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2014年7月20日 (日)

『革命の子どもたち』はなかなか「母娘」の関係を考えさせられる映画だ

 日本赤軍の重信房子に娘がいるのは知っていたが、バーダー・マインホフ・グループ(後のドイツ赤軍)のリーダーの一人、ウルリケ・マインホフにも娘がいたのは知らなかった。

 これは、ふたりの女性革命家とその娘のドキュメンタリー。

Photo『革命の子どもたち(Children fo Revolution)』(シェーン・オサリバン:監督・プロデューサー/トランスミッション・フィルムズ/2011年作品)

 ウルリケ・マインホフは1934年生まれ、一方の重信房子は1945年生まれと11歳の違いがある。その結果、ウルリケ・マインホフの娘、ベティーナ・ロールは1962年生まれ、重信房子の娘、重信メイは1973年生まれという、決定的な違いがそこに生まれる。

 つまり、1968年という日本、ドイツのふたつの革命運動において共に重要な年に、ベティ-ナ・ロールは既に6歳、重信メイはまだ生まれていなかったということ。まあ、当たり前だよね。重信房子はまだ明治大の学生だったんだから。

 更に、ウルリケ・マインホフは革命のために娘を捨て、1967年には離婚をしており、その後、娘は父親に育てられたということ。一方、重信メイは、やはり母親とは別れて暮らすようになるが、たまには電話などで連絡を取り合ったり、世間の目を避けて会ったりはしていたようだ。つまり、会えなくなっても母娘の関係は続いていたってこと。この辺が、ドイツ人と日本人の感性の違いなのかもしれない。

 その辺の微妙な違いが、ベティーナ・ロールと重信メイにおける母親の活動への評価に関する、それこそ微妙な違いとなって表れてきているようだ。

 例えば、ベティーナ・ロールが語る母。『共産党員になって以来、母はドイツ赤軍時代から死ぬまで厳格な共産主義者だった』『テロリストはヘロイン中毒に似ている。普通の人が理解できない人格の変化があるの。ウルリケが同じ人間だったと言うのは間違いよ』と、ちょっと母親に対しては少し離れた立場から批判的に見る。

 一方、重信メイは『母の信念をサポートすることで、母を助けることができる。中東やパレスチナのことが広く伝えられたら、母の闘いが無駄ではなかったことを示すことができる。……最も難しかったことは母から独立し、彼らの信念や過去に行った事から独立した、私自身のアイデンティティーを確立することだった』と、まだ母親が生きているからかも知れないが、どうやったら母親をサポートできるのか、という視点。

 とは言うものの、ベティーナ・ロールも自分に子どもが出来て、それを見ていると何となく母親の考えてきたことがわかるというような部分があって、なんかホッとされる部分もある。

 それにしても、面白いのは2011年にこの映画が完成し、同志社大学で映画の試写を行ったとき、映画をみた学生から『映画を見るまでは重信房子は大悪人だと思っていたけれど、彼女の話や人生が本当に面白くて、重信房子に対するイメージが変わった』という感想や、彼女たちが『悪名高きテロリスト』と呼ばれていたということが、如何にマスコミが作り上げた虚像であったのかということがよくわかる。

 実際、ウルリケ・マインホフにしろ、重信房子にしろ、当時のドイツ、日本ではごく普通の家に生まれ育ち、ごく普通の教育を受けてきた人たちだ。近い世代の私たちも、別に彼女たちが特別な存在だとは思っていなかったし、ちょっと少し前に行っていたら、私も重信房子や奥平剛士になっていたかも知れなかったという、喫水線にいた人間たちだ。そんなところから、私は別に共産同赤軍派には所属していなかったけれども、赤軍派がよど号ハイジャックを起こしたり、リッダ空港襲撃事件を起こしたりした時には、う~ん、何か先を越されたなあ的な感想を持ったりしていたのである。

 なので、私たちが重信房子に持っていた印象としては、「へえ、けっこう美人の革命家ってのがいるし、それがアラブに行っちゃたの? すげえな」的なものであり、別に彼女が世紀のテロリストっていう感じはなかった。

 更に言ってしまうと、若松プロダクションが作った『赤軍-PFLP 世界戦争宣言』(tsunokenの昔の映画評に掲載)という映画を見てしまうと、まだ重信メイを生む前の重信房子が出てきて、まあ結構よさげに見える女性なんですね(美人とか、いい女というレベルではないが)。

 つまり、別に普通の女の人がたまたま革命家になっちゃって、たまたまアラブに行っちゃってテロリスト呼ばわりされちゃって、結果、日本に帰れなくなっちゃって、というレベルの理解しか、当時、高校生や学生だった我々にはないってこと。

 2000年に大阪で逮捕されて、東京に新幹線で移送されて東京駅で親指を立てて自らの健全を表現する重信房子は、結構カッコよかったし、なんか昔よりも綺麗になったみたいだった。

 ということで2030年には重信房子は遅くとも刑期満了で出所するはずである。その時、重信房子85歳、重信メイ57歳。どんなバアさんたちになっているんだろう。それが大いなる期待だ。

 最後に映画の最後の方のシーンで重信メイが語った言葉を載せておく。

『30年40年前は作戦を実行し、メディアの注目を得るのが唯一の手段で、自分たちの声明文を出し、なぜことような計画をやっているか問題提起をしていました。でも、今はメディアに注目されるには数多くの方法がある。インターネットで情報や自身の考え方をばらまくことができます。海外の人たちへ伝えられるチャンスがあり、正義のために戦う別の方法があるのです』

 だから、インターネットがなかった時代は、実際に事件を起こすしかなかったというのだろうか。

映画『革命の子どもたち』の公式サイトはコチラ

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