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2015年6月17日 (水)

『21世紀の自由論』は直接民主制を推奨なんだろうか

 確かに、グローバリゼーションの前で「国民国家」というものの存在が危うくなっているのは事実だ。では、そんな国民国家というものが亡くなった後にやって来るのはどんな世界なんだろうか。

21 『21世紀の自由論 「優しいリアリズム」の時代へ』(佐々木俊尚著/NHK出版新書/2015年6月10日刊)

『グローバリゼーションは、モノやサービスが国境を越えて自由に流通する。工場もサービスの拠点も安い労働力を求めてすぐに海外に移転する。企業が使うシステムも一般的になり、世界中で同じシステムが提供され、消費者が使うのと同じ機器やサービスが使われるようになる。「長年の経験によるカン」「社内の駆け引き」といったひとつの企業内だけで通用するスキルは要らなくなる。より一般的な、どの会社でも通用するスキルが必要になる。これは日本の終身雇用制を無効にしてします。
 とはいえ、これは国力の差を拡大したのであって、アメリカでも働く人ひとりひとりが幸せになったわけではない。実際、一般的スキルを高めてきたアメリカの働き方はグローバリゼーションに呑み込まれて、中流階層が崩壊して貧困が進んでいる、日本にしてもアメリカにしても、中流の人々が悲惨な状況に追い込まれているのは同じだ。
 グローバリゼーションは恐ろしい。しかし世界中を呑み込むこの波は、いっぽうで中国やインド、インドネシア、ブラジルなどの新興国を大国に押し上げ、国際社会のパワーゲームを変えようとしている。
 日本のリベラルのように「反グローバリゼーション」を掲げても、経済的に呑み込まれていくことを避ける方法は現時点では存在しない。グローバリゼーションに背を向けて「江戸時代に戻ろう」と訴えても、生き残れるのはわずかな人たちでしかない』

 では、このグローバリゼーションへの対抗軸というものはないのだろうか。

 日本のリベラルがダメだというのであれば、保守なんだろうか、あるいはもっと右寄りになってネット右翼諸君なんだろうか。

 まあ、それらも駄目だろう。つまり、日本の保守というのは実は親米保守というちょっとネジくれた存在でありであり、そのアメリカこそがグローバリゼーションの担い手であり、もはやアマリカ自身が世界の警察であることをやめようとしている。じゃあ、ネット右翼諸君はどうなんだろうか。彼らの目は中国、韓国(北朝鮮)にしか注がれていない。せいぜいロシアが追加されるくらいだろうか。残念なことに彼らの目にはその二か国以外のアジア諸国や中東、ヨーロッパといったそれこそグローバルな視点は見えていない。そんな彼らがグローバリゼーションへの対抗軸にはなり得ないし、むしろグローバリゼーションによって餌食となっている人たちが多いってのは、どういうことだ?

 結局、ヨーロッパ中心の普遍主義が終焉を迎えて、グローバリズムとともに中国、インドなどのアジア諸国が新たに発言力を求めて力をつけてきたというのが現在の世界なんだから、それに伴い新しい世界秩序が必要になって来ている、ということなんだろう。

『国民国家の領域を超越して、少数精鋭でつくられるグローバル企業と、それらグローバル企業が展開する生産や消費、サービスなどのさまざまなプラットフォーム。そしてその上で流動的に生きる個人という三位一体が、次の時代には世界の要素として成立していくことになるだろう』

『今後の数十年間は、国民国家とグローバル企業のせめぎ合いがさまざまな局地戦とともに続いていくだろう。しだいに国民国家は衰退し、グローバル企業を中心とした新しい秩序が経済的のみならず、政治的にも社会的にも生まれてくるだろう。われわれがやるべきことは、そこにいたるまでの移行期おいて。どう社会を破滅させず、軟着陸に向けて準備を進めていくのかということだ。それは政府にとっても企業にとっても、そして個人にとっても重要で切実なテーマである』

 佐々木氏はそんな移行期における考え方として「優しいリアリズム」というものを提唱する。

「優しいリアリズム」って何だ?

『このリアルな近未来を変えられないのだとすれば、生活資金が不足し、将来の不安を抱えながら、人々がそれでもどう楽しく老後を送ることができるのか。そういうロールモデルを社会の中でつくり上げていくことが必要だ。ファストフード店で働いていても、積極的に社会に参加し、笑顔を絶やさず、おだやかな接客で客とコミュニケーションし、多くの人とつながる。そういう老後が送れるような仕組みを金銭の面でも、精神的な面でもつくり、包摂していく。それが優しいリアリズムである』

 って言われても、何だかよく分からないなあ。

 むしろ

『「普遍的なもの」が消滅し、領域的な国民国家が衰退していき、そしてグローバルな基盤が普及していくという未来では、私たちには規模の小さな共同体に所属して生きていく道しか残っていない』

『いま、情報通信のテクノロジーが共同体や人間関係の概念も変更しようとしている。テクノロジーの視点から、共同体概念の再構築が可能なのではないかと私は考えている』

『この新しいメディア空間の中に生まれてくる新しい共同体を、従来の中心のある共同体とは区別して、「ネットワーク共同体」と呼ぼう。
 ネットワーク共同体には、中心がない。内側と外側を分ける壁もない。歴史や伝統の幻想をまとわず、「いまここにあるもの」として同時的につねに偏在している。そして行動を起こす人は、必ず巻き込まれ、全員が当事者になる。行動も発言も何もしなければ、自動的に「巻き込み」から外れ、非当事者化していく』

 つまり、それってネットワーク共同体による直接民主制ってことじゃないの?

 限りなく「衆寓」に近づく直接民主制。しかし、ネットワークで繋がれた空間ではそうした直接民主制が成立可能だ。

 国民国家を支えてきた間接民主制に代わって、こうした直接民主制が成立するのであれば、それはそれで面白い。

 うん、楽しみになって来たなあ。

『21世紀の自由論 「優しいリアリズム」の時代へ』(佐々木俊尚著/NHK出版新書/2015年6月10日刊)

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