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2014年8月

2014年8月31日 (日)

tsunokenの自転車記VOL.2 2014/8/31もパレスサイクリング

 取り敢えず、パレスサイクリングで体力回復を試みる週末。

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 走行距離52.68km、総走行時間3時間29分、実走行時間2時間38分34秒、平均速度33.0km/h、最高速度33.0km/h。

 パレスサイクリングまでは我が家からは国道17号線を使っても、本郷通り経由でも約5km。なので42km、約14周走った訳だ。さすがに単純な風景を見ながら走っていると……飽きる。とは言ってもまだ荒川サイクリングロードを走る体力はないので、しばらくはパレスサイクリングかな。

ニコン 新宿サービスセンター

 10-24mmの広角ズームの調子が悪いので新宿エルタワー28階にあるニコンプラザ新宿内のニコン新宿サービスセンターまで行った。

 その新宿エルタワー28階からの変貌を遂げつつある東京の姿をご覧いただきます。

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 ニコンプラザ新宿は新宿エルタワーの東北側にあるので、どちらかというと上に書いた「変貌する東京」のあまり変貌していない方を見ることになる。

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 手前の茶色いビルが新宿プリンスホテルで、その向こうに新宿コマ劇場跡地再開発で作られている新宿東宝ビルが建設中だ。1、2階が飲食店などの商業施設、3~6階がTOHOシネマズ新宿、8階から上は藤田観光が運営するホテルグレイスリー新宿が来年から入居する予定だ。

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 そのままレンズを左にちょっと振ると、新宿から高田馬場にかけての高層マンションが見える。

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 レンズを望遠側(といっても105mmしかない)に振ると、正面に見える高いビルが講談社。その右の方に見えるのが文京グリーンコートだ。なので、その陰に私の住むマンションがあるということになる。残念ながらここからは見えない。

2014_08_19_73992

 遥か向こうには東京スカイツリーが見えます。

 しかし、こうして見ると東北方面でもこんなに高層ビルばかりが目に付く東京。これが東南方面になるともっとスゴいことになっています。

 それはいずれまた。

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm @Shinjuku (c)tsunoken

2014年8月30日 (土)

目玉焼きの黄身 いつつぶす?

 グルメ漫画というのは、基本的に「どーでもいいこと」に対するコダワリを描くのだけれども、そんなまさに「どーでもいいこと」の集大成だな、これは。

Photo『目玉焼きの黄身 いつつぶす?』(おおひなたごう著/ビームコミックス/2014年2月28日第1巻刊行)

 基本的にB級グルメ漫画なんだけれども、そうかそういうギャグもありなんだなという感じかな。

 で、主人公のゆるキャラ劇団のメインキャラクター「どくフラワー」を演じる田宮丸二郎と、恋人の若手女性漫才コンビ「魑魅魍魎」の一人みふゆがコダワルのが、以下のテーマ。

第1巻
第1話 目玉焼きの黄身 いつつぶす?
第2話 とんかつのキャベツ いつ食べる?
第3話 カレーのルー どうかける?
第4話 ライス どうやって食べる?
第5話 みかんの皮 どうやって剥く?
第6話 納豆 ご飯にいつかける?
第7話 ちらし寿司にワサビ醤油かける?

第2巻
第8・9話 ショートケーキの苺 いつ食べる?
第10話 つけ麺 なぜ食べる?
第11・12話 焼き鳥 串から外す?
第13話 卵かけご飯の生卵 いつかける?
第14話 おにぎりはどう食べる?

第3巻
第15話 パンと目玉焼き どうやって食べる?
第16話 立ち食いそばのかき揚げ どう食べる?
第17話 スパゲッティにスプーン使う?
第18・19話 パンケーキ どうやって切る?
第20話 焼肉で白メシ食べる?

 って、普通は「まあ、いいじゃん。そんなの好きにすれば?」ってなるとこなんだけども、そうはいかない人たちがいるんだろうなあ。

 まず第1話。

『つぶした黄身に白身とつけ合わせを絡めただけでなんという旨味! 白飯との相性も最強! 目玉焼きって、シンプルだけど奥深いよなぁ~っ』

 なんて感動しながら朝ごはんを食べている二郎。ところが目の前でみふゆは白身だけを先に食べて、黄身は最後まで残して、最後にまるのまま食べてしまう。

『「みふゆ、お前! 黄身ひと口って、なんて勿体ない食べ方を」
「そう?」
「白身やつけ合わせを黄身に絡めて食べた時の旨さを知らないのか?」
「ん! 知らないわけじゃないけど。あたしはずっとこの食べ方だなあ。黄身つぶしちゃうとお皿汚れるでしょ? それがイヤなの」
「さ…皿が? そんな理由で?」
「そんな理由ってなによ?」
おまえ…バカか?
 気がついた時には、みふゆはいなかった」』

 ってな具合に同じ食事の食べ方が異なる度に別れてしまう二人。って、そんなことで別れるのか? そっちの方が不思議。

 その度に落ち込んで、劇団のリーダー近藤さんに相談するのだが、相談する度に二郎の予想とは異なる答えを出す近藤さん。

 そう、本当は食事の食べ方なんて自分の好きなようにすればいいだけなんだけれども、それが許せない二郎。まあ、イイ年をして子どもなんですな。

 それにしても、各巻にある「卵」ネタ。第1巻「目玉焼き」、第2巻「卵かけご飯」、第3巻「パンと目玉焼き」と言う通り、卵ってそれだけ我々にとっても親しい食べ物だということなのだろう。

 第13話では卵を小皿に割って醤油を入れてかき回してご飯にかけるのか、卵を直接ご飯の上に割って醤油をたらしてかき混ぜるのか、でもって友人の服部と論争になり、第15話ではみふゆと初めての二人だけの旅行で、泊まったホテルの朝食に出されたトーストと目玉焼きの食べ方で喧嘩になってしまい、再びみふゆと別れてしまうことになる二郎。

『食べ方に決まりなどないのだ! 食べやすい食べ方でいいのだ! いい加減、学習しろ! 二郎!』

 って自分で言いながら、自分と異なる食べ方をするみふゆを許せない二郎。

 この「食べ方」を巡ってくっついたり、別れたりを繰り返す二人。これからどうなってしまうんだろう、という気にはなります。

 エンターブレインの『コミックビーム』の連載はまだ続いているようなので、先が楽しみだな。

『目玉焼きの黄身 いつつぶす?』(おおひなたごう著/電子版ビームコミックス/2014年2月28日第1巻刊行)

『目玉焼きの黄身 いつつぶす?』(おおひなたごう著/ビームコミックス/2013年6月13日第1巻刊行)

2014年8月29日 (金)

『本は死なない』だけじゃ面白くない

 著者、ジェイソン・マーコスキー氏は書く。

『電子書籍革命によって新しい読書環境が生まれる可能性がある。私はその新世界のことを「Reading 2.0」と呼んでいるが、アマゾンやアップルと同様、グーグルもそんな世界の実現に欠かせない役割を担うはずだ。この大企業もまた、さまざまな可能性を秘めた驚異の電子図書館、すなわち「クラウド」に電子書籍データを保管しているからである』

 で、電子書籍革命って何だ? Reading 2.0って何だ?

Photo『本は死なない Amazonキンドル開発者が語る「読書の未来」』(ジェイソン・マーコスキー著/浅川佳秀訳/講談社/2014年6月18日刊)

 ヨハネス・グーテンベルグが15世紀中盤にヨーロッパで初めて金属活字による印刷を行い、活字量産方法の発明、油性インクの採用、木製印刷機の採用などの実用化に成功して、自ら印刷業・印刷物出版業を創設したのが「最初の書籍革命」だと言われている。

 それによって、ルネサンス、宗教改革、啓蒙時代、科学革命の発展に寄与したといわれている。

 基本的に、グーテンベルグが金属活字印刷を実用化するまでは、聖書(それが数少ない「本」だった)は書写されるのが普通だった。それ以外のところでは日本の黄表紙や浮世絵に見られるような木版印刷が普通だった訳だ。当然、グーテンベルグが最初に出版したのも聖書だったそうだ。

 そこに目をつけたのがマルティン・ルターである。

 ルターは、それまでの聖書が書写でしか書き写されていなかった、それもラテン語で書かれていた聖書を、唯一聖書を読むことが出来た聖職者の言うことだけを信じろと言う聖職者の優先的な立場から、それをドイツ語に翻訳し、なおかつ印刷して安価(と言っても現代ほど安価ではなかったけどね)で誰でも手に入れられるようにして、一般に普及させた。その結果「聖職者の言うことを盲目的に信じる」のではなく、「人の姿となられた神の言葉としてのイエス・キリストに従う」「聖書に書かれていないことは認めることができない」という、まあキリスト教原理主義的なのがルターの考え方である。

 ルターの言葉にノせられた農民たちが「ドイツ農民戦争」を始めたところ、後半になってからは市民・貴族・諸侯の側について農民暴徒の鎮圧を求めたり、農民たちには平和な抵抗を訴えるようになったりして、農民のルター派が支持を失ったり、ルターが持つ反ユダヤ思想がナチスに利用されたりということはあったものの、とりあえずそんなルターの考え方や行動が、それまでローマ教皇だけだったキリスト教世界に「反教皇派=プロテスタント」というものの存在を明らかにさせて、その後のキリスト教各会派の存在のものになったという意味での「宗教改革」というもののきっかけとなったのがグーテンベルグであることは間違いない。

 当然、ルネサンス、啓蒙時代、科学革命なども、そうした印刷技術による、いわば「知の一般化」の結果なのである。

 では、現代の「電子書籍革命」「Reading 2.0」によって何が起きのであろうか。

 まずは「蔵書」という概念はなくなるだろう。

 当然、電子書籍はまず自らの電子書籍リーダー(タブレットの場合もあり)に蓄積されるわけであるけれども、それは第一次蓄積にすぎない訳で、いずれはクラウドの中に蓄積されるわけである。しかし、それは自らの知識を人に見せびらかすための「書庫」ではない。では、それらの人たちはどうやって自分の知識を人に見せびらかすのだろうか。多分、それは個人・個人でやりとりされるメールや、この私が今書いているようなブログだったり、Twitter、FacebookなどのSNSでもって、「今日はこんな本を読んだよ」「昨日読んだ本にこんなことが書いてあったが、それは違うんじゃないか」といった書き込みをすることでもって、自分が読んだ本などの内容をやりとりすることによって、「ソーシャルな読書」というものを、皆が体験することによってなされるのだろう。あるいは本を読みながら、ブックマークをつけたところをSNSで他人とやりとりするという方法もあるだろう。

 しかし、問題なのはそのような体験を持ったとしても、例えば「ドイツ農民戦争」や、「ルネサンス」「宗教改革」「啓蒙時代」「科学革命」などのような、それこそ社会的な変化を催す大きな運動が起きるのかと言うことだ。というか、そこまでおこして始めて「電子書籍革命」「Reading 2.0」ということ言えるのではないか?

 例えば「電子書籍革命」によって、ユダヤとアラブ(イスラム)の戦争が終わるのか? アメリカとロシアの関係が改善されるのか? 中国の中華思想に終焉をもたらすのか? アフリカ諸国とその宗主国との関係は変わるのか? そうした世界のあり方が変わって初めて「電子書籍革命」という言葉が使えるのではないか?

 現状では、電子書籍に乗れた出版社と乗り遅れた出版社の違いがボチボチ出始めている段階だ。Amazonや楽天のようなeコマースに潰されている町の本屋もあるかもしれないが、それだって本当にeコマースにやられたのか、チェーン展開する本屋にやられたのか、単にその本屋の経営努力が足りなかったのか、そんなことすら分からずに、Amazonがいけない、TSUTAYAがいけない、ジュンク堂がいけないと言っているだけなのではないか。

 と言っているような段階で、まだまだそれこそ「コップの中の嵐」状態で、結局は出版業界がオロオロしているだけである。

 ジェイソン・マーコスキー氏が言う通り、『本は死なない』というのは事実だろう。新しいメディア(電子書籍)が生まれたって、オールド・メディアがなくなる訳ではない。ただし、市場はどんどん縮小するだけである。それは出版社によって対応次第では生き残ることもできるかもしれないし、死んでしまうかもしれないというだけのこと。本屋だって同じことで、そんな時代にも生き残る本屋もあるし、死んでしまう本屋もあるというだけのこと。

 問題はそんなことではなくて、「電子書籍革命」「Reading 2.0」によってどんな社会的変化が起きるのか、どんな革命的変化がおきるのかなのだ。

 その問題視点で読んでいると、ジェイソン・マーコスキー氏も単なる「本好きの人」の段階に終わってしまうんだなあ。

 単なる「本好きの人」に社会革命まで予想しろと言うのも酷ではあるが、しかし、やはり「革命」という言葉を使う以上は、そこまで見通したビジョンが必要なんではないだろうか。

『本は死なない Amazonキンドル開発者が語る「読書の未来」』(ジェイソン・マーコスキー著/浅川佳秀訳/講談社/2014年6月18日刊)書店で思わず手にしてしまった本なのだが、こういう本こそKindleで読まなきゃいけないのにね。

2014年8月28日 (木)

いちえふ

 そうか「福島第一原子力発電所」のことを「いちえふ」って言うのか。そんな呼び方をするとは思ってもみなかった。

 しかし、考えてみればそういった場所で仕事をしている人たちもいるんだよなあ。

Photo『いちえふ 福島第一原子力発電所労働器(1)』(竜田一人著/講談社モーニングKC/2014年4月1日刊)

『福島第一原発作業員が描く原発ルポ漫画』っていうけど、竜田一人氏の本職は漫画家であり、本来は「福島第一原発作業員」ではない。当時、漫画の仕事がなかった竜田氏が福島第一原発で仕事を探した理由は、『高給と好奇心、それにほんの少しは被災地の為という義侠心から』というもの。

『安全面についての不安は無かったと言えば嘘になるが、今回の事故について放射線について自分なりに調べてみれば、一部のマスコミや「市民団体」が騒ぐほどのものではないと分かったし、逆に彼らの言う「フクシマの隠された真実」みたいなものがあるとしたら、それを見て来てやろうじゃないか、ぐらいの気分になっていた。
 だが、地元の人間でもない者が入り込むのは一筋縄ではいかず、紆余曲折の果てに1Fで働けるようになったのは1年以上を経た、2012年初夏のことだった』

『最初に入った業者は6次下請け以下という、多重下請け構造の最底辺に位置する会社で、直接の工事作業ではなく、管理業務だった為もあるが…』
 あまりの給与の安さに
『同時に集められた仲間は全国から来ており、それぞれに事情を抱えていて、夏が過ぎる頃には全員が辞めるか、少し上の下請け会社に移るかしていった』

『そして俺も
「実際の工事にかかわれる現場へ」
「うん、まあ、あっけどもねぇ…
 ようやくこうして防護区域内で特別手当も出る会社に』

 ということで、そこからが本当の「福島第一原発作業員が描く原発ルポ漫画」になるわけだけれども、結局この下請け構造が原発工事の一番の問題なのである。

 原子力発電所というものがある以上はそこで働く原発労働者というものが必要になることは当然である。当然そこでは被曝線量が高い場所で働くことが必要であるし、被曝コントロールが必要になる訳であるし、そのコントロール下で働く以上は問題はないわけではないのである。

 しかし、そこでの仕事の仕方が、それこそ6次下請けなんていう下請け構造が問題なのである。勿論、6次なんていう下請け会社の場合はそんなに危険なところでは働かない訳なのだが、これがもう少し上の段階の下請け会社になると次第に危険度は増していくわけである。とは言っても下請けは下請け、事故がおきた場合に上位の会社はその責任を追わない訳であるのだから、その無責任性が問題となる。

 上位へ行けばいくほど、会社の規模は大きくなるし、当然従業員の給与なども高くなるわけだし、そうであればあるほど、万一事故が起きた時の補償額も増える訳である。なので、上位の会社はその危険を避けるために下請け会社に作業を丸投げしてしまうのである。

 当然、その頂点には東京電力などの電力会社がある訳であるし、原子力村の住人がいる訳である。これら原子力村の住人達は絶対に危険なところには行かない訳であるのにも関わらず、原子力行政を決めるのはこれら原子力村の住人達であるという、変な理屈が通ってしまうのが、原子力行政のおかしなところなのである。

 更には、今回の福島第一原発事故で働く作業員の多くが、その事故で自分たちの家や働く場所がなくなってしまった人たちであるということ。

『大野さんの家は全面警戒区域になった大熊町にある。当然今も住めない
「しかし、警戒区域追いだされたのに、また警戒区域さ働きに戻んだから、皮肉な話だっぺ」
「多いっスよね、1Fにそういう人。東電に恨みとか怒りとかないんスか?」
「う~~ん。住む所奪われて怒らねえわげがねえべぇ。だげども事故を起こしたのは、俺達の職場なんだっぺ。こごをなんとかでぎるのは、俺達しかいねえ。それに俺達が、こごをどうにがしねがったら、怒りてえ人だって、戻って来れねぇべ」
「大野さん……」
 住民としての怒りと、労働者としての責任……
 被害者でも加害者でもあるという大野さんの複雑な想いに、俺は言葉を呑むしかなかった』

 という事態の複雑さを感じさせる言葉がある。

『起きちまったもんは、恨んだって怒ったって元には戻んね。出来る事やっていぐしかねぇ』

 という大野さんの台詞が生々しく迫る。

『いちえふ 福島第一原子力発電所労働器(1)』(竜田一人著/講談社モーニングKC/2014年4月1日刊)今や「紙・電子同時出版」を目指している講談社なので、当然、一緒に出ているのだなあ。

 美浜、福島第一、敦賀の原発で仕事をしたルポの本。ここでも結局「下請け構造」が問題になっている。

 あっ、いけね。Kindle版ばっかりの書評になってしまった。紙の本が溜まってきてしまっているんだよな。これを何とかしなけりゃ。

2014年8月27日 (水)

『世界と闘う「読書術」』

 佐藤優氏は「博覧強記」の人である、というかその「強記」ぶりはむしろ「狂気」という程のものであって、佐高信氏をして

『佐藤優さんは異能の人である。とてつもない博識もそうだが、話していると、それが直ちに彼の頭の中に立ち上がって動き出す。
 私がかつて読んだ本についておぼろげに思い出そうとしていると、まるで映画のワンシーンのようにそれがよみがえるらしく、具体的に語り始めるので、私は唖然とすることがしばしばだった』

 と書かせるように、とにかく佐高氏が何かの本について話し始めると、それを受けて即、佐藤氏が佐高氏のお株を奪って話し始める様子が、本を読んでいてもわかってくる。

Photo『世界と闘う「読書術」 思想を鍛える1000冊』(佐高信・佐藤優著/集英社e新書/2014年7月31日刊)

 一方、佐藤氏から見た佐高氏は

『左派、リベラル派の評論家には、カネに細かいマネー教の信者が多いというのが、私の見立てだが、佐高氏はその対極の人だ。経済合理性に反する行動を率先して取る。また、佐高氏は自分が持つ知識や経験を惜しむことなく他者に与える。それだから佐高氏には他者を惹きつける魅力がある。私も佐高氏の魅力に惹きつけられている』

 というもので、お互い尊敬しあっている風だ。

 ところが、この対談における佐藤氏は佐高氏が一言発すると十言くらい返す博学ぶりで、こんな調子

『佐高 私が『石原莞爾 その虚飾』を書いたときに「なるほど」と思ったのは、戦争中の日本の右、保守の思想というのは、「混合民族説」なんですね。他民族を認めていた。

佐藤 そうなんです。日本は超国家主義であるのと同時に、そこで「超民族主義」という思想が出てきたんです。決して単一民族ではないと。
 だから、実は「単一民族説」というのは、戦後出てきた神話なんですね。その件については社会学者・小熊英二さんが『単一民族神話の起源』の中で、実証的に分析しています。

佐高 つまり、日本人・漢人・朝鮮人・蒙古人の「五族協和」という話。ファッショ的なんだけれども、単一民族では五族協和ができないわけなんだよね。

佐藤 これは小熊英二さんが明らかにしているのですが、日本の戦前の国定教科書では、日本は多民族国家で、内地臣民と外地臣民がいて、外地臣民には台湾人や朝鮮人がいると書いてあるんです。

佐高 モンゴルまで含めてね。

佐藤 それから、一九三〇年代に進められたユダヤ難民の満州移住計画、いわゆる「河豚計画」というのがありますが、これはユダヤ人まで加えていこうという計画ですから。日本通で知られるトケイヤーという人が、この河豚計画について研究して『河豚計画』というのを書いてます』

 という具合。

 確かに、各章末に百冊ほどの、その省に書かれていることを理解するための本が紹介されているのだけれども、その数合計してほぼ1000冊ある訳だ。

 なるほどこれだけの数の本を読んでいれば、博識になるだけではなく、相当に思想は鍛えられるだろう。更に言ってしまうと、これらの紹介されている本のすべてを佐藤氏は諳んじているということなんだなあ。

 つまり、これは佐藤氏をはじめとする日本の官僚ってみんなこうなの? 

 ところで佐藤氏は2002年に自民党議員の鈴木宗男氏がらみの事件で逮捕され、その執行猶予付きの有罪判決が出て、文筆家に転向したわけだけれども、そんな訳なので基本的には保守系の言論人になるわけである。なので、左派、リベラル派と考えられる佐高氏とは本来は反対側に立っている筈なんだけれども、どうもこの本を読んでいるとあまりそのようには見えないというのがおかしい。

 まあ、佐藤氏の博識ぶり、碩学ぶりに佐高氏は惑わされてしまったのか、佐高氏だって相当の数の本を読みこなしていることが分かるのは、その著書から見て取れるが、その佐高氏自身が『私がかつて読んだ本についておぼろげに思い出そうとしていると、まるで映画のワンシーンのようにそれがよみがえるらしく、具体的に語り始めるので、私は唖然とすることがしばしばだった』と書くように、まさしく「唖然とする様」が見えるようである。

 とは言うものの、こうした碩学の人というのはとにかく本をたくさん読んでいて、その知識の量で人を測る所があるわけなので、それが嫌味になったりするところがある。ところが佐藤氏にはそのようなところがないというのは何故なんだろうか。

 あるいは本にするための対談原稿を推敲する段階で相当に書き直しているのだろうか。

 うーん、対談の場に居たかったなあ、と思われる対談ではあった。

 さて、およそ1000冊の本。私が読んだことがあるのは何冊だろうか。

『世界と闘う「読書術」 思想を鍛える1000冊』(佐高信・佐藤優著/集英社e新書/2014年7月31日刊)紙版(集英社新書)は2013年12月刊

2014年8月26日 (火)

Fitbit FlexからPolar Loopに変更

 どうも二代目Fitbit Flexも同期もしないし、充電もできなくなってしまった。

 なんだろうな、まだ不完全な商品なのかもしれない。確かに、Fitbitはソフトバンクが正規代理店になって輸入を始めているけれども、Fitbit FlexやFitbit Forceはまだ取り扱っていないようだ。

Fitbit

 で、次の歩数計を探しにビックカメラに行ったんだけど。最近は結構いろいろあるんですね。で、Fitibitはポケットなどに引っかけたりするようなモデル(Fitbit Oneとか)しかなくて、リストバンド式がないのでパス。やっぱりFitbit Flexは日本では公認されてはいないのかな。その辺、公認当局(厚生労働省あたり?)の認可が得られないとダメという日本独特の認可制度がネックになっているのかも知れない。健康器具だからね。しかし、ポケットに引っかけたりするモデルは何かの拍子で落っことしてしまう危険性があるので、あまりおススメできない。やっぱりリストバンド式だよな。

 ということで、このたび新たに選んだのは「Polar Loop」という「アクティビティ・トラッカー」。「アクティビティ・トラッカー」って言うだけあって、健康管理が第一目的のFitbitとはちょっと違った指向性がある

 で、これがPolar Loopの箱外装。

 Polarという会社は、スポーツ用のハートレイトモニター(心拍計)なんかを作っていた会社で前から知ってはいた。そこが出した歩数計なので、まあいいだろうということで購入決定(って、それでいいのか?)。12,744円(税込)。高いのか? 安いのか? それはこれからの使用方法で決まる訳で……。要は私がそれをどう使いこなすのかっていう話で……。

Polar_loop

 箱を開けると中身はこんな腕輪状のアクティビティ・トラッカーと、パソコンとつないで充電するためと同期するためのUSB付きワイヤーが入っている。

Photo_2

 USBケーブルで充電中。そう、Polar LoopはFitbit Flexと違ってリストバンドを本体を離すことができないんです。USBケーブルをつないだ時に、充電と同期が同時にするっていうわけで。

Photo_3

 充電完了するとこんな「100%」という表示。まあ、これはFitbitよりは分かりやすいかな。

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 で、パソコンの向こう側にいるPolar社のサイトと同期中はこんな矢印がぐるぐる回って……

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 同期が完了すると「✔」マークが出てくるわけですな。

Photo_6

 とまあ、こんな同期でPolar社からどんなデータが送られてくるのかは、今後の楽しみとして、Fitbit社はどちらかというと健康管理、Polar社はスポーツの記録というのが目的の会社なので、どんなデータが送られてくるのかは楽しみではある。

 Polar Loopのいいところは、Fitbit Flexだと途中経過が分からなくて、Fotbit Flexだと10,000歩を超した時だけバイブレーションで伝わるんだけれども、今度は毎回ボタンをタップすると歩数や消費カロリーなどが表示されるということであります。つまり、「今日は10,000歩以上歩こう」なんて時に、あと何歩歩けば10,000歩になるというのが、歩いている途中でもわかるという点。

 まあ、Fitbitと違うのは、勝手にUSB無線ルーターでつながってしまうFitbitに比較して、いちいちUSBを繋がらなればいけないPolar Loopという違いがある。ちょっと面倒? でも、その程度の違いなんだから、受け入れなければいけないんだろうな。

 ポイントは、リストバンド型の健康グッズだということなんだから。

Fujifilm X10 @Hon Komagome (c)tsunoken

2014年8月25日 (月)

tsunokenの自転車記VOL.1 2014/8/24はパレスサイクリング

 ディレイラーの調整も済ませたので久々のサイクリングはパレスサイクリングに。

 何しろ2010年5月9日にやはりパレスサイクリングからの帰りに落車し、鎖骨骨折して以来だから4年ぶりのライド。日頃歩いてはいるものの、その程度の運動だから筋力は鍛えられないし、心肺能力も心もとない状態。なので、20km/h程度のスピードで、走行距離は30.98km。以前は100km位走ってもどうということもなかったのが嘘のようである。

 もっとも、2010年に以前のバイク、TREK1000を買って最初にパレスサイクリングを走った時も36.43kmだから、こんなもんか。

 走行後の体重は83.4kg。

 で、何度も出てくるパレスサイクリングって何だ? と思うでしょ。

 パレスサイクリンングとは内堀通りの祝田橋と平川門の間を毎週日曜日に閉鎖してサイクリングロードとしているのであります。

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 祝田橋と

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 平川門でUターンして一周約3km。何回も周回していると、結構、飽きる。

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 当然、信号は動いているので厳守。

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 無料レンタル自転車もあるので、バイクを持っていなくても乗れます。タンデムのバイクもあるのでカップルで楽しむにはこれが面白いかも。

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 持ち込みバイクはロードレーサーが多いが、大井埠頭ほどレーサー指向ではなく、どっちかというと「まったり系」が多いかな。

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 で、これが現在の私のバイク。BIANCHI LUNAというカーボン・バイク。コンポーネントはアルテグラであります。なかなかカッコイイでしょ。これで足がヘタレでなかったらもっといいのにね。

 取り敢えず、毎週日曜日はパレスサイクリングかな。

Photo

RICHO GRDⅢ @Palace Cycling (c)tsunoken

2014年8月24日 (日)

『0円で空き家をもらって東京脱出!』だけじゃあ、まだ漫画家としてはダメなんじゃないか?

 広島県の尾道市って言えば、大林宜彦の「尾道三部作」や小津安二郎の『東京物語』で知っている、瀬戸内の風光明媚な街という感じだったのだが、そうか、こういう街にも「過疎化」という波が押し寄せていたのだな。

0『0円で空き家をもらって東京脱出!』(つるけんたろう著/朝日新聞出版/2014年8月30日刊)

 つまり、漫画家のつるけんたろう氏が阿蘇出身でいながら、阿蘇には戻らず何故尾道に行ってしまったのかはわからないが、まあ、基本的に漫画家みたいなフリーの仕事をしている人が東京を離れて地方に移住するというのは分からないではない。今や、別に漫画原稿もデータ入稿だしね。

 しかし、0円で手に入れた住宅兼仕事場ではあるが、それは当然自分でそのように直さなければならないという訳で、それこそ左官仕事から大工仕事まで自分でやらなければならないといことなのである。

280pxonomichi_senkojishinmichi01n38尾道の街並み(Wikipediaより)

 基本的に今でも200万円以下の収入しかない「売れない漫画家」であるつる氏ではあるが、そんな生活費のかからないところにいる限りは問題はないのであろう。しかし、大きな問題は、「漫画に費やす時間」がどんどん「自分が暮らす環境」作りに費やされてしまうという問題ではないのか?

 だって、今のところ、そんな自分が参加している「NPO法人尾道再生プロジェクト」に係わっている間はいいけれども、その関係もいずれ当たり前になっていくんだろう。となると、基本的な漫画作家としてのネタ収集はどうなるのだろうか、という疑問が起こる。

 今のままでコミック・エッセイを「尾道再生プロジェクト」と続けるということであればいいのだけれども、そうであればつる氏の漫画もそれだけの地域的な存在になってしまうだろう。別に、地域的な漫画があっていけないというつもりもないのだが、しかし、こうやって全国的に売れてしまった後ではどうなるのであろうか。

 つる氏に漫画の才能があるのかどうかは分からない。はっきり言って、絵の才能はあまり「上手い」というレベルではないと言っていいだろう。まあ、取り敢えず「絵付きのエッセイ」を描けるだけの才能はある。しかし、そんなに絵がうまいわけでもないつる氏にとっては、基本的にはこの「絵付きのエッセイ」で行くしかないんだろうな。

 でもまあ、取り敢えずは「売れた」からいいのかな。

 で、日本中に今、この尾道みたいな「中古建物で誰も住まない」物件が増えているようだ。

 つまり、そこで建物を壊してしまうと、固定資産税やら都市計画税やらの税率が変わってしまって(つまり「住居」であれば多少の優遇策があるのだが、土地だけになってしまうと税金が上がってしまって)、建物を壊すことができなくなってしまっている住居が東京でも増えているようなのだ。

 それは当然、地方都市でも増えている訳で、特にこの広島県尾道市では坂道が多いという地勢の問題もあり、下水道もなくて、家を捨てて外の町に移転してしまう人たちが多いそうだ。で、そこでNPO法人尾道再生プロジェクトみたいな人たちがいて、逆に外から尾道に人を呼び込もうという動きがあるんだろう。

 こうした地方都市の動きは別に尾道市だけではなくて、様々な地域で行われているらしい。

 高知県高知市に移住したイケダハヤト氏の例にもあるように、別に、東京に居なくてもネット環境さえあれば日本中どこでも仕事ができる人(フリーランサー)はいる訳で、彼らが東京以外のところに自らの仕事場を作ることには何の問題もないだろう。

 ただ、問題は「東京にいないことによる題材収集」の低下である。

 ポイントは、そのブロガーなり、漫画家がどんなネタを自身のブログや漫画のネタにするかという問題であり、そのネタが一般の人がどれだけ興味を持つかということなのだ。

 今回の作品で言っちゃえば問題は、つる氏の「尾道ネタ」がいつまで続くかということなのだ。

 まあ、あと数年は持つとしても、その後にはどうするだろう。いつまでも「尾道ネタ」は続かないだろうし、でも続けるとしたら今後は完全に「尾道作家」になってしまって、全国区からは相手にされない作家になるだろう。

 なんか、そんな「地元籠り」がしてしまいそうな尾道という街に行ってしまったよそ者作家がどうなろうと私の知ったことではないのかも知れないが、何か気になる作家ではあります。

 次は尾道ネタからは離れろよ! 別に「尾道」だけがネタではないだろう。

『0円で空き家をもらって東京脱出!』(つるけんたろう著/朝日新聞出版/2014年8月30日刊)

2014年8月23日 (土)

『やっぱ月帰るわ、私。』って、やっぱり女の子の自己中心ナルシシズム

 神田神保町にある小さなギャラリー「神保町画廊」でインベカヲリの写真展『やっぱ月帰るわ、私。』が開催中だ。お約束通り、オンベカヲリの写真も販売している訳で……。

 インベカヲリが昨年出版した同名の写真集『やっぱ月帰るわ、私。』からの出展である。

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 インベカヲリの写真集『やっぱ月帰るわ、私。』を始めて書店で見たときの不思議な感覚はなんだったんだろう。

 別に選んだモデルは美人ではないし、そこいら中にいるような女の子である。でも、そんな普通の女の子がモデルになると、何かしらのオーラを持ってしまう。その辺が、女の子の持つ基本的なナルシシズムというものなのだろう。その女の子の持つナルシシズムの日本における古典的な事例が『竹取物語』のかぐや姫ということなのだろう。「自由奔放」という名の「身勝手さ」である。で、『やっぱ月帰るわ、私。』っていうことなのだろうな。

『人の人生を聞くのは楽しい。私の興味はまずそこにある。
 被写体がどんな気もちで何を考えて、どんな過去とともに未来を見つめているのか。個人のもつ人生物語からインスピレーションを得て、写真のイメージを膨らませていく。
 写真を撮る上で、私は若さや美しさといった表面的な造作にはほとんど興味がない。それも人をつくり上げるひとつの要素だけれど、生きてきた過程で生まれるオリジナリティが見たい。平均化され、理想化されたものに個性はなく、むしろ一般論から外れたところにこそ、その人の思考や感性が現れると思っている。世間の常識を身にまとった姿を崩していったとき、その奥の姿が見えてくる』

 と、『やっぱ月帰るわ、私。』の「あとがき」に書くインベはやはり女性独自の感性でもって、女性モデルに相対しているのである。

『女性を被写体に選ぶのは、日常の延長として撮られることの感覚をもっているからだ。男性の場合は、被写体となることに明解な理由をもち、完成された姿を見せたがる。逆に女性はもっと柔軟で、自分を客観視したい、違う角度から見たい、何か自己主張したいときなどにカメラの前に立つ感性をもっている』

 とインベは書くのだけれども、結局それは女性の写真家に撮られることを前提としてモデルになっている女の子という存在がある訳で、男性写真家の前に裸身を晒す女性モデルとは自ずからその存在性は異なるのだろう。当然、男性写真家の前に立つ女性モデルはインベが書く男性モデルと同じく『被写体となることに明解な理由をもち、完成された姿を見せたがる』はずである。その辺が結局、世の中は女性と男性しかいないという関係の中における「女性性」と「男性性」のあり方だし、「女性と男性」「女性と女性」「男性と男性」という関係のあり方なのだろう。

 そういう意味では、女性フォトグラファーは「女性モデルを撮影することでは」優位に立っているということは言えるだろう。

 多分、今でも写真集の読者は男性の方が多いはずである。であるならば、そこでは「男性フォトグラファーによる女性モデルの写真」が多い筈であるし、「女性フォトグラファーによる女性モデルの写真」はマイナーな存在である。

 ところが、男性は何故か「女性フォトグラファーによる女性モデルの写真」に魅かれることが多いようだ。何故か? つまりそれは、男性である読者にとっては「女性の視点」というものが、自分には見えないものとしてあるために、それはそれで興味を惹くものであるし、そんな女性フォトグラファーによる写真では女性モデルはどんな姿を見せてくれるのであろうかという興味もある。

 これが「男性フォトグラファーによる女性モデルの写真」であるならば、それはごく普通の男性からの視線に晒された女性の姿態でしかないし、言ってみれば写真家が見たいと思った女性の姿態が、そのまま同時に男性読者が見たいと思った女性の姿態となっているだけなのである。

 なので、男性の写真集読者は女性フォトグラファーによる女性モデルの写真に関して、特別な感性でもって付き合うことになる。要は、自分が知らなかった女性の魅力というものに付き合いたいということなのだろう。

 それは女性の「美醜」というものではない「あり方」だ。

 結婚をして、長い間妻という女性と付き合っていると、女性には「美醜」はないのだということが分かってくる。多分、それは女性側にも言えることなのかも知れない。つまり、若い間は女性、男性とも、相手の性に求めるのは「美」であったり「力」であったりするのだけれども、それが老いると共にそんなことは関係なくなって、「美醜」を超えたところに男女の関係性が現れるということなのである。

 とするならば、インベカヲリのような写真家を理解するのには、若い普通の、可愛い女の子を愛する男性は難しいのかも知れない。ある程度年を取った(私のような)男性か、若くても荒木経惟の「おばさんヌード」の良さを知っている人なのかもしれないな。

 インベカヲリの撮影風景をみて、そのペンタックス6×7を使いこなしている姿をみて、思わずアラーキーを思い浮かべてしまったのであるが、実はその辺はあまり間違っていないのかも知れない。

「ごく普通の女の子をごく普通に撮影すると、なんか別の次元にいったような写真が撮れる」という不思議な写真家、インベカヲリ。

 これは、なかなかの注目株ではありますぞ。

『やっぱ月帰るわ、私。』(インベカヲリ著/赤々舎/2013年11月1日刊)表紙は2種類あり。

『やっぱ月帰るわ、私。』は9月7日まで開催中。神保町画廊はコチラ

2014年8月22日 (金)

『世界のどこでも生きられる!』なーんて、あったりまえじゃん

 Kidle Fireにしたのでカラーの表紙が見られるようになった。ので、これからは電子版でもスクリーンショットじゃなくて、普通に写真に撮って表紙をお見せしますです。

 しかし、いかにヘビメタ好きであっても『腐ったアナル』とか『デブスお局』とか『オナニーして師んでろ』とか、なんかそんな汚い言葉をネットでバラまいているMay_Romaさんは、いかにも法政大卒のアレではあるけれども、言っていることは結構「マトモ」なんですな。

 ただし、マトモすぎて、多分汚い言葉がないと「何だ普通のこと言ってるだけじゃん」ってなっちゃうんで、あえて『デリヘルとパチンコで借金まみれで意識の高いアナタ!』とか『愛国者の皆さん、ネットで一生懸命活動してないで応募してくださいよ』とか『三度の飯より黒人のチンコが好きで、日本にいるときは米軍基地に入り浸り、チンコライフをエンジョイしていました』なんて書き方をして、一生懸命「世の顰蹙」を買おうとしているんだな。

 でも、言っていることはごくマトモ、ごく当たり前。

 だって、人間である以上は「世界のどこでも生きられる」なんて、当ったり前のコンコンチキでしょうが。

Photo『世界のどこでも生きられる!―外籠りのススメ』(May_Roma(谷本真由美)著/ディスカバー・トゥエンティワン/2014年1月25日刊)

 で、どうマトモで当たり前なのか、ここは目次でご紹介。

第1章 仕事が嫌ならやめちまえ
01 社畜のオマイラ、仕事辞めても死なないっつーの!
02 仕事を辞めんのは簡単なんだYO! 出社拒否でいいんだYO!
03 インドでウンコ拾いの仕事が嫌な貴様は、社畜やってろ
04 国内とか国 分けて考える お前はアフォ
05 ダメなオマイラは、海外で敗者復活戦やれ。外人補正で救われるぞ!

第2章 海外では、何をやると食えるか?
06 就労許可のゲットはマジ無理ゲー。アタマを使って仕事を探せ
07 地球上どこでも転職事情は変わらねーよ。まずネット検索してみろや
08 コミュ障のオマイラに朗報。海外企業はバーチャルで面接すんだぜ
09 日本人が海外で使えねーってもうバレてんだよね。だからこそ、キャリアの選定はちょー大事
10 金もない人脈もない、ないないずくしの オマイラは自分でプロジェクトを立ち上げろ
11 タダ働きもバカにスンナ。金で買えねースキル、ゲットだぜ

第3章 海外でいけてるリーマンになる方法
12 空気を読みすぎるバカにはなるな
13 厚かましくていいんだYO! オメーの好みをアピールしまくれYO!
14 「以心伝心」は外国じゃ黒魔術だ!
15 ダメ人間ども、死ぬ気で笑いをとれ。さらば救われん
16 とりあえずヘビメタ知っとけ、話はそれからだ
17 デキ男・デキ女ほど社内行事でアフォになれる
18 下手クソでもおk。「偽ジャポ料理」で胃袋をつかめ
19 結局、プライベートを楽しめない奴は仕事できねーんだよ

第4章 グローバル人材ってなんなのさ?
20 ふにゃふにゃジェネラリストに振り回されてねーで、イケイケキャリアを演出しろ
21 新橋のおっさんが語るようなグローバル人材は、妄想の中にしか存在しない
22 ヨイショがうまい奴はどこに行ってもお呼びがかかる(救いようのない変態でも)
23グローバル人材様には国のほうから頭下げて「働いてくれ」と言ってくれる

第5章 ダメなら外国に逃亡してしまえ
24 個性的すぎて日本に会わなきゃ、海外逃亡!ダメなら、日本に戻ればいいわけだし
25 日本のパスポート持ってるなんて、宝くじに当たったようなもんだぜ
26 仕事がメタクソな国は、自殺率が低い!? 仕事がないからダメ人間と責めるのは間違っている!!!!

第6章 日本の雇用の未来
27 イギリスやヨーロッパでは「ジョブ型採用」が一般的。正社員、非正規、契約、中途の差別なんてない
28 新卒一括採用がなくなる恐怖の世界
29 牛丼を食べたいのにカツ丼を押しつけられる!?
30 日本人だらけの日本はおーるじゃぱんなシュールな世界!?
31 ガイジンばっかのイギリスの病院は、「こんな病院は嫌だ」状態

第7章 移民するならどこに行くべきか?
32 人畜無害との評価が高い日本人は、もう最初から外国行くのに有利なの
33 アイラブジャパンが幼児教育状態の台湾の狂気
34 東南アジアの親日の理由は、色白な(!?)日本人のエロリビデオ!?
35 南洋で適当に暮らすのもいいんでない? 何の仕事があるかは不明だけど
36 日本にしか住まないのは、一生おんなじAVしか見れないことと同じ!?

 ね、言葉遣いは別として、言ってることはマトモでしょ。

 特に、「第6章 日本の雇用の未来」なんてマトモ過ぎちゃって、ちょっと面白くないくらい。もっとおバカなことを書いて欲しかったななんて、コチラも勝手な読者ではありました。

『蛾のように湧くツイートの中で最近多いのが、「仕事が嫌でしょうがないから師にたい」「会社で便所飯だからどうしたらいいですか」という「仕事辞めてえ系」のものであります。

 答えは簡単です。

 辞めちまえばいいんです。

 バカだから辞めりゃいいすらわかんないんですYO!』

 というけれど、そんなことをMay_Romaさんにツイートするような人は、逆にMay_Romaさんがそれを読んで逆ギレするのを楽しんでいるのであって、別に真剣にMay_Romaさんに人生相談をしている訳ではないのであります。というか、May_Romaさんがマトモに人生相談に答えてくれる筈もないからね。

 ま、その辺は読者とライターの間の駆け引きとして読んで行くってことで、楽しみましょう。

 ということで、お後がよろしいようで……。

『世界のどこでも生きられる!―外籠りのススメ』(May_Roma(谷本真由美)著/ディスカバー・トゥエンティワン/2014年1月25日刊)当然紙版もあるわけで、ちょっと高いけど。

2014年8月21日 (木)

2014カレッジ・ラクロス スタート! というかカレッジ・スポーツ 今年もスタート!

 毎年、同じような書き出しで済みません。今年も同じです。

「ヘルメットを被った学生が鉄パイプで殴り合ってます」なんていう市民からの通報があれば、即、警察は出動ですよね。

 でも、そんな警察も無視するようなことが起こっているのです。

 つまり、それがラクロスというスポーツ。

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 もともとがアメリカ先住民の若者を鍛えるための訓練として広く行われていたものを、移民の白人たちがスポーツとしてルール化し、定着させたというのがこのスポーツ。

 基本的にはアメリカのイロコイ族という先住民の部族がやっていたものが、その近代ラクロスのルーツなようで、今でもアメリカ代表とは別にイロコイ連合国代表チームというのがラクロス・ワールドカップに出てくるそうだ。

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 基本的には、アルミパイプを使ったチャンバラと球技を混ぜたようなもので、ボールを取り合い、相手のゴールに入れれば1点という単純な競技。選手はヘルメットとショルダー・パッド、エルボー・パッド、パッド付きのグローブに守られてはいるが、まあ、パイプで殴り合うのだから、そんな防具を使っていても痛いには違いない。

 ラクロスには女子部門もあって、これは田中麗奈が主演した映画「ドラッグストアガール」でも有名にはなったが、こちらはボディコンタクトは即反則という、いささかおしとやかなラクロスではある。

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 まあ、男子ラクロクはなんでもあり。よっぽどひどいことをしない限りは普通に殴り合いをしてもOKなわけである。選手は高校時代まで野球をやっていて、大学ではさすがに野球部の1軍には入れないなという選手が、同じバッティング技術を使えるということでラクロスに来る人が多いようだ。

 で、昨日の試合「立教大vs.東京理科大」戦の結果はどうだったのかと言えば、4対4の引き分け。

 関東学生ラクロス・リーグ1部Aブロックは「東大・早稲田・一橋・立教・東海・理科大」の6校で構成されており、そこでファイナル4(ブロックで言えば2位まで)に行くには、立教大としては理科大戦、東海大戦には確実に勝ち点3を取っておかなければならない試合であった。

 のだが、結果としては4対4の引き分けで勝ち点は1にとどまった。

 まあ、負けるよりはいいけれども、昨年のリーグ戦で「あわやファイナル4」まで行った立教大としては、勝っておかなければいけない東京理科大戦なので、昨日はちょっと残念な試合結果ではあった。

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 あれ? #99、R教大学のT田選手って昨年も4年生じゃなかったんじゃない? という方もいらっしゃるかと思いますが、そこはそれ「選手登録の妙」というのがありまして、ちゃんと今年て選手登録としては4年目だから出られるんですね。

 ちょっと「インチキ」くさいけれどもね。

 ということで、以下の表がが今年の私の秋の基本観戦スケジュール。

 昨日のラクロスに続いては、9月3日の神宮東都野球第1戦中央大vs.亜細亜大戦、駒沢第二球技場の9月6日ラクロス東海大vs.立教大を挟んで大学アメフトが9月7日のアミノバイタルフィールド立教大vs.慶應義塾大戦、その後、アメフト9月14日アミノ東大vs.拓殖大戦、9月15日大井第2のラクロス東大vs.立教大を挟んで、9月20日神宮六大学法政大vs.立教大戦、ラクロスを挟んで、今年から新たにアメフト・クラブチームX2が入って9月23日アミノブルザイズ東京vs.横浜ハーバーズといった具合に連戦連戦ではあります。

 そこに、新潟(山古志、小千谷)の闘牛や、自転車のジャパンカップなんかも入ってくるので、今年も秋の週末は結構忙しくなります。

 どれくらい、皆さんにお伝えできるかな。

 まあ、別に私が伝えなくてもいいんだけど。

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NIKON D7000 SIGMA 150-500mm @Oi, Ota (c)tsunoda

2014年8月20日 (水)

『私立(パンツ)はかない学園』って何だ?

『私立儚衣学園
 小学校から大学まで、一貫教育の私立校
 礼節に重きを置いていることで有名で
 社会的に立派な紳士淑女を育てるという校風
 その校風ゆえに校則は厳しい
 服装や言動に対してなど多岐に渡る』

 という学校でトンでもない校則が決まったわけだ。

 つまりそれが

『パンツの着用を禁止』

 というものだから、さあ大変!

Photo『私立はかない学園 1』(紺野あずれ著/双葉社/2014年3月28日刊)

 私立儚衣(はかない)学園高校では生徒会長のなりてがいない。ので、前生徒会長・冷泉美月の推薦で、『女としては完璧な上に、学業・運動・礼節、全てにおいて学年トップ。内部生から崇拝に近い信頼を集める、学園きっての超優等生』清和院花緒が生徒会長になる。

 という設定もトンでもない設定ではあるけれども、まあなんとなく理解できる設定ではあるが

『新生徒会長は、就任時に校則をひとつ作ることができるようになっている』

 という設定もトンでもない。だいたい、生徒に校則を作らせる学校って……、とても民主主義的でいいかも……

 で、どんな新校則がいいのか聞く花緒に対して、前生徒会長は

『君が普段から心がけて、実践していることでいい。君は人望があついから、みんなそれで喜ぶだろう』

 ということで、新生徒会長の挨拶

『通例の新校則についてですが、生徒の品位や振る舞いが向上するものがよいとのこと。早速ですが、発表させていただきます。
「パンツの着用を禁止」
 適用は、男女の分け隔てなく、登校時から下校時まで』

 何故か?

『だって…私がいつも心がけて実践していることを言えばいいって冷泉先輩が言ってたじゃない…?
 私いつもパンツ穿いてないけど
 ていうか私、人生で一度もパンツ穿いたことないよ』

『そ…それスカートめくれちゃったら見えちゃうでしょ…?』

『私はそうなったことないよー、実際見えたことなかったでしょ?
 私は今までずっとめくれないよう気をつけて生きてきたの。今日の私があるのは、そのことが大きく関係してると思うわ』

 と、まあいちいち立派な理由が付いている。まあ、確かにパンツ穿いていなければ、そのことが気になって、行動もおしとやかになるだろうし、あまり活発に動くこともなくなるだろう。

 とは言うけれども、日本の昔の女性たちはやっぱりパンツなんて穿いてはいなかったわけで、腰巻というのが下着だったわけだ。当然、その際の上着にあたるのは和服だったわけなので、別にパンツを穿かなくても何の問題もなかったわけだ。

 なので

 第2巻の「あとがき」に作者自ら

『スカートの下にパンツ穿いているの、当たり前でしょう。つまんないですよ。
 パンチラ見たこと実際ありますが、まるで心が動かなかったです。
 大体、そのパンツを見られただけで恥ずかしがるってのが、そもそも意味わかんないんですよ。衣服でしょパンツって。局部見られたわけでもあるまいに。
 それならノーパンの方がシチュエーション的にたまらんじゃないですか。
 スカートの下になんもつけてないいですよ、最高!!
 それならスカート抑えるしぐさも納得できます。
 赤面度も上がるし、いいことずくめです!!』

 と書くように、結局それは単なる男の(あるいはオヤジの)妄想でしかないわけで、現実的にはそんな楽しい場面なんかはあり得ないのであります。

 だって、スカートの下にパンツを穿かないなんて校則があったら、多分女子高校生は昔のヤンキーの高校生みたいにロングスカートにしちゃえばいいのだ。昔の日本の女性みたいに和服を着るようなものだ。今みたいに駅の階段でパンツが見えてしまうような短いスカートは穿かなくなる。

 というか、今でも女子高校生のスカートの中はパンツどころか、ブルマーなんかの「見せパン」を穿いて痴漢に対抗しているのであります。

 ところで第2巻では既に「校内に『パンツ穿いていい党』を結成する!!」という神崎ヴィルヘミーナが登場し、清和院花緒に対して不信任案を提出するというのである。

 まあ、バカバカしいお話ではありますが、何か読み始めると気になってしまうのが、シリーズものの性。

 第3巻から先も読んでしまいそうな……。

『私立はかない学園 1』(紺野あずれ著/双葉社/2014年3月28日刊)電子版・紙版とも現在2巻まで刊行。

2014年8月19日 (火)

Fitbit weekly progress report from Aug.11 to Aug.17

 毎週火曜日はFitbitからweekly statsが来る日。

 週トータルでは82,160歩、57.51km歩いて、カロリーは17,194kcal消費。体重は0.1kg増えて、現在は84.2kg。平均睡眠時間は6時間53分。

 最も活動的だったのは8月15日(金)で12,685歩、8.88km、2,612kcl、と特別突出はしていない。それは最も非活動的だったのが8月14日(木)が10,598歩、7.42km、2,435kclと言うくらい、平均して体を動かしていた週だったということ。

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ハートマウンテン日系人強制収容所

 解説者の一人、ジャスミン・アリンダーによって「ヴァナキュラーな写真=家族写真や遺影のような、芸術や美術とは無関係とされてきた無名の職業作家や素人の手による写真」とされた本書の写真は、しかし、ヴァナキュラーな写真であるからこそ、異様な説得力を持っているのである。

Photoコダクロームフィルムで見る ハートマウンテン日系人強制収容所』(ビル・マンボ:写真/エリック・L・ミューラー:編/岡村ひとみ:訳/紀伊國屋書店/2014年7月14日刊)

 本書の原題は「Colors of Confinement: Rare Kodachrome Photographs of Japanese American Incarceration in World War II」、つまり「幽閉された色彩:第二次世界大戦で捕えられた日系アメリカ人の数少ないコダクローム写真」というもの。

 つまり、1935年に発売開始されたコダクロームによる、当時としては珍しいカラー写真による、日系人強制収容所の写真なのである。カメラはやはり1936年に発売開始されたコンタックスⅢaに手製の三脚を使っている。外付けファインダーを使っているということは広角レンズを使用しているのであろうか。望遠系の写真はないので多分そういうことだろう。

 当時のことなのでまだISO64のコダクロームはない筈だ。ISO感度10か25位しかない(からこそ保たれている)外式カラーリバーサルフィルムならではの美しさが今でも保たれているその写真群は、戦争中の強制収容所の中の写真であることを一瞬忘れさせられる。まるで、普通のアメリカに行った日本人と日系人の家族の写真みたいだ。

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 その写真のほとんどは彼=日系二世のビル・マンボの息子や両親、友人や仲間たちの写真である。日系人の強制収容所での写真ではあるが、そんな強制収容されている悲惨さは写されてはいない。むしろ写されている人は皆笑顔である。しかし、あらゆるところにある有刺鉄線に囲まれた場所であることは、同じ写真を見ていればすぐに目に入る。

 同じ人種差別による強制収容ではあっても、それがナチによるユダヤ人強制収容所の悲惨さ、死に向かって強制収容されるという悲惨さはそこにはないが、しかし、ある国民(民族)とその家族を強制収容するということ自体に何ら変わりはない。

 強制収容所ではあっても、そこはアメリカ国民としての意識を持たせることが目的であるのだろう、高校があったり、ボーイスカウトやそのマーチングバンドがあったりする。しかし、同時に日本国民であるという自らの民族意識を同時に持っている証拠である盆踊りや相撲の大会なども捉えられている。まあ、多分その辺がアメリカ合州国という「文化的多元主義国家」というという現実からするところなんだろう。

 ビル・マンボの写真は確かに「ヴァナキュラーな写真」ではあるのだが、同時にそこに捉えられた映像には、アメリカ国民である意識と日系人である誇りが同時に写されているのだ。

 多分、アメリカ白人にとっては、日本から移住してきた人たちが持つ旺盛な仕事への意欲への恐ろしさというものがバックにあって、そこに日本という国との戦争が始まってしまったという事実が、その恐ろしさを強化しすることとなって、結果として日系人を強制収容するということに繋がってしまったのだろう。

 アメリカという国が持つ文化的多元主義というものも、結局はごく最近になって(しょうがないから)認められるようになっただけで、今からたかだか70年前までは一般的な感覚ではなかったんだな、ということの証明がこの写真集『ハートマウンテン 日系人強制収容所』なのである。基本的にアメリカには白人至上主義っていうのがあって、その次にアフリカ系黒人とかアジア系黄色人種ってのがあるのが、実際のアメリカという「ないまぜ国家」である。

 その辺の基本は今でも変わってはいない。

 日本が憲法解釈を変えて「集団的自衛権」って言っても、結局は「アメリカの属国」であるという事実と変わらないようにね。

コダクロームフィルムで見る ハートマウンテン日系人強制収容所』(ビル・マンボ:写真/エリック・L・ミューラー:編/岡村ひとみ:訳/紀伊國屋書店/2014年7月14日刊)

2014年8月18日 (月)

一般『教養としてのプログラミング』の時代だよな

 清水氏があるとき、大学生を対象とした無料のプログラミング講座を開催した際、そこに参加したのは文系の学生だったそうだ。

『さて、そのとき参加した文学部の女子学生に、なぜプログラミングに興味を持ったのかを尋ねてみると、彼女は「21世紀では、いずれプログラミングが教養の一つになると思うから」と答えました』

Photo_3『教養としてのプログラミング講座』(清水亮著/中公新書ラクレ/2014年3月10日刊)

 確かに、小学生にプログラミングを教えるスクールや、小学生にもできるプログラミングの本なんかがかなりあるし、2014年度の学習指導要領から中学校の技術・家庭科で「プログラミングによる計測・制御」の授業が必修化されたというから、最早、本当に「プログラミングが一般教養の一つになる」時代は、もう来ているんだなと思えてくる。

 我々オールド世代は「プログラミング」というと、それはほとんど「コンピュータ」と同義と考えてしまうのだけれども、別にそれはコンピュータ出現以前からあったもので、確かに「プログラミング=プログラムを組む」と考えれば、それは別にコンピュータとは関係ない言葉なんだなという風には理解できる。

 つまり「運動会のプログラム/発表会のプログラム/入学式・卒業式のプログラム/仕事のプログラム」等々、プログラムというものは世の中に溢れている。要は「手順を正確に記した文章」がプログラムであり、それを書くことがプログラミングなのだと考えれば、別にどうということもない。

 では、何が一般人をしてプログラミング(ここではコンピュータのプログラミング)から遠ざけているのか? 問題はコンピュータに指令を出すのに、そのコンピュータにしか分からない言葉があるということなんだなあ。

 つまり、私が学生の頃はまだパーソナルコンピュータなるものは存在しなくて、FORTRANとかCOBOLなんてのがコンピュータ言語だった。

 その後、さまざまな改良が行われ、C++や、インターネットの時代になってPerlとかJavaなんかの言語が今では一般的になってきているようだ。

 本書では清水氏自身が開発したビジュアルプログラミング言語「MOONBlock」を使って解説を進めている。「ビジュアルプログラミング言語」とは、プログラムをテキストで記述するのではなく、視覚的な操作でプログラムするプログラミング言語のこと。Webブラウザ上で動かすプログラムでパペットを選んだり、ビヘイビアからいろいろ選んだりしていくうちに、プログラミングが進行しているというもの。

 ソースコードを見られるようになっていて、それを見るとJavaScriptで書かれたソースコードが出てくる。つまり、MOONBlockは実際はJavaScriptで書かれたプログラムなんだけれども、JavaScriptを知らなくても使えるプログラムなんだということがわかる。

 そういえば、昔、Macintoshを使っていたときにHyperCardというソフトを使っていた時期がある。私自身が作っていたスタックはごく簡単なものでしかなかったが、凄い人はそれでゲームソフトなんかを作っていた人もいた。そうかHyperCardも一種のプログラムの要素だったんだな。

 つまり、プログラミング言語というのはコンピュータに読ませるための言語であり、それは例えば英語やフランス語、イタリア語なんかと同じ、私たち日本人にとっての外国語と同じものなのである。ということは、外国語習得で大事なことは「その言葉を使う」ということであるのであるから、プログラミング言語も結局はそれを使ってみることが一番大事なことなのである。要は、その言葉の文法が分かるかどうかでなく、使えるかどうか。なので、実はプログラミング上達のスキルは、そのプログラムを組んでみること。

 というか昔のコンピュータはあらかじめインストールされたソフトなんかはなかったから、我々は何かを参考にしてそのプログラムをコンピュータにインプットしなければならなかった。つまり、その基本は「丸写し」でありました。

 そのプログラムの意味なんかは分からなかったけれども、取り敢えず丸写ししてコンピュータにインプットしたプログラムがちゃんと動いたという経験は、なんか自分が凄いことをやれたような気がしたものだ。実は、誰かさんが書いた文章を丸写ししただけなんだけれどもね。でも、他言語の習得の方法はそれしかない訳だから、それが一番の勉強法。

 なので、MOONBlockで書いたプログラムでも、いちいちソースコードを見ていれば、そのうちJavaScriptを覚えて、それが書けるようになるのだろう。

 パーソナルコンピュータの父と呼ばれるゼロックスのパロアルト研究所いたアラン・ケイは

『パーソナルコンピュータ(組織や企業で所有するのではなく、一人一人がコンピュータを占有するという考え方)』

『エンドユーザープログラミング(開発者ではなく、ユーザ自身がプログラミングを使いこなすという考え)』

 というコンピュータ開発の結論にたどり着いたという。

 つまり、誰もが普通の言葉を話すようにコンピュータ言語を理解し話し、プログラミングできる、というのがコンピュータ開発の究極の目的であるということ。

 そんな究極なまでに進化した時代がもうすぐやってきそうである。

 私も再びプログラミングに挑戦してみようかな。

 とりあえずMOONBlockで遊んでみようっと。

 まあ、今書いているブログのHTMLくらいは分かっていますがね。これもプログラミング言語の一種。

『教養としてのプログラミング講座』(清水亮著/中公新書ラクレ/2014年3月10日刊)Kindle版も出ている。

2014年8月17日 (日)

マッカーサー道路なのか、新虎通りなのか……責任者出てこいっ! って程でもないけどね

 2014年3月29日に開通した虎ノ門から新橋に至る東京都都市計画道路幹線環状2号線虎ノ門~新橋地区の名前が「新虎通り」なのだそうだ。

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 しかし、ここは昔、駐日アメリカ大使館から竹芝桟橋に至る幅100mの大道路を計画しているという話から「マッカーサー道路」と呼ばれていたのである。

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 確かに広い。

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 が、道路は広いが現在は車路はそんなにいらないということで、歩道がやたら広いのだ。

 で、東京都としてはこの広い歩道を利用してオープンカフェなどのスペースとして使用して、「日本のシャンゼリゼ」にしようという考えらしい。実際にはパリのシャンゼリゼだってそんなに歩道は広くはないけれどもね。

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 まだ、カフェはまだらにあるだけだけどね、ここがそんなオープンカフェスペースになったら、パリのカフェよりも有名になってしまうだろう。

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 で、なんでそんなにカフェにこだわったのかと言えば……、こんなビルを発見した。フーム、これがその理由か? 東日本コーヒー商工組合、全日本コーヒー商工組合連合会なんて、コーヒー豆屋さんとかサ店の団体があったなんて……、て考えてみれば、どんな商売にも業界団体があるんだよな、この国では。で、その団体が国会議員や地方公共団体への圧力団体となって、自らの商売に有利な法律や業界指導を導くって構図はありだよな。

 ナルホド

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 とはいうものの、現状はJTビルや虎ノ門病院があるあたりの外堀通りから、ゆりかもめの汐留駅あたりまでの1.4km位しか開通していない。でもこの部分がまさしく「マッカーサー道路」なんであります。しかし、私はてっきりその外堀通りが「環状2号線」なのかと思っていたのだが、東京都の都市計画ではそうじゃなかったわけなのね。

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 実際には、太平洋戦争中に空襲による延焼を防ぐ空地帯の確保のため、ほぼこのルートに沿う形で防空法に基づく建物疎開が行われた名残で、戦後になって、この空地帯を利用する形で幅員100mの環状2号線として都市計画が決定されていたそうだ。

 確かに、その起点のそばにはアメリカ大使館があるわけで、そりゃ誤解のもとだよな。

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 で、以前は外堀通りの裏にあった虎ノ門病院もいまや通りに面した建物になってしまっている。この虎の門病院も建替えられて、高層ビルになるそうだ。

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 で、最後に森ビルにひと言。

 この新虎通り(マッカーサー道路)のシンボルともいえる「虎ノ門ヒルズ」なのだが、六本木ヒルズはまあ山の上に建っているビルなので「ヒルズ」という名称は理解できるのだが、虎ノ門ですよ虎ノ門。「虎ノ門」の名称の理由は、江戸城の南端にあった門の名前だそうなので、つまりは平城の江戸城の門だったわけですよ。

 近所に愛宕山があるから「ヒルズ」の名称をつけたのかも知れないが、ビルがあるのはあくまでも平地。平地で「ヒルズ」というのは、単なる「コーポラティブハウス」を「マンション(豪邸)」、「レジデンス(邸宅)」と呼んでしまう「日本人の英語嫌いを逆手にとった非英語表現」なのかもしれないが、ちょっと外国人には理解されない英語表現なのである。

 ちょっとその辺、英語の基本に戻って「理解される表現方法」を考えて欲しいものだ。

 ……って、え? もうすでに外国人の方が「ソレハ英語デハナク、日本語表現トシテ理解シテマス」ってか?

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NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm @Toranomon & Shimbashi (c)tsunoken

2014年8月16日 (土)

Kindle Fireが来た!

 今や「Kindle Fireが来た!」って大騒ぎする時代でもなくなってきたな。

 Kindle Paperwhiteの時代でもないし、その時は結構「これからは電子書籍の時代だ」っていう感じの受けとめられ方だったんだけれども、最早、エレクトロニクス・ガジェットなんてのは「当たり前」の時代になってしまっているし、特に、こんなパソコンのWiFiを利用したタブレットなんて当たり前の時代だもんな。

 発表当日にiPadを手に入れたほどの興奮はないってのもなあ。

 ということで、ビックカメラ.COMで¥6,980というお値段にツラれて買ってしまったんだが……。

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 とは言うものの、Eインクを使ったKindle Paperwhiteと違って、普通のテレビ画像と同じ液晶画面のKindle Fireの方が画面は見やすいというのは当然。特に、カラー画面は勿論Kindle Fire の方が絶対的にKindle Paper Whiteよりは確実に表現は豊かになるのはわかっていた。

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 でも、これまでKindle Paper Whiteに拘っていたのは、まあ、最初の頃に買ったというのもあるけれども、それまでの経験で多分写真集の類は電子書籍では買わないだろうな、という思いがあったからだ。つまり、こんなYOU TUBEなんかは多分見ないだろう、ということである。

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 でも、これからは電子書籍で出版することを前提に写真集を発表する写真家も出てくるだろう。そう、最早「写真集はアナログ」でという時代も終わりつつあるのではないか。我が家の、引っ越しの際に唯一残していた写真集も、これからはいらなくなるのだろうか。

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 と、言いつつも、今のところは普通の「文字」で書かれた本しか読まないんだけれどもね。でも、Eインクよりは液晶の方が読みやすいのは確かだ。

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 問題は「発熱」と「(Paperwhiteよりは)重さ」だろうな。

 液晶画面がこんなに発熱するものだとは思っていなかったし、Paperwhiteよりちょっと重い。

 これは、しばらくはメイン「Kindle Fire1」サブ「Kindle Paper White」という状況が続くんだろうな。どのみち、ちゃんと両方の機材に同期するんだし。重さではKindle Paper White、画像の見易さではKindle Fireという使い分けかな。

 で、MITで開発したEインクはこれからどうなるんだろう。

 まあ、取り敢えずは、そんな状況です。

Fujifili X10 @Komagome (c)tsunoken

 

2014年8月15日 (金)

"Brooklyn" by William Klein

 銀座ソニービル6階に新たにオープンした「ソニーイメージングギャラリー銀座」で、現在「ウィリアム・クライン作品展」が開催中だ。

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 ソニービルの一角にできたギャラリーなので狭い。がしかし、その問題はデジタル・フォト・フレームが解決しますとばかりに、デジタル・フォト・フレームで現在のブルックリンの写真が展示されている。

 ウィリアム・クラインと言えば『ニューヨーク』であり、『ニューヨーク』と言えばウィリアム・クラインというイメージが付きまとう。森山大道の「アレ・ブレ・ハイコントラスト」の原点ともいえるクラインの『ニューヨーク』であるが、現在のクラインはそんな撮り方に関する意識はないようだ。

 今回の『ブルックリン+クライン』からの写真の数々は、みな明瞭に対象を捉えていて、撮影データも明確である。

 まあ、それもそのはず、現在クラインはソニーの「グローバル・イメージング・アンバサダー」としてソニーのカメラの普及に務めている人なのである。

 使用カメラはソニーα99、レンズはVario-Sonnar T* 24-70mm/F2.8。

 基本的に広角ベースで撮られた写真群は、ブルックリンに住み、ブルックリンで遊ぶ人たちを様々な形で捉えている。

 クラインはそれを"Melting Pot"(人種の坩堝)と"Brooklyn" by William Kleinで話しているが、しかし、彼のカメラの前にいる人たちは明確にそれぞれのエスニック・グループごとに分かれている。ニューヨークに住む各エスニック・グループの人たちは、決して混じり合わないで、それぞれのコミュニティを形成して生活している。

 確かに、ニューヨークは世界中の国から人々が集まって出来上がっている街ではある。しかし、ユダヤ人はユダヤ人の、アラブ人はアラブ人の、アジア人はアジア人の、アフリカ人はアフリカ人、それぞれのコミュニティの中で自分たちの独自の文化を守りながら、隣のコミュニティに属する人たちとの「付き合い方」に注意しながら生きているのだ。

 それを簡単に"Melting Pot"という呼び方をしてしまうクラインには、そんなエスニックに関する意識はないのだろうか。

 なにか、その辺に徹頭徹尾「私が見た」ことにこだわる森山大道と、あまりそんな自意識がないままのウィリアム・クラインとの違いがあるにも関わらず、両者を一緒くたにして捉えたロンドンのテート・モダンで開かれた写真展には違和感を覚えたのである。

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 やっぱり違うよな。

 むしろウィリアム・クラインにとってのニューヨーク(ブルックリン)は、やはり(単なる)愛すべき街「ニューヨーク」なんだろうな。

 なんかそんな「お気楽性」というものを感じてしまう、「ウィリアム・クライン作品展」なのであった。

「ウィリアム・クライン作品展」は8月28日まで。

"Brooklyn" by William Kleinはコチラ

 あっ、これは単なる「愛すべき街 銀座」でしたな。

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EPSON RD1s LEICA ELMARIT 28mm/F2.8 @Ginza (c)tsunoken

2014年8月14日 (木)

岡村昭彦の写真

 東京都写真美術館で開催中の写真展が『岡村昭彦の写真 生きることと死ぬことのすべて』である。

 岡村昭彦と言えば岩波新書の『南ヴェトナム戦争従軍記』がその最初の記憶だ。今は岩波新書では絶版となって、ちくま文庫などで収められているようだ。

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 勿論、岡村昭彦を直接知っているわけではない。

 というか、ライカM3に眼鏡をつけて35mmレンズで広角と標準、ニコンFで望遠レンズ、という当時のベトナム戦争での写真取材の原型を作った岡村昭彦氏の姿にカッコいいなあとひたすら憧れていた私の姿が思い起こされて恥ずかしい。

 つまり、私はジャーナリズム(フォト・ジャーナリズム)というものに、「報道」という基本からではなく、単に「カメラマンって、カッコいい」という観点から入っていったのだった。

 昔の、広角、標準レンズはライカ、望遠レンズはニコンで、というのは本当にカッコ良かった。最近の、何でもニコンかキャノンの一眼レフにズームレンズで、基本的に広角ズームと望遠ズームの2カメ持ちというのとは、だいぶ異なる様相だ。というか、一眼レフの2カメ持ちというのは、基本的には「ダサい」。なので、基本的には標準、広角は(あまりフォーカスは意識しなくていいのだから)レンジファインダー式のカメラで、望遠だけが一眼レフを使えばいいと思うのだが、最近のカメラ事情では、プロが使うカメラではプロの使用に応えるカメラ自体が一眼レフだけになってしまったという不幸がある。

 だって、所詮、標準、広角なんてのは普通の一般人が持っているカメラで充分なのだし、そんなカメラで撮っても報道部門や一般プロ仕様の部門の写真が普通に撮れてしまうのだ。

 この辺は、今のカメラマンたちにとって「写真術」というものが、別に「術」でもなんでもなくて、誰でも普通に撮れてしまう、問題はどんな状況の中にカメラマン自身がいたのかという「だけ」という、最も大事な問題に直面しているという、「大問題」なのだ。

 つまり「カメラマン」は、というか「報道カメラマン」は、その報道の一番ハードな(つまり危険な)場所にいて、そこで写真を撮らなければ評価されないという、カメラマンにとっては非常に危険な行為をしなければならないということなのである。

 例えば、ロバート・キャパの時代では、前線の写真もさることながら、その遥か後ろの町のお祭りなどの写真も、それはそれ「戦争中の僅かな愉しみ」という括りの写真として容認された。

 岡村昭彦の写真の中にも「ヘルメットに花を飾っておどける南ベトナム政府軍兵士」という写真があるが、彼が次の日にベトナム解放戦線との戦いにおいて命を失うかもしれない、という緊張感をその写真の裏側に感じるということが前提になっている、これは普通のスナップ写真にすぎない。

 でも、それが普通の写真以上に意味を持つのは、それが実は西ヨーロッパの人たちが普通に恋人たちや、自分の妻や家族を写すようなカメラ=ライカと同じカメラで撮られたということなのだ。

 今、ライカのM型デジタルカメラはオートフォーカスには対応していない。別にライカだってオートフォーカス技術は持っているのだから、M型ライカにオートフォーカスを搭載することは問題なくできる筈だ。

 でも、M型ライカにオートフォーカスを搭載していないということは、最早、ライカとしてはM型ライカにはジャーナリスティックな活躍を期待していないということなんだろう。

 今でも世界中で続いている戦争。そんな戦場で使われているカメラはニコンかキャノン。ライカが使われているという話は聞いたことがない。

 つまり、最早、ライカは「報道カメラ」からは撤退して、「オヤジの趣味カメラ」という部分に特化したカメラになってしまったんだろうか。

 それはそれでちょと残念。

 誰か、「報道目的でライカを使うフォトグラファー」が、再び出てこないもんだろうか。

 なんて、実は「岡元昭彦の写真」とはなんの関係ないところで、考えてしまうのであった。

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『岡村昭彦の写真』についてはコチラを……9月23日まで、東京都写真美術館にて開催中。

2014年8月13日 (水)

明治女学校之跡

 またまた、とげぬき地蔵通りを進んで行って……

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 都電荒川線庚申塚駅を越えてすぐに左へ折れると……

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 東京大学豊島国際学生宿舎と……

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 老人施設「菊かおる園」の間に挟まれた坂道をそのまま行くと……

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 西巣鴨幼稚園がある。

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 その幼稚園の一角にあるのが「明治女学校之跡」の碑である。

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 明治女学校とは何だろう。

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 明治女学校とはプロテスタントの牧師・木村熊二と鐙子夫妻が明治18年(1885年)に、九段下牛ケ渕(現・千代田区飯田橋)に開校した女学校で、神の下で平等な男女が健全な家庭を営むための心構えを生徒に躾けた、という。近代日本における女子教育の先駆けと見なされている学校のひとつである。

 もっとも、校内では宗教的儀式は行わず、布教を教育の目的にはしなかったという。まあ、如何にもプロテスタントの学校らしい教育方針。学校運営を話し合う評議会には生徒も参加し、寄宿舎も自治制だったというから、当時としては相当に開明的な教育を行っていた模様である。

 学校は1892年に麹町区下六番町(現・千代田区六番町)に移転したが、教会や宣教師の経済的援助を受けなかったので、経営は楽ではなかったという。1896年2月深夜の失火で、校舎・寄宿舎・教員住宅の大半を失った。

 1897年、東京府北豊島郡巣鴨(現・豊島区西巣鴨二丁目)に校舎を新築。その後が、現在の「明治女学校之跡」なわけである。

 相変わらず学校経営は楽ではなく、結局、明治42年(1909年)に閉校した。

 木村熊二は明治26年(1893年)に長野県小諸市に小諸義塾を開校し、内村鑑三が講演会を開いたり、島崎藤村が英語・国語の教鞭をとったことで知られているが、その島崎藤村に洗礼を施したのが木村熊二その人だったのである。

 群馬県の桐生市や長野県の小諸市あたりには、無協会派のキリスト教信者が多いと聞き、島崎藤村の(宗教的な)跡を継ぐという人が多いそうだ。多分、その草分けが木村熊二だったんだろう。

RICHO GRDⅢ @Nishi-sugamo, Toshima (c)tsunoken

2014年8月12日 (火)

Fitbit weekly progress report from Aug.4 to Aug.10

 Fitbitからの毎週のスタッツ・レポート。

 週トータルでは68,114歩、47.68km歩いた。トータルでのカロリー消費量は16,922Kcal、しかし体重は1.6kg増。平均睡眠時間は6時間39分。

 もっとも活動的だった日は8月5日だが、13.059歩、9.14kmしか歩いていないし、カロリー消費量も2,601Kcalだ。

 もっとも非活動的だった日は、当然台風がきた8月10日で、3,438歩、2.41kmしか歩いていない。

 まあ、週全体でもあまり活動的ではなかった週ではある。なので、体重増になってしまったわけだ。

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『一日一食』はいいのだが……

「食べなくていい」は極端だが、確かに「空腹」が人を健康にするというのは「アンチエイジングの貴公子」とか呼ばれている南雲吉則氏も言っていることだった。

 基本的には私も石原氏に同意なのだが……。

Photo『一日一食 40歳を過ぎたら、食べなくていい』(石原結實著/ビジネス社/2013年2月22日刊)

 石原氏の一日の食生活のメニューは以下の通り。

朝 人参・リンゴジュースコップ2杯
  生姜紅茶カップ1杯
  (黒砂糖かチョコレートとともに)

昼 生姜紅茶カップ1~2杯(黒糖入り)
  または生姜紅茶カップ1杯に生姜の漬物、
  すりおろしリンゴ1/2個分

夜 ビール大びん1本+
  日本酒または焼酎1~2合
  タコの刺身
  ご飯茶碗1杯、味噌汁、湯豆腐または納豆
  イカや貝など魚介類と野菜の炒め物、
  または明太子1腹

 と、相当低カロリーであることは確かだ。

『現代日本人の、とくにサラリーマンや自営業の方々の生活様式を考えると、「小食」により「若さを保ち、老化や種々の生活習慣病を防ぐ」食生活は以下のようになる。

朝食 1)食べない または
    2)お茶や水分のみ または
    3)人参・リンゴジュース コップ1~2杯 または
    4)生姜紅茶(黒砂糖またはハチミツ入り)カップ1~2杯 または
    5)人参・リンゴジュースと生姜紅茶各々カップ1~2杯ずつ

昼食 1)そば(七味唐辛子とネギをしっかり入れる) または
    2)具だくさんのうどん(七味唐辛子とネギをしっかり入れる) または
    3)パスタまたはピザ(タバスコをしっかり入れる) または
    4)普通食を腹八分目以下に

夕食 アルコールを含めて、何を食べても可
    (ただし、歯の形による正しい食生活のバランスを一応頭に入れておく)』

「歯の形」というのは『われわれ人間の歯は32本あり、そのうち20本(20/32=62.5%)が穀物を食べるべき臼歯、8本(25%)が野菜や果物、海藻などを食べる門歯、4本(12.5%)が肉、卵、魚などの肉食をする犬歯である』という食べ物のバランスのことだそうだ。

 生姜(や七味唐辛子)が多いというのは

『①体温を上げ、免疫力を高める
②血管を拡張して血圧を下げる
③血栓を溶かす
④脳の血流をよくして、うつに効く
⑤内耳の血流をよくして、耳鳴り・めまいに効く
⑥胃液・腸液の分泌をよくして、消化を助ける
⑦食中毒菌を殺す
⑧発汗・解毒作用がある
⑨去痰(たんをとり除く)・鎮咳(せきを静める)作用がある』

 ということだそうだ。

 しかし、朝食をとらないというのはどうなのだろう。

『朝食は一日のエネルギーのもとになり、また、一日のリズムを整えるものだから、必ずとるべきだと一般にいわれている。
 しかし、日の入りとともに就寝して、10時間近く睡眠し、日の出とともに起床して、朝メシ前の一仕事をこなしてから食べた昔の人の朝食は、確かに必要不可欠あんものであったろう。だが、現代文明人、とくにサラリーマンやOL、自営業の人たちは遅くまで仕事をして、それから、夜の9時、10時まで酒食をとり、5~6時間しか睡眠せずに、朝はせわしく、出勤していかなければならない。起床時には、前日の夕食が胃に残っていることも多く、また、寝ぼけ眼と同様、胃も十分に覚醒していないことも多い。
 そこに、食べたくもない「朝食」を押し込むことは、胃腸にとっても、その本人の体にとっても拷問以外の何ものでもない。だから、食べたくない人は、食べる必要などまったくない』

 というのだが、例えばヒトの体の基礎代謝で言えば、骨格筋と肝臓と脳でそれぞれ全体の20%を占めるということから、朝食は一日の食事で一番大切、特に、朝に炭水化物を取る必要があると言われている。特に頭脳労働が多い最近の日本人には、朝食が如何に大事かということが言われている。

 なので、基本的にこの石原氏の言うように、飽食の時代に生きる我々は、むしろ小食を心がけるべきだという基本には同意できるが、この「朝食抜き、昼食抜き、夕食でカロリーを摂る」という考え方にはあまり同意できない。

 私の一日の食事のとり方は、朝食は普通に食べる。特に一日の食事で一番大事な食事ということで、多分カロリーも一番高いはずだ。昼食は摂ったり摂らなかったり。夕食は野菜と魚中心で炭水化物は摂らない。勿論、酒は蒸留酒のみを必要十分に摂る、という食生活で充分普通に生活できているし、体重も最近は減りつつある。

 なんか、その部分だけが違和感を感じる石原結實氏の提言だ。

『一日一食 40歳を過ぎたら、食べなくていい』(石原結實著/ビジネス社/2013年2月22日刊)

2014年8月11日 (月)

急増する「ネット小説」書籍化

 京都にある株式会社ヒナプロジェクトが運営する小説投稿サイト「小説家になろう」掲載の作品を書籍化する出版社のレーベルが続々誕生している、という記事が『新文化』7月31日号に掲載されている。

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『ネット小説はウェブ上でタダで読めるが、いくら無料でも、人気になる作品とならない作品には歴然と差がある。出版社は、ネットでの人気投票に勝った企画力の強い作品だけを書籍化しているから、手堅く売れるのである』

 つまり、これまでは出版社が新人小説賞を主催して、広く作品を募ったり、あるいは小説誌を発行して作家を育てたりしながら、単行本を出して来たわけだが、当然そのためにはコストがかかる。新人小説賞を主催するには最低でも400万~500万円位はかかるし、小説誌を発行するには年間で億単位のコストが発生する。

『対してネット小説の書籍化では雑誌運営のコストは発生せず、賞運営費用も紙ほどはかからない。だが先述の仕組みがあれば、新人が数万部売れることも珍しくない。ランニングコストがかからなければ、失敗して撤退する事態になっても火傷が少なくて済む。参入者が増えるのは当然だ』

 というのは当然としても、各社が競って作品を出してくれば、ジャンル全体での刊行点数が増えて、1作当たりの平均売上は小粒化することになる。基本的にはやはり出版社が自前で作家を育てていく姿勢がないと、長く続けていくことは難しいのだろう。

 なので『単に「なろう」のランキング上位から順に声をかけていくやり方ではレーベル固有のファンがつくことはない。特徴がなければ、ある作品に対して複数の版元からオファーがあって取合いになったとき、作家に選ばれる理由もない。ポジショニングが下手なレーベルでは、食い合って消耗する』ということは、やはり出版社側にも「単に人気があるから」というだけの理由で書籍化するという単純な法則は当たらないということでもある。

 結局、作家が育つのと同様に、出版社側も編集者を育てていかないと、良い作家を獲得することは難しいということと同時に、作家の側からもその出版社を選んでもらえる理由にもならないということだろう。基本的には編集者が出版社を支えているという事情は、こうしたネット先行のマーケティングをしていても変わらないということなのである。

 ネット先行であればローコストオペレーションができるから、といってそれだけけの理由でネット先行の書籍化を図るというのもちょっと早計。出版社としての基本的な姿勢を持って臨まなければいけないという「当たり前」の図式はキチンとあるのだ。

 
 ヒナプロジェクト「小説家になろう」はコチラ

2014年8月10日 (日)

『攻殻機動隊 大原画展』とは何か?

 士郎正宗「攻殻機動隊」が最初に「ヤングマガジン 海賊版」に出たのが、1989年5月号。単行本化されたのが1991年10月であるから、既にそれから25年も過ぎている訳だ。

 一時期「AKIRA」がサイバーパンクと呼ばれた時があったが、ウィリアム・ギブスンの小説(翻訳)を読んだ時には、「『AKIRA』はサイバーパンクじゃないよなあ」と思ったものだが、「攻殻機動隊」に関しては「まったくこれはサイバーパンクだ」と思い、日本のSFも完全に一歩進んだんだと感じさせられた。

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 ポイントはそのコミックの「書き文字の多さ」である。

 とにかく士郎正宗のその漫画の絵の描き込みの緻密さもさることながら、同時にそこに書き込まれた情報の多さも相当なものだった。漫画というものは、基本的には「絵」で見せるものだと考えていた当時の我々にとって、その漫画の情報量に関してはまさしく「吃驚」というものに値した。それはウィリアム・ギブソンの世界そのものだった。ギブスンの小説も、ストーリーよりもその「設定説明」がやたら多い小説で、読むのに大変苦労した記憶がある。

 確かに「電脳」というものを解説するのには、それなりの説明が必要だったんだろうな、当時では。

 今や、ウェラブルコンピューティングというのが当たり前になってしまって、眼鏡型や腕時計型の端末からクラウドにデータが集まって、そこから再度データがダウンロードされて、次には「何をしなさい」という命令がくるのが普通になってきつつある(私も使っている)。

 脳にそれが埋め込まれるのは、あと少しのことなのだ。

 ただし、そうした理解がまだなかった20世紀末。それは「屁理屈」という形でしか表現できなかったのでありました。

 で、その「吃驚」に値した漫画を原作としてアニメーションを作ったのが、以前、アニメーション「AKIRA」の監督として私が推薦した押井守だったというのには、二度納得。

 とにかく「屁理屈屋」の押井である。士郎正宗の屁理屈に対抗するだけの、もっとすごい屁理屈をもってこなければアニメにする意味はないわけで、でも、そうなればそれまでのアニメーションに関する一般的な考え方では製作はできないはず、という考え方もあったのだろう。しかし、押井を「攻殻機動隊」の監督に持ってきたのは正解であり、唯一の残念は、そのプロデューサーが私ではなかったということである。

 結果として、1995年に完成・公開した『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』は、日本では興行的には惨敗、しかし、アメリカでは興行的にはうまく行かなかったけれども、ビデオとしては大成功で一時期には「ビルボード」誌で第1位になるという栄光に輝いたのであった。

 ただし、その成果には我々は与かれなく、一時期は訴訟も考えたという後日談もあるのだが……。

 で、その成果に預かった(んだろうな、バンダイビジュアル・アメリカは)某バンダイビジュアル社だけが張り切っちゃって、第二弾『イノセンス』を作ったんだよな。

 勿論、『イノセンス』では押井モード爆発で、原作にないエピソード満載のストーリーにはなっていた。

 その後、「攻殻機動隊」は「Stand Alone Complex」「Stand Alone Complex 2nd GIG」「Stand Alone Cmplex SSS」となっていって、今や士郎正宗の原作とはほとんど関係ない世界に入ってしまっている。今や、コミックのアニメ版のコミカライズという訳のわからない世界にまで入って行ってしまって、士郎正宗氏が描いたコミックじゃない「攻殻機動隊」のコミックがたくさん存在するのである。

 まあ、コミケの世界では当たり前の状況(カオス)なわけだが、それがメジャー・コミック誌でも当たり前に存在する状況になったというのが、これまた新しい状況である。

 つまり、小説にインスパイアされて書いた新たな小説と同じように、コミックにインスパイアされた新たに描いたコミックというものが今や存在するようになったというわけなのである。

 で、逆にそれらの存在を許してしまう士郎正宗という作家も凄いなと思うわけだ。

 まあ、当然メジャー出版社(講談社)が手がけていれば、それはそれなりの原作料(というか原案料)の収入もあるだろうし、元々の原作者としてのリスペクトもされるだろうから問題はないわけであるが、これがもうちょっと小さい出版社だったらどうなるのだろうか。

 まあ、ちょっと想像するのも恐ろしい結果にはなりそうだ。で、それを訴訟で解決するのも、原作者、出版社相互の関係の中では、その両者のあまりにも低いレベルの法的対応力を考えると、ちょっと不安になってくる。何しろ、出版物の電子化に関しても、実はほとんどの出版社は何の対策、対応も出来ていないというのが現状である。

 で、そこに法律家のつけ入る部分がありそうだ。

 そんな非メジャーの出版社(法律的にアマチュア)と、非メジャーの作家(法律的に素人)の間の「法的論争」とか「訴訟事」こそが、「法律専門家」の入り込む場所ですよねえ。

 まあ、日本にいる幾多の、イソ弁、ノキ弁、宅弁、携帯弁、町弁などの「実質的には無業の弁護士さんたち」、ここはこれからの狙い目かもしれませんよ。

 って、何を言っているのかな、俺は。

 何か、話の方向が変わってしまった雰囲気があるが……、まあ、いいか。

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『攻殻機動隊 大原画展』は池袋西武で8月20日まで、以降、大阪、福岡、新潟の各地で開催。

公式サイトはコチラ

2014年8月 9日 (土)

田宮岩の墓

「四谷怪談」で有名なお岩様だが、歌舞伎や芝居、映画などで「四谷怪談」を演じる役者が必ずお参りするのが、四谷左門町にある有名な「於岩稲荷田宮神社」である。

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「於岩稲荷田宮神社」の前には狭い道を挟んで「於岩稲荷陽運寺」というのもある。

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 ここは元々田宮家の家があったところだ。

 なので、お岩様の墓というのは実は別の所にある。

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 というわけで、豊島区巣鴨五丁目にある妙行寺という日蓮宗の寺に田宮家の墓と一緒に「お岩様の墓」というのがある。

 妙行寺は元々は四谷にあったのだが、明治になって今の場所に移って来た。都電荒川線の新庚申塚から西ヶ原四丁目へ向かって「お岩通り」という道が走っているが、その巣鴨五丁目の交差点を右に曲がって都電の踏切を渡るとすぐにこの妙行寺がある。

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 元々、田宮家は家付き娘だった岩のもとに浪人だった伊右衛門を養子として迎えたわけだが、伊右衛門が心変わりして岩を離縁したという話とか、逆に伊右衛門と岩は仲睦まじく暮らしたという話など、諸説紛々ある。

 有名なのは鶴屋南北が作った「東海道四谷怪談」だが、基本的なストーリーは「貞女・岩が、夫・伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」というもので、鶴屋南北版の他にも様々なバリエーションがある。

 いずれにせよ、夏の風物詩としての怪談話の定番なわけだけれども、四谷の於岩稲荷に詣でるのは分かるが、肝心のお岩様の墓に詣でないというのは何故なのだろう。

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 この「四谷怪談」に想を取った三池崇史の『喰女(クイメ)』の公開がそろそろである。

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm/RICHO GRDⅢ @Yotsuya & Sugamo (c)tsunoken

2014年8月 8日 (金)

『銀翼のイカロス』敵は国家権力だぞ。立て餓えたる者よ……てこともないか

 っえーとっ、ネタバレいっぱいありますので、嫌な人は読まないでね。

 読んだ後で、「ネタバレばっかしじゃんかよ」なんて文句をつけられても、私は知りません。

 これまで「銀行の支店長」「銀行の幹部」、更には出向先の証券会社では、結局、「元いた銀行幹部」といった銀行内部の人間を相手にしてきた半沢直樹であるが、この作品ではついにそれを飛び越えて銀行の外の、それこそ国家権力との対峙になるのだった。

Photo『銀翼のイカロス』(池井戸潤著/ダイヤモンド社/2014年7月28日刊)

 今度の相手は、2009年、地滑り的に憲民党から政権を奪い取った進政党が、それまで憲民党が進めていた「有権者会議」を廃止して新たに立ち上げた「帝国航空再生タスクフォース」であり、そのリーダー、大手企業の再建実績が豊富な弁護士の乃原正太、国土交通大臣の白井亜希子、憲民党を離党して進政党を旗揚げした同党の重鎮、箕部啓治である。

 と、こうなればもう物語の設定はお分かりですよね。

「帝国航空再生タスクフォース」とは、2009年9月に自民党から民主党への政権交代が行われて際に、前原誠司国土交通相が前政権下の「日本航空の経営改善のための有識者会議」を廃止して作った「JAL再生タスクフォース」であり、そのリーダーは、野村證券顧問であり元産業再生機構産業再生委員長だった高木新二郎、サブリーダーは冨山和彦、株式会社経営共創基盤代表取締役・元産業再生機構代表取締役、田作朋雄、PwCアドバイザリー株式会社取締役パートナー・元産業再生機構取締役、大西正一郎、フロンティアマネジメント株式会社代表取締役・元産業再生機構マネージングディレクター、奥総一郎、レゾンキャピタルパートナーズ専務執行委員・株式会社ラザードフレールシニアアドバイザー。

 国土交通大臣の白井亜希子は前原誠司ではなくて、多分、蓮舫でしょう。

 そして、一番大事な「憲民党を離党して進政党を旗揚げした同党の重鎮、箕部啓治」とは、言わずもがな「小沢一郎」その人と言わずして誰あろう。

 つまり、今回の半沢直樹の相手は、民主党の(当時は)党首の小沢一郎と、主要閣僚の蓮舫、そしてその蓮舫が指名した「JAL再生タスクフォース」なのである。

 政界の深奥に関わるストーリー。

 最早、銀行内部での「倍返し」の話ではないのである。

 う~ん、大和田常務を土下座させる程度の話の方が、もっともっと身近で良かったなあ。しかし、物語として常に「上を、上を目指す」以上は、結局は銀行内部の話では「頭取」との決戦にならざるを得ないし、中野渡頭取は半沢直樹が尊敬する頭取である以上、それを避けるのであれば、どこか銀行以外の場所に敵を作らなければならないだろう。で、今回はいい標的になったのが、結局、日本政策投資銀行(物語では「開発投資銀行」)という政府系の銀行もさすがに手を投げた案件である「JAL再生タスクフォース」だったわけなのであるな。

「JAL再生タスクフォース」って何だったのか?

 結局、それは単に政治経済音痴だった当時の民主党の幹部たちが、単に「企業立て直しのプロ」を自称した高木新二郎に乗せられて作った、トップがアマチュアの気分集団でしかなかったわけだ。

 確かに、当時JALが抱えていた債務は大変なものがあったのだろう。しかし、その債務の出所の大半は自民党の要請に応じて、赤字路線を大量に作ったこととか、必要のない機材を大量に購入したこととかが原因なのである。

 だったら、その責務は自民党に負わせるべきであり。民主党が「私たちの党が解決します」なんて大見得を切る必要はなかったのである。つまりは、自民党政権と、それに一蓮托生になっていた官僚たちにである。で、その結果、JALが倒産しようが「それは民間企業の倒産です」と言って、知らん顔をしていれば良かったじゃないか。それを何故民主党が解決しなければならなかったのか。

 ひとつは「もっと簡単に解決できるだろう」という甘い読みがあったんだろうと思う。要は、JALの臍帯を持たない民主党ならばそれはできると……。ところが、そうはいかなかったんだよな。結局、JAL利権というのは、自民党だけじゃなくて、各党(多分、共産党以外のすべて)に行き渡っていて、その辺はがんじがらめになった利権の構造で、民主党としてもそれは各議員の段階では結局みんなJAL利権のお世話になっていたということ。

 もうひとつは、JALと対抗するANAの問題もあるだろう。ANAは元々、政府公認のナショナルフラッグキャリアとして国策会社として作られたJALに対抗して民間会社としてのスタートがある。なので、JAL利権というものはJALでしか使えなくて、ANAでは使えない。つまり、国会議員としてはJALの必要性がこれまたいや増すのである。多分、国会議員のお国入りの費用の大半はJALで使っているのではないかな。

 で、結局は進政党の「帝国航空再生タスクフォース」では何も解決できずに、箕部は離党、白井は辞任ということになってしまい、まあ半沢は勝利ということですね。これは、ドラマのお約束。

 そこで「ドラマのお約束」で言っちゃあいけないことがあるんだよな。

 つまり、私は前原誠司が言った「JALは潰しません」という言葉を信じて、ボロカスになったJALの株を買ったと思いなさい。まあ、10万円位ですけどね。でも、「JALは潰しません」という以上は、そんなボロ株を買う意味があるじゃないですか。このボロ株が今後どれだけ上昇するかというね。

 ところが、2010年2月20日に、JALは東証1部に上場廃止になってしまい、私の株も「本当の紙屑」になってしまったという話。

 まあ、JALにはそんな感じでいろいろあるんだけれども、頑張ってほしいという気持ちはある。

 昨年、香港に行った時にも、行きはキャセイパシフィックだったんだけれども、帰りはJALとコードシェア便で、結局、JALで帰ってきたわけだし、まあ、これからも海外に行く時はJALを使うときは多いんだろう(なるべく別会社便を使いますがね)。

 ということで、あまり「帝国航空=JAL」は使いません「宣言」をするんだけれども、どうかな?

『銀翼のイカロス』(池井戸潤著/ダイヤモンド社/2014年7月28日刊)Kindle版も早速出ている。これは買わなきゃ。

2014年8月 7日 (木)

『幻のB級! 大都映画がゆく』のタイトルの意味は?

 先日の「大都映画巣鴨撮影所」をいろいろ調べているときに発見(大袈裟)した本であります。

 腰巻に「小沢昭一氏、推薦!『昔、私ども少年の血をも、たぎらせてくれた大都映画を、この著者ならではの追跡。ウレシイ。』」

 大衆芸能に詳しく、そして大衆芸能を愛してやまない小沢昭一氏らしい言葉ではあります。そうか、小沢昭一氏の子供時代は大都映画の全盛期だったんだなあ。

B『幻のB級! 大都映画がゆく』(本庄慧一郎著/集英社新書/2009年1月21日刊)

 大都映画の簡単な歴史はその時にも書いたが、大都映画の前身、河合映画のスタートから昭和17年に日活、新興キネマとの三社合併で消滅するまでの15年間で、総製作数1,325本という数だけ見ても、当時の大メジャーであることがわかる。年平均88作。基本的に毎週、週替わりで二本立て興行をおこなっていた訳で、つまり多い年は100本を超える製作本数だったのである。

 まさしくプログラムピクチュアの鑑だったわけで、そんな状況の中では二本や三本の作品を並行して製作する監督や、役者がいたわけで、当然一作一作のシナリオの検討やら、ロケハン、リハーサルなんてものもいい加減にやらざるを得ない。なので、「大都映画は低俗」「大都映画は下流」というそしりを受けたとしても、別にあたらないくらい当然なのであった。

 しかしながら、庶民(あるいは労働者、社会人でもいいですが)たちにとっては「映画は娯楽」でしかない訳で、別に映画を観て社会について考えて見たり、自分の生き方を省みたりなんかはしないで、1時間なり1時間半の「映画の時間」だけは、世間のことなんかは忘れて、面白可笑しく時間が過ごせればそれで結構な訳であった。

 大都映画は元々初代河合徳三郎が作った映画配給会社「河合商会」を大本とする。このころの映画配給会社というのは、自前で劇場を持って上映する現在の配給会社と興行会社との機能を兼ね備えた存在だったようだ。河合徳三郎も映画の配給会社を始めた事情も、大正12年に浅草の「浅草キネマ倶楽部」とい劇場を何らかの理由で手に入れたからということらしい。元々「土建屋の親方」だった河合は、この時、映画の持つ大衆性、娯楽性に目を付けたのかも知れない。

 同じころ、河合は荒川区町屋にあった国際活映(国活)の町屋スタジオの改修工事を請け負い、いっそのことと、町屋スタジオを買い取り映画製作事業を開始する。

『昭和二(1927)年、いよいよ映画製作会社「河合映画社」が発足、翌三年三月にはもう町屋スタジオの規模が不満で、国活が持っていた巣鴨撮影所をも買収する』

 というのが、先日書いた「大都映画巣鴨撮影所」のいきさつなのであるが、巣鴨はまだしも、あの「文化果つる」荒川区に映画の撮影所があったというのも、これまた驚きではある。いまや足立区北千住に大学が三つもある時代であるなら、わからないでもないが、昭和の初期に荒川区にねえ、という驚き。まあ、当時は荒川区なんてのも東京の外れにあって、周囲を気にすることなく映画の撮影ができた時代だったんだろう。

 尾張徳川家の下級武士の子どもとして生まれた河合徳三郎は、十四、五歳のころ青雲の志を持って上京し、土木現場からスタートし三十歳のころ、一家を成して河合組組頭となって独立している。その後、右翼の大物、頭山満を顧問に迎えて国粋主義団体「大日本国粋会」を創設したり、しかし、その大日本国粋会を自ら離脱し、大日本国粋会と対立する「大和民労会」を組織するなどしたようだ。

『周囲はこの大和民労会を「しょせんそのスジの者の集団」と見なしていたが、当の河合徳三郎は労資協調を唱導して労働社会大学を創設したり、いわゆる無産階級の人々のための慈善病院を建設した。さらに、民権新聞社の社主としての活動をしながら、貧しい人たちのために毎日三百人分の炊き出しなども実施している』

『「河合商会」を発足させた翌年の昭和三(1928)年には、東京府会議員第八期の定期選挙に立候補して当選、四年間の任期を務め、次の第九期にも再選され、任期いっぱいの昭和十一年六月までその任務を果たしている。そのかたわらで、昭和二年十二月には、映画配給会社としてスタートさせていった河合商会を映画製作会社「河合映画社」とし、さらに昭和八年に「大都映画株式会社」へと発展拡充させていった。
 土木建築業で院外団のリーダーでもあり、なおかつ東京府会議員を二期八年も務めた河合徳三郎率いる大都映画の躍進はとまらない。
 日本が戦争という暗黒の時代に傾斜してゆく昭和十年代の逆境のさなかも、自己資金のみの健全経営で積極的な映画製作を展開。直営館、系列館を全国にぐんぐん拡大し、「大都映画だけを観る」という熱烈な固定ファンをしっかり獲得していった』

 明治を過ぎ、大正デモクラシーを経た昭和初期、迫りくる軍靴の響きと同時に、『映画事業というものに対して、多くの人々が「新しい時代の新しい文化産業」といった熱い評価と期待を抱いていた時代である』。『「栄光の三流映画」小会社小プロ小史』という書籍によれば、当時の独立プロダクションは37社を数え、それ以外に松竹、日活、東宝、新興キネマ、大都映画の五大メジャーが控えており、それに加えてその五大メジャーとの提携会社として東京発声、南旺、宝塚、大宝、興亜の五社を足して十大メジャー日本映画体制で日本映画が作られていたそうだ。つまり、相当の数の日本映画が作られていたわけで、現在の日本映画の盛況ぶり以上の活況といってよいだろう。

 映画というものは、出現当初は大道芸の一種であると認識されていた。しかし、出現から100年の歳月を経て、映画は娯楽だけでなく、広報、教育、宣伝の為の有効な武器として使えるというよにうな認識が一般的になった。まあ、当初はオタクたちのためのツールでしかなかったパソコンが、いまやコミュニケーション・ツールとして、更には政治・経済の為の必要不可欠なツールとして認識されて、それが国家統制の危機にさらされているようなものだろう。

 当然、映画はその当時の国家統制の対象となり、戦時企業統合令によって、大都映画は日活、新興キネマの三社で合併となり「大日本映画製作株式会社」となって消滅する。

『経営破綻で潰れたのではない。あくまでも軍主導の政府の命令によって「潰された」のである』

 まさに、戦前・戦中日本の悲劇を見るようだ。

 で、タイトルで気になった点を一つ。

『大都映画がゆく』は『行く』なのか『逝く』なのか……、多分、両方なのだろうな。

『幻のB級! 大都映画がゆく』(本庄慧一郎著/集英社新書/2009年1月21日刊)残念! Kindle版は出ていません。

2014年8月 6日 (水)

『幕末高校生』タイムスリップ物が陥る予定調和について

 日本人はタイムスリップものが好きなのである。

 何故か? 多分それは「第二次世界大戦あるいは太平洋戦争で負けた」という事実が、日本人の中にはトラウマのように刻み込まれていて、それが「もしかしてあの戦争で負けていなかったら…」というような思いがあるからなのだろうか。

 あるいは、関東から北の会津を含めた奥羽越列藩同盟の恨みが今でもあって、「あの時、徳川方が勝っていたら…」というような思いが今でもあるからなのだろうか。

2映画『幕末高校生』(眉村卓:原案・協力/李闘士男:監督/橋部敦子:脚本/フジテレビ他:製作)

 この『幕末高校生』も、そんな「if」ものの一つとして、徳川が薩摩軍(政府軍)に勝っていたかもしれない、という設定の下、そんな時代の変更をさせてはならないと考える、現代から江戸時代へタイムスリップしてしまった4人の気持ちがベースになっている。

 しかし、なんで「歴史を変えてはいけない」のだろうか。

「正史」とされているものが変わってしまって困るのは、その時の為政者だけであるはずなのになあ。

 しかし、市井の一市民としては、歴史が変わってしまって困る人はいないはずである。何故なら、変わった歴史の中に生きる人は、結局、その変わった歴史の中で生きるしかないわけで、その人自身は、歴史が正史(と後の世界から決められているもの)から変わってしまっていても、そんなことは、その「変わってしまった歴史」の中に生きる人は関係ないわけで、それはそれで新しい「正史」を作ればいいだけの話である。

 ところが、日本のタイムスリップもののなかで、そんな歴史の「変更」を許したものは、太平洋戦争の話で「ミッドウェイ海戦で、もし勝利していたら」というような「if」ストーリーしかないのである。

 例えば、本作『幕末高校生』でも、そのままタイムスリップしてしまった歴史の流れのままに生きていても、別に困ることはなかっただろう。

「正史」の中に登場しない幕府陸軍副総裁の柳田龍三(柄本明)派が、陸軍総裁の勝海舟(玉木宏)に勝って、薩摩と徳川が江戸で全面戦争になり、勝海舟の作戦通り江戸を焦土として戦うことになって、それでも結局、政府軍=薩摩軍の勝利になるだろうから、それこそその戦後には徳川方は皆切腹討死になって全滅。当然、徳川家はすべてお家取り潰しとなり、現在に至る徳川家、松平家の財宝や、全国に散らばる徳川博物館・美術館なんてものはないだろう。

 当然、江戸も「東京」なんてものにはならなく、京都がそのまま日本の首都になっていただろう。

 というか、それこそ日本を二分する戦いの状況に諸外国は介入してきて、アメリカ、オランダ、フランス、イギリスの傀儡政権が日本国中にできたりして、それがいつかは一本化してきて、いずれは中国の植民地になったりして、多少は過酷な思いもするだろうが、それでも庶民は普通に生きていくのである。

 多分、2.26事件とか5.15事件なんてのも起きなかったはずだ。

 日本がファシズムの国になったかどうか……、は分からないな。

 つまり、別に勝海舟が西郷隆盛との会談を成功させようが、させまいが、それは庶民の生活とは関係ないところでおこなわれたものなので、現代からやってきた日本史の先生・川辺未香子(石原さとみ)や、教え子の優秀な沼田愼太郎(千歳雄大)、おバカな森野恵理(川口春奈)や高瀬雅也(柄本時生)にとっても関係ない筈だ。だいたい、彼らが「現代」に戻る必要があるのだろうか。

 まだ、独身の彼らが現代に戻る必要があったとしても、それは過去を語る語り部としてではない。何故なら、彼らは現代に戻ったところで、過去を経験したことは「覚えていない」ことになるというのが「SF」のお約束事なのである。

 さらに、親はいるけれども、妻(夫)や子どももいないのである。じゃあ、誰に対して「現代」に戻る必要があるんだろう。

 だったら幕末にタイムスリップしてしたのだから、それはそれで彼らの運命なんだから、その運命を受け入れて、そのまま幕末で生きることを楽しまなければいけないのではないのではないだろうか。当然、そこには川辺先生だけが知っている「正史」と異なった歴史があるということを知りながらね。それはそれで面白いことかもしれない。勿論、「正史」とは違った世界を生きるのであるから、彼らは別に「予言者」にはなれない。当然、単なる一庶民としてしか生きることはできないであろう。

 それでも、医学部に進学できるだけの知識を持っている沼田愼太郎は、それなりに勉学の道も開けているだろうから、それこそ江戸の碩学になったいたかもしれないし、「カワイイ」知識を旺盛に持っている森野恵理は、江戸で浮世絵師のアドバイザー位にはなれるかもしれない。う~ん、単なるおバカの高瀬雅也はそのまま江戸のおバカかな。川辺先生は、まあその持っている「日本史の知識(しかしそれは「正史」でしかないが)」を使って、まあ勝海舟か、西郷隆盛(佐藤浩市)あたりの側室くらいにはなれるかも知れないな。可愛いし。

 それでいいじゃないか。

 なんで、勝海舟が彼ら「ダメダメな高校生とその先生」のために、危険を冒して西郷隆盛との会見に赴かなければらないのか。

 別に、歴史が変わってしまってはいけないという発想は、単に現代人が自分が戻る場所が無くなってしまうからというだけの理由でしかないのだ。「歴史が変わってしまう」ことで困るのは、川辺先生のような融通のきかないダメ先生のためでしかない。歴史はもっと変わっていいのである。

 明治維新から150年。日本の歴史をもっともっと変えるような意識や観察の変化があってもいい筈だ。沖縄の尖閣列島を巡る日本と中国の争いや、竹島を巡る日本と韓国との争いなども、結局、双方の国の歴史認識の問題でしかない。

 ということは、つまり「尖閣列島は日本のものである」「竹島は日本のものである」といったところで、それは「日本の正史」の記述するところのものでしかないわけで、中国や韓国が主張する彼らの「正史」には違うことが書かれているかもしれないのである。

 つまり、われわれが「正史」だと言われて学校で教わった歴史も、実はその国の長い歴史の中でのフィクションかもしれない、ということに我々は気づくべきなのである。

 歴史は為政者によって、しばしば書き換えられるものである、という事実を我々は知っていればいい。

 なので、タイムスリップものを作る作家、映画監督、プロデューサーも、別に「正史」に拘らず、それぞれ勝手な歴史を作りましょう。歴史学者がなにを言ったっていいじゃないですか。

 予定調和に落ち着くことなく、自分なりの勝手な歴史を作ることも面白いと思いますよ……、と言っておこう。

渡し自身は不勉強にして未読だが、この『思いあがりの夏』に収録されている『名残の雪』が原作だそうだ。

2014年8月 5日 (火)

Fitbit weekly progress report from July 28 to Aug.3

 Fitbitから先週のスタッツが来た。

 週トータルで72,598歩、50.82km歩いた。合計カロリー消費量は17,344Kcal、体重は0.3kg減。現在はあ83.4kgで、ここ一カ月で1.7kg減。

 最も活動的だった日は7月28日で、14,815歩、10.37km歩いた。船橋市の海神辺りを歩いた日で、カロリー消費量は2,728Kcal。

 最も非活動的だった日は8月1日。6,110歩、4.28kmしか歩いていない。練馬のもといた家にちょっと用事があって行った日だ。

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『起業すると月曜日が楽しくなる!』という正直本

 栢氏は友人や知人と晩ご飯を食べるときは、ほぼ必ずお酒を飲むそうだ。しかし、さらにお酒を勧めてくれる友人に

「この後、仕事をするから、そろそろ水にするよ」

 と言って、友人からビックリされ、同情されるそうだ。

 しかし、

『仕事に追い込まれて仕方なく夜も働くわけではなく、純粋に楽しいから仕事をしたいと思っているからです。大変でもなんでもありません。起業したおかげで、わたしはゲームや麻雀、健康、という自分の「好きなことだけ」を仕事のテーマにできています。だから一日の締めくくりに、お酒を飲んで気分も高まった時も、楽しみである仕事をしてから眠りたいのです』

 ということが事実なのだそうだ。

Photo『起業すると月曜日が楽しくなる 「好き」で会社を作る』(栢孝文著/ゴマブックス/2014年6月14日刊)

 栢氏は㈱シグナルトークというオンライン麻雀「Maru-Jan」他、パソコンソフトなどの開発・運営をしている会社を経営している。資本金1000万円、従業員数33名。2002年にアメリカで法人登記(同時に日本支社設立)。まだまだ若く、小さくて、社長がというか、社員一人ひとりが全体を見通すことができる企業である。

 なので

『2週間に一度、社員全体での経営会議を開いています。普通の会社は幹部だけで会議をし、そこでの決定事項を社内に通達するのだと思いますが、弊社は違います。一人ひとりが経営方針や会社の運営について関わりをもつスタイルです』

 ということも可能だし、

『風邪防止の観点から、一日一本、好きな野菜ジュースを飲めるようにしました。気休めかも知れませんし、このために年間何十万円かの予算が必要になりますが、喜んでくれているスタッフは多数います』

『月間売上げが前年比の10%増を達成できたら、次の月に1日休める制度をつくりました。ボーナスが増えるといった収入面でのプラスももちろんありますが、家族とすごしたり好きに時間を使ったりできることは、お金以上の価値があると思います』

『通常の会社では、一般的には副業が禁止されています。おそらく、本業に差し障るといけないという理由からだと思います。しかしシグナルトークでは、申告さえすれば副業をすることが可能です。というのも、副業で培った技術が、本業で役立つことがあるからです。本業に差し障るどころか、仕事の質を高めてくれるのなら歓迎します』

『毎週月曜日は、自分が提案する新規事業に取り組む日です。
 弊社では社員一人ひとりにどんどん新規事業を提案してもらい、プレゼンによって賛同者を得た場合にはプロジェクトとして動き出します。どの程度の人を集められるかによって、3人のグループもあれば10人のグループもあるといったように、規模には差があります。
 社内で立ち上げる新規事業といっても、別に本業とのシナジーが求められるわけではありません。公序良俗に反しなければ何をやっても構わないので、ゲーム会社ではありますが、バーの立ち上げなどまったく関係ない事業も動いています』

『利益は株主にではなく、できるだけ社員に還元したい。その想いを形にするため、利益の50%を賞与として分配することにしています。これも上場していないからこそできる、社員への成功報酬です。
 分配の率は、社員全体の年4回の相互評価による投票で決定します。まず3ヶ月の間に自分がどれだけの仕事をしたかを、メールで全員にアピールします。それを参考にしながら投票するのですが、自分以外の人に対する相互評価をおこないます』

『有給取得奨励日を設けています。
 年末年始やゴールデンウィーク、連休の前後を奨励日としています。その日を休めば、まとまった休暇になるような日です。そして、回覧をまわしてその日に丸をつけるだけで、休暇取得が許可されるようにしてあります』

『シグナルトークでは、社内のメールがすべて可視化されて情報共有ができるようになっています。給与以外の情報であれば、本日の売上げ、決算書、制作物など、すべてを見ることができます』

 などなどという事柄が可能なのだ。

 しかし、それも少数精鋭の会社ならではのこと。これが社員数が数百人、数千人、数万人になってしまえば、そんな直接民主制みたいな経営はできなくなるのだろう。

 まあ、いってみれば「会社ごっこ」みたいなものである。

 であるからこそ『起業すると、月曜日が楽しくなる』である。

「ああ、明日は月曜日か」

 なんて憂鬱な気分になったり、「サザエさん」や「笑点」のテーマソングが聞こえてくると、とたんに焦ってみたりなんてことはないのだろうな。

 そんな意味では、起業して最初の峠を乗り越えた時の企業の気分なんてそんなものだろう。まあ、一番いい時。

 それが過ぎると、またちょっと厳しい時代になって、ちょっと憂鬱になったりして、「サラリーマンやってたら、こんな苦労をしなくてもよかったんだよなあ」なんて反省してみたりしてね。

 結局、人間なんてそんな繰り返しをしながら歳を取っていくんだろうな。

 あ、それと栢氏の正直なところ。

『わたしにとって初めての書籍になるこの本を出すにあたり、ライターの尾崎久美さんのお力がなければ、この書籍は完成しませんでした。的確なライティングありがとうございます』

 と、ゴーストライター(実際に書いてしまっては「ゴースト」ではないが)の存在をあらかじめ言ってしまっている著者はあまりいない。

 まあ、栢氏は正直な人なんだろうな。

『起業すると月曜日が楽しくなる 「好き」で会社を作る』(栢孝文著/ゴマブックス/2014年6月14日刊)紙版も出ているが、ちょっと高い。

2014年8月 4日 (月)

長岡まつりの牛の角突き

 毎年、8月の最初の日曜日は「長岡まつり」が行われる。

 で、その長岡まつりに合わせて山古志闘牛場では牛の角突きが行われる。題して「長岡まつり闘牛大会」なのだが、実は別に長岡まつりと闘牛は関係ない。というか、むしろ長岡まつりの方に人を取られてしまい、こちらの闘牛の方は普段の闘牛よりも若干人出が少ないくらいだ。

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 が、まあそれにしても「田舎の夏」を感じさせる風景の中での闘牛と言うのも悪くはない。なんか田舎の夏祭りという感じだ。

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 牛も本来は寒い方が好きらしく、この暑さの中では闘志もわかない牛もいるようで、立ち合い一番で戦意喪失なんていう牛もいたりする。

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 とは言うものの、「山古志牛の角突きブログ」の中の人「あっちゃん」(本当は長岡市のお役人らしい)の名調子も健在。何しろこの人、勢子として牛の綱取りをしつつアナウンスもしてしまうという、まるでドリキン土屋圭一みたいな人(あっ、土屋圭一を知らない人はググッてみてください。要は、自分でレースをしながらレースの実況をやってしまったレーサーだったんです)。

 小千谷闘牛の小千谷弁丸出しの老アナウンサーもいいけれど、この「あっちゃん」の名調子も、聞いているといいですよ。

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 この日は、ミラ・マルティネッツ駐日クロアチア大使(左の金髪の人)や、「山古志応援団」らしいです有森裕子さんなんかも観戦していて、なんか華やいだ雰囲気もあったりします。

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 ということで、「山古志産和牛の串焼き」何かを頬張りながら、牛と牛の闘いを見るってのもオツなもんじゃないですか。

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 とは言いながらも、牛同士は真剣勝負。

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 1トンを超す牛を最後は引き離す勢子も大変。

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 てなことで、長岡まつり花火大会へのお客さんを気にして、普段より若干早めに終わった「山古志牛の角突き」会場を後にするのでありました。

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm/55-300mm @Yamakoshi, Nagaoka (c)tsunoken

2014年8月 3日 (日)

八百屋お七の墓・考

 文京区白山1-34-6に天台宗南縁山正徳院圓乗寺というお寺がある。都営三田線白山駅のそばにある。

 よくいわれる「八百屋お七の墓」があるお寺として有名なお寺である。

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 門前には「南無八百屋於七地蔵尊」なんてものが祀られているが、何を守っているお地蔵さんなのかはわからない。

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 で、お七の生家は駒込片町(現在の文京区西方あたりか)の八百屋であったという。白山上には「駒込土物店」があり、江戸でも有数の野菜市場だったということからも、それは頷ける。天和2年(1683年)近くの大円寺出火でお七の家が焼け菩提寺の円乗寺に避難したという。西方から白山下は近いから、それも頷ける。

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 そこで出会ったのが寺小姓・佐兵衛だったそうな。そこで美少年・佐兵衛と出会ったのが百年目、お七は佐兵衛に恋をしてしまい、一度は再建された家に戻ったが、佐兵衛に会いたい一心で、付け火をしてしまう。

 まあ、今なら別の方法で会う算段をしたのだろうが、昔の深窓のご令嬢ではそれもいかず、思わず「前にも火事で会えたのだから」という一心で、放火をしてしまったんだろうな。

 現代でも放火はかなり重い罪になるが、当時は当然「火あぶり」の刑になり、天和3年、お七は品川鈴ヶ森の刑場で火あぶりとなったという。事実、鈴ヶ森刑場に近い真言宗寺院・密巖院には、刑死したお七が埋葬されたという伝承があるそうだ。

 しかし、何故、鈴ヶ森だったんだろう。もっと近い、南千住の小塚原刑場で裁きにあったはずなのにという疑問が湧く。

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 まあ、いずれにせよ白山園乗寺には正確に言うと「お七の墓」はないはずだ。

 だって、「火あぶりの刑」に処せられた犯罪人に墓なんてものは、昔はなかったはずだ。それはお上に対する批判ということになってしまうからね。

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 で、「八百屋お七の墓」として圓乗寺にある墓石は三つあるのだが、一番左は天和3年3月29日に亡くなった法名妙栄禅尼の墓であるし、右は後にお七役を演じた歌舞伎役者の五代目岩井半四郎が供えた墓である。

 たまたま、近い時期に亡くなってしまった人が、八百屋お七ということにされて、祀られてしまったというちょっと残念な事実がある。

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 真ん中にある墓石だけが、それらしいのだけれども、それは寺の住職が供養のために建てたものらしく、結局、白山圓乗寺はお七の実家の菩提寺ではあったけれども、お七の墓そのものはない、というのが結論のようだ。

 江戸時代という「近代」であっても、まだまだ分からなくなってしまっている事実は沢山あるという事情のひとつなのかもしれない。

 特に、武士階級ではない庶民の歴史は、まだまだわかっていないことが多いようである。

アニメーション『SHORT PEACE』のBDとDVD版。「八百屋お七」と落語「火事息子」を元ネタしした、大友克洋氏の『火要鎮(ひのようじん)』を収録。

2014年8月 2日 (土)

大都映画巣鴨撮影所

 ある日、巣鴨地蔵通りを歩いていたら発見したこの案内板。

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「大都映画撮影所跡」という案内板を見て、当然、「えっ? 巣鴨に撮影所なんてあったの?」という疑問が当然湧く。

 都内の撮影所と言えば松竹の蒲田撮影所が有名で、以前(2011年8月8日)にも書いたが、こちらはそれと同時期にあった撮影所である。

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 大都映画というのは、1933年(昭和8年)に土建業界の実力者・河合徳三郎が経営していた河合映画製作所を発展的に拡大、解消して大都映画として創立された。

 製作・配給・興行を一貫して進める営業方針で、大都映画設立第1作「新籠の島」も、直営館「河合キネマ」ほかで公開したという記録が残っている。

 大都映画の製作方針は、完全に娯楽に徹することであって、当時から「低級」「下劣」などの評価がメジャー各社や評論家からなされていたが、観衆からは圧倒的に支持されて、最後まで一度も経営危機には陥らなかったという。

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 元大都映画巣鴨撮影所の跡地には、巣鴨撮影所の平面図なんかが設置されているのだが、昭和初期の映画である、当然、撮影部や俳優部、演出部やスタジオ、現像所などの施設はあるのだが、録音スタジオやダビング・ステージというのはない。当たり前ですね、当時は映画はサイレントだったのだから。

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 で、その大都映画は1942年(昭和17年)に戦時統合により、新興キネマ、日活の製作部門と合併して「大日本映画製作」(戦後の大映、現在の角川映画)となり、その歴史を閉じたという。

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 大映となった後は、巣鴨撮影所は閉鎖となり、かつて日本最大の映画量産地だった巣鴨から映画製作の火は消えてしまったようだ。

 で、撮影所跡は豊島区立朝日中学校となり、同校も2001年(平成13年)に廃校となり、現在は「にしすがも創造舎(Nishi-sugamo Arts Factry)」として、芝居をメインとした芸術創造の場所になっている。

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 校舎はほとんど残して、教室を芝居の稽古場として貸し出したり、映画などの撮影場所として使用したり。

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 体育館を芝居小屋として使ったりしている。

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 この日は、ちょうど芝居の小道具を準備するスタッフが来ていて、次の日からの地方公演に備えて、なんとなくゆったりとそれらのチェックをしているところに出会った。

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 元撮影所が、その後、中学校を経て、今また芝居のための場所になっているというのも素敵じゃないか。

 場所・お問い合わせはコチラ

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105 @Nishi-Sugamo (c)tsunoken

2014年8月 1日 (金)

『新世代努力論』ではあるが、そこには「無駄な努力」と「意味ある努力」があるんだがなあ

 イケダハヤト氏は「あとがき」に書く。

『本書では、ハチロク世代のど真ん中のぼくの価値感と考えを、素のまま書きました。
 冒頭にも触れましたが、これからを生きていくためには、昔の時代に当たり前だった価値観を、大幅にアップデートしていかなければなりません。
 現代日本は経済成長を前提にOS(オペレーティング・システミ)が作られており、今日の政治活動もそれを維持しようと躍起になっているように見えます。でも、現実的に考えてみれば経済は縮小していくわけです。悪あがきせず、OSレベルで新しい仕組みを考え直さないといけません。
 この考えが、世代特有のものかどうかはわかりません。が、長く、将来の日本を生きる者として、少なくとも自分が信じている考えを提言していくことに意味があると思っているのです。「年金暮らし」が幻想として消え、生涯働き続けるしかないのは、いま政治や経済を動かしている「恵まれた世代」ではなく、ぼくたちなんですから』

 と、しかし、イケダ氏がこう書かなければならないほど、実はイケダ氏ら「ハチロク世代」でも、まだまだ旧世代の価値感で生きている人がいるっていうことなんだなあ。

Photo『新世代努力論 「恵まれた世代」は判ってない。これがぼくらの価値感(生き方)だ。』(イケダハヤト著/朝日新聞出版/2014年7月30日刊)

 で、イケダ氏言うところの「ハチロク世代」って何だ?

 四年制大学をストレートで卒業し、2009年度に新卒入学してきた彼らは、1986年生まれ。つまり、それは私たち1950年代生まれとは縁もゆかりもない感覚を持っているし、現在、世の中を動かしているバブル世代ともまったく異なった価値観を持った世代ということなのだろう。

 ITがらみの進行で言ってしまうと、1986年にはマイクロソフトの日本法人が設立され、東芝から後のダイナブックに発展する世界初のラップトップパソコン「J-3100」が発売され、翌1987年にはパソコン通信NIFTY-Serve」がスタート。

 小学校に入学した1993年にはWebブラウザ「 Mosaic」が公開され、小学校3年生の1995年には「Windows95」が発売され、翌年には「Yahoo! Japan」がスタートして「インターネット」が本格的に開かれた。

 1999年に中学に入学した時を同じくして、NTTドコモの「iモード」がスタートしたということは、彼らの世代にとっては「メール」というのは「ケータイ・メール」であるということであり、PCメールのことではない。勿論、「メール」というのは「eメール」じゃないのだ。もう、この時代には「中学生がケータイを持つ」ということが普通になりつつあった時代なんだな。

 大学生になると、いわゆる「Web2.0」の時代になり、SNSを使うのは当たり前となり、その後、「バカな写真をツイッターにアップして、社会的制裁を受ける若者」が当たり前に登場するようになる訳だ。

 経済的には、彼らは小学校に入学する以前にバブルが崩壊して、その後、日本経済は「失われた20年」に突入し、イケダハヤト氏が言うように、『「努力すれば報われる」という妄想はやめにしましょう。そんな甘い考えが許されるほど、日本はもう豊かではありません』という悲観論が蔓延する状態になっており、その出口はいまだに見当たらない状態になっている。

 それでもイケダ氏は、小学校の頃の担任の先生から「イケダは文章がうまいね」と認められ、中学校の入学祝として親にパソコンを買い与えられてウェブ運営にハマり、そこでフリーライターとして経験をつむことができた。それが現在の「プロブロガー・イケダハヤト」につながるわけなのである。

『①小学校の頃の先生から「イケダは文章がうまいね」という「承認」があったこと
 ②中学校時代にパソコンを買い与えられて、世界に文章を発信する「環境」があったこと』

 このふたつの要因があったという「幸運」が今のイケダ氏の登場の要因なのだとしても、じゃあイケダ氏は毎日2万字の文章を書くことには努力はしていないのだろうか?

 勿論、努力をしたって夢が叶うということは保証はされていない。しかし、夢を叶えるためには努力は必要なことなのである。

『「努力すれば夢は叶う」という標語は嘘ですし、それは自他を苦しめる呪詛です。しかし、「夢を叶えたければ、努力しなければいけない」という標語は、99%程度、真実だといってよいでしょう。努力は十分条件ではなく、必要条件だということです』

 とイケダ氏が書くように「成功に向けて努力をする」ということは、今の時代でも求められることではある。勿論、だからといって「努力をすれば必ず成功する」ということは誰も保証してくれはしないし、「努力をして運が良ければ成功する」「努力をしても運が悪ければ成功しない」というのが現実である。さらに言ってしまうと「努力」にも「無駄な努力」と「意味のある努力」がある。はじめから自分の能力を超えてしまうような努力をしても無駄である。自分の能力の限界をわきまえて努力をすれば、「かなりの確率で努力は実る」し、自分の能力の限界もわきまえずに努力すれば、「その努力は無駄な努力となってしまい、挫折するだけである」ということになる。

 つまり、努力するためには自分の能力がどれ程のものであるかを自覚しなければならないし、どこかで能力の限界を超えるかもしれないという場合には、その結果として受け止めなければならない「失敗」についても自覚的にならなければならない、ということなのである。

 イケダ氏はそんなときにも「努力は無駄」と言い切るのであろうか。

 周囲の人間も、今努力をしている人に対して、「努力をしているのだから、取り敢えず応援をしてあげよう」というだけの単純な考え方であってはまずいのではないだろうか。他人が見ればけっこう客観的にモノを見られるのである。そこで、その人の努力は「無駄な努力」なのか「意味のある努力」なのかを見極めて、アドバイスしてあげれば、その人はその人なりの努力で自分でも多少は満足できる結果を受け取ることはできるはずである。

 世代論というのは基本的に意味がないと私は考える。そんな「輪切りに世代を切ったからと言っても何も見えてこない」のであって、同じ世代であっても「人によってすべての存在のあり方は異なる」のである。

 なので、イケダ氏は単純に「努力は悪」とは言い切らないで、「無駄な努力」と「意味のある努力」を切り分けて、いかにして「無駄な努力」をしないですむのかという方法論を提案すべきではないだろうかと、考えるのだが。如何?

『新世代努力論 「恵まれた世代」は判ってない。これがぼくらの価値感(生き方)だ。』(イケダハヤト著/朝日新聞出版/2014年7月30日刊)

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