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2014年9月

2014年9月30日 (火)

『Kindle Fire HD 仕事帳』を読んでも活用しない私なのだった

 8月にKindle PaperwhiteからKindle Fireに替えたわけだが、今までは単なる電子書籍リーダーとしてしか使ってこなかったことに気がついた(って遅い!)。そうかKindle Fireはタブレットだったんだよな、ということなので早速こんな本を買ってみた。

Ki_dle_fire_hd『Kindle Fire 仕事便利帳――1台を使い倒す196の活用法』(鈴木麻里子著/ソフトバンククリエイティブ/2013年6月4日刊)

 内容は基本的にはKindle Fire HDの使い方とアプリの紹介。

 まずは「情報収集」で18項目。

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「データ整理」で16項目。

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「スキルアップ」で38項目。

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「PR」で25項目。

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「時間管理」で13項目。

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「リフレッシュ」で19項目。

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 その他「知っておきたい活用技」が36項目。

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 その他、コラムが31項目と、合わせて196の活用法が書かれている。

 う~ん、中には辞書なんかの使えそうなアプリはあったけれども,あまり興味の持てそうなアプリはあまりないなあ。まあ、以前iPadを使ったこともあったけれども、基本的にタブレットは文書書き込みには向いていないので、その後も文書作成とかデータ作成にはデスクトップとかラップトップを使っている。タブレットは持ち歩いて情報を閲覧するのには向いているが、やはりあのキーボードだとデータ作成には向いていないのだ。

 なので、Kindle Fireになっても、私の使い方としては基本的には電子書籍リーダー、たまにレンタルビデオ視聴というくらいかなあ。

 まあ、あとパソコンとデータが共有できるのでGoogleカレンダーなんかはパソコンを持って歩かなくても使える……、そんなところでしょうかね。

 なんか、ガジェットを変えても余り進歩がないところが悲しい。

『Kindle Fire 仕事便利帳――1台を使い倒す196の活用法』(鈴木麻里子著/ソフトバンククリエイティブ/2013年6月4日刊)紙版もあるけど、こういう本を紙で読むって、どう?

2014年9月29日 (月)

大学アメフト「中央大、立教大にアップセット」をアナログ撮影する

 今日は9月15日の関東学生アメリカンフットボールリーグ1部BIG8の東大vs.拓大戦に引き続き、TOP8のランキング4位立教大学と同じく7位中央大学の試合をレポートする。それもアナログ写真で。

 基本的に学生スポーツは1年毎に戦力が入れ替わるので、去年の順位に基づいた今年のランキングはまったく参考にならない、というのが実は今年の立教なのである。

 第1クォーター(Q)レシーブを選んだ立教であるが、簡単に最初のシリーズを4thダウン・パントになってしまい、攻守交代。そんな攻守交代を2回ほど繰り返したところ、中大も攻めあぐんだのだが、なんとかエンドゾーン直前までもってきて#95キッカー/パンター(K/P)市森がフィールドゴール(FG)を決めてまず3点先取。

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 それにしても、今年の立教はQB#8瀬本もピッチする場所を探しているうちにQBサックされてしまったり。

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 ランニングバック(RB)#30茂住も、去年のように思うように前に進めない。やはり去年の山田司のような重量級オフェンスライン(OL)が抜けた穴が大きいのだろうか。

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 第1Q、FG1発で終わった第2Qからは中大のやりたいようにやる試合展開。

 まず、RB#6佐久間がタッチダウン(TD)!

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 第3Qは、ワイドレシーバー(WR)#11鈴木がパスから走ってTD!

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 RB#28萩原が長躯TD! で、更にここでは2点コンバージョンで第3Qは15点奪取。

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 こうなると中大のやりたい放題になってしまい、パントフェイクはするは、ワイルドキャットはするはという具合に中大がいろいろな技を出してくる。

 その後、#95K/Pの市森の38ヤードFGあたりは「ご愛嬌」という感じ。まあ、これは失敗しましたけどね。

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 そのまま立教完封かと思われた第4Qラスト3分、エンドゾーンまで2ヤードに迫った立教、RB#30茂住のダイブが失敗した後、QB#8瀬本がもう一度エンドゾーンまえ走り込んでなんとか1TDを返したものの、そこまででタイムアップ。

 まあ、QB#8瀬本としては自分の責任で負けた試合だったのだけれども、なんとか自分でTDしたので、すこしは気分が収まったかなというところ。

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 結局、31対7で中央大学のアップセット(下剋上)なって、立教は開幕戦から3連敗。

 このままいくと、次の日体大戦で勝たないと、そのあとは慶應、法政、日大と競合チームばかりが相手なので、下手をするとBIG8との入替戦に出場ということになってしまう。

 まあ、以前の1部 A・Bブロック時代から「入替戦のプロ」と呼ばれた立教なので、そんなに問題はないのかも知れないが、ちょっと心配だな。

 一方、中央大学は本来はTOP8にいてもおかしくないチームなのである。昨日の結果を糧に、今後の精進を望もう。

 で、結局アナログでスポーツ写真を撮ってどうなのよ、という話なのだが。

 デジタルだと300~400カットを撮ってしまうところが、アナログだと「ここはっ」という場面でしかシャッターを押さないのでせいぜい100+α位しか撮影していない。まあ、それは以前からそうだったので、やはりアナログだと前の感覚に戻るのかな、というところでした。

 まあ、ニコンF4というかなりデジタル感覚で使えるカメラだったということも関係しているのかな。F3だとこうはいかないのだろうなあ。今度はフル・マニュアルカメラでやってみようかな。それは「挑戦」。

NIKON F4 SIGMA DG 150-500mm/F5-6.3 APO HSM Kodak Super Gold 400 @Aminovital Field (c)tsunoken

2014年9月28日 (日)

砂町・富賀岡八幡神社は富岡八幡宮の元宮

 実は元ネタは「日経新聞」9月24日夕刊の「らいふプラス」という記事なのだが、あの深川の富岡八幡宮の元宮があるという話だったのである。

「へぇ~」と思ったので早速行ってみた(調布でアメフト観戦の後。バカですねぇ)。

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 東京メトロ東西線の南砂町駅で降りて、南砂三丁目公園を抜けて少年野球場の脇をそのまま北上する。

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 すると、このような元八幡通りという商店街に出るので、そこを右に曲がって行くとすぐにその八幡様に行きつく。

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 その名を「富賀岡八幡宮」という。

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 御由緒によれば

『当宮は深川富岡八幡宮の元宮として、また、砂村総鎮守として広く知られており、その創建は古く、藤原鎌足の孫、藤原富成卿が下総守に任じられ下向のみぎり、天平勝宝元年(七四九年)に創立された区内屈指の古社であります。
 当宮と深川富岡八幡宮との関係は、この地が宝六島と呼ばれていた寛永初期、京より永代島に移り暫く当宮を拠点に活動していた長盛法師が、当宮に奉祭されていた「八幡像」を、深川八幡宮に移し勧請したことによります。この「八幡像」は、源三位頼政、千景氏、足利尊氏、鎌倉公方基氏、菅領上杉氏から太田道灌へと伝えられ、特に道灌より厚い崇敬を受けていたものであります。
 享保年間には、境内に桜、松あわせて三万本が植えられ、八代将軍吉宗公にお手植えの矢竹なども存在しておりました。この風光明媚な様子は江戸名所図会や安藤広重の名所江戸百景にも描かれ、当地が江戸の景勝地であった事を窺い知る事ができます。現在も境内には都内でも数少ない石造の富士塚や芭蕉句碑、鳳卵石などがのこされています。

 「ご祭神」  応神天皇(誉田別皇)
         比売大神
         宇迦之御魂大神

           宮司 荒井秀樹

御創建千二百六十年記念 富賀岡八幡宮奉賛会』

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 ということなので、境内にはこんな「元八幡旧跡」とか……

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「元八まん道」とか、いろいろ元々の富岡八幡宮の大元はこっちなんだよ、という「お印」が沢山ある。

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 ところで、ここにもあったんですねえ。富士塚。駒込の富士神社ほどは高くないが。

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 なかなか大きい富士塚で標高もありそうなんだけれども、考えてみればこの地域って殆ど「ゼロ・メートル」地域なんだよなあ。なので、多分、そんな水害時の時に周りを見渡すために作った富士塚なのかなあ、とも思ってしまうのであった。

 ところで、この富士塚の上からの眺めを撮ってみようかなと思ったのだが「注意(あぶない)!! 落石あり、山え登らないこと (事故責任は負いません) 当宮」という看板があって、登れなかった。

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 こちらが、深川(門前仲町)の富岡八幡宮である。

 今やお祭りで有名ですね。で、その元宮が同じ江東区の砂町にあったという、今日のお話しでした。

 ごきげんよう、さようなら。

 って、もう終わっちゃたんだよなあ。

LEICA M6 SUMMICRON 35mm/F2 Kodak Super Gold 400 @Sunamachi & Monzenkanachou (c)tsunoken

2014年9月27日 (土)

遅かりし由良之助『村岡花子と「赤毛のアン」の世界展』

 文京区の東大裏にある「弥生美術館」で企画展『村岡花子と「赤毛のアン」の世界展』というのをやっている。ただし、9月の28日まで……。

 講談社から無料入場券をもらっておきながら、明日で最後の展示を紹介するなんて……、遅かりし由良之助。ってなもんですな。

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 日本の美術館の例に倣って「館内撮影禁止」なので内部の写真はない。

 で、この企画展は7月4日からやっている。ということはNHKの朝ドラ『花子とアン』に合わせた展示なので、9月28日が最後というわけ。

 中は村岡花子さんの子供の頃からの写真資料や、東洋英和時代の資料、翻訳家になってからの資料など、約350点で展覧。ついでに村岡花子さんの腹心の友であった柳原白蓮の資料も少しだけある。更に、カナダはプリンスエドワード島の写真など、村岡花子とアンの世界を堪能してください的な総花的な展示となっている。

 ただし、最早終盤戦のこの展示なので、館内はオバサンたちでいっぱいで、ちゃんと見ようと思ったらかなりの時間がかかることを覚悟した方が良い。

 弥生美術館のサイトはコチラ

 この弥生美術館の展示に資料を貸出してしまっているので、村岡花子さんが過ごした大森にある『赤毛のアン記念館・村岡花子文庫』は現在休館中だが、こちらの弥生美術館の展示が終われば、再び再開するだろうから、むしろそちらに行った方がゆっくり見られるかもしれない。

 こちらには村岡花子さんの書斎がまんま復元展示されているそうだ。うん、こちらの方が面白いかも。

 で、『赤毛のアン記念館・村岡花子文庫』のサイトはコチラ

『赤毛のアン』と言えば、私が講談社に入社して最初に実習配属された児童図書出版部で、村岡花子さん宛のファンレターを見せられた記憶がある。

『赤毛のアン』を読んだ女の子が、まだ村岡花子さんがまだ現役の翻訳家だと錯覚して送ったファンレターなわけだが、それだけ長い間子どもたちに読み継がれている『赤毛のアン』と村岡花子さんという存在にビックリしたものだ。

 子どもたちは、大人と違って、流行り廃りで本を読まない。むしろ児童文庫なんかで自分で面白そうな本を探してきて読んでいるのだ。その辺が児童文学の奥の深いところで、超長期的に読まれている名作が多いのも児童文学の世界である。

 良い児童文学は大人が読んでも堪え得るものが多い。今度、書店の児童コーナーにも立ち寄ってみようかな。

2014年9月26日 (金)

『現実脱出論』から見えてきたもの

『0円ハウス』のシリーズで知っていた坂口恭平氏の本とは大分様相のことなった本なのである。

 形而上学的なようでいて、しかし、現実論めいていて、しかし、現実を語っているのか、脳内イメージを語っているだけなのか、なんだかよくわからない。

 取り敢えず、読書ノートを作ってみよう。

Photo_2『現実脱出論』(坂口恭平著/講談社現代新書/2014年10月1日刊)

『一つは、僕たちは常に物事を一定に見ているのではないということ。同じに見えていると思っていても、それは体の調子によって実は微妙に変化している』

『この世界は単純ではなく、人間は目に見えているものだけを感じているものでもない。このように空間への疑問が、「目の前の現実が思考を促す一つの装置である」ことに気づかせてくれたのである』

『人間は何かを「見た」気になっているし、空間を「感じた」つもりになっている。しかし、実際は二次元の図像しか網膜には映っていない。両目の図像がずれていることによって奥行という「錯覚」を生み出し、それを空間として受け取っているだけなのだ』

『僕たちは、簡単に知覚しうるものだけで構成された「現実」という名の立体空間を、無意識下で作り上げた。さらに集団を形成することで、「社会」と呼ばれる、言葉をもとに人間を管理し、抑制する空間をも生み出した』

『僕の師匠である路上生活者の鈴木さん(隅田川沿岸在住)は、所持金がゼロで仕事もない。現実から見れば落伍者確定の状態である。
 それでも、彼は役所に泣きつくようなことはしない。アルミ缶を拾って生計を立てている。そればかりか、周囲の路上生活者たちが喜ぶようにと、カラオケセットを拾ってきて自動車用バッテリーで動かしたり、拾ってきたものを無償で振る舞ったりしていた。
 マンションに住んでいる主婦に対しても同じ姿勢で、「自分はアルミ缶拾いで生きている。だから、ゴミとして捨てるのであれば私にください」と自信を持って契約までしている』

『人間は、現実という世界だけでは自由であると感じることができない。現実が仮想空間であることなんてもともと分かっている。だから、現実を脱出すること(=思考)は、誰もが当然のようにやってきたことなのだ』

『思考とは「考える」という行為ではなく、もともとそれぞれの人が持っている「現実と対置された空間」のことなのではないか。
 僕はそんな仮説を立ててみた。
 思考とは、人間がその営巣本能によって内側に形成した「巣」なのだ、と』

『建築家を志しながら一向に建てる気配を見せない僕は、たしかに現実の家ではなく、一貫して「思考という巣」に興味を抱いてきたのだと捉えると腑に落ちる。
 隅田川沿岸で暮らす鈴木さんをはじめとした、路上生活者たちの家を調べている過程でもそのことを強く感じていた。たとえ家を失ったとしても、鈴木さんにはしっかりとした「巣」、つまり思考が備わっていた。だからこそ、生き延びることができているのである。
 一方、僕たちは現実における家を手に入れるために必至になりすぎてしまい、「思考という巣」を疎かにしてしまっているのではないか』

 という具合に読書ノートを作ってみるとみえてくるものがある。

 つまり、「現実」にとらわれてしまうと、見えなくなってしまうものがある。

「現実」が生きにくいと感じたら、そこから逃げ出せばいい。

 逃げる先は「思考という巣」である。

『今、日本には年間三万人ほど自殺者がいるという。自殺の原因の第一位は鬱病などの「健康問題」、第二位が「経済・生活問題」である(警察庁調査平成二十五年)。
 鬱病や躁鬱病そのもので死ぬことはない。つまり、ほとんどの人が鬱期に発生す希死念慮という脳の誤作動で自殺をしてしまっている』

『人間は、機械と違って感情を持っている。その感情によって苦しんだり、嬉しくなったりする。ふつうはそう思い込んでいるのだが、僕は躁鬱の仕業で、いや、そのおかげで、もしかしたら人間の感情なんて実は存在しないのかもしれないと思うようになった。だからこそ、ギリギリのところまで行っても、どうにか死なずに済んでいる。
 誰にだって、死にたいと思ってしまう時はある。そんな時は、この現実脱出の術を使ってみるのはどうだろうか』

 生き辛い「現実」なんて捨ててしまえばいい。

「現実」に合わせて生きようなんて考えないほうがいい。

「現実」に自分を合わせようなんて考えない方がいい。

「現実」なんて捨ててて、「思考の巣」に生きてみようじゃないか。

「現実」なんて無視しても全然大丈夫、むしろ、絶対自由に生きることが出来るんだ。

 ということなのね。

 なんだ、そんなことは昔からやっている、という私。

 まあ、それでも自殺なんて考えなくて済むから、いいじゃないか。

『現実脱出論』って、そういう坂口氏の躁鬱病からくる発想だったのね。

 だって、徹底的な「無責任論者」である私にとっては、そんな「自殺願望」や「希死念慮」なんてものとは縁のない生活をこの63年間送って来たもんなあ。

 何で皆そんなに自分で責任を負ってしまおうとするのだろうか。あるいは社会的にそんな責任を負わせてしまおうとするのだろうか。

 そんなの一発で解決してしまうのにな。

 だって、そんなにあなたに責任を負わせるような社会(あるいは会社)からドロップアウトしてしまえば、その次の日からは何の責任もない生活が出来るのだ。その後の責任はどうなるのだって? そんなことは知るか!

 という無責任な態度で皆が思考すれば、社会はもっともっといい方向にいくはずなんだけれdもなあ。

『現実脱出論』(坂口恭平著/講談社現代新書/2014年10月1日刊)

2014年9月25日 (木)

『宮本常一と写真』というか、アナログ写真とデジタル写真というか

 民俗学者の基本はフィールドワークである。なので、基本的にメモ代わりの写真というものは欠かせない。「写真以前」の時代、まあ柳田国男の時代はとにかく「書くこと」しかなかった訳だから、それはそれ、いかに「文字だけで」状況・様子を伝えるという難しさがあったのだが、写真が登場して、その苦労は少しはなくなった。

 だが、その分だけ取材の様子をそのまま伝える技術が落ちてきたということも言えるかもしれない。写真があるから、それなりにその場の雰囲気は伝わるんじゃないかという安心感というか、怠け心。なので、民俗学者の写真は、とにかくたくさん撮る。たくさん撮っておけば、それで何かが伝わるのではないだろうかという安心感。

 とは言うものの、宮本常一の場合はその写真の数が尋常じゃない。で、その写真の種類も民俗学の域を超えて、ほとんど記録のための写真なんじゃないかと思えるほどだ。

 要するに宮本常一は何のために写真を撮っていたのかっていうことなんだろう。

Photo『宮本常一と写真』(石川直樹・須藤功・赤城耕一・畑中章宏著/平凡社コロナ・ブックス/2014年8月25日刊)

『宮本のカメラ遍歴は最初はコダックのベスト判カメラ、次いでウェルターのブローニー判、戦後ではアサヒフレックスⅠ、ハーフサイズのオリンパスペンSという』(赤城耕一)

『宮本の愛機オリンパスペンSは初代のペン(一九五九年)の高級版という位置づけで一九六〇年(昭和三五)に発売されている。レンズは、名玉とほまれ高いDズイコー3cmF2.8。35mm判相当の画角では42mm相当になる。つまり標準50mmレンズよりもやや広角相当になるが、この画角は人間の視覚にもっとも近いものとされる』(赤城耕一)

 確かに旅する民俗学者にとっては、このオリンパスペンの小ささは大きな武器になる。それでいて、当時、オリンパスペンの描写の確かさは通常の35mmフルサイズにも匹敵するものだったという。現在の高度なフィルム性能では比較が難しいが、当時のフィルム性能ではこのオリンパスペンの的確な表現はさらに必要にして充分な性能だったと思える。まあ、現在ならばマイクロフォーサーズだろうがフルサイズだろうが、壁サイズ位に大きく引き伸ばさない限りは、ほとんど描写には差がないのと比べれば、なんとまあ時代の変化よ、とでも言いたくなる。

 ところが多分、宮本常一が現代に生きていたとしたら、現代のデジタルカメラでどんな写真を撮っていたかを想像すると楽しくなる。つまり、現代の高性能のデジタルカメラで撮ったとしたら、それは意外に面白くもない、何の変哲もない写真を撮っていたのではないだろうか。

 つまり、それはやはり撮影時の緊張感のあり方だろう。

 現代のデジカメで撮影する際にはまず感じることのない緊張感とは何か。ひとつは、撮影後すぐに撮影画像を見られないという緊張感。まあ、デジカメで撮影している人の大半は撮影直後に撮影画像を見ている。最近はプロカメラマンまでもが、そうやって撮影直後に撮影画像をチェックしているのだ。まあ、それ自体は間違った行為ではないわけであるのであるが、なんかなあ、プロがそんなことするなよ、という気にもなってくる。自分で撮影した画像には自信を持てよ……なんてね。

 もうひとつは、どんなに頑張ったって、フィルム1ロールで36カットしか撮れないフィルム撮影と、そりゃあ何十GBのSDカードを入れちゃえば何万カットでも撮れちゃう気軽さとの違いである。東京読売巨人軍のオフシャル・カメラマンの話を聞いたことがあるが、1試合で千カット以上の撮影をするらしい。当然、そこから使えるカットは数枚なわけで、でも、そのカット数であってもそれをパソコンに取り込んでしまえば、そのSDカードは消去してまた使えるし、お金は一切かからない。フィルムの場合は、仮に1イニングの裏表で1ロールづつ撮影したとして、18ロール648カットしかない。なおかつ、それを見るためには結構現像代がかかる訳で、我が家の近所のラボでは10,000円ほどかかってしまうことになってしまう。自分で現像しろよとおっしゃりたい方の気持ちは分かりますが、プロのように沢山撮影した時はそれは無理。1枚1枚丁寧に撮影して、それから自分で現像して、自分で焼いて、『アサヒカメラ』とか『日本カメラ』に投稿する人は別だが、そうじゃない「写真を業とする人」で自分で現像なんかする人は、今は(昔も)いないんじゃないだろうか。

 ということなので、当時の宮本常一は基本的には現代のシリアル・フォトグラファーと同じような気分で、基本的には「写真撮影は一期一会」という気構えで撮っていたのだろう。その気構えが撮っていた写真にも現れているので、その写真を単に一民俗学者が撮った写真としては捉えずに、まるで写真家が撮った写真のように、写真家たちが語るという現代の様相を示している訳なのである。

 まあ、民俗学という学問分野には定型がないので、どんなものでも民俗学の対象になり得るし、これは学問ではないとわれてしまうことは社会学と同じように、他学問分野からは種々言われてしまうものなのだが、その辺は民俗学者たちが「これは民俗学だ」と主張すればいいことなので、基本的には民俗学者たちの立ち位置だけの問題ではあるのであるが、民俗学の探索には今でも写真は使われているというか、今では基本的にビデオ撮影であると思われる。

 ビデオ撮影であれば、民俗の様相をそのまま動く映像として記録できる。祭りの様相も、普段の生活も、野良仕事のの様子も町生活の様相も、すべて動画で残しておける。ただし、それは「これからの生活」だけである。

 ということで、実は宮本常一の写真とういうのは、確かに民俗的資料としても重要なことはよくわかっているのだけれども、それ以上に、今や、写真資料としても重要になってしまっているのだ。

 多分、これから先、日本写真家協会と文部科学省の間で宮本常一の写真の帰属とか、所蔵を巡って争いが起きるかも知れない。

 それはそれで面白いことなんだけれども、私に言わせれば、どっちでもいいんじゃないか、ということなんだなあ。というかアナログな写真なんか、いまやどうでもいいのである。それがどこかでネットに上げられた日から以降は、その写真は世界中の人に共有されてしまい、多分、著作権なんてものも消滅してしまうのである。

 いいなあ、著作権が消滅する世界。

 ああ、私もオリンパスペンを抱えて周防大島に行ってみたくなった。ただし、私の場合、オリンパスペンSはなくて、オリンパスペンFTになりますがね。いいじゃないか、1960年代のマイクロ・フォーサーズ・システムですよ。

 果たしてそこ宮本常一を超える写真が撮れるのか? それは多分、無理…。だということは分かっていますが、まあ、取り敢えず宮本常一の生まれ故郷に行ってみたい、ということだけですがね。

『宮本常一と写真』(石川直樹・須藤功・赤城耕一・畑中章宏著/平凡社コロナ・ブックス/2014年8月25日刊)

2014年9月24日 (水)

社会人アメフトX2リーグ開幕!

「アメフトX2リーグ開幕!」って言っても、実はXリーグは8月からやっていて、EASTは富士通フロンティアーズ、ノジマ相模原ライズ、IBMビッグブルーの上位3チームが三つどもえ状態、CENTRALはオービックシーガルズがブイブイ言わせていて、WESTはアズワンブラックイーグルスとエレコム神戸ファイニーズが競っている状態。

 更にX2も9月14日に既に始まっているのだが、まあ、知り合いが多くいるブルザイズ東京の開幕試合があったので、勝手に昨日をもって「開幕!」なんて言っているのである。

 と言うことで、昨日のアミノバイタルフィールドはウォリアーズvs.バーバリアンの試合に引き続き、17時よりブルザイズ東京vs.横浜ハーバーズの試合があった。

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 ブルザイズのキックオフ、ハーバーズのレシーブで始まったゲームであったが、ハーバーズの攻撃はあっさり4回で最初のシリーズが終わり、代わってブルザイズの攻撃が始まった直後、#21ランニング・バック(RB)鈴木が敵陣を振り切って長躯タッチダウン(TD)!

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 と思ったら、その次のハーバーズの攻撃では#12ワイドレシーバー(WR)濱本に、これまた長躯TDを許してしまう。

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 しかし、ブルザイズのディフェンス陣は固く、なかなかハーバーズがヤードを稼げない。

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 ヤードを稼げないハーバーズがやむなくパントに出ると、こうしてブルザイズ#8ラインバッカー(LB)柳澤のパント・カバーなんかが出たりして、なかなかハーバースに思うような攻撃をさせないのである。

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 などとしているうちに#10クォーターバック(QB)帆足のTDパスが右コーナーに決まる!

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 このQB帆足、日大時代から自ら走ってヤードを稼ぐQBだったそうで、ブルザイズのQBはこの帆足、#16尾崎ともどもよく走るQBである。

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 で、その尾崎が自ら走ってTDかと思われたのだが、このTDはその前にブルザイズの攻撃陣のファウルがあり幻のTDとなってしまった。

 しかし、常に得点をリードして試合を進めるブルザイズは、とにかく時間をかけて攻撃をしていく。40秒計の残り1秒までまってボールをスナップするという、ハーバーズにとっては一番嫌な攻撃方法だ。

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 最後はニーダウンして時間切れを待つ、というアメフト独特の試合終了間際の出来事。

 ということで、ブルザイズ2TD(1ポイントアフタータッチダウン失敗)、2フィールドゴール(FG)で19点、対するハーバース1TD、1FGの10点とブルザイズが勝利で開幕を飾った。

 今年、全線全勝でXリーグ昇格を狙うブルザイズにとっては貴重な1勝だ。

 次のブルザイズのゲームは10月13日、14時から、川崎富士見球場で行われる。行くのかって? 当然行きますよ。だって、私、ブルザイズ東京の特別後援会員なんですもの。

 ブルザイズ東京はNFLのグリーンベイ・バッカーズと同じような市民株主(オーナー)制度で運営していて、10万円以上払うとオーナー会員、1万円で特別後援会員、3,000円で後援会員になって応援するということでチーム運営をしている。まあ、近頃流行りのクラウド・ファンディングみたいなものなのである。

 まあ、それも面白そうだなということで……。

NIKON D7000 SIGMA DG 150-500mm/F5-6.3 APO HSM @Amino Vital Field (c)tsunoken

 

2014年9月23日 (火)

『カツシン』はどこまで勝新に迫れたか

 映画『座頭市』シリーズって、「悪名」や「兵隊やくざ」よりも後なんだって思っていたのだが、そうではなくて、『座頭市物語』が1962年、『悪名』が1961年、『兵隊やくざ』が1965年と、実は『座頭市』の方が先行していたんだな。

 そうか、やっぱり勝新太郎と言えば『座頭市』となるのもやむを得ないのか。

Photo『カツシン さみしがりやの天才(スター)』(吉本浩二著/新潮社/2014年9月15日刊)

「悪名」は田宮二郎との共演、「兵隊やくざ」は田宮高廣との共演ということで、その共演者との対比で勝新太郎の良さが出ていたんだけれども、『座頭市』はまんま勝新太郎の堂々たる主演作品で、勝新太郎でしかできない役柄、勝新太郎でしかできない映像手法、勝新太郎でしかできないシナリオ構成で作ってきた映画とテレビ・シリーズなわけで、まあ、それこそ「勝新太郎の作品」と言えるわけなのであるだろう。

 コミックスの冒頭のエピソードにもある通り『座頭市』は子母沢寛氏の「ふところ手帖」にある『座頭市物語』という、中公文庫版でも9ページの掌編だけが原作ともいえる、ある意味勝新太郎や、映画『座頭市物語』の脚本家・犬塚稔氏が造形した主人公であり物語である。言ってみれば『座頭市』は確実に「勝新太郎と共にあるキャラクターであり物語である」ということなのだ。

 なので、綾瀬はるかは当然として、香取慎吾やビートたけしが演じた座頭市というキャラクターに違和感を感じるのは当たり前の話であり、というか勝新太郎以外の演技者が座頭市を演じてはいけないのではないかとも思えるキャラクターなのである。

『勝新太郎…通称〝カツシン"。いわずとしれた〝座頭市"の元祖です。幼い頃、僕にとってのヒーローはウルトラマンでも、仮面ライダーでもなく、テレビの座頭市でした。
 人からバカにされても、ナメられても、そこから魅せていくところが「かっこいいなあ!」とトロい子供だった僕に勇気を与えてくれたのです。
 そひてまた、座頭市の名演もさることながら、何といってもカツシンさんは人生そのものが極上のドラマでした。
 すべてを映画製作にかけ、残した破天荒な伝説の数々、そしてその裏の〝さびしがりやの素顔"…。
 そんな昭和の巨星を漫画にしたいと無我夢中で描きました。
〝かつてこんな男がいた"焼き焦がれる太陽のようなカツシンさんの魅力を味わってもらえてら大変嬉しいです』

 というのが、このマンガの作者・吉本浩二氏のまえがきである。

 確かに「昭和の大スター」でなおかつ自らプロダクションをつくって活躍したスターと言えば、勝新太郎以外にも三船敏郎、石原裕次郎などがいた。しかし、三船にしても石原にしても、自らはあくまでも「俳優」に徹して、映画製作というか監督の方にまでは進出しなかった。だからこそ、それぞれのプロダクション(製作会社)は生き残ったのであるが、勝プロだけは勝新太郎だけは、勝自ら監督を務め、プロデューサーを務め、それでなおかつ俳優も務め、それで経営者だったっていうのだから、これは自ら破綻をすることを厭わない体制であったというべきであろう。

 まあ、だからこそのカツシンらしい生き方ではあったということなのだろう、ということは良くわかる。

 スター性やカリスマ性で言えば石原裕次郎がダントツであろう、演技力で言えば市川雷蔵や田宮二郎とか田宮高廣の方がよっぽどいい、だとしたら自分は何で彼らと勝負すればいいのだろう、と考えた勝新太郎は、これは「映画への愛」しかないと考えたのだろう。自ら企画して、自らストーリーを考えて、自ら役者を選んで、自ら演出をする。そこでプロデュースだけは誰か別の人に頼めば良かったものを、それすらも実質自らやってしまった。ので、勝プロは破産してしまったのだな。

 まあ、そんなアナーキーな生き方も、だからこそ今でも吉本氏みたいな熱狂的な勝新太郎ファンがいるってことなんだけれども。

 なので、1990年にハワイでマリファナとコカインをパンツの中に隠していたということで逮捕されたり、その後「だからこれからはパンツをはかないようにする」なんてトボけたことを言っても、皆が許しちゃったんだろうなあ。そんなことを今言ったらバッシングですよ。昭和の日本人はまだまだ余裕があったんんだなあ、なんてことも考えたりして。

 最後にひとつだけ本書に疑問があるので、そこだけを糺したい。

 27ページ、漫画のト書きに『TVの座頭市も映画と同じ16ミリフィルムで撮るんですけど』と書いてあるんだけれども、当時はテレビは16mmで撮影していたのは分かっているんだけれども、劇場用映画は基本35mmで撮っていたんじゃないかと思うのだがどうなのだろうか。まあ、勝プロなんかの独立プロダクションが経費節減のために16mmで撮影していたというのは分からないではないのであるが、だとすると当時はまだスーパー16というカメラはなかった筈なので、16→.35mmというブローアップの際に35mmビスタサイズにするのは相当無理があったのではないだろうか。基本、劇場用映画は35mmで撮影して、テレビ用映画は16mmでっていうのが普通だと思うんだがなあ。

 というところだけが不満のマンガではありました。

 ところでどうでもいいことなんだけれども、「エノケン」や「カツシン」など、昔の俳優で大衆から愛された人たちは皆こうして苗字と名前を短縮して呼ばれたものだ。だとすると「tsunoken」っていうのも………………、なんて本当にどうでもよいことですね。スミマセン……、本当に余計なことを言ってしまって。

『カツシン さみしがりやの天才(スター)』(吉本浩二著/新潮社/2014年9月15日刊)

『座頭市』(子母沢寛他著/中公文庫/2002年11月15日刊)こういう本こそ、電子化して欲しいよね。中央公論社は親会社の讀賣新聞と共にあまり電子化に積極的ではないような……。

2014年9月22日 (月)

映画館という名のJAZZ喫茶

 白山に映画館という名前のJAZZ喫茶がある。

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 JAZZ喫茶という存在自体が最早レトロではあるのだが、その名前も「映画館」ということで、レトロぶりも更に磨きがかかるというわけである。おまけに看板のようにおいてあるのが16mmフィルム映写機である。

 いまや映画館というかシネマ・コンプレックスではフィルム上映自体がなくなってしまっていて、ほとんどがビデオ上映というかデジタル上映になってしまっている。劇場音響のTHX化の時はその工事費用が大きかったためなかなか進まなかったものが、デジタル上映に関してはちょうどシネコン建設ブームとも重なって、かなり容易に進んできた。更にデジタル上映になることで映写技師がいらなくなるなど、人件費の節約にもなり、それもデジタル化が進んだ要因にもなっている。かくして映画館のデジタル化、映画そのもののデジタル化が現在では当たり前になっている。

 ただし、このデジタル・シネマについては一部でそれを不安視するムキもあって、つまりデジタル・シネマの場合、OSが変わってしまった際にそれまでの資産が使用不可になる恐れがあるということである。フィルム上映の場合なら既にリュミエール兄弟が世界で初めて映画を上映した1895年なら既に120年の歴史がある訳で、それなりの永年保証があるわけである。同時にハリウッドにはハリウッドの最初からのフィルム原版を所蔵する地下倉庫があって、そこに保管し、数年ごとにフィルムを差し替えていけば永久保証が可能であり、それは永遠に上映できることが保証されていることを意味する。

 とは言うものの、今や映画はDVDで見るということも当たり前になったりして、「映画は映画館で見るもの」ということも必ずしも「普通のこと」ではなくなっている。で、「映画館」というものが今やレトロな存在となってしまっている訳である。

 同時にJAZZ喫茶というものも今や数少ない存在になってしまっている。

 つまりジャズを専門的に流している喫茶店というJAZZ喫茶は、昔、貧しい時代に皆が皆レコードやステレオを持てなかった時代に、そこに集まってジャズを聴く場所であったものが、現在のように、「音楽は個人個人が自分のスマホで聴く」という時代になってしまうと、そんな場所はいらないということになってしまって、「喫茶店はコーヒーを飲むところであって、別に聴きたくない楽曲を聴くのはいやだ」という人ばかりになってしまった。

 なのでJAZZ喫茶とかROCK喫茶というものは現在は殆ど見なくなってしまっている。昔、御茶ノ水や新宿あたりにあれだけあったJAZZ喫茶も、その殆どは姿を消してしまっている。今や、むしろ地方都市にそんなJAZZ喫茶というかJAZZ酒場が残っている方が目に付くようになった。

 ということで「映画館と言う名のJAZZ喫茶」とはそんな二つのレトロな存在がくっついた場所と言うことなのであります。

 場所は地下鉄三田線の白山駅を出てすぐの場所。

「JAZZ & somethin'else 映画館」の公式サイトはコチラ

 で、昨日のブログでもそうだが、これを撮影したカメラもアナログ・カメラのライカであるが、そのフィルム・タイプからカラーではないかということを発見した貴方。それは大正解。ただし、そのカラー・フィルムをモノクロ出力したのではなく、初めからモノクロでスキャンしています。まあ、自分で現像するのでなければカラーの方がラボ対応が早いってもんで……

LEICA M6 ELMARIT 28mm/F2.8 SUPERIA PREMIUM 400 @Hakusan (c)tsunoken

 本当の画像はコチラ

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2014年9月21日 (日)

根津権現と白山神社の例大祭

 9月20日と21日はあじさい祭りで有名な白山神社とつつじ祭りで有名な根津神社の例大祭であります。

 文京区の駒込近辺では9月6日7日が音羽・今宮神社、9月13日14日が駒込・天祖神社、9月20日と21日が根津神社と、毎週土日が大きなお祭りがある。

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 で、取り敢えず白山神社に行ってみると、さすがに小さな神社だけに結構地味~にお祭りをやっている。テキヤの屋台も二つだけという感じで、祭りの規模は小さいんだなあ。

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 一方、根津神社の方に行ってみたら、さすがに大きな根津神社であります。凄い人出と屋台の数。

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 さすがに「天下祭」の一つに数えられる祭りのひとつだけあって、その祭りの規模も大きい。

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 ほらこの屋台、屋台、屋台、屋台……

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 チョコレートワッフルなんて訳のわからない屋台の隣は、昔懐かし射的の屋台。いいですねぇ。

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 勿論、ちゃんと本殿にお参りする人の波は絶えることなく……。

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 で、昨日は子ども神輿や山車が中心の祭りで、今日が大人の本格的な祭りが盛大に開催されます。

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 多分、昨日以上に大勢の人出が予想されるので、行こうという人は早めのお出かけを。

LEICA M6 ELMARIT 28mm/F2.8 SUPERIA PREMIUM 400 @Hakusan & Nedu (c)tsunoken

2014年9月20日 (土)

風景映画『東京戦争戦後秘話』は我々に何を残したのか

 アートシアターは銀座と新宿にあった。銀座は日劇の地下、新宿は現在、角川シネマ新宿の場所にあったのである。その日劇アートシアターで六番目に観たのが、この『東京戦争戦後秘話』なのだった。ちなみに一番最初に観たのが、同じ大島渚の『絞死刑』だった。

 あの頃は結構暗い映画ばっかり観ていたんだなあ。

2『東京戦争戦後秘話 映画で遺書を残して死んだ男の物語』(監督:大島渚/主題:大島渚・田村孟/脚本:原正孝・佐々木守/創造社・日本ATG提携作品/1970年6月27日公開)

 そして、私が映画を観るばかりでなく、作る方に興味を持ったきっかけにもなった作品がこの映画である。その後、この映画に出てくる、映画製作者集団グループ・ポジポジと同じボレックスの16ミリカメラを私も手に入れ、「現象学的ドキュメンタリー」なんて自称して、この映画の主人公(?)である「あいつ」のように「風景映画」を撮り始めたのだった。

「東京戦争」というのは、1969年9月30日に共産同赤軍派が起こした小さな武装蜂起のこと。当日、全共闘が明治大学に集結し、午後5時頃から学外に出撃。御茶ノ水・神田周辺で火炎瓶を投げたり、バリケードを築いたりして、機動隊と衝突。その頃、赤軍派は東大構内に集結し本富士警察署に向けて火炎瓶を投擲したという、まあ、全共闘に比べれば小さな事件にすぎなかった。

 その前に大阪戦争に失敗した赤軍派が、次に東京戦争を仕掛けようと、日大闘争の一環として全共闘が御茶ノ水・神田地区で行おうとした大規模な街頭闘争に乗じて、都内の複数の警察署を襲撃して、後楽園競輪場の群集を巻き込んで武装蜂起しようという計画だったが、結局、本富士署を襲っただけに終わってしまったという、ちょっと情けない結果だった。

 で、その「東京戦争」の戦後秘話っていうことなんだが、映画はそんな勇ましいものではなく、基本的にはサブ・タイトルの「映画で遺書を残して死んだ男の物語」というのが、実は相応しい。実は原題は「東京風景戦争」なんだなあ。

 つまり、この映画、シナリオのト書きから引用すると……

『窓から見える風景である。ありふれた住宅地の小じんまりとした家々の屋根が続いている。昼ごろの住宅地の現実音が流れる。
例えば、遠くのテレビのニュースや子供たちの声、踏切の警報器。ピアノの音などである。それがえんえんと続く』

『カットが変わると商店街の一角らしく看板が積み重なって見える。
その中で中央の「酒」という看板にピントが合わされているようである。商店街の現実音が流れる。時刻はこれも昼間らしく雑踏よりはむしろ街頭放送の声や、商店の応対の声などが虚しく聞こえる。これも長いカットが続く』

『カットが変わる。ガードレールを主体にした大通りが写る。車がひっきりなしに画面をよぎっていく。焦点はガードレールに合い、車はなんとなくぼうっと写っている。走る車の現実音がかぶさる』

『赤いポスト(旧型)を中心にした街角である。現実音がかぶさる。郊外の私鉄駅に近いらしく駅のアナウンスが切れ切れに聞こえる』

『カットが変わる。
雑貨屋の公衆電話を主体にした狭い通り。その通りの奥に踏切があって時々電車がよぎって行く。一人、二人タバコを買いに来た男によって電話が隠されることもある。おそらくテレビからであろう流行歌が流れている。電車の通る度に踏み切りの警報音と電車の轟音。そして自転車のベルなどが聞こえる』

『カット変わる。
電柱と電線を中心に後ろに林立するテレビアンテナを捉えている。現実音は近所で遊んでいるらしい子供たちのはしゃぐ声が中心である』

『カットが変わる。
それは冒頭の街のカットである。
広角レンズで捉えられている風景、手持ちカメラであるらしくゆれている。町の現実音のなかに冒頭の象一の声が入ってくる。
象一の声 いい加減にしろよ。今朝の九時迄だって言ったじゃないか』

 というのが、「映画で撮った遺書」なわけだが、それはまたある意味では映画評論家・松田政男氏言うところの「風景映画」なのである。「風景映画」とは、松田氏と足立正生、そしてこの映画のシナリオ・ライターである佐々木守が中心になって作った映画『略称連続射殺魔』という、まさしく「連続射殺魔=永山則夫」が見たであろう風景をただただ撮り続けたドキュメンタリーに松田氏自ら名付けた映画なのであった。

『中央にも、地方にも、辺境にも、そして<東京>にも<故郷>にも、いまや等質化された風景のみがある』

『おそらく、永山則夫は、風景を切り裂くために、弾丸を発射したに違いないのである』

 という松田氏にとって、この同じく「遺書」として撮影された「風景映画」はどう映ったのであろうか。

『『東京戦争戦後秘話』は、大島渚がこの70年代の初頭において、情況論から風景論へと思想的芸術的戦略をば転位せしめた記念碑的作品なのだ』

 と結論付けた松田氏だが、それから40年余り過ぎた現在、『中央にも、地方にも、辺境にも、そして<東京>にも<故郷>にも、いまや等質化された風景のみがある』という言い方は、実は更に転位を遂げて、いまや東京に一極集中した結果、「東京だけの風景」と「地方だけの風景」は一変してしまっている。巨大な、大空を突いて上に伸びるばかりのビル群がひしめく東京の姿と、人もいない、街もがらんどうで、空き家ばかりが目立つ「田舎」の風景とは、一体どこが「均質な風景」なのだろうか。

 では、そんな「均質ではない風景」は、その昔のような住みよい「田舎」と、住みよい「都会」へと回帰してきたのであろうか。

 いやむしろ、均質化は更に均質化していき、その結果として「都市と田舎の格差」が出現しているのであった。つまり、1970年代の「風景論」は、その後更に深化していき、再び情況論的な世界になってきたのではないだろうか。

 しかし、その時、我々には吉本隆明はいない。

 先達のいない中で、我々は「情況論」を語らなければならないのだ、

 それが、またまた我々を悩ませる原因でもある。

 で、この間、銀座三共カメラでみたベル&ハウエル・フィルモ70DRを買って、再び「風景映画」を作ろうかな……。

 って、何でそういう結論になってしまうの?

『東京戦争戦後秘話 映画で遺書を残して死んだ男の物語』(監督:大島渚/主題:大島渚・田村孟/脚本:原正孝・佐々木守/創造社・日本ATG提携作品/1970年6月27日公開)

2014年9月19日 (金)

はあちゅうの『広告ガール』は平成の「気まぐれコンセプト」か?

 D通やH報堂などの大手広告代理店の社内ネタを面白おかしくマンガのネタにしたのが、1981年から続いているホイチョイ・プロダクションズの『気まぐれコンセプト』で、バブル時代には大いに読まれて一大人気漫画になったわけなのだが、このはあちゅう作『広告ガール』で展開されている電通社内ネタを見ると、いまだに広告業界は「バブル」をやっているのか、とも思ってっしまう。

 う~ん、まさに『気まぐれコンセプト』みたいに「反省」という言葉がない世界なんだなあ。

Photo_9『広告ガール 大手広告代理店新人日記』(はあちゅう著/ゴマブックス/2014年9月3日刊)

 はあちゅうさんの名前は前から知っていて、カリスマ・ブロガーとして名前をはせていたことなどは有名であった。有名ではあったが、ブログを読んで「まあ、女の子の自家中毒的なブログね」ってなもんで、あまり注目はしていなかったんだが、本になっていたのは知らなくて、今回初めてブログ本を読んでみたわけなのであります。

 で、結論から先に言ってしまうと「なんだ、いまだに広告業界って昔と変わらないバブリーなことを、それもかなり無責任にやっているんだな」ということである。まあ、業界の習慣なんてそうそう変わるものじゃないから、それはそれで仕方がないのだけれども、ねえ、それでいいの? とも思ってしまうのだ。

 ってことは、例えばアニメ番組を制作することを決めたとして、最初の頃は制作関係の打ち合わせにも何人もの人、つまりスポンサー企業担当の営業の人数人をはじめとして、プロモーション担当、キャンペーン企画担当、SP担当、CMクリエイティブ関係の人数人などなど、多くの人が集まった番組始まり前の状況が、番組がスタートして第1回目の放送が終わって視聴率が惨敗状態になると、徐々に会議に出てくる人が少なくなってきて、番組の打ち切りが決まった後には、ついに出てくるのはスポンサー企業担当営業の一番下っ端だけになって、番組プロデューサー(クレジット的には「制作担当」だが、実質プロデューサーっていう意味でのプロデューサー)たちとの番組の打ち上げに出てくるのは、その人だけっていう状況は今でも続いているのだろうか。って言うのは私の体験。

 うーん、あり得るな。

 どうせ他人のフンドシで商売をするのが広告代理店。「士農工商・代理店・そのまた下の制作会社」っていう業界構造は、まあ変わってはいないな。

 面白いのは

『偉い人「S、伊藤君(はあちゅうのこと:引用者注)のことを教えて」
S君「えっと……伊藤さんはブログが有名で……。ブログの有名人です」
偉い人「そう。でも、その他にないの?」
S君「その他にもありますけど……伊藤といえばやっぱりブログです」
偉い人「でも伊藤からブログを取ったら何が残る?」
S君「……」
北極の氷も溶ける勢いで打ち解けて打ち解けてうちとけまくったと思っていたS、まさかの沈黙。さっきまで饒舌だったでしょアンタッ!
沈黙が続くこと数十秒。追い打ちがかかります。
偉い人「伊藤からブログを取ったら何もないのかな?」
S君「……」
……っておい!! ねぇのかよっ!!
S君「いや、何も残らないってわけじゃないんですけれど、伊藤さんはブログっていう印象が強すぎて」
さっきまで伊藤だったのに急にさんづけ!? なんでいきなり距離あいたの、私たち。
ガーーン。
偉い人「で、あなたは伊藤さんのブログ以外は何も知らないと。大学時代、ブログ以外何もやってたとか。今の業務のこととか」
またもや、沈黙。
S君「えっと……伊藤さんは……誰にも分け隔てなく優しいです」
……ぶ……無難すぎる!! というか優しいって、他に褒めるところが何もない場合の最終手段だし!! もっとほら、大学時代はチアリーディングやってたとか、法学部だったとか、香港に留学してたとか!! たくさんあるじゃん!

私はアンタがW大学出身で、寮でリーダーだったこととか、ものマネがうまくて先輩に重宝されていることとか顔がでかいこととか、なんでも知っているのに、私にはまるで興味がないのっ!?
というわけで、思いがけず同期とのコミュニケーション不足が露呈。私の自己PRも甘かったかもしれないけどそりゃないよ、S……。』

 ってくだりなんだけど、まあ、他人から見た自分なんてそういうもんで、

『偉い人「じゃあ、自己紹介ならぬ他己紹介ってことで、お互いのことを話てもらおうか」』

 なんて言った「偉い人」が問題だね。

『広告界の最高新人賞をもらえるけれども10kg太るのと、絶世の美女になれるけれども新人賞はおろか広告界ではどんな賞もとれないとうになる、とか。さあどっちをとる、私!』

 って言うけれども、これはもう前者しかないでしょ。だって、はあちゅうが好きな林真理子さんがその一番いい例で、『ルンルンを買っておうちに帰ろう』が大ヒットしたり、西友ストア向け広告コピー「つくりながら、つくろいながら、くつろいでいる」でTCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞を取った頃の林さんは「ブ○」で「デ○」なネーチャンでしかなかったのに、今やねえ。ということで、これは「広告界の最高新人賞をもらえるけれども10kg太る」に決まりなのだ。

 まあ、この本も基本的にはブログ本なのだろうけれども、そのブログ本としてのユルさがいいのかも知れない。

 別に、本書を読んで何かを学ぼうなんて人はいないだろうし、自分の生き方の参考にしようなんて人はいないだろうし、まあ、時間潰しとして読むのにはいいのかもね。

 いろいろある書籍の中にはそんな本もあるさ。

『広告ガール 大手広告代理店新人日記』(はあちゅう著/ゴマブックス/2014年9月3日刊)紙版は<主婦の友社/2011年3月>、なるほどそういう展開もあったのか。

2014年9月18日 (木)

濱嘉之作『機密漏洩』を歩く

 今月から始まった「○○○○作『××××』を歩く」シリーズ第2弾は「濱嘉之作『機密漏洩』を歩くだっ! 刑事ものなので、いろいろなところに「デカ」けるのだっ!

 ってエクスクラメーション・マークをつけるほどではないが、濱嘉之氏も私が好きな作家のひとり。中央大学法学部法律学科を卒業後、警視庁に入営し、2004年まで勤務。警視庁警視で退官後は「警視庁情報官」で作家としてデビューした。まあ、元警察官だけに「反中」的立場は見えるんだけれどもね。

 作風としては、『かつて警察官だった者として、「嘘のないこと」を心がけており、臨場感のある作風が評価されている。全作品に共通する特徴として、メインで登場するノンキャリア警察官が、高学歴かつスマートで優秀な人物ばかりであることが挙げられている』(Wikipedia)そうだが、確かに今回の主人公たちも……。

『 青山望……麻布警察署警備課長。前警視庁公安部公安総務部公安総務課係長。中央大学剣道部出身。
 大和田博……浅草警察署刑事組対課長。前警視庁組対部組対四課係長。早稲田大学野球部出身。
 藤中克範……新宿警察署刑事課長。前警視庁刑事部捜査一課係長。筑波大学ラグビー部出身。
 龍一彦……築地警察署刑事課長。前警視庁刑事部捜査二課係長。関西学院大アメフト部出身』

 とまあ、それぞれそれなりの大学の運動部出身で、結構「できそうな」刑事たちだ。

Photo『警視庁公安部・青山望 機密漏洩』(濱嘉之著/文藝春秋社/2014年8月20日電子版刊)

 では、早速「歩く」シリーズであります。

『翌日、青山は代々木にあるその宗教団体の本部を訪ねた。このあたりの街一帯が、この宗教団体の施設で埋まっているような感じさえする』

『青山はここで大間が出てきたことにも驚いたが、それ以上に四谷教団という政教分離の批判をものともせず、常に与党に身を置く政党を左右する政治団体の存在が気になっていた』

『四谷教団の教主がノーベル平和賞を狙っていることはご存じですよね』

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 とくれば、これは信濃町の創価学会しかないですよね。創価学会と公明党でしょう。

『新宿署から百メートルも離れていないビルの八階にある、逃避顧問会社の支店長室の応接用のソファに座って槇島が言った。投資顧問会社の支店長は岡広組系糸山櫻組の準幹部だった』

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 新宿署は分かるんだが、そこから100mも離れていないビルって……、どこなの? あまりにも多くて……、ということでこれは特定できず。

『在日中国大使館を見下ろすことができるマンションの一室に入って、青山は訊ねた。この部屋はチヨダの了解を得て、中国大使館の視察拠点として、麻布署の外事課が独自に設定した場所だった。セレブの街・広尾とIT関連の最大拠点である六本木の中間地点という地理的条件から、この1LDKでさえ通常ならば月額二十万円は下らない物件であったが、所有者が青山の協力者であったことで月五万円という価格で借り上げられていた。ここから光学千ミリメートルの望遠レンズを取り付けたデジタルカメラと、ビデオカメラが並んで大使館内に向けられていた』

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 これは簡単に発見。「HOMAT CATHAY」というマンションで、確かに高そうなマンションである。賃貸物件なのか、分譲物件なのかは分からないが、まあ場所から言っても賃貸料は安くはないだろう。月五万円なら私も借りたい。

『東京駅丸の内北口にある丸ノ内ホテルのロビーで待ち合わせた藤中と大林朋子は、ホテルのラウンジの窓側に向かい合って座った』

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 これはまんま、そのまんまあります。東京駅丸の内北口前にあるオアゾというビルの6階くらいから上が丸ノ内ホテルで、窓際と言えば東京駅を出発する列車が見える場所です。ロケーション最高ですね。

『歌舞伎町一丁目と二丁目の境は新宿区役所通り交差点の風林会館前を、職安通り、靖国通りとほぼ平行に東西に走る道路である』

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 まあ、警察もので、やくざ絡みと言えばすぐ出てくるのが歌舞伎町、風林会館なのであります。

『四谷管内にあるアフリカの某国の大使館には反社会勢力がひっきりなしにタムロしているようです』

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 ということで四谷警察署近辺にも行ったのだが、「アフリカの某国の大使館」の場所は特定できず。

『五人に囲まれた西川は、総合庁舎の警察専用地下駐車場からワンボックスカーに乗せられて、半蔵門にある警察共済組合が所有するグランドアーク半蔵門の地下駐車場に入った。地下駐車場から営業用のエレベーターに乗せられ、最上階の十七階にある角部屋のデラックスツインに連行された。
「当分の間、ここで事情を聴かせてもらう。理由はわかっているな」
「何のことでしょうか?」
 西川は懸命に平静を装うとしていたが、将来の警察庁長官と目され、九州管区局長と同期の、カミソリとの異名をとる総括審議官の目には、愚かな抵抗にしか見えていない様子だった』

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 いよいよドラマは核心に迫る訳ですが、しかし、本当に「警察共済組合が所有するグランドアーク半蔵門」なんて高級ホテルがあるのは知らなかった。

 本当にあるんですよ。

『今回、特別捜査本部は殺人が発生した麻布署に置かれたが、ここには築地、新宿、浅草の三署からそれぞれ刑事、組対、公安各課の捜査員が二名ずつ派遣された。それも各署各課のエース級で、捜査期間は二ヵ月と言う集中体制である。しかも、本部からも捜査第一課、組対第四課、第五課、公安総務課、外事第二課の五課からそれぞれ管理官以下六名派遣されるという、いまだかつてない捜査本部の陣容だった』

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 うーん、麻布署ってそんなに大きな警察ではないんだけれども、それだけの大部隊を置いておけるほどの場所があるんだ。まあ中に入ったことないですから、何とも言えないのですがね。

 ということで、最後の麻布警察は、まあほとんど最後の始末をつけるだけのもので、基本的には「警察共済組合が所有するグランドアーク半蔵門」が事件が決着する場所。

 しかし、警察がそんなものを持っていたとはなあ。さすがに公務員共済組合、ってことですかね。

『警視庁公安部・青山望 機密漏洩』(濱嘉之著/文藝春秋社/2014年8月20日電子版刊)紙版は2013年8月10日刊。この1年間の差って、どうにかならないもんかなあ。

2014年9月17日 (水)

『スターリン』を読んでも分からなかったこと、分かったこと

 口では「反帝国主義・反スターリン主義」を言っていても、1953年に死んだスターリンの全盛時代を、1951年生まれの私は知らない訳で、じゃあちょうどいいタイミングででた本書でお勉強。

 と考えて『ソ連崩壊後に公開された資料をもとに知られざる「素顔」にせまる』という本書を読んでみての結果としては、「なんだ、特に新しい事実はなかったんだな」ということであった。

Photo『スターリン 「非道の独裁者」の実像』(横手慎二著/中公新書/2014年7月25日刊)

 本来「革命」というものは「革命を革命し続ける」ということでしかあり得ないものの筈なのであるが、それをどこかで区切って「いったん革命をやめる」判断をしなければならない。それが「革命と政治」の違いであり、「権力奪取」ということなのだ。

 ロシアでは1917年にボリシェビキが権力奪取を行った際に、その次にやらなければならなかった「革命を革命し続ける」方向が、1923年にレーニンが倒れ、その翌年死去したということによる政治的方向転換が、実はロシア革命にとって大きな後退局面であったのだ。

 つまり、レーニン死去後、スターリンがとった政策というものは『スターリンは自ら「レーニンの最も忠実な使徒」を自称し、その支配イデオロギーを「マルクス・レーニン主義」と命名し定式化した。また、レーニン死後、彼を神格化することによって自らの個人崇拝を推進した』(Wikipedia)というもので、三つの過ちを犯している訳だ。

 ひとつは「自らレーニンの使徒」という考え方である。これではスターリンが若い頃在学していた神学校の教えと同じ「キリストの使徒」という考え方であって、これではキリストの教えに反することはできなくなってしまう。とにかく、何か問題が起きたらレーニンの書いたもの、行った政策に立ち戻り、そこから派生する政策を実行していくということ。つまり、それが革命時の非常手段であった粛清や抹殺、処刑が当たり前になった原因ではないのだろうか。

 もう一つは、「マルクス・レーニン主義と命名し定式化した」ということ。これもレーニンの神格化と同じ誤りで、マルクス・レーニン主義は本来「定式化」はできない筈のものなのである。革命の形は、その置かれた社会の様相によって様々に変わっていってよい筈であるし、それは革命に参加した人々の選択によるべきなのである。それを「革命はこうしなければならない」と革命のスタイルを定式化したコミンテルンのあり方は、まったく各国の事情を無視した革命の押し付けでしかなかった。

 更に「レーニン死後、彼を神格化することによって自らの個人崇拝を推進した」という事実。まさにスターリンが共産主義国からだけではなく資本主義国からも批判され、結果としてドイツのヒトラーと同じく「独裁者」として左右から批判をされることになった原因がそこにある。本来はヒトラーの独裁とスターリンの独裁は別種のものなのだが、そこをあえて混同させようとする資本主義国のやり方に、スッポリ収まってしまったところにスターリンという男の限界があるのだろう。

 革命というものは、これまでのフランス市民革命を見ても、日本の明治維新を見ても、結局「内戦」なのである。戦争である以上はそこにあるのは「殺し合い」であるし、粛清と言う名の「抹殺、処刑」なのである。それは戦争である以上はやむを得ないことではある。

 しかし、問題はどちらかの勢力が政権を奪取した後のことである。革命と言うものは政権を奪取するまでの行為であり、政権を奪取した後は、取り敢えず政権を守る「保守」の立場に革命政権側が立つわけである。この時に、革命政権がどのように自らの政権を守りつつ、同時に革命政権自体を更に革命していくかが大きな問題となるのである。

 トロツキーが言った「永続革命」というものはそういったものなのだろう。「革命を革命し続ける」という意味での永続革命である。それはまさにロマンチックな革命論とでも言うべきものであって、実は政権奪取後のリアリズムにはちょっとそぐわないものなのだ。多分、スターリンとの政権争いでトロツキー派が勝利したとしても、スターリンと同じ道を歩んだかもしれない。ただし、メンシェビキ出身のトロツキーだったら、スターリンのような「個人崇拝」への道は歩まなかったかもしれないという希望はあったのかも知れない。

 スターリンは言ってみればレーニンの忠実な弟子だったのだ。それも凡庸な弟子。なので、彼はレーニン主義を、その本来の形ではなく、換骨奪胎した形で受け継ごうとしたのであって、レーニン主義をスターリン的に発展させることにはならなかった。

 一方、トロツキーは基本的にはレーニンと同等の立場だった。最初はボリシェビキに参加したのだが、途中でボリシェビキとは袂を分かってメンシェビキに移り、革命のさなかに再びボリシェビキに参加したというのは、いかにも日和見主義のように見えるけれども、逆に言えば、それはトロツキーにはロシアの明日の姿が見えていたのではないのだろうか、ということである。

 レーニンと同様、革命理論には明るかったトロツキーである。革命政権が権力奪取後の政治のあり方などにも見えていたこともあるのではなかったのであろうか。

 同時に、レーニン死後もトロツキーであれば、レーニン主義を定式化して受け継ぐのではなく、自分なりに変更を加え、自分なりのソ連邦というものを作り上げ、同時に軍事人民委員としての実績のあるトロツキーであれば、ヒトラー・ドイツとの戦い方も別の局面を見せていたかもしれない。

 とは言っても、それも「歴史にifはない」のであって、結局私たちが持っているソ連邦の歴史はスターリンのソ連邦でしかないのだ。仮にトロツキーが権力闘争でスターリンに勝っていたとして、70年後にソ連邦が崩壊しなかったか、やはり崩壊したのかは分からない。

 あるいはトロツキーもスターリンと同じく個人崇拝を求めて動いて、死後、トロツキー批判なんてものが起こったかもしれない。

 いずれにせよ「革命を革命し続ける」という理想の革命論は、やはりロマンチシズムと言うしかなく、基本的には「革命政権は保守化する」というリアリズムのほうが、言ってみれば「政治のリアリズム」なのだろう。

 だとするならば「スターリン批判」は、スターリン死後には必ず起きただろうし、その批判のあり方を巡ってもいろいろな論争が起きても当たり前なのである。

 言ってみれば「反権威主義」が「反スターリン主義」の根底にはあるのだろうな。

『スターリン 「非道の独裁者」の実像』(横手慎二著/中公新書/2014年7月25日刊)Kindle版は出ていない。中央公論社は電子書籍にあまり熱心ではないのだろうか。

2014年9月16日 (火)

東京周縁を往く・江戸川区平井

「東京周縁を往く」今回は江戸川区平井であります。

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 JR総武線、平井駅を降りて南に行くと。

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 平井駅前通り商店街があって、そのドン着き。荒川の袂にあるのが。

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 都立小松川高校である。

 小松川高校と言えば、大島渚が映画『絞死刑』の元ネタにした「小松川高校女子学生殺人事件」で有名である(って思っているのは私だけ?)。

 1958年8月17日、当時小松川高校定時制に通っている女子高校生が行方不明になる。同月20日、新聞社に女子高校生を殺害したという男から電話が来る。警視庁小松川署の捜査員が付近を探すが見当たらず、イタズラ電話として処理。ところが、その翌日、更に詳しく遺体遺棄現場を知らせる電話が来て、捜査員が調べたところ都立小松川高校の屋上に被害者の腐乱死体を発見した。

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 その後、犯人は被害者宅や警察に被害者の遺品の櫛や手紙を郵送したり、新聞社に電話をかけたりして、現在の「劇場型犯罪」の典型の様相であったという。

 小松川署捜査本部は9月1日に工員で、同校1年生の男子高校生・李珍宇を逮捕。

 李はそれ以前にも若い女性をレイプして殺害、その後も死姦したという。更に、李はその事件の経緯を『悪い奴』という小説に仕立て、読売新聞の懸賞に応募したりしていた。

 結局、李珍宇は殺人と強姦致死で死刑が宣告され、1962年11月26日に処刑された。

 なお、この審理中、事件に関しては自供しかなく物証がないということで、冤罪説も流れたり、李が在日韓国人であったために差別を受けていて、それが事件の引き金になっていたのではないかということから、文化人による助命嘆願運動などもあったという。

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 大島渚の映画『絞死刑』は、処刑された李が、しかし処刑が失敗して死なずに生き残ってしまって、ところが処刑のショックで記憶を失い心神喪失になってしまう。刑事訴訟法により、刑の執行を言い渡された者が心神喪失状態にあるときは執行を停止しなければならない。刑務官たちは再執行のために彼に記憶を取り戻させようと躍起になるが、李の無垢な問いかけは彼らの矛盾を鋭く抉っていく。

 死刑制度の原理的な問題から、在日朝鮮人・韓国人、貧困を背景とした犯罪心理などを描いた作品だ。

 でも、今回の「東京周縁を往く」の目的は、そんな小松川高校ではなくて、平井の目黄不動なのである。

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 目黄不動は、五行思想の五色(白・黒・赤・青・黄)の色にまつわる名称を持つ東京五色不動のひとつで、ここ江戸川区平井にある最勝寺が目黄不動尊なのである。

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 平井の小松川高校の前には四つのお寺が並んでおり、善通寺、大法寺、成就寺とあって、一番荒川に近いところにあるのが最勝寺・目黄不動尊なのである。

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 それ以外の四不動は、目黒区下目黒の目黒不動・龍泉寺、豊島区高田の目白不動・金乗院、文京区本駒込の目赤不動・南谷寺、世田谷区太子堂の目青不動・教学院などがある。

 まあ、平井は「東京周縁」と言っても、まだ荒川の対岸は小岩という江戸川区だし、本当の周縁ではないのかも知れないが、何となく「周縁=終焉」を思わせる場所ではある。

 その「死」及び「死刑」ということからもね。

LEICA M6 ELMARIT 28mm/F2.8 T MAX 100 @Hirai, Edogawa (c)tsunoken

2014年9月15日 (月)

カレッジアメリカンフットボールリーグ開幕!

 関東大学アメリカンフットボールリーグ戦開幕、って言っても実は今年から関東大学アメリカンフットボールリーグ1部はTOP 8(上位8校)とBIG 8(下位8校)という二つのリーグに分かれて戦うという形式になって、昨年1部リーグAブロック6位の東大WARRIORSは残念ながらBIG 8校ということになり、「目指せ、甲子園ボウル」とはならずに「目指せ、TOP 8」という方向に切り替わってしまった。ま、実質2部っていうことで……。

 ということで、TOP 8は実は先週からスタートしていて、今週末からBIG 8のリーグ戦が始まったのである。

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 東京大学Warriorsの相手は拓殖大学Rattlesnakes。勇者はガラガラヘビ相手にどう戦うのだろうか。昨年、2部から1部に昇格した拓大も柳沢(QB、RB兼用)という優れたプレイヤーがいたからだという理由もあって、その柳沢が卒業してしまった拓大がどう戦うのかは、これまた興味のあるところだ。

 東大のエースQB#12大槻も、昨年は二年生ながらセカンドQBとしてかなりの試合数をこなしていて、今年は大いに活躍を期待されている。

 確かに、昨年はあまり精度のよくなかったパス攻撃が、今年はかなり精度を増してきたという印象を受ける。

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 とは言うものの、東大レシーブで始まった試合の1シリーズ目、大槻からTE#81へ放ったタッチダウン・パスを拓大DB#31にインターセプトされてしまったあたりから、試合の流れが変わってしまった。

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 拓大攻撃のシリーズでは、まずWR#1小泉にコート右隅へのタッチダウンを許してしまう。

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 第2クォーターは両者とも無得点で終わり、拓大レシーブで始まった第3クォーター、QB#9島崎からTE#8八木へ放ったパスが決まり、八木がそのまま走り込んでタッチダウン。

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 同じ第3クォーター終盤、東大RB#42宮山がコート右隅へ走り込んでタッチダウンを奪う。

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 第4クォーターは東大優勢の攻めで、クォーター半ば、再び宮山がエンドゾーンへ駈け込んでタッチダウン。両者同点になる。

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 しかし、試合はそこまで。結局14対14で引き分けとなり、勝負はタイブレークとなる。

 先攻、東大は結局K#18佐藤のフィールドゴールで3点、後攻、拓大がWR#1小泉がタッチダウンを奪い、結局、拓殖大学の勝利に終わった。

 まあ、「TOP 8を目指す」東大Warriorsとしては何としても惜しい敗戦。柳沢を欠いた拓大も、それほど凄いチームだとは言えないし、たいした攻撃力もなかったと思うのであるが、そこに負けてしまったのは、どこかメンタルの部分で問題があるのではないだろうか。

 実力で言えば、TOP 8は難しいけれども、BIG 8では実力的にはかなり上位校であるはずの東大。昨日の試合でもその片鱗は見えている。

 あとは「絶対に負けない」という「気持ち」の問題だろうな。まあ、それを高校時代スポーツで負け続けてきた東大生に期待しちゃいけないってことですかね。

NIKON D7000 SIGMA DG 150-500mm/F5-6.3 APO HSM @Amino Vital Field (c)tsunoken

2014年9月14日 (日)

告知・駒込天祖神社例大祭

 毎年、9月の月なかの土日は駒込天祖神社(駒込神明社)の祭礼が行われる。

 今年は9月13・14日の両日。

 ただし、今年は本祭りじゃないので、ちょっと小ぶりかなという感じで、取り敢えず子どもの山車と神輿から始まった。

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 宮入り前に神酒所で一休み、って言ったって、当然「子ども神輿」なのでお神酒はでない。普通にスポドリなんかを飲んで待機。

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 で、ちゃんと子ども神輿だって宮入りをして神官からお祓いを受けるのである。

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 宮入りの前にちょっと見つけた可愛い子。錫杖なんかをもって結構凛々しい。

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 今年は、一日目は各町会神輿の宮入りはなくて、天祖神社が持つ「本社神輿」を各町会からの担ぎ手が出て担ぐ「神幸祭」のような形式で行われた。

 この本社神輿は台座三尺八寸の千貫神輿と言われ、普段は神社の右にある神楽のようなところに鎮座しているのだが、いつこれを担ぐのかなと思ったら、四年に一度の神幸祭の時にご出馬あそばされるようなのだ。

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 以降、サッカー・ワールドカップの年に本社神輿を出そう、なんてことを神主は言っていた。う~ん、ワールドカップと天祖神社にどんな関係があるのだろうか。よくわからない。

 まあ、同じ文京区には八咫烏のサッカー連盟の本部はありますがね。

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 で、昨日はまあそんな感じで、普通に終わった祭りではあるけれども、今日は各町内会の神輿の連合渡御や、練り歩きなんかもありそうで、盛り上がること必至。

 いつもは二日あるうちの「どちらかは必ず雨」というのが天祖神社の宿命だったようなのだが、今年は二日とも天気はいいようです。

 浅草三社様とか神田明神、深川富岡八幡宮なんかのお祭りに比べれば規模は小さいかもしれないが、普通の下町の祭りとしては、結構大きい規模の祭りなのではないだろうか、というのが駒込天祖神社祭礼なのであります。

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 さて、我がマンションもお祭りに寄付しているのですが、どこに書いてあるかな?

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm/3.5-5 AG ED @Komagome, Bunkyo (c)tsunoken

2014年9月13日 (土)

銀座という街の魅力について

 カメラを持ってなんとなく街歩き、なんて気分の時は何も考えずに銀座に来ていることが多い。

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 銀座の持つ何となく田舎くささと都会らしさが混じった雰囲気がいいのだろうか。

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 日本らしさと無国籍的な気分がいいのだろうか。

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 ギャラリーの多さがいいのだろうか。

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 華麗さと貧乏臭さが混じった気分がいいのだろうか。

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 可憐さと意地悪さが両方存在するところがいいのだろうか。

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 猥雑さと幼稚さの入り混じった気分がいいのだろうか。

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 なんだか分からないけれども、今日も銀座に来てしまった。

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LEICA M6 ELMARIT 28mm/F2.8 FUJIFILM SUPERIA PREMIUM 400 @Ginza (c)tsunoken

2014年9月12日 (金)

tsunokenの自転車記VOL.3 2014/9/12は荒サイ再デビュー

 9月7日(日)は雨で自転車に乗れなかった。9月14日は大学アメフト観戦予定の為、自転車に乗れない。

 ということで若干フラストレーション気味(別に今朝『弱虫ペダル』のことを書いたからということではないのだけれども、何故かネタがかぶってしまった)なので、今日はちょっと早いけど荒川サイクリングロード再デビュー。ただし、下流コース。荒川サイクリングロードは荒川河口から、埼玉県の東松山森林公園まで繋がっていて、全コース走れば100km位の行程があります。

 上流コースはブリジストン・アンカーの選手なんかも練習コースにしていて、結構ガチなコース、ただし平坦。下流コースはまったりポタリングの人や、散歩の人、マラソンの練習をしている人、保育園や目の見えない人たちのお散歩コースなどになっています。週末は河川敷のグラウンドで少年野球やサッカーなんかの試合をやっていて結構人が出ているのですが、ウィークデイはそんな人たちもいないし、コース幅も広いので安全に走れるコースです。

 走行距離46.38km、平均速度18.9km/h、最高速度33.1km/h、実走行時間2時間26分57秒。

 家から荒サイ下流コースへは……

 小台橋で隅田川を渡り……

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Photo江北橋で荒川サイクリングロードに入り。

Photo_3扇大橋と日暮里舎人ライナーの橋をくぐると……

Photo_15「河口まで15km」のキロポストが登場。1キロごとにこんな標識が立っている。

 
Photo_4西新井橋をくぐると……

Photo_5その先は千住新橋と東京メトロ千代田線、JR常磐線、つくばエクスプレス、東京メトロ日比谷線、東武スカイツリーラインの橋が架かっている。

Photo_6次が京成電鉄本線と堀切橋。

 
Photo_16四ツ木橋と新四ツ木橋。

Photo_8木根川橋。

Photo_9平井大橋とその先にJR総武線。

Photo_10小松川大橋、新小松川大橋。

Photo_11船堀橋とそのちょっと先に都営地下鉄新宿線の橋。この船堀橋を渡ると葛西臨海公園に行けます。

 
Photo_12葛西橋。

 
Photo_13で、東京メトロ東西線の橋と、清砂大橋を過ぎれば……

 
Photo_14そこは既に荒川と中川の河口です。

 ここまでの走行距離22.74km。

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 気温もあまり暑くなく、走りやすい天気でした。

RICHO GRDⅢ @Arakawa River (c)tsunoken

弱虫ペダル

 そうなんだ『弱虫ペダル』っていう自転車ロードレース漫画があったんだよなあ。

『シャカリキ』とか『茄子』とかいろいろ自転車ロードレース漫画があったけれども、多分、今生きているのは『弱虫ペダル』だけかな。

Photo『弱虫ペダル』(渡辺航著/チャンピオン・コミックス/第1巻:2012年12月19日刊・第35巻:2014年8月8日刊)

 秋葉原をこよなく愛するオタク高校生・小野田坂道。彼は小学校3年生の時から往復90kmの秋葉原への道のりを毎週欠かさずママチャリで通っていた。彼の夢は「高校に入ったら、アニ研に入って友だちを作ること」。しかし、その期待もむなしくアニ研は廃部になっていた。アニ研再開のためには、最低部員数5人を集めなければならない。

 そんな坂道の前に現れた、自転車ロードレース経験者の今泉俊輔。今泉は学校裏の激坂をママチャリでアニメソングを歌いながら登る坂道に興味を持ち、坂道が勝てば自分がアニ研に入るという条件で坂道を激坂のヒルクライムに引っ張り出す。

 レースには負けた坂道だが、なんだか自転車に楽しさを覚えて、友達が出来るような予感が……。

 という感じでスタートした『弱虫ペダル』だが、いつの間にか35巻と巻を重ね、坂道が属する総北高校自転車競技部は、何と小野田坂道が一年生の時にインターハイに優勝してしまう。第35巻では二年生に進級した坂道がリベンジに燃える絶対王者・箱根学園、京都伏見、広島呉南などの日本全国の強豪を迎え、宇都宮でインターハイ連覇を狙う。

 って、スタートして2年たっても物語のスピードではまだ1年しかたっていない、というのは漫画のお約束だけれども、自転車はあんなに速いのに、物語のスピードは普通なんですね。

 で、宇都宮のサイクリング・レースと言えば当然ジャパンカップ・サイクルロードレースを開催している宇都宮市森林公園周回コースか、ジャパンカップ・クリテリウムを行っている宇都宮市二荒山神社前の市内周回コースかと思ったら、あにはからんや、どうも宇都宮城址公園あたりがスタートで、JR宇都宮駅から延びる宇都宮のメインストリートを走り、二荒山神社前あたりがアクチュアル・スタートとなって、足利銀行本店前で日光街道に入るというコース設定。

 まあ、漫画だから許される設定なんだけれども、これは絶対にインターハイごときに警察が許可しないコース設定だわな。だって、多分そのまま日光街道を走って、いろは坂を登るコースだろう。それをやったら絶対に観客受けするコースではある。

 ゴールはいろは坂頂上ゴールなのか、あるいは沼田市まで下りていくのか?

 次の巻が楽しみだ。

『弱虫ペダル』Kindle版(渡辺航著/チャンピオン・コミックス/第1巻:2012年12月19日刊・第35巻:2014年8月8日刊)

紙版は2014年10月8日に36巻が出る。楽しみだ……。

2014年9月11日 (木)

STATE OF MIND / NUNO MOREIRA PHOTO EXHIBITION

 昨日の田中長徳展と同じく京橋は近代美術館フィルムセンターの裏にあるTOKYO INSTITUTE OF PHOTOGRAPHYの72 GALLERYで昨日から始まったのが『STATE OF MIND / NUNO MOREIRA PHOTO EXHIBITION』である。

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 ヌノ・モレイラとは何者か。

『1982年ポルトガルのリスボン生まれ。
 音響映像とマルチメディアを学んだのち、アートディレクターとして数々のスタジオや国際的な企業にて活躍する。
 その後にヌノは写真家またデザイナーとして2007年に自身のスタジオ、NM DESIGNを開始する。
 ヌノは、人生におけるさらなる大きな疑問に対する答えを見つけるための、媒体としての写真との関係を模索しながら、余すところなくヨーロッパやアジアを旅している。
 2006年以降、各国のギャラリーにて自身の写真展を開催し、常に主要な原動力を得ながら個人のプロジェクトに取り組み、また故郷のポルトガルリスボンで視覚芸術の講師として活躍してきた。
 各国を旅し、さまざまな文化に触れていくなかで何年もかけて"Stete of Mind"プロジェクトは緩やかに形成され、その瞬間瞬間をつめこんだ一つの集大成として、2014年のはじめにこれらのシリーズ写真集が出版された。
 ヌノは現在東京を拠点に活動しており、アジア諸国を巡る旅と視覚芸術の探求を続けている。
http://nmdesign.org/』写真展ガイドより)

State_of_mind(c)Nuno Moreira

State of Mind is a pgotographic series about the individual quality of myaterious strangers.

The images were captured over a period of several years traveling in coutries such as Japan, Portugal, Hungary, Malaysia, Spain, South-Korea, Romania, Russia, Taiwan - and what emerged is a visual narrative on the poetic qyality of individuality and what it means to be lost in thoughts.

The State of Mind series is about the "thinking moments" and the uncertain atomosphere surrounding the people and places encoutered on the way.

NUNO MOREIRA

State of Mindは見知らぬ人々が持つそれそれの本質に関する写真シリーズです。

これらの写真は、日本、ポルトガル、ハンガリー、マレーシア、スペイン、韓国、ルーマニア、ロシア、台湾などを旅する中で撮影されました。これらの旅を通して浮かび上がって来たのは、個々の詩的な質と、物思いに耽る様子に関する、ある視覚的な物語です。

State of Mindシリーズは、行く道で出会った「考えるひととき」についてであり、また人々や場所を取り巻く不確かな雰囲気に関する作品です。

ヌノ・モレイラ

 そう、写真は常に「不確かな存在」なのである。

 それは「情報」なのか、「芸術」なのか不可分なままに置かれている、不幸な存在なのである。

 本になって「情報」として処理されることもあれば、ギャラリーに展示されて「ファイン・アート」として取引されることもある。

 情報なのか、芸術なのか、それを決めるのは写真を見ている貴方だけでしかないのである。

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Img0592LEICA M6 ELMARIT 28mm/F2.8 @Kyobashi & Ginza (c)tsunoken

『STATE OF MIND / NUNO MOREIRA PHOTO EXHIBITION』は9月21日まで開催中。

TOKYO INSTITUTE OF PHOTOGRAPHYのサイトはコチラ

2014年9月10日 (水)

ライカと共に世界の果てへ・写真は本で見るか、パネルで見るか

『ライカと共に、世界の果てへ/WEIN 1973 田中長徳写真展』が開催中だ。

 場所は京橋二丁目にあるISLAND GALLERY。

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 田中氏の近著『LEICA, My Life』に収録された、1973年にウィーンで撮影したコダクロームがA4判パネルで展示販売されている。すべて写真だけが40,000円、額装付で50,000円というお値段。
 写真展では50点が展示されているのだが、その内32点は『LEICA, My Life』に収録されている。『LEICA, My Life』は四六判なので、当然展示パネルの方が大きい。とは言うものの、『LEICA, My Life』は多分コダクロームから直接スキャンしているだろうから、世代的にはパネルも本も同じ世代である。これがモノクロームの写真の場合は、紙焼きをスキャンすることになるので、本の方がパネルよりは一世代劣ることになる。

2014_09_09_96412(c)Chotoku Tanaka

 で今日のポイントは、貴方は写真を本で見る方が好きなのか、パネルで展示されている方で見るのが好きなのか、ということなのであります。

 最近は写真もファイン・アートであるという見方が普通になってきて、本で見るというよりは、パネルで見ることが多くなってきている。まあ、写真家にとってはいい時代になってきたわけであるが、私は旧世代に属する方だから、写真はやはり本で見る、写真集などで見るという方が自然な感じがするのである。

 ヨーロッパやアメリカでは写真もファイン・アートとして捉えられていて、ギャラリーで展示されたり、絵画のように販売されていたりする。日本もだんだんそうした捉えられ方をしてきているわけなのだが、どうも私には写真はアートというよりも情報であるという見方が当たり前のように思える。

 なので、あまり写真ギャラリーには行かなかったのだが、最近は私にもいろいろ案内状が来て、写真ギャラリーへ行くことも多くなってきた。

 これからは更に写真ギャラリーへ行くことが多くなるのだろうが、しかし、写真集への追慕もまだまだ多く残っている。「写真ギャラリー=ファイン・アート」「写真集などの書籍=情報」の間にあるその境目のない「曖昧さ」が写真が持つ「曖昧さ」の原点でもあるのだろう。

『ライカと共に、世界の果てへ/WEIN 1973 田中長徳写真展』は9月21日まで開催。ISLAND GALLERYのサイトはコチラ

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RICHO GRDⅢ @Yaesu & Marunouchi, Chiyoda (c)tsunoken

『LEICA, My Life』(田中長徳著/枻出版社/2013年12月10日刊)

2014年9月 9日 (火)

ほゞ仲秋の名月

 昨日は雨で見られなかったので、一日遅れの今日、「ほゞ仲秋の名月」を撮影。

 お月見を楽しんでくださいな。

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NIKON D7000 SIGMA DG 150-500mm/f5-6.3 APO HSM @Komagome, Bunkyo (c)tsunoken

サッカーと人種差別

「サッカーと人種差別」と言って思い浮かぶのは、例の浦和レッズ・サポーターが掲げた「JAPANESE ONLY」という横断幕のことなのだが……。

Photo『サッカーと人種差別』(陣野俊史著/文春新書/2014年7月20日刊)

 浦和レッズ・サポーターが「JAPANESE ONLY」と書いた対象は今年から浦和レッズに参加した李忠成選手なのだそうだ。しかし、李選手は元々は韓国籍だったが、日本生まれで都立田無高校を卒業し、2007年には帰化した元日本代表なのだが、そんな「日本人」に向けてでも排外主義を振りまくレイシストって何なのだろうか。それとも単にモノを知らない、というだけのことなんだろうか。

『スタジアムの中が特殊なのではない。人種差別的言葉の応酬が起こる背景には、その言葉が普通に使われる社会が存在する。社会の中で人種差別的言葉が横行しているからこそ、普通にスタジアムの中でも用いられている』

 と陣野氏が書く通り

『特定の国家を「嫌う」書物が堂々と書店で売られ、のみならず、キャンペーンのごとく平台で売られる現在、ゼノフォビアは蔓延していると言うべきであろう。くだんの横断幕は、そうした排外主義的空気がスタジアムの中に一瞬、流れこんだものとして、私は理解している。スタジアムの中で起こることは、スタジアムの外でも起こる。同様に、外で起こることは、中でも起こるのだ』

 と陣野氏が書く通り

 毎週の新大久保でのレイシズム・デモが当たり前のように行われている日本社会だからこそ、スタジアムの中でも排外主義が行われるのである。

 しかし、本書の眼目はそうした浦和レッズ・サポーターの問題だけではない。浦和レッズ・サポーターの行いがきっかけとなって、そういえばサッカーの世界ではレイシズム、ゼノフォビアが横行しているじゃないかという部分に目を向けたのが本書なのだ。

 本書が取り上げた人種差別の事件簿は

1.エマニュエル・オリサデベの記憶(2000年)
2.ルイス・アラゴネスの、ティエリ・アンリへの暴言(2004年)
3.ロベルト・カルロスの裏面?(2005年)
4.サミュエル・エトーをめぐる一連の差別(2006年)
5.パロシェ、エムビアを煽る(2007年)
6.ウァドゥ、ケベ、「シュティ」の横断幕(2008年)
7.スアレス、エヴラを侮辱する(2011年)
8.バロッテリとEURO2012
9.ケヴィン・プリンス・ボアテングの勇気(2013年)
10.シムニッチ、ワールドカップの出場資格を失う(2013年)
11.ダニエウ・アウベス、バナナを食す(2014年)
12.NAKAMURAとKAWASHIMAの記憶

 というここ十数年だけでもこれだけのゼノフォビア事件がサッカー界では起きている。何故、サッカーでこれだけの事件が起きているのか。それはひとつには全世界で3億人を超える選手たちによってプレーされているという、世界で最も人気のあるスポーツだということが原因であるとも言える。

 そして「サッカー」と言えば「フーリガン」と言われるくらい、暴徒的な「自称サッカー・ファン」が多いスポーツでもある。そしてそのフーリガンの掲げるスローガンの一つが外国人排斥や宗教差別などで、一部のフーリガンはネオナチと同化している。

 結局、サッカーというスポーツが、まずルールが非常に単純であり、きわめて国際化しているスポーツである、ということがそうしたフーリガンやレイシスト、ゼノフォビアがはびこる原因なのではないだろうか。ルールが単純ということそれこそが国際化している理由でもあるのだが、同時にそれは教育水準の低い者でも簡単に理解ができるということであり、そんな教育水準の低い者たちはごく簡単にレイシスト、ゼノフォビアになりがちだということなのであろう。

 そういえば件の横断幕を掲げたサポーターは『海外からの観光客が増えてきたことで、ゴール裏という『聖地』を守りたかった』と弁明したそうだが、そうした考え方自体がゼノフォビアであることすら理解していないのが、サッカーファンでもあるのだ。

 フーリガンは元々イギリスの労働者たちが、仕事に疲れて楽しみはサッカーだけみたいな状況から生まれてきている。それはそれで同情に値するが、しかし、だからといって暴徒化することまでは同情できない。更に、そのフーリガンたちが掲げるレイシズム、ゼノフォビアとサッカーに何の繋がりがあるのだろうか。

 また、日本における「嫌韓思想」や「嫌中思想」も、何故それがサッカーと関係があるのかも分からない。勿論、ワールドカップやオリンピックにおいて自分の国を応援し、愛国的な気分になることは理解はできる。しかし、それと「国として、よその国そのものを嫌う」というのはまったく別問題なのである。別に選手たちは相手国を嫌いだから闘っている訳ではなく、スポーツとしてルールを守って競っているだけなのである。それをいつの間にか「代理戦争」の如くに考えて、自国選手を応援するというのは、甚だしく錯誤を起こしているし、危険でもある。

 また、選手自身によるレイシズム、ゼノフォビアに関しては、「まあ、選手はそのスポーツ以外のことは何も知らないアホですから」という態度で接し、その都度、教えてあげればいいのである。

 スポーツというものは「所詮スポーツ」として見るのが一番正しい観戦方法なのだろうな。

 なあんて、何かちょっと冴えない今日のブログ。

 まあ、差別ネタってどうしても言い方が当たり前の言い方しかできないからなあ。

『サッカーと人種差別』(陣野俊史著/文春新書/2014年7月20日刊)

2014年9月 8日 (月)

『江戸の貧民』現代の貧民

『江戸の貧民』とはどういうものかと考えてみたら「士農工商穢多非人」という、現代では既に無くなってしまっている身分制度の最下層の人たちの出自は何なのか。で、それは一体何なのか、ということなのだが。

 つまりは江戸幕府にとっての民衆支配の方法の一つとしての、最下層民の存在を顕在化させ、それによって「士農工商」までの「普通の市井の人たち」の幕府への不満を抑え、同時に最下層民でも生活が出来るような「福祉策」の一つでもあったわけなのであるな。

Photo『江戸の貧民』(塩見鮮一郎著/文春新書/2014年8月20日刊)

 そもそも「穢多」とはどういう人たちだったのだろうか。そういう「出自」の人たちがいたんだろうか。

『裁判と刑の執行は権力者の大事な仕事だが、死穢にかかわる領域を、「身分外の身分」をつくって押しつける。かれらに美麗な服を着せて鴨川の河原で刑を執行させた。監督の検非違使はすこし離れた背後で見ていて、血にも死骸にもさわらない。
 処刑の実行隊を武士身分から切り離した。自分たちの外に穢れた者を作り出すことで、武士は穢れていないという詐術をおこなった。穢多というか非人というか、まだ未分化の身分は、武士階級の誕生にすこしおくれて制度化される。紀元千年のあたりでいいのではないか』

 つまり

『戦乱が起これば懸命に戦い、敵の首をいくつも取って報奨をうける。どんなに血に汚れても気にしないが、ひとたび平和な日がおとずれ、治者としての仕事に専念するときは、穢れを払拭した姿に戻らなければならない』

 人の命を取ってもまったく気にならない戦乱時の武士も、平和な時には「死」というものとは向き合わないようにするという、実は武士自身も人の死というものを忌み嫌った存在なのであったということなのだろう。

『穢れと清めについてここで触れたのは、いまなお部落を血筋のように思っている人がいるからだ。ながいこと解放運動をやっている人でもそういうことをいう。女性や黒人への差別は身体そのものをしるしにしているのだが、部落差別はそうではない。穢れという日本の社会の底を地下水のように流れている意識でもって蔑視が形成された』

『「賤民」とされた人たちは、「穢の空間」に閉じ込められているから差別されているので、肉体や遺伝子になにかが書きこまれているのわけではない。かつて部落の空間が「穢」とみなされたのは、そこで牛馬皮革や小動物の死体に日々接しているからで、穢れの時期が継続していると考えてであった。
 それが血統のように錯視されたのは、江戸期の攘夷思想と明治維新後のナショナリズムの悪意が合体した結果である。アジア蔑視の延長線上に部落を置いて、あたかも民族問題のように論ずる人がおおくいたからだ。自分たちは「天孫民族」だといばり、部落民を「異民族」の子孫だとでっちあげた。そんなことを戦前の学者はまじめに論じていたのである』

 となあ。

 なるほど、「士農工商」の身分制度に収まらず、また僧などの宗教職でもない芸能や、売春婦、祈禱師、放浪する行商人などのいわゆる「非人」たちとはまた違った意味で、「穢多」というものも、時代の要請によって生まれた、それもひとつの「職業」であったに過ぎない。しかし、それが永年に亘って同じ家が連綿と続けるという「職業選択の自由がなかった時代」では、結局それが差別の対象になり、いつの間にか、あたかもそれがその家の出自であるかのような錯視が生まれてしまったということなのであろう。

『維新政府は細分化された身分制社会をこわし、西欧をまねて個々人を独立させ、「国家」という抽象のもとに「全国」を一色でもって組織した。どのような職業につくのも自由だし、住みたい土地に行っていい。もちろん実行したひとはわずかで、大多数はこれまでの仕事をつづけ、先祖代々の家に住んだ』

 その結果、どうなったか

『江戸のころでは、やもお、やもめ、みなしご、ひとりは、不幸の四大記号であった。病老や不具、重篤な病気はどうしようもないが、右の四つの問題はみんなで努力すれば解消できる。家主や町名主や町年寄や町会所が救済の手をさしのべた。
 孤児の項は現代でも配慮されているが、配偶者がいない「やもお」「やもめ」はまるで問題にされない。老人のひとり暮らしは自分でえらんだ道として放置されている』

『死んでからやっと「孤老死」とか「孤独死」「孤立死」「独居死」と命名されて、社会にむすびつけられたが、当人にとってはなんの慰めにもならない。発見時に死後なん日が経過していたかという事務的な書類が作成されたが、みじめさを強調するだけだ。これらの人たちを「現代の貧民」といわずして、なんと呼びますか』

 う~む、「穢多」や「非人」の話から、現代の「孤独死」の問題にまで飛躍するのは、若干違和感がないわけではないけれども、結局、「孤老死」とか「孤独死」というのは、現代社会のひとつの問題ではあるし、それが江戸の頃のような、今からしてみれば「おせっかい社会」ではあり得なかったことであるならば、それはそれ、現代にも江戸のような「おせっかい社会」を取り戻す努力をしてもいいのではないかという気にもなる。

 まあ、今の若者たちが屯す「シェアハウス」なんてのも、そのひとつの解なのかもしれないが、それも孤独を愛する老人たちにとっては鬱陶しいものなのかもしれない。特に、今の老人たちは戦後の高度成長期に少年少女時代を過ごしてきた人たちだ。つまり、彼らはムラ社会からのくびきから切り離されて、一人ひとりが独立して生きることをよしとして育てられてきた人たちだ。

 とするならば、彼らが孤老死とか孤独死に遭遇してしまうのは、それも彼ら自身が選んだ道なのかもしれない。だとするならば、決してそれは「現代の貧民」という姿ではないだろう。むしろ、それは彼ら自身が雄々しく選んだ死に方なのである。

 ただし、自分が死んだ後のことまで考慮して、いろいろ死後に配慮してもいいのだけれどもなあ、と考えるだけである。

 勝手にひとりで死ぬんじゃねえよ、ということである。

『江戸の貧民』(塩見鮮一郎著/文春新書/2014年8月20日刊)文春新書はあまり電子化には熱心じゃないのかな?

2014年9月 7日 (日)

ラウンド・アバウト・ハイヌーン

 セロニアス・モンクじゃないので「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」ならぬ「ラウンド・アバウト・ハイヌーン」な訳です。

 えっ? ラウンド・アバウト? って何? という人。ラウンド・アバウトですよ、ラウンド・アバウト。フランス語で「Rond-Point」(ロン・ポワン)。ツール・ド・フランスのテレビ中継でよく出てくる信号がなくて。真ん中に島がある交差点のこと。

 世界で最も有名なロン・ポワンと言えば、ほらパリのエトワール、シャンゼリゼ通りの行きつく先にある大きな凱旋門の周囲にある回転する道路のこと。

Photo(c)Wikipedia

 これについては日本では道路交通法の規定がなく、従ってそこを通行する際のルールがなかったんですね。基本的にフランスなんかでは、ロン・ポワンを通行する車が、そこに進入する車よりも優先するという決まりがあるんだけれども、日本ではなかった。

 しかし、このラウンド・アバウト。信号がなくても、そこを通行する際のルールを決めておけば、スムーズに通れるので、震災などで信号が使えなくなっても、安全に車が通れるってんで、2013年6月14日に改正された道路交通法で「環状交差点」という名前で認知され、通行する際のルールが決められた訳ですね。それが施行されたのが2014年9月1日なので、早速、東京で唯一のラウンド・アバウトに行ってきました。

 場所は京王線聖蹟桜ヶ丘駅と、同じく京王線と小田急線の永山駅の中間、桜ヶ丘1丁目と2丁目の間にある桜ヶ丘交差点。

 そう、近藤喜文監督のスタジオ・ジブリ作品『耳をすませば』の舞台になった丘の町です。

Photo_2(c)Google

 こんな具合にラウンド・アバウトが出来ている。

Photo_3(c)Google

 京王線聖蹟桜ヶ丘駅で下車。

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 最初は「さくら通り」と呼ばれる道を行くと。

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 かなり急峻な「いろは坂通り」となります。

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 息を「ゼーゼー」言わせながら、いろは坂通りを頂上まで登ると「関戸城跡」という地名板があって、そこから先は住宅地となって、少し下ると。

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 桜ヶ丘交差点です。あっ、「桜ヶ丘交差点」というのは私が勝手につけた名前で、本当は交差点の名前は知りません。

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 で、こんな「交通規制〈新設〉のお知らせ 9月1日(月)から、環状交差点の交通規制が新たに設置されます。環状交差点を通行中の車両が優先となります。 警視庁」という看板が置かれています。

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 でもそんなことはドライバーは先刻ご承知でもって……

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 ちゃんと、皆、交差点内通行車両優先を守っています。

 当然ですよね。その方が安全なことは、当たり前だからです。

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 で、そのままいろは坂通りをまっすぐに下りていくと、こちらはかなり真っ直ぐな道路で、鎌倉街道を過ぎると京王永山駅、小田急永山駅に着きます。

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 興味を持って見に行こうという方。基本的に山がちな多摩丘陵の場所です。そのご覚悟で。

 で、考えて見ると、この「ラウンド・アバウト」って、昔は「ロータリー」って言って、都心部でも池袋の「六つ又ロータリー」とか、荒川区の「宮地ロータリー」とかあったんだよな。それも両方のロータリーとも明治通りという目抜き道路に。

 今は両方とも「交差点」になってしまったんだが、復活しないかな「信号がないロータリー」。

 以前、フランスに出張に行った際にレンタカーで実際走ってみたことあがるのだが、結構スムーズに走れるんだなあ、これが。ただし、パリの凱旋門みたいな何車線もある大きなロータリーだと、一度外の道路に出るタイミングを失ってしまうと、どんどん中の方に追いやられて、一日中ロータリーをグルグル回ることになってしまうので、ご用心。って言うのは冗談だけどね。

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 10-24mm/F3.5-4.5G ED @Tama City (c)tsunoken

2014年9月 6日 (土)

『星降る夜は社畜を殴れ』って。ライトノベルの割には普通なんだ

 角川お得意のライトノベルの世界にも「社畜」モノがあったとはね。

 勿論、扱いはあくまでも「ライトノベル的」ファンタジーですがね。

 でも言っていることはマトモ。

Photo_4『星降る夜は社畜を殴れ』(高橋祐一著/角川スニーカー文庫/2014年8月1日刊)

 本作は第19回スニーカー大賞特別賞受賞作であり、高橋氏のデビュー作である。勿論、定時退社をして書いたのだろう。

 主人公は立花アキト

『趣味はゲームと漫画。好きな食べ物は焼きとうもろこし。好きな言葉は『自由奔放』と『勇気凛凛』。勉強よりも身体を動かすことの方が好きで、足の速さにはわりと自信がある。まあごく普通の17歳だ。ちょっと他人と違うのは、とある事情で高校を中退して、四月からこの『ワクワクフーズ』株式会社総務部総務課で正社員として働いているという点かな』

 対する「敵キャラ」は

『四十代後半で黒縁眼鏡にバーコード頭のおっさん、田中係長だ。趣味はゴルフと接待麻雀、好きな食べ物は弊社の特製ラーメン『ワクワク漆黒中華』。好きな言葉は『滅私奉公』と『自己犠牲』。労働法を無視して他人にサービス残業を強いるのが何よりも好きで、すでに二十人以上の新入社員をうつ病・過労自殺寸前の退職にまで追い込んでいる。総務課四天王の一人で、人呼んで『法令破り(コンプライアンス・ブレイカー)』の田中。凄腕の社畜として鳴らしている』

 そして立花アキトを助けるのは

『彼女の名は神楽レイラ。涼しげな美貌と冷静沈着な性格から、通称は『クールさん』。趣味は女子社員への声かけと最速での定時退社。好きな食べ物はパルメザンチーズとビターチョコ。好きな言葉は『花鳥風月』と『才色兼備』。入社二年目になる19歳で、何かと失敗ばかりなオレをいつも助けてくれる。総務部の"反社畜″派のエース的存在。『光速』の異名を持ち有給を自在に活用する高貴なる定時帰宅者だ』

 という、とにかく分かりやすいキャラ設定。

 取り敢えず立花アキトの当面の敵キャラは田中係長なのだが、所詮は総務課四天王の末席を汚す『四天王の面汚し』『四天王の中では一番の小者』、最後はアキトが勝ってしまうのはお約束の展開。

 アキトが繰り出す『帰宅超特急(ゴーホム・エクスプレス)』『帰宅超航空(ゴーホーム・エアライン)』『帰宅超新星(ゴーホーム・スーパーノヴァ)』などに対して、田中係長たちが繰り出す『漆黒の業務命令(ブラック・コード)』『拉麺螺旋迷宮(ラーメンスパイラル)』『社畜の超音速衝撃波(シャチックブーム)』『奴隷の鎖自慢(ワンダフル・チェイン)』なんていう、いかにもなライトノベルらしい技の数々ではあるけれども

『ダメな組合の特徴その一、自分たちだけがよければそれでいいという正社員クラブ』

『ダメな組合の特徴その二、管理職いいなりの御用組合』

『ダメな組合の特徴その三、前例主義と教条主義』

『ダメな組合の特徴その四、屁理屈だけは立派』

 とか

『自分のスキルや業績に誇ることがないから、「俺はこんなに残業したぞ!」と意味のないことで威張る。他人への劣等感が強いから、無駄に他人のあら捜しをしたり攻撃的になる。しんどい仕事を延々とこなすのがつらいから、他人にもそれを強要する。幸福になる手段が分からないから、不幸を他人に押しつける……。社畜というのは、そんなタイプの方が実は多いのだ』

 とか

『「仕事のできない人間が、自分だけ定時で帰りますなどといっても、誰も納得しないだろう? でも、誰よりも仕事をテキパキと手際よくこなす『デキる社員』が、キッチリ定時で帰っていたらどうだろう? みんな、自分も同じように仕事を早く終わらせて早く帰ろうと思うんじゃないかな。だから僕は、他の誰よりもできる人間を目指す」というクールさんは、超人的なペースで自分の仕事を片付けて、ついでに出来の悪い後輩の仕事まで手伝ってくれる。この総務課でクールさんに匹敵する事務処理能力の持ち主っていったら、工藤課長くらいのものじゃないかな』

 とか、まあまともなことも言っているのだから、私のようなライトノベル嫌いにも読めるようにはなっている。

 しかし、物語の最後、『流星の帰宅者』とか、次代の『働き手を照らす星(スターライト)』との呼び声も高いという立花アキトの前に現れた謎の少女。

 立花アキト危うし……って、どういう展開やねん。

 まあ、続編に乞うご期待というところなんだろうな。

『星降る夜は社畜を殴れ』(高橋祐一著/角川スニーカー文庫/2014年8月1日刊)紙版・電子版同時刊行とは、偉いぞKADOKAWA!

2014年9月 5日 (金)

春の最下位決定戦出場校が優勝校から勝ち点!

 今朝、あんなことを書いたばっかりで何だが……「中央大学、春の覇者亜細亜大学から勝ち点かっさらう!」の巻であります。

 1回裏、中央は一番新城、2番福田(将)、3番神里、4番小河、5番佐藤(匠)、6番泉澤、8番東、9番松田、巡り巡って3番福田(将)と、ヒット、犠打エラー、タイムリー、タイムリー、2点タイムリー、四球、四球、2点タイムリー、2点タイムリーと、この回打者一巡で8点を獲得。これが勝負を決めましたね。

 4回表、エラーで亜大が1点を返すと、その裏、小川の犠牲ヒットですぐに1点返すお見事さ。

 9回表、亜大はヒット、四球、死球で満塁とし、エラーで1点、タイムリー、併殺打の間に1点、タイムリーで1点と、粘り腰を見せるも、ここまででゲームセット!

 なんと春のリーグ戦で青山学院大学と最下位決定戦を行った中央大学が、春の覇者から勝ち点1をもぎ取った試合ではあった。

 いけいけ中央、このまま優勝だっ!

 でもその前に……、あの監督采配、何とかして欲しいよな。

2014_09_03_86192おめでとう中央大学野球部、そして應援團。


奇跡は二度起きないってか? 中大、亜大1勝1敗で勝負は今日に持ち越し

 期待は往々にして裏切られることになる。

 中央大先勝の後を受けて2日目。

 亜細亜大は松山聖陵高校出身の一年生投手嘉陽宗一郎が先発。

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 対する中大は上田晃平。

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 3回までは両者塁上に走者を送り出すのだが得点には至らず。その均衡が破れたのが4回裏。ピッチャーエラー、四球、ヒットで2アウト満塁となると、もう一人四球で押し出し1点。

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 中大7回にピッチャーを在原にチェンジ。

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 亜大、山下(翼)がヒットで出塁、長曾我部が犠打で送ると、水本がタイムリー二塁打でまず1点と、在原への継投が失敗。

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 更に眞野のタイムリーで水本が帰って、この回2点目を献上。

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 8回からは一年生投手鍬原と投入するも2者連続四球でノックアウト。

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 石垣が何とか抑えて8回を終了。

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 しかし、9回三者凡退でゲームセット。

 3対0と、一年生投手の前に完封されてしまった。

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 それにしても、投球練習にも参加せずにノックの手伝いをしている島袋はどうしたんだろう。相当具合でも悪いのだろうか。

 ということで、勝負は今日に持ち越し。でも、今日は予定が入っているので観戦は出来ない。残念!

 とは言うものの、今日の亜大はプロ注目の山崎が先発登板だからなあ……。

NIKON D7000 SIGMA 150-500mm/F5-6.3 APO HSM @Jingu Stadium (c)tsunoken

2014年9月 4日 (木)

東都大学野球開幕 中央大、春の覇者亜細亜大に先勝!

 2014年東都大学野球秋季リーグ戦が始まった。

 初戦は春季リーグの覇者亜細亜大学と、春季は一瞬入れ替え戦? という危機に瀕した中央大学の戦いである。

 で、サウスポーの東都大学野球連盟本郷理事長の始球式から始まった。

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 中央大学の先発投手は山名。

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 亜細亜大学は山崎の投げ合いだ。

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 4回表、亜大藤岡のタイムリーでまず1点先制。

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 その後、亜大眞野のタイムリーで1点追加と、いつもの中大の試合展開に。春季リーグでチーム打率1位の中大なのだが、何故か得点に結びつかない。昨日も山崎の鋭く落ちるスライダーに皆手を出して空振りを重ねていた。

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 それでも7回新城のタイムリーで1点返したあたりから試合の展開が始まった。

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 8回からは投手を村川にチェンジした中大。亜大藤岡にソロホームランを打たれるも、その後の打者を押さえて、8回裏。

 8回裏には、まず泉澤ヒット!

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 和田ヒット! で1アウトランナー1・3塁。

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 で、東のスクイズ崩れかと思ったら、成功! で1点!

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 その後、土谷、新城が連続四球で2アウト満塁となると、打者福田(将)の時に、亜大山崎のワイルドピッチで1点。更に福田のライトへのタイムリーで2点。

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 この回合計4得点で、結局5対3となって中央大学が、春の覇者亜細亜大学に先勝しちゃったのであった!

 今日の先発は島袋だろう。こりゃあ今日も見に行くっきゃないでしょ。 亜細亜大から勝ち点もぎ取れ! 頑張れ中大!!

NIKON D7000 SIGMA DG 150-500mm/F5-6.3 APO HSM @Jingu Stadium (c)tsunoken

2014年9月 3日 (水)

『女子高生の裏社会』って、結局は大人の問題なのだ

 ポスト団塊世代が高校に在学していた1993年頃に「女子高生ブーム」というのがあって、「ブルセラショップ」なんていうものが流行った時期はある。それがいまやJKという呼び名にかわって「JKリフレ」「JKお散歩」なんていう一種の性風俗・疑似性風俗産業が生まれている訳である。しまいには「JC(女子中学生)」「JS(女子小学生)」なんて言葉も生まれて、さすがにJSがそんな性風俗・疑似性風俗にいることはあまりないだろうが、なんか怖くなりますね。

Photo『女子高生の裏社会 「関係性の貧困」に生きる少女たち』(仁藤夢乃著/光文社新書/2014年8月20日刊)

 大人になるちょっと前の女の子にはそれなりの輝きがあって、魅力的に写るということはある。作家の野坂昭如氏なんかも昔から制服の女子高生への憧れを言っていたしなあ。

 しかし、JKリフレとかJKお散歩とか、一種の疑似恋愛・疑似セックス(中には本当のセックスもあったりするようだが)というところまでいくと、単なる憧れとは違って、これは問題だ。

『「JK産業」で働く少女は、次の3つの層に分けられる。

①貧困層     貧困状態にあり、生活が困窮している層。

②不安定層   経済的困窮家庭の子ではないが、家庭や学校での関係性や健康・精神状態に不安や特別な事情を抱えている層。

③生活安定層 経済的にも家庭や学校における関係性にも困窮しておらず、その他特別な事情も抱えていない層。

 貧困層の子どもたちはいつの時代も、こうした現場に取り込まれやすかった。高校時代の私は「不安定層」だったが、家庭や学校に何の問題も抱えていない「生活安定層」は、当時の現場にはいなかった』

『こうした少女たちが売春や犯罪の入り口に立っていることは衝撃的だった。少なくともこの10年間、「貧困層」や「不安定層」の子どもがそちらの世界へ引っ張られていくのを社会は放置し、容認してきた。その間に、「生活安定層」の子どもたちまでもが入り口に立つようになったのだ』

『スマホやSNSが普及するとともに、店はそれらを用いて求人情報を流したり、少女たちに声をかけたりするようになった。それにより、「普通」の少女が介入するようになった』

『情報化によって敷居が低くなり、窓口は広がり、裏社会の入り口に立つ可能性が「普通」の少女にまで広がっている』

『家庭や学校に頼れず「関係性の貧困」の中にいる彼女たちに、裏社会は「居場所」や「関係性」も提供する。彼らは少女たちを引き止めるため、店を彼女たちの居場所にしていく。もちろん、少女たちは将来にわたって長く続けられる仕事ではないことを知っているが、働くうちに店に居心地の良さを感じ、そこでの関係や役割に精神的に依存する少女も多い。
 一見、「JK産業」が社会的擁護からもれた子どもたちのセーフティーネットになっているように見えるかもしれないが、少女たちは18歳を超えると次々と水商売や風俗などに斡旋され、いつの間にか抜けられなくなっている。
「JK産業」は系列風俗店への人材を確保するための、教育期間、教育機関のような役割を担っている』

 結局、スマホやSNSでリアルなつながりを持てなくなってしまった現代の少女たちは、逆にスマホやSNSなどで少女たちを誘い込む「JK産業」の前では無防備に、そんな「JK産業のお店」に引っかかってしまう。それも、そんな「JK産業のお店」がホームページを持っていれば「ちゃんとしたお店だから安心」という、いかにも現代社会における「情弱」な人たちの反応のまんまというのがちょっと気になる。

 別にサイトを開くのなんて簡単なことだし、そのサイトを見れば「これは如何にもヤバい」っていうことは、大人から見れば当たり前のことなのだけれども、やはり社会性に乏しい女の子たちにはその判断もつかずに、単に「サイトを開いていれば安心」という単純な理由で「JK産業」にいとも簡単に入っていってしまう。

 結局

『地縁も血縁も機能しない「無縁社会」といわれる今、子どもたちはそのしわ寄せを受けている。雇用制度も学歴の意味も、生活のあり方も変わり、地域や家族、職場の「縁」に支えられていることを前提として作られた社会保障は現状に追いついていない』

『少女たちに必要なのは、特別な支援ではなく、「困ったときに相談できる、信頼できる大人との関係性」である。少女たちは「縁」を、「出会い」を求めている。彼女たち一人ひとりの背景を知り、それぞれが自立して生きて行くための伴走を、大人がしなければならない』

 という結論が指し示すとおり、これまでそんな少女たちの存在に目をかけてこなかった大人が、ここはキチンと対処して、少女たち(っていうか自分の子どもたち)が困った時の相談相手になってあげなければならない、というごくそれまで以前の普通の状態に戻す必要があるということなのだろう。

 別に難しいことではないと思うのだ。これは大人自身が自分の子どもから何かサインが出たときに、そのサインを無視することなく、そのサインを拾い、キチンと前向きに対処していくことなのだ。

 それを多分、多くの大人たちはやってこなかった。自分の子どもが発するサインに気づかなかったのか、あるいは、そんなサインに気がついても、面倒なので気がつかないフリをして、見過ごしてきたのか。

 結局、子どもの問題は実は大人の問題である、というところに行きつく。

「関係性の貧困」って、そんな「大人と子どもの関係性」の貧困ということなのね。

 仁藤夢乃さんは「女子高校生サポートセンターColabo」という一般社団法人の主宰者として活動をしている。

 一度、サイトを覗いて見てください。

『女子高生の裏社会 「関係性の貧困」に生きる少女たち』(仁藤夢乃著/光文社新書/2014年8月20日刊)

2014年9月 2日 (火)

池井戸潤作『株価暴落』を歩く

 池井戸潤作品『株価暴落』に登場する場所をご案内する。

 9月に入ってブログ新シリーズ「○○○○作『××××』を歩く」スタート。さて、いつまで続くやら。

Photo『株価暴落』(池井戸潤著/文春文庫/2014年8月1日Kindle版刊行)

 今回の作品の舞台は「白水銀行」。確か、「半沢直樹シリーズ」では半沢が所属していた「東京中央銀行」のライバルが白水銀行だったと思うのだが、今回はその白水銀行が舞台。で勿論、池井戸氏の銀行物の舞台は、池井戸氏の出身母体である三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)であります。

『白水銀行の“病院”は、丸の内にある銀行本部ビル十三階にある』

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 今回の事件は、大手スーパー「一風堂目黒店の食品売り場」で爆発事件が起きて死傷者が出たというのがきっかけ。

 この一風堂というのは、会長にカリスマ性のある創業者を抱えており、現在は実質債務超過に陥って、再建途上にある。2004年に書かれたこの作品の多分このモデルは中内功というカリスマ性のある創業者を抱え、1998年に経常赤字を出し、2004年に産業再生法の適用及び産業再生機構からの支援を受けることになったダイエーだと思われる。

 物語の設定上では一風堂の本社は「芝大門」にあるが……

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 ダイエーの本社は現在は東陽町にある。

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『白水銀行蒲田支店は、JR蒲田駅前の一等地に店舗を構えていた。とはいえ、大田区の小工業地区で、不況に喘ぐ中小企業のうめき声を聞きつつ、密集する商店の細かな取引に忙殺される独特の環境にある。それゆえに、白水銀行三百五十店舗の中で、もっとも多忙な店舗として知れわたってもいた』

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 今回のお話は、大田区の蒲田から糀谷、穴守稲荷という典型的な下町の工場地帯が舞台で、呑川周辺が多く出てくる。

 というか池井戸氏の作品には『下町ロケット』なんかもそうだが、この京浜工場地帯が舞台になっている物が多い。池井戸氏が担当していた場所だったのだろうか?

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 西糀谷商店街は京浜急行糀谷駅前から展開している、結構、賑やかな商店街である。

『京浜急行の蒲田の駅前から環状線を南下し、西糀谷の一角で車を降りた』

『ネオ一風堂が進出するとき、地元商店街が反対運動を起こしたんだ。その中心がこの安岡だった』

『「安岡社長は自殺をされたと聞いていますが。その後、社長になられたのは?」
「奥さんですよ」
 大林はクレジットファイルの概要表を開き、代表者欄の安岡文恵という名前を指した。そして一言、「亡くなられましたけどね」と付け加える。
「いつですか?」
「倒産してまもなくですか。心労がたたって。クモ膜下出血だったそうです」
 坂東も概要表の生年月日を覗き込む。
「まだ若いじゃないですか。お子さんは?」
「息子さんがひとり。両親が亡くなったので、親戚の家へ引き取られたという話は聞きましたけれど、詳しいことはわかりませんね。結局、相続放棄したようです。そうなれば銀行はもう関係なくなる」
 息子の名前は、概要表の二枚目にある「代表者家族構成」のところに印字されていた。
「なんと読むんですかね。黄って書いて――」
「コウじゃなかったかな。安岡黄」
「黄……。変わった名前だな」』

『坂東も覗き込む。
 住所と電話番号欄に記載はなかった。代わりに「不明」の文字。
 名前欄には「犬鳴黄」とあった』

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『穴森稲荷駅を降りた黄がまずしたことは、空を見上げることだった。なんとか無事に辿り着いた。時間はまもなく午後七時になろうかという頃で、約束の時間まで余裕がある。道路沿いにあるファミレスに入ってコーヒーを頼んだ黄は、環状線を往来する車の流れに視線を投げながら、由希と会ったとき、なにをどう話すべきか、考えを巡らせ始めた』

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『百名を超える刑事が雨に煙る東糀谷第一公園の内外に展開している。
 胸に仕込んだマイクで何度目かの確認を終えた野猿は、腕時計の文字盤を覗き込んでそろそろ来てもおかしくない、と小声でいった。
 八時五分前だった。
 公園に近い路上に停めた警察車両の助手席で、雨だれがフロントグラスを伝い降りていく様を眺めながら、野猿の胸に浮かんだのは打ちひしがれた東堂由希の表情だった』

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 と、いっても実はここは当然、東糀谷第一公園ではありません。「東糀谷防災公園」というのが正しい呼び方。このそばにも「南前堀緑地」という公園があって、そこの方が羽田旭町や穴守稲荷駅には近いので、作品の設定に近いのかなとも思うのだが……。

 まあ、どちらでもいいですね。所詮、フィクションなんだから……。

 で、実は物語は全然こちらの大田区糀谷付近とは関係ないところで決着するんです。芝大門と丸の内で……って、書いちゃいけない。そう、ここまで書いてきても、全然「ネタバレ」にはならないというところで……、安心して書けたなあ。そう、犬鳴黄は完全な「Red Herring(赤いニシン)」なんですな。これは、面白い。

 そうか、この『株価暴落』が、その後の半沢直樹シリーズに繋がるような、「銀行内部不祥事」ネタに行くんだなというのがよくわかります。

 この『株価暴落』、WOWOWで10月19日から、主人公の白水銀行審査部坂東洋史調査役を織田裕二が演じてテレビドラマ化されるそうです。皆さん、あまり「Red Herring」に騙されないように。

 ああ、それで8月にKindle化だったのか。

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『株価暴落』(池井戸潤著/文春文庫/2014年8月1日Kindle版刊行)

2014年9月 1日 (月)

銀座にはオールド・ライカが似合う

 銀座にはライカ銀座店がある。

 カメラ・ショップだけじゃなくて、ギャラリーやプリント・ショップなんかもあって、ライカ・ライフを総合的に実感することができる場所なのである。

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 と言いながら、以前、ライカM3の修理を頼んだ時にあまりにも高い修理代の見積りに、ライカには頼まずに、浅草の早田カメラに修理を出したことがある。

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 しかし、銀座には中古カメラ屋さんがたくさんある。

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 晴海通りの数寄屋橋交差点から東銀座にかけては、中古カメラ屋さんが軒を並べている。

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 銀座歩き(「銀ブラ」なんて言葉も今は死語となってしまったが)の愉しみは、この中古カメラ屋さんを覗いて回ることだった。

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 このオジサンも好きそうですなあ。

 なんてことを思い出しながら銀座歩きをしたのだが、それにしても以前に比べて中古カメラ屋さんの数は半分くらいに減っている。

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 確かにアナログ・カメラ自体の数が今や消滅寸前くらいにまで減っているしなあ。

 とは言いながらも、やはり銀座の中古カメラ屋さんのウィンドウ・ショッピングで一番楽しみなのが……

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 中古ライカを見て回ることなのだ。

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 やはり銀座には中古ライカが良く似合う。

 なんてのは実は負け惜しみで、いまだにデジタルライカMを手にしてない悔し紛れなのですがね。

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 で、上の三共カメラのウィンドウで発見し、思わず手に入れようとしてしまったのがこれ、ベル&ハウエル・フィルモ70DL。私が日本テレビでアルバイトをしていた頃の、カメラマンのメイン機材がフィルモ70DR。これ、鉄の塊みたいなカメラで壊れないんだよなあ。

 お値段は54,000円。しかし、もう16mmフィルムは手に入らないんじゃないか?

LEICA M3 SUMMILUX 50mm/F1.4 Kodak T-MAX 100 @Ginza (c)tsunoken

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