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2014年11月

2014年11月30日 (日)

関東学生アメフトBIG8レギュラーシーズン終了、濃霧の試合専修が制す、東大ファンブル・リカバー・リターン・タッチダウンに泣く

 関東学生アメリカンフットボールリーグのレギュラーシーズン最後の試合が昨日行われた。

 TOP8は先週報告したとおり、日本大学が1位、法政大学が2位、その後、3位慶應、4位早稲田、5位中央大、6位明治となって7位が日体大、8位が立教大の順位。

 その入替戦(チャレンジマッチという)の対戦相手が、決まるのである。

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 立ち上がり、前半レシーブを取った東大はうまくその利点を生かし、立ち上がり1分20秒でQB#12大槻からWR#85へのパスが通って先制TD。

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 ここまでは良かったんだけど、その後、両チームとも攻め手を欠き、双方4thダウン・パントを繰り返して、前半は東大の7対0というリードした状況で折り返す。

 ここで、問題は後半レシーブを取る専修大がどんな攻撃を見せるかなのだが。

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 その通り、後半早々オプションプレイでボールを持った#11RB/WR和田が東大ディフェンスをかわしてTD。ここまでが第3Qまでの展開。

 問題は第4Qにやってくる。第4Q、8分20秒。なんと東大オフェンスが敵陣20ヤードまで入っていながら、そこでパスをファンブル、それをノータッチで専修大ディフェンスにキャッチされてしまい、そのまま専修大DL#57青木がそのままTD。

 
Dsc_02372

 結局、これが決勝点になってしまい、つまり「ファンブル・リカバー・リターン・タッチダウン」っていう、あまり見ない決まり手。

 その後も、こんな濃霧の中の試合は続くのであるが。

Dsc_02412

 最後は専修大がニーダウンで時間を使っておしまい。

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 取り敢えず、専修大BIG8第1位おめでとう。

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 次はTOP8、8位のの立教大との入れ替え戦(チャレンジマッチ)だ。

 一方の東京大は、2部2位との入れ替え戦(まだ対戦相手は未定)になる。

 厳しいな。

2014年11月29日 (土)

勝間塾無料説明会に行ってきた

 昨日は「勝間塾無料説明会」というのに行ってきました。場所は浜松町のとあるビル。

Photo

 何故、「勝間塾」なのか?

 まあ、以前から「元気印=勝間和代さん」には注目していたし、それはこのブログでも何度か書いてきたことではあるので、いつかはこの勝間塾にも行ってみたいなということは考えていたのです。

 更に、つい数日前にも書いたのですが、ここのところ私の「tsunokenのブログ」のPVが長期低落傾向にあるということも一つの原因で、多分、これは私のインプットの傾向・内容が落ちてきているのではないか、と考えたからです。

 つまり、基本的に私のブログは「本を読む」「映画を観る」「街を歩く」というのがインプットの基本なんだけれども、どうもそれがちょっとそれだけじゃパフォーマンスが不足しているんじゃないかと、最近考えているわけです。

 出版社のサラリーマンをやっていた3年前までは、本を読みながら同じようにブログを書いていたんだけれども、それでも「本を読む」というだけでない「何かの刺激」があったんでしょう。普通に仕事もしていたわけだからね。それなりに、自分でも満足がいくブログを書けていたわけです。

 それが、もっと自由に時間を使える状況になった2年前の10月から、最初はまだ現役時代の残り香があってなんとかなったのですが、最近になってくるとその「残り香」も無くなって、だんだん刺激のない生活が普通になってしまったわけです。今、書いているブログも自分自身で「まあ、書けたな」と感じるだけで、書いた後の満足感はあまりないというのが実際。

 で、何か新しい刺激が欲しいなというところで、前から読んでいる、勝間和代さんのメルマガから、今回の勝間塾無料説明会を知ったのでありました。

 行ってみると、参加しているのは基本的には「意識高い系」の若い(といっても私から見たらねというところなんだけれども)女性とか男性とか、あまり「意識高くない系のオジサン」という風で、約30人位かなあ、無料説明会に参加したのは。当然、私はその「意識高くない系のオジサン」の一人なんだけれども、それぞれのオジサンもそれなりにいろいろな課題を持ってこの説明会に参加しているのだろう。

 で、勝間塾は毎月一回行っている「月例会」が基本みたいなんですね。

 月例会は殆ど勝間和代さんの独演会みたいな感じで進められて、ゲストは、まあそれに対するチューターみたいな感じらしい。まさに勝間和代さんらしい進めかたですね。

 その他、毎回の勝間塾月例会の前後には「オフ会」があるし、オプション講座とか、勝間塾収穫祭とかいろいろあるらしいです。けっこう、刺激的なイベントは月例会じゃないところにあるみたい。

 そうか、勝間塾ね。

 一年位は受けて見ようかな。

 なんでも今勝間塾の塾生は1,000人位いるそうだ。

 結構、そこでの競争もありそうだな。これは面白そうだ。

 

 

 

東京周縁部を往く・花畑大鷲神社

 東武スカイツリーラインン竹ノ塚駅東口を出て……

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 ひたすら商店街を東に行きます。

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 旧日光街道を過ぎてもひたすら東へ東へ……

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 国道4号線を過ぎても、更に東へ東へ……

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 途中でお濠と石垣に囲まれたこんな建物が現れるが、「えっ? 足立区に城なんてあった?」なんて疑問は抱かないように。これは「花畑記念公園 桜花亭」という足立区が区政50周年を記念して作った施設で、別に歴史的な建造物でも何でもない。

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 で、更に東へ東へと進むと、花畑団地というもの凄い大規模なUR都市機構の賃貸マンション(昔の公団住宅)が見えてくる。

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 で、そこをちょっと北へ行くと、東京都足立区と埼玉県草加市の境目にある毛長川という川に出るので、そこを川に沿ってまたまた東へ行くと、毛長川がこれまた足立区と八潮市の境目にある綾瀬川と合流するあたりに……

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 ありました、花畑大鷲神社。

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 二の鳥居、三の鳥居まである立派な神社であります。

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 社殿も荘厳。鳥越のお酉様にも負けない規模で、左甚五郎の弟子が彫ったとされる柱の彫刻もある。

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 実はこのお酉様、各地で行われている「酉の市」の発祥の地なのです。

 江戸前期にはこの大鷲神社が「本酉」と呼ばれ、この花畑大鷲神社(そのころは「花又鷲大明神」といった)を産土神とする近在住民の収穫祭が、江戸酉の市の発祥だそうな。

 浅草鳥越の大鷲神社の酉の市が有名になったのは江戸後期から。それ以前は「お酉様」といえば、ここ花畑大鷲神社のお酉様なのでありました。

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 境内には池もあって、なかなか立派な神社ではあった。

 来年のお酉様には花畑大鷲神社に行こうかな。

 つくばエクスプレスの「六町駅」から花畑桑袋団地行の東武バスに乗れば「大鷲神社入り口」というバス停があるので、簡単に行ける。ただし、1~3時間に1本位しかないので、その場合は花畑団地循環というバスに乗って、ちょっと歩くしかないです。

Fujifilm X10 @Hanahata Adachi (c)tsunoken

2014年11月28日 (金)

ドイツ高級車3社 テスラとの距離で見えるEV戦略

 今日の日経新聞は『ドイツ高級車3社 テスラとの距離で見えるEV戦略』をクリップ。

Ev

 要は、メルセデスベンツBシリーズのEVではテスラの電池などを使っていたダイムラーがテスラの株を売却したという話。テスラからの技術導入ではなく、自前でEVやPHVを開発できるという自信の表れなのだ。

 一方、BMWはダイムラーのテスラ離れを見て、逆に接近をうかがっているようだ。既にi8などでEVは作っているBMWであるが、更に発展させるためにはテスラの電池などの使用を検討しているようだ。

 さらに、VWアウディは自前でEV、PHV、燃料電池車などの開発を行っており、今後そのどれかに方向が定まって来ても、それには対応できるようになっているという。

 BMWとVWアウディはイタリアの二輪メーカーとの連携を深めて、「小排気量+ターボ」の高燃費エンジンの開発も進めているようだ。

 PHVと燃料電池車のトヨタ、ホンダ、EVの日産、三菱、クリーンディーゼルの東洋工業、と各社が方向を定めて開発を行っている日本に比べて、さすがに自動車開発では先を行くドイツ。奥が深いなあ。

『レールの外ってこんな景色』っていうよりも、何故ブログを書くのかということについて

 本書を刊行した株式会社WOODYの中里祐次氏が「ここにいるブロガーさんで、電子書籍をつくりませんか」と、あるブロガーたちの飲み会で発言したのが、本書の出版のきっかけだそうだ。

 まあ、出版界ではよくありそうな話。

Photo_2『レールの外ってこんな景色 ~若手ブロガーから見える新しい生き方~』(イケダハヤト、タクスズキ、鳥井弘文、けいろー、ツベルクリン良平、下津曲浩、池田仮名、金野和磨、中里祐次著/株式会社WOODY/2014年11月14日刊)

 で

『本書では、「ぐるりみち。」のけいろーさん、「らふらく^^」のタクスズキさん、「自省log」のツベルクリン良平さん、「隠居系男子」の鳥井弘文さん、「ラジおこし」の下津曲浩さん、WOODY代表で「生みだす人になる」の中里祐次さん、「太陽がまぶしかったから」の池田仮名さん、「マナスタ」の金野和磨さん、といった若手ブロガーが登場します』

 として、

『それぞれのブロガーのコラムに対して、高知在住のプロブロガー・イケダハヤトさんにコメントを書いていただきました』

 となる。

 まあ、飲み会の席が言いだしっぺなので女性がいないことはちょっと気になるが、それはいいとして、みなさんブログを始めた動機はそれぞれに異なる。

『レールを飛び降りた先には、たくさんの出会いが待っていた』けいろーさん。

『「今、楽しいこと」を重視して生きる』タクスズキさん。

『世界は想像以上に明るい』ツベルクリン良平さん。

『次世代を生きる若者が、好きなモノに囲まれた人生を送るための唯一の方法』という鳥井弘文さん。

『ハマれなかった高専を出て、いま僕が考えること』を書く下津曲浩さん。

『自分で会社を起こすという生き方』の中里祐次さん。

『ほんのちょっと、5%だけ外れてみよう』と提唱する池田仮名さん。

『音楽業界を変えるためのアプローチとしての『音楽エージェント』』をやっている金野和磨さん。

 などなど。

 中里祐次さんや金野和磨さんのように別に仕事を持っていて、その仕事のためのツールとしてのブログという考え方がある。こうした人たちのブログは基本的に方向がはっきりしている。では、その他の人のブログって何なのだろう。

 基本的にブログというメディアは、ポイントになるのはそこに書いてある内容ではなくて、書いた人の知名度である。なので、毎日毎日ネタを探して、1時間や2時間を書くことに費やして仕上げた(プロ、アマ問わず)ブロガーのブログよりも、ただ単純にあった人のことや食べたものや家族のことなどを、たかだか数分で書き散らしただけの芸能人の短文のブログの方が多くの人に読まれる。

 ブログというメディアの垣根の低さがあるのは当然のことで、だからこそ著名芸能人たちが自分の宣伝のためにそれを利用するのであるが、それでもそんな著名人でないブロガーたちが何故、たいして読まれもしないブログを毎日毎日更新するのだろう。

 というのは実は私のことなんだが、何故、私は毎日毎日ブログを更新するんだろうか。

 まあ、ほかにやることもないのだから、ブログでも書いていないとヒマを持てあますというのもひとつには事実だが、しかし、サラリーマンをやっていた時からブログは書いていたのだから、それだけが理由ではない。

「承認欲求」? まあ、それもあるかもしれない。「普通の自分だけじゃない自分もあるということを知ってほしい」? まあ、それもあるんだろうな。

 しかし、一番あるのは「書くことが好き」ということなんだろう。

 学生時代から映画評論を書いては『キネマ旬報』や『映画評論』『映画批評』なんかに投稿していた私は、ある時、私は「映画が好き」なのではなくて「文章を書いて他人に発表するのが好き」なのだということに気がついた。あるメディア(私の場合は「映画」関連であった)に文章を発表するためには、そのメディアが持つジャンルに合わせて文章を書かなければならない。

 ところが、ブログは自分がメディアである。なので、何を書いても自由というユルさがある。ところがこれがあまりにも自由すぎてしまうと、それはそれで自分で何を書けばいいのかに迷ってしまうことになりかねない。で、取り敢えず私は「本のこと 映画のこと 写真のこと」という枷を自ら課しつつ、しかし、勝手にテーマを決めて書いている。

 時には、今日は何を書けばいいのだろうか、と何も書くことがないと慄然とする日もなくはない。がしかし、そんな日も、何かネタを探して、あるいは勝手にネタを作り上げてブログを書くのである。

 もう、こうなると「仕事」であるが、別にそれで稼ぎがあるわけではない。ブログで生活しているわけでもない。

 でも、毎日毎日ブログを書くのである。

 何故、私は毎日毎日ブログを書くのだろうか、と自問しながら。

 う~ん、何の答えにもなっていなんだけれどもね。

 ところで、ブログって「コンテンツ」なんだろうか、「メディア」なんだろうか。

 それすらも 分かっていないで 書くブログ(五七五になっています)。

『レールの外ってこんな景色 ~若手ブロガーから見える新しい生き方~』(イケダハヤト、タクスズキ、鳥井弘文、けいろー、ツベルクリン良平、下津曲浩、池田仮名、金野和磨、中里祐次著/株式会社WOODY/2014年11月14日刊)電子版だけの出版です。

2014年11月27日 (木)

日産、タクシーをミニバンに セダン半世紀の歴史に幕

 今日は日経新聞の『日産、タクシーをミニバンに セダン半世紀の歴史に幕』をクリップ。

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『日産自動車は26日、タクシー用の小型ミニバン「NV200タクシー」を2015年6月下旬から全国で発売すると発表した。荷室をスーツケース4個が入る大きさにしたほか、乗り降りを助ける踏み台も付けた。同社のタクシーは1960年に発売したセダン「セドリック」が中心だったが、高齢化や訪日外国人の増加を受けてスペースが広いミニバンに転換する。

 後席をスライドドアにして、狭い道でもドアを開けるスペースを不要にした。スマートフォン(スマホ)や携帯電話などを充電できるように電源を付けたほか、オプションで天井をガラスにできる。価格は219万6720円からと、セドリックとほぼ同水準にした。年間1300台強の販売を目指す。同車は米ニューヨークで13年からタクシーに採用され、これまでに500台以上を販売している。

 日産はセドリックの生産を9月末で終了し、基本的に今後はミニバン型のみにする。国内のタクシー車両は日産とトヨタ自動車が大半を占める。トヨタも昨年、室内空間を大きくしたミニバン型のタクシーを強化する方針を示している』

 そうだよなあ。

 別に、タクシーに乗って家に帰ってきたからって言っても、別にセダンにお大尽のように乗っていきたいなんてだれも考えない時代だ。アメリカではミニバンではないけれども、エステートワゴンのタクシーなんてのもロサンゼルスあたりでは当たり前に走ってたもんなあ。

 これの先行事例が実はニューヨークであったそうで、次期イエローキャブの車を「ニッサンNV200」に決めたときに、ニューヨークのタクシー運転手の組合が大反対したそうな。「俺らはセダンの運転手で、ワゴンの運転手じゃない」ってことでね。

 でも、ニューヨークはNV200の導入を決めた。

 これはいずれ日本でも導入されるだろうなとは思っていたのだが、当然のように、メーカーから発表されたわけだ。

 まあ、これからは「セダンでお大尽のようにお客さまをお届けします」っていう個人タクシーと、「普通に荷物が沢山あるお客さんもOKです」っていう、法人タクシーの競争になるんだろうな。

 まあ、どっちが勝つかは既に見えているんだがね。

tsunokenのブログ開始5年目、今年はどうかな

 今日で「tsunokenのブログ」開始から5年目になる。

 で、いまのブログ状況はどうなっているのか……。

Tsunoken

 全体で712,564人中44,943位(昨年は887,548人中44,463位)、Niftyのココログでは11,286人中1,615位(昨年は10,697人中1,601位)とまあ、あまり昨年からは成長していないっていうか、まあこんなもんでしょうなあ、としか言いようのない成績ではあります。

 昨年は9月23日に「半沢直樹ネタ」で5,658というPV最高値を稼いだ日はありましたが、今年なそんなネタもなく、ごく淡々とネタを上げております。

 特に今年に入ってから、当初は500~700位を維持していたPVだが、ここに来て300前後に落ちてきている。う~ん、何が理由なんだろうな。取り敢えずよくわからないので、ここ最近は一日の更新の数だけは増やそうと、日経新聞やハフィントンポストなんかのニュースクリップでもって一日2回や3回ほどの更新をしていて、少しづつPVは挽回してきたというところ。

 まあ、別にブログで食っていこうというわけではないので、別にPVを稼いでも(PVが増えるとアフィリエイト収入が増えるという関係)あまり意味はないし、この程度のPVではアフィリエイト収入もたかが知れているので、あまりPVを増やしても意味はないのだが、ただ、悔しいじゃないの、読者が減るってのは。

 と、いうことでこれからのブログの行く末を考えながら、これからのブログを書いていこうとは思います。

 というところで、突然の宣言なのですが。

 近々、「毎日1冊、毎日2000字」と言っていたブログを、取り敢えず週休二日制にします。ちょっと毎日更新するのも疲れちゃったからね。

 勿論、そんなこと書いていながら、突然更新したりもします。基本は月曜日から金曜日までが更新日。土日はイレギュラーで更新します。

 まあ、だから土日もたまにはチェックしてくださいね。

 というのが5年目の総括でした。

若者よ外資系はいいぞ

 JB PRESSから連載されていた記事が本になった。題して『若者よ外資系はいいぞ』ってのもちょっとアレだけど、そうなんだよな我々が就職をした頃は、まだほとんど「外資系」という選択肢はなかった訳で、そんな意味では今の方が就職市場はいいような気もする。

 そう日本企業ばっかり狙うから内定が決まらないとか、いくつの会社にエントリーシート送るんだろうとか、悩んだりするんだよな。

 要は、自分が何をやりたいのか、何が出来るのか、そんなセルフイメージが出来ていないから、就職に悩むのであって、キチンとセルフイメージが出来ていなければ、日本企業だって、外資系企業だって採用してくれるのである。

Photo_3『若者よ外資系はいいぞ 40代年収4000万になる人生設計術』(祖父江基史著/日本ビジネスプレス/2014年11月20日刊)

 私は、前述の通り「外資系という選択肢のない時代」に就職したわけだが、基本的に本書に書かれているような働き方をしていた。

 つまり『会社は単なる組織であり、人間がある目的を達成するために人工的に作ったものだ。主役はあくまで人だ。そうであれば、会社は絶対的に尽くす相手ではなく、利用すべき対象だ。自分勝手に振る舞えばいいという意味ではない。対等に付き合えばいいのだ』という働き方。

 私は出版社という業態としてはかなり特殊なところにいたせいか、あまり、自分を将棋の駒にして個性を殺して集団の一人として働くということを知らない。特に、映画の製作をやっていた時期に感じたことは、数億円という映画の製作費を私個人では集めることはできなかっただろうということだ。それが、私が大手出版社にいたというだけで30~40代の若僧がそれほどの金額を集め、自分の好きなように使えてしまったということは、やはり私はその属した企業をを「利用して」仕事をしていたということになる。

 勿論、それは会社のルールの中で行ったことではあるが、当然、以前にそんな事業を会社が行ったことはないわけで、じゃあ、それならそのルールを作っちゃえばいいじゃん、ということで、基本的には好き勝手をやっていたということになるのだった。そう、前例のない仕事ってこんなに楽なんだと、その時思ったものなのだった。

 これからは日本企業といってもグローバル化した仕事、事業をやっていかなくてはならなくなるだろう。その時、その事業の担当者になった者は幸せだ。なにしろ、自分の会社にそうした事業をやったことのある人間は誰もいない。ということは、以降は自分がやったこと、自分のやりかたがスタンダードになるってことなんだ。

『外資系では、働く人は与えられた役割で能力を発揮できる個人であることが大前提で、経営陣、プレーヤーが個々人の能力をチームの成果につなげられるように協力し合って、組織作りをする。
 日本企業では、働く人はまず良きチームプレーヤーであることが求められ、個人は集団との一体感と貢献にやりがいを見出す。その結果、外資系では、能力を持った個人が作り上げられていくのに対して、日本企業では、組織のルールと暗黙の了解の下で成果を出せる、組織固有の人材が育てられる』

 と本書では書くけれども、多分、そんなやり方をやっているのは一部の大企業だけであり、大半の中小企業が、自らグローバル化に直面した時に、会社のスタンダードなやり方というのはないわけなので、結局、自分がスタンダードになるしかないという風に考えるしかないのである。

 そんな訳で、私は私が属した企業が(大手出版社とはいえ、世間一般からしたら)中小企業だったということが幸いしたのかも知れない。

 つまり、これは「外資系」というだけでなく、これから社会に出て働こうという若者に向けた、ごく一般的なエールであると考えると、この本が決して特殊なことを書いてあるのではないということになる。多分、祖父江氏は単に「外資系企業」を薦めたわけではなくて、これから企業に入社する若者に対する、これから企業に就職する時の基本的な仕事に対する考え方の問題なのだ。

祖父江氏は『外資系で働く私の10か条>』として書いているのだが、別にそれは外資では働くだけじゃなくて、日本企業で働くことになった人にも通じることなので、最後にそれをそのまま写す。

1.自分のビジョンを持つこと。入社したときに自分がその会社で何を成し遂げたいのか、1ページにまとめる。

2.自分の感情をコントロールすること。自分のエゴや好き嫌いではなく、成果を求めて行動する。

3.自分の固有のスキルと知識を持つ。

4.仕事の世界を野球に例えると、1年は1シーズン、1週間は1試合、1日は1打席、1つのミーティングは1球のようなもの。1年を成功させるためには、1試合ごと勝利していく必要がある。月曜日にオフィスに着く前に、20分間、その週に達成したいことを書きだす。

5.毎朝10分間、働き始める前にその日に何をするか整理する。

6.ミーティングに出る前に数分間、そのミーティングで何を議論のポイントにするのか、頭を整理する。必要な情報を得ておく。

7.成果を出し続けることが、自分のキャリアを伸ばす最善の道。

8.自分の部署の本質的な役割を認識しておく。例えば、私の働いているファイナンスは、他部署がいろいろな方向に揺れ動いても間違った方向に傾かないようにするための会社の背骨のようなもの。正しい見地にとどまることが求められ、人の顔色を見て風見鶏のように揺れ動いてはいけない。

9.自分の起きている時間の1割を常に将来の成長のために使う。

10.自分のやりたいこと、成し遂げたことを社内の要人に能動的に見せる(自分の社内マーケティング)。

 って、これって社会人の「当たり前」でしょう。

『若者よ外資系はいいぞ 40代年収4000万になる人生設計術』(祖父江基史著/日本ビジネスプレス/2014年11月20日刊)電子版だけの発行です。

2014年11月26日 (水)

ホンダ、二輪車生産が世界で3億台突破

 今日は日経新聞から『ホンダ、二輪車生産が世界で3億台突破』をクリップ。

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『ホンダは2014年11>月25日、二輪車の累計生産台数が世界で3億台に到達したと発表し、マザー工場である熊本製作所で記念式典を開催した(図1)。1949年に「ドリームD型」の生産を開始して以来、66年をかけて実現。3億台目は、同製作所で造った大型二輪車「ゴールドウイングSE」の40周年記念特別仕様車となった。3億台の達成はエンジン付きの車両として「世界で初めて」(同社)

 同社は1963年にベルギーで生産を始めるなど、早い段階から二輪車の海外生産を展開。現在は日本を含む世界22カ国の33拠点で二輪車の生産を行っている。中でも、21世紀に入ってから新興国の需要が急増し、最近では特にインド市場における二輪車の需要が大きいという。同社は、2014年度に1700万台以上の二輪車の販売を予定している』

『日本の論点』と言っても、やっぱり情報が古くちゃなあ

 ちきりんさんのブログ を読んで『稼ぐ力』と、この『日本の論点』を読んだのだが、『稼ぐ力』まあいいとして、この『日本の論点』になってしまうと、その刊行時点での論評では既に遅くなってしまっていて、「時評」としては読めなくなってしまう。

 う~ん、やはりこうした時評的なものはそれが発表された時点で読まないとダメだな。

Photo『日本の論点』(大前研一著/プレジデント社/2013年10月13日刊)

 ということなので、ここでは基本的なことだけ、というかあまり時評的でない部分を読書メモ風におさえておきます。

『過去三〇年の歴史を振り返ると、日本を変えるチャンスは三回あった。一回目は自民党一党支配が崩れて、五五年体制が終焉を迎えた細川護煕政権のときである。非自民連立政権で首班指名を受け九二%もの支持率を得たた細川氏が本物の改革者だったら、すべての改革はなし得たと思う。二回目は抜群の支持率と政局判断を誇った小泉純一郎政権のときだ。やはり小泉氏が本物の改革者なら郵政選挙後は何でもできたはずだ。しかし、郵政改革法案を成立させたらさっさと舞台を降りてしまった。そして三回目は橋下徹市長の登場である。橋下氏は中央政界のリーダーではないが、伊達正宗や武田信玄のように地方から刃を突き付けて中央に緊張感を与え、変革を促す手を使った。大阪都を筆頭にそれぞれに力を蓄えた地方が連携して中央に改革を迫り、大政奉還によって道州制や連邦制に持っていくことも不可能ではない。

    <中略>

では四回目の改革のチャンスはいつやってくるのか。この三〇年で考えれば一〇年に一回ぐらいのペースでチャンスが巡ってきているので、また一〇年後にメサイアが登場してくる可能性があるのではないか』

『民主主義の枠組みにおいて、ある種の社会的な安定が構築できなくなった際に、これは明日、明後日に起こるというわけではありませんが、民主主義を犠牲にしてまでも社会的な安定を求める者たちが現れることです。移民排斥運動、極右勢力の台頭などです』

『遅かれ早かれ、消費税は二〇%程度に引き上げざるをえないでしょう。

   <中略>

 EU圏の法人税の実効税率は二五%程度に収束しつつあります。アジア諸国に目を向ければ、中国が二五%、シンガポール、香港、台湾が一五~一七%です。日本はこうした近隣のアジア諸国と競争しなければなりません。消費税だけ引き上げても効果がない』

『ミッテラン元大統領は、あることを決断する際に「二〇年後の国民であればどう思うであろうか」と、必ず熟考したうえで決断を下していました。ミッテランのように考えるのであれば、過剰な国家債務は早急に削減しなければならないことは明らかです』

『スイス、デンマーク、フィンランド、ノルウェー、アイルランド、シンガポールなど、人口が約五〇〇万~一〇〇〇万人の小国である。それらの国々は政治のクオリティも教育のクオリティも、クオリティオブライフ(人々の生活の質)も、あらゆる面でクオリティが高い「クオリティ国家」なのだ』

『安倍首相の唱えるアベノミクスは二〇世紀の古いマクロ経済理論に基づくもので、しかも日本全体を対象とした中央集権モデルである。これでは日本経済は反転しないし、人々に活力も出てこない。北海道はデンマークなどの研究をする代わりに農業を保護するためにTPP反対、と相変わらずやっている。補助金漬けにして農業の自立を妨げても日本がよくなる可能性はゼロだ』

『個人金融資産の八割以上は、五十代以上の世帯が保有している。しかし戦中、戦後の貧しい時代に育った高齢者世代というのは、貯蓄奨励で生きてきたうえに、政府を信用しない人たちだ。

   <中略>

 したがって、いざというときに備えて資産を使わずに、平均三五〇〇万円を墓場に持っていくのである。だから話は非常に簡単で、金を使う気にならない彼らの凍てついたマインドを溶かして、一五〇〇兆円の金融資産が買い出動するような政策を一つずつ出していくことに尽きる』

 う~ん、確かに言っていることは正鵠を突いているんだけれども、しかし、2013年10月ってところが時評としてはあまりにも古くなってしまっている。

 私が読んでいて面白かったのは、最後に三浦雄一郎氏との対談で三浦氏が言っていた

『三 浦 心の中でいつも目標を持つこと。そうすると怠けていても、やらなきゃいかんなという気持ちがどこかで起きますから』

 位だもんなあ。

 まあ、それはそれとして、早速『日本の論点 2015~16』をポチッとしたので、近々それについて書きます。

 本当の大前氏への評価はその時に……。

『日本の論点』(大前研一著/プレジデント社/2013年10月13日刊)

やっぱりこっちを読まなくちゃなあ。『日本の論点 2015~16』(大前研一著/プレジデント社/2014年11月20日刊)

2014年11月25日 (火)

中山道・大宮宿

 中山道・大宮宿は板橋、蕨、浦和に次ぐ4番目の宿場だった……というのはちょっと間違いで、実は中山道が整備されて最初は大宮は宿場町ではなかったのだ。

『中山道の前身となる街道は、戦国時代に後北条氏によって整備されたが、その時代には浦和宿の次が上尾宿となり、大宮は両者の中間点で馬継ぎをする場であった』(Wikipedia)ということである。

『当初の大宮宿は、大門通りと呼ばれた参道沿いに、宮町、中町、下町と続く3つの町からなった』(Wikipedia)。

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 JRさいたま新都心駅そばにある「大宮氷川神社一の鳥居」。右下から左へ行く道が旧中山道(埼玉県道164号線・鴻巣桶川さいたま線)で、正面が氷川神社一の鳥居。

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 二の鳥居を経て……

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 三の鳥居を通ると……

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 楼門に至る約2kmの道が、氷川神社参道である。なかなか壮観な神社であることは、まさしく関東一円に200社以上あるといわれる氷川神社の総本社だけのことはある。

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 ところで、この大宮氷川神社参道って、実はその昔はまさしく中山道そのものだったのである。

 一の鳥居から参道を通り、神社の前で左に折れて、神社を迂回していたのが大昔の中山道。

 それが徳川の代になり、寛永5年、三代将軍徳川家光の時代になると多分五街道の整備も大分進んだのだろう、街道を往還する人たちがせっかく参道を通っているのに神社に参詣せずに通ってしまうのは、神に対して恐れ多いということと、どうせ神社の前で左に折れるのなら、そのまま道を参道方面に右折せずにまっすぐ行ってしまった方が便利だということで、現在の旧中山道ができたのだった。

 で、いろいろなところに「本陣跡」などの碑がある板橋宿とは違い、大宮宿はそんな昔の碑なんか作らないというのが「大宮っ子」の心意気なのだろうか、まったく昔を偲ばせるものなんか何にもないのだ。

 本陣1軒、脇本陣9軒というのは中山道の宿場としては最多であるとはいうものの、普通はそれだったらそれなりに「碑」とか何かあるでしょう。でも、埼玉は何もないのだ。つまり、埼玉っ子たちはそんな昔の思い出では商売する気はないってことなのかな? 今が良けりゃあそれでいい?

 この辺、岩槻市民の考え方とはだいぶ違う。まあ、さいたま市大宮区在住の人たちの気分は「日中都民」だもんな、あまり埼玉県を貴重には思っていないのかも知れない。それは、ちょっと残念。

 ということで、今分かっているのは紀州鷹場本陣というのが、ここ高島屋の場所にあったということだけ。

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 大宮駅の近所にはこんな「肴酒 旅籠屋 次郎」なんて居酒屋だかラーメン屋だかわからない店があるのだが、なんでもそこも本陣跡だということが書いてあるのだ。まあ脇本陣だろうが、むしろ旅籠だったというのが正解かも知れない。

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 あまり、埼玉の人は昔の遺構とか碑とかには興味がないのかな。まあ、これからどんどん力をつける街(つまり「観光都市化はしない」っていう)としての埼玉の諸都市としては、そんなところかも知れない。

Fujifilm X10 @Hikawa Shrine Omiya (c)tsunoken

2014年11月24日 (月)

テクニウム~テクノロジーはどこへ向かうのか?

 THE HUFFINGTON POSTから『「テクニウム~テクノロジーはどこへ向かうのか?」ケヴィン・ケリー氏インタビュー「WIRED」創刊編集長が語るテクノロジーの進化と日本の未来』をクリップ。

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 特に「イノベーションが下手くそ」と言われている日本人にとっては面白い提言だ。

記事は以下をクリック

http://www.huffingtonpost.jp/wisdom/technology_b_6196022.html?utm_hp_ref=japan

関東学生アメフトTOP8レギュラーシーズン終了。1位は日大、8位は立教大に決定。

 昨日は横浜スタジアムで関東学生アメリカンフットボールリーグTOP8の最終節、慶應大学ユニコーンズ対早稲田大学ビッグベアーズ戦、明治大学グリフィンズ対立教大学ラッシャーズ戦、日本大学フェニックス対法政大学トマホークスの試合が行われた。

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 第1戦、慶應vs.早稲田戦は、当初は早稲田がリードする展開を見せたものの、地力で勝る慶應が次第にリードし、31対14で慶應の勝ち。上の写真は慶應勝利を決めた最後のTDシーン。

 で、次の明治vs.立教戦なのだが、今年、これまで勝ちなしの立教が意外な立ち上がりでちょっと期待を持たせた展開に、最初はなった。

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 立教レシーブで始まった試合は、その最初のレシーブのシリーズで早くも立教RB#30茂住のTDで先制。

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 次の明治のオフェンスをFGに持ち込むなど、「えっ? 今日の立教ちょっと違うかも……」と思わせたものの……。

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 結局、その後は明治ペースで試合は展開され、次々とTDを重ねる。

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 結局、立教はRB茂住だけがTDするという今までの試合と同じ展開で、結局、51対28という大差で明治大学が勝ち。立教は0勝7敗ということで、入替戦出場が決定。

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 最後の茂住の応援席向けの挨拶も、入れ替え戦に向けた応援依頼ということになった。まあ、7位・8位が入替戦に出るので、立教の入替戦出場は前から決まったいたのだが、最終戦に勝つか負けるかというのは、その後のテンションにも関係するので、ちょっと残念な結果ではあった。

 第三試合の日大vs.法政大線は第1Q10対0、第2Q7対7、第3Q0対7、第4Q0対0という完璧なディフェンス試合で、それを制した日本大が17対14で勝利した。

 結果、関東TOP8は1位日大、2位法政、3位慶應、4位早稲田、5位中央、6位明治、7位日体大、8位立教ということで、7位の日体大と8位の立教大が12月13日に行われるBIG8との入れ替え戦に臨むことになった。ただし、現在、BIG8はムチャクチャな混戦状態で、どこが1・2位になるかは、来週のBIG8最終節まで分からない状況。なので、立教の相手もどこになるのやら。

 なお、1位の日大は11月30日に行われる東日本代表決勝戦で東北・北海道代表の東北大学と戦うことになるが、これは日大のテッパン。一方、西日本代表決定戦も同じ日に関西学院大学と名城大学の間で戦われるが、こちらも関西学院がテッッパンなので、12月14日の甲子園ボウルは昨年と同じ、日本大学フェニックスvs,関西学院大学ファイターズの間で戦われることになるだろう。

 BIG8の結果については、また来週お知らせします。まあ、知らなくったっていいだろけれどもね。実質、2部なんだから。

NIKON D7000 SIGMA DG 150-500m/F5-6.3 APO HSM @Yokohama Stadium (c)tsunoken

2014年11月23日 (日)

社会人アメフトX2レギュラーシーズン終了、Xとの入れ替え戦はウォリーアズに

 ウォリアーズ2勝1引分、ブルザイズ東京2勝1敗で迎えた社会人アメリカンフットボールX2(まあ、2部ってことです。草アメフトってことね)リーグ・レギュラーシーズン最終戦。どちらか勝った方がX2イーストの優勝チームとなり、X(1部、こっちはガチで試合をやっております。といってもクラブチームですがね)との入れ替え戦に臨むという緊張の試合は11月22日、大井第二球技場で行われた。

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 ブルザイズのキック・オフ、ウォリアーズのレシーブで始まった試合。

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 最初はブルザイズのディフェンス陣が良く働いて、ウォリーアズ最初のシリーズはパントによる攻守交代で終わった。

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 その後のブルザイズの攻撃は、残り7分35秒、ブルザイズ#23ランニングバック(RB)坂元がボールをエンドゾーンに持ち込んでタッチダウン(TD)。その後のトライフォーポイント(TFP)も決めて、7点を獲得。

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 この日、ブルザイズの前半デフェンスラインの強さは見ものであり、こんなクォーターバック(QB)サックなんてのも見せてくれた。

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 しかし、第2クォーター(Q)に入ると、どちらも攻めきれずにTDを奪えない。

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 で、第2Qはブルザイズ#25水野のフィールド・ゴールだけで、それでも前半10対0でゲームは折り返した。

 しかし、後半に入るとさすがのブルザイズ・ディフェンス陣にも疲れがみえて、次第にウォリアーズのファースト・ダウンが増えてくる。

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 第4Q、残り10分39秒、ウォリアーズ#82ワイドレシーバー(WR)栃川がQB井上からのパスを受け取ってエンドゾーンに運び込んでTD。その後のTFPも決めて、10対7に。

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 更にウォリアーズ#18WR上宮がエンドゾーンに持ち込んで10対13と逆転。

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 試合終了まで残り3分04秒にはQB井上自らエンドゾーンに走り込んでTD。10対19と試合を決定付ける。

 これでほぼ試合はおしまい。あとはウォリーアーズが時間をうまく使って勝利。3勝1引分としてX2イースト優勝。12月7日にX2セントラルとの順位決定戦。12月20日にはXとの入れ替え戦に臨むことになった。

 2勝2敗のブルザイス東京は、同じ12月7日にX2セントラル2位チームとの順位決定戦に臨むことになった。

NIKON D7000 SIGMA 150-500mm/AF-S NIKKOR 70-300mm @Ohi Second Ballgame Stadium (c)tsunoken tsunotomo

2014年11月22日 (土)

富山市のコンパクトシティはLRTから始まった

 今日はJAPAN SHOP連載こらむ『富山市のコンパクトシティはLRTから始まった』をクリップ。

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 昨年の8月8日 と 9日の私のブログにも書いたけれども、元々富山市電だったものをLRTにすることで、富山市民の目を自らの市を見直させる結果になったということなのだろう。

 記事は以下をクリック。

https://messe.nikkei.co.jp/js/column/cat454/129406.html

『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』というのも意味はないなあ

  11月19日の拙ブログ「『住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち』じゃなくて徳川総理大臣だよ」で、『どうやって「9勝1敗」を決めたのかは分からないが、なんでそこまでして自分の国とよその国を「優勝劣敗」で分けなければいけないのか? ということがよくわからない。

 まあ、編集者がつけたタイトルなのかもしれないが』

 と書いたわけなのだが、その同じ著者の前著を読んでみた。まあ、そうすればもう少しは本当の考え方が分かるかな……、ってところなのだったが。

Photo『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』(川口マーン恵美/講談社+α新書/2014年10月1日電子版刊)

 まあ、私のアタマが悪いのかも知れないが、やっぱりドイツと日本を比べて何が面白いのか、というのがよくわからない。ひとつだけわかるのは、高等教育では完全にドイツの方がいいが、義務教育では日本のやりかたの方が素晴らしいという部分。

『大学入試で必要がないからか、日本の学校では、試験でろくに論文も書かせない。

 ドイツでは、主張のない人間は、頭が悪いと思われるのがオチだ。

 昔から日本では、「出る杭は打たれる」風潮が強く、現代でもそれは変わらない。しかし、世界基準を考えれば、そろそろ出る杭をさらに突出させてやる社会に変えていかなくてはならないはずだ。

 ドイツの職人の世界には、もともと徒弟制度という親方(マイスター)の下での修業の伝統がある。それがいまでは他の職種にも拡大し、大学生も皆、インターンという名の修業に励んでいるわけだ。そして、最終的に、そのインターン経験にものをいわせて就職先を探す。

 日本の教育の問題は、子供をうまく独立させてやれないことだと思う。遅くとも高校の時点で、子供を大人にしてやるべきだ。

 かつて二〇〇年以上も鎖国をしていた国の人間が、あっという間に外国語で講義を受けたり、論争をしたりしていたというのに、小学校から英語に接していながら、大学生になってもまだろくな英語ができないとすれば、これは、ハングリー精神だけの問題ではなく、英語教育に落ち度があると考えるべきだ』

 というのが高等教育における彼我の違いについて述べた部分。

『ドイツの学校は、とくに四年間の小学校が終わると、勉強をするだけのところとなる。教師は、生徒のプライベートな事柄には一切かかわらないので、日本のように、クラスがコミュニティー性を持つこともほとんどない。  学校では、まず成績がものをいい、人間性を育むといった二義的な機能は重視されない。義務教育の最中でも落第がある。当然のことながら、勉強ができない子にとっては、学校は憂鬱な場所となり、教師と生徒の関係もあまり発展しない。

 いまのドイツの教育は、全体として見るなら日本よりももっと崩壊している。上位と下位の学力の差は甚だしく、そのため、ただギムナジウムだけを見ればその教育はなかなか立派だが、下を見れば、日本人はホッと安堵の溜息をつくはずだ。

 ドイツの学校制度は、戦前の形をほとんどそのまま踏襲している。四年間の一斉教育のあと、進路が三本に分かれる。大学に進学する子供の行くギムナジウム、職人になる子供の行く基幹学校、そして、その中間の、職人にはならないが、学問をするほどでもないという子供の行く実業学校である。ドイツ社会が、アカデミックな柱と職人の柱という二本の柱にしっかりと支えられていた時代の名残だ。

 日本の義務教育は、間違いなくドイツよりも良い』

 というのが義務教育に関する彼我の違いを述べた部分だ。

 で、どうかね。確かに、大学教育における日本とドイツの違いで最も大きなものは、アカデミズムなのではないだろうか。2010年のOECD調査によれば、大学進学率は日本が51%でドイツが42%とそれほど差があるわけではない。ところがドイツの場合、大学における勉強の方法がより専門性が強いのに対して、日本ではもっと一般的な座学が多い筈である。それは日本における新卒一括採用に合うような一般性を持たせた授業が多く、一方、基本的に中途の経験者採用の多いドイツでは、大学の授業はよりアカデミックなものが多いため、学生としてはインターンを数多くこなして大学生でありながら既に就業経験者になるのである。

 つまり、これはどちらがいいか、どちらが勝ちか、という問題ではなく、単に国情の問題であり、日本だってドイツみたいに経験者の中途採用がメインになればいやでもドイツ式の勉強をする学生が増えるに違いないのだ。

 こうした国情やお国柄の違いを無視して「どっちが勝ちか」なんてことを考えても意味はない。

 そんなところから

『ドイツ人は常に物事を悲観的に考えるので、燃え尽き症候群に対しても報道はかなり大仰だ。「これは新しい国民病であり、軽視してはいけない、兆候が出れば、すぐに医者にかかるべきだ」とな』り、何ごとにも「なんとかなるだろう」と楽観的なに日本人の考え方だって、別に比較する意味はない。それぞれのお国柄に合わせて、それぞれの国の中で考えればいいというだけのことだ。

 ただし、この記述だけは同感できる。

『ドイツも日本も、それぞれに自分たちの道を模索している。脱原発に向かって果敢な努力を続けるドイツ、そして、さまざまな可能性を視野に入れて、安全で採算の取れるエネルギー政策を模索する日本。  エネルギー政策は、まさに現在進行形で動き始めている。状況は熾烈だ。しかし、両国のテクノロジーに対する信頼と、地球の明るい将来のための希望だけは、捨てないでいきたいと思う』

 まあ、まともですね。

 ということなので、今回は「徳川総理大臣」なんて茶々は入れない。

『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』(川口マーン恵美/講談社+α新書/2014年10月1日電子版刊)

2014年11月21日 (金)

広さに満足 エアバス最新鋭機「A350」を試乗体験

 日経新聞からは『広さに満足 エアバス最新鋭機「A350」を試乗体験』をクリップ。

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 う~ん、これはよさそうだな。

 特にエコノミークラスに配慮がされているというのがいいね。我々、庶民にとっては。

「個人投資家向けIRセミナー」というのに行ってきた

 投資情報サイトの「東京IPO」というところが主催する「個人投資家向けIRセミナー」というものに行ってきた。

 場所は東京駅前の三菱ビルヂング。

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「IR」とは「インベスター・リレーションズ」のこと。

『全米IR協会(NIRI)は、IRを次のように定義している(2003年3月)。

インベスター・リレーションズ(IR)は、企業の証券が公正な価値評価を受けることを最終目標とするものであり、企業と金融コミュニティやその他のステークホルダーとの間に最も効果的な双方的コミュニケーションを実現するため、財務活動やコミュニケーション、マーケティング、そして証券関係法の下でのコンプライアンス活動を統合した、戦略的な経営責務である。

 IRという言葉を最初に使ったのは、1953年に担当部署を発足させたゼネラル・エレクトリック(GE)といわれている。しかし、アメリカ企業においてもIRが本格化したのは1990年代に入ってからである。日本企業のIRへの取り組みは、さらに遅れて1990年代後半から急速に活発化した。

 IRが盛んになる背景としては、次のようなことがある。すなわち、日本の企業金融は長年続いてきた間接金融から直接金融へ移りつつあり、そのなかで株式の持ち合い構造も解消に向かいつつある。あるいは、株式市場における外国人や外国の機関投資家などのウェイトは増しつつある。こうした中で、企業経営に占める株価(=時価総額)の比重が高まってきた。そこで、円滑な資金調達という点からも、企業にとって投資家が必要とする情報をすばやく的確に提供し、株主と良好な関係を作っていく必要性は大きくなってくる。IR活動は既存の法定ディスクロージャーと違い、どういう情報を、どれだけ、いつ開示するのか、すべて企業側に任されており、基本的に自由な活動である。従って、これを活用すれば、良好な企業イメージ作りに貢献する余地は大きいと見られる。実際、IR優良企業は株価も高い場合が多く、この点でまさに市場に受け入れられる企業になっている。IRの具体的な活動には、ホームページ上での情報開示、各種説明会やミーティングの開催、工場や施設見学会、年次報告書や投資家向け広報誌の刊行などがある』(Wikipedia)

 つまり、企業が自分の会社の株式への投資を促すために、中期経営計画などの企業情報などを開示することである。

「投資家」というほどでもないが、私も少しは株式投資をやっている。で、一昨日聞いてきたのは株式会社ハブ(証券コード:3030・東証JASDAC)と株式会社夢真ホールディングス(証券コード:2362・東証JASDAC)の二社の話。

 ハブは英国風パブのHUBとか82などをチェーン展開している会社で、私も前から知ってはいたが、それがあのダイエーの中内功氏が始めた事業だというのは知らなかった。

 それ以上に興味を持ったのが夢真ホールディングスである。この会社のビジネスモデルが面白くて、何と建築技術者の派遣という事業をやっているのである。ただし、それは通常の派遣事業と違ってすべて正社員として雇用した人間を派遣しており、なおかつ建設に特化した派遣であるということ。事業内容としては建築技術サポートとして「施工管理技術者」派遣や「CADオペレーター」派遣など。

 会社概要には『上場企業で唯一の「建設」に特化した派遣会社です。現在注目を集めている施工管理技術者派遣ですが、夢真ホールディングスは約20年前に派遣を開始した業界のパイオニアであり、業界最大手の会社です。また、在籍する2,000人超の技術者の内、約7割が20代という若さ溢れる会社で、今後の建設業界をけん引していく人材を輩出していくことを使命と考えています。建設業界は、技術者の「若手不足」「高齢化」という問題を抱えています。そのような状況下、東北の復興、全国的なインフラ整備、そして、オリンピック関連工事など建設工事は目白押しです。そこで夢真ホールディングスは、2014年度から新卒・中途あわせて1,600人を毎年採用してまいります』とある。

 もともと、創業者で会長兼社長の佐藤信吾氏が建築設計事務所を開いたのだが、その結果、施工図を現場で作らなければならなくなり、だったらその仕事を請け負ってしまってはどうだろうか、と考えて建築技術者派遣事業に乗り出したという。つまり、建築技術者といっても職人として実際に作るのではなく、施工管理の仕事をやるわけだ。ゼネコンの管理者(現場所長など)の仕事をサポートする仕事がメインの業務である。

 ただし、スーパーゼネコンになると自社でそうした建築技術者を抱えているので、その下クラスのゼネコンへの派遣が多いようで、その顧客企業は1,160社となっており、一番取引額の大きい大和ハウス工業でも売上げシェアは6.5%と低く、かなりのリスク分担が出来ている。

 ここ数年は、東北復興や東京オリンピック、老朽インフラ整備、山手線新駅構想、渋谷駅再開発などの建築需要は続くだろうから、しばらくはこの業務も好調が続くだろう。

 というか、ハブも夢真ホールディングスも年間売り上げが100億円ちょっという、まだまだ若い会社だ。この位の規模の会社が一番投資を呼び込みたいクラスの会社なのかな。

 ちなみに会場で配られた『NISAで負けない株式投資』という本の第5章『NISA銘柄50選』に夢真ホールディングスが載っていて、2014年9月30日の株価が847円、そして5年後の株価予想が何と3,500円(!)だというのだ。

 本当かな?

2014年11月20日 (木)

FCV向け水素燃料を赤字出血サービス

 日経ビジネス・オンラインから『FCV向け水素燃料を赤字出血サービス』からクリップ。

 トヨタが世界に先駆けて今年の12月15日から供給を開始し、ホンダも来年から供給するというFCVに向けて、キャンプやお鍋の友のLPGガスボンベのイワタニが、FCV向けの水素燃料を格安価格で提供するという。

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 自社の水素ステーションで販売される水素燃料は1kg当たり1,100円(税別)だという。これだと同等車格のHV(ハイブリッド)車と同じ費用でFCVを走らせることが出来るという。

 更に、水素ステーションも2015年度の末までに、東京・名古屋・大阪・福岡の4大都市圏を中心に20箇所設置するそうだ。既に、兵庫県尼崎市、福岡県北九州市には商用の水素ステーションを開設しており、来年の3月までには東京の芝にも設置するそうだ。

 記事は下記をクリック。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20141119/274036/?n_cid=nbpnbo_bv_img

Inter BEE 2014 開幕! ポイントは放送と通信の連携へ

 Inter BEE 2014(国際放送機器展)が昨日開幕した。

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 Inter BEEというと……

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 どうしてもGoPROやBlackmagic、REDといったデジタル・シネマ・カメラなんかに目が行ってしまったり……

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 その一方で、こんな超アナログな「匠の箱馬」(箱馬とは撮影には欠かせないこんな箱型の台のこと、映像や音響機器の方はどんどんデジタル化していくのだが、撮影現場では実にアナログな技術が欠かせないのである)なんかに目が行ってしまうのだ。

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 それにしても、こんな8K画像を56インチ位のモニターで見ると、相当画面に近づいても走査線がみえなくなってしまう。

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 ソニーブースでの4K上映でも、こんな200インチ位のモニターだってフィルム上映よりも高精細なほどだ。

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 まあ、国際放送機器展なんだからどうしてもテクノロジー方向に興味が行ってしまうのだが、今年から始まったINTER BEE CONNECTEDというイベントが面白かった。

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 つまり、Inter BEEというテクノロジー中心のイベントから少し視線をズラして、放送と通信の連携やインターネットを通じたメディアビジネスの可能性、コンテンツ制作インフラとしてのクラウドの利活用の進展、これからの社会システムに不可欠なデジタルコンテンツとビッグデータ活用など、映像とICTの最新動向とその進化を発信する場としてINTER BEE CONNECTEDを位置付けるというもの。

 ますます、映像の世界とICTが離れがたいものになっていく、というか今までそんなことに手を付けていなかったのが不思議な感じだ。

Inter BEE 2014は幕張メッセで11月21日(金)まで開催中。公式サイトはコチラ

行かれる方は、公式サイトで事前登録を

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 10-24mm @Makuhari Messe (c)tsunoken

2014年11月19日 (水)

日航導入A350、きょう初飛来 再注目される大型機

 今日は日経新聞『日航導入A350、きょう初飛来 再注目される大型機』をクリップ。

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 日本航空再浮上の象徴のようなニュース。JALは既に31機を発注し、さらに25機をオプション発注するという。

 ボーイングも同じく次世代大型機「777X」を開発中で、大型機競争が始まった。昔のようなボーイング747vs.ロッキード・トライスターL1011みたいな競争が、今度はボーイングvs.エアバスで行われるのだろうか?

『住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち』じゃなくて、徳川総理大臣だよ

 どうやって「9勝1敗」を決めたのかは分からないが、なんでそこまでして自分の国とよその国を「優勝劣敗」で分けなければいけないのか? ということがよくわからない。

 まあ、編集者がつけたタイトルなのかもしれないが。

Photo_2『住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち』(川口マーン恵美著/講談社+α新書/2014年10月1日刊)

 結局、こう言うことなんでしょう。

『日本の良さが見える理由──それはおそらく、私が年をとったこともある。若いときのように、異文化と接しているのが楽しく、刺激的であるという時期は過ぎた。しかし、年をとることによって見えてくるものもある。神話から繫がる日本の歴史。争わず、穏やかに、時代を紡いできた知恵と手腕。「和を以て貴しと為し、忤ふること無きを宗とせよ」という聖徳太子の「十七条憲法」は、いまも私たちの心のなかに生きている。それらすべてが、日本という国の奥深さを作っているのである』

川口マローン恵美さんがあげたヨーロッパの問題点は、章題で送っていくと次の通り。

第1章 泥棒大国ヨーロッパ

第2章 エアロビのできないドイツ人<>

第3章 不便をこよなく愛するノルウェー人

第4章 スペインの闘牛と日本のイルカ漁

第5章 ケルンの地下鉄建設と池袋の道路建設

第6章 日本の百倍ひどいヨーロッパ食品偽装

第7章 日本的になったドイツの宗教事情

第8章 歴史の忘却の仕方――ヨーロッパとアジア

第9章 奴隷制度がヨーロッパに残した「遺産」

第10章 歌舞伎と瀕死のオペラを比べて

第11章 同性愛者が英雄になるヨーロッパ

第12章 「移民大国」か「難民地獄」か

終 章 劣化するウィーン・パリ・フランクフルトvs.進化する東京

 これだけ、自ら住んでいるドイツの悪口を書けるもんだとも思うが、多分、それは逆に自分が住んでいるが故に見えてくる問題点を挙げるとこうなります、でも、私はヨーロッパ(ドイツ/シュトゥットガルト)に住み続けます。という宣言みたいなものだ、と考えればそれはそれで頷けるものがある。

 要は、人は自分の住んでいる所に対して常に文句を言い続けるものなのだが、でも、それはその自ら住んでいる場所に対する愛情の表現みたいなもので、結局、その人はずっとその場所に居続けるのだろうな、ということである。

面白いのはEUに関する記述である。

『今のEUにつながった最初の共同体であるEECの基本条約が、ドイツ、フランス、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの六ヵ国の間で締結されたのは一九五七年だったが、それがローマで調印されたのは偶然とは思えない』

『ヨーロッパ人の心のなかには、未だ無意識的にローマ帝国がある。パクス・ロマーナこそ、EUの最終目的なのだろう』

 それが、EUの中の問題国でありながら悠然と構えているイタリアに言及すると、こういうことになる。

『それでもイタリア人は、経済も政治も破綻危機の混沌の国に暮らしながら、当然のように、優雅にドイツ人を見おろしている。そしてローマには皇帝こそいなくなったが、今でも法王が、世界の一二億のカトリック教会の信者を従えて君臨している』

なるほどなあ、そういうことだったのか。つまり、EUの中でイタリアやスペイン、ギリシアあたりは最早国家経済が殆ど破綻しているにも関わらず、悠然と構えていられるっていうのは、私はそこはやっぱりラテン人気質でしょうと考えていたのだが、そのバックボーンに「ローマ帝国」があった、というのはちょっと目を覚まさせられた考え方だ。まあ、結局はヨーロッパの歴史って「ローマ帝国」まで遡っちゃうのね。

 そういえば、神聖ローマ帝国で君臨したハプスブルグ家が現在も「ハプスブルク=ロートリンゲン家」として残っているらしく、EU議会の議員をやっているらしい。

 すごいなこの辺。徳川家の末裔が国会議員やっているようなものではないですか。やらんのかなあ日本の徳川さんは……。ついでに豊臣さんとか、織田さん(ああ、スケート選手ではいましたがね)なんかも出てきて、先祖の遺恨を今なら選挙で晴らすなんてことをしてくれたら面白いのになあ。

 徳川首相とか、織田首相とか、豊臣総理大臣とか、ああ、ついでに今はやりの「黒田官房長官」なんてのもいてもいいか。そうなれば衆議院選挙ももうちょっと面白くなって、投票率も上がるんじゃないかしら。自民党でも民主党でも社民党でも共産党でも維新の会でも、どこでもいいからそういう面白い候補者を探してほしいな。

 投票率を上げるためにも、ね。

『住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち』(川口マーン恵美著/講談社+α新書/2014年10月1日刊)

2014年11月18日 (火)

首相、21日の衆院解散、消費税増税延期を表明

 これは意味ない、と思ったのでクリップ。『首相、21日の衆院解散・消費税増税延期を表明』

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 今なら確実に自民党有利な状況なので、そこで衆院解散して選挙で勝って消費税増税を確実なものにしようと言うことなんだけれども、既に消費税増税は既定路線なんだから今更選挙をする必要はない筈だ。消費税増税に対しては賛否あるようだが、問題はその増税で豊かになる(?)国税の使い方の方なのだ。

 消費税なんて、もっと高い国は北欧なんかではいっぱいある。問題は、その使い道なわけで、防衛費とか原発再稼働費になったらいやでしょう、ということなのだ。

 多分、選挙の後にまたまた「憲法改正」なんてものを取り出すかもしれないな。あの稚拙な憲法改正論なんかを出されて、それで国民が納得すると考えているのならば、まさに成蹊の「おぼっちゃま」の発想ということになってしまうだろう。まあ、バックには東大卒のエリート官僚が控えているんだけれどもね。

 って言うことは、この成蹊大卒の「お坊ちゃん首相」は、東大卒のエリート官僚の「操り人形」でしかない、って考えられるのだが、昔、田中角栄がエリート官僚のブリィーフィングを「ちゃんと、俺に分かる言葉で言えっ」と一喝し、なおかつ官僚の言うことを聞かないで自分の政策を勝手に進めた、というエピソードにもあるとおり、エリート連中に対してコンプレックスがあるかどうかが、やはり「首相」たるものの存在価値なんだろうな。

「ミライ」トヨタの燃料電池車 12月15日に発売【究極のエコカー】

 今日はTHE HUFFIGNTON POSTから『「ミライ」トヨタの燃料電池車 12月15日に発売【究極のエコカー】』をクリップ。

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http://www.huffingtonpost.jp/2014/11/17/toyota-mirai_n_6175332.html?utm_hp_ref=japan

 問題は水素スタンドをどれだけ早く整備できるか、だな。


六義園、ライトアップは11月20日から

 駒込の名勝・六義園の『紅葉と大名庭園のライトアップ』が近づいてます。

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 ライトアップは11月20日から12月7日まで。毎日夜9時まで(一部立ち入り禁止の場所があります)。

 この期間は、正門だけでなく、駒込駅近くの染井門も開きます。

 どうぞお越しを……。

Fujifilm X10 @Rikugien Komagome Bunkyo (c)tsunoken

岩槻城(址公園)

 埼玉県さいたま市岩槻区にかつてあった「岩槻城」は、川越城、忍城と並んで県内三名城と呼ばれているそうだ。

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 現在は「岩槻城址公園」として整備されて岩槻の人々の憩いの場所となっているようだ。

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 とは言ってもやはり城跡だけあって、こんな土塁(ここは鍛冶曲輪の土塁)や。

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 空堀なんかがあったりする(現在は「ふるさと散歩道」と呼ばれている)。

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 城(公園)のすぐ傍には元荒川なんかがあって、ちょうど寄居・鉢形城と同じような天然の要害になっている(鉢形城は荒川と深沢川)。
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 ところが昔の城の縄張り図を見てみると……

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 公園は城の南東のほんの一部分にすぎないことがわかる。

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 本丸などはこの公園の場所から沼地をはさんで中の島にあるようだ。

 で、とりあえず時の鐘のある場所にいって、そこから再出発。

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 と、ありました「広小路」。広小路といったって幅4メートルもない道なんだが、昔はこれでも広いほうだったのではないだろうか。

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 広小路を行くと「大手門跡」という看板。

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 今は別のところに移設されているけれども。こんな門があったんだろう。

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 で、大手門跡をさらに進むと、県道2号「さいたま・春日部線」へ出ると、ありました。なにやらお城風の建物。「岩槻本丸公民館」。町名もさいたま市岩槻区本丸! 

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 ところがよく上の図をみると、ここは本丸ではなくて三の丸があった場所のようだ。

 本丸はもちょっと東の「マミーマート」というお店があった場所のようだが、何も岩槻城本丸跡というような表示はない。

 とは言うものの、確かに、この広さなら「埼玉県内三名城」と呼ばれるのも頷けるな。

Fujifilm X10 @Iwatsuki Saitama (c)tsunoken

2014年11月17日 (月)

自国通貨使わない カンボジアで拡がる「ドル経済」

 今日の日経新聞は『自国通貨使わない カンボジアで拡がる「ドル経済」』をクリップ。

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『カンボジアで米ドルを主要通貨とする「ドル経済」が一段と広がっている。流通する通貨に占めるドルの割合は年々高まり、8割近くに達したとみられ、自国通貨リエルを圧倒する。企業は為替リスクを抑えたり、低利で資金を調達したりできる利点をビジネスに生かせそうだ。政府にとっては金融政策が大きく制約されるマイナス面が大きいが、現状では企業誘致につながるドル経済の利点を国づくりに生かしている』

 ということなんだが、問題はカンボジア国民は自国の政府を信用していないっていうことなんだな。

 当然、それは海外から進出してきた企業にとっては為替リスクがなくなるわけなので、そのような経済事情は実に自分の企業にとってはいいことなんだけれども、カンボジア国内企業にとっては、たとえば輸出の際などに、その為替リスクを完全にアメリカの経済事情に合わせなければなくなるし、要はは「ドル高」になると単純に輸出競争力が弱くなるってことなんだ。
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 更に言ってしまうと、カンボジア通貨当局は膨大な外貨準備高を用意しなければならないってことにもなる。これも、政府の負担を大きくしてしまうことになる。

 現在の脆弱なカンボジア経済では、対外輸出規模はあまり多くないだろうから、こうしたドル高リスクは少ないだろうけれども、現在のような対外投資に頼っている時間が長くなってしまえば、結局、経済離陸が難しくなってしまう。

 カンボジアの経済離陸にとっては、いつドル経済圏から離れて、本来の「リエル経済」に持っていけるかと言うことなんだろうけれども、当面は難しいだろうな。

 ということで、しばらくはカンボジアも「ドル経済」のまま進むことになるのだろう。まあ、第二次世界大戦後の世界分割で、アジアの権利をとったアメリカの支配がまだまだ続くということなのである。

『働かないオジサンになる人、ならない人』ま、別に「働かないオジサン」だっていいじゃないかよ

 本書を読んで最初に考えたことは、果たして私の50歳からの会社人間時代は「働かなかったオジサン」だったのか、「働くオジサン」だったのかということ。

Photo_2人事のプロが教える 働かないオジサンになる人、ならない人』(楠木新著/東洋経済新報社/2014年8月1日電子版刊)

「働かないオジサン」にもいくつかのタイプがあるようだ。

 ひとつが「意欲が感じられないオジサン」である。

『ある不動産会社のリフォーム部門に在籍する20代の社員Aさんは、50代の男性社員とペアで営業活動を行っている。そのオジサンは時間にルーズで、アポイントメントの時間に遅れてくることすらある。
 顧客を前にして、相手の要望を引き出すのも、リフォームのメリットを説明するのも、すべてAさんの役割だ。オジサンは横にいて、ただうなずくだけ。若手社員の間では、課内に3人いるオジサンを「うなずきトリオ」と揶揄しているという。
 会社に戻ってからの顧客情報の整理、活動報告書の作成、上司である課長への報告もすべてAさんが担当している。以前は、課長への報告はそのオジサンに依頼していたが、課長に「君から直接報告してほしい」とやんわりと指示された。
 会社のルールでは、顧客のニーズにきめ細かく対応するために、複数人で訪問することになっている。しかしAさんはすべて一人でやったほうがスムーズに仕事が進められると感じている。
 オジサンの席はAさんの隣なので、彼のパソコンの画面が目に入ってくることがある。自分の関心のあるメールしか開かないらしい。そういえば重要な連携事項を知らないことがたまにある』

 もう一つは「すぐにスネる評論家型オジサン」。

『会議の席上、つねに批判的な立場から課題を指摘してばかりのオジサンのことを嘆いているのは、流通系企業の若手社員Bさんだ。
 55歳で役職定年を迎えたそのオジサンは、かつては出世コースに乗っていたので、会議では全社的な視点からポイントを突いた議論を展開する。とにかく週に一度の会議で自説を展開することが生きがいのようである。しかし自らは決して動こうとはしないので、結局は指摘された課題の分だけ、Bさんたち若手社員の余分な仕事が増えることになる。
 顧客先に向かうときにも、直前にあれこれ資料を要求したり、指示が飛び出してくるので困ることが多いという。
 またそのオジサンは、総務担当のBさんに対して「俺はそんな話は聞いていない!」とスネることもたびたびだ。オジサンはいつも定時に帰るので、スケジュールの連絡などが漏れることがある。Bさんもそれは自分が悪いとは思っているが、自分に対する言い方があまりにも上から目線なので、「あなたはいったい何様だ」と感じることがあるという。そのオジサンにとって重要とは思えない連絡なのに、なぜそんなに怒るのか、Bさんには理解できない』

 更に「定年前なのに嘱託気分のオジサン」というのもある。

『50代半ばのオジサンの無責任さに困っていると言うのは、服飾メーカーの管理部門で働くDさんだ。
 そのオジサンは、2年前までは別の課の課長だったが、今はラインの管理者ではなく、在庫管理を任されたスタッフ職(部長代理)になった。
 課長時代は、他部門と調整する仕事も厭わずまじめにこなしていたが、ラインから外れたとたん、急にやる気が低下して、自分からは積極的に動かなくなった。
 給与は下がったとはいえ、役職者なので、会社は在庫管理についての権限を与えている。販売部門や経理部門と連携しながら、仕事を進める立場ではあるが、自分では決めずに、上司や部下に決定をゆだねてしまうことが多い。また在庫管理のことが案件にのぼっている会議でも、ほとんど発言することがない。
 そのオジサンは、周囲のことを気にしているようだが、それが行動に結びつかない。彼は口には出さないが、課長職からスタッフ職に回された異動に対する不満があるのだと、Dさんは思っている』

 最後は「仕事のフリがうまいオジサン」だ。

『オジサンたちが集団で行動しているのが嫌だというのは、あるインフラ系企業に勤める女性社員Eさんだ。
 自分たちが忙しく働いているのに、管理部にいるオジサンたちは、11時50分には昼食に出向き、社内に戻るのはいつも1時15分。Eさんは以前、彼らとの昼食に同席したことがある。プロ野球の結果か、前日のテレビニュースで報道された話題ばかりで、誰もが知っていることを話して何が面白いのか、不思議でならなかったそうだ。
 彼らは営業所回りと称してよく外出する。普段は、どこで何をしているのかわからない。しかし、本部から部長が来店するときには必ず社内にいて、自分の仕事ぶりをアピールする。部長のスケジュールだけは、きちんとつかんでいるのだ。仕事をするフリだけは上手だと、Eさんは感心するという』

 う~ん、こういうオジサンでは、私はなかったな~と一安心。え? 多分、大丈夫だった筈。

 しかし、こうした「働かないオジサン」が何故生まれるのか。「窓際族」ではないのだ。「窓際族」なら、正々堂々と「働かないオジサン」をやっていたのだが、そうではない「働くフリをして働かないオジサン」なのだ。

 こうした「働かないオジサン」が何故生まれるのかというと「毎年の新卒一括採用とピラミッド型の会社組織である」というのだ。

 だとしたら、「働かないオジサン」になるのも一理あるわけで、それは日本のサラリーマン社会では当然の如くにして生まれてくるわけだ。

 勿論、そんな日本的な企業にいても「働かないオジサン」にならない方法もあるわけで、それを楠木氏は「こころの定年」にきちんと向かい合えというのだ。

 この「こころの定年」とは「誰の役に立っているのかわからない」「成長している実感が得られない」「このまま時間が過ぎ去っていいものだろうか」という発言に集約できる心持ちのようだ。要は自分に対する過大評価とアセリですな。

 しかし、そんなことは当たり前で、つまり自分の存在は「誰の役にも立っていない」し、いい年をして「成長」もないだろうし、つまり「このまま時間が過ぎ去っていい」のである。

 あ、そうか。だから私は「働かないオジサン」にならないですんだのか。

 なるほどなあ。

 でも、そういうもんなんだろうか?

人事のプロが教える 働かないオジサンになる人、ならない人』(楠木新著/東洋経済新報社/2014年8月1日電子版刊)

2014年11月16日 (日)

装着型医療ロボ、米に投入

 今日の日経新聞は『装着型医療ロボ、米に投入 サイバーダイン FDAに申請 脳卒中のリハビリ向け』という記事をクリップ。

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『筑波大発のロボッテベンチャー、サイバーダインは脳卒中や脊髄損傷で足が不自由になった患者のリハビリテーションに使う装着型の医療ろぼっとを米国で投入する。14日(現地時間)、米食品医薬品局(FDA)に販売申請をした。来春にも承認が得られる見通しだ。医療機器の大市場である米国で日本発の医療ロボットの浸透を目指す』

 装着型医療ロボット「HAL」は足に装着して、足を動かそうとした際に体の表面に流れる微弱な電流を検知して関節部のモーターに伝え、歩く力を補助する、というもの。

 既にドイツなど欧州では認められており、6施設を中心に53台が稼働中だ。公的な労災保険が適用されているという。

 日本や欧州でのこうした臨床データが米国でも使えるという判断が出たために、サイバーダインは米国での販売申請を行ったもの。米国の脳卒中患者は600万人超、脊髄損傷の患者は20万人超ということで、米国での市場浸透を目指そうというもの。

 世界でも一番といわれる日本のロボット技術がこうして海外に進出していくわけだ。

tsunokenの自転車記 VOL.5 2014/11/16はやはりパレサイ

 久々の(1ヶ月ぶり)のライドはやはり近いところでパレスサイクリング。

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 走行距離32.44km、平均時速19.0km/h、最高時速36.1km/h、実走行時間1時間42分06秒。

 晴れていたけれどもビルの陰の部分にはいると寒い。というか走っていても風が寒くなってきた。そろそろ冬装備でないと走れなくなりそうだ。

 それにしても足が重い。もうちょっとせめて週一回~二回は乗らないとな。

赤瀬川原平の芸術原論展

『赤瀬川原平の芸術原論展 1960年代から現在まで』を見に千葉市美術館まで行ってきた。

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 赤瀬川原平なので尾辻克彦として作家活動をしていた部分はあんまり出展されていなくて、前衛芸術家・赤瀬川原平の展示が大半。

 展示は「1.赤瀬川克彦のころ」「2.ネオ・ダダと読売アンデパンダン」「3.ハイレッド・センター」「4.千円札裁判の展開」「5.60年代のコラボレーション」「6.『櫻画報』とパロディ・ジャーナリズム」「7.美学校という実験場」「8.尾辻克彦の誕生」「トマソンから路上観察へ」「10.ライカ同盟と中古カメラ」「11.縄文建築団以後の活動」ということで554点、そして作家・尾辻克彦になってからの、言ってみれば作家が描いた絵画などが十数点、という実に多くの展示物になっており、じっくり見ていったら半日はかかる内容だ。

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 面白いのは、図録には載っていないのだが、作家・尾辻克彦になってからの絵画が、何故か突然「印象派」風の作品になっていることだ。

 赤瀬川原平と言えばシュールレアリスムやダダイズムをベースとした、ハプニング的な作品が大半で、それは「芸術とは何か?」を問いかけるコンセプチュアル・アートなのであった。

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 それが晩年になって、作家活動の裏側で作品作りを始めると、何故かわかりやすい「印象派」になってしまう。

 作家として枯れたのか? あるいは先祖帰りをしてしまったのか? すでに先月亡くなられてしまった赤瀬川氏には聞けないのが残念。

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 私にとっての赤瀬川原平氏と言えば、「アカイ、アカイ、アサヒ、アサヒ」の『朝日ジャーナル』に載っていた『櫻画報』と、裁判所をハプニング・センターにしてしまった「千円札事件とその裁判」である。『櫻画報』に関して言えば、『朝日ジャーナル』回収事件のもとになった「アカイ、アカイ、アサヒ、アサヒ」が「全然、朝日新聞はアカじゃないじゃないか」という気分で、どこか面白くなかったし、この程度のパロディで掲載誌を回収する朝日新聞って、まったく腰の座っていない新聞だなあ、と感じた程度である。

 それに比べると「千円札事件」は痛快だったな。なにしろ国家権力のお膝元である東京地裁で、当時は多分一番反権力的だったハイレッド・センターの展示会をやっちゃったんだからなあ。

 あの当時の赤瀬川原平さんは、なんか反権力芸術家の代表選手みたいな感じだった。

 その後の「ライカ同盟」あたりになると、なんか老作家のお遊び的な感じがして、まあ、赤瀬川さんもいい年の取り方をしたんだな、という気分になったものだ。

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『赤瀬川原平の芸術原論展』(千葉市美術館)は12月23日まで、公式サイトはコチラ

2014年11月15日 (土)

世界の壁は厚いが侮れない、中国初の国産旅客機 年内にも運航、大半は国内受注

 今日の日経新聞はこの記事をクリップ。『世界の壁は厚いが侮れない、中国初の国産旅客機 年内にも運航、大半は国内受注』

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 飛行機は中国商用飛機(COMAC)製のARJ21という近距離用の中型機。カナダのボンバルディアやブラジルのエンブラエル、日本の三菱航空機のMRJなどがライバルだ。

 エンジンはGEだし、電子部品はハネウェル製、大半の技術はアメリカのものだが、肝心のアメリカ連邦航空局の型式証明を受けていないので、それまでは海外輸出は難しいだろう。ただし、基本的に近距離用なので中国国内需要だけでもかなりの数の受注が見込める。

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 なにしろ今後20年間の旅客機の需要予測でみると世界で3万6770機の内、6020機(16.37%)が中国なのである。いわば中国国内需要だけでも間に合ってしまうほど。

 もともと近距離用なので中国国内線だけでも十分使える訳で、いやあやはり中国って大きいなあと感じさせる記事ではあった。


『定年後7年目のリアル』のリアル、定年3年目のリアル

 当然、本書は2013年8月9日に出た『定年後のリアル』の続編である。続編であるけれども、別に前の本と書いてあることは変わりはない。そう別に定年になったからと言って、何も新しいことはしていなのだし、依然とまったく変わらない生活を送っている以上は、前とは変わらないのも当然だ。

7『定年後7年目のリアル』(勢古浩爾著/草思社文庫/2014年8月8日刊)

 で、まえがきにこう書くのである。

『本書は一応、前作『定年後のリアル』(草思社文庫)の続編という格好になっている。前作が出たのは定年退職後二年目である。それから五年たった退職七年目の現在、どのような心境の変化や生活の変化があったのかを、あるいはなかったのかを、雑感的に綴ってみようという趣旨である』

『さあ第二の人生だ、楽しく生きよう、人の役に立つことをしよう、お金はあるかね、健康は大丈夫か、あと二十年もあるぞ、など、やいのやいのいうなというのである。私の定年後の原則は、なにをしてもいいし、なにもしなくてもいい、である。まともではなかろうか。
 それから五年後の現在、この考えに変化はない。むしろ強固になってきた。生活の変化もほとんどない。この間、日本と世界では、東日本大震災、中国での反日暴動、アラブの春(頓挫した)、北京とロンドンの二度のオリンピック、などなどがあった。
 しかし世の中でなにがあろうと、わたし自身の生活はほとんど変わっていない。いや、四年前には退職前に勤めていた会社の仲のよかった先輩が亡くなった。三年前には兄が急死した。その後も元会長が亡くなり、昨年末には、元社長だった人も亡くなった。それぞれに思うことは多々あったが、それでもわたしの生活は変わらず続いている。人間はしぶとく、生活もしぶとい。
 では、冒頭の「退職な七年目の現在、どのような心境の変化や生活の変化があったのかを綴ってみよう」というのは誇大広告にならないのか。やはり、そこを衝いてくるかね、って自分で書いたのだが、なる、と思う。申し訳ない。だから本書では「あるいはなかったのか」の中身を書くことになる。わたしは相変わらず、なにもしていない。退職後七年たっても、心境も生活もほとんどそのままである。しかし、なんの変化がなかったわけでもない。多少は考え、読み、観てきた。
 わたしは十年一日のような「なにもない」生活にまったく飽きない。なにかおもしろいことないかね、つまんねえな、ということがない。なぜか。たぶん。このような生活は「お米」のようなものだ。「コシヒカリ」ならもっといい(子どもの頃、我が家では麦と白米が半々だった。それがふつうのごはんだと思っていた)。
 ごはんは何十年食べてもまったく飽きないではないか。それどころか、いつ食べても美味しい。ご飯には滋味がある。ほんのりと甘い。シラスやおかかや梅干や昆布をちょっとのせるだけで、味が一層ひきたつ。玉子かけごはんだとおかずはいらない。生活もおなじである。これが基本だ。「なにもしない」静かな生活はコシヒカリのように滋味があるのだ』

 う~ん、本当になにもしないんだなあ。ただ、昼頃起きると、図書館、公園、本屋、ショッピングモール、そして喫茶店に行って、数時間を本を読んで過ごし、本について書き、たまに自転車で放浪し、夕方家に帰って来るだけの毎日。って、あれ? これは私の生活? ブログを書き、ブログに書くために本を読み、一日一万歩歩くことを日課にしているので、外を歩いてブログ・ネタを探したり、喫茶店で本を読んだりって、なんか私の生活と似ているなあ。

 一昨年から今年の夏まではマンションの建替えなんてものがあったために、結構忙しい時もあったりしたんだが、今年の夏に建て替えがなり、引っ越してきて後は、まんま勢子浩爾氏と同じような生活だ。毎日、毎日何をやって暮らしているのか、訳が分からなくなってしまうので、最近は昔使っていたシステム手帳に毎日歩いた場所を書いたり、天気を書いたりしている。そうしないと、その日に何をやったか、やらなかったか、わからなくなっちゃうからね。

 ということは、私もあと4年経って67歳になっても、相変わらず毎日ブログを書き、ブログに書くために本を読み、一日一万歩歩くためにブログ・ネタを探して彷徨ってみたり、自転車は勢子氏と違って私のはロードバイクだから多少はスピードが出るが、でも毎日乗る訳でもないがたまに乗り、時々は旅行に行ったりはするが、その程度の違いで、ほとんど勢子氏と同じような生活を送っているのだろう。

 まあ、多分定年退職者の日常なんてそんなもんだろう。ボランティアなんてやっている人は、多少の変化はあるのかも知れないが、それでも毎日ボランティアをやっている訳ではないから、基本的にはあまり変化の少ない生活だ。

『定年というゴールは微妙である。なかには、さあこれであとはなんの憂いもない。資金よし家族よし健康よし、第二の人生を思い切り楽しむぞ、という人もいるだろうが、ほとんどの人はあまりうれしくないのではないか。いささの安堵と、いささかの虚脱感と、かなりの不安が、入り混じったような感覚ではないかと思う。
 わたしが退職したときは、肩の荷を降ろせたような安堵感が七分、これで自由だという青空感が二分、漠然とした不安感が一分、といった気分だったような気がする。これといった夢も希望もなかった。カメラをさげて、あちこちの美術館や、昔住んでいた町や、見知らぬ近隣の町をぶらぶらしてみようか、と思うくらいだった(足利学校がある足利に行ってみようかと思ったが、まだ行っていない)。定年退職がゴールという感覚はまったくなかった。単に、一区切りがついたといった感覚か』

 というのが、まあ普通の人の定年退職を経験してみたときの感覚だろう。

 とてもじゃないが西行や、鴨長明や、兼行法師や、松尾芭蕉や、勝小吉などの「無聊」の大先輩のようには生きられないけれども、まあ、それを目指してゆるりと生きていくのもいいじゃないか。「『山家集』ならぬ町家集」「『方丈記』ならぬ六畳記」「『徒然草』ならぬ無聊草」「『奥のほそ道』ならぬ近所の細道」「『夢酔独言』ならぬ無酔独言」でいいのである。

「流れゆく日々」じゃなくて「流されゆく日々」でいいのである。

『定年後7年目のリアル』(勢古浩爾著/草思社文庫/2014年8月8日刊)前作はKindle化されているが、本書はまだ紙版だけだ。

2014年11月14日 (金)

オスプレイのせいで、道路が全く見えなくて危ない

  THE HUFFINGTON POSTからこの記事をクリップ『オスプレイのせいで、道路が全く見えなくて危ない』。まあ、でも受け入れてしまった以上はしょうがないよね。

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 垂直上昇機って要はヘリコプターと同じなんだからこれは当たり前。

 まあ、オーストラリアの話だから、それは砂が軽かったんでしょう。日本ではそんなに軽い砂はないと思うのでそんなことにはならないだろうけど。

記事はコチラから

アマゾンの電子書籍、米大手出版社側に価格決定権

 今日の日経新聞は『アマゾンの電子書籍、米大手出版社側に価格決定権』をクリップ。

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『米アマゾン・ドット・コムと米出版大手アシェット・ブック・グループは13日、電子書籍の販売契約を更新したと発表した。書籍の価格決定権はアシェットが持ち、契約は来年初めに発効する。圧倒的な販売力を武器にコンテンツへの値下げ圧力を強めるアマゾンの攻勢を、作家を味方につけた出版業界がひとまず押し戻した。

 米大手出版社は電子書籍の値下がりを防ぐ談合の疑いを持たれ、販売先との契約条件の見直しを規制当局に求められている。今回の結果は、他の出版大手とアマゾンとの今後の交渉のモデルケースとなりうる重要なものととらえられている。

 アマゾンは価格決定権で譲歩した一方、価格引き下げを認めた書籍は優先的に販売促進活動の対象にできる条件を盛り込んだ。6割以上のシェアを背景にした販売力を武器に、実質的な価格決定権を握り「名を捨てて実を取る」狙いがある』

 という記事。

 アマゾンはアシェット社との契約更新にあたり、電子書籍価格を現在の三分の二の10ドル弱にするよう要求し、これを拒否したアシェットに対し、5月ごろから購入予約機能の停止やアシェット社の書籍に配送期間を意図的に遅らせるなどの嫌がらせを行い、アシェット社に対して妥協を迫っていた。さらにアシェット社から書籍を出す一部の作家に対して、電子書籍の印税を直接渡すと提案するなどして、作家の引きはがしにかかった。 

 こうしたアマゾンの高圧的な姿勢に対しスティーブン・キングなどのアメリカの作家約1500人がアマゾン批判の意見広告を出したり、司法省に調査を求めていた。

 そのためアマゾンとアシェット社の交渉は泥沼化し、成立するまで半年もかかってしまった。

 定額で読み放題のサービスを始めたアマゾンも、今回は価格決定権を出版社側に譲った形になったが、これからもアマゾンの攻勢は変わらずあるだろうし。日本でもいずれは定額読み放題のサービスは始まるだろうから、その時の日本の出版社がどういう態度でそれに臨むのかは、ちょっと見ものだ。

『超高速! 参勤交代』は実はそんなにも面白くなかった、何故か?

 劇場で予告編を見たときはちょっと観たい気になったんだけれども、結局観ないままになってしまった映画が最近多い。

 まあ、私が年取ってしまって記憶が常に薄まってしまっている、という問題もあるんだろうけれども、それは明日の話題なので、今日は触れずに、取り敢えず今日DVDで観た『超高速! 参勤交代』について書きます。

_edited1『超高速! 参勤交代』(原作・脚本:土橋章宏/監督:本木克英/製作:矢島孝/製作会社:松竹撮影所)

 本木克英監督作品ということで多少は期待していたのだったが、あまり添えなかった作品なのでありました。何でかなあ?

 ストーリーは『江戸時代、8代将軍・徳川吉宗(市川猿之助)の治世の享保20年(1735年)。磐城国の小藩・湯長谷藩の藩主・内藤政醇(佐々木蔵之介)は、1年間の江戸での勤めを終えて湯長谷に帰国した。ところが、それから間もなく江戸屋敷に居るはずの江戸家老・瀬川が、江戸幕府老中松平信祝(陣内孝則)の命令を携えて政醇の前に現れる。その命令とは、帰国を果たしたばかりの政醇に対し、「5日のうちに再び参勤交代せよ」というものであった。信祝は湯長谷藩が所有する金山に目をつけ、金山を手に入れようと無理難題をふっかけて、湯長谷藩を取り潰そうと企んでいた。
 石高1万5000石の湯長谷藩には、4年前の飢饉の影響もあって蓄えがなく、参勤するための費用がない。家臣たちからは「幕府に直訴する」「賄賂を贈って許しを乞う」など意見が二分して話がまとまらない。これに対し、政醇は家臣と領民を守るために、あえて理不尽な参勤を受け入れることに決め、家臣一の智恵者である家老・相馬兼嗣に意見を求めた。相馬は、少人数で山中を走り抜け、幕府の役人の監視のある宿場のみ日雇い中間を揃えて大名行列を組むという案を挙げ、早速準備に取り掛かった(実際、そのような「日雇い中間」というのもその昔はあったそうだ)。その日の夜、政醇と相馬のもとに、一匹狼の忍び・雲隠段蔵(伊原剛志)が現れ、「自分を山中の道案内人として雇ってくれ」と言い出した。胡散臭い段蔵をいぶかしむ相馬に対し、政醇はあっさり快諾し、一行に加えることにした。翌日、政醇以下の湯長谷藩一行総勢7名は、段蔵の先導の元江戸に向けて出発した。一方、政醇が参勤することを知った信祝は湯長谷藩一行を亡き者にするため、配下の忍び衆を刺客として差し向けた』というもので、基本的に江戸の悪家老(まあ、基本的に江戸にいる徳川の家老は悪者になることになっている。忠臣蔵の柳沢吉保とかね)が、田舎の小藩をいじめるという構造の話でよくあるものなのであるが、それにしても参勤交代から戻って即座に再び参勤交代を求めるということはないだろう。それも5日間の間にというのは基本的に無理である。

 が、まあそれはそれでいい。

 要は、それでもって内藤政醇が無事江戸へ行ければいいのだから、その道中の話でしかないのである。

 ところがその道中、飯盛り女・お咲(深田恭子)との「セックスのない(気持ちの)つながり(ウソだよね)」とか、江戸城前の闘いとか(あり得ない)なんかがあって、当然、内藤政醇が徳川吉宗に拝謁できればドラマとしてはOKなんだけれども、当然その裏側には松平信祝の失脚というテーマもあるわけだしさ、そういった部分もキチンと抑えないと歴史ドラマにはなり得ない。が……それはあんまりない。

 要は、映画でもその位は押さえておかないといけないんじゃないの、という単純なこと。

 ストーリーの表層を追いかけても映画にはならないし、裏側だけでも映画にはならない。でも、それはあんまりない。

 問題は、監督(演出家・創造者)が自ら抱えている問題をどうやって表出させるのかという問題なのだ。しかし、それもない。

 本木監督はそういう問題は取り敢えず置いておいて、まあ、普通に「映画を撮った」んだろうな。本木克英は単なる商業監督なので、そんな「問題意識」なんてものはない……ってことなのか?

 それが、この作品を観た感想です。

 批評する気にもなれないなあ。

2014年11月13日 (木)

『ネットで攻めたいNHK 身構える民法』って、今更そんなことやってる場合じゃないでしょ

 今日の日経新聞は『ネットで攻めたいNHK 身構える民法各社』をクリップ。

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『NHKが10月末に公表した「インターネット実施基準要綱」が民法各社の間で波紋を広げている。要綱は放送番組などをネット配信する際のルール案に相当するものだが、文面が様々に解釈できるうえ、そもそも巨大メディアのNHKがどうネットを活用していいくかの具体策が見えないためだ。「放送と通信の融合」が進む中、NHKの動向に注目が集まっている』

『ネット放送のルール案は今月11日に意見募集を締め切り、NHKが近く総務相に認可申請する。今年6月に改正された新しい放送法が施行され、実施基準の認可も出れば、NHKは来年春にも放送とネットの同時配信を始める計画だ。2020年の東京五輪など大きなスポーツイベントでネットも使ってコンテンツを提供する環境が整う』

 というものだが、その内容はどうだというと、以下の通り。

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 まあ、特別どうという内容ではない。

 ただし、NHKという巨大メディアがやっと「放送と通信の融合」というものに乗り出したわけで、民間放送と公共放送という二元体制に変化を及ぼすことは間違いない。

 焦点はネット放送の財源だが、ルール案では改正法走法にのっとり受信料でまかなうことになっており、その辺が民放側が「民業圧迫になる」と警戒しているようだ。しかし、NHK側としてはむしろ国内の民法よりはBBCやネットフリックス、YOUTUBEを抱えるグーグルなどへの対抗策として考えているようである。

 むしろ民法としてはNHKを警戒するよりは、NHKと協業してでもこうした国外勢力との戦いに積極的になるべきだろう。

「ドワンゴ、16年春採用も受験料制度 3000円に値上げ」に賛成!

 これ前からいいと思っていたんだけどなあ。ということでクリップ。

『ドワンゴ、16年採用も受験料制度 3000円に値上げ』

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『動画配信大手のドワンゴは12日、2015年春入社の新卒採用試験から導入した受験料制度を16年春入社も継続し、受験料を3000円に引き上げると発表した。15年春入社の受験料は主力サービスの「ニコニコ動画」にちなんで、2525円としていた。16年春入社は1次試験である書類選考までの実費を6000円と算定し、受験生に半額の負担を求める。

 ドワンゴは一人ひとりの採否の判断に時間をかけたいとして、15年春入社の試験から受験料制度を導入した。だが、厚生労働省から学生の就職活動を制約する恐れがあるとして、16年春入社以降は実施しないように指導を受けていた。

 同社は受験料継続について「(来春入社の採用活動で)本当に入社したいという人材に受験してもらえた」と説明している』

 まあ、リクナビとかマイナビとかで何社にもエントリーシートを出せるようになってしまっている現状の就活事情がおかしいわけで、本当にウチの会社に来たいんだったらその位の金を出せよっていう姿勢はまあ間違ってはいないのであります。まあ、その程度の出費で「学生の就職活動を制約する」なんてこともないだろうし。

 だって、その会社に入って自分が何を出来るんだってことを真面目に考えている学生なんてほとんどいない状況でしょう。「なんでもやります」なんてことを言っている学生なんか、どんな会社でも欲しくはないわけで、その会社で自分が何を出来るかをアピールしなきいけないんじゃないか? 特にこれからはそういう傾向になるはず。

 ちきりんさんの『「100社落ちる」というリアリティ&アンリアリティ』にも書かれているのが現状だとすると、まあ殆どの学生が「就職と言うものを真面目に考えていない」としか考えられないのだ。つまりそれはバイトの延長戦でしか一生を捧げる(かもしれない)就職を考えているとしか思えないのであります。

 バカですねと言ってしまえばそれで済んでしまうわけですが、そうもいかない事情があって結構こういう話には興味が集まるものなのです。まあ、結局は「君ら会社の選び方が間違っているよ」というだけで終わってしまっているのが普通なのですがね。

 もっと言ってしまえば「自分にはどんなポテンシャルあるのか」ということをちゃんと押さえておかなければならないってことですね。まあ、その「ポテンシャル」ってものについてどれだけ自分自身で理解しているのかってことが問題なんだけれども。

コーチャンフォー若葉台に行ってきた

「コーチャンフォー」って言っても東京の人には分からないだろうから解説すると、「Coach and Four」(四頭立て馬車)という意味の書店なのであります。

 北海道の釧路市にある株式会社リライアブルという会社が経営する書店で、北海道では札幌、釧路、根室などに9店舗の書店チェーンを出しているんだが、そのどこも我々が「書店」としてイメージするものとはかけ離れて大きい店なのです。

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 その㈱リライバブルが満を持して(?)東京に今年10月8日に初出店したのが、ここコーチャンフォー若葉台なのです。

 京王電鉄相模線の若葉台駅は川崎市麻生区黒川にあるのですが、駅前広場が既に東京都稲城市若葉台という地名なので、そちらをとって若葉台としたそうな。

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 若葉台駅は谷底みたいなところにあるので、そこからエスカレーターで登っていくと、こんな横須賀みたいなオブジェのある駅前広場に行きつく。

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 それにしても、まだまだ開発途上の若葉台らしく、駅前ののノジマからケーズデンキ、そしてコーチャンフォー若葉台の前にあるヤマダ電機まで含めて電機屋さんの多いこと。まさにこれから増えていく住民のための電機屋さんの行列ってところですな。

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 そうやってエスカレーターや坂道をエッチラコッチラ登っていくと、ありましたコーチャンフォー若葉台。

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 ただし、こちらは書店の入り口じゃない。ドトールコーヒーが見えるだけ。

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 もうちょっと先まで行くと、書店の入り口であります。

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 まあ、中は広い広い、超広い。なにしろ敷地面積5130坪、店舗面積2013坪で、駐車場605台だってんですから、ちっとした大スーパーマーケット並み。そこを書籍・雑誌、文具、CD/DVD、ドトールコーヒーだけで占めているんだから、それこそムッチャクッチャな広さであります。

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 店の裏側は若葉台公園があるんだが、そちらは駐車場の入り口があるだけで書店への玄関はない。つまり、相手にしているのは、車で来るお客さんと、駅で電車を降りるお客さんだけなんだな。

 しかし、問題はこの広大な土地を自前で取得し、出店しているということ。何せ、いくら札幌とはいえ北海道と、いくら外れとはいえ東京都の土地代の差である。多分、北海道で出店してきたときのビジネスモデルはさすがに東京では使えないだろう。

 普通ならリースなどで出店し、ダメだったらさっさとヤメるというのが東京のビジネスモデルだ。それを土地を取得って、どれだけ㈱リライアブルはお金を持ってるの? と聞きたくなってしまう。

 たしかに、情報流通の点から言って、東京に拠点を持っているかどうかは、ビジネスの大事な要素ではある。だったら、(地代の高い)東京ならではの出店方法もあったのではないか。例えばもっと都心に近い場所で小さな店舗を構えて、そこは売上げよりも情報収集がメインの仕事、とも考えられるのでもあるが、それとは別のところでの判断もあるのかも知れない。

 つまり、東京での書店業以外の展開とかね。

 元々、書店業から出発したわけではないコーチャンフォーである。マージンは少ないが、在庫リスクの一切ない(つまり売れ残り商品の返品がほぼ100%OKという)書店業というところに目をつけて始めた訳なのである。

 う~ん、なんかありそうだな。あってもおかしくないよな。

Fujifilm X10 @Wakabadai Inagi (c)tsunoken

2014年11月12日 (水)

みずほ銀行、コールセンターに人工知能を導入へ 問い合わせ時間が30分から8分に

 今日はTHE HUFFINGTON POSTからこの記事をクリップ。

『みずほ銀行、コールセンターに人工知能を導入へ 問い合わせ時間が30分から8分に』

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『みずほ銀行と日本IBMは11月6日、人工知能コンピューター「Watson(ワトソン)」を利用して、顧客からのコールセンターへの問い合わせにタイムリーに回答する世界初のシステムを導入すると発表した。

 導入されるのは、問い合わせをしてきた利用者とオペレーターとの会話をシステムが聞き取り、Watsonが適切な回答を見つけるというもの。みずほ銀行の担当者はハフポスト日本版の取材に対し「オペレーター人員が必要なくなるわけではないが、1回の対応時間が平均30分から8分に大量に短縮できる」と述べた。来年からの導入を検討しているという』

『これまでは、利用者の話をオペレーターがキーボードなどで入力し、膨大な回答例データの中から手作業で検索を行ったいたため、データを打ち込む時間はもちろん、どの回答が適切かを選択することにも時間がかかっていた。

 しかし、新システムではリアルタイムに会話をデータ化し回答例を検索。さらに、過去の問い合わせの内容などから、最適な回答の案を優先的に表示させる機能も盛り込み、時間短縮をはかる』

 というもの。

 まあ、こうした技術は回答例が溜まれば溜まるほど最適解が見つかりやすくなるわけで、システムが進んで行けばいずれオペレーターはいらなくなるということだろう。

 取り敢えずは、人間がコンピューターに使われるということになって、これまたある人たちにとっては面白くないことだろうけれどもね。

記事はコチラ

Watsonについてはコチラのサイトから

『稼ぐ力』というよりは「自分で新しい仕事を作り出す力」だな

 一昨日に続き、今日は『Hitachi Innovation Forum 2014で『グローバル競争の考え方、日本企業の戦い方』の講演を行った大前研一氏の著書の紹介。

Photo_3『稼ぐ力 仕事がなくなる時代の新しい働き方』/小学館/2014年6月6日刊)

 取り敢えず本書からの抜き書きを

『「自立して生きていく」という意識・志向は、今後の日本のビジネスパーソンの仕事を考える上で、極めて重要なキーワードの一つではないかと思う』

 という、要はサラリーマンだって会社からは自立した存在として自らを捉えて、自分の仕事とは何かということを考えていかなければならばない、というある意味では当たり前のことなのだけれども、今までの大企業に勤めるサラリーマンがあまり意識していなかったことを、もう一度考え直そうよということのである。

 『硬直化した社会においては個人の力が変革のカギとなるのである』

 これも会社からは自立した存在になりなさいという意味。社会の変革は企業や団体ではなく、あくまでも個人ベースだということ。

 で、その為に必要なことは……

 『一つは「ハードスキル」だ。具体的には会計、財務、マーケティング理論、統計学などビジネスで必要とされる〝道具〟である』

 『もう一つは「ソフトスキル」だ。前出の三つの問いがまさにそれであり、民族・国籍・文化・言語・宗教の違う人たちとコミュニケーションをとりながら、ビジネスを円滑に進める能力を指し、もちろん英語力が前提となる』

 そう、グローバル言語としての「英語」が大事だということ。ただし、ここでいう「英語」とはアメリカ人やイギリス人が、アメリカ本国やイギリス本国で喋っている「英語」ではなく、まさに「グローバル言語としての英語」であるということ。

 つまりは、その英語は「グロービッシュ」で充分ということなのだ。というか、むしろそうした英語の方が現在は主流であり、アメリカン・イングリッシュやクィーンズ・イングリッシュはむしろその国でしか通用しない「傍流語」なのだ。

 そして、多分そうしたグローバル英語は、アメリカやイギリスで働くことよりも、アジアなどで働くことでより一層磨かれるのであろう。当然、ヨーロッパもその選択肢には入るが、これから我が国のサラリーマンが目指すのはアジアだろう。

 これから経済離陸をはたすアジア諸国には沢山の可能性があり、そこで培ったアジアの人たちとの友情が、今後の日本にとっては重要なものになるだろう。

 以下はもう言わずもがなですね。

 『自動化が進んで人手をかけてやっていた作業が必要なくなったり、人材採用がグローバル化する中で業務が外国人に置き換わったり、IT化やデジタル化によって事業や産業そのものが〝突然死〟したりする。そうした予測に危機感を募らせているサラリーマンも少なくないだろうが、それは発想が逆である。もともと仕事というのは「自分で見つける」ものだからだ』

 『従来の仕事がなくなるなら、それに代わってこれから必要とされる仕事を見いだし、自分で仕事を創っていく──そういう発想こそが、求められているのである』

 『今や「いつでも・どこでも・誰でも」つながるユビキタスの進展により、「テレワーク」(会社から離れた場所〈tele〉で働く〈work〉という意味の造語)や「ノマド(遊牧民)ワーキング」と呼ばれる新しいワークスタイルが日本でも広がりつつある。仕事をする時間や場所が制約されないとなれば、時給や出退勤という基準もなくなる』

 『これからのホワイトカラーは「時間ではなく、仕事で縛る」──これは、単に労働慣習の問題ではない。日本企業と社員の死活問題なのだ』

 要は「稼ぐ力」とは、会社から与えられた仕事ではなく、自ら作り出した仕事を自ら行っていくことによって、自ら作り出した仕事ということなのだ。これはサラリーマンであっても必要なことだ。私のように出版社にいた人間にとってはとにかく「企画」が第一である。編集職であり営業職であれ、新企画や新しい営業の方法を考え出せない人間は単純に「使えない奴」である。当然、自分で考え出した企画は自分で担当して行うのであるから、常に「自分の仕事は自分で考え出して作る」という訓練を行ってきた。

 ところがどうも大企業というのはそうではないようですね。

 基本的に先輩社員がやってきた「仕事」があって、なおかつその仕事の「やり方」があって、後輩はその先輩の「仕事のやり方」をトレースしなければいけない、というような暗黙の社内ルールがあって……、そんな会社じゃイノベーションなんて起こせないですね。

 会社というのは常にイノベーションを起こし続けていかないと、その瞬間から落ち始めるのであります。

 常に変化をしていくことによって、始めてそれまでの状態を維持できるのです。

 誰ですか? そんな社会に「先輩のやり方を墨守せよ」なんて敗北の思想を植え付けたのは。「団塊の世代」? あるいは「団塊ジュニア」? 織田信長だって、豊臣秀吉だって、徳川家康だって、それまでの戦の定石を無視して新しい戦い方を実践したから天下を獲れたのです。それまでの戦の常識にとらわれた浅井長政、柴田勝家や明智光秀、そして石田光成は負けてしまった。

 まあ、それを含めて大企業病と言ってしまえば言えないことはないのだが、それが中小企業にまではびこってしまったというのが、いまや最大の日本の課題なんだろうなあ。

『稼ぐ力 仕事がなくなる時代の新しい働き方』/小学館/2014年6月6日刊)紙版は2013年11月5日刊

2014年11月11日 (火)

普天間基地はどこへ行くのか? 沖縄の難航を極めた18年を振り返る

THE HUFFINGTON POST日本版から『普天間基地はどこへ行くのか? 沖縄の難航を極めた18年を振り返る』をクリップ。

 11月16日に投開票される沖縄県知事選。現在のところ、オール沖縄で戦う基地反対派、翁長前那覇市長が、普天間基地を辺野古沖に移すことを認めた仲井間現知事をダブルスコアで引き離すような様子だが、今ここにきて普天間基地の移設に関する歴史を振り返ってみた。

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http://www.huffingtonpost.jp/2014/11/10/futenma-base-replacement-18years_n_6131904.html?utm_hp_ref=japan

エバーノートと日経が提携、電子版記事を自動配信

 今日の日経新聞は『エバーノートと日経が提携、電子版記事を自動配信』をクリップ。

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『日本経済新聞社とクラウドサービス大手の米エバーノート(カリフォルニア州)は10日、資本・業務提携することで基本合意した。日経はエバーノートに2000万ドル(約23億円)出資し、2015年初めから日経電子版とエバーノートのサービスを連携させる。両社の有料会員を対象に、双方のサービスを仕事に使う際の利便性を高め、事業拡大につなげる』

 というもの。

『エバーノートはインターネット上に文書や写真などを保存・共有するクラウドサービスを手掛けている。今回の提携により、エバーノートの利用者が文書を作成する際、内容に応じて関連する日経電子版の記事を自動配信するほか、日経電子版の読者が記事を閲覧する際には、エバーノートで過去に作りためた文書から、記事の内容に関連する情報や名刺などを検索無しで表示する』

『エバーノートの利用者は無料会員を含めると全世界で1億人以上、日本では約800万人を有する。日経電子版の会員は有料会員約38万人を含めて約250万人。連携サービスはいずれも有料会員が対象となるため、今後、日経とエバーノートは日本国内で有料会員を増やすための販売促進活動でも協力する』

「最終的に保存機能そのものは無料になり、保存容量の上限もなくなるだろう」と言われているクラウドサービスのビジネス。

 CEOのフィル・リービン氏は

 『当社は知識労働者の生産性向上を目標に掲げ『書く』『(情報を)集める』『見つける』『発表する』の4分野に注力している。オフィスで使うサービスでは米マイクロソフトが圧倒的だが、これをあまり使わなくても仕事ができる環境を提供したい』

 『情報を入手するには『検索』が重要だったが、これを変える。このほど米国で始めた新サービス『コンテキスト』(有料)では必要な記事を自動表示する。利用者のニーズを先回りして検知、関連性が高い情報を提供するのが理想だ』

 と語る。

『利用者数では中国が米国に次ぐ2位に浮上したが、収入では日本が2位を維持しており、この傾向が当面は続くとみている。技術革新の面でも日本は重要な市場だ』

今年のお酉様は地元の大鳥神社へ……ね

 今年の11月の酉の日は10日と22日。今年は三の酉がない年なので、大火は起きないだろう、という言い伝えはどこから来たのだろう。

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酉の市は関東地方に多く所在する鷲神社(おおとりじんじゃ)の年中行事として知られるる。多くの露店で、威勢よく手締めして「縁起熊手」を売る祭の賑わいは、年末の風物詩である。
 鷲神社は、日本武尊
(やまとたけるのみこと)を祀り、武運長久、開運、商売繁盛の神として信仰される。関東地方では鷲宮神社(埼玉県久喜市)が鷲神社の本社とされる。同社の祭神は、天穂命、武夷鳥命、大己貴命である。日本武尊が東征の際、同社で戦勝を祈願したとされる。古くからこの神社を中心に「酉の日精進」の信仰が広まり、12月の初酉の日には大酉祭が行われる。
 江戸時代
には、武蔵野国南足立郡花又村(現・東京都足立区 花畑)にある大鷲神社(鷲大明神)が栄え、「本酉」と言われた。この花又鷲大明神を産土神とする近在住民の収穫祭が、江戸酉の市の発祥とされる。現在の同社の祭神は日本武尊で、東征からの帰還の際、同地で戦勝を祝したとされる。江戸時代には、同社の本尊(本地)は鷲の背に乗った釈迦とされた。この神社の酉の市は、15世紀初めの応永年間に始まるとされ、参詣人は、を献納して開運を祈り、祭が終了した後浅草観音堂前(浅草寺)に献納した鶏を放った。
 江戸時代後期から、最も著名な酉の市は、浅草
の鷲神社(台東区)(おおとりじんじゃ)境内で行われた酉の市である。「現在の足立区花畑の大鷲神社を「上酉」、千住にある勝専寺を「中酉」、浅草の鷲神社を「下酉」と称しており、江戸時代から続いていた酉の市はこの3カ所であったが、明治時代になり千住・勝専寺の酉の市が閉鎖され、花畑の大鷲神社と浅草の鷲神社とが唯一江戸時代から続く酉の市となる』(Wikipediaより)

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 ということで、好きな人は浅草まで行くんだろうけれども、今年は駒込に帰ってきて最初の年なので、地元は巣鴨の大鳥神社へ行ってきた。まあ、浅草は混んでいるしね。

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 勿論、巣鴨の大鳥神社だってちゃんと混んでいて、ちゃんと露店が出ていて、手締めで熊手を売っている。

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「手締め」なので、「チャンチャンチャン、チャンチャンチャン、チャンチャンチャン、チャ」という一本締めであります。粋だね。

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 で、私が買ってきたのは、露店の縁起熊手じゃなくて、普通の神社で売っている熊手であります。

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 まあ、別に水商売やっている訳ではないからね。

Fujifilm X10 @Sugamo Otori Shrine (c)tsunoken

2014年11月10日 (月)

米国の小売店、世界でも際立つ「店員のねこばば」

「ウォールストリートジャーナル 日本版」の記事『米国の小売店、世界でも際立つ「店員のねこばば』が気になったのでクリッピング。

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『大半の国では来客店による万引きがシュリンケージ(本来得られるはずの売上高と実際の売上高の差)の主因であるのに対し、米国では従業員の窃盗が主因となっている。その割合はなんと43%で、万引きの37%を上回る。世界平均では万引きが39%で、従業員による窃盗は28%だ』

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『2013年は従業員による窃盗で小売店の被害は180億ドル(約2兆円)に達した。これは万引きによる損失を23億ドル上回り、卸売業者の不正や運営上のロスなどによる損害を130億ドル強上回る。
 業種別では、従業員による窃盗被害が高いのはディスカウントストア。ホームセンターやガーデニング関連は比較的、被害が少ない』

『従業員による窃盗はほとんどがレジ精算の際に発生する。従業員であるがゆえに、自分自身もしくは同僚の手を借りて、ごまかしがきくわけだ。例えば、必要がないのに返金・割り引き・無効などの手続きを行ったり、購入の取り消しや価格を変えたり、またクーポンを使っていないのに使ったことにしたりといった手口だ』

  日本では客による万引きが書店などでの売上げ損失の主因である、ということなどが言われているが、アメリカではむしろ従業員による売り上げのチョロまかしが売上げ損失の主因であるそうだ。

 まあ、『従業員の窃盗に関する情報は雇用主から得ているという』という部分がちょっと気にはなるけれどもね。それだけ、アメリカでは従業員と雇用主の信頼関係が出来ていないということなんだろうな。

 ちょっと日本では考えらえないニュースだ。

さらば「ウィンドウズ」 マイクロソフト、最後の賭け

 紙版の『日経新聞』は本日休刊だが、電子版は普通に出ている。とはいっても月曜日はあまり注目の記事はなく、ヒマネタが多いのも特徴だ。

 で、そんなヒマネタではあるが注目の記事は『さらば「ウィンドウズ」 マイクロソフト、最後の賭け』という記事、でさっそくクリッピング。

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『パソコン時代の王者だったマイクロソフトはカムバックできるのか。命運を握るキーマンは、3代目の最高経営責任者(CEO)、サティア・ナデラ。今春に就任したナデラの最初の決断は、創業世代がかたくなに守ってきた「ウィンドウズ至上主義」との決別だった』という書き出しはちょっとショッキングではあるが、初代ビル・ゲイツ、それを引き継いだ2代目スティーブ・バルマーに比べ、3代目のCEOサティア・ナデラのマイクロソフト入社は1992年、「ウィンドウズ3.1」を発売して、その後に引き続く「ウィンドウズ時代」の幕開けになった年であり、その後、1995年に「ウィンドウズ95」がパソコンとインターネットを爆発的に普及させる起爆剤になったのは、皆さんも知る通り。

 そのウィンドウズが現在の「8」の次のOSを「9」ではなく「10」としたことは驚きをもって迎えられた。これについてはナデラ自身が『ひとつずつ数字が増える今までのような延長線上にないということ、10は変化と進化を示す数字なんだ』と説明しているが、その肝心の「ウィンドウズ10」のプレビュー版の発表の日、ナデラは日本にいて富士通の山本社長と会見をしていたというのだ。

 パソコンならウィンドウズは今も90%以上のシェアを持つが、スマートフォンやタブレットなどのモバイル機器を含めると、シェアはわずか14%と大きく下がる。パソコンに代わって情報機器の主役となったスマホでは3%にも満たない。そこで、マイクロソフトはタブレットとスマホへのOS提供を無償にすることを今年の4月に発表した。つまり「ソフトウェアは有料であるべきだ」というビル・ゲイツ以降の歴代経営者の思想から180°の転換というわけだ。

『ウィンドウズ全盛期の成功の法定式は、パソコン用OSで圧倒的はシェアを誇るウィンドウズ、そのウィンドウズと相性がいいビジネスソフト「オフィス」のライセンスビジネスだったが、この根幹が今や揺らいでいる。ウィンドウズの存在感は小さくなり、オフィスに爆発的な成長力はない』

 アップルやグーグルがスマホやタブレットで勢力を猛スピードで拡大中の2012年10月、マイクロソフトはウィンドウズ8を発表したわけだが、このウィンドウズ8はタブレットを意識するあまり、先代のウィンドウズ7からの変更があまりにも大きすぎてユーザーからの反発を食らってしまった。あわててマイクロソフトは「ウィンドウズ8.1」を発表したわけだが、結局『ウィンドウズ8はマイクロソフトの傲慢さの象徴。法人と同じように個人市場も取りに行けると勘違いした結果、法人市場でもアップルやグーグルに攻め込まれている』という結果になってしまった。

 やはり大きな影響は、アップルとIBMの業務提携だろう。昔はIBMとアップルと言えばそれこそ犬猿の仲だったが、いまやハードウェアの生産から退いたIBMはむしろアップルのiPadにとっては顧客導入の有力な武器となってしまった。

『次に分割への道を選ぶのはマイクロソフトではないか。クラウド中心の法人部門、ゲーム機などの消費者部門に分かれた方がよいのではないか』

 10月初旬ヒューレット・パッカードが会社分割を発表した際に、そんな見方が米国メディアで取りざたされたらしい。

 マイクロソフトが将来の収益源と考えているクラウドの世界では、アマゾンやグーグルなどのライバルが跋扈している。

 法人部門では未だに圧倒的な存在感を持つウィンドウズである。それをテコにクラウドでも優位を保てるかどうか、マイクロソフトの本気度が試される時代になってきたわけだ。



『驚くべき日本語』はよくわかるのだが、その前に日本人がやらなければならないことがある

 Hitachi Innovation Forum 2014で「日本は、世界を救う?」と題する講演を行ったロジャー・パルバース氏の著書を読んだことがなかったので、一度読んでみようと思って手にした本がこれである。

 すごいんだなあ、だって『「世界語」(リンガ・フランカ)としての日本語』なんですよ。日本語がねえ。

Photo_2『驚くべき日本語』(ロジャー・パルバース著/早川敦子訳/集英社インターナショナル/2014年1月29日刊)

『当時世界で最も賞賛されていた国々は、英国、フランス、スペイン、ドイツ、イタリア、ポルトガル、ベルギーなど、領土の侵略によって帝国を拡大している国家でした。これらの国々はアフリカやアジア、ラテン・アメリカや環太平洋や大西洋、インド洋の島々など、自分たちより「文明化されていない」人々を、強制的に彼らの支配下におきました。
 そして、征服した国や地域の人々を服従させる最大の武器が、征服者側の言語、つまり、英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語などだったのです。
 実際、植民地主義というのは、何よりもまず、勝利者の言語を流布させていく力だとわたしは思います。銃だけで人を服従させあっれる期間は限られています。もし植民地の人々に力があれば、当初、征服者がその地域に及ぼしていた経済力を奪い取ることも可能です、しかし、その土地の言語を奪い、自分たち征服者の言語に取り換えれば、たとえ征服された者たちが革命を起こしたり、ある時期、征服者たちの文化を拒否したとしても、征服者たちに植えつけられた言語にずっと左右され、思いのままに操られることになるでしょう。
 民族固有の言語を破壊することほど、大きな文化の破壊はありません。アメリカ大陸やオーストラリア、そして日本の場合であれば、先住民族であるネイティブ・アメリカンやアボリジニ、アイヌの人たちのことを考えてみてください。彼ら独自の言語のいくつかは今も使われていますが、ほとんどみな英語かスペイン語か日本語に取って代わられています』

 つまり、第二次世界大戦で台湾、朝鮮、満州、中国のいくつかの都市や東南アジア、南アジア、南太平洋などの国々が日本の植民地になり、それら植民地で日本語教育が行われたことを指しているのだ。もし、そのまま、日本が戦争に負けずにいたのなら、もし日本がそのままそれらの地域を支配下に置いたままでいたのなら、それらの地域では「日本語」が、それらの地域での「母語」となって、日本語はある意味では「世界語」として通用していたかもしれない。

『客観的に見ると、日本語は、その柔軟性と日常的に使う語彙の少なさゆえに、多くの外国人にも簡単に使うことができる言語なのです』

 ただし

『書き言葉としての日本語は、漢字に多くの読み方があることから、日本人にとっても非日本人にとっても一筋縄ではいかないくらい難しいと思います。たとえ日本語が他の国々に広がっていったとしても、おそらくローマ字のアルファベットか、よりありえることとして、カナとローマ字を併用することになったかもしれません』

 という形で。

 しかし、日本は第二次世界大戦に負けて、そんな壮大な実験ができる可能性はなくなってしまった。

 この東アジアの新興帝国主義と欧米列強の戦争を、そんな文化戦争として捉えると面白いかもしれない。

 つまり欧米列強からしてみると、やはりあるのは「大モンゴル帝国」の恐怖だろう。つまり、アジアから勃興した強大な国がヨーロッパまでやってきて帝国の版図を拡大する可能性はゼロではない。しかし、モンゴル帝国の時代は征服地の言語改革までは行わなかった。というか、当時の帝国はそこまでして征服地をしはいする必要はなかったのである。

 ところが自らが征服地で何を行ったかを知っている欧米列強は、日本はそのやり方を真似て征服地へ文化侵略を行っている日本の姿をみて恐怖したのだろう。で、必死になってこの東アジアの新興を潰し、そこへ欧米列強の文化を侵略することを考えたのである。

 それが「アメリカ英語」を世界語として、世界中の人々を訓化することなのだ。

『英語はいまや世界の国際言語になっていますが、それは何より大英帝国の世界制覇によるものです。日本より人口も国土も小さな英国は、海を越えて「新大陸」のアメリカに英語を移植して、そこに一三もの植民地を作り上げました。こういった植民地は新たな国家となり、まさアメリカ合衆国は、さらに強制と交渉による説得と高度な技術、あるいはこの三つを実に狡猾に組み合わせて、英語を世界中にまき散らし、次の新たな世界帝国になったのです。武器、宗教、映画、ライフスタイルとインターネット……。こいったものが英語とともに他の国に上陸したのでした』

 つまり、これはアメリカという国を介した、実はイギリスによる世界制覇がまだ続いているということなのだなあ。結局、イギリスははじめはバカにしていたアメリカ英語を、逆にイギリス英語の発展型として認めることによって、はじめは文化的にそして経済的に、最後は政治的に世界を自らの手中に収めたのである。

『日本語もたくさんある世界言語の一つなのですから、それが英語やスペイン語、フランス語のように国際言語になりえない理由などどこにもありません』

 しかし、その為には

『まず日本人自身が、日本語という言語への意識を変え、理解を広げ、深めなくてはいけないと思います。日本人が、自分たちの社会のなかで、非日本人が日本語を話しているのを不思議だと感じているのが、奇妙に思えます。
 しかし、それは単に、日本人がいまだに国際的な視野をもてないでいることを示しているのではないかと思います。「外国人」が日本語を話しているのを耳にしても、目をぱちくりさせないような日が来たら、そのときこそ、「国際的な視野をもつ」国民が現れたといえるのではないでしょうか』

 永遠に続く帝国なんてものは歴史上まったくあり得なかった。つまり、今後、アメリカ合衆国の世界支配がどこまで続くのかを知るものは世界中にどこにもいない。逆に、200年前には英語がこんなにも世界中を支配する言語になることとは、誰が予想したのであろうか。

 つまり、英語の次に日本語が国際言語になり得る可能性もなくはない、と言うことになる訳なのだが、それは日本語だけではなく世界中の言語にその可能性があるということだ。現状の世界観では、多分、英語の次に国際言語になる可能性が高いのは中国語ではないかと考えるのであるが、如何?

 で、その前に、日本語が国際言語になるためには、まず日本語から「外国人」という言葉がなくならなければ駄目だろう。日本人と外国人という二文法ではなく、日本人と中国人、日本人とアメリカ人、日本人とロシア人、日本人と……、日本人と……、という多様性があってはじめて、日本語が国際言語になる前提条件が満たされると考えるのだが。

『驚くべき日本語』(ロジャー・パルバース著/早川敦子訳/集英社インターナショナル/2014年1月29日刊) Kindel版はないみたいね。

2014年11月 9日 (日)

360度撮影のカメラ、動画も可能に

 わっはっはっはぁ、昨日は文字の大きさの設定を間違っちゃったぜぃ。

 やはり昨日の「日経新聞」から、この記事をクリップ

『360度撮影のカメラ、動画も可能に』

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 取り敢えず、記事全文は以下の通り。

『リコーイメージングの全天球カメラ「RICOH THETA(リコー・シータ) m15

撮影者を囲む空間を360度写すシリーズの新モデル。静止画に加え動画も撮れるようにした。動画は一度で最大3分間の撮影ができ、画像はパソコンに取り込んで専用アプリで加工できる。色はホワイトなど4種。
 《オープンだが、店頭想定は3万5000円前後。14日》 』

 まあ、当たり前といってしまえば当たり前。

 静止画が撮影できるデジカメならば、動画も撮影できて当たり前。普通の正常進化というだけのことである。

 ただし、問題はこのような機能をどんなところで使うのか。その使用例というか、使用の提案をメーカーがやっていかなければならない、というところがちょっと大変かな。

 以前、「ihayato書店」で一度紹介していたけれども、あれだけじゃあ、このカメラを買う必然性とか、どう使えば有効な使い方ができるのかは見当たらなかったしな。

第8回フォトフォーラムのテーマは「スナップショット」だ

 昨日有楽町の朝日ホールで行われた「第8回JPSフォトフォーラム」のテーマは「スナップショット」だった。

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 多分、写真を撮っている人で一番多い写真が「スナップショット」だろう。街角のスナップなんかは、多くの街を行き交う人たちの一瞬を捉えて、そこに何があるのかを見いだそうとする。

 ところが最近は「肖像権」なんてものが持ち出されて、なんか一般の人々自身がこの肖像権を主張し始めてたというのだ。しかし、本来肖像権とは自らの肖像を用いて仕事をしている人たちが持っている権利で、一市井の人々が持っている権利ではない。自らの肖像を用いて仕事をしているタレントなんかの人たちが肖像権を主張するのはよくわかる。ところが、それを主張したからと言って、何ら経済的なメリットのない人までが肖像権を主張するというのは、タレントが肖像権を主張するのを見て、そうかそういう権利があるんだと誤解した一部の市井の人たちが、間違って主張し始めた権利であるに過ぎない。

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 なので、街角のスナップを撮影するカメラマンは、別に肖像権を侵害しているなんてことは考慮せずに、堂々とスナップショットを撮ればいい。

 ただし、撮影された(と思っている人も含めて)人たちには嫌な思いをさせない考慮は必要だろう。つまり、堂々と「私はあなたを撮影しています」ということを、態度で示せばいいのである。

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 ということで、今年のフォトフォーラムは、いつもの田沼武能氏の開会挨拶に始まって、雑誌などに多くの人物写真やルポルタージュを発表してきた齋藤康一氏、及び大西みつぐ氏、田沼武能氏の講演と、その三氏によるパネルディスカッションという構成であった。

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 ただし、私はちょっと午後から用事があったので、午前中の齋藤氏、大西氏の講演だけを受講して会場からオサラバしたのである。

 齋藤氏と大西氏の講演は、写真家らしく自ら撮影した写真を見ながらの話で、人物撮影の多い斎藤氏は中国で撮影してきたスナップショットを見ながら、言い大西氏は自分が生まれ育った東京の下町、江東区あたりをこれまで撮影してきて出版してきた写真を見ながらの話であった。

 で、彼らの話でスナップショットが何であるかがわかったのかというと、実は別に新しいことは何もわかっていない。

 つまり『スナップショットは写真の原点である/写真は記録である/相手のタイミングを見て撮る』というのが齋藤氏の話だし、『はじめから下町の路上でのスナップショットが自分の写真の原点/そのうち「プロボーク」、森山大道、コンポラ写真なんてのが出てきてまさにスナップが全盛となる/路上で写真を撮ることだけがスナップショットではない』というのが大西氏の話。

 う~ん、わかっているようなわからないような、変な話だなあ。

 つまりは、スナップショットというのは誰もが最初に始める写真の形式というか、それこそ写真の原点であるというのは、まさにその通りなんだけれども、しかし、それは写真の一ジャンルということではなく、写真の記録性というテーマを考えたときに、まさに写真の基本だし、ある意味で写真の集大成でもある、ということなのだ。

 木村伊兵衛はアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真群を見よ。ロバート・キャパを見よ。ということである。それらの写真群はその時代時代を写しだして、見事後世に「記録」を残しているのだ。

 まあ、それがスナップショットの基本。要は、スナップショットについて語る、というのは実は何も語っていないっていうことと同義である。

Fujifilm X10 @Yurakucho (c)tsunoken

 

2014年11月 8日 (土)

3Dプリンター、個人用は台湾発 使い勝手磨く

 今日の「日経新聞」では『3Dプリンター、個人用は台湾発 使い勝手磨く』という記事が気になったのでクリップ

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『台湾の電子機器受託製造サービス(EMS)大手、新金宝グループ傘下のXYZプリンティングがスキャナーを備えた3D(3次元)プリンターを世界で初めて開発した。立ち上がったばかりの市場で、使い勝手のいい製品により個人向け需要を本格開拓する』

 で、そのサイモン・シェンCEOへのインタビュー要旨が以下の通り。

『あくまで簡単に使える製品を目指した。簡単だからこそ一家に1台の普及が可能だ。今後は事務所や家庭など生活の場に3Dプリンターがある時代になるだろう。3Dプリンターはコストと使用する方法だけを解決すれば必ず売れる』

『日本の3Dプリンター市場は2013年で3千台強。今年発売した当社はすでに日本で個人向け3Dプリンターの最大手だとみている。売り上げの中で日本は米国と欧州より少なく、3、4位くらい。それでも市場拡大の可能性は大きい。15年には市場が2万台に伸び、半分のシェアをとれるだろう。そのため米国の次に早く発表した』

 まあ、クリス・アンダーソン氏の「MAKERS」を読んだときには、それなりに興奮し、なるほどこれからは3Dプリンターで「誰でもメーカーになれる時代が来るんだ」と思わせたことがある。

 しかし、考えてみれば個人がそんなに3Dプリンターを必要とする機会ってそんなにあるものじゃない。だとすれば、たとえばKINKO’Sみたいなオフィス・ワーク・サービスをやってくれるお店に3Dプリンターがあれば便利だな、というレベルの問題だと考えていた。それで、それなりに成功への道筋が見えたら個人的に購入っていうね。

 それを見越してのことだろうけれども、まだまだオフィス用を含めて2013年に3千台っていう需要の時期に、こうして3Dプリンターを日本でパーソナル・ユース用の市場化をしようとするのも、なかなかに挑戦的だ。というか、台湾企業って動きが速いな。

 いずれにせよ『ネットでモノを買う時代から、自分で考えモノをつくる時代になるだろう。一方で、中小企業には影響が出る。陶器や玩具などの単純加工業が淘汰されていく』という時代がもう目の前に来ている。

 その先駆けになろうとしているのだろう。

 

 

 

『ニンフォマニアック』って「鬱」どころか、コメディですよ、はっはっはっ。

う「ニンフォマニアック(NYMPH()MANIAC)」の真ん中の「()」って、どう見ても「ヴァギナ」だよな。だったら日本語表記も「ニンフ()マニアック」とすればよかったのにな。ああそうか日本にはあの有名なOmanko_marksvgマークがあるもんなあ。でも、それをポスターに入れる訳にはいかないってことで……。

 で、最後の方でネタバレがあります。その部分にはそう記しているので、取り敢えずは安心して読んでください。

Photo 『ニンフォマニアック』(脚本・監督:ラース・フォン・トリアー/製作:ルイーズ・ヴェス/2013年デンマーク・ドイツ・フランス・ベルギー・イギリス作品)

 インターナショナル・バージョンとか、ディレクターズカット・バージョンとかいろいろあるらしいこの映画、クロージング・クレジットを見ると「SEX DOUBLE」なんて役名で何人かがクレジットされているところを見ると、多分、それは性交(セクシュアル・インターコース)場面でのペニスをヴァギナに入れる結合アップのカットなんかがあるので、そのカットでのスタンドインの名前なんだろう。ということは、オリジナル・バージョンではキチンと「ハード・コア」なんだろうな。

 だが、残念ながらこの「文化低国」日本バージョンはそんな「SEX DOUBLE」の人たちの登場シーンは見事にボカシが入っていて、見ていても何をしているのかわからない、というような状況。なので、日本でこの映画を観ている私たちにとっては、別にハード・コアでもなんでもなくて、単なる「愛」と「性」についての、何だかわからない映画というものになってしまっている。まあね、インターネットに繋げれば何でもアリ、もっと凄い映像だって普通に見られてしまう状況の中で、何をやっているんだろうね、日本の警察と文科省は。

 と、文句を言っても始まらないので、何か映画評的なことを書かねば、ということなのだが。

 結局、そんな「ボカシ・バージョン」を観ている我々には、この映画は主人公のニンフォマニア=ジョー(シャルロット・ゲンズブール)が、瀕死の重傷を負って担ぎ込まれた独居老人セリグマン(ステラン・スカルスガルド)の家で、彼女のニンフォマニアックな人生を語り、一方のセリグマンはそれを静かに聴いてあげながら、彼がその一生で様々な本から得てきた知識でジョーに癒しの言葉を投げかける4時間という、「性愛」あるいは「性」と「愛」についての形而上学的映画である、と(実は誤って)認識させられるのである。

 ジャーがセリグマンのところに担ぎ込まれなければならない必然性は、まったくない。あるいは、ジョーがセリグマンの自分のニンフォマニアックな生を語らなければならない必然性も、これまたない。ジョーは何故この見ず知らずの男に、自分の生と性を語らなければならなかったのか。セリグマンの方は……、多分に興味があった……、おっと、ネタバレはもっと後の方で……。

 基本的に「性」と「愛」は何の関係もないものだ。愛のないセックスはそこいら中にいくらでも転がっている、別に何のてらいもなくある普通の「セックス」だ。一方、セックスのない「愛」だって十分に存在可能なものである。性的不能者だって愛を語ってはいけない理由はどこにもないし、同性愛の形にもセックスは伴わない者もあるだろう。

 では、何故、人は「愛」と「性」の狭間で悩むのだろうか。

 多分、それは「錯覚」というものがなせる業なのではないだろうか。愛し合っている夫婦が営むセックス。愛し合ってもいない男と娼婦の行きずりのセックス。それらがどう違うのかというのは、実は男と女の気持ちの中にある「これは愛しているが故の結果なのだ」という「錯覚」があるのか、ないのかの違いでしかない。勿論、『「これは愛しているが故の結果なのだ」という「錯覚」』が間違っている訳でもない。当然、愛し合っていない男女のセックスが間違っている訳でもない。

 まあ、「愛」と「性」なんてそういうものさ、と考えてしまえば実は「愛」と「性」なんて簡単なものなのだ、取りあえず切り分けて考えればいいというものなのだからね。

 ところが西欧キリスト教世界ではそうともいかないのかもしれない。

 つまり「愛」なき「性」に対する、徹底した分断攻撃がそこにはある。特にカトリックの総本山イタリアでは1970年代までは一度結婚したカップルの離婚が禁止ではなく、「あり得ない」のであった。現在でも離婚するにはかなりな決心と忍耐が必要だそうである。で、イタリア人のカップルはどうするか? って、別にどうもしないで勝手に別の男や女と付き合っちゃうんだそうだ。

 なんだ、それなら楽じゃんというのがラテン人の発想。

 ところがゲルマン系、特に北欧系のゲルマン人はそうではないようだ。

 で、彼らは「鬱」に逃げ込むんだよなあ。寒いしなあ。暗いしなあ。

 この映画もどちらかと言うと、ジョー自身が自らのニンフォマニアぶりに、自分がそれが嫌だというのもないのに、そんなニンフォマニアックな生活(性活)を送っていることに対して、どんどん自分を鬱のほうに押し出してしまっている。

 で、見も知らぬ老人セリグマンに自分の半生を語り始めるのだ。

<ここからネタバレ始まります>

 セリグマンはセラピストでもないのに、その話を全て聞き、そのひとつひとつに、彼が本で読んだことで解決を与えようとする。何故か……老セリグマンは童貞だったのだ。63歳にして。セリグマンの話はすべて本から得た知識。自ら経験して得た知識はひとつもない。

 で、最後には「お前はいろんな男とヤッてきたんだろ」なんて言って、半勃ちのペニスでジョーを犯そうとするんだが、哀れセリグマンは自ら本の知識でワルサーPPKの安全装置の外し方を教えたジョーに撃たれちゃうんだなあ。

 ねえねえ、セリグマンさん、何を血まどったかしらないが、そんな半勃ちのおチンチンじゃ女は姦れないよ。

 って、ラース・フォン・トリアーはこの映画「コメディ」として作ったんじゃないのか。

 なんか、このラスト見ると、やたら本の知識だけが沢山ある童貞独居老人が、たまたま自分の家に迷い込んできてしまった色情狂女にトチ狂って、今更できもしない「セックス」とやらにフニャチンで挑戦しようとして破滅してしまう映画、にしか見えないんだがなあ、私には。

 
『ニンフォマニアック』日本版公式サイトはコチ

ボカシが入っていない公式サイトはこちら

同監督の『メランコリア』『アンチクライスト』と本作で、「ラース・フォン・トリアーの『鬱三部作』」というそうだ。でも、見ている日本人には「何でそんなんで鬱」って気になるんですが。私の感受性不足かなあ。

2014年11月 7日 (金)

電子書籍読み放題広がる、オプティム、月500円で90誌1年分

 日経新聞11月7日付『電子書籍読み放題広がる、オプティム、月500で90誌1年分』という記事が気になったので、クリップ。

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記事は『電子書籍の読み放題サービスが広がってきた。ソフト開発のオプティムは月額500円で15社90誌のバックナンバーをタブレットで読めるサービスを月内に始める。「定額読み放題」にはNTTドコモなども参入。利用者は雑誌や書籍、漫画を幅広く読むことができ、出版社は新たな読者を獲得しやすくなる。電子書籍がより身近になりそうだ。
 オプティムの新サービスは「タブレット読み放題」。3年以内に15億円の売り上げをめざす』というもの。

 こうした電子書籍の「読み放題」サービスはオプティム以前にも、既にNTTドコモが「dマガジン」として400年円(税別)で80誌以上の雑誌、NTTソルマーレが「シーモア読み放題」で780円で約3000冊、1480円で約1万冊の漫画、KDDIが「auブックパス」で562円(税別)で1万2000~1万6000冊の漫画や雑誌、書籍、パピレスが「Renta!女性向け雑誌セレクション」として324円で女性向け雑誌11誌、ビューン「ビューン」というサービスで400円で60誌以上の雑誌と漫画、などの例があり、今やネットなんかでは当たり前になっている「定額○○放題サービス」というものが、電子書籍でも当たり前になりつつあるということである。

 今年7月にアマゾンがアメリカの顧客向けに月額9.99ドルで60万冊以上のアマゾン扱い書籍を読み放題にするサービスを発表した。

 既に音楽などでは当たり前になっている「聴き放題」サービスがいよいよ本でも当たり前になる時代がやってきたというわけである。

 現状は、まだ雑誌のバックナンバーやコミックが中心のようだが、アマゾンは多分、日本国内の出版社とも交渉を行っている筈だから、いずれ日本国内でも月々1000円位の定額(低額)で読み放題というサービスが始まるだろう。

 そうなるとますます「本の定価」ってなんだろう、という問題になっていくだろうし、著作権についての考え方にも変化が現れるだろう。いずれにせよ、出版社はこれからの新しい時代にどうやって対応していくのだろうか、ということと共に、そうした変化に対応できるかどうかが、出版社の今後の生死にかかわっていくかもしれない。

今週末は『すがも中山道菊まつり』へ行こう!

 ということで、昨日から「すがも中山道菊まつり」が開催開始!

 と言っても、まだまだ一日目なのであんまりお知らせるすることはありません。

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 基本的にはこの眞性寺(江戸六地蔵)がメイン会場。沢山の菊の展示や……

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 一昨日はまだ枠組みだけだった「因幡の白兎」の菊人形も完成してグルグル回っております。

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 セントレアから帰ってきたすがもんも登場して、だんだん雰囲気は盛り上がってきます。

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「すがもん」って何だ? という人はコチラに来てね。

 で、眞性寺の境内には、菊の植木だけでなく、こんなジオラマみたいな盆栽なんかもいくつも展示。多摩川や小金井なんかを模した展示物は、結構「お見事」というできです。

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 勿論、眞性寺の境内には菊があちこちに。

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 高岩寺(とげ抜き地蔵)の境内にも菊花が沢山飾られています。

 
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 巣鴨郵便局では11月8日(土)には「すがもんとミニ列車にのろう」というイベントが予定。

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 明治通りのそばの大正大学でも11月9日(日)には「菊まつり朝市」が予定されています。

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 勿論、ここにも菊の飾りつけがさざえ堂(正式名称:大正大学すがも鴨台観音堂)の脇にされています。

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 皆さん、今週末は巣鴨へGO! なのだ。

 えっ? 私? 私は浜スタへGO! なのですがね……、何か?

Fujifilm X10 @Sugamo, Toshima (c)tsunoken

2014年11月 6日 (木)

最早パソコンは「白物家電」の仲間入りか?

THE HAFFINGTON POST"10月18日付の元インターネットアスキー編集長、根岸智幸氏の『パソコンの進化が止まったとき、あなたの進化が始まる』という記事が気になったのでクリッピング。

Huffinton_post

 取り敢えず、記事の中で気になった部分を書き起こす(って言ってもコピペだけどね)。

『パソコンはもう型落ちでも構わない。
 
この原稿を書くのに使っている僕のマシンは20115月に発売された27インチのiMacだ。もうすでに3年半前のマシンだが、性能的に不満を感じることはない。昔のパソコンは34年経つと機械的にはなんの問題もないのに、スペック面で新機種と差が開きすぎて最新のOSやアプリが利用できず、仕方なく新機種に買い替えるというサイクルを繰り返してきた。そのおかげでパソコン産業は急拡大できたともいえる』

『たとえば10年前だと、2001年春に発売されたiMac2004年夏に発売されたiMacの最上位機種では以下のように差がある。

2001年春(221日発売)

CPUPowerPC G3 600MHz
ディスプレイ:15インチCRT1024×768ピクセル

2004年夏(831日発売)

CPUPowerPC G5 1.8GHz
ディスプレイ:20インチ液晶・1680×1050 ピクセル

 なんと、CPUG3からG5へと2世代も進化し、動作クロックも3倍になっている。ディスプレイもブラウン管が液晶になり、ピクセル数も約2.2倍になっている。

 いっぽう、我が家のiMacと本日発売の新型iMac2Kモデルの比較はこうだ。

2011年春(53日発売)

CPUCore i7(クアッドコア)3.4GHz
ディスプレイ:27インチ液晶・2560×1440ピクセル

2014年秋(1017日発売)

CPUCore i7 (クアッドコア) 3.5GHz
ディスプレイ:27インチ液晶・2560×1440ピクセル

 我が家のiMacAppleStoreBTOで高速なCPUに変えたので、最新のiMacも同じくBTOで高速なものを選択したが、なんとCPU0.1GHzしか高速化していない。

 この3年半の間、CPUがまったく進化していないのかといえば、そんなことはない。省電力化を中心に改善が図られてきた。とはいえ、一番肝心の処理能力はたいして変化していないのだ。

 それがいまや、パソコンは一般消費者向けには十分な性能に達し、いつ買っても性能は大差なくなった』

 そう、最早パソコンはその性能競争を行っている段階は過ぎてしまっていて、というかユーザーの興味はパソコンからタブレットやスマートフォン、ウェアラブルの方へ行ってしまっている。

『1977年にAppleIIが発売されて以来、猛烈な勢いで増してきた個人向けコンピュータの処理能力が、ようやく落ち着きだしたのだ。ソフトウェア面でもマイクロソフトOfficeに代表されるようなアプリがバージョンアップしても、以前のような革命的な進歩は見られなくなった』

 だからこそ、これからは……

『ハードやソフトではなく、人間が進化する番がきた』

 というパソコンの歴史にとっては、本当にパソコンが普及して、誰もが使いこなせるような時代になったら、こうなるであろうというパソコン普及初期には夢だった段階に進んできたのだ。

 ただ、問題はそういう段階に至った時、それは既にパソコンがユーザーから飽きられてきた、というか次の段階のマシン(というかガジェット)が出てきてしまっているということなんだな。多分、これからのメーカーはパソコンの進化よりはウェアラブルの進化に注力するだろうし、メーカーの中でもパソコンはオフィス仕様を中心にして、パーソナル仕様についてはPPMマトリックスにおける「金のなる木 (cash cow)」となって、あまり資本を注入しない分野になっていくのかもしれない。

 これは、いまだにパソコンをメインに仕事(ブログを書く)している私なんかにしてみれば、すごいチャンスが巡ってきたというわけである。

コンピュータの力を使いこなして生産的になるためには、必ずしもプログラミングを学ぶ必要は無い。自分の抱える問題を分析し、頻出するパターンをみつけ、それを自動化・省力化できないか考え、解決可能な方法を検索して探せばいい。パターンさえ見つかれば、自動化・省力化は可能だ。大事なのは諦めずに試行錯誤を続けることだけだ。そのための時間は惜しまなくていい。
  <中略>
 
パターン発見と解決を繰り返すうちに、もしかしたら、プログラミングだってできるようになっているかもしれない』

 という素晴らしい世界がやってくるというのもあるが、実は理由はもっと卑近なところにある。

 いまでも普及初期に比べるとパソコンはメチャクチャ安価な買い物になっている。「Lenovo IdeaPad Flex 10 \41,100」だって「Mac Book Air 11 \88,800」(いずれもビックカメラ.COM調べ)だって、昔のパソコンに比べれば、その性能からいって信じられない安さである。それが、パソコンが白物家電化することによって更に安く手に入るのである。

 勿論、それでも冷蔵庫や洗濯機が進化しているようにパソコンだって、少しずつは進化するのだ。昔、何十万円もパソコンに経費を投じ、しかしその処理能力の遅さにイライラしていた時期からのパソコン・ユーザーたる私にとって、まさに夢の時代の到来だ。

 いやあ、これからますます楽しみになってくるなあ。

 取り敢えずMac Book Air買っちゃおうかな、手始めに。

2014年11月 5日 (水)

11月6日からすがも中山道菊まつり開催

 明日(11月6日)からすがも中山道菊まつりが始まる。

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 今日はその準備状況などをお見せします。

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 とげ抜き地蔵(高岩寺)の境内にも菊が並べられていて、気分を盛り上げます。

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 地蔵通りの入り口、眞性寺(江戸六地蔵)には早くも菊の飾りつけが……。

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 これは因幡の白兎の菊人形か。

詳しくは、巣鴨地蔵通り商店街のサイトから

『通過者の視線』というより、森山大道ファンのあるべき姿について

『それは、今回撮った沖縄やかつて写した北海道の写真についても同じことで、それぞれの地域や地勢がもつ歴史や風土や現状がいかに異なっていようと、またそのときのぼく自身の思い入れがいかなるものであろうと、写真という名の一点において、写すぼくの視点に大きな違いはない。それはぼくが、自分の写真をすべて線上の流れのこととして捉えているからだ。言いかえれば、ぼくが五十年という時を掛けて覚えた唯一のカメラワークとは一貫して〝通過者の視線〟に他ならない』

 なるほどなあ、確かにあまり被写体との関係性を見せない、というか元々あまりないストリート・スナップという森山大道氏の写真はまさに「通過者の視線」なのかもしれないなあ。

Photo『通過者の視線』(森山大道著/月曜社/2014年10月10日刊)

 森山大道氏の写真(ストリート・スナップ)って、それが東京の新宿であれ、渋谷であれ、池袋であれ、また大阪であれ、はたまたサン・パウロであれ、パリであれ、結局写っているのは、同じような人の群れであったり、壁のポスターであったり、何かを恐れているような人びとたちの写真だ。つまり、すべての「ストリート・スナップは等価である」ということ。

 まさにそれは「通過者の視線」なのかもしれない。が、そこれ写されている人たちの誰一人として「幸せそう」な人がいないというのは何故なのだろうか。むしろ、何かを恐れているような人たちばっかりが写っているような気がするのは私だけなのだろうか。

 あるいは、人影が写っていない町の風景などの写真であっても、そこに写されているのは、やはり壊れかけた看板だったり、裏町のバーの裏さみしい看板だったり、茫洋とした荒野の姿だったり、いずれにせよ、そこに写されているのは「さみしさ」なのである。

『写真とは、所詮感情を持つ人間の所産であり、一枚のショットのなかに否応なく写されてしまう個の思考、個の生理、個の性癖、個の記憶、個の美学、個の情緒などといったさまざまな属性を、いったい写真かはどこまで削ぎおとすことができるのか、あるいはそれじたい可能なことなのかと、ぼくはとまどいつつくりかえし考える』

 といいつつも、同時に

『カメラはもともとコピー機に過ぎないし、少なくとも。路上をテリトリーとするカメラマンにかぎっていえば、目前に生起するあらゆる事象と、そこに流れる時間とを一瞥しつつ、瞬時写し止める人種に過ぎない。いわば、目のアルチザンである』

 と書く。

『未来はとめどなく現在(いま)に流れてきて、現在(いま)は瞬時にして過去へと流れ過ぎてゆく。いまという時間との交差なくして過去も未来もありえなしし、逆に、過去と未来の照合なくしていまもありえない。過去とは、単に過ぎ去りし懐かしい日々ではないし、未来もまた、開かれた夢の領域でもない』

 と、それをまとめるのであれば、まさしく「写真」とは「未来→現在→過去」という具合に流れていく「時間」を捉えたものなのではないか。

 であるからこそ、宮本常一という民俗学者が撮影した、膨大な日本の様々な土地の写真を前にして

『フィールドワークとカメラワークとフットワーク。目に映る全部が自分の民俗学の世界だとはっきり思っていた人ですね。この人ほど一種物狂いというか撮り狂った人は、プロカメラマンでもいないんじゃないかなおそらく。ぼくなんか歩いて撮っているほうですがそれでもやっぱりかなわんと思うから……』

 という結論に達するのである。

 民俗学者の写真とプロカメラマンのストリート・スナップとはどう違うのか?

 実はたいして違わないのである。宮本常一が撮影してきた数多くの写真と、森山大道氏が撮影してきたこれまた数多くの写真を見比べてみると、それはあまり変わりはない。大きな相違点は、基本的に人が写っている場合は、宮本常一の場合は被写体は基本的にカメラの方を向いて撮られているのに対して、森山大道氏の場合は、カメラに正対している被写体はほとんどないといっていいだろう、という違いがある。

 これは当然、「民俗学の資料として撮らせてください」といって撮った宮本常一と、街に繰り出していって、勝手に街を歩いている人たちを瞬時に「盗撮」するストリート・スナップの違いなんだからしかたがない。ところが写されている事象や人たちの行いは基本的には変わりはないのである。つまり、ストリート・スナッパーと民俗学者はどちらがどうということではなく、写真を撮るという行為においては、さほど変わりはないということなのかも知れない。

 じゃあ、森山大道氏が民俗学者になれるかといえば、そういうことではない。結局、写真家は写真家でしかなく、民俗学者のようには、後に自分が撮ってきた写真を分析したり、写真を撮りながら聞いてきた話を体系的にまとめることはしないのだろう。

 で、結局、写真家は写真家のまま、相変わらず貧乏暮らしに甘んじなければならないし、同時に、民俗学者もまた貧乏な人が多い。

 それはそれで仕方のないことなのかもしれないな。

 だって、民俗学者もストリート・スナッパーも、基本的にコストのかからない職業なんだもんなあ。ストリート・スナッパーにはモデル料もスタジオ料も必要ないし、民俗学者も研究対象は市井の人たちばかりなのだ。

 で、沢山写真を撮ってきても、結局その写真群が役に立って、その後、遺族なんかに印税が入ってくるのは、民俗学者やカメラマンが死んで後のことだ。

 まあ、最近の森山大道氏の、撮影以上に旺盛な出版活動というのは、もしかするとそうした死期を感じている森山氏自身の自らの家族に対する、これまでの贖罪なのかもしれない。

 だとしたら、森山大道ファンとしては、これから出てくる森山大道写真展ではそのプリントを買い、森山大道写真本はすべて買わなければいけないのではないか。

 う~む、森山大道ファンをやっていくのも大変だァ。

『通過者の視線』(森山大道著/月曜社/2014年10月10日刊)

2014年11月 4日 (火)

山古志牛の角突き 本年最終場所

 11月3日は山古志闘牛の本年最後の場所。実は前日に小千谷でも開催されていて、本来ならば二日連続で闘牛を見る筈だったのだが、残念ながら11月2日は関東学生アメフトの試合があって、我が家は基本的にそれが優先なので、見られなかったというわけ。

 で、11月3日に山古志まで行ってみると、なんと外気温9℃、雨。「晴れ、22℃」の東京からいきなり冬である。前日、長岡の天気を調べたが「曇り時々雨、13℃」だったのだが、考えてみれば、その予報は長岡市内の予報であり、山の上にある山古志の天気ではなかったのだ。

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 まあ、冬装備はしていったので、まあ、なんとかなったが、それでも寒く、本来ならば冬山装備で行った方が良かったかも。

 そういえば、何年か前にやはり11月3日に山古志に行こうとして、闘牛場の10kmほど手前で雪のため、泣く泣く帰ってきたことがあったっけ。

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 昨日は最後の場所ということで、長岡の子どもたちによる「闘牛ダンス」なんてのも披露された。

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 ことし最後の場所ということは、この勢子にして名解説者、なおかつ「山古志・牛の角突きブログ」の主である「あっちゃん」の名調子も、あと半年は聞けなくなってしまうんだなあ。

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 ということで、ブナ林も色づいて深秋の闘牛場で競技開始!

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 我々人間にとっては寒い気候だが、牛にとっては寒い方が動きが活発になるそうで、昨日の場所はそれぞれ活発な活動量を誇る牛たちの壮大な戦いが随所に見られた。

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 こんなに相手の牛にのしかかったり、なんていうシーンもいくつか見られた。

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 で、そんな我が牛の闘い方を反省し、牛と語らっている牛持ちの姿も……。

 と、そんな時にアクシデント発生! 16番、充号対隼号の闘いの最中に暴れまわるが勢子の一人に「馬乗り」になってしまう。何しろ1トン余りもある牛に乗られてしまってはたまらない。

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 その勢子は救急車で搬送されることになった。まあ、意識はあったので打撲程度で済んだのかも知れないが、こうして牛と山古志村の人々の絆は更に深まっていくのだろう。

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 昨日の取り組みで最高だったのは、18番で出てきた黒龍だ。物凄い勢いで入場ゲートから飛び出してきたと思ったら、即、対決である!

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 で、本日の、ということは今年の結びの一番は「魚沼号対陽都大王」。横綱同士らしい一番で、場所を〆た。

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 で、上記と関係ないのだが、毎場所数頭の「柿乃花○○」と名付けた牛を引き連れて参戦するのが、この名物おじさん。岩手は柿乃花牧場のオーナー、柿木由松さんなのだ。

 ということは、地元、岩手の闘牛ではかなりな大物なのだろうな。

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 ようし、来年は岩手は平庭高原まで闘牛を見に行こうかな。

 最後に、取組表と一緒に配られた「ご来場の皆様へ」を掲載する。

「ご来場の皆様へ

 この度、震災10年牛の角突き大会にお越し頂き、誠にありがとうございます。
 10年前、新潟県中越大地震に見舞われ、絶望の淵に立たされたあの日、全国からたくさんの激励をいただきました。その励ましに後押しされ、私たち、牛仲間は誓い合いました。「また、角突きをやろう ふるさとの復興のために まずは自分たちが立ち上がろう」と。
 翌年、避難先での仮設闘牛場ではありましたが、例年どおりに角突きを行うことができ、震災からわずか2年後の平成18年には、自分たちのふるさとの地、山古志で角突きを行う事ができました。たくさんの悲しみや苦しみが渦巻く中、皆さんからの温かな支援に応え、牛たちも力強く戦う姿がありました。今日までたどり着けたのも、ひとえに多くの方からのお力添えの賜物と思っております。
 これからも、私たち一人ひとりが出来る事を、お互いに手を取り、力を合わせ、千年の歴史をもつ山古志牛の角突きを後世へと受け繋いでいきたいと思います。今後も末永く、温かく見守って頂き、変わらぬご支援の程、よろしくお願いいたしますとともに、皆様に心より深く感謝を申し上げまして、ごあいさつとさせていただきます。

   震災10周年牛の角突き実行委員会
   実行委員長 松井 治二」

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm, SIGMA DG 150-500mm APO HSM @Ymakoshi (c)tsunoken

2014年11月 3日 (月)

東京ゲーテ記念館とゲーテの小径

 本郷通りが名前を北本通りに変える飛鳥山交差点の一つ手前が西ヶ原一里塚の交差点。そこから西ヶ原三丁目まで降りてくる緩やかな坂道の名前が「ゲーテの小径(こみち)」です。

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 えっ? 何で「ゲーテの小径」なんだろう? と周囲を見回しても、別にドイツっぽい雰囲気があるわけでもない。

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 ごく普通の日本の小径にすぎないのだが……

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 実は坂の中ほどに「東京ゲーテ記念館」という建物があります。つまり、それが「ゲーテの小径」の由来。

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「東京ゲーテ記念館」って何だ? とお思いでしょう。

 実は実業家の粉川忠という人が、1949年にゲーテの生誕200周年を記念して、「ゲーテの精神的遺産を継承発展するため」の研究機関・資料館として北区王子に「財団法人 東京ゲーテ協会」を設立、1952年、渋谷区上通りに移転して本格的な活動を始めます。1988年、現在地(東京都北区西ヶ原2丁目30番1号)に移転し新館を落成し、名前を「財団法人 東京ゲーテ記念館」と改めました。

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 東京ゲーテ記念館には、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの基本原典をはじめ、初訳本、研究書、雑誌、新聞切り抜きなど総資料数15万点を収蔵。専門家だけでなく、一般向けにはギャラリーで「ゲーテ入門」の一助として資料の一部を展示・紹介しています。

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 しかし、何でゲーテなの? という疑問が湧いてきます。

 つまり、ゲーテ記念館を作った粉川忠という人物なのですが、茨城県出身で、茨城師範学校(現在の茨城大学教育学部)在学中に「ファウスト」に感銘を受けて、ゲーテ関連の資料を収集し始めて、自宅にゲーテ文庫を作り始め、戦後になって「ゲーテ協会」を設立させ、その功をもって平成元年に吉川英治文化賞を受賞した人なのであります。

 まあ、戦前の旧制高校生あたりにはこうしたゲーテの「ファウスト」や、ヘーゲルやカントの哲学なんかの影響を受けた人が、結構沢山いたってことですね。

 ちなみに、映画評論家の粉川哲夫さんのお父さんが、この粉川忠氏であります。

 う~ん、戦前の実業家ってこうやってちゃんと事業で稼いだ分を社会に返してきてるんだなあ、としばし感心。

東京ゲーテ記念館の公式サイトはコチラ

2014年11月 2日 (日)

『壇蜜日記』私は東洋人だがアンダーヘアがない

『壇蜜日記』である「だんみつ」……って、思わず「セクシー」な言葉だけを拾って読みたくなってしまうなあ。

Photo_2『壇蜜日記』(壇蜜著/文藝春秋/2014年10月10日刊)

 で、ihayato氏お薦めの方法で、Amazon Kindle HomeのサイトでYure Highlightをクリックして私がつけたブックマークを表示。それをワードにコピペして、書体をMSゴッシクに変換したのが以下の引用部分だ。

 結構、これって使えるなあ。そうか一度ワードにコピペすればいいんだ。

『私は東洋人だがアンダーヘアがない。生まれてから12年ほど経過して、31歳を迎えるまでのおよそ20年の付き合いだったあの毛に昨年別れを告げた』

つい先日シラフでセックスが出来ないと言われ少し悲しくなったことを思い出した』

『確実に異性の好みは相容れない。彼女は分かりやすいほどメンクイで、私は分かりやすいほど……まあよいではないか』

『「字の汚さは心の汚さ」「口の歪みは心の歪み」……そんなことをよく言われる。字も汚ければ口も歪んでいる私は両方に当てはまる。当たっているので仕方ない。

御殿場へ行く。サーキット場が現場だったが、車のほとんど走っていないサーキット場というのは墓場のようだった』

「芸能界の椅子、ここが空いてると思った?」  私「椅子は自分で作りました。だからすぐ壊れても仕方ないですね」』

焼肉食べてホテルいったなあとか、お寿司食べてホテルいったなあ、とか。結局最後はホテルで過ごしていたことが多かった。お互いが実家住まいだったので必要に迫られてはいたが、ラブホテルは非日常空間が楽しめて好きだった。昔お世話になったラブホテルは健在でほっとした』

それ売女じゃないなあ。お金もらってないもの』

大きいパンツをはいて湯たんぽを抱きしめ猫と眠る、そんな生活を送るとは学生の頃は夢にも思っていなかった』

何故、かしこまって座る「ニュースステーション」の元キャスターの隣で、「いつものセクシーポーズ」とやらをとれというのか先ほどのカメラマン』

私はどう思うかと聞かれたので、服を着ないのはどうかと答えた。ヌーディストビーチの平和性を世界にも応用できないかと考える。純粋にヌーディストビーチに行きたいだけなのだが』

『説明責任……私はこれを別れ際の恋人に求められたことが数回ある』

「ダンミツだ! やばいマジウケるんですけど」や「生ダンワロタ」』

お金がないという事は、眠いという事と近い気がする。制作費が少ない→人手の割にはその日にこなす業務が増える→制作、タレント共に労働時間が長くなる→経費削減、時間短縮で落ち込む様な食事と食事時間の短さ→能率低下→朝までコース→眠』

ちなみに一番最悪だったのは、セックスをしていて逃した事。無論初回配達時の話だが』

勉強不足は仕事するな、は今は言わないでもらいたい』

そんなに価値のあるタレントじゃないのは分かっています、だけどもう少しだけ褒めたり笑ったり優しくしてもらえないでしょうか……って、となりの人に言えたら』

私に関していうなれば、「壇蜜似の美人」だろうか。痛ましい評価だ』

するのも、されるのも、同じくらい好きな事がこの世には多すぎるのだ』

セクハラ。33年もの人生でウェイトレス、水商売、グラビア……など、このような職業についており、しかも需要はどうあれ慰み者として生きることも自分の天命の一環と考えている女に語る資格のない項目だと勝手に思っている』

人前でセックスをした事がある……と取材で話す』

「品の無いことしてる奴に恥を説く権利なし」……私、権利無いのか』

仕事仲間に「もうスチールに堪えられる体じゃない」と言われる。相変わらず若さというものの価値を思い知らさせてくれるコトばかりいう男だ。「若くなければ表紙は出来ない」に続く名言を頂戴した。というわけで今日は壇蜜としての死亡記念日とする』

かつて付き合った人には大体2パターンの感想しか残らない。「次あったらお互い命の保証はできない」もしくは「土下座して謝って詫びなくてはいけないし刺されても文句言えない」』

「今週も袋とじなんですって? 羨ましいわ~」「いやですわもう、お恥ずかしいです」……違うか』

 いえいえ、まだまだ33歳なんてお若いですよ。壇蜜さんのセクシーさは全然問題ないし、もっともっと頑張って「露出」して欲しいもんだ。

 あ、「露出」の意味は二つあるんですがね。

 しかし、『人前でセックスをした事がある』というのは、ちょっと気にはなりますね。えっ、そんな「露出趣味」があったんだ。まあ、だから「露出」なんだ。写真の「露出」とはまた違った意味でのね。

『壇蜜日記』(壇蜜著/文藝春秋/2014年10月10日刊)

2014年11月 1日 (土)

Hitachi Innovation Forum 2014 二日目 大前研一氏講演『グローバル競争の考え方、日本企業の戦い方』 の苦言

 Hitachi Innovation Forum 2014、二日目はビジネス・ブレークスルー大学の学長、大前研一氏の講演『グローバル競争の考え方、日本企業の戦い方』だ。

 時期的な近さから、先日SEATEC 2014での基調講演と同じような内容の話になるのだろうか。

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 大前研一氏の講演の要旨は以下の通り。

『21世紀には新しい「秩序」を書く者が勝つ』

『戦う空間が4つに拡大し、産業の垣根が消えた
21世紀の富はプラットフォームが作る
ポイントは
クラウド・コンピューティング
クラウド・ソーシング
クラウド・ファンディング だ』

『「アウト・ソーシングによって一人でもメーカーを立ち上げることが可能になったし、小ロットでも採算がとれるようになる』

『インターネット空間とリアル空間が融合し、消費者をポイント経済圏に囲い込んで、オフラインtoオンライン、オンラインtoオフラインが可能になる』

『これからは「人がすべて」であり、20世紀は「人の数と質」が一番だったが、21世紀では「尖った人」が大事になる』

『構想力が大事→人材採用と育成の多様化が現れて、学卒でいい学校ばかりを採用する企業はダメになってくる。高校生であれ、中学生であれいい人材はすぐ採用し、場合によってはクラウドから人材を採ってくるようになる』

『21世紀は、すべての企業がテクノロジー企業になる』

『たとえば現在世界一の農業国はオランダだが、オランダは耕地面積は少ない。問題は「工業的な農業」を行っているということ』

『マーケットに合わせるのではなく、APPLEやテスラのようにマーケットを作っていく、という考え方が重要になるだろう』

『その為には、いろいろな国を知ってほしい。
 例えば、
エストニア
ベラルーシ
インド
フィリピンなど

 またいろいろなサイトを知ってもらいたい
 例えば
oDesk
Linkedin
InnoCentvie
Crowd Works
BBT airCampus
AirSearch
MBA with mobile など』

 なんか最後の方は大前研一氏関連のサイトばかりになってしまているのが、ちょっと気にはなるが、まあ基本的にはCEATECの基調講演と同じ方向性の講演となった。

 基本的にはグローバル競争に打ち勝つ人材になるためには、その人間のプロデューサー能力を高めるのが一番であり、例えば

『相手国の社会的基盤を手伝う……例えば、私鉄でスラムをなくす(日本の私鉄のあり方)
日本の大問題を解決する……少子化対策として戸籍制度の撤廃をする(婚外子が多くても気にしない)
世界の産業プラットフォームを構築する(企業版SNSなど)』

 こうしたソリューションを提供できるプロデューサー能力を高めるというのが、一番の道であるということ。まあ、上に挙げた問題なんかは日本人が得意とする分野であるし、「人のために働きたい」と考える人の多い日本には一番向いているんじゃないか。

 最後に日立に一言苦言。

つまり「Inspire the NEXT」という日立の企業モットーはやめて欲しい。まあ「Make it possible with Canon」よりはまだましだけれども、こうした「英語になっていない(変な)英語」を使ってグローバルに戦っている気になるのはやめましょう、ということである。

 というか、こうした変な英語を使ってみても何の恥じらいもないところが、日本企業が世界で戦えない本当の理由なのかもしれない。

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Fujifilm X10 @Kajibashi Chiyoda (c)tsunoken

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