本のアニメ」は語れないでしょう。

 だから、その最初が『機動警察パトレイバー THE MOVIE』や『攻殻機動隊』になっちゃうんだなあ。勿論、それら押井守作品のインパクトの強さは認めるし、ウォシャウスキー兄弟に与えた影響なんかは当然認められるのであるが、しかし、それも『AKIRA』という先行例があってのことなのであります。

 やっぱり『AKIRA』のない「ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム」展は片肺飛行なんだなあ。というか、この展覧会のキュレーターは『AKIRA』が嫌いなんだろうなぁ、ということだけが判った。

 というところが、ちょっと残念な「ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム」展は8月31日まで開催中。

公式サイトはコチラ

2015年6月26日 (金)

『2045年問題』って言うけど、そんなに問題じゃないんじゃないかという話もさせてくれ

 ということで今日になったので「2045年問題」って何だ? というわけです。

2045 『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』(松田卓也著/廣済堂出版/2014年5月1日刊)

 松田氏の論によれば……

『コンピュータ・テクノロジーの進歩は指数関数的だといいます。この指数関数的な進歩こそ、特異点をもたらす原動力です。
 私たちは進歩を予測する時、たとえば来年には2倍に、再来年には3倍に、その翌年には4倍に……と、直線的な進歩をつい考えてしまいがちです。このペースでは、30年後になってもせいぜい30倍です。 
 それに対して、たとえば1年で倍増する指数関数的な進歩の場合1年後は倍ですが、2年後には4倍、3年後には8倍という上昇曲線を描き、10年後にはほぼ1000倍、30年後には10億倍に達します。
 こうした加速度的な進化の行き着く先が「特異点」だというわけです』

『カーツワイルの予言では技術的特異点は2045年だといいます。これからほぼ30年先の未来です』

『なぜ、人間の予測がつかなくなるかといえば、ここで、コンピュータの能力が全人類の知能を超えてしまうと考えられるためです』

『アメリカのコンピュータ研究者であるレイ・カーツワイルは、2045年に技術的特異点に達すると主張しており、そこからこの仮説をめぐる議論は「2045年問題」と呼ばれています』

『コンピュータ技術がこのまま進歩していけば、機械の知能が自己を規定するプログラムを改良することができるようになるだろう、そうすれば機械の知能は指数関数的に増大すると論じました』

『さらに、その結果、超知能機械は人間の最後の発明となり、それ以後の発明はすべて機械が行なうことになるだろう、といっています』

 つまり、地球上にいる人間(2045年には100億人といわれている)の知能の総量よりも、コンピュータの知能の総量の方が上回るのが、2045年だということ。ということは、2045年を過ぎると、更に知能量を(自分で)増やしていくコンピュータに対して人間の脳はどんどん劣化していって、コンピュータとの競争においては人間はどんどん「バカ」になる、というわけですな。

 まあ、現在でも既に「コンピュータに対してどんどんバカになってきている」自分、「コンピュータの利口になりぶりに対して、全然利口にならない」自分をよく知っている私の現状からすれば、まあ、それはわからないではないのだけれども、それにしても2045年に何が起きるのだろうか?

「技術的特異点(Technorogical Singularity):未来研究において、正確かつ信頼できる、人類の技術開発の歴史から推測される未来モデルの限界点」(Wikipedia)が2045年に来るって話なんだけれども、まあ、ここで「Wikipedia」使っている時点で最早コンピュータに負けている訳です、私たち人間は(あっ、俺だけ?)。

 問題は、それだけ発達していってしまったコンピュータが、確かに「知能」の分野では遥かに人間以上のものを獲得してしまうだろうが、それ以上の「知性」や「感性」までをも獲得するのだろうかということ。まあ、「知性」くらいは獲得することはあるだろうけれども、その上の「感性」「感情」「思想」「表現」「インスピレーション力」「発想力」、更には「恋愛」能力などなどまで獲得できるのだろうか。

 一部は、実は「論理的能力でもってもできなくはない」発想法ではあるけれども、しかし、その多くは人間の持っている情動的能力(って何だかわからないが)による発想が多いのである。

 例えば、コンピュータがコンピュータ自身で次世代コンピュータを作ることを選んだ場合、当然、コンピュータ自身には生殖能力はないわけだから、論理的に次世代コンピュータを設計するしかない訳だ。

 我々人間は、そこで他の異性に恋をするという(多少は面倒な)儀式を経ることで、次世代の人間を作ることが可能だが、まあ、その出来は千差万別であって、必ずしも親の望んだとおりの次世代にはなってはいない訳だ、というかほとんどすべての親はそんなもんでしょう。まあ、その辺が、人間の次世代作成基準とコンピュータの次世代作成基準の違いなんだろうが、そうか、コンピュータには性別はないから基本的に「単性生殖」なんだなあ。単性生殖の生き物のの気持ちは理解できないが(というか単なる子孫保存本能だけなんだろうな)、それはかなり下等な生き物の世界での出来事でしかない。

 そんな下等生物の生殖方法にコンピュータは耐えられるんだろうか? 

「僕だって、恋をしたいよ」

 ってPepper君なら言いそうだよね。

 でも、言わないのがコンピュータなのだ。

 勿論、有性生殖の不確実性を考えれば、それはコンピュータ的ではない(論理的ではない)ということになるんだろうけれども、でも、それって楽しくありません? コンピュータが自分の世代のコンピュータでは解決できない問題に当たれば、当然、自分自身で次世代コンピュータを設計するんだろうけれども、そんな時に、設計とちょっと違った子供(次世代コンピュータ)ができてしまった時に、前世代コンピュータは自分の子供を完全に捨てられるのだろうか。まあ、その辺が2045年のコンピュータが感性を持てるのかという問題なんだけれどもね。

 中途半端な子供だけれども、それはそれで次世代コンピュータができるのは嬉しい、やっぱり子供は可愛い、という感性をコンピュータが持てるのであれば、それはそれで人間との共生の道もあるんだろう。

『1984年』の「ビッグ・ブラザー」とか、『ターミネイター』が描く「スカイネット」みたいなコンピュータが支配する未来社会であっても、結局は人間への支配が問題なのであって、じゃあ、人間がいなくなっちゃったらどうなるの? という疑問には答えていない。

 ということは、多分、将来コンピュータが世界を支配する状況になっても、結局、人間の今のような生活は(経済的には最低限かも知れないが)維持されて、それなりに「人間も生かされている」状態になっているのかもしれない。

 まあ、考え方によっては、それもいい生き方かも知れないね。

 私にとっては、毎日、写真を撮りに出かけることができれば、それでOK。あっ、そしてその写真を発表できる機会とか媒体があればいいです。

 あっはっはぁ。そうじゃないんだ。問題は2045年まで私が生きているかどうかですね。もう、その時には94歳だもんなあ。

 まあ、いないでしょうね。その辺がちょっと残念!

『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』(松田卓也著/廣済堂出版/2014年5月1日刊)

2015年6月25日 (木)

AIによって家庭の秘密がダダ漏れって、なんか気持ち悪い

 取り敢えず、今、ロボットとか人工知能(AI)の世界がどうなっているのかを「はじめに」から。

『人間の領域がどんどんコンピュータやAI、ロボットなどに侵されようとしています。将棋や囲碁のような伝統的ゲームはもとより、IBMのAIコンピュータ「ワトソン」が企業の経営判断や銀行のコールセンター業務などに導入され、グーグルや世界の自動車メーカーはドライバーのいらない自動運転車の開発を急いでいます。
 また米国の通信社や出版社では文書作成ソフトが自動で記事を書く時代になり、日本の国立情報科学研究所では東大入試にチャレンジするコンピュータを開発しています。さらに人間のように外界を認識して器用に動ける次世代ロボットが、工場や倉庫、物流などの現場に投入される日も、そう遠からず訪れると見られています』

Ai 『AIの衝撃――人工知能は人類の敵か』(小林雅一著/講談社現代新書/2015年4月1日刊)

『今、欧米や日本では、巨額の政府予算を投じて、人間の脳の全容を解明する科学プロジェクトが進行中です。今後、そうした巨大プロジェクトによって脳に対する理解が急速に深まり、この成果をいち早くニューラルネットの開発に導入していけば、そこには想像を絶する人工知能が登場する可能性があります』

『そこにはプラスとマイナスの両面が考えられます。まずプラス面は、これまで想像もつかなかったような知的製品の登場です。これからは私たち人間があれこれ面倒な操作をしなくても、各種のマシンやサービスが自力で必要なことを学んで人間に奉仕するようになるのです。これは私たちの暮らしや社会の利便性を飛躍的に高めると同時に、既存のITや自動車、ロボットをはじめ産業各界のビジネス・モデルに計り知れないインパクトをもたらすでしょう。
 一方、マイナス面は、予測不可能なAIの進化です。「自ら学んで進化するAI」は、それを作りだした人類が意図したのとは全く違う方向へと発達してしまう可能性も秘めています。最近、巷で囁かれる「異常な発達を遂げたAIが暴走して人類を破滅させる」といった懸念は、この点に起因しています。また、前述のように「AIが人間の雇用を奪う」との予想もあります』

 というけれども、別にそれはいいことなんじゃないかと思うんだが。

 つまり、「私たち人間があれこれ面倒な操作をしなくても、各種のマシンやサービスが自力で必要なことを学んで人間に奉仕する」のであれば、我々人間はその間に「人間ができる知的作業」(たとえ、それがロボットよりも劣っていようとも)を行っていればいいのであって、別に人間が困ることはなかろう。更に、自動運転車が進出しようとも、心ある自動車メーカー(まあ、AI経営しているんだろうけれども)はやはり「運転していて楽しい(Fan to Drive)」車は絶対に提供していくだろうから、自分で運転したいときはそんな車を運転すればいいし、面倒くさい時や自分で運転しちゃいけない時(酒を飲んだ時とか)は自動運転車で帰ればいい。

 マイナス面も「異常な発達を遂げたAIが暴走して人類を破滅させる」というのは、それに対する対策を考える必要はあるだろうが、「AIが人間の雇用を奪う」というのはいいことなのであります。何故か? だって、皆働きたくはないでしょう? 基本的に人間は自分のしたいことだけをやっていきたい存在なのだ。なので、何も自分の時間の何割かを割いて、自分のやりたくないこと、つまり「仕事」をして生きていくことの「つらさ」からは逃れたいと考えているのだ。AIが人間の雇用を奪ってくれれば、そんなAIが作ってくれた「自分の時間」を有意義に過ごせるのだ。結局、AIとかロボットと言ったって、所詮は無機物なんだから、「給料を上げろ」「待遇を改善しろ」なんてことは言わずに、電源とか燃料とかをちゃんと供給してあげれば永遠に仕事をし続けてくれるはず。なので、そんなAIたちに日々の食料とか衣料なんかを供給してもらえば、別に人間は働かなくても生きていけるはずだ。

 まあ、毎日が日曜日状態で年金生活を送っている私が言うことでもないだろうが、とは言うものの私の年金生活も若い世代が働いて年金を収めてくれているからこそできる訳で、そんな若い世代の代わりにロボットが稼いでくれる(というよりも稼ぐ原資を作ってくれる)のなら、大歓迎である。

 いいじゃないですか。

 ただし、過渡期である現在ではちょっと気持ち悪いこともある。

『グーグルやアマゾンなどIT企業にとって、次世代ロボットとは実はユーザーとの間で情報をやり取りする「次世代の情報端末」である』

 ということ。どういうことかと言えば……

『仮に今後、相当数のペッパーが日本全国の家庭に投入されたとしましょう。そこから集められた多数のユーザーの日常生活ログ(ビッグデータ)を、クラウドAIの機械学習で解析することによって、ソフトバンクは精度の高いターゲティング広告を打ったり、個々のユーザーが欲しがるような商品をレコメンド(推奨)することができます。さらには全く新しい製品やサービスの開発にもつながるかもしれません。
 これはまさにグーグルなど米IT企業が考えていることと同じ。つまりソフトバンクも、ペッパーのような次世代ロボットを一種の「情報端末」と見ているのです。
 しかし、よく考えてみるとユーザーの自宅に入り込んだペッパーは、そのビデオカメラで人の表情だけでなく、その背後にある部屋の様子なども撮影しているはずです。つまり私たちの家の中がソフトバンク側に丸見えになってしまうわけです』

 つまり、これまではユーザーの購買行為などユーザーの何かしらの能動的行為からしかレコメンドできなかった。だからアマゾンのレコメンドは私のようなジャンル問わず本を買うような人間にはいつも「的外れ」のレコメンドしかしなかったわけなのだが、ペッパーのようなクラウドに繋がったビデオカメラを持っているロボットが家の中に入り込んでしまったら、家の中の恥ずかしい部分も全部ソフトバンクに晒されてしまうということなんですね。

 う~ん、こりゃまずいな。

 だって、ソフトバンクが6月20日に売り出したペッパー初回販売分1000台(人?)が1分で完売しちゃったって言うんだから、これを予約した人の何割くらいがネット・リテラシーをちゃんと持っている人なんでしょう。まあ、1000台だから、その殆どが企業なんかの研究用購入なんだろうけれども、でも数パーセントは個人で買った人もいる訳でしょう。まあ、そんな人たちの家の中がどんなにソフトバンクに「ダダ漏れ」したって私には関係ないことだが。

 まあ、そういうことです。

 んで、そうやってどんどんAIにダダ漏れして行った人間の知識のすべての分量よりも、コンピュータの総知識の方が上回る日が来るらしいのだ。

 それが2045年なのだそうだが……。

 その話は「明日のココロだぁ」(小沢昭一さん風に読んでください)

『AIの衝撃――人工知能は人類の敵か』(小林雅一著/講談社現代新書/2015年4月1日刊)

2015年6月24日 (水)

ニコンカレッジ作品発表 可愛い! エマちゃん

 ということで、昨日はニコンカレッジ第3講目。6月13日に撮影したカットから4枚を提出して、それを講師のハヤシ アキヒロ氏の講評を受けた。

 私が120カットほど撮影したものから選んだ4点は以下の通り。

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 ハヤシ氏からは「初めてにしては上出来」なんて言葉もいただいたが、多分これはお世辞。基本的には写真を見て最初に言った言葉「メリハリのない写真。こういう組み写真は、まずコンテストで入選しません」というのが本音のところだろう。

 別に横位置だけの写真しか撮っていない訳ではなく、縦位置の写真も撮っているし、クローズアップもある。しかし、縦位置の写真がイマイチ、ピンとくるものがなくて、クローズアップでは奥側の瞳にフォーカスが来ていたりして、何か組み写真に使えない。

 で、やむなく組んだのが上の4カットという訳。ポイントは3カット目なんだけれども、じゃあ、3カット目はこういう風にトリミングして縦位置に持ってくれば? というのがハヤシ氏のアドバイス。

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 なるほどなあ、そういうテがあったか。

 というか「35mmフィルムはトリミングしない」のが鉄則というフルムカメラ時代のお約束に囚われていた自分がそこにはいた。そうなんだよな、デジカメの画素数(NIKON Dfは1625万画素)からすればトリミングなんて全然OK。トリミングして画質が低下なんてことはないもんなあ(実は厳密にいえば画質は低下しているんだけれども)。

 面白いなあ、勉強になるなあ、しかし、皆上手いなあ。ニコンカレッジ、少し通ってみようかな。

NIKON Df Ai NIKKOR 50mm/F1.4 @Studio Lentille, Denenchofu (c)tsunoken

2015年6月23日 (火)

モノクロで撮ると街が戦場のように見える(?)。駒込が一瞬、サラエボに?

「60年代に、高梨豊さんとのライカ談義で、ライカMDは街が戦場のように映るのではないかというくだりがあった」

 というのは田中長徳氏がよくネタにするお話しである。

 ライカMDで撮るということは、当然、それはトライXなどのモノクロ・フィルムで撮影するということなのだろうから、ためしにライカMDでなくても、街をトライXで撮ったみたいにコントラストをごく強くしてモノクロで撮影してみると……、おお、デジカメでも戦場の如くに殺伐とした風景が写ることを発見した。

 まるで駒込駅前のホテル・メッツが、あたかもボスニア戦争時のサラエボはスナイパー通りにあったホテル・ホリデイ・イン・サラエボの如くに感じられる(?)。

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 これがボスニア・ヘルツェゴビナ戦争の時の、ホテル・ホリデイ・イン・サラエボの写真。

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 どうかな……。

 ホテル・メッツ駒込がホリデイ・イン・サラエボなら、こちらのお風呂屋さんはまるでイスラムのモスクのようだ。

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 この都電の線路や駅なんかも、あたかもユーゴスラビアか東欧の路面電車のようにも思えてくる。

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 多分、街から「彩り」というものを取り去ってしまう行為が、街が極彩色に彩られていることを当たり前のように感じている普段の自分の感覚から遠いものに連れ去ってしまうからなのだろう。

 それだけ街は極彩色に溢れ、これでもかこれでもかと私たちを責めたてる。

 しかし、よく考えてみると、私が幼い子供のころの東京の街は、現在よりもずっと「色の付いていない」灰色の街だった。極彩色は盛り場としてのメルクマールで、私たちが住む普通の街はモノクロの世界だったのだ。

 それが次第に街には色が溢れ出し、いつしか街は極彩色が当たり前になって来てしまった。いまや我々が住む街も極彩色が溢れていて、それを普通にみている我々がいる。

 そんな街から、たまに「色彩」というものを取り去って、光の陰影だけで見てみると、そこには新たな(というか昔を思い出させるような)光景が発見されてくる。その光景が、たまたま戦争のイメージと重なってくるのかも知れない。

 この70年間、戦争と言う言葉から離れていた東京という街。一方で、横須賀や岩国や沖縄の各地域などは、戦争と表裏一体で繋がっていた街だ。三年前に沖縄に行った時に撮って来た写真はすべてカラーで撮ったんだけれども、そうか、あの写真をモノクロで撮っていればそこには朝鮮戦争やベトナム戦争の影が写っていたのかも知れない。

 街から色彩をすべて外してしまった写真を、沖縄で撮っておくべきだった。

 うん、面白そうだからしばらくは「モノクロ・モード+コントラスト強め」で東京を撮影してみよう。

NIKON Df + Ai NIKKOR 24mm/2.8 モノクロモード+エッジ・レベル9+コントラスト最強 @Komagome & Sugamo (c)tsunoken

2015年6月22日 (月)

大田区がウィーンに見えるのかって? そりゃ、無理だよね

 先日、京浜急行の大森町から京急蒲田まで歩いてみたんだが……

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 大森町駅からも西へ結構ちゃんとした商店街があって、これにはちょっとびっくり。

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 勿論、町にはちゃんと古い写真屋さんなんかがあって、古いフィルムカメラなんかが置いてあるんだが……、もう誰も買わないんだろうなあ。

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 実は、本来の目的は同じ京急の大森町と京急蒲田の間に「梅屋敷」っていう駅があるので、じゃあその「梅屋敷」って何だ、というのが本来の目的だったのだ。

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 現在は「聖跡梅屋敷公園」として整備されている庭園なのだが。

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 要は、江戸時代に「和中散」という薬で財を成した人が、自分の家の庭に沢山梅の木を植えて、川崎大師や江の島なんかに行く江戸の人々をもてなした茶屋を開いた、というのがその起源。

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 まあ、明治天皇が梅が好きで、しばしばここの庭園を訪れたというのがあるというだけの、別にそれほどの時代的な存在じゃないということはわかった。庭もそんなに広いわけではない。中に相撲の土俵があるのが面白い、という程のものだった。

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 んで、そのまま京急蒲田まで歩いたんだが、この辺りはJR蒲田も含めて勝手知ったるところ。

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 松竹蒲田撮影所跡なんかもよく知っている。

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 ということなので、ここは「第三信号系カメラアイ」風に京急大森町から京急蒲田までをまとめてみたんだが、これらの写真が田中長徳氏風にウィーンの風景に見えるかしら。コントラスト強めのモノクロ写真にしてみたんだけれども……。

 って、そんなわけないじゃん。ですよね、ここは東京都大田区だもん。

 それは、まあちょっと明日のブログかな……。

NIKON Df + Ai NIKKOR 24mm/F2.8 カラー撮影からモノクロ変換 @Omorimachi, Umeyashiki, Kamata Ota (c)tsunoken

2015年6月21日 (日)

田中長徳写真展「WEIN ZWEI GRAMM LICHT 1973-1980」

 田中長徳写真展「WEIN ZWEI GRAMM LICHT 1973-1980」つまり「ウィーン、2グラムの光 1973-1980」というのが、今回の神田明神脇のギャラリー・バウハウスで開催中の写真展のタイトルだ。

2(c)Chotoku Tanaka

『ある日、ライカM3にズミクロン90ミリで逆光の雲に向け写真を撮った。その日の夕刻に現像してみたら、そのうちの1枚に予期しなかった光のシャワーが写っていたのである。
この光のシャワーというのは、以前から大通りの建物の段違いのスペースの意匠になっていたので気にはなっていたのだが、そういうグラフィックなデザインが実際に自然界に出現したのが妙であった。こういう次第は、ライカのような一眼レフでない35ミリカメラの独壇場である。つまり、ライカは意識でコントロールできないもの、表現上のまったく予期しないものが、そこに写るのだ。その光のシャワーを厚手のハンガリー製の印画紙、フォルテにプリントしたので、その光の質量は、およそ2グラム程度であろう、という推論に達した。
これが「2グラムの光」誕生の縁起である』

 というのが、田中長徳氏の1996年に発行された『ウィーンとライカの日々』(日本カメラ社)80ページに記された原稿であり、そして本書75ページからスタートする第二章「2グラムの光 1976-1980」の扉ページに掲載されている写真が下の写真なのである。

 つまり、これが「2グラムの光」というわけ。

2_2(c)Chotoku Tanaka

 田中長徳氏は夫人・美好さんのウィーン音楽留学に同行して、長徳氏26~33歳という人生の青年期をオーストリアのウィーンという、スロバキア(田中氏が在住していた頃はチェコスロバキアだった)のブラチスラバまですぐの所、つまり西欧(資本主義国)と東欧(共産主義国)に挟まれた微妙な位置にある街で暮らしていた。本書の第一章「記憶の街 1973-1976」と第二章「2グラムの光 1976-1980」が、その頃、ウィーンで大量に撮影された写真の一部なわけであり、本書に含まれていない写真の一部が、今回の写真展の写真なのである。

 本来は「芸術の都」「音楽の都」と呼ばれたウィーン、ハプスブルグ家が13世紀から20世紀初めまで君臨して欧州最大の帝国の首都として、それらの芸術を盛り上げてきたウィーンであるので、本当はそれなりに美しく、明るい街であるはずである。ところが、田中氏が写し撮ったウィーンの姿は、どれもそんな華やかさとは対照的な、どこか陰鬱で、西欧の中心であるにもかかわらず、どこか当時の共産圏の街のようにも見える。

 勿論、カラーの写真ではなく、すべて光の陰影だけのモノクロームであるということも、理由のひとつにはなっているだろう。更に、東ヨーロッパ製の映画用フィルムを使ったということは、当然ISO感度は低いフィルムなので、コントラストの強い写真になることは否めない。つまり、それは田中氏の狙いなのかどうなのかは分からないが、敢えてそんな昔の帝国の残滓をその街に発見しようとして、実はまさしく残滓「だけ」が見えてきたという感じなのである。

 田中氏は、日大芸術学部写真学科を卒業した後、日本デザインセンターに数年勤務して、美好夫人と結婚し、ウィーンに行って、そこで6年半を過ごした。つまり、会社員時代の多少の蓄えはあったにしても、ウィーンという地でそうそう写真家としての仕事があったわけでもなく、しかし、夫人が学校やコンサートに行っている間は何もすることがないので、その間はひたすら街を歩き回って写真を撮るしかない時間を生きてきたのである。

 それは若年にして既に自由人ではあるのだが、一方、若年にしてそのように自由な人間というのは、これまたその自由さ加減を如何に有効に使うかを悩まなければならないという、二律背反の立場に自分を追い込むことになるだろう。

 ひたすら街を徘徊して写真を撮るというのは、今の田中氏の年齢になってしまえば、それは当たり前のこととして、田中氏曰く「徘徊老人と間違えられない為に写真を撮っている」というそのままに、普通の出来事でしかない。しかし、20代後半の若者が、その年齢にして「徘徊老人と間違えられない為に写真を撮っている」という、その姿は、もしかして若くして「世捨て人」なのか、あるいは「無職の腹を空かせた若者が、その口惜しさを忘れるために写真を撮って歩いているのか」といった気分に周囲をさせる。

 まあ、多分そのアンビバレンツがすべて備わった6年半だったんだろう。

 そんな6年半の記録なのである。写し出された写真にはそんなアンビバレンツが横溢している。

 つまり、写真が写し撮るのは、周囲の風景ではなく、写真家の心の中なのである。

田中長徳写真展「WEIN ZWEI GRAMM LICHT 1973-1980」は7月31日まで開催中。

Gallery Bauhausの公式サイトはコチラ

Dsc_00102NIKON Df + Ai NIKKOR 24mm/F2.8 @Kanda (c)tsunoken

2015年6月20日 (土)

AIを搭載した汎用ロボットは、やっぱり人型なんだなあ

 なんか、今、AIに関する本を読んでいながら、前から観に行こう行こうとして忘れていた映画があったことを思い出し、観に行ってきた。

 映画『チャッピー』なんですよ、これが。う~ん、全然記憶から消え去ってたなあ。マズイ、痴呆症化か? うん、もう来年は前期高齢者だしなぁ.

2 『チャッピー(Chappie)』(原作:ニール・ブロムカンプ『Tetra Vaal』/監督:ニール・ブロムカンプ/脚本:ニール・ブロムカンプ、テリー・タッチェル/製作:サイモン・キンバーグ)

 ロボット哲学ではアイザック・アシモフの「ロボット工学三原則」が有名だ。

『第一条
 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条
 ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない。

第三条
 ロボットは、前掲第一条及び第二条に反する恐れのない限り、自己を守らなければならない。

2058年の「ロボット工学ハンドブック」第56版、『われはロボット』より』

 というものなんだが、なんかこうやって改めて読んでみると、すごい古典(確かに古典ではあるが)を読んでいる気がする。まあ、牧歌的というか、現在のAIのイメージまでにいたるにはどうかという感じ。

 つまり、現代のSFを見回すと、『2001年宇宙の旅』や『ターミネーター』や『攻殻機動隊』なんか完全にこの「ロボット工学三原則」から外れちゃってるもんね(あ、いや「攻殻機動隊」はまだ意識(ゴースト)だけは人間なのかな)。

 ポイントは『チャッピー』も最初はロボット工学三原則に沿ってソフトウェアは設計されているということ。

 つまり、チャッピーの設計者であるディオン・ウィルソン(デーヴ・パテール)は、当初は会社(テトラバール社/社長:ミシェル・ブラッドリー=シガニー・ウィーバー!)の指令通りに「完璧なAIではない」ロボットを作っていた。要は、上司の人間の警察官の指令通り重罪犯が立てこもるアジトなんかに「人間の楯」となって犯人逮捕に協力する「警官ロボット」だ。そのロボットが警察から大量発注されたおかげで、ロボット開発をしたテトラバール社は大受けに入っている。しかし、それはまだ「フレーム問題」に取り込まれた状態での「AI」(つまり将棋ロボットとか、IBMのワトソンとかと同じ、一種の条件的な状態でしか動かないロボット)でしかないわけで、本来の「AI」の研究者からすれば、それは「中途半端なAI」でしかない。

 当然AI研究者としては、本来の「感情を持ったり、自分の意見を持ったり、自分で更に高度な知能を開発したり」というような、まさしく人間の知性を模倣し、人間を上回る新しい人工知能ソフトウェアを開発したいわけだ。

 まあ、究極のAI研究者は「フランケンシュタイン」を作りたいわけですね。

 んで、ディオンは重罪犯の放ったロケット砲でもってスクラップ寸前の状態になってしまった警官ロボット22号を、会社の倉庫に忍んで外に持ち出し、多分、自分の家でそんな「完璧なAIロボット」を作ろうとしたんだろう。

 で、ここから物語は意外な方に展開する、と言ったお約束。

 警官ロボットを使って強盗を手伝わせようと考えているニンジャ(ニンジャ)とヨーランディ(ヨーランディ/つまりこの二人はダイ・アントワードという名前のグループで、芸名のままの役名で出ていて、音楽も担当しているという強者たち)が、ディオンの存在を掴んでしまい、ディオンはニンジャたちに捕まってしまい、そのディオンが再起動したロボットが、ヨーランディが名付けた「チャッピー」ってわけ。で、ヨーランディはチャッピーのママになっちゃうわけですね。

 勿論、チャッピーは再起動されたわけだからそれまでの記憶は一切ない、純粋無垢の生まれたばかりの赤ん坊と同じ状態だ。ただし、ビッグデータをバックに持ったインターネットに接続されているので、知識の吸収の速度は我々が想像するよりもはるかに速いのであろう。チャッピーは赤ん坊の時期から、青年になるまでの時期を、殆ど1日半くらいで過ごしてしまう。

 勿論、最初にチャッピーを起動させたディオンはチャッピーに「人を殺してはいけない」ということをまず最初に教えるので、チャッピーは人を殺すための銃なんかを持つことは拒否する。とは言うものの、ギャングどもはそんなことはなれたもんさ、ってなもんで、チャッピーに対して手裏剣とかヌンチャクとかの道具を与えて、それらの武器は自分の身を守るための武器であり、相手は「死にはしない、ちょっとだけ眠っているだけだ」と教える。更に、チャッピーには魔法の言葉。もうすぐ死んでしまう(バッテリーの電源が消失してしまう)ということを知っているチャッピーに対して、現金輸送車を襲って金を奪えば新しい肉体(というかマシーンを)手に入れられることができる、という悪魔の囁きを語るのだった。

 で、現金輸送車を襲って、一所懸命現金強奪をするチャッピーの姿が南アフリカ全土に流れるわけですね。そんなシーンをニュースで流すんだったら、それを取り締まれよ、とでも言いたくなるけど、まあそれはそれ。まあ、そんな感じで「警官ロボット」が現金輸送車を襲っているというシーンが南アフリカ全土で流れてしまったというわけなのですね。

 ということで、ディオンのライバル、ヴィンセント・ムーア(ヒュー・ジャックマン!)が開発したロボット、「ムーア」への出動命令がやっとミシェル・ブラッドリーから出るんだが、このロボットがこれまた格好悪いんだなあ。まあ、空を飛ぶ時はガンダムみたいに直立するんだけれども、攻撃する時は腰を屈めて(まあ「腰だめ」といえばそういう言葉もあるんだけれども)格好悪いスタイルで攻撃するんですね。で、このムーアとチャッピー型ロボットの一番の違いは、ムーアにはAIは搭載されていないってこと。つまり、ヴィンセントにとってはAI搭載型のロボットは人間が制御できなくなってしまう可能性があるので、それはしないっていう、ある意味、正しい選択。ただまあ、ガンダム型ロボットだったら自分でロボットの中に入れよなあ、脳波で操縦の遠隔操作じゃダメでしょう、ってことなんだが、実はロボットの中に入っちゃったらそれこそ揺れて揺れてロボット操作じゃないでしょう、ってなオチが用意されているような気がして……。でも、遠隔操作じゃ電波が出なくなっちゃえばお終いじゃない、ってその通りになったりしてね。

 結局、チャッピーは別の、バッテリーの残量がタップリある警官ロボットに精神を移して、ディオンの脳波記憶を受け継いだTEST用のロボットと一緒に行動して、ニンジャの元に行き、そこでヨーランディアの記憶が入っていたUSBドングルを見つけて、密かに(かどうかはわからないけれども)テトラバール社の工場にログインして、勝手にロボットを製造して、そのロボットにヨーランディアの記憶を注入してしまうのだ。その、ヨーランディア・ロボットの顔自体がヨーランディアの顔になっているってのは凄いけれども、どうしたんだろう。

 う~ん、これってやっぱりロボットの人間に対する勝利宣言じゃないかなぁ。

「自己増殖するロボット」が出てきたら、もう人間なんかいらないもんね。

 と、考えてきたところで、えっ? それは違うと思った。

 だって、自己増殖するロボットだって、それは単に過去の壮大な記憶の集積だけでしょう。勿論、我々、人間の歴史だってそんな過去の壮大な記憶の集積から、これから先の生きる道を探しているんだけれども、生物に関しては「突然変異」ってのがある。勿論、人間が突然変異してしまえば、人間以外の何か別の生き物になってしまうんだけれども、AIには突然変異はないでしょう(多分)。つまり、彼らにとってはすべての進化は論理的変化しかない筈。

 その辺に、「人間=生物=動物=有機物」と「AI=無機物」の違いがあるのかなあ。

 まあ、まだよくわかっていないですがね。

映画『チャッピー』の公式サイトはコチラ

これらの本も読んでおくと良いかも。

2015年6月19日 (金)

「おくの細道」旅立ちの地を巡って②

 今日は隅田川を両国橋から上流へ向かって歩いて行きます。

 隅田川には1693年に新大橋、1774年に吾妻橋ができて多少は川の両岸の行き来はよくなったのですが。芭蕉の時代にはまだ両国橋と千住大橋しかなくて、あとは渡船だけの行き来。

 白髭橋(1914年建設)を越えて上流の方に行くと、川は左へ大きく迂回(上流から見ると大きく右へ迂回)して、それまで川面の道からも見えていた東京スカイツリーが見えなくなる。

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 隅田川も芭蕉の時代には土手もなかっただろうし、川面にはこんな葦が沢山生えていただろう、なんてことを想像しながら上流方面へ。

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 河口より11kmという標識が見えると、東京メトロ日比谷線、つくばエキスプレス、JR常磐線の鉄橋をくぐって……。

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 千住大橋に到着。ここからは河原の遊歩道はなくなって、コンクリートの堤防だけの川面になります。

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 で、千住大橋の北詰脇の公園から河原に降りると、「千住大橋際御上り場」というのがあって、昔徳川将軍などが鷹狩りなんかに行く時に、舟を使って隅田川登りをしてここから上陸した場所という説明書きがある。

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 多分、芭蕉たちもここで上陸し日光街道を北上したんだろうな。

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 河原から橋詰に上がって見ると「奥の細道 矢立初めの地」という碑が立っている。

「行く春や 鳥啼魚の 目は泪」

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 ところが、この千住大橋際の「矢立初めの地」以外にも「矢立初めの地」があったのだ。

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 それが国道4号線を挟んで反対側、足立市場の正門脇、それこそ千住宿の入り口にある「千住宿 奥の細道」というモニュメントで、そこにも芭蕉がいて、先の「矢立の初め」の句が飾ってあるのだ。

 まあ、芭蕉も舟を降りてすぐに矢立初めをしたと考えるより、千住宿のどこかで一休みして矢立初めをしたと考えるのならば、こちらの方が本来の「矢立初めの地」なのかも知れないが、まあ、そんな細かいことはどうでもよろしい。

 取り敢えず、千住大橋で芭蕉は舟を降りて、あとはとにかく徒歩で「おくの細道」を辿ったのであります。

NIKON Df + Ai AF NIKKOR 24-50mm/F3.3-4.5 & Ai NIKKOR 50mm/F1.4 @Sumidagawa River & Kita Senju  (c)tsunoken

2015年6月18日 (木)

「おくの細道」旅立ちの地を巡って①

 以前、北千住(千住宿)から栃木県の小山市まで、週末に数日かけて歩いたことがある「おくの細道」ルートだが、そういえばそもそもの出発点の深川から千住までを歩いたことがないことに気が付いたので、先日行ってきた。

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 元々、芭蕉庵のあったところは今は「芭蕉稲荷神社」になっている。

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 で、芭蕉は元禄二年春、旅立ちの準備を進めて芭蕉庵を引き払って、芭蕉庵があったところから少し隅田川を下ったところにある「採茶庵(さいとあん)」から、曾良と旅を始めたわけだ。

 旅立ちに際して詠んだ句

「草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家」

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 芭蕉と曾良は採茶庵から舟で千住大橋まで登ったのだから、出だしはこの仙台堀だったはずだ。

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 仙台堀から隅田川に出るには、現在はこの清洲橋の辺りからになるのであるが、当然、芭蕉の時代には清洲橋はなかった。清洲橋ができたのは関東大震災の復興事業で昭和3年だった。

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 で、芭蕉の時代には隅田川にはこの両国橋と千住大橋だけが架かっていたのであるから、かなり川からの眺めは今とは異なっていたはずだ。

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 芭蕉の時代の両国橋は今よりは少し川下のほうにあったそうで、その場所が「旧両国橋・広小路跡」という碑になっている。

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 現在の両国橋。

 さて、両国橋から上流は明日のブログで書きます。

 ちなみに、芭蕉は舟で隅田川登りをしたそうだが、私は隅田川左岸・右岸の川沿いの道を歩いて行きました。現在、隅田川の下流方面は川沿いに遊歩道ができていて、歩いて行けるのであります。

NIKON DF + Ai AF NIKKOR 24-50mm.F3.3-4.5 & Ai NIKKOR 50mm/F1.4 @Sumidagawa River (c)tsunoken

2015年6月17日 (水)

『21世紀の自由論』は直接民主制を推奨なんだろうか

 確かに、グローバリゼーションの前で「国民国家」というものの存在が危うくなっているのは事実だ。では、そんな国民国家というものが亡くなった後にやって来るのはどんな世界なんだろうか。

21 『21世紀の自由論 「優しいリアリズム」の時代へ』(佐々木俊尚著/NHK出版新書/2015年6月10日刊)

『グローバリゼーションは、モノやサービスが国境を越えて自由に流通する。工場もサービスの拠点も安い労働力を求めてすぐに海外に移転する。企業が使うシステムも一般的になり、世界中で同じシステムが提供され、消費者が使うのと同じ機器やサービスが使われるようになる。「長年の経験によるカン」「社内の駆け引き」といったひとつの企業内だけで通用するスキルは要らなくなる。より一般的な、どの会社でも通用するスキルが必要になる。これは日本の終身雇用制を無効にしてします。
 とはいえ、これは国力の差を拡大したのであって、アメリカでも働く人ひとりひとりが幸せになったわけではない。実際、一般的スキルを高めてきたアメリカの働き方はグローバリゼーションに呑み込まれて、中流階層が崩壊して貧困が進んでいる、日本にしてもアメリカにしても、中流の人々が悲惨な状況に追い込まれているのは同じだ。
 グローバリゼーションは恐ろしい。しかし世界中を呑み込むこの波は、いっぽうで中国やインド、インドネシア、ブラジルなどの新興国を大国に押し上げ、国際社会のパワーゲームを変えようとしている。
 日本のリベラルのように「反グローバリゼーション」を掲げても、経済的に呑み込まれていくことを避ける方法は現時点では存在しない。グローバリゼーションに背を向けて「江戸時代に戻ろう」と訴えても、生き残れるのはわずかな人たちでしかない』

 では、このグローバリゼーションへの対抗軸というものはないのだろうか。

 日本のリベラルがダメだというのであれば、保守なんだろうか、あるいはもっと右寄りになってネット右翼諸君なんだろうか。

 まあ、それらも駄目だろう。つまり、日本の保守というのは実は親米保守というちょっとネジくれた存在でありであり、そのアメリカこそがグローバリゼーションの担い手であり、もはやアマリカ自身が世界の警察であることをやめようとしている。じゃあ、ネット右翼諸君はどうなんだろうか。彼らの目は中国、韓国(北朝鮮)にしか注がれていない。せいぜいロシアが追加されるくらいだろうか。残念なことに彼らの目にはその二か国以外のアジア諸国や中東、ヨーロッパといったそれこそグローバルな視点は見えていない。そんな彼らがグローバリゼーションへの対抗軸にはなり得ないし、むしろグローバリゼーションによって餌食となっている人たちが多いってのは、どういうことだ?

 結局、ヨーロッパ中心の普遍主義が終焉を迎えて、グローバリズムとともに中国、インドなどのアジア諸国が新たに発言力を求めて力をつけてきたというのが現在の世界なんだから、それに伴い新しい世界秩序が必要になって来ている、ということなんだろう。

『国民国家の領域を超越して、少数精鋭でつくられるグローバル企業と、それらグローバル企業が展開する生産や消費、サービスなどのさまざまなプラットフォーム。そしてその上で流動的に生きる個人という三位一体が、次の時代には世界の要素として成立していくことになるだろう』

『今後の数十年間は、国民国家とグローバル企業のせめぎ合いがさまざまな局地戦とともに続いていくだろう。しだいに国民国家は衰退し、グローバル企業を中心とした新しい秩序が経済的のみならず、政治的にも社会的にも生まれてくるだろう。われわれがやるべきことは、そこにいたるまでの移行期おいて。どう社会を破滅させず、軟着陸に向けて準備を進めていくのかということだ。それは政府にとっても企業にとっても、そして個人にとっても重要で切実なテーマである』

 佐々木氏はそんな移行期における考え方として「優しいリアリズム」というものを提唱する。

「優しいリアリズム」って何だ?

『このリアルな近未来を変えられないのだとすれば、生活資金が不足し、将来の不安を抱えながら、人々がそれでもどう楽しく老後を送ることができるのか。そういうロールモデルを社会の中でつくり上げていくことが必要だ。ファストフード店で働いていても、積極的に社会に参加し、笑顔を絶やさず、おだやかな接客で客とコミュニケーションし、多くの人とつながる。そういう老後が送れるような仕組みを金銭の面でも、精神的な面でもつくり、包摂していく。それが優しいリアリズムである』

 って言われても、何だかよく分からないなあ。

 むしろ

『「普遍的なもの」が消滅し、領域的な国民国家が衰退していき、そしてグローバルな基盤が普及していくという未来では、私たちには規模の小さな共同体に所属して生きていく道しか残っていない』

『いま、情報通信のテクノロジーが共同体や人間関係の概念も変更しようとしている。テクノロジーの視点から、共同体概念の再構築が可能なのではないかと私は考えている』

『この新しいメディア空間の中に生まれてくる新しい共同体を、従来の中心のある共同体とは区別して、「ネットワーク共同体」と呼ぼう。
 ネットワーク共同体には、中心がない。内側と外側を分ける壁もない。歴史や伝統の幻想をまとわず、「いまここにあるもの」として同時的につねに偏在している。そして行動を起こす人は、必ず巻き込まれ、全員が当事者になる。行動も発言も何もしなければ、自動的に「巻き込み」から外れ、非当事者化していく』

 つまり、それってネットワーク共同体による直接民主制ってことじゃないの?

 限りなく「衆寓」に近づく直接民主制。しかし、ネットワークで繋がれた空間ではそうした直接民主制が成立可能だ。

 国民国家を支えてきた間接民主制に代わって、こうした直接民主制が成立するのであれば、それはそれで面白い。

 うん、楽しみになって来たなあ。

『21世紀の自由論 「優しいリアリズム」の時代へ』(佐々木俊尚著/NHK出版新書/2015年6月10日刊)

2015年6月16日 (火)

茨城県守谷市に住むという選択

 秋葉原駅から守谷駅までつくばエキスプレスの快速で35分、各駅停車でも44分。JR常磐線北千住駅からだと20分くらい。

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 これが関東鉄道常総線でJR常磐線取手駅から守谷駅まで20分。やっぱりこの違いですかね。

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 ローカル線の旅も楽しいことは楽しいが、やはり通勤に使うとなると「速い」が勝ち。ということで、つくばエキスプレスの良い点は、沿線に広大な宅地開発を可能にさせたということ。

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 ということで、元々から守谷市域は東京へ通うサラリーマンの住宅地だったんだけれども、つくばエキスプレスが開通してからは、それまでにも増して宅地開発ブームが起きました。

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 で、つくばエキスプレスの守谷駅周辺には、さすがに茨城県まで来てしまえば土地代も安いし、ってなわけでアメリカのロザンゼルス周辺の住宅地みたいな、結構大きな家が多いです。

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 で、ちょっと関東鉄道常総線エリアの方に行って見ると。こんな旧市街が見えてきます。

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 守谷総鎮守八坂神社では毎年7月の最終日には大きなお祭りがあるらしく、その人出が3万人とも5万人とも言われています。

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 が、その周辺の街を歩いてみると、結構「闌れた感」があるんですね。

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 勿論、周辺に大きなショッピングセンターができたりってこともあるんだろうけれども、それ以上に、旧住民の「置いてけぼり感」があるんでしょうか。

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 駅の傍にはこんな道祖神なんかがあって、それなりにいい感じの街なんですけれどもね。

 じゃあ、私がこの街に住むという選択肢はあるんだろうか……、って言うと。

 やっぱりないな。

 なんか、都会のワサワサしたところで生まれて住んでしまっていると、それなりの田舎で静かに住める街の良さ話わかるんだけれども、それは逆に住みやすすぎて、あまり外に出なくなってしまうような怖さがあります。

 ちょうど、上石神井に住んでいた1年前に戻るような……。

 ちょっと怖いな。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-50mm/F3.5-4.5 @Moriya Ibaraki (c)tsunoken

2015年6月15日 (月)

童貞か処女なのかなんて、どうでもいいことなんだけれどもなあ

 困ったなあ、更新しないって言った日曜日のアクセスが増えちゃった。

 まあ、それへの問題解決はちょっと先延ばしして、始めます。

 戦前から戦後までの童貞言説の流れはこのようになるそうだ。

『一八八五年に福沢諭吉が「品行論」を著して、文明開化の視点から男子の品行を問題化した。その約一〇年後には巌本善治が「男子の貞操」で教育的な見地から男性も貞操を守るべし、と説いている』

『一九世紀末~一九二〇年代にかけては、「通俗性欲学」の台頭にともなって、医学的言説が、花柳病予防の見地から男性の性的放縦をいましめた』

『教育的にも医学的にも正当化された「男子の貞操」を、法で規制しようとしたのが、平塚らいてうである。一九一九年~二〇年に「花柳病男子結婚制限法」と「花柳病男子拒婚同盟」を企画した』

『童貞を美徳とする論は、一九六〇年半ばの雑誌メディアの盛り上がりのなかで陰りを見せ始まる。この時代「処女は減り、童貞増える」事態が問題化されたが、その背後には、自分は性経験がないのに女性が性経験をつんでゆくことへの、童貞男性の不安が垣間見える』

『一九七二年には、はっきりした形で童貞は「カッコ悪い」という当事者の発言が登場する』

『一九八〇年代に入ると、童貞言説の四つのパターンが決定的になる。
 つまり、クロウトとの童貞喪失を見くだす「シロウト童貞」言説、二〇歳すぎの童貞をバカにする「やらはた」言説、童貞をマザコンや包茎・インポとむすびつける病理化言説、童貞は「見てわかる」とする言説である』

『そのような言説が定着していったことへの反動として、九〇年代には童貞=恥論への疑いが登場してくる。しかし、八〇年代的な価値観が崩壊するには、いたっていない』

 ということだそうだ。

Photo 『日本の童貞』(澁谷知美著/河出文庫/2015年6月20日刊)

 まあ、別に童貞か童貞じゃないかなんてことは気にはならないけれども、まあ、やっぱり早めに童貞にはオサラバしちゃった方がいいんじゃないってこと。取り敢えず、人生の中で一度は経験することなんだし、経験したからといって別にどうということもない、ということに気づくのも実際に経験してみて初めてわかることなんだし、ということはなるべく早めに経験しちゃった方が、後の人生がラクになる、ってことですかね。

 私自身の経験で言えば、童貞喪失はソープランド(私のころはまだトルコ風呂だった)でありました。で、ヤッてみての感想は「何だ、どうってことないじゃん」というものだった。童貞喪失前と後では何がどう変わったかと言えば……、何にも変わらなかった、なのでありました。そりゃそうだよね。女性みたいに「処女膜」なんてものがあるわけでもない男の場合、童貞喪失前と喪失後で何が変わったのかと言えば、それは単に「経験したか、していないか」という自分の経験だけのものであって、肉体的な変化がある訳ではないし、精神的にもたいした進歩がある訳でもない。まあ、すでにオナニーなんかで精通はしているわけで、別に変わっていることなんかない。

 トルコ風呂でも、別に「ぼく初めてだから」なんてことも言わずに、普通にマット洗いなんかをしてもらって勃起して、スケベ椅子にも座っておチンチンをいじってもらって勃起して、普通に最初は騎乗位で、次に正常位で挿入して発射しただけだった。あの頃は結構生出しだったかな。トルコ嬢も私が童貞だったかどうだったかは分からなかった筈(? 実はわかっていたりして。それはそれでトルコ嬢の優しさですね)。

 その後は、普通にシロウト女性とのセックスも経験し、クロウト女性とのセックスも経験し、ごく普通に結婚した私なので、特に特別な経験をしてきたわけではない。ので、まあ、そんなに「童貞論」について書き垂れる訳でもないのありますが、というか、だからというか「童貞論」ってのがよくわからない。

 なので、1956年創立の「日本チェリーボーイ倶楽部」とか、1982年の「早稲田大学童貞同盟・性風俗浄化刷新特別委員会」とか、1991年の「童貞五〇人委員会」ってのが、訳が分からない。一九九九年には「全国童貞連合」ってのもできたそうだが、それも訳がわからない。

 なんで、そんなに童貞が自分たちの団体を作らなければならないの? 所詮、「童貞か、童貞じゃないか」なんてことは個人の問題であって、社会的に自分たちの存在を示さなければいけないような問題ではないだろう。

 先述の「早稲田大学童貞同盟・性風俗浄化刷新特別委員会」の規約文を見ると、「童貞を破った者にはリンチ」とか、女性嫌悪(ミソジニー)が濃厚とか、同性愛嫌悪(ホモフォビア)丸出しであるとか、まあ、ガキですね。そんなの小学生レベルの女性嫌悪でしかないわけで、そんな小学生レベルの発想しか今の早稲田大学生ってできないのかなあ、とも思うんですね。まあ、言ってみれば頭脳明晰でお利口さんな早稲田大学生のお遊び(?)ってことでしかないですね。澁谷さんもそんな早大生のお遊びにあまりマトモには付き合わない方がいいでしょう。

 だって、コイツら18~20歳位の、男の人生の中で一番ヤリたくてヤリやくてしょうがない年代の男たちなのだ。つまり、そんな「早稲田大学童貞同盟」なんてものを作ってそこに入会したって、好きな女の子ができて、その子とヤれるってことになったりしたり、別にソープランドでもいいからそこに行けるお金を手にしたりしたら、途端にそんな組織から抜けちゃうんでありますな。

 とにかく、高校生とか大学生の時期ってのは、男の人生の中で一番リビドーが出まくっている時期なんだから、とにかく女っていえば「性欲の対象」としてしか見ていないんだなあ。言ってみれば、男の人生の中で一番野獣的なっていうか、女を女という別の人生の存在じゃなくて、単に自分の性の相手としてとしてしか値踏みしていないという時期で、なおかつそのレベルも相当下がって、とにかくヤらせてくれる女がいれば全部OKみたいな、人生最低の時期なのだ。

 まあ、だからこそそんな人生最低の時期に、最初のセックスの相手を間違えるんじゃないよ、っていう意味で「男子の貞操」論なんてものを持ち出したんだろうけれども、結局、男ってものは間違えるんだよなあ。「男子の貞操」なんてことを持ち出した時点で、「男子には貞操観念がない」ってことを証明したようなものだし、童貞観がどうやらこうやら言っている時点で、実は既に男はどうやって童貞を捨てるのかしか考えていない動物なんですね。

 まあ、別に「日本の男の童貞言説」がどうあろうが、結局、男と女はカップルになるわけであるし、別れてまた別のカップルを作るかもしれないし、まあ、所詮、人間の男と女も、動物の雄と雌なんですね。

 人間以外の動物は「童貞か、童貞じゃないか」なんて気にしないよ。

 だから、人間もそれでいいじゃん。所詮、哺乳類の雄と雌なんだからさ。

『日本の童貞』(澁谷知美著/河出文庫/2015年6月20日刊)

2015年6月14日 (日)

18人のカメラオタク、田園調布に集結

「18人のカメラオタク、田園調布に集結」なんて書くと、なんか怪しい集団みたいだが(まあ、充分怪しいオヤジ+女性1人ですがね)、そうじゃなくて6月9日にやったニコンカレッジの二日目、実習というか実撮影というのを昨日やったわけです。

 で、場所が田園調布にあるスタジオ・ランティーユ(Studio Lentille)っていうところ。

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 1階スタジオの外にはプールや白塗りの壁なんかがあって、まあ、言ってみれば南欧風(?)の雰囲気を持ったスタジオです。

 2階には天窓から自然光を取り入れられるスタジオもあって、できればそちらで撮りたかったなあ、なんて言っても所詮素人写真なので、別にいい写真が撮れるわけでもないか。取り敢えず「与えられた条件で撮る」というのが基本ですね。

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 で、その屋内・屋外でどんな撮影会をやっていたのかと言えば……。

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 こんな風に、基本1人5分が持ち時間で、一人一人個人撮影ができるっていうスタイル。

 沢山の人が一斉に撮影する普通のスタイルの撮影会と違って、一人一人が自由にモデルにポージングをつけながら撮影するっていうのは、一人の持ち時間が減るかもしれないが、それもありかな、という感じ。次の撮影順の人がレフ版係りです。

 意外だったのは、このレフ版係りの人が結構レフ版を持ったことがない人が多かったということ。まあ、出版社にいると基本的に編集者はレフ版係りだから、どうレフ版を当てればいいかは皆知っているのが当たり前だと思っていたら、意外とそうではなかったというのが新発見かな。レフ版の当て方をカメラマン自身から指示しているひとは、私を含めて三分の一くらいだったかも知れない。

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 で、昨日のモデルさんはブラジル出身で、来日10年目というエマさん。

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 なかなか可愛い人で、さすがに自分の魅力をどうやったら出せるかを知っていますね。

 ただし、この写真は課題写真ではなく、講師のハヤシ アキヒロ氏が仕込んだポーズ。

 なので、私の課題写真は6月23日にニコンカレッジ第3回の「講評」があるので、そこを通った写真を6月24日に偉そうにに掲載します。

NIKON Df + Ai NIKKOR 50mm/F1.4 @Tamagawa Denenchofu Setagaya (c)tsunoken

2015年6月13日 (土)

『アイムホーム』って、結構面白い……けど、なんか原作版にはないウラがありそうだ

最近、テレビ朝日、木曜午後9時からのドラマ『アイムホーム』が面白くて見ています。

2 『アイムホーム』(原作:石坂啓/脚本:林宏司/演出:七高剛・岡村直己/制作:テレビ朝日/主演:木村拓哉・上戸彩)

 以前は、テレビドラマと言えば、NHKの大河ドラマくらいしか見なくて、劇映画も担当するようになってから、慌てていろいろなドラマを見て、男優や女優の演技をみるようになったのですが、再びアニメしか作らなくなってからは、またまた大河ドラマくらいしか見ない生活になっていました。

 会社を退職してからは、時間の余裕ができてきて、NHKの朝ドラを見るようになり、たまに民放のドラマを見るようになったんですが、そこで見られるのは、やはりNHKのドラマ制作にかける時間と予算の民放との差ですね。やはりNHKの方が民放よりはずっと時間もかけているし、予算もかけている。まあ、NHKなんかは朝ドラ主演女優に他番組への出演に対して「しばり」までかけちゃうからね。バブルの頃は民放もかなりな予算をかけてドラマを制作していたけれども、はじけてからこっちは制作予算はどんどん削られるわ、時間もかけられないわで、民放ドラマはジリ貧になっていったって訳。たまに当たる民放ドラマは、セリフにキャッチーなものがあってそれが当たった時ぐらい? まあ、「倍返しだ!」みたいなね。

 それに比べると、NHKの場合はスポンサー収入に頼っていない分、経済の影響もあまり受けずに、従って相対的に制作費は上がるということになった訳ですね。まあ、視聴料収入の問題はあるのだけれども、そんなもの、民放のスポンサー収入の下落に比べれば全然たいしたことない、って訳で。

 で、フジテレビがもうキムタクではドラマが作れないってことになって、今や地上波デジタルラテ欄のおかげだそうで、日の出の勢いのテレ朝がキムタク・ドラマを作ったってのが『アイムホーム』なんですね。

 放送局が変わったということで、これまでの「キムタク=独身のカッコイイ男」イメージじゃなくて、「そこそこ年齢相応のオヤジ」イメージになって登場したんだけれども、まあそれはそれでいいんじゃないのかな。

 で、このドラマ、テレビ用のオリジナルなのかと思ったら、原作があったんですね。知らなかった。

 原作は、石坂啓が『ビッグコミックオリジナル』に1997年から1998年までに掲載していたシリーズで、実はNHKで2004年に浅野妙子のシナリオでドラマシリーズ化もされていたんですね。DVD化もされているようなので、今度DVDを借りてNHK版も見てみようかしら。

 原作では、主人公・家路久の仕事は銀行員だったんだけれども、テレ朝版では証券会社の社員で、記憶喪失してしまう原因が、原作では正月に単身赴任先のマンションで火鉢で餅を焼いているうちに一酸化炭素中毒になってしまうのに対して、テレ朝版ではやはり単身赴任先ですが工場の爆発事故に巻き込まれてしまう、という風に変わっている。

 まあ、「銀行員」よりも「証券会社員」の方が、自ら起こした事件の当事者になってしまう可能性は強いし、「家で餅を焼いていた」じゃあ単なる不注意だけど、「工場の爆発事故に巻き込まれる」のなら、仕事中の事故遭遇と言えるわけで、その辺の変化が原作とテレ朝版では違ってくるはずですね。

 その他、細かい点で言えば、家路久の前妻・香との子、すばるが久と香の子ではなくて、香の連れ子だったとか、原作では久と現在の妻・恵と久(と子どもの良雄)は親と同居のマンション暮らしだが、テレ朝版では親からは独立してマンション暮らしをしている点などがあるが、まあ、それはあんまりドラマの展開上では大きな変化をもたらすことはないだろう。

 問題は、西田敏行演ずる、家路久が所属する証券会社第十三営業部長の小机幸男なんだなあ。

 原作では別に普通の中間管理職でしかないんだけれども、テレ朝版ではなんか妙な動きばかりしている男なのです。

 つまり、家路久を観察していたり、その結果をいちいち誰かに連絡したりしている。要は、小机の上にもっとワルの大物がいて、小机に指示したりしている人間がいるようなのですが、それは多分ドラマの最終話まで出てこないラスボスなんだよなあ。で、家路久の当面の敵は小机のはずなんだけれども、小机はそんなそぶりは全く見せないで、むしろ久の体のことだけを心配しているようなそぶりばかり見せるわけです。

 ドラマには、原作にない勅使河原洋介(渡辺いっけい)という、元々営業部門執行役員だったが、現在は九州の営業本部長に左遷されている男がいて、この男が家路久の過去の仕事の内実を知っていて、それを隠そうとしているという様子がうかがえます。

 もしかすると、勅使河原の策略で家路を消そうとして、工場の事故を演出したってこともあるのかも知れないし、久が本当のことを思い出したら逮捕されてしまうかもしれないという小机の心配も、実はこの勅使河原が仕組んだ仕事の関係で久は逮捕されるんだろうけれども、実は、その秘密を握っているのが久自身だったら、記憶を取り戻した時に、一気に勅使河原の悪事がばれてしまう、ってこともあるかもしれない。

 原作のラストは、火事を起こしてしまった自分の住むマンションに戻ってきた久が妻の恵、息子の良雄と再会し、久「目がさめたら、帰ろうと思っていた」、恵「家…失くなっちゃいましたね……」、久「ここだよ。君たちだ…ここに――帰りたかった……」、恵「おかえりなさい。」という、多分これは久、恵、良雄の死後の会話なんだと思うんですけれども、その原作とは全く異なったラストシーンが、テレ朝版ではあるかもしれません。これは楽しみですねえ。

 記憶を取り戻した久が、過去の悪事を思い出し、自ら逮捕されることを選ぶのか、あるいは勅使河原一派の本当の悪事を告発して終わるのか、全然先が読めないドラマ展開なのであります。

 それにしても、年齢相応のキムタクって、やっぱりカッコいいなあ。

『アイ’ムホーム』オリジナル版の電子版です。

『アイムホーム』テレ朝放送記念出版版です。

2015年6月12日 (金)

イマドキの「反原発」を嗤いましょう

 まあ、『電気作家』というのは、「伝記作家」あるいは「伝奇作家」のモジリであるということぐらいは分かってはいるんだが、萩野アンナ氏がそんなに反原発バッシングにあっていたとは知らなかった。

Photo 『電気作家』(萩野アンナ著/ゴマブックス/2015年3月11日刊)

『私は先述したように、電力会社関連のルポに関わった、ある日、週刊誌に自分の名前を見つけた。ある批評家(S高信)によって、私は「原発おばさん」のひとりに分類された』

 ほほう、萩野アンナ氏は佐高信氏から「原発おばさん」と呼ばれたのか。

『……呼び名を「原発おねえさん」にしてくれ、と頼むほど私は非常識ではない。しかし私は「原発おばさん」であると同時に、火力おばさん、風力おばさん、波力おばさん、海洋温度差発電おばさん、発酵した牛糞によるバイオガス発電おばさん、雪冷房おばさん、電気自動車おばさん、NAS電池おばさん、核融合おばさん、地熱おばさん、ヒートポンプおばさん、LEDおばさんなどなど、なのだ。
 ある雑誌からエネルギーが主題の連載依頼を受けて、最初は断った。私は数学どころか算数レベルでつまづく。とても理系のルポが可能とは思われなかった。
「でもコレをやると、人が行けない所に行って、ふつう見られないものを見れますよ」
 その一言で私は決めた。
 おかげで日本全国の大・中・小さまざまなエネルギーの現場を体験できた。オギャーと生まれたエネルギーが、あっという間にヨチヨチ歩きまで育ったのも、この目で確認した。
 取材の初期は、「雪冷房」の登場と重なる。山形の舟形町の人が、雪は天から送られた手紙であるとという中谷宇吉郎の言葉に触発されたのがこの新技術のきっかけだった。
 豪雪地帯は、除雪に手間と金をかける。しかし、雪がプレゼントなら、人間に何らかのプラスをもたらしてくれるはずだ。
 発想の転換を科学者がかたちにした。最初は建屋に雪を詰め、エアーを通して冷気を室内に送る方法だった。本州で実用化の後、北海道の美唄がこの技術に注目した。黒ダイヤ(石炭)が廃れた後、白ダイヤ(雪)が町おこしの可能性を担うようになった。
 現代の氷室は、三六〇〇トンの雪で十万俵の玄米を低温保存し、ドラム缶百八十本分の原油を節約する。
 雪冷房もヒートポンプの導入で、部分ではなく全館冷房が可能になった。
「利雪」の唯一のネックは。貯雪庫に場所と金をとられることだ。私が取材した二〇〇七年の時点で、すでに解決策が出ていた。木屑をまぜた雪の山を夏はガソリンスタンドならぬ「雪スタンド」として使用し、冬は残った木屑でバイオマス暖房をする。
 同様の知恵が各地で芽吹き、育っている。
 しかし雪冷房が沖縄では不可能なように、地産池消のエネルギーは全国区にはなれない。ファッションにたとえるならば一点モノだ。これにuニクロ大量生産を上手く組み合わせるのが理想、というのが実感だ。
 エネルギー界のuニクロは火力・水力・原子力だった。福島が爆発して、原子力は諸悪の根源とマスコミで決まった。長年の反原発派が声を大きくするのは当然だが、それまで無言だった人たちまで声高になっている』

 確かに、2011.3.11以降、急に声高になった反原発派の人たちの中には、それまで原発については何の発言もなかった人たちが多くいる。とにかく「原発反対、原発再稼働反対」って言っていればトレンディだと思っている人たちだ。しかし、3.11の時だって同じ宮城県の女川原発はまったく問題なく普通に停止しているし、日本全国には福島第一原発のような危険な原発ではない、「比較的」安全な原発だってあるのだ。とにかくヒステリックに原発に反対するのではなくて、もっと現実をキチンと見分けながら原発に対処しなければならないのではないか。

『原発が罪なら「でんこちゃん」まで有罪、という発想には既視感がある。私は戦争を知らないが、うちの母親は第二次大戦中に思春期だった。母から聞かされ続けたあれこれは、私の血肉になっている。
 ある日、憲兵が窓から漏れるピアノの音に気付いた。
「貴様、敵性音楽を演奏しとるのか!」
 演奏していたのはベートーベン。同盟国ドイツの作曲家だった、とオチが付く。
「鬼畜米英」の旗印のもと、チャーチルやルーズベルトの肖像画が踏み絵になった。今なら「TEPCO」のロゴや「でんこちゃん」だろうか』

 原発は確かに低コストのエネルギーではある。しかし、それは正常に運転されていることが前提で、一度トラブルを起こしてしまうと、とたんにそれへの対処として、とてつもなく高コストのエネルギー源になってしまう。だからこそ電力会社はいかにして(低コストな)安全な原発を作るかを目指しているのだ。

『完璧は神の領域である。神が死んだ後も、フランスのようなカトリック国では人間の限界に対する意識が強い。百パーセントの安全はありえない、と知った上で原子力を運用している彼の国では、チェルノブイリ級の大事故は未だに無い』

 というのは完全に幸いしただけなのだろう。だって、フランスのようなヨーロッパ旧大陸にある国では地震の被害はまず出ないし、津波だってあり得ない。それでこその原発なんだろうけれども、それでも原発を持つというのは、国にとっては別の意味があるのだ。

 つまり、それは第二次世界大戦の敗戦国、日本が核武装をするための準備であるということこそが、日本が原発を持っている理由なのだ。

 広島、長崎でもって原子力爆弾の被害にあった日本ではあるけれども、しかし、その日本であってもアメリカと同時期に原子力の研究は行っていた。しかし、戦後になってその研究は戦勝国から禁止されてしまったのだった。その時の原子力研究者のルサンチマンは相当なものだったらしく、結局、それが当時の為政者を動かし、原子力の平和利用という名目で原子力発電の研究という形で、原子力の研究が続けられたのだ。

 しかし、原発というのは何かのきっかけでディザスターの原因となることは、為政者も知っていたわけで、本来なら送電コストのことを考えれば、火力発電所のように電力の大量消費地のそばに発電所を持ってくることが一番いいのだが、原発は消費地から遠く離された過疎地に作られる。

 最大電力消費地である東京のそばに原発なんか作ってしまっては、いざというときは数万人、数十万人、数百万人の人たちに大変なことが起きてしまうことを避けたのですね。

 一方、過疎地では発電所の下請け業務で仕事が増えるし、関連予算から地域振興資金がかなりの分量で配分される。まあ、原発がある地方にいくと、なんとまあ「箱もの」が多いことか。まあ、振興予算を獲得した地方行政組織もやるに事欠いて、誰も利用しないような箱ものばかり作ってしまい、まさに彼らの無能ぶりをさらけ出しているんだけれどもね。

 って、これって沖縄の軍事基地と同じ発想なんだなあ。

 ということは、この国からは、軍事基地も原発がなくなるってことはない、ってことだろう。

 であるならば、廃炉技術を研究するために原発を動かしながら研究をする、ってことのほうが未来を見据えた現実的な方法論なんじゃないだろうか。

 と、私なんかは思うんですけどね。

『電気作家』(萩野アンナ著/ゴマブックス/2015年3月11日刊)

2015年6月11日 (木)

ニコンカレッジを受講してきた

 本当は昨日書こうと思ったのですが、帰りに一杯(五杯という説もあり)やってきてしまいまして、書けず。ということで、一日遅れのご報告。

 品川のニコン本社で行われたニコンカレッジを受講してきました。

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 ニコンカレッジとは何か?

『「写真が好き!」なあなたのための写真教室。
それが"Nikon College"です。
「ニコン カレッジ」はすべての写真ファンのための写真教室です。初心者から経験者まで、レベルや目的に合わせて写真が学べる多彩な講座を用意。もちろん各講座とも、豊富な知識と経験をもつプロの写真家が講師を務めます。もっと写真を楽しみたい! そんなあなたの受講をお待ちしています』

 ということで、「"Nikon College"ってこんなところ!」で5つのポイントに触れています。
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Point 1 初心者も経験者も満足の多彩な講義を開催しています。
 デジタルカメラの入門講座から、ハイレベルな作品づくり講座まで、レベルに合わせていろいろな講座をご用意しています。

Point 2 様々な分野で活躍するプロの写真家が講師です。
 各分野で活躍中の写真家たちが、実践的な本格テクニックをレクチャーします。

Point 3 夜間、土日、女性専用など、ライフスタイルに合わせて選べます。
 ライフスタイルに合わせて講座を選んでいただけるよう、夜間講座、土曜講座、女性限定講座なども開講しています。

Point 4 札幌、東京、大阪(梅田)、福岡など日本各地の会場を選べます。
 札幌、仙台、東京(新宿・銀座・田町)、横浜、名古屋、大阪(梅田)、広島、福岡など、講座会場は日本各地で開講されていますので、お近くの会場をお選びいただけます。

Point 5 成果を発揮できる撮影ツアーや写真の講評会も行っています。
 講座の終了後などに撮影ツアーを実施。カレッジでの成果を存分に発揮していただけます。楽しいカメラライフがみなさんをお待ちしています。

 ということで、まあ、ニコン・ユーザーの為のアフターサービスみたいなものですね。勿論、有料。

 で、今回私が受講したのは

「50mmから始める、ポートレートの極意
ポートレート撮影において大事なのはフットワークと被写体とのコミュニケーション。50mmレンズ1本で距離感を掴み、足で撮る感覚をつかみましょう。」

 というもの。

 講師は全日本美少女コンテストで有名なオスカープロモーションで専属カメラマンをやってきて独立した、ハヤシ アキヒロ氏。ということなので、美少女ポートレートでは超有名な人。

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 講座は6/10が座学、6/13日がモデル撮影、6/23日が講評会というスケジュール。

 後からニコンカレッジのサイトを見たら「中級・上級」となっていて、こりゃちょっと梯子を上げすぎたかな、という感無きにしも非ずなんだが、もう申し込んじゃったんだから、やるしかない。

 まあ、私もフィルムカメラ時代から写真はやっていて、既に40年以上の経験はあるのだが、写真学校なんかも行ったことはないし、こうした写真講座のようなものも受けたことがなかった。名刺には「著述業 & 写真家」なんて印刷してあるのだが、それはそれ、その双方とも何らの資格もいらず、要は名刺にそんな肩書を入れればその日からあなたは「著述業 & 写真家」なんですよ、というだけのこと。まあ、「ブログを書いて=著述業」「そのブログに自分で撮影した写真を載せている=写真家」というだけの、写真に関してはズブの素人も素人、まさしく「素人裸足(素人も裸足で逃げて行く)なので、何がどうなるかはまったくわからない。モデル撮影なんかも、過去に1回経験したことがあるだけなので、モデルとの距離の取り方やら、どんなお話しをしたらいいものかもまったく分からない。

 一昨日の座学では、「写真とは何か」に始まって、「ポートレートとは何か」「モデルとの距離の取り方」「逆光、半逆光での撮影の考え方」「アングルのとり方」などなど、まあ聞いていれば、これまで本でよんでいたことばかりであります。基本的には、写真っていうのは場数を踏んだ方が勝ちってなことはよくわかっているのですがね。そういう意味では、ポートレート撮影ってあまりやってない、というかほとんどやっていないなあ。基本的には街角スナップばかりですからね。

 まあ、ここはいつもの「出たとこ勝負」ってやつで、やっつけるしかないか。

 ということで、6月13日にどんな写真を撮ったのかは、6月23日の講評会の後で発表します。

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NIKON Df + Ai NIKKOR 50mm/F1.4 @Ningyo Cho, Chuo (c)tsunoken

2015年6月10日 (水)

『就活暴露』っていうほどの暴露本じゃあないけどね

 筆者の宮下甲士郎氏は「企業の採用サイド」にいるそうだが、結局、そんな企業の側に立って就活ということを眺めるとよく見えてくるものがあって、決して就活学生の側に立ってはそんな企業の採用に関する本音は見えてこない。

 だから、就活学生も採用する側の見方はどうなのかを考えて就活した方がいいよ、ということなんだなあ。

 別に、企業側の内緒にしておきたいことを暴露した本ではないのだ。

Photo_2 『就活暴露』(宮下甲士郎著/宮下甲士郎/2014年1月31日刊)

 ただし、企業として「建前」では「ない」としていながら、実は厳然とした事実としてあるのが「学歴フィルター」というものだ。

『就活生の間でまことしやかにささやかれる学歴フィルターの噂。実はほぼ100%の企業が学歴を大きな採用基準として活用している。人事部は採用に当たって、事前に「マーチ以上でコミュニケーション能力が高いものをとる」というような採用基準を決めておき、条件を満たす学生を社員に選別するよう指示するのだ』

 学歴フィルターってどういうものなんだろう。

〔S〕東京大・京都大・一橋大・東京工業大

〔SⅡ〕大阪大・東北大・名古屋大・九州大・慶應義塾大・早稲田大

〔AⅠ〕北海道大・筑波大・神戸大・横浜国立大・東京外国語大

〔AⅡ〕首都大・千葉大・広島大・大阪市立大・名古屋市立大・国際教養大

〔AⅢ〕岡山大・金沢大・電気通信大・東京学芸大・京都工芸繊維大・お茶の水女子大・東京農工大

〔BⅠ〕大阪府立大・名古屋工業大・熊本大・奈良女子大・京都府立大・新潟大・東京理科大・上智大・ICU・中央(法)

〔BⅡ〕静岡大・神戸市立外国語大・滋賀大・埼玉大・岐阜大・横浜市立大・三重大・小樽商科大・立教大・同志社大

〔BⅢ〕信州大・埼玉県立大・大阪教育大・兵庫県立大・香川大・中央大(法以外)・明治大・関西学院大

〔CⅠ〕長崎大・山形大・鹿児島大・東京海洋大・静岡県立大・青山学院大・群馬大・弘前大・山梨大・和歌山大・津田塾大

〔CⅡ〕岩手大・富山大・愛媛大・徳島大・山口大・高崎経済大・愛知県立・立命館大・法政大・関西大・その他中位国公立

〔CⅢ〕秋田大・福島大・福井大・大分大・鳥取大・茨城大・北九州市立大・芝浦工大・島根大・南山大・学習院大

〔DⅠ〕室蘭工大・宮崎大・高知大・前橋工大・高知工科・佐賀大・奈良県立大・都留文科大・その他下位国公立

〔DⅡ〕琉球大・明治学院大・武蔵大・成城大・成蹊大・國學院大

〔DⅢ〕獨協大・近畿大・駒沢大・東洋大・専修大・京都産業大・日本女子大・東京女子大・龍谷大・日本大・甲南大・西南学院大

 ふーん、なるほどなあ。高崎経済大や京都産業大なんてのが、意外と高評価されているのは何故か分からないが、何となく分かるような気がするのが学歴フィルターだ。

 世の中には「Fランク大学」ってのもあるそうで、それこそ大学入試の英語で日本語の問題しかない、なんて大学もあるようで、なんだそりゃっていうレベルなんだけれども、それでも大学は大学。しかしなあ……。

 世の中「平等主義」なんてのは「建前」でしかないということに気づかされるのが就活の時なんだろうが、しかし、それでは遅すぎるんだよなあ。リクナビあたりが就活における平等主義幻想を振りまいているのだろうが、一方でそれこそ平等主義なんてのは幻想に過ぎないということを、大学を選ぶ際に知っておかなければならないのであります。

 企業の採用担当者だって、上位ランクの大学から採用した方が無難だって考えてるんでしょ。下位ランクから「いやいやこいつは優秀だ」って採用したって、そいつが本当に優秀な奴だったところで当たり前、もし採用担当者の目がくるっていて、実はそいつが本当はダメなやつだったってことになったら、採用担当者の評価はガタ落ちします。逆に、上位ランクの大学から採用した奴がダメ人間でも、それはそのダメなやつの自己責任ってことで、別に採用担当者の評価には影響与えません。

『セミナーの案内すら来ず、採用試験をまともに受けることができなかった学生は怒るかもしれない。しかしターゲット校以外からはとるつもりが毛頭ないので、はじめからフィルターをかけて余計な人に参加してもらわないようにしたほうがお互いに無駄な時間をすごさなくてすむと考えているのが内情だ』

 って、つまり企業と就活学生の双方に無駄な努力をしなくてすむようにしたものが「学歴フィルター」ってことなのですね。

 まあ、大学の入学試験なんてものが平等主義の権化みたいなものなので、学生は何となくそんなもんだと考えているのでしょうが、上位ランクの大学に入っている学生ほど、実は平等主義なんてものは幻想に過ぎないことに気づいているのであります。下位ランクの大学に入っている学生ほど、こうした平等主義幻想に振り回されて就活の時に初めてそれが幻想だったということに気づかされるのであるが、それでは遅いってことですね。

 じゃあ、そんな下位ランクの大学に入ってしまった人はどうすればいいのだろうか。「俺の人生ってこんなもの」と諦めるしかないのか。

 いやいや、学歴フィルターなんてものが一切ない、K談社みたいな出版社あたりを受けるとかね。 

 それでも駄目なら、人生を大逆転させる「学歴ロンダリング」っていう手が。

 まあ、人間生きていれば人生なんとかなるもんです。 

『就活暴露』(宮下甲士郎著/宮下甲士郎/2014年1月31日刊)

2015年6月 9日 (火)

問題は「人工知能」とか言うレベルのことじゃなくてさ

 人工知能(Artifical Intelligence)と言えば、古くは『2011年 宇宙の旅』のHAL9000だし、現在では『チャッピー』なんだけれども、それらはSFの世界のこと。

 実際に、現在のAIってどうなっているんだろうか。

Photo 『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』(松尾豊著/角川Epub選書/2015年3月10日刊)

 というか、AIという発想そのものが、どこから来ているんだろうか。

『人間の思考が、もし何らかの「計算」なのだとしたら、それをコンピュータで実現できないわけがない。このことは特段、飛躍した論理ではなく、序章でも少し触れたアラン・チューリング氏という有名な科学者は、計算可能なことは、すべてコンピュータで実現できることを示した。「チューリングマシン」という概念である。すごく長いテープと、それに書き込む装置、読み出す装置さえあれば、すべてのプログラムは実行可能だというのである』

 まあ、それがAIに関する最初の考え方なんだけれども、まあ、でもチューリング氏の頃のマシンは、結局、電気(電子ですらない!)計算機の域を出るものではなかったし、理論的にはAIに繋がる考え方なんだったけれども、あくまでも概念でしかなかった。1940年代にノイマン型コンピュータが実現して、それまでは「電子計算機」でしかなかったものが、「電子頭脳」というアイザック・アシモフのSF用語が一般化し、それが人工知能(AI)として評価されるようになった訳なのである。

 ところで、AIについては、これまでに三つのブームがあったそうだ。

『第1次AIブームは1950年代後半~1960年代。コンピュータで「推論・探索」することで特定の問題を解く研究が進んだ。しかし、いわゆる「トイ・プロブレム」(おもちゃの問題)は解けても、複雑な現実の問題は解けないことが明らかになった結果、ブームは急速に冷め、1970年代には人工知能研究は冬の時代を迎えた』

『第2次ブームは1980年代であり、コンピュータに「知識」を入れると賢くなるというアプローチが全盛を迎え、エキスパートシステムと呼ばれる実用的なシステムがたくさんつくられた。しかし、知識を記述、管理することの大変さが明らかになってくると、1995年ごろにはふたたびAIは冬の時代に突入してしまう』

 あれ? 1995年って言えば、Windows95が出て、まさしくこれからインターネットの時代だったはずなんだけれどもなあ。

『1990年代半ばの検索エンジンの誕生以降、インターネットが爆発的に普及し、2000年代に入ると、ウェブの広がりとともに大量のデータを用いた「機械学習」が静かに広がってきた。そして現在、AI研究は3回目のブームに差しかかっている』

 ということで、現在その第3次AIブームの中で、2011年、IBMが開発した人工知能「ワトソン」が、アメリカのクイズ番組で人間のチャンピオンを破って優勝したり、元将棋名人で永世棋聖の故米長邦雄氏が、コンピュータ将棋のプログラム「ボンクラーズ」に敗れて、その後「将棋電王戦」と呼ばれているプロ将棋士とコンピュータの戦いが行われているが、毎年、コンピュータの方が強くなっている、なんてことがあったりしているわけであるな。

『人口知能の60年に及ぶ研究で、いくつもの難問にぶつかってきたが、それらは「特徴表現の獲得」という問題に集約できること。そして、その問題がディープラーニングという特徴表現学習の方法によって、一部、解かれつつあること。特徴表現学習の研究が進めば、いままでの人工知能の研究結果とあわせて、高い認識能力や予測能力、行動能力、概念獲得能力、言語能力を持つ知能が実現する可能性があること。そのことは、大きな産業的インパクトも与えるであろうこと。知能と生命は別の話であり、人工知能が暴走し人類を脅かすような未来は来ないこと。それより、軍事応用や産業上の独占などの方が脅威であること。そして、日本には、技術と人材の土台があり、勝てるチャンスがあること』

 などと、我が国にとってはいいことのように見えるのであるが、しかし、AIの普及によって「人間の仕事のやり方」は必ず変わるものだし、現在だって、既に「コンピュータを使う人/コンピュータに使われる人」という人たちの間の格差は確実に広がっている。

 現在、「スマホ(タブレットも含む)しか持っていない/パソコンを持っていない」若い人たちが増えているそうだ。スマートフォンやタブレット端末は情報のインプットには極めて優良な端末ではある。しかし、一方で情報のアウトプットには、殆ど向いていない端末なのではないか。で、結局、こういう人たちが、これまでと同じように、支配され続ける人たちになってしまうんだろうなあ。

「Web 2.0」という言葉がもてはやされ、これからは、これまでのように「情報の送り手/消費者」がそれまでの立場を乗り越えて行き交う時代。「情報の発信者」が同時に「情報の受信者」であるし、これまで「情報の受信者」でしかなかった一般の消費者が同時に「情報の発信者」にもなりうる時代がやってきた、と喜んでいたのもつかの間。結局「情報の発信者/情報の消費者」という関係は、その発信者側が少し変わっただけで、元通りの「発信者→消費者」の関係は固定されたままになってしまった。

『読者のみなさんには、それぞれの仕事や生活の中で、人口知能をどのように活かしていけばよいか、活かすことができるのか、ぜひ考えてみてほしい。人工知能によって、この社会がどうよくなるのか、どうすれば日本が輝きを取り戻すのか。考えてほしい。そして、人工知能の現状と可能性を正しく理解した上で、ぜひ人工知能を活用してほしい』

 という、人工知能研究者の願いは分からないではないが、結局、人工知能もそれを使って社会を動かしていく人たちと、それに使われて社会に動かされてしまう人たちを生みだすだけだろう。

 現在、公職選挙法を改正して18歳から選挙権を与えることが検討されているようだが、まあ、その年頃の人たちを見ていると、まさしく「スマホ依存症」みたいな人たちばっかりで、多分、世の中を動かす中心にはならないでしょう。というよりも、「情報の消費者」然として、結局は現状追認しつつ、文句ばっかり言う人しかいなくなってしまうのではないでしょうか。

 本当は、その年代の人たちこそが「現状にNON」を突き付けて、選挙でもそうした行動を起こしてほしかったんだけれども、それは難しいかな。

 かといって、現状を変えるつもりのない団塊の世代はもうどうしようもない醜態をさらしているだけだし、もう日本はどうにもならないんですかね。

 って、いけね。AIの話ではなくなってしまった。

『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』(松尾豊著/角川Epub選書/2015年3月10日刊)

2015年6月 8日 (月)

カレッジフットボール中間報告/立教大vs.近畿大、中央大vs.東京大

 春のカレッジフットボールは基本オープン戦なので、関西のチームとの交流戦や定期戦が行われることが多い。

 昨日のアミノバイタルフィールドは、第一試合がそんな交流戦で関東は1部だけど昨シーズンTOP8とBIG8の入れ替え戦で専修大学に負けて、BIG8に落ちてしまった立教大学と、関西1部リーグで関西学院、立命館、関西大学に次ぐ第4位に位置する、最近では養殖マグロや受験生が増えていることで有名な近畿大学とのゲーム。第二試合は1部リーグTOP8、5位の中央大学と1部BIG8、6位の東京大学との試合。

 その後、第3試合と第4試合は関東高校アメリカンフットボールの準決勝が行われ、その第一試合は神奈川1位の慶應義塾高校と東京2位の佼成学園、第二試合が東京1位の早大高等学院と神奈川2位の法政二校ということで、まあ、いわば大学の試合が高校の試合の前座みたいなもんですかね。

 だから、こういう組み合わせの試合になったのかなあ。

 と、まあそれはいいとして、立教vs.近大戦は立教大学#37細谷恭平のキックオフで試合開始。

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 が、残念ながら両チームとも攻撃に決め手を欠き、シリーズを4thダウンパントで繰り返す。

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 結局、両チームの最初のポイントは、近畿大学ランニングバック兼キッカー(RB兼K)小瀧直人のフールドゴール(FG)によるもの、というちょっとショボイ結果。

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 その後、ワイドレシーバー(WR)山田信武のタッチダウン(TD)もあったんだけれども、近畿大の攻撃はここまででおしまい。

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 その後は立教大が基本的に攻めて、近畿大はほとんどが4thダウンパントに終わるという攻撃で、立教大#27細谷のFGと、立教大#51都築太郎のセーフティーによる2点追加なんてのもあったりして前半戦近畿大学10点対立教大学5点で折り返す。

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 第3クォーター(Q)からは立教ペースになってきて、第3Qは#39阿部弘毅がタッチダウン(TD)。

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 第4Qは力で押し込むTDと、関西1部4位の近畿大学を2Qから4Qまで無得点の19対10で圧勝。

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 まあ、関西1部といっても、関西学院と立命館が突出しているだけで、他は団栗の背比べみたいな状態なのかな。

 で、第二試合は特に触れない。

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 中央大学#95ディフェンスバック栗山尚也のファンブルリターンタッチダウンの写真だけの載せておきます。

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 34対0じゃあ論評のしようもないよね。東大の完敗。

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2015年6月 7日 (日)

蔦屋家電に行ってきたけど…やっぱり本屋さんじゃん

 昨日、「では、明後日お会いしましょう」なんて言った舌の根も乾かない内に、もう更新だもんね。えっ、へっ、へ。

 ということで……。

 確か、あれは半年前位の山手線の社内吊り広告だったと思う。あのTSUTAYAが家電量販店経験者を募集していたのだ。

「えっ? 何でTSUTAYAが家電量販店経験者? というか、TSUTAYAが家電量販店の業界に殴り込みをかけるというのか?」

 というか、ちょっとワクワクした覚えがある。

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 で、その「蔦屋家電」が二子玉川ライズの第2期開発工区(平成27年4月竣工)に5月3日にオープンとなった。

 最初は混んでいるだろうから、ちょっと遠慮したのだが、もうそろそろ大丈夫かな、と考えて先日行ってきたのでした。

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 が、ウィークデイにも関わらず大変な人出で、「う~ん、東京って本っ当に、何をしている人かわからない街なんだなあ」という意を強固にさせただけでした。

 で、肝心の「蔦屋家電」はどうなのよ、と言えば。

 基本的にやっぱり本屋さんなんですね。代官山蔦屋みたいなお洒落な感じの店内のそこここに家電が置いてあるってイメージ。

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 さすがに、電子書籍やタブレットなどの情報家電は充実しているけれども、「家電の王様」白物家電は、それこそ関連の書籍のコーナーのそばにいくつか置いてある、って感じ。

 まあ、家電量販店みたいに「さあ、どこからでもかかってこい! 売ったるかんな!」っていう迫力はありません。

 まあ、確かに既に上位店での寡占状態が進んでいる家電量販店の領域に今から入っていくのは無理がある。そこで、ちょっと目先を変えて「家電のある生活、本のある生活」を提案するような、そんな提案型の店舗を目指したのかも知れませんね。

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 しかし、気になったのは同じ二子玉川ライズの第2期開発工区のオフィスビル。

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 実は、ここには楽天がこの夏に移転してくる予定で、今は最終の仕上げ作業をやっている最中なんですが、確かに床面積的には、現在、品川シーサイドにある楽天タワーよりはひろそうです。ただし、現在では品川シーサイドには楽天本社が入っている楽天タワーと、もう一つ、関連会社が入っている楽天タワー2号館があります。この、両ビルに入っている人たちが一緒になってこのビルに入ると、たちまちこのビルもいっぱいになってしまいそう。

 これからも、どんどん事業拡大をしていきそうな楽天です。なんか、すぐこのビルもいっぱいになってしまい、そとの他のビルにも入居しそうですね。

 そうなるとニコタマが楽天タウンになってしまうんですかね。それはそれでおもしろそうですがね。

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 新楽天タワーはまだオープンしていませんが、楽天カフェは既にオープン。

 いよいよ、この夏、完全再始動ってところでしょうか。

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 で、その奥にはタワーマンション3棟も建設中。

 ニコタマがどんどん変貌していくさまは面白いですが、ここに住むか? というと、「岸辺のアルバム」を知っている私たちの世代はねぇ。 ちょっと……。

NIKON Df Ai NIKKOR 50mm/F1.4 @Futako Tamagawa, Setagaya (c)tsunoken

2015年6月 6日 (土)

あじさい、紫陽花 & アジサイ

 梅雨空には紫陽花と蝸牛が良く似合う。

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 ということで、今日(6月6日)から文京区白山神社では「あじさい まつり」が始まります。

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 白山神社境内には、もともと境内に咲いている紫陽花ばかりでなく、植木屋さんが持ち込む紫陽花も沢山飾られて、それはそれでものすごく綺麗です。

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 紫陽花の花や葉の傍に行くと、小さな蝸牛なんかもいて、可愛い。まあ、この写真には写ってないですが。

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 白山神社の中には富士塚があって、普段は柵で閉められているんですが、「あじさい まつり」の時だけは門が開いて、富士塚に登れるようになります。

 富士山頂から麓の方に見える紫陽花もなかなかの景色です。

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 で、白山神社で紫陽花を堪能した後は、本郷通りを少し歩きます。

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 本郷通りのあちこちにある植え込みに誰かが植えた紫陽花を楽しみながら、約2kmほど北上すると…

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 六義園に到着。

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 六義園の茶店の左の径を行くと、「あじさい山」があります。

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 六義園の「あじさい山」はガクアジサイとかヤマアジサイなどの、日本古来の種が多くて、セイヨウアジサイばかりの白山神社とはまた違った趣です。

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 セイヨウアジサイのように花は大きく、丸くはなっていません。って、でもこれは花の大きさじゃなくて、実は「ガク」の大きさなんです。花の大きさは実はセイヨウアジサイもガクアジサイも同じ位なんです。我々が「花」だと思ってみているアジサイの花は、実はガクだったんですね。

 でも、これはこれで可憐でいいでしょう。

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 六義園の「あじさい山」。まだまだ「枝垂れ柳」「つつじ」のようなメジャーな存在ではないですが、でも、見るなら今の内かな。「あじさい山」も有名になれば、六義園もなにかイベントを仕掛けてくるかもしれません。そうなると、また大変な人出で……。

東京都の「白山神社 あじさい まつり」の紹介サイトはこちら

 ということで、明日はブログはお休みです。明後日、またお会いしましょう。

 な~んて言って、明日も更新しちゃうかもね。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-50mm/F3.5-4.5 @Hakusan Shurine, Hongo-dori Ave. & Rikugien Garden, Bunkyo (c)tsunoken

2015年6月 5日 (金)

深夜のタクシー、客待ちギャンブル

 私が住んでいるところのすぐそばにある文京グリーンコート。

 元々の地権者である理化学研究所を継承した、科研製薬ほかいろいろな会社が入っていて、多分、従業員の数は数千人? という規模のオフィスビルである。

 このオフィスビルの前に深夜12時頃になると10~10数台のタクシーが客待ちで並び始める。

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 勿論、終電に間に合わなくなったサラリーマンを狙っての客待ちなわけなのだが、一体どの程度の遠距離客を狙っているのだろうか。

 私が働いていたK談社でも結構深夜業務が多かったので、やはり深夜の客待ちタクシー行列はあったわけで、一度そんなタクシーに乗って運転手さんに「どこまで行けばOKなんですかねぇ?」と聞いてみたい気持ちはあったんだけれども、さすがに「音羽二丁目~本駒込六丁目」という「基本料金+α」位の料金しか出ない場所までを1時間~2時間位待っているタクシーをつかまえて聞くわけにもいかず、一度も、客待ちタクシーというのは使ったことはなく、周りを流しているタクシーをつかまえて帰宅していた。

 リサーチという程ではないが、そんな深夜客待ちタクシーを利用している同僚に聞いた事がある。

 まあ、所沢だったり川越だったり、っていう方面が多かったですね。

 ひとり、某「なかよし」のI編集長が、藤沢だったか平塚だったか、とにかくトンでもないところまで深夜タクシーで帰っていたのを聞いた時は、さすがに本駒込六丁目まででそんな深夜タクシーを使っちゃいかんな、と考えたものだ。一体、タクシー代幾らくらい払っていたんだろう。

 勿論、深夜で終電が無くなってしまった後のタクシー代は会社が出してくれるんだけれども(それも、もっと前は深夜23時以降とか生温かったんだけれどもね)、結構、この従業員のタクシー代ってのも会社にとっては負担になるわけで、段々、使用に対しては厳しくなってきた訳です。

 だって、仕事でタクシー使った場合、3000円までは領収書なしの自己申告制ってのが、私がK談社に入ってから20年位までは通用していた社則だったんですね。まあ、高度成長期っていうのか、バブルっていうのか。まあ、日本もそんな時代があったんですよ。

 しかし、そんなに1時間~2時間も客を乗せずに待っているだけで、じゃあ、その結果としてどれ程の客を乗せれば運転手としてはペイできるんだろうか。

 仮に、1時間の内半分だけ「実車走行(客を乗せた走行)」して10分づつ乗せたとすると、まあ10分だから1000~2000円位ですよね。とすると1時間でこの運転手さんは3000~6000円を売り上げるわけです。

 ということは、1~2時間をまったく客を乗せないで待っているだけということは、その間、最低3000円、最高12000円を無駄にしているってこと。まあ、中を取っても5000~10000円を無駄にしている?

 う~ん、やっぱり1000円位の距離を乗る最低の客は「深夜客待ちタクシー」を利用しちゃいけないってことですね。

 しかし、もう一方で、運転手さん側の考え方を取り入れてみれば……。

 つまり、そんな「深夜客待ちタクシー」に挑戦するためには、その1~2時間に細かく稼ぐことを捨てて、一発逆転を狙う訳ですから、どの辺までの客だったらOKなんだろうか。

 まあ、少なくとも所沢あたりだったら「トントン」というところでしょうか。川越だったら「ラッキー!」ってなところ? 藤沢まで行っちゃったら「ビンゴ!」でしょうね。

 つまり、これってギャンブルだってことだよね。

 まあ、こういう運転手さんたちって、週末なんかには後楽園の場外馬券売り場に通ってるんだろうな。

 それで、ギャンブルの面白さにハマっちゃって、仕事でもギャンブルに走っちゃうんだろうなぁ。

 まあ、別にギャンブルがいけないって言うんじゃなくて、というか基本仕事自体がギャンブルみたいなもんですからね、特に出版業なんてね。だから、仕事でギャンブルをやっちゃいけないなんてことは全然なくて、どんどんギャンブルをおやりなさい、と言っておく。

 ただし、ギャンブルって上手くできたもんで、ホンの一部に大儲けできる人がいるんだけれども、しかし、大半の人は結果としては損をするという構造になっているんだ。で、唯一幸運な人がトントンっていうことでね。まあ、胴元になっちゃえば別だけど。

 なので、深夜客待ちタクシーの運転手さん、あなたがやっているのはギャンブルなんだから、そのギャンブルのひとつとして「基本料金+α」の客も乗せてやったら? もう、そこであなたの負けは確定なんだからさ。

 で、次の日、捲土重来を期して、「今日は藤沢客を獲得するぞ」とまあ、賭ければいいんじゃないですか?

 ホンッとに、ギャンブルって終わらないんだよね。

 勝ったら、そこで辞めればいいものを、「いやいや、今は運が付いているんだから、もっと賭けよう」ってなって、負ければ負けたで「いやいや、明日からは逆転するんだ」って、どんどん賭けの世界にのめり込んでいく。

 まあ、人生もその通りなんだけれども、基本的には「退け時」ってものも考えた方がいいようで……。

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NIKON Df + AF NIKKOR 24-50mm/F3.3-4.5 @Bunkyo Greencourt (c)tsunoken

2015年6月 4日 (木)

写真は時間のドキュメントである…後戻りはできないのだ

 2013年2月22日のブログ『沢木耕太郎は『キャパの十字架』で何を証明したというのであろうか』で、結びの言葉として、私は『結局、「ジャーナリズムは優れてプロパンダである」という事実がすべてを物語っているのである』と書いた。

 問題は「崩れ落ちる兵士」が本物なのか偽物なのか、偶然撮れた写真なのか、ヤラセなのかということではなく、リチャード・ウィーランが書くように『しかし、結局は、議論に議論を重ね、推測に推測を繰り返したあとでも、キャパの「崩れ落ちる兵士」の写真が偉大で力強い映像であり、戦争で死んでいった共和国軍と、勇敢に前進し打倒されてしまった共和国スペインそのものの、忘れがたい象徴であるという事実は変わらない』という「事実」なのである。

 何故、沢木耕太郎氏はそんなどうでもいいチャチな疑問にこだわったのか、なんとなく本書を読んでみて判ったような気がする。

Photo 『キャパへの追走』(沢木耕太郎著/文藝春秋/2015年5月15日刊)

 沢木氏はリチャード・ウィーランの『キャパ その青春』『キャパ その死』の翻訳者として、ウィーランが先述の文章を書いて「崩れ落ちる兵士」の真贋論争に突然幕を下ろしてしまったことが不満だったんだろうな。それで「文藝春秋」編集部からの執筆依頼に乗じて、考えた。

『ロバート・キャパが撮った有名な写真の「現場」に行き、同じような構図で写真を撮ってみたらどうだろう。そして、そのグラビアページに二枚の写真を並べて載せてもらう。それによって、その「現場」がキャパの時代とどのように変わったのか、あるいは変わらなかったのかが一目瞭然で分かるはずだ』

 とね。そしてあわよくば、キャパが「崩れ落ちる兵士」を撮ったとされるスペインのアンダルシアに行ければ永年の疑問に終止符が打たれるかもしれない、と。

 しかし、それはやはり沢木氏がやはり「文章の人」で「写真の人」ではないという証拠なんじゃないだろうか。本書に収めらっれた「路上の写真家(東京/日本)」から「死への旅(アマウォーク/アメリカ)」までの40点のキャパの有名な写真と沢木氏が撮影した写真は、当然、撮影された時期は60年ほどの違いがあるし、その撮影されたシチュエーションがまったく異なる。

 文章でその地を訪れ、当時を慮って、想像しながら書くことはできても、写真というまさしく一回性のドキュメンタリーを再現することはまず不可能だし、それは無駄なことでしかない。1954年の東京駅でキャパに撮られた少年と、2010年の東京駅にいた「撮り鉄」少年(「路上の写真家」)のどこがダブルイメージになるのであろうか。

 1932年にコペンハーゲンで亡命中に演説をするレオン・トロツキーと、2013年にメキシコ・シティーのトロツキーの墓を訪れて撮った沢木氏の写真(「そこに革命家がいた(コペンハーゲン/デンマーク」)のどこに何を見つけるのか。

 その他、「旗の消えた街(ザールブリュッケン/ドイツ)」「高架橋のある風景(パリ/フランス)」「丘の上の十字架群(ヴェルダン/フランス)」「中央駅から(バルセロナ/スペイン)」「カサ・デ・カンポ(マドリード/スペイン)」「地下鉄の構内で(マドリード・スペイン)」「瓦礫の中の子供たち(マドリード/スペイン)」「ゲルダの死(アンダルシア/スペイン)」「奇妙な友情(テルエル/スペイン)」「橋を撮る(テルエル/スペイン)」「満月に照らされて(テルエル/スペイン)」「走る女、走らない女(バルセロナ/スペイン)」「黒い瞳の少女(バルセロナ/スペイン)」「澄み切った絶望(タラゴナ/スペイン)」「あなたたちを忘れない(バルセロナ/スペイン)」「その姿勢の中に(漢口/中国)」「最後の一枚(メキシコ・シティ/メキシコ)」「屋根のない教会(ロンドン/イギリス)」「静かで、確かな生活(ロンドン/イギリス)」「パパ・ヘミングウェイ(サン・ヴァリー/アメリカ)」「あしながおじさん(ロンドン/イギリス)」「雨のパレルモ(パレルモ/イタリア)」「血と虹と(ノルマンディ/フランス)」「聖母子像(シャルトル/フランス)」「ふたたびのパリ(パリ/フランス)」「広場の銃声(パリ/フランス)」「虚しい死(ライプツィッヒ/ドイツ)」「墓地に降る雪(ロザンゼルス・アメリカ)」「ピカソのいた浜辺(ゴルフ・ジュアン/フランス)」「マティスの棒(ニース/フランス)」「学校としてのカフェ(パリ/フランス)」「夜の街で(熱海/日本)」「二枚のポートレート(静岡/日本)」「白い顔の少女(大阪/日本)」「舞妓ではなかったけれど(京都/日本)」「嘆きの女、それから(ナムディン/ベトナム)」「死への旅(アマウォーク/アメリカ)」の40枚のキャパの写真と沢木氏の写真には何らの共通性もないし、そこに何かを見つけるというのは唯一沢木氏だけがなしうる問題であり、その二枚づつの写真を対比して、何を私たちが見つけ得るというのであろうか。

 まあ、「二枚のポートレート(静岡/日本)」と「死への旅(アマウォーク/アメリカ)」だけは、沢木氏の写真に添えられているのがキャパが撮影した写真ではないから、ちょっと別の感慨がある。「二枚のポートレート」に収められた、静岡の金原真八というアマチュア・カメラマンが撮影したキャパのポートレイトは、見事に普段着のキャパを捉えられているし、「死への旅」におけるリスル・スタイナーの写真には、これまた貴重なキャパの母親ユリア(キャパの撮った写真にもユリアの写真は見られない)が捉えられている。

 それ以外の38枚の写真を見て何を感じるかというのは、多分、沢木氏だけの一人称的な感慨でしかないし、沢木氏だけが感じたものが書かれてあるのだけれども、それはあくまでも沢木氏の内部にある「キャパと私」の表出かもしれないが、それが私たちのところまで届くものかどうかを判断する材料はない。少なくとも、私たちにとってはそれら沢木氏がキャパのアングルに似せて、キャパが撮った現場写真であっても、単なる現代スナップにしか見えないのだ。それは私の感受性が薄いからなのだろうか、あるいは沢木氏の思い入れのみが強いのだろうか。

 どうも、沢木氏はこのキャパを追う旅の中で、例の「崩れ落ちる兵士」が撮影されたのは巷間いわれているようなセロ・ムリアーノではなくエスペホという場所ではないかという確信に至ったのだろうか、いやそれは、それはまた別の『キャパの十字架』の為の取材の時に見つけた場所のような気がしてきた。

 いずれにせよ、本書におけるキャパの道程を追った旅の中で、沢木氏は何を発見したのだろうか。

 多分、それは「写真というものは、その場所を撮ったものではあるが、それ以上に大事なことは、その時代を撮ったものである」ということではないだろうか。そのために、その旅の中では場所を特定できずに、再度、スペインへの取材行が必要になった、と考えれば、『キャパの十字架』は『キャパへの追走』とはまったく別の著書であるということが分かってくる。

 結局、文章家としての沢木氏の予想とは遥かに異なって、60年の時間の偉大さが分かって来ただろうし、現在から60年前を追想することなんかできはしない、ということが分かったんじゃないだろうか。

 写真は時間のドキュメントなんだから、それは初めから分かっていたことなんだけれどもなあ。

『キャパへの追走』(沢木耕太郎/文藝春秋社/2015年5月15日刊)

2015年6月 3日 (水)

結局、沖縄ってシャブ漬けになった人間と同じってこと?

 政治がらみの運動には裏表があること位は承知している。そこまでピュア(つまり「バカ」ってこと)ではないつもりであるから、沖縄についての不都合な真実があっても、別に驚かない。

 むしろ知りたかったのは、翁長雄志県知事が何故あそこまで強固に普天間基地の辺野古移転に反対するのかということであり、じゃあ、辺野古の代わりにどこならいいと言っているのか、あるいは県内移設にはそもそも反対なのか、なんだがその辺がハッキリしない。

Photo_2 『沖縄の不都合な真実』(大久保潤、篠原章著/新潮新書/2015年1月20日刊)

 そもそも翁長氏はかつて自民党県連幹事長を務め、15年前の県議時代、辺野古移設推進決議案を可決させた旗振り役だった。また那覇市長であったときには辺野古移設に賛成していたという事実がある。勿論、街中にある普天間基地にはいなくなってほしい、というのは分かるが、さてそれではそれをどこに持って行けと言うことになるとハッキリしないというのも困った問題であり、我々の理解に苦しむところだ。

 多分、それは県外移設ということになってしまうと困る人たちがいるからだろう。

『これまで普天間基地の九州への移転が何度も模索されてきました。それが実現しなかった理由は、米国側の同意も地元の同意も得られなかっただけではありません。沖縄には県外移設を望む民意だけでなく、望まない民意もあるからです。普天間の県内移設は巨額の公共工事ですから、県外移設はその利権を失うことになります』

『辺野古移設が沖縄全体の基地負担の軽減になることに議論の余地はありません。普天間基地の面積が480ヘクタールなのに対して辺野古崎に造る飛行場は半分以下の210ヘクタールです。このうち50ヘクタールはシュワブの敷地内で、残る160ヘクタールは辺野古崎周辺の海を埋め立てますが、ここもシュワブの基地海域です。現在も観光客が海水浴をしたり漁民が自由に漁をしたりできる場所でもありません』

『移設先が辺野古になった理由は、この地域は過疎化が進み、基地の誘致運動があったことあがります。辺野古への移設は5000億円規模の大公共工事です。この5000億円が県内か県外かでは地元の業者の生活が天と地ほども違ってきます。本土の業者は仮に移設先が長崎でも受注できますが、沖縄の業者は県内移設でないと受注は望めません』

『「基地は平穏な生活を壊す」という反対派の主張は誰でもわかりますが、「基地以外に平穏な生活を守るすべがないのだ」という容認派の主張は、過疎地の現状を知らない人にはわかりにくいでしょう。辺野古移設はそれ自体が沖縄への振興策という面があります。ところが、今や辺野古移設問題は沖縄の基地反対運動の象徴になり、2014年には反対派の稲嶺進名護市長が再任され、知事選では反対派の翁長雄志前那覇市長が当選しました。12月の衆院選では四区すべてで反対派候補が勝ちました。普天間の移設は普天間を更地にして沖縄の基地反対派に感謝されることだけが本来の目的なのに、目的から遠ざかっています』

『振興策は沖縄内部の基地依存を強め、振興策の恩恵を受けられる者と受けられない者の間で地域の分断を招きます。沖縄の海兵隊をそっくり本土に移すことが難しいのであれば、振興策を取引材料にするのではなく、部隊や訓練の本土移転で普天間の危険性を減らし沖縄の負担軽減を着実に進めるというのが合理的なやり方ですが、現実には利権を重視する人が沖縄にも本土にもたくさんいる実態があります』

 私はこのブログを始めたばかりの2009年12月13日に「普天間基地が静岡に移転」という暴論を吐いたことがある。地元、静岡県からもかなり反対論が出ていた「赤字タレ流し空港対策」と「沖縄の基地負担軽減策」という一石二鳥の解決策として、ベストではないにしてもベターな策として、今でも結構気に入っているプランなのだ。

 ところが沖縄内部でもって県外移設に反対する勢力がいるとはね。

『福岡から選挙取材の応援で沖縄にきてくれた同僚が、「沖縄って本音と建て前があるんじゃなくて、『本音と建前をみんなで演じている』感じですね」としみじみ言ったことがありました。うまい表現だなと感心しました。『振興策が欲しい』という本音のために「基地反対」という建前を主張する、というのが「沖縄の本音と建前」の解説です。しかし、現実には「振興策はいいこと」という行政とマスコミの論調を疑うことなく思考停止し、「振興策をもらい続けるためには基地反対と言い続けなくちゃ」という姿勢を、保守も革新も全員がそれぞれの立場で演じている感じです』

 なんてのを読むと、まるで沖縄の基地反対闘争なんてものの茶番の裏側が透けて見えてくる。

『那覇空港増設も沖縄科学技術大学院大学も「基地反対」の成果です。那覇市長時代に翁長知事が巨人軍のキャンプを誘致した沖縄セルラースタジアム那覇の建設費は約70億円のうち約50億円が防衛予算です。巨人誘致と日本の防衛に何の関係があるのでしょうか。「基地反対」の声がなければこんな防衛予算の支出が政府内で通るわけがありません。基地を誘致すれば税金で建設費用が落ち、反対すれば振興策が税金で落ちます。沖縄の被害者性を利用した税金還流装置が存在しているのです』

 なんかなあ、こんなに基地依存している沖縄を見てしまうと、米軍基地の存在に悩まされる沖縄県民というイメージがどんどん崩れてくるなあ。

 沖縄が米軍基地から解放されるためには「沖縄独立」しかない、と考えていた私だが、でもそんなことをしちゃうと沖縄自身が成立しない状況にもなりかねない。もっと、米軍からも日本からも自立した存在にならないと、それこそ「ある日米軍がいなくなった。そしたら沖縄が破綻自治体になってしまった」ということになってしまうだろう。

 沖縄という地域の地政学的なことを考えれば、那覇空港はアジアからのハブ空港になって日本各地へと空路を作れることが可能だ。そうすればアジアと日本各地を結ぶ沖縄の産業ももっと盛んになって、経済的にも離陸が出来て、そうなってはじめて「沖縄には基地はいらない」と堂々と主張できるわけなのだが、どうもそうにも行かない事情があるようだ。

 結局、「基地建設費用」か「振興策」という税金からの支出しか経済政策が見込めないというのは、ドラッグ中毒から抜け出せないシャブ漬け人間と同じで、最後はそんな中毒のまま死んでしまうしかない。

 いい加減、そんな状態を脱しないと、これから更に強まる米軍の予算縮小による基地縮小によって沖縄はダメになってしまうのだがなあ。

『沖縄の不都合な真実』(大久保潤、篠原章著/新潮新書/2015年1月20日刊)

2015年6月 2日 (火)

子どもたちを撮る

 何とはなしに街で写真を撮っていると子どもたちを撮っていることが多い。

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 まあ、中にはこちらから頼んでもいないのにポースを撮ってくれる子もいたりする。

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 基本的には、子どもたちはポージングなんかしないで、どちらかと言うと素のままで撮らせてくれたりすることの方が多いですけれどもね。

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 それに比べると、大人たちはカメラの視線を感じると険しい顔になる人が多い。

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 別に悪いことをしている訳じゃないんだから、普通にしていて欲しいのだが、そうではない。

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 まあ、パブリックな場所にいる以上は写真に撮られても仕方がないんだから、別にいいでしょ。

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 本来は、パブリックな場所にいる人間には肖像権なんてものはないはずなんだけれどもね。

 ちょっと、その辺、勘違い。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-50mm/F3.3-4.5 @Osaki, Ikebukuro, Urawa, Shimura Sakaue (c)tsunoken


2015年6月 1日 (月)

変わらないイメージ・変わったイメージ

 東京に住んでいる以上、変わらないイメージを街に求めることは難しいだろう。

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 常にイメージを変えることを自己目的化しているようなこの街に住む以上は、それはやむを得ないことではある。

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 それでも街歩きをしている自分の姿を見ていると、何故かあまり変わらないイメージを追いかけているようなところがある。

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 昔からのイメージを追って駿河台から神保町を歩いているのだが。

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 結局、そんなイメージは追いかけることが出来ずに、変貌する街がそこにはあるだけだ。

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 街歩きの愉しみの一つは、昔からの変わらないイメージを発見した時の喜びであり、しかし、そんな変わらないイメージの中に変わったところを発見した時の喜びでもある。

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 変わらないイメージの中の変わったイメージとはなんだろう。

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 結局、それは自分の心象風景の中の変わらないイメージ(印象)の中に、変わったイメージ(映像)を発見したからなのだ。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-50mm/F3.3-4.5 @Surugadai & Jinbocho (c)tsunoken

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