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2014年7月19日 (土)

『「下り坂」繁盛記』はさもありなん

 嵐山光三郎氏は昭和17年(1942年)の生まれだから、最早72歳、立派な前期高齢者ではあるが、いまだにエッセイストとして活躍中である。あ、まあ「活躍中」というとなんか体を動かしているように思えてしまうので、そうじゃなくて「いまだにエッセイストをやっている」というべきか。

『なにかの出版記念パーティーで本多光夫さんに会ったら、「60歳をすぎたら原稿執筆依頼なんて来ねえぞ。覚悟しておきたまえ」と言われた』

 とか

『NHKラジオ「新・話の泉」の公開放送で山藤章二さんに会ったら、「70歳の坂をこえるのが大変だぞ」と凄まれた』

 なんてことを書きながら、相変わらずエッセイを書き続けているのである。まあ、今は昭和ではないので「昭和軽薄体」ではないけれどもね。

Photo『「下り坂」繁盛記』(嵐山光三郎著/ちくま文庫/2014年7月10日刊)原本は2009年9月、新講社刊。

 とは言うものの、そのタイトル通り、人生の下り坂を肯定する(というか肯定せざるを得なくなるということなのだと思うが)エッセイばかりなのだ。

『登り坂は苦しいだけで、周囲が見えず、余裕が生まれない。どうにか坂を登りきると、つぎは下り坂になる。風が顔にあたり、樹々や草や土の香りがふんわりと飛んできて気持ちがいい。ペダルをこがないから気分爽快だ。そのとき、
「楽しみは下り坂ににあり」
 と気がついた。光や音や温度を直接肌に感じた。鼻歌が出る。なだらかな下り坂をゆっくりとカーブしんながら進む快感があった。
 しばらく走ると小さな坂に出る。坂を下ったスピードを殺さず、一気に登っていく。登りつつ「つぎは下り坂だ」とはげましている自分に気がついた。下り坂を楽しむために登るのである。
 人は、年をとると「まだまだこれからだ」とか「第二の人生」とか「若い者には負けない」という気になりがちだ。そういった発想そのものが老化現象であるのに、それに気がつかない。下り坂を否定するのではなく。下り坂をそのまま受け入れて享受していけばいいのだ』

 という心境になっているようだ。

 そりゃそうだ。人間70年も生きてくれば、身体のそこここも痛んでくるし、頭もボケ始まる。じゃあ、そんな老化に抗ってみたって、それはホンの一時期はなんとかなるが、基本的には回復不可能なものなのだ。ここから先は、死に向かって突き進んでいくだけなのである。

 元々、嵐山氏は「不良中年」を提唱していた人である。その不良中年が老いてはジジイとなり、これまた別の提案をしている。

 それが「スパポン」だそうである。

『肉体は下り坂でポンコツと化していく、かくなるうえはスーパー・ポンコツ(略してスパポン)になり、
①老人の獣道をゆく。(もともとの路線)
②ゲーム感覚の人生。(行きあたりばったり)
③やりたいほうだい。(ひとりの敵を作らぬ人は、ひとりの友も得られない)
④ねえちゃんは蚊とみなす。(女の子を連れて六本木ヒルズでのお食事から得るものは誤解だけである)
⑤下り坂をおりる工夫。(企画力がない駆けおりは転ぶ)
⑥消耗品としての肉体を自覚する。(ケガするから)
⑦一日単位の勝負。(負けを翌日にもちこさない)
⑧弁解せず。(面倒くさい)
⑨放浪へのはてしなき夢。(廃墟願望)
⑩名誉の蜃気楼を追わず。(見苦しい)
⑪未練は捨てる。(悟ったらすることがない)
⑫いつ死んでもいい、という覚悟。(ひらきなおり)
⑬しかし悟らず。(終わったことは仕方がない)
⑭ガンを告知されても「闘病記」なんて書かない。(世間に害悪をもたらす)
⑮落語は談志だけ。(ときどき志らく)
⑯小利口な若僧をぶっとばす。(いまの新入社員世代は「従順、小利口、ミズスマシ」である)
⑰議論せず。(時間の無駄)
⑱安穏な社会生活を拒否。(ぐれる)
⑲頓着せずに享楽する。(町の暗がりに身をひそめる)
⑳時の流れに身をゆだねて生きる。(チャランポラン)
㉑無理せずメチャクチャでいく。(そのまんま)
㉒世間の無常を知る。(期待しない)
㉓いらだって生きる。(いらだちが生命のもと)
㉔自由契約亭主となる。(放し飼いの亭主)
㉕孤立を恐れず。(自分本位の宿命)』

 という、まあ、「やりたいようにやっちゃえばいいんじゃない」という提案なのだが、ポイントは決して自分より若い世代に嫉妬を持ってしまってはいけないということなのだ。

 そりゃそうだ。だって自分より若い世代ということは、いまだに現役のサラリーマンだったりしているわけで、つまりそれはその本人が気づいていないかもしれないけれども、会社というものをバックにした権力を持っているということなのだ。当然、その会社にいる連中は自分がそんな権力を持った存在だという意識はないだろうけれども、会社を離れて見れば「所詮自分は一個人でしかない」ということに気づかされるのであって、その時「会社」という肩書の重さに、初めて気づくのである。

 つまりは、自分が会社という肩書があって初めて仕事ができたんだということにである。つまり、日本人のほとんどの人間は「サラリーマン」として会社に所属することでもって、初めて仕事ができたんだということである。

 そう考えてみると、定年で完全に企業社会からはフリーになってしまってみると、これはまたサラリーマン時代とは見える世界が違ってくる、というか、私がサラリーマン時代に付き合っていたフリーの人たちの気分がこういうものなのかなあ、ということに今更ながら気づかされるというところである訳なのであります。

 まあ、『⑫いつ死んでもいい、という覚悟』は今でもカミさんともども、持っております。その為の準備もおさおさ怠りなく……。

『「下り坂」繁盛記』(嵐山光三郎著/ちくま文庫/2014年7月10日刊)原本は2009年9月、新講社刊。

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