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2015年4月 3日 (金)

港区・二本榎通り④大石良雄自刃ノ跡

 二本榎通りを伊皿子交差点を過ぎて、本当の二本榎通りになってちょっと行くと、右側に都営住宅としてはかなり立派な建物が見えてきます。

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 アパートの名前は「都営高輪一丁目アパート」といって、都営住宅のシンボルみたいな建物のようです。

 で、その建物の前に何と「大石良雄等自刃ノ跡」という石碑。

Dsc_00522

 何だろうと思って、アパートの庭を入っていくと。

Dsc_00592

「東京都指定旧跡 大石良雄外十六人忠烈の跡」

Dsc_00542

Dsc_00552

 碑文を読むと。

『この地は、赤穂事件で大石内蔵助良雄ら一七人が預けられた肥後熊本藩細川家の下屋敷の一部です。赤穂事件とは、元禄一四年(1701)三月一四日におこった殿中刃傷事件とその翌年一二月一四日夜から一五日にかけての吉良邸討ち入り及びその一連の事件のことをいいます。
 当時の藩主五代綱利は、老中稲葉肥後守からの御預けの命を受けると、大目付仙石伯耆守の屋敷に総勢八七五人の藩士と駕籠を送り引き渡しを受けます。このような大部隊を送ったのは、大藩の威武を示すとともに、上杉家の襲撃を警戒したためといわれています。細川家は、大藩の威厳と識見をもって優遇し、御預四家の中で即日引見したのは細川家だけでした。
 元禄一六年(1703)二月四日午後二時、上使の御目付荒木十左衛門政羽と御使番久永内記信豊から切腹の申渡しを受け、大石内蔵助が一同を代表して「切腹仰せ付けられ候段有り難き仕合に存知奉り候」と礼を述べました。切腹の場所は大書院舞台側、大書院上の間の前庭で、背後に池を背負った位置でした』

 つまり、このすぐ下の高輪の泉岳寺に集結した赤穂浪士一隊は、それぞれの藩邸に分けられて囚われの身となり、ここ細川藩邸に分けられた志士たちの最後の場所が、ここだったんですね。何となく泉岳寺が最期の場所だと思っていたんだけれども、それはお寺のこと、殺生禁止の場所で切腹なんてことはありえない。ということで、泉岳寺(に眠る浅野内匠頭)の傍の細川邸に、一番浅野内匠頭に近かった大石内蔵助他が囚われ、切腹したという訳なのでした。

 碑文には『自刃せる義士左の如し』として17人の名前と享年が書かれています。結構、若い人もいたんだなあ。内蔵助だって享年45歳だもんなあ。

大石内蔵助 良雄 四五
吉田忠左衛門 兼亮 六三
原惣右衛門 元辰 五六
片岡源五衛門 高房 三七
間瀬久太夫 正明 六三
小野寺十内 秀和 六一
間喜兵衛 光延 六九
磯貝十郎左衛門 正久 二五
堀部彌兵衛 金丸 七七
近松助六 行重 二四
富森助左衛門 正因 三四
潮田又之丞 高教 三五
早水藤右衛門 満堯 四〇
赤垣原蔵 重賢 三五
奥田馬子太夫 重盛 五七
矢田五郎右衛門 助武 二九
大石瀬左衛門 信清 二七

 合掌

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm @1 Takanawa, Minato (c)tsunoken

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