フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« はあちゅうの『広告ガール』は平成の「気まぐれコンセプト」か? | トップページ | 根津権現と白山神社の例大祭 »

2014年9月20日 (土)

風景映画『東京戦争戦後秘話』は我々に何を残したのか

 アートシアターは銀座と新宿にあった。銀座は日劇の地下、新宿は現在、角川シネマ新宿の場所にあったのである。その日劇アートシアターで六番目に観たのが、この『東京戦争戦後秘話』なのだった。ちなみに一番最初に観たのが、同じ大島渚の『絞死刑』だった。

 あの頃は結構暗い映画ばっかり観ていたんだなあ。

2『東京戦争戦後秘話 映画で遺書を残して死んだ男の物語』(監督:大島渚/主題:大島渚・田村孟/脚本:原正孝・佐々木守/創造社・日本ATG提携作品/1970年6月27日公開)

 そして、私が映画を観るばかりでなく、作る方に興味を持ったきっかけにもなった作品がこの映画である。その後、この映画に出てくる、映画製作者集団グループ・ポジポジと同じボレックスの16ミリカメラを私も手に入れ、「現象学的ドキュメンタリー」なんて自称して、この映画の主人公(?)である「あいつ」のように「風景映画」を撮り始めたのだった。

「東京戦争」というのは、1969年9月30日に共産同赤軍派が起こした小さな武装蜂起のこと。当日、全共闘が明治大学に集結し、午後5時頃から学外に出撃。御茶ノ水・神田周辺で火炎瓶を投げたり、バリケードを築いたりして、機動隊と衝突。その頃、赤軍派は東大構内に集結し本富士警察署に向けて火炎瓶を投擲したという、まあ、全共闘に比べれば小さな事件にすぎなかった。

 その前に大阪戦争に失敗した赤軍派が、次に東京戦争を仕掛けようと、日大闘争の一環として全共闘が御茶ノ水・神田地区で行おうとした大規模な街頭闘争に乗じて、都内の複数の警察署を襲撃して、後楽園競輪場の群集を巻き込んで武装蜂起しようという計画だったが、結局、本富士署を襲っただけに終わってしまったという、ちょっと情けない結果だった。

 で、その「東京戦争」の戦後秘話っていうことなんだが、映画はそんな勇ましいものではなく、基本的にはサブ・タイトルの「映画で遺書を残して死んだ男の物語」というのが、実は相応しい。実は原題は「東京風景戦争」なんだなあ。

 つまり、この映画、シナリオのト書きから引用すると……

『窓から見える風景である。ありふれた住宅地の小じんまりとした家々の屋根が続いている。昼ごろの住宅地の現実音が流れる。
例えば、遠くのテレビのニュースや子供たちの声、踏切の警報器。ピアノの音などである。それがえんえんと続く』

『カットが変わると商店街の一角らしく看板が積み重なって見える。
その中で中央の「酒」という看板にピントが合わされているようである。商店街の現実音が流れる。時刻はこれも昼間らしく雑踏よりはむしろ街頭放送の声や、商店の応対の声などが虚しく聞こえる。これも長いカットが続く』

『カットが変わる。ガードレールを主体にした大通りが写る。車がひっきりなしに画面をよぎっていく。焦点はガードレールに合い、車はなんとなくぼうっと写っている。走る車の現実音がかぶさる』

『赤いポスト(旧型)を中心にした街角である。現実音がかぶさる。郊外の私鉄駅に近いらしく駅のアナウンスが切れ切れに聞こえる』

『カットが変わる。
雑貨屋の公衆電話を主体にした狭い通り。その通りの奥に踏切があって時々電車がよぎって行く。一人、二人タバコを買いに来た男によって電話が隠されることもある。おそらくテレビからであろう流行歌が流れている。電車の通る度に踏み切りの警報音と電車の轟音。そして自転車のベルなどが聞こえる』

『カット変わる。
電柱と電線を中心に後ろに林立するテレビアンテナを捉えている。現実音は近所で遊んでいるらしい子供たちのはしゃぐ声が中心である』

『カットが変わる。
それは冒頭の街のカットである。
広角レンズで捉えられている風景、手持ちカメラであるらしくゆれている。町の現実音のなかに冒頭の象一の声が入ってくる。
象一の声 いい加減にしろよ。今朝の九時迄だって言ったじゃないか』

 というのが、「映画で撮った遺書」なわけだが、それはまたある意味では映画評論家・松田政男氏言うところの「風景映画」なのである。「風景映画」とは、松田氏と足立正生、そしてこの映画のシナリオ・ライターである佐々木守が中心になって作った映画『略称連続射殺魔』という、まさしく「連続射殺魔=永山則夫」が見たであろう風景をただただ撮り続けたドキュメンタリーに松田氏自ら名付けた映画なのであった。

『中央にも、地方にも、辺境にも、そして<東京>にも<故郷>にも、いまや等質化された風景のみがある』

『おそらく、永山則夫は、風景を切り裂くために、弾丸を発射したに違いないのである』

 という松田氏にとって、この同じく「遺書」として撮影された「風景映画」はどう映ったのであろうか。

『『東京戦争戦後秘話』は、大島渚がこの70年代の初頭において、情況論から風景論へと思想的芸術的戦略をば転位せしめた記念碑的作品なのだ』

 と結論付けた松田氏だが、それから40年余り過ぎた現在、『中央にも、地方にも、辺境にも、そして<東京>にも<故郷>にも、いまや等質化された風景のみがある』という言い方は、実は更に転位を遂げて、いまや東京に一極集中した結果、「東京だけの風景」と「地方だけの風景」は一変してしまっている。巨大な、大空を突いて上に伸びるばかりのビル群がひしめく東京の姿と、人もいない、街もがらんどうで、空き家ばかりが目立つ「田舎」の風景とは、一体どこが「均質な風景」なのだろうか。

 では、そんな「均質ではない風景」は、その昔のような住みよい「田舎」と、住みよい「都会」へと回帰してきたのであろうか。

 いやむしろ、均質化は更に均質化していき、その結果として「都市と田舎の格差」が出現しているのであった。つまり、1970年代の「風景論」は、その後更に深化していき、再び情況論的な世界になってきたのではないだろうか。

 しかし、その時、我々には吉本隆明はいない。

 先達のいない中で、我々は「情況論」を語らなければならないのだ、

 それが、またまた我々を悩ませる原因でもある。

 で、この間、銀座三共カメラでみたベル&ハウエル・フィルモ70DRを買って、再び「風景映画」を作ろうかな……。

 って、何でそういう結論になってしまうの?

『東京戦争戦後秘話 映画で遺書を残して死んだ男の物語』(監督:大島渚/主題:大島渚・田村孟/脚本:原正孝・佐々木守/創造社・日本ATG提携作品/1970年6月27日公開)

« はあちゅうの『広告ガール』は平成の「気まぐれコンセプト」か? | トップページ | 根津権現と白山神社の例大祭 »

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/60341449

この記事へのトラックバック一覧です: 風景映画『東京戦争戦後秘話』は我々に何を残したのか:

« はあちゅうの『広告ガール』は平成の「気まぐれコンセプト」か? | トップページ | 根津権現と白山神社の例大祭 »

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?