フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« オスプレイのせいで、道路が全く見えなくて危ない | トップページ | 世界の壁は厚いが侮れない、中国初の国産旅客機 年内にも運航、大半は国内受注 »

2014年11月15日 (土)

『定年後7年目のリアル』のリアル、定年3年目のリアル

 当然、本書は2013年8月9日に出た『定年後のリアル』の続編である。続編であるけれども、別に前の本と書いてあることは変わりはない。そう別に定年になったからと言って、何も新しいことはしていなのだし、依然とまったく変わらない生活を送っている以上は、前とは変わらないのも当然だ。

7『定年後7年目のリアル』(勢古浩爾著/草思社文庫/2014年8月8日刊)

 で、まえがきにこう書くのである。

『本書は一応、前作『定年後のリアル』(草思社文庫)の続編という格好になっている。前作が出たのは定年退職後二年目である。それから五年たった退職七年目の現在、どのような心境の変化や生活の変化があったのかを、あるいはなかったのかを、雑感的に綴ってみようという趣旨である』

『さあ第二の人生だ、楽しく生きよう、人の役に立つことをしよう、お金はあるかね、健康は大丈夫か、あと二十年もあるぞ、など、やいのやいのいうなというのである。私の定年後の原則は、なにをしてもいいし、なにもしなくてもいい、である。まともではなかろうか。
 それから五年後の現在、この考えに変化はない。むしろ強固になってきた。生活の変化もほとんどない。この間、日本と世界では、東日本大震災、中国での反日暴動、アラブの春(頓挫した)、北京とロンドンの二度のオリンピック、などなどがあった。
 しかし世の中でなにがあろうと、わたし自身の生活はほとんど変わっていない。いや、四年前には退職前に勤めていた会社の仲のよかった先輩が亡くなった。三年前には兄が急死した。その後も元会長が亡くなり、昨年末には、元社長だった人も亡くなった。それぞれに思うことは多々あったが、それでもわたしの生活は変わらず続いている。人間はしぶとく、生活もしぶとい。
 では、冒頭の「退職な七年目の現在、どのような心境の変化や生活の変化があったのかを綴ってみよう」というのは誇大広告にならないのか。やはり、そこを衝いてくるかね、って自分で書いたのだが、なる、と思う。申し訳ない。だから本書では「あるいはなかったのか」の中身を書くことになる。わたしは相変わらず、なにもしていない。退職後七年たっても、心境も生活もほとんどそのままである。しかし、なんの変化がなかったわけでもない。多少は考え、読み、観てきた。
 わたしは十年一日のような「なにもない」生活にまったく飽きない。なにかおもしろいことないかね、つまんねえな、ということがない。なぜか。たぶん。このような生活は「お米」のようなものだ。「コシヒカリ」ならもっといい(子どもの頃、我が家では麦と白米が半々だった。それがふつうのごはんだと思っていた)。
 ごはんは何十年食べてもまったく飽きないではないか。それどころか、いつ食べても美味しい。ご飯には滋味がある。ほんのりと甘い。シラスやおかかや梅干や昆布をちょっとのせるだけで、味が一層ひきたつ。玉子かけごはんだとおかずはいらない。生活もおなじである。これが基本だ。「なにもしない」静かな生活はコシヒカリのように滋味があるのだ』

 う~ん、本当になにもしないんだなあ。ただ、昼頃起きると、図書館、公園、本屋、ショッピングモール、そして喫茶店に行って、数時間を本を読んで過ごし、本について書き、たまに自転車で放浪し、夕方家に帰って来るだけの毎日。って、あれ? これは私の生活? ブログを書き、ブログに書くために本を読み、一日一万歩歩くことを日課にしているので、外を歩いてブログ・ネタを探したり、喫茶店で本を読んだりって、なんか私の生活と似ているなあ。

 一昨年から今年の夏まではマンションの建替えなんてものがあったために、結構忙しい時もあったりしたんだが、今年の夏に建て替えがなり、引っ越してきて後は、まんま勢子浩爾氏と同じような生活だ。毎日、毎日何をやって暮らしているのか、訳が分からなくなってしまうので、最近は昔使っていたシステム手帳に毎日歩いた場所を書いたり、天気を書いたりしている。そうしないと、その日に何をやったか、やらなかったか、わからなくなっちゃうからね。

 ということは、私もあと4年経って67歳になっても、相変わらず毎日ブログを書き、ブログに書くために本を読み、一日一万歩歩くためにブログ・ネタを探して彷徨ってみたり、自転車は勢子氏と違って私のはロードバイクだから多少はスピードが出るが、でも毎日乗る訳でもないがたまに乗り、時々は旅行に行ったりはするが、その程度の違いで、ほとんど勢子氏と同じような生活を送っているのだろう。

 まあ、多分定年退職者の日常なんてそんなもんだろう。ボランティアなんてやっている人は、多少の変化はあるのかも知れないが、それでも毎日ボランティアをやっている訳ではないから、基本的にはあまり変化の少ない生活だ。

『定年というゴールは微妙である。なかには、さあこれであとはなんの憂いもない。資金よし家族よし健康よし、第二の人生を思い切り楽しむぞ、という人もいるだろうが、ほとんどの人はあまりうれしくないのではないか。いささの安堵と、いささかの虚脱感と、かなりの不安が、入り混じったような感覚ではないかと思う。
 わたしが退職したときは、肩の荷を降ろせたような安堵感が七分、これで自由だという青空感が二分、漠然とした不安感が一分、といった気分だったような気がする。これといった夢も希望もなかった。カメラをさげて、あちこちの美術館や、昔住んでいた町や、見知らぬ近隣の町をぶらぶらしてみようか、と思うくらいだった(足利学校がある足利に行ってみようかと思ったが、まだ行っていない)。定年退職がゴールという感覚はまったくなかった。単に、一区切りがついたといった感覚か』

 というのが、まあ普通の人の定年退職を経験してみたときの感覚だろう。

 とてもじゃないが西行や、鴨長明や、兼行法師や、松尾芭蕉や、勝小吉などの「無聊」の大先輩のようには生きられないけれども、まあ、それを目指してゆるりと生きていくのもいいじゃないか。「『山家集』ならぬ町家集」「『方丈記』ならぬ六畳記」「『徒然草』ならぬ無聊草」「『奥のほそ道』ならぬ近所の細道」「『夢酔独言』ならぬ無酔独言」でいいのである。

「流れゆく日々」じゃなくて「流されゆく日々」でいいのである。

『定年後7年目のリアル』(勢古浩爾著/草思社文庫/2014年8月8日刊)前作はKindle化されているが、本書はまだ紙版だけだ。

« オスプレイのせいで、道路が全く見えなくて危ない | トップページ | 世界の壁は厚いが侮れない、中国初の国産旅客機 年内にも運航、大半は国内受注 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/60645679

この記事へのトラックバック一覧です: 『定年後7年目のリアル』のリアル、定年3年目のリアル:

« オスプレイのせいで、道路が全く見えなくて危ない | トップページ | 世界の壁は厚いが侮れない、中国初の国産旅客機 年内にも運航、大半は国内受注 »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?