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« 『みんなで変える 日本の新卒採用・就職』なんだけれども、変えようが、変えまいが、基本的には同じなんだよな | トップページ | 7月最後の日曜日は「イベント日」(?) »

2014年7月27日 (日)

「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」というけれど

「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」という古川柳で知られる「かねやす」は現在も本郷三丁目の角に存在する。「かねやす」という洋品屋さんと「かねやすビル」という貸しビルである。

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 初代・兼康祐悦は京都で口中医(歯医者)を開業していたが、徳川家康が江戸入府した折に、江戸に移住し口中医をやっていたそうだ。

 元禄年間に、歯磨き粉である「乳香粉」を製造販売したところ、大いに人気を呼び、それをきっかけに小間物屋「兼康」を開業した。後に芝で同じく「兼康」開業した弟と元祖争いが起こり、裁判となったが、それを裁いた江戸町奉行・大岡越前が芝を「兼康」、本郷を「かねやす」とせよという裁定をくだし、本郷は「かねやす」となったのである。

 で、何で「かねやすまでは 江戸のうち」になったのかというと、江戸の華である大火事が享保15年にあった際に、その後の復興に際し、大岡越前は本郷の「かねやす」があったあたりから南側、つまり江戸城のあった側の建物には塗屋・土蔵造りを奨励し、屋根は茅葺きを禁じ、瓦で葺くことを許可したので、なんとなく「かねやす」が江戸の北限として認識されるようになったということである。

 じゃあ、本当に江戸は「かねやす」までなのか、というとそういうことでもない。

 大火の後、1818年(文政元年)に江戸の範囲を示す「朱引」というものが定められたが、その定めによって作られた「旧江戸朱引内図」によると「かねやす」よりもかなり北の方に引かれているそうだ。

 その範囲は現在の行政区画では以下の通り。

・ほぼ全域が朱引に収まっている区
 千代田区・中央区・港区・文京区・台東区

・区内に境界線がある区
 ・江東区(亀戸まで)
 ・墨田区(木下、墨田村まで)
 ・荒川区(千住まで)
 ・北区(滝野川村まで)
 ・豊島区、板橋区(板橋村まで)
 ・渋谷区(代々木村まで)
 ・新宿区(角筈村、戸塚村まで)
 ・品川区(南品川宿まで)

 現在の地図に合わせるとこんな感じになる。

Edonohanni

 さすがに人口100万人を超える世界有数の都市だけあって、結構広い地域が「江戸府内」だったことがよくわかる。

 本当は「本郷も かねやすまでが 江戸のうち」じゃなかったのでありました。

RICHO GRDⅢ @Hongo (c)tsunoken

 

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