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2015年3月

2015年3月31日 (火)

港区・二本榎通りは旧東海道だった

 京浜急行の北品川駅からが東海道品川宿だというのは知っていて、前にも紹介したことがあるが、北品川から八ツ山橋を超えて日本橋へ向かう道筋がわからなかった。ので、いろいろと調べてみると、港区三田三丁目から高輪三丁目へ尾根筋を通る「二本榎通り」が旧東海道(鎌倉往還)だというのが分かった。

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 三田三丁目から二本榎通りに入るとすぐに「聖坂」という坂になっている。

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 ちょっと急な坂道なのだが……

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 途中、ヘンなオブジェのような建物が目に付く。

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 反対側から見るとこんな感じだ。

 岡啓輔という建築家がセルフビルドしているビルなんだが、なんかすごく変な建て方で、なんか壊れかけている感じがする。

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 三田中学の前で坂は終わり、あとは多少のアップダウンはあるものの、比較的平坦な尾根道となる。

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 伊皿子の交差点。右に行けば魚籃坂、左に行けば伊皿子坂で、そこを下りると赤穂浪士が眠る泉岳寺。

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 で、本当はここ伊皿子交差点から先が本当の二本榎通りなのであります。

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 更に行くとレトロな建物として有名な高輪消防署二本榎出張所がある。

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 更に行くと、グランドプリンス新高輪や先日書いた物流博物館の傍で、道は左へ曲がり。

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 柘榴坂を下りると品川駅前に出る。

 駅前を右に曲がって八ツ山橋で左へ曲がると、東海道品川宿だ。

 で、この二本榎通りって、古い道のせいかお寺や面白いものが多く、それらを数回に分けて紹介します。

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm @Mita, Takanawa, Minato (c)tsunoken

2015年3月30日 (月)

魚籃観音は聖母マリア(?)

 港区三田にある魚籃坂の由来は、坂の上にある浄土宗三田山水月院魚籃寺にちなんでいることは皆さんご存知の通り。

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 魚籃寺は本尊が「魚籃観世音菩薩」であることから名付けられたものであるが。

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 門前の六地蔵や……

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 境内の塩地蔵……

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 薬師如来は見られるのだが……

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 肝心の魚籃観音は本堂の中にあって外から見ることはできない。

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 魚籃観音は、頭髪を唐様の髷に結った乙女の姿をした観音像なのだが、竹籠に入れた魚を売りながら仏法を広めたという故事に基づいて造形されたという。

 実は、私はクリスチャンではないが、妻との結婚式をカトリック神田教会で挙げた。当然、異教徒なので、カトリックの教会で式を挙げるためには、何回か勉強会というものに出なければならない。

 で、当時のカトリック神田教会はシプリアーノ佐藤光幸というちょっとファンキーな神父様が司祭を務めていて、この神父様の話を何回か聞いたわけだ。この神父様、街歩きが趣味だそうで、ある日魚籃坂を歩いていて、ここ魚籃寺に赴いたそうで、まあそこは異教徒とは言え宗教者だからなのか、魚籃観音を見せてもらったらしい。

 で、なんとまあ「魚籃観音様は聖母マリアではないだろうか」なんて罰当たりなことを話していた。まあ、カトリックの神父が竹籠に魚を入れた観音様を見て、何となく聖母マリアに見えてしまったものらしいのだが、う~ん、そうなのかなあ。そんなものなのかなあ。

 というだけのお話し。

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm @Mita, Minato (c)tsunoken

2015年3月29日 (日)

『クラウド活用術』から感じたこと、やっぱりMac OS かな

 う~ん、最近悩んでいるのは、基本のOSをWindowsのままでいるのか、Mac OSに戻そうかな、ということなんだ。

 元々はMacユーザーだった私なのだが、会社が1998年に(当然)Windowsになってしまったので、やむなくWindowsにして、次いで家のPCもMacからWindowsに換えてしまってから、ずっとWindoesユーザーなわけだけれども、何かMacに対する郷愁みたいなものがあるんですよね。

Photoあなたの仕事を快適に効率化 最新クラウド活用術』(エイムック/枻出版社/2015年3月24日刊)

 で、『クラウド活用術』を読んでみると、別にMacユーザーでなくてもクラウドを使って仕事をしている人は多くて(当然)、Mac OSかwindows OSかは関係ないってことになる訳ですね。そりゃあ、二重で当然。じゃあ、どんなクラウド術があるのかと言えば。

 クラウドだからこそ便利な「7つのタスク」で見れば

「ギガを超える『大容量データ』を自在に相手に『送れる』」ってのは当然だし、「遠く離れていても『データを共有』『共同作業』がスムーズに」「チャットなやりとりで『コミュニケーション』もすばやく『スムーズ!!』」、「顔を突き合わせる必要なし『カレンダーの共有』で手早く、みんなの予定を調整」「『お金』に関する『面倒な作業』は全部取り込んでクラウドでデータ化」「二度と手に入らない『写真データ』は『クラウドにも保存』にすれば安心」「転ばぬ先の杖、クラウドに『バックアップ』があれば『災害』でも大丈夫」

 とまあ、クラウドの有利点が様々に語られている訳んだけれども、じゃあ、どんなクラウド・サービスがあるのかと言えば。

 有名な順に

「Dropbox」「Evernote」「Google Drive」「iCroud」「OneDrive」ってな感じで並んでいて、その他にインディペンデント系のクラウド・サービスとして、「Box/SugerSync/Bitcasa/サイボウズlive/co-meeting/Ganba!/Wunderlist/Gu-Hacker/Brabo!/Eight/メイシー/すごい名刺管理/Teachme/Freee/misoca/Zohoインボイス/MnoneyForward/MoneyTree/Nozbe/net print/ネットワークプリントサービス/Adobe Creative Cloud」

 なんてのが並んでいる。

 当然、立花岳志氏のように企業人の時にはWindowsだったんだけれども、ノマドのフリーランスになってからはMacという人もいるんだ。

 この本でも、iMacと Mac book AirとiPhoneとiPdodを使っている立花さんは、当然それらの機器の同期のためにはクラウドを使っている訳で、それが基本はEvernoteのようなのだなあ。

Tchibana

 それはいいとしして、基本的にパソコンっていうものは、CPUがあって、メモリーがあって、HDDやSSDなんかの補助記憶装置があって、基本「オール・イン・ワン」の機械なのだ。つまり、それはパソコン1台だけで何でもできるってことですね。それが、ここにきてスマホやタブレットみたいな自分の機械には全然補助記憶装置(HHDやSSD)を持たない疑似パソコンが出来てからは、その入力した(あるいは本人が入力した意識はなくても、実は入力されているライフログみたいなもの)データをどこに置くかと言えば、それがクラウドしかないわけで、それはもうどうしようもない。

 自分のデータがどこか知らないところで管理されているということが嫌いな人は、それはこうしたデータログに接近しない方がいいんだろうけれども、実際に使うと便利ですよ。自分の体のデータが全部「どこかに」残っているのは。自分はそれを見て判断して医者にでも行けばいいってもんですからね。

 で、今私が悩んでいるのは、立花氏のように、昔から今まで使っていたWindowsをいつごろMacに戻すかと言うことなんだよなあ。全然、今回のテーマとは関係ないんだけれども。

 別にWindowsが(今になってしまっては)嫌いではなんだけれども、でも、最初に付き合ったMac OS の方に親近感を覚えてしまうtsunokenです。

 取り敢えず、サイド・マシンのラプトップからMac Bookに替えようかなあ。まあ、ラップトップ・マシンは基本的にサイトの閲覧とか、ブログの書き込みにしか使わないので、別に(Mac⇔Windows)問題は起きないだろう。

 基本は、本体をWindowsからMac OSに変えた時だなあ。

 まあ、その時こそクラウドを使って過去のデータを保存すべき時なんだろうけれども、それがいつくるのか、意外と早めに来るかもしれませんね、

 まあ、別にWindowsが嫌いという訳ではなくて、まあMac Os (と言っても現在のMac OSはLINAXなんだけれどもね)に対する郷愁ってなもんでしょうね。

 それ以外はありません。

 私はスティーブ・ジョブズ信奉者じゃないもんね。

あなたの仕事を快適に効率化 最新クラウド活用術』(エイムック/枻出版社/2015年3月24日刊)

2015年3月28日 (土)

『日本に絶望している人のための政治入門』

 実際にこの本を書店で目にしたのは、多分刊行されてすぐの時点だと思う。ただ、腰巻に書かれた「闘え左翼! 正しい戦場で 共感せよ右翼! 寛容の精神で」っていうのがなんか、かなり「上から目線」でノれなくて買わなかったんだが、まあ少したって見るとちょっとは読んでみようかなという気持ちになって来たんだ。

 文藝春秋社だから基本的には著者も「保守系」なんだけれども、結構面白いねこの人、彼女自身も書いているんだけれども「保守とリベラル」という二項対立に対する違和感を覚えながら、しかし自分を「保守リベラル」という枠組みの中に位置づけているんですね。

Photo 『日本に絶望している人のための政治入門』(三浦瑠璃著/文春新書/2015年2月20日刊)

『現代という時代性の中での重要な対抗軸には、保守とリベラル、生産と分配、グローバルと伝統、同盟と対立、官僚と民主主義、東京と地方、高齢者と若者、男性と女性、などいろいろなものがあるけれど、やぱりそれを貫くホンモノとニセモノがあるのだと思う。ホンモノの保守は、国民の統合とか一体感とかを大切にするはずなのに、自分たちの主張に夢中で多くの国民に違和感を抱かせてこの国に分断を作ってしまっています。ホンモノのリベラルは、真の弱者に寄り添って彼らにこそ自由と自己実現が得られる環境を整備すべきなのに、自分たちの陣地を守ることに汲々とする。それぞれ、立場があってのこととは思うけれど、ホンモノにだけ備わっている、共に苦しむ感覚が足りなくはないかと思ってしまいます』

 というのが出だしの「コンパッションの思想とは」で書いた書き出しである。

 しかし、本来は保守に対するのはリベラル(自由主義)ではなくて革新であるはず。まあ、その辺に三浦氏の論点をズラす意図が見えているんだけれども、もうちょっと見ていこうか。

『高度成長の時代を通じて自民党は拡大するパイの分配と、福祉や環境などのいわゆる左側のテーマをいまく取り込むことで国民政党化しました。また、左派政党が理念闘争を優先して本気で政権奪取を目指さなかった結果として、自民党は自らのイエオロギーとし上の中心線を相当程度左側に傾けることができました。自民党は、国民政党として盤石の地位を得て、諸外国ではもとんど例のない自由で公正な選挙制度の下での一党優位体制を構築することに成功しました』

 2009年の総選挙で勝ったはずの民主党が失敗してしまった原因は、もういくらでもある。三浦氏は『一つ目は、経験不足から当地利権との闘いで空回りしてしまったこと』と『二つ目は、そもそも、地方自治に根付いたしっかりとした経済利権(全国規模の保守系の地方組織)を築き上げることができなかったことです』というのだが、もうひとつは官僚の使い方が分かっていなかったということでしょう。

 官僚なんて、その時の政権の言うことに従うだけの存在なんだから、そこでうまく官僚を使いこなしての政治家なんだけれども、それができなかったというのが、民主党の官僚使いこなし術の失敗だったんだろうな。というか、当時の民主党は官僚と対決しようとしてしまった。その辺がおかしいところで、官僚なんて「使い倒してなんぼ」なんだから、どんどん、官僚の言ってくることを壊して壊して行ってもいいんだけれども、それをせずに官僚の言うことを半分聞きながら、半分無視してっていう感じで、官僚の言うことを信じていたんだよなあ。

 なので、基本的にはこの三浦氏の言う「官僚の言葉は信じるな」というのには賛成なんだけれども、だからと言って、安倍政権の言うことには100%賛成って言う訳にはいかないんだよなあ。

 今日は、ちょっと酔っぱらっちゃたんで、これでおしまい。

 また、この本のエントリーがあれば、書きます。

 ごめんね。

『日本に絶望している人のための政治入門』(三浦瑠璃著/文春新書/2015年2月20日刊)

2015年3月27日 (金)

『神々のたそがれ』は、我が「たそがれ」でもあります

 う~ん、長い(上映時間2時間57分、予告編入れると3時間弱)! シーンが散文的で、それぞれのシーンの繋がりがよく見えないために、飽きてしまう。

 しかし、見ていると、段々見えてくるものがある。

 まあ、それが最近のヨーロッパ映画の特徴なんだけれどもね。

Photo 『神々のたそがれ』(原作:ストルガツキー兄弟「神様はつらい」(ただし、原題の直訳では「神でいることはつらい」)/脚本:アレクセイ・ゲルマン、スヴェトラーナ・カルマリータ/監督:アレクセイ・ゲルマン/プロデューサー:ヴィクトル・イズヴェコフ、ルシャン・ナシプリン/製作:スタジオ・セーヴェル、ロシア第1TVチャンネル)

 設定はSFである。映画はこんなナレーションで始まるのだ。

『地球より800年ほど進化が遅れている別の惑星に、学者30人が派遣された。その惑星にはルネッサンス初期を思わせる城があちこちに建っていたが、「ルネッサンス」は実現しないまま、何かが起こることを怖れるかのように反動化が進んでいた。王国の首都アルカナルではまず大学が破壊され、知識人狩りがおこなわれた。読書家や有能な職人ら知識人のなかには状況がましな隣国イルカンへと逃れた者もいたが、力尽きて倒れた者もいれば処刑された者もいた。彼らの処刑にあたったのは王権守護大臣ドン・レバの分隊で、灰色の服を着た家畜商人や小麦商人からなっていたこの集団は“灰色隊”と呼ばれ、この“灰色隊”によって王の護衛隊は押しのけられていた』

 つまり、この映画の主人公、ドン・ルマータ(レオニード・ヤルモリニク)は、私たちがいるこの時代か、もうちょっとテクノロジーが進んだ未来にいて、そこからこの惑星に派遣された学者の一人なのである。

 ただし、SF的設定はそこまで。ドン・ルマータは、この地球でない惑星において20年間彼が名乗っている偽名なのである。第17代貴族ドン・ルマータは、地域の異教神ゴランの非摘出子であるとされていた。それが、「神でいることはつらい」という台詞に繋がるのであるが、それは物語がもっと進んでから。基本的には、このドン・ルマータが主人公として、このなんともやるせない社会の中で、一つには神として見られており、もう一つは最強の戦士としても見られており、あるいはある種の知識人としても認められている人間として、このアルカナルという都市、そしてその都市をとりまく国家に対してどうやって闘っていくのかという興味なのである。

 問題は「ルネッサンス」なんて、この王国の首都アルカナルにはないということだ。

 むしろ、「暗黒の中世」と言ってもいい、暴力と不潔と汚辱と不道徳と国家権力による不当な支配が渦巻くこの世界で、人びとはどうやって生きているのか、そして、そんな街をどうやって主人公は立て直そうとしているのか、ということである。

 まあ、これがハリウッド映画だったら、チャッチャッとインディアンを掃討するように、近代兵器を駆使して、“灰色隊”を殲滅、国王に政治のやり方を変えるように迫って、アメリカみたいな共和制を自立しておしまいなんだけれども、そうはしないのがヨーロッパ映画ですね。

 だって、アメリカがアジアや中東でやってきた失敗って、すべて上記のようなやり方だったでしょう。要は、自分の国の考え方(共和制)が一番いいんだから、すべての国がそうなればいいんだって、でその結果、アル=カイーダやイスラム国みたいな新たな過激派を生んでしまったりしたんだから。

 で、ドン・ルマータはどうしたっていうと、そのままアルカナルに残って、そのままドン・ルマータとして生活することを選ぶのだ。つまり、未来からやってきた人間として、過去の歴史を変えちゃいけないという「タイム・パラドックス」の原理に忠実に生きようとする。まあ、この辺がアメリカ的楽観主義とロシア的悲観主義の違いでしょうね。

 ドン・ルマータがこれから先、どうなったかは映画を観ていた私たちにも分からないし、作ったアレクセイ・ゲルマンにもわからない。それでいいのだ。

 映画に結末は必要ない。小説にも結末は必要ない。すべてのストーリーに結末は必要ない。「オトシドコロ」が必要なのはブログだけだ……って誰が決めたの?

 いずれにせよ、凄いのはこの監督の執念ですね。

 何しろ、1964年に発表された「神様はつらい」を読んで、自身の監督第一作にしようと目論んでおり、1968年に同小説に基づく脚本第一稿を書き上げていたらしい。だが1968年8月下旬に、チェコスロバキアの自由化政策にたいしてソ連が軍事介入して、指導者を逮捕しモスクワへ連行した、という「プラハの春」の事件があったために、この「神様はつらい」はおクラ(製作中断)になってしまったらしい。

 その後、ペレストロイカを迎えて、「神様はつらい」の映画化が解禁になって、他の監督による映画化もあったんだけれども、やっぱりアエレクセイ・ゲルマンとしては昔の自分の企画を完成させたかったんだろうなあ。

 結局、2000年になって、まさしく構想35年、出資者が見つかって映画は製作を始めるんだけれども、撮影期間が6年って信じられますか? それで、なおかつ編集が5年ですよ。何でそんなにかかっちゃうんだろうな? 単に決断力がなかっただけ? そんなものが「完全主義」って言うのかなあ。なんて、日本風の映画製作を知っている私としては、ちょっと考えてしまうなあ。だって、そんなに時間をかけたら、監督クビですよクビ。日本やアメリカの映画製作期間から考えたら絶対にあり得ない考え方ですね。

 んで、結局、編集終了時には監督アレクセイ・ゲルマンは亡くなってしまって、妻で脚本家のスヴェトラーナ・カルマリータと息子のアレクセイ・ゲルマン・ジニアによってポスト・プロダクションが行われ映画が完成するのだけれども、その完成に監督が同席できないってのもねえ、

 まあ、いずれにせよ基本的にはこの映画のベースとして流れているのは、スターリン体制時のロシアに対する批判なのである。

 基本的には、国民の「蒙を啓らいて民主主義を定着させる」というのが、本来の共和主義の目的なのだけれども、結局、権力者にとっては「国民は蒙」であることの方が都合がいいんでしょうね。で、権力者は「蒙じゃない知識人」とか「権力に逆らう奴」とかを弾圧するわけだ。

 この映画のドン・ルマータはそんな数少ない「蒙じゃない知識人」とか「権力に逆らう奴」として、この中世の世界に生きようとするわけなんだけれども、それが上手くいくのかどうかは映画を観た人にも分からない。

 まあ、それぞれの人たちの、それぞれの生き方に関わる問題として、考えてください、ってことなんだろうな。

 そう、私ももう「たそがれ」の時期に入っているからね。

『神々のたそがれ』は渋谷ユーロスペース他で公開中。公式サイトはコチラ

2015年3月26日 (木)

『本社はわかってくれない』

 中国における人件費の高騰や反日デモなどのいわゆるチャイナ・リスクを嫌って、更に人件費が低く、これからの市場を狙っての東南アジアへの日本のメーカーの進出が盛んだ。

 当然、そこでは「先進国」日本とは異なった感覚で生活している、現地の人たちがいるわけで、それぞれの国の「国情」というものに日本の本社は理解を示さなければ本当の海外進出とは言えないのだが、あまりにも異なった国情というものをなかなか理解してくれない本社と現地の人たちの狭間で苦労している現地駐在員のお話しなんだが、何故かあまり深刻にならないのが面白い。

Photo 『本社はわかってくれない 東南アジア駐在員はつらいよ』(下川裕治編・水谷竹秀(フィリピン担当)、諸星蘭(マレーシア、東ティモール担当)、西村清志郎(カンボジア担当)、室橋裕和(タイ、ミャンマー担当)、森卓(ラオス担当)著/講談社現代新書/2015年3月20日刊)

 エピソード集なので、特に基本的なテーマがある訳ではない。なので取り敢えず目次を紹介して、内容紹介に代えます。

1 すぐ休む人々
 スコールだと遅刻は当たり前/暇だから家に帰る/「今日は雨なので会社には行けません」

2 働かない人々
 社内バスケットボール大会に三カ月/外国人にするかマレーシア人にするか/自宅を新築するので会社を辞めます/遅刻してはいけないとは知りませんでした

3 会社を私物化する人々
 会社の車は自分用/冷蔵庫の中のものはみんなのもの?/癒着がバレても悪びれない/象耳魚一匹分の着服

4 身勝手な人々
 ひとりで寝られない人々/不思議な求職者たち/現地化する日本人/同じフロアの別会社に転職/人前で叱ってはいけない/出張に行かない理由/オフィスビルになるはずか突然ホテルへ

5 会社のカネを使い込む人々
 「袖の下」をピンハネ?/公安警察と癒着するスタッフ/平気で盗む人々/平気で横領する人々/社内ローン制度を悪用/会社のベテラン運転手が突然強盗に/出張費は小遣い?

6 すぐに訴える人々
 ホステスとのトラブルから悪事が発覚/クビにすると会社が負ける/プライド高き人々

7 役人な人々
 書類審査も人次第/盗難届だと時間がかかる理由/屋台を開いた郵便局員/月々の税務申告のたびに袖の下

8 宗教で生きる人々
 ラマダン/釣りは罪深い/出家休暇

9 才能ある人々
 仕事のできるオカマたち/凄腕ドライバー/カンボジアで運転免許を取る

10 不運に見舞われた人々
 十年早かった/交通事故だと治療できない/洪水保険/知らぬ間に移動した建物/浮気と包丁

11 日本を持ち込む人々
 タイの子育て/時代遅れの社則/ライバル社と女

 一番最後の11だけは東南アジア事情ではなくて、そこにおける日本及び日本人の変な特徴とでも言うべきもので、10までの日本人が見た「変な東南アジア」ではない。

 しかし、それぞれのエピソードに共通する「俗人的な役人のあり方」だって、江戸時代までの日本はまったくそうだった訳だし、それぞれの国の人たちの生活というのも、それぞれの国のあり方としてあるもので、それらをして「遅れている」と考えるのは、やはり日本及び日本人の「驕り高ぶり」だとしか言えないだろう。

『日系企業が持っている風土が、東南アジアの人々と出合っていくとき、どうしても摩擦が生まれる。ときにその不協和音は熱を帯びている。それはどの国に進出しても起きることだ。しかし東南アジアのその種のトラブルは、現地の人々の気質や倫理観、労働観を浮き彫りにしていた。なかには深刻なものもあったが、多くは東南アジアの風に吹かれて、どこか、「クスッ」笑ってしまうような話が多かった。東南アジアという土地で起こることは、なぜか気が抜けてしまうような結末に向かっていくものらしい』

 と言う通り、上の目次にあるエピソードの数々は、なんか微笑ましいものが多く、如何にも東南アジアという感じのエピソードが多い。

 で、実は日本の大企業の本社だったら、現在はそんな東南アジアの実情を理解しており、「東南アジア駐在員はつらいよ」的な感覚もなくなってきてはいる。むしろ、そんな大企業の子会社やサプライヤーの中小企業が、結局、親会社の事情で東南アジアに進出しなければならなくなり、あまり現地事情を調べずに進出してしまい、結局、それらの特殊事情を理解しないままになっている、というのが実情ではないだろうか。

 結局、それは親会社の責任でもあるが、一方、親会社の言うことには唯々諾々と従わなければならない子会社やサプライヤー自身の責任でもある。日本国内の移動ならあまり問題にならないことが、海外に進出するということになれば、当然大きな問題になったりするもんだ。

 まあ、いずれは日本の本社も理解を示すことになるだろうが、まあ、それまでは現地駐在員の板挟み状態はなくならないだろうな。

 まあ、仕方がないですね。

『本社はわかってくれない 東南アジア駐在員はつらいよ』(下川裕治編・水谷竹秀(フィリピン担当)、諸星蘭(マレーシア、東ティモール担当)、西村清志郎(カンボジア担当)、室橋裕和(タイ、ミャンマー担当)、森卓(ラオス担当)著/講談社現代新書/2015年3月20日刊)まだKindle版は出ていないようだ。

2015年3月25日 (水)

『イミテーション・ゲーム』というよりは「チューリング・マシン」が面白い

 コンピュータの発展に尽くした「二人のアラン」と言えば、このアラン・チューリングと、パーソナルコンピュータの概念を明らかにしたアラン・ケイなんだが、アラン・チューリングは理論の人だと思っていたのに、こんなマシンを作っていたのは知らなかった。

 昔の人はソフトウェアにもハードウェアにも強かったのかな。

2 『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者(The IMITATION GAME)』(原作:アンドルー・ホッジス/監督:モルテン・ティルドゥム/脚本・製作:グレアム・ムーア)

 チューリング・マシンというのは理論的なものでしかないのだから、アラン・チューリングは理論の人だとばっかり思っていたのだが。

 映画で「クリストファー」と言う名前で呼ばれるこの機械式計算機の本当の名前は「Bombe」という。英語版のウィキペディアのこのBombeの解説が載っている。

『Bombeは電気機械式装置で、第二次世界大戦を通じてドイツのEnigma-machineが暗号化した秘密のメッセージを解読するためにイギリスの暗号学者が使ったもの。後にアメリカ海軍と陸軍が同じような機能スペックを持ったマシンを製作したが、イギリスのBombeとは機械的に異なったもの。

 最初のBombeのデザインは1939年にブレッチリー・パークにあるUK Government Code and Cypher School (イギリス政府暗号学校)でアラン・チューリングによってなされた。エンジニアリング・デザインと組み立てはBritish Tabulating Machine Company (イギリス作表機械製造会社)のハロルド・キーンによって行われた。その装置の主要な開発は1938年にポーランドのCipher Bireau (暗号局)で暗号学者のマリアン・レジェウスキーによって行われ、「cryptologic bomb (暗号解読bomb)」として知られていた。

 bombeはドイツの様々な軍事ネットワークが毎日セッティングを変えるEnigma-machineを発見するようにデザインされている。つまり、ローターのセットが機械の中にそれぞれの役割を持って使われている。メッセージがスタートすると―メッセージ・キーという―配線盤上の配線の一つのローターのコアがスタート・ポジションにつく』

 って解説じゃ何ともよくわからない。同じ項目にはブレッチリ・パーク博物館でリビルドされたbombeの写真が載っていて、「おお、映画で見たのと同じだ」ってなるんだけれども

『それぞれの回転するドラムはEnigmaのローターの動きをシミュレートする。それは36のEnigmaに相当し、真ん中下の右手側に三つの指示ドラムがある』

 と書かれていて、これまたそれがどうやって暗号を解読するのかは素人には全く分からない。要は、人力ローター式のEnigmaに対抗して、ローターの数をとてつもなく多くして、それを電気で動かすようにしたのがbombeって理解でいいのかしら。つまり、Enigmaに対抗するにはEnigmaとは違うマシンではなくて、Enigmaと同じマシンでスペックだけは大きなものを作ればいいっていう、如何にもアングロ・サクソン的発想。

 まあ、そんなことは分からなくても映画は楽しめるからいいのか。

 しかし、その中の台詞で「電気脳(Electric Brain)、あるいは電子計算機(Digital Computer)」っていうのがあるんだけれども、いまから75年も前に「デジタル・コンピュータ」てな言葉があったのかなあ。まだ「electronic calculator(電子式計算機=電卓)」もなかった時代なんだけれども、アラン・チューリングの頭の中には既にして、現在のコンピュータの概念が存在していたんだろうか。まあ、天才ですからそんなこともあったのかな。

 で、結局アラン・チューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)らはひょんなきっかけでEnigmaの暗号を解読する。もはや大西洋上のUボートの場所なんかは完璧に分かってしまっている。最早、Uボートを怖がる必要はないし、むしろ空からの攻撃でUボート部隊は全滅にできる。これでイギリス軍、大勝利! って話にはならないんだなあ。

 つまり、暗号を解読した結果、イギリス軍の動きが変わってしまうと、ドイツにイギリスが暗号を解読に成功したことがバレてしまい、となれば当然ドイツは新たな暗号を作成して、またまたイギリスが困ってしまう、という堂々巡りになってしまうことを怖れたアラン・チューリングはドイツの暗号解読に成功したことは隠しておくことにする。

 まあ、その辺は非情と言うか、戦争をやっているのだから非情になるのは当然と言うか、お前はイギリス軍人がどんなに死んでもいいって言うのか、いやいやそれでもドイツの動きが事前に分かれば、それに対応したイギリス側の動きも予定できる訳で、それをドイツ側に悟られないように実行する作戦を立てれば、最低限度の被害で済むっていう考え方もあるし、そんなことを考えながら見ているが、実際には「非情な決断」だけが表面には出てくる。

 つまり、それだけイギリスにとってはドイツ空軍の空爆が恐怖だったんだろう。ドイツ空軍によるイギリス空爆は1940年9月7日から1941年5月10日まで続いたという。更に、その後は1944年になって飛行爆弾V1、ミサイルV2による攻撃。まず、遠いドイツからイギリス全土に空爆を仕掛けて、それでなおかつドイツに帰着するという、(当時の)先進メカニズムへの恐怖。(Uボート)による潜水艦攻撃と言う不気味さへの恐怖。同時に、世界に冠たる大英帝国のプライドをへし折られることの恐怖。もしかして、これがイギリス史上最初の敗戦になるのかも知れないという恐怖(そう、イギリスは開国いらい現在に至るまで一度も敗戦を経験していない世界でも珍しい国なのだ)。

 そうした様々な恐怖が重なって、イギリスは「非情な決断」を行っていく。

 しかし、当時の10万ポンドが現在の貨幣価値でいかほどのものかは分からないが、まあ、大きい金額だったんでしょうね。「戦時にそんな金額は出せない」なんて小役人である中佐が言うんだから。

 しかし、昔も現在も「兵器」に関連するものには一番予算を割いてきたのがアングロ・サクソン。暗号解読機は立派な兵器だ。デジタル・コンピュータだってICBMで如何にソ連の各都市に正確に命中させるかと言う目的のために、ICBMの弾道計算を素早く行うために作ったものだし、インターネットだって軍事ネットワークを如何に分散攻撃から守ろうかという発想で作ったものだ。

 なので、結局当時のチャーチル首相の認めるところとなり、アラン・チューリングらの活動は小役人である陸軍中佐の下にいながら、実は情報相傘下のMI6傘下に入ることになる。MI6てあの007の所属する部局でしょ。すごいね、引きこもりの、同性愛者の(あっ、言っちゃった!)、アスペルガー症候群のアラン・チューリングが今や最高の国家機密事項に入っちゃたんだからなあ。

 で、結局、第二次世界大戦におけるイギリス軍勝利を2年早めたと評価されるにいたる。が、結局は国家機密事項なので、アラン・チューリングの功績は国家としては認めず、単なるデジタル・コンピュータ登場以前のコンピュータ・オタクの変わり者の同性愛者として、結局、青酸カリ自殺をしてしまうんだなあ。ただし、その青酸カリ自殺説っていうのも怪しいもんで、口封じのために殺されたって言う説もあるらしい。

 まあ、暗号解読っていうのも、一種のスパイ活動の片棒を担いだわけなのだから、スパイ世界ののお約束というわけでもないだろうけれども、要は、闇から闇へと葬るっていうことなんだろう。

 戦争と言う時代に翻弄された人生なんだろうけれども、そんな時代に生きていなければ、それこそアラン・ケイにもなれた人物なんですよね。未来のコンピュータ(当然、デジタル)の出現を予測して、いろいろなことが出来たかもしれない。もうちょっと生きてれば、同性愛者だって堂々と生きることができる時代が訪れたのに……、って言ったって、結局は死んじゃったらおしまいですね、人間は。

 アラン・チューリング、現在でも生きていれば103歳。もしかしたら生きているかもしれない年齢だ。

『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』の公式サイトはコチラ

2015年3月24日 (火)

『2035年の世界』なんて想像もしたくない未来だ

「ハイパーメディア・クリエイター」だった高城剛氏がいつの間にか「未来学者」みたいになってしまったんだなあ。

『2035年の世界』なんて、今から想像したって面白くない、というか想像も出来ない状況なのだが、そうか、そうなのか、と信じてみても、実際にそうなるのかどうかは分からない。分かるのは、現在のテクノロジーの延長でしか考えられない、凡人のアタマなのである。

2035 『2035年の世界』(高城剛著/PHP研究所/2014年10月16日刊)

 例えば

『BAN(Body Area Network:引用者注)とは、自分の身体に関する情報ネットワークのことだ。まず必要なのは、センサーがついた極小デバイスだ。これを体内に埋め込んで、心拍数や血圧、体温、発汗の程度などを計測する。計測された生体情報は、通信機能によってリアルタイムで外部の医師やパーソナルトレーナーに送られる』

『リストデバイスから体内埋め込みデバイスに進化した後は、薬事ロボットとの連携になる。たとえば体内埋め込みデバイスで血糖値の上昇を感知すれば、体内に常駐している薬事ロボットに指令がいって、自動的にインシュリンの注射を打ってくれる。いわば、体内にかかりつけのミニドクターがいるようなものだ。勝手に診察して、勝手に治療までやってくれるのだから、これほど楽なことはない』

『世界各国でカプセル内視鏡の研究が行われているが、日本はこの分野のトップグループで、現在はリモコンによって自由に体内で向きを変えるタイプも開発されている。体内で働くのだから、まさしくロボットだ。  
 カプセル内視鏡は診察のためのロボットだが、次は治療のためのロボットの登場である』

 というあたりまでは、私のアタマでも理解できる。現在でもリストデバイスからいろいろなデータを、そのリストデバイスを作ったメーカーに毎日送ってライフログを作っているような状態で、それがますます進展していけば、そのビッグデータを用いた薬事ロボットにまで発展することは理解できる。

 また

『なんでも遺伝子から考える時代になると、最終的に「デザイナーズベイビー」に行きつくだろう』

 というのもあるかもしれない。問題はモラルの問題だけだ。

『一つめが技術のハードルだ。どんなにすばらしいアイデアも、技術の裏づけがなければ実現できない。二つめのハードルはコストだ。今度は技術的に可能でも、赤字になるような新製品や新サービスは社会に出せない。そして三つめのハードルが、人間の未知のテクノロジーに対する生理の問題である』

 なんていうのは、簡単に越えてしまいそうである。

『MEMS(マイクロ・エレクトロ・メカニカル・システム)の進化だ。MEMSは、機械や電子回路、センサーなどを集積した極小のデバイスのこと。これがより小型化・高度化すれば、脳の中に埋め込んで、脳の中で起きている反応を記録したり、それを通信機能で外に伝えることができるようになる。すなわち「ライフレコーダー」である』

 なんてことになると、それが本当に自分で考えたことなのか、外から命令されたことなのかすら分からなくなって、まさしく脳ハッカーなんてことにも考えが及んでしまう。「ゴースト」の存在を感じさせてしまう『攻殻機動隊』の世界ですね。

 果たして私は草薙素子なのか、草薙素子が私なのか、なんてね。

『未来に残る職業としてマインドセラピストがあげられていたが、皮肉ながらも正しい未来像だろう。ロボットに職を奪われた人たちが、次々と精神疾患になり、本来はセラピストすらもロボットのほうが優秀な可能性が高いが「嫌ロボ」の人たちに限っては、人がセラピーを施すしかないからだ』

『21世紀後半には、精神世界に精通したセラピストや宗教家が、子どもたちの人気職業になっているだろう』

 ということになると、ますます人間は精神世界の方へのめり込んでいくのだろうか。まあ、そんな未来は決して明るい未来ではないのだがなあ。

『この時代に生きる多くの者は、便利さや合理性を長い間追求し続けてきたが、先に進むほどに疲弊してきた感が否めない。多くの者は、急激に変わる社会に心身がついていかず、社会も自分の未来も見通せないほどに疲弊している。もし便利さや合理性の追求の先に幸せがないのだとしたら、どこを目指せばいいのか。そうした根源的な問いが、いまの神秘性追求の動きの根幹にあり、この動きは今後ますます拡大を続けるだろう』

『世紀は宗教の時代になるのだろうが、人々がよりどころにするのは既存の宗教にかぎらない。世間の注目を集めるのは、むしろ新しい「ケーブルカルト」に代表されるニューウェーブな宗教だろう』

『現時点でも教祖が架空キャラの新興宗教が成立しているのだから、今後は初音ミクのようなデジタルなキャラや、かわいらしくデザインされたゆるキャラ、萌えキャラを教祖にした新興宗教も出てくるかもしれない』

 なんてことになったら、ますます息苦しい世界になってしまって、面白くないなあ。

 等々、基本的には「SECTION 1 身体科学」と「SECTION 2 科学」からだけの引用で書いてしまったが、その他、「移動」「スタイル」「リスク」「政治」「経済」「環境」という様々なジャンルについて高城氏は書いている訳だけれども、それらすべてが高城氏が世界を移動しながら検証してきたものの集大成だというのだ。

 なんか凄いことになっているなあ。

 と言っても、所詮「未来予想」なんて「当たるも八卦当たらぬも八卦」なんだけれどもね。

 だって、それを予想したからって、どうなるって言う訳でもないでしょ。今を粛々と生きて行くのが、我々なんだからね。

『2035年の世界』(高城剛著/PHP研究所/2014年10月16日刊)

2015年3月23日 (月)

浮間舟渡にあるスゴいモノ

 浮間舟渡駅の北口前には、元々荒川の一部だった浮間ケ池を中心にした浮間公園という有名な公園があります。

 が、北口をでて駅の反対側に出ると、もう一つの公園があります。

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 新河岸東公園というのがその公園。

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 こんなスロープを上がっていくと公園があります。

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 なかはこんな芝生の広場と、テニスコート、フットサルコート、サッカー場、野球場なんかもあって、かなり広い。

 って書いているんだけれども、問題はそんな公園のことじゃないでしょ、ってバレてますかね。

 そう、この公園の下には、東京都下水道局浮間水再生センターっていう、下水道を再生させて川に流す工場があるのです。

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 2月23日のブログ「東京周縁部を往く・新河岸川逍遥②」で「平成橋、長後さくら橋まで至ると、東京都下水道局が今建設中の太陽光発電所がある。なんでも下水道局で使う電気を作る発電所のようだ。出来上がったら、またこよう」と書いた、太陽光発電所が出来上がったので、見に来たのでした。

 2月23日はまだこんな感じだったのが。

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 現在は完成して、こんな感じになっている。

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 それにしても水処理施設用に「発電電力 最大出力 500KW/太陽電池パネル 250W×2016枚」、主ポンプ棟用に「発電電力 最大出力 50KW/太陽電池パネル 250W×210枚」ってすごいパワーだなあ。

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 私が住んでいるマンションにも太陽電池パネルはあるんだが、3枚なので、発電量はわずか750Wくらい?

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 共用部分の電燈の一部を賄っている程度しかないのが現状。

 まあ、太陽光発電なんてそんなものなのだろうな。

 いやあ、しかしこれだけ壮大な太陽光発電所を見ると、思わず唸っちゃいますね。

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm @Ukima Funado (c)tsunoken

2015年3月22日 (日)

「物流博物館」って、何だ?

 品川駅を下りて高輪口を出て、ウィング高輪とシナガワ・グース(旧ホテル・パシフィック東京)の間にある柘榴坂(ざくろさか)を上がって、上がりきったところにあるカトリック高輪教会の裏に「物流博物館」がある。

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「物流博物館」って何だ? って、思うでしょ。そりゃそうですね。

 なんでも、元々は日本最大の物流会社、日本通運の本社内に設立された「通運資料室」を元にして、現在は公益社団法人利用運送振興会が運営を行って、要は物量事業や「運ぶ」という事業に理解を深めて行ってもらおうという博物館活動を行っている、ということなのだそうです。

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 館内は、まず1階に「物流の歴史」という展示があって……

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 江戸時代の物流、つまり問屋場のありかた何かを説明している展示があります。

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 さらに、明治期に至って、鉄道が敷設されると、当然、鉄道を利用した物流があるわけで、そんな際に必要になった「貨物駅」の展示があるわけですね。

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 その他、江戸時代の物流なんて展示を見ていたら。

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 おお、ありました! 最初の頃の「○通」の法被と前掛け。さすがに「腐っても日通」ですね。

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 ワンフロア下がって地下1階にいくと、「現代の物流」と言う展示です。

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 ここには、現代の物流の4大方法である「陸上輸送」「鉄道輸送」「海上輸送」「航空輸送」の四つの輸送の状況や、ジオラマがあって、具体的にどんな輸送があるのかが分かるようになっています。

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 まあ、あまり興味はないでしょうが、東京にはこんな博物館(上野だけじゃないよ)もあるんだってことで、多少は興味を持っていただければと思って、書きました。

 いやいやいや、東京には「目黒寄生虫館」ってのもありますぜ。こんなの聞いた事もないでしょ、ってのはまた別の機会にやります。

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm @Takanawa Minato (c)tsunoken

2015年3月21日 (土)

川越城本丸御殿

 川越と言えば「時の鐘、蔵の街」で有名で、平日でも人出で賑わっていますが、そこからちょっと先の「川越城」まで行く人は少ないようです。

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 蔵の街の「札の辻」を本川越駅を背にして右折し、川越市役所を越えてなおも行くと、途中に川越城を築城した太田道灌にちなんだ「道灌まんじゅう」なんてお店があるので、その前を通り過ぎると……。

 川越城本丸御殿があります。

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 御殿の正面。

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 ちょっと角度をつけて見るとこんな感じ。かなり大きい。

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 中にも入れて、いろいろな展示を楽しむことができます。

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 川越城の平面図。現在は堀は埋め立てられていますが、川越城の端っこに位置するのが現在の市役所。と、見るとかなりの広さがあるのが分かります。

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 城の周囲には「中ノ門堀」なんてのが復元されています。

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 かなり深い堀なんだが、空堀だった様子がわかります。

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 中ノ門堀の反対側には「富士見櫓」があります。現在は木々に覆われてしまっていますが、往時はこの山の上に櫓が立っていたそうです。

 川越城は平城なので、こうした櫓を立てて周囲を見渡したんだなあ。

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 富士見櫓のすぐ下には「田曲輪門跡」の碑なんかもある。

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 すぐ傍には新年の初詣で有名な、川越大師喜多院なんかもあるので、川越に行った際には、是非とも「川越城本丸御殿」にも行きましょう。

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 喜多院のすぐ傍には日枝神社があるんだが、知らなかったなあ、この川越日枝神社、赤坂の日枝神社の本社なんだそうだ。

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NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm @Kawagoe (c)tsunoken

2015年3月20日 (金)

但馬一憲 写真展 文士の素顔

 但馬一憲(たじまいっけん)というフォトグラファーの存在は、講談社に在籍していた人しか知らないだろう。

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 つまり、彼は講談社の社員カメラマンとして38年間勤めていて、この度、定年で講談社を辞め、現在は再雇用で働いているらしい。

 で、その最初の仕事がこの「但馬一憲 写真展 文士の素顔」なのであります。

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 但馬は、講談社の「小説現代」に必ず掲載されていた、作家のポートレイトなどの写真を担当していたし、「週刊現代」などでも作家の写真というと但馬がほとんど撮影していたのではないだろうか。

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 なので、この写真展に行けば、必ず「ああ、この写真見たことある」という写真に出会えると思う。

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 展示されているのは、五木寛之氏、筒井康隆氏、北方健三氏、志茂田景樹氏らのお歴々の写真、モノクロ&カラー全部で55点、55人。

 一番最近の写真は、五木寛之氏の『親鸞』を書き上げて、書店に自著が並んでいる前で撮った写真かな。

 まあ、いずれにせよ、みてびっくりしたり、感動したり、憤ったりしたりする写真ではない。

 が、今や使われなくなった「文士」という言葉にぴったりくる写真ではある。

 まあ、それが本当の「文士の素顔」であるかどうかは別にしてね。

 なんとなく、ああ、この写真見たことあるっていう、思い出だけには浸ることができる。

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ポートレートギャラリー「但馬一憲 写真展 文士の素顔」は3月25日まで開催中。

ポートレートギャラリーのオフィシャルサイトはコチラ

2015年3月19日 (木)

『英会話不要論』は本当はそういうことを言ってるんじゃないんだ

 別に行方氏が翻訳者であり、それは行方氏が英語を「読み」「書き」する方の専門家だから『英会話不要論』を述べている訳ではない。

 日本語と言うマイナー言語を母語とする日本人にとっては、現在のグローバル社会の中では英語のオーラル・コミュケーションというのは重要だし、行方氏自身、翻訳者であると同時に英語教育者である以上は、「話し」「聞き」の重要性は承知している。問題は、なぜ日本人は英語のヒヤリング、スピーキングが上手くない、あるいは出来ないのか、ということの原因を充分突き止めずに、文法軽視、リーディング軽視、ライティング軽視で、ヒヤリング重視、スピーキング重視の英語教育をしている問題を述べているのだ。

Photo 『英会話不要論』(行方昭夫著/文春新書/2015年1月20日刊)

 良く言われるのが

『一、アメリカの赤ちゃんは文法を知らずに喋れるじゃないか。
二、CDで英語母語話者が話すのを聞いているだけで喋れるようになった。
三、帰国子女は英語がペラペラで羨ましい。
四、文法や訳読は嫌いだけど、英米人とコミュニケーションをしたい。
五、白鳳は日本語がうまいけど、文法は知らないみたい。あれでいい。』

 ということなど。

 でも、これは全部間違いなのだ。

 あるアメリカの英語学校でのこと。

『各国の国民性の差があって、中南米の人、イタリア人などは、英語の知識が不足していても、最初から陽気で、屈託なくめちゃくちゃな英語を大声で喋るそうです。ドイツ人は母語が英語に近いのと、実直な国民性のせいか、よく出来るのに、慎重に間違いない英語を話そうと努力するそうです』

『この学校にきている日本人は文法、訳読重視の英語教育を受けた人々でした。先生の話では、最初はほとんど口を開かなかったそうです。真面目に黙って、じっと先生やクラスメートの英語を聞いているだけです』

『ある時、印刷物を読ませたところ、日本人は全員、意味を理解したそうです。その点、表情豊かなこともあって、流暢に喋っているような中南米やイタリアの生徒は、未知の単語が多くて、正確に理解できない。こうして数ヵ月のうちに教室での力関係が変化してきて、日本人の英語力への評価が高まったということです』

 基本的な文法や訳読、英作文がちゃんと出来て、実は始めてヒヤリング、スピーキングが出来るということなのだ。

『日本語でも英語でも、子供は成長過程で、まず簡単な日常会話ができる「第一段階」を経て、次に、学校で理科、社会、数学、国語などの教科を理解できる「第二段階」へと進んで行きます』

『小学一年生から中学一年生くらいまでの日本の子供、つまり日本語で「第一段階」に達した子供は、英米で暮らして英語に囲まれていると比較的早く、英語でも「第一段階」に達します。しかし、日本語の「第二段階」に達するための努力を怠っていると、いくら現地で暮らし、友達と自由に喋っていても、英語の「第二段階」に達しないのです』

『たとえ子供が、英語の「第二段階」までうまく到達したとしても、日本語のほうが「第一段階」より進まず、気づいてみたら、子供と両親は日本語でのコミュニケーションが不可能になって、愕然とすることもあるのです』

 1974年に英語教育界で話題になった「平泉・渡部英語教育大論争」というのがあったそうだ。平泉渉氏が外交官経験者の国会議員であり、渡部昇一氏は上智大学教授の言語学者。

 平泉氏の論は別として、渡部氏の考え方は

『渡部氏は、学校での英語教育だけで、すぐに読み書き、話し聞くようになるのは、無理な話だから、少なくとも中学と高校では、五文型、単語、英文和訳、英作文の力といった英語の基礎を身につけることを目標にすれば十分だ、としています。これが潜在力です。潜在力があれば、将来必要に応じて、その基礎を土台としてその上に研鑽をつんで、コミュニケーション能力でもほかの能力でも上乗せできるはず、だと言うのです』

 つまり、「アメリカ人が話す英語を聞いても、何を言っているのか分からない。喋れない」というのは、ヒヤリングやスピーキングの問題ではなくて、基礎的な英語の素養を身に着けていないからである、ということ。日本の学生が英語を「聞けない」「話せない」のは、ヒヤリング、スピーキングが出来ないのではなくて、基礎の英語の勉強をちゃんとしていないからなのだ。

『日本の若者が、英語を勉強しないのは、理由があると思います。英語を知らなくても、困ることがないからです。日常生活はもとより、大学でも大学院の学習や研究においても、英語を知らないからといって、困ることはまずないのです。日本の学者が書いた研究書が充実しているし、そうでない場合は翻訳で用が足ります。この点が、他のアジア諸国との大きな違いです』

 なにせ

『「学校以外ほとんど勉強しない」のは、日本:四五%、米国:一五・四%、中国:八・一%
「授業中よく寝たり、ぼうっとしたりする」のは、日本:七三・三%、米国:四八・五%、中国:二八・八%
「友達と毎日四時間以上電話やメールをする」のは、日本:三〇・七%、米国:一〇・五%、中国:三・六%
「家庭で勉強についてルールがある」のは、日本:二八・九%、米国:五四・七%、中国:七八・五%
 これは高校生についてのものであり、大学生の学校以外の学習時間の国際比較は、ここでは数字はあげませんが、もっとひどいものです』

 ってくらいなもんだからね。

 問題は、英会話なんて「慣れ」ですから、沢山、「聞いたり」「話したり」しているうちに出来てしまうもの。問題は、その基礎である「知っている単語の量」だったり「文法の知識」なのだ。

『日本の小学生が英語を早期に学び出せば、ペラペラに喋れるようになる、とか、あるいは、素晴らしい教材のCDを睡眠中に聞いていれば、いつの間にか喋れるようになる、などというのがどれ程ひどい妄想であるかに、思い至って欲しいと思います』

 というのが結論ですね。

 プロゴルファーの石川遼だって、別にCDを聞いているだけで英語が話せるようになったのではなくて、いろいろ苦労しながらアメリカで生活しているから英語が話せるようになったのであり、要は、たった一人でアメリカに行って、6か月も生活してごらんなさい、誰だって英語はしゃべれるようになるのだ。だって、英語が話せないと生活が出来ないんだもの。当たり前でしょ。

『英会話不要論』(行方昭夫著/文春新書/2015年1月20日刊)

2015年3月18日 (水)

週刊『ダイヤモンド』3月21日号の特集が面白いぞ

 週刊『ダイヤモンド』3月21日号の特集は「日本全国 永遠のライバル同士が激突 いざ 都市対決!」というもの。

 要は、安倍政権の「地方創出」が、その結果どうなるのかというのを、取り敢えずその前に検証しておこうというものなのだろう。それを定点観測しておけば、「地方創出」が上手くいったのか、いかなかったのかがわかるものね。

Photo 週刊『ダイヤモンド』2015年3月21日号(ダイヤモンド社)

 特集の惹句が

『郷土意識というのは詰まることろ「自分の所が一番」という誇りに基づくものだ。だからこそ、お国自慢は盛り上がり、時に紛糾する。特に相手が隣同士であったり、複雑な歴史的経緯があったりで、ライバル関係にある町の出身者の場合は、なおさらだ。本特集では、全国各地のライバル都市同士の対決に、あえて決着をつけていく。いざ、勝負!』

 となっているんだが、中には無理やりつけているんじゃないのこの対決は、ってのもある。

 ではその対決は

『PART 1 県民1万人調査で判明 ライバル県はここだ! 知られざる県民の本質
 北信越・東北・北海道版 東海・関東版 中国・近畿版 四国・九州・沖縄版

PART 2 地域ナンバーワン決定戦
 ①石川×富山×福井 ②京都×大阪×神戸 ③千葉×埼玉 ④香川×愛媛 ⑤東阪名の地下街 ⑥八王子×立川 ⑦ご当地グルメブランドランキング ⑧浦和×大宮 ⑨熊本×鹿児島

PART 3 因縁の歴史合戦
 ⑩青森×弘前×八戸 ⑪伊賀×甲賀 ⑫会津若松×萩 ⑬静岡×山梨 ⑭奈良×鎌倉

PART 4 県内の覇権争い
 ⑮東京23区 ⑯福島×郡山×いわき ⑰東京の島々 ⑱前橋×高崎 ⑲長野×松本 ⑳岡山×倉敷 ㉑山口×下関 ㉒福岡×北九州 ㉓長崎×佐世保

PART 5 キャラかぶりバトル
 ㉔熱海×別部 ㉕横浜×神戸×長崎 ㉖夜景 ㉗豊田×日立 ㉘田園調布×芦屋 ㉙北海道×沖縄

PART 6 知事力ランキング
 ㉚知事力・地方創生力 統一地方選の前哨戦! 県民1万人の知事支持率 県民1万人が表明! 知事支持率りすと』

 というもの。

 ここは郷土意識というのは詰まることろ「自分の所が一番」という誇りに基づくものだ」というのに則って、今私が住んでいる文京区ってどんなもんだろうということに基づいて読んでみる。

 まあ、あまりこうした都市ランキングでは出てこない基本的には地味な文京区なんだが、「教育・子育てに適した町」ランキングでは第1位の国立市に次いで第2位が文京区なんですね。本当は、東京大学、東京医科歯科大学、お茶の水女子大学などがある文京区の方が、一橋大学がある国立市よりも上になってもおかしくはないんだけれども、

『かつてあった飛行場の滑走路を目抜き通りにし、両脇に桜とイチョウの並木を植えた大学通りとその周辺は、大正、昭和の香りを残しつつ上品であり、ハイソな雰囲気が漂っている』

 ってところが、文京区が負けたところなんだろうな。文京区は、そんな有名な大学がある文教地区ではありながらも、基本的には下町ってところが、国立市にはちょっと負けるところなんだろう。ハイソではないもんなあ。

 で、ここの部分で、ちょっとした間違いを発見。

 台東区が何故か「教育・子育てに適した町」ランキングで20位に入っていて、それを

『台東区は私立開成中高のおかげだろう』

 と書いているんだけれども、それは荒川区の間違いですね。開成中・高は谷中のすぐ傍だけれども、残念ながら台東区ではなくて荒川区なんですね。

 もうひとつは「子供の増加が顕著な中心区」というデータ。

 要は、人口が増加する(流入人口が多い)のにつれて、子供の人口が増加している東京23区の状況なんだが、それを「幼児人口増加特化度」というもので評価している。第1位は港区、2位が品川区、3位が江東区、3位が千代田区と目黒区となって、その後、4位が文京区なんですよねぇ。

 そういえば、今私が住んでいるマンションにも、新しく入ってきた人たちは、小さい子供たちが多くいて、楽しい雰囲気になっている。う~ん、同じ建物に小さな子供たちがいるっていうことは、これだけ心弾まされることなんだということを感じさせさせられましたねぇ。

 まあ、後は「⑫会津若松×萩 震災後に交流は加速するも いまだ“和解”の議論はタブー」ってところと、「①石川×富山×福井 新幹線開業でも明暗くっきり 北陸3県の経済効果格差」ですかね。

 まあ、確かに北陸新幹線が開通して(今のところ終着駅の)金沢市の観光客の数は上昇するだろうし、経済効果としては北陸一番でしょう。ただし、逆に、東京から2時間半で行けるということは、金沢に宿泊しなくてもいいというビジネス客も増える訳だし、あるいは本社機能を金沢じゃなくて東京に持って行ってしまおうという企業も出て来る筈だ。

 昔は金沢(加賀・能登)は富山(高岡・富山)を支藩として支配していたわけで、それは廃藩置県になっても、基本的にその支配構造は変わっていなかったのでありますが、それがこの北陸新幹線が開通したことによって変わってしまうかもしれないという、大変な構造変化なのであります。

 金沢は昔からの都市であるから、京都と同じような観光都市的な機能は備わっていて、これからも観光都市として生き延びることは可能だろうけれども、一方、「北陸の雄」として、経済・政治の中心として生き延びるのは難しくなるかもしれない。新潟が、田中角栄氏キモ入りの、上越新幹線と上越高速道のおかげで、新潟市が新潟県(上越・長岡・新潟)の中心であったものが、いまや単なる東京の田舎になってしまったのと同じ道を歩む可能性もあるのだ。

 金沢市が金沢市として(自分の町だけ)生き延びる道を選ぶのか、これまで通り「北陸の雄」として生き延びる途を選ぶのかは私たちには分からない。

 まあ、金沢になんの責任もない私にとっては、観光都市金沢が生き残ってくれればいいんですけれどもね。

 う~ん、無責任! かな?

週刊『ダイヤモンド』2015年3月21日号(ダイヤモンド社)

2015年3月17日 (火)

東京周縁部を往く・足立区本木新道

 2月2日のブログ「東京周縁部を往く:足立区西新井のメインストリートは関原通りだ(笑)」で、関原通りのことを書いたわけですが、実はもうひとつ足立区西新井のメインストリートとして、「本木新道」のことを書かなきゃな、ということで行ってきました。

 と言っても、またまた西新井大師様がスタートなんですね。ただし、今日は鰻とお酒はなし。

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 西新井大師を大師前駅の方から出ると、すぐに本木新道に出ます。

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 ここが「西新井大師みち」との交差点。

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 本木新道のシンボルとも言えるのが、ここ西新井病院。

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 それにしても、本木新道ってなんでこんなにクネクネ曲がっているんだろう。

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 関原通りも結構クネクネ曲がっているんだけれども、ここ本木新道ほどではない。

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 関原通りと本木新道のちょうど真ん中に「尾竹橋通り」というのがあって、今はそちらの方がメインストリートなんだけれども、そちらは関原通りや本木新道よりも大分後に作られた計画道路なので、西新井橋から一直線に竹ノ塚の駅まで伸びています。

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 つまり、そうした計画された道ではなかったということなんですね。

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 クネクネ……、クネクネ……。

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 ここなんか完全に90度のカーブです。

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 クネクネ、クネクネ、まるで蛇がのたくっているように曲がっています。

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 おや、なんでこんなところに「関原山不動尊」の碑が?

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 なんて考えていると、突然荒川放水路の土手になって、本木新道は終わり。

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 日清紡西新井工場跡にできたアリオ脇の公園に「まちのうつりかわり」という説明文があって、昔の西新井と現在の西新井の図が載っています。

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 ということで、tsunokenのブログ「西新井編」はそろそろ終わりです。

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 10-24mm @Motoki Shindo (c)tsunoken

2015年3月16日 (月)

3月14日新線開通は北陸新幹線だけじゃないんだけれどもなあ

 皆さん、3月14日に開通した北陸新幹線ばっかりが注目されていますが、3月14日開通は北陸新幹線ばかりじゃなくて、上野東京ラインってのを忘れてはいけません。

 で、早速乗ってきました。もう乗り鉄、撮り鉄ですねっ!

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 まあ、確かに上野駅で「熱海行」とか「小田原行」ってのは多少は違和感がありますなあ。とは言うものの、走っている高崎線、宇都宮線は東海道線と同じ色の電車なんで、そちらは違和感はありません。

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 なので、品川駅からは唯一今回の上野東京ラインで違和感のあるブルーのラインの入った常磐線に乗ることにします。

 つまり、品川駅始発の常磐線なので、9番線は常磐線特急、10番線が常磐線と常磐線専用のホームになっています。、11番線が東海道線(高崎線と宇都宮線)と常磐線、12番線が東海道線(高崎線と宇都宮線のみ)というホームの割り当てになっています。

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 9番線で出発に備える、常磐線特急「ときわ」と

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 10番線で出発に備える常磐線快速、土浦行き、E531系。う~ん、確かに違和感ありですねえ。

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 で、品川駅をゆーっくり、ゆーっくり発車して行きます。

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 と、品川電車区で常磐線(成田線)E231系発見。う~ん、これは相当違和感がありますぞ。品川電車区で常磐線ね。

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 品川電車区を過ぎると徐々にスピードを増し、たちまち新橋駅へ。

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 新橋駅を出るとすぐに東京駅です。

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 東京駅を出ると最初は並行して走っている東北・上越・北陸新幹線なんですけれども……

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 だんだん下に下がっていき、というよりも上野東京ラインが上がっていくんですけれどもね。

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 で、神田駅付近では新幹線の上を上野東京ラインが走っています。これもかなりの違和感ですねぇ。

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 なんてことを考えているうちに、電車は早くも上野駅へ。普通、上野駅の常磐線は一番はずれの4線2ホームなんですけれども、上野東京ラインだと高崎線・宇都宮線のホームに入ります。これまた違和感。

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 上野駅を出ると、ガッチャン、ガッチャン、ポイントを通過して、ポイント通貨が終わると日暮里駅です。

 ここから先は今まで通りの常磐線なんで、面白くないから下車。

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 品川~日暮里間20分の旅でした。お疲れ様。

 で、谷根千へGO!

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NIKON D7000 AF-S NIKKOR 10-24mm @Ueno-Tokyo Line (c)tsunoken

2015年3月15日 (日)

関東大震災と第二次世界大戦のメモリアルパーク・東京都立横網町公園

 両国国技館の北側にあるのが都立横網町公園なのです。

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 どうも国技館のそばなんで、ついつい「横綱(よこづな)町公園」と書きこんでしまいがちなんですが、そこはちゃんと「横網(よこあみ)町公園」と書きましょう。

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 この横網町公園、実は元々陸軍被服厰があったところなんだけれども、1922年(大正11年)に陸軍被服厰が赤羽に移転してからは、東京市が買収し、公園として整備していました。

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 当時は、まだ公園は完成していなかったので、東京市民は「被服厰跡」と呼んでいたそうです。

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 そこで起きたのが、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災。

 周辺の下町一帯から多くの人が、この被服厰跡を絶好の避難場所と考えて集まったのですが、地震で発生した火災による熱風が人々を襲い、さらに巨大な火災旋風が発生して、結果、この被服厰跡に避難した人だけで3万8千人の人たちが犠牲になったというのです。

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 ここ東京都復興記念館には、そうした被災した人たちの資料などが展示されているのですが、

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 復興記念館の外には、震災記念屋外ギャラリーがあって、

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 ドロドロに溶けた釘やら、

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 印刷機械やら、

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 エンジンとフレームという金属部分だけを残して、木製部分が全部焼けてしまった自動車なんかが展示されています。

 さらに、同公園には関東大震災の際に、朝鮮系の住人が震災に乗じて略奪や襲撃を起こしているというニセ情報が流れたため、一部の朝鮮人が混乱下の日本人により殺害されたため、それを追悼する石碑なんかもあります。

 海底を震源とする地震の場合の津波も大変だけれども、こうした都市直下型地震の場合の火災というのも、かなり被害が甚大になるものなのですね。

 ここ、横網町公園には、関東大震災だけでなく、1945年(昭和20年)3月10日の米軍による東京大空襲の犠牲者も合祀されることとなり、「震災記念堂」も「東京都慰霊堂」と改称され現在に至っているということです。

 で、現在は関東大震災の9月1日と、東京大空襲の3月10日に法要が営まれています。

 ということなので、本当は3月11日のブログに書くべき話なんだけれども、何故か3月15日なんだなあ。

 これが……、何故でしょう?

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2015年3月14日 (土)

『源静香は野比のび太と結婚するしかなかったのか』って、そうなのかなあ? 誰も「ドラえもん」の結末って知らないでしょ。

 しかし、すごいなあ、あの「ドラえもん」がセカイ系とか、しずかちゃんが「戦闘美少女」とか、なんか変な展開だ。

Photo_9 『源静香は野比のび太と結婚するしかなかったのか 「ドラえもん」の現実』(中川右介著/PHP新書/2014年3月20日刊)

『しかし、よく考えてみれば『ドラえもん』の劇場用映画は、じつに「セカイ系」である。ちょっと幼すぎるかもしれないが、少年少女たちが巨大なものと闘いながら、やはりそれをとりまく社会は何も描かれない。なのに『ドラえもん』が「セカイ系」の代表作をして語られることは、まず、ない』

『『風の谷のナウシカ』がアニメ映画となるのは1984年だが、源静香はナウシカよりも何年も前から「空を飛ぶ少女である。さらに、『美少女戦士セーラームーン』よりも前から「戦闘美少女」でもある。源静香が武器を手に闘ったおかげで地球は何度も救われたのに、日本国政府も国連も、それを知らない』

 齋藤環『戦闘美少女の精神分析』と『紅一点論』(ちくま文庫)を取り上げて

『『戦闘美少女の精神分析』の第五章「戦闘美少女の系譜」では『パーマン』のパー子こと星野スミレが言及されているが、源静香についてはふれられていない。『紅一点論」では源静香への言及はあるが、戦闘美少女面は無視されている』

『そもそも戦闘集団としての「チームのび太」そのものが、アニメ論の世界では無視に近い』

 って、そりゃそうでしょ。

『藤子やアニメスタッフたちの思惑はわからないが、源静香の切望的な未来(のび太と結婚する:引用者注)を提示したことで、結果として彼らは源静香を戦闘美少女の系譜とも、日常系アニメ主人公の系譜とも、セカイ系ヒロインの系譜とも無縁にし、ただ『紅一点論』のなかで批判の対象に落とし込めてしまった』

 中川氏自身が書いている

『『ドラえもん』日常版は、くりかえすが、「爆笑コミック」「生活ギャグマンガ」であり、落語の構造をもち、冒険版は「冒険SF」、あるいは「冒険ファンタジー」であり、何気ない日常から始まり、異世界への冒険に出て、危機があって、友情と団結で乗り越え、勝利して、また日常に戻るという、古典的なエンタテインメント構造をもつ』

 と。つまり、そうした「爆笑コミック「生活ギャグマンガ」「冒険SF」「冒険ファンタジー」というコミック世界が「セカイ系」である訳はない。特に、「ギャグ」と「セカイ系」は断じて一緒にはならないものなのだ。

 むしろ気になるのは、なぜしずかちゃんはのび太と結婚するのかということだ。

『しかし、藤子不二雄が選択したのは、一般職・総合職のいずれかで就職したにしても、わりと早く結婚してしまった源静香であった。しかも、相手は野比のび太である。そして、のび太と結婚したあと、彼女はどうも専業主婦になったようだ』

『専業主婦がいけないのではない。夫が野比のび太という点で、彼女の人生は「転落」以外の何物でもない』

『源静香というクラスでいちばんかわいい女の子が、いちばん凡庸な男の妻となる話は、なるほど、凡庸な男の子たちにとっては、「ぼくにもあんなかわいいお嫁さんがくるかもしれない」という夢を与えるだろうが、女の子たちにとっては、その夢は悪夢でしかないだろう。
 この悪夢から逃れるためには、結婚を夢見ないことしかない。それがあ、男女雇用機会均等法以降に生きる女の子たちの現実である。
 となると、女の子たしにとって、のび太の妻となる源静香は、とてもあこがれの対象とはならない』

『のび太にかぎらず、『ドラえもん』の主要人物はみな下位カーストに属することになる。「上」にいるのは。出木杉君くらいだ。そして、問題は源静香である。彼女も上位にいるはずで、のび太と学校の廊下ですれ違っても、無視するだろう。もし、のび太と親しく話したりしたら、彼女はその瞬間んい「下」に転落するからだ』

 なのに何故、しずかちゃんはよににもよってのび太と結婚するのだろうか。

『『ドラえもん』は生活ギャグマンガという落語的構造のマンガ作品である。そこから教訓を読み取ったり、郷愁だとか童心だとかという児童文学的カテゴリーを当てはめるのは、『ドラえもん』をはじめとする生活ギャグマンガへの冒涜である』

 というのであれば、中川氏のように、『ドラえもん』がセカイ系漫画であるとか、しずかちゃんを戦闘美少女だなんていうのも、やはり『ドラえもん』に対する冒涜なんじゃないか。

 というのは、しかし、中川氏は承知の上で、そのように書いているのであろう。つまり、それはそれで、中川氏の『ドラえもん』愛なのである。1960年生まれの中川氏は、雑誌での『ドラえもん』が始まった1970年にちょうど10歳。つまり、まさしく『ドラえもん』第一世代ということになる。

『雑誌での連載は1970年1月(厳密には1969年12月)に始まっている。以来、40数年にわたり、マンガ『ドラえもん』は日本で、さらには世界各国で読まれ、視聴され、最初に『ドラえもん』と出会った世代(つまり、中川氏:引用者注)は50代になっている』

 と書きつつ、「ドラえもん世代」というものは存在しないと、同時に書くことは、実は自分たち「ドラえもん第一世代」だと言いたいんじゃないだろうか。

 ま、それが中川氏の「ドラえもん愛」なのかもしれない。

 私なんかは『オバケのQ太郎』世代でもないし、当然『ドラえもん』世代でもない。まあ、言ってみれば『紫電改のタカ』世代ですとか『スポーツマン金太郎』世代です、って言ってみても、そんな漫画知らないよって言われそうで怖いな。

 そう、私たちの世代(小学生の時に「少年マガジン」「少年サンデー」が創刊した)には、まだまだ共通する漫画がなかったのでありました。

 残念!

『源静香は野比のび太と結婚するしかなかったのか 「ドラえもん」の現実』(中川右介著/PHP新書/2014年3月20日刊)PHPにしては電子化が早い!

2015年3月13日 (金)

シーフード・ドリア、スパゲッティ・ナポリタン、プリン・ア・ラ・モード

 2014年1月20日のブログ「神保町古喫茶店散歩カメラby LEICA M6」では神田神保町の「さぼうる2」のスパゲッティ・ナポリタンを書いたわけだが、実は、ナポリに行ってもスパゲッティ・ナポリタンはありません。

 シーフード・ドリアもフランスやイタリアに行ってもないし、プリン・ア・ラ・モードだってアメリカに行ってもないのです。

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 この3つの料理(ってプリンはお菓子だけどね)すべてが、この横浜ホテルニューグランドのシェフやパティシエが作った料理なんですね。

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 今でも、ここホテルニューグランド1階にある「ザ・カフェ」でできた当時のままのレシピで作ったものを食べることができるんです。

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 まず、「シーフード・ドリア」。

 戦前にホテルニューグランドの初代総料理長になったのが、パリから招かれたスイス人、サリー・ワイル氏。

 ワイル氏はニューグランドで 「コック長はメニュー外のいかなる料理にもご用命に応じます」とメニューに書きお客様の要望に合わせて様々な料理を作って提供していました。
そんなある日
「体調が良くないので、何かのど越しの良いものを」
というお客様の要望を受けて創作した料理が、この「ドリア」だったのです。
その時作ったのは、バターライス(ピラフ)に海老のクリーム煮を乗せ、ソース・モルネとチーズをかけてオーブンで焼いたもの。
 好評だったこの料理はア・ラ・カルトのレギュラーメニューになり、ニューグランドの名物料理の一つになりました。

 というのがホテルニューグランドのサイトに書かれている、シーフード・ドリア誕生のいきさつ。

 上に乗ったクリームが濃厚でしたね。

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 では、スパゲッティ・ナポリタンはどうなのでしょうか。

 2代目総料理長入江茂忠が、米兵が茹でたスパゲッティに塩、胡椒、トマトケチャップを和えた物を食べているのを見て、アレンジ加えて生み出した料理です。

 

 終戦とともに9万人の進駐軍が横浜をうめつくしました当ホテルも将校の宿舎として接収されました。彼らの軍用保存食のなかにスパゲッティとケチャップがありました。茹でたスパゲッティに塩、胡椒で味付けをし、トマトケチャップを和えた物を昼食や夜食にはよく食べられていたようです。
 当ホテルで作られた料理は明日には街場で調理されるという進駐軍文化というか市民は興味津々だったようです。
 しばらくするとこのケチャップスパゲッティ食料事情が悪い中でも簡単に作れるということで、街の喫茶店で出されるようになり日本中で流行ったのです。戦後を担った入江茂忠総料理長は、うちにはちゃんとしたスパゲッティ料理があるのになんでこんなケチャップスパゲッティを皆喜んで食べているのかと思い気にしていた。
 そこで、入江総料理長はホテルで出すスパゲッティとしてケチャップスパゲッティでは、いかにも味気ないので苦心の改良をしました。
 先ず、トマト風味を生かした当ホテルならではの、ソースを作りました。
 ニンニクと玉葱の微塵切りを飴色になるまでよく炒め、トマトの粗切り、トマトホールトマトペーストを加え、ロリエとたっぷりのオリーブオイルを入れ風味豊かなソースを作りました。

 さすがに街場の喫茶店のナポリタンのケチャップ・ギトギトとは違って、かなり上品な味のスパゲッティではあります。とは言うものの、私としては街場のケチャップ・ギトギトも好きですけどね。あのB級グルメ感タップリってのも捨てがたい。

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 じゃあ、プリン・ア・ラ・モードは?

アメリカ人将校夫人たちを喜ばせたいと、当時のパティシエが考案したメニューです。見た目の華やかさや、アメリカ人でも満足できるボリュームを考えて作られました。

 

 当ホテルは終戦後7年間、GHQに接収され、将校とその夫人が宿泊し、ボールルームでは、アメリカから送られてきた最新の映画が上映されたそうです。そんな特殊なホテルだけに、デザートに関しても、将校夫人が喜ぶものを出す必要がありました。
「お料理好きの奥様から、アメリカの有名なお菓子学校の教科書をいただき、それでいろいろ勉強したり、サジェスチョンを受けたこともあったようです。味だけでなく、量もアメリカの方々に合わせないといけません。向こうのデザートは、本当にドーンッといった感じで出てきますよね。プリン一個だけというわけにはいきません。そこで、アイスクリームや、アメリカから送られてきた缶詰の果物と組み合わせて出したんです」
 それだけの量だと、従来のデザート皿にのせるのは無理。そこで、開業当初から鰊の酢漬け用に使っていたコルトンディッシュという皿に盛りつけられた。
 現在に至るまで、プリン・ア・ラ・モードには、その皿が使われている。
 これで「量」も満足できるものが完成したが、ホテルのスタッフはそれだけで満足しなかった。
 見た目にもこだわったのです。
「フランス料理に、アローというカット方法があります。そのやり方で林檎を切りました。林檎に用いたのは、ニューグランドが最初だったそうです。将校夫人からは、ウサギのようだと評判になりました」なんと、世の母親が子供の弁当に入れるウサギの林檎も、その時に誕生したのです。

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 なるほどなあ。

 それを読むと、ドリア、ナポリタン、プリン・ア・ラ・モードにコーヒー2杯で税金・サービス料込みで7,697円というお値段にも納得。

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 最後は横浜山下公園あたりを書いたブログではお馴染み、氷川丸で読了有難うございます。

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2015年3月12日 (木)

『同棲終了日記』っていうタイトルは安易っちゃあ安易なんだけれもね。まあ、いっか。

「同棲」って言葉は単に「一緒に住む」っていうだけのことなんだけれども、「同棲」って言っちゃうと、何故か未婚の男女が一緒に住むっていう意味になってしまう。

 なんか、不思議だなあ。

Photo_7 『同棲終了日記 10年同棲した初彼に34歳でフラれました』(おりはらさちこ著/双葉社/2014年12月25日刊)

 おりはらさちこさんは声優を目指して上京し、アルバイトを始めるのでしたが、そのバイト先で彼と出会うわけですね。

 で、彼と同棲することになるんだけれども、その有り様を(幸せを)人に見せびらかしてみたくなり、コミックエッセイにする企画をたてるんだけれども、その企画はボツになります。

 そりゃそうだよね。人の幸せを読んだって全然おもしろくない。

 で、コミックエッセイはブログで始めることになるわけです。つまり「同棲日記」。

 ところがある日、突然(そう、こういうものは必ず「ある日、突然」なのだが)彼から別れを告げられます。

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 で、ある日編集者から、ブログで書いた同棲日記をコミックエッセイでやってみないかと告げられるのです。う~ん、やっぱり編集者としては「別れ」の方に重点を置くんだよなあ。

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 確かに、失恋はツラいだろけれども……

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 そのおかげで漫画家としてデビューできたんだから、まあ、良しとしましょうか。

 で、おりはらさんは今でも「コミックエッセイ・ブログ」をアメブロで続けているそうです。

 懲りない人ですね。

 ということで、今日はちょっと手抜きのブログでスマソ。

『同棲終了日記 10年同棲した初彼に34歳でフラれました』(おりはらさちこ著/双葉社/2014年12月25日刊)紙版は2014年10月25日刊なんだが、既にして電子版だけになっている。 紙版の絶版早すぎじゃね? 双葉社。

2015年3月11日 (水)

『ゴーン・ガール』デビッド・フィンチャーのもう一つの結論=衆は愚である

 デビッドフィンチャーか、観たのは「ソーシャル・ネットワーク」以来かな。以前は「セブン」なんて、訳のわからない映画を観て、その分けのわからなさがよかったりしたんだけれどもなあ。

Photo 『ゴーン・ガール(Gone Girl)』(原作・脚本:ギリアン・フリン/監督:デビッドフィンチャー/製作:レスリー・ディクソン、ブルナ・パパンドレア、リース・ウィザースプーン、セアン・チャフィン)

 で、今回の『ゴーン・ガール』も見た目は複雑なお話しなのだ。

 ニューヨークで雑誌のライターをしていたニック・ダン(ベン・アフレック)は、あるパーティーでエイミーと出会う。エイミーは児童文学作家として有名な精神科医の両親を持ち、両親が書いた人気児童文学のシリース「アメイジング・エイミー」のモデルとして自分自身も有名な存在となってしまう。しかし、自身ハーバード大学を卒業して、性格診断クイズのライターもしていたエイミーはニック・ダンと結婚する。

 しかし、ニックとエイミーの夫妻ともども、フリー・ライターという仕事の性格上、これはやむを得ないのだが、失業する。まあ、フリーである以上、これはしょうがないことなのだが、そこがこの夫婦の第一の躓き。

 ニックは失業後、母の看病を理由に出身地であるミズーリ州の小さな町に戻ることになり、当然、そこには一緒にエイミーも赴く。

 まあ、それは仕方のないことなのだけれども、ニューヨークで活躍している自分を想像して生きてきた二人にとってはミズーリの田舎町での生活は耐えられなかったんだろう。更に、その田舎町でニックは双子の妹マーゴ(キャリー・クーン)とバーを経営しており、地元のカレッジで教えていたりはしていたのであるが、そのバーも、ミズーリの街にしては(多分)瀟洒な住家も、エイミーが親から譲り受けた信託証券によって購入したものなのだ。更に、これは後々露わにされるのだが、ニックはカレッジの女子学生(エミリー・ラタコウスキー)とセックスをする関係になっていたのだった。

 つまり、ニックは表面上は自分で生活費を稼いでいたのではあるが、それはエイミーがいたニューヨークでのセレブな生活とは大いに異なる訳で、さらにそんな田舎町ではエイミーが望むような仕事はないし、ニックの稼ぎではたいした生活もできない。ってことで、次第にエイミーのニックに対する評価は下がっていき、結果としてこんな男とはもう結婚生活は続けられない、何か、この男に復讐してやって、私はニューヨークに帰るんだ、って言う風になっていったのかも知れない。

 で、結婚5周年の記念日に、エイミーはニックが自分のことを殺して、どこかに捨ててしまい、ということを装って失踪してしまう。

 と、ここまでが映画の前半。勿論、観客にはこれがエイミーの妄言であることは伝えられていないので、観客は「ニックが嘘をついているんじゃないか」(実際にエイミーを殺しているんじゃないか)という人と、「嘘をついてニックを陥れてるのはエイミーの方じゃないか」(実は、エイミーはどこかで生きている筈だ)という人に分けられることになる。

 で、問題はここから後なんだよなあ。

 当然、この不可解な事件にはアメリカのテレビも飛びついて、ニュース・バラエティやトーク・ショウの格好のマトになるというわけだ。

 ニックがエイミーの失踪を訴えて、その捜索や情報収集をお願いするパーティー(そんなのがアメリカではあるんだ、ということにややビックリ)を取材した番組では、画面に向かってニッコリ笑ったニックに対して、やっぱり「ここで笑えるのは、これはコイツが犯人じゃないか」というようなリアクションがおきたり。

 ニックが浮気をしていた女子学生が、如何にも反省ありありという表情でテレビに出ると、とたんにその女子学生に同情が集まり、世論は(と言っても、それこそが単なる「テレビ世論」なんだけれどもね)ますますニック憎しという風に変わっていってしまう。

 当然、それに対してニック側も反撃するわけで、夫が妻を殺害したケースを専門とする弁護士タナー・ボルト(タイラー・ベリー)を雇い、ニックの世間に対する印象を向上させようと試みる。まあ、そういうことの専門の弁護士がいるっていうだけでもちょっと驚きなんだけれども、この弁護士って、単に法廷だけで戦うんじゃなくて、何とテレビ出演の際の印象付けまでも指示するんですな。

 結果、ニックはトーク番組で、自らの女子学生との不倫も告白し、自分が夫として完璧でなかったことを謝罪し、エイミーが家に帰って来て欲しいと訴えるんですね。その結果、世間の印象は変わり、同時に、エイミーのニックに対する想いも再び芽生えてくるんですね。

 この頃エイミーは、名前を隠して逃走中で、新生活のために持っていたお金を、モーテルで強盗にあってしまう。ので、行くあてもなくなってしまったエイミーは、高校時代の元カレでエイミーが彼に付きまとわれてしまったので接近禁止令を出した裕福なデジー・コリングス(ニール・パトリック・ハリス)のところにころがりこみ、そこで例のニックのテレビ番組を見たってこと。

 で、エイミーはニックの許に戻ることを決心し、デジーから強姦をされてそれに対する自己防衛としてデジーを殺したように装い、ニックの許に戻るのだ。

 ニックの許にもどったエイミーは、警察に盗聴されないように、シャワールームでシャワーを浴びながら、デジーの殺人とニックへの復讐を認める。エイミーはテレビ番組で見た妻の帰宅を歎願するニックこそエイミーが結婚した男であり、これからもそうであって欲しいと言う。ニックはエイミーと別れ、嘘を暴きたいという願う。

 翌日、テレビ番組の収録前にエイミーは精子バンクで溜めていたニックの精子を使って妊娠したことを告白する。怒り心頭のニックはエイミーを打ち据えようとするのだが、そこで思い起こされるのが、自分とマーゴを産んだ母親の言葉だった。つまり、自分たちも生まれる寸前に、父親が不倫をし、母親と別れてから生まれた子供だったのだ。

 なので、テレビ番組ではニックはエイミーと人生を共にすることを決め、夫婦は番組で子供を待ち望んでいる、というところで映画は終わる。

 でも、こんなの嘘ですよね。

 基本的に、エイミーが自分がニックに殺されたように装って失踪した、というのが分かった時点で、ニック側に若干の反省はあったとは思うが、それはその後の捜査の進展の中で、ニックのエイミーに対する愛情はなくなっていたはずだし、最後に、エイミーからニックへの復讐とデジー殺しを打ち明けられたところで、普通なら完全に夫婦関係は壊れている筈。多分、この夫婦、子供が生まれた時点で離婚・親権争いになるでしょうね。

 ってのは、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 それはどうでもよい。

 問題は、アメリカのテレビ・トーク番組っていうか、ニュース・バラエティっていうか、えー何これー、っていう感じの、アメリカ国民の低能さかげんですね。

 だって、完全にテレビ番組で市民のオピニオンが作られているじゃないですか。それも実に浅薄な構造で。

 アメリカの市民の頭の構造って、そんなに簡単に出来ているのかなあ(って、最近のネトウヨ諸君を見ていると、あまり批判できたことじゃないかもしれないけれど)、結局、テレビ番組の誘導によってアメリカ市民の世論ってものが出来るんだったら、これは怖いことですよ。

 アメリカ世論ってそんなものなのか。

 やっぱり、デビッド・フィンチャーが言いたいところはここなんじゃないのかなあ。

「アメリカ国民は衆にして寓である」

 これは、日本国民も心に瞑して聞くべきではありますけれどもね。

『ゴーン・ガール』映画の公式サイトはこちら

『ゴーン・ガール』の総合サイトはこちら

2015年3月10日 (火)

『灯台ができるまで』じゃなくて「灯台もと暮らし」を読んでみようかな

隠居系男子」というブロブを運営している鳥井弘文氏が主宰する株式会社Waseiが運営するウェブメディアが「灯台もと暮らし」というサイトで、今年の1月1日からスタートしているらしいです。

 その「灯台もと暮らし」を始めるまでの経緯とか、考え方とかを綴ったのが、この『灯台ができるまで』って言う訳なんです。ただし、電子書籍のみの発売なので、それなりのデバイスを持っていないと読めないですけどね。

Photo 『灯台ができるまで』(「灯台もと暮らし」編集部(佐野知美、立花実咲、小松崎拓郎、福島槙子、鳥井弘文著/鳥井弘文・株式会社Wasei/2015年2月25日刊)

「灯台もと暮らし」をつくっているのは

【編集長】佐野 知美(さの ともみ)
1986年7月25日生まれの28歳・女性。新潟県出身。趣味は旅と文章を書くこと。Waseiで立ち上げる新メディアの編集長に抜擢され、勤めていた大手出版社の退職を決意。既婚者には見えない自由奔放さと独特の文章センスを持ち合わせている。

【編集者】立花 実咲(たちばな みさき)
1991年9月28日生まれの23歳・女性。静岡県富士市出身。大学に通うかたわら旅系ウェブメディアの編集を務め、その後Waseiへの入社を決意。

【編集者】タクロコマ/小松崎 拓郎(こまつざき たくろう)
1991年10月26日生まれの23歳・男性。大学に通うかたわら、複数の大手ウェブメディアでインターンやアルバイトをしながら編集スキルを学ぶ。その後、Waseiへの入社を決意。写真が得意。

【ライター/特殊部隊】福島 槙子(ふくしま まきこ)
1986年7月3日生まれの28歳・女性。埼玉県本庄市出身。フリーライターとしてウェブメディアや雑誌、書籍の編集・執筆に携わり、そのかたわら主婦業もこなしている。Waseiには他のメンバーと違いフリーランスという立場で関わっている。

【社長】鳥井 弘文(とりい ひろふみ)
Waseiの代表。人気ブログ「隠居系男子」の運営者でもある。基本的に表に出たがらない。
口癖:「鬼~」(very、とても、の意)、「それこそ」(接続詞)、「○○感」「~っぽい」(形容詞的役割)
メンバーから見た鳥井しゃちょうの印象:お兄ちゃんみたい、寝つきがよい、たんたんと継続する、荷物がすくない、胡散臭い、なるべく自分でやらないようにする

 ちなみに、「しゃちょう」の鳥井弘文氏のプロフィールを共著『レールの外ってこんな景色』から拾うと

北海道函館市出身。88年世代の26歳。慶應義塾大学を卒業後、中国・北京で渡りITベンチャー企業「北京ログラス」で勤務。中国版Twitterと呼ばれる微博(ウエイボー)を中心とした日本企業の中国国内PRにかかわる仕事に従事。帰国後は、新しい時代の生き方やライフスタイルを提案するブログ「隠居系男子」を運営。ブログは半年で月間25万PVを達成し、現在はBLOGOSとfashionsnap.comにも転載中。ブログをきっかけに出会った株式会社Senの代表・青木優と一緒に訪日外国人向けWebマガジン「MATCHA」を立ち上げ、編集長に就任。2014年9月に起業し株式会社Waseiを立ち上げ、これからの時代のライフスタイル提案や、日本の地方を盛り上げていくための新規事業を立ち上げ中。

 しかし、皆若いですねえ。

 それと、最近はやはり出版系よりもウェブメディア系の編集者が多いんだってことに気がつきます。

 まあ、基本的に出版系であろうとウェブメディア系であろうと、編集者のやる仕事には変化はないのでしょう。企画を立てて、取材をして、それについて書く、あるいはだれか記者か執筆者を立てて、書いてもらい、それを編集するということですからね。あとはHTML位は知っていなければならないだろうけれども、これはウェブメディアで仕事をしていれば、嫌でも覚えてしまうモノ。私だって、こんなブログを書いているうちに、多少はHTMLを書けるようになるものなのですからね。

 で、一番最近の「灯台もと暮らし」はこんな感じ

【今日のひとしな】深いブルーに魅せられて。陶芸家・木村勲の「祝い皿」

【群馬県桐生市】井清織物「OLN(おるん)」のスタートは、夫婦が紡ぐ暮らしの彩り

芸術は日常だ。Tokyo Art Beatが開くアートの扉

【かぐや姫の胸の内】写真家・周東明美の光と物語・チベット

【今日の一輪】「ホワイトスター」無言で贈る幸福な愛

【地域文化誌】「悪くない」。それが盛岡の魅力です‐ミニコミ誌「てくり」-

地域で活躍する中小企業やフリーランスのためのクラウド会計ソフト「freee」の活用法‐freee・佐々木大輔さん

【今週の文具lady.】あの日の図書館の記憶がよみがえる「読書記録しおり ワタシ文庫」

日本酒が好き!山口県地酒のまえつる「d school 角打ち酒の会」に参加してきました

【フリーペーパー】「鶴と亀」イケてるじいちゃんばあちゃんならココにいるよ

 読んでみると、記事は若干物足りない部分もあるが、写真などの扱い方にはセンスを感じる部分もあります。

 まだ、始まって2ヵ月しか経っていないウェブメディアです。もうちょっと様子を見る必要があるかな。

 しばらく読んでみようかしら。

灯台もと暮らし

『灯台ができるまで』(「灯台もと暮らし」編集部(佐野知美、立花実咲、小松崎拓郎、福島槙子、鳥井弘文著/鳥井弘文・株式会社Wasei/2015年2月25日刊)

2015年3月 9日 (月)

世田谷城(址公園)を偶然発見!

 面倒くさい確定申告の書類も完成したし、早速今朝、確定申告に行ってきます。

 ということで……。

 昨日行った松陰神社から世田谷区役所を過ぎて行くと、烏山川緑道という、烏山川を暗渠にして遊歩道にした道がある。そのまま烏山川緑道を過ぎて更に西へ少し行くと、あるんですねえ。世田谷城(址公園)。

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「おおっ、世田谷城(址公園)」ってなわけで、関東の城跡めぐりが好きな私としては感動の嵐であります。なにせ、今回は予想していなかったからね。

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 城址公園としてはあまり広くはないが、ちゃんとあります、土塁と空堀。

 上に書いた烏山川を天然の要害として、使っていたようで、烏山川が城の三方を取り囲んでいます。

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 で、あまり広くはない城址公園の裏側に回って見ると、何やら土塁の続きがあるようです。

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 で、更に行くとお寺の参道があって……

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 お寺の山門がある。

 つまり、この寺こそ付近の地名にもなっている「豪徳寺」なんです。

 実は、この豪徳寺こそ世田谷城の本丸があったところ。と考えると城域は結構な広さになるということ。

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 世田谷城は吉良家の城で、応永年間(1394年~1426年)に居館として整えられ、吉良頼康の父、成高が城として整備したらしい。

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 世田谷城(豪徳寺)から更に西に向かうと、東急世田谷線の宮の坂駅に出て、それを越えると世田谷八幡宮の前に至る。

 世田谷八幡宮は吉良頼康が天正15年(1587年)に建立したそうだ。

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 がその3年後、天正18年には豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏は滅んでしまい。北条氏に従っていた世田谷城も接収され、廃止されてしまった。まあ、武家の運命なんて分かりませんね。

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2015年3月 8日 (日)

東京・世田谷・松陰神社

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」であります。

 つまり吉田松陰なので松陰神社なのですが、萩の「本家 松陰神社」については以前書いたので、今回は東京都世田谷区にある松陰神社なのです。

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 むしろ東京の人にとっては、こちらの方が本家松陰神社という受け止め方をしているのかも知れないが……。

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 やっぱり萩が本家なんですね。東急世田谷線には「松陰神社前」という駅があるが、三軒茶屋から歩いても近い。

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 神社の造りは東京のほうが立派かもしれない。しかし、問題はそう言うことじゃない。

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 松下村塾も、萩の方は昔のままに残してあるのだが、東京の松下村塾は、萩の松下村塾を模して作っている訳ですね。

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 そりゃ当然。松下村塾は二つもないもんね。

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 で、東京の松陰神社に行くと気になるのが、二つの吉田松陰像なんですね。

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 神社の本殿前にある吉田松陰像と、松下村塾前にある吉田松陰像の顔が大分違うんだなあ、これが。

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 どっちが、本物の吉田松陰なんだろう。

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 知っている人、教えてくださいな。

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm @Shoin Jinja, Setagaya (c)tsunoken

2015年3月 7日 (土)

『購書術』で一番気になったこと

 中川右介氏が田中長徳氏が主筆を務めた『カメラジャーナル』の編集長にして、刊行する小出版社「アルファベータ」の社長であることは知っていたが、「書いた本50冊」という作家でもあったことは知らなかった。

 それにしても「買った本4万冊、作った本・雑誌500冊、書いた本50冊、読んだ本冊数不明」ってすごいなあ。

Photo出版社社長兼編集者兼作家の購書術本には買い方があった!』(中川右介著/小学館新書/2015年2月7日刊)

 ということで、まず「実践編② 電子書籍を読んでみた」から……

『どの機械がいいのかよく分からなかったが、アマゾンのキンドルの「ペーパーホワイト」という機種を購入。一万一千八百五十二円。これだけあれば文庫本なら十五冊は買えるなあと思いつつ、クリック』

 というあたりで、すでにこの人本当は電子書籍がきらいなんだなあ、というところがわかる。つまり、「文庫本なら15冊は買える」というところ。新しいデバイスを買う時にそんな比較はしちゃいけないんです。

『色は出なくてスミ(出版用語では黒をスミといいます)のみ。なんか大昔のワープロ専用機のがめんみたいだ。カラー版はないのかなあ』

 って、ちゃんとKindle Fireがあるじゃないですか。

『で、何を読もうか。そういえば、自分の本で電子版しか存在しないので現物を見たことがないものがあった。どんな感じなのか見てみよう』

 おやおや、電子版でしか出版しなかった本を書いているのに、電子書籍を持っていない著者がここにいます。

『本は、読むのは一文字ずつだし、視界に入っているのはだいだい前後五行ずつくらいだろうけれど、「文字を読む」のと同時に「本全体、ページ全体を見る」ことも同時にしており、その場合は一ページだけでなく見開きの二ページを同時に視界に入れている。右ページの二行目あたりを読んでいるのと同時に左ページの中ほどに小見出しがあれば、それも見ていて、そこまで読んだら止めて食事にしようとか、そんなことを考えながら読む。キンドルは一ページずつしか見えないので、それができない』

『気づいたのは、コミックにはあと何時間何分で読めるとかという表示が出ないこと。
 コミックは「絵」だから、一ページごとに一点の画像として処理している。これは当然なんだけど、見開きの絵をどうするかの考慮がなされていない。横に倒したら小さくなるけど見開きで出てくるとかにできないものか』

って、だからKindle Fireにすれば、そんな問題はすぐさま解決してしまうのであります。つまり『横に倒したら小さくなるけど見開きで出てくるとかにでき』るのであります。Kindle Fireならね。

『新聞に広告が出ていた本や、書評が出ていた本は最近のものなので、まだ電子化されていないのがほとんど。いま、読みたいのはそういう「最新刊」なのに、それがない。数ヵ月前に出て、欲しいものは買っているんだから、二重に買うのはいやだなあ。
 これが電子書籍を買おうと思わない最大の理由だ。紙と電子の同時発売セット販売を望む』

 というのは同感。ただし、実際にはそれは難し事は中川氏だって知っている筈ななんだがなあ。だって、結構、執筆完了はギリギリ、編集作業もギリギリという感じで本の出版なんてやっているんだから、そんな紙と電子の同時発売なんて無理無理。せめて一月遅れ位で出ればOKというのが現状だ。ただし、大手出版社ではかなりこの作業は上手く行っており、そろそろ紙と電子の同時発売は実現しそうだ。

 そうなれば電子書籍のシェアももっと上がるだろうし、逆に電子書籍を手掛けていない出版社(ほとんどが小出版社だが)は淘汰されていくに違いない。

『紙の本と同じようにしたいとこだわっているのはいいんだが、そんなもの、電子書籍に求めているのだろうか。紙の本だとコスト面で一色にしかできないものも、カラーで見ることができるとか、音が出るとか、そういうのがいい。実際、コミック専門の電子書籍リーダーはそうなっている。キンドルは、文字だけに特化しているわけで、最初に感じた大昔のワープロ専用機みたいという印象は正しかったのだ。と、書いたあとで、タブレットのキンドルファイアというのがあることを知ったが、まさに「あとの祭り」であった』

 って、知ってるんじゃありませんか。私なんか、Kindle Paperwhiteを買ったのはAmazonがKindle Paperwhiteを日本で発売してすぐだったし、Kindle Fireも日本発売直後に買った。なので、Kindleの弱点も長所もよく知っている。なので、基本的にはすべて電子版で読めるのなら電子版にしてしまいたいと考えている。

 とは言うものの、書店で見かけて「これ、面白そう」となってしまったら、すぐその場で購入なので、本書のように電子版が出ている本であっても、紙版で買ってしまうということもあるんだなあ。ああ、損した。

 で、結局……

『キンドルを買った翌日から、三泊四日の旅に出た。それもあって買ってみたのだが、結局、数分眺めただけだった。というわけで、弟の作ったものも読めていない。面白いかどうかも分からない』

 って具合で、この人はやはり本に「物神性」を求めている人なんだなあ、ということがよくわかる。

 つまり、本を「情報」であると考えている人は、基本的に電子書籍に対して嫌悪感を持たないのだが、「本は情報だけじゃない、手触りだって重要だ」というようなことを考えている人は、やはり中川氏のように電子書籍を嫌う人になるのであります。

 えっ? 電子書籍以外の分はないのかって? 勿論ありますけど、まあ、その辺は出版社にいた自分からすれば当たり前のことばっかりで、あまり面白くなかったので割愛。まあ、本を読んでください。

出版社社長兼編集者兼作家の購書術本には買い方があった!』(中川右介著/小学館新書/2015年2月7日刊)さすがに小学館、既にKindle版がある!

2015年3月 6日 (金)

『内定童貞』ってのも、サイテーのタイトルだけれども、まあ言っていることはわかる

 うん、「内定童貞」って言葉は初めて聞く(見る)が、何となくわかる。

『一定の年齢に達した男性の場合、女性経験がない時はさっぱり自信が持てない。周囲にカップルがボコボコと誕生しているというのに、自分は一切彼女ができない。オレは無能なんだろうか、魅力がないのだろうか。生きている価値がないのだろうか……と悩む。女性経験の有無が人間の価値にそれほど影響を与えるとは思わぬものの、その有無のみで人間の価値を判断してしまう。そして、童貞こじらせ期間が長引けば長引くほどますます自信を喪失していく』

 だが、ひょんなことからその日は来て、何故か女の子(まあ、ソープ嬢とか風俗関係もあるけれどもね)と初セックスをしてしまうのである。

『その時は「あああ、ついに本願成就!」という感慨はあるものの、「えっ? こんなにあっさりと童貞って捨てられるものなの?」なんて思う。以後、爆発的にモテることはなくとも、「いい雰囲気」に持ち込むコツはつかめてきて周囲の悩む童貞に対し「あのよお。そこまで悩まないでいいんだよ」なんてエラソーに言うようになる』

 ってことなんだよな。

 実は「内定」を取るってのはそんなに難しいことでもなんでもなくて、普通にしていれば、普通の学生ならば、普通に取れるのが内定ってものなんだ。超一流企業さえ狙えなければね。

 なので、就活生もどんな会社でもいいから早めに内定を取って、「内定童貞」を捨てれば、かえって以降は内定を更にとりやすくなるってこと。

Photo 『内定童貞』(中川淳一郎著/星海社新書/2015年2月25日刊)

 私が新入社員になったのは1975年なので、その前年1974年7月が新入社員の採用解禁の月だった。

 中川氏は1997年に博報堂に入社だから、1996年に入社試験を受けたのだろう。私の時から22年後に入社試験をうけたのだが……

『小学館の応募書類を取り寄せてそのレベルの高さにギョーテンした。あまりにも高度な課題がそこにはあったのでるある。一体どんな課題だったのかは覚えていないが、その場ですべての出版社の受験を諦めさせるほどのインパクトがあった。「どうせ講談社も集英社も同じくらい難しいんだろう……」と考えたのである』

 そんなわけで広告代理店に入社したわけであるが、えーっ? 出版社の課題ってそんなに高度なものなの? というのが、私の印象。だって入社試験が高度だったっていうわけではなくて、応募書類を見たら高度な課題があったってことでしょ。何が書いてあったんだろう。

 私が就活(なんて言葉はなかったが)をしていた時代は、まだまだ「指定校制度」とか「学内選考」なんてものがあった時代で、「学歴フィルター」なんて当たり前の時代だった。幸い私の通った大学は指定校制度で振り落されてしまうような大学ではなかったが、リクルート社から送られてきた「リクルートブック」には出版社はなかった……と思う。

『当時は、「リクルートブック」と呼ばれる分厚い冊子がリクルートから送られてきて、そこに各社の紹介が書かれていると同時に、キリトリ線つきのハガキがついていた。このハガキを送ることにより、資料請求するのである。人気企業のハガキには切手を貼る欄があり、不人気企業のハガキは料金後納で無料だった。
 やること自体は、リクナビはじめナビサイトが出来た今と同じだ』

 ところが講談社や小学館といった大出版社は「リクルートブック」には載っていない。じゃあ、どうやって新入社員を募集したのか? 実は新聞の募集欄で募集をかけるのである。なんとも大胆というか、ウチの会社は受けたい人は全部受け入れますっていう姿勢。なので、30人程度しか採用しないのに、受験生は数千人もやってくる。

 まず最初は筆記試験から始まって書類選考となり、そこから一次面接が始まる訳なのだが、どうやって筆記試験なんて採点しているのだろうか。まあ、沢山書いてあれば、その答案用紙は重くなっている筈だから、階段の一番上から答案用紙をブン投げて、一番遠くまで飛んだ奴を一番として、そんな感じで採点しているんだろう、なんて話を当時同期入社した連中と話していた記憶はある。

 まあ、それでもね、入社してきた連中は皆さんなかなかの秀才揃いでしたね。どうやってそれらを選考しているんだろうか、と考えてみれば、所詮、筆記試験とか書類選考なんてものは単なる「足切り」に過ぎない訳で、ポイントはその後の面接試験なんでしょう。

 そう、面接でエントリーシートや、書類選考のウソがバレちゃうんです。

 ところで、本書では「おすすめ面接ネタ10選」ってのが載っているんだが、これは信じちゃだめですね。

『・YouTubeで儲けるコツ
・ビールの売り子、男女でどれほどの売上げの差があるか
・リアルお金持ちの生活
・1ヶ月の食費を1万円以下に抑える方法
・北海道の極寒生活の実態
・離島の生活の実態
・京都・五山送り火の日、関係者の動き
・3kmも走れなかった人がフルマラソンを走れるようになるための練習法
・1年間で1000冊漫画を読むチャレンジをした結果
・ツイッターのフォロワーの増やし方』

 だってだ、これって仕事に関係してないじゃん。っていう貴方、まだまだ甘い。

 そうじゃなくて、こういった大人が食いつきそうなネタを自分で探さなくちゃいけないってことなんですよ。つまり、ここに上げられているネタは、すでに中川氏あたりの大人からは「見すかれれているネタ」ってことなんす。

 つまり、中川氏の時代ならウケたネタでも、いまはウケないってことで、今の時代のオトナが知らないネタを仕入れることが大事だってことなんですね。

 まあ、皆さん、元気を出して、自分に自信があるものがなければ、新しいネタを仕入れてくださいな。

 あ、私? 私の場合は単純に、月刊『シナリオ』誌新人評論賞入選ということと、『キネマ旬報』誌の常連投稿者だったっていうのが、その理由だったようだ。これは「盛っている」わけでもなんでもなくて、実績だからしょうがないよね。

 結構、単純なんですよ。入社理由なんてね。

『内定童貞』(中川淳一郎著/星海社新書/2015年2月25日刊)「星海社」っていうのは、単なる講談社内のブランドに過ぎないのに、なんで電子化しないんでしょうかねえ。

2015年3月 5日 (木)

世田谷文学館で『岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ』を見る

 そういえば世田谷文学館って久しぶりだなあ。

 以前、サラリーマンをやっていた頃は、世田谷在住だった映画監督の小林正樹氏の関連で、私がいた会社から映画『東京裁判』関係の資料や書籍を世田谷文学館に寄付した関係で、世田谷文学館から毎回イベントや展示の案内と共にチケットを送っていただいた。

 そんな関係で、二月に一回くらいは世田谷文学館に行っていたのだが、会社員を辞めてからはまったく言っていなかったのではないだろうか。

 そんなある日、世田谷区内を歩いている時に、見つけたポスターがこれ。

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 ああ、懐かしいなあ世田谷文学館か、よし今度行こう。ということで昨日行ってきたのです。

 世田谷文学館『岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ』

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 私自身は決して岡崎京子の熱心な読者ではなかった。がしかし、その可愛いんだか可愛くないんだかよくわからない女の子を主人公にしたコミックは、何故か魅力的で注目はしていたし、蜷川実花監督で沢尻エリカ主演で作られた映画『ヘルタースケルター』の原作は読んでいた。

 連載がサブカル系の雑誌だったりしたので講談社からはあまり出版はされていなくて、角川あたりからの出版が多かったのではないだろうか。それもあって、あまり熱心な読者じゃなかったのかな。なので、1996年にひき逃げに遭って瀕死の重傷を負ったことも知らなかったし、その後は、漫画家活動を休止し、リハビリを重ねていたということも知らなかった。

 内田春菊、原律子、桜沢エリカなどといった漫画家と同枠で捉えられていたのだが、その作風の違いは明確で、やはり岡崎京子の方が先鋭的であったように思う。

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『下北沢クロニクル』という展示もやっている。

世田谷文学館のオフィシャルサイトはコチラ

『岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ』の公式図録も販売中。

2015年3月 4日 (水)

「NIKKEI MESSE 街づくり。店づくり総合展 2015」は店づくりに関係ない人にも有効だぞ

 昨日から東京ビッグサイトで始まっているのが「NIKKEI MESSE 街づくり・店づくり総合展」というわけで行ってきました。

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 まあ「街づくり・店づくり」ということに関連すれば何でもアリという展示会なので、それこそ何でもありの展示会なのですが、まず最初は「JAPAN SHOP 2015」へ。

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  まあ、つまりここも「店づくり」に関するモノなら何でもありなんで、凸版印刷みたいな会社から……

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 BOSEなんて音響会社もあり、ということで基本的には「店づくり」に関連すればなんでもいい、って感じなんですね。

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 ついでに言っちゃうと、なんでここで徳島県が出てくるのだろうか、とも思うのだが、まあ、徳島県でお店を開業しませんか? っていう提案なら問題ないわけなのでありました。

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 おお、ヒューレット・パッカード(私が今このブログを書いているパソコンの会社)ですね。

 まあ、お店の巨大看板用の巨大プリントができるプリンターですよってことを売りにしてるんだけれども、まあ、そのプリンターを買いに来るお客さんはここにはいない訳で、それはそれ、別の展示会で機械そのものは売るんでしょう。

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 なんてことを考えている間に、いつの間にか「建築・建材展 2015」の会場に入ってしまったようで、眼の前では「鬼瓦の製作」なんてものをやっています。

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「木ではありません。さわってみてください!」っていうんだけれども、触ってみれば完全に木。よく聞いてみれば、表面は木なんだけれども、内側にはアルミの管が入っていて、きのぬくもりと金属管の強さを備えた材なんだそうだ。

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 んで、「SECURITY SHOW 2015」に行けば、当然こんな監視カメラがやたら多くて気分が良くなくなってしまいます。

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 ああ、そうかこういった入出管理システムなんてのも、セキュリティではあるな。

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 で、セントラル警備保障のブースではソフトバンクのロボット、PEPPAR君が応援していました。あれ、応援じゃなくて、CSPが買ったのかな?

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 で、東ホールの最後の展示は「リテールテック 2015」です。

 もうこうなっちゃうと、基本的にはコンピュータ・テクノロジーでどこまで小売りを助けるかというテーマなんで、何でもあり、ということでコンピュータ・メーカーやソフト・メーカーの「いつもの展示会」ですね。

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 足を西ホールに運んでみると、そこは「ライティング・フェア 2015」ということで、当然、会場の照明はすべて消されてしまって、ブースの照明だけで明るくなっています。

 まあ、それだけのことなんだけれども、今年のライティング・フェアは「CHINA PAVILION」と「TAIWAN PAVILION」が目立っていたかな。

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 基本的には、各ブースともみんなLED照明の競い合いなんだけれどもね。

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「店づくり・街づくり」ということなんで、一般の人には関係がないような展示会なんだけれども、実はここでいろいろな会社のブースを見ることで、自分の家のリフォームやリノベーションの参考になることが多いんだなあ。

 結構、参考になることが多いこの展示会。「店づくり」とは関係がない人にもおススメです。

「NIKKEI MESSE 街づくり・店づくり総合展」の公式サイトはコチラ。ここで、登録していけば、入場料は無料になります。

 なお、今日からは「ライティング・フェア 2015」と同じ西ホールで「フランチャイズ・ショー2015」も始まります。

2015年3月 3日 (火)

『一神教と国家』今日は雛祭りなのでイスラームのお勉強をしよう

 今日は雛祭りなのでまたまたイスラームの話をします、って?????

 訳わかんないなあ。でも、書いてる私もそんなこと書きながら、実は私が書いていることの結論がどこに向かうかは分からないで書いているんです、実は。

Photo_2 『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(内田樹、中田考著/集英社新書/2014年9月30日刊)

 基本的な問題としては、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教が元々同じ宗教だったということへの理解はある。

『通俗的には、ユダヤ教の後にキリスト教が、その後にイスラームが生まれ、イスラームはユダヤ教の『ヘブライ語聖書』(キリスト教徒は『旧約聖書』と呼びます)、キリスト教の『新約聖書』を啓典と認めている、などという説明がされていると思います』

『今日ユダヤ教と言われているものは、ラビ・ユダヤ教と呼ばれるもので、キリスト教とほぼ同時期に並行して成立したものです』

『そしてまたキリスト教も成立当初には後にユダヤ教と呼ばれるようになる宗教と別の宗教という自意識はありませんでした』

 ということへの理解もある。イエスはユダヤ教徒であり、キリスト教の始祖ではない。イエスの生きている間はそれはユダヤ教の一宗派でしかなく、彼の死後、12人の使徒が始めたのがキリスト教なのであることは、私も知っているのだが。

『イスラームは、単純明快な答えを用意しています。神の啓典を授かった者はすべて預言者であり、アダム以来の神の宗教はすべてイスラームです。ユダヤ教の「ユダヤ」は歴史上の固有名詞であり、キリスト教の「キリスト」もイエス・キリストという特定の人物を指す言葉であるのに対して、「イスラーム」だけが「服従」「帰依」を意味する一般名詞であることは、イスラームの普遍主義を端的に示しており、象徴的です』

 というあたりから、ちょっと違和感を覚えてきて、

『すべての預言者の教えはイスラームであり、それが唯一の正しい宗教です』

『あくまでイスラームから見た場合、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの関係は逆転します。イスラームこそが、アダム以来の預言者たちの宗教、オリジナルであり、キリスト教とはイエスの福音を直弟子の後に続く世代が誤って解釈することによって歪曲して創り上げた宗教、ユダヤ教とはモーセの律法をイスラエルの民たちが歪曲、改変を重ねたものをラビたちが集大成したものだということになるのです』

 と、「イスラームだけが正しい宗教です」なーんてこと言っているから、宗教戦争が終わらないのである。つまり、一神教は皆同じ根っこを持っているからこそ、お互いを認めずに戦いを繰り返すのではないか。

 この辺が八百万の神を持つ日本人には理解できない部分であり、何故、お互いにいがみあうのだろうかということなのだ。

 更に言ってしまうと、

『イスラーム圏の国々は殆ど全部そうです。一七世紀ごろにはオスマン帝国が東欧からアラビア半島、西アジア、北アフリカに至る広大な領域を治めていたのですが、一八世紀ごろから列強にジグソーパズルみたいに蚕食されて、二〇世紀初頭には、圏内で独立を保っているのは、弱体化して縮小したオスマン朝とイランのカージャール朝とアラビア半島のサウジアラビアの三国のみになっていました。それらが二度の大戦をはさんで五月雨式に独立して、今のような世界地図になったのです』

 という論は、しかし現在のイスラーム国が主張しているイスラーム圏の復活というのと同じ論であり、また、中田氏が言う「カリフ制の復活」という論も、実はイスラーム国の主張と基本的には同じなのである。

 しかし、歴史は前にしか進まない。過去に戻るというのはあり得ない話なのである。それを過去に戻そうとしているから、世界を相手に戦争をしなければならなくなっているのではないだろうか。

『今世界中の至るところでアメリカの世界戦略がイスラーム集団と激しいフリクション(摩擦)を起こしていますけれど、それはそれぞれの地域での個別的な政治的紛争にたまたまアメリカが巻き込まれて、そのつどなぜかイスラーム集団と対立しているということではないんです。個別的な理由ではなく、もっと根本的な理由でアメリカはイスラームと「不俱戴天」の関係にはまり込んでいる』

『アメリカはどうやって「イスラーム諸国」を破壊するのか、そういう考え方をしてしまう。でも、イスラームの場合は話が反対になる。イスラームは国民国家ではないからです。むしろ、イスラームは国民国家という枠組みとは相性が悪いんです。もともと遊牧民的な集団ですから、クロスボーダーな仕方で連帯している。それがアメリカにとってはいちばん困る点なんです。国境線の内側に収まらない』

 イスラームの考え方(一神教)の考え方のベースにあるのは「遊牧民」の発想であるから、それが「国民国家」の考え方と相容れないというのはよくわかるが、しかし、イスラームでありながら国民国家とつくっている中東国家を「世俗主義」であると批判するのはいかがなものだろうか。というか、世俗主義というのはすべての(他宗教の)国家においても宗教が政治権力と結んでしまったことに対する反省として、政教分離の基本となっているものだ。

 中田氏が言う「カリフ制の復活」というのも、この文脈の中での発言であり、国民国家を否定する考え方なのだが、それは他宗教を受け入れない考え方であり、歴史の発展を否定する考え方でしかないし、それは実現不可能な主張でしかない。

 別に中田氏の考え方をイスラーム国の主張と同じ危険思想だという気はないが、少なくとも歴史の発展を否定して、他宗教を受け入れず、国民国家を否定する考え方をしている限りは、他の人々から受け入れられる考え方ではないということだけははっきりしている。

 世界の殆どの宗教者は他宗教の存在を認めているし、融和しているのである。殆どのイスラームも、他宗教との平和的な共存を望んでいるのだ。

 って、やっぱり雛祭りとは何の関係もないブログになってしまった。

『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(内田樹、中田考著/集英社新書/2014年9月30日刊)既に紙版は絶版なのかなあ。

2015年3月 2日 (月)

中野・鍋屋横丁

 私が落語を聞くときにしばしば参考にしている、東洋文庫611『新編 落語の落(さげ)』では『粗忽者』という題で、『本所林町の粗忽長屋に甚兵衛という粗忽者があって、始終失策をやって居る、という話で、独立して題を置く程の話でもなかろう。堀の内へお参りに行くといって、弁当包と間違えて、女房の湯もじに枕を包んで行ったり、子供を湯に連れて行って、他人(ひと)の子と間違えたり、子供の背中と思って、羽目板を洗ったりするという話し。朝枝という前座が、早口で話すのを、度々寄席で聞いた事がある』という具合に簡単に記されている前座噺を、『堀の内』という外題にして得意にしていたのが、4代目三遊亭圓遊、10代目桂文枝、8代目橘家圓蔵であります。

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 その『堀の内』で「この道(青梅街道)まっつぐ(江戸弁です:真っ直ぐ)行って、鍋屋横丁を左に曲がるとお祖師様に出る」と言われるのが、ここ、中野の鍋屋横丁です。

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 なんで「鍋屋横丁」なのかと言えば、江戸の昔から、青梅街道を経由して妙法寺(お祖師様)に向かう際、現在の鍋屋横丁交差点を左に曲がることになるが、その目印となったのが「鍋屋」という名の「休み茶屋」があったからというのであります。

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 なるほどね、現在はお祖師様へ行く際の目印は環七通りから入るのだが、昔は環七なんてなかった訳だから、基本的には青梅街道を行って、「鍋屋」のところを左へ曲がるということになるのだなあ。

 しかし、現在はそんな昔を偲ぶものや遺構なんかはなくて、ごく普通の商店街になっています。「なべよこ」を店名にもつお店もあまり多くありません。

Photo 『新編 落語の落(さげ)1』(海賀変哲著/小出昌洋編/東洋文庫611・平凡社/1997年2月10日刊)

 唯一あるのが、上から二番目の写真にある「鍋横道しるべ」くらいなもので……。

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 とは言うものの、今現在凄い勢いで変化しつつある中野界隈。

 なんか昔の「鍋屋」を感じさせるモノが復活しそうな雰囲気もあります。

『新編 落語の落(さげ)1』(海賀変哲著/小出昌洋編/東洋文庫611・平凡社/1997年2月10日刊)

LEICA M6 SUMMICRON 35mm/F2 @Nabeya Yokocho Nakano (c)tsunoken

2015年3月 1日 (日)

ラマダーン明けの西新井大師

 私はメタボの検査のために毎月一回、血液検査をしています。なので、検査のある日は血糖値を測るために朝食抜きとなる訳ですね。

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 なので検査が終わった時にはお腹はペコペコ、気持ちはちょっと贅沢したいな、という気分。

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 そんな時は、ここ西新井大師へ行くわけです。

 都バスを荒川土手で降りて(というか荒川土手までしか行かないんで)。勿論、そこで西新井駅行きに乗り換えて行くというテもあるんですが、ここは歩きましょうということで、テクテクと西新井大師まで。

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 で、以前はここの今は公園みたいになっている「小柳家」という食堂で「ウナギかば焼きで一杯」だったんだが……、今は小柳家は店をたたんじゃってありません。でも、こんな工事やっているということは、また何かのお店ができるのかなあ。

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 まあ、いずれにせよ小柳家はないんで、今はお隣の草団子屋さん「清水屋」の食堂で「ウナギかば焼きで一杯」なのです。店は変わっても食べるものは同じ。

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 で、小腹が膨れたら、お大師様に参って、大師前駅は通過して……

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 西新井大師道を通って……

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 西新井駅から家へ帰ってくるのです。

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 え、なに? 「ラマダーン明けの西新井大師」って、イスラームとは何の関係もないじゃん、って? 単なる「酒飲み日記」じゃないかよって? その通りでございます。

 大体、イスラームじゃお酒も飲めないしね。まあ、ちょっと朝食抜きの気分をラマダーンに比較しただけでして、イスラームの皆さん、ごめんなさい。

 ま、日曜日の朝だし、取り敢えずはお許しを……。

Fujifilm X10 @Nishiarai, Adachi (c)tsunoken

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PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?