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2015年3月19日 (木)

『英会話不要論』は本当はそういうことを言ってるんじゃないんだ

 別に行方氏が翻訳者であり、それは行方氏が英語を「読み」「書き」する方の専門家だから『英会話不要論』を述べている訳ではない。

 日本語と言うマイナー言語を母語とする日本人にとっては、現在のグローバル社会の中では英語のオーラル・コミュケーションというのは重要だし、行方氏自身、翻訳者であると同時に英語教育者である以上は、「話し」「聞き」の重要性は承知している。問題は、なぜ日本人は英語のヒヤリング、スピーキングが上手くない、あるいは出来ないのか、ということの原因を充分突き止めずに、文法軽視、リーディング軽視、ライティング軽視で、ヒヤリング重視、スピーキング重視の英語教育をしている問題を述べているのだ。

Photo 『英会話不要論』(行方昭夫著/文春新書/2015年1月20日刊)

 良く言われるのが

『一、アメリカの赤ちゃんは文法を知らずに喋れるじゃないか。
二、CDで英語母語話者が話すのを聞いているだけで喋れるようになった。
三、帰国子女は英語がペラペラで羨ましい。
四、文法や訳読は嫌いだけど、英米人とコミュニケーションをしたい。
五、白鳳は日本語がうまいけど、文法は知らないみたい。あれでいい。』

 ということなど。

 でも、これは全部間違いなのだ。

 あるアメリカの英語学校でのこと。

『各国の国民性の差があって、中南米の人、イタリア人などは、英語の知識が不足していても、最初から陽気で、屈託なくめちゃくちゃな英語を大声で喋るそうです。ドイツ人は母語が英語に近いのと、実直な国民性のせいか、よく出来るのに、慎重に間違いない英語を話そうと努力するそうです』

『この学校にきている日本人は文法、訳読重視の英語教育を受けた人々でした。先生の話では、最初はほとんど口を開かなかったそうです。真面目に黙って、じっと先生やクラスメートの英語を聞いているだけです』

『ある時、印刷物を読ませたところ、日本人は全員、意味を理解したそうです。その点、表情豊かなこともあって、流暢に喋っているような中南米やイタリアの生徒は、未知の単語が多くて、正確に理解できない。こうして数ヵ月のうちに教室での力関係が変化してきて、日本人の英語力への評価が高まったということです』

 基本的な文法や訳読、英作文がちゃんと出来て、実は始めてヒヤリング、スピーキングが出来るということなのだ。

『日本語でも英語でも、子供は成長過程で、まず簡単な日常会話ができる「第一段階」を経て、次に、学校で理科、社会、数学、国語などの教科を理解できる「第二段階」へと進んで行きます』

『小学一年生から中学一年生くらいまでの日本の子供、つまり日本語で「第一段階」に達した子供は、英米で暮らして英語に囲まれていると比較的早く、英語でも「第一段階」に達します。しかし、日本語の「第二段階」に達するための努力を怠っていると、いくら現地で暮らし、友達と自由に喋っていても、英語の「第二段階」に達しないのです』

『たとえ子供が、英語の「第二段階」までうまく到達したとしても、日本語のほうが「第一段階」より進まず、気づいてみたら、子供と両親は日本語でのコミュニケーションが不可能になって、愕然とすることもあるのです』

 1974年に英語教育界で話題になった「平泉・渡部英語教育大論争」というのがあったそうだ。平泉渉氏が外交官経験者の国会議員であり、渡部昇一氏は上智大学教授の言語学者。

 平泉氏の論は別として、渡部氏の考え方は

『渡部氏は、学校での英語教育だけで、すぐに読み書き、話し聞くようになるのは、無理な話だから、少なくとも中学と高校では、五文型、単語、英文和訳、英作文の力といった英語の基礎を身につけることを目標にすれば十分だ、としています。これが潜在力です。潜在力があれば、将来必要に応じて、その基礎を土台としてその上に研鑽をつんで、コミュニケーション能力でもほかの能力でも上乗せできるはず、だと言うのです』

 つまり、「アメリカ人が話す英語を聞いても、何を言っているのか分からない。喋れない」というのは、ヒヤリングやスピーキングの問題ではなくて、基礎的な英語の素養を身に着けていないからである、ということ。日本の学生が英語を「聞けない」「話せない」のは、ヒヤリング、スピーキングが出来ないのではなくて、基礎の英語の勉強をちゃんとしていないからなのだ。

『日本の若者が、英語を勉強しないのは、理由があると思います。英語を知らなくても、困ることがないからです。日常生活はもとより、大学でも大学院の学習や研究においても、英語を知らないからといって、困ることはまずないのです。日本の学者が書いた研究書が充実しているし、そうでない場合は翻訳で用が足ります。この点が、他のアジア諸国との大きな違いです』

 なにせ

『「学校以外ほとんど勉強しない」のは、日本:四五%、米国:一五・四%、中国:八・一%
「授業中よく寝たり、ぼうっとしたりする」のは、日本:七三・三%、米国:四八・五%、中国:二八・八%
「友達と毎日四時間以上電話やメールをする」のは、日本:三〇・七%、米国:一〇・五%、中国:三・六%
「家庭で勉強についてルールがある」のは、日本:二八・九%、米国:五四・七%、中国:七八・五%
 これは高校生についてのものであり、大学生の学校以外の学習時間の国際比較は、ここでは数字はあげませんが、もっとひどいものです』

 ってくらいなもんだからね。

 問題は、英会話なんて「慣れ」ですから、沢山、「聞いたり」「話したり」しているうちに出来てしまうもの。問題は、その基礎である「知っている単語の量」だったり「文法の知識」なのだ。

『日本の小学生が英語を早期に学び出せば、ペラペラに喋れるようになる、とか、あるいは、素晴らしい教材のCDを睡眠中に聞いていれば、いつの間にか喋れるようになる、などというのがどれ程ひどい妄想であるかに、思い至って欲しいと思います』

 というのが結論ですね。

 プロゴルファーの石川遼だって、別にCDを聞いているだけで英語が話せるようになったのではなくて、いろいろ苦労しながらアメリカで生活しているから英語が話せるようになったのであり、要は、たった一人でアメリカに行って、6か月も生活してごらんなさい、誰だって英語はしゃべれるようになるのだ。だって、英語が話せないと生活が出来ないんだもの。当たり前でしょ。

『英会話不要論』(行方昭夫著/文春新書/2015年1月20日刊)

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