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2015年3月27日 (金)

『神々のたそがれ』は、我が「たそがれ」でもあります

 う~ん、長い(上映時間2時間57分、予告編入れると3時間弱)! シーンが散文的で、それぞれのシーンの繋がりがよく見えないために、飽きてしまう。

 しかし、見ていると、段々見えてくるものがある。

 まあ、それが最近のヨーロッパ映画の特徴なんだけれどもね。

Photo 『神々のたそがれ』(原作:ストルガツキー兄弟「神様はつらい」(ただし、原題の直訳では「神でいることはつらい」)/脚本:アレクセイ・ゲルマン、スヴェトラーナ・カルマリータ/監督:アレクセイ・ゲルマン/プロデューサー:ヴィクトル・イズヴェコフ、ルシャン・ナシプリン/製作:スタジオ・セーヴェル、ロシア第1TVチャンネル)

 設定はSFである。映画はこんなナレーションで始まるのだ。

『地球より800年ほど進化が遅れている別の惑星に、学者30人が派遣された。その惑星にはルネッサンス初期を思わせる城があちこちに建っていたが、「ルネッサンス」は実現しないまま、何かが起こることを怖れるかのように反動化が進んでいた。王国の首都アルカナルではまず大学が破壊され、知識人狩りがおこなわれた。読書家や有能な職人ら知識人のなかには状況がましな隣国イルカンへと逃れた者もいたが、力尽きて倒れた者もいれば処刑された者もいた。彼らの処刑にあたったのは王権守護大臣ドン・レバの分隊で、灰色の服を着た家畜商人や小麦商人からなっていたこの集団は“灰色隊”と呼ばれ、この“灰色隊”によって王の護衛隊は押しのけられていた』

 つまり、この映画の主人公、ドン・ルマータ(レオニード・ヤルモリニク)は、私たちがいるこの時代か、もうちょっとテクノロジーが進んだ未来にいて、そこからこの惑星に派遣された学者の一人なのである。

 ただし、SF的設定はそこまで。ドン・ルマータは、この地球でない惑星において20年間彼が名乗っている偽名なのである。第17代貴族ドン・ルマータは、地域の異教神ゴランの非摘出子であるとされていた。それが、「神でいることはつらい」という台詞に繋がるのであるが、それは物語がもっと進んでから。基本的には、このドン・ルマータが主人公として、このなんともやるせない社会の中で、一つには神として見られており、もう一つは最強の戦士としても見られており、あるいはある種の知識人としても認められている人間として、このアルカナルという都市、そしてその都市をとりまく国家に対してどうやって闘っていくのかという興味なのである。

 問題は「ルネッサンス」なんて、この王国の首都アルカナルにはないということだ。

 むしろ、「暗黒の中世」と言ってもいい、暴力と不潔と汚辱と不道徳と国家権力による不当な支配が渦巻くこの世界で、人びとはどうやって生きているのか、そして、そんな街をどうやって主人公は立て直そうとしているのか、ということである。

 まあ、これがハリウッド映画だったら、チャッチャッとインディアンを掃討するように、近代兵器を駆使して、“灰色隊”を殲滅、国王に政治のやり方を変えるように迫って、アメリカみたいな共和制を自立しておしまいなんだけれども、そうはしないのがヨーロッパ映画ですね。

 だって、アメリカがアジアや中東でやってきた失敗って、すべて上記のようなやり方だったでしょう。要は、自分の国の考え方(共和制)が一番いいんだから、すべての国がそうなればいいんだって、でその結果、アル=カイーダやイスラム国みたいな新たな過激派を生んでしまったりしたんだから。

 で、ドン・ルマータはどうしたっていうと、そのままアルカナルに残って、そのままドン・ルマータとして生活することを選ぶのだ。つまり、未来からやってきた人間として、過去の歴史を変えちゃいけないという「タイム・パラドックス」の原理に忠実に生きようとする。まあ、この辺がアメリカ的楽観主義とロシア的悲観主義の違いでしょうね。

 ドン・ルマータがこれから先、どうなったかは映画を観ていた私たちにも分からないし、作ったアレクセイ・ゲルマンにもわからない。それでいいのだ。

 映画に結末は必要ない。小説にも結末は必要ない。すべてのストーリーに結末は必要ない。「オトシドコロ」が必要なのはブログだけだ……って誰が決めたの?

 いずれにせよ、凄いのはこの監督の執念ですね。

 何しろ、1964年に発表された「神様はつらい」を読んで、自身の監督第一作にしようと目論んでおり、1968年に同小説に基づく脚本第一稿を書き上げていたらしい。だが1968年8月下旬に、チェコスロバキアの自由化政策にたいしてソ連が軍事介入して、指導者を逮捕しモスクワへ連行した、という「プラハの春」の事件があったために、この「神様はつらい」はおクラ(製作中断)になってしまったらしい。

 その後、ペレストロイカを迎えて、「神様はつらい」の映画化が解禁になって、他の監督による映画化もあったんだけれども、やっぱりアエレクセイ・ゲルマンとしては昔の自分の企画を完成させたかったんだろうなあ。

 結局、2000年になって、まさしく構想35年、出資者が見つかって映画は製作を始めるんだけれども、撮影期間が6年って信じられますか? それで、なおかつ編集が5年ですよ。何でそんなにかかっちゃうんだろうな? 単に決断力がなかっただけ? そんなものが「完全主義」って言うのかなあ。なんて、日本風の映画製作を知っている私としては、ちょっと考えてしまうなあ。だって、そんなに時間をかけたら、監督クビですよクビ。日本やアメリカの映画製作期間から考えたら絶対にあり得ない考え方ですね。

 んで、結局、編集終了時には監督アレクセイ・ゲルマンは亡くなってしまって、妻で脚本家のスヴェトラーナ・カルマリータと息子のアレクセイ・ゲルマン・ジニアによってポスト・プロダクションが行われ映画が完成するのだけれども、その完成に監督が同席できないってのもねえ、

 まあ、いずれにせよ基本的にはこの映画のベースとして流れているのは、スターリン体制時のロシアに対する批判なのである。

 基本的には、国民の「蒙を啓らいて民主主義を定着させる」というのが、本来の共和主義の目的なのだけれども、結局、権力者にとっては「国民は蒙」であることの方が都合がいいんでしょうね。で、権力者は「蒙じゃない知識人」とか「権力に逆らう奴」とかを弾圧するわけだ。

 この映画のドン・ルマータはそんな数少ない「蒙じゃない知識人」とか「権力に逆らう奴」として、この中世の世界に生きようとするわけなんだけれども、それが上手くいくのかどうかは映画を観た人にも分からない。

 まあ、それぞれの人たちの、それぞれの生き方に関わる問題として、考えてください、ってことなんだろうな。

 そう、私ももう「たそがれ」の時期に入っているからね。

『神々のたそがれ』は渋谷ユーロスペース他で公開中。公式サイトはコチラ

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