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2015年2月 3日 (火)

『さらば愛の言葉よ』はゴダールの遺作なんだろうか

う~ん、今年は1月には1本も映画を観ていなかったなあ。まずいぞ、ってことで今年最初に観たのがゴダールであります。

 本作品でジャン=リュック・ゴダールはカンヌ映画祭審査員賞を受賞した。おまけに映画に出演した、ゴダールのパートナー、アンヌ=マリー・ミエヴィルの飼い犬、ロクシー・ミエヴィルが「パルム・ドッグ賞」なんだとか。なんかオフザケのようにも見えるカンヌ映画祭。

 なんだか1968年にカンヌ映画祭粉砕事件を起こしたゴダールも、今やその咎を免れて、殿堂入りなのかもしれないな。何せ最早84歳だ。

2 『Adieu au Langage/さらば愛の言葉よ』(ジャン=リュック・ゴダール監督・脚本・編集/製作:ブラヒム・シオウア、ヴィンセント・マラベル、アラン・サルドゥ)

 プログラムの冒頭にゴダール直筆の「rejume/梗概」が掲載されている。

『テーマはシンプルだ

人妻と独身男が出逢う

ふたりは愛し合い、口論し、叩きあう

一匹の犬が町と田舎を彷徨う

季節はめぐり

男と女は再会する

犬は気付くとふたりのもとに落ち着く

他者が個人の中にいて

個人が他者の中にいる

そして登場人物は三人になる

かつての夫が全てを台無しにし

映画の第二幕が始まる

第一幕と同じようで

それでもどこかが異なる

人類からメタファーへと移り

犬の啼き声と赤ん坊の泣き声で

物語は終わる』

 とこれを読むとゴダールは「物語」に回帰してきたのだろうか、と一瞬思ってしまう。まあ、それに惑わされたのが「日経新聞」に映画評を掲載している中条省平氏なんだけれどもね。

 がしかし、それはゴダールによる幻術なのだった。前作「ゴダール・ソシアリズム」で行った、全編エッセイのような語りときらめく映像の世界から更に発展させて、『さらば愛の言葉よ』では、キャノンEOS 5D マークⅡやフジフィルム、ソニー、Go Pro、Lumixなどの一般人でも簡単に入手できる民生機でもって3D映像を、まるでホームムービーのような形で導入しながら、しかしやっていることはまさしく「メタ映画」なのであった。

「ゴダール・ソシアリズム」でやったことは、この「メタ映画」の一歩手前の「哲学映像」だったことが、本作を観るとよくわかるのだが、それをまさしくホームムービーとしてやったことが、さらにその「メタ」性を強めることになっている。

 多分、撮影はゴダールの家の中、家の近所の普通の場所、公園、レマン湖の港、近所道路などで実施されている筈だ。撮影隊もゴダール自身、撮影監督のファブリス・アラーニョ、制作担当のジャン=ポール・バタジアの三人にプラス役者だけだろうし、その撮影の半分以上はゴダールの家の中で撮られている。

 そして、その語られる台詞は会話になっておらず、それぞれの男女が自分の言葉をそれぞれに語っているだけなのだ。つまり、これは「ダイアローグ」による会話ではなくて、「モノローグ」による会話。「モノローグによるダイアローグ」という言い方が正しいのか間違っているのかは分からないが、そんな台詞のやりとりなのだ。

 多分、セックスを終えたばかりの裸の男女が、普通そんな「モノローグによるダイアローグ」を交わさないだろうか。つまり、彼らのセックス自体がそんな「モノローグによるダイアローグ」のようなセックスだったのかも知れない。だとしたら彼らによって交わされたセックス自体も「メタ・セックス」なのか、なんてのはあだし事ではあるが、そんな「メタ・セックス」なんてこともあるのかも知れない、と思わせるような見事な表現ではある。

 ところで、「Adieu au Langage」というのは、単純に直訳すれば「さらば言葉よ」ということではあるし、ゴダールが現在住んでいるスイス・ヴォー州・ロール市あたりでは「今日は言葉よ」という意味もあるらしい。普通のフランス語で言えば"Au revoir"は英語の"See You"位のお別れであるが"Adieu"はどちらかというと「永遠のお別れ」という意味である。それがスイスのある地方ではダブル・ミーニングになっているというのは面白い。

 つまり、それはスイスのある地方の方が、フランスよりももっと古くからフランス語を話していたということなのだろうか? あるいは、何かの切っ掛けでそんなダブル・ミーニングになっていったのだろうか? とすると、スイスの方がフランスよりも「古い」かあるいはスイスの方がフランスよりこ「文化性が上」なのかという疑問が湧いてくる。

 ダブル・ミーニングというのは、最近はアメリカ黒人が良く使う言葉のようだし、日本人も、まあアメリカ黒人の影響なんだけろうけれども、使い始めた。若い人が良く使う「ヤバい」なんてのもそうだしね。で、これって私が思うに「文化性の高さ」だと思うのである。

 つまり、言葉と言うのは、そんなにキチンとした定義があって使うものではなくて、その場その場の状況に応じて使うものだ。ということになれば、ある定義だけでしか使えない言葉というのは、その言葉の世界通用性としては高いかも知れないが、逆に、その言葉を使うせまい世界の中における文化性は低いと言わざるを得ない。つまり、そのせまい世界では言葉はいろいろな意味を持って存在し、人びとはその言葉が発せられる状況を見ながら、その言葉の意味を捉えていくのである。

 日本でも、東京の言葉よりも京都の言葉の方がそこに含まれている「含意」が多いと言われている。それはやはり東京と京都の歴史の古さの差だろうし、東京のような日本中からの寄せ集めの人間が集まっている都市と、京都のように昔からの人々が定住している都市の違いなんだろう。

 つまり、ゴダールはスイスのその地方が持つ言葉の「含意」の豊富さを認めて、その言葉のフランスからの優位性を、この映画で言いたかったのかも知れない。

 もともと、フランス語系スイス人だったゴダールとしては、パリにいて結構孤独だったのかも知れない。その孤独さが彼をして映画の方へ向かわせたのかも知れないし、今現在は、故国スイスに帰って、それまでとは逆にスイス人としての誇りでもって「スイス語」を堂々と語る、ということをこの映画でやりたかったのかも知れない。

 Vive le Suisseということなんだろうな。

 つまり、ゴダールも年取って、先祖帰りしたんだろうか。

『さらば愛の言葉よ』のオフィシャルホームページはコチラ

シネスイッチ銀座のサイトはコチラ

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