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2014年9月 9日 (火)

サッカーと人種差別

「サッカーと人種差別」と言って思い浮かぶのは、例の浦和レッズ・サポーターが掲げた「JAPANESE ONLY」という横断幕のことなのだが……。

Photo『サッカーと人種差別』(陣野俊史著/文春新書/2014年7月20日刊)

 浦和レッズ・サポーターが「JAPANESE ONLY」と書いた対象は今年から浦和レッズに参加した李忠成選手なのだそうだ。しかし、李選手は元々は韓国籍だったが、日本生まれで都立田無高校を卒業し、2007年には帰化した元日本代表なのだが、そんな「日本人」に向けてでも排外主義を振りまくレイシストって何なのだろうか。それとも単にモノを知らない、というだけのことなんだろうか。

『スタジアムの中が特殊なのではない。人種差別的言葉の応酬が起こる背景には、その言葉が普通に使われる社会が存在する。社会の中で人種差別的言葉が横行しているからこそ、普通にスタジアムの中でも用いられている』

 と陣野氏が書く通り

『特定の国家を「嫌う」書物が堂々と書店で売られ、のみならず、キャンペーンのごとく平台で売られる現在、ゼノフォビアは蔓延していると言うべきであろう。くだんの横断幕は、そうした排外主義的空気がスタジアムの中に一瞬、流れこんだものとして、私は理解している。スタジアムの中で起こることは、スタジアムの外でも起こる。同様に、外で起こることは、中でも起こるのだ』

 と陣野氏が書く通り

 毎週の新大久保でのレイシズム・デモが当たり前のように行われている日本社会だからこそ、スタジアムの中でも排外主義が行われるのである。

 しかし、本書の眼目はそうした浦和レッズ・サポーターの問題だけではない。浦和レッズ・サポーターの行いがきっかけとなって、そういえばサッカーの世界ではレイシズム、ゼノフォビアが横行しているじゃないかという部分に目を向けたのが本書なのだ。

 本書が取り上げた人種差別の事件簿は

1.エマニュエル・オリサデベの記憶(2000年)
2.ルイス・アラゴネスの、ティエリ・アンリへの暴言(2004年)
3.ロベルト・カルロスの裏面?(2005年)
4.サミュエル・エトーをめぐる一連の差別(2006年)
5.パロシェ、エムビアを煽る(2007年)
6.ウァドゥ、ケベ、「シュティ」の横断幕(2008年)
7.スアレス、エヴラを侮辱する(2011年)
8.バロッテリとEURO2012
9.ケヴィン・プリンス・ボアテングの勇気(2013年)
10.シムニッチ、ワールドカップの出場資格を失う(2013年)
11.ダニエウ・アウベス、バナナを食す(2014年)
12.NAKAMURAとKAWASHIMAの記憶

 というここ十数年だけでもこれだけのゼノフォビア事件がサッカー界では起きている。何故、サッカーでこれだけの事件が起きているのか。それはひとつには全世界で3億人を超える選手たちによってプレーされているという、世界で最も人気のあるスポーツだということが原因であるとも言える。

 そして「サッカー」と言えば「フーリガン」と言われるくらい、暴徒的な「自称サッカー・ファン」が多いスポーツでもある。そしてそのフーリガンの掲げるスローガンの一つが外国人排斥や宗教差別などで、一部のフーリガンはネオナチと同化している。

 結局、サッカーというスポーツが、まずルールが非常に単純であり、きわめて国際化しているスポーツである、ということがそうしたフーリガンやレイシスト、ゼノフォビアがはびこる原因なのではないだろうか。ルールが単純ということそれこそが国際化している理由でもあるのだが、同時にそれは教育水準の低い者でも簡単に理解ができるということであり、そんな教育水準の低い者たちはごく簡単にレイシスト、ゼノフォビアになりがちだということなのであろう。

 そういえば件の横断幕を掲げたサポーターは『海外からの観光客が増えてきたことで、ゴール裏という『聖地』を守りたかった』と弁明したそうだが、そうした考え方自体がゼノフォビアであることすら理解していないのが、サッカーファンでもあるのだ。

 フーリガンは元々イギリスの労働者たちが、仕事に疲れて楽しみはサッカーだけみたいな状況から生まれてきている。それはそれで同情に値するが、しかし、だからといって暴徒化することまでは同情できない。更に、そのフーリガンたちが掲げるレイシズム、ゼノフォビアとサッカーに何の繋がりがあるのだろうか。

 また、日本における「嫌韓思想」や「嫌中思想」も、何故それがサッカーと関係があるのかも分からない。勿論、ワールドカップやオリンピックにおいて自分の国を応援し、愛国的な気分になることは理解はできる。しかし、それと「国として、よその国そのものを嫌う」というのはまったく別問題なのである。別に選手たちは相手国を嫌いだから闘っている訳ではなく、スポーツとしてルールを守って競っているだけなのである。それをいつの間にか「代理戦争」の如くに考えて、自国選手を応援するというのは、甚だしく錯誤を起こしているし、危険でもある。

 また、選手自身によるレイシズム、ゼノフォビアに関しては、「まあ、選手はそのスポーツ以外のことは何も知らないアホですから」という態度で接し、その都度、教えてあげればいいのである。

 スポーツというものは「所詮スポーツ」として見るのが一番正しい観戦方法なのだろうな。

 なあんて、何かちょっと冴えない今日のブログ。

 まあ、差別ネタってどうしても言い方が当たり前の言い方しかできないからなあ。

『サッカーと人種差別』(陣野俊史著/文春新書/2014年7月20日刊)

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