フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 代官山ログロードは動線を変え得るか? | トップページ | 『東京カメラスタイル』という変なスタイルの写真集 »

2015年4月20日 (月)

青鞜社発祥の地

 本郷通りを東大の方から北上して、本駒込一丁目の交差点を右折すると、光源寺というお寺の隣が駒込学園という私立の中・高校があります。

Dsc_02502

 その学校の前を過ぎて、団子坂の方へ向かって行くと、そこが旧・駒込林町。現在は千駄木五丁目。

Dsc_02322

 千駄木五丁目を更に団子坂方面へ向かって行くと、マンションの前に何やら碑文のようなものが……。

Dsc_02442

 ありました『「青鞜社」発祥の地』の解説板です。

Dsc_02412

『元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。今、女性は月である。他に依つて生き、他の光によつて輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である。
 偖てこゝに「青鞜」は初声を上げた。  現代の日本の女性の頭脳と手によつて始めて出来た「青鞜」は初声を上げた。
 女性のなすことは今は只嘲りの笑を招くばかりである。  私はよく知つてゐる、嘲りの笑の下に隠れたる或ものを』

 に始まって

『私共は日出づる国の東の水晶の山の上に目映ゆる黄金の大圓宮殿を営まうとするものだ。
 女性よ、汝の肖像を描くに常に金色の円天井を撰ぶことを忘れてはならぬ。
 よし、私は半途にして斃るとも、よし、私は破船の水夫として海底に沈むとも、なほ麻痺せる双手を挙げて「女性よ、進め、進め。」と最後の息は叫ぶであらう。  今私の眼から涙が溢れる。涙が溢れる』

 で終わる、平塚らいてうの「青鞜」創刊号に寄せた檄文は有名だが、「青鞜」も1911年(明治44年)から、1916年(大正5年)までの5年間だけの発刊で終わった。創刊号の表紙は長沼智恵子(後の「智恵子抄」の高村智恵子)、当然、創刊号の編集長は平塚らいてう。

 この時代に「女性(解放)問題」を取り上げるのは、それだけで「危険思想」扱いされてしまったのだろう。とは言うものの、この「青鞜」って、日本女子大人脈だったんだな。今では「良妻賢母」みたいな人が多いような日本女子大なんだけれども、当時は結構過激な人たちが多かった大学だったんだ。

 最終号の編集長は伊藤野枝だった。伊藤野枝は上野学園卒なんでポン女人脈じゃないけどね。でも、アナーキズムの思想に触れていた伊藤は大杉栄にホレ混んじゃって、夫の辻潤の許から出奔しちゃったんだから、平塚らいてうよりも過激だったのかも知れない。

 現代の「ウーマン・リブ(古っ!)」や「フェミニズム」の自由さと言うか。自由すぎてちょっと行きすぎなんじゃね、という時代と比較するまでもないけどね。

Dsc_02372

 で、「青鞜社発祥の地」お隣にある「団子坂上広場」には……。

 こんな昔の井戸があります。

Dsc_02392

 漕げばちゃんと水が出ます。まあ、飲めるかどうかは分からないけれどもね。

 青鞜社の昔の所在地は「駒込林町9番地」、現在の住所は「文京区千駄木5-3」です。

NIKON Df + Ai Nikkor 50mm/F1.4 @Sendagi Bunkyo (c)tsunoken

« 代官山ログロードは動線を変え得るか? | トップページ | 『東京カメラスタイル』という変なスタイルの写真集 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/61458653

この記事へのトラックバック一覧です: 青鞜社発祥の地:

« 代官山ログロードは動線を変え得るか? | トップページ | 『東京カメラスタイル』という変なスタイルの写真集 »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?