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« 中野・鍋屋横丁 | トップページ | 「NIKKEI MESSE 街づくり。店づくり総合展 2015」は店づくりに関係ない人にも有効だぞ »

2015年3月 3日 (火)

『一神教と国家』今日は雛祭りなのでイスラームのお勉強をしよう

 今日は雛祭りなのでまたまたイスラームの話をします、って?????

 訳わかんないなあ。でも、書いてる私もそんなこと書きながら、実は私が書いていることの結論がどこに向かうかは分からないで書いているんです、実は。

Photo_2 『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(内田樹、中田考著/集英社新書/2014年9月30日刊)

 基本的な問題としては、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教が元々同じ宗教だったということへの理解はある。

『通俗的には、ユダヤ教の後にキリスト教が、その後にイスラームが生まれ、イスラームはユダヤ教の『ヘブライ語聖書』(キリスト教徒は『旧約聖書』と呼びます)、キリスト教の『新約聖書』を啓典と認めている、などという説明がされていると思います』

『今日ユダヤ教と言われているものは、ラビ・ユダヤ教と呼ばれるもので、キリスト教とほぼ同時期に並行して成立したものです』

『そしてまたキリスト教も成立当初には後にユダヤ教と呼ばれるようになる宗教と別の宗教という自意識はありませんでした』

 ということへの理解もある。イエスはユダヤ教徒であり、キリスト教の始祖ではない。イエスの生きている間はそれはユダヤ教の一宗派でしかなく、彼の死後、12人の使徒が始めたのがキリスト教なのであることは、私も知っているのだが。

『イスラームは、単純明快な答えを用意しています。神の啓典を授かった者はすべて預言者であり、アダム以来の神の宗教はすべてイスラームです。ユダヤ教の「ユダヤ」は歴史上の固有名詞であり、キリスト教の「キリスト」もイエス・キリストという特定の人物を指す言葉であるのに対して、「イスラーム」だけが「服従」「帰依」を意味する一般名詞であることは、イスラームの普遍主義を端的に示しており、象徴的です』

 というあたりから、ちょっと違和感を覚えてきて、

『すべての預言者の教えはイスラームであり、それが唯一の正しい宗教です』

『あくまでイスラームから見た場合、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの関係は逆転します。イスラームこそが、アダム以来の預言者たちの宗教、オリジナルであり、キリスト教とはイエスの福音を直弟子の後に続く世代が誤って解釈することによって歪曲して創り上げた宗教、ユダヤ教とはモーセの律法をイスラエルの民たちが歪曲、改変を重ねたものをラビたちが集大成したものだということになるのです』

 と、「イスラームだけが正しい宗教です」なーんてこと言っているから、宗教戦争が終わらないのである。つまり、一神教は皆同じ根っこを持っているからこそ、お互いを認めずに戦いを繰り返すのではないか。

 この辺が八百万の神を持つ日本人には理解できない部分であり、何故、お互いにいがみあうのだろうかということなのだ。

 更に言ってしまうと、

『イスラーム圏の国々は殆ど全部そうです。一七世紀ごろにはオスマン帝国が東欧からアラビア半島、西アジア、北アフリカに至る広大な領域を治めていたのですが、一八世紀ごろから列強にジグソーパズルみたいに蚕食されて、二〇世紀初頭には、圏内で独立を保っているのは、弱体化して縮小したオスマン朝とイランのカージャール朝とアラビア半島のサウジアラビアの三国のみになっていました。それらが二度の大戦をはさんで五月雨式に独立して、今のような世界地図になったのです』

 という論は、しかし現在のイスラーム国が主張しているイスラーム圏の復活というのと同じ論であり、また、中田氏が言う「カリフ制の復活」という論も、実はイスラーム国の主張と基本的には同じなのである。

 しかし、歴史は前にしか進まない。過去に戻るというのはあり得ない話なのである。それを過去に戻そうとしているから、世界を相手に戦争をしなければならなくなっているのではないだろうか。

『今世界中の至るところでアメリカの世界戦略がイスラーム集団と激しいフリクション(摩擦)を起こしていますけれど、それはそれぞれの地域での個別的な政治的紛争にたまたまアメリカが巻き込まれて、そのつどなぜかイスラーム集団と対立しているということではないんです。個別的な理由ではなく、もっと根本的な理由でアメリカはイスラームと「不俱戴天」の関係にはまり込んでいる』

『アメリカはどうやって「イスラーム諸国」を破壊するのか、そういう考え方をしてしまう。でも、イスラームの場合は話が反対になる。イスラームは国民国家ではないからです。むしろ、イスラームは国民国家という枠組みとは相性が悪いんです。もともと遊牧民的な集団ですから、クロスボーダーな仕方で連帯している。それがアメリカにとってはいちばん困る点なんです。国境線の内側に収まらない』

 イスラームの考え方(一神教)の考え方のベースにあるのは「遊牧民」の発想であるから、それが「国民国家」の考え方と相容れないというのはよくわかるが、しかし、イスラームでありながら国民国家とつくっている中東国家を「世俗主義」であると批判するのはいかがなものだろうか。というか、世俗主義というのはすべての(他宗教の)国家においても宗教が政治権力と結んでしまったことに対する反省として、政教分離の基本となっているものだ。

 中田氏が言う「カリフ制の復活」というのも、この文脈の中での発言であり、国民国家を否定する考え方なのだが、それは他宗教を受け入れない考え方であり、歴史の発展を否定する考え方でしかないし、それは実現不可能な主張でしかない。

 別に中田氏の考え方をイスラーム国の主張と同じ危険思想だという気はないが、少なくとも歴史の発展を否定して、他宗教を受け入れず、国民国家を否定する考え方をしている限りは、他の人々から受け入れられる考え方ではないということだけははっきりしている。

 世界の殆どの宗教者は他宗教の存在を認めているし、融和しているのである。殆どのイスラームも、他宗教との平和的な共存を望んでいるのだ。

 って、やっぱり雛祭りとは何の関係もないブログになってしまった。

『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(内田樹、中田考著/集英社新書/2014年9月30日刊)既に紙版は絶版なのかなあ。

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