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2015年3月11日 (水)

『ゴーン・ガール』デビッド・フィンチャーのもう一つの結論=衆は愚である

 デビッドフィンチャーか、観たのは「ソーシャル・ネットワーク」以来かな。以前は「セブン」なんて、訳のわからない映画を観て、その分けのわからなさがよかったりしたんだけれどもなあ。

Photo 『ゴーン・ガール(Gone Girl)』(原作・脚本:ギリアン・フリン/監督:デビッドフィンチャー/製作:レスリー・ディクソン、ブルナ・パパンドレア、リース・ウィザースプーン、セアン・チャフィン)

 で、今回の『ゴーン・ガール』も見た目は複雑なお話しなのだ。

 ニューヨークで雑誌のライターをしていたニック・ダン(ベン・アフレック)は、あるパーティーでエイミーと出会う。エイミーは児童文学作家として有名な精神科医の両親を持ち、両親が書いた人気児童文学のシリース「アメイジング・エイミー」のモデルとして自分自身も有名な存在となってしまう。しかし、自身ハーバード大学を卒業して、性格診断クイズのライターもしていたエイミーはニック・ダンと結婚する。

 しかし、ニックとエイミーの夫妻ともども、フリー・ライターという仕事の性格上、これはやむを得ないのだが、失業する。まあ、フリーである以上、これはしょうがないことなのだが、そこがこの夫婦の第一の躓き。

 ニックは失業後、母の看病を理由に出身地であるミズーリ州の小さな町に戻ることになり、当然、そこには一緒にエイミーも赴く。

 まあ、それは仕方のないことなのだけれども、ニューヨークで活躍している自分を想像して生きてきた二人にとってはミズーリの田舎町での生活は耐えられなかったんだろう。更に、その田舎町でニックは双子の妹マーゴ(キャリー・クーン)とバーを経営しており、地元のカレッジで教えていたりはしていたのであるが、そのバーも、ミズーリの街にしては(多分)瀟洒な住家も、エイミーが親から譲り受けた信託証券によって購入したものなのだ。更に、これは後々露わにされるのだが、ニックはカレッジの女子学生(エミリー・ラタコウスキー)とセックスをする関係になっていたのだった。

 つまり、ニックは表面上は自分で生活費を稼いでいたのではあるが、それはエイミーがいたニューヨークでのセレブな生活とは大いに異なる訳で、さらにそんな田舎町ではエイミーが望むような仕事はないし、ニックの稼ぎではたいした生活もできない。ってことで、次第にエイミーのニックに対する評価は下がっていき、結果としてこんな男とはもう結婚生活は続けられない、何か、この男に復讐してやって、私はニューヨークに帰るんだ、って言う風になっていったのかも知れない。

 で、結婚5周年の記念日に、エイミーはニックが自分のことを殺して、どこかに捨ててしまい、ということを装って失踪してしまう。

 と、ここまでが映画の前半。勿論、観客にはこれがエイミーの妄言であることは伝えられていないので、観客は「ニックが嘘をついているんじゃないか」(実際にエイミーを殺しているんじゃないか)という人と、「嘘をついてニックを陥れてるのはエイミーの方じゃないか」(実は、エイミーはどこかで生きている筈だ)という人に分けられることになる。

 で、問題はここから後なんだよなあ。

 当然、この不可解な事件にはアメリカのテレビも飛びついて、ニュース・バラエティやトーク・ショウの格好のマトになるというわけだ。

 ニックがエイミーの失踪を訴えて、その捜索や情報収集をお願いするパーティー(そんなのがアメリカではあるんだ、ということにややビックリ)を取材した番組では、画面に向かってニッコリ笑ったニックに対して、やっぱり「ここで笑えるのは、これはコイツが犯人じゃないか」というようなリアクションがおきたり。

 ニックが浮気をしていた女子学生が、如何にも反省ありありという表情でテレビに出ると、とたんにその女子学生に同情が集まり、世論は(と言っても、それこそが単なる「テレビ世論」なんだけれどもね)ますますニック憎しという風に変わっていってしまう。

 当然、それに対してニック側も反撃するわけで、夫が妻を殺害したケースを専門とする弁護士タナー・ボルト(タイラー・ベリー)を雇い、ニックの世間に対する印象を向上させようと試みる。まあ、そういうことの専門の弁護士がいるっていうだけでもちょっと驚きなんだけれども、この弁護士って、単に法廷だけで戦うんじゃなくて、何とテレビ出演の際の印象付けまでも指示するんですな。

 結果、ニックはトーク番組で、自らの女子学生との不倫も告白し、自分が夫として完璧でなかったことを謝罪し、エイミーが家に帰って来て欲しいと訴えるんですね。その結果、世間の印象は変わり、同時に、エイミーのニックに対する想いも再び芽生えてくるんですね。

 この頃エイミーは、名前を隠して逃走中で、新生活のために持っていたお金を、モーテルで強盗にあってしまう。ので、行くあてもなくなってしまったエイミーは、高校時代の元カレでエイミーが彼に付きまとわれてしまったので接近禁止令を出した裕福なデジー・コリングス(ニール・パトリック・ハリス)のところにころがりこみ、そこで例のニックのテレビ番組を見たってこと。

 で、エイミーはニックの許に戻ることを決心し、デジーから強姦をされてそれに対する自己防衛としてデジーを殺したように装い、ニックの許に戻るのだ。

 ニックの許にもどったエイミーは、警察に盗聴されないように、シャワールームでシャワーを浴びながら、デジーの殺人とニックへの復讐を認める。エイミーはテレビ番組で見た妻の帰宅を歎願するニックこそエイミーが結婚した男であり、これからもそうであって欲しいと言う。ニックはエイミーと別れ、嘘を暴きたいという願う。

 翌日、テレビ番組の収録前にエイミーは精子バンクで溜めていたニックの精子を使って妊娠したことを告白する。怒り心頭のニックはエイミーを打ち据えようとするのだが、そこで思い起こされるのが、自分とマーゴを産んだ母親の言葉だった。つまり、自分たちも生まれる寸前に、父親が不倫をし、母親と別れてから生まれた子供だったのだ。

 なので、テレビ番組ではニックはエイミーと人生を共にすることを決め、夫婦は番組で子供を待ち望んでいる、というところで映画は終わる。

 でも、こんなの嘘ですよね。

 基本的に、エイミーが自分がニックに殺されたように装って失踪した、というのが分かった時点で、ニック側に若干の反省はあったとは思うが、それはその後の捜査の進展の中で、ニックのエイミーに対する愛情はなくなっていたはずだし、最後に、エイミーからニックへの復讐とデジー殺しを打ち明けられたところで、普通なら完全に夫婦関係は壊れている筈。多分、この夫婦、子供が生まれた時点で離婚・親権争いになるでしょうね。

 ってのは、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 それはどうでもよい。

 問題は、アメリカのテレビ・トーク番組っていうか、ニュース・バラエティっていうか、えー何これー、っていう感じの、アメリカ国民の低能さかげんですね。

 だって、完全にテレビ番組で市民のオピニオンが作られているじゃないですか。それも実に浅薄な構造で。

 アメリカの市民の頭の構造って、そんなに簡単に出来ているのかなあ(って、最近のネトウヨ諸君を見ていると、あまり批判できたことじゃないかもしれないけれど)、結局、テレビ番組の誘導によってアメリカ市民の世論ってものが出来るんだったら、これは怖いことですよ。

 アメリカ世論ってそんなものなのか。

 やっぱり、デビッド・フィンチャーが言いたいところはここなんじゃないのかなあ。

「アメリカ国民は衆にして寓である」

 これは、日本国民も心に瞑して聞くべきではありますけれどもね。

『ゴーン・ガール』映画の公式サイトはこちら

『ゴーン・ガール』の総合サイトはこちら

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