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2014年8月23日 (土)

『やっぱ月帰るわ、私。』って、やっぱり女の子の自己中心ナルシシズム

 神田神保町にある小さなギャラリー「神保町画廊」でインベカヲリの写真展『やっぱ月帰るわ、私。』が開催中だ。お約束通り、オンベカヲリの写真も販売している訳で……。

 インベカヲリが昨年出版した同名の写真集『やっぱ月帰るわ、私。』からの出展である。

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 インベカヲリの写真集『やっぱ月帰るわ、私。』を始めて書店で見たときの不思議な感覚はなんだったんだろう。

 別に選んだモデルは美人ではないし、そこいら中にいるような女の子である。でも、そんな普通の女の子がモデルになると、何かしらのオーラを持ってしまう。その辺が、女の子の持つ基本的なナルシシズムというものなのだろう。その女の子の持つナルシシズムの日本における古典的な事例が『竹取物語』のかぐや姫ということなのだろう。「自由奔放」という名の「身勝手さ」である。で、『やっぱ月帰るわ、私。』っていうことなのだろうな。

『人の人生を聞くのは楽しい。私の興味はまずそこにある。
 被写体がどんな気もちで何を考えて、どんな過去とともに未来を見つめているのか。個人のもつ人生物語からインスピレーションを得て、写真のイメージを膨らませていく。
 写真を撮る上で、私は若さや美しさといった表面的な造作にはほとんど興味がない。それも人をつくり上げるひとつの要素だけれど、生きてきた過程で生まれるオリジナリティが見たい。平均化され、理想化されたものに個性はなく、むしろ一般論から外れたところにこそ、その人の思考や感性が現れると思っている。世間の常識を身にまとった姿を崩していったとき、その奥の姿が見えてくる』

 と、『やっぱ月帰るわ、私。』の「あとがき」に書くインベはやはり女性独自の感性でもって、女性モデルに相対しているのである。

『女性を被写体に選ぶのは、日常の延長として撮られることの感覚をもっているからだ。男性の場合は、被写体となることに明解な理由をもち、完成された姿を見せたがる。逆に女性はもっと柔軟で、自分を客観視したい、違う角度から見たい、何か自己主張したいときなどにカメラの前に立つ感性をもっている』

 とインベは書くのだけれども、結局それは女性の写真家に撮られることを前提としてモデルになっている女の子という存在がある訳で、男性写真家の前に裸身を晒す女性モデルとは自ずからその存在性は異なるのだろう。当然、男性写真家の前に立つ女性モデルはインベが書く男性モデルと同じく『被写体となることに明解な理由をもち、完成された姿を見せたがる』はずである。その辺が結局、世の中は女性と男性しかいないという関係の中における「女性性」と「男性性」のあり方だし、「女性と男性」「女性と女性」「男性と男性」という関係のあり方なのだろう。

 そういう意味では、女性フォトグラファーは「女性モデルを撮影することでは」優位に立っているということは言えるだろう。

 多分、今でも写真集の読者は男性の方が多いはずである。であるならば、そこでは「男性フォトグラファーによる女性モデルの写真」が多い筈であるし、「女性フォトグラファーによる女性モデルの写真」はマイナーな存在である。

 ところが、男性は何故か「女性フォトグラファーによる女性モデルの写真」に魅かれることが多いようだ。何故か? つまりそれは、男性である読者にとっては「女性の視点」というものが、自分には見えないものとしてあるために、それはそれで興味を惹くものであるし、そんな女性フォトグラファーによる写真では女性モデルはどんな姿を見せてくれるのであろうかという興味もある。

 これが「男性フォトグラファーによる女性モデルの写真」であるならば、それはごく普通の男性からの視線に晒された女性の姿態でしかないし、言ってみれば写真家が見たいと思った女性の姿態が、そのまま同時に男性読者が見たいと思った女性の姿態となっているだけなのである。

 なので、男性の写真集読者は女性フォトグラファーによる女性モデルの写真に関して、特別な感性でもって付き合うことになる。要は、自分が知らなかった女性の魅力というものに付き合いたいということなのだろう。

 それは女性の「美醜」というものではない「あり方」だ。

 結婚をして、長い間妻という女性と付き合っていると、女性には「美醜」はないのだということが分かってくる。多分、それは女性側にも言えることなのかも知れない。つまり、若い間は女性、男性とも、相手の性に求めるのは「美」であったり「力」であったりするのだけれども、それが老いると共にそんなことは関係なくなって、「美醜」を超えたところに男女の関係性が現れるということなのである。

 とするならば、インベカヲリのような写真家を理解するのには、若い普通の、可愛い女の子を愛する男性は難しいのかも知れない。ある程度年を取った(私のような)男性か、若くても荒木経惟の「おばさんヌード」の良さを知っている人なのかもしれないな。

 インベカヲリの撮影風景をみて、そのペンタックス6×7を使いこなしている姿をみて、思わずアラーキーを思い浮かべてしまったのであるが、実はその辺はあまり間違っていないのかも知れない。

「ごく普通の女の子をごく普通に撮影すると、なんか別の次元にいったような写真が撮れる」という不思議な写真家、インベカヲリ。

 これは、なかなかの注目株ではありますぞ。

『やっぱ月帰るわ、私。』(インベカヲリ著/赤々舎/2013年11月1日刊)表紙は2種類あり。

『やっぱ月帰るわ、私。』は9月7日まで開催中。神保町画廊はコチラ

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