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2014年10月

2014年10月31日 (金)

Hitachi Innovation Forum 2014 ロジャー・パルバース氏講演『日本は、世界を救う?』

 HITACHI Inspire the Nextの日立製作所が主催するHitachi Innovation Fprum 2014の講演、作家で演出家のロジャー・パルバース氏の『日本は、世界を救う?』を聞いてきた。

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 ロジャー・パルバース氏は1944年、ニューヨークはブルックリンのユダヤ人の家に生まれた。1964年に初めて外国旅行をしたのだが、その先は当時フルシチョフが首相を務めていたソ連(現ロシア)だった。

 その当時の思い出は、ソ連共産党の機関紙「プラウダ」に掲載されている政治家の演説だったそうで、各パラグラフの終わりに、必ず「嵐のような拍手」というのが書かれていたそうだ。まあ、フルシチョフになってスタリーン批判を行ったわけであるが、それでも大政翼賛会的状況は変わっていなかったということである。その後、ワルシャワ大学へ留学したのだが、そこでスパイ事件に巻き込まれ、自身はスパイではなかったが、それでもベトナム戦争に対する反発もあり、アメリカを離れ1967年に初めて日本へやってきた。

 67年に京都産業大学でロシア語とポーランド語を教え、72年にオーストラリアへ行き、そこでオーストラリア人に帰化した。

 その当時、日本人は「エコノミック・アニマル」と呼ばれ、同時に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とも言われたのであるが、パルバース氏に言わせれば、むしろ「エコノミック・アニマル」は日本人ではなくてアメリカ人のことではないか、ということである。つまり「経済が第一」という考え方は基本的にアメリカ人の考え方だというのである。

「失われた20年」という考え方がある。つまり1991年のバブル崩壊から立ち直っていない日本経済のことをいうのであるが、その後のアベノミクスがなんとかそれを立ち直しているように見えるが、それもパルバース氏にいわせると「アベノミクスは氷山なき氷山の一角」だというのである。つまり、その下に氷山がないけれども、表向きは氷山の一角があるように見える、マボロシだといういうのである。確かに、アベノミクスは何ら実体がない「掛け声」だけの経済政策であり、表面的には量的緩和はあるが、それだけであり、その「気分」だけで円高と株価高が演出されているという、経済の実態を伴わない、「気分だけの好況感」であるのは確か。まあ、それでも株価が上がるのはいいけどね。しかし、それが働いている者の実感にはなっていないというところが問題なのだろう。

 明治の歴史を振り返ってみると、明治元年から20年間、明治45年の歴史から見ると明治時代半ばまでは日本は停滞の時代だった。つまり、明治の失われた20年だったのだ。まだ、日清戦争の前である。日本は、あるいは日本人のアイデンティティは確立されていなかった。その頃、日本の隣国は疲弊していた。その結果、日本は帝国を作った。

 今はそうではない。

 しかし、今、中国とアメリカの両方を深く理解しているのは唯一日本である。だから、その間に立って日本人独特の外交が必要なのではないか。

 その為には、日本人自身が日本の文化に自信をもって、外国に向かって発信していくことではないだろうか。それが今は中国がやっている。しかし、アメリカはキリスト教だし、中国は共産主義という「思い込み」がある。その観点からいえば日本は世界で一番大きな「世俗的民主主義国」である。日本人は宗教は大切にするが、だからといってその宗教に影響されているわけではない。この特定の宗教やイデオロギーに染まっていない日本という国の国民はなんて素晴らしいのだろう。

 現在「MASK」という現象がある。「M=マンガ、A=アニメ、S=寿司、K=カラオケ」なのであるが、例えば、今世界中の若者は寿司を食べたいと思っている。ところが、世界中の寿司屋は韓国人が経営しているものが多い。つまり、日本人は日本文化や日本語が世界に対する普遍性がないと思っている。

 例えば、日本語はあいまいな言語で、日本人たちの「以心伝心」は外国人には分かってもらえないのじゃないか、と考えている人たちが多い。しかし、そうやって外国人にたいして日本文化を伝えないようにしていると、失われた20年は30年にも40年にもなってしまう。

 もはや大事なのは経済や政治ではなく、文化だ。

 いかにして、日本文化を伝えるのか。

「今の若者はねえ」

 という言葉をよく耳にするが、問題は今の若者ではなくて、その上の世代が彼らが本当に進めるような道を作っていなかったのではないか。自分たちが経済的に豊かになることだけを考えて、先祖から過去を受け継ぐのではなく、子どもたちから未来を借りるという発想を持っていなかったのではないだろうか。

 宮沢賢治が生まれる少し前に大地震があって2万人の人が死んだ。賢治が亡くなって直後にも5千人の人がなくなる地震が東北地方にはあった。しかし、賢治はそういった大きな事は書いていない。何故か?

 彼の作品には「勧善懲悪」はない。それは大きすぎて書けないのだ。問題は「大事なのは一人一人の関係」だけだ。沢山の人を助けたいとなると、政治家の美辞麗句になってしまう。問題は、そんなことではなくて、人ひとりひとりの関係だけなのである。

 人間にはNarrative(説話)というものがある。ユダヤ人には長い長いnarrativeがある。その中でもホロコーストがいちばんの中心的要素である。

 日本人にも広島、長崎があるはずである。ところが日本人は広島、長崎をNarrativeにはしなかった。もししえちたら、福島(原発)はなかっただろう。

 これからの世紀は、知識は過去を語る情報ではなく、未来を予言する道具になる。先祖から過去を受け継ぐのでなくて、子どもたちから未来を借りるのだ。

 そう考えて、日本文化を世界に発信することによって、「日本が、世界を救う」になって欲しい。

 ということで、日本通のパルバース氏らしく

「ちょうど、時間となりました」

 という浪花節の一説で、講演を終えたのであった。

Hitachi Innovation Forum 2014は昨日と今日開催。公式サイトはコチラ

2014年10月30日 (木)

ウイスキーと私

 世の中「マッサン」である。

 って、ついこの間まで村岡花子、村岡花子って言っていたのに、まあ軽薄なこと……、って私のことなんですがね。

Photo『ウイスキーと私』(竹鶴政孝著/NHK出版/2014年8月30日刊)

 本書は、昭和47年にニッカウイスキーが発行した単行本「ウイスキーと私」(非売品)を改訂復刻したものである。が、しかし充分エンターテインメントの本として読める内容になっている。まあ、それだけ竹鶴氏の経験は波乱万丈だったんだな、ということなのかも知れない。

 連続テレビ小説「マッサン」は、マッサンとエリー(リタ)が日本に来るところから始まるが、この本ではそれ以前の「竹鶴酒造」(テレビでは亀山酒造)に生まれた政孝氏から話は始まっている。造り酒屋の三男坊に生まれた政孝は、上の二人が家を継ぐことを嫌った為、大阪高等工業(現在の阪大)の醸造科に進む。

 学校で洋酒に興味を持った政孝は、大阪にある摂津酒造(住吉酒造)に入社し、摂津酒造で「赤玉ポートワイン」を作っていた関係から鳥井信治郎(鴨居欣次郎:堤真一)と知り合い、その後に竹鶴が寿屋入りするキカッケになったのは、テレビの通り。住吉酒造の一人娘・田中優子(相武紗季)という娘がいたのかどうかは、本書では知る由もないが、まあその辺はリタの手前もあってあまり深くは書かなかったんだろう。

 当時は第一次世界大戦のさなかで、日本経済は大変潤っていた。

『当時の好況ぶりは、世界大戦のおかげで大変なもので、輸出はどんどんふえ、輸入は殆どふえなかったから、日本のもうけはすばらしかった。歩が金になるいわゆる〝成り金時代″であった』

 ので、摂津酒造の阿部社長(住吉酒造の田中社長)から竹鶴は言われた。

『竹鶴君、君はスコットランドに行ってモルト・ウイスキーを勉強してくる気はないか。わが社のウイスキーは今は売れているが、いつまでもイミテーションの時代ではないし、品質にも限界がある。君にその意思があれば本場の英国に留学してその技術を習得してきてほしいのだが』

 で、まあそれが竹鶴政孝とジェシー・リタ・カウンとの出会いになり、二人は恋仲となり、結婚するのであるが、その二人の結婚式に摂津酒造の阿部社長が列席するのである。

 つまり竹鶴の実家ではスコットランド人との結婚には大反対で、結局、阿部社長がスコットランドに行って様子を見てくるということになり、阿部社長のお眼鏡にかなって

『優しい人だし、それになかなかの美人だね。日本に連れて帰るように』

 ということになったそうだ。

 だとすると、実家の母(泉ピン子)の猛反対や、優子のエリーいびりはなかった筈である。ということは、やはりあれはテレビ向けの演出であったのか。まあ、実際の波乱は日本とスコットランドという遠く離れた場所ではあったようだが、それではテレビ的には「絵」にならないので、そのすべてが日本であったような演出になっている訳だな。

 まあ、竹鶴政孝とリタは既にかの地で結婚式を挙げているわけである。そんなものを帰国してからいちいち反対したり、嫁いびりみたいなことをしたって手遅れなのだ。というか、そう言えば、テレビでは正春とエリーの結婚式のシーンはなかったなあ。テレビでは帰国前に結婚していたのか、帰国してから結婚したのかがはっきりしていない。ちょっと、それは気になる。

 まあ、いずれにせよ、政孝とリタの日本における夫婦生活はそんなに波乱万丈ではなく、普通に始まったようなのである。

 その後の、サントリーおよびニッカのことに触れてしまうと「ネタバレ」になってしまうので、その後の『ウイスキーと私』のストーリーには触れない。

 で、本書の最後の方に「竹鶴コラム」というのがあって、そこに「ウイスキーの正しい飲みかた」というのがある。なにしろ、日本で最初にスコットランドに行ってウイスキーの作り方を学び、日本で最初に本格的なスコッチウイスキーを作った人だ。それは傾聴に値するだろう。

『ウイスキーの香りをかぐとか、味を味わうという意味ならば、ストレートがいい。ところが、これを毎日やっていると、胃の粘膜を刺激しすぎる。刺激しつづけると胃をいためるおそれがある。だから、毎日飲むような人は、ストレートは避けたほうがいい。
 こんな人向けには、水割りが適している。水でうすめて、アルコール分を十二度から十三度ぐらいのあいだにする。
 つまり、ウイスキー〝一″に対して水を〝二″、倍量の水でうすめるのがよい。これなら、毎日飲んでも、胃の粘膜をいためることはまずない。
 水割りには氷をいれてもいいが、あんまり冷やしすぎてはダメだ。ビールでもあんまり冷やしすぎたのでは味が落ちるように、ウイスキーにも適温というのがある。ビールと同じ、摂氏八、九度が適温である>
 水割りの水はm何といっても井戸の水がいい。
 そうした意味からいえば、オン・ザ・ロックはあまり感心しない。あんまり冷やしてはせっかくの香りが消えてしまう。
  <中略>
 たとえばアメリカ人はストレートのまま飲んで、あとから水を飲む。イギリス人は、水でうすめて、それから飲む。これはイギリス人のほうが正しいと思う。
  <中略>
 しかし、これはしょっちゅう飲んでいる場合であって、たまにしか飲まない人であれば、好きなようにお飲みになって結構。飲みかたにこだわる必要はあまりない』

 ということ。

 基本は「ウイスキー1に対して、水2」の割合で飲むのが一番ウイスキーの味がわかるということらしい。

 10月6日のブログで書いた小樽のバーテンダーの話では、マッサンは『ストレートかトワイスアップ(小さなグラスにウイスキーと水を1:1)で飲んでいました』とあるが、やはり一般人に薦めるのはもうちょっと弱くしたウイスキーなんだな。かといって、「銀座の水割り」みたいに「ウイスキー1に対して、水9」なんてまったくウイスキーの味がしない飲み物はダメですがね。

『ウイスキーと私』(竹鶴政孝著/NHK出版/2014年8月30日刊)Kindle版も出ている。ついでにテレビ小説版『マッサン』もKindle版で紹介。

2014年10月29日 (水)

荏原中延商店街―『路地裏の資本主義』実践編

 昨日の『路地裏の資本主義』を書いた平川克美氏は株式会社リナックスカフェの主宰者である。リナックスカフェはWebサイトの制作をしたり、業務支援システムの構築、社史・広報誌・パンフレットの制作や、イベントの企画・運営をしたり、平川氏と内田樹氏が一緒にやっていた翻訳をしたりしている会社だ。

 まあそんな会社なので秋葉原にあるのは当然と思っていたのだが、何と、荏原中延に移ったと『路地裏の資本主義』に書かれてあったので、早速、当地に行ってみた。

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 東急池上線の荏原中延駅で降りると

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 左に行けば中延スキップロードというアーケード商店街がある。その先は東急大井町線と都営浅草線の中延駅。

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 右に行くとサンモールえばら商店街。

 その他にも大井町線の駅前には中延駅前通り商店街があるし、スキップロードの途中には昭和通り商店街と浪花通り商店街というのが交差していて、なかなかに賑やかな商店街がいろいろある。

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 サンモールえばら商店街で中延美人の後をついていくと、ありました「リナックスカフェ」はサンモールえばら商店街の一つ裏の道にある、なんかしもた屋風の建物を使っている。いかにも、荏原中延の中小企業という感じ。

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 まあ、元々中小企業ではありますがね。それがまさしく『路地裏の資本主義』ではあります。

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 ということは、その近所にやはり平川氏がやっている隣町珈琲が有る筈って、すぐに見つかります。

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 元々、荏原中延で工場を経営していたのが平川氏の父上だそうで、昔はこんなところで学校に通い、友達たちと遊んでいたんだろう。

 とは言うものの、この町にも再開発の手は伸びていて、今はこんなマンションを建設中。

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 サンモールえばら商店街の裏の飲み屋街。

 どこか落ち着ける居酒屋とかバーなんかが集まっている。ここもいずれは整理されちゃうんだろうなあ。

RICHO GRDⅢ @Ebara Nananobu Shinagawa (c)tsunoken

2014年10月28日 (火)

『路地裏の資本主義』で、ちょっと残念なこと

 ポイントは「畢竟、資本主義って何なのだろう」というところである。

Photo『路地裏の資本主義』(平川克美著/角川SSC新書/2014年9月25日刊)

『実際に、株式会社の起源を調べていくと、十七世紀後半に、ロンドンの金融街エクスチェンジアレイのあたりに跋扈していた株の仲買人による、遠隔地貿易のための遠洋航海の資金集めのやり方の中に、今日の株式会社の萌芽的形態を見出すことができます』

『仲買人たちは、航海前の出資に一口乗れば、遠隔地の希少生産物や金銀財宝を載せて帰還したあかつきには、賭け金が膨れ上がってくると煽って、資産家や投機的な投資家を勧誘したと思います』

『当初の目論みが当たって、大金を集めた仲買人たちを見て真似する人たちが出てきました。そして一六六九年から九五年までに九十三社もの株取引が行われたそうです。投機熱が一気に高まっていったのでしょう。しかし、わずか数年後には、そのうちの二十社しか残らなかったということです。なかには詐欺同然に、お金だけ集めてとんずらしてしまったものもあったのでしょう』

『(南海泡沫事件の:引用者注)以後、百年にわたって株式会社は姿を消すのですが、産業化革命が始まって、再び株式会社のシステムが注目されるようになりました。産業機械が発明され、工場が建てられるようになって、大きな設備資金が必要になったからです』

 つまり、株式会社とか株式投資というものは、基本的にフィクションであるということだ。

 と、同時に

『株式会社が地球上に生まれたと同じ頃、人間はもうひとつの壮大なフクションをつくり出しました。想像の共同体として、のちにベネディクト・アンダーソンによって研究された国民国家です。国民国家以前には、封建領主や、国王たちが支配する地域同士が、それぞれ地域の権益を拡大するために、あるいは宗教戦争というかたちで、長く不毛な戦いを続けていたのです。
 一六四八年に終結したヨーロッパ三十年戦争の講和において、それぞれの地域を、国民を単位とした国家として国境の内側に定位し、それぞれの国家は独自の政治体制、経済体制、宗教によって統治されるが、お互いに他国の内政には干渉しないということを定めたのです』

 ということで、国民国家という、やはり壮大な「フィクション」が誕生したのだ。

 で、現在それがどうなっているのかと言えば

『近代社会は、国民国家というフィクションと、株式会社というフィクションの上に発展してきました。留意しなければいけないのは、この二つのフィクションの上でつくられてきたさまざまな制度は、すべて経済が右肩上がりに成長し、文明が都市化へ向かって進展するという背景のもとに考案されてきているということです』

『今日のグローバリズム隆盛の大本の原因を探っていくと、西欧先進国家において国家自体を成立させてきた、右肩上がりの環境が終わろうとしているというところに突き当たります。株式会社にとっては経済成長というバックグラウンドが必須の条件であり、経済成長の終わったところでは、資本と経営の分離という株式会社システムそのものが成立しなくなってしまうわけです』

 つまり、グローバル資本主義というかグローバリズムが、国民国家同士を分けている関税・非関税障壁を打ち破り、ついでに国境というものも打ち破り、最後は国家の持つ徴税権というものすら打ち破ってしまうだろう。そこで、その国民国家の住民たちは、最早国家が自らを庇護してくれることを期待できなくなってしまい、自らの命は自ら守らなければならなくなるという、まさしく「真のインターナショナリズム」の時代がやってくるというのである。

 それは生きやすい世界なのか、生きにくい世界なのか。

 当然、「経済における勝ち組」には生きやすい世界なのだし、「負け組」にとってはまことに生きにくい世界だといわざるを得ない。

 そこで、平川氏はそんな資本主義の世界に生きているけれども、資本主義の恩恵に与かれない「路地裏の小商い」に目をつけるのである。彼らは、営業的には資本主義的な営業をおこなってはいる。しかし、かれらのビジネスに投資しようなんてことを考える投資家・銀行などはいない。つまり、かれらのビジネスには「成長」がないからなのだ。キャピタル・ゲインはないからなのだ。でも、そんな成長しない「定常的なビジネス」にこそ、成長神話のなくなってしまったこの先進国におけるビジネスの基本があるのではないかと考える。

 それは近世までのビジネス感覚。日本でいえば、江戸時代までの商いの感覚である。地方の次男坊・三男坊が江戸の大店に丁稚奉公し、読書算盤を無給で習い、やがて手代となり、番頭となり、暖簾分けしてもらい、自分の店の顧客を大事にし、新たな客を獲得するよりも、それまでの客をいかに放さないでおくかというところで、商売がまわっていけばいい、という考え方だ。それこそ、現代でも町場の、あるいは路地裏の商店なんかの考え方でもある。

 ただ、その結果はどうなったのかといえば、残念ながら後継ぎはいないし、立地の良い商店はデベロッパーに買われて大規模再開発のための土地となってしまうのだ。

 で、結局、平川氏のいう「定常的な経済」は大資本の前になすすべもなく消えてしまう運命にある。

 で

『経済が停滞してから生まれてきた若い人たちの中から、リアリティのない成長戦略よりは、生き延びるための共生へと向かう人たちが現れてきています。
 シャアハウスという共有空間で暮らす若者が増えているのも、その一例でしょう。NPOを働き場所として選ぶ、あるいは地方で生きるという選択も若い人たちの間で志向され始めています。おそらくは、やむなく始めた生き延びる戦略の中に、定常経済への萌芽的な形態が生まれるように思います』

 ということになるのだが、結局、それは東京という先進的な都市では生まれないだろう。むしろ、地方都市の再生とともに、そのような生き方が出てくるのではないだろうか、という思いがある。

 東京という「大きくなりすぎてしまった都市」よりは、今や過疎に悩む地方都市の方に、今後の生き方が試されているのではないだろうか。

 基本的には平川氏のいうところのモノはすべて納得なのだが、一つだけ違和感を感じるところがある。

『株式会社というものは、利潤を追求さるために考案されたシステムである、およそそれ以外のことには無関心な組織です。もちろん、株式会社のメンバーは人間なので、人間の関心を反映させるような活動をすることはあります。しかし。株式会社の持ち主である(と想定されている)株主にとっては、株式会社に投資して金が増えて戻ってくることだけが関心事なのであって、株式会社がどんな風に運営されているのか、社会的貢献はしているのか、ステークホルダーたちの生活は守られているのか、社会的責任を果たしているのかということに関しては、二の次の問題であるか、あるいはせいぜいそういった活動が、利潤に直結するのかどうかに関心があるだけです』

 という見方は、株主活動に対する皮相な見方でしかない。

 つまり、キャピタル・ゲインだけを考えるデイトレーダーなんかは、自分が投資した会社が何をやっているのかなんかは何も気にしないで、ただただ、株価の上下にしか興味はないだろうが、多くの株主はそうでなく、自分が投資した会社がどんなことを行っているのか、どんな社会的貢献を行っているのか、どんな社員教育をおこなっており社員に対してどんな風に会社の利益還元をおこなっているのかに、結構気を配っていたりするのである。

「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一氏の5代目の渋沢健氏が言う「その会社の応援団になったつもりで、長期投資を」というのが、その考え方だ。

 勿論、その会社が成果を上げて儲かってくれれば上々なわけだけれども、別にそうじゃなくてもその会社の株を持ち続けている株主=その会社のファン、という存在も実は大きいのだということにも、すこしは気を配っていただけると、ちょっとは株主というものに対する偏見はなくなるのではないだろうか。

『路地裏の資本主義』(平川克美著/角川SSC新書/2014年9月25日刊)角川なので当然、電子版も出ている。

2014年10月27日 (月)

『仰天! 北朝鮮』は単なるネタのためのネタでした

 イケダハヤト氏の「イケダハヤトの書評記事の書き方を公開します」というブログを読んだ。

 で、この本もKindleで読んだので、その方法を真似て見よう。

Photo『仰天! 北朝鮮!! 毎日が「宣戦布告」 暴走国家の「無慈悲すぎる」お騒がせ事件簿』(J-CASTニュース著/ジェイ・キャスト/2013年10月29日刊)

「J-CASTニュース」というのは㈱ジェイ・キャストが運営する総合ニュースサイトで、基本的には自分では取材せずに、新聞のニュースをもとに、週刊誌的な切り口で記事を作成する「1.5次情報」を売り物にしている。つまり、新聞的な事実報道に、週刊誌的な立場を鮮明にしたクスグリを入れるというモノ。

 まあ、気楽に読んでください的なノリのニュース・サイトである。

 なので、こちらも気楽に読んでしまっていいのである。気楽に引用してしまってもいいのである。

 で、イケダハヤト氏の書評記事の書き方っていうのは、まずKindleで読みながら、気になる所をマーキングし、読み終わったら「kindle.amazon.co.jp」 というサイトにアクセスし、その「Your Highlights」をクリックすると、自分がマークした部分が全部出てくるので、その中で使いたい部分を自分のブログにコピペして、コメントをつければ出来上がり、一丁上がりという簡便なもの。ナルホド、そうやってイケダハヤト氏は書評ブログを書いていたわけなのか。

 私は、いちいちマークした部分をKindleの「メモ」を見ながらその通りに書き写していたので、かなりアナログなやり方で書いていたんだなあ。

 う~ん、確かにこの方法の方がラクだなあ。まあ、元ネタもJ-CASTニュースなのでお気楽に。

まずはこの記事から。

『ソフィーさんが最も興奮したのが、15インチのMacBook Proがあったことだ。「金総書記と私はラップトップの趣味が一緒とわかってとってもうれしかった」と書かれている』

『中央日報など各紙は2月4日までに、台湾・HTC製ではないかとの結論を導き出した』

 つまり金正恩氏が持っているパソコンがMacBook Proで、スマホがHTC製だという話。まあ、どんなパソコンやスマホを持っていようが、別に北朝鮮の外交姿勢にはなんの関係もないのだが、中国製のパソコンやスマホじゃないというところが面白い。しかし、MacBook Proを持つくらいなのだから、ズマホもiPhoneにして欲しかったのは私だけじゃないだろう。で、平壌にApple Soterはない筈だから、Appleの通販かなんかで買ったのだろうか?

『スマホ持ってるぐらいだから、こっそろオバマのTwitterとかフォローしてるんですかね』

 ってのはないだろう。

 だって……

『オバマ大統領に一つだけお願いしたい。それは「電話がほしい」ということだ』

 ということを、バスケットボールのロッドマンと会ったときに金正恩氏は言っていたそうなので、多分オバマ大統領のTwitterはフォローしていないだろう。してたら、直接返事をしちゃえばいいんだからね。

『この声明の内容はかなり大胆で、北朝鮮の国内向けネットワーク(イントラネット)に侵入したと主張。イントラネットはインターネットと切り離されていると考えられており、主張の信憑性にに疑問を唱える声も出ている』

『国外からの情報流入で政府批判が高まるのを防ぐ意味で、「光明」は、インターネットとは切り離されていると考えられる』

 というのだから、北朝鮮のネットワークにアノニマスが侵入してハッキングを繰り返しているというニュースは「どうかな」と考える必要はありそうだ。

 ただし、こんなことはありそうだな。

『国際的ハッカー集団「アノニマス」を名乗るインターネット利用者が北朝鮮関連サイトへの攻撃を繰り返すなか、その影響が日本にも及んできた。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の機関紙にあたる「朝鮮新報」のウェブサイトが攻撃を受け、登録読者のリストが流出する被害が確認された』

 これはありそうだな。

『正男氏が一貫して訴えていたのは、(1)世襲反対、(2)経済改革が必要、(3)後継者の正恩氏は、住民の生活を豊かにすることに重点をおいて欲しい、という3点』

 というのは、いかにも「自由人」であるところの金正男氏らしい言い方だ。

 というところまで書いてきて、しかし、なんか違和感を感じるんだよな。ああ、それは北朝鮮のニュースに関してじゃなくて、イケダハヤト流書評の書き方に関して。

 つまり、そうやって引用した文章はこのブログの基本であるゴッシク体じゃなくて、明朝体になってしまって、それも級数が小さくなってしまう。まあ、それでもいいやっていう人なら、それで済むのだが、私はそうはいかないのであるから、そここはやはり書き写してしまう。イケダハヤト氏のブログでは、ちゃんと引用部分もゴシック体になっているのだから、そんな風に書体や級数を変えるソフトがあるんだろう。

 それを探さなきゃ……、って、えっ? 北朝鮮の記事に関する結論はないのか、って?

 そんなもん、ありません。単なるネタなんだから。

『仰天! 北朝鮮!! 毎日が「宣戦布告」 暴走国家の「無慈悲すぎる」お騒がせ事件簿』(J-CASTニュース著/ジェイ・キャスト/2013年10月29日刊)

Kindle版だけだよん。

2014年10月26日 (日)

昨日の巣鴨地蔵通り

 巣鴨とげ抜き地蔵の縁日は毎月4のつく日。4日、14日、24日。

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 でも、縁日ではなくても人出は多いです。基本的に高齢者たちなので、すがも地蔵通りは「お婆ちゃんの原宿」と呼ばれているわけなのですね。

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 地蔵通りと言えば、にしむらの八ツ目鰻(ただし、現在は八ツ目の入荷はありません)と……

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 みずのの塩大福、それに……

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 マルジの日本一の赤パンツ。デター、お爺ちゃん、お婆ちゃんのご愛顧。でも、若い人用の赤パンツ、赤ブラジャーもあります。

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 そして「すがもん」。「すがもんのお尻に触ると恋が成就する」という都市伝説は若い女性だけの伝説なので、おじさんが触っても無駄です。

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 とまあ、いつものすがも地蔵通りなのですが、11月6日から11月14日までは「第18回すがも中山道菊まつり」が開催されます。

 是非、お出かけを。

RICHO GRDⅢ @Sugamo Toshima (c)tsunoken

2014年10月25日 (土)

『憲法の「空語」を充たすために』というよりは「空語」である憲法を如何に守るか、だよな

 うっかりしていたらもう一週間も「本」について書いてない。

 ので、久々に本について書きます、って言ったって、この本は内田樹氏の講演を本にしたものなので、本来の「書かれた本」でありません。

 ま、でもいいか。

Photo_3『憲法の「空語」を充たすために』(内田樹著/かもがわ出版/2014年8月15日刊)

 この講演は2014年5月3日の憲法記念日に行われたものである。

 当時、安倍晋三氏は、本来の目的は憲法第9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」、第2項「前項の目的を達っするため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」というものを変えたかったわけなのだが、それを一気に変えるのは困難だと判断し、その前段階として、第96条「この憲法の改正は、各議院の総議員数の三分の二以上の賛成で、国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする」の「各議院の総議員数の三分の二以上の賛成」を「二分の一」にしようと企んでいた。

 まあ、今すぐ戦争に参加しようなどという肝っ玉が安倍晋三氏にあるとは思えないが、第一次安倍政権の際にも憲法第9条を変えたいということを表明していた安倍晋三氏であるから、そのルサンチマンたるやさすがのものがある。

 で、結局その憲法第96条の改訂も難しい(というか日本国民の「正しい平和ボケ」も「さすがというべきか)ということになり、安倍政権は2014年7月1日に「集団的自衛権」を閣議決定してしまった。なんだ、憲法を改訂しなくても出来ちゃうじゃないか、というのがその感想ではあるが、まあ、憲法第9条がありながら自衛隊を持ってしまっている時点で、憲法なんてものは骨抜きになってしまっている訳で、今更、これを持って憲法が骨抜きになってしまった、と嘆くわけにもいくまい。

 内田氏は『憲法の「空語」を充たすために』というけれども、もともと憲法というのはある種の「空語」なのである。まあ、「空語」を「うそ」と読んでしまっては、それは意味は違うが、「中身のない言葉」という読み方をすれば、まさしく「憲法自体が空語」なのである。なので、その憲法の内実のない部分を様々な法律を作って実際に運用できるようにしている、というのが日本の「立憲主義」ではないのだろうか。

 日本は法治主義の国であると思われている。ところがこの「法治主義」にも「形式的法治主義」と「実質的法治主義」がある。

「形式的法治主義」とは、例えばヒトラー・ドイツのような「全権委任法」というようなとんでもない法律を作ってしまい、その法律に従って権力者が勝手なことが出来てしまうような法治主義のことだ。「実質的法治主義」は「形式的な法によって形式的に国家活動を縛るというだけでなく、法の内容や適用においても正義や合理性を要求する」(Wikipedia)というもので、例えば法の内容が正当であるかどうかを憲法に照らして確かめる違憲審査制などがその代表的なものである。

 内田氏は『今進められている解釈改憲の動きは「法治から人治へのシフト」のプロセスだと言ってよいと思います』と言っているが、まさにそれは「実質的法治主義」から「形式的法治主義」への動き以上に、問題のある動きであると言ってよいだろう。つまり、安倍政権はアドルフ・ヒトラー以上の動きをしようとしているということ。

 内田氏はこのトレンドを「国民国家の株式会社化」という表現で捉えている。ということであれば、まさしく今進みつつあるグローバル資本主義の説明がうまくいくだろう。

『グローバル化というのは最終的には国民国家という「ボーダー」の枠組みそのものを破壊しようとする。資本、商品、人間、情報が国境を越えて活発に移動することをグローバル資本主義は要請します。ですから、国民国家固有のもの、ボーダーコントロールだけでなく、その固有の国語や固有の法律や固有の通貨や固有の度量衡や固有の商習慣はすべて「非関税障壁」と見なされ、それを全廃することはグローバル企業の最優先課題になってきています。世界のどの場所においても、言語が同一で、度量衡が同一で、法律が同一であること、すべてがあらゆる障壁に妨げられることなく超高速で移動できるフラット化した世界こそグローバル企業の夢です。それが一番コストがかからず、一番ベネフィットの大きいビジネススタイルだからです』

 つまり、今の安倍政権はこうした「国民国家の解体過程」に向かって進んでいるというのだろうか。

 内田氏はそのような過程にあると言うのだが、物事はそう簡単にはいかないだろう。「国民国家の解体」というのは、まさしくマルクス、レーニン、トロツキーが望んでいたインターナショナリズムそのものであり、アメリカのネオコンがまさしくトロツキズムの影響下にあるという根拠でもあるのだが、そのようなトロツキズムと安倍政権にどのような共通性があるのだろうか。むしろ、強烈なナショナリストである安倍晋三氏が、最後には国民国家の解体から逆の方向に動くであろうことは明白である。

 安倍晋三氏の近隣諸国に対する姿勢は完全にナショナリズムそのものであるし、たびたび口にする「総理大臣が最終決定者である」という強権的体質なども典型的なナショナリストのそれである。

 それが国民国家の解体に向かっているというのであれば、それはアメリカに向かって開かれるのではなく、むしろアジアに向かって開かれているのではないだろうか。つまりその部分では中国と対立的・競争的ではある。

 要は「大東和共栄圏」の完成ではないか。実は、それこそ元満州国総務庁次長、東条英機内閣の商工大臣、蒋介石と共に勝共連合を作った、祖父岸信介のルサンチマンである。

 だからこその日本のシンガポール化であるし、グローバル化なのである。つまり、向かっているのは「完璧なグローバル化=国民国家の解体」ではなく、ある段階で限定化されたグローバル化であり、大東和共栄圏の実現であり、五族協和なのではないだろうか。って、褒め過ぎ?

『憲法の「空語」を充たすために』(内田樹著/かもがわ出版/2014年8月15日刊)

 まあ、やっぱりKndleにはなってないな。

2014年10月24日 (金)

『蛇にピアス』って、ごくごく普通の映画なんだよなあ

 吉高由里子といえば今や『花子とアン』で国民的女優になってしまったが、その初主演作がこの『蛇にピアス』だったんだな。

 私にとって吉高由里子といえば、『ロボジー』(2012年)に出ていたロボットおたくの可愛いらしい女子大生というイメージだったので、それに先行してこんな役をやっていたというのは、却って新鮮であった(というか、私が知らなかっただけなんだけどね)。

Photo『蛇にピアス』(金原ひとみ:原作/宮脇卓也・蜷川幸雄:脚本/蜷川幸雄:監督/宇野康秀・長谷川安弘・梅川治男:製作/2008年9月20日公開)

 ストーリーは、神経症的な渋谷ギャルがスプリット・タンのパンク兄ちゃんとこれまたパンク刺青師の間を右往左往するだけのお話しで、これが小説ならばポルノ的な読み方も出来るし、その辺が芥川賞の選考委員の石原慎太郎をして「今回は該当作無しでも良かったんじゃないか」と、自らの「勃起した陰茎で障子を破る小説」を忘れて言わしめた理由なんだろうけれども、映画として画像が固定されてしまうと、残念ながらそのソフト・コア的な表現もあってあまりインパクトの強い作品にはならなくなってしまう。

 吉高由里子が大胆演技っていったって、今やこの程度の演技は普通だろうし、セックス・シーンもちょっと変? だって、ルイ(吉高由里子)と若僧のパンク兄ちゃん(アマ/高良健吾)とのセックスの時は基本正常位なので普通なのだが、もうひとりのパンクおじさん(シバさん/ARATA)とのセックスは後背位がセックスのスタート時の基本なんだが、その際にルイは体を伸ばしているわけで、この体位ではシバさんのペニスがルイの膣には届かない筈だ。ルイはもっと背中を丸める形にならないとセックスにはならない筈なのだがなあ。その辺、今日見た『ニンフォマニアックⅠ』は……、ってそれはまた後日。

 と、まあそれは蜷川演出の問題なのだが、結局、蜷川幸雄としては実際に出来る形のセックスではなくて、イメージとしてのセックスなのだからそれでいいのだろう。けれども、観ている我々は下衆なんだから、やはりあの姿勢でのセックスはおかしいよなあ、と考えてしまうのだ。それにペッティングもしないでペニスを突っ込んじゃあ、お互いに濡れていないし、痛いだけでしょ。「19歳、痛みだけがリアルなら、痛みすら、私の一部になればいい」というのが映画のキャッチコピーなのだが、その「痛み」と、ペッティングをしないだけのセックスの「痛み」とは意味が違うでしょ。

 どうも蜷川演出は、もともと舞台の演出がベースになっているので、こうしたアタマでっかちな演出が多い。映画の演出は「本当はやっていない」という部分をお約束で演出家・俳優・観客が共有している舞台の演出とは異なり、もしかしたら「本当はやっているかもしれない」ということを思わせるのが映画の演出だ。

 映画の演出の基本はリアリズムである。セックス描写に関してはリアリズムに徹することになれば、それは実際にセックスをしている場面を撮影するわけになるので、本来は「ハードコア」というのが映画の究極のセックス描写になってしまうわけなのだが、そうは役者事情やらなんやらでそうはいかないので、「ソフトコア」になるわけなのだが、だったらR15なんていう思わせぶりな表現はやめて、普通の映画として公開するべきなのではなかったのえはないだろうか。

 と、まあそれは演出家側の事情ではなくて、プロデューサー側の事情なので、別に蜷川氏の責任ではないが、その辺はどこまで監督とプオロデューサーで話し合いを進めていたのだろうか。まあ、多分最近の「製作委員会方式」のあり方では、多分、そんな話は全然していないんだろうな。

「製作委員会方式」のいけないところは、勝手に金を出した会社の代表者(担当者)がいろいろシナリオの細かいところにまで口を出すが、その結果については責任を追わないというところである。で、結局、それから先は製作現場に丸投げしておしまいということなのだ。シナリオに口を出す以上はそこから先の製作現場にも常に顔を出して、製作方法にも口を出すべきなのだが、そんなことをする出資者側のプロデューサー(ったって、それはプロデューサーではなくて、単なる出資者側代表であるにすぎないのだけれども)はまずいない。

 基本的に出資者側のプロデューサー(というか担当者)は下衆である。なので、その下衆の担当者としては、もっともっと下衆になって「本当にヤッっているように見えるセックス」を要求すべきなのだが、それはそれで後の反応が怖いので何も言わないのだろうな。で、結局映画は中途半端な映画になってしまう。映画はもっともっと究極の演技を見せなければならない。でなければ、結局セックス描写ではアダルトビデオに負けてしまうのである。

 アダルトビデオになくて映画にあるものは、基本、キチンとしたストーリーである。良くできたシナリオに沿ったストーリーがあって、そして本物のセックス描写があれば、多分、アダルトビデオにも負けないセックス映画が出来るだろう。俳優たちもそれに応えるだけの演技をする、あるいは製作者側の配慮でうまい具合に性交場面だけはスタンドインを入れて、うまくつなぎのカットをいれるなどの工夫をする、などの方法でそれはそれで基本的に面白いセックス映画はできる筈である。

 まあ、そうなれば蜷川演出のような(映画的には)中途半端な映画はできずに、もっともっと真に迫ったいいセックス映画が出来る筈だ。実相寺映画みたいにね。

 蜷川幸雄氏はもうちょっと実相寺映画を研究してみる価値はありそうだ。

『蛇にピアス』(金原ひとみ:原作/宮脇卓也・蜷川幸雄:脚本/蜷川幸雄:監督/宇野康秀・長谷川安弘・梅川治男:製作/2008年9月20日公開)

2014年10月23日 (木)

実は私、こう見えても(マンション・オーナーじゃなくて)会津が第二の故郷なんです

 実は私、会津が第二の故郷なんですって言っても、まあそれほど嘘ではないだろう。

 私の母方の祖先が会津藩の家老で、藩学校・日新館の教授をしていた嘉納家というのがその出自なのであります。まあ、家老と言っても「城代家老」みたいな偉い人ではなくて、一般の管理職という程度ではあったのかもしれないが……。

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 で、当然日新館と言えば白虎隊である。

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 で、白虎隊と言えば、その自刃の場所である飯盛山なのである。

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 で、当然白虎隊士十九人の墓には線香をあげてきたのである。

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 で、当然白虎隊士が鶴ヶ城(会津若松城)を望んでいる場所に行ったのである。

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 飯盛山から鶴ヶ城を望む。前方の緑の山のように見えるところが鶴ヶ城。このお城の周囲が燃え上っている様を見て、白虎隊士は最早会津は落ちたと考えて自刃したのである。

 若い隊士を自刃させてしまった日新館の教えは正しかったのか、という議論が今でもあるが、当時としては当たり前の考え方だったんだろうな。何しろ、会津藩自体が保守主義の塊みたいな藩だったんだから。

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 これが猪苗代湖から飯盛山に繋がる地下水路。ここを通って白虎隊士は飯盛山まで逃げてきたのであるが、嗚呼、会津城である。

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 もともと、京都守護職に松平容保を指名したのだって、会津藩の力を削ぐのが目的であり、別に朝廷と会津が親しかったからということではない。なので、会津藩内ではこの職に就くことについては、かなり意見が分かれたそうだ。でも、保守主義者・松平容保は朝廷から指名されたことに応えるのが保守主義の判断だと、指名を受け入れた。

 ところが戊辰戦争では賊軍扱いだ。

 会津戦争(戊辰戦争)では戦死者を墓に埋めることを官軍から許されずに、そのまま放っておかれたそうである。そんな扱いを長州軍にされた会津では、今でも「前の戦争」というと戊辰戦争だし、会津の女性を長州の男には絶対に嫁がせないそうだ。

 そんなことを言ったら、会津の血を引く私の妻は、母親が長州出身者だ。いやあ大変な裏切り者なだあ。

LEICA M6 ELMARIT 28mm/F2.8 @Aiduwakamatsu (c)tsunoken

2014年10月22日 (水)

やっぱり奇跡はそうそう起きないってことで……

 駒澤大学、9勝4敗1引分、勝率0.692、勝点4、順位1位。

 中央大学、7勝5敗1引分、勝率0.583、勝点2、順位2位。

 というのが昨日の中央大対駒澤大の試合の前までの東都大学野球2014年秋のリーグ戦の成績だった。

 つまり、駒澤は昨日の試合に勝てば優勝という王手がかかったゲーム。一方、中央大はこの駒澤戦に勝って、10月23日の青山学院大戦にも勝てば、駒澤大と同率での優勝決定戦に持ち込めるのだが、負ければそこで優勝はなく、勝率次第で2位か3位かという、まあ、首の皮一枚で繋がっているという状態でのゲームであります。

 こりゃあ、中大OBとしてはイカネバの娘でしょう。

 ということで、始まりました。雨やらなんやらで散々待たされた中央大学対駒澤大学の第3戦。中央の先発投手は当然エース島袋。というか、今シーズン島袋はあまり調子は良くなかったんだけれども、まあ「島袋で負けたのなら仕方がない」というチーム員の信頼感を集めるエースである以上、こうした大事な試合では先発を務めるのだ。

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 一方の駒澤大学の先発投手は、これまた当然エースの今永。これまた駒澤大学の絶対的エース。

 両エースの投げ合いで始まった試合は、初っ端に波乱が訪れる。

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 駒澤大、1番下川が倒れた後、2番前田が四球で出塁。その直後、3番齋藤がライトへの2ランホームラン、4番江越がソロホームランと、1回表で早くも3点を獲得。

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 しかし、その後島袋も立ち直り、7回までは相手チームを0点で抑える。

 しかし、7回表、第一打者、第二打者に連続で四球を与えると、中央大秋田監督は即投手をスイッチ。

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 後を引き継いだ石垣は駒澤打線を抑えてこの回0点で終える。

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 ハイライトは8回裏。中央大学校歌斉唱が終わって力が入ったか、この回2番目の打者、松田がバット一閃!

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 見事、ライトオーバーのソロホームラン。

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 がしかし、中央大の反撃もここまでで終わり。9回も東が二塁打を打ったのだけれども、それまで。

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 結局、駒澤大学が3対1で勝利をおさめ、2014秋シーズン優勝! おめでとう駒澤大学。

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 しかし、中央大学もこの春のリーグ戦では最後に青山学院大学と最下位決定戦を戦っていた、ということからするとここまできただけでも立派。もし、これが駒澤大学を破って優勝なんてことになったら、これは「奇跡」だっ! ってところだったんだけれども、やはりそうそう奇跡は起きないから「奇跡」なんだろうなあ。

 ちょっと悔しい。でも、現実論で考えてみればリーグ2位か3位(それは次の青山学院大戦で決まる)というだけでも「よく頑張った」と言える成績ではある。

 この調子で、来年春は優勝を狙って欲しいものだ。

NIKON D7000 SIGMA DG 150-500mm/F5-6.3 APO HSM @Jingu Stadium (c)tsunoken

 しかし、500mmレンズを手持ちで撮影って、結構疲れるな。

2014年10月21日 (火)

座頭市の墓、発見! って程じゃないけど……、でも興奮!

 2010年8月11日のブログ「『座頭市』って実在の人物だったんだ、ということに吃驚」 のラストに「う~ん、一度『座頭市の墓』も見に行ってみたいもんだ」と書いてから、飯岡の助五郎や笹川の繁蔵などの墓は見に行ったが、肝心の「座頭市の墓」にいかないまま4年の歳月が流れてしまった。

 が、遂に、遂に、ついに、行ってきたのです、「座頭市の墓」。いやあ、感激したなあ。

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 場所は、鶴ヶ城からもほど近い会津若松市南千石町、井上浄光寺にあるのです。

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 鶴ヶ城に近い割にはあまり賑やかにはしていない井上浄光寺。

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「座頭市の墓」はお寺にはいってすぐ右の墓所にあるので、すぐ見つかる。

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 どうも、ここは「座頭市」の一家というか、一族郎党が入っているお墓みたいなのだ。

 で、ありました「俗名 座頭市之墓」であります。

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 裏側に回って見ると「法徳院應恵海居士」という戒名と共に「嘉永二年酉十一月二十三日 阿部常右エ門 行年七十八」という刻紋が書かれている。

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「行年七十八」って、当時としてはかなりな長命であったことになる。

『「座頭市」本名は阿部常右エ門。屋敷または番所にいるときは阿部顕如、そして町や村を見まわるときは身分を隠し名前も「佐渡市」と名のり親身になって按摩(あんま)を見まわり、悪徳按摩を取り締まりいつしかみんなが「頭」とよび座頭の頭といわれ「座頭市」と呼ばれるようになり、旅に出るとき(江戸や京都に行くとき)は「座頭市」と名乗ったといわれている。
 抑も子母沢寛の小説や勝新太郎の映画「座頭市」のモデルとなった佐渡市(本名・阿部常衛門)は、長岡藩主牧野家のご落胤であったが青年時代に眼病を患って失明、やむなく祖父の生家である磐梯町の桑原家に奇寓して、あんまやハリの修業をした。
 幼少の頃から文武両道をみっちり仕込まれていたため、藩からも認めらたのではないかと言われている。
 作家子母沢寛の名付けたことにより、有名となったこの奇抜な人物佐渡市は老年、津川から磐梯町の桑原家へ来た後、会津の城下へ来てからは盲人の総元締をして、相当活躍していたらしいが、嘉永二年酉十一月二十三日、行年七十八歳にして没している』

 えっ? えっ? えっ? それじゃあ『天保水滸伝』で平手造酒と切り結んだ座頭市はどこに行ったのよ? ってなっちゃうんだけど……。

 そこは大丈夫。結構この本物の座頭市さんもいろいろなところ(「江戸や京都」って書いてありますよね)に行っていたみたいなので、その度の途上で飯岡あたりも行っていたのかも知れないし、行けばちょっとした楽しみで博打くらいもやっていたのでしょう、名目上は侍じゃなかったしね。なんか、そんな逸話もあるようで……。

「天保水滸伝」の飯岡の助五郎と笹川の繁蔵のヤクザ同士の抗争に座頭市さんも参加していたかいなかったかというのはよくわからないが、まあ、時代的にその頃に、飯岡の助五郎の所に座頭市さんが草鞋を脱いでいたってことは容易に考えられることではある。

 まあ、やっぱりあの映画のような「座頭市」ではないけれども、実際にそれに近いところで本物の「座頭市」さんはいたんだなあ、というのが今回の収穫ではある。

 しかし、この井上浄光寺なんだが、座頭市で稼ごうって意識はまったくなくて、ごく普通のお墓、っていう感じで「座頭市の墓」があるのが凄い。というか、まあ、あまりそんなことは意識していないってことなんでしょうね。

 まあ、田舎のお寺なんてそういうものか。国定忠治のお墓もそんな感じだったしな。

 以上、出典はコチラより

LEICA M6 ELMARIT 28mm/F2.8 Kodak Super Gold 400 @Aiduwakamatsu (c)tsunoken

2014年10月20日 (月)

Photo Gallery ARTisanのこと

 まだ、マンションの建替えを検討している段階の2010年夏、本駒込6丁目にオープンしたPhoto Gallery ARTisan。

2014_04_07_33042本駒込にあった頃のPhoto Gallery ARTisan

 おお、ついに本駒込にもフォト・ギャラリーが出来たか! と建替え終了後、駒込に再移住したら毎月にでも通おう。ついでに、このギャラリーで自分の写真展でもやろうかな、なんてことを考えていた。

 毎月『建替えニュース写真版』というものを作って、建替えのために一時的に引っ越していたマンション居住者のために配布していたのだが、その取材の度にJR駒込駅から建替え現場に通う際、毎回その前を通るのが楽しみでもあった。

 ところが、建替えなって、2014年7月に再入居したら……、Photo Galler ARTisanはその直前に表参道に移転してしまった。

 まるで、恋人と離れ離れになって海外赴任していて、いざ帰国したら恋人は他の人と結婚していた……みたいな……。

 で、先日、恋人を訪ねて表参道まで行ってみた。

Img0222現在のPhoto Galler ARTisan

 原宿の表参道ヒルズの裏にある渋谷区立表参道小学校(いい名前だなあ)のそのまた裏の、閑静な住宅街の中に現在のPhoto Galler ARTisanはある。

Img0242Photo Gallery Artisanの前の道の正面が表参道小学校

 以前、本駒込にあった頃よりはちょっと手ぜまな感じで、展示スペースはあまりない。ので、今のところ本駒込にあった時とは異なって写真展などは、今のところ行っていないそうだ。

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 が、よく見ると店の奥の方に「箱画廊」というのがある。

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 こちらは、展示申込なんかも受け付けているようで、じゃあ、今度申し込んでみようかな。額装代+α位のお値段で(っていうか、それでも私の写真なんて売れないだろうなあ)。

Img0012Photo Gallary ARTisanのあった場所は、現在「三井のリハウス」になっている

Photo Galler ARTisanのサイトはコチラ

LEICA M6 ELMARIT 28mm/F2.8 Kodacolor 400 @Omotesando Shibuya (c)tsunoken

「本駒込にあった頃のPhoto Gallery ARTisan」はNIKON D7000 AF-S NIKKOR 10-24mm

2014年10月19日 (日)

Nerholの企画展『ATLAS』って?

 Nerholによる作品コンセプト『僕らは、被写体と向き合い、数分間にわたって200回のシャッターを切る。そして、それら全てをプリントし、重ね合わせて、彫り込んでいく』というのを読むと、なんだか「アナログ3Dプリンター」(?)みたいな気がする。しかし、実際に作品を見ると、3Dプリンターのようにポートレイトに忠実に彫り込んででいくわけではなく、ポートレイトの形とは関係なく、あたかも「3D地図」を見るように、ポートレイトは切りこまれている。そして、それらは普通に撮影されたポートレイトであるにも関わらず、モデルたちはどこか苦しく歪ませられているのである。

『逆説的だろうか? 被写体となった“彼ら”の存在の本質を掴みたいと願うのに、その姿を彫り歪ませることは。しかし、考えてみるに、僕らが生きる社会は、多くのものを、ものすごい速さで消失へと向かわせている。それが現実を記憶する唯一の手がかりにすら思えてくるほどに』

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 そんなNerholの企画展『ATLAS』が六本木IMA CONCEPT STOREにあるIMA galleryで開催中だ。

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 Nerholとは、グラフィックデザインを基軸に活動していた田中義久、現代美術を基軸に活動していた飯田竜太によって2007年に結成されたアートユニット。

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 アイディアを練る(Ner)田中と、アイディアを彫る(hol)飯田。

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 今回、選んだポートレイトという素材に彼らは新しい手法とコンセプトを取り込むことでポートレイトの深層にある意識の一端を表出させる。「写真=平面/彫刻=立体」という枠を超えた作品は、本来あるべき「肖像」を表現しているのかもしれない。
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 再び、彼らの宣言。

『物語は、書物として綴じられたとき、どこにでも移動し、あらゆる人の手に渡ることができるようになった。そして、恐らくそれ以前にも増して、書き換えられ、オリジナルを失うことを運命づけられた。僕らは、“彼ら”の姿を写し取り、層を成す時間を遡るように彫り刻み、それを書物のように綴じてみる。そして、諸現象の連続性へ、消え去ることを順番待ちするかのような循環へ、それを差し出す。綴じられた書物のなかで歪む“彼ら”の姿が、この資本主義をベースにした営為の射程を揺るがせることを願いながら』

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 はたして、Nerholの意図通り、彼らの作品は資本主義を撃つことができたのだろうか。

Noerholの企画展『ATLAS』は11月30日まで、六本木 IMA galleryにて開催中。

IMA CONCEPT STOREのサイトはコチラ

なお、Norholの制作風景はYOU TUBEでも見られます。

LEICA M6 ELMARIT 28mm/F2.8 Kodacolor 400 @Roppongi Minato (c)tsunoken

2014年10月18日 (土)

『楽天流』は永久革命なのか?

 私の関係者が楽天で仕事をしているつながりで、ついつい三木谷氏の本が出ると買ってしまうんだが、しかし、講談社が多いなあ。三木谷氏と講談社の野間氏って「お友だち」なのかな。

 しかし、「ルール」っていうのはそれまでに価値観を作り上げた既存勢力が、自らたちの世界を守ろうとして作り上げたものなのだから、新しい価値観をもって世界に登場しようとする人たちが「ルールを書き換えろ!」と狼煙を上げるのは当然のことなわけだ。

Photo『楽天流』(三木谷浩史著/講談社/2014年10月10日刊)

 で、三木谷氏がどんなルールを書き換えようとしているのか、取り敢えず目次から拾ってみると……

第1章 社内公用語英語化の全過程――言葉のルールを書き換える

第2章 楽天成長の原理――ビジネスのルールを書き換える

第3章 グローバル化を進める――成長のルールを書き換える

第4章 会社のM&A――買収のルールを書き換える

第5章 成功のコンセプト――企業文化を書き換える

第6章 ITはコラボレーション、スピード、喜びのツールだ――インターネットのルールを書き換える

第7章 ショッピングの新発見――eコマースのルールを書き換える

第8章 スピード!! スピード!! スピード!!――オペレーションのルールを書き換える

第9章 プロ野球、Jリーグ、オーケストラ――地域貢献のルールを書き換える

終章  eコマースの未来――ブランドは国家を越える

 というもの。

 どこかあまり凄いルール変更という感じはしないのだが……。まあ、普通「ニューカマー」として「オールド・エスタブリッシュメント」のルールを換えようという時は、こんなところだよな。

 一番おおきな興味を持って読んだのが、第6章、第7章だ。

『eコマースは自動販売機ではない。このことだけはぜひ覚えておいてほしい。eコマース界のリーダーたちは、インターネットを利用して世界規模の自動販売機を作りあげた。注文品を決めてクレジットカード番号を入力すれば、商品がはき出される(送られてくる)ようにしたのだ。楽天の競合企業の中には、莫大な資金を投じてこの自動販売機のようなシステムを作ったところもある。このため、インターネットで商売をするなら、自動販売機のように利用するのがいちばんだと考える人もいる。
 しかし、僕に言わせれば、その考えは狭くて、近視眼的だ。たしかにインターネットを使えば、効率的かつ迅速に商品を届けることができる。しかし世界中に存在する無数の販売業者がすべてインターネットに市場に参加しているわけではない。顧客が得るべき最大の満足を提供できているわけでもない。eコマース=自動販売機というやり方は、スタート時点では理にかなっていた。しかし、小売業者にとってもインターネットの利用価値はほかにももっとあるはずなのだ』

『しかし、ディスカバリー・ショッピングには二つの利点あがる。一つは、人間が多様性を求める点だ。人間は、けっして一つの行動様式にはこだわらない。ある人が、ある日あることをやりたがり、次の日は別のことをやりたがったとしても、それはごく自然なことだ。実際、多様性のない世界は退屈だ。だから、ディスカバリー・ショッピングは、新しいものを求める人間の欲望に強く訴えるのだ。
  ~
 二つ目は、人は他人とのコミュニケーションが好きだという点だ。僕の地元に魚を扱う店が2店舗あるという話を思い出してほしい。魚の品質が同程度だったとしたら、どうしてスーパーマーケットではなく個人商店を選ぶ人がいるのだろうか? その理由の一つは、人間同士のつきあいが持つ吸引力だろう。魚屋の店主のことが好きなら、人はその個人商店で購入しようと考える。たぶん彼はていねいに接客するだろうし、スーパーマーケットにはないような、個人対個人の気配りもしてくれるだろう。あるいはあなたは店主を隣人として知っているのかもしれない。これらはすべて強力な人間的要因だ。多くの人は店の棚やコンピューターのディスプレイから品物を買うよりも、人を介して買い物したいはずだ。オンラインショッピングだからといって、出店者と買い物客の関係を遮断する必要はないということだ。仮想環境でもこのような人間関係を作ることは可能だし、望まれていることなのだ』

 ちょっと長い引用になったが、なるほどそういうことだったのだな。

 つまり、私はAmazonでも本を買うし、リアル店舗でも本を買う。ただし、その買い方は違う。つまり、特に何を買うのか決めていない場合、何となく書店に行って、その棚の端から端まで見て回って何か面白そうなことが書かれている本がないか探すのである。時には書店員にお薦めの本はないか聞いたりして、こうして私は一軒の書店で2時間から3時間の時を過ごすこともある。これは一種の「至福の時間」ではある。

 一方、何か「この本」って決めている場合、書店に行ってもその本があるかどうかは行ってみないと分からない。時には2軒3軒と回っても見つからない時もある。なので、買う本が決まっている時は、結局Amazonで注文してしまうのだ。最近では本ばかりじゃなくて、いろいろな商品でもAmazonを使うことが多い。Amazonはそういう意味では、「買いたいものがすぐに出てくる」サイトの作りになっていて、商品が探しやすい。

 ところが「本以外」の商品を楽天で探そうと思うとなかなかamazonのような訳にはいかない。何故か? その過剰な余りのサイトの作り込みにその理由がある。なかなか自分の欲しいと思える商品には行きあたらないのである。最初はちょっとその作りにはガッカリしたのであるが……。

 そんな時、ある人からAmazonと楽天のサイトの作り方の考え方に違いがあるということを教えてもらった。つまり、『買いたいものが明確にあるときにはAmazonの方が便利だが、あまり明確にあるわけでもなく、「何かないかな」的なスタンスで買い物をする時には楽天の方がショッピングを楽しめるでしょ』ということなのであった。

 つまり仮想商店での買い物にリアル商店での買い物の楽しさを加えたのが楽天だということなのだ。フーム、それが「インターネットのルールを書き換える」「eコマースのルールを書き換える」ということなのだな。

 しかし、インターネットなんてまだまだ進化の途中にあるものである。そんなインターネットでも既に既存勢力と新規参入勢力があるというのである。確かにAppleやMicrosoft、Google、Amazonは既に大きくなりすぎてしまいそれ自体が既存勢力化してネットのルールを作りあげている側にまわってしまっているのかも知れない。

 だとすると楽天はどうなのだろうか。経産省の資料によれば2013年の日本におけるeコマース市場の売り上げは11.2兆円。楽天の2013年の売上げは5,000億円ということなので、まだまだ楽天がeコマース市場で「日本の市場を制覇」しているとはいえない状況ではあるけれども、今後とも楽天はそうやって自らの企業が作り上げたルールを自ら書き換えていけるのだろうか。

 これは一種の永久革命だ。トロツキーが成し得なかった永久革命を企業家がやろうとしているということには興味はあるが、はたしてそれは可能だろうか。

 更に、今後、三木谷氏が(死亡とか高齢化とかで)楽天を去った時にはどうなるのだろうか。

 興味津々ではある。

『楽天流』(三木谷浩史著/講談社/2014年10月10日刊)こちらの電子版はKindleだが、当然、Kobo版もあり。

2014年10月17日 (金)

『スマートノート』はブログを書く動機にはならないが、ブログネタを探すツールにはなる

 なるほど、これは私は実践していないが、それに近いことはやっているようだ。特にこの見開きノートの右側だけをまず使うというのが面白い。

『「天才」の三要素。

1)発想力

2)表現力

3)論理力

 このうち、1つでもあれば、他人より秀でることができる。

 2つあれば、成功することができる。

 もし3つあれば、天下を取ることができます』

 っていうのは、どうだかわからないけれどもね。

Photo『あなたを天才にする スマートノート 電子版+』(岡田斗司夫 FREEex著/株式会社ロケット/2013年7月18日刊)

『『発想力』は、いままでの価値観、感性を捨てて、新しい思いつきや概念を生み出したり面白がれる能力です』

『『表現力』は、あなたの考えを他人に伝える技術力です』

『『論理力』は、複雑な考えや雑多なアイディアを、整理して矛盾をなくに、まとめたり順番に気を配って並べたりして、わかりやすい形に整える能力です』

 う~ん、それでその三つの力を備えるだけで「天才」になれちゃうのか? 天下をとれちゃうのか? まあ、ある種の世界では「天才」になったり「天下」は取れるかもしれないが、それはあくまでも「ある種の世界」だけの話じゃないのだろうか?

 で「スマートノート」とは

『1.5行日記(行動記録)……基礎
2.今日はどんな日?(行動採点)……基礎
3.毎日いち見開き(論理訓練)……論理力・表現力
4.見せてお話(表現訓練)……表現力
5.臨界突破(脳内リンク開始)……発想力
6.知識→教養→見識(統合)……統合的人格
7.世に出る(私によれば世界は)……自覚と覚悟』

 の七つのフェーズからなっているというのだ。

 で、つまりこの七つのフェーズを「スマートノート」で過ごしてからブログなんかを書くといいというのだし、それをちゃんと過ごせばブログでも面白いことを書けて、読者も大量に獲得できるっていうのだがなあ。

 まあ、確かにそうやって順を追ってキチンと準備をしたうえでブログなんかを書けば、多分面白いことも書けて、それがネットで話題になって、より多くの読者(PV)を獲得できるようになるのかも知れない。しかし、大半のブロガーはそんな段階を経ずに、初めから書きたいことが沢山あって、「とにかく書きたい、書いて他人に読まれたい。できたら読まれて、他人から褒められたい」という承認欲求の強い人たちなんじゃないだろうか。

 というよりも、何はともあれ、このtsunoken自身がその塊なのであった。

 まあ、別に毎日何万PVもなくてもいい。数百人の読者がいれば、その読者に言葉を伝えること自体が楽しいのである。いずれは、それが毎日数千人になったり、数万人になれば嬉しいだろう。たまにはお褒めのコメントやTwitter、Facebookが書きこまれたりする。勿論、批判とかのコメントがついたりすることもある。今のところ「炎上」はない、っていうか「炎上」するほどには読まれていないってことなんだけれどもね。

 もしかすると、これは「PVが毎日数百人じゃあ、いやだよ。取り敢えず目標は毎日数万PVだな」という人たちのためのブログ読者獲得法なのだろうか。

 まあ、そう読めないこともない。

 というか、「ブログを書いて自分の考え方を他人に向けて発表したい。でも、何を書けばいいのか分からない」という人のための本なのかな、と考えると納得。でも、そんな人っているんだろうか。

 確かに、今はブログやSNS、TwitterやFacebookなど、昔に比べると自分の考え方を第三者に提示できるメディアが圧倒的に増えた。私が学生の頃は、映画関係の投稿掲載メディアとしては、『キネマ旬報』の「読者の映画評」とか、『映画評論』の投稿欄か、『ロードショー』などのファン雑誌の投稿欄ぐらいしかなかった。その他のジャンルでもそれは似たようなもので、あくまでもその「映画」とか「小説」とか「音楽」とかが好きな人たちだけにしか届かないメディアでしかなかった。それが、いまではソーシャルメディアを通じてかなり暴力的に自分の考え方を伝えることが可能になった。

「暴力的に伝える」ということは、そのメディアにログインすれば誰でも読めるし、読みたくないことまでも読まされてしまうっていうことなんだけれども、だからこそ「炎上」なんてことも起きるんだろうし、それがソーシャルメディアの面白いところなんじゃないだろうか。

 あ、いやいや、この本は参考にはなりましたよ。「毎日の行動を5行日記に書く」ってのは、近いことを実は私もやっていて、サラリーマン時代から使っていたfilofaxの"ONE DAY ON A PAGE DIARY"(1日1ページ日記)に毎日の行動記録をつけている。記録をつけたら忘れてしまってもよいので、これは実は有効なのだ。つまり、毎日の行動なんて基本的には皆忘れてしまうのだけれども、この手帳を見ると「あっ、そうだったんだ」と結構思い出すのである。じゃあ、それがブログを書くときに参考になっているのかっていうと……、今のところはあまりなってないなあ。

 つまり、基本的に私のブログは読んだ「本」や、観た「映画」、見てきた「写真展」「展示会」なんかのネタなんで、それはいちいち日記には書いていない、というかそれはブログ自体が日記みたいなもんだから。

 じゃあ、日記はなんなのか、といえば「行った場所」について記録しているということなのだ。

「行った場所」について記録してあれば、だいたい「何でそこに行ったのか」の理由が思い出されるし、「そこで何をしたのか」、でその結果も思い出される。なので、こうした行動記録が実は一番の自分メモになるんだなあ。それはべつに「スマートノート」とは何の関係もないことなんだけれども、ちょっとだけ「近しいこと」と言えばね。

 まあ、その日記をみて「ああそうか、その日にそこに行ったんだ」と思いだして、その場所についてブログを書いたりしてみたりしてね。

『あなたを天才にする スマートノート 電子版+』(岡田斗司夫 FREEex著/株式会社ロケット/2013年7月18日刊)文藝春秋社から紙版も出ていたが、今から読むのなら電子版で読んでほしい。

2014年10月16日 (木)

IT PRO EXPO キーワードは「クラウド」「ビッグデータ」そして「ソーシャル」

 日経BP社が主催するIT PRO EXPO 2014が開催中だ。

 後援で総務省、経済産業省は分かるんだが、アメリカ合衆国大使館商務部というのがよく分からない。まあ、それだけアメリカがIT産業に力を入れているっていうのは分かるんだが。

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 キーノートスピーチは大前研一氏の「2020年、日本企業飛躍のカギ」というもの。

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 基本は「クラウド」「ビッグデータ」と、そして「ソーシャル」だという。クラウドで集めたビッグデータがビジネスをどんどん変えていって、それはライバル社を潰すために使われる、という。更にソーシャル・ネットワークで人の働き方も変わってくるということ。まあ、それは前から言われていたことで、特別新い点はない。唯一新しい見方は「ライバル社を潰す」っていうこと。それはアメリカらしい発想なんだけれども、日本ではどれだけそれが上手く行くんだろうか? あるいは、別にアメリカ人みたいに口にしないだけで、日本人でも同じなんだろうか?

 しかしなあ、行ってみるとよい国として、スカイプを開発したIT先進国にして把瑠都の出身国のエストニアはまあいいとして、ルカシェンコ独裁政権が治めるベラルーシってのはなあ、ちょっと行く気はしないなあ。

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 とにかくクラウド、クラウド、クラウド……

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 ビッグデータ、ビッグデータ、ビッグデータである。

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 そんな中で見せ方の工夫をしていたのがサイボウズ。サイボウズカフェというカフェスタイルのブースを展開。

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 ベトナムパビリオンではアオザイ姿のお嬢さんたちが一生懸命ベトナムの開発会社の宣伝や、ベトナムへの企業誘致をしていた。

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 私が気になったのが、クラウドやビッグデータとは関係ない、もう一つのパナソニックブースで展開していたLet's note RZ4。なにしろ745gのB5判ラップトップ・パソコンなのだ。タブレットとしても使えるけれども、基本的にパソコンなのでUSBポートやLANポートなどの拡張性もいいし、何しろ今私が2台目として使っているLenovo X121eの半分の重さっていうのがスゴい! ソニーのVAIO Pシリーズ以来の衝撃だ。

 う~ん、思わず欲しくなっちゃいますね。Mac Book Airとどっちがいいかな?

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IT PRO EXPOは東京ビッグサイトにて10月17日まで開催中。

公式サイトはコチラ。こちらで入場登録をして行ってください。

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm @Tokyo Big Sight (c)tsunoken

2014年10月15日 (水)

『鳥飼規世展』をやっている銀座奥野ビルのこと

 中央区銀座一丁目、読売広告社の脇をちょっと行って、ドトールコーヒーの角を右に曲がったところにある奥野ビル。

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 1932年築の古~いビルなんだが、旧銀座アパートメントといって、銀座界隈では屈指の高級アパートだったそうである。確かに、1923年の関東大震災の後に建てられたアパートである。そんな地震にも耐えられる設計をしたことは良く理解できる。

 そんな昔の高級アパートが現在は約20店のギャラリーが入るアートビルとなっている。つまり昔のアパートの一部屋、二部屋が現在ギャラリーとなって経営されているというわけ。

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 奥野ビルの中はこんな感じで、まさに「古い!」と感じさせる。

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 とはいうものの、そこは高級アパートだけあって、古さの中にやはり落ち着きさを感じさせるのだ。

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 で、その奥野ビルの2階にある「ギャラリー La Mer」でイラストレーターの鳥飼規世さんの個展が開催されている。

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 鳥飼規世さんについては以前『鳥飼規世展「扉の向こうⅡ」』(2014/3/5)で「猫の絵」を紹介させてもらったが、今回は「猫の絵」だけではなくて、もっと以前の美人画やら、果物の絵などがあって、鳥飼さんの銀座での最初の個展なので、鳥飼規世を知ってもらうためにいろいろな傾向の絵画を展示したそうな。

2014_10_14_61392(C)Noriyo Torigai

 個展の招待状であります。

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 ギャラリー La Mer 『鳥飼規世展』は10月13日から10月18日まで開催中。

ギャラリー La Merのサイトはコチラ

鳥飼さんのお仕事。

Fujifilm X10 @Ginza (c)tsunoken

2014年10月14日 (火)

『34歳 無職さん』のリアル

 最近はコミックはすべてKindle版で読んでるなあ。ああそうか、書店に行ってもコミック・コーナーにはまず足を運ばないから、コミックを書店で買わないのか。う~ん、たまにはこみック・コーナーにも足を運ばなきゃなあ。

 なので、誰かのブログを読んだり、Amazonからのおススメでポチすることが多いんだよなあ。自分で探すという努力をしなければなあ。

34『34歳 無職さん』(いけだたかし著/メディアファクトリー/2012年6月30日刊)

『34歳 無職さん』というのは、もしかしたら34歳になって会社がなくなってしまって(倒産して?)、じゃあ取り敢えず1年位は失業保険だけで暮らしていこうかという、なんか就職してから久々に大学生気分に戻ってみようかな、とでもいう話なのだが……。

『先月、勤め先がなくなった

 再就職先など、気遣ってくれる口もないではなかったが

 まあ色々思う所あって

 一年間、何もせずにいようと決めた』

 というのが『34歳 無職さん』の書き出しの「モノローグ」である。

『ゴミのない日は、つい寝すぎてしまう……、そんな34歳、無職の私』

 なんだが

『今日は早く寝たいんだよな、昨日、ゴミ出し忘れちゃったから』

 といいながら

『このまま自堕落になってはいけないと、己を律するべく、キチンと風呂に入り、きちんと早起きする道を選び、入浴中、何事かヒラメイたらしく、ポエミィな文章書き散らし寝落ち。ゴミも出しし損なう』

 なんて生活を送っている「34歳 無職さん」。

 なので、基本的に「ダイアローグ」はなし。台詞として書かれているのはすべて「モノローグ」のみ。まあ、「63歳 無職さん」の私だって、家族との会話、建替組合副理事長としての仕事、マンション管理組合理事長としての仕事、たま~にある大学時代の友人との会話を除いたら、やはり「モノローグ」ばっかりになってしまう。勿論、そんなに「独り言」ばかり言ってたら気持ち悪いので、まあ「心の中のダイアローグ」だけど。基本的に「ダイアローグ」で仕事をしてきた身にとっては、なんか最初の頃はそれが物足りなかった気もしていたが、今は慣れてしまった。まあ、退職者の日常なんてそんなもんさ。

 ところが、いたのですね「ダイアローグ」の相手が。それが元同じ職場で働いていた女性の同僚。彼女は彼女たちの上司のコノエさんが興した会社で働いているようだ。無職さんに多少の恋心を抱いているようなコノエさんに無職さんは誘われたのだが……

『うっさいな! いーんだよ、あん時は休みたかったの! あんじゃん、そーゆーの! あんのよ! バカな事してるってわかってけどさぁ。あんの! わかってんだよ……っとにさぁ』

 と断った『34歳 無職さん』。

 彼女とは時々会ったりしているようだが、ちゃんとワリカンで飲み代は支払っているようだ。この辺は、元同僚だろうが、元学友だろうが、基本的には守っていかなければいけない道理。そう、会社都合退職なので失業手当も長く出たりして、まあ、贅沢をしないで普通に生活をしていれば、まあ、なんとかなるもんなのだ。

 で、その話があった第9話には

『いーけどさ、別に。娘さんとは会ってんの? たまには』

『…会ってない。仕事やめてから』

『はあ?』

『なんか…カッコ悪くてさ』

 という会話があって、なんだ『34歳 無職さん』って独身だとばっかり思っていたら、結婚歴があって、娘もいるんだ、ということが徐々に分かってくる。

 まあ、美人ということもないが、だからといってブスというほどでもない、まあ、普通に美しい独身女性で、今は何もしていない女性という、なんか中年だが不安定な立場にある女性というと、これはまたこれで魅力的に見えてきてしまう『34歳 無職さん』。この辺は、作者のいけだたかし氏の絵の巧みさもあるのだろう。結構、魅力的な女性として描かれている。

 しかし、娘もいるということになってしまうと、その娘や元夫との関係もどうなるんだろうという、今後の話の展開も気になってきてしまう。

 当然、娘を伴って実家に帰ったりするエピソードも出てくる。しかし、元夫との会話や、娘との会話も漫画にはでてこない。やはりあるのは「モノローグ」だけなのだ。

 物語は、まだ退職して1年経っていない状態なので、今後どうなるのか、1年後にどこかの職場に復帰するんだろうか、でも、そうなっちゃうと「34歳」でもないし、「無職さん」でもなくなってしまうので、じゃあ、漫画も終わってしまうのか?

 ということは連載は1年間で終わりということですね。

 まあ、それも潔いといえば潔い。読者としてもうちょっと続きが見たいといえば見たい。しかし、なにしろ『34歳 無職さん』だもんなあ。

 ここは「潔さ」に賭けて、最後まで読みましょうか。

 できれば、彼女が幸せになって、娘と一緒に生活が出来るような展開になればいいなあとは思うのですがね。

『34歳 無職さん』(いけだたかし著/メディアファクトリー/2012年6月30日刊)Kindle版は10月23日に5巻が出る。もう予約した。

2014年10月13日 (月)

tsunokenの自転車記 VOL.4 2014/10/12はやはりパレスサイクリングは気をつけて走りましょう

 秋はサイクリングには一番いい季節なんだけれども、スポーツにも一番いい季節ということで、週末はアメフト、ラクロスなどの観戦でほとんどツブれてしまって、9月14日からまったく自転車に乗っていない。

 昨日は久しぶりに観戦予定がなかったので、サイクリング。そこは初心者に戻ってパレスサイクリングへ。先週日曜日は終日雨だったので、パレスサイクリング自体も2週間ぶり。ということで、昨日はかなりの人出(?)で、いつもより走路は混んでいる状態。天気も曇り時々晴れということで、暑くもなく寒くもないという、まあ言ってみれば自転車日和ということもあったのかもしれない。

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 走行距離56.91km、平均時速19.7km/h、最高時速35.1km/h、実走行時間2時間52分41秒。

 まあ、久々のサイクリングとしてはこんなものかなという、どうでもよい実績。

 しかし、パレスサイクリングは自転車の持ち込み可であるのだが、基本的にはファーミリーサイクリングのコース。

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 こんな小さな子を交えたファミリーサイクリストとか……

 貸し出しタンデム車に乗っているカップルとかがメインなんだ。

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 勿論、ロードバイクで走ってもいいんだが、小さな子は突然転んだり、方向転換をしたりして、結構危ない。なので、基本的に小さな子やファミリーサイクリストの脇を通るときは、気を付けて少し離れて走ったほうがよい。

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 こんなTTバイクを持ち込んでも構わないんだけれども、ファミリーのそばを走るときはTTポジションでは走らない方が良いだろう。TTポジションは元々閉鎖されたコースを一台だけで走るために作られている。集団走行ではレーサーだって基本的に普通のロードバイクのポジションで走っている。飛ばしたいのはよくわかるが、皆がみんな飛ばしたいのではなく、まったり走っている人が多いコースであるということをわきまえないと、今後TTバイクやロードバイク持ち込み禁止なんてことにもなりかねない。

 まあ、ガチで走りたい人は大井埠頭に行けばいいんだけどね。皆、速いゾー。

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 こんな目には遭いたくないでしょ。

 最後に、東京消防庁の消火訓練を……

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RICHO GRDⅢ @Palace Cycling (c)tsunoken

2014年10月12日 (日)

モードラを買いに小作まで行く

「モードラを買いに小作まで行く」っていったって、何のこっちゃい……、っていうところですね。

 ハイ、すみません。私のNIKON F4に次ぐもう一つのアナログ・ニコン、New FM2のアクセサリーであるモータードライブMD-12を購入するために、青梅線は小作(「おざく」と読みます)まではるばる出かけた、ってことを言いたかったんです。

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 小作駅です。駅の周りはなんかいかにも地方都市って感じで、いやいやすみません、東京の郊外ですね。

 横田基地の米軍機が訓練飛行を行っている、という場所です。

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 で、そのMD-12を買ったのが「カメラのキタムラ羽村店」というところ。お値段は3,480円。や、安い! 以前は数万円したのになあ。カメラのキタムラって、デジタルカメラ専門の店なのかと思っていたら、なんとこんな旧式のアナログカメラのアクセサリーなんかも置いてあったのです。

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 以前、オリンパスペンFTのワイドレンズを買いに東松山まで出かけた話を書きましたが、銀座なんかの中古カメラ店ではライカやニコンなどの高級カメラ本体やレンズは売っているのですが、こうした安いアクセサリーなんかは置いていません。多分、値段が安すぎて銀座の地価では割が合わないのかも知れません。で、こんな田舎(失礼!)に行かないと手に入らないということに……。

 で、なんでモードラなんだという話ですが。

 別に理由はありません。周辺にいろいろなアクセサリーがあるシステム・カメラを手に入れると、なぜかそんなアクセサリーが欲しくなるっていう、凡人が陥るワナみたいなもので……。それに以前持っていたNew FM2の時もモードラを使っていたというだけのことで……。

Img0142 小作駅前の「懐古の井戸」っていう遺構。なんだかよくわからないですが、

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 美容室の名前が「オザック」っていうのが、いかにも小作らしい。

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 で、これがMD-12の本体。

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 New Fm2に装着するとこうなる。なしだと普通の旧式なアナログ一眼レフですが、付けると、結構、精悍な感じになるでしょ。もともと金属シャッターで音が大きいNew FM2なんだが、モードラ付けるともっと盛大な「ガッシャン」っていう音になります。周りの人がビックリしちゃいます。そこも面白い。

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NIKON New FM2 Ai-S NIKKOR 50mm/F1.4 @Ozaku, Hamura (c)tsunoken

2014年10月11日 (土)

山手線唯一の踏切

 駒込の「凄いところ」を紹介しようと思っていたら、ひとつ忘れていたものがあった。何が「凄いところ」なのかと言われると、まあ返事には困っちゃうんだけれどもね。

 それが今日紹介する「山手線唯一の踏切」なのである。

 正確には「山手電車線」と言わなければいけない。「山手線」と言ってしまうと山手貨物線(湘南新宿ライン)には代々木駅付近に踏切があるからね。とは言うものの、基本的には円を描いて走っている山手線の唯一の踏切がここ、駒込駅と田端駅の間、住所的には北区中里なんだけれども、そこにあるのである。命名「中里第二踏切」、ただし「第一」は既に廃止になっている。

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 山手線の踏切である。山手線は2~3分に1回走っている首都圏の幹線である。そこで当然この踏切もそんな感じでしょっちゅう閉まっている。

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 写真を撮ろうと思って待っていてもすぐに電車が来るのでラクチン、ラクチン。

 更に、これが駅のそばの踏切であると「開かずの踏切」になることも多いのだけれども、ちょうど駒込駅と田端駅の中間点にあるということと、山手線はすべて各駅停車なので間隔は一定、おまけにこの踏切は殆ど歩行者しか渡らない踏切なので、まあ、そんなに住民にとっては迷惑にならない踏切のようである。

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 ところが田端駅の方に行ってみると、「赤紙仁王」で有名な真言宗東覚寺の脇から、滝野川第一小学校へ上がっていく広い坂道ができている。

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 で、その坂道を更に上がっていくと、用地買収が済んでいないところと思われる、途中少し狭いところもあるが、その先がまた広がっていて、で、山手線の線路脇で突然その道路は途切れてしまうのだ。

 で、山手線の反対側を見ると、そこは緑地になっていて、その先は聖学院の前を通って、西ヶ原で本郷通りに繋がって、古河庭園や飛鳥山公園へと至る道に繋がっている。

 つまり、田端あたりの道もどこかに繋がる予定なんだろうけれども、一方、山手線の部分も、多分山手線を超える跨線橋が出来てしまうんだろう。

 そうなれば、山手線は全国で唯一の「踏切のない主要路線」になる可能性が大きい。

 今や、珍しい都心部の「踏切」。

 見ておくのなら今のうちですぞ。

 急げ!

2014年10月10日 (金)

『浦安鉄筋華族』VOL.1がタダだ……っていったって、それはフリーミアムだってことはわかっているんだけれどもね

「『浦安鉄筋家族』(1)期間限定 無料お試し版」っていうんで、思わず「ポチ」してしまったんだよなあ。

Photo_2『浦安鉄筋家族』(浜岡賢次著/少年チャンピオン・コミックス/1993年7月25日コミックス版刊・2011年9月22日デジタル版刊)

『浦安鉄筋家族』は1993年に「週刊少年チャンピオン」で連載開始され、その後2002年には『元祖! 浦安鉄筋家族』、2010年には『毎度! 浦安鉄筋家族』となり現在も連載継続中の人気ギャグ漫画である。

 大地丙太郎の監督、スタジオ・ディーンの製作という、私も良く知っているメンバーによってテレビアニメにもなっている。

 キャラクターは大沢木金鉄(大鉄の父、76歳)、大沢木大鉄(43歳、個人タクシー運転手)、大沢木順子(41歳、大鉄の妻)、大沢木晴郎(長男、浪人生)、大沢木桜(長女、中学2年生)、大沢木小鉄(二男、小学3年生)、大沢木裕太(三男、8か月)、スタスキー(チンパンジー)、ハッチ(犬)の一家を中心に、基本的には小鉄の周囲の小学生が主に出演する。

 大鉄のタクシーなんだが、これがS50型プリンス・スカイライン(日産と合併する前のプリンス製)という超シブい車。スカイラインGTBやGTAではないようなので、多分1500ccのスカイライン・スタンダードだろう。

 で、ギャグ漫画のお約束通り、このスカイラインがしょっちゅうぶっ壊れるのだ。これだけ毎回毎回ぶっ壊れても、次の週にはまたちゃんと登場するんだから、一体、何台のスカイラインを持っているのだろうか? それも今の時代にはちょっと探せないようなスカイラインだぜ、って、まあだからギャグ漫画なのか。

 というかこの漫画家、結構クルマ好きなようで、『4発目 空飛ぶハグキ』にはジャッカル53みたいな六輪車が出てくるし(って、あれ? この漫画を描いた時にはまだ発表されてなかったよなあ)、『8発目 腹毛が笑う日』にはスバル360みたいなのが出てくる(いやいや待てよ、スバル360に4ドア車なんてないはず……)、『11発目 ボビンな気分』で大沢木大鉄のタクシーを追いかけるパトカーなんてマセラッティ・ビトゥルボではないか、『12発目 にーちゃんウータン』ではロータス・エクシージが出てくるし、更に『15発目 ホールイン馬鹿』に出てくるヤクザのクルマがなんせ初代三菱デボネアなんだよなあ。

 子供向けのギャグ漫画なので、出てくるクルマも微妙にギャグ的になっているが、もしこの漫画家が別の漫画を描くことがあれば、多分それはクルマ・ギャグ漫画なのかなあ……、ってそんなのあるのかなあ。まあ、それはいい。要は、この作家のクルマ漫画も見てみたいってだけなんだが。

 で、面白いのが巻末にある『「浦安鉄筋家族」①作品評』なんだが、要は作家が勝手に書いた自作評なんだよな。

 いわく

1発目 気合い度100%の第1話。肩の力が入りすぎた。
2発目 やる気とは裏腹にパワーが空回り。
3発目 晴郎のモデルは担当のイトウ氏。(ウリ300)
4発目 暗中模索
5発目 土井津仁。のちにサブレギュラーになる。
6発目 けっこううまくいった。
7発目 トレーナーのネタはあんまりおもしろくなかった。
8発目 これと9話は2本立て。カトちゃん最高♡
9発目 水球部での実話。
10発目 もっとパワフルにできたはず。
11発目 大失敗作!!
12発目 晴郎、ひさびさの主演作。
13発目 アシスタントの樋田君と2人で考えた作品。
14発目 禁煙したことはありません。
15発目 「4年1組」の76話と122話をくっつけて、1本にしました。
16発目 連載開始16話目にして初めて納得できたのがこれ!!

 という感じ。

 なんだこれは「自作評」じゃなくて、たんなるネタばらしじゃないか。

 まあ、別に漫画家が自作のネタばらしをしたって構わないが、だからといってねえ。別に読者はそんなものを読みたくはないのだけれどもねえ。

 えっ? 何なに? 「期間限定 無料お試し版」って、要は秋田書店の「フリーミアム」に引っかかっただけでしょ、って? その通り。ただし、その「期間限定 無料お試し版」を読んだからって、その後を読み続けるかどうかは別の問題でしょ。

 う~ん、実は悩んでいるんだ。つまり、この『浦安鉄筋家族』を読もうというなら、もう完全に「大人買い」をして一気に読んでしまうのだけれども、そこまでの作品かなあ、ということなのである。

 1巻目はそこそこ面白かった、とは言ってもそれで一気に大人買いをして読んでしまうのもちょっと気が引ける、っていうかそこまでの作品ではない、というのがちょっと残念なところ。更に、これってギャグ漫画でしょ。つまり、ストーリー漫画は、その先のストーリーが気になって、ついつい読んでしまうっていうことがあるんだけれども、ギャグ漫画って一発一発が勝負だから、今回面白くても次が面白いっていう保証はないのだ。

 なので、秋田書店さん、ギャグ漫画の「期間限定 無料お試し版」は要注意ってことだけは言っておきます。

 出版戦略って、難しいよね。

『浦安鉄筋家族』(浜岡賢次著/少年チャンピオン・コミックス/1993年7月25日コミックス版刊・2011年9月22日デジタル版刊)

2014年10月 9日 (木)

『日本人というリスク』というけれど、それはリスクについての考え方の問題じゃないのか

 戦後の日本人の人生設計を支配していた四つの神話が崩壊しているということを指摘しているんだが、その四つの神話とは「不動産神話」「会社神話」「円神話」「国家神話」だそうだ。

 では、その神話の実態とはどういうものなのだろう。

Photo_2『日本人というリスク』(橘玲著/講談社+α文庫/2013年5月1日刊)

『不動産神話 持ち家は賃貸より得だ』

 というけれども、私はまだまだ「持ち家は賃貸より得だ」という方に惹かれるのだなあ。つまり橘氏が言う通り『不動産は株式や債券などと同じ金融資産として扱われています』という、その言葉を信じるからこそ、「持ち家は賃貸より得だ」と考えるのである。なぜなら、これまた橘氏が書く通り『マイホームの所有者は、帰属家賃という見えない収入を受け取っています』からなのだ。

 勿論、資産のすべてをマイホームにかけてしまって、ポートフォリオもなにもない、という状態にしてしまったらそれはリスクでしかない。おまけに住宅ローンを借りるだけ借りて(つまりおおきなレバレッジをかけて)しまっては、それはまさにリスクにレバレッジをかけているようなもので、基本的にはやってはいけないことであろう。しかし、早めに住宅ローンの支払いを繰り上げで返済してしまい、100パーセント自分の持ち物にしてしまえば、それは逆に帰属家賃を受け取っているのと同じ状態になるわけで、その帰属家賃で別の資産を購入すれば、十分なメリットになる。

『「賃貸より持ち家が得」とされているのは持ち家のほうがリスクが高いからです。市場が効率的であれば、リスクが高ければ高いほど、そこから得られるリターン(報酬)の平均は大きくなります。逆にいうと、高いリターンを期待するのなら、大きなリスクをとらなければなりません。ところが「地価は永遠に上がりつづける」という不動産神話が健在なときは、このリスクは水面下に沈んでだれも気づきませんでした』

 というけれども、そんな「不動産神話」なんてものを信じていなかったからこそ、私はリスクをとってマイホームを手に入れたのである。つまり、なるべく住宅ローンのお世話にはならないように気を遣って手に入れるのである。、定年になって現金収入が減ってくると、そのありがたみが分かってくるのである。あるいはその家を賃貸に出して、自分たちはもっと小さな家にすむという選択肢も増えてくるのである。

 確かに『リスク分散という視点から見れば、リスク耐性の低い個人が、特定の不動産に高いレバレッジをかけて金融資本のすべてを投じるというのはきわめて危険な選択だ、ということです』というのは確かだ。だからこそ、そうした選択はせずに、不動産投資をすればよいのである。

 なので私は「持ち家は賃貸より得だ」という話を「神話」としてでなく、信じている。

『会社神話 大きな会社に就職して定年まで勤める』

 というのは理解できるな。私が就職したのは確かに業界では大きい方の会社ではあるが、よくよく見れば「資本金3億円、従業員数1,000人」なんて会社は、東証でいえば二部にギリギリ上場できる規模でしかない。しかし、結局はその会社には定年まで勤めることにはなった。が、しかし、もともとそれは初めの目標ではなくて、10年位勤務したら退職してフリーで仕事をするつもりであった。

 ところが、入社して10年ほどしたら、映画を作るセクションができて、そこで仕事をすることになってしまい、なんか、入社前の希望がかなってしまった為に、結局、会社を辞める訳にはいかなくなってしまい、定年まで勤め上げることになったしまったのであります。

 なんか、これって「幸せな人生」ってこと?

『円神話 日本人なら円資産を保有するのが安心だ』

 この場合の「円資産」とは預金や債券などのこと。じゃあ株式はどうなのか……

『長期にわたって投資の実質利回りを調べると、インフレ率を超えているのは(すなわち実質利回りがプラスなのは)株式と不動産で、預金や債券はほとんどの場合、インフレに負けている(実質利回りがマイナスになっている)のです』

 なるほどなあ

『株や不動産はリスク資産ですから、価格が下落して損をする可能性があります(というか、日本ではほとんどの投資家が損をしてきました)。それに対して預金や債券は、元本が保証されているうえにデフレの分だけ実質利回りがプラスになるのですから、これはきわめて有利な投資機会です』

 ということ、これは最近のデフレ状況下でのお話しである。つまり、この本の親本が書かれた2011年7月の時点でのこと。逆にアベノミクスが多少の好影響となっている現在では、やはり株や不動産の方が実質利回りが良いということになってしまう。

 まあ、どちらが有利かは短期的にはその時点での景気に左右されてしまうが、長期的には経済は伸長してきているので、やはり株や不動産の方が「得」ということになるのではないだろうか。

『国家神話 定年後は年金で暮らせばいい』

 これは今や完全な神話であり、もっともリスクの高い生き方になってしまった。

『国家破産は原理的に三つの経済事象しか引き起こさないことがわかります。

①高金利
 国債の信用に投資家が不安を抱けば、債券価格は下落して金利が上昇します。

②円安
 外国為替市場ではさまざまな国の通貨が売買されており、日本円の価値が下がれば、当然、外貨の価値が上がって円安になります。

③インフレ
 通貨というのはモノやサービスを売買するときの指標ですから、通貨の価値が下がれば物価は上昇してインフレになります』

「高金利・円安・インフレ」になると一番影響を受けるのは、定年後の年金生活者であろう。

『日本経済が急激なインフレに見舞われば社会は大きな打撃を受けますが、そのなかでも最大の被害者は貯蓄の少ない年金生活者になるでしょう。制度上、年金額はインフレを勘案して調整されることになっていますが、現在の「マクロ経済スライド」方式では、年金の支給額は加入者の減少や平均寿命の伸び率も考慮されるので、物価の情報がそのまま支給額に反映されるわけではありません。さらにその改定は年一回なので、急速な物価上昇に追いつけず、実質的な年金受給額を大きく目減りしてしまいます』

 ということ、ではそれにはどう対処すればいいのだろう。

 結局、そこにいくと最初の「不動産神話 持ち家は賃貸よりも得だ」に戻ってしまうのであります。つまり、その不動産を賃貸に出して「自分年金」として活用するのである。

 結局、定年後の自分の生活は自分で防衛するしかないということなのである。

『とりわけ高齢者は、円預金と年金以外に生きていく術がないのですから、それが価値を失う恐怖はとてつもないものがあります。そのため彼らは既得権を守ろうと必死になりますが、それいよって政府の財政健全化計画は頓挫し、ますます国家破産のリスクが高くなるという悪循環が起きています』

 などという高齢者にならないためには、あえてリスクをとってでも、生き抜いていかなければならないのである。「不動産神話」は確かにリスクである。しかし、そのリスクをとることで自分の防衛策になれば、それでいいのである。

『日本人というリスク』(橘玲著/講談社+α文庫/2013年5月1日刊)

2014年10月 8日 (水)

CEATEC JAPAN 2014 静かに開幕

 今年もCEATECが始まって秋のイベント・シーズン開幕であります。

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 が、一般公開初日ということもあるのか、なんか今年のCEATECは静かな雰囲気だ。

 Technicsというブランドを復活させたPNASONICブースもなんか物静かな雰囲気で、家電業界の元気のなさがそのまま出てしまっているような感じだ。

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 そういえば、毎年派手なプレゼンテーションをするソニーが今年は出展を見送りしている、というのも地味な印象を際立てているのかもしれない。

 自動車メーカーも、昨年のように7・8ホール全体を使って自動運転をアピールするという展示もなく、トヨタ、ホンダともに水素を使って燃料電池車をプレゼン。

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 マツダだけが衝突回避システムを展示して、クルマとITの融合なんてものをアピール。

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 結局、お客さんを集めていたのは、オムロンの卓球ロボットや……

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 村田製作所の……

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 可愛いチアリーディング部なんかのテレビで紹介されていたプレゼンテーション。

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 そういえば目立ったのは、来年3月に新幹線が開通する北陸や、北海道、愛知県などの地域の企業誘致であった。

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 というなんか地味~な今年のCEATEC。なんだかもっと元気出していこうよ、と言いたくなるイベントではあった。

 CEATEC JAPAN 2014は幕張メッセにて10月11日まで開催中。

 公式サイトはコチラ

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm/F3.3-5.6 ED @Makuhari Messe (c)tsunoken

2014年10月 7日 (火)

「急傾斜地崩壊危険箇所一覧表」というのがある

 昨日、一昨日の台風18号はなかなか凄かった。

 多くの人々が災害にあったり、交通マヒなどの影響を受けたことだろうと思うのだが、ひとつびっくりしたのが港区が出した避難勧告だった。

「港区は午前10時36分、元麻布2、3、4丁目や麻布十番1、2丁目、白金台3丁目など約2万2900世帯、計4万5500人に避難勧告を出した。大雨などで避難が困難な場合は、頑強な建物の2階以上に避難するように呼びかけている」(ブルームバーグ・ニュースより)

 えっ、なんであんな都心の港区で避難勧告? と思ったのだが、それは大雨による浸水ではなくて、崖などの崩壊の危険性だったのだ。

Photo<東京都 土砂災害危険箇所マップ> 港区索引図より

 港区には大雨などによる急傾斜地崩壊危険箇所というのが、自然斜面で白金台、元麻布、南麻布、赤坂、東麻布、芝公園、三田、高輪、白金、麻布狸穴、愛宕など20か所あって、人工斜面では98か所もある。

 となると気になるのは、港区に負けず劣らず坂道の多い我が文京区はどうなっているんだ、ということ。で、「急傾斜地崩壊危険箇所一覧表 文京区」でググッてみるとありました、ありました。

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 文京区には自然斜面が、目白台、関口、春日、白山、西片、千駄木、弥生、大塚の12か所、人工斜面が、目白台、関口、大塚、音羽、小日向、春日、千石、小石川、白山、本郷、西片、千駄木、湯島などで36か所と、港区ほどではないが、結構沢山あるのがわかる。

Photo_3<東京都 土砂災害危険箇所マップ> 文京区索引図より

 で、なんで港区で避難勧告が出て、文京区では出なかったのか? 在日中国大使館との関係か? なんてことはなくて、急傾斜っていっても、港区でも芝公園や三田、高輪には避難勧告は出ていないので、傾斜の度合いの問題なのだろう。文京区も確かに坂道は多いけれども、港区の麻布あたりほどには急傾斜地はない。なんせ麻布十番のそばには「麻布暗闇坂」なんてのもありますからね。

 こうしたハザードマップには土砂災害だけでなく、浸水や地震などのハザードマップもある。地方自治体のホームページに行けば簡単に手に入るので、皆さんもそれらのハザードマップを一度覗いて、自分の住んでいる地域のどの辺が危険なのか、どの辺が安全なのかを調べておくと、いざという時に役に立つだろうし、どこに住むのかを検討する際にも役に立つ。

 基本的には「低いところよりも、高いところの方が安全」というところなのだけれどもね。

2014年10月 6日 (月)

マッサン流「大人酒の目利き」はニッカウィスキーを飲みたくなる本なのである

 まあ、確かに連続テレビ小説『マッサン』を見て買った本です。単なるミーハーです。でも、いじゃないか、この機会にサントリーとニッカの関係を見ておくのもね。

 ま、確かにミーハーではあるな。

Photo『マッサン流「大人酒の目利き」』(野田浩史著/講談社+α新書/2014年8月20日刊)

 著者の野田浩文氏は北海道生まれでオーセントホテル小樽に開業時からバーテンダーとして携わった人。小樽と余市はすぐ隣の街なので、そんな意味ではニッカウィスキーの祖、竹鶴政孝には昔から憧れというか親近感を持っていたわけだ。2013年には「竹鶴アンバサダー・オブ・ザ・イヤー」というものに選ばれたそうだ。この「竹鶴アンバサダー・オブ・ザ・イヤー」というものがなんだかよくわからないが、要はニッカの竹鶴氏の考えかを良く理解して、なおかつそれを広めようとしている人の中から選ばれるひとなんだろうなあ、とういうことは分かる。

 そんな野田氏に担当編集者が「竹鶴政孝がご健在で、野田さんのいるキャプテンズ・バーにいらしたらどうしますか?」という問いを出したそうだ。

 そんな質問をする編集者も編集者だが、それに応える野田氏も野田氏だ。普通のバーテンダーなら「いやあ、そんなこと考えられないですよ」と逃げてしまうところだが、キチンと応えているところが野田氏らしい。

『1杯目「『余市12年』のお湯割り 南部鉄瓶仕込み」
「シングルモルト余市12年」に、おいしい小樽の水と塩を少々。
 水を鉄瓶で温め、いい人肌加減の頃合いを見計らいウィスキーを少々加える。塩をひとつまみ入れ、いい塩梅に仕上げて、茶碗に注ぐ。塩はウィスキーとお湯のつなぎになります』

 う~ん、最初に「お湯割り」が出てきたか。ウィスキーの一番良い飲み方は「ストレート」だと思っていたのだが、そうではないのだなあ。

『2杯目「『スーパーニッカ』の水割り」
 美しいグラスに、磨き上げた氷を2つ入れてバースプーンでかき混ぜて一気に冷やします。そしてグラスが氷に近い温度になるまで冷えたら氷を1つ抜く。このとき氷は表面がうっすら溶けています。これを「泣きの氷」といい、アルコールを混ざるのにベストの状態になって、酒の味を邪魔せず、まろやかに仕上げることができるんです』

 う~ん、スーパニッカのボトルの形は竹鶴政孝の妻、リタのイメージに一番近いものなのだそうだ。つまり『リタの涙を表している「涙型のボトル」』なのだという。なので、竹鶴政孝が一番愛した妻リタの姿をイメージしてスーパーニッカなのか。スーパーニッカというのは、サントリーのオールド(ダルマ)みたいに、ウィスキーを一般化させるために作った、そんな汎用ウィスキーなのかと思ったのだが、そうではなくてニッカにはニッカなりの、いろいろな歴史があった訳なのだなあ。

『3杯目「『ブラックニッカ クリアブレンド』ベースもの『ノスタルジア 郷愁』」
 これは冬寒い小樽の粉雪。カクテルグラスを冷凍庫に入れて、冷やっとした霜をつける。その上に粉砂糖をシノワという漉し器にかけてぱらぱらと振る。グラスの外側が真っ白に雪化粧されるわけです。
 ベースは政孝に敬意を表してニッカの「ブラックニッカ クリアブレンド」。それにエスプレッソとチョコレートバニラリキュールを合わせてシェイク。そして仕上げに生クリームをふわっと浮かせるんですが、口にすると上唇にシルクのような生クリームがつく。淡雪です。
 そして最後にカクテルを飲み干そうとしても、淡雪はグラスに残り、飲み干せない。それでなごり雪』

 う~~~~ん、そうきたか。

 ジンやウォッカなんかがベースのカクテルはいろいろあるし、それにまつわうエピソードなんかも多い。例えば、イギリスの首相チャーチルが好んだドライマティーニはジンストレートを飲みながらベルモットのボトルを睨みつけるというのが、チャーチル風エキストラ・ドライ・マティーニだったりとか、日本海外記者クラブのメインバーの倉庫でジンとベルモットの空き瓶の数を数えて正確な「エキストラ・ドライ・マティーニ」の分量のあり方なんてのを調べたなんていう、まあ、どうでもよいことを調べた人がいたなんていう位、ジンに関してはいろいろ日本人でも知っていることは多い。ああ、007ジェームス・ボンドはウォッカ・ベースのマティーニがお好みだったとかね。

 でもウィスキー・ベースでもこれだけいろいろなカクテルがあるんだなあ。

 とここまで書いてきてちょっと気になることが湧いてきた。

 だって、この本はバーテンダーが書いた本でしょ。ということは、やはりカクテルを売り込まなきゃ、バーテンダーの立場がない、っていうか、それそれのウィスキーのことだけを語ってしまっていては、それはそのウィスキーに関する薀蓄だけに終わってしまって、そこから何かが発展することはない。

 そうか、だからバーテンダーとしては、竹鶴政孝に敬意を表しつつも、そこはバーテンダーの意地としてカクテルを薦める訳なのだな。

 そう、やっぱりウィスキーはそのまま飲む「ストレート」が一番美味しいのだ。

 もう一つ下がって、「オン・ザ・ロック」かな。

 更に下がって「水割り」なんだが、日本の(それも銀座風の)水割りじゃなくって、基本的には水割りには氷を入れなくて、ウィスキーと水を1対1にして飲むのがスコットランド風だっていうことを聞いたことがあるんだけれども……。

 さて、NHKドラマ『マッサン』はどんな展開を見せるのかは分からない。

 サントリーと「喧嘩別れ」をしてニッカを作ったという風に昔は信じていたのだけれども、そうじゃなくて、単に寿屋(サントリーの前身)とは普通に10年契約で入社しただけで、10年後にそれこそ普通に退社しただけなんだということも、この本で分かったこと。

 まあ、鳥井信治郎がその商売人感覚で山崎に蒸留所を作らせたのに代わって、竹鶴政孝が北海道の余市に蒸留所を作りたかっただけなんだということが分かる。

 まあ、たしかに山崎よりは余市の方がスコットランドの気候には近いということは、緯度を見ただけでもわかる。

 ようは、「こだわり」をどこにおくのかという問題なんだろう。

 ということで、いまや「竹鶴」を呑みながらブログを書いています。

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 竹鶴だっ。

 おいしいよ。
 

『マッサン流「大人酒の目利き」』(野田浩史著/講談社+α新書/2014年8月20日刊)さすがに講談社。もう、ちゃんと電子化されているんだ。

2014年10月 5日 (日)

大学ラクロス・立教大シーズン終了……とはいかなかった

 はやくも最終節を迎えた関東学生ラクロスリーグ戦である。

 最終節を前に早稲田大と東京大が3勝1引分で星を並べていて、今日の早大vs.東海大戦と、東京大vs.東京理科大戦の(多分)得失戦差で1部Aブロックの優勝が決まるという状況の中、ブロック4位の一橋大学(4戦2勝2敗)とブロック5位の立教大学(4戦0勝2敗2引分)の試合が行われた。

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 立大が勝てばブロック4位で1部残留、負ければ入替戦出場ということになる、立大にとっては非常に大切な一戦である。

 が、いつもの通り、どうも立ち上がりに弱い立大は早くも一橋に1点献上。

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 しかし、その後フェイスオフからの速攻で1点を返す。

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 が、まあ、良かったのはそこまでで、その後は一橋の好守をなかなかかわせない。

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 第1、第2クォーター(Q)にそれぞれ1点ずつを返したものの、立教の攻勢はそこまで。

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 結局は4対2で前半を折り返す。

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 後半に入ると、一橋の攻勢はますます強まり、とにかく一橋オフェンスのボール・ポゼッションが圧倒的になる。

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 一方、立大は殆ど自陣での戦いになってしまって、数少ない攻撃の際にも、ボール保持力が弱く、一橋にボールを奪われてしまうことが多々。

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 結局、12対2という大差で立教大は一橋大に破れ、5位確定。というか(まあ、ほとんどあり得ないけれども)東京理科大が東京大に勝ってしまうと最下位確定。

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 ということで10月4日に立教大のレギュラーシーズンは終わったのだけれども、それで試合は終わらずに、ポストシーズンの入替戦出場と相成った。

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 同じポストシーズンでも、昨年の「もしかしたらファイナルフォー(準決勝)?」という状況からの一転しての入替戦である。

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 立教大キャプテン#10中山は苦境を語るも、絶対に入替戦では負けないと明言。

 頼みますよ、キャプテン!

NIKON D7000 SIGMA DG 150-500mm/F5-6.3 APO HSM @Ohi (c)tsunoken

2014年10月 4日 (土)

レンズテスト from 新宿 to 高田馬場

 ヘリコイドが動かなくなってしまったAi-Sニッコール50mm/F1.4だったのだが、これは基本的にヘリコイド内部のオイルの硬化によるものと相場が決まっており、このオイルを交換すれば問題解消。

 ということで、新宿のニコンサービスに出していた修理が完了。早速、レンズテストであります。

 まずは新宿ニコンサービス(新宿エルタワー28階)から南の方へ向かってショット!

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 新宿西口からしょんべん横丁へ向けてショット!

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 区役所通りでショット! ここは結構好きなショットポイント。まえにもブログに載せた落書き。

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 花園ゴールデン街脇でショット! 

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 明治通りに出てショット! う~ん「古女房、古旦那以外は たいがい片付け処分いたします」ってリサイクル屋さんの店先。そうか、古女房は片付けてくれないのね。

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 早稲田松竹前でショット! 映画を観るのか観ないのか、不思議な人たちではありました。

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 高田馬場駅付近の不動産広告の前でショット! この人も、住む家を探しているのか、単なる興味で見ているのか。

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 高田馬場駅脇の横道で2ショット!

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 う~む、こうして見るとAi-S ニッコール 50mm/F1.4って、昔のニコン一眼レフの基本レンズで、ニコン一眼を買うと標準で付いてくる「おまけレンズ」みたいな感じだったんだけれども、当然、生産数は一番多いレンズだったわけで、それなりにこなれて写りのいいレンズだったんだなということがわかる。

 当時は、まだレンズ設計にもコンピュータが使われていない時代。現代のように、コンピュータでレンズ設計を行い、それでシミュレーションをして、そのままコンピュータ制御でレンズを作っている、というのとは全く違った世界で、「多分こうなるだろう」という予測のもとにレンズ設計をして、設計図の通りに人間が試作をしてテスト、それを元に製作機械を設計して作っていたという、まさに職人魂の塊のようなレンズだ。

 デジカメ全盛になってはいても、基本的にはカメラの性能というか、写り方の優劣というのは、光の入り口にある「レンズ」である。カメラがいくら良くてもレンズがダメならダメ・カメラ。カメラの出来が多少悪くても、レンズが良ければ良いカメラ。ということで、戦後の日本のカメラの歴史は、まずライカ・レンズをつけられるカメラを作り始めたんだよな。

NIKON F4 Ai-S Nikkor 50mm/F1.4 @Shinjuku & Tkadanobaba (c)tsunoken

2014年10月 3日 (金)

『グローバリズムが世界を滅ぼす』のではない、それに対応できない国の政策が世界を滅ぼすのだ

『グローバリズムが世界を滅ぼす』と言ってみても、既に国境を越えてしまい、国籍がなくなってしまった企業を元の姿に戻すことなんかが出来るのだろうか?

 むしろ、別の方法を考えた方がよさそうである。

Photo『グローバリズムが世界を滅ぼす』(エマニュエル・トッド、ハジュン・チャン、柴山桂太、中野剛志、藤井聡、堀茂樹著/文春新書/2014年6月20日著)

 19世紀後半、1870年代から1914年の第一次世界大戦までの期間を第一次グローバリゼーションと呼んで、現在のグローバリズムを第二次グローバル化と呼ぶのが近年の歴史家の一般常識だそうだ。

 では、第一次グローバル化と第二次グローバル化はどこが似てて、どこが違うのか?

 第一次グローバル化がなぜ起きたのか、その要因は……

『一つは、大国が全面的にぶつかり合う大きな戦争が不在だったということです。

 二つ目に、当時のグローバル化はイギリスによって積極的に推進されていました。

 三つ目は、金本位制です。一八七〇年代からの世界の主要国のすべてが金本位制に参加し、国際的な通貨制度が確立しました。

 四つ目は。技術革新です。現代はIT革命の時代などと言われますが、当時は輸送革命の時代でした』

 では、第一次グローバル化と第二次グローバル化の比較ではどうか……

『一つ目は、国をまたいで商売を行う多国籍企業が当時も存在していたということです。

 二つ目は、「経済的な相互依存が平和を導く」という学説の存在です。

 三つ目に、一九世紀はイギリス、二〇世紀はアメリカですが、世界経済の中心国において自由主義経済学が大きな影響力をもったという点です。

 四つ目として、グローバル化の時代には、先進国と新興国の対立が次第に激しくなります。

 五つ目は、周期的な金融危機を起こすということです。

 六つ目として、一九世紀終盤から二〇世紀前半は、世界史における帝国主義の時代でした』

 以上が共通点。では違いはあるのか?

『まず、国際通貨制度が異なります。かつての金本位制は、かなり問題のある精度でした。各国の通貨発行量が、その国の持つ金の量によって規定されてしまう……現在は変動相場制ですので、経済状況が悪化しても、各国はさまざまな政策によって景気の浮揚を図ることができます。

 二つ目に、第一次グローバル化の時代には、福祉国家の仕組みがまだ未発達でした。したがって、グローバル経済の変動から国民生活を守るには、関税を引き上げるなどの保護主義政策を採るしかありませんでした。

 三つ目は、IMFや世界銀行といった国際機関の存在です。これらは国家破産や債務危機に陥った国に融資を行い、世界経済のショックを和らげる働きをしています』

 とは言うものの、EU内部では通貨が統合されてしまっているので、EU内部の変動相場制というものはない。ということはEU内部のドイツ一人勝ち状況は固定化されてしまい、スペイン、イタリア、ギリシアなんかのEU内部属国状況は変化がないということになってしまうのか。

 だとすると、アベノミクスのような通貨切り下げ政策を取れる日本は、まだまだEUに比べると状況としては良いと言えるのか。確かに、アメリカやイギリスなんかも独自の政策をとって国を守ることが出来る。

『今、世界でグローバル資本主義が主張する完全な自由貿易、経済的国境の撤廃が最も進んでいる地域がEUであることは言うまでもないでしょう……。その結果、何が起きているのか。各国は通貨の切り下げなど金融政策や財政出動もできない。独自の産業政策も不可能になりました。経済の自立を失い、国家主権さえ失っているような状況です。それは、完全な失敗であり、そのためにヨーロッパは死に瀕しています』

『私はヨーロッパを、平和の地域、リベラルな民主主義の地域、協調の地域と考え、どちらかといえば、アングロ・サクソン流の資本主義に対立するものとして見ていました。私にとってヨーロッパは、社会的連帯のある国家、社会保障、国家の是認、統合の推進といったものの地域でした。しかし、今ヨーロッパで起きていることは、こうした考えに全く逆行しています』

 しかし、考えてみればこうしたグローバリズムやネオリベラリズムといったものも、結局はリベラリズムの行きつくところの考え方なのではないだろうか。企業活動が旺盛になるということは、リベラリズムでは「是」であるはずである。そして、企業活動が旺盛になればなるほど、企業は国境を越え、グローバルになっていくのである。その勢いを誰も止めることはできないだろう。

 だとしたら、そうした企業活動、産業活動からこぼれ落ちた人たちを救うためには、社会のセーフティーネットをより充実させるための政策を、国や国際機関は積極的に行うべきだ。で、そのために必要な資金の拠出は、リベラリストであれば拒否すべくではない。つまり、増税などにも積極的に応じなければならないということである。高福祉社会は同時に高負担社会であるということを、企業も含めて全体で認めなければならない。

 海外からの投資や企業の進出を促進するためには、法人税を下げるといった方法ではなく、法人税は別に今のままで構わないから、その代わりの方法を考えるべきだろう。法人税を下げて企業の進出を促進させるというのは、新興国や弱小国の行う政策である。

 先進民主主義国としては、もっと別の振興策があるはずであり、そんな新しい政策をこそ先進民主主義国がとるべき政策である。

 じゃあ、それがどんな政策なのか……、というのを思いつかないところが、私のダメなところなんだけれども。

 まあ、そこは皆で考えようよ……、と逃げておいて……。

『グローバリズムが世界を滅ぼす』(エマニュエル・トッド、ハジュン・チャン、柴山桂太、中野剛志、藤井聡、堀茂樹著/文春新書/2014年6月20日著)Kindle版が出たら読もうと思っていたのだが、なかなか出ないのでついに紙版を買ってしまった。

2014年10月 2日 (木)

『いわゆる「当たり前の幸せ」を愚直に追い求めてしまうと、30歳サラリーマンは、年収1000万円でも破産します』では触れないこと。実はそこが一番なんだけれどもなあ

 長ったらしいタイトルだが、まあ、言っていることは普通。そりゃあ、年収1000万円でも破産することはあるわな。でも、年収400万円でも破産しない方法もあるのだ。要は、考え方次第ってことで。

 ファイナンシャルプランナーからの提案っていうんだけれども、なんか頷ける点と、「うるせぇな」っていう点とあるんだよなあ。

1000『いわゆる「当たり前の幸せ」を愚直に追い求めてしまうと。30歳サラリーマンは、年収1000万円でも破産します』(小屋洋一著/東洋経済新報社/2014年5月1日刊)

 例えば、『収入が多くても少なくても、ライプランは必要です』って言うのだけれども、それは当然としても、実質30代で自身のライフプランなんて立てられる人がいるんだろうか、という疑問が湧いてきはしないだろうか。

 ライフプランは自分の人生の行く先がある程度見渡せなければ作れないはずである。少なくとも、30代前半で自分の人生が見えてきてしまっている人は、所詮そこまでの人であろう。

 基本的には、まだまだ30代前半は自分の将来像なんて見えなくて、取り敢えず必死になって自分の目の前にある課題に取り組んでいる頃のはずである。私も、30代前半は営業職から編集職(映像プロデューサー職)に変わったばかりで、その仕事と労働組合の執行委員の仕事で、他の事なんかは考える余地もない頃だった。勿論、その頃から既に結婚して子どももいる同期生なんかもいたが、まあ、仕事上は似たような感じだっただろう。つまり、30代前半というのはそういう時期なのである。

 そんな30代前半から自分の老後を見据えてライフプランを作るようなやつがいたら、そいつは目の前の仕事には既にリタイヤ状態なんじゃないだろうか。逆に言ってしまうと、30代前半はまだまだ先が見えないからこそ、生きていて面白いのであるし、仕事にも一生懸命励めるのである。人生において「先が見える」ということほどつまらないことはない。先が見えないからこそ、生き生きと仕事が出来るし、恋愛も出来るのである。「仕事」も「恋愛」も、先が見えないからこそ楽しいし、のめり込むことが出来る。先が見えないからこそ、ハラハラドキドキしながら、その人生を楽しめるのである。

 ところが、その30代前半から自分の人生が見えてしまっては、そのどこにハラハラドキドキがあるんだろう。結局、その人生は自分が敷いたレールの上を歩んで行くだけの人生でしかないではないか。そんな人生のどこが面白いんだろうか。

 勿論、そんなライフプランを作ったとはいえ、実際の人生はそんなライフプラン通りには進まないだろうから、それはそれで楽しいんだろうけれども、つまり、そんな人生の前半時代に作ったライフプランなんて意味はないということ。

 取り敢えず、30代はそんな先のことは考えずに、取り敢えず目先の課題に如何に取り組むかということに注力してください。会社もそんなあなたに期待しているのです。だって、30代40代って、サラリーマンとしては一番パフォーマンスを発揮できる時期なのだから。

 で、50代になってからでもライフプランを作るのは遅くはない。まだまだ、定年まで10年以上あるじゃないですか。つまり、30代の逆を言ってしまうと50代になってしまえば自分のサラリーマン人生の先は見えてきます。というか、その年になっても見えてこない奴はバカ。そんな年になっても、まだまだ自分が出世できるなんて考えている奴はアフォ。

 なので、その頃から自分のライフプランを考えるのだ。

 で、ここで一番大きな問題となるのは、「持ち家」にするのか「賃貸」にするのかという問題ですね。

『持ち家を持つということが、ギャンブル的要素を多分にはらんだ「投資行動」であるのに対し。賃貸に住み続けることは、住宅に関しては単純な「消費行動」だということ、つまり、両者はまったく違った性質のお金の使い方だということを、しっかりと理解しておいていただきたいと思います』

 というのは当然だが、しかし、それだけではないことにも触れておきたい。

『資産の60%を株式に、30%を債券に投資し、残りの10%だけ現金で貯めるポートフォリオを組んだ場合、1992年からの20年間でも4.9%の利回りが確保できています』

 というのだけれども、なんでここで不動産投資という一番利回りの安定している投資を勧めないのだろうか。

 例えば、1500万円で1LDKのマンションを購入して、月7万円で賃貸に出した場合、利回りは5.6%だ。子どもたちが独立してしまって手がかからなくなってしまい、夫婦だけなので小さな賃貸マンションに暮らしていても、こうした賃貸マンションを二つも持っていれば、自分たちのマンションの賃貸料はそれだけで賄えるし、そうなれば年金はすべて消費にまわしても大丈夫、ということになる。

 また、住宅ローンを繰り上げ返済してしまって、定年時に借金がなければ、退職金をすべてマンション購入に充てて、それを賃貸に出せばその収入はまるまる自分たちの収入になるわけである。つまり、この収入はすべて「自分年金」なわけである。

 勿論、資産を株式とか債券とかに分散して投資するのもいいいけれども、株式は株価の上下があるし、債券だってその会社が永遠に生き続けるかどうかは、今の時代には怪しい。だとするならば、今の時代、一番確実なのは「都心のマンションに投資」だとおもうんだけれどもなあ。まあ、それも借り手がいない時期のリスクはありますがね。しかし、リスクのない投資なんてものはあり得ないのだから、そのリスクをどう評価するかっていう話。

 勿論、マンションは郊外は絶対だめ、都心じゃないと。と言っても山手線の周辺なら大丈夫。そこで1000万~1500万円位の中古マンションを買うのである。「そんなマンションあるの?」と思うでしょうが、あるんだなあこれが。勿論、探すのは手間ですよ。でもちゃんと探せばあるところにはあります。

 株だと毎日の株価の上下に一喜一憂しなければならない(まあ、それも楽しみではあるんだけれどもね)けれども、賃貸収入は基本的には毎月ちゃんと入ってくる(まあ、賃借人がちゃんといて、なおかつ払ってくれればっていう条件なんだけれども)ので、取り敢えず安定収入にはなります。

 なんで、こんな簡単な収入源をファイナンシャルプランナー小屋洋一氏は薦めないんだろうか。小屋氏は不動産投資に関しても詳しい筈なんだけれども、それに触れないってことは何か意味があるんだろうか?

 実は、不動産収入というのが、素人が一番何もせずに稼げる方法なんだがなあ。

 まあ、ちょっと元手はかかりますがね。

『いわゆる「当たり前の幸せ」を愚直に追い求めてしまうと。30歳サラリーマンは、年収1000万円でも破産します』(小屋洋一著/東洋経済新報社/2014年5月1日刊)

2014年10月 1日 (水)

COURRIE JAPON 11月号の気になった点

『COURRIER JAPON 2014年11月号』のカバーストーリーは「僕たちはみな、自由になるために働いている」というもの。

「自由になるために働いている」というテーマ設定は、基本的には昔から同じことではある。勿論、一定時間は会社や他人のために自分の能力を提供しながら、それ以外の時間を如何に確保して自分のために使おうというわけだから、基本的には変わらない。

 問題は「働き方」も変えていってしまおうということなのだが……。

Photo『COURRIER JAPON 2014年11月号』(講談社刊)

 特集の内容は……

特集 僕たちはみな、自由になるために働いている。
 世界では今、〝新しい働きかた″が次々に生まれている。こらからの仕事はもっと楽しく、自由になる。

Part 1 「一つの仕事」に縛られずに生きる
 世界各国で利用者が急増中! Airbnbは新しい〝副業″になるか
 リンダ・グラットンが考える「80歳まで働く時代」の人生設計
 「安定」よりも「自由」が欲しい――スマホで〝新しい働きかた″が可能に?

Part 2 「常識」に囚われずに仕事をする
 仕事と家庭をうまく両立するには? 「シリコン・ダディ」に聞いてみよう
 「遅すぎるキャリアチェンジはない」50代で未知の世界に飛び込んだ人たち
 〝理想の会″は日本にあった!? 残業もノルマもない「未来工業」を訪ねて

Part 3 「国境」を越えて起業する人たち
 〝本物の自由″を追いかけてフランスの起業家は海を渡る
 日本にはないチャンスを求めて「アジア最後のフロンティア」へ
 海外で働く日本人を助ける「和僑」というネットワーク

Part 4 日本でもできる「新しい働きかた」
 「仕事の常識」を変える会社に1日体験入社してみました
  Company 01 チームラボ 「上下関係がない会社」で〝仲間″とともに仕事をしてみたら
  Company 02 八面六臂 「アマゾン」を目指す会社で旧い業界に革命を起こせ!
  Company 03 クレイジー 仕事と家庭を区別しない!? あえて「家族のように」働いてみる
  Company 04 日本交通 〝老舗企業″で新事業を創るという過去と未来をつなぐ仕事
  Company 05 クロスフィールズ 本当の「やりがい」を求めてNPOで働くということ

Changing Work Values 私たちの「働きかた」はこれからどう変わりますか? WANTEDLY 仲暁子さん

 というのがそれそれのタイトル。

 まあ、それぞれの内容については読んでいただくしかないが、一番気になるのが『「安定」よりも「自由」が欲しい――スマホで〝新しい働きかた″が可能に?』という記事。

「ウーパー」や「リフト」「サイドカー」といったスマートフォンのアプリを使った配車サービスに登録し、自家用車で依頼客の送迎をしたり、パソコンの「クレイグリスト」で料理の依頼があればそれに応じたり、「タスクラビット」で簡単な大工仕事やクローゼットの整理などを請け負ったりする、「シェアリングエコノミー」という経済モデルで仕事をしている主婦の話なのだ。

 これは『サービスを求める人」と「提供する人」を仲介するサイトやアプリを利用して働く』方法で、こうした人たちは「マイクロアントレプレナー」つまり『独立した請負業者として、自分のスキルや時間、資産を提供する〝小さな起業家″』として認められているというこのなのだ。

 この「シェアリングエコノミー」では、『これまで専業のプロが担っていた「運転」や「料理」、「秘書」といった高価なサービスを、一般の人々が頼みやすくなる』というメリットがあるという。

 しかし、こうした『短期的な単発の仕事を請け負う働きかたは、長期的には労働の価値を下げる』という指摘もあるようで、『労働者の立場が極端に弱い〝買い手市場″なのです。消費者にとっては、サービスを利用する際のコストがカットできていいかもしれません。でも、働き手にとってはどうでしょう? 賃金を下げる圧力を、いとも簡単にかけられてしまうわけです』とか、『賃金をもらう〝奴隷″とさえいえると思います。労働を提供する先が企業であるにせよ、個人の依頼客であるにせよ、すべての主導権が「雇用主」に握られているのに変わりはありません。これはテクノロジーが斡旋する〝奴隷制度″です』などという指摘もある。

 確かに、仕事を発注する側の条件が低すぎれば断ればいい、というのは如何にも発注側・受注側の自由契約にも見えるが、だったらその条件で引き受ける人が現れたらそこでビジネスは決定してしまうわけなので、結果としてその仕事の条件はどんどん下がっていくという仕組みになるわけだ。

 それを防ぐために産業ごとの「最低賃金」を決める法律などがある訳なのであるのだが、それはあくまでも被雇用者しか対象にしていない。この主婦のような「独立自由業者」は対象になっていなく、そこはあくまでも「ビジネスの自由・契約の自由」でしかないわけだ。

 これに似たようなケースが日本でもランサーズなんかの発注・受注システムにもあるわけで。ランサーズの発注値段にもかなり「?」なものが多かったりする。勿論、発注側には、これまでの作業依頼の値段を下げたいという意思があって、そういうところに発注するのだろうし、受注する側にも、多少受注値段が下がっても、そうした仕事をしたいという意思が働いているから、そうしたビジネスが成立するんだろうけれども、しかし、その結果、クリエイターたちの「価値」がどんどん下がっていってしまっている、ということにも考えを及ばせなければならないだろう。

 基本的にフリーのクリエイターたちは、常にそのようなリスクは承知で仕事をしているわけであるが、それは「いつか売れっ子のクリエイターになってウハウハ言わせながら暮らす」という、淡い目的があるからなのであって、クリエイター業でない、運転手とか料理人とか家事手伝い的な仕事までそのような「クリエイター幻想」の中に取り込まれてしまっては、まったく「奴隷労働」ということになってしまうだろう。

 特集記事そのものは「新しい働きかた」の提案で面白かったが、その記事だけはちょっと気になった。

 いいのかそれで……、本人さえよければ……ということじゃないと思うんだけれどもなあ。

『クーリエ・ジャポン 2014年11月号』(講談社刊)

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