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2015年4月16日 (木)

難波田城(公園・資料館)

 4月13日に書いた水子貝塚からほんの2kmほど言った先にあるのが難波田城(公園・資料館/なんばたじょう)なのでした。場所は「富士見市南畑」なので「難波田」らしいっんすけどね。

Dsc_00382

 中には堀や……

Dsc_00392

 昔の木橋なんかも復元されていたり……

Dsc_00432

 土塁も復元されています。

Dsc_00342

「鎌倉時代に村田党金子氏の金子家範の子、高範が当地に与えられ地名を苗字として館を構えたのが始まりと言われている」(Wikipedia)と書かれている通り、多分、野武士の金子家が何かの功を挙げ、その褒美として館の建設を許されたんだろう。で、その地の名前ととって「南畑=難波田」としたと……。

「本来の城=砦」であるならば、こんな新河岸川と荒川に挟まれた低地ではなく、それこそ水子貝塚があったあたりの、高台の上の見通しの良いところに城を築いたはずである。基本的に、鎌倉、安土・桃山時代の城は山城であるし、東京の城も、江戸城を除けば赤塚も、平塚城(上中里・平塚神社)も台地の一番はずれの見通しのよいところにできていた。

Dsc_00282

 ということは、ここ難波田城は戦の為の城ではなくて、ごく普通の居城として建てられたのだということだろう。

 とは言うものの、ちゃんと同心円状に作られた堀や土塁なんかもあって、いかにも城らしく作ってあるのがおかしい。でも、そんなに大きくはない。

Dsc_00302

 で、最大の謎がこの「難波田氏館跡」というのが、この難波田城公園の端っこにあるのだ。ということは、後ろの蒲団を干している家あたりが実は難波田氏の居城の跡なんだろうか。何せ、そちらが曲輪一なんだものなあ。

 だとすると、こちらのお宅。やたらと人が訪ねてきそうで鬱陶しいだろうなあ、大変そう。

Dsc_00062

 で、結局、この難波田城公園で難波田城址よりも存在感を持っているのが、こちらの難波田城跡の隣にある「古民家ゾーン」ってのも、なんかおかしい。いかにも埼玉県(かなあ)。

難波田城公園の公式サイトはコチラ

NIKON D7000 18-105mm @Nanbata Castle Park, Fujimi City (c)tsunoken

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