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2015年5月26日 (火)

埼玉県さいたま市「浦和」の悲劇(?)

 埼玉県の県庁所在地はさいたま市浦和区にあります。

 JR京浜東北線・高崎線。宇都宮線・湘南新宿ラインの浦和駅の東口がそちらの出口なのです。

Dsc_00062

 浦和駅東口を歩いていると……

Dsc_00102

 あ、これはまったくテーマとは関係がありません。たまたま、脇道の入り口を撮影していたら、可愛い女の子がポーズを取ってくれたので撮っただけ。いいですね、こんな娘は。

Dsc_00122

 で、浦和駅からほんのちょっとだけ東に進めば。

Dsc_00212

 埼玉県庁があるし、更に国道17号線をこれまたほんのちょっとだけ北上すれば、さいたま市役所もあります。つまり、浦和が埼玉の中心だってこと。

Dsc_00372

 ところが、いってみれば埼玉県の政治的中心は浦和なんだけれども、浦和駅を降りてみると、あまり埼玉県の中心というイメージよりは、なんか大宮に押されてしまって、埼玉第二の都市ってな感じなんですよね。

Dsc_00572

 サッカーだって浦和レッズに対して、大宮はJ2のアルディージャでしょ。浦和の方がずっと上なんですけれどもねぇ。

 問題は、県庁所在地としての浦和の考え方なのかもしれない。

『当初、埼玉県庁は埼玉郡岩槻町(現在のさいたま市岩槻区)に置かれる予定であったが、県庁としての業務を行える建築物がなかったため、北足立郡浦和宿の旧浦和県庁舎が使われた。1876年(明治9年)に現在の埼玉県が成立し1890年(明治23年)9月25日に勅令により浦和町が県庁所在地となった』という記述がWikipediaにありますが、なるほどね。

 つまり、明治政府としては氷川神社もある大宮は徳川の影響も強く残されているところなので、それを避け、大田道灌が築城したと言われる岩槻城を県庁にしようと思ったけれども、それはならず、でも大宮にだけはしたくなかった明治政府としては大宮に近く、でも大宮宿の次に大きかった浦和宿に県庁を持ってきた、ということなんだろう。

 ところが、ここにきて明治時代に力をつけた「鉄道輸送」というテーマが来てしまうんだなあ。

 当初は大宮駅を作ることを考えていなかった鉄道省に大宮市は猛烈に働きかけるんですね。で、結局、大宮は(現在の)JR東日本の要衝となり、街は商業都市として発展したというわけですね。

 その間、浦和は何をしていたんでしょうか。

 政治の中心は浦和なんだから、大宮何するものぞ、ということだったんでしょうか。今や、浦和の地盤沈下は見え見えだっていうのにね。

 政治都市=浦和vs.商業都市=大宮、っていう構図は、現代においては完全に後者の勝ちっていう構図は見えているんだけれども、それでも浦和市民はやせ我慢するのかな。

 全国的にも珍しい「新幹線が止まらない県庁所在地」(まあ、JR東日本ではお隣の前橋市もそうだけどね)、はこれからどうするんだろう。

Dsc_00502

 そうか、旧中山道が浦和にも走っているんだ。これまで自転車で走っていたのは国道17号線ばっかりだった。今度はこちらを走ってみようかな。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-50mm/F3.3-4.5 @Urawa, Saitama (c)tsunoken

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