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2014年9月17日 (水)

『スターリン』を読んでも分からなかったこと、分かったこと

 口では「反帝国主義・反スターリン主義」を言っていても、1953年に死んだスターリンの全盛時代を、1951年生まれの私は知らない訳で、じゃあちょうどいいタイミングででた本書でお勉強。

 と考えて『ソ連崩壊後に公開された資料をもとに知られざる「素顔」にせまる』という本書を読んでみての結果としては、「なんだ、特に新しい事実はなかったんだな」ということであった。

Photo『スターリン 「非道の独裁者」の実像』(横手慎二著/中公新書/2014年7月25日刊)

 本来「革命」というものは「革命を革命し続ける」ということでしかあり得ないものの筈なのであるが、それをどこかで区切って「いったん革命をやめる」判断をしなければならない。それが「革命と政治」の違いであり、「権力奪取」ということなのだ。

 ロシアでは1917年にボリシェビキが権力奪取を行った際に、その次にやらなければならなかった「革命を革命し続ける」方向が、1923年にレーニンが倒れ、その翌年死去したということによる政治的方向転換が、実はロシア革命にとって大きな後退局面であったのだ。

 つまり、レーニン死去後、スターリンがとった政策というものは『スターリンは自ら「レーニンの最も忠実な使徒」を自称し、その支配イデオロギーを「マルクス・レーニン主義」と命名し定式化した。また、レーニン死後、彼を神格化することによって自らの個人崇拝を推進した』(Wikipedia)というもので、三つの過ちを犯している訳だ。

 ひとつは「自らレーニンの使徒」という考え方である。これではスターリンが若い頃在学していた神学校の教えと同じ「キリストの使徒」という考え方であって、これではキリストの教えに反することはできなくなってしまう。とにかく、何か問題が起きたらレーニンの書いたもの、行った政策に立ち戻り、そこから派生する政策を実行していくということ。つまり、それが革命時の非常手段であった粛清や抹殺、処刑が当たり前になった原因ではないのだろうか。

 もう一つは、「マルクス・レーニン主義と命名し定式化した」ということ。これもレーニンの神格化と同じ誤りで、マルクス・レーニン主義は本来「定式化」はできない筈のものなのである。革命の形は、その置かれた社会の様相によって様々に変わっていってよい筈であるし、それは革命に参加した人々の選択によるべきなのである。それを「革命はこうしなければならない」と革命のスタイルを定式化したコミンテルンのあり方は、まったく各国の事情を無視した革命の押し付けでしかなかった。

 更に「レーニン死後、彼を神格化することによって自らの個人崇拝を推進した」という事実。まさにスターリンが共産主義国からだけではなく資本主義国からも批判され、結果としてドイツのヒトラーと同じく「独裁者」として左右から批判をされることになった原因がそこにある。本来はヒトラーの独裁とスターリンの独裁は別種のものなのだが、そこをあえて混同させようとする資本主義国のやり方に、スッポリ収まってしまったところにスターリンという男の限界があるのだろう。

 革命というものは、これまでのフランス市民革命を見ても、日本の明治維新を見ても、結局「内戦」なのである。戦争である以上はそこにあるのは「殺し合い」であるし、粛清と言う名の「抹殺、処刑」なのである。それは戦争である以上はやむを得ないことではある。

 しかし、問題はどちらかの勢力が政権を奪取した後のことである。革命と言うものは政権を奪取するまでの行為であり、政権を奪取した後は、取り敢えず政権を守る「保守」の立場に革命政権側が立つわけである。この時に、革命政権がどのように自らの政権を守りつつ、同時に革命政権自体を更に革命していくかが大きな問題となるのである。

 トロツキーが言った「永続革命」というものはそういったものなのだろう。「革命を革命し続ける」という意味での永続革命である。それはまさにロマンチックな革命論とでも言うべきものであって、実は政権奪取後のリアリズムにはちょっとそぐわないものなのだ。多分、スターリンとの政権争いでトロツキー派が勝利したとしても、スターリンと同じ道を歩んだかもしれない。ただし、メンシェビキ出身のトロツキーだったら、スターリンのような「個人崇拝」への道は歩まなかったかもしれないという希望はあったのかも知れない。

 スターリンは言ってみればレーニンの忠実な弟子だったのだ。それも凡庸な弟子。なので、彼はレーニン主義を、その本来の形ではなく、換骨奪胎した形で受け継ごうとしたのであって、レーニン主義をスターリン的に発展させることにはならなかった。

 一方、トロツキーは基本的にはレーニンと同等の立場だった。最初はボリシェビキに参加したのだが、途中でボリシェビキとは袂を分かってメンシェビキに移り、革命のさなかに再びボリシェビキに参加したというのは、いかにも日和見主義のように見えるけれども、逆に言えば、それはトロツキーにはロシアの明日の姿が見えていたのではないのだろうか、ということである。

 レーニンと同様、革命理論には明るかったトロツキーである。革命政権が権力奪取後の政治のあり方などにも見えていたこともあるのではなかったのであろうか。

 同時に、レーニン死後もトロツキーであれば、レーニン主義を定式化して受け継ぐのではなく、自分なりに変更を加え、自分なりのソ連邦というものを作り上げ、同時に軍事人民委員としての実績のあるトロツキーであれば、ヒトラー・ドイツとの戦い方も別の局面を見せていたかもしれない。

 とは言っても、それも「歴史にifはない」のであって、結局私たちが持っているソ連邦の歴史はスターリンのソ連邦でしかないのだ。仮にトロツキーが権力闘争でスターリンに勝っていたとして、70年後にソ連邦が崩壊しなかったか、やはり崩壊したのかは分からない。

 あるいはトロツキーもスターリンと同じく個人崇拝を求めて動いて、死後、トロツキー批判なんてものが起こったかもしれない。

 いずれにせよ「革命を革命し続ける」という理想の革命論は、やはりロマンチシズムと言うしかなく、基本的には「革命政権は保守化する」というリアリズムのほうが、言ってみれば「政治のリアリズム」なのだろう。

 だとするならば「スターリン批判」は、スターリン死後には必ず起きただろうし、その批判のあり方を巡ってもいろいろな論争が起きても当たり前なのである。

 言ってみれば「反権威主義」が「反スターリン主義」の根底にはあるのだろうな。

『スターリン 「非道の独裁者」の実像』(横手慎二著/中公新書/2014年7月25日刊)Kindle版は出ていない。中央公論社は電子書籍にあまり熱心ではないのだろうか。

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