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2015年2月

2015年2月28日 (土)

『スマホに満足してますか?』っていうタイトルだから……ちょっとダマされちゃったなあ

『スマホに満足してますか?』っていうタイトルなので、てっきり、イマドキのスマホしか使わなくて、パソコンを持っていない若者を揶揄した本なのかと思って読んでみたら、そうじゃなくて実はサブタイトルの「ユーザーインタフェースの心理学」の本だったんだなあ。

 文系の本じゃなくて、理系の本。

「みんなジョブスにダマされてる!?」んじゃなくて、私は光文社新書編集部にダマされた!

Photo 『スマホに満足してますか? ユーザーインタフェースの心理学』(増井俊之著/光文社新書/2015年2月20日刊)

 まず「まえがき」なんだけれども

『現在のスマホやパソコンは本当に誰にとっても便利なものでしょうか。皆が使っているし、いろんなことができるから、なんとなく便利なものだと思いこまされているだけなのではありませんか。スマホが格好よくて便利だと思っている人は、アップルやグーグルに騙されているだけなのかもしれません』

『このように考えてみると、現在のスマホやパソコンは知的活動をしたい人にとっては不便ですし、映画や音楽を楽しみたいだけの人たちにとってもやりたいことがすぐにできず、とても中途半端なものになってしまっています』

 と、この辺あたりまでは、私にも理解できる。

 結局、スマホとかタブレットとかいう、いわゆる「スマートデバイス」って実は全然スマートじゃなくて、自分で何かを発信しようとするとまったく使い勝手が悪いデバイスなんだな。これだったらパソコンのキーボードの方がよっぽど使いやすくていい。結局、スマホとかタブレットを使っている人たちって、自分から情報発信をしないで情報を受容している人たちばっかりなんじゃないかって思っていたんだけれども、それはその通りってことに納得したんだけれども、増井氏が言っていることはそれだけじゃない。

『コンピュータの使いやすさを進化させるためには
1 人間の心理や特性を理解し
2 新しい発想を育て
3 ウェブのトレンドを理解し
4 ユビキタスコンピューティング技術を理解し
5 頭を整理することができるような
6 信頼できる安全なシステムを開発してい
ことが重要です』

 ということを言っているんだが、実際にはそうなっていないということを言いたいんだなあ。

 コピー/ペースト機能とか、GUIとか、反応時間とか、キーボードショートカットとか、パスワードとか、コンピュータをいじくっている時に必要になる作業が、それぞれ別になってユーザーと対応している状況から、何とかしなければと言っているのだが。

『スカリーによれば、ジョブズは常にユーザのことについて考えてはいたが、「マーケティング」などと称して「ユーザの声」を聞いたり評価を行なったりすることはなく、「グラフィックコンピュータを見たこともないような奴等にGUIについて聞くなんてありえないだろう」と言っていたということです。芸術家が絵を描くときにユーザグループを作ったりしないのと同じように、ジョブズは何がほしいかユーザに聞いたりしませんでした』

『MITのメディアラボ所長だったニコラス・ネグロポンテにおいて、「私はインタフェース研究におけるテストやユーザ評価はくだらないと思っている。傲慢かもしれないが、丁寧に調べなければ違いがわからないようなものはそもそもたいした違いがないのだ」と述べています』

 という位、コンピュータの開発においては、ユーザーにモノを聞くということは意味のないことなのだろうか。まあ、確かにユーザーはコンピュータの未来にはまったく詳しくないし、これからのコンピュータがどういった方向に行くのだろうかなんてことにはまったく興味がないのだろう。ポイントは今新しく提供されたデバイス(パソコン、スマートフォン、タブレットなど)をどう使うかということだけで、それが将来どうなるべきかなんてことは考える筈もない。それが「ユーザー」というものだ。

 今、パソコンをやっている人たちの中ではデフォルトになっているメッセージのやり取りであるメールについても、

『メールというコミュニケーションシステムはかなり昔から使われ続けていますが、以下のような多くの問題点を持っています
●確実に届くかどうかわからない
●読んでもらえたかどうかわからない
●一度送ってしまうと訂正できない
●発信者を詐称できる
●誰にでも送れてしまう(スパムを簡単に送ることができる)
●送られてきたものはすべて受け取らなければならない
●相手を知っていてもアドレスを知らなければ送れない
●テキストしか送れない
●アドレスを間違えやすい
●複数の人間で情報を共有しにくい
●秘密情報を送りにくい
 様々な工夫によりこれらの多くは解決されているのですが、複雑な情報をきめ細かく交換したり共有したりするには根本的に向いていないので、今後メールシステムは消えゆく運命にあると思われます』

 ということで、今後はFacebookのようなSNSやLINEのようなSMSになっていくだろうって言うんだけれども、じゃあブログはどうなっちゃうんでしょうねえ。

『世の中で流通している情報は、いつでも参照できる「ストック型情報」と、リアルタイムに流れてくる「フロー型情報」に大きく分類することができます』

『ネット上にはウェブページ、メール、掲示板、ウィキ、ブログ、SNSなど様々なコミュニケーションシステムが存在しますが、これらはフロー的かストック的かのいずれかであることが多く、両方の特徴を備えた便利なシステムは多くありません』

 となると、ストック型のコミュニケーション手段であるブログなんかは、早晩消え去る運命にあるのでしょうか。

 う~ん、それは大変なことであるなあ。

 でも、早いうちから(それこそスティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアックと同じ時期から)パソコン(当時はそんな言葉さえなかった)と付き合ってきた増井氏には見えるものがあるんだろうなあ。

『スマホに満足してますか? ユーザーインタフェースの心理学』(増井俊之著/光文社新書/2015年2月20日刊)

2015年2月27日 (金)

『アメリカン・スナイパー』タカ派もすなるPTSDってか?

 クリント・イーストウッド監督の新作で、あわやアカデミー賞作品賞かって言われたんだけれでも、まあ、選ばれなくてよかったのかも知れない。

 うーん、少なくともリベラル派からは絶対に出ない発想だもんなあ。はっきり言って、この映画「反戦映画」どころか「好戦映画」ですよ。

 まあ、それはそれで面白いんだけれどもね。

 つまり、アメリカ・アカデミー協会はハリウッドの映画製作関係者たちのギルドであり、そのギルドの人たちは、あのマッカーシー旋風の時の「赤狩り」対象者だった人が多い。なので、基本的には好戦的な映画に対しては厳しい見方をするってこと、つまり、いくら東森さんがイラク戦争には反対って立場をとっているからといっても、共和党の支持者に対してはハリウッドの連中は厳しい態度で臨むってことですね。

Photo 『アメリカン・スナイパー(American Sniper)』(クリント・イーストウッド監督・製作/ジェイソン・ホール脚本/クリス・カイル原作/2014年公開)

「戦争後遺症(PTSD=心的外傷後ストレス障害)」に関する映画としては、やはり『ディア・ハンター』をまず最初に上げることには問題はないだろうし、「スナイパー映画」としては、やはり『スターリングラード』を上げていいだろう。

 問題は、これらの映画と『アメリカン・スナイパー』の大いなる違いがあるということなのだ。

『ディア・ハンター』はベトナム戦争後のPTSD映画であるし、『スターリングラード』ソ連による対ドイツ戦でのスターリングラード攻防戦を描いたものだ。両方とも、まだ「徴兵制」があった頃の話で、主人公たちは別に戦争に行きたくて行ったわけではない。税金を納めるのと同じ関係論で、軍隊に入っただけで、それがたまたまベトナムへ任地を命じられたのが『ディア・ハンター』だし、ライフル銃の腕を認められて「狙撃兵」になれといわれたのが『スターリングラード』なのである。

 つまり、たまたま「徴兵」に出会ってしまい、たまたま「任地・任務」を任されてしまったというのが両映画の同じところ。勿論、その後の展開は全然別になってしまうんだけれども、こうして見ると、映画の前半の基本構造はまったく同じなのだ。

 で、多分ベトナム戦争までの戦争映画って基本的に、この前半構造をみな共通のものとして持っていたはずなのだ。

 それが変わるのがベトナム戦争以後、つまりアメリカ合衆国軍隊が徴兵制を辞めて、志願兵だけで構成されるようになってからの時代なのだ。

 つまり、ベトナム戦争以降は、アメリカ軍というのは志願兵だけで構成され、ということはベトナム戦争の際のような、岩国基地前の反戦喫茶店「ほびっと」みたいな存在はあり得なくなってしまったのである。つまり、軍隊志願制になってから以降は、「軍人になって国を守りたい」「軍人になって外国人(あるいは内国人の場合も)を殺したい」「軍人になるしか職業がない」という人たちしか軍人にならなくなったわけで、つまり「脱走兵」が多く出てくる可能性は低くなってしまったわけである。

 ところがここに、別の問題が出てきた。

 アメリカ軍の編成って、基本的に「陸軍(Army)」「海軍(Navy)」「空軍(Air Force)」「海兵隊(Marine)」の4軍なんだけれども、NavyとAir Forceは基本的に相手の個人と自分との間で「殺し合い」をするっていうリアリティに乏しい戦い方をする。基本的には「艦対艦」「機対機」の闘いである。Armyは如何にも人と人の戦いのような気がするが、実は陸軍の仕事って言うのは、基本的に「治安軍」であるから、海兵隊が敵を制圧した地域の治安にあたるっていうのが一番の仕事なのだ。

 まあ、なので陸軍の兵隊さんと現地の女の子との恋話が多いんだけれどもね。つまり、それは戦時の一時の平和な時の話としてね。

 つまり、一番過酷な仕事をしているのが海兵隊だってことですね。

「戦争後遺症(PTSD=心的外傷後ストレス障害)」にかかる人も、一番多いのはアメリカ海兵隊の経験者らしい。

 それはそうだろうな。他の軍隊は軍隊とは言っても人の生き死にに関する体験は低いのに対して、海兵隊はまさにその生き死にを毎日体験しているんだものな。

 更に、その海兵隊のスナイパーだったらどうだろうか。

 普通、海兵隊だってそんなに野蛮な訳じゃないから、建物に突っ込むときは、基本は「盲目滅法」にライフルを撃って、敵を脅かせ、敵が脅かされた瞬間を狙って突っ込んでいくのである。つまり、海兵隊の人たちだって、自分が撃った敵を見ている訳ではなくて、結果オーライみたいな感じで突っ込んで行くのである。

 それがスナイパーでは違うんだろう。

 つまり、彼には自分がターゲットにした「人物」が見えている。そして、自分がそのターゲットを「ゲット」したか、しなかったか、相手を殺したか殺せなかったかを、自分の眼で確かめなければならない。

 つまり、この映画の主人公、クリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)は、自分がターゲットとした人物について、彼がどんな人物かということや、どういう生活を送ってきた人物かということは、基本的に調べ尽して、ターゲットとして定めているのである。そして、彼は自分がターゲットとした人物が、自分が放った銃弾で死んだのか、死ななかったのかを、ターゲトサイトで確認できるのである。

 これって、結構キツいよね。だって、自分が撃った結果で相手の、あるいは相手の家族の人生が変わってしまうんだよね。まあ、アメリカにいる自分の家族の運命は変わらないかも知れないけれど、というのと比べれば大分違うかも知れない。

 まあ、この辺が「今アメリカがやっている戦争は非対称戦争でしかない」と言われている理由なんだけれども、それはしょうがない。アメリカがやっていた戦争で対称戦争は朝鮮戦争で終わってしまって、以降のベトナム戦争から後はすべて非対称戦争だ。

 その、アメリカがやっている、そして多分絶対に終わらないであろう非対称戦争の代表が「対イスラーム」戦争なのだ。

 アメリカは、別に「キリスト教国」ではないし、「ユダヤ教国」でもない。基本的には宗教とは関係のない「世俗国家」の筈なんだけれども、基本的にユダヤ(≒イスラエル)に近い立場を取っている。そんなにユダヤの立場を守りたいと思っているのなら、もっともっとパレスチナを排斥する行動を取ってもいいんじゃないかと思うのだが、そこは逆にイスラエルに対して、「あまりパレスチナを刺激すんじゃねえ」的な立場を取ったりする。

 しかし、そんな「非対称的戦争」も当然どこかで終わる筈なのだが、その風景を想像することが恐ろしい。

 国と国の戦争は結局は「妥協の産物」で決着するんだろう。

 でも『「国」と「国でもないなんでもない団体」』との戦争の終わりは、多分、次の戦争がまた再び始まるだけなんでしょうね。

 まあ、困ったもんだ……、て言ってる場合んじゃないでしょうけれども。

 なんか、映画『アメリカン・スナイパー』とは関係ない文章になってしまったけれども、これが私が「アメリカン・スナイパー」を見て感じた感想ってことで、これは映画評ではありません。

 アメリカがやっている「非対称戦争」が如何に無理な戦争であるかということなんだけれどもね。

「アメリカン・スナイパー」のオフィシャルサイトはコチラ

 

2015年2月26日 (木)

『ネオアベノミクスの論点』つづき

 若田部氏は「ネオアベノミクス」として「三つのR」と「オープンレジーム」への転換ということを言っている。

『三つのRとは、
①リフレーション(Reflation)
②リフォーム(Reform)
③リディストリビューション(Redeistribution)
です。これらは経済政策が目指すべき景気安定化、経済成長、所得再分配の三つの目標のそれぞれ対応しています。最後のRは所得再分配(redistribution)のRだけでなく、リハビリのRもあり、さらに大きな意味での日本の再建、リコンストラクションのRでもあります。
 そして「オープンレジーム」とは、これまでの日本の政治経済が「クローズドレジーム」で運営されていたことの反省に立ち、より開かれた環境を作ることを指した言葉です』

 では、この「三つのR」とは何か。

Photo『ネオアベノミクスの論点 レジームチェンジの貫徹で日本経済は復活する』(若田部昌澄著/PHP新書/2015年2月27日刊)

『第一のRは「リフレーション」です。アベノミクスの要点は、まずデフレ脱却にあり、それはこれまで一定の成果を収めました。何よりも大事なのは、これまで長く続いてきた日本の金融政策のレジーム、ルールを転換したことです。これまでのデフレを容認する状態から、マイルドなインフレの世界へと変えるという方向に、金融政策のルールが変化したことを示す証拠は少なくありません』

 日銀というのは、基本的にデフレ容認派で、特にバブルが崩壊した後の金融引き締め策がづっと続いていた時代のルールを変えたということなのだろう。

『第二のRは「リフォーム」、改革です。リフォームの要点もまた、オープンレジームであること、つまりルールや枠組みを重視し新規参入者を歓迎することにあります』

 ということは、この「第二のR」はまだまだ道半ばというところなのだろうか。

『アベノミクスへの批判では、第一の矢に次いで、第三の矢が進んでいないことに向けられたものが非常に多く見られます。成長産業を国や霞ヶ関が見定め、そこに人材や資金を注入し産業を育成すべきだ、という意見は、右派・左派を問わず多くの識者から広く聞かれるものです』

 というけれども、『成長産業を国や霞ヶ関が見定め』ることなんかはできないのだ。

『産業的なイノベーションは政府ではなく、イノベーティブな民間主体の日々の努力によって起こります。けれども政府にもイノベーションができないわけではありません。政府ができるのは、民間が努力しやすい環境を「政策イノベーション」によって整え、余計な干渉をしないことです』

『いま、第三の矢として掲げられているアイデアはいずれも、特定産業に補助金を与える従来型の産業政策の亜流や、官民ファンドや地方創生=ローカルアベノミクスなど、裁量型、中央集権型統制の要素が非常に強いものばかりです。しかし、実際にすべきことは規制緩和やTPPの締結などなのです』

『諸外国で規制緩和が成功してきたのは運輸、通信、発電事業といった分野です。これについてはまだまだ日本にも緩和余地があります』

 確かに、タクシーの運賃規制やら台数規制が残っているし、ソフトバンクの孫正義氏が提唱した電波周波数オークションもなされていない。3.11以来テーマとなっている発送電分離と発電事業への参入自由化も、まだまだ道半ばだし、安倍首相としてはあまり乗り気ではないようだ。。

『第三のRである再分配にも、オープンレジーム型、裁量ではなくルールを重視した改革(リフォーム)が必要です。ルール型の再分配とは、方向としてはベーシックインカムや負の所得税といった、帰属する集団や地域にかかわらず所得水準が低ければ自動的に一定の所得を補償されるという形で、格差の是正をはかる再分配です』

『均等化のひとつのアイデアは、地方分権化です。国レベルでの産業政策については私は懐疑的ですが、地方ならば、現場に近い限りはうまくいくこともあるかもしれません。地方を再編しそれぞれの地域の生産性を上げるための産業育成を、地域の単位で行うこと、地域のイニシアティブを強化することは有力なアイデアです』

『地域の活性化はその地域の現実を知っている人でなければわかりようがありません。実際にアメリカなどでの専業育成は中央政府の統制ではなく各地域への権限移譲で行われ、成果を挙げていますが、日本では地方への権限移譲は進んでいません。よく言われる「三ゲン」、権限、財源、人間を地方に移譲し、地方に任せる発想が必要に思われます』

 しかし、この若田部氏の考え方は「ネオアベノミクス」ではないだろう。むしろ、安倍晋三氏の発想を超えて、更に日本を発展させるための提言のように読めてしまう。

 実際、安倍首相の政策は、経済的にはリフレ策をとってデフレから緩やかなインフレーションに転じたところで自信をつけ、その他の政策では中央統制型、大きな政府型の政策を強めているように見える。農協改革以外の分野では相変わらず新規参入の障壁が多い統制経済だし、TPPへの姿勢も何かあまり積極的ではない。

 若田部氏の考え方は、規制緩和、新規参入型、ベーシックインカムなどの再分配の考え方、地方分権型、などといったオープンレジームの考え方は、どちらかというと小さな政府を狙っているようで、それはそれで正しいとは思うのだが、それはむしろアベノミクスとは反対側の方を狙っているようにしか見えないのだが、如何だろうか。

 結局、アベノミクスの長所はリフレ策だけで、それ以外は相変わらずの自民党型保守政治でしかない。特に、経済以外の分野ではますます保守、統制型の政治になっており、むしろ、昔の政治に戻そうという力が働いているようにしか見えないのだ。

 若田部氏は経済学者だから、その経済学的見地からだけ見てアベノミクスを評価しているのだが、アベノミクスの本筋はむしろ政治過多の政策だから、経済だけを見ているとアベノミクスを見誤る心配がある。

 なにしろ、いまだに「美しい日本」の考え方を捨ててはいないのだからね。

『ネオアベノミクスの論点 レジームチェンジの貫徹で日本経済は復活する』(若田部昌澄著/PHP新書/2015年2月27日刊)

2015年2月25日 (水)

『ネオアベノミクスの論点』

 なんか、久しぶりの本についてのブログだなあ。

 で、基本的に私は安倍晋三首相の、これまでの「アベノミクス=安倍経済体制」については前向きに評価しています。まあ、株価は上がっているしね。つまり、黒田日銀総裁の金融緩和政策は当たっていたということではね。

 ただ、問題はその後の(まあ、これから先のことなのでよくわからないが)「格差是正」に関しては、まだまだ(まったく)見えないというのが心配で、その前にアベノミクスがうまくいったんだから、「アベノポリティクス=保守主義、極右体制」が動いてしまうのが心配の種なんだ。安倍晋三氏はこれからは「政治の季節」だって、そちらの方に舵を切るそうな雰囲気なんだけれども、まだまだ、経済の方でやらなきゃいけないことは、いっぱいあるのだ。

 安倍晋三氏としては「トリクルダウン」だから、富裕層の年収を上げればそのまま何をしなくても貧困層にまでその好景気のおこぼれが来るというという発想なんだろうけれども、それは簡単にはそうならないんだよなあ。

Photo 『ネオアベノミクスの論点 レジームチェンジの貫徹で日本経済は復活する』(若田部昌澄著/PHP新書/2015年2月27日刊)

 そもそも「アベノミクス」って何だ。

『そもそも安倍首相の復活は奇跡的な僥倖によるものであり、復活には麻生太郎、甘利明ら自民党実力者の力が大きく働いていました。ここから、三人の実力者(どれも英語ではAで始まります)のお気に入りの経済政策アイデアを束ねるという連携が生じたのです。
 整理すると、
・第一の矢:大胆な金融緩和――安倍首相
・第二の矢:機動的な財政政策――麻生大臣
・第三の矢:民間投資を呼び起こす成長戦略――甘利大臣
 と、それぞれの矢と個人が目指す政策が結びついたのがアベノミクスだったと言えます。政治の産物としては、アベノミクスは関係者それぞれ満足させる「三方一両得」を果たしており、非常によくできた組み合わせです』

 要は、「結果オーライ」ってこと(?)。

 ところが、現実は

『再分配については、これまでのアベノミクスにおいては大いに懸念があります。2014年7月から施行された改正生活保護法では、生活保護申請については書類の追加提出を求め、ほかにも扶養家族調査を拡充するなど、生活保護を受けにくくさせる方向が明らかです。不正受給が問題なのは言うまでもありませんが、それは全体の増加額にとっては3%程度にすぎないことです。生活保護受給者数がここまで増えたのは、何といっても不況の影響です。つまり、誰もがそういう状況に陥りやすくなっているということでもあるのです』

 という具合に、所得の再分配に関してはアベノミクスはむしろ逆行しているのだ。

『かつての日本の保守は、非常に介入的で裁量的であるとともに、一種のパターナリズムを持っていました。新規参入には冷たい一方、メンバー内に困窮者がいれば面倒を見るという思想があったのですが、現在の保守はむしろ弱者に冷淡で、たとえば生活保護については額、適用範囲ともに縮小を主張する傾向があります』

『日本の再分配は、都市か地方か、若者か高齢者か、大企業か中小企業か、農業など特定産業に所属しているかどうかで、受けられる所得が変わる制度設計になっています。それがかえって、世代間格差や地域格差、産業間格差を助長しています。これは、所属する集団ごとの格差を前提とする、きわめてクローズドな制度であると言わざるをえません』

 ということなので、若田部氏はアベノミクスを評価しつつも、更に深化させ、日本経済を完全に復活させる「ネオアベノミクス」として「三つのR」の遂行と、「オープンレジーム」への転換を発想する。

『三つのRとは、
①リフレーション(Reflation)
②リフォーム(Reform)
③リディストリビューション(Redeistribution)
です。これらは経済政策が目指すべき景気安定化、経済成長、所得再分配の三つの目標のそれぞれ対応しています。最後のRは所得再分配(redistribution)のRだけでなく、リハビリのRもあり、さらに大きな意味での日本の再建、リコンストラクションのRでもあります。
 そして「オープンレジーム」とは、これまでの日本の政治経済が「クローズドレジーム」で運営されていたことの反省に立ち、より開かれた環境を作ることを指した言葉です。具体的には、

・裁量や計画よりもルールや枠組みを重視する
・特定企業・特定産業の利益よりも市場を重視する
・新規参入者に障壁を設けるのではなく、歓迎する
・産業政策重視を排し競争政策へと舵を切る
・特定産業への補助金よりも広範な減税を行う
・裁量による再分配を排しルールに基づいた再分配を行う
・経済学に基づいた政策を行う

 といったことが挙げられます』

 つまり「アベノミクス」ということで言えば、まだまだ道半ばであり、それが本当に目指した目標であるのであれば、「アベノミクス」は今のところ未完成だということ。

 それを、今この段階で「アベノミクスは成功」として、安倍晋三氏の最終目標である、「アベノポリティクス」=「憲法改正」の方に行ってしまいそうなので、その前にキチンとアベノミクスを「完成」させてほしい、ということで、明日もまた本書について語りたいと思います。

 要は、それこそが「ネオアベノミクス」ということでね。

 問題は、安倍晋三氏がそこまで日本経済の再生とか、日本経済の再興とかを考えているのかどうか、ということなんだけれども。

 なんか、あまりそんなことは考えていないようで、集団的自衛権とか、自衛隊の海外派遣とか、防衛省による文民統制廃止とか、要は「美しい日本」ばっかり考えているんじゃないか、という方ばっかりが気にかかる。

 勿論、そういったことを考えることは自由なんだけれども、その前に「経済」でしょ。

 ということで、明日も同書について考えます。

『ネオアベノミクスの論点 レジームチェンジの貫徹で日本経済は復活する』(若田部昌澄著/PHP新書/2015年2月27日刊)PHP研究所は電子化にあまり熱心じゃないなあ。

2015年2月24日 (火)

神田駅のY字路

 道路と道路が斜めにぶつかっていると、そのぶつかった部分はY字路になる。

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 神田駅の周辺もそんなY字路がたくさんある。

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 要は以前からあった道路と、JRの線路が斜めに交差しているからなのだ。

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 ということは、これらの道路はJR(昔は省線電車)の路線が敷かれたよりも、もっと前から存在していたということなんだろう。

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 う~む、やはり歴史ある街というのはそんなものなのかもしれない。

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 というけれども、この一番下は線路とは関係ないY字路ですがね。

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LEICA M6 ELMERIT 28mm/F2.8 KODAK Tri X @Kanda (c)tsunoken

2015年2月23日 (月)

東京周縁部を往く・新河岸川逍遥②

 新河岸川の旅、二日目は国道17号線、志村橋を越えて更に下流域へいきます。

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 平成橋、長後さくら橋まで至ると、東京都下水道局が今建設中の太陽光発電所がある。なんでも下水道局で使う電気を作る発電所のようだ。出来上がったら、またこよう。

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 その後、板橋区から北区へ入ると、新河岸橋……

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 新河岸大橋を過ぎると……

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 区立小豆沢公園の小豆沢河岸広場というのがある。現在でも東京水辺ラインの河岸になっている場所で、行ったときは保育園の子どもたちが遊んでいた。

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 小豆沢河岸広場を過ぎると、東北新幹線・上越新幹線・北陸新幹線と並行して埼京線の北赤羽駅がある。

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 で、この北赤羽駅の脇にある浮間橋を越えると、新河岸川の左岸の土手下に降りて歩いて行けるようになる。

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 おお、0円ハウスですね。ここ新河岸川の0円ハウスはお隣とはかなり距離をおいて出来ている。隅田川なんかの下流の0円ハウスに比べると、静かな生活が好きな人が多いのかな。

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 で、それを過ぎて中の橋を越えると、今度は東北線(宇都宮線・高崎線)と京浜東北線の橋がある。

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 電車の橋を越えると(というか下を通ると)、新河岸川最後の大きな橋、国道122号(北本通り)が架かる新荒川大橋だ。

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 で、新荒川大橋を過ぎると、岩淵橋、志茂橋を過ぎて、岩淵水門で荒川と合流すると……

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 新河岸川は隅田川に流れ込んで、以降は隅田川として流れる。

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 荒川はその後は荒川放水路となって、隅田川とは別に東京湾に流れ込むのです。

 つまり、本来は<荒川→隅田川><新河岸川→隅田川>だった流れを、<荒川→隅田川><荒川→荒川放水路><新河岸川→隅田川><新河岸川→荒川放水路>という風に分けたことで、その後の荒川下流域(隅田川)の水難を避けようというわけですね。

EPSON RD1s SUMMICRON 35mm/F2 @Shingashi River (c)tsunoken

2015年2月22日 (日)

東京周縁部を往く・新河岸川逍遥①

 新河岸川は川越市に端を発し、川越市をぐるりと周った後は荒川に沿って流れる川だ。

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 国道17号新大宮バイパスと首都高速5号池袋線の笹目橋の辺りから、東京都板橋区に入る。あとは川といっても産業川の感じで、いまから50年位前までは結構汚かった川だったんだろうなあ、ということを物語っている川ではある。

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 最初の橋が早瀬人道橋といって、人と自転車しか渡れない橋なんだが、ここ新河岸川にはそんな人道橋が多くある。

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 いやあ、気持ちよさそうだなあ。

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 新河岸川の流域は東京都と埼玉県の境目なので、こうしたロジスティック関係とか市場関連のの会社が多くある。

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 これこれ「電撃殺虫器」って、何か凄い装置みたいだけど、それだけこの辺りには虫が多いのだろうか。まあ、水辺だから仕方ないのかなあ。

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 水辺と言えば、こうした水処理施設なんかも目立つ。後は、ガス関係の橋とか水関係の橋というか、まあ、当時としてはまだ川の下を通す技術がなかったんだろうなあ、という感じで、川の上を通るガス管とか水道管がある。

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 で、この辺りは地名も『新河岸』といって、こんな区立新河岸小学校なんてのもある。

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 早瀬人道橋の次には、新早瀬橋、芝原橋、徳丸橋、西台橋があって、その次の橋がちょっと大きい船渡大橋。

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 橋のたもとには船渡水辺公園というのがあって、こんな板橋区と北京市石景山区の友好記念碑なんかがある。

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 船渡水辺公園はちょっとしたバードサンクチュアリで、水鳥が沢山いる。

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 さらに下流に向かって歩いて行く。

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 と、蓮根橋を過ぎると国道17号線(中山道)がかかる志村橋だ。

  大きな橋で流石に幹線道路なので交通量も多い。

  というところで新河岸川の旅は、今日はおしまい。今回初めての二日連続の「東京周縁部を往く」、国道17号線から下流はまた明日に続きます。

EPSON RD1s ELMARIT 28mm/F2.8 @Shingashigawa River (c)tsunoken

2015年2月21日 (土)

東京周縁部を往く・川越街道下練馬宿

 川越街道というのは、仲板橋の宿場までは中山道と一緒の道で、仲板橋から西へ別れて、現在の遊座大山商店街を経て、東武東上線の大山駅を経てハッピーロード大山商店街を通って、現在の川越街道(国道254号線)へ至る道筋なんだが、当然、現在の川越街道に飲み込まれてしまったところと、そうではなく昔の川越街道が残っている場所もあるのだ。

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 それが、ここ大山駅から三つ言った先の上板橋駅周辺から、再び新川越街道と旧川越街道が分かれるのだ。

 左が今の川越街道で右が昔の川越街道。

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 当初は、「上板南口商店街」ということで展開している。

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 子育て地蔵尊なんてのもあって、気分は「旧街道歩き」って感じで高揚するのだが、実は、まだまだ川越街道の本筋ではない。

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 ここらあたり、練馬区北町一丁目、「きたいち商店街」あたりからが本格的な旧道あるきなのであります。

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 ほら「旧川越街道」なんていう道標もこのあたりからだし。

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 ちょっと闌れた感じの家の前には……

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「川越街道下練馬宿」なんていう説明文が書かれていたりします。

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 環八との交差点(立体交差)には、その為に移されててしまっているが、東高野山道標と大山道道標が移設されて残っている。

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 もうちょっと行くと、右側にこんな浅間神社があって、いよいよ川越街道下練馬宿は近いんじゃないかなという気にさせる。

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 こんな「旧川越街道」なんていう道標や……

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 浅間神社の富士塚もいいですね。

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 で、東武練馬駅のそばまで来ると、こんな観音様まであります。

 ということで、多分、現在の東武練馬駅あたりが川越街道下練馬宿の下宿で、上板橋駅あたりが上宿だったのかもしれない(川越街道は通常の街道と違って、江戸に近い方が上宿だったようだ)。

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 東武練馬駅を過ぎるとこんな感じの住宅地になってしまい、もはや商店街ではなくなってしまう。

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 下赤塚駅が近くなると、再び今の国道254号線に飲み込まれてしまい、成増の先までは現在の川越街道と同じルートを走るようになる。。

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 これは川越街道とは関係ないのかもしれないが、営団赤塚駅の入り口の傍にあった「鎌倉古道」の碑。ここが昨年の12月5日のブログ「赤塚城(址公園)と東京大仏」 で書いた赤塚城から鎌倉へ向かった街道筋なんだな。

 そうか、その頃の大名って皆鎌倉へ馳せ参じたんだな。まあ、皆、幕府の言うことは従わなければならないからね。

LEICA M3 SUMMILUX 50mm/F1.4 & LEICA M6 ELMARIT 28mm/F2.8 Kodak TRI X @Kamiitabashi & Tobu Nerima (c)tsunoken

2015年2月20日 (金)

『マーケティングの嘘』って、問題は調査方法だけじゃないんだな

『消費者に対する定量調査によって市場のニーズをつかみ、商品を開発し、広告やプロモーション活動を行い、販売するというのが、今までの主流の、アーケティングに考え方であり、手法である。しかし、サンプルの数だけ増やしたアンケートをいくら重ねたところで、「本当の消費者像」は見えてこない。従って市場も見えてこない。出ているのは本当の消費者像とはかけ離れた「幻想の消費者像」だけだ』

 じゃあどういうマーケティング手法がいいんだろう。

Photo 『マーケティングの嘘 団塊シニアと子育てママの真実』(辻中俊樹、櫻井光行著/新潮新書/2015年1月20日刊)

 とその前に、なぜ定量調査が限界があるのだろうか。

○定量調査の限界その1 「回答が不正確」

『コトバは社会の中で共通概念になるべき「指示的」な意味を持っている。あるコトバを聞いて、誰もが同じモノやコトを思い浮かべる場合である。一方、個人はそのコトバに対して解釈をしたりイメージをしたりして、「自己表出的」な思いやモヤモヤとした感じを持つ。したがって、コトバの持つ指示的な意味の概念と、生活の実態の中でのコトバの多様性と不明確さをしっかり把握する必要がある。こうした前提を踏まえていない定量調査の回答は、「不正確」なものであると言わざるをえない』

○定量調査の限界その2 「回答者は嘘をつく」

『もちろん対象者が意識的に嘘をつくことは大きな問題だが、ここで取り上げたいのは「無意識」の内に嘘をつくことである。無意識ということは、本人も嘘をついているという自覚がないのだから、さらに始末に負えない。
 人間の生活行動のほとんどは無意識で行われる。行動の何割が無意識によるものなのかはよくわかららないが(九割と書いてある本もある)、ほぼ事実と言ってもよい。このことは、調査やマーケティングにも重大な影響を及ぼす』

○定量調査の限界その3 「調査できるのは「わかっていること」だけ」

『確かに回答が何パーセントなのかは、調査してみなければわからない。しかし、定量調査では調査する側が想定していることしか質問することができない。そもそも想定外の事柄は質問文や選択肢にならないのだ。つまり、「これはこうなっているのではないか。そうなっているはずだ」という、調査する側の持っている「仮説」を検証することしかできない』

 なるほどなあ。確かに調査の対象者はそれぞれ別の個人だ。だとすると、そのすべての人たちが全く同じように質問を理解することはあり得ないし、無意識のうちに語ってしまう嘘を防ぐことはまず無理だろう。というか、実はこうした定量調査というのは、むしろ質問を作る側が、あらかじめ「こうした方向になるだろう」という予測のもとに質問を作っていて、その予測通りの結果を示して、企画を通そうという発想で作られたものが多いのではないのだろうか。というか、私はそういう方向で定量調査を行ってきた。

 これは私が間違ったやり方をしていただけ?

 とまあ、それはさておき、じゃあどういう調査なら、正確に消費者像を捉えられるんだろう。という疑問への回答が「生活日記調査」というものだそうだ。

 つまり生活者の生活動線を追いかけるということなのだそうだ。

『ビジネスシーンに大半の生活動線を支配されている生活者の行動パターンをシンプルである。「都市の鼓動」というコトバがあるように、毎朝、都市生活者は血流が集まるように郊外から都心へと集まっていく。毎日、ほぼ一定の時間帯に、決まった駅から決まった車両の、しかもほぼ同じ位置に場所をとるだろう。乗り換えの経路、通路、階段も同じに違いない。何らかの理由でこれが変わることがあっても、パターンのぶれと捉えることができる範囲であり、大幅な逸脱はそうは起こらない。
 朝のビジネス心臓の心拍が終わった後、異なった生活動線を持った生活者が動き出す。ビジネスシーンタイプの生活動線を卒業したリタイアシニアたちだ。リタイアシニアといっても60代、まだまだ若く、とにかくよく外出している。実は現代社会で最も生活動線が自由で幅広いのがシニア層なのである。
 自由であるというのは、通勤や通学といった義務的な生活動線から、すっかり解放されているということだ。シニア層は、外出するかしないかも含めて、生活動線を日常的に選択できる』

『子供も独立して夫婦だけの生活になっていることから、夫婦単位での外出行動が多いかと思いきや、それぞれがまったく異なった外出行動をとっているケースが大半であることもシニアの特徴だ』

『逆に、最も外出動線を持てない状況になっているのは、出産して乳幼児を抱えているポストマタニティの女性だと想像するかもしれない。しかし、必ずしもそうとはいえない。生活日記調査から彼女たちの生活動線を見ると、頻繁に外出行動が出てくる。具体的には、近所の公園、買い物、地域の子育てサークル、勉強会、検診、そしてファーストフード、カフェ、お友達の家、ママ友ランチなどである』

『こうした生活動線を捉える仕組みが「生活日記調査」である。やることはいたってシンプルだ。対象者に一週間分の生活日記を書いてもらう。以上である』

『生活動線は生活シーンの連鎖として捉えられる。生活シーンがどのようにつながっているかを見ていくことで、その人の生活の全体像をつかむのである。私たちは生活シーンをTPOPPに分解して整理している。TPOはTIME(タイム)、PLACE(プレイス)、OCCASION(オケージョン)のTPOである。タイム=時間帯と時間数、プレイス=場所、オケージョン=事情という言い方がわかりやすいかもしれない。
 さらに、ここに加えておくべきは、その時の気持ち(生活心理)=PSYCHOLOGY(サイコロジー)、その場面を成立させるのに不可欠な道具立てとなる商品やサービス=PRODUCT(プロダクト)。以上のTPOPPがシーンの形成要素となる』

 なるほどなあ、こうしてある状況・文脈に置かれた生活の中に、あるプロダクトがどのように現れるのか(現れないのか)が生活の価値を決める。現れるのであれば、それを如何に使用しているのかを見れば、そのプロダクトの改良方法が見えてくるし、現れないのであれば、何故現れないのかを探れば、新たなプロダクトを開発することが必要だということがわかる。

 ただし、生活日記調査だけではだめで、それに加えてデプスインタビューと生活者二次データも組み合わせなければならないし、時には定量調査とも組み合わせる必要もあるだろう。

 つまり、現代におけるマーケティングって、それだけ複雑なものなのかも知れない。

『マーケティングの嘘 団塊シニアと子育てママの真実』(辻中俊樹、櫻井光行著/新潮新書/2015年1月20日刊)

2015年2月19日 (木)

駆け引きやら騙し合いが面白い『ドラフト・ディ』

 映画『ドラフト・デイ』を観てきた。

 こんなに面白いドラフトを見ちゃうと、日本のプロ野球(NPB)のドラフトなんて、子供だましでちゃんちゃらおかしい。

2 『ドラフト・デイ』(監督:アイヴァン・ライトマン/脚本:ラジヴ・ジョセフ、スコット・ロスマン/製作:アイヴァン・ライトマン、アリ・ベル、ジョー・メジャック)

 しかし、ケビン・コスナーって何年ぶりだろう。確か『ダンス・ウィズ・ウルブス』以来だから、25年ぶりかなあ。そのコスナーが愛人に子供を産ませちゃうって話なんだから、それは不可能とは言わないけれども、いやはやお盛んで、と言いたくなる。

 ってのは、映画の本筋からは関係ないので、おいておく。

 NFLのドラフトって面白いなあ。

 ウェーバー制ってところはNPBとも同じなんだけれども(2巡目以降がちょっと違う)、二重指名ができないってところと、指名順位をトレード(取引)できるってところが面白い。なおかつ、ドラフトで指名選手のカードを出すのには10分の猶予がある。

 二重指名が出来ないのだから、当然指名順位が上のチーム(今年度下位のチーム)の方が有利にいい選手を指名できるって訳なんだけれども、そこが指名順位をトレードできるってことで、俄然、状況が変わってくる。

 当然、今年度下位のチームとしては上の順位でいい選手を獲得できれば来年度は上位に上がれる可能性が高くなるので、それに賭ける訳である。ところが、前年度に獲得した選手が順調に育っていれば、別にドラフト順位が上でなくてもいい訳で、じゃあ、次の年のドラフトで上位を取るために、今年度のドラフトはどこか下位の(今年度上位の)チームと取引して来年度のドラフトに備えるって言うことも出来る訳だ。勿論、そんな取引したドラフト順位だって、取引相手がまたどこのチームと取引してるかもしれない訳だから、結果としてはどんな順位になってしまうのかは分からない。分かるのは、来年度のドラフト順位における自分のチームの順位だけである。と、当然、それは来年度の自チームの順位次第なんだから……、結局それは来年度ドラフト前にガラガラポンしたのと同じになってしまうのかなあ、どうなんだろう。

 勿論、自チームの選手の状態は他のチームには明かさない訳だから、それがドラフトにおける強化選手としてどんなポジションの選手を取るかということは、企業秘密なわけだ。それを、ドラフト10分の猶予の中で実は別のチームとの間で指名順位のトレードをやりながら、腹の探り合いをするのである。

 つまり、指名順位のトレードは、勿論、ドラフト前から始まっているのだが、最後はドラフト最中まで持ち越されるわけなのである。

 これって、何かに似ていない? と、考えたのだが、要はポーカーなんだな。アメリカ人の好きな「ポーカー」。

 ポーカーも手札は相手には見せないで、自分が如何に強いカードを持っているかのように振る舞い、相手を場から降ろさせていくゲームだ。結局、強気で出たプレイヤーがワンペアしか持っていなくても、フルハウスを持っている相手に、如何にもロイヤルストレートフラッシュを持っているかのように思わせて、降ろさせてしまうという駆け引きにも似て、如何に自分の手札が「凄い」のかを、相手に見せないで感じさせてしまうかというゲームなんだなあ。

 まさにそのポーカー・プレイヤーがケビン・コスナー扮するクリーブランド・ブラウンズのゼネラル・マネージャー(GM)、ソニー・ウィーバー・ジュニアなんだけれども、お父さんのソニー・ウィバー・シニアは、元々クリーブランド・ブラウンズのヘッド・コーチ(日本で言う監督)だったのが、ジュニアが解任してその後すぐに亡くなってしまったというトラウマがある。

 オヤジが監督だったのに、自分はGMってのは、学生時代はフットボル・プレイヤーだった息子なんだけれども、多分、NFLドラフトにかからなかったんだろうな、という来歴が見て取れる。オヤジは多分現役NFL選手時代はクォーターバック(QB)ったんだろう。QBは野球でいえば4番バッター兼ピッチャーみたいなもので、アメフトでは花形のポジションだ。ウィバー・ジュニアも学生時代はQBだったのかも知れない。しかし、彼はNFLドラフトにはかからなかった。なので、多分(これまた「多分」だ)学生時代に専攻していた経営学でもって、チーム運営の方に興味を持って、結局GMまで上り詰めたんだろう。で、最初の仕事がオヤジの解任というのも、ちょっとハードだよなあ。

 で、そのウィーバー・ジュニアにシアトル・シーホークスのGMから電話がかかってくるんですな。つまり「ドラフトのトップ指名権」をトレードしないかという提案なんですね。

 ここで、俄かNFLファンの私としては「?」ってなっちゃうんですね。

 だって、シアトル・シーホークスと言えば、ついこないだの今年のスーパーボウルに出場して、ニューイングランド・ペイトリオッツと戦い、終盤、28対24で負けていたんだけれども、ワイドレシーバー(WR)ジャーメイン・カーチスへのパスが敵にはじかれ、自身も転びながら、しかしパスをキャッチし、残り20秒でゴールラインまで5ヤードまで進んでいって、ここは絶対ランで無理やり突っ込んで逆転だよなと思っていたら、なんとQBラッセル・ウィルソンからWRリチャード・ロケットへのパスにペイトリオッツ・セイフティ、マルコム・バトラーにインターセプトされて、あとはペイトリオッツのニーダウンで負けたっていう、あのシーホークスでしょう。そんなシーホークスがなんで1位指名権を持っているんでしょうかね。と、思っていたんだけれども、まあ、それもその前年か前々年に1位指名権をトレードで獲得していたのかも知れない。って、別に映画のストーリーと現実をわざとダブらせているんだけれどもね。

 そんなシアトル・シーホークスのGMトム・マイケルズ(パトリック・セント・エスプリット)から持ち込まれたトレード(「今年の1位を譲る代わりに、以降3年間の1巡指名と譲れ」)という取引に最初は拒否していたんだが、ブランズのオーナー、アンソニー・モリーナ(フランク・ランジェラ)に言われ、トレードの申し入れを受け入れることにした。

 ポイントは、NCAAハイズマントロフィーを持っているウィスコンシン大学のQBボー・キャラハンなんだが、それがいいのかどうか、ウィーバー・ジュニアにとっては自チームのQBの方が気になる。そのQBが体力回復をして、前年以上のパフォーマンスを見せているというところから、雰囲気が変わるんだよな。

 つまり、むしろボー・キャラハンを何度もQBサックした相手チームのラインバッカーの方にだ。

 まあ、それでどうしたって言う話はネタバレになってしまうので避けますが、ハリウッド映画なんで、基本的にはハッピーエンドなんですので、安心してみてください。

 アメリカの批評では、「ケビン・コスナーのファンにとっては面白い作品になっているが……」とか「プロダクトリプレイスメントに力を注いでいるようだ」という、ちょっと厳しい批評があるようだけれども、まあ、いいじゃないか。要は、日本のNPBのあまり面白くないドラフト会議と違って、あれだけショーアップされたドラフト会議ってのも凄いし、そのドラフト会議の裏側でやっている駆け引きとか、騙し合いがもっと面白い。

 少なくとも、そんなドラフト会議の面白さを見せてくれただけでも、この映画の存在意義はあるのだ。

『ドラフト・デイ』は品川プリンスシネマ他で公開中。

公式サイトはコチラ

2015年2月18日 (水)

「ストレングス・ファインダー」で何が分かったのか?

 ということで、やってみた「ストレングス・ファインダー」。

 どんな結果が出たのかな、ワクワク……

Photo_2 『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』(マーカス・バッキンガム&ドナルド・O・クリフトン著/田口俊樹訳/日本経済新聞出版社/2001年11月30日刊)

 まず、私の第一の「強み」はなんなのかなと言えば……

『収集心』のようなのだ。

<収集心(Input)>
あなたは知りたがり屋です。あなたは物を収集します。あなたが収集するのは情報――言葉、事実、書籍、引用文――かもしれません。あるいは形のあるもの、例えば切手、野球カード、ぬいぐるみ、包装紙などかもしれません。集めるものが何であれ、あなたはそれに興味を引かれるから集めるのです。そしてあなたのような考え方の人は、いろいろなものに好奇心を覚えるのです。世界は限りなく変化に富んでいて複雑なので、とても刺激的です。もしあなたが読書家だとしたら、それは必ずしもあなたの理論に磨きをかけるためではなく、むしろあなたの蓄積された情報を充実させるためです。もし旅行が好きだとしたら、それは初めて訪れる場所それぞれが、独特な文明の産物や事柄を見せてくれるからです。これらは手に入れた後、保管しておくことができます。なぜそれらは保管する価値があるのでしょうか? 保管する時点では、何時または何故あなたがそれらを必要とするかを正確に言うのは難しい場合が多いでしょう。でも、それがいつか役に立つようになるかどうか誰が知っているでしょう。あらゆる利用の可能性を考えているあなたは、モノを捨てることに不安を感じます。ですから、あなたは物や情報を手に入れ、集め、整理して保管し続けます。それが面白いのです。それがあなたの心を常に生き生きとさせるのです。そしておそらくある日、その中に役に立つものが出てくることでしょう』

 その後に続くのが、<着想(Ideation)>→<内省(Intellection)>→<責任感(Responsibility)>→<達成欲(Achiever)>ということなのが、私の5つの「強み」なのだそうだが、たいした「強み」じゃないなあ。

「収集心」というのはなあ、なんかオタクめいて嫌なんだけれども、まあ、それは少しは認めなければいけないところなのかなあ。「本」を集めるのは「収集心」にあたるんだろうか? まあ、でもかなり溜まっちゃうと、本は売りに行っちゃうしなあ。現在、「収集心」に当たるものといえば、まあカメラ、それもアナログカメラ位かなあ。あ、あとは写真集ってのもありますげね。これは、電子本では絶対に無理なんで、紙の本じゃないと写真集はダメです。とは言っても、アナログカメラで言えば、退職してからはアナログカメラは新規購入はしていない。昔のライカM3とM6(M5は売っちゃった)という退職前から持っていたカメラだけで(ニコンFシリーズはニコンF1以外は収集対象じゃないからなあ)、前からの夢だった「バースデイ・ライカ」はまだ手に入れていない(いずれ入手するつもりだけどね)。

 まあ、でもどうでも良い「強み」ですけれどもね。だって「そしておそらくある日、その中に役に立つものが出てくることでしょう」ってことだけでしょ。

 その後に続く、<着想(Ideation)>→<内省(Intellection)>→<責任感(Responsibility)>→<達成欲(Achiever)>ということなんだけれども、<着想(Ideation)>で言えば『他の人たちはあなたのことを、創造的とか独創的とか、あるいは概念的とか、知的とさえ名付けるかもしれません。おそらく、どれもあてはまるかもしれません。どれもあてはまらないかもしれません。確実なのは、着想はあなたにとってスリルがあるということです』とか、<内省(Intellection)>なら『あなたは頭脳活動を好みます。あなたは脳を刺激し、縦横無尽に頭を働かせることが好きです。あなたが頭を働かせている方向は、例えば問題を解こうとしているのかもしれないし、アイデアを考え出そうとしているのかもしれないし、あるいは他の人の感情を理解しようとしているのかもしれません』、で<責任感(Responsibility)>なら『あなたは責任感という資質により、自分がやると言ったことに対しては何でもやり遂げようという強い気持ちを持ちます。それが大きかろうと小さかろうと、あなたは完了するまでそれをやり遂げることに心理的に拘束されます』だし、<達成欲(Achiever)>では『「達成欲」という資質は、あなたの原動力を説明する助けになります。達成欲は、何かを成し遂げたいという恒常的な欲求を示しています。あなたには、毎日がゼロからのスタートのように感じられます。あなたは自分自身に満足するために、一日が終わるまでに何か具体的なことを成し遂げなければなりません。そしてあなたにとって「毎日」とは、平日も週末も休日もすべてを含めた一日一日を意味します。休みを取ったとしても、何も達成することなくその休んだ日が過ぎてしまうと、あなたは不満に感じるでしょう。あなたの中にある炎が、次から次へとあなたを行動に駆り立てます。一つ何かを成し遂げるとその炎は一瞬しずまりますが、またすぐに燃え出し、次の目標へまた次の目標へと、強制的にあなたを前進させ続けます。達成に対するあなたの執拗な欲求は、必ずしも論理にかなっていないかもしれません。方向すら定まっていないかもしれません。しかし、飽くことを知らず常にあなたについて回ります。達成欲の旺盛なあなたは、このわずかに満たされない気持ちとうまく付き合っていけるようにしなければなりません。なにしろ、この気持ちにはそれなりの利点があるのです。長い時間燃え尽きることなく働くために必要なエネルギーを、あなたに与えてくれます。新しい仕事や難しい仕事に取りかかる時、いつでも頼ることができる起爆剤なのです。これがエネルギーの源となって、あなたは職場のチームが働くペースを設定し、生産性のレベルを定めることができます。これが、あなたを動かし続ける資質なのです』というそれぞれの私の「強み」は映画・アニメーションのプロデューサーの仕事そのものだということにもなる。そういう意味では、私は自分の「強み」に従って仕事をしていたのかも知れない。

 まあ、結局私の「強み」とは、たいしたことのない部分だけでの強みということで、肝心の仕事に関する「強み」じゃないということは、まあ、どうしたってもう仕事を退職しちゃったんだから、どうでもよい部分なんだろうなあ。

 しかしなあ、私の一番の「強み」は<収集心>ってのもなあ。と考えてからちょっと変わった。だって、『あなたが収集するのは情報――言葉、事実、書籍、引用文――かもしれません。あるいは形のあるもの、例えば切手、野球カード、ぬいぐるみ、包装紙などかもしれません。集めるものが何であれ、あなたはそれに興味を引かれるから集めるのです。そしてあなたのような考え方の人は、いろいろなものに好奇心を覚えるのです。世界は限りなく変化に富んでいて複雑なので、とても刺激的です。もしあなたが読書家だとしたら、それは必ずしもあなたの理論に磨きをかけるためではなく、むしろあなたの蓄積された情報を充実させるためです。もし旅行が好きだとしたら、それは初めて訪れる場所それぞれが、独特な文明の産物や事柄を見せてくれるからです。これらは手に入れた後、保管しておくことができます。なぜそれらは保管する価値があるのでしょうか? 保管する時点では、何時または何故あなたがそれらを必要とするかを正確に言うのは難しい場合が多いでしょう。でも、それがいつか役に立つようになるかどうか誰が知っているでしょう』ってことでしょう。まあ、「収集心=インプット」ってことだからね。

 つまり、私の収集癖も別に困ったことではなくて、ポジティブに考えれば、前に進むための方法論になるかも知れないってことで……、う~ん、じゃあバースデイ・ライカも前向きに考えてもいいってことなの?

 よーし、やってやろうじゃないか。バースデイ(本当はバースイヤー)ライカ。

 ム、フフフ……

 なんてほくそ笑んでいたら、ギャラップ社からこんなメールが来た。

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 ふんふん、面白いなあ。

『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』(マーカス・バッキンガム&ドナルド・O・クリフトン著/田口俊樹訳/日本経済新聞出版社/2001年11月30日刊)

2015年2月17日 (火)

『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』を取り敢えず紹介。で、次は?

 いやあ、実は勝間塾で入塾する時に最初に薦められた本がこの本なんですね。つまり、自分の「強み」ってなんなのかと知ることが、自分の自信に繋がり、すべての事柄にポジティブに向き合えるということなんだろうなあ。

 うん、如何にも勝間さんらしい。

Photo 『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』(マーカス・バッキンガム&ドナルド・O・クリフトン著/田口俊樹訳/日本経済新聞出版社/2001年11月30日刊)

 いわゆる「自己啓発書」のひとつなんでしょうが、普通の自己啓発書と違って、「これをしましょう」「あれをしましょう」というのではなくて、「自分の弱点が何で、いかにしてそれを克服するか」ということでもなくて、「強みが何なのかを知る」ことが如何に大事かということを、357ページを通して私たちに説いている本なのだ。

 しかし普通、人は自分の弱点にはよく気がつき、その弱点を克服することの方に気がいってしまいがちだ。

『弱点は克服すべきという考え方は、現代の教育やしつけに深く根付いている。以前、われわれは、子を持つ親を対象にこんな調査を行った、親にはまず、国語A、社会A、生物C、代数Fという成績表を子供が持って帰ってきたと仮定して、こう尋ねだ。「子供と成績について話し合うとしたら、どの教科に最も時間を割きますか」。実に77%の親がFをとった代数だと答えた。Aの国語と答えた親はわずか6%。Aの社会に至っては、たったの1%だった。確かに、代数に子供の注意を促す必要はあるだろう。学校でいい成績を収め、確実に大学に進むには一教科でも落とすわけにはいかないからだ。しかし、ここでもう一度質問を思い出してほしい。「子供と成績について話し合うとしたら、どの教科に最も時間を割きますか」。今日の教育システムはさておき、最も時間を割いて話し合うべきことは、ほんとうに子供の弱点なのだろうか。
 弱点は、研究者や学者のあいだで昔から頻繁に取り上げられたテーマである。アメリカ心理学会の元会長マーティン・セリグマンは、最近の講演で、同じ学者をまえにこんなことを言っている。「鬱病に関する研究論文は四万件以上、眼にした。しかし、喜びや幸せや達成感に関する論文はわずか四〇件である」。先ほどの代数の例と同様、鬱病を研究すべきでないと言うつもりはない。鬱病は気分がふさぎこむ病気であり、鬱病に苦しむ人々は科学が提供できるあらゆる助けを必要としている(事実、科学者たちが腰を据えて精神病に取り組んだ結果、この半世紀のあいだに一四の精神病一つひとつにその治療法が見つかった)。それでも、われわれが言いたいのはバランスが崩れているということだ。弱点や病気に極端に眼を向けるあまり、強みや健康の価値を理解することがおろそかになっている。マーティン・セリグマンは先の講演でこうも語っている。「心理学は生焼けだ。文字どおり生焼けなのだ。精神病の部分は焼いてきた。治療やダメージの部分も大いに焼いてきた。しかし、反対側は焼けていない。強みの側、良好な側……われわれの人生を生きるに足るものとする側はまだ焼けていないのだ」』

 うん、確かに人は自分の弱点にばっかり目が行ってしまい勝ちで、その逆、自分の強みについて本当に知ってはいないのだ。本当は弱点の克服なんかよりも、強みを伸ばした方が、よりベターなのにね。

 この辺、『なかでも強みに対する注目度が最も高かったのはアメリカで、回答者の41%が「何より強みを知ることで人は成長する」と答えている。逆に、強みに対する注目度が最も低かったのは、日本と中国だった。「成功への鍵は強みにある」と答えたのは、わずか24%にすぎなかった』というのは、いかにもアメリカ人のポジティブ・シンキングな部分が出ていて面白い。まあ、「ポジティブ・シンキング」って言うのは「脳天気」というのと同じ意味で、私は使ったんだけれどもね。

 調査会社として有名な、ギャラップ社は過去30年にわたり200万人強の人たちに「自分の強み」についてインタビューし、その結果、34のパターンの「強みとなりうる資質」を抽出した。で、その34の強みから5つの資質があなた(わたし)の強みとして特定できるということ。実は本書の共同著者であるドナルド・O・クリフトン氏こそは、このキャラップ社の元会長なのである。

 では、その34の強みとはどんなものなのだろうか。

アレンジ(Arranger)><運命思考(Connectedness)><回復志向(Restorative)><学習欲(Leaner)><活発性(Activator)><共感性(Empathy)><競争性(Competition)><規律性(Dicipline)><原点思考(Context)><公平性(Fairness)><個別化(Individualization)><コミュニケーション(Communication)><最上志向(Maximizer)><自我(Significance)><自己確信(Self-assurance)><社交性(Woo)><収集心(Input)><指令性(Command)><慎重さ(Deliberative)><信念(Belief)><親密性(Lelator)><成長促進(Developer)><責任感(Responsibility)><戦略性(Strategic)><達成欲(Achiever)><着想(Ideation)><調和性(Harmony)><適応性(Adaptability)><内省(Intellection)><分析思考(Analytical)><包含(Inclusiveness)><ポジティブ(Positivity)><未来志向(Futuristic)><目標志向(Focus)>

 というのが34の強み。

 これを「ストレングス・ファインダー」というソフトを使ってテストをするというものなのだ

 本書の巻末に付録としてアクセスコードが書かれたカードが入っており、ストレングス・ファインダーのサイトに登録して、ストレングス・ファインダーのテストを受ける。テストはそれぞれ20秒以内に回答しなければならない180項目の質問がある。『各項目は「使用説明書をよく読む」「いきなり物事に取り組む」といった、被験者に自画像を描かせる設問が二つずつ並記されている。この二つは、連続体の両端に固定されたかのように両極端な内容になっている。被験者は自らの経験に照らし合わせ、どちらの記述が当てはまるか判断し」回答しなければならない。『20秒以内に答えられない項目は、優位を占める資質とつながりはないので、無回答でも問題はない』そうだ。

『選択肢はすべて34の資質に関連したものである』

 ということで、さあ私も今からストレングス・ファインダーに挑戦しよう。そう、実は本書の第3章まで読んだらこのストレングス・ファインダーで自分の資質を知り、その結果としてそれらの資質をどう生かすかというのが、本書の正しい読み方のようなのだが、基本的にへそ曲がりの私としては、一度全部本を読んでから、ストレングス・ファインダーに挑戦しようとしているのだ。

 その結果は、また明日のブログで報告します。

 お楽しみに……

『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』(マーカス・バッキンガム&ドナルド・O・クリフトン著/田口俊樹訳/日本経済新聞出版社/2001年11月30日刊)

2015年2月16日 (月)

横浜・馬車道・汽車道

 横浜・馬車道というのは『アメリカが江戸幕府に開国を要求し、日米通商修好条約が結ばれた。これによって貿易のため横浜港が開かれ、関内に外国人居留地が置かれた。その関内地域と横浜港を結ぶ道路のうちの1つとしてこの道は開通した。外国人はこの道を馬車で往来しており、当時の人々にその姿は非常に珍しく、「異人馬車」などと呼んでいたことから、この道は「馬車道」と呼ばれるようになった。さらに明治初年には東京行きの日本初の乗合馬車がこの付近から出るようになった』(Wikipedia)というのが、その名の由来だそうだ。

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 日本で最初のガス灯ができたり。

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 旧横浜正金銀行(三菱東京UFJ銀行の前身)本店が神奈川県立歴史博物館として残されていたり。

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 日本における写真の開祖、下岡蓮杖顕彰碑なんかがあったりして、結構雰囲気のある道なんだが。

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 それからするとこの「汽車道」というのは、「馬車道があるんだから、こっちは汽車道でいいんじゃね?」てな、お気楽な名称付けみたいな気がするなあ。

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LEICA M3 SUMMILUX 50mm/F1.4 FUJIFILM SUPERIA PREMIUM @Bashamichi & Kishamichi, Yokohama (c)tsunoken

2015年2月15日 (日)

初号ブラックニッカ復刻版

 マッサンとリタのニッカウヰスキーに、「エヴァンゲリオン」みたいな初号機とか弐号機とかがあるとは知らなかったのだが、「初号ブラックニッカ復刻版」というのが出たので、買ってみた、飲んでみた。

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「ブラックニッカは、1956年に特級として発売されました。「初号ブラックニッカ復刻版」は、現存する中味をニッカウヰスキーのブレンダーがテイスティングし、当時の香味を再現しました。余市モルトの甘く芳ばしい麦の香り。なめらかな口当たりと、チョコレートを思わせるスイートさ。ほのかなビターさの中に、穏やかなピートが感じられるコクのある味わいが特徴です。」というのが、その効能書き。

 確かにかなりのコクを感じさせる味だ。

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 復刻版なのでいつまでも販売している訳ではないのだろうから、お早目に購入することをオススメします。

田中長徳×坂崎幸之助トークの結論は?

 2月12日のブログに書いた通り、昨日の田中長徳氏のトークショウに行ってきた訳なんですね。勿論、場所は地下鉄みなとみらい線みなとみらい駅にあるSUBWAY GYALLERY Mです。

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 当然、先日行ったときの写真がまだ飾られている訳で、それ自体は、初めて見て「おっ?」ってな感じの面白味はないわけで……。

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 入り口の写真も2月12日のブログと変わりはない。ですが、やっぱり昨日はちょっと雰囲気が違いました。まあ皆、田中長徳トークへの期待で集まっているんだなあ。

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 で当然、今開催されているCP+2015にあわせて各会場・横浜の美術館などでは写真展が開催されているんだけれども、ここみなとみらい駅コンコースでも、「AOZORA PHOTO 2015」なんてアマチュア・フォトグラファーの絵葉書販売イベントなんかもやっている。

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 で、まあそんな周辺のイベントを見ているうちに「JPCO Gallery 2015 日本の写真文化を海外へ 田中長徳+坂崎幸之助トークライブ」が始まるわけですね。

 で、すみません。このライブに関しては「写真撮影NG」なんで画像はありません。

 まあ、話はいつもの「長徳節」で、あっちへ行ったりこっちへ行ったりというお話しで、さすがの坂崎氏もそれに対するツッコミも入れられない様子。 

 長徳氏はますます興に乗ってしまい、最初は長徳氏の『東京ニコン日記』の話に始まって、落語「花見酒」の話からロバート・ダンカンの「ライフ」へ送ったネガに関する「ウソ」の話などへ移ってしまって、その後は今やっている「東京大周遊」の話まで、まあ、とにかくとりとめのない話で、まあ、それはいつもの「長徳節」なんだけれども、う~ん、なんで写真家ってのは話が面白いんだろう。

 まあ、基本的には文章を書くことは少ない写真家だから、その分だけ普段から喋りたいことが一杯あるのかも知れない。

 これが報道写真家だと、基本的には彼らは写真を撮るのと同時に、その写真を撮った時の状況を説明しなければならないので、彼らは写真家であると同時にジャーナリストでなければならないので、写真を撮るだけじゃなくて、文章も書けなければならなくなる、っていうか、そんな経験の中で文章もうまくなったりするんだけれども、田中長徳氏みたいに報道写真家でなかった人の場合は、基本的にはアサインメントで写真を撮ることが多いわけで、そういう場合は、写真を撮ってクライアントに渡せば業務終了ということになって、結局、写真を撮る作業の中でなにか「モノを言う」という業務がないということに帰結するのだろう。

 
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 なので、田中長徳氏の饒舌には多少辟易しながらも、まあ、私たちはそれは「偶々」の機会だからいいんだけれども、彼の奥さんは私たち以上に辟易してるんだろうな。

 なんか、田中長徳氏のカメラ収集癖と同時に、その喋りの「とりとめのなさ」には、田中長徳氏妻も結構辟易しているのではないのだろうか。

 もし私が、田中長徳氏の妻だったら、「もういいから、そんな話は外でしてきて」って言うだろうな。

 あっ、そうか。だから横浜でそんな話を坂崎幸之助氏としていたんだ。

 って、妙に納得。

LEICA M3 SUMMILUX 50mm/f1.4 FUJIFILM SUPERIA PREMIUM 400 @Minatomirai, Yokohama (c)tsunoken

 

2015年2月14日 (土)

『イスラーム国の衝撃』で分かったこと

 2月10日のブログでアフガン戦争でアル・カイダが出てきて、イラク戦争でイスラム国が何故できたんだということをお勉強したので、今日はその思想ってどんなものかを勉強してみよう。特にその「ジハード(聖戦)」についての考え方を……。

Photo 『イスラーム国の衝撃』(池内恵著/文春新書/2015年1月20日刊)

 池内恵氏は東京大学先端科学技術研究センター准教授で「イスラム政治思想分野」の専門家だ。新書ということで、比較的簡単に書かれている本書ではどんなことが学べるのでしょうか。

『2006年10月に「アルカーイダ」の語を組織の名称から外し、「イラク・イスラーム国」と名乗るようになったことと考え合わせると、領域支配を行う国家となり、カリフ制を宣告する、という目標を、この時期から現実的なものとして抱き始めたと推測することも可能である』

『第一段階の「目覚め」の時期に、ジハード主義者たちは、世界のムスリムを奮起させる衝撃的な現象を引き起こす行動に出るものとされる』

『第二段階の「開眼」の時期においては、外国勢力に占領されている現実や、イスラーム世界が陰謀によって攻撃されているといった事実が、ムスリム諸国民に認識されていく。それによって各地で若者がジハードに参加するようになる』

『2007年から2010年にかけて訪れるとされていた第三段階の「立ち上がり」の時期には、イラク以外の国にも治安の乱れが広がり、ジハード運動がより広汎に影響を及ぼすと想定された。とくにシャーム地方、すなわちシリアやレバノン、あるいはイスラエルやパレスチナでのジハードの活発化が想定されていた』

『しかし奇しくも2010年─2013年に想定されていた、第四段階の、アラブ諸政権を打倒して権力を握る「復活と権力奪取と変革」の時期は、2010年暮れに始まったチュニジアの大規模デモをきっかけとした「アラブの春」の連鎖のうちに到来したかのように見える』

『他方でこの時期、2013年4月の米ボストン・マラソンでの爆弾テロ事件に見られるように、先進国でも「ローン・ウルフ」型テロが頻発し、「消耗戦」もまた現実の形をとって表われた』

『2013年から2016年に想定された第五段階の「国家の宣言」では、いっそう現実とのシンクロの度合いが増す』

『「イラク・イスラーム国」は二〇〇六年に「イスラーム的国家」設立の宣言を行っていたが、現実の領域支配に向けて大きく前進するのは二〇一三年である』

『第六段階は、2016年から2020年にかけての「全面対決」の時期と想定されていた。ここでは「世界の信仰者」と「世界の不信仰者」がそれぞれの陣営に集って真っ向から争うという、終末論的なヴィジョンが浮かび上がってくる』

『国家の設立は最終目標ではなく、その先の善と悪の究極の戦いという高次の闘争につながっていると説くことで、現世の超越を夢見る世界各地の信仰者を引きつけることが可能になる。そのような終末論的な戦いに身を投じていると信じるジハード戦士の目には、陰惨な戦闘も、残酷な処刑も、聖なるものとして映るかもしれない』

『2020年に到来する「最終勝利」によって、「イラクのアルカーイダ」の構想した七段階からなるカリフ制再興計画は締めくくられる』

 そうか、ユダヤ教やキリスト教と同じく、イスラム教も一神教なんだから、基本的には同じ「終末論」なんだな。つまり「ジハード」とは他の宗教との戦いなのだが、つまりそれは終末へ向けた戦いということなのか。

 しかし、他の一神教は自派の宗教を相対化して、他の宗派との対立を避けようとしてきた歴史を持っている。また、イスラム教であっても穏健派の考え方は、同じくイスラム教を相対化している。しかし、過激派の場合、そんな穏健派の考え方自体が、アラーに対する裏切りとしか見えないのでしょう。

『終末論と、テロ・武装蜂起の思想は、そう簡単に融合するものではない。終末論は、究極の悲観論であり、諦念の極まりの先に、裏返しのアッラーの介入を期待し確信する。結果として、人々を非行動主義にも陥らせかねない。しかし武器を取ったジハードへと人々を動員するには、たとえ自分が命を落としても、その後に武装闘争が必ず勝利に至ると信じて疑わない、楽観主義に基づいた行動主義が必要である』

 で、アメリカという「悪の枢軸」との戦いが、中世十字軍との戦いに重なって、「ジハード」を正当化しているのだろう。

『イラクでの反米武装闘争の発端の時点で、終末的な最終戦争は始まっており、運命づけられていた通りに、ダービクをめぐる善と悪の闘争が出現している、と説くことで、「イスラーム国」は、自らの勢力拡大そのものが神兆の一部であると論じている』

『中世の十字軍の敗退を、ハディースで予言された、終末の前のダービクにおける戦闘での悪の勢力の敗北と重ね合わせ、同様に現代の十字軍(=悪の勢力)である米国が、シリアの地で敗北することも必然である、と論じていく』

 結局、アメリカがわざわざ中東まで出張って来て戦争をしていること自体が、問題を大きくしているのではないでしょうか。

 アラブやイスラムには、アラブやイスラムだけでしか解決できないことがあるのでしょう。

 なので……

『イラクとシリアの国家・国境の形骸化が進めば、イラクのクルド勢力は、最大限の版図を軍事的に確保したうえでの独立を目指すだろう。それによって、第一次世界大戦終結時以来の、中東での国境再画定を目指す動きが連鎖して、秩序の流動化が進みかねない』

『中東の地域大国は、まずイランとトルコであり、ついでサウジアラビアやエジプトがその候補となるだろう。地域大国がそれぞれの勢力圏を拡張して、イラクやシリアの紛争を鎮静化するというのが、残された選択肢かもしれない』

 というのが次善の解決策なのかも知れない。

『イスラーム国の衝撃』(池内恵著/文春新書/2015年1月20日刊)

2015年2月13日 (金)

『CP+2015』ということなんだが…

 ということで、CP+2015(Camera & Photo Imaging Show 2015)なんだが……、なあ。

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 毎年、参加しているCP+なんだけれども、当然、各カメラメーカーはこの日は各社のフラッグシップ機を出すわけですね。

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 オリンパスはOM-Dのニューシリーズだし……

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 ニコンはDシリーズだし……

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 キャノンはEOSシリーズなわけですね。

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 フジフィルムはXシリーズだし……

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 レンズメーカーからカメラメーカーに変貌したシグマは当然DPシリーズで、今年はDP0という広角レンズのカメラを出してきた。広角なら私の購入欲も湧いてくるわな。

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 エプソンは写真撮影とスマートグラスを繋げる試みを行っていた。つまり、このグラスをかけていると、撮影場所の情報とか、太陽の位置情報とかがスマートグラスに現れて、撮影情報を得られるってんだけれども、これは失敗しそうだな。

 まあ、パソコンメーカーのエプソンらしいアプローチだけれども、私としてはEPSON RD-1の後継機の方が欲しい!

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 リコーは当然買収したPENTAXメインの展示になるんだけれども、リコー独自開発のRDの方はどうなっちゃってんだ? 私としてはリコーはPENTAXの会社じゃなくて、RDシリーズの会社でしょ、って思っていたんだけれどもなあ。

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 で、実は一番残念なのがソニーなんですね。ソニーのスチールカメラ部門はコニカミノルタを買収してできたものです。勿論、ソニーには、それ以前からビデオカメラ部門や、その発展形のデジタルムービーカメラはあったけれども、キャノンのEOSみたいな、民生用のスチール兼ビデオカメラというのはなかったわけです。

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 最早、カメラのデジタル化、記憶媒体の変化によってスチール&ムービーのカメラの境目はなくなってしまっています。

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 こんな「プロ向け動画エリア」でも、勿論、出品されているのはバリバリのデジタルビデオシネマカメラBlackmagic(ケンコー・トキナーが代理店だったとは知らなかった)もありますが、基本はEOS D5あたりのスチール&ムービーカメラだったりするんですね。

 だとしたら、ソニーが子の分野「スチール&ムービーカメラ」の分野に乗り出せる可能性は非常に高いわけです。

 何故、それができないのか? 多分、社内の「コニカミノルタ買収部門」と、「デジタルカメラ開発部門」の情報流通・意見流通が上手く行っていなくて、それぞれが勝手に別の方法で問題解決にアプローチしてるんじゃないかと……。

 勿体ないですね。そんなところにもソニーのいろいろな問題点があるようです。

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 で、私が今年のCP+で一番感動したのはハッセルブラッドのブースでみた「アナログカメラ」です。いやあ、今でもアナログカメラを開発してるんですね、ハッセルは。

 勿論、ニコンだってやってますし、ライカはどうかな?

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 もう一つ気になったのは、このレックマウントという会社。

 クルマやオートバイ、自転車なんかに載せるマウントの会社のようです。

 私の自転車にも載せてみようかな、っていうことで取り敢えず今年のCP+の報告はおしまい。

CP+は2月15日まで。

公式サイトはコチラ

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm @Pacifico Yokohama (c)tsunoken


2015年2月12日 (木)

やってません

 新橋駅近くのオイスターバーの前を午後2時頃通ったのでした。

「やってません」と堂々と直截に書かれた看板が目に付きました。

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 普通は単に「準備中」とか、もうちょっと力が入っていると「心を込めて準備中」とか、ちょっとウザい感じで書くもんだが、「やってません」だもんねえ。

 店の中には人がいるようなので、「開店準備中」であることは確かなんだけれども、いやあ「やってません」インパクト充分だわ。

 まあ、英語で「CLOSED」のまんまなんだけれどもね。

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm @Shimbashi Minato

日本の写真文化を海外へ

『日本の写真文化を海外へ』という名前の写真展が、地下鉄みなとみらい線みなとみらい駅の構内にあるサブウェイ ギャラリー Mというところで、昨日から22日まで開催中です。

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 Japanese Photo Culture to Overseas (JPCO)というNPO法人があって、つまりそれは「海外を目指す写真家、写真愛好家の活動を支援するNPO法人、日本の写真文化を海外へプロジェクト(JPCO)の会員による写真展ということなのです。

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 ゲスト写真家(?)として、田中長徳氏やアルフィーの坂崎幸之助氏なども写真を展示しています。

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 展示写真は会場で販売もしているし、写真集なんかも売っています。

 問題は何で「みなとみらい」でこの時期なんだというと、実は今日からパシフィコ横浜で総合写真機材展CP+2015(CAMERA & PHOTO IMAZING SHOW 2015)が開催されるからなのです。CP+2015は2月12日(木)から2月15日(日)まで4日間の開催なので、その1日前から始めて、1週間後までやっているということ。

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 CP+の方は今日午後一番で行って、明日のブログで報告しますので、皆さんもCP+に行ったら、そのついでにサブウェイ ギャラリー Mで写真展をどうぞ。2月14日には田中長徳氏のトークもあります。

「日本の写真文化を海外へ」はコチラ

CP+2015はコチラをどうぞ。

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm @Minatomirai Yokohama (c)tsunoken

2015年2月11日 (水)

『男の作法』池波正太郎のカッコよさについて

 池波正太郎氏ってなんてカッコいいんだろう。話すことはちょっと古いんだけれども、その古さがカッコいい。

Photo 『男の作法』(池波正太郎著/新潮文庫/2012年4月1日刊)

 取り敢えず、目次から紹介。各章の章題が秀逸だし、関連項目が連想ゲームみたい。章題から何となく近い話から、だんだんと離れていくというスタイルが面白いし、各項目はキチンとみんな繋がっているんですね。

 まあ、まさに「語りおろし」スタイルの妙ですな。

『鮨屋へ行ったときはシャリだなんて言わないで普通に「ゴハン」と言えばいいんすよ。

 勘定/トロ/顔/人事/目/組織/勝負/休日/旅行/おみやげ/新婚旅行/結婚/靴』

『そばを食べるときに、食べにくかったら、まず真ん中から取っていけばいい。そうすればうまくどんどん取れるんだよ。

 うどん/ズボン/ネクタイ/スーツ/和服/羽織/帯/眼鏡/本/メモ/日記/浮気/慰謝料』

『てんぷら屋に行くときは腹をすかして行って、親の敵にでも会ったように揚げるそばからかぶりつくようにして食べなきゃ。

 贈り物/万年筆/年賀状/麻雀/カレンダー/クセ/約束/理想/赤ん坊/留守番/姑/週刊誌』

『たまにはうんといい肉でぜいたくなことをやってみないと、本当のすきやきのおいしさとか、肉のうま味というのが味わえない。

 食卓/母親/小遣い/チップ/退職金/電話/列車/心遣い』

『おこうぐらいで酒飲んでね、焼き上がりをゆっくりと待つのがうまいわけですよ、うなぎが。

 つま楊枝/店構え/引き戸/日本間/マンション/一戸建て/家具/風呂/香奠』

『コップに三分の一くらい注いで、飲んじゃ入れ、飲んじゃ入れして飲むのが、ビールの本当にうまい飲み方なんですよ。

 酒/バー/バーテン/本屋/病気/体操/鍼/寿命/運命/死/生/占い/楽しみ/月給袋/女/運』

 まさに池波流ダンディズムの発露とでも言うのでしょうか、基本的には食べ物の話から始まって、どんどん話は脱線していって、最後はまったく食べ物からは関係なくなってしまうという、これまたダンディな話の連続。

 では、いくつかそのダンディなお話しをば……って、食べ物の話ばかりだけれどもね。

『(よく鮨屋で、飯のことをシャリと言ったり、生姜のことをガリと言ったりする客がいますが、やっぱりああいうほうが「通」なんでしょうか……)
 いや、客がそういうことばを使って通ぶるのを喜ぶような鮨屋だったら駄目だね。ちゃんとした鮨屋だったら、客がそんなことを言ったらかえって軽蔑されちゃう。
 だからね、鮨屋へ行ったときはシャリだなんて言わないで普通に「ゴハン」と言えばいいんですよ』

『「盛りそばで酒を飲むのはいい……」
 というようなことを通ぶった人がよく言うでしょう。だけど実際に、通じゃなくてもいいものなんだよ。だから、そばで酒を飲んでもちっともキザじゃないんだよ。ぼくも好きですよ』

『やたらに東京のうどんをこきおろす大阪の人は、本当の大阪の人じゃないんだよね。たいていお父さんが播州赤穂だとか備前岡山なんだよ。そういうところから大阪に来て、自分は浪花っ子になったつもりでやるんだよ』

『池田大作がしきりに対談や座談会なんかで、
「私は江戸っ子ですから……」
 と、言うだろう。本当から言えば大森海岸の江戸っ子なんてありゃしない』

『鮨の場合はそれほどでもないけど、てんぷらの場合はそれこそ、
「揚げるそばから食べる……」
 のでなかったら、てんぷら屋なんかに行かないほうがいい。そうでないと職人が困っちゃうんだよ。
 だから、てんぷら屋に行くときは腹をすかして行って、親の敵にでも会ったように揚げるそばからかぶりつくようにして食べていかなきゃ、てんぷら屋のおやじは喜ばないんだよ』

『ついでに酒の飲みかたを言っておくけどね、これはぼくは若いときから教えられたからね。先輩にも、ほかの店の株屋のいろんな可愛がってくれた旦那とか、そういう人に。それから吉原のお女郎なんかに教わった』

『銀座のバーでもカクテルが出来ないバーテンがいますからね。
 ぼくはたいていマティーニ、あるいはマンハッタン、そんなところだね。夏ならギムレットもいい。晩飯を食べる前に、ちょっとマティーニを二杯……昔はみんなそうでしたよね、ぼくらの頃は』

『昔なじみの古いバーテンが自分で店を出した。女の子がいないから安い。そこのカウンターの止まり木でカクテル二杯も飲んで、飯でも食べて、サッと帰ってくる。こういうのが一番いいんじゃないの、男らしくって』

『バーの醍醐味というのは、ホステスと仲よくなるより、バーテンと仲よくなることが一番いいわけなんだ。それでなかったらバーに行く面白味はない。自分の好きなバーテンを見つけたら、バーテンと仲よくなるのが一番です。クラブでもいいバーテンがいて、そこにカウンターがあれば、そこに坐ってやったほうがいい。話の一つや二つして、ときどき気にかけて面倒を見てやってね』

 う~ん、カッコいいなあ。でも、そんな飲み方が出来ないんだなあ。結局、長々とバーでい過ごしてしまったるんだよなあ。

 ただし、この最後の言葉だけは、最近の私も考えています。

『人間の一生は、半分は運命的に決まっているかもしれない。だけど、残りの半分はやっぱりその人自身の問題です。みがくべきときに、男をみがくか、みがかないか……結局はそれが一番肝心ということですよ』

『「自分が死ぬということを、若いうちから考えないといけない……」』

『わかっていることは、自分が死ぬことだけ。そこまでの何十年間というのを生きるわけだ。そしたら、どういうふうに生きたらいいかということを、当然、考えることになるわね』

 まあ、人間、死期が近づくとそんなことも考えるようになります。ただし、それを「若いうちから考えないと」というのは多分ないだろう。私もそれを意識し始めたのは50歳になったときでした。

 そんなもんでしょう。

 で、またまた『剣客商売』を大人買いして読みたくなってしまったのであります。私は池波正太郎氏のシリーズものでは『剣客商売』が一番面白いと思っているんだがなあ。浅草今戸の「慶養寺」(私の菩提寺)が出てくるということばかりじゃなくて、なんか、人間関係がいいんですね。

『男の作法』(池波正太郎著/新潮文庫/2012年4月1日刊)

2015年2月10日 (火)

『イスラム国の正体』って何なのか、取り敢えずお勉強

『いまもシリアを中心に政府関係者・元関係者・知識人に知人が多いので、彼らと連絡を取り合っています。そのため、メディア報道や中東・イスラム研究者とあ違ったスタンスで中東の諸問題について状況を解説することができるのではないかと考えています』

 ということなんで、取り敢えずお勉強ですね。

Photo 『イスラム国の正体』(国枝昌樹著/朝日新書/2015年1月25日刊)

 まずそもそもイスラム国って何なんだ? ということから。

『イスラム国が生まれ、イラクとシリアでこんなにも勢力を拡大してしまった直接的な要因としては、以下の3点があげられます。

①イラクにおいては、2011年12月のアメリカ軍完全撤退による「権力の空白」です。
②シリアにおいては、2011年3月に始まった民衆蜂起による「権力の空白」です。
③イラク・シリア両政府ともに「反体制派」の融和に失敗し、反発を強めていることがそもそもの要因ともいえるでしょう』

『イラク・シリア両国に関係する各国が抱える政治的問題や「思惑」といったものも、イスラム国を増長・悪化させた大きな要因になりました。主なものを5点、指摘しておきます。

①アメリカの中東政策はさまざまな「難しさ」を抱えています。それがイスラム国をめぐる問題をより複雑なものにしました。
②イラン、イラクを除くペルシア湾岸諸国(サウジアラビア、カタール、アラブ首長国連邦=UAE、クウェート、バーレーン、オマーン)の脅威認識の対象は、かつてはイスラエルが中心だったのですが、いまやイランとなっています。
③トルコのエルドアン政権(シリア民衆蜂起当時首相、現在大統領)のアサド政権打倒に固執する姿勢が国際社会の対応を後手に回らせる結果を生み出しています
④イラク・シリア・トルコは「クルド人」をめぐる民族問題を抱えており、その存在がイスラム国への対応をより複雑なものにしました。
⑤アラブとその周辺をめぐるアメリカの国益認識とサウジアラビア、カタール、イラン、トルコの国益認識の乖離やすれ違いも、イスラム国への対応を遅らせました』

『アラブとその周辺には、社会に通底する「空気」としてイスラム国の復古・純化主義的な主張に共感するむきもあります。主な歴史的背景も見ておきましょう。以下の4点をあげておきます。

①最後のイスラム王朝であるオスマン帝国の領土を西欧列強が分割し、アラブ世界の国境を勝手に決めた1916年のサイクス・ピコ協定に対する「怒り」は、いわば「空気」のようにアラブ世界とトルコに存在しています。
②反西洋文明をかかげるイスラム主義の伝統。これは「遠い敵」(欧米などの侵略者)ばかりではなく、「近い敵」(イスラム社会の堕落した指導者層など)にも向けられます。
③スンニー派とシーア派の対立の歴史は古く、7世紀までさかのぼります。
④現在のイスラエル・パレスチナ問題は、イスラエルの領土拡張をめぐってアラブ諸国とイスラエルが断続的に戦った第一次~第四次中東戦争(1948~73年)から続きます』

『アラブ世界における精神風土的な背景もあげておきましょう。以下の3点は、シリアの反体制派からイスラム国への鞍替えや他派に対する苛烈な弾圧行為、イスラム国への共感などに影響していると思います。

①アラブとその周辺の油田は、第二次大戦後、急速に開発されました。同時に富の偏在による大きな不平等が生まれました。
②アラブ世界には「エリート主義」がはびこっています。
③「ベドウィン」(砂漠の遊牧民)の精神もアラブ世界の底流には存在しています』

 結局、まあ問題は基本的にイスラム教における「7世紀のままを、いまに」という理想があるとはいえ、もう一つの第一次大戦で敗戦した結果、サイクス・ピコ(秘密)協定を認めざるを得なかったオスマン帝国の問題と、もうひとつにはパレスチナ問題があるんだろうな。

 ただし、今はパレスチナ問題はPLOが暫定自治政府を作って、イスラエルとも友好的な政治を行おうとしているんだが、それを嫌ったハマスのようなイスラム過激派が台頭している。結局、イスラム過激派としてはイスラム政体しか認めたくなくて、なおかつそれは国家ではなくて宗教が治める人々が認める権威なんだろうな。だとしたら、それは現在の国民国家とは完全に相対するものでしかないだろう。

 PLOの内部にもPFLPやPDFLPといった社会主義的なグループからイスラム過激派のような組織まで存在したわけで、それが再びクローズアップされてきたということなのだろう。

 まあ、基本的なことを言ってしまうと、アフガニスタンのタリバーン政権を倒してしまったが故にアルカイーダの世界拡散を招き、そしてイスラム国に関しては、イラクのフセイン政権を倒してしまったが故に、そんなイスラム過激派の誕生を呼び込んでしまった、アメリカの罪が一番深いといえよう。

 別にアメリカ式民主主義がいけないとは言わない。しかし、それぞれの民族にはそれぞれの考え方があって、それはそれぞれの民族が自分たちで考えて政体を決定すればいいことなのである。別にそこにわざわざ外国から出向いて「あなたの国に(アメリカ式)民主主義を与えます」なんて余計なことをする必要はないし、そんなことをする国は、結局、歴史がない国なんだろうな、という印象を他国に与えておしまいになる、ということなんだ。

 まあ、結局アメリカの理想と言うのは他国では全く回顧されない理想なのかも知れない。

『アラブの「独裁政権」は「パンドラの箱」です。制御不能な「混乱」にようやくフタをして抑えていたのが、たとえばサダーム・フセイン政権でした。あえていえば「混乱」を抑えるための「鉄拳制裁」だったといえるでしょう。欧米を中心とする「近代国民国家」では考えられないような「強権政治」が必要でした』

『そして、「そうではない、民主主義をやればみんな幸せだ」というユートピア的な発想で打倒してみたら、そうではなかったということをイラク侵攻と「アラブの春」で経験したはずです』

『あえていえば、よりマシな「独裁政権」とつき合う現実的な覚悟が、当面、国際社会には必要というべきなのかもしれません』

 ま、そういうことでしょうね、なので、アメリカはあまり他国のことに口出ししないで、自分の国のことを考えていれば、ってことでしょうかね。

『イスラム国の正体』(国枝昌樹著/朝日新書/2015年1月25日刊)

2015年2月 9日 (月)

向島・鳩の街通り商店街

 東武伊勢崎線(スカイツリーライン)曳舟駅のすぐそばにその街がある。称して「鳩の街通り商店街」。

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「鳩の街」とは、昔の赤線地帯。永井荷風「墨東奇譚」や滝田ゆう「寺島町奇譚」で有名な玉の井遊郭のそばにあった。

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 太平洋戦争末期、東京大空襲で焼け出された玉の井の業者が何軒か、この地で開業したのが始まりという。

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 戦後は特殊飲食街(赤線)として発展し、昭和27年当時、娼家が108軒、酌婦が298人いたそうだ(Wikipediaより)。

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 勿論、昭和33年に売春防止法が施行されて、すべての業者は廃業し、普通の商店街となった。

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 しかし、商店街とはいいながら、表通りにできたスーパーマーケットや、経営者の高齢化によって、最早商店街とは言えない闌れっぷりだ。

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 が、一部にはこんな「古民家風カフェ」や……

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 小洒落たお店なんかも出来て、少しずつ商店街復活を目論んでいるようだ。

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 しかし、昔は赤線地帯だったと思うと、なんかこんな保育園も色っぽく見える(訳ないか)。

Fujifilm X10 @Hato no Machi, Sumida (c)tsunoken

2015年2月 8日 (日)

『日本がわかる経済学』でお勉強

 私の大学時代の専攻は人口経済学だったので、こうしたマクロ的な考え方はその基本ではあった。が、日本経済がわかる経済学ではなかったなあ。

 ということで、お勉強、お勉強。

Photo 『NHKラジオビジネス塾 日本がわかる経済学』(飯田泰之著/NHK出版/2014年9月25日刊)

 取り敢えず、目次から本書の構成を。

第1講 豊かさを表す数字を知ろう! 「GDP」「物価」「景気」
第2講 政策は幸福のためにある 「幸福の経済学」「経済政策」
第3講 成長はこうして生み出す! 「経済成長」「価格硬直性」
第4講 景気対策はどう効くか? 「財政政策」「金融政策」「資産価格」
第5講 分配システムはどうあるべき? 「効率と平等」「年金」
第6講 経済学で人を動かす! 「割引率」「アーキテクチャの力」
第7講 人口から日本の未来を考える 「これからの企業」「これからの都市
第8講 私たちはどこに立っているか? 「戦後の日本経済史」

 ということなのだが、第4講あたりから、なんだかマクロ経済学なのかミクロ経済学なのかがよく分からなくなってくるんですね。

『世の中にはさまざまな資産があります。株・土地・建物、さらには国債や社債、預金や現金も立派な資産です。これらのうち、私たちはどれを保有するのが“お得”なのでしょうか』

 って、どこがマクロ経済学なんだろうか? とは言うものの、面白そうなので更に引用を続けます。

『資産一般に持つ4つの特徴に注目して、これを整理してみたいと思います。その4つの特徴とは「収益率」「リスク」「分割可能性」「流動性」です。

 収益率は「平均収益率」とも言い換えられます。つまり、平均的には何%くらいの利益を上がられる資産か。平均収益率が高いほど魅力的な資産である、ということも言うまでもありません。
 第二の特徴である「リスク」は、危険性と同じ意味ではありません。平均収益率からどれくらいブレることがあるのか。そのブレ幅の大きさを経済学では「リスク」という言葉で表します』

『この「平均収益率」と「リスク」を組み合わせて資産運用を考えましょう、ということは、どんなテキストでも言われていることです。
 基本的に、平均収益率が高いほど、リスク(結果としての収益のブレ)は大きくなるため、ハイリスク・ハイリターン資産を選ぶのか、ローリスク・ローリターン資産を選ぶのか、という選択になってくるわけです』

『分割可能性というのは、「持っている資産をどれくらい細かい単位で取引できるか」という性質だと考えてください』

『「流動性」は「現金化の容易さ」という言葉に言い換えられる特徴だと考えてください』

『この4つの特徴すべてにおいて優れている資産、つまり、収益率が高く、リスクが低く、分割可能性も流動性も高い資産というものは、存在しません。すべての試算には一長一短があります』

『本業での収入が安定しているので、資産による副次的な収益にはブレがあってかまわない、という人にとっては、リスクが高いけれど、収益率が高い資産、たとえば株や海外投資がより魅力的に感じられるかも知れません。
 また、すぐにまとまった現金が必要だ、というシチュエーションになりにくい人――たとえば、引退世代にとっては、分割可能性や流動性の低さは大きな欠点だとは感じないかもしれません。すると、収益率が高く、リスクも(株よりは)低い土地のような資産の魅力は比較的高いということになると思います。
 一方で、自分自身でビジネスをしていて、本業の収益の不確実性が高い、急の運転資金が必要になるケースがあり得るという人は、リスクや分割可能性に十分な注意を払う必要があるでしょう』

『ファイナンシャル・プランナーの知人に聞いたところ、リスクのあるビジネスをしている人ほど資産もリスキーはものを好み、安定的な雇用と収入を得ている人ほどローリスク・ローリターンな資産を好む傾向があるようです。
 これはポートフォリオ(資源・資産の組み合わせ理論)としては、非常に非効率的な組み合わせなのですが、人の性格は、あらゆる選択に通底してしまうようです』

 これは多分、リスキーな資産の方が(良い時は)当然収益率が高くなるので、リスキーなビジネスをしている人ほど、リスクに対する耐性が高いので、リスキーな資産を好み、ローリスクな仕事をしているひとは、自分がどれほどリスクに対する耐性があるか分からないので、ローリスクな資産を持つということなのでしょう。

 私としては「株」というハイリスクな資産と、「不動産」というローリスクな資産の組み合わせが一番ローリスクな資産の持ち方だと考えています。そのどちらをどれほどの割合で持つのがいいのかは分かりません。

 また、まだ海外投資とか外貨預金というのは、まだ手を出していませんが、いずれはそれらにも手を出してどんなものかを試してみたいとは考えています。

 まあ、いずれにせよ自分の身は自分で守らなければならないから、それらを上手く組み合わせて、資産防衛に務めましょう、ということなのでしょうね。

 って、全然『日本がわかる経済学』でもなんでもなくなってしまいました。

 最後に、本書の「おわりに」で書かれている『チャレンジして失敗できる社会を!』には、全く同感できるので、そこからの引用で〆。

『ビジネスの成功とは「たくさんのチャレンジの中で、数少ない成功、ひとかけらの輝くものが生き残っていくプロセス」です。
 そして、そうしたチャレンジを通して、できることを増やしていき、能力の多様性を確保することが、不確実なビジネスの世界での生存確率を高め、より大きな成功に向かっていくことにも役立ちます』

『NHKラジオビジネス塾 日本がわかる経済学』(飯田泰之著/NHK出版/2014年9月25日刊)Kindle版が出てたのか、そっちの方がラクだったのになあ。

2015年2月 7日 (土)

『金を取る技術』よりも「金を取られない技術」が欲しい!

 確かに「(税)金を取る技術」は書いてあるんだけれども、逆に「いかにして(税)金を取られないようにできるかの具体的な方法論」は提示されてないんだよなあ。今、国税調査官と対峙している状況ではなあ。

 これって、ちょっと不公平じゃない? さすがに「元国税調査官」だけはある。そう、国税ににらまれないためにね。

 つまり、こんな本を出されても国税はちっとも困らない、って言う訳なんですね。

Photo元国税調査官が明かす 金を取る技術』(大村大次郎著/光文社新書/2015年1月20日刊)

 たしかに、

『金持ちに増税をしようとすると、金持ちはあらゆる手を使って抵抗します。
 経済界などから、政治家に働きかけたり、様々なプロパガンダを仕掛けたりします。金持ちに増税したら、彼らは「海外に逃げるぞ」などど脅したりもするのです。
 一方、貧乏人に増税しても、ほとんど無抵抗です。
 貧乏人は税金のことはあまり知らないので、「今は国家財政が大変だし、高齢化社会に備えて増税が必要」などといわれれば、すぐにそれを鵜呑みにしてしまうのです』

 というのは事実でしょう。

 特に日本のサラリーマンの税知識はほとんどゼロに等しい。まさしく税に関しては、日本のサラリーマンのほとんどは「情報弱者」に分類されてしまうでしょう。それは何故か?

『サラリーマンは税金は会社から源泉徴収されていて、自分で考える必要がないから、まったくわからないんだろうと思われます。
 サラリーマンは自分の税金の計算を自分でしたことがない人がほとんどです。だから、自分がいくら税金を取られているのかということもほとんど知らないようです。
 これが自営業者とか、会社経営者ならば、まったく違います。
 自営業者は、自分で得た利益の中から、税金を払わなければなりません。自分で決算書をつくり、税務申告をします。税理士にお願いすることもありますが、そうであっても税務申告の内容はしっかり知っています。
「せっかく稼いだ金を税金で取られるのは嫌」
 彼らはそういう意識のもとに、あらゆる手を尽くします。
 だから必然的に彼らは税金に詳しくなります』

 ということなのでしょう。

『この源泉徴収制度は、同時期にナチスドイツで始められ、効率がいいということで日本もそれを取り入れられたのです。
 戦争中の特別税ですから、本来ならば、戦争が終われば廃止されていいはずでした。しかし、終戦後、極度の税収不足が続いたので、サラリーマンの特別課税はそのまま継続されたのです』

 源泉徴収制度は日本だけでなく、アメリカ、イギリス、ドイツなどでも、現在行われている制度だが、例えばアメリカでは源泉徴収制度がありながらも、年に1回は確定申告をしなければならないという。多分、日本のサラリーマンと異なり、会社からの給料だけで生活している人が少なく、給与所得だけでなく、株式収入やら何やらを合わせて確定申告をしなければ、その人の年間の収入が分からないからなのではないだろうか。

 そう日本のサラリーマンももっと確定申告をすればいいのです。

 いやいや、年間所得2000万円以下の場合は年末調整で取られ過ぎた所得税は返ってくるから関係ない、ですって? そんなこと言ってるから、税務署に税金を取られ過ぎるのです。

 例えば、年間所得2000万円以下のサラリーマンだって、「雑損控除」「医療費控除」「寄付金控除」などの控除を確定申告で申告すればお金は返ってくるのです。

「雑損控除」とは、自然災害や盗難によって住宅や家財に損害があった時に所得控除されるもの。

「医療費控除」とは、その年にお医者さんに支払った治療費、薬局に支払った医薬費、お医者さんに通うための交通費などが所得から控除されます。

「寄付金控除」とは、公益法人などに寄付をした時に所得控除されるものです。

 私は、娘が私立の学校に通っている時に、その学校法人から毎年寄付を募られるので、これは何とかならないかと見ていたら、確定申告で寄付金控除というのがあるのを見つけて、毎年寄付金控除を申請していましたし、医療費が毎月1万円ほどかかるので、これまた医療費控除というのを見つけて毎年申告しています。

 サラリーマンの確定申告なんて税務署も殆どノーチェックなので時間もかからないし、確定申告書も、今はパソコンで簡単に作れてしまうので、これまたたいして時間はかからない。

 で、もっと大きいのは、それで節税が出来るということ以上に、税に対する意識が上がるということ。税に対する関心が増えること。税に対する関心が増えると、当然税金の使い道にも関心が増えます。つまり、税金の無駄遣いがもっともっと気になってくるということです。

『誤解を恐れずに言うならば、「騙される人も悪い」ということも言いたかったわけです。
 本文でも書きました通り、「情報弱者」はどんな世界でも損をします。税金の世界でもそうですし、ビジネスの世界でもそうです。
 それと、もう一つ言えるのは「他力本願の人はどんな世界でも損をする」ということです。
 今の国民の多くは、税金システムについてあまり知りません、税金のシステムというのは、国の根幹部分ですし、我々の生活にも大きな影響を与えるものです。国民の多くは、国や政治家の悪口を言いながらも、国の肝心なぶぶんについては「おまかせ」の状態になっているのです。
 税金はとても面倒くさい者もの、だから、政治家や官僚につくってもらってそれでうまくやってもらおう。ほとんどの人がそう思っているのです。
 しかし、税金システムを「おまかせ」にしていない人々もいます。富裕層や大企業は、税金のシステムをしっかり研究し、自分たちの主張を、いろんな形で国に働きかけています。だから、彼らはちゃんと得をしているのです。
 だから、今後は我々も、「おまかせ」にしてはならない、ということです』

 なので皆も確定申告をして、税に対する情報弱者から抜け出そう!

元国税調査官が明かす 金を取る技術』(大村大次郎著/光文社新書/2015年1月20日刊)

2015年2月 6日 (金)

『安倍官邸の正体』 政治記者は歴代首相をどう見てたのか

 一昨日に引き続き『安倍官邸の正体』について書く。

 田崎史郎氏は時事通信社の記者として1979年(昭和54年)に政治部に配属されて以来、定年まで政治記者をやっていた。現在は編集委員として未だ時事通信社にかかわっているが、その総まとめとして書いたのがこの本なのだった。

Photo 『安倍官邸の正体』(田崎史郎著/講談社現代新書/2015年2月1日刊)

 基本的には第一次・第二次安倍政権について書いてあるこの本なんだけれども、小泉政権、民主党政権についても書かれているので、今日はそれについて。

 まずは例によって読書メモ風から。

『小泉政権は端的に言って、小泉純一郎の強烈な発信力によって成り立っていた政権である。小泉の発言は「ワンフレーズ・ポリティクス」と揶揄された。だが、人々の脳裏にあっという間に焼き付けられるその言葉の強さは歴代首相随一だ』

『財務省出身の丹呉泰健ら首相秘書官を活用し、各省の考え方に耳を傾け、たいていのことはそのまま委ねた。小泉の意思決定のしかたを象徴するのは次の言葉だ。「ある時は反対論を押し切ってこれだと言うと『独裁者』、ある時は任せると言うと『丸投げ』と言われる」独裁者の部分は内政では郵政民営化、道路公団民営化、ハンセン病訴訟での控訴断念の決断などだった。外交では、〇二年九月の電撃的な北朝鮮初訪問や、〇三年のイラク戦争でドイツ、フランスが反対する中、米国の武力攻撃を積極的に支持したことが挙げられる。ほかの問題は官房長官だった福田康夫や各閣僚らに文字通り「丸投げ」した』

『小泉は副長官、秘書官らと夜、頻繁に会食した。当時の首相秘書官は「そういう会食の席でいろんなことを話し、意思疎通を図っていた」と言う。小泉は自民党や公明党幹部との会食の席にも秘書官を同席させることがあった。同席させるかどうかの差配は首席秘書官・飯島勲(現内閣参与)が行っていた』

 結局、小泉政権のカギを握っていたのは飯島勲首席秘書官だった訳だ。それは当時からも感じていた訳だが、やはりなあということで再認識したわけだ。で、今の第二次安倍政権でも内閣参与として再起用されているということは、小泉政権で官房副長官をやっていた安倍晋三氏も「やはりこの人」という確信があったんだろう。

『小泉は携帯を使わない理由を「政治はフェイス・トゥ・フェイスだ」と説明していた。小泉の二男の衆院議員・進次郎も携帯電話で政治家、官僚らとの連絡を取らない。進次郎は現在、内閣府政務官で復興に加え、地方創生も担当しているが、上司に当たる地方創生担当相・石破茂ですら進次郎の携帯番号を知らない』

 まあ、これはどうでもいいことなんだけれども、今年9月の自民党総裁選で安倍が勝利して三年間の総理期間を過ぎた後は、ワンポイント・リリーフで石破茂政権が一期だけ政権を握って、その後は小泉進次郎ではないかという観測があるので、ちょっと引用しただけ。

『安倍政権は麻生さん、甘利さん、そして菅官房長官という、この三人衆でしょ。麻生さんは財務省の言うことを代弁するけど、経営者としての感覚があるから、そこはわかっている。財務省は来るけど、最後は『もうこれは大臣と決めさせてくれ』と言って、麻生さんと決めるわけです。麻生さんぐらいの大物になると、彼が決めたことは財務省も覆せない」 「甘利さんは総裁選の時の私の選対本部長だから、政権をつくった一人でしょ。しかも、経済政策に対する能力が高いですよね。そういうテクノクラート的能力では、麻生さんはやられちゃうわけよね。でも、お互いに同じ船に完全に乗っている』

 麻生が大物かどうかは分からないが、まあ、所詮田舎の大物経営者でしかないので、結局は財務省には勝てない政治家なんで、そこまでの人物。

『民主党政権崩壊の原因について、学者らの取材、分析によって書かれた『民主党政権 失敗の検証』(中公新書)がある。マニフェストや子ども手当、外交、選挙など幅広く、非常に緻密に原因を究明し、「そもそも、民主党は政党の理念と基盤とガバナンスを確立できなかった」と断じている。 その通りなのだが、それ以前に権力の中枢部にいた人たちが互いに信頼し合えず、連携もせずに、それぞれ勝手に動いていたことが大きな原因ではなかったか』

『時の首相は官邸に集った人たちが自分に忠誠を尽くし、かつそれぞれが信頼し合って一丸となって自分を支えるように心を砕かなければならないのだが、鳩山由紀夫も菅直人もそうした官邸運営のイロハができていなかった』

 民主党に関しては、結局、「経験が足りなかった」という総括なんだけれども、しかし、当時の民主党には小沢一郎という極めて政治経験に富む政治家がいたんだけれでもなあ。一度でいいから小沢政権がどんなことをやるのかを見てみたかった人は多いんじゃないだろうか。結局、法務省=検察の圧力で小沢構想は潰されてしまったわけなんだけれども、小沢が田中角栄型の(そして現在の自民党の形の)利益誘導型の政治を行うのか(おおまかの人々はそれを予感しているのだが)、それとは逆に(地域利権誘導型とは一切手を切って)理想国家形成型の政治を行うのかを見てみたかった人は多かったんじゃないかな。それが戦後日本政治の中での一番残念なことではある。法務省=検察の日本の戦後政治に関する一番の罪は、この小沢一郎事件なんである。ま、もっと大きいのは「田中角栄=ロッキード事件」なんだけれどもね。

『こう見てくると、官邸の運営はその時々の首相の手法、正副長官との人間関係など「人」によってずいぶんと変わる。これがベストというシステムはない』

 というのは当然であろう。その時、その時に応じて官邸の運営、政権の運営と言うものは変わっていくものだし、官邸の「重さ」も変わっていくものだ。そんな意味では、民主党政権時が最近では一番官邸の重さが減ってしまった時期ではあるのではないだろうか。

『ノンフィクションの書き手として記すと、田中角栄元首相、竹下登元首相、金丸信元自民党副総裁、橋本龍太郎元首相、小沢一郎生活の党代表、梶山静六元官房長官ら数多の政治家を取材し、彼らが発散する熱を感じ取りながら、取材してきた。小沢氏以外は鬼籍に入られたが、とりわけ、田中元首相には圧倒された。  田中元首相らの時代に比べ、政治家が小粒になったといわれる。私はそうは思わない。安倍首相、菅義偉官房長官、石破茂地方創生担当相らは私にとって、熱を感じる政治家だ』

 まあ、やはり田崎氏もその政治記者の生活の中で一番の存在感を示された政治家としては田中角栄を挙げるんだなあ。

 首相に「ご説明」をしにくる東大卒の大蔵省(現・財務省)の役人を前にして、高等小学校卒の首相が、逆に反論をして大蔵省の役人に自分の言うことを聞かせてしまったエピソードはいくらでもある。それも「理詰め」である。

 すごいなあ。そんな政治家が以前はいたんだ。

 もう、私が社会人になった時には終わってしまった政治家なんだけれどもね。

『安倍官邸の正体』(田崎史郎著/講談社現代新書/2015年2月1日刊)

2015年2月 5日 (木)

4の付く日はとげ抜き地蔵の縁日

『縁日(えんにち)とは、神仏との有縁(うえん)の日のことで、神仏の降誕・示現・誓願などの縁(ゆかり)のある日を選んで、祭祀や供養が行われる日である。この日に参詣すると、普段以上の御利益があると信じられた。特に、年の最初(または月の最初)の縁日を初(はつ)○○(初天神、初観音、初不動など。干支を縁日とする場合は初午、初巳など)と称し、年の最後の縁日を納め(おさめ)の○○または終い(しまい)○○と称される』(Wikipediaより)

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 ということで、毎月4の付く日、つまり4日、14日、24日は巣鴨とげ抜き地蔵・高岩寺の縁日なのでした。

 この日は、元々人通りの多い地蔵通り商店街が、屋台が出るので狭くなってしまい、まさに人でひしめき合っている状態になります。

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 で、縁日の屋台といえば、ラテスカービベじゃなくてベビーカステラとか…

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 大判焼きとか…

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 元祖月島お好み焼き(あれっ? もんじゃじゃないの?)とかの、子どもたちが喜びそうなお菓子系の屋台が多いもんだが…

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 ここ、とげ抜き地蔵の縁日では、こんな訳のわからない物を売っていたり…

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 メリヤスとか…

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 布(端切れ?)とか…

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 さすがに「お婆ちゃんの原宿」だけあってステッキとか…

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 もうとにかく、地蔵通り商店街の庚申塚の方へ行くと、完全に世田谷のボロ市みたいな状態になっている。

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 やっぱりお婆ちゃん相手なので、食べ物系よりは着るもの系が多いのかなあ。

Fujifilm X10 @Sugamo Toshima (c)tsunoken

2015年2月 4日 (水)

『安倍官邸の正体』でわかること

『安倍官邸の正体』というタイトルや、『国家権力の中枢を解明する 2015年以降の政局の行方と安倍内閣の「本質」を読み解く』なんていう腰巻を見て、これはもしかして総理官邸の内側のドロドロとした権力闘争のあり方を描いたものなのか、と思ってみたら、そうではなく本来の総理周辺の「あり方」を書いた本なのであった。

Photo 『安倍官邸の正体』(田崎史郎著/講談社現代新書/2015年2月1日刊)

 ここでは2006年9月26日に発足して1年足らずの2007年8月27日にお腹を壊して辞めちゃった第一次安倍内閣と、2012年12月26日に民主党の地滑り敗北によって誕生した第二次以降の安倍内閣とはどう違うのか、という点に注目して読んでみたい。

 それにしても第一次安倍内閣のスローガン。

・「美しい国づくり内閣」
・「創りあげたい日本がある。美しい国、日本」
・「地域に活力。成長で活力。暮らしに届く改革」
・「成長を実感に! 改革を貫き、美しい国へ」
・「戦後レジームからの脱却」
・「改革実行力」

 って、そうかこの頃から政治のポエム化が始まったんだな。それまでの小泉ぼっち政権の「ワンフレーズ・ポリティクス」からの脱却が「ポエム化」だった訳だ。

『官邸で意思疎通ができていなかった点において、第一次安倍政権も同じ過ちを犯し、官邸崩壊が政権崩壊に直結した。そこで二次政権発足に先立ち、首相補佐官として失敗の過程を目の当たりにした世耕が安倍に対して、「一日五分でいいから顔を合わせませんか」と正副長官会議設置を提案し、実現した』

『一次政権ではまず、首相官邸の態勢をそれまでの官房長官、副長官の「ライン中心」から、首相補佐官を軸とした「スタッフ重視」に切り替えた。それが、あとで振り返ると官邸崩壊を招いた』

『日本の行政システムは各省のタテ割りになっている。政治決断が求められることや各省が激しく対立している案件は首相官邸に持ち込まれ、主に官房長官や副長官のところで調整が行われる。それでも決着しない場合には首相の裁断を仰ぐこともある。一方、首相の意向は各省大臣に直接、あるいは官房長官らを通じて伝えられる』

『これが政府の意思決定のラインだ。それが確立しているのに、官邸にスタッフ職を設けた。しかし、首相補佐官のところに各省の情報が集まってこなかった』

『<指導者に忠誠心を抱く官僚は寥々(筆者注・数の非常に少ないさま)たるもの。自分の信じる正義のために献身する者がほんの少しいるだけで、大部分の官僚は自己の利益だけを考えている>官僚というのは古今東西、そういう人たちなのかもしれない。それを知ってか知らずか、首相や大臣が決めれば、官僚はその通りに動くと無邪気に信じていたところに、「政治主導」を掲げた民主党政権の過誤があった』

『官僚と敵対するのではなく、また、官僚に操られるのでもなく、官僚を使いこなすことを、安倍は官邸で学んだ』

『今、官邸にいる国会議員で官邸勤務が最も長いのは安倍自身である。森、小泉内閣で官房副長官を三年二ヵ月、小泉内閣で官房長官を一一ヵ月、さらに首相を一年務めた。大臣の経験はないが、二度目の首相就任までに通算五年余りを官邸で過ごした

『官房副長官として政策決定にかかわったのはもちろんのこと、首脳会談に同席し、戦後史を塗り替えた二〇〇一年九月一一日のアメリカ同時多発テロ事件にも遭遇した。森喜朗が退陣に至る自民党内の政争や、首相のスタイルを根本的に変えた』

『小泉純一郎のことも官邸で間近に見ていた』

『一次政権の失敗も含め、官邸にいたことが安倍をかたちづくる血となり、肉となっている』

『「官僚を利用するが、官僚に利用されない」 これを鉄則にして、人事をテコに霞が関官僚を動かしていく。これが、第二次安倍政権の官僚支配の手法だ』

 なるほどなあ、やはり官僚をどう使いこなしていくか、というのが政治の基本なんだなあ。多分、第一次安倍政権ではアメリカの大統領補佐官制度を真似して首相補佐官を作ってみたのだが、アメリカの場合は大統領が代わると官僚もガラッと入れ替えられてしまうのに比較すると、日本の場合は、首相が代わっても官僚はずっと同じ仕事をしいるわけだから、その頭を入れ替えさせることはちょっと難しいでしょ、ということなんだ。

『「戦後レジームからの脱却」──。安倍は一次政権下でたびたびこの言葉を使った。戦後長く続いた諸制度を見直そうとする「安倍政治」を象徴する言葉である』

『安倍は「戦後レジームからの脱却」という表現を封印し、意識して使わないようにしている。「戦後レジームからの脱却」を訴えた「美しい国」路線を引っ込め、経済成長重視のアベノミクス推進を最重要政策に据えた。これが、政策面における一次政権と二次政権の大きな相違点だ』

『安倍首相が本当にやりたいことは安全保障とか、憲法改正だ。しかし、それをやり遂げるのには経済がうまくいって、支持率を維持していることが前提だ。好調な経済という前提があるから何でもできる』

『安倍にとって、一回目に任期途中で辞めたことが政治家として最大のトラウマだ。また、日本の首相が短期で交代することのマイナス、とりわけ外交面で悪影響を及ぼすことも、少なくとも自民党内では浸透している。自民党の衆院当選三回以上の議員は、党内のごたごたが政権喪失の要因の一つになったことが肌身に染みている。党内で「安倍降ろし」の動きが顕在化することもないだろう。  
 政治に百パーセントはない。だから、絶対に辞めないとも断言できないのだが、安倍はよほどのことがない限り、二度と途中で投げ出したりしない』

 つまり「戦後レジームからの脱却」というスローガンを掲げるのは、2015年9月の総裁選で勝利して、政権の地盤を万全なものにしてから、ということになるのだろう。それまでは経済専心、アベノミクス第一ということなのだろうけれども、実際にアベノミクスがどこまで成功するのかはまだまだ見えていない。

 しかし、安倍政権の後を継ぐと目されている石破茂氏がリベラルなのか保守なのかはっきりしない以上、安倍氏は自身の政権中に「戦後レジームからの脱却」の第一命題、「憲法改正」をやっていくだろう。もしかするとそれが安倍政権の躓きの元となるかもしれない。

 安倍さん、あまり先を急ぐと命取りになるかも知れませんぞ。

 ところでこの本、上記以外にもいろいろな読み方が出来る本なので、明日も同じ本を取り上げる。

『安倍官邸の正体』(田崎史郎著/講談社現代新書/2015年2月1日刊)

2015年2月 3日 (火)

『さらば愛の言葉よ』はゴダールの遺作なんだろうか

う~ん、今年は1月には1本も映画を観ていなかったなあ。まずいぞ、ってことで今年最初に観たのがゴダールであります。

 本作品でジャン=リュック・ゴダールはカンヌ映画祭審査員賞を受賞した。おまけに映画に出演した、ゴダールのパートナー、アンヌ=マリー・ミエヴィルの飼い犬、ロクシー・ミエヴィルが「パルム・ドッグ賞」なんだとか。なんかオフザケのようにも見えるカンヌ映画祭。

 なんだか1968年にカンヌ映画祭粉砕事件を起こしたゴダールも、今やその咎を免れて、殿堂入りなのかもしれないな。何せ最早84歳だ。

2 『Adieu au Langage/さらば愛の言葉よ』(ジャン=リュック・ゴダール監督・脚本・編集/製作:ブラヒム・シオウア、ヴィンセント・マラベル、アラン・サルドゥ)

 プログラムの冒頭にゴダール直筆の「rejume/梗概」が掲載されている。

『テーマはシンプルだ

人妻と独身男が出逢う

ふたりは愛し合い、口論し、叩きあう

一匹の犬が町と田舎を彷徨う

季節はめぐり

男と女は再会する

犬は気付くとふたりのもとに落ち着く

他者が個人の中にいて

個人が他者の中にいる

そして登場人物は三人になる

かつての夫が全てを台無しにし

映画の第二幕が始まる

第一幕と同じようで

それでもどこかが異なる

人類からメタファーへと移り

犬の啼き声と赤ん坊の泣き声で

物語は終わる』

 とこれを読むとゴダールは「物語」に回帰してきたのだろうか、と一瞬思ってしまう。まあ、それに惑わされたのが「日経新聞」に映画評を掲載している中条省平氏なんだけれどもね。

 がしかし、それはゴダールによる幻術なのだった。前作「ゴダール・ソシアリズム」で行った、全編エッセイのような語りときらめく映像の世界から更に発展させて、『さらば愛の言葉よ』では、キャノンEOS 5D マークⅡやフジフィルム、ソニー、Go Pro、Lumixなどの一般人でも簡単に入手できる民生機でもって3D映像を、まるでホームムービーのような形で導入しながら、しかしやっていることはまさしく「メタ映画」なのであった。

「ゴダール・ソシアリズム」でやったことは、この「メタ映画」の一歩手前の「哲学映像」だったことが、本作を観るとよくわかるのだが、それをまさしくホームムービーとしてやったことが、さらにその「メタ」性を強めることになっている。

 多分、撮影はゴダールの家の中、家の近所の普通の場所、公園、レマン湖の港、近所道路などで実施されている筈だ。撮影隊もゴダール自身、撮影監督のファブリス・アラーニョ、制作担当のジャン=ポール・バタジアの三人にプラス役者だけだろうし、その撮影の半分以上はゴダールの家の中で撮られている。

 そして、その語られる台詞は会話になっておらず、それぞれの男女が自分の言葉をそれぞれに語っているだけなのだ。つまり、これは「ダイアローグ」による会話ではなくて、「モノローグ」による会話。「モノローグによるダイアローグ」という言い方が正しいのか間違っているのかは分からないが、そんな台詞のやりとりなのだ。

 多分、セックスを終えたばかりの裸の男女が、普通そんな「モノローグによるダイアローグ」を交わさないだろうか。つまり、彼らのセックス自体がそんな「モノローグによるダイアローグ」のようなセックスだったのかも知れない。だとしたら彼らによって交わされたセックス自体も「メタ・セックス」なのか、なんてのはあだし事ではあるが、そんな「メタ・セックス」なんてこともあるのかも知れない、と思わせるような見事な表現ではある。

 ところで、「Adieu au Langage」というのは、単純に直訳すれば「さらば言葉よ」ということではあるし、ゴダールが現在住んでいるスイス・ヴォー州・ロール市あたりでは「今日は言葉よ」という意味もあるらしい。普通のフランス語で言えば"Au revoir"は英語の"See You"位のお別れであるが"Adieu"はどちらかというと「永遠のお別れ」という意味である。それがスイスのある地方ではダブル・ミーニングになっているというのは面白い。

 つまり、それはスイスのある地方の方が、フランスよりももっと古くからフランス語を話していたということなのだろうか? あるいは、何かの切っ掛けでそんなダブル・ミーニングになっていったのだろうか? とすると、スイスの方がフランスよりも「古い」かあるいはスイスの方がフランスよりこ「文化性が上」なのかという疑問が湧いてくる。

 ダブル・ミーニングというのは、最近はアメリカ黒人が良く使う言葉のようだし、日本人も、まあアメリカ黒人の影響なんだけろうけれども、使い始めた。若い人が良く使う「ヤバい」なんてのもそうだしね。で、これって私が思うに「文化性の高さ」だと思うのである。

 つまり、言葉と言うのは、そんなにキチンとした定義があって使うものではなくて、その場その場の状況に応じて使うものだ。ということになれば、ある定義だけでしか使えない言葉というのは、その言葉の世界通用性としては高いかも知れないが、逆に、その言葉を使うせまい世界の中における文化性は低いと言わざるを得ない。つまり、そのせまい世界では言葉はいろいろな意味を持って存在し、人びとはその言葉が発せられる状況を見ながら、その言葉の意味を捉えていくのである。

 日本でも、東京の言葉よりも京都の言葉の方がそこに含まれている「含意」が多いと言われている。それはやはり東京と京都の歴史の古さの差だろうし、東京のような日本中からの寄せ集めの人間が集まっている都市と、京都のように昔からの人々が定住している都市の違いなんだろう。

 つまり、ゴダールはスイスのその地方が持つ言葉の「含意」の豊富さを認めて、その言葉のフランスからの優位性を、この映画で言いたかったのかも知れない。

 もともと、フランス語系スイス人だったゴダールとしては、パリにいて結構孤独だったのかも知れない。その孤独さが彼をして映画の方へ向かわせたのかも知れないし、今現在は、故国スイスに帰って、それまでとは逆にスイス人としての誇りでもって「スイス語」を堂々と語る、ということをこの映画でやりたかったのかも知れない。

 Vive le Suisseということなんだろうな。

 つまり、ゴダールも年取って、先祖帰りしたんだろうか。

『さらば愛の言葉よ』のオフィシャルホームページはコチラ

シネスイッチ銀座のサイトはコチラ

2015年2月 2日 (月)

東京周縁部を往く:足立区西新井のメインストリートは関原通りだ(笑)

「足立区のメインストリートは関原通りだ」ってのは無茶ぶりであることは分かっていますよ。だから「(笑)」を入れたんだけどね。

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 今や西新井周辺の中心地は、昔は日清紡西新井工場があった東武伊勢崎線(スカイツリーライン)西新井駅周辺になっている。

 この駅そばのマンション群とアリオ西新井が「新西新井」、で今日紹介する「関原通り」が「旧西新井」の象徴って訳で。

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 つまり、私が5歳から27歳まで住んでいた頃(今から40年位前)の西新井と言えば、まさしく「関原通り」がメインストリートだったのだ。

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 関原通り、メインストリートとは言っても、西新井駅の先、西新井本町から荒川放水路の手前で尾竹橋通りにぶつかる2km程度の商店街なんだけれども。

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 Wikipediaなんかでは「下町」なんてほめ方をしているけれども、実際は“場末”ですよ、場末。まあ、荒川の北側は在日韓国人なんかも沢山住んでいた“場末”なんですね。

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 で、こんな私がいた頃からやっていたお煎餅屋さんなんかもまだ残っていたり。

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 ここ、関原3丁目辺りが関原通りの中心地なんだけれども、というか、おおっ、まだ残っていたか「寿司 大和屋」と「肉 末広」、まあ当然既に代替わりしているだろうけれども。

 しかし、こうやって昔、小さい頃に住んでいた町に再び来て見ると、なんか昔に比べて今の街というか、道路がやたら狭く感じるんですね。やはり、昔は私も小さかったからなんでしょうか。

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 足立区関原という地名の元になったのは、ここ関原山不動院大聖寺なんですね。結構古いお寺で、それなりの由緒はあったようです。

 足立区関原というのは元々は足立区本木町と言っていたのが、1970年にこの「お不動さん」からいただいて関原町になったわけなのです。

 ただし、関原商店街とか関原小学校(私が通った小学校)というのは本木町時代からあった訳で、やはり地元の人たちの「お不動さん」への愛着はかなりものがあったんだろう。

 この「お不動さん」と「お稲荷さん」が関原のベストポイントにしてパワースポット。元々はこの大聖寺の中にお稲荷さんはあったのだけれども、明治維新の際の神仏分離令でもって無理やり離されてしまったお稲荷さんではあります。

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 私が昔通っていた「愛恵学園幼稚園」です。私が通っていた頃はアメリカ人のシスターが園長先生でした。今は愛恵学園は目的を果たしたということで、今は公益財団法人愛恵福祉支援財団となって、北区中里に事務所を置いているらしい。今度、行ってみよう。しかし、結構立派な建物だったんだなあ。

 で、昔の愛恵学園幼稚園の建物はそのまま足立区の施設になっているようだ。

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 で、最近の関原あたりはどうなっているかと言えば、こうやって狭い道ばかりだったのが、区画整理されてかなり広い道が整備されるようになったようだ。

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 そういえば、「商店街」って言っても、今や場所によっては「商店」はなくなってしまい、普通の民家になってしまっているようなところが多い。

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 これも町の盛衰なんだろうあ。

 関原通りから駅近くのアリオ西新井へ、って流れなんだろう。

LEICA M3 SUMMILUX 50mm/F1.4 KodaColor 400 を16bitグレーでスキャン @Nishiarai, Adachi (c)tsunoken

2015年2月 1日 (日)

街歩きの愉しみ・クラッシクカーとの突然の出遭い

 毎日一万歩を目標に街を歩いている。

 街を歩いている時の愉しみのひとつに、クラシックカーとの遭遇というのがある。

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 麻布十番で見かけたMG-Bは1962年から1980年まで製造されたイギリスのオープン・ロードスター。

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 駒込大和郷で見かけたのがジャガーEタイプ。1961年から1975年まで製造された、これまたイギリスのスポーツカー。

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 谷中で見かけたのが、なんとスバル360! 1958年から1970年まで製造された、日本の国民車。

 私自身はこうしたクラシックカーを持とうとは思わないが、嫌いではない。というか、私は以前NDC東京(ニッサン・ダットサン・クラブ東京)という東京日産系のクラブに入っていて、ダートトライアルやジムカーナ、ラリーなんかをやっていた時期がある位の車好きではあるのです。当時のNDC東京にはブルーバード510なんかの当時でも既に準クラシックカー扱いされていた車に乗って参戦している人がいたりしていたのでした。

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 東北道で見たのは日産セドリック・スペシャル6。1970年頃の製造だ。

 ただし、ディーラー系のクラブであるNDC東京は、メーカー系のクラブであるSCCN(スポーツカークラブ・ニッサン)の人たち辺りからは「ニッポン・ドリンカーズ・クラブ東京」なんて揶揄されていて、まあ確かにミーティングと称して酒ばっかり飲んでいたクラブではあったが、その為にSCCNなんかとはガチ加減が大分違っていたのは事実であります。

 当時、ダートトライアルで勝つためには、車の購入額と同じ額くらいの改造費をかけなければならない、なんて言われていて、確かにNDC東京の車はエンジンもノーマルで、タイヤをラリー用にして後はロールバーを入れるくらいの軽改造車だったもんなあ。別に、改造費ケチって飲んでいたわけではないのですがね。まあ、SCCNに比べればNDC東京はそんなユルいクラブだったってこと。

 そんな訳で、何故か私の周囲にはクラシックカー・マニアも多い。

 娘の幼稚園の友達の親で日野コンテッサ1300クーペのオーナーなんて人がいたかと思えば、アニメの監督でやはり日野コンテッサ1300クーペのオーナーという人がいて、その監督に聞いたら、二人は同じクラブにいて知り合いだったり、他社のアニメ雑誌の編集者で、トヨタ・セリカ1600GTとスズキ・カプチーノとトヨタS800の3台のオーナーで、さすがに自分の家のそばでは駐車場代が高いので三鷹に安い駐車場を借りて、電車に乗って車に乗りに行くなんてバカな奴やら、アニメ会社の制作進行でホンダS600(!)に乗っていて、その車で病院に検査に行ったら、そのまま即入院ということになり、スポーツカーに乗って入院した患者は初めてだなんて言われたり……、ってなんだそうか皆オタクなだけか。

 まあ、私も本当はベンツC200じゃなくてモーリス・ミニクーパーS(今のミニじゃなくて昔の)モンテカルロ・ラリー仕様あたりに乗りたかったり、『マディソン郡の橋』のロバート・キンケイドみたいに『古いシヴォレーのピックアップ・トラック』に乗って「屋根付きの橋」の写真を撮りに行きたかったり、マツダ・キャロル4ドアセダンやいすゞベレット1600GTなんかが欲しくなったりして、時たま中古車センターなんかに見に行ったりするんだけれども、まあ買わないですね。相当、メンテナンスに手もお金もかかるようなので。

 ということで、街でそんなクラシックカーを見かけると写真に撮るんだけど、結局それは街歩きの時じゃないとダメで、車を運転している時なんかにクラシックカーと出会っても、車を止めて写真を撮るなんて出来ないですからね。

 そんな訳で、クラシックカーとの出遭いは街歩きの時の愉しみとしてとっておこう。

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