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2014年9月23日 (火)

『カツシン』はどこまで勝新に迫れたか

 映画『座頭市』シリーズって、「悪名」や「兵隊やくざ」よりも後なんだって思っていたのだが、そうではなくて、『座頭市物語』が1962年、『悪名』が1961年、『兵隊やくざ』が1965年と、実は『座頭市』の方が先行していたんだな。

 そうか、やっぱり勝新太郎と言えば『座頭市』となるのもやむを得ないのか。

Photo『カツシン さみしがりやの天才(スター)』(吉本浩二著/新潮社/2014年9月15日刊)

「悪名」は田宮二郎との共演、「兵隊やくざ」は田宮高廣との共演ということで、その共演者との対比で勝新太郎の良さが出ていたんだけれども、『座頭市』はまんま勝新太郎の堂々たる主演作品で、勝新太郎でしかできない役柄、勝新太郎でしかできない映像手法、勝新太郎でしかできないシナリオ構成で作ってきた映画とテレビ・シリーズなわけで、まあ、それこそ「勝新太郎の作品」と言えるわけなのであるだろう。

 コミックスの冒頭のエピソードにもある通り『座頭市』は子母沢寛氏の「ふところ手帖」にある『座頭市物語』という、中公文庫版でも9ページの掌編だけが原作ともいえる、ある意味勝新太郎や、映画『座頭市物語』の脚本家・犬塚稔氏が造形した主人公であり物語である。言ってみれば『座頭市』は確実に「勝新太郎と共にあるキャラクターであり物語である」ということなのだ。

 なので、綾瀬はるかは当然として、香取慎吾やビートたけしが演じた座頭市というキャラクターに違和感を感じるのは当たり前の話であり、というか勝新太郎以外の演技者が座頭市を演じてはいけないのではないかとも思えるキャラクターなのである。

『勝新太郎…通称〝カツシン"。いわずとしれた〝座頭市"の元祖です。幼い頃、僕にとってのヒーローはウルトラマンでも、仮面ライダーでもなく、テレビの座頭市でした。
 人からバカにされても、ナメられても、そこから魅せていくところが「かっこいいなあ!」とトロい子供だった僕に勇気を与えてくれたのです。
 そひてまた、座頭市の名演もさることながら、何といってもカツシンさんは人生そのものが極上のドラマでした。
 すべてを映画製作にかけ、残した破天荒な伝説の数々、そしてその裏の〝さびしがりやの素顔"…。
 そんな昭和の巨星を漫画にしたいと無我夢中で描きました。
〝かつてこんな男がいた"焼き焦がれる太陽のようなカツシンさんの魅力を味わってもらえてら大変嬉しいです』

 というのが、このマンガの作者・吉本浩二氏のまえがきである。

 確かに「昭和の大スター」でなおかつ自らプロダクションをつくって活躍したスターと言えば、勝新太郎以外にも三船敏郎、石原裕次郎などがいた。しかし、三船にしても石原にしても、自らはあくまでも「俳優」に徹して、映画製作というか監督の方にまでは進出しなかった。だからこそ、それぞれのプロダクション(製作会社)は生き残ったのであるが、勝プロだけは勝新太郎だけは、勝自ら監督を務め、プロデューサーを務め、それでなおかつ俳優も務め、それで経営者だったっていうのだから、これは自ら破綻をすることを厭わない体制であったというべきであろう。

 まあ、だからこそのカツシンらしい生き方ではあったということなのだろう、ということは良くわかる。

 スター性やカリスマ性で言えば石原裕次郎がダントツであろう、演技力で言えば市川雷蔵や田宮二郎とか田宮高廣の方がよっぽどいい、だとしたら自分は何で彼らと勝負すればいいのだろう、と考えた勝新太郎は、これは「映画への愛」しかないと考えたのだろう。自ら企画して、自らストーリーを考えて、自ら役者を選んで、自ら演出をする。そこでプロデュースだけは誰か別の人に頼めば良かったものを、それすらも実質自らやってしまった。ので、勝プロは破産してしまったのだな。

 まあ、そんなアナーキーな生き方も、だからこそ今でも吉本氏みたいな熱狂的な勝新太郎ファンがいるってことなんだけれども。

 なので、1990年にハワイでマリファナとコカインをパンツの中に隠していたということで逮捕されたり、その後「だからこれからはパンツをはかないようにする」なんてトボけたことを言っても、皆が許しちゃったんだろうなあ。そんなことを今言ったらバッシングですよ。昭和の日本人はまだまだ余裕があったんんだなあ、なんてことも考えたりして。

 最後にひとつだけ本書に疑問があるので、そこだけを糺したい。

 27ページ、漫画のト書きに『TVの座頭市も映画と同じ16ミリフィルムで撮るんですけど』と書いてあるんだけれども、当時はテレビは16mmで撮影していたのは分かっているんだけれども、劇場用映画は基本35mmで撮っていたんじゃないかと思うのだがどうなのだろうか。まあ、勝プロなんかの独立プロダクションが経費節減のために16mmで撮影していたというのは分からないではないのであるが、だとすると当時はまだスーパー16というカメラはなかった筈なので、16→.35mmというブローアップの際に35mmビスタサイズにするのは相当無理があったのではないだろうか。基本、劇場用映画は35mmで撮影して、テレビ用映画は16mmでっていうのが普通だと思うんだがなあ。

 というところだけが不満のマンガではありました。

 ところでどうでもいいことなんだけれども、「エノケン」や「カツシン」など、昔の俳優で大衆から愛された人たちは皆こうして苗字と名前を短縮して呼ばれたものだ。だとすると「tsunoken」っていうのも………………、なんて本当にどうでもよいことですね。スミマセン……、本当に余計なことを言ってしまって。

『カツシン さみしがりやの天才(スター)』(吉本浩二著/新潮社/2014年9月15日刊)

『座頭市』(子母沢寛他著/中公文庫/2002年11月15日刊)こういう本こそ、電子化して欲しいよね。中央公論社は親会社の讀賣新聞と共にあまり電子化に積極的ではないような……。

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