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« テクニウム~テクノロジーはどこへ向かうのか? | トップページ | 『日本の論点』と言っても、やっぱり情報が古くちゃなあ »

2014年11月25日 (火)

中山道・大宮宿

 中山道・大宮宿は板橋、蕨、浦和に次ぐ4番目の宿場だった……というのはちょっと間違いで、実は中山道が整備されて最初は大宮は宿場町ではなかったのだ。

『中山道の前身となる街道は、戦国時代に後北条氏によって整備されたが、その時代には浦和宿の次が上尾宿となり、大宮は両者の中間点で馬継ぎをする場であった』(Wikipedia)ということである。

『当初の大宮宿は、大門通りと呼ばれた参道沿いに、宮町、中町、下町と続く3つの町からなった』(Wikipedia)。

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 JRさいたま新都心駅そばにある「大宮氷川神社一の鳥居」。右下から左へ行く道が旧中山道(埼玉県道164号線・鴻巣桶川さいたま線)で、正面が氷川神社一の鳥居。

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 二の鳥居を経て……

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 三の鳥居を通ると……

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 楼門に至る約2kmの道が、氷川神社参道である。なかなか壮観な神社であることは、まさしく関東一円に200社以上あるといわれる氷川神社の総本社だけのことはある。

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 ところで、この大宮氷川神社参道って、実はその昔はまさしく中山道そのものだったのである。

 一の鳥居から参道を通り、神社の前で左に折れて、神社を迂回していたのが大昔の中山道。

 それが徳川の代になり、寛永5年、三代将軍徳川家光の時代になると多分五街道の整備も大分進んだのだろう、街道を往還する人たちがせっかく参道を通っているのに神社に参詣せずに通ってしまうのは、神に対して恐れ多いということと、どうせ神社の前で左に折れるのなら、そのまま道を参道方面に右折せずにまっすぐ行ってしまった方が便利だということで、現在の旧中山道ができたのだった。

 で、いろいろなところに「本陣跡」などの碑がある板橋宿とは違い、大宮宿はそんな昔の碑なんか作らないというのが「大宮っ子」の心意気なのだろうか、まったく昔を偲ばせるものなんか何にもないのだ。

 本陣1軒、脇本陣9軒というのは中山道の宿場としては最多であるとはいうものの、普通はそれだったらそれなりに「碑」とか何かあるでしょう。でも、埼玉は何もないのだ。つまり、埼玉っ子たちはそんな昔の思い出では商売する気はないってことなのかな? 今が良けりゃあそれでいい?

 この辺、岩槻市民の考え方とはだいぶ違う。まあ、さいたま市大宮区在住の人たちの気分は「日中都民」だもんな、あまり埼玉県を貴重には思っていないのかも知れない。それは、ちょっと残念。

 ということで、今分かっているのは紀州鷹場本陣というのが、ここ高島屋の場所にあったということだけ。

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 大宮駅の近所にはこんな「肴酒 旅籠屋 次郎」なんて居酒屋だかラーメン屋だかわからない店があるのだが、なんでもそこも本陣跡だということが書いてあるのだ。まあ脇本陣だろうが、むしろ旅籠だったというのが正解かも知れない。

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 あまり、埼玉の人は昔の遺構とか碑とかには興味がないのかな。まあ、これからどんどん力をつける街(つまり「観光都市化はしない」っていう)としての埼玉の諸都市としては、そんなところかも知れない。

Fujifilm X10 @Hikawa Shrine Omiya (c)tsunoken

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