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2014年7月

2014年7月31日 (木)

船橋市海神(かいじん)にある海神(わたつみのみこと)

 船橋市に「海神」という地名がある。京成本線にも「海神駅」というのがある。

「海神」ギリシャ神話では「ポセイドン」という海を司る神である。最高神ゼウスに次ぐ圧倒的な強さを誇り、全大陸はポセイドンの力によって支えられている、というのはいかにも地動説の時代の考え方であろう。

 日本では「オオワタツミ」の神と呼ばれ、やはり海を司っている神だったようで「海神」という字を当てて、「わたつみ、わたのかみ」と読んだようだ。

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 それはどうでもいいのだが、私の幼少時の記憶では京成電車の海神駅ってなんか波打ち際にあったような記憶があって、遠く沖合まで埋め立てられてしまっている現在の千葉県とはだいぶ違う様相だった。

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 で、海神駅で下車して国道14号線の方へ降りていくとどんどん下り坂になって、やっぱり昔の記憶は正しかったんだ、と少し安心。

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 国道14号線を過ぎると、道は急に細くなってなおかつ下がっていく。

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 更に細くなって、まるで海岸に出る小路のようになっていくのであった。

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 と、思ったら、あれっ? 総武線にぶつかってしまった。京成線より総武線の方が波打ち際を走っていたのかなあ? なんか記憶違いがあったようだ。

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 で、総武線を少し西船橋方面へ歩くと、ありました。「海神龍神社」。

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「龍神社のいわれ」に「龍神社は西海神の鎮守で大綿津見命(オオワタツミノミコト)を祀る」とある。やっぱり海神駅の「海神」とは大綿津見命のことだったのだ。

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 とは言うものの、あまりにひっそりと建っている神社の様子に、近所の人もあまりそれを意識はしていないという、ちょっと残念な感じはある。

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 表の社の裏には屋根で覆われた本当の社がある。

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm @Kaijin Funabashi (c)tsunoken

2014年7月30日 (水)

『アニメを仕事に!』を是非!

 確かに、絵描きの立場から「アニメの作り方」を解説した本は多いけれども、「制作進行」という立場から「アニメの作り方」を書いた本はない。

 だからなのだろうか、5月22日初版のこの本も6月30日にして既に第三版である。売れているのである。

Photo『アニメを仕事に! トリガー流アニメ制作進行読本』(桝本和也著/星海社新書/2014年5月22日刊)

 著者・桝本和也氏は最初はメルヘン社という小さなアニメ・プロダクションに入ったらしい。入社は2000年のことだったらしいので、私がメルヘン社との付き合いがなくなってから後のことのようだ。メルヘン社というのは、「日本昔話」「ムーミン」「ホワッツマイケル?」などの有力下請制作会社で、小規模ながらなかなか質の高いアニメーションを作っている会社だった。JR大塚駅のそばにあった会社なので、私の会社からも近いところにあった。

 で、「アニメションのプロデューサーになる」という方法も、今やアニメーション制作会社に入るというだけでなく、私のように出版社経由であったり、キングレコードの大月俊倫氏のようにレコード会社経由であったりなど、アニメとは別の業界にいてもアニメーション・プロデューサーになる方法はいくらでもある。

 とは言うものの、別の業界からアニメーション・プロデューサーになるというのは、かなり強く自分の要望を上司に伝える技術と熱意が必要だし、会社がそんな方向に向かうというタイミングの問題もあって、そうそう自分の意思だけでなれるものではない。ということで、取り敢えずアニメ―ション制作会社に入る、それも絵が描けないのであれば制作進行として入るというのが、まあ、一番の方法ではある。

 ただし、アニメーション制作進行というのは桝本氏が書くように『自動車免許と体力があればだれでもなれる職業』だと言われるとおり、基本は「何日でも徹夜ができる体力と、どんなに徹夜しても事故を起こさない運転技術」さえあれば誰でもなれる職業なのだ。そんな職業なので給料は13万円~18万円とメチャクチャ低いし、制作進行から制作デスク、プロデューサーにならないと給料アップはまずない職業なのである。なので、「だれでもなれる職業」ではあるけれども「誰でも続けられる職業」ではない。桝本氏によれば『3年後の業界滞在率は10%~20%といわれています』ということなのである。

 じゃあ、そんな「キツい、苦しい、暗い」(「汚い」は、風呂にも入らないで徹夜している自分の体くらいしかないけどね)「3K」職業で如何にして、制作進行から制作デスク、ライン・プロデューサー、アニメーション・プロデューサーに上がっていくかについての本なのである、この本は。

 ではアニメーションにおける「制作進行」とはどんな仕事なのか。

 基本的なことを言ってしまえば、「アニメーションの制作現場におけるすべての作業に立ち会う仕事」である。あくまでも「現場」なので、それ以上のビジネス部分には関わらないけれども、それ以外のすべての制作業務には携わるというのが制作進行である。アニメ―ションの現場作業とは「シナリオ」→「絵コンテ」→「カット割り振り」→「設定準備」→「作画打ち合わせ・作監打ち合わせ」→「レイアウト作業」→「原画作業」→「色美打ち合わせ」→「動画作業」→「仕上げ(彩色)」→「背景素材回収」→「撮影出し」→「カッティング」→「アフレコ」→「リテイク出し」→「ダビング」→「ビデオ編集」→「初号試写」→「各セクションへの挨拶」→「素材整理」のすべての作業である。

 この作業のすべてに立ち会うというのは、実は演出家や監督への登竜門でもある。宮崎駿氏や高畑勲氏のように、アニメーター出身の監督もいるが(最近増えている)、実は制作進行出身の監督の方が圧倒的に多いのだ。なぜか、つまり制作進行出身の監督の方が「プロデューサー感覚」があるからなのだ。

 アーティスト出身の監督はえてしてロジックができていない。例えば宮崎駿氏が作った『崖の上のポニョ』のように「金魚が海水で泳いでしまう」というような荒唐無稽な設定は、結局、絵コンテ優先で制作をしてしまった為の問題だということがよく言われている。つまり、本来であればまず優先されるべきシナリオ制作を行わなかった『崖の上のポニョ』は、ロジック優先であるべきシナリオ制作を行わなかったが故に、「気分」だけで「金魚を海で泳がしてしまった」のである。

 また「スケジュールを守らない高畑勲氏」の話は既に業界でも有名である。

 こうしたアーチスト出身の監督に比較して、制作出身の押井守は、そのちょっとロジック優先ぶりにもちょっと困ってしまう部分はなくもないが、スケジュールをキチンと守る姿勢にはなかなか好感を持っている。

 先に「給料は13万円~18万円とメチャクチャ低い」と書いた制作進行だが、出来高払いのフリー・アニメーターと異なり、正社員であることが多い。厚生年金・雇用保険・健康保険などはキチンと払われているというのは、アニメーターより場合によっては手取りは良くなったりする。

 それでいて、演出・監督への道が開かれているのだから、これは挑戦しがいのある職業でもあるのだ。勿論、制作進行からプロデューサーになる、制作進行から演出・監督になるというのは、そう簡単なことではなくて、先に述べた制作現場の全作業に立ち会いながら、それの何たるかを考えながら、時には演出・監督などとも激論を交わすこともあるだろうし、喧嘩をすることもあるかも知れない。安い給料も、若さが乗り越えてくれることもある。

 ただし、「アニメが好き」だけど「絵が描けないから」制作進行になる、という後ろ向きの姿勢では制作進行は務まらないだろう。

 単純に「アニメが好き」というだけだったら、何か別の職業に就いて、趣味としてアニメを楽しむという方が長続きするかもしれない。

 もっと積極的に、プロデューサーになりたい、監督になりたいというような明確な目標を描ける人、そんなひとこそ制作進行になって、業界人を目指して欲しいと考えるのだ。

 アニメーションの世界は日本の映像業界でも「プロデューサー・システム」が有効な世界でもある。是非、そんなアニメーション・プロデューサーを目指してもらいたいものだ。

『アニメを仕事に! トリガー流アニメ制作進行読本』(桝本和也著/星海社新書/2014年5月22日刊)

2014年7月29日 (火)

Fitbit weekly progress report from July 21 to July 27

 Fitbitから先週のレポートがきた。

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 週トータルでは79,647歩、55.75km歩いた。消費カロリーは18,086Kcal、平均睡眠時間は6時間47分。体重変化は0.5kg減少。

 ここのところ月に1kgペース位で体重は落ちてきているので、秋には70kg台までには落ちそうだ。

 最も活動的だったのは7月21日で、11,858歩、8.30km。最も非活動的だった7月26日でも、10,207歩、7.14km歩いているので、まあ平均的に歩いていた週であることが分かる。


『悪の出世学』はちょっと無理筋? でも、まあ当たりではあるけどね

 しかし「ヒトラー、スターリン、毛沢東」の三人をいっしょくたにするっていうのはどうなんだろうか。ヒトラー、スターリンの二人は、彼らのやってきたことや、作り上げた国家体制などが既に国際的に否定されているのに対して、毛沢東はいまだに中国では認められているし、人気もあるのだしなあ。

 まあ、毛沢東の作り上げてきた政治体制を批判するのは中川氏の勝手ではあるけれども、他の二人と一緒に語るってのはなあ……。

Photo『悪の出世学 ヒトラー、スターリン、毛沢東』(中川右介著/幻冬舎新書/2014年3月30日刊)

 とは言うものの、この三者に共通する要素としての「叩き上げ」というところに注目したのは慧眼に値する。

『スターリン、ヒトラー、毛沢東は、いずれも世襲の王ではない。ヒトラーは政権を獲得した時点ではナチ党のトップだったが、ナチ党の創立者ではない。毛沢東も中国共産党の創立メンバーのひとりではあったが、最初からトップだったわけではない。スターリンもソヴィエト共産党の前身であるロシア社会民主労働党の活動家として人生を始めたが、トップに立つまでには時間がかかっている。
 三人は、党内での競争というか抗争に勝ち抜いて党権力を掌握したのである。王家に生まれ、生まれた時から権力が約束されていたわけでもなければ、カリスマ創業者だったわけでもない。組織の一員というポジションから叩き上げて、トップに上り詰めた。そして権力を握ると、反対する者を徹底的に粛清していった』

 さらに

『ヒトラーは革命政権の評議会委員になったのも、共産党の思想に共感したからではなく、単に「政権党」の一員になりたかっただけだ。それを裏切ったのも、思想信条からでも自らの信念でもなく、革命政権側が負けそうだと判断したからである。それも、政府軍についたのではなく、「中立」を呼びかけただけで、革命政権側が勝っても、言い逃れできる立場にあった。このあたりの身のこなしは、見事だ』

『カリスマ性のある者はその権威や人間的魅力によって組織の構成員の尊敬を集め、それによって権力を行使する。ヒトラーは、カリスマ性はあったのでナチスで権威を持てたが、スターリンにはない。カリスマ性があるのはレーニン、そしてトロツキーだった。
 スターリンのような学問も理論もなく、カリスマ性もない者は、どうしたらいいのか。えてしてカリスマ性と自分の才能に自信のある者は、退屈なルーティンワークを苦手とする。派手で目立つ仕事ばかりをしたがり、地道な仕事は蔑視しがちだ。
 したがって、スターリンは実務を引き受けることで党内の情報を掌握し、彼なしでは組織が動かない状況を作り上げていく。これまた権力の階段を登る、ひとつの道だった。業績などなくてもいいのだ。組織運営の根幹さえ掌握すればいい』

 という、ヒトラーとスターリンに共通する「思想なし、考え方の根本もなし」という部分に注目する。

 確かに、ナチ党の正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」であり、『ナチスの綱領にある政策のなかには、労働者階層のための社会主義的政策も含まれている。たとえば、「労働によらないすべての収入は没収されなければならない」「すべての大企業トラストは国有化されなければならない」「すべての大企業における利益配分」「老齢者に対する十分な準備」bなどである』。とは言うものの、それは単に『左翼的・社会主義的政策を掲げて大衆の支持を得ることで党勢を拡大する。これにより、保守勢力にナチスの力を誇示し、大企業の国有化などの社会主義的政策を避けたければ、党に寄付しろと暗黙裡に脅迫するという戦略なのである』。

 つまり、ヒトラーにとっては社会主義的政策は『似たようなことを言っている共産党が強くなるよりは、ナチスが強くなったほうが財界や富裕層には得だ。だから共産党を強くさせないためにもナチスを支援しろ』という脅しにすぎない。ヒトラーにとって大事なのは、思想や政策ではなくて、単に国家権力だけである。なので、そのためにはどんな思想であっても、どんな政策であっても、利用できるものはすべて利用するというだけのこと。

 このことはスターリンにも言えることで

『ブハーリンはもともと左派で急進主義を主張し、カーメネフとジノヴィエフは最も穏健派で、たとえば一九一七年の革命時にも武装蜂起に反対したほどだ。それなのに。この時点では二人は左派なのだ。
 スターリンは。どっちでもよかった。この人には思想はない。レーニンが健在だった間はレーニンの言うことに従っていた。レーニンがいなくなったいまは、常に「多数派」に従うのが彼の流儀である。どちらにつくか、スターリンは党内の様子をじっとさぐっていた。
 やがてスターリンはブハーリンの主張を支持するようになる。二人は、ヨーロッパでの革命は遠のいたので、当分はソ連一国で社会主義に向かっていくべきだとの一国社会主義論でも一致した。トロツキーは永久革命論で、ヨーロッパ各国での革命運動を指導していくべきだというのが持論だ』
『そのうちに、ジノヴィエフの論調は過激になり、かつて自分が批判したトロツキーの主張に近くなってしまった。右派を攻撃していると左に寄ってしまうのだ。
 スターリンが危惧していたのは、カーメネフとジノヴィエフとが政策的に近くなったトロツキーと同盟を結ぶことだった。そこでスターリンは防戦に出る。
「敵の敵は味方」の法則は、単純であるがゆえに、簡単に成立する。それを阻止するためには、「敵の敵も敵」という、混乱状態に持っていくのが一番だ』

 という、そこにあるのは単なる権謀術数。別に、自ら信じる思想などそこにはなく、単なる権力を巡る闘争だけがある。

 そこにいくと、まだロシ・コミンテルンの指導方針に逆らって「農村が都市を包囲する」という中国独自の革命戦略を考え出した毛沢東はまだ「当たり前」の思想を持った革命家だったように見える。陳独秀というコミンテルンからの言いなりになっていた中国共産党の創設者は、逆にコミンテルンから「日和見主義」という批判を浴びて失脚するのであるが、実はコミンテルンの中国政策自体が日和見主義だったことを知り、それを批判していたトロツキーの存在を知り、トロツキーと近くなっていく。

 トロツキーというロシア革命に限定してみれば、実に有能な革命家であり、軍事戦略家であった存在であるが、やはりそれはヨーロッパの革命家であり、アジアの革命家ではない。ということなので、アジア革命はトロツキズムの陳独秀よりは、スターリニズムの毛沢東の方が向いていたということなのかも知れない。

 まあ、そんな毛沢東がやはり権謀術数的に優れていた人物であることは確かではあるが、やはり読了してみると「ヒトラー、スターリン、毛沢東」という具合に三人をいっしょくたにして語ることには、いまだに抵抗があるのは何故だろう。

『悪の出世学 ヒトラー、スターリン、毛沢東』(中川右介著/幻冬舎新書/2014年3月30日刊)Kindle版も出ている

2014年7月28日 (月)

7月最後の日曜日は「イベント日」(?)

 昨日は個人的には二つのイベントがあった日だった。

 ひとつは毎年7月の最終日曜日に行われている「コカコーラ鈴鹿8時間耐久レース」。まあ、コカコーラがスポンサーになったのは随分前だったとは思うけれども、そんなコカコーラがスポンサーになる前から、私は「8耐」のファンではあった。

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 多分、私が最初に「8耐」を生で見たのは1982年、豪雨の為、8時間が6時間に短縮され、結局優勝したのはホンダのブルーヘルメットCB900F、飯島茂雄・荻原神治組というテスト・ライダー組だったので、流石にテスト・ライダーっていうのは雨にも強いのだろうな、という思いを持ったものだった。それから数年は(自分が名古屋にいたということもあって)毎年「鈴鹿8耐」と、8月の最終日曜日に行われる、こちらは4輪の「鈴鹿1000km」という、2輪と4輪の耐久レースには必ず見に行っていた。あ、それと当時フォーミュラ2000と言われていた、日本の最高格式のレースの鈴鹿開催は全部。

 ただし、この日本の耐久レースっていうのは、欧米基準からするとちょっと特殊なレースらしい。

 ヨーロッパでは耐久レースというのは基本的には24時間とか12時間とか、数千キロメートルを走るのが当然であって、1000km台のレースというのは、ほとんどスプリントと変わらないレースという感覚なのだそうだ。

 で、逆に鈴鹿の8耐というのは「スプリントの耐久レース」ということで、注目を浴びることとなったわけなのである。「基本的にはワンスティントではスプリント」でも「相対的には耐久レース」という、両者のレースの双方の要素を入れあげたレースという、如何にも日本らしいレースっていうことでね。

 で、鈴鹿8耐はいつも7時半のレース終了時にはスターマインの花火で終わるんだ。まあ、これがいいんですね。午後7時半のレース終了なので、みんなライトアップしている(というかしていないと失格)。で、そのライトアップしたレースマシンが、1位の選手が帰ってくると花火っていう瞬間がね。なんか、レースに完走した皆が勝ちみたいな感じでね。

 で、今年の優勝はMUSASHI PT HARC-PROというホンダのセミワークスで機材はHONDA CBR 1000 RRということで、2位、3位がYOSHIMURA SUZUKIが肉薄していたことを考えれば、ホンダのホームグラウンドの鈴鹿サーキットでホンダが勝ったんだから、まあ、途中でF.C.C. TSR Hondaというホンダ・ワークスが転倒してしまってしまってどうなるんだと考えれば、結果オーライみたいなレースだったのかもね。

 私個人としては、ヨシムラ・スズキとかモリワキ・ホンダなんかが好きなんだけれども、まあ、基本的にはワークス支援のチームが強いのはやむを得ない。

 で、もう一つのイベントがこれ

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 ツール・ド・フランスですよ、ツール・ド・フランス。

 いよいよ昨日が最終日なのですが、このブログの締切時間に間に合わないので、最終結果を書くことはできない。のであるが、もはやヴィンチェンツィオ・ニーバリの総合優勝は間違いないので、その方向で書きます。

 というか、ここはイタリア人としてはもっと強調したいところなんだろうが、何しろ1998年のマルコ・パンターニ以来のイタリア人総合優勝なのである。

 さすがにジロでも活躍した選手である。やはり登りに強いというところがパンターニと同じような脚質なんだろうか、登りに強い選手が勝つというツールの基本通りの勝ち方ではありました。

 で、問題はこの二つのイベントに何か共通性はあるのかといえば、実は何もないのだ。

 一方は、夏休みの最初の大きなイベントとして、8月最終日曜日の鈴鹿1000km耐久レースに繋げる、「夏の耐久シリーズ」なんだろうし、もう一方は別にそんなこととは関係ない、フランス中華思想で作られただけの耐久自転車レースだ。

 まあ、日本人にとっては「夏は夏休みをとるシーズン」であるのに対して、フランス人にとっては「別にバカンスはいつっだっていいんでしょ」という中での「単なる夏」なのかもしれない。とはいうものの、フランス人だってなにかのきっかけが欲しいでしょ。じゃあ、ツールをきっかけにすればいいんじゃね? というのが本論のテーマなのだ。

 というか、やっぱりフランス人だってツール・ド・フランスをバカンスのきっかけにしている人はいるんだと思うんだ。

 なので、日本人も「鈴鹿8耐」をきっかけに、「鈴鹿1000km」を最終日にしたバカンスを取ってもいいんじゃないの? 4週間の。というのが、今日の提案なのでありました。

 ちょっと無理があった?

 

2014年7月27日 (日)

「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」というけれど

「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」という古川柳で知られる「かねやす」は現在も本郷三丁目の角に存在する。「かねやす」という洋品屋さんと「かねやすビル」という貸しビルである。

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 初代・兼康祐悦は京都で口中医(歯医者)を開業していたが、徳川家康が江戸入府した折に、江戸に移住し口中医をやっていたそうだ。

 元禄年間に、歯磨き粉である「乳香粉」を製造販売したところ、大いに人気を呼び、それをきっかけに小間物屋「兼康」を開業した。後に芝で同じく「兼康」開業した弟と元祖争いが起こり、裁判となったが、それを裁いた江戸町奉行・大岡越前が芝を「兼康」、本郷を「かねやす」とせよという裁定をくだし、本郷は「かねやす」となったのである。

 で、何で「かねやすまでは 江戸のうち」になったのかというと、江戸の華である大火事が享保15年にあった際に、その後の復興に際し、大岡越前は本郷の「かねやす」があったあたりから南側、つまり江戸城のあった側の建物には塗屋・土蔵造りを奨励し、屋根は茅葺きを禁じ、瓦で葺くことを許可したので、なんとなく「かねやす」が江戸の北限として認識されるようになったということである。

 じゃあ、本当に江戸は「かねやす」までなのか、というとそういうことでもない。

 大火の後、1818年(文政元年)に江戸の範囲を示す「朱引」というものが定められたが、その定めによって作られた「旧江戸朱引内図」によると「かねやす」よりもかなり北の方に引かれているそうだ。

 その範囲は現在の行政区画では以下の通り。

・ほぼ全域が朱引に収まっている区
 千代田区・中央区・港区・文京区・台東区

・区内に境界線がある区
 ・江東区(亀戸まで)
 ・墨田区(木下、墨田村まで)
 ・荒川区(千住まで)
 ・北区(滝野川村まで)
 ・豊島区、板橋区(板橋村まで)
 ・渋谷区(代々木村まで)
 ・新宿区(角筈村、戸塚村まで)
 ・品川区(南品川宿まで)

 現在の地図に合わせるとこんな感じになる。

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 さすがに人口100万人を超える世界有数の都市だけあって、結構広い地域が「江戸府内」だったことがよくわかる。

 本当は「本郷も かねやすまでが 江戸のうち」じゃなかったのでありました。

RICHO GRDⅢ @Hongo (c)tsunoken

 

2014年7月26日 (土)

『みんなで変える 日本の新卒採用・就職』なんだけれども、変えようが、変えまいが、基本的には同じなんだよな

『最初の就職は大切なことだが、人生の一大事というほどではない』

 というのは、実は就職の経験者だから言えることであって、残念ながら就職未経験者の学生に言ってもなかなか通じないのだなあ。

 で、皆、就職は一大事と考え、就職するためには自己分析、企業研究、仕事研究、キャリア教育が必要だと考え、どんどん頭でっかちになってしまう。で、「就職して何をするのか」を忘れて、それこそ就職することが第一目的になってしまい、『その企業に入れた時点で燃え尽きてしまうような就職活動』をしたりしてしまうのである。

Photo『みんなで変える 日本の新卒採用・就職 不毛な就活、採活を撲滅する』(寺澤康介著/HRプロ/2014年6月3日刊)

 私が就活(なんて言葉は当時はなかったわけであるが)した、昭和49年(1974年)は7月1日が採用解禁日だった。当時は「採用広報開始日」「採用選考開始日」「正式内定開始日」なんて仕分けはなくて、7月1日に一斉解禁となり、そこから即、採用広報・選考・内定がスタートしたわけだ。さらに言ってしまうと、当時はインターネットなんてない時代だったから、基本的に「学校の就職部に来る求人票から受ける会社を選ぶ」「リクルートブックの中から受ける会社を選ぶ」「新聞に掲載される公募で受ける」という三つくらいしか会社を選ぶ方法はなかった。まあ、多分一番多い方法は「求人票から選ぶ」だったわけなのだが、当然そこには求人票が来る会社と来ない会社があったわけで、企業の方だって指定校なんて方法で学生を選んでいたのである。まあ、私は「新聞の公募」で会社を選んだ口で、コネなし脈なし指定校なしという、当時は一番危ない就職方法だったわけだ。でも、入れて基本的にはやりたい仕事ができたのだから、結果はオーライだったのであるが。

 つまり、言ってみればこの「公募」という方法は、私が就職した会社の場合、私の時代でも採用人員の100倍の人が応募したそうなので、もしかすると現在の「就職ナビ」利用の就活に近いのかも知れない。とは言うものの、結局、就活に「素晴らしい方法」なんてないのかも知れない。何らかの方法を取れば別のところに問題が出てきてしまい、それを是正したと思えば、そこでまたその予想もしないところで綻びが出てきてしまう。まあ、世の中の進歩なんてそんなもので、常にその時代の「ベスト」を狙うんだけれども、でも、その時には既に別の問題が起きてしまう。

 なので、最終的な解決方法なんてものはない、ということを前提に、取り敢えず今取ればいい方法を考えようということになるのである。

 で、今「実行すべき解決策」を読む。

①企業:就職ナビ依存、落とすための採用から脱却する
『就職ナビに依存せず、それぞれの企業が自らに合った層の大学をターゲティングし、そこを中心に採用活動すればいい。その方が良い採用ができる』

②大学:学生と企業を結ぶ「就職部」本来の役割に立ち返る
『大学は、「就職部」の本来の役割、すなわち学生と企業の仲介役となって情報を収集・提供し、両者をマッチングし、就職させていく役割を強化すべきである。大学によって違いはあるだろうが、キャリアセンターと呼ばれるようになってから、本来持つべき「就職仲介力」が落ちてしまった大学が非常に多いと感じる。それではいけない』

③産学連携:インターンシップなど、産学連携を強化する
『欧米などではインターンシップは採用の手法であり、インターンシップを経て就職することは当たり前である。ただし、無給の労働力としてこき使われるケースなどほめられない部分もあり、規制は必要だろう。しかし、学生が就業体験をするということ自体、メリットは非常に大きく、インターンシップに参加した学生と参加していない濁世では、就職や働くことに対する意識が違ってくる』

④学生:「身の丈に応じた就職活動」をする
『学生は、まず正しい情報を得て現実を知ることが大事だ。やるべきことは「身の丈に応じた就職活動」であり、自分の学校を採用したいという企業中心の就職活動をすべきだということである』

⑤保護者:親は「抵抗勢力」にならないようにする
『親が就職した時代といまは、大学進学率も、経済成長率も、就職事情も全く違う。もう、大手企業に入れば定年まで安定した人生が送れる時代ではない。自分たちが就職した当時の常識を押しつけたり、否定的なことを言ったりすべきではなく、大手企業幻想を、学生はもちろんだが親も捨てるべきである』

⑥就職支援業界:客観的に自分たちの影響を考える
『就職ナビが学生のレベルと無関係に大手人気企業へのエントリーをあおるようなことも、すぐにやめるべきだ。そもそも、学生をマスとして捉え、全学生に共通する採用・就職のプロセスをシステムで一括して効率的に進めようというのは、もう限界である』

⑦政府:よけいな規制はしないで「真の情報公開」をさせる
『政府はよけいなことはしなくていいから、企業と大学に採用と就職に関する情報公開をきちんとさせてほしい。データによっては大学経営の生命線にかかわるものもあるので簡単ではないだろうが、まずは採用・就職実績大学の情報公開を義務付けるとよいだろう。規制をするならそういう規制をした方が、学生や親に真実を知らせることができるようになり、よほど大きな意味がある』

 ということなんであるが、この中で一番難しいのが「⑦政府:よけいな規制はしないで「真の情報公開」をさせる」だろうな。

 何故か? だって、そんな規制当局にいる国家公務員のキャリア職の人たちって完璧な「就職勝ち組・就職強者」でしょ。そんな人たちが、その他大勢の「就職負け組・就職弱者」のことなんて分かるわけないじゃないか。

 なので、彼らはわけのわからない「就活規制」を作っていくんだろうな。

 2016年新卒採用からの「規制」は以下の通り。

・採用広報開始:12月1日→(2015年)3月1日
・採用選考開始:4月1日→(2015年)8月1日
・正式内定開始:(2015年)10月1日(変わらず)

 って、なんか最低の「改革」だな。

 多分、この「規制(改革)」は、一斉にそれを守らない企業を輩出し、結局、「就活改革は何だったんだろう」という疑問だけを残して終わるだろうし、その結果、就活に関する規制はなくなってしまい、それに対応できた昔からの大学だけが、卒業生をうまく企業に潜り込ませることができる、ということになりそうだ。

 まあ、別にそれで困ることは何もないんだけれどもね。

2014年7月25日 (金)

中里貝塚に行ってきた

 ということで、中里貝塚へ行ってきた。

 場所は北区上中里二丁目、JR東北線尾久駅の南東、JR京浜東北線の田端駅と上中里駅の中間あたり、JR東日本の尾久操車場と田端操車場に挟まれたあたりにそれはあった。

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 と言っても、そこに何かがある訳でもなくて、「上中里二丁目広場」という、公園以前の子どもたちの遊び場みたいなものがあるだけである。

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 一応、ここが「中里貝塚」の跡だったということだけは、二枚の説明板があって分かるようになってはいるが、そこで遊んでいる子どもとお母さんたちには何の関係もない説明板なのであった。

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 そこで分かることは、この地が上野から飛鳥山、赤羽台に至る、武蔵野台地の東北端であるということ。いまでも、この地が大地と低地との分かれ目であることは良くわかる。

 つまり、縄文期にはこの辺まで東京湾が入り込んでいたということなのだ。なので、ここが貝塚になったわけなのである。

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 その貝塚の大きさは幅約40メートル、長さ1キロメートルにも及ぶ巨大な貝塚であり、大森貝塚発見の9年後、1986年(明治19年)に白井光太郎によって報告されたときには大きな衝撃があっただろう。

 勿論、今は貝塚は埋め戻されていて、「上中里二丁目広場」になっているので、当時の様子を思い起こさせるものは何もない。

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 ただし、北区飛鳥山博物館に行けば、この貝塚の「剥ぎ取り標本」というのがあって、貝塚の様子が分かるようにはなっている。

 そこから見ると、どうもこの貝塚は他の貝塚と異なり、通常の貝塚に見られる生活遺物や人骨などが見られず、魚の骨や獣骨なども見つかっていないという。さらに貝塚に見られる貝殻は牡蠣と蛤の10センチから12センチという大型の貝殻ばかりだし、貝を加工したと考えられる皿状窪地も発見されたようだ。つまり、この貝塚は遺跡に付随した貝塚(送り場)ではなくて、いわば貝を日持ちするような加工を行った工場であるのではないかという考え方が出てきたようだ。

 それは自給自足的な範囲を越えて内陸の他の集落へ供給することを目的とした貝の加工工場ということである。

 これまたこれまでの縄文人の生活への理解と異なり、基本的に自給自足の生活を行っていたという考え方ではなく、縄文人も交易を行っていたという新発見に結びつく考え方なのかも知れない。

 各種の交易が行われ始めた、つまり階級分化が始まったのは古墳時代なのかと思っていたら、我々の祖先はもっと早い時期から交易を行っていたのだな。

「交易を行う」ということは「その交易を支配する者」がいたということで、それはすなわち「ある社会を支配するものと支配されるものの階級」の始まりということ。つまり、弥生時代よりも、もっと早くからそうした階級制度的なものができていたのかもしれない、という、もしかすると日本史的な新発見かも知れないということなのだ。

 それがさりげなく展示されているというところが、ここ、北区飛鳥山博物館の凄いところかもしれない。

 北区飛鳥山博物館には、中里貝塚に隣接する中里遺跡の埋蔵物も展示されていて、縄文土器や丸木舟(結構大きい)も展示されている。勿論、こちらは遺跡なので人骨なんかも出てきているわけである。

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 ということは、我がマンションの遺構調査で縄文期の矢じりが出たというのも、何となく理解できた。そうか、駒込にも縄文人はいたんだな。そりゃ、当然。

NIKON D7000 AF-S NIKKOR 18-105mm @Kami Nakazato & Oji (c)tsunoken

2014年7月24日 (木)

『縄文人からの伝言』のナルホド

 著者の岡村道雄氏は「杉並の縄文人」を自称していて、氏が関係している「みんなの縄文」というサイトを見に行ったら、なんとまあ沢山のひとが竪穴式住居を作ったり、縄文人的な生活を楽しんでいたりするもんだなあ、という新発見があった。

 なんで、みんなそんなに縄文人の生活に憧れるんだろうか。

Photo『縄文人からの伝言』(岡村道雄著/集英社新書/2014年7月22日刊)

『アフリカで新人段階に進化した人類は、今から約三~四万年前に世界各地に拡散し、日本列島にも新人の一派が到達しました。それ以来、人間の生態、知能、本性は、ほとんど進化していません。つまり同じ大きさの脳で、特に近年急速に複雑な政治経済情勢や社会環境、叛乱する情報などに翻弄されているのです。昭和三〇年代までは超自然現象、吉凶、作柄災害、病気、狐憑き、神隠しなどまで、占い、まじない、はらい、祈りが息づいていました。神社や民間の祈祷師・占い師が祈り、人びとは安産や乳が出るよう祈った絵馬や耳や目の健康を願ったまいない品を盛んに神社に奉納しました。
 先述したように、縄文時代後期の北海道南部・洞爺湖町の入江貝塚では、幼少時にポリオにかかり、手足が幼児と同程度の太さしかなく、立って生活できなかった女性が、家族・集落に助けられて二〇歳前後まで暮らし、丁寧に墓に埋葬されて見つかっています。また、栃木県の大谷寺洞穴遺跡や、岩手県中沢貝塚でもポリオにかかった遺骨の類似例が報告されています。つまり、縄文時代にもすでに立派な福祉が行われていたのです』

 つまり、縄文時代に既に我々は現代の生活と同じようなベースを獲得していたということになる。

『世界各地では、人びとが定住生活を始めて新石器時代を迎えました。「新石器革命」とも呼ばれる人類第一の画期です』

『縄文時代・縄文文化も、東アジアの東はずれにある列島のほぼ全体に広がった新石器文化のひとつでした。
 そして約二〇〇〇年前になると、九州から本州北端まで水田稲作農耕・弥生文化が伝わり、少なくとも北陸・関東までは各地に権力や階級が生まれ、政治経済を担う中核地域ができました。日本列島における第二の画期です』

『土地を造成して耕し、治水・灌漑も必要な水田耕作を主たる生業とし、やがて鉄が伝えられ、土地の獲得や水利権、米の増産などの競争も始まりました。村落共同体を、政治権力かが支配する構造が生まれたのです。その後、時代とともに権力の交代、強弱はありましたが、支配地域は北方へ拡大していきました。江戸時代には鎖国政策をとり、最も安定した政治・経済体制が二五〇年余り続きましたが、やがて開国、明治維新を迎えると急激な近代化が始まりました。そして、第二次世界大戦の敗戦からの復興、昭和三〇年頃からの高度経済成長へと向かった日本は、大きな転換期・画期を迎えたのです。これは世界各地の先進国でも同じように迎えた、将来・未来が見通せない第三の大きな画期だったのではないでしょうか』

 というのが縄文時代をベースにした日本の歴史の大展望である。説明の文章が長くなればなるほど、実はその間に流れていた時間は短くなる。そう、人類悠久の歴史から見れば、近・現代人の歴史なんてごくごく短いものでしかない。ただし、その変化の度合いは逆に時代が現代に近づけば近づくほど、急激になり、大きくなってくる。

『世界の食糧採集民における女性の役割を見ると、子育て・調理以外には、水くみや運搬、木の実や山菜とり、イモ掘り、貝や海藻の磯物とり、土器やカゴ作り、機織りや衣服作り・繕い、洗濯などに精を出していたようです。他方、男性は、狩り、魚とり、鉱物の採集、樹皮加工、舟や石器作りを担当しています。彼らの一日の労働は、平均四時間程度です。特に暇にして、おしゃべりなどにうつつを抜かしていたのは男性のようですが、いずれにせよ、縄文人は私たちと違って、おおらかにのんびりと暮らしていたようです』

 とまあ、なんと皮肉なことに昔の人たちはのんびりくらしていたものだろう。

 早朝から深夜まで、残業代もなしに一日中働いている現代人。女性だって男性と同じ仕事をしなければならない現代人。こんな生活を続けていては、現代人は縄文人の「いろいろなものが不足している生活」にすらも追いつけない、苦しい生活を送らなければならないということになる。

『人として生まれた以上、誕生、教育、日常生活、医療、福祉、死亡(埋葬)など、人の一生にかかわる基本を歴史に照らし、基本的権利(人権)を護り、必要な事柄については公的支援、一定の保障が必要だと考えます。これら公的支援の分野・程度、労働時間・賃金、自分のための時間について、その必要性・あり方、分担・分配を決め、ともに働くことが必要です。そして、収入・賃金の格差を小さくして、社会貢献、全体の幸福に向けての労働貢献の観点に立てば、個人的な競争や過労も緩和されるでしょう。
 また、人びとのつながり、相互扶助・助け合い、教育者を含めて競争のためでない教育、地域・生活環境の保全と愛着などの倫理、精神、道徳を高めることによって、私たちは幸福に向かうことができるでしょう。私たちの祖先、縄文人に笑われるようでは情けないです。いずれにしても主体は私たちであり、家族を核とした地域社会でのつながりと地域特性を踏まえて、私たちのために、私たちがどうあるべきか、どうすればいいのかを、互いに認めて信じ合い、大いに議論し実践することが大切です』

 じゃあ、とりあえず遮光器土偶のレプリカでも買おうかな。

 ってことじゃないんだよな。

 というか、この本に「中里貝塚」というのが出ていた。家から近いので早速行ってみよう。

『縄文人からの伝言』(岡村道雄著/集英社新書/2014年7月22日刊)

2014年7月23日 (水)

『督促OL修行日記』は「ナルホド」本ではあった

 著者の榎本まみさんは大学時代推理小説研究会というサークルに所属していたそうだ。OBには直木賞作家がいたり、出版社やテレビ局のマスコミ業界に進む人たちも多いサークルだそうなので、それなりに偏差値の高い大学の名門サークルなのだろう。

 自分で「幽霊部員だった」とは言うものの、「××という出版社で働いています」「××新聞社に入社しました」「××というゲーム会社に就職しました」という同期生たちより、「……○○カードという信販会社で、債権回収をしています……N本です」という榎本さんのほうが、実は他の同期生よりもとっくに先に作家デビューしちゃったわけだ。まあ、推理小説ではないけれども、推理小説のネタにはなりそうな話もいっぱいありそうな業界だし、それはそれで面白そうだ。

Ol『督促OL 修行日記』(榎本まみ著/文藝春秋社/2013年1月18日刊)

『お客さま相手に強く言えず回収成績がまったく出せずに苦しんでいた時、営業の本は山のようにあるのに、どこを探しても法律関係の本以外の督促の本が見つからず苦労していました。
「なんで督促の本がないんだろう? 私は督促ができなくてこんなに苦しんでるのに~!」
 そう疑問に思ったことが、この本を書こうと思った理由のひとつでした』

 と、確かに貸金業法によって厳しく取り締まられる信販会社やサラリーマン金融業界などの、取り締まりとそれへの対処に関する本は出ているが、では借金の取り立て……とは言わずに、今は「督促」「回収」という言葉が使われているんだろうが、それについての本というのはないだろう。

 何故だろう。

 多分、多重債務者とか支払困難顧客というのは、それこそ多重債務者や支払困難顧客の数と同じくらいのケースがあり、モデルケースにならないくらいなので本にできないのだろうか。また、そんな多重債務者たちから着実に回収を行っている貸金業に勤める人たちは、別にそんなに回収に困っているわけではないので、別に本を書く必要性を感じないのだろうし、今も貸金業で働いている以上、そんな業務上の秘密を人にバラしたくもないのだろう。また、榎本さんみたいに、自称ヘタレの回収数字がドベだったような人は、いち早くそんな業界から足を洗ってしまうので、そんな「督促」「回収」の本を書けるほどの経験をつむこともないのだろう。

『入社時にはお客さまに言い負かされ続けまったく成績が出せなかった私ですが、後には300人のオペレーターを指示するチームに最年少で配属され、年間2000億円の債権を回収するまでになりました。
 オペレーターとしては、半年間コールセンタートップの回収金額を維持していたこともあります』

 というのだから立派。

 しかし、ということは榎本さんの作家としての自立はしばらくはないということにもなってしまい、そこはちょっと残念でもありますがね。これだけのネタと文章技術があるのならば、是非、専門作家としてのデビューをとも思うのだが……。

『そういえば、お金を払ってくれないお客さまにもタイプがある。それに気づいた私は入金してくれないお客さまを四つのパターンに分けてみた。毎日が泣きたくなるような交渉の中で、『お客さまを血液型別性格診断のように分類し、楽しむのは、ちょっと面白い。「お! このお客さまは××タイプかも!」とばっちり当てはまると交渉がちょっと楽しくなった。

 ちなみにその分類方法は、感情と論理、プラスとマイナスでお客さまをパターン化するもの。

 感情(+)は起こるお客さま、怒鳴ったり脅迫してきたりする人たち。
 感情(-)は泣くお客さま、女性に多い。
 論理(+)は、理詰めで攻撃をしてくるお客さま、いわゆるクレーマーと呼ばれるタイプ。
 論理(-)は、理屈が通じないお客さま。ひらきなおるタイプだ』

 で、

『感情タイプはまずガス抜き』『感情タイプのお客さまは感情を発散させてから、落ちついたところで入金の目途を聞くと上手くいくようだ』

『論理タイプのお客さまは、お金を持っているが支払いを拒否する人が多い』『論理タイプのお客さまから回収するには、決して上から督促しないこと。相手のプライドを満たすことが攻略の鍵になる』

 まあ、借りた金を返すのは当たり前でしょう、とは思うのだが、信販会社の回収部署なんかにいると『そう思われるあなたは、本当に心の正しい人。世の中があなたのような人ばかりならどんなに良かったか……!』という気分になってしまうんだな。

 とは言うものの、『おおよそ20%前後――五人に一人のお客さまが支払い日を過ぎてから入金をしていました』という事実があるからこそ、また、こうした回収のための部署が出来たりするわけで、それはそれで納得もいく。

 しかし、借金の取り立て、おっと督促、回収なんて仕事はコワモテのお兄さんたちの仕事なのかと思っていたら、最近はこんな女の子たちも加わってるんだなあ、という感想が一つ。もう一つは、それくらいに督促、回収の仕事もハードルが下がってきているという感想がある。

 つまり、サラ金や信販会社というのも、それはそれ一般企業ではあるから、社会の法律を守って仕事をしなければならない。で、法律を守って仕事をする以上、その仕事は男であっても女であっても出来なければならない仕事ということなのだ。

 う~む、なかなか勉強になった。

『督促OL 修行日記』(榎本まみ著/文藝春秋社/2013年1月18日刊)

Ol_2コミック版もある。榎本さんが書いたブログを本にしたものだ。

2014年7月22日 (火)

Fitbit weekly progress report from July 14 to July 20

 Fitbitから先週のレポートが来た。

 ただし、先週は週初めがFitbit Flexが同期しなかったりしていたので、あまり参考になるレポートではない。今週分のレポートからが普通になるのだろう。

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 週トータルでは65,495歩、45.85km歩いて、16,807kcal消費。体重は0.1kg減少、平均睡眠は6時間31分。

 最も活動的だったのが7月15日で15,981歩、11.19km歩いた。浅草に墓参に行った日。

 最も非活動的だったのが7月14日、4,502歩、3.15kmしか歩いていない。

本駒込周辺をご案内

 わがマンションがある文京区本駒込六丁目周辺をご案内。

 というか、本駒込は文京区、駒込は豊島区なのだが、こうした文京区と豊島区にはちょっと残念な部分があって、目白は豊島区、目白台が文京区というように、なんか豊島区の方が目はしが効いて、先にいい方の名前を取ってしまい、あとから文京区がもともと本来は自分の区の地名だったのに、それに何かを付けた地名になってしまったという。

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 で、私のマンションのお隣がフレーベル館という児童書専門の出版社。今ではフレーベル館と言えば玄関前の銅像にもあるようにアンパンマンだが、もともとは『キンダーブック』という保育絵本で名を売った会社だ。昔は神田神保町にあったが、今は文京区本駒込六丁目にある。

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 で、そのフレーベル館の斜め前にあるのが(って順番が逆だが)特別名勝・六義園の正門。

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 よくわからない人はJR駒込駅の前にある染井門を正門と勘違いしているが、こちらは裏門にあたり、染井門に行くと「正門(出入口)へお回りください」という看板が出ている。染井門が開くのは「しだれ桜のライトアップ」などの特別なイベントがあるときだけ。

 なんでJRの駅がある方が正門じゃないんだ? という疑問をお持ちの方に言っておくが、「江戸時代にはJRは走っていなかった。当然、武家屋敷の正門は江戸城の方を向いていた」のであります。

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 で、反対側にある不忍通り側になると、一番目立つ大きいビルがここ「文京グリーンコート」であります。

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 文京グリーンコートにはセンターオフィス(上の写真)、ウエストウィング、イーストウィング、スポーツ施設棟、UR都市機構のマンション・ビュータワー駒込などがあり、センターオフィスには科研製薬、KDDI、日本生命などが入っており、イーストウィングは商業施設である。

 マンションはUR都市機構なので、賃貸です。一度入居を検討してみたら如何?

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 で、その文京グリーンコートの裏には、日本アイソトープ協会の本部棟がある。この本部棟の玄関には上の方に「23」の文字が刻まれている。つまり、それは今や小保方晴子さんの「STAP細胞はありまーす」で有名になった、理化学研究所の第23棟だったから、というのがその理由(まあ小保方さんは神戸の理研だが)。その理研が埼玉県の和光市に移った跡地が、文京グリーンコートになったというわけ。

Photo

 で、これが戦前の理研の写真(昭和8年、博文館発行「大東京写真案内」より転載)、写真中央が理研、下の方の交差点が上富士交差点で交差点に面しているのが昭和小学校、左から右に走っているのが本郷通り、右上から下に走っているのが不忍通りで、右の森のようになっているところが六義園で、一番上に写っているのが府立五中(ちょっと前の小石川高校、現在の、小石川中等教育学校)。勿論、マンションなどまったくなく、理研や学校を除けば平屋建てしかない。

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 文京グリーンコートの裏にあるのがアジア文化会館で、アジアからの留学生が沢山生活している。秋にはイベントがあり、いろいろなアジアの特産物や食べ物が食べられる。

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 文京グリーンコートの不忍通り側の隣が日本医師会。

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 日本医師会と駒込警察を挟んで一軒おいたところが、東洋文庫だ。ここも建替えて随分大きなビルになった。まあ、ちょっと景色が悪くなったけれども、誰でも中に入れるようになったのは進歩かな。裏には小岩井農場で獲れたものを出す、オリエントカフェなんてものもある。ちょっと高いけれども、味は大変よろしい。

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 最後は文京区を一回りするコミュニティバス、Bーぐるをご紹介。1回100円で文京区を回ることができる。結構、歴史好きには見るものの多い文京区である。そんな文京巡りにはとても便利だ。JRか南北線の駒込駅か、千代田線千駄木駅、三田線春日駅あたりから乗るのが交通の便としてはよさそう。

Fujifilm X10 @Hon Komagome (c)tsunoken

2014年7月21日 (月)

東京周縁紀行・江戸川堤を往く

 駒込に帰って来て便利なのは、東京の東の方とか南の方に行くのが便利になったこと。

 ということで、昨日は京成線に乗って江戸川駅まで。

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 江戸川駅そばの江戸川堤に上がる。こちらは東京都江戸川区小岩、対岸は千葉県市川市国府台である。

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 荒川サイクリングロードや江戸川サイクリングロードを走っていると、こんな感じで河口からの距離が表示されていて、ランをやっている人なんかが、自分の走った距離が分かるようになっている。

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 しかし、江戸川サイクリングロードも随分広くなって、私が走っていた頃に比べると三倍位の広さでかなり走りやすくなっている。

 なんてことを考えていたら、以前、自宅から北千住→堀切橋→柴又で江戸川サイクリングロードに入り、関宿町まで走って、往復122.76kmなんて走ったことを思い出した。2005年9月17日のこと。

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 そういえば、荒川サイクリングロードを葛西臨海公園まで走って、そのまま江戸川河口から江戸川サイクリングロードに入って、柴又や金町・野田まで走るなんてこともよくやっていたなあ。

 元気だったんだなあ。

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 なんてことを思い出しながら、小岩田天祖神社とか……

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 馬頭観音とか……

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 江戸川不動尊とかを通り過ぎて……

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 北総鉄道に至るとそこは既に葛飾区柴又である。

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 ということで、江戸川堤紀行は柴又帝釈天でジ・エンド。

 ここら辺の対岸は千葉県松戸市である。

EPSON RD1s+LEICA ELMARIT 28mm/F2.8 @Koiwa-Shibamata (c)tsunoken

2014年7月20日 (日)

『革命の子どもたち』はなかなか「母娘」の関係を考えさせられる映画だ

 日本赤軍の重信房子に娘がいるのは知っていたが、バーダー・マインホフ・グループ(後のドイツ赤軍)のリーダーの一人、ウルリケ・マインホフにも娘がいたのは知らなかった。

 これは、ふたりの女性革命家とその娘のドキュメンタリー。

Photo『革命の子どもたち(Children fo Revolution)』(シェーン・オサリバン:監督・プロデューサー/トランスミッション・フィルムズ/2011年作品)

 ウルリケ・マインホフは1934年生まれ、一方の重信房子は1945年生まれと11歳の違いがある。その結果、ウルリケ・マインホフの娘、ベティーナ・ロールは1962年生まれ、重信房子の娘、重信メイは1973年生まれという、決定的な違いがそこに生まれる。

 つまり、1968年という日本、ドイツのふたつの革命運動において共に重要な年に、ベティ-ナ・ロールは既に6歳、重信メイはまだ生まれていなかったということ。まあ、当たり前だよね。重信房子はまだ明治大の学生だったんだから。

 更に、ウルリケ・マインホフは革命のために娘を捨て、1967年には離婚をしており、その後、娘は父親に育てられたということ。一方、重信メイは、やはり母親とは別れて暮らすようになるが、たまには電話などで連絡を取り合ったり、世間の目を避けて会ったりはしていたようだ。つまり、会えなくなっても母娘の関係は続いていたってこと。この辺が、ドイツ人と日本人の感性の違いなのかもしれない。

 その辺の微妙な違いが、ベティーナ・ロールと重信メイにおける母親の活動への評価に関する、それこそ微妙な違いとなって表れてきているようだ。

 例えば、ベティーナ・ロールが語る母。『共産党員になって以来、母はドイツ赤軍時代から死ぬまで厳格な共産主義者だった』『テロリストはヘロイン中毒に似ている。普通の人が理解できない人格の変化があるの。ウルリケが同じ人間だったと言うのは間違いよ』と、ちょっと母親に対しては少し離れた立場から批判的に見る。

 一方、重信メイは『母の信念をサポートすることで、母を助けることができる。中東やパレスチナのことが広く伝えられたら、母の闘いが無駄ではなかったことを示すことができる。……最も難しかったことは母から独立し、彼らの信念や過去に行った事から独立した、私自身のアイデンティティーを確立することだった』と、まだ母親が生きているからかも知れないが、どうやったら母親をサポートできるのか、という視点。

 とは言うものの、ベティーナ・ロールも自分に子どもが出来て、それを見ていると何となく母親の考えてきたことがわかるというような部分があって、なんかホッとされる部分もある。

 それにしても、面白いのは2011年にこの映画が完成し、同志社大学で映画の試写を行ったとき、映画をみた学生から『映画を見るまでは重信房子は大悪人だと思っていたけれど、彼女の話や人生が本当に面白くて、重信房子に対するイメージが変わった』という感想や、彼女たちが『悪名高きテロリスト』と呼ばれていたということが、如何にマスコミが作り上げた虚像であったのかということがよくわかる。

 実際、ウルリケ・マインホフにしろ、重信房子にしろ、当時のドイツ、日本ではごく普通の家に生まれ育ち、ごく普通の教育を受けてきた人たちだ。近い世代の私たちも、別に彼女たちが特別な存在だとは思っていなかったし、ちょっと少し前に行っていたら、私も重信房子や奥平剛士になっていたかも知れなかったという、喫水線にいた人間たちだ。そんなところから、私は別に共産同赤軍派には所属していなかったけれども、赤軍派がよど号ハイジャックを起こしたり、リッダ空港襲撃事件を起こしたりした時には、う~ん、何か先を越されたなあ的な感想を持ったりしていたのである。

 なので、私たちが重信房子に持っていた印象としては、「へえ、けっこう美人の革命家ってのがいるし、それがアラブに行っちゃたの? すげえな」的なものであり、別に彼女が世紀のテロリストっていう感じはなかった。

 更に言ってしまうと、若松プロダクションが作った『赤軍-PFLP 世界戦争宣言』(tsunokenの昔の映画評に掲載)という映画を見てしまうと、まだ重信メイを生む前の重信房子が出てきて、まあ結構よさげに見える女性なんですね(美人とか、いい女というレベルではないが)。

 つまり、別に普通の女の人がたまたま革命家になっちゃって、たまたまアラブに行っちゃってテロリスト呼ばわりされちゃって、結果、日本に帰れなくなっちゃって、というレベルの理解しか、当時、高校生や学生だった我々にはないってこと。

 2000年に大阪で逮捕されて、東京に新幹線で移送されて東京駅で親指を立てて自らの健全を表現する重信房子は、結構カッコよかったし、なんか昔よりも綺麗になったみたいだった。

 ということで2030年には重信房子は遅くとも刑期満了で出所するはずである。その時、重信房子85歳、重信メイ57歳。どんなバアさんたちになっているんだろう。それが大いなる期待だ。

 最後に映画の最後の方のシーンで重信メイが語った言葉を載せておく。

『30年40年前は作戦を実行し、メディアの注目を得るのが唯一の手段で、自分たちの声明文を出し、なぜことような計画をやっているか問題提起をしていました。でも、今はメディアに注目されるには数多くの方法がある。インターネットで情報や自身の考え方をばらまくことができます。海外の人たちへ伝えられるチャンスがあり、正義のために戦う別の方法があるのです』

 だから、インターネットがなかった時代は、実際に事件を起こすしかなかったというのだろうか。

映画『革命の子どもたち』の公式サイトはコチラ

2014年7月19日 (土)

『「下り坂」繁盛記』はさもありなん

 嵐山光三郎氏は昭和17年(1942年)の生まれだから、最早72歳、立派な前期高齢者ではあるが、いまだにエッセイストとして活躍中である。あ、まあ「活躍中」というとなんか体を動かしているように思えてしまうので、そうじゃなくて「いまだにエッセイストをやっている」というべきか。

『なにかの出版記念パーティーで本多光夫さんに会ったら、「60歳をすぎたら原稿執筆依頼なんて来ねえぞ。覚悟しておきたまえ」と言われた』

 とか

『NHKラジオ「新・話の泉」の公開放送で山藤章二さんに会ったら、「70歳の坂をこえるのが大変だぞ」と凄まれた』

 なんてことを書きながら、相変わらずエッセイを書き続けているのである。まあ、今は昭和ではないので「昭和軽薄体」ではないけれどもね。

Photo『「下り坂」繁盛記』(嵐山光三郎著/ちくま文庫/2014年7月10日刊)原本は2009年9月、新講社刊。

 とは言うものの、そのタイトル通り、人生の下り坂を肯定する(というか肯定せざるを得なくなるということなのだと思うが)エッセイばかりなのだ。

『登り坂は苦しいだけで、周囲が見えず、余裕が生まれない。どうにか坂を登りきると、つぎは下り坂になる。風が顔にあたり、樹々や草や土の香りがふんわりと飛んできて気持ちがいい。ペダルをこがないから気分爽快だ。そのとき、
「楽しみは下り坂ににあり」
 と気がついた。光や音や温度を直接肌に感じた。鼻歌が出る。なだらかな下り坂をゆっくりとカーブしんながら進む快感があった。
 しばらく走ると小さな坂に出る。坂を下ったスピードを殺さず、一気に登っていく。登りつつ「つぎは下り坂だ」とはげましている自分に気がついた。下り坂を楽しむために登るのである。
 人は、年をとると「まだまだこれからだ」とか「第二の人生」とか「若い者には負けない」という気になりがちだ。そういった発想そのものが老化現象であるのに、それに気がつかない。下り坂を否定するのではなく。下り坂をそのまま受け入れて享受していけばいいのだ』

 という心境になっているようだ。

 そりゃそうだ。人間70年も生きてくれば、身体のそこここも痛んでくるし、頭もボケ始まる。じゃあ、そんな老化に抗ってみたって、それはホンの一時期はなんとかなるが、基本的には回復不可能なものなのだ。ここから先は、死に向かって突き進んでいくだけなのである。

 元々、嵐山氏は「不良中年」を提唱していた人である。その不良中年が老いてはジジイとなり、これまた別の提案をしている。

 それが「スパポン」だそうである。

『肉体は下り坂でポンコツと化していく、かくなるうえはスーパー・ポンコツ(略してスパポン)になり、
①老人の獣道をゆく。(もともとの路線)
②ゲーム感覚の人生。(行きあたりばったり)
③やりたいほうだい。(ひとりの敵を作らぬ人は、ひとりの友も得られない)
④ねえちゃんは蚊とみなす。(女の子を連れて六本木ヒルズでのお食事から得るものは誤解だけである)
⑤下り坂をおりる工夫。(企画力がない駆けおりは転ぶ)
⑥消耗品としての肉体を自覚する。(ケガするから)
⑦一日単位の勝負。(負けを翌日にもちこさない)
⑧弁解せず。(面倒くさい)
⑨放浪へのはてしなき夢。(廃墟願望)
⑩名誉の蜃気楼を追わず。(見苦しい)
⑪未練は捨てる。(悟ったらすることがない)
⑫いつ死んでもいい、という覚悟。(ひらきなおり)
⑬しかし悟らず。(終わったことは仕方がない)
⑭ガンを告知されても「闘病記」なんて書かない。(世間に害悪をもたらす)
⑮落語は談志だけ。(ときどき志らく)
⑯小利口な若僧をぶっとばす。(いまの新入社員世代は「従順、小利口、ミズスマシ」である)
⑰議論せず。(時間の無駄)
⑱安穏な社会生活を拒否。(ぐれる)
⑲頓着せずに享楽する。(町の暗がりに身をひそめる)
⑳時の流れに身をゆだねて生きる。(チャランポラン)
㉑無理せずメチャクチャでいく。(そのまんま)
㉒世間の無常を知る。(期待しない)
㉓いらだって生きる。(いらだちが生命のもと)
㉔自由契約亭主となる。(放し飼いの亭主)
㉕孤立を恐れず。(自分本位の宿命)』

 という、まあ、「やりたいようにやっちゃえばいいんじゃない」という提案なのだが、ポイントは決して自分より若い世代に嫉妬を持ってしまってはいけないということなのだ。

 そりゃそうだ。だって自分より若い世代ということは、いまだに現役のサラリーマンだったりしているわけで、つまりそれはその本人が気づいていないかもしれないけれども、会社というものをバックにした権力を持っているということなのだ。当然、その会社にいる連中は自分がそんな権力を持った存在だという意識はないだろうけれども、会社を離れて見れば「所詮自分は一個人でしかない」ということに気づかされるのであって、その時「会社」という肩書の重さに、初めて気づくのである。

 つまりは、自分が会社という肩書があって初めて仕事ができたんだということにである。つまり、日本人のほとんどの人間は「サラリーマン」として会社に所属することでもって、初めて仕事ができたんだということである。

 そう考えてみると、定年で完全に企業社会からはフリーになってしまってみると、これはまたサラリーマン時代とは見える世界が違ってくる、というか、私がサラリーマン時代に付き合っていたフリーの人たちの気分がこういうものなのかなあ、ということに今更ながら気づかされるというところである訳なのであります。

 まあ、『⑫いつ死んでもいい、という覚悟』は今でもカミさんともども、持っております。その為の準備もおさおさ怠りなく……。

『「下り坂」繁盛記』(嵐山光三郎著/ちくま文庫/2014年7月10日刊)原本は2009年9月、新講社刊。

2014年7月18日 (金)

『若者は本当にお金がないのか?』いやあ、ないこともないんですけどね

 まず、絶対的評価で言ってしまえば「若者はお金がない」というのは事実であろう。しかし、相対的評価で言ってしまえば、決してそういうことではないようである。

 つまりは、ひとつは晩婚化によって「若者の独身生活時代」が長く続いているために、取り敢えず「結婚しないでいる間は、それなりに裕福な生活が送れる」ということと、デフレ時代が続いたために、相対的に「使うお金の量は減った」ということのようである。

Photo『若者は本当にお金がなのか? 統計データが語る意外な真実』(久我尚子著/光文社新書/2014年6月20日刊)

 基本的には、今の団塊世代とか、団塊ジュニア世代が持っている「今の若者はかわいそうだ・非正規雇用が多くて収入が少なくてかわいそう・アルコール離れやクルマ離れ、海外旅行離れなどがおきてきていて内向きになってしまっていて情けない・未婚化、晩婚化が見られて将来の日本はどうなるんだ」という、見方に対して、政府が持っていて公開している様々な統計データを使って、実際の「今の若者」の実像を統計データから読み解いていこうというのが、本書のテーマである。

 で、その結果どうなのかという、それぞれの統計データは本書を読んでいただくとして、結論的に言ってしまう。

『統計データで見ると、今の若者は一概にお金がないとは言えない。一人暮らしの若者の所得はバブル期よりも増えている。若者を哀れんでいいる現在の中高年の所得よりも多い。
 また、若者は「海外離れ」や「留学離れ」をしているわけではない。「クルマ離れ」は一部で起きているが、一人暮らしの女性ではむしろ自動車保有率が高まっている。「アルコール離れ」は確かに20代で進んでいるが、若者だけの傾向ではない。
 さらに、現在、日本では未婚化・晩婚化、少子化が進行しているが、実は若者の大半は結婚を望んでいる。結婚に対する先延ばし感も薄らいでいる。恋愛・結婚の状況は、正規・非正規の雇用形態によって異なり、結婚には年収300万円の壁があるようだ。経済問題がある一方、結婚適齢期の男女の未婚理由の第1位は適当な相手にめぐり会わないことであり、恋愛の消極化という現代の若者らしい状況もうかがえた』

 ということ。

 つまり、結局は昔から言われていた「近頃の若者たちは……」的な、旧世代からの「イマドキの若者たち」への繰り言みたいなもので、「今時の若者」からしてみれば、「そんなの関係ないじゃん。僕らは僕らなりに、現在の状況から一番いいと思う方法で生きているだけなんだから、昔の人たちが自分たちの若かった時代と対照して、イマドキの若者たちは。なんてことは言ってほしくはないんだよね。むしろ、そんなことを言うんだったら、あんたらの世代がもっと一生懸命、その後の若い世代のために何かをして欲しかったんだよな。それもしないで、若者批判をしたって、それは『若者批判』ではなくて単なる『ジジイの繰り言』でしかない」という、まあ、いつもの不生産な世代論でしかないわけで、じゃあ本書はそれだけの本でしかないのか、と言えば、そうでもなくて、まあ、実際に統計データをキチンとみて見ましょう、ということであり、同時に、統計データをキチンとみて見たら、まあ、予想した通りであったということなのだ。

 まあ、ポイントは本書でも述べられている「年収300万円の壁」というところなのだろうな。

『内閣府「平成23年版 子ども・子育て白書」にて、年収別に20~30代の男性の既婚率を見ると、年収の増加に伴って既婚率は上昇している。20代では、高年収層で逆に既婚率が下がっているがこれは労働時間が長く忙しいということや、高年収の男性では相手を選ぶ余裕があるということなのかもしれない。労働時間は、年収水準の高い正規雇用者の方が、非正規雇用者より長い傾向がある。
 ところで、ここで注目すべきは年収300万円未満の層である。年収300万円未満の既婚率は20代でも30代でも1割に満たない。しかし、次の年収階層である300万~400万円未満では既婚率は3倍に上昇する。つまり、年収300万円を超えると一気に既婚率は上昇する。結婚には「年収300万円の壁」が存在しているようだ』

 まあ、結局この「年収300万円の壁」というのが、正規雇用と非正規雇用の差なんだろう。

 本書では、とりあえず

『非正規雇用者では、1人で年収300万円を超えるのは難しいケースも多いのかも知れないが、2人あわせれば300万円を優に超える。30~34歳の男女の平均値をを合計すると500万円を超え、結婚して子どもを持つことも十分可能だ』

 と書くけれども、問題はその結婚した妻が「妊娠・出産」した場合の問題だろう。非正規雇用者では育休所得が難しいし、保育所の利用なんかでも不利になる傾向があるようだ。

 それは著者・久我さんも分かっている。

 なので、大きい問題としては「非正規労働者であっても年収500万円」位を支払えるような企業環境を作らねばならないだろうし、非正規労働者であっても、普通に子どもを預けられるような保育環境が必要だということだろう。

 まあ、安倍首相が唱えている「女性を登用する社会」を実現するためには、そうした保育環境を作らなければならないだろうし、少子化を一番避ける政策としては、結局、正規雇用者であろうが非正規雇用者であろうが、同じ産業領域に働く人たちの「産業別最低賃金制」を導入せざるを得ないのではないかぁとは思うのだ。

 勿論、この「産業別最低賃金制」ってのは極めて「社会主義」的な政策であり、自民党の一部の人たちはとても嫌うだろう。しかも、その結果が出るのはその政策を開始してから20~30年作だもんなあ。これは政治家の政治生命の中には納まらない時間スケールなので難しいか。

 じゃあ、最早、自民党には頼らないで他の政党に……、と考えてみたのだけれども、他の政党は目の前の政争やら、政変やら、次回の選挙やらにばっかり追われている状況である。

 といいながら、今まで自民党に投票したことはないんだけれどね。

 う~ん、しかしここは、自民党のリベラル派に頼るしかないのかな。

『若者は本当にお金がないのか? 統計データが語る意外な真実』(久我尚子著/光文社新書/2014年6月20日刊)

2014年7月17日 (木)

Mr. Chris Guillebeau announced the new blogs

 クリス・ギレボー氏から新しいブログのご案内。

Hi Ken,

Last Friday morning I was on location in downtown Portland
at our World Record Attempt for the 2014 World Domination
Summit (WDS). Did we break the record?

ハイ、ケン

先週の金曜日の朝、私は世界記録が生まれることになる、2014年ワールド・ドミネーション・サミットが行われるポートランドのダウンタウンにいました。私たちは世界記録を打ち破れるのか?
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 クリス・ギレボー氏のブログ<The Art of Non-Conformity>はコチラ

おばあちゃんの原宿・考

「おばあちゃんの原宿」と言えば、巣鴨の地蔵通商店街なのだが、この日は平日なのであまり人で溢れている感じではない。ところが「とげぬき地蔵」がある曹洞宗萬頂山高岩寺の縁日は毎月4のつく日なので、4日、14日、24日には「おばちゃんの原宿」はまさしく「おばあちゃんの竹下通り」くらいの賑わいになってしまう。

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 で、この巣鴨地蔵通商店街は、入口はいつも托鉢の尼僧がいる、江戸六地蔵で知られる真言宗豊山派医王山真性寺の門前から……

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 猿田彦神社がある場所までで、そこから先、都電荒川線の庚申塚駅から先は、庚申塚商栄会となる。

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 庚申塚商栄会から先はずっといってJR埼京線の板橋駅前を過ぎて、板橋仲宿に至る、旧中山道なのである。

 つまり地蔵通商店街は、街道沿いの門前町という、ちょっと珍しい門前町なのであります。

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 で、こうした門前町の特徴である、お煎餅屋さんや鰻屋さん……

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 塩大福などの甘味屋さんなどが沢山ある訳だが、巣鴨地蔵通商店街のもう一つの名物と言えば。

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 ここ、「巣鴨マルジ 日本一の赤パンツ」なのである。

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 このマルジは別に赤パンツだけの店ではなくて、まあ安価な衣料品屋さんなのであるが、創業は昭和27年というから、既に60年以上もここ巣鴨で店を開いている老舗なのである。

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 で、その「赤パンツ」が、実は本日のテーマなのであります。ちょっとマクラが長すぎましたかね。

 なぜ、とげぬき地蔵に参詣したおばあちゃんたちは、原宿ギャルがファッションや小物を買っていくように、赤パンツを買っていくのか。

 ポイントは、赤パンツはへその上まで隠れる程度に深めに作られているということ。へその下にある「丹田」が覆われるので、身体が冷えにくく、自然治癒力を高めるらしいのと、女性は赤を身に着けると、一生、下の世話にならないという言い伝えがあるらしい。

 しかし、こうした昔からの言い伝えを信じるのは、せいぜい昭和ヒトケタ(1935年まで)に生まれた世代までだそうだ。

 ということは、2025年におばあちゃんたちは赤パンツを買いに、巣鴨までくるのか? という問題に行き当たる。

 2025年になると昭和ヒトケタ世代は90歳以上になってしまう。90歳以上の大半が要介護世代になっているだろうという予測があるというので、多分、そのおばあちゃんたちが巣鴨までわざわざ赤パンツを買いに来ることはないだろう。ましてや、要介護状態になってしまえば、パンツではなくておむつをするようになるので、赤パンツのニーズはなくなってしまう。

 当然、1935年以降に生まれた人たちは、世代の嗜好性が違うので、無病息災を願ってとげぬき地蔵にやってきても、赤パンツは買って行かないだろう。あるいは、赤パンツ世代が自分の娘たちに赤パンツの効用を言い伝えていたとしても、赤パンツ世代の子供たちだから、2025年には60歳から70歳。ということは、多分、親から言われても「ああ、これがお母さんが言っていた赤パンツね」ってなもんで見るだけか、あるいは買うとしてもネットで買う可能性が高い。

 ということなので、「赤パンツ世代」が「巣鴨の顧客でいる」時間はそう長くはないということ。

 問題は「赤パンツ」なのではない。

 ポイントは、今現在は大きく膨らんでいる、シニアをメイン・ターゲットにしているビジネス全般について、今後10年以降はどうやってそのビジネス転換をしていかなければならないかを、いまから考えていかなければならない、ということを示唆している話なのでありました。

 以上、東北大学特任教授にして、団塊・シニアビジネスの専門家集団である村田アソシエイツの代表、村田俊之氏のブログを参考にしました。

NIKON D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Sugamo @tsunoken

2014年7月16日 (水)

『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』といっても、その「気持ち悪さ」がわからない

『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』という設問は私にはよくわからない。

 何故なら、Twitter、Facebook、LINEなどのいわゆるSNSは短文や写真やスタンプだけのコミュニケーションでしょ。そんなもので自分の言いたいことが伝わる訳がないというのが私の考え方だ。そんな断片的な表現で自分のメッセージが伝わると考えること自体が、自らのメディアに関するリテラシーの低さを表しているだけであり、その程度のコミュニケーションで、というかその程度のコミュニケーションだからこそ、そんなコミュケーションに対して「SNS疲れ」とか「SNSうつ」になってしまったりするというのは、まさしくその程度のコミュニケーションで他人と繋がっていると勘違いしてしまったゆえの、浅はかな考え方というものに違いないと考えるからなのだ。

 勿論、このブログだってコメントを付けられたり、トラックバックを付けられたりできる<双方向コミュニケーション>ということなのだから一種のSNSである。しかし、上に上げた3つのSNSとブログの大きな違いは、上のSNSが単にフローだけのコミュニケーションであるのに比較して、ブログはストック型のどちらかというと書籍に近いコミュニケーション手段だということだ。Twitter、Facebook、LINEは時間と共に流されていくメディアではあるけれども、ブログはいつまでたっても昔のブログに戻って読むことかできるという大きな違いがある。私のブログだって、結構昔に書いた文章にコメントが付いて来たりして、書いた私自身が「そんなこと書いたかなあ」なんて温故知新的に懐かしくなったり、でもその昔に書いたブログの内容に今の自分でも納得できたりして、「いやあ、私も間違ったことは書いてこなかったな」と安心できたりする。

 つまり、書き手としての責任はブログの方がよっぽど大きいし、昔書いたブログに関して炎上したりする可能性もあって、書き手としてはその辺まで気にして書かなければならないという前提がある。つまり、脊髄反応的にブログを書いちゃいかんということなのだ。これを書いたら読者はどんな反応をするだろうか、ということを想定しながら書かなければいけないのがブログ。ところがTwitter、Facebook、LINEだってそれは同じはずなのに、そうはなっていないということは、それは単なる書き手のリテラシーの低さに一番の原因を求めるべきだし、そんなSNSのやりとりに無駄に意識を使って、そのために疲れててしまうくらいならSNSを辞めればいいのに、それを辞められないというのは、やっぱりその辞められない人のメディア・リテラシーの低さということにして、コトを収めるしかないんじゃないかと考えるのだが、如何?

Photo_2『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』(香山リカ著/朝日新書/2014年6月30日刊)

 とは言っても、そうはいかないんじゃないかというのが(リカちゃん人形:と言っても最早オバサンですけどね)香山リカ氏の今回の言説である。

 結論的なことをまず言ってしまうと

『自分さがしにしても新型うつにしても、背景にあるのは個人主義が行きついた先の社会なのかもしれない。2010年にはほかにも、年金ほしさに行方知れずの高齢の親を「生きている」ことにし続ける息子や娘、また幼いわが子を放置して遊びに出かけ、死に至らしめた若い親の問題がクローズアップされた。
 これらも、ベースにあるのは「私のことが問題。ほかの人がどうなろうと、知ったことではない」というウルトラ個人主義だ。
 しかし、グローバル化した社会では、このウルトラ個人主義は必ずしも否定されたり嘆き悲しまれたりしていたわけではなかった。
 たとえば、あのホリエモンこと堀江貴文氏に代表されるIT長者と言われる人たちはみな「組織のために」と自分を押し殺すようなタイプではない。自分自身の業績を堂々と誇り、所属する企業や出身大学の名前によってではなくて、個人の名前で世に打って出ている。
 なぜ、個人で勝負しているのか。
 その理由のひとつは、やはりグローバル化のなかで「勝ち組」になるためだ。「グローバル」とは言うものの、そこにはかつての冷戦時代のような「大きな物語」は生み出されていない。インターネットが実現するフラット化された世界で生き延びていくためには、顔の見えない企業や組織の一員のままではダメなのだ。
 権力の中枢がどこにあるかもわからないカオスのようなグローバル化社会のなかでは、ひとりひとりが「オレは何々」と名前を名乗り、自分のキャラクターを明確にして、それで勝負していくしかない』

 いささか長い引用にになってしまったが、本書の結論は、本書の真ん中辺にかかれたこの一文にあらわれている。

 つまり、ホリエモンみたいな数少ない「勝ち組」の周辺にはまさしく死屍累々といってもいいような「負け組」の死体が転がっている訳ですね。

 その負け組の代表者が、今の多くの大学生のような、SNSが自分のコミュニケーション・ツールとして一番適していると考えて始めたはいいが、結局、その結果自らのコミュニケーション能力の低さに気づいてしまい、相手からのリプライに対して過剰なまでの対応をしなければならないと考えてしまい、それに困ってしまっている人たちや、自分の書いたFacebookに「いいね!」を付けられたことによってそれを更によくしなければと呻吟する人たちや、『既成のマスコミ報道がすべてウソで、ネット情報は真実』と考えている「ネトウヨ」諸君や、SNS疲れで「うつ」になってしまったり、出社拒否や登校拒否になってしまったりする人が出てきたりしてる訳だ。

 なんか、ネットというのは人と人がつながるツールだと思っている人がこんなに多いのか、というのが私なんかの旧世代の人間の思いである。

 ネットはコミュニケーション・ツールではあるけれども、だからといってそれは人と人の関係を決めるツールでもないし、人と人の出会いを演出するツールであることなどはまったくない。人と人の関係を作ったり、人と人の出会いを演出するのは、間違いなくその「人と人」でしかないのだ。その辺を、ネットで他人と繋がることで何となくその相手と自分がつながっていると誤解してしまっているのが、現在の「SNSうつ」なんかの原因なんじゃないだろうか。

 香山氏は精神科医としての立場からそうした「現代病」に向き合おうとしているのだが、私なんかは、そんな情弱は勝手にほっぽときゃいいじゃないかよ、と考えてしまうのだ。

 ネトウヨだって、別にその結果として彼らが自衛隊に大量入隊したという話はまったく聞かないし、結局、自らは安全な場所に置いて単なる排外主義的な言辞を吐いているにすぎないのだ。

 ということなので、香山リカ氏がいう『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』というのは、わからないでもないが、べつにそれがどうしたっていうねん? というところであります。

 ダメになる奴は、結局、ダメになるだけですよ。立ち直る奴は、ちゃんと立ち直る、というだけの話。

 というのが精神科医じゃなくて、単なるブロガーの感想ですね。

『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』(香山リカ著/朝日新書/2014年6月30日刊)

2014年7月15日 (火)

『旅とカメラと私』が言いたいこと

『旅とカメラと私』という設問は、基本的にはどんなフォトグラファーにも当てはまるタイトルで、それ自体は何も語っていないに等しい。つまり、写真を撮るために旅に出た写真家に、写真を撮った時の心象を語ってもらったというだけのこと。

 じゃあ、それが何の意味があるのかと言えば、つまりポイントは「RICHO GR/GRX」というところにあるのだ。つまり、リコーとのタイアップっていうことね。

Photo_3『旅とカメラと私』(森山大道・横木安良夫・赤城耕一・湯沢英治・田尾沙織・渡部さとる・岡島和幸・茂手木秀行・藤田一咲・大和田良・菅原一剛・小林紀晴著/インプレスジャパン/2011年12月21日刊)

 ということなので、別に写真集としてのテーマはない。

 まず、PHOTO ESSAYとして12人の写真家と12の日本の土地がある。

1 森山大道×熱海
2 横木安良夫×大泉町
3 赤城耕一×大阪
4 湯沢英治×掛川
5 田尾沙織×五島
6 渡部さとる×津軽
7 岡嶋和幸×越前
8 茂手木秀行×小豆島
9 藤田一咲×肥薩線
10 大和田良×会津
11 菅原一剛×遠野
12 小林紀晴×佐渡

 HOW TO TECHNIQUEでは

1 コザ
2 軽井沢
3 能登

 に岡嶋和幸が赴いてそれぞれの場所についてのエッセイと、それらの場所に行った際のGXRでの撮影方法について述べられる。

 最後のSHORT STORYでは

1 旅は好きじゃない 横木安良夫
『写真家として独立して36年。いまでは旅とは写真を撮ることと同義だ。純粋に旅を楽しむことはない。そういう意味で僕は、ただの「旅は嫌いだ」と、つい言ってしまった。
 いや、待て、撮影旅行より楽し旅は、出会ったばかりのガールフレンドと、未知の土地を旅することだ、
 そう夢想しながらも、やはり写真を撮ってしまうに違いないと思っている』

2 旅の味方 渡部さとる
『「なぜ旅に出て写真を撮るのですか?」
 インタビューを受けるたびそう聞かれる。そう聞かれても説明がつかない。もっともらしいことを答えているが、じつはなにも答えになっていない。
「なぜ?」なのかは自分にもわからないままだった。いえることは、突然どこかに行きたくなるし、行ったら写真を撮りたくなる。いや、写真を撮りたくなってどこかに行くのかもしれない。どちらが先かは、これもまたよくわからない』

3 旅とカメラと僕 小林紀晴
『撮って、見て、また撮って。また見て、また撮る。この反復がフィールドのなかで繰り返される。フィルムカメラでは絶対にできない。フィルムはフィールドでは常に獲物に向かい続けるしかない。それに対して、デジタルはフィールドのなかにあって、すでに獲物を味わっている。フィルムカメラでは持ち帰るだけだった獲物を、その場で口にし、さらに狩猟を続けることに近い。
 そんな写真行為が今は当たり前のものになっている。自分もそのことを積極的に取り入れて行きたい。同時にフィルムへの思いがここのところ増してもいる』

 と、三者の「旅とカメラ」についての思いが述べられる。

 昔、金沢へ子どもたちのドッジボールの取材に行った時のことを思い出した。

 同行したカメラマンは私たち編集者やライターに向かって、こう言った。

『あなたたちはいいよね、べつに現場にいなくたって、あとからいくらでも書けるもんな。でも、カメラマンは絶対に現場にいなければ撮影できないんだ』

 と。

「旅とカメラと私」の一番大きなテーマはそこだろう。

 旅に出なければ絶対に撮れない写真。旅に出て、そこの風景と出会わなければ絶対に撮れない写真。旅に出て、そこの人たちと触れ合わなければ絶対に撮れない写真。そんな写真がフォトグラファーを旅へ誘う。そんな風景との出会いがフォトグラファーを旅へ誘う。そんな人との出会いがフォトグラファーを旅へ誘う。

 つまり、「旅」と「フォトグラファー」は、実は一体なのだ。

 ロバート・フランクの「THE AMERICANS」が、まさしくそんな全アメリカを旅した記録なわけだし、ロバート・キャパの戦争写真ですら、そんな旅の記録でもある。

 写真集としての統一されたテーマがあるわけでもない本書が、しかし、ひとつのテーマを持っているとすれば、そんな『、「旅」と「フォトグラファー」は、実は一体なのだ』という重要なことを言っているのかも知れない。

『旅とカメラと私』(森山大道・横木安良夫・赤城耕一・湯沢英治・田尾沙織・渡部さとる・岡島和幸・茂手木秀行・藤田一咲・大和田良・菅原一剛・小林紀晴著/インプレスジャパン/2011年12月21日刊)

2014年7月14日 (月)

谷根千が近い!

 本駒込に再び引っ越してきて最初の日曜日は、練馬に残してきたいろいろなものの後始末やら引っ越し荷物の開梱なども一休みして、近所を散歩した。

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 近所を散歩といっても、何しろ不忍通りと本郷通りが交差する上富士交差点のそばにあるマンションなので、そのまま不忍通りの坂を下がっていけば、すぐのところに「谷根千」がある。

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「谷中」「根津」「千駄木」という不忍通り沿いにある昭和の下町風情が私は好きで、よく訪れるのであるが、家の近くにあるっていうのは本当に嬉しい。

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 谷根千のシンボルであると私が勝手に思っている「往来堂書店」にも近い。たびたび訪れることが、これからは可能になるだろう。

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 根津神社にも近いし……

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 根津のたいやきなんかも近くにある訳だ。

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 で、谷根千めぐりの仕上げはここ、根津二丁目にある串揚げの「はん亭」であります。

『明治時代に建てられ、関東大震災にも耐えた、総けやき造り木造三階建ての日本家屋はとても珍しく、なかなか見ることはできません。

 価値ある建築物として、文化庁が指定する登録有形文化財として指定。

 二階、三階の窓から眺める瓦の波が、とても心地良く下町風情を感じられます』

 というのがはん亭のサイトに書かれた一文。

 で、このはん亭の前をゆく道は、今は暗渠になっているが、谷中のよみせ通りあたりから千駄木、根津を通って不忍池に流れ込む、藍染川という川だったのであり、昔はこちらが表通りであり、不忍通りは後から出来た道なのである。

 という無駄知識……。

2014年7月13日 (日)

New Fitbit Flex とうちゃーく

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 Fitbit Flexが止まってしまった記事を書いたばかりだが、その際に「速攻Amazonで新規発注」と書いたら、それこそ速攻で新しいFitbit Flexが到着した。

 これで明日からまた普通にライフログができる。

『文房具大賞2014-2015』で分かったこと

 本書の中で糸井重里氏も言うように『文房具は半分おもちゃ。大人も買う喜びがあるよね』という通り、私も結構文房具には凝る方だ。当然、「おもちゃ」としてね。

Photo_2e-MOOK MonoMax別冊『文房具大賞 2014-2015』(宝島社)

 で、早速各部門の最優秀賞を紹介。

 まず「書く部門:シャープペンシル」は<トンボ鉛筆 モノグラフ>は、Amazonの文具・オフィス用品で9,108位だ。

 同じ「書く部門」でも多機能ペンになると<ステッドラー アバンギャルド>が受賞。58,090位。

「書く部門:実用ボールペン」は<トンボ鉛筆 ZOOM505ボールペン>8,024位。

「書く部門:高級ボールペン」は<ファーバーカステル 伯爵コレクション ギロシェ シスレー ブラウン>271,753位。

「書く部門:万年筆」は<パイロット 万年筆カクノ>1,101位。

「書く部門:マーカー」は<ステッドラー メタリックマーカーペン>

 お次は「記す部門:ノート」<デザインフィル スパイラルリングノート>3186位。

「記す部門:メモ」は<デザインフィル メモスタンドメモ>28,462位。

 次は「切る部門:カッター・ナイフ」<オルファ ゼロハイパーAL型>82,594位。

「切る部門:はさみ」は<デザインフィル CLコンパクトハサミ>9,054位。

 次は「消す部門:消しゴム」で<トンボ鉛筆 モノブラック>11,986位。

「消す部門:修正液・修正テープ」は<トンボ鉛筆 モノノート>9,816位。

 次は「留める部門:クリップ」で<デザインフィル P-51クリップス>133,582位。

「留める部門:ステープラー」は<コクヨS&T ステープラー〈パワーラッチキス〉>8,855位。

「留める部門:のり・テープ」は<プラス モジライナー>

 お次は「貼る部門:ふせん」で<カンミ堂 ココフセン[STUDYグルグル]>35,181位。

 次は「まとめる部門:ファイル」で<LIHIT LAB. SMART FIT キャリングポケット>48,588位。

 最後は「バラエティ文具部門」で<パイロット フリクションいろえんぴつ>1,188位。

 しかし、こうして見ると文房具ってすごい種類があるんだな、ということがよくわかる。この多種類の中から選んで使っているのかということになるんだが、でも、実はそんなにキチンと選んでいるわけではない。まあ、文房具店に行って、そこにあるものの中から適当に使いやすそうなものを選んでいるだけなのだけれども、じゃあ、それに対する基礎知識があればいいのかって言えば、まあ、あるにこしたことはないけれども、別に知識はなくても選ぶことには困らないっていうのが文房具だ。

 なので、それは一種の「出会いの奇跡」にすぎない。

 ということなので、別に自分が選んだ文房具がこの「文房具大賞」に選ばれたかどうかなんてことは、実はあまりたいしたことじゃないんだ。要は、自分にとって使いやすいか、使っていてシックリいくかどうかだけなのだ。

 なので、たまたま自分が使っている文房具がこの「文房具大賞」に選ばれれば良かったね、という程度のもの。「文房具大賞」に選ばれたからって、それを買っても自分にとって良い文房具かってことにはならない、ってことも知っておく必要はあるだろう。というか、そんな「良い文房具」を使ったからといって、良い仕事ができる訳でもないしね。

 なので、私が持っている文房具はすべてこの最優秀賞対象外ではあった。

 まあ、そんなもんだよね。

e-MOOK MonoMax別冊『文房具大賞 2014-2015』(宝島社)

2014年7月12日 (土)

Fitbit Flex お陀仏

 Fitbit Flexがどうもお陀仏になってしまったようだ。

Fitbit

 ここ最近やたらと"Your Flex battery level is low"という表示が出てきていて、その度に充電をするのだが、なんかうまく完全に充電できていない様子だった。

Fitbit_2

 昨日のFitbitとの同期表示もこんな感じで、まったく同期できなくなってしまった。

 ので、速攻Amazonで新規発注。しかし、本当はFitbit Forceにしたかったんだけれども、Forceはなんかまだ初期故障の解決ができていないようで、注文できない。ので、今度もFitbit Flexだ。

 やはり、「電池もの」って、購入してから1年半くらい経つと電池が疲労してくるのかな。

 しかし、なんかFitbitがないと、逆に心安らかになれるって言うのは何故なんだろう。なんか、おかしいな。

クーリエ・ジャポン8月号『ここまで変わった世界の「採用基準」』って、どこが変わったの?

『クーリエ・ジャポン 2014年8月号』で気になった記事と言えば、カバーストーリーの『「先が読める人」の流儀』ではなく、第二特集の『ここまで変わった世界の「採用基準」』だ。

Photo『クーリエ・ジャポン 2014年8月号』(講談社)

 というか、日本のような学生の一括採用という方法論がない国ではペーパーテストなんてのはないわけで、つまりペーパーテストでの足切りはないので、そのまま一発で面接になってしまうわけだな。まあ、面接での採用基準というものはあるのだろうけれども、それの採用基準なんてものは日本でも実に曖昧なものだしね。ということで、ではどんな採用基準があるのかと読んでみれば……。

 まずは面接の際に突然聞かれる質問として「3時1分のとき、アナログ時計の長針と短針の角度は何度ですか?」(マイクロソフト)、「水槽の魚200匹のうち、99%はグッピーです。その比率を98%にするには、何匹のグッピーを水槽から出せばいいでしょうか?」(アマゾン)、「米国では年に何㎡のピザが食べられているでしょうか?」(ゴールドマン・サックス)などが書かれているが、最後のゴールドマン・サックスの質問なんて、完璧にフェルミ推定の事例のまんまだね。まさにMBA採用のゴールドマン・サックスらしい。

 笑ってしまうのが『本性を暴く「ドッキリ面接」』で、要は応募者の素の人格を見極めるための、面接の際のドッキリというもので、『ザッポスの「遠足面接」』、『サウスウエスト航空の「宴会面接」』、『ヤフーの「ディナー面接」』、『ハロウィンコスチュームズドットコムの「ゲーム面接」』、『ハイネケンの「ハプニング面接」』なんてのが紹介されているが、結局は採用基準なんてものが明確にはある訳ではないということが分かってくる。つまり、背景として、かつてはl個人主義や能力主義が主流だったのが、最近のシリコンバレーなどの企業はチームで仕事をしてパフォーマンスを上げるという働き方に変わってきていて、そうなると個人の能力というよりは、働く者同士の関係性や相性などが重視されるようになる。ということは、一定の採用基準なんてものはなくなって、文章などでは表現できない個性が大事になってくる。なので、ガチガチの鎧を着た応募者の仮面を剥がすために、試験とは感じさせない設定で面接を行う会社が出てきたということのようだ。

 かつては奇抜な問題をだすことで知られていたグーグルがその手法を打ち切ると発表したそうで、更に大学の成績評価も採用基準にはしないと言ったそうだ。じゃあ、どんなところで人物評価をするのかと言えば、一番重視するのが一般認識能力。以下、リーダーシップ、謙虚さ、自主性と続いて、一番重要性が低いのが専門性だそうだ。でも、これっていわば「当たり前」の方法論だよな。

 なんだか、そうなってくると益々採用基準が分からなくなってくる。

 グーグルの採用担当責任者であるラズロ・ボック氏は6つの質問にこう答える。

1、「学歴に意味はないのですか?」
 大学に行くな、というつもりはない。すべての人が大学卒業レベルの知識を得ている市民社会は理想的だ。だが、18歳から22歳という重要な時期に、大半の人が「大学で何を学ぶか」を考え尽していない。周りに流されて有名な大学を目指し、そこで学位を取得しさえすれば充分だというのは間違っている。

2、「企業に求められるスキルとは、どのようなものですか?」
 グーグルが第一に求める能力は、一般認識力、つまり学習して問題を解決する能力だ。情報を理解して応用できる能力、と言い換えてもいい。だからコンピュータサイエンスは重視される。

3、「大学では、どんな勉強をすべきですか?」
 難しい専攻にチャレンジしてほしい。
 ある大学で、専攻しているコンピュータサイエンスが難しすぎるので別の専攻に変えたい、という学生と話をした。私は「英語学の成績がAプラスより、コンピュータサイエンスでBのほうがはるかに好ましい」と教えてあげた。
 つまり、そのほうがより厳密な思考を経験し、より難しい課題を乗り越えてきたことを示している、ということなのだ。彼は専攻を変えずに頑張り、この夏にわが社でインターンをすることになった。

4、「教養と専門知識、どちらが大事ですか?」
 教養の重要性は以前より高まっている。特にほかの分野と結びつく場合は大事だ。たとえば10年前、行動経済学という分野はほとんど注目されなかった。だが、心理学を経済に応用するということで、行動経済学は新しい学問領域として開かれるようになった。つまり、2つの分野が交わることで、興味深いことが起きるというわけだ。

5、「どんな履歴書を書けば、企業の目にとまるのですか?」
 自分の強みを明確に定義することが肝心だ。「Xをすることによって、Yとこれだけの違いが生じ、Zを達成しました」という具合に書く必要がある。

6、「面接では、どんなことを話すべきですか?」
 大半の求職者は、面接において自分の行為の背景にある思考プロセスを明確にせず、落とされてしまう。説得力のあるエピソードを思いついているのに、思考プロセスをうまく説明できないのでは、高く評価されないのだ。

 という答えをみると、別にグーグルであっても特別な企業ではないし、特別な採用基準があるわけでもないということがわかる。

 では、『ここまで変わった世界の「採用基準」』とはいったい何なのだろう。

 つまり、これまで「個人主義」「能力主義」だった世界の(というよりもアメリカの)企業人に求まられた人物像が、最近ではチームワーク重視になってきており、個性よりは協調性が、働く者同士の相性などが重視されるようになってきたということなのだろう。

 とは言うものの、日本の大企業のように「没個性」までには至らないのだろうな。あそこまで金太郎飴状態になってしまっては、企業は力を発揮できない。

 とは言うものの、協調性が求められると没個性になってしまうのは無理もない。かつてはアメリカの企業だってそういう時代もあったわけで、結局はその辺は行ったり来たりの関係なんだろうなあ。

『クーリエ・ジャポン 2014年8月号』(講談社)

2014年7月11日 (金)

『敗北のない競技』というのは一種の考え方

『サイクルロードレースは残酷な競技だ。200人が走り、ひとりだけが勝つ。
 99.5%の確率で負ける競技――。
 僕はそれが嫌だった。0.5%に入りたかった。それが8年前の僕だ。

 しかし、今は違う。僕は8年かけて理解した。
 3週間かけて3000km以上を共に走ったプロトンの全員が勝者だということを。

 敗北のない競技(レース)。
 それがロードレースだった』

 自伝の中で結論的に述べられる本書の大きなテーマ。

Photo『敗北のない競技 僕の見たサイクルロードレース』(土井雪広著/東京書籍/2014年4月18日刊)

 土井雪広は現在開催中のツール・ド・フランスには残念ながら選ばれていないが、ヴェルタ・ア・エスパーニャには2011年、2012年と2年連続で完走。三大ツールと呼ばれている、ツール・ド・フランス、ジロ・ディ・イタリア、ヴェルタ・ア・エスパーニャの一つでも出ていればそれこそ国に帰れば尊敬の念で見られるレースに2年連続で完走したのである。

 1995年にジロ、1996年にツールに出場した今中大介(両方とも14ステージでリタイヤ)の時代から比較すると、新城幸也、別部史之という二人の選手が当然のようにツールに出場、完走したり、二人して敢闘賞を取ったり、今や新城なんかは今年で5回目のツール出場を果たし、多分、今年はどこかでステージ優勝を狙うだろうなという、最早ツールの顔になってしまったり、なんていう今の時代はまさに今中の時代からすると、隔世の感ありというところなのだが。しかし、それはあくまでも「イマナカ」「ベップ」「アラシロ」「ドイ」という個人名で呼ばれるだけであり「日本人選手」という一括りの中で呼ばれるわけではない。「イタリア選手」「フランス選手」「ドイツ選手」「スペイン選手」「オランダ選手」などは当然いて当たり前という感じで見られているのに比較して、「日本人選手」という括りはなく、あくまでもそれは「個人の頑張り」でしかないわけだ。

 当然、走っている選手個人は「自分は日本人だから」という意識なんかはなくて、単にプロトンの中の一人として走っているだけだから、別に関係ないのだけれども、しかし、それは当然、彼らを受け入れるヨーロッパのチーム側としては「日本人を受け入れる」という意識ではなくて、「ドイ」を、あるいは「アラシロ」を受け入れているだけである。あくまでも個人の頑張りだけに頼ったヨーロッパ・チーム入りでしかなく、日本が国としてサイクルロードレース選手をヨーロッパに送り出しているわけではない。

 確かに、日本にはいまだにサイクリングをスポーツとして見る文化は育っていないようなわけで……

『年越しは、いつも山形の実家だ。中高時代の友達と鍋を囲むのが楽しみだったが、地元では誰もロードレースのことを知らないから、かえって気楽だった。
「土井ちょは、まだ競輪やってるの?」ある友達が言った』

 という程度の理解でしかない。

 まあ、ギャンブル・レースである競輪というものがある以上、それとは一線を画したスポーツとしてのロードレースがあるんだということは、正直、なかなか理解できないことではあるのだろう。トラックレースであっても中野浩一という競輪選手が世界選手権スプリントで1977年から10年間優勝し続けて、ヨーロッパに行けば中野浩一はヒーローなんだけれども、日本では単なるハゲのオジサン扱いってのも、日本自転車競技連盟とか会長の橋本聖子氏たちの広報不足というか、広報下手っていうのにも問題がありそうだ。

 でも、土井選手にしてみれば、そんな日本の環境からは飛び出してヨーロッパの「普通の自転車選手」になってしまったわけであるから、逆に日本の自転車環境からは関係なく、むしろヨーロッパ基準の自転車環境になったわけだ。

 それがドーピング問題。

『誤解を恐れずに言ってしまえば、ドーピングという手段があることは、プロトンでは一種の常識にすらなっている。僕は「これは100%ドーピングだ」という現場に出くわしたことはないけれど、日本でも人気の超有名選手も含めて、噂は無数に聞いた。さっきの注射野郎も含めて、そのほとんどは捕まっていない(ドーピングが発覚し、処分されることを僕たちは「捕まる」という)。陽性反応が出たっていう話すら聞いていない』

 皆、やっていることは知っているが、やっていることは皆で知らんぷりしようね、っていうのがドーピング。どこまでが大丈夫で、どこからがNGなのかは、それこそ時代によって変化する。だから、プロトンの中ではドーピングは当たり前。見つかっちゃったら、それは不運だったんでしょう、というのがドーピングなのだ。だから『ラフライド』を書いちゃったポール・キメイジは嫌われるんだろうな。

 では、何故自転車選手の間でこれだけドーピング問題が発生するのか?

『要するに、やらないと勝てない環境があるから、やる。それだけだ』

 というのが一番簡潔にして、一番深奥に触れた理由だろう。それだけヨーロッパの自転車レースは厳しいというわけだ。それに比較してドーピング問題が全く起きない日本の自転車レース界というのは、それだけ「ぬるま湯」的で「お友だち」感覚なんだろうな。つまり「勝つ」ということに対するモチベーションの違いがあるんだろう。

 ヨーロッパの三大ツールやクラシック・レースで勝てれば、その後の生活安定に関して実に大きなアドバンテージが保障されたのも同じである。しかし、例えば全日本選手権で優勝しても、別になんの生活保障もない。であったら、なんとしてでもヨーロッパのツールやクラッシクで勝ちたい選手が手段を選ばなくても、それは当たり前なのかもしれない。

 そんな、グランツールの世界を知ってしまった土井氏にとっては現在のチーム右京での活動は、いわば「余生」みたいなものなのかもしれない。齢三十にして余生というのも、まあ、スポーツ選手ではあることなのかも知れない。まあ、自転車選手としてはちょっと早いけれどもね。

 これから土井選手が、どんな余生を見せてくれるのか、どんな言葉を後から来る若い選手の残していくのか、それも楽しみの一つではある。

『僕はプロトンという共同体にいたのだ。
 そこでは選手たちが、複雑に繋がり合っている。雨も、風も、雪も、全員に分け隔てなく降り注ぐ。ひとりが転べば、大勢が巻き込まれる。全員で密集して走れば、だいぶ楽になる。時にはチームの垣根を越えて飲み物や食べ物を融通し合うこともあるし、ブエルタの最終日は200人で騒ぐお祭りみたいなものだった』

 結局、人間は人と人との関係の中でしか生きられないものである以上、自分をどんな人間関係の中に置くのかを考えることが、その人の一生を決める要素になるのではないだろうか。それは、三大ツールに出るチームに自転車選手として入る方法もあるだろうし、日本の出版社に入る方法もあるだろうし、公務員になるという方法もある。

 結局、その自分が選んだ生き方の中で「何を掴むか」ということが大事なんだろうな。

 う~ん、ちょっと支離滅裂?

 

『敗北のない競技 僕の見たサイクルロードレース』(土井雪広著/東京書籍/2014年4月18日刊)Kindle版は出ていない。

2014年7月10日 (木)

Fitbit weekly progress report from June 30 to July 6

 まあ、ツール・ド・フランスの第5ステージはベルギーのパヴェで決まっちゃったんだな。って、「パリールーベ」じゃないぞ。

 その前に、パヴェに入る前でリタイヤしちゃったフルームもちょっとなだけど、結局、マイヨジョーヌを着たニーバリがそのままパヴェをも制して勝利ってことですね。ニーバリ、来年は「パリ―ルーベ」にも出そうな勢いで、パヴェを走っていた。

 コンタドールもカンチェラーラもいいところを見せずに終わってしまった、昨日のツール・ド・フランス。

 さあ、明日からは本来の「ツール・ド・フランス」に戻ってフランス一周レース」なるんです。

 最後にシャンゼリゼにトップで戻ってくるのは、ニーバリか、コンタドールか、カンチェラーラか? 

 ということで、現実に戻ります。

 まだまだ部屋の整理がつかないので、いつもならサブネタにするところをメインにあげて誤魔化します。

 ということで、Fitbitから毎週のレポート。6月30日から7月6日まで。

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 一週間トータルでは68,996歩、48.30km歩いた。先週、あまり歩けない状態が2週間ばかり続くのかな、と書いた割には結構歩いて、週ノルマの70,000歩まであとわずかというところまで行っている。結構、歩いたということなのだろう。

 トータルのカロリー消費量は17,665Kcal、体重変化は0.6kg落ちた。平均睡眠時間は5時間54分と、、まあ今までの大体平均を維持している。

 最も活動的だった日は7月2日(水)で、17,551歩、12.29km歩いている。カロリー消費は2,956Kcalとなかなかの消費量。

 最も非活動的だったのは7月4日(金)で、そこそこ動いたと思ったのであるが、あまり動いていないというのがよくわかる。

 今週は、引っ越し作業であまり動けないと予想していたのだが、結構歩いている。来週のレポートをお楽しみに。

2014年7月 9日 (水)

引っ越し終了…しかし、完了ではない

 7年半ぶりに駒込の住人になった。

 7年前に駒込から練馬区上石神井に移住して、ブログを始めたわけだけれども、ブログ云々とは関係なく、久々の駒込ということに今は興奮している。まあ、昔住んでいたっていうことだけなんだけれどもね。

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 とは言うものの、練馬の一軒家でなくてマンションということなので、広さの制約は当然ある訳で、荷物が運び込まれる前の私仕事部屋(こんどは「仕事スペース」ではなくて「仕事部屋」ができたのです!)はこんな感じであります。いやあ、自転車を上に上げているっていうことで部屋の狭さはわかってくれているんですね。

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 で、仕事環境としてはこんな感じ。ただし、いろいろな箱やらが運び込まれる前、

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 私の仕事環境です。まあ、別に前とは余り変わっていない。無線LANのルータが変わった位かな。前はNTTの光フレッツだったが、今度はマンションでインターネット回線の会社と契約している。

 下は、右からヒューレット・パッカードのHP Pavilion p6 Series p6-2470jpというメイン機。その左がBUFFALO WZR-600DHP3という無線LAN親機、そのまた左がBUFFALOの外付けHDDドライブ、モニターは三菱の23インチ、そのまた左がLENOVE Think Pad X121eというモバイル用のパソコンで、結構これが役に立っている。

 本来は、メイン機はiMac、モバイル用はMac Book Airにしたいのだが、なかなかその変更のタイミングがつかめない。

 上の段は右がEPSON PX-G5300プリンターでモノクロ写真のプリントにも結構いい調子で出力してくれる。その左がEPSON GT-X770というスキャナー。これまた写真のスキャンから紙物のスキャンまでやってくれる優れものである。まあ、EPSONにしてみれば、もっと新しい機種があるんだから、そっちの方を見てくれよと言うところんなんだけれども、まあ、それはこのオフィスが完成ししてから、次のレベルで考えましょう、というところで。

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 で、そのMy Officeをベランダ側から覗いて見るとこんな感じ。全然、片付いていないのだからして、このOfficeが普通の姿を見せるのは、あと半月も先のことかな。

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 ということで、我が家の守り神の一人、「無事帰る(カエル)」君はいまでもベランダで我が家を守ってくれているのであります。

 というとで、練馬区上石神井からお届けしていたブログと、文京区本駒込からお届けするブログでどう変わっていくのか……。お楽しみに。

RICHO GRDⅢ @Hon Komagome (c)tsunoken

2014年7月 8日 (火)

『沈みゆく帝国』と、ふたりのスティーブ

 それはアップルが特別なのではない、どんな企業にも訪れる落日の日々ということなのだ。

『とある帝国が崩壊寸前となり、いったんは追放した建国の祖をひとり呼び戻し、救世主であると祭り上げる。玉座についた救世主は、オデュッセウスかと思うほどの冷酷さとずる賢さで人々をまとめると、大きなリスクを思いきって取らせ、帝国をさらなる高みへと導く。ところが、国中が繁栄に湧きに湧くなか、皇帝は病に倒れる。自分は帝国の命運を体現する者だからと病を必死に隠すが、最後は自分も不滅ではないという現実を受け入れざるを得なくなる。あとに残された副官らはとまどい、独りよがりとなって、政が乱れ、もたつくようになる。皇帝が存命であったころのやり方に縛られ、柔軟性が失われて危険を示す兆候が目に入らなくなる。皇帝は死んでしまったが、その存在が消えることはないのだ。敵国との戦闘は続いているというのに、元副官らは、国の動かし方がわからないままだ。皆、疲れてしまった。どうしたらいいのかわからない。創意工夫の泉は枯れてしまった』

 ケイン岩谷ゆかりが描く、現在のアップルの姿だ。

Photo『沈みゆく帝国(Haunted Empire Apple After Steve Jibs)』(ケイン岩谷ゆかり著/井口耕二訳/日経BP社/2014年6月23日刊)

 ハーバード・ビジネス・スクール教授のクレイトン・クリステンセンが提唱した『イノベーションのジレンマ』では、優良な企業が合理的に判断した結果、破壊的イノベーションの前に参入が遅れる前提を5つの原則に求めている。

原則①企業は顧客と投資家に資源を依存している
    既存顧客や短期的利益を求める株主の意向が優先される

原則②小規模な市場では大企業の成長ニーズを解決できない
    イノベーションの初期では、市場規模が小さく、大企業にとっては参入の価値がないように見える

原則③存在しない市場は分析できない
    イノベーションの初期では、不確実性も高く、現存する市場と比較すると、参入の価値がないように見える

原則④組織の能力は無能力の決定的要因になる
    既存事業を営むための能力が高まることで、異なる事業が行えなくなる

原則⑤技術の供給は市場の需要と等しいとは限らない
    既存技術を高めることと、それに需要があることは関係ない

 そして、その発生の経緯は次の通り。

1.優良企業は顧客のニーズに応えて従来製品の改良を進め、ニーズのないアイデアについては切り捨てる。イノベーションには従来製品の改良を進める持続的イノベーションと、従来製品の価値を破壊するかもしれない全く新しい価値を生み出す破壊的イノベーションがあるが、優良企業は持続的イノベーションのプロセスで自社の事業を成り立たせており、破壊的イノベーションを軽視する。

2.優良企業の持続的イノベーションの成果はある段階で顧客のニーズを超えてしまい、顧客はそれ以降においてそうした成果以外の側面に目を向け始め、破壊的イノベーションの散在が無視できない力を持つようになる。

3.他者の破壊的イノベーションの価値が市場で広く認められた結果、優良企業の提供してきた従来製品の価値は毀損してしまい、優良企業は自社の地位を失ってしまう。

(以上、Wikipediaより)

『クリステンセンは、会社が失敗するのは経営がまずかったからではなく、やるべきだと従来言われてきたことをきちんとやったからであるとの結論に達する』

 つまり、これはステーブ・ジョブズを排斥し、「ジョン・スカリー~マイケル・スピンドラー~ギル・アメリオ」と続く「アップルの第一次低迷時代」のそのままである。

『ジョブズは、アップルに戻ると、会社を創造的破壊者に戻そうとする。自分がいないあいだにアップルは大企業病にかかってしまったと感じたのだ。歴代CEOはいずれも経営のプロで事業の現場を知らず、利益ばかりを気にしていた。会議や委員会がだらだらと続くばかりでなにも決まらない。そんなアップルをイノベーターに戻すため、ジョブズは、製品の種類を大胆に絞り込み、すばらしい製品を作ることに軸足を移す。新しい開発プロジェクトは、ジョブズの意見も入れつつ、シニアマネージャーが監督し、守る。生まれたアイデアは発展させ、改良したり詳しく検討したりする。最後の瞬間に捨てられることもある。また、指の隙間から漏れるものがなくなるように新しい社内手続きが作られた――「直接的責任者(Directly Reponsible Individual)」、略してDRIと呼ばれる人にタスクを割り当てるのだ。市場調査やアンケート調査もやめた。その理由として、ジョブズは、ヘンリー・フォードの言葉、「なにが欲しいかと顧客にたずねえていたら、『足が速い馬』と言われたはずだ」を挙げた』

 そして今、アップルは第二次低迷期に入ってしまった。

 以前、2012年5月18日のブログ「『僕がアップルで学んだこと』よりもティム・クックが何を出してくるのかが待ち遠しい」を書いた際に、元アップル社員でティム・クックをよく知る著者の松井博氏から、「いやいや、ティム・クックも会議ではかなり厳しく追及する人ですよ」といった感じのコメントをいただいた。確かに、本書にもあるとおり、ティム・クックもかなり厳しい人のようだ。

『誰かに焦点を当てると、クックは、「なぜだ?」「どういう意味だ?」「理解できない。もっとはっきり説明できないのか」など、満足するまで次々に質問をぶつける』

『アップルは基本的に厳しいところだが、そのなかでもクックの会議は特に苛烈だと有名である。会議に同席していたら、クックが部下に「その数字はまちがいだ。出ていけ」と言うのでショックを受けたというハードウェアグループのマネージャーもいる』

 などなど。しかし、それは会議の際の問題であって、新規のそれまで市場にないまったく新しい製品を生み出す話ではない。スティーブ・ジョブズが「現実歪曲フィールド」から発する、部下への厳しい質問でもない。それは単なる業務的な厳しさの問題だけである。

 企業というものはある種の生き物である。である以上は、その企業の歴史の中では当然「成長期」と「低迷期」が交互に表れるものなのだ。とするならば、次のアップルの成長期は、やはりスティーブ・ジョブズに匹敵する、ある種の「思い込みの超とてつもない奴」が現れるときであろう。スティーブ・ジョブズは決して優れたエンジニアではないし、素晴らしイノベーターではない。当然、アップルの第一の功労者は同じスティーブではあってもジョブズではなくウォズニアックなのである。

 ウォズニアックの生み出したAPPLE I、APPLE IIを見たジョブズが、それに惚れ込み「現実歪曲フィールド」を大いに発揮し、必要以上にそれを大きなものに見せかけ、パーソナルコンピュータというものを世の中に生み出したというのが大きいのである。

 今後、この二人のスティーブを再びアップルは生み出すことができるのだろうか……、それが一番気になることだ。

『沈みゆく帝国(Haunted Empire Apple After Steve Jibs)』(ケイン岩谷ゆかり著/井口耕二訳/日経BP社/2014年6月23日刊)Kindle版も出ているのは当然であるが、iBooks Store版もあるんだろうか。

2014年7月 7日 (月)

「お台場海浜公園」じゃなくて「台場公園」なのである

 お台場っていうとフジテレビと「お台場海浜公園」を思い浮かべるあなた……、ちょっと甘いですよ。

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 お台場っていうと、それは「台場公園(第三台場)」のことなんですよ。

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 1853年(嘉永6年)開国を求めて江戸に来たペリー一行は、一年後の回答を求めて去っていった。ので、江戸幕府としては1年間で江戸および江戸湾の守りを固めなければならない。ということで、超突貫工事で6基の江戸防衛のための砦「台場」を作ったわけだ。

 まあ、現代で言う「専守防衛策」ってわけ、ということで江戸時代の日本は今の日本と同じ考え方をしていたということなおだろう。当時(タテマエ上では)鎖国政策をとっていた徳川ジャパンは当然ながらこうした防衛策しかとりえないわけで、それはそれで理屈が通っている。当時は憲法なんてものはなかったので、別に憲法解釈がどうのという問題は起きなかった訳ですな。

 で、結局、翌年再来日したペリーは江戸(品川沖)入港を諦め、横浜に入港したわけである。ここまでは日本の「戦術的勝利」、その後の交渉は「戦略的敗北」でしたがね。まあ、この辺が日本の弱点で、戦術的には勝っても戦略的には弱いという、昔から今までも続く日本の課題ではありますな。

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 で、その時に作った台場の第三台場が公園となっているのだ。

 つまり、「お台場海浜公園」の先にある突堤が「台場公園」っていうわけ。

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 これが「台場公園」の構造を描いたもの。ほう、弾薬庫とか砲台とかは当たり前だけど、陣屋とかかまどなんかもあったんだな。まあ、確かにそこの守りをしている人たちのことを考えれば、休憩したり寝るための陣屋は必要だよな。

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 前方に見える石の土台が陣屋跡らしい。

 つまり、台場の構造は、周囲を高く作って、それを土塁のようにして、真ん中は低いままにして、そこに陣屋とか弾薬庫、火薬庫なんかを作っていたようだ。

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 で、これが砲台跡。正面から見るとこんな感じ。

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 後方から見ると、狙っている方向がわかる。ただし、この砲台は一方向だけしか再現されていないが、実際は島の四方向すべてに向かっていたようで、台場を突破してきたペリー一行にサイドからも砲撃ができるようになっていたそうだ。

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 かまど跡。

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 今は陸地と繋がっているが、台場を作った当時は「島」だったので、当然、こんな船着き場もあったわけだ。

 で、結局、この「お台場」は使われることなく、砲台も一発も打つことはなかったそうだ。まあ、まさしく「専守防衛」らしい使われ方ではありました。

 で、150年過ぎて、都民の憩いの場所となったのだから、それはそれ徳川幕府もいいことをしたと言えるのではないか。

 安倍晋三氏の政策が100年以上経ってから「あれは取り敢えずいい政策だった」といわれるのであろうか。う~ん、それはなんとも言えないな。

 問題は、「基本的な政策」と「その際に取りうべき政策」との「一致か乖離か」という問題だろう。「解釈改憲」というのはあまりすすめられない政策だと考えるのだが、なぜ堂々と「改憲」を言えないのだろうか? 自民党の中にも多くいる「護憲派」を無視して「改憲」すればいいじゃないか。やってみろよ安倍ちゃん。本当は「改憲」したいんでしょう。「改憲」さえすれば、自衛隊が海外派兵とか、海外侵略とかなんでも出来ちゃうんだから、といっても安倍ちゃんだってそこまで考えていない訳で、単に「ヤンキー気質」でもって、「日本も世界と同じ国になろうぜ」ってことなんだろうけれども。とは言うものの、改憲さえしちゃえば「個別的自衛権か集団的自衛権か」なんてつまらん議論を行わなくていいんだから、やってみれば?

 わっ、はっはっはあ。ちょっと筆が走りすぎたかな。

 まあ、でもそれが普通の市民の実感ではないだろうか。

 あ、私は今や別に左翼でもないし、右翼でもない、ごく普通の市民ですからね。昔は「ノンポリ」って言った。

NIKON D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Daiba (c)tsunoken

2014年7月 6日 (日)

佃島は思ったより小さい

 中央区佃というと、現在は佃一丁目、二丁目、三丁目とあって、西が月島と繋がっている、かなり大きな地域という感じがあるが、実は昔の佃島というのは実に小さく、現在の佃一丁目のごく一部分であったにすぎない。

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 この、佃小橋の手前と向こうの小さな地域が江戸時代の佃島なのである。島を一周しても、わずか15~20分程度。

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 江戸古地図にある佃島。右下にあるのが石川島で、後に水戸藩がここに造船所を作り、明治時代になりその払い下げを受けて石川島造船所を作ったのが平野冨二で、それが現在のIHI(石川島播磨重工業)の基であった。

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 現在の地図を見るとこんな感じで、佃島の西側は月島とくっついてしまっているが、南と東はほぼ昔のままの佇まいと見せている。この地図で見ると、佃一丁目1番、2番、3番、4番、5番、6番、7番、8番、9番までが、昔の佃島だったことが分かる。

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 佃島のシンボルと言えばこの、佃島の住人が元々いた大阪から持ってきた住吉神社だし……

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 佃渡船場跡なのだが、住吉神社はまだしも、この渡船場はあまり往時の状況が分からなくなっている。

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 佃島のすぐ東にあるのが、ここ佃島リバーシティ21というタワーマンションなのだが、実はこのマンションは石川島にあるというのは、その手前に石川島灯台(復元)があるので、よくわかる。佃小学校、中学校というのも、やはり石川島にある。なんで「石川島リバーシティ」じゃないんだろう。

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 佃島に残された昔の風情を思い起こされるものと言えば、この元祖佃煮「天安」とか……

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 本家佃煮佃源「田中屋」といった、昔ながらの佃煮屋さんとか……

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 こんな家の土間だとか、町中にも散見する昔の井戸なんかである。

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 佃島のメインストリート。佃の「田」の字の縦一本棒であります。というか、佃島にはこの「田」の字の通りにしか道はないのは上の地図にもあるとおり。

 佃島や石川島は、元々隅田川の河口の砂州だったらしい。ということはそれから先はすべて埋立地ってことで、やはり江戸時代の「江戸拡大政策」ってすごい勢いだったんだな、とわかる本日の写真レポートではありました。

NIKON D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Tsukudajima (c)tsunoken

2014年7月 5日 (土)

第101回ツール・ド・フランス開幕!

 いよいよ眠られぬ7月の始まりだ。

 7月5日、今晩から「第101回ツール・ド・フランス」開幕!

 ここのところ世界的な不況のあおりをくらってちょっと元気のない自転車競技界だが、ツールだけは別という雰囲気もあり、いよいよ眠れぬ7月の三週間の始まりだ。

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 今年もJ Sport3及びJ Sport4で全ステージ生中継なので、毎日22時頃から25時位までは寝る訳にはいかないのであります。寝不足するなあ。これならいっそフランスに行って生観戦の方がいいなあ。ただし、ワンウェイレースのツールの場合、途中のステージでは一瞬で選手たちが通り過ぎてしまうので、それ以外のキャンプとかの目的がないと厳しい。かといって、じゃあ最終ステージのシャンゼリゼ大通りで観戦っていうのも、結構場所取りが大変らしい。もう、数時間前から選手の到着を待たなければならないらしく、それも大変だ。ということなので、ここはテレビ観戦というのが、実は一番ラクな観戦方法ではあるような訳だ。

 勿論、ツール間近になると自転車本が出版されるのも毎年の恒例で、今年は元シマノで現在はチーム右京に所属する土井雪広選手の『敗北のない競技(レース)』という本が出版された。土井選手はツールへの出場はないけれども、ヴェルタ・ア・エスパーニャを2年連続で完走したという、これまた立派な成績を収めている選手なので、まあツール前景気をあおる本としてはいいのかも知れない。

Photo_2『敗北のない競技 僕の見たサイクルロードレース』(土井雪広著/東京書籍/2014年4月25日刊)

 この本については別に書きます。

 で、話をツールに戻して。

 最近のツールやジロの例にもれず、今年のツールもスタートはフランスならぬイギリス。リーズという街をスタートし、ロンドンに至る3日間がイギリス・ステージ。今年はいつもと違って、ステージ初日のプロローグ(短い距離の顔見世的な個人タイムトライアル)は行われずに、初日からマスドスタートのレースとなる。

 ただし、第3ステージが凄くて、ケンブリッジをスタートしたプロトンは、ロンドン市内に入ると、テムズ川~ビッグベン~ウェストミンスター寺院~セント・ジェームズ公園~バッキンガム宮殿とロンドン名所を巡り、ゴールはロンドン・マラソンでお馴染みの「ザ・モール(The Mall)」という、まあ、言ってみれば正月の箱根駅伝みたいな最終コースで、まさに「プチ版ツール・ド・フランス」といった趣なのだ。

 で、注目の選手をJ Sportが挙げているが、まず、総合優勝候補&ヒルクライマーとしては、クリス・フルーム(スカイ/イギリス)、アルベルト・コンタドール(ティンコフ・サクソ/スペイン)、ヴィンチェンツィオ・ニーバリ(アスタナ/イタリア)、アレハンドロ・バルベルデ(モビスター/スペイン)、ユルゲン・ヴァンデンブロック(ロット・ベリソル/ベルギー)、ピエール・ローラン(ユーロップカー/フランス)、アンドリュー・タランスキー(ガーミン・シャープ/アメリカ)、パウク・モレマ(ベルキン/オランダ)というところ。

 私的にはコンタドールに勝たせたいが、ニーバリ、バルベルデも強いしなあ、というところか。コンタドールがどこまで山岳で強いところを見せるかが勝負どころでしょう。

 スプリンターとしては、ティージェイ・ヴァンガーデレン(MBCレーシング/アメリカ)、アンディ・シュレク(トレックファクトリーレーシング/ルクセンブルク)、マルセル・キッテル(ジャイアント・シマノ/ドイツ)、マーク・カベンディッシュ(オメガファルマ・クィックステップ/イギリス)、ペーター・サガン(キャノンデール/スロバキア)、アンドレ・グライベル(ロット・ベリソル/ドイツ)、アルノー・デマール(エフィデジュポアンエフエール/フランス)、ブライアン・コカール(ヨーロップカー/フランス)。

 というこころまでが総合に絡んでくる選手だろう。

 ただし、ツール・ド・フランスは基本的に長い距離のヒルクライムが多い。激坂だけど比較的距離の短いジロ・ディ・イタリアなんかと違ってヒルクライマーが総合優勝を獲得するケースが(最近は特に)多いので、やはりヒルクライマー有利ではあることは間違いない。

 区間ハンターというのはポイント賞狙い及びステージ優勝狙いの選手なのだが、ここにはホアキン・ロドリゲス(カチューシャ/スペイン)、ルイ・コスタ(ランプレ/ポルトガル)、トマ・ヴォクレール(ユーロップカー/フランス)、シルヴァン・シャヴァネル(IAM/フランス)、イェンス・フォイクト(トレックファクトリーレーシング/ドイツ)、サイモン・ゲランス(オリカ・グリーンエッジ/オーストラリア)と並んで新城幸也(ユーロップカー/日本)が予想されている。

 ここはやはり日本人としては新城への期待かな。

 今年のジロ・ディ・イタリアでは落車により尾てい骨を痛めてしまい、あまり活躍する場所を見られなかったのだが、何しろ今年で5回目のツールであり、2013年には敢闘賞を獲得している。何としても、今年はステージ優勝を獲得して欲しい。過去にも数回、ステージ優勝を狙える位置にいた新城である。ここは、なんとしてでもサッカー・ワールドカップの雪辱を……、って関係ないか。同じなのは夜眠れないってこと。

 う~ん、こうなると益々実際にフランスでツールを見たくなってしまうなあ。

J Sportのツール・ド・フランス・オフィシャルサイトはコチラ

 

2014年7月 4日 (金)

Linked Inって、知っていましたか?

 Linked Inって知ってますか?

 ウィキペディア的には「2003年5月にサービスを開始した、世界最大級のビジネス特化型ソーシャル・ネットワーキング・サービス、及び、同サービスを提供するアメリカ合衆国カリフォルニア州シリコンバレーの企業」というものだが、要は、利用者がビジネス向けのプロフィールなどを公開し、その中で他の会社のビジネスマンと繋がったり、顧客や商談先を見つけたり、更には転職先を見つけたり(これが一番多いそうだ)するSNSなのである。

 現在、全世界で3億人弱の登録ユーザーがいるそうだ。

 日本ではデジタルガレージが2011年からローカライズを始めて、現在の登録者は100万人位。まだまだ伸びそうだ。

 で、私は日本版が出る前からこのLinked Inを知っていたので、取り敢えずアメリカのサイトに登録。ということなので、時々、アメリカのLinked Inからこんなメールが来たりする。

Linkdin

 とは言うものの、私がLinked Inを知ったのだって2006~7年ごろではなかったか。ということなので、既に定年間近に差し掛かった年齢で、今から転職? それもアメリカ企業に? なんてことはなく、単に面白がってアメリカ・ビジネスマン版SNSを楽しんでいただけなのであった。

 というところに、一昨日Linked In Pulseから来たメールが以下の通り……

・    ・    ・    ・    ・    ・

When interviewing for a new position, we want to do everything possible to ensure it goes well. Breath mints? Check. Resumes? Check. Firm handshake? Check.

But a great job interview starts days before you ever arrive at the office. Follow these simple steps to prepare yourself to have your best job interview ever:

 新しいポジションのための面接にあたって、それが上手く行くためにあらゆる努力をして確認したいと考えます。ミントの息? 履歴書のチェック? ガッチリした握手? そうチェックなのです。

1. Research the company

 あなたがいかなる面接に行くにしても、その前に、その会社に関してできるだけ多くのことを知っているかどうか、確認してください。

2. Research the job

 面接に際しては、あなたが着くポジションやすべての仕事について完全に知っているかどうか確認してください。

3. Prepare answers that highlight your skills and experience

 この質問には多くのフォームがあります。しかし、あなたがキーになるスキル、仕事に関する知識と経験を持って、勝利者インタビューに答えるということが重要です。

4. Prepare answers that show your enthusiasm and interest

 リクルーターが同じような候補者の前で選択をしなければならない時に、多くの場合、仕事の中でもっともエンスージアズムを興味を示した候補者が勝つでしょう。

5. Prepare answers that show how you will fit in with the company culture

 手順1(Research the company)であなたはその会社の企業文化について理解をしているだろうし、どうやったらそれにフィットできるかをデモンストレイトできるはずです。

6. Plan your journey so you arrive stress free and on time

 予期せぬ交通によるストレスや、道に迷ったり、その他のインタビューの約束などに遅れたりしても、そのストレスから免れる方法はあります。前夜のうちに、唇、シミ、靴、その他を準備しておくこと。履歴書のコピーを余分にとっておく。面接場所へのルートを調べ、いかなる地図のエラーにも間に合うようなプラクティスをしておく。早く行けるルートをチェックし、同時に別のルートも頭に入れておく。あなたが早く着いて、クルマの中やロビーで数分待ったりできれば、もっと遅く着いたりした場合よりもストレスなく、余分な時間を持てるのです。

・    ・    ・    ・    ・    ・

 以上は、私の勝手な意訳・抄訳なわけだが、なんだかなあ、まるでガキに面接のやり方を教えているみたい。

 そうなんだ、アメリカの転職市場なんてものも、そんなに厳しいんじゃなくて、こんなことを気にしながらやっているんだ、ってことにも気づく。

 アメリカの転職市場ってもっともっと厳しいものなのかと思っていたら、意外とそうじゃないってことも知ることができる。

 これだったら、日本のビジネスマンがアメリカ企業に転職するっていう時代も、結構早く来たりするかもしれない。

LinkedInの英語サイトはコチラから

Linkedin_jp

日本語サイトはコチラ

2014年7月 3日 (木)

東京国際ブックフェア開幕、5日まで

 昨日7月2日より7月5日までの4日間、東京ビッグサイトで『第21回東京国際ブックフェア』が開催されている。毎年、7月初めはブックフェアであり、今年もその通りというわけなのだが……

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 本来、こうしたブックフェアとかブックマーケットというのは版権の国際売買という、どちらかというとインナーのマーケットだったのである。例えば、最も古くからある「フランクフルト・ブック・メッセ」なんかは、基本的にはヨーロッパ全土から各国の出版社やエージェントが集まって、本の著作権の売買、翻訳権や販売権の交渉をする場だった。

 まあ、ヨーロッパはそれぞれの国民の人口も少なく、言語もバラバラだったので、ある国で話題になった本も、それを自分の国向けに翻訳しないと出版できないという問題があって、結局、そんな本のマーケットが成立するバックボーンがあったわけである。

 そんなわけで、日本の大きな出版社はフランクフルトとかボローニャ(こちらは児童書)などにブースを出展したり、エージェントを派遣したりして、版権の売買交渉を行っていた。

 ところがそんなブックマーケットを東京でやるという話が出たのが、今から20数年前。

 日本の大手以外の出版社は海外マーケットにはまったく興味がないし、翻訳出版にもまったく興味がないという、完全な内向き状態。そんなところでマーケットを開催したって、ほとんど意味がないのでは、というのが当時の私の観測であった。

 で、その観測通り、東京国際ブックフェアは「国際」とは名ばかり、どちらかというと「日本の読者」向けの出版社の宣伝マーケット、廉価本販売マーケットが主体のなんだか、なんでそれが「国際フェア」なのかよくわからないマーケットになっていったのである。

 まあ、それはそれで日本のユーザーが書店に足を運んで「読者」になるきっかけにでもなってくれればいいですけれどもね。

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 ということで、まず講談社ブースへ。

 なにやらティラノザウルスの小さいのがブースの入口にましましているのだが……

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 そうか、講談社が「動く図鑑MOVE」というDVD付きの図鑑を出版して、それまで小学館と学研が占拠していた図鑑マーケットに参入したのが2011年初夏だった。

 それが今年は、小学館、学研陣営も動画付の図鑑で巻き返そうとなって、今年は三つどもえで図鑑戦争を繰り広げている。で、今年の講談社ブースは「図鑑」一色なんだな。

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 毎年、講談社ブースの隣で(ということは入口に一番近い)存在感を示している楽天も、なにやらKOBOがちょっと元気がないので、今年は規模こそ大きいがちょっと寂しい。

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 小学館は当然「図鑑NEO」を全面的に前に出してきています。

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 KADOKAWAは「艦これ」かあ、なんか脱力感が漂うんですけど……。

 なんか、大手出版社は完全に「読者志向の宣伝の場」という捉え方ですね、ブックフェアは。

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 で、今年の特集はマレーシアです。

 ここだけは「版権売買」というマーケット本来の仕事をしてるっていうか、まあ、マレーシアの絵本とかが日本で翻訳出版されれば何しろ人口1億1千万人の国ですからね。

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 電子出版EXPOもなんか今年は落ち着いてきちゃったみたいで、あまり「おおっ」というような展示はなく……

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 毎度のことながらボイジャー社が唯一存在感を示していたっていうところかな。

 7月2日、3日はビジネスデー(と言っても普通の人も入れちゃいます)で4日、5日が一般公開デーなので、4日、5日に行った方が面白い出し物なんかも見られるかもしれません。

 ふなっしーなんかを呼ぶ出版社なんかが出てくるかも知れないしね……(やれよ富士見書房、宝島社)。

第21回東京国際ブックフェアは7月5日まで、公式に登録すれば無料で入場できます。

公式サイトはコチラ

2014年7月 2日 (水)

『珍夜特急』って、変なタイトルだなあ

 もりぞお氏の『電子書籍を売る方法』をKindleストアで検索していた時に出てきた本のタイトルが、この『珍夜特急』である。

 タイトルは勿論、沢木耕太郎氏の『深夜特急』のモジリである。

 そんな変なタイトルなので、あまり期待せずに「どんなもんかなあ」という気分で、取り敢えず第1巻だけでも読んでみようかな、と思ったのだが……。

Photo『珍夜特急』(クロサワコウタロウ著/クロサワレタリング/2014年4月15日刊)

『こうして年が明けると、手元には満杯のバイク用ボストンバッグと、成田発カルカッタ行きのビーマンバングラデイッシュ便のバウチャーだけが残る。他にはCITIBANKに預けてある汗と涙の結晶250万円』

 これだけを持ってクロサワ氏は『自身が日本から送ったバイクで、カルカッタからヨーロッパのポルトガルまで、単独ユーラシア大陸を横断するという崇高な使命を帯びて』旅だったわけである。ところが『航空機の乗り換えというものが、実際どういう手続きによって行われるものかもよくわからない私は、革のライダーズジャケットとバイク用のボストンバッグという井出達で、落ち着きなく辺りをうろつく』というレベルの海外旅行経験者でしかなく、なおかつ『せめて英語力にもう少し自信があれば、そんな不安はすぐ解決できたはずだった』というレベルの英語力しかなかったわけだ。

 それまでのクロサワ氏の海外旅行経験は友人とタイに行った一回限りであり、その時に「果たして本当にここからあの夕日に向かって行けば、ヨーロッパにたどり着くのであろうか」と感じた心が、クロサワ氏をしてバイクでユーラシア大陸を横断するという壮挙のきっかけなのであった。

 まあ、動機としては、はなはだ単純。旅行準備として2年間のアルバイトをしたとはいえ、どうせ大学生なのだから、その間いくらでも英語を勉強する時間はあったはずなんだけれども、それもしていない準備不足。数冊の本と「地球の歩き方」だけを参考に、クロサワ氏は単独カルカッタに向かって旅立ってしまうのであった。

 その程度の動機と準備で旅立ってしまうというところが「若さ」なんだろうな。

 沢木耕太郎氏だって、それほど英語力があったわけでもないのにアジアに旅立ってしまったわけだし、英語力なんて1ヵ月も海外で日本語と遮断された生活を送っていれば、いやでもついてくるものなのだ。まあ、その辺は「案ずるより生むが易し」というもので、グチャグチャ考えていて躊躇するくらいなら、やってしまえというのが、こうした多少はムチャな旅行のきっかけなわけであるのだろう。

『珍夜特急』は①がインド・パキスタン、②がパキスタン・イラン・トルコ、③がトルコ・バルカン半島、④が東欧・バルト3国・北欧、⑤が西欧・モロッコと、随分遠回りして、⑥でやっとポルトガルにたどり着く1年間5万キロの旅を終える。

 どうもこういう紀行文学って読み始めると止まらなくなり、沢木耕太郎氏の『深夜特急』も全6巻+「旅する力―深夜特急ノート」と読んでしまうのだが、この『珍夜特急』もだんだん引き込まれてしまう要素を持っている。

 一つにはクロサワ氏も書き進めてくうちに、それは語学力も自信がついてくるし、旅にも慣れてくる。更に、面白いのはやはり書き進めていくうちに、文章力がついてくることだ。当然、旅行中はメモ程度の文章で、小説の形にしたのは旅から戻って来てからなのは分かっているが、それでもこの第1巻だけでも始めの方よりはラストの方が文章力は上がっている。

 うん、これは取り敢えず『珍夜特急』の取り敢えず最初のシリーズだけは全部読んでみようかな。で、全部読んだらまた書きます。

 ところで、クロサワ氏はこの後、「2nd Season」として、今度はアメリカ大陸縦断というのをやっていて、それも文章にしている。

「旅は麻薬」って本当なんだな。

『珍夜特急』(クロサワコウタロウ著/クロサワレタリング/2014年4月15日刊)電子書籍のみの販売。2nd Seasonではアメリカ大陸縦断をしている。

2014年7月 1日 (火)

Fitbit weekly stats from June 23 to June 29

 Fitbitから先週の週間結果が来た。

 週トータルで54,505歩、38.15kmしか歩いていない。

 最も活動的だったのが6月28日。10,892歩、7.62kmというからやはり週でそんなに良い数字は出ていない訳だ。体重は0.1kg落ちている。

 最も非活動的だったのが6月29日。

 こんな感じがあと2週間位は続くんだろうな。

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『ホリエモンとオタキングがカネに執着するおまえの生き方を変えてやる』って言われても、別に全然執着してないんですけど

 まあ、結局は昨年の10月15日に書いた「温故知新としての『評価経済社会』」という岡田斗司夫氏の前著を受けての、堀江貴文氏との対談集なわけなのだけれども……。

Photo_5『ホリエモンとオタキングがカネに執着するおまえの生き方を変えてやる』(堀江貴文・岡田斗司夫著/徳間書店/2014年5月30日刊)

「古代は評価社会だった」の中で岡田氏は

『実をいえば、評価経済社会とは、新しい概念ではありません。古代の日本や中国もそうだったし、歴史的には貨幣経済社会の前に評価経済社会があったんです』

 といっているけれども、実はそうじゃなくて、つい最近まで、そして田舎の方では今でも、評価経済社会というものは存在するのである。私の以前のブログでも書いたけれども、物々交換的な経済社会というものはいまでも狭い社会では行われているし、獲れたものの「おすそわけ」という経済行為は今の社会でもどこでも行われているのである。これらはまったく貨幣の交換を伴わない経済行為であるし、だからこそイケダハヤト氏はネットを通じて『年収150万円で僕らは字自由に生きていく』 訳なのでありますな。

 その辺が、ある種、岡田氏の限界というか、出生から成長過程における経験の関係による限界があるのかな。商人の子として育ったという……。

 なので、この問題にはもう触れない。

 面白そうなのは

『オタキングexでは、「社長」であるぼくに「社員」が給料を払う』

『ぼくの試みがおもしろいと思ったひとは、年間12万円を払ってオタキングexに参加します。ぼくの生活はメンバーが払う年会費で保障されるので、ぼくはコンテンツを気兼ねなくタダで世界にばらまけるわけです』

 というところなのだが、いってみれば、これは国家のシステムと同じなのだ。つまり、国民や企業が国に納める税金や年金なんかがそれにあたる訳で、国はそのお金を使って生活保護や年金の支払いに回すわけで、こうした富の再配分という考え方が国を支えている訳だ。

 勿論、税金はそんな部分だけに使われるわけではなくて、それこそ軍事や国土の強化、官僚や国会議員の給与なんてものにも使われるから、そちらの方が目に入ってしまい、国民の重税感というものが発生する。

 まあ、法律によって強制的に納めなければならなくなっている税金と、オタキングexの社長の給料を一緒にしてはいけないが、大きく見ればそれは似たようなもの、一方は強制的で、他方は自由意志という部分が違うわけである。が、まあそれは似たようなものとすることができる。

 ポイントは、こうした「庶民の拠出金」というものがどんどん大きくなってきて、いずれそれは国家の経済よりも大きくなった時に、「革命」が起きるということなのである。革命というものは「暴力」によって起こされるものもあるのだろうが、こうやって経済活動だけで起こせることもあるのだろう。勿論、投票という現体制の規範のなかでそれを守って起こすことも理論的には可能ではあるし、日本共産党なんかはそんな「平和革命」を目指しているのであるのだけれども、しかし、実際に革命の瀬戸際になれば現政権はそれを必死になって壊そうとするだろうから、まず「平和革命」は難しいだろう。

 しかし、逆に経済革命であるのならば、多分、現政権が気付かぬ前に「実は既に革命が起きていました」的なマヌケな形で革命が起きてしまうかもしれないのだ。

 う~む、これは面白い。

 まさしくオタキングらしい革命の起こし方だな。

「ある日、突然、革命が起きたときの各党派の行動対照表」というのが、その昔、東大闘争の時に出されて皆面白がっていた訳なのだが、そんな「ある日、突然、革命が起きた」なんて時がいずれ日本にやってくるかもしれない、なんて考えると、ちょっと嬉しくなってしまう。

 特に面白いのが、堀江貴文氏や岡田斗司夫氏といった、どちらかというと新自由主義者であるように思われている人たちが、実はその前の方に「資本主義の終焉と新しい経済体制」を考えているということは、興味があることである。

 確かに、ネオ・リベラリズムというかリバタリアンの嚆矢であるフリードリッヒ・ハイエクなんかは「反共主義」と同時に「反資本主義」も唱えていて、資本主義というのは資本家が強大になり過ぎて、富の偏在が起きてしまう。といって、じゃあ資本主義じゃなければ何がいいかという方向は指し示してはいなくて、社会主義や組合主義はそこの中で上流階級になった人たちがやはり富を占めてしまうといって批判した訳だ。

 ということなので、堀江氏と岡田氏の結論が、資本主義の後には「評価経済社会」が来るって訳なのだが、それは既に一般的に通用している経済社会であるということは、上の方でも既に私は言っている。

 ただし、オタキングex的な会社というか組織なんかが増えてくると面白い社会がやってくるという期待はある。

 堀江氏のSNS株式会社なんてのも、ある種オタキングex的な会社だし、堀江氏が今進めているロケット開発なんか完全に「手弁当」の世界だ。

 こうした「手弁当」の世界がどんどん、いろいろな分野で拡がってくると、世の中は面白いことになってくるかもしれない。

 だって、皆、収入を目的に仕事をする訳ではないので、そこから国は所得税は取れない訳で、でも、彼らはそうした仕事に対する尊敬の念を持った人たちから食糧などを差し入れしてもらいながら生活が出来るということになれば、国の財政は破綻するだろう。国の財政が破綻するといっても、今の日本で国が破綻したら困る人は多いかもしれないが、逆に、そんなに「手弁当」でもって仕事をする人が沢山いる国になってしまっているのであれば、別に困る人はいない、っていうより「そんな国の破綻なんてものは私たちには関係ありません」という人ばっかりになってしまうのだ。

 う~む。これは楽しみだ。

『ホリエモンとオタキングがカネに執着するおまえの生き方を変えてやる』(堀江貴文・岡田斗司夫著/徳間書店/2014年5月30日刊)

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