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2015年1月21日 (水)

『「わかる」とはどういうことか』を、どうやって「わかる」ようになるか

 なんで文系の私がこんな理系(と言ってもかなり文系に近い理系だけどね)の本を突然読んだのか……。

 実はこの本、勝間和代さんが主宰している勝間塾の課題本だったのです。

 そう実は私、昨年11月から勝間塾の塾生になったのですね。で、どう変わったのかというと……、全然変わってない。それじゃダメじゃん……、なんて言わないでね。所詮、私もまだまだ新入塾生だからね。

Photo『「わかる」とはどういうことか――認識の脳科学――』(山鳥重著/ちくま新書/2002年4月紙版刊・2014年2月21日電子版刊)

 で、『「わかる」とはどういうことか』を読書メモ風に……。

『心像は視覚映像だけではありません。触覚、聴覚、嗅覚、味覚など視覚化出来ない心理現象を含みます』

『われわれの心の働きに重要なのは心像であって、客観的事実ではありません。心像を扱うのが普通の心の働きで、客観的事実は心にとってはあってなきがごときものです』

『心は好奇心(おおまかな心の傾向)注意(具体的な方向づけ)知覚(正確な区別)の流れで働きます。何事も、好きになることが大事です。嫌いなことには心は働かないのです』

『心像はこのように経験を通じて形成されます。そして、この心像がわれわれの思考の単位となります。われわれは心像を介して世界に触れ、心像によって自分にも触れるのです。外の世界(客観世界)はそのままではわれわれの手に負えません。われわれは世界を、心像形成というやり方で読み取っているのです。心像という形に再構成しているのです』

『心像にはこのように、今・現在自分のまわりに起こっていることを知覚し続けている心像と、その知覚を支えるために動員される、すでに心に溜め込まれている心像の二種類があります』

『前者を知覚心像、後者を記憶心像と呼ぶことにします』

『が意味を持つには、記憶心像という裏付けが必要です』

 と、この辺までは原理論なんで、よくわからない。

『言葉を手に入れたことで、われわれはすべての心理現象を記号に変換(言語化)して、他人と交流する、という大変な能力を手に入れたのです』

『言葉はもともと何か、おたがいの心の中に共通の記憶心像があって、それを記号化する、という過程を経て誕生したものです。ある必然性が言葉を発明させたのです。ところが、言葉がどんどん増えだすと、記号だけが覚えこまれ、その記号が立ち上がるきっかけとなったはずの心像のほうは曖昧なまま、という事態が発生します』

『記号だけは覚えていますが、その相手方であるはずの記憶心像は曖昧なままなのです』

『わかる、わかったという経験の第一歩はこのように、まずなんといっても言語体験です。ある音韻パターンと一定の記憶心像が結びついていれば、その音韻パターンを受け取った時、心にはその記憶心像が喚起されます。』

『「わかる」は言葉の記憶から始まります。そして言葉の記憶とは名前の記憶ではなく、その名前の「意味の記憶」です』

 うーん、この辺になると、なんとなく「わかるような気」がしてくるのだが……。

『意識に呼び出しやすい記憶とは、別の言葉を使えば、心像化出来る記憶です。その多くはうまくゆけば絵や言葉に表現することも可能です。つまり仲間に伝えることが出来ます。この点を強調して陳述性記憶とも呼ばれます。この記憶はさらにふたつに分けて考えられています。ひとつは出来事の記憶です。もうひとつは意味の記憶です』

『もう一方の、意識に呼び出しにくい記憶、つまり心像化しにくい記憶は手続き記憶と呼ばれています』

『ここまで考えてきたわかり方は、見当をつける、分類する、説明する、空間関係がわかる、からくりがわかるの五つです』

『わかる、とは自分のものにすることです。長々と文に表現されているものが自分の概念(心像)としてひとつのイメージにまとめられることです。そうなると、今度はそのわかったことを自分の言葉で表すことが出来ます』

『われわれは何にでも意味を見つけたがります。どんなものでも意味がなくては落ち着きません。意味とは、とりもなおさず、わからないものをわかるようにする働きです。』

『秩序が生まれると、心はわかった、という信号を出してくれます。つまり、わかったという感情です。その信号が出ると、心に快感、落ち着きが生まれます』

 なるほどなあ、という気になるのはこの辺から。

『わかったことは応用出来ます。 なにかある知識を持っているとします。その知識が具体的なことがらに即したことであって、そのことにしか使えないとすれば、その知識はそのこと限りです。しかし、もしその具体的な知識の裏にある原理が理解出来ていれば、その知識はほかの現象にも応用出来るはずです』

『学校教育という教育形式は、多くがこの重ね合わせ的理解に重点を置いています。将来、知らないことに遭遇したとき、重ね合わせに使えるようなさまざまなモデルを教えようとします。先生がモデルであり、教科書がモデルです。われわれは学校で教えられたことを自分の判断の基準とし、人生を切り開いてゆくことになります』

『参照すべき教科書もなく、先生も教えてはくれません。自分で新しく発見してゆくしかないタイプの理解です』

『学校で教わるタイプの理解を重ね合わせ的理解と呼ぶなら、自分で仮説を立ててゆくしかないタイプの理解は発見的理解と呼ぶことが出来ます』

 もうこの辺になるとスッキリ「わかる」、というか学校を出て、社会人としての物事に対する理解はすべてこの方法だからだ。

 つまり、日々勉強しながら、その理解の仕方を理解していくという繰り返しが、大人としての「わかる」ということなんだ。

『われわれはこのふたつのわかり方を駆使して、社会に立ち向かっています。しかし、行動に本当に必要なのは後者であることは説明の必要もないでしょう。社会で生きてゆく、自然の中で生きてゆく、というのはその時その時、新しい発見、新しい仮説を必要とします』

 もうね、こうなるとね、当たり前って感じだよな。

『生きることは、自分の足で立ち、自分の足で歩くことです。世界に立ち向かうためには、自分が使えるしっかりした海図を自分で作ってゆかなければなりません。そうやってはじめて大きい意味や深い意味を発見することが出来るようになるのです』

 まあ、結論としては、それこそ「当たり前」なんだけれども、その「当たり前」に至る道筋を、普通は考えないところを考えてみました、というのがこの本なんだ。

 うーん、「わかる」ってことは、ちゃんと考えると、あんまり「わからない」ものなんだなあ。

『「わかる」とはどういうことか――認識の脳科学――』(山鳥重著/ちくま新書/2002年4月紙版刊・2014年2月21日電子版刊)

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