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2014年10月24日 (金)

『蛇にピアス』って、ごくごく普通の映画なんだよなあ

 吉高由里子といえば今や『花子とアン』で国民的女優になってしまったが、その初主演作がこの『蛇にピアス』だったんだな。

 私にとって吉高由里子といえば、『ロボジー』(2012年)に出ていたロボットおたくの可愛いらしい女子大生というイメージだったので、それに先行してこんな役をやっていたというのは、却って新鮮であった(というか、私が知らなかっただけなんだけどね)。

Photo『蛇にピアス』(金原ひとみ:原作/宮脇卓也・蜷川幸雄:脚本/蜷川幸雄:監督/宇野康秀・長谷川安弘・梅川治男:製作/2008年9月20日公開)

 ストーリーは、神経症的な渋谷ギャルがスプリット・タンのパンク兄ちゃんとこれまたパンク刺青師の間を右往左往するだけのお話しで、これが小説ならばポルノ的な読み方も出来るし、その辺が芥川賞の選考委員の石原慎太郎をして「今回は該当作無しでも良かったんじゃないか」と、自らの「勃起した陰茎で障子を破る小説」を忘れて言わしめた理由なんだろうけれども、映画として画像が固定されてしまうと、残念ながらそのソフト・コア的な表現もあってあまりインパクトの強い作品にはならなくなってしまう。

 吉高由里子が大胆演技っていったって、今やこの程度の演技は普通だろうし、セックス・シーンもちょっと変? だって、ルイ(吉高由里子)と若僧のパンク兄ちゃん(アマ/高良健吾)とのセックスの時は基本正常位なので普通なのだが、もうひとりのパンクおじさん(シバさん/ARATA)とのセックスは後背位がセックスのスタート時の基本なんだが、その際にルイは体を伸ばしているわけで、この体位ではシバさんのペニスがルイの膣には届かない筈だ。ルイはもっと背中を丸める形にならないとセックスにはならない筈なのだがなあ。その辺、今日見た『ニンフォマニアックⅠ』は……、ってそれはまた後日。

 と、まあそれは蜷川演出の問題なのだが、結局、蜷川幸雄としては実際に出来る形のセックスではなくて、イメージとしてのセックスなのだからそれでいいのだろう。けれども、観ている我々は下衆なんだから、やはりあの姿勢でのセックスはおかしいよなあ、と考えてしまうのだ。それにペッティングもしないでペニスを突っ込んじゃあ、お互いに濡れていないし、痛いだけでしょ。「19歳、痛みだけがリアルなら、痛みすら、私の一部になればいい」というのが映画のキャッチコピーなのだが、その「痛み」と、ペッティングをしないだけのセックスの「痛み」とは意味が違うでしょ。

 どうも蜷川演出は、もともと舞台の演出がベースになっているので、こうしたアタマでっかちな演出が多い。映画の演出は「本当はやっていない」という部分をお約束で演出家・俳優・観客が共有している舞台の演出とは異なり、もしかしたら「本当はやっているかもしれない」ということを思わせるのが映画の演出だ。

 映画の演出の基本はリアリズムである。セックス描写に関してはリアリズムに徹することになれば、それは実際にセックスをしている場面を撮影するわけになるので、本来は「ハードコア」というのが映画の究極のセックス描写になってしまうわけなのだが、そうは役者事情やらなんやらでそうはいかないので、「ソフトコア」になるわけなのだが、だったらR15なんていう思わせぶりな表現はやめて、普通の映画として公開するべきなのではなかったのえはないだろうか。

 と、まあそれは演出家側の事情ではなくて、プロデューサー側の事情なので、別に蜷川氏の責任ではないが、その辺はどこまで監督とプオロデューサーで話し合いを進めていたのだろうか。まあ、多分最近の「製作委員会方式」のあり方では、多分、そんな話は全然していないんだろうな。

「製作委員会方式」のいけないところは、勝手に金を出した会社の代表者(担当者)がいろいろシナリオの細かいところにまで口を出すが、その結果については責任を追わないというところである。で、結局、それから先は製作現場に丸投げしておしまいということなのだ。シナリオに口を出す以上はそこから先の製作現場にも常に顔を出して、製作方法にも口を出すべきなのだが、そんなことをする出資者側のプロデューサー(ったって、それはプロデューサーではなくて、単なる出資者側代表であるにすぎないのだけれども)はまずいない。

 基本的に出資者側のプロデューサー(というか担当者)は下衆である。なので、その下衆の担当者としては、もっともっと下衆になって「本当にヤッっているように見えるセックス」を要求すべきなのだが、それはそれで後の反応が怖いので何も言わないのだろうな。で、結局映画は中途半端な映画になってしまう。映画はもっともっと究極の演技を見せなければならない。でなければ、結局セックス描写ではアダルトビデオに負けてしまうのである。

 アダルトビデオになくて映画にあるものは、基本、キチンとしたストーリーである。良くできたシナリオに沿ったストーリーがあって、そして本物のセックス描写があれば、多分、アダルトビデオにも負けないセックス映画が出来るだろう。俳優たちもそれに応えるだけの演技をする、あるいは製作者側の配慮でうまい具合に性交場面だけはスタンドインを入れて、うまくつなぎのカットをいれるなどの工夫をする、などの方法でそれはそれで基本的に面白いセックス映画はできる筈である。

 まあ、そうなれば蜷川演出のような(映画的には)中途半端な映画はできずに、もっともっと真に迫ったいいセックス映画が出来る筈だ。実相寺映画みたいにね。

 蜷川幸雄氏はもうちょっと実相寺映画を研究してみる価値はありそうだ。

『蛇にピアス』(金原ひとみ:原作/宮脇卓也・蜷川幸雄:脚本/蜷川幸雄:監督/宇野康秀・長谷川安弘・梅川治男:製作/2008年9月20日公開)

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