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2014年7月16日 (水)

『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』といっても、その「気持ち悪さ」がわからない

『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』という設問は私にはよくわからない。

 何故なら、Twitter、Facebook、LINEなどのいわゆるSNSは短文や写真やスタンプだけのコミュニケーションでしょ。そんなもので自分の言いたいことが伝わる訳がないというのが私の考え方だ。そんな断片的な表現で自分のメッセージが伝わると考えること自体が、自らのメディアに関するリテラシーの低さを表しているだけであり、その程度のコミュニケーションで、というかその程度のコミュニケーションだからこそ、そんなコミュケーションに対して「SNS疲れ」とか「SNSうつ」になってしまったりするというのは、まさしくその程度のコミュニケーションで他人と繋がっていると勘違いしてしまったゆえの、浅はかな考え方というものに違いないと考えるからなのだ。

 勿論、このブログだってコメントを付けられたり、トラックバックを付けられたりできる<双方向コミュニケーション>ということなのだから一種のSNSである。しかし、上に上げた3つのSNSとブログの大きな違いは、上のSNSが単にフローだけのコミュニケーションであるのに比較して、ブログはストック型のどちらかというと書籍に近いコミュニケーション手段だということだ。Twitter、Facebook、LINEは時間と共に流されていくメディアではあるけれども、ブログはいつまでたっても昔のブログに戻って読むことかできるという大きな違いがある。私のブログだって、結構昔に書いた文章にコメントが付いて来たりして、書いた私自身が「そんなこと書いたかなあ」なんて温故知新的に懐かしくなったり、でもその昔に書いたブログの内容に今の自分でも納得できたりして、「いやあ、私も間違ったことは書いてこなかったな」と安心できたりする。

 つまり、書き手としての責任はブログの方がよっぽど大きいし、昔書いたブログに関して炎上したりする可能性もあって、書き手としてはその辺まで気にして書かなければならないという前提がある。つまり、脊髄反応的にブログを書いちゃいかんということなのだ。これを書いたら読者はどんな反応をするだろうか、ということを想定しながら書かなければいけないのがブログ。ところがTwitter、Facebook、LINEだってそれは同じはずなのに、そうはなっていないということは、それは単なる書き手のリテラシーの低さに一番の原因を求めるべきだし、そんなSNSのやりとりに無駄に意識を使って、そのために疲れててしまうくらいならSNSを辞めればいいのに、それを辞められないというのは、やっぱりその辞められない人のメディア・リテラシーの低さということにして、コトを収めるしかないんじゃないかと考えるのだが、如何?

Photo_2『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』(香山リカ著/朝日新書/2014年6月30日刊)

 とは言っても、そうはいかないんじゃないかというのが(リカちゃん人形:と言っても最早オバサンですけどね)香山リカ氏の今回の言説である。

 結論的なことをまず言ってしまうと

『自分さがしにしても新型うつにしても、背景にあるのは個人主義が行きついた先の社会なのかもしれない。2010年にはほかにも、年金ほしさに行方知れずの高齢の親を「生きている」ことにし続ける息子や娘、また幼いわが子を放置して遊びに出かけ、死に至らしめた若い親の問題がクローズアップされた。
 これらも、ベースにあるのは「私のことが問題。ほかの人がどうなろうと、知ったことではない」というウルトラ個人主義だ。
 しかし、グローバル化した社会では、このウルトラ個人主義は必ずしも否定されたり嘆き悲しまれたりしていたわけではなかった。
 たとえば、あのホリエモンこと堀江貴文氏に代表されるIT長者と言われる人たちはみな「組織のために」と自分を押し殺すようなタイプではない。自分自身の業績を堂々と誇り、所属する企業や出身大学の名前によってではなくて、個人の名前で世に打って出ている。
 なぜ、個人で勝負しているのか。
 その理由のひとつは、やはりグローバル化のなかで「勝ち組」になるためだ。「グローバル」とは言うものの、そこにはかつての冷戦時代のような「大きな物語」は生み出されていない。インターネットが実現するフラット化された世界で生き延びていくためには、顔の見えない企業や組織の一員のままではダメなのだ。
 権力の中枢がどこにあるかもわからないカオスのようなグローバル化社会のなかでは、ひとりひとりが「オレは何々」と名前を名乗り、自分のキャラクターを明確にして、それで勝負していくしかない』

 いささか長い引用にになってしまったが、本書の結論は、本書の真ん中辺にかかれたこの一文にあらわれている。

 つまり、ホリエモンみたいな数少ない「勝ち組」の周辺にはまさしく死屍累々といってもいいような「負け組」の死体が転がっている訳ですね。

 その負け組の代表者が、今の多くの大学生のような、SNSが自分のコミュニケーション・ツールとして一番適していると考えて始めたはいいが、結局、その結果自らのコミュニケーション能力の低さに気づいてしまい、相手からのリプライに対して過剰なまでの対応をしなければならないと考えてしまい、それに困ってしまっている人たちや、自分の書いたFacebookに「いいね!」を付けられたことによってそれを更によくしなければと呻吟する人たちや、『既成のマスコミ報道がすべてウソで、ネット情報は真実』と考えている「ネトウヨ」諸君や、SNS疲れで「うつ」になってしまったり、出社拒否や登校拒否になってしまったりする人が出てきたりしてる訳だ。

 なんか、ネットというのは人と人がつながるツールだと思っている人がこんなに多いのか、というのが私なんかの旧世代の人間の思いである。

 ネットはコミュニケーション・ツールではあるけれども、だからといってそれは人と人の関係を決めるツールでもないし、人と人の出会いを演出するツールであることなどはまったくない。人と人の関係を作ったり、人と人の出会いを演出するのは、間違いなくその「人と人」でしかないのだ。その辺を、ネットで他人と繋がることで何となくその相手と自分がつながっていると誤解してしまっているのが、現在の「SNSうつ」なんかの原因なんじゃないだろうか。

 香山氏は精神科医としての立場からそうした「現代病」に向き合おうとしているのだが、私なんかは、そんな情弱は勝手にほっぽときゃいいじゃないかよ、と考えてしまうのだ。

 ネトウヨだって、別にその結果として彼らが自衛隊に大量入隊したという話はまったく聞かないし、結局、自らは安全な場所に置いて単なる排外主義的な言辞を吐いているにすぎないのだ。

 ということなので、香山リカ氏がいう『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』というのは、わからないでもないが、べつにそれがどうしたっていうねん? というところであります。

 ダメになる奴は、結局、ダメになるだけですよ。立ち直る奴は、ちゃんと立ち直る、というだけの話。

 というのが精神科医じゃなくて、単なるブロガーの感想ですね。

『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』(香山リカ著/朝日新書/2014年6月30日刊)

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