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2014年7月11日 (金)

『敗北のない競技』というのは一種の考え方

『サイクルロードレースは残酷な競技だ。200人が走り、ひとりだけが勝つ。
 99.5%の確率で負ける競技――。
 僕はそれが嫌だった。0.5%に入りたかった。それが8年前の僕だ。

 しかし、今は違う。僕は8年かけて理解した。
 3週間かけて3000km以上を共に走ったプロトンの全員が勝者だということを。

 敗北のない競技(レース)。
 それがロードレースだった』

 自伝の中で結論的に述べられる本書の大きなテーマ。

Photo『敗北のない競技 僕の見たサイクルロードレース』(土井雪広著/東京書籍/2014年4月18日刊)

 土井雪広は現在開催中のツール・ド・フランスには残念ながら選ばれていないが、ヴェルタ・ア・エスパーニャには2011年、2012年と2年連続で完走。三大ツールと呼ばれている、ツール・ド・フランス、ジロ・ディ・イタリア、ヴェルタ・ア・エスパーニャの一つでも出ていればそれこそ国に帰れば尊敬の念で見られるレースに2年連続で完走したのである。

 1995年にジロ、1996年にツールに出場した今中大介(両方とも14ステージでリタイヤ)の時代から比較すると、新城幸也、別部史之という二人の選手が当然のようにツールに出場、完走したり、二人して敢闘賞を取ったり、今や新城なんかは今年で5回目のツール出場を果たし、多分、今年はどこかでステージ優勝を狙うだろうなという、最早ツールの顔になってしまったり、なんていう今の時代はまさに今中の時代からすると、隔世の感ありというところなのだが。しかし、それはあくまでも「イマナカ」「ベップ」「アラシロ」「ドイ」という個人名で呼ばれるだけであり「日本人選手」という一括りの中で呼ばれるわけではない。「イタリア選手」「フランス選手」「ドイツ選手」「スペイン選手」「オランダ選手」などは当然いて当たり前という感じで見られているのに比較して、「日本人選手」という括りはなく、あくまでもそれは「個人の頑張り」でしかないわけだ。

 当然、走っている選手個人は「自分は日本人だから」という意識なんかはなくて、単にプロトンの中の一人として走っているだけだから、別に関係ないのだけれども、しかし、それは当然、彼らを受け入れるヨーロッパのチーム側としては「日本人を受け入れる」という意識ではなくて、「ドイ」を、あるいは「アラシロ」を受け入れているだけである。あくまでも個人の頑張りだけに頼ったヨーロッパ・チーム入りでしかなく、日本が国としてサイクルロードレース選手をヨーロッパに送り出しているわけではない。

 確かに、日本にはいまだにサイクリングをスポーツとして見る文化は育っていないようなわけで……

『年越しは、いつも山形の実家だ。中高時代の友達と鍋を囲むのが楽しみだったが、地元では誰もロードレースのことを知らないから、かえって気楽だった。
「土井ちょは、まだ競輪やってるの?」ある友達が言った』

 という程度の理解でしかない。

 まあ、ギャンブル・レースである競輪というものがある以上、それとは一線を画したスポーツとしてのロードレースがあるんだということは、正直、なかなか理解できないことではあるのだろう。トラックレースであっても中野浩一という競輪選手が世界選手権スプリントで1977年から10年間優勝し続けて、ヨーロッパに行けば中野浩一はヒーローなんだけれども、日本では単なるハゲのオジサン扱いってのも、日本自転車競技連盟とか会長の橋本聖子氏たちの広報不足というか、広報下手っていうのにも問題がありそうだ。

 でも、土井選手にしてみれば、そんな日本の環境からは飛び出してヨーロッパの「普通の自転車選手」になってしまったわけであるから、逆に日本の自転車環境からは関係なく、むしろヨーロッパ基準の自転車環境になったわけだ。

 それがドーピング問題。

『誤解を恐れずに言ってしまえば、ドーピングという手段があることは、プロトンでは一種の常識にすらなっている。僕は「これは100%ドーピングだ」という現場に出くわしたことはないけれど、日本でも人気の超有名選手も含めて、噂は無数に聞いた。さっきの注射野郎も含めて、そのほとんどは捕まっていない(ドーピングが発覚し、処分されることを僕たちは「捕まる」という)。陽性反応が出たっていう話すら聞いていない』

 皆、やっていることは知っているが、やっていることは皆で知らんぷりしようね、っていうのがドーピング。どこまでが大丈夫で、どこからがNGなのかは、それこそ時代によって変化する。だから、プロトンの中ではドーピングは当たり前。見つかっちゃったら、それは不運だったんでしょう、というのがドーピングなのだ。だから『ラフライド』を書いちゃったポール・キメイジは嫌われるんだろうな。

 では、何故自転車選手の間でこれだけドーピング問題が発生するのか?

『要するに、やらないと勝てない環境があるから、やる。それだけだ』

 というのが一番簡潔にして、一番深奥に触れた理由だろう。それだけヨーロッパの自転車レースは厳しいというわけだ。それに比較してドーピング問題が全く起きない日本の自転車レース界というのは、それだけ「ぬるま湯」的で「お友だち」感覚なんだろうな。つまり「勝つ」ということに対するモチベーションの違いがあるんだろう。

 ヨーロッパの三大ツールやクラシック・レースで勝てれば、その後の生活安定に関して実に大きなアドバンテージが保障されたのも同じである。しかし、例えば全日本選手権で優勝しても、別になんの生活保障もない。であったら、なんとしてでもヨーロッパのツールやクラッシクで勝ちたい選手が手段を選ばなくても、それは当たり前なのかもしれない。

 そんな、グランツールの世界を知ってしまった土井氏にとっては現在のチーム右京での活動は、いわば「余生」みたいなものなのかもしれない。齢三十にして余生というのも、まあ、スポーツ選手ではあることなのかも知れない。まあ、自転車選手としてはちょっと早いけれどもね。

 これから土井選手が、どんな余生を見せてくれるのか、どんな言葉を後から来る若い選手の残していくのか、それも楽しみの一つではある。

『僕はプロトンという共同体にいたのだ。
 そこでは選手たちが、複雑に繋がり合っている。雨も、風も、雪も、全員に分け隔てなく降り注ぐ。ひとりが転べば、大勢が巻き込まれる。全員で密集して走れば、だいぶ楽になる。時にはチームの垣根を越えて飲み物や食べ物を融通し合うこともあるし、ブエルタの最終日は200人で騒ぐお祭りみたいなものだった』

 結局、人間は人と人との関係の中でしか生きられないものである以上、自分をどんな人間関係の中に置くのかを考えることが、その人の一生を決める要素になるのではないだろうか。それは、三大ツールに出るチームに自転車選手として入る方法もあるだろうし、日本の出版社に入る方法もあるだろうし、公務員になるという方法もある。

 結局、その自分が選んだ生き方の中で「何を掴むか」ということが大事なんだろうな。

 う~ん、ちょっと支離滅裂?

 

『敗北のない競技 僕の見たサイクルロードレース』(土井雪広著/東京書籍/2014年4月18日刊)Kindle版は出ていない。

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