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2014年8月 3日 (日)

八百屋お七の墓・考

 文京区白山1-34-6に天台宗南縁山正徳院圓乗寺というお寺がある。都営三田線白山駅のそばにある。

 よくいわれる「八百屋お七の墓」があるお寺として有名なお寺である。

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 門前には「南無八百屋於七地蔵尊」なんてものが祀られているが、何を守っているお地蔵さんなのかはわからない。

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 で、お七の生家は駒込片町(現在の文京区西方あたりか)の八百屋であったという。白山上には「駒込土物店」があり、江戸でも有数の野菜市場だったということからも、それは頷ける。天和2年(1683年)近くの大円寺出火でお七の家が焼け菩提寺の円乗寺に避難したという。西方から白山下は近いから、それも頷ける。

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 そこで出会ったのが寺小姓・佐兵衛だったそうな。そこで美少年・佐兵衛と出会ったのが百年目、お七は佐兵衛に恋をしてしまい、一度は再建された家に戻ったが、佐兵衛に会いたい一心で、付け火をしてしまう。

 まあ、今なら別の方法で会う算段をしたのだろうが、昔の深窓のご令嬢ではそれもいかず、思わず「前にも火事で会えたのだから」という一心で、放火をしてしまったんだろうな。

 現代でも放火はかなり重い罪になるが、当時は当然「火あぶり」の刑になり、天和3年、お七は品川鈴ヶ森の刑場で火あぶりとなったという。事実、鈴ヶ森刑場に近い真言宗寺院・密巖院には、刑死したお七が埋葬されたという伝承があるそうだ。

 しかし、何故、鈴ヶ森だったんだろう。もっと近い、南千住の小塚原刑場で裁きにあったはずなのにという疑問が湧く。

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 まあ、いずれにせよ白山園乗寺には正確に言うと「お七の墓」はないはずだ。

 だって、「火あぶりの刑」に処せられた犯罪人に墓なんてものは、昔はなかったはずだ。それはお上に対する批判ということになってしまうからね。

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 で、「八百屋お七の墓」として圓乗寺にある墓石は三つあるのだが、一番左は天和3年3月29日に亡くなった法名妙栄禅尼の墓であるし、右は後にお七役を演じた歌舞伎役者の五代目岩井半四郎が供えた墓である。

 たまたま、近い時期に亡くなってしまった人が、八百屋お七ということにされて、祀られてしまったというちょっと残念な事実がある。

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 真ん中にある墓石だけが、それらしいのだけれども、それは寺の住職が供養のために建てたものらしく、結局、白山圓乗寺はお七の実家の菩提寺ではあったけれども、お七の墓そのものはない、というのが結論のようだ。

 江戸時代という「近代」であっても、まだまだ分からなくなってしまっている事実は沢山あるという事情のひとつなのかもしれない。

 特に、武士階級ではない庶民の歴史は、まだまだわかっていないことが多いようである。

アニメーション『SHORT PEACE』のBDとDVD版。「八百屋お七」と落語「火事息子」を元ネタしした、大友克洋氏の『火要鎮(ひのようじん)』を収録。

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