フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 『新世代努力論』ではあるが、そこには「無駄な努力」と「意味ある努力」があるんだがなあ | トップページ | 八百屋お七の墓・考 »

2014年8月 2日 (土)

大都映画巣鴨撮影所

 ある日、巣鴨地蔵通りを歩いていたら発見したこの案内板。

2014_07_30_66142

「大都映画撮影所跡」という案内板を見て、当然、「えっ? 巣鴨に撮影所なんてあったの?」という疑問が当然湧く。

 都内の撮影所と言えば松竹の蒲田撮影所が有名で、以前(2011年8月8日)にも書いたが、こちらはそれと同時期にあった撮影所である。

2014_07_30_66392

 大都映画というのは、1933年(昭和8年)に土建業界の実力者・河合徳三郎が経営していた河合映画製作所を発展的に拡大、解消して大都映画として創立された。

 製作・配給・興行を一貫して進める営業方針で、大都映画設立第1作「新籠の島」も、直営館「河合キネマ」ほかで公開したという記録が残っている。

 大都映画の製作方針は、完全に娯楽に徹することであって、当時から「低級」「下劣」などの評価がメジャー各社や評論家からなされていたが、観衆からは圧倒的に支持されて、最後まで一度も経営危機には陥らなかったという。

2014_07_30_66442

 元大都映画巣鴨撮影所の跡地には、巣鴨撮影所の平面図なんかが設置されているのだが、昭和初期の映画である、当然、撮影部や俳優部、演出部やスタジオ、現像所などの施設はあるのだが、録音スタジオやダビング・ステージというのはない。当たり前ですね、当時は映画はサイレントだったのだから。

2014_07_30_66412

 で、その大都映画は1942年(昭和17年)に戦時統合により、新興キネマ、日活の製作部門と合併して「大日本映画製作」(戦後の大映、現在の角川映画)となり、その歴史を閉じたという。

2014_07_30_66702

 大映となった後は、巣鴨撮影所は閉鎖となり、かつて日本最大の映画量産地だった巣鴨から映画製作の火は消えてしまったようだ。

 で、撮影所跡は豊島区立朝日中学校となり、同校も2001年(平成13年)に廃校となり、現在は「にしすがも創造舎(Nishi-sugamo Arts Factry)」として、芝居をメインとした芸術創造の場所になっている。

2014_07_30_66652

 校舎はほとんど残して、教室を芝居の稽古場として貸し出したり、映画などの撮影場所として使用したり。

2014_07_30_66552

 体育館を芝居小屋として使ったりしている。

2014_07_30_66562

 この日は、ちょうど芝居の小道具を準備するスタッフが来ていて、次の日からの地方公演に備えて、なんとなくゆったりとそれらのチェックをしているところに出会った。

2014_07_30_66732

 元撮影所が、その後、中学校を経て、今また芝居のための場所になっているというのも素敵じゃないか。

 場所・お問い合わせはコチラ

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105 @Nishi-Sugamo (c)tsunoken

« 『新世代努力論』ではあるが、そこには「無駄な努力」と「意味ある努力」があるんだがなあ | トップページ | 八百屋お七の墓・考 »

カメラ・写真」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/60068562

この記事へのトラックバック一覧です: 大都映画巣鴨撮影所:

« 『新世代努力論』ではあるが、そこには「無駄な努力」と「意味ある努力」があるんだがなあ | トップページ | 八百屋お七の墓・考 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?