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« 船橋市海神(かいじん)にある海神(わたつみのみこと) | トップページ | 大都映画巣鴨撮影所 »

2014年8月 1日 (金)

『新世代努力論』ではあるが、そこには「無駄な努力」と「意味ある努力」があるんだがなあ

 イケダハヤト氏は「あとがき」に書く。

『本書では、ハチロク世代のど真ん中のぼくの価値感と考えを、素のまま書きました。
 冒頭にも触れましたが、これからを生きていくためには、昔の時代に当たり前だった価値観を、大幅にアップデートしていかなければなりません。
 現代日本は経済成長を前提にOS(オペレーティング・システミ)が作られており、今日の政治活動もそれを維持しようと躍起になっているように見えます。でも、現実的に考えてみれば経済は縮小していくわけです。悪あがきせず、OSレベルで新しい仕組みを考え直さないといけません。
 この考えが、世代特有のものかどうかはわかりません。が、長く、将来の日本を生きる者として、少なくとも自分が信じている考えを提言していくことに意味があると思っているのです。「年金暮らし」が幻想として消え、生涯働き続けるしかないのは、いま政治や経済を動かしている「恵まれた世代」ではなく、ぼくたちなんですから』

 と、しかし、イケダ氏がこう書かなければならないほど、実はイケダ氏ら「ハチロク世代」でも、まだまだ旧世代の価値感で生きている人がいるっていうことなんだなあ。

Photo『新世代努力論 「恵まれた世代」は判ってない。これがぼくらの価値感(生き方)だ。』(イケダハヤト著/朝日新聞出版/2014年7月30日刊)

 で、イケダ氏言うところの「ハチロク世代」って何だ?

 四年制大学をストレートで卒業し、2009年度に新卒入学してきた彼らは、1986年生まれ。つまり、それは私たち1950年代生まれとは縁もゆかりもない感覚を持っているし、現在、世の中を動かしているバブル世代ともまったく異なった価値観を持った世代ということなのだろう。

 ITがらみの進行で言ってしまうと、1986年にはマイクロソフトの日本法人が設立され、東芝から後のダイナブックに発展する世界初のラップトップパソコン「J-3100」が発売され、翌1987年にはパソコン通信NIFTY-Serve」がスタート。

 小学校に入学した1993年にはWebブラウザ「 Mosaic」が公開され、小学校3年生の1995年には「Windows95」が発売され、翌年には「Yahoo! Japan」がスタートして「インターネット」が本格的に開かれた。

 1999年に中学に入学した時を同じくして、NTTドコモの「iモード」がスタートしたということは、彼らの世代にとっては「メール」というのは「ケータイ・メール」であるということであり、PCメールのことではない。勿論、「メール」というのは「eメール」じゃないのだ。もう、この時代には「中学生がケータイを持つ」ということが普通になりつつあった時代なんだな。

 大学生になると、いわゆる「Web2.0」の時代になり、SNSを使うのは当たり前となり、その後、「バカな写真をツイッターにアップして、社会的制裁を受ける若者」が当たり前に登場するようになる訳だ。

 経済的には、彼らは小学校に入学する以前にバブルが崩壊して、その後、日本経済は「失われた20年」に突入し、イケダハヤト氏が言うように、『「努力すれば報われる」という妄想はやめにしましょう。そんな甘い考えが許されるほど、日本はもう豊かではありません』という悲観論が蔓延する状態になっており、その出口はいまだに見当たらない状態になっている。

 それでもイケダ氏は、小学校の頃の担任の先生から「イケダは文章がうまいね」と認められ、中学校の入学祝として親にパソコンを買い与えられてウェブ運営にハマり、そこでフリーライターとして経験をつむことができた。それが現在の「プロブロガー・イケダハヤト」につながるわけなのである。

『①小学校の頃の先生から「イケダは文章がうまいね」という「承認」があったこと
 ②中学校時代にパソコンを買い与えられて、世界に文章を発信する「環境」があったこと』

 このふたつの要因があったという「幸運」が今のイケダ氏の登場の要因なのだとしても、じゃあイケダ氏は毎日2万字の文章を書くことには努力はしていないのだろうか?

 勿論、努力をしたって夢が叶うということは保証はされていない。しかし、夢を叶えるためには努力は必要なことなのである。

『「努力すれば夢は叶う」という標語は嘘ですし、それは自他を苦しめる呪詛です。しかし、「夢を叶えたければ、努力しなければいけない」という標語は、99%程度、真実だといってよいでしょう。努力は十分条件ではなく、必要条件だということです』

 とイケダ氏が書くように「成功に向けて努力をする」ということは、今の時代でも求められることではある。勿論、だからといって「努力をすれば必ず成功する」ということは誰も保証してくれはしないし、「努力をして運が良ければ成功する」「努力をしても運が悪ければ成功しない」というのが現実である。さらに言ってしまうと「努力」にも「無駄な努力」と「意味のある努力」がある。はじめから自分の能力を超えてしまうような努力をしても無駄である。自分の能力の限界をわきまえて努力をすれば、「かなりの確率で努力は実る」し、自分の能力の限界もわきまえずに努力すれば、「その努力は無駄な努力となってしまい、挫折するだけである」ということになる。

 つまり、努力するためには自分の能力がどれ程のものであるかを自覚しなければならないし、どこかで能力の限界を超えるかもしれないという場合には、その結果として受け止めなければならない「失敗」についても自覚的にならなければならない、ということなのである。

 イケダ氏はそんなときにも「努力は無駄」と言い切るのであろうか。

 周囲の人間も、今努力をしている人に対して、「努力をしているのだから、取り敢えず応援をしてあげよう」というだけの単純な考え方であってはまずいのではないだろうか。他人が見ればけっこう客観的にモノを見られるのである。そこで、その人の努力は「無駄な努力」なのか「意味のある努力」なのかを見極めて、アドバイスしてあげれば、その人はその人なりの努力で自分でも多少は満足できる結果を受け取ることはできるはずである。

 世代論というのは基本的に意味がないと私は考える。そんな「輪切りに世代を切ったからと言っても何も見えてこない」のであって、同じ世代であっても「人によってすべての存在のあり方は異なる」のである。

 なので、イケダ氏は単純に「努力は悪」とは言い切らないで、「無駄な努力」と「意味のある努力」を切り分けて、いかにして「無駄な努力」をしないですむのかという方法論を提案すべきではないだろうかと、考えるのだが。如何?

『新世代努力論 「恵まれた世代」は判ってない。これがぼくらの価値感(生き方)だ。』(イケダハヤト著/朝日新聞出版/2014年7月30日刊)

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