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2014年8月 6日 (水)

『幕末高校生』タイムスリップ物が陥る予定調和について

 日本人はタイムスリップものが好きなのである。

 何故か? 多分それは「第二次世界大戦あるいは太平洋戦争で負けた」という事実が、日本人の中にはトラウマのように刻み込まれていて、それが「もしかしてあの戦争で負けていなかったら…」というような思いがあるからなのだろうか。

 あるいは、関東から北の会津を含めた奥羽越列藩同盟の恨みが今でもあって、「あの時、徳川方が勝っていたら…」というような思いが今でもあるからなのだろうか。

2映画『幕末高校生』(眉村卓:原案・協力/李闘士男:監督/橋部敦子:脚本/フジテレビ他:製作)

 この『幕末高校生』も、そんな「if」ものの一つとして、徳川が薩摩軍(政府軍)に勝っていたかもしれない、という設定の下、そんな時代の変更をさせてはならないと考える、現代から江戸時代へタイムスリップしてしまった4人の気持ちがベースになっている。

 しかし、なんで「歴史を変えてはいけない」のだろうか。

「正史」とされているものが変わってしまって困るのは、その時の為政者だけであるはずなのになあ。

 しかし、市井の一市民としては、歴史が変わってしまって困る人はいないはずである。何故なら、変わった歴史の中に生きる人は、結局、その変わった歴史の中で生きるしかないわけで、その人自身は、歴史が正史(と後の世界から決められているもの)から変わってしまっていても、そんなことは、その「変わってしまった歴史」の中に生きる人は関係ないわけで、それはそれで新しい「正史」を作ればいいだけの話である。

 ところが、日本のタイムスリップもののなかで、そんな歴史の「変更」を許したものは、太平洋戦争の話で「ミッドウェイ海戦で、もし勝利していたら」というような「if」ストーリーしかないのである。

 例えば、本作『幕末高校生』でも、そのままタイムスリップしてしまった歴史の流れのままに生きていても、別に困ることはなかっただろう。

「正史」の中に登場しない幕府陸軍副総裁の柳田龍三(柄本明)派が、陸軍総裁の勝海舟(玉木宏)に勝って、薩摩と徳川が江戸で全面戦争になり、勝海舟の作戦通り江戸を焦土として戦うことになって、それでも結局、政府軍=薩摩軍の勝利になるだろうから、それこそその戦後には徳川方は皆切腹討死になって全滅。当然、徳川家はすべてお家取り潰しとなり、現在に至る徳川家、松平家の財宝や、全国に散らばる徳川博物館・美術館なんてものはないだろう。

 当然、江戸も「東京」なんてものにはならなく、京都がそのまま日本の首都になっていただろう。

 というか、それこそ日本を二分する戦いの状況に諸外国は介入してきて、アメリカ、オランダ、フランス、イギリスの傀儡政権が日本国中にできたりして、それがいつかは一本化してきて、いずれは中国の植民地になったりして、多少は過酷な思いもするだろうが、それでも庶民は普通に生きていくのである。

 多分、2.26事件とか5.15事件なんてのも起きなかったはずだ。

 日本がファシズムの国になったかどうか……、は分からないな。

 つまり、別に勝海舟が西郷隆盛との会談を成功させようが、させまいが、それは庶民の生活とは関係ないところでおこなわれたものなので、現代からやってきた日本史の先生・川辺未香子(石原さとみ)や、教え子の優秀な沼田愼太郎(千歳雄大)、おバカな森野恵理(川口春奈)や高瀬雅也(柄本時生)にとっても関係ない筈だ。だいたい、彼らが「現代」に戻る必要があるのだろうか。

 まだ、独身の彼らが現代に戻る必要があったとしても、それは過去を語る語り部としてではない。何故なら、彼らは現代に戻ったところで、過去を経験したことは「覚えていない」ことになるというのが「SF」のお約束事なのである。

 さらに、親はいるけれども、妻(夫)や子どももいないのである。じゃあ、誰に対して「現代」に戻る必要があるんだろう。

 だったら幕末にタイムスリップしてしたのだから、それはそれで彼らの運命なんだから、その運命を受け入れて、そのまま幕末で生きることを楽しまなければいけないのではないのではないだろうか。当然、そこには川辺先生だけが知っている「正史」と異なった歴史があるということを知りながらね。それはそれで面白いことかもしれない。勿論、「正史」とは違った世界を生きるのであるから、彼らは別に「予言者」にはなれない。当然、単なる一庶民としてしか生きることはできないであろう。

 それでも、医学部に進学できるだけの知識を持っている沼田愼太郎は、それなりに勉学の道も開けているだろうから、それこそ江戸の碩学になったいたかもしれないし、「カワイイ」知識を旺盛に持っている森野恵理は、江戸で浮世絵師のアドバイザー位にはなれるかもしれない。う~ん、単なるおバカの高瀬雅也はそのまま江戸のおバカかな。川辺先生は、まあその持っている「日本史の知識(しかしそれは「正史」でしかないが)」を使って、まあ勝海舟か、西郷隆盛(佐藤浩市)あたりの側室くらいにはなれるかも知れないな。可愛いし。

 それでいいじゃないか。

 なんで、勝海舟が彼ら「ダメダメな高校生とその先生」のために、危険を冒して西郷隆盛との会見に赴かなければらないのか。

 別に、歴史が変わってしまってはいけないという発想は、単に現代人が自分が戻る場所が無くなってしまうからというだけの理由でしかないのだ。「歴史が変わってしまう」ことで困るのは、川辺先生のような融通のきかないダメ先生のためでしかない。歴史はもっと変わっていいのである。

 明治維新から150年。日本の歴史をもっともっと変えるような意識や観察の変化があってもいい筈だ。沖縄の尖閣列島を巡る日本と中国の争いや、竹島を巡る日本と韓国との争いなども、結局、双方の国の歴史認識の問題でしかない。

 ということは、つまり「尖閣列島は日本のものである」「竹島は日本のものである」といったところで、それは「日本の正史」の記述するところのものでしかないわけで、中国や韓国が主張する彼らの「正史」には違うことが書かれているかもしれないのである。

 つまり、われわれが「正史」だと言われて学校で教わった歴史も、実はその国の長い歴史の中でのフィクションかもしれない、ということに我々は気づくべきなのである。

 歴史は為政者によって、しばしば書き換えられるものである、という事実を我々は知っていればいい。

 なので、タイムスリップものを作る作家、映画監督、プロデューサーも、別に「正史」に拘らず、それぞれ勝手な歴史を作りましょう。歴史学者がなにを言ったっていいじゃないですか。

 予定調和に落ち着くことなく、自分なりの勝手な歴史を作ることも面白いと思いますよ……、と言っておこう。

渡し自身は不勉強にして未読だが、この『思いあがりの夏』に収録されている『名残の雪』が原作だそうだ。

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