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2015年4月22日 (水)

『ザ・トライブ』最高の映画はサイレントだ!

 昨日のブログは、再びなんか変な動きを示していた。1時台76PV、2時台36PV、3時台87PV、4時台120PVって、おかしいでしょ。たまにそんな変な動きをするんだけれども、別に書いたネタの関係でもないような気がするし、まあ、よく分からないですね。

 取り敢えず、PVが増えたのは良いこととして……。今日も始めますか。で、今日は「映画評(映画について勝手なことを書きまくる)」ブログであります。

 ということで、ここからが本来の「ブログ」。

 私たち「健常者」にとってはまったく台詞のない映画。しかし、手話のわかる人にとっては「過剰な台詞」の映画なんだろう。

2 『The Tribe(ザ・トライブ)』(監督:Myroslav Slabopytskiy(ミロスラヴ・スラボシュピッキー)/プロデューサー兼撮影監督:Valentin Vasynovych(ヴァレンチヌ・ヴァシャノヴィッチ))

 映画の舞台はウクライナにある聾唖者専門の全寮制寄宿学校。主人公セルゲイ(Grigoriy Fesenko/グレゴリー・フェセンコ、と言っても彼がセルゲイという名前であることは観客は知らない。当然、「僕はセルゲイ」という自己紹介は手話だからだ)は、入学早々学校を支配するワル集団から暴力の洗礼を受ける。が、そこでそこそこ良い闘いをした結果、そんなワル集団への仲間入りをすることになる。「ザ・トライブ(族)」の誕生だ。

 深夜スーパーで買い物をした人を襲って、酒などを入手したり、深夜のトラック・ターミナルで運転手相手に売春を重ねる彼らは、まさしく「トライブ」そのもので、結束も固い。

 ところが、そんな深夜の売春の最中に、売春を仕切っていた仲間の一人が、バックしてきたトラックに気付かず(彼らは耳が聞こえない)轢かれてしまう辺りから、話の展開が変わってくる。

 売春の仕切りをするようになったセルゲイは、売春をしている二人の女の子の一人、アナ(Yana Novikova/ヤナ・ノヴィコヴァ といっても、こちらもアナという名前であることはわからない)を好きになり、アナとセックスをしたがる。が、アナとしては何か目的があって売春をしている以上、セルゲイとも金を貢がなければセックスはしないのだ。で、セルゲイは寝台列車に人形売りのアルバイトをするフリをしながら、部屋に乗客がいないブースを探して、いざ、乗客のいないブースに忍び込むと乗客の財布を盗むというバイトをしたりして、アナに金を貢ぐのだ。

 ところで、おんぼろのシトロエン・バンを提供してセルゲイたちの売春を手伝うのが、最初は寮の舎監だとばっかり思っていたら、実は職業家庭の教師であることがわかるシーンがあるのだが、まあ、なんともはや廃れきった学校ではあるのだなあ。で、その授業で木槌の作り方を教わったセルゲイは、その自分で作った木槌でその教師を襲い、金を奪い取る。

 で、当然その金もアナに貢いでセックスをすることになるのだ。取り敢えず、何らかの形で(といっても、そのすべては犯罪なのだが)金を手に入れると、アナとのセックスという繰り返しが、しかし、何ともセルゲイの情けなさというか、やり場のなさというものが感じとれる。

 ある日、アナともう一人の売春仲間の女の子は、イタリア大使館に行く。つまり、ここにきて始めてアナたちの売春の目的が分かる。つまり、彼女たちはイタリア行のビザをとりに来たのであった。この物語の時代設定は、多分21世紀に入ってからのものだろうが、まだまだウクライナには渡航の自由はなく、イタリアに行くにもビザが必要だったということが分かる。

 で、実はこのイタリア大使館のシーンだけ、少しだけバックにウクライナ語らしき、人の話し声が聞こえる。とは言っても、それはバックにごく浅く流れているだけだし、聞こえたところでウクライナ語なんて分からないのだから、殆ど無駄だけどね。

 ほとんどが暴力と犯罪が支配する全寮制寄宿聾唖学校という設定は、なんとなく本当にそんな学校があるんだろうか? という感じがする。聾唖学校っていうと、もうちょっとみんなで助け合うようなイメージを持ってしまうのだが、実はそんなことはなくて、普通の学校と同じで、学校によっては悪と暴力が支配する学校があってもおかしくはない、ということなんだろうか。

 で、全編手話。音楽も難聴の人の為なのだろうか、まったくつかっておらず、という映画を観てストーリーが分かるのだろうか? というのが最初の疑問だった。手話もまったく知らないし、ダイアローグ=オーラル・コミュニケーションのまったくない映画である。

 ところが実によくわかるんだなあ。

 実は監督のスラボシュピッキーは、この映画をサイレント映画へのオマージュとして作ったというのだ。

『サイレント映画へのオマージュを表現することは昔からの夢だった。一言も発せられることなく、みんなから理解される映画を作ることが。主人公が静寂を保つ映画ということではない。
 というのは結局のところ、サイレント映画の中でさえ、役者たちは決して物静かにしていたわけではなく、活発にコミュニケーションを取っていた。所作や非常に表現力にとんだボディランゲージで、一言も発することなく、感情や心情を伝えることを実現していた。これがまさしく、私が常に耳が聞こえないもしくは不自由な人たちの日常を、吹替なし、字幕なしで、本物の聾唖者たちと関わって映画を作りたかった理由だ』

 そう、つまり日本におけるサイレント映画=無声映画は「弁士」という解説者がスクリーンの脇に待機して、シーンの説明や一部の台詞などを観客に伝えていた。しかし、欧米ではサイレント映画はまさしくサイレント。弁士のような人はいなかった。せいぜい、いても楽団がいて、シーンに合わせた音楽を奏でていただけだった。

 それでも観客は、シーンを理解し、ストーリーを理解した。

 現代の日本でも、優秀な監督は脚本からできるだけ台詞を減らそうと努力する。観客が画面を見ていなくても理解できるように、できるだけ台詞で状況説明をしようとするテレビの脚本作りとはまったく異なった方向で映画の脚本は作られている。だって、我々の日常生活でそんな状況説明なんて普通しないだろう。会話だって、必要最低限にしか語られないのが我々の日常生活だ。それでも相手の言わんとすることはすべて伝わるし、なんの支障もない。

 小津安二郎の映画の台詞の何と簡素なことよ。それに比べると現代映画の台詞は多すぎて、饒舌で、必要以上に語りすぎる。

 考えてみれば、映画と言う表現形式は、モノクロ、サイレント映画で既に完成していたのかもしれない。それがカラーとなり、音が着くことによって、まさしく表現としては劣化してきたのかも知れない。それをサイレント映画に戻すのではなく、トーキー映画でサイレント映画へのオマージュを捧げるというというアイデアに着目した時、スラボシュピッキーは「聾唖者映画」に行きついたのかも知れない。

 しかし、アナがもぐりの堕胎医にかかるシーンやラストの暴力シーンとか、結構リアリティあがって、思わず体が痛くなるというのも凄いし……。

 全編、ワンシーン・ワンカットで撮影されている手持ち映像は、さすがにドキュメンタリストの撮影監督だけあって、実にこの映画の「不安な気分」を物語っている。

「ザ・トライブ」は渋谷ユーロスペース、新宿シネマカリテ他で公開中。

映画「ザ・トライブ」のオフィシャルサイトはコチラ

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