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2015年5月 6日 (水)

越後長岡藩と言えば河井継之助でしょう

 ということで、山古志闘牛に出かける前の短時間ですが、河井継之助記念館に行ってきました。

 えっ? 河井継之助を知らない? それはあなたは明治維新史の半分しか知らないってことなんですよ。

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 河井継之助とは何者か? 

 北越戦争(戊辰戦争)開戦時の長岡藩上席家老にして軍事総督だった男で、長岡藩の藩政改革や軍制改革を行った男で、長岡藩における数少ない開明的な武士だった人なのであります。

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 河井継之助で有名なのはガトリング砲でしょう。ガトリング砲とは、世界最初の機関砲です。銃身を環状に並べて回転させ、金属薬莢を使用する後装式の閉鎖機構と給弾機構をこれに組み合わせたものであり、複数の砲身がリング状に配置され、人力でクランクを回転させると、連続して給弾・装填・発射・排莢のサイクルが進行する構造をしています。まあ、今でいう戦闘機に搭載されているバルカン砲ですね。

 当時日本にはこのガトリング砲は三台しかなく、その内の一台が長岡藩が持っていました。

 鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍の敗退と徳川慶喜の江戸への秘密退却を知った当時大坂を警護していた河井継之助は、急遽江戸へ戻り、藩主らを先に長岡へ帰らせると、江戸藩邸を処分して、その金で暴落した米を買って函館へ運んで売り、また新潟との為替差益にも目をつけ軍資金を増やし、アームストロング砲とガトリング砲、エンフィールド銃、スナイドル銃などの最新兵器を購入して、海路長岡へ帰還したのです。

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 私が何故河井継之助のことを知っているのかと言えば、1966年11月から1968年5月まで、毎日新聞に連載された司馬遼太郎氏の小説『峠』を愛読していたからなのであります。それまでは河井継之助という名前は日本人にはあまり知られてはいなかった。というか、所詮官軍に負けた武士ですからね。

 でも、私の家系は会津に通ずって訳で読まされたのかなあ。新聞連載当時15歳から17歳という多感(恥!)な時代に読んだ小説でもって、いっぺんに河井継之助ファンになった訳なんですね。

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 近代的な合理主義者だった河井継之助は、これからは武士の時代ではなく商人の時代になるだろうという先見性を持っていたのですが、一方、最後まで武士という立場を捨てることなく、戊辰戦争に破れ、死んでいったのです。この辺が、薩長の武士と会津や越後の武士との違いなのかな。結局、武士は武士のままというのが北方の武士の考え方のようでありました。まあ、武士は武士として滅んでも良いという考え方なんだったんだろうか。

 西方の武士は明治以降も商人として生き延びたり、それこそ豪商となった人もいたんだが、北方の武士は、まあ官軍に負けたということも重なって、あまり事業で成功したという話は聞かない。

 長岡藩もそんなに近代兵器で鍛えていたとはいえ、所詮、小さな藩であったために、物量作戦の新政府軍の前には敗戦となり、時代は明治に代わっていった訳ですね。

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 河井継之助記念館には長岡城の復元模型が展示されていました。このちょうど真ん中の本丸跡が、現在のJR長岡駅、ってよほど明治政府にとっては長岡藩と言う存在は恐るべき存在だったのでしょうね。とにかく、長岡藩の遺構はすべて潰すってことでね。

 長岡藩に徹底的に意地悪している。

河井継之助記念館のサイトはコチラ

 長岡市においでの際には一度お運びを。

司馬遼太郎氏の『峠』も新潮文庫から今でもちゃんと出ています。Kindle版は出ていない。司馬さん亡くなっちゃたんで、了解が取りづらいのかな。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm/F2.8-4 D @Nagaoka (c)tsunoken

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ブログを拝見して是非ご協力をお願いしたいと思い情報提供をさせていただきます。越後・長岡で第一回「峠」王クイズ選手権を10月30日に開催することになりました。司馬遼太郎没後20年の企画として司馬遼太郎記念館からご承認を受けて展開する企画です。司会は大の継之助ファンとして知られる林修さんで、大会の模様はUX(新潟テレビ21=テレビ朝日系列)で特別番組として放送されます。詳細はUXのHPでご確認をお願いいたします。

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