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2014年6月

2014年6月30日 (月)

Chris Guilllebeau氏よりブログ更新のご案内

 クリス・ギレボー氏より早々にブログ更新のご案内が来た。

Hi Ken,

Thanks for subscribing to The Art of Non-Conformity. This week
we did something big: we performed an extreme blog makeover!

As part of a life overhaul, I've been working on redoing everything.
Instead of two posts per week, there are now posts every day.
Even better, many of these posts focus on you, the readers.
Swing on by the site and check out the new look and content.

***
 
New This Week!

Every weekend, we'll send a recap of the week's posts. Be sure
to read to the bottom and enter our weekly giveaway on the site.

Brand New Day: A Welcome to Everyone
After several months of work, our new blog is open for business.
(Well, it's not really a business... but it's open.)

『ハイ、ケン。

The Art of Non.Conformityをお読みいただきありがとうございます。今週、私たちはすごく大きなブログの作り替えを行いました。

生活全体の一環として、私はすべてをやり直しました。週2回の配信の代わりに、毎日配信をしています。更に良いことは、これらの多くの配信は、読者である貴方にフォーカスしています。サイトにスイングして新しいルックとコンテンツをチェックアウトしてください。

今週の新しいこと!

毎週末、私たちは週の記事の要約をお送りします。必ず最後まで読んで、週のプレゼントに応募してください。

新しい日:皆さんようこそ。
数か月後、私たちの新しいブログはビジネスのために開きます。
(まあ、それはリアルなビジネスではないですが…しかし、開かれています)』

20140630_135810


クリス・ギレボー氏のサイト"The Art of Non-Conformity"はコチラ

 

池袋 キリン堂薬局

 池袋東口を少し護国寺側に向かって歩くと、ジュンク堂書店と豊島区役所、サンシャイン60に行く道に分かれる「東口五差路」というのがある。

2014_06_27_59692

 で、この東口五差路に面してCafe SPAZIOがあるビルと、東京信用金庫本店ビルに挟まれた小さな場所に「キリン堂薬局」という小さな木造のお店(の跡)がある。今はやっていない。

2014_06_27_59742

 キリン堂薬局というと、大阪に本社があるドラッグストアチェーンがある。1958年創業なので、この池袋キリン堂もその支店かフランチャイズなのかとも思ったのだが、そうではないようだ。

2014_06_27_59722

 まあ、確かに支店やフランチャイズだったら、東京信用金庫がビルを建てる際に地権者として、そのビルの一角に店を出すことと引き換えにビルの中に入ってしまうことを選ぶだろう。

 ところが、このキリン堂薬局の部分だけは、東京信用金庫のビルが大きく引っこんで建てられているのである。なので、東京信用金庫のビルは四角形をしていない、変な形のビルになってしまった。多分、キリン堂薬局サイドでは東京信用金庫のビル建設に抵抗して、ビルの中に入らず、そして立ち退きも拒否したんだろうな。

 で、東京信用金庫ビルは変な形をしたビルにせざるを得なくなってしまったんだろう。

 ところが、今となってはキリン堂薬局も後継ぎがいなく、かといってこの小さな場所じゃあ新たにビルを建てる訳にもいかず、結局、廃墟となってしまったわけなんだろうか。

 こうして都会の一角に昔の風情(というか廃墟)が残っているのも悪くはないが、残された者にとっては、あまりありがたくない昔風情だな。

 いずれは取り壊されるのだろうが、その後はどうなるのだろうか。

Fujifilm X10 @Ikebukuro (c)tsunoken

2014年6月29日 (日)

世界報道写真展から

 毎年、この時期には東京都写真美術館で『世界報道写真展』が開催されている。

Photo
 今年の大賞はアメリカのジョン・スタンマイヤー氏のジプチ共和国で出稼ぎ労働者の姿を撮影したこの写真。
Photo_2(c)ジョン・スタンマイヤー

 アフリカからヨーロッパや中東に向かう労働者の通過点であるジプチで、近隣のソマリアからの安価で微弱な携帯電話の電波を頼りに、祖国に残った家族となんとか連絡をとろうとする彼らの姿を追った写真だ。なんか、ホッコリする写真ではある。

 いつもは戦争写真や社会問題を扱った写真が受賞することの多い、この世界報道写真大賞だが、今年はそういった問題ではない写真が受賞することになった。

 もっとも、みんな携帯電話を持てるような世界になったとはいえ、そこにある「出稼ぎ労働」という、ある種切実な問題をその写真の中から読み取れれば、これもやっぱり大きな社会問題であることには違いはなく、やはりそこにはアフリカの労働者たちの貧しさという大きく解決しなければならない問題があるのだろう。

 つまり、この写真をみてホッコりしちゃいけないってことか。

Photo_3(c)フィリップ・ロペス

 その他では、フィリピンのサイクロン被害にあった人たちが、被災地から街に逃れていく姿を追ったフィリップ・ロペス氏の写真。

Slide8(c)マルクス・シュライバー

 ネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の葬儀に行く人々の姿を捉えたマルクス・シュライバー氏の作品などが、私の眼には残った。

2014_06_25_59622(c)tsunoken Fujifilm X10 @Yebisu

世界報道写真展は8月3日まで開催中。

東京都写真美術館のサイトはコチラ

2014年6月28日 (土)

Chris Guillebeau氏からサイト・リデザインのお知らせ

 ここのところChris Gullebeau氏からブログ・リニューアルのお知らせがこないな、って思っていたら、一昨日、こんなメールが来た。

"Hi Ken,

For the past five years, I've published two posts a week on
The Art of Non-Conformity blog. It's been quite the journey.
I've never missed a scheduled post, mostly because I knew
you were reading.

I've decided to retire from two posts a week... and now I'm
writing every day!

We're making a big change to the site, and everything is new.

Come on over and read about it:"

『ハイ、ケン。

この5年間、私は週に2回、The Art of Non-Conformityブログを配信してきました。それはまさに旅のようなものでした。私はあなたが読んでいることを知っていたので、その配信スケジュールを一度もミスしませんでした。

(しかし)私は週2回配信ということを辞める決心をしたのです……そして今、私は毎日(ブログを)書いているのです!

私たちはサイトを、そしてすべてを大きく変え新しくすることにしました。

コチラに来て読んでください』

 ということなので、早速サイトを見に行くと

Photo_3こんな感じになっている

 以前のバージョンは

Photo_4こんな、如何にも「新聞然」として感じだった。

 今回の変更でいかにも「ブログ的」なサイトになっている。

 ただし、毎日ブログ更新ということになると、前みたいに「ブログ・リニューアルのご連絡」のメールは来なくなるのだろうから、逆にこちらから毎日The Art of Non-Conformityブログを読みに行かなくてはならなくなるのだろう。

 まあ、別に毎日読むブログがひとつ増えるだけだから、別にどうということもない。

 英語の勉強にもなるしね……。

 Chris Guillebeau氏のサイトThe Art of Non-Conformityはコチラ

2014年6月27日 (金)

『電子書籍を売る方法』はいろいろあれど

 一昨日に引き続き、もりぞお繋がりであります。

 とにかく、電子書籍だけで一万冊売ったという事実だけでもスゴい!

Photo_4一万冊売ってわかった! 電子書籍を売る方法』(森山たつを著/森出版/2014年6月26日刊)

 もりぞお氏は『ビジネスクラスのバックパッカー もりぞお世界一周』というシリーズで20種類の本を出し、その他に一昨日紹介した『カンボジアでカレー屋作っちゃいました』などの電子書籍で2014年3月現在で、有料販売数1.5万冊、無料販売数1300冊というのだから、一冊当たり700冊強が有料販売数だというのだから、電子書籍としては相当優秀な成績である。

 えっ? 700冊で優秀な成績だって? といった貴方、電子書籍なんてそんなもんなのですよ。『スティーブ・ジョブズ』が紙の本で100万部、電子で1万部というのは、従って相当に破格の売れ方であって、普通の人の電子書籍の販売部数としてはそれが普通の部数、っていうよりまあいい方の売れ方であります。なので、電子書籍を出せる出版社っていうのは、基本ベストセラーを出せる実力のある出版社が、紙の本を出したついでにちょっと紙の本の制作費用をチョロまかしてオーサリングをやっちゃうていう具合じゃないと、出版できないのだ。まあ、会社にそのぐらいの余裕がないとね……。

 で、まずもりぞお氏は最初に結論を書いちゃう。まあ、こうした短い本ではそれもありかな。

・電子書籍をつくるのに一番簡単なツールはlivedoor blogである。これを使えば、blogをつくるのとほぼ変わらない方法で電子書籍をつくれる

・電子書籍をたくさん売りたいなら、AmazonのKindle Direct Pubkishingが圧倒的。複数の書店向けに発行手続きをするリソースがない人は、KDP一本で充分なくらい

・電子書籍個人出版の価格は99円と250円の2択。もちろん、それよりも高い価格をつけてもOKですが、値段を上げるよりもいい方法がある

・電子書籍を売りたい人は、まずblogやtwitterで読者の役に立つ情報を発信する。無料でリンクをクリックするだけで読めるblogの上で読まれないモノは、有料で売れるわけがない

・発売後のプロモーションは、仮想敵をつくって、楽しく!

 この最後の「仮想敵」についてのくだりが面白い。

『日本の旅行文学の金字塔、誰もが知ってる沢木耕太郎の名作「深夜特急」。Amazon Kindle Storeの旅行部門のランキングトップは、この深夜特急1-6巻が占めていることがほとんどです。
 でも、KDPで個人が発売すると、この中に結構食い込めるんですよね。前述したとおり、KDPのランキングは結構ゆるいです。しかも、総合ではなく旅行記部門なら10冊売れただけでも結構上に行けます。
 そこで、twitterやblogでこう叫ぶのです。
「世界一周紀行チベット編、深夜特急2巻もやっつけた! 残るは1巻のみ!」』

 つまりこれ、Amazonらしい売れ方の典型例なのである。つまり、クリス・アンダーソンの『ロングテール』のいわば実践例である。Amazonの売れ方は、多くの商品が少しずつ長い間売れ続けるという売れ方で、それをごく短期間での売れ方でランキングを付けている訳なので、その短期間の中で新刊である『もりぞお世界一周』が、『深夜特急』よりも瞬間風速的に売れる週があったりするのである。ところが、twitterやblogの読者にとってみると『深夜特急』というベストセラーと売れ行きで競っているように見えて、「えっ? そんなに売れてるの? じゃあ、読んでみなきゃ」という風になり、『もりぞお世界一周』を買ったりするわけなのだ。 

 勿論、『深夜特急』がもし新刊で出たばっかりで、それとほぼ同時に『もりぞお世界一周』が出たって、それは歯牙にもかけられずに、忘れ去られてしまうのであります。

 しかしまあ、一時期でもあのベストセラーを抜いたっていうのは快哉ではあるから、もりぞお氏にとっては嬉しくもあり、同時にこれは自著の格好の宣伝の機会であるに違いない、と考えることは別になんの問題もないわけだ。で、『仮想敵をつくって、楽しく!』ということになるわけなのだな。

 と同時に、事前に宣伝とか何もしない電子書籍自体が、ちょろちょろ地味に売れていくものなので

『紙の本の売り上げって、基本はふろーで、一回売ったらおしまいの場合がほとんどです。(一部ベストセラーを除く)でも、電子書籍って、こんな風に、ちょろちょろと売れる場合もあるので、何冊も何冊も出していると、もしかしたら毎月それなりの額が入ってくることになるかもしれません』

 ということ。ただし、それで食っていけるかっていうと……、そこまでは入ってきませんな。

『私は、半年で1万冊売っても50万円じゃく。東京では食ってはいけますが、家賃が払えません』

 という程度。

『「本書きたいとおもってるんだよね…」とつぶやいてるのであれば、まずは無料のblogを立ち上げること。こからです』

 というのであれば、私のブログもすでに400ページの本で7冊ぐらいの分量になっている。じゃあ、それを編集でもして電子書籍でも出してみようかな。

一万冊売ってわかった! 電子書籍を売る方法』(森山たつを著/森出版/2014年6月26日刊)当然、電子版99円というだけの販売である。

こういう紙の本もあります。Kindelが出る前の出版だしね。

2014年6月26日 (木)

パイオニア、音響事業売却を発表…でも生きる道あり…ですよ

 一昨日に引き続き企業ネタです。

Photo

 パイオニアがオンキョーとAV事業で業務提携し、いったん音響部門での最先端から撤退することにになったという話が、一昨日の日経電子版の記事に。

日経電子版の記事はコチラ

 記事はこんな感じ。

『パイオニアは24日、AV(音響・映像)機器事業をオンキョーと投資ファンドの企業連合に売却すると発表した。AV機器事業を手掛ける子会社の株式の大半を売却する計画で、持ち株の一部を残してオンキョーと製品設計や部品調達、物流、販売の共通化など業務提携する。両社のブランドは今後も維持する。インターネットの動画・音楽配信の普及で需要が低迷する中、AV機器大手2社は連合を組んで収益改善を狙う。
 パイオニア、オンキョー、中国・香港の投資ファンド、ベアリング・プライベート・エクィティ・アジアが基本合意したと発表した』

『オンキョーはパイオニアの持つ技術力を自社製品に生かし、部品調達などコスト構造を抜本的に見直す。パイオニアブランドを維持し、買収後も同ブランドによる製品開発を続ける』

 というのが、その記事の基本点。

 簡単に言ってしまえば、いまやパイオニアとしては売り上げの7割を占める「カロッツエリア」ブランドでのカーナビゲーションに資本力を注力して、儲からなくなってしまった音響部門を切り離したというところだろう。

 オンキョーにしてみれば、パイオニアの音響部門でのブランド力はまだあると判断して、パイオニアに比較して見劣りする「オンキョー」ブランドの底固めをしたいということなのだろう。

 でも、基本的に言ってしまえば、ベアリング社がパイオニア子会社でAV機器の製造・販売を手掛けるパイオニアホームエレクトロニクスの株式の51%を取得するということなので、これはパイオニア、オンキョー両社が中国・香港系企業の子会社になるということなのだろう。

 この会社の子会社として両社が残されたものの、多分、その末期はベアリング社による両社の解散か売却でしかないだろう。

 問題は、そんなことでの延命策ではないと考えるのだが……。

 まず言ってしまうと……

「インターネットの動画・音楽配信の普及で需要が低迷する」というけれども、それは違うだろう。インターネットの普及でなんで「音の出口」である再生機器が低迷するのだろうか。「インターネットの動画・音楽配信の普及で需要が低迷する」のは、音楽を供給するスタイルであり、それまでCDなどのパッケージメディアで行われていた音楽の供給が、インターネットによる配信メディアになってしまったという事情の変化はあるけれども、それはパイオニアが手がける「音の再生技術」とは違う部分での問題なのだ。

 確かに、レコードなどのパッケージメディアの時代には、如何にして録音した状態を同じ状態で再生するかというのが、リスナーにとっては大きな問題となって、それはパイオニアとか、ビクターとか、マランツとか、オーディオテクニカとか、JBLとかの再生機器のメーカーにとっては、いろいろ挑戦しがいのあるテーマを沢山抱えていた時代ではあった。

 それがCDが普及するにつれて、あまり再生装置に対するユーザーの要求は高くなくなり、それはひとつには再生させる部屋の大きさや、マンションなどの共同住宅が増えてきたという問題もあるのだろうけれども、基本的にはユーザーが取り敢えずCD音質で満足してしまったということもあるのだろう。つまり、それは「デジタル神話」とでも言うのだろうか、「デジタルは基本、元の音に忠実」という神話である。実はそうじゃないんだけれどもね。

 音楽というものはそうではない。まず、最初の楽器が音を発生する場所は完璧なアナログである。それを録り入れるところからはデジタルであるが、一方それを再生して、人間の耳に届ける場所はやはりアナログでしかない。

 であるならば、その最終再生分だけはそれまでの音響機器と同じく、基本的には如何にして「原音に忠実に再生するか」ということに注力していいのではないだろうか。

 むしろ、「インターネットの動画・音楽配信の普及で需要が低迷する」というのはiTuneなどで音楽配信をしたユーザーが、決して「いい音場で音楽を聴くことを求めていない」というか「いい音場で音楽を聴くことを知らない」っていうことの方が大きいのではないのではないだろうか。結局、彼らは普通のイヤフォンかヘッドフォンで聴いているだけで、多少、音を気にする人たちが、音響のいいヘッドフォンを求めているだけなのである。

 だったら、ここはそこに居直って、それこそウッドコーン・スピーカーにこだわって、ほらアコースティックジャズはウッドコーンでしょというところに入り込んでしまったり、いやいや問題はアンプでしょ、だったら究極は管球アンプですよ、などという超マニアックな世界に入り込んでしまうしかないんじゃないかな。

 パイオニア、あるいはオンキョーというブランドを残したいのなら、この「再生装置」としてのアンプ&スピーカーにこだわるというのが、その会社本来の「あり方」から言って一番いいのじゃないだろうか。

 勿論、そんなマニアックな世界での製品化は決して大きな儲けはもたらさないだろう。しかし、開発者として、自分が開発した機器がそんなマニアたちが認めてくれたとなれば、それは実に大きな満足感をもたらすのである。

 それでいいじゃないか。

 基本的には、企業の社会的な責任はもう果たしているのではないか。

 であるならば、あとは企業の従業員の個人的な満足感を満たしてあげればいいのである。

 だとしたら、もうマニア、オタクの世界に入るしかないですよ。もともとマニアックな企業が生き延びるためにはね。

 まあ、でもパイオニアが作った管球アンプとか、ウッドコーン・スピーカーだったら、買ってもいいかなという私がいる。

 いやあ、JVCのウッドコーン、すごくいい音出しているんですよね。 

 というか、カーナビゲーションの分野もいまやスマホ・アプリの時代に入ってしまっていて、「カロッツエリア」などの「製品」としてのカーナビの時代は終わりつつある。ということは、そのカーナビに注力するパイオニアとしては、そちらの分野でももう先が見えているということなのか? ということなので、まだまだ本来の音響機器メーカーとしてのパイオニアの生きる道はあるような気がするのだが……。

2014年6月25日 (水)

なんで『カンボジアでカレー屋作っちゃいました』なのかなあ

「もりぞお世界一周紀行」や「セカ就!」などで、本ブログでもお馴染みのもりぞう氏こと森山たつを氏の、起業研修プロジェクトが「カンボジアでカレー屋作っちゃいました」な訳なのだが、なんで「カンボジアでカレー屋」なのかがよくわからない。

Photo_4『カンボジアでカレー屋作っちゃいました! サムライカレー創業記』(森山たつを著/森出版/2014年6月16日刊)

『事前にあれこれ考えすぎてしまって行動を起こせない人が多い日本人』

 なので

『そんな日本人の弱点を克服する研修を作れないか?
 海外での研修を生業とする㈱JIN-Gの豊田圭一、四方健太郎両執行役員と、海外就職研究家森山たつをが、プノンペンリバーサイドのオープンバーで密談をしていました。
「なんか、カレーとかよくね?」
「屋台とか20万円くらいで作れるらしいから、屋台カレー屋やってみましょうか?」
「ところで、明日何する?」
 どうやら、ノープランでカンボジアまで来てしまったようです』

 という具合に、別に「カンボジア」とか「カレー屋」に、何か特別の思い入れがあるわけでもなさそうだ。というよりも、いろいろ事前に考え込まないで、その程度の軽いノリで起業しちゃえば? っていうことなんだろうか。

『というわけで、主催者3名、レシピ担当1名、研修生3名(一名は卒論の関係で2週間遅れで参加)の7名で、サムライカレープロジェクトがスタートすることになったのです』

 研修期間は5週間。

 何故、カンボジアだったのか?

『ベトナム、ミャンマー、ラオス=社会主義で規制が厳しいです。これに対し、カンボジア=ビザなどが自由で、商売がしやすい。もしかしたら、今後、「農業があるシンガポール」になるかもしれません。人口が少ないのでマーケットとしての魅力は小さいものの、今後、一気に発展する可能性があります』

 とうことだそうだ。

 確かに、カンボジアは1970年代のポル・ポト政権時代の大量虐殺の関係で、国内の政治・経済・教育がズタボロになってしまい、東南アジアの最貧国に属するわけで、逆にそれが起業する立場になってみれば、大きな魅力なのかもしれない。『人口ピラミッドは20-25歳が「団塊世代」である』というのも、まさしく日本の1960年代と同じく、これから経済的に大きく離陸していく状態なのかもしれない。

 で、なんでカレー屋なのかは、いまだに分からない。

 が、何故かわからないままに最初のミッションは

『土曜日にお客さん100人呼んで試食会をやるでござる。』

 というもの。とにかく「爆速」というものだけが要請されるプロジェクトだ。だって、研修期間は5日間だけなのだ。

 で、その試食会も成功し、いよいよサムライカレーは開店。で、そこで気がついたのが、カンボジアはフランスの植民地だった時代があり、パン食文化が根付いているということ。

 で……

『サムライカレーパンを作ろう!』

 ということになり、それが

『今週土曜日サムライカレーパンを1000本売ってくるでござる』

 というミッションに繋がる。

 サムライカレーパンは、日本のカレーパンのようにロシアのピロシキみたいな揚げパンではなく、ごく普通のパンにカレーを挟んだだけのカレーサンド。

 とにかくやることは「爆速」が求められている。

 で、短期間でお役所の根回しをして販売許可を取って来たり、1000本のカレーパンを作る人出を路上で確保してきたりしてしまったり、作業の分担を実に上手く切り盛りしてしまったりするのである。

『作業を分析して、適切なリソースに割り当てる。これは、工場とかでやっている行程分析の基礎です。(ちなみに私は元自動車会社)。こんなことを、自分たちで考えてやっちゃうところに、彼らの可能性を感じるのです』

『だるい仕事を省力化、外注化し、クリエイティブな仕事を自分たちでやる! これが、楽しく仕事をする鉄則です!
 こんな風に、サムライズは、仕事を楽しくする方法を実地で学んでいくわけです』

 で、最後に280本を残して『今週土曜日サムライカレーパンを1000本売ってくるでござる』は、時間切れで終了してしまったわけであるのだが……。

『1000本という目標は、自分たちの実力からしたら思いっきりストレッチした数字。その数字を追い求めるためにした創意工夫。カレー製造の工程改善、カンボジア人の雇用、プノンペンホットスポットマップ、外部企業との交渉。様々な新しい施策を行い、その施策は明日からも使える技術になっているのです』

 という具合だ。

 つまり、実地研修「カンボジアでカレー屋つくっちゃいました」プロジェクトは、それなりに成功裡に終わったわけであるが、なんかこれが研修であることがもったいなくなってくるのだ。そのまま、カンボジアで正式にカレー屋を開業しちゃえばいいのに、なんでその後は日本企業に勤務するのかな、というわけである。

 まあ、取り敢えず日本企業に勤務して、経営を多少は学び、起業資金を調達したら、「よし、アジアで起業だ」っていうことになるのだろうか。うん、これは期待だな……。

 というところで、このサムライカレープロジェクトが『観光庁 第2回「今しかできない旅がある」若者旅行を応援する取組表彰』の特別賞を受賞したそうだ。

『海外での起業を体験できるシステムは、斬新である。取組を開始したばかりということで、まだ実績は少ないものの、若者が海外に向けて積極的に出かけるきっかけになる取組として、将来的な発展を期待する。参加者がツアーに出発する前に、起業や経営に関する事前研修を受講できる仕組みが作れるとなお良い』

 というのが、その審査員講評。

 まあ、政府としても若者がどんどん海外(アジア)に出ていって起業することを勧めているのだろう。『セカ就』でアジアの企業に勤務するのも良いが、もう一つ進めて、海外で起業するっていうのも面白そうだ。アジア市場はこれからだっていうのも、最早飽和状態の日本にいるより面白いかもね。

 で、何故それが「カレー屋」なのかは、いまだに分からない。

『カンボジアでカレー屋作っちゃいました! サムライカレー創業記』(森山たつを著/森出版/2014年6月16日刊)Kindle Direct Publishingによる出版なので、紙版は出ていない。

2014年6月24日 (火)

Fitbit weekly progress report from June 16 to June 22

 Fitbitからの先週のレポート。

 トータルでノルマに達しない66,127歩、46.29kmしか歩いていない。

 最高に活動的だった日でも12,894歩、9.03kmというのもねえ。

 というか、ここ2~3週間の成績はあまり良くない。

 6月2日から6月8日までは56,065歩。6月9日から6月15日が54,239歩。といった具合。雨の日が多かったり、Fitbit Flexのバッテリー切れなんていうアクシデントもあったりしたが、一番大きな問題はいよいよ来月に迫った引っ越しに備えていろいろ片付けものなどが多くなり、あまりフラフラ外歩きって訳にもいかなくなっていることもあるようだ。

 まあ、それでも少しづつ体重は減少してきてダイエット効果は表れているので、まあヨシとしよう。

20140624_82103

企業の盛衰、ソニーとソフトバンクの株主総会(の記事)から

 三月決算の会社の株主総会がここのところ集中して開催されている。

 で、対照的なふたつの企業の株主総会の記事から見えてくることがある。

Photoふたつの株主総会とはソニーと

Photo_2ソフトバンクである。

 ソニーの株主総会は『日刊ゲンダイ』の記事から……

Photo_3

 タイトルは『復活兆しなし「落日ソニー」がハッキリした株主総会一部始終』というもの。

『1200億円を超える最終赤字を出した企業の総会にしては、出席者は昨年(1万693人)の半分以下の4662人。所要時間は昨年より16分短い99分と、大荒れというより「ソニーに対する落胆が、諦めに変わった」(市場関係者)総会だった』

 という書き出しに始まり

『「高性能のイメージセンサー」や「壁に巨大な4K画像を映す新発想のプロジェクター」をアピールしていたが、株主にはほとんど届かなかったようだ。
「競争相手とは夢にも思わなかったソフトバンクが、来年2月に20万円を割るコミュニケーションロボットの原型を作っていたじゃないか。もっと新しい市場を創造する話を聞きたかった。ソニーらしい夢が感じられない」(最後に発言した株主)』

 と株主の発言を捉え

『ソニーは再び株主を喜ばせることができるのだろうか』

 と書き終わるレポートはいかにも現状のソニーの姿を表している。

 ソニーは「イメージセンサー」という「部品」を作るメーカーではなく、「ウォークマン」のような、「我々の生活を変える製品」を作り出してきたメーカーであらねばならないのではないだろうか。なんか、まだまだ先の希望が見えてこないソニーの株主総会ではあったようだ。

『日刊ゲンダイ』の記事はこちら

 一方、ソフトバンクの株主総会についてはちきりんさんというブロガーの記事から。

Chikirin

 こちらは

『2時間ちょっとの総会は“孫正義ショー”といった趣で、エンターテインメントとして人気の映画やコンサートと比べても、まったく遜色のないすばらしい時間でした』

 という書き出しから、ちょっとしたワクワク感に満ち溢れるものであり、勿論、話題のロボットPEPPERについても書かれている。

 ポイントは

『今までのロボットは道具だった。ソフトバンクのロボットは、そうではない。機械のように仕事をさせるより、感情がわかるロボットを開発する』

 というところ。

 既に、アメリカが開発した無人飛行機が中東で人を殺し始めているし、ロボットが人の仕事を奪うような未来が見え始めている今、ソフトバンクは「人間の悲しみを減らし、喜びを増やすためのロボット」を開発している、という。

 ソフトバンクの時価総額は現在、日本2位の9.4兆円だそうだが、いつか時価総額200兆円になって、世界でトップ10の企業を目指すそうだ。

 ちきりんさんの『Chikirinの日記』はコチラ

 私は今、ケイン岩谷ゆかりが書いた『Haunted Empire(沈みゆく帝国)』を読んでいる。スティーブ・ジョブズが既にいないアップルが、その後どうなっており、これからどうなっていくのかについて書かれた本である。

 アップルがソニーになってしまうのか? これまでのアップルのままでいられるのか? そんな視点でソニーとソフトバンクというふたつの典型的な企業の株主総会を見るっていうのも、なかなかに興味深い。

2014年6月23日 (月)

武雄市図書館がそんなに「民業圧迫」?

「出版界唯一の専門紙『新文化』2014年6月19日号」のカバーストーリーは『武雄市図書館 改装から1年2ヵ月の現状 周辺の2書店「売上げに影響あり」』という冨田勲氏の記事である。

2014_06_20_59562

 佐賀県の武雄市図書館がカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)を指定管理者としてリニュアールオープンしてから1年2ヵ月経ったわけだが、その結果、地元書店が疲弊しているという内容なのだ。

 しかし、私は「その結果、地元書店が疲弊している」という見立ては間違っている、と考えるのだ。

『CCCが指定管理者として企画・運営を担い、2013年4月1日にリニューアルオープンした武雄市図書館(延べ530坪)は、公共施設とは思えないような空間を作り出した。ライフスタイル別の陳列や重厚感のある内装、電源を完備した読書スペースを設置。館内には武雄市初となるスターバックス、蔦屋書店(170坪=音楽/映像館含む)も併設した。また、開架式図書、蔵書を増やしたほか、開館時間を従来より4時間延長、365日オープンとした』

 これが新聞などにより「民業圧迫だ」などと書かれることになったわけだが、さて周辺書店ではこの図書館リニューアルの影響はどのように表れているのだろうか。

 まず、「ゆめタウン武雄」内の明林堂書店。

『様々な要因があり、図書館ができたことによる影響かどうかは分からないが、書籍の売上げは少し悪くなっている』

 周辺のA書店。

『自然減を除いても、売上げは数パーセント落ちている』

 もうひとつのB書店。

『15~20%は落ちている』

 という証言。

 う~ん、弱い!

 もうちょと、具体的なデータとか、その間の書店としての売上げ努力(店のレイアウト作りとかPOP展開、商品構成の変化など)がどれだけあって、なおかつ日本全体の書籍の売上げ減がどれだけあって、それと比較して図書館ができたことによる影響はこれだけあったと考えられる、という客観的な資料がないと、ただただ「ウチの売上げが落ちたのは図書館ができたせいだ」と言っても、何の説得力は持てない。

 もともと、武雄市は図書館の指定管理者をCCCに決定する以前、地元の武雄市図書納入組合に運営を任せる構想を持っていたようで、武雄市から納入組合に打診があったそうである。納入組合に言わせれば『「(武雄市図書館に納入する図書を)装備なし、1割引きで納めることはできないか」という打診があり、それを承諾。その話が進行していたにもかかわらず、12年5月4日、CCCと市の共同会見が「突如行われた」という』そうだ。

 以下は、私の勝手な推量である。

 まず、武雄市が地元の図書納入組合に図書館納入図書を打診したのは事実だろうし、それを納入組合側がOKしたというところまでは事実だろう。

 次に、武雄市の樋渡市長が多分上京した際にCCCの店にでも行って、その店舗や商品構成のセンスなどに感動して、CCCに図書納入の話をしたのか、あるいは、CCCがどこかで武雄市図書館の納入の話を聞きつけて、いやいや我が社では図書納入だけでなく図書館運営までできますよという売り込みをしたのではないだろうか。いずれにせよCCCは「図書納入+図書館運営」がセットで話を持って行ったのだろう。

 一方、地元を大切にしなければいけない地方公共団体としては、当然、図書納入の話を持って行った武雄市図書納入組合に対し、(CCCからの提案を受け)図書館運営の話まで打診をした筈である。

 何故なら、今や地方公共団体としては如何にして人件費を削るかというのが至上の命題になっている。であるならば、図書館の運営に関しても市が直接市職員を雇って運営するよりも、どこか私企業に運営を任せてしまった方が安い人件費でもって運営が可能なのだし、私企業に丸投げしてしまった方が、運営自体も安定的に行える。

 なので、多分、納入組合に対しても「図書館運営が可能なりや」という問い合わせが行った筈だ。ところが納入組合側は図書館運営などのノウハウは持っていないので、その市の問い合わせには「NO」と答えたのであろう。

 ここに、樋渡市長が言う『何度も打診したが納入組合からの返事は「NO」だった』というのと、納入組合側の『著書には、こちらが「NO」と言ったと書いているが、そんなことはない』という、両証言の食い違いが発生しているのではないか。

 私の見立てとしては、樋渡市長が言う「何度も打診した」という言葉の中には「図書館運営の話も含めて」という言葉が隠されているようだし、組合側が言う「著書には、こちらが「NO」と言ったと書いているが、そんなことはない」という中には、「図書館運営の話」が抜け落ちているのではないか。

 実はこれは東京でも起きている問題で、図書館流通センター(TRC)と地元書店組合(東京都の場合基本単位は「区」にある)とのせめぎ合いが起きている。つまり、TRCとしては区立図書館に図書を納入するだけではなく、図書館運営もお任せください、という売り込みをしているのに対して、地元の区書店組合では図書館運営まではできないので、結局、図書館への納入図書の競争でもTRCに殆ど負け続けているという実態がある。

 ところが、このTRCの攻勢に対して唯一勝った区書店組合があったのだ。

 東京都大田区書店組合がそうである。

 大田区書店組合は、実は図書の納入だけではなく、区立図書館の運営まで手掛けていて、司書を雇ったり、図書館でのいろいろなイベントなども自らやって、結局、TRCの攻勢に勝ってしまったのだ。

 つまり、書店側がもうちょっと前向きに対処して、それまでやったことのないことまで手掛けてみようという姿勢さえ示せれば、それまで不可能だと考えていたことまで可能になる、ということなのだ。

 むしろ、武雄市の図書納入組合にはこうした「前向きの努力」を期待したいし、『新文化』にも『図書館は単に大資本の企業の力に頼った書店を導入するのではなく、地域の公共施設として地元書店と連携できるかたちを探ってほしい』と、一方的に地方公共団体だけに要求するのではなく、地元書店自身にもっと「前向きの努力」を要請すべきなのではないだろうか。

 今の時代、政府や、自治体などによる「後ろ向きの規制」に頼るのは、まったくもってナンセンスである。むしろ、規制を緩和して自分たちも自由に動けるような社会を作ろうとしない限りは、先の世界は開けないだろう。

『新文化』にも、そうした双方向での記述をしてもらいたかった。

 

2014年6月22日 (日)

通信講座のスクーリング

 6月19日(木)はある通信講座のスクーリングに行ってきた。

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 実は私は今、趣味・特技関係で78講座、資格関係で59講座、合わせて130講座を持つ、国内最大手の通信教育を受けている。そう、あのAKBがコマーシャルやってる会社。

 勿論、趣味・特技の方じゃなくて資格講座の方。何の資格かは……今は言わない。来春に合格したらご報告します……合格しなかったら、って? そりゃ当然スルーするわな。

 で、そのスクーリングというやつが開催されたので、当然それも講座料金に含まれているので、どんなもんかと行ってきた訳。

 通信教育のスクーリングってどんな内容なのかと言えば、つまり、「お勉強の仕方」を教えるという。テキストの使い方とか、アンダーラインを引くべきところとか、マーカーの使い方から始まって、試験対策の立て方や、試験の傾向についてのお話しとか。かなり実質的。

 まあ、普段は教材を挟んでしか付き合いのない講師と生徒が集まるからって言っても、別に講師と生徒が歓談をして楽しむというわけではない。

 でも、さすがにこうした講座の講師だけあって、なかなか話は面白いし、ツボを押さえた教え方をしていて、あっという間の1時間半だった。

 参加した生徒は私のようなリタイヤ世代の人と思われる参加者が、全体の3分の2から5分の4くらい、現役世代と思われる人が3分の1から5分の1という具合。まあ、ウィークデイの午後という時間設定なのだから、現役世代はあまり参加できないのは無理もないか。

 まあ、40年ぶりの「ガッコの生徒」っていう気分も悪いものではなかった。

 出来ればもうちょっと若い女性が多かったら良かったのにな、といのは狒々ジジイの発言ではありました。スマン。

2014_06_19_59412代々木なので撮っただけ。別に何の意味もありません。

Fujifilm X10 @Yoyogi (c)tsunoken

2014年6月21日 (土)

私が家入一真を支持する2・3の理由

 昨日に引き続き、家入一真氏の新作『ぼくらの未来のつくりかた』について語る。

Photo_2『ぼくらの未来のつくりかた』(家入一真著/双葉社 YOUR BOOKS/2014年5月21日刊)

 家入氏の人生は、ほぼ5年周期でガラッと変わってきたという。

『15歳から20歳までは「居場所のない5年」。中学を不登校になり、高校に入ったもののやっぱり中退してひきこもっていた時期だ。この時期が、今のぼくの根っこになったのは間違いない。つまり「自分の居場所」というものに対する強烈な欲求が芽生えた5年だった』

『次の5年、20歳~25歳は、ロリポップを運営するためにマメダ企画(のちのpaperboy & co.。現ペパボGMO株式会社)を設立。その株を売却して東京に出てきた「ひとつめの居場所を作った5年」』

『26~30歳は、ひたすら「突っ走った5年」。29歳のときに、史上最年少で会社をJASDAQに上場した。上場というのは、いわば資本主義のハイライト。そこまでの助走期間を含め、夢中で資本主義という大きなシステムの中を駆け抜けた時期だった』

『31~35歳は恥ずかしながら上場で手に入れたお金を使い果たし、結果的に「資本主義の先へと進んだ5年」。2年くらいでとにかくお金を湯水のように使い、ひとりで勝手にバブル崩壊して、そこから「働くってどういうことだろう?」「よりよい生活って何だろう?」と模索し始めたことが、「Liverty」や「リバ邸」の立ち上げにつながった』

『そして、その最後の1年である35歳。ぼくの現在の歳だ。この年にぼくは都知事選に出馬し、また新しい世界を獲得した。ITや飲食、経営といったビジネスの世界に身を置いてきて、そこからゆるりと「Liverty」や「リバ邸」のような試みへとシフトしてきたぼくだけど、これからはもっと本気で、この社会を底上げしていくような活動に取り組もうと思っている』

 まあ、言ってみれば「資本主義の最底辺から頂点まで」を体験した(そうはいってもそれは本当の最底辺ではないし、本当の頂点でもないが)と自分なりに感じた家入氏はが、次に何をやろうとしているのか。

『まずは、新しい会社をふたつ作る。
 ひとつめは、その名も「やさしいかくめい株式会社(以下、平仮名で『やさしいかくめい』)」。ぼくがこれまでの活動や選挙の中で訴えかけてきた、「誰も傷つけず、みんなに居場所のある社会づくり」ということを一言で表すと、「やさしい革命」になると思っている。争わず、血も涙も流さず、誰も置き去りにしない。そういう風に、やさしく社会をアップデートする。この会社は、そんな「やさしい革命」を「ビジネス」として実行に移していくための組織だ』

『ふたつめの会社は、投資会社。といっても、ただ利潤を追求してなんでもかんでも投機を繰り返す会社にしたいわけじゃない。「喜び」「幸せ」といった、数値化できない精神的な価値を追求する分野のビジネスに投資をするのだ』

『このふたつを核に新ビジネスを進めながら、そこで得た利益を再配分する方法論を作る。これは単なるビジネスモデルの問題ではなく、思想的にも大きなチャレンジだ。なぜなら、これは「資本主義の土俵に乗っかりながら、これまで資本主義が見捨ててきたものをマーケットにしてみせる」ということだから。ネットで集めた120の政策も、間接民主制のシステムの中で直接民主制を試してみた、ひとつの挑戦』

 こうした考え方に至ったひとつの契機として『岡田斗司夫さんの『評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』という本を読み、ソーシャルメディア時代の新し働き方に対する興味がさらにわいてきた。「雇う側」「雇われる側」という主従の構図がときに人間同士のつながりをゆがめてしまうなら、その構図をフラットにして、それぞれがゆるくつながりながら、プロジェクトごとに同じ思いでものづくりに向かっていくという「チーム」の形で動くほうがいい。必ずしもお金を媒介にしない、人のつながりがつくる未来。どん底から一歩踏み出した先に見えたのは、そういう景色だった』という。

 つまり、それは資本主義社会の中に、既に以前からある「評価経済」という(物々交換などの金銭によらない経済活動)経済活動を持ちこもうという話なんだけれども、それは資本主義社会の中で資本主義をある意味で乗り越えていこうとする挑戦なのだということに他ならない。

 勿論、現在の日本社会は資本主義経済圏に属するわけなのだから、経済は資本主義的にしか回らないのだけれども、その中に非資本主義的な経済の回し方を持ちこむことは充分可能なのだし、むしろこの資本主義社会、新自由主義社会のなかで閉塞感を感じている人がいるのなら(そして確実にいるのだから)、むしろ積極的にそんな非資本主義経済を持ちこんで、ある意味でこの社会の一部に「革命」を起こしてみることができるかもしれない。

 それは決して大きな社会革命ではないかもしれないが、そうやって少しずつ社会のある部分部分で革命を起こしていくと、いずれはそれは社会全体にまで波及していって、なんだか30年位過ぎてみたら、社会全体が今の社会とは全く違う別の社会になっているかもしれない。

 勿論、世の中はそんなに甘いもんじゃない、ということは重々承知してはいる。

 しかし、そんな重苦しい世の中でも、何かに期待する自由はある訳で、世の中捨てたもんじゃないぜっていう気持ちになるだけでも、数日間、数カ月、数年間は期待と共に生きていけるかもしれない。

 そんな人に、家入一真氏はなるかもしれないのである。

 ただし、家入氏の場合、そんな動きの指導者じゃなくて、多分、提案者としてかも知れない。提案者、家入氏の動きに頼りなさを感じた周囲のひとたちが、次第に巻き込まれていって、その結果、大きな動きになる。

  これまでの動きを見てくるとそんな気がする。「リーダー」じゃないところがいい。

2014年6月20日 (金)

『ぼくらの未来のつくりかた』のつくりかた

 家入一真氏の都知事選後初の著書が出たので紹介。

Photo『ぼくらの未来のつくりかた』(家入一真著/双葉社 YOUR BOOKS/2014年5月21日刊)

「88,936票」これが家入氏が今年の東京都知事選で得た票数である。

 これを多いとみるか、少ないとみるかによって、その人のネットに関わる姿勢というものが見えるのではないだろうか。

 つまり「多い」と考える人は、「ネットで選挙を戦いきる」という、これまでまったく誰もやらなかったことに対する支持がそんなにあったんだ、という単純な感想。一方、「少ない」とみる人たちは、何か家入一真氏が新しいことをやっているけれども、おうおうにして新しいことをやっても、人はそんなものにはノッてこないんだ。選挙というシステム自体が、もはやいつ崩壊してもおかしくない、旧来のシステムだからねという諦観がベースにあるのではないか。要は、物事を「単純」に喜べるか、まずもって「諦観」から入る私たちのような旧型の人間の発想がある。ネットに生きるのか、ネットは道具だと思うのか、がその違いである。

 勿論、私のような「じじい」には基本的には「諦観」があるのだが、「88,936票」というのは、「なかなかやるじゃないか」というのが私自身の感想だった。

『今回選挙に出てみて痛感したのは「政治や選挙の仕組みって、長いことアップデートされてこなかったんだな」ということだ。とにかくムダや、本質的でないことがとても多い』

 と家入氏が書くように、エスタブリッシュメントの世界である「政治」に入り込もうとすれば、それはそれ、旧世代が作った「ムダ」や「無理」、「前例のないことはすべてグレーゾーンに入れて、旧世代の都合のよいように解釈する」というような理不尽がたくさんあるはずだ。しかし、革命や叛乱などの暴力的な方法でなく、旧世代が作ったシステムを使ってエスタブリッシュメントの世界に入っていこうとするためには、それはやはり受け入れなければならないということなのだ。

 1960年代に世界の学生が「学生叛乱」を起こした理由はまさにそこにある。「旧世代が作ったシステム」に乗らないで社会を変えていこうと思ったら、それは暴力しかないということだった。勿論、それは決して大衆の支持を得て革命に至るような運動にはならない「プチブル急進主義」だったわけなのだが、それから40数年を経て、再びそんなエスタブリッシュメントへの抵抗運動が、しかし、暴力的でない方法で、しかし日本共産党とは違うやり方で、試してみようという人が現れた、というのが家入一真氏だったのである。

 その結果の「88,936票」である。1960年代後半の学生運動で9万人近い学生が日比谷の野音あたりにでも集まったら、それこそ「革命成就」なんて勘違いをするリーダーが出そうな勢いだ。そんな意味での「88,936票」なのである。

『ネットによって可能になった大きなチャレンジは、大きく3つあると思う。
①選挙資金をクラウドファンディングで集める
②ネットを駆使して新しい選挙運動の可能性を追求する
③みんなから政策を集め、本当の民意を抽出する』

 ①は、まあそれこそ今のSNS時代ならではの方法論である。『もちろんぼくにお金がないということもあったんだけど「お金を払ってでも応援したい」という熱量の高い人たちがどれだけいるのかを確かめたいという気持ちもあったからだ』という通り、「お金を払う」という行為と、「家入氏を支持する」という行為がつながるかどうか、という実験にはなった。

 ②は、要は『今回の選挙では、とにかく「タスキはかけない」「ドブ板はやらない」ということを徹底しようと思っていた』という選挙スタイルのことである。とにかく「当選するためには土下座だって何だってする」という日本型の「目的に向かって一直線」的な選挙運動を否定しつつ、でも、選挙に出馬するというのは政党選挙の中では絶対に出てくる選挙運動ではない。政党選挙は「当選する」というのが第一目的で、それがすべてに優先するのだ。

 ③が、実は一番家入氏が誤解を受けることになった原因だろう。つまり「家入は政策もないのに、選挙に出馬するのか」という、それこそ旧世代からの「選挙をバカにしている」という批判が巻き起こったのである。しかし、だからこそ、この政策の新しさというものが見えてくる。

『ネットで集めた120の政策も、間接民主主義のシステムの中で直接民主制を試してみた、ひとつの挑戦。もちろん当時は必死で、あらかじめそんな思想を持って試していたわけではなかったけれど、既存の枠組みを活用して新しものを生み出すという発想は、大きな変化を嫌う日本人のぼくたちにとってすごく親しみやすい手法なんじゃないかをいう気もしている。
 さらに言うと、ぼく自身の意識が大きく変わった部分もある。既存のものを否定して新しいものを始めるのは簡単だけど、その仕組みの上に乗っかって新しいものを作り、それを動かし、世の中に影響を及ぼすことによって社会全体のあり方をゆるやかにスライドさせたいのが今のぼく。以前のぼくが言ってきた「古い仕組みなんかぶっ壊せ!」「飛び出しちまえ!」みたいな言葉に比べると、すごくマイルドに聞こえるかもしれないけれど、これは一見丸くなったようで、実はより刺激的なチャレンジだと思う』

 と書くように、「政策はありません!」と家入氏がぶち上げた背後には、勿論、出馬したのは半ば単なるタイミングで本当に政策はイメージとしてしか存在しなくて、まさに「具体的な政策はない」状態で出馬したのだと思うけれども、じゃあ、それをクラウドファンディング式にみんなから募集してしまおうというところに、家入氏のユニークなところがあり、それが間接民主制の中に直接民主制を持ちこもうという発想だったんだと気づくところが、これまでにはなかった選挙の方法なのである。

『ハンガリーにその名も「インターネット党(IDE)」という政党があって、ここはまさにぼくがやったような、「政策がない」という状態での政治活動を行っている。ある議題が議会に提出されたら、それを党のサイトにアップし、そこに市民が投票できるようにする。その結果に基づいて、彼らは議会での行動を決める。例えば議員が10人いてネットでの投票結果が賛成70%、反対が30%だったら、彼らは議会の採択のときに「賛成」7票、「反対」3票をそのまま投票するのだ。私情も利権も挟まない』

 という先行例があるそうだ。ただし、IDEは国会に議席を持っていない、というのがちょっと残念ではあるけれども。とは言うものの、家入氏のような「政策はありません!」という選挙運動・政治運動の先行例が既に外国にあるというのは面白い。

 ネットの持つ直接民主主義的な考え方をこうして活かす方法があるんだな、ということ。

 ますます、「インターネッ党」には興味が湧くではないですか。

『120の政策』についてはコチラをご参照。

 この本については、明日も書くかな?

『ぼくらの未来のつくりかた』(家入一真著/双葉社 YOUR BOOKS/2014年5月21日刊)Kindle版はまだ出ていないようだ。

2014年6月19日 (木)

「お受験専門店」って、何? という蒙

 先日、池袋から目白まで散歩カメラで歩いていたとき。

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 自由学園明日館とか婦人の友社とかの前を通り過ぎて(あっ、自由学園と婦人の友社は創設者が同じです……って、知ってた?)、更に目白方面へJR山手線脇を歩いていると……

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 何やら前方に「お受験専門店 マムエモア MAM et MOI」という看板が……

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「お受験専門店」って何じゃいな? お受験だから幼稚園か小学校受験なんだろうけれども、その専門店っていうから、予備校ではないようだ。それなら幼児教室とか小学校受験予備校っていう筈だしなあ。

 と、更に近寄ると、なにやら裏にも看板があるようだ。

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 で、裏にまわってみたら、ああそうか「お受験のためのお母さんと子どものファッション店」だったのね。

 それにしても、お母さんと子どもは分かるけど、お父さんはどうでもいいのかなあ。まあ、会社に着ていくスーツでいいじゃん、ということだったら、お母さんも別に普通のフォーマルスーツでいいじゃん、とも思うのだが、何かお受験に霊験あらたかなフォーマルスーツがあるようなのである。

 お子さんの方は、もっと徹底していて、オーダースーツやセミオーダーなんてのまである。う~ん、お受験っていうのはお母さんにとっては一世一代の大ステージなんだ。

 私の場合、我が子たちは特別お受験なんて感覚はないとは言うものの、結構「お受験戦争」が激しい、妻の出た学校の幼稚園にすんなりと入ってしまった。というかそんな危機意識のなかったのんびり(というかうっかり)した父親は「お受験専門店」っていうものには考えが至らなかったという「蒙」。

 皆さん、大変ですね。

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お受験専門店「マムエモア」のサイトはコチラ

EPSON RD1s LEICA ELMARIT 28mm/F2.8 @Mejiro (c)tsunoken

2014年6月18日 (水)

『捨てる! 快適生活』と言っても捨てられないモノもあるんだよなあ

 最近は近々予定されている引っ越しに向けていろいろなモノを処分している関係からか、なんかこんなタイトルの本を選んでしまうんだなあ。

Photo『捨てる! 快適生活』(飯田久恵著/知的生きかた文庫/2013/11/11刊)

 例えば、3カ月とか6カ月とか1年とかサイクルを決めて、その間一度も使わなかったモノは捨てる、とか決めてしまえば一番簡単だ。まあ、モノの種類によってはそんなサイクルでは短すぎるモノもあるのかも知れないが、しかし、殆どのモノはそのサイクルで捨ててしまっても別にその後困ったりはしないだろう。

 で、断捨離。

 という具合にはなかなかいかないから、問題なのだよなあ。

 で、取り敢えず「書籍」について、どんなことが書いてあるのかを見てみよう。

『本は、収納しきれない、処分できないモノの第2位に多く挙がるモノです。部屋が片付かず、気分的にもスッキリしない、必要な本を買っても置き場所がない、などの弊害を感じたら、処分するしかありません。その場合、その本を買ったときのイキサツや目的を考えてみます。だいたい次の4っつに当てはまるでしょう。

<本を買う理由>
①人間性を豊かにするため、心の栄養にするため
②広い知識を得るため
③具体的なことを習得するため(実用書など)
④仕事のツールのひとつとして』

 で、これらの本を捨てられない理由は……

◆この本が好きだったので。また読みたくなるかもしれない
◆まだ、内容が頭に入りきれていない、熟読していない
◆並んでいる本を見るたびに、読破したという満足感を得られるのがうれしい
◆並べた本の量で、知識人と思わせたい

 といったところのようだが、これらの理由は私にはまったく当てはまらない。なので

『読破した満足感を得たいなら、読んだ年月日、タイトル、著者名、感想などを書いた読書ノートをつくってみてはいかがでしょう。そして、本が並んでいるところを写真に撮るのです。そすることで、処分することへの不安を和らげることができます』

 という通り、この「読書ノート」に代わるものが、このブログである訳だな。で、何かの拍子で「あっ、これ読んだことがある」という本に出会ったときに、以前のブログを見て、自分がその時どんな読後感をもったのか分かるし、本の内容もだいたい思い出す。ということで、私は本を捨てることには躊躇しないで済んだ。

 で、捨てた後の本との付き合い方は

①図書館を利用する
②電子、インターネットを活用する
③引き取り先を見つける

 ということだそうだ。

 私は図書館はまず利用したことがない。というか、別に以前読んだ本の内容を今また必要になるということがないからだ。取り敢えず、本は読み捨て。必要になったらまた買えばいい、という割り切りをしてしまうと、結構、本は減らせるようだ。

 引き取り先で面白いのは福島県只見町の「たもかぶ本の街」だ。

『こちらは、売値に相当する山林の所有権と交換する仕組みになっています。つまり、本を売って雑木林のオーナーになろう(ナチュラルピース)、ということです』

 というものだそうだ。

 これは面白そうだ。というか、私も4月末に約1,300冊ほどの本を処分した訳なのだが、その場合は普通に古書店に行って処分した。でも、こんなステキな本の処分の仕方もあるのなら、そちらを選ぶよなあ。本を売って雑木林の(まあ当然パーシャルではあるけれども)オーナーになるなんていいじゃないですか。(パーシャルではあるけれども)自分の雑木林を見に行く楽しみが増えたりしてね。

 4月末に処分しても、その後またまた本は増えているし、カミさんの本はまだ処分していないから、今度処分する時は「たもかぶ本の街」に行ってみようかな。

 う~ん、その時は……、200冊余りの写真集も……、処分しちゃおうかな……、やっぱり無理か。

 おまけに、プレイヤーもないのに、200枚ほどのジャズのアナログレコードもあるしなあ。更に更に、学生の頃に撮影して編集途中の16mmと8mmフィルムも出てきたぞ……。

 う~ん、捨てられないもんだなあ。

 え~、一体、どうすりゃいいんだぁ。

『捨てる! 快適生活』(飯田久恵著/知的生きかた文庫/2013/11/11刊)刊行日はKindle版の分。親本は2008年に出ている。

2014年6月17日 (火)

『スイートプールサイド』「青春剃毛映画」って、まあそのままなんだけれども、「剃毛」の意味がね

 しかしまあ、青春というのは厄介なもので、男の子は「毛が薄い」で悩み、女の子は「毛が濃い」で悩み、男の子は「毛が見たい」で悶々とし、女の子は「毛を見せたくない/見せたい」でやはり悶々とする。

 しかし、やっていることはなんか高校生っていうより中学生みたい。

Photo『スイートプールサイド』(原作:押見修造/監督・脚本:松居大悟/企画・製作:松竹)

映画『スイートプルサイド』の公式サイトはコチラ

 原作は、元々は「週刊ヤングマガジン」連載なので(婉曲的な表現なら)セックスはあり。ただし、その後「別冊少年マガジン」に転載されたので、セックスはなし。なので、原作的には主人公二人してプールに落ちたときに、濡れたパンティ越しに見える陰毛までが表現の限界。

 セックスに興味はあるんだけれども、決してセックスには至らないという「少年コミック雑誌」の限界内での表現に留まっているのだ。じゃあ映画はっていうと、それよりもっと奥ゆかしい表現でしかなく、ちょっと残念。

 どうせならR18にしちゃえば良かったのに。なんて言っちゃいけないのかな。

 後藤綾子役の仮谷友衣子の17歳にしては成熟した肢体に競泳用水着は良く似合うけれども、原作漫画と同じ表現を期待した私がバカだった。

 原作のストーリー展開は、お肌ツルツルでまだアソコの毛も生えていない水泳部・太田年彦くんは、体毛の濃さが悩みの水泳部・後藤綾子に頼まれて腕の毛を、そして脛の毛を剃ることに。その後、綾子はエスカレートして腋毛も剃ってねとお願い。で、それが毎週月曜日の習慣に。

 その後、毛を剃ったことで自信を付けた綾子は水泳の記録もどんどん伸びて、二ノ宮センパイとも親しくなる。しかし、二ノ宮センパイを好きになってしまった綾子は、次第に年彦を避けるようになり、体毛も剃らしてくれなくなる。で、自分で剃るのだが、またまた傷だらけに。

 で、二ノ宮センパイと年彦の間で揺れ動く綾子は、年彦に最後のお願い。

「剃って!! あそこの毛を!!!」

 で、「剃って」「剃れない」でもめている間にプールに落ちて……。

 というだけの、144ページの短編漫画が原作。

 なので、映画化にあたってはかなり原作を膨らましている訳だ。それが上手くいっているかどうかは、ここでは触れない。それはどうでもいいからだ。

 ポイントは、映画では太田年彦(須賀健太)が後藤綾子の剃った毛をなんと筆箱に日付入りで収集していること。で、悶々としたある夜、年彦はそこから一つまみ綾子の毛を取り出すと、まずは自分の腕に付けて何となくスリスリ……、そのうちその毛を口に入れると、水で飲み込んでしまう。これって、完全に年彦は綾子をオカズにオナニーをしているっていう表現だよな。もう、勃っちゃってビンビンだもんね。

 そりゃあそうだ、男子高校生って言えば、もう木の股を見ただけでも勃起してしまうお年頃。自分と同じ年の女の子の体毛(それは別にアソコの毛じゃなくても)を剃るなんて、普通はあり得ない体験をした後なら、完全にその女の子をオカズにオナニーもするよな。

 その辺は、女の子も同じなんだろうか、違うんだろうか、まだカミさんにも聞けない問題なんだよなあ。

 で、原作では綾子のパンティからはみ出した分の陰毛や濡れたパンティ越しの綾子の陰毛というだけの表現なんだが、どうも映画ではモロにゴワゴワ、グジャグジャの綾子の陰毛を見てしまったというような表現。こりゃあ今晩のオナニーは盛大になるわけだな。

 オジサンだって思わず勃起してしまいますがな。

 で、年彦の最後のセリフ……

「…後藤…
オレ…剃れないよ
やっぱり

そんな…
キレイなもの…」

 おおっ、「キレイなもの」という表現は陰毛に与える表現であろうか。むしろ、今や陰毛だって剃毛してパイパンにしてしまう時代だっていうのに。高校生にとっては「キレイ」なのであろうか。

 まあ、普通は女の子の陰毛なんて見る機会がないのが普通の高校生の日常である。思わず目が眩んだんじゃないかとも思えるが、そこで「キレイ」と言ってあげるセンスはなかなかのものだ。

 まあ、そこは原作通りのセリフではあるんだけれどもね。

 ただし、あまりエッチに期待してはいけない。何しろR18でもR15ですらない、G映画(一般映画)なのであります。極めて「健全」。

 まあ、いかにも「ツルツル」な感じでモテそうもない須賀健太は面白いし、刈谷友衣子や、坂下麻衣役の荒井萌も可愛いけどね。

 しかし、セックスしたくてもできない高校生時代、セックスしたくてもやってはいけない高校生時代って、「セックスなんてこんなもんよ」って知っている一部の援助交際女子高生以外は、結局は妄想をどんどん自己増殖させていくだけで、本当に厄介なものだな。

 本当に青春って億劫なものなのだ。

『スイートプールサイド』(押見修造著/マガジンKC/2011年8月9日刊)映画化を期に今年4月1日に再版されたようだ。

2014年6月16日 (月)

Amazon 2014年上半期ランキング

 Amazonの2014年上半期(2013年12月~2014年5月)の売上げランキングが来た。

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 和書総合では『嫌われる勇気』がトップで、2位が『永遠のゼロ』、3位が自己啓発書『7つの習慣』のコミック版『まんがでわかる7つの習慣』ということになった。皆ロングセラーだが、百田尚樹氏が強いのはいいとして、1位と3位が自己啓発書ってのもなあ。

 Kindle本で強いのは圧倒的にコミックだが、そのコミックの中でもダントツ1位は『進撃の巨人』。ビジネス・経済では『スタバではグランデを買え』、新書では『日本近代史』とこちらもロングセラーが上位を占める。

 ミュージック(CD)、デジタルミュージック(MP3)ともに第1位はアカデミー賞長編アニメーション賞および主題歌賞を獲得した『アナと雪の女王』関連の商品が圧倒的に売れているようだ。

 TVゲームではスマホでも大人気の3DS版ソフト『パズドラZ』が圧倒的な1位になった。

 一眼レフカメラでは『CANON EOS Kiss X50 レンズキット』が1位、2位が『NIKON D5200 ダブルズームキット』で、3位が再び『CANON EOS Kiss X50 ダブルズームキット』になった。いずれにせよ、入門機ってところがAmazonらしいところかな。

 その他、食品&飲料では『クリスタルガイザー 500ml×48本』、文房具・オフィス用品では『KOKUYO KB用紙(共用紙)(FSC認証)(64g)A4 500枚』、シューズ&バッグでは『crocs crocband』がそれぞれ1位で目立ったところか。

 全部で30部門あるが、目立ったところではこんなところかな。

2014年6月15日 (日)

Fitbit Flexの新しいリストバンド

 ワールドカップ、残念ながら日本は初戦に惜敗したわけだが……

 それとは関係なく……

 Fitbit Flexの新しいリストバンドが来た。

 3色あって毎日着けるバンドを気分に合わせて変えることができる

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 なんで新しいリストバンドを注文したのかというと。

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 ご覧の通り、リストバンドのFutbit Flexを収納する部分が壊れてしまったからなのだ。まあ1年半使っているので、これもしょうがないだろう。

 かといって、別に3色もいらないのだけれども、3本位のセットにしないと安くなりすぎてしまい、通販のうまみが出せないからなのかもしれない。

 まあ、そこは前向きに考えて、毎日色違いで楽しむとするか。

リストバンドにはラージサイズ(左)とスモールサイズ(右)がある。私はラージサイズを使っている。スモールサイズは女性用かな。それにしてもラージサイズの方がスモールサイズより安いっていうのは何故なんだろう? 製造ロットの差なのか? まあ、扱っている会社が違うっていうのもあるけれども……。

モデル・ポートレート撮影会に行ってきた

 昨日は、新宿Map Camera主催の『オリンパスOM-D E-M10で撮る ポートレート撮影セミナー』が新宿モノリスのオリンパスで開催されたので、これに出席。

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 セミナーは3部構成で第1部が「プロカメラマン斎藤先生よりE-M10の使い方講座」、第2部が「モデル(2名)撮影」、第3部が「斎藤先生による写真講評」。

 ということで、広告写真を中心に、雑誌、新聞で撮影に携わるフォトグラファー、斎藤功一郎氏から、まずオリンパスOM-D E-M10の細かい使い方についての講習が始まる。

 オリンパスOM-D E-M10は当然ながら、OM-D E-M1というフラッグシップ機のサブカメラという位置づけで、OM-D E-M1からスペックダウンした入門機でもある。ただし、単なるスペックダウンはなく、使い方がちょっとOM-D E-M1と違うだけ。なので、OM-D E-M1のユーザーはそのままOM-D EM1を使っている時と同じ感覚で使える。ということで、OM-D EM1を持ってきている人も多かった。

 というか、この小ささはなんだ! 今私が使っているデジタル一眼レフはニコンD7000なんだが、おまけにマルチパワーバッテリーパックなんてものを付けているから重たくて仕方がない。なので、お仕事カメラではニコンもいいんだけれども、散歩カメラとしてはデジタルではEPSON RD1sや、アナログではライカなどの距離計連動カメラが中心になる。でも、このオリンパスOM-D E-M10(E-M1も)の小ささは、昔のオリンパスPEN FT位の大きさで、しかし撮影画像は1.6MB位というから、雑誌なんかの記事写真には何の問題もない。多分、パネルにしてもA3位までは問題はないだろう。

 ということなので、プロ用の撮影から散歩カメラまで、OM-D E-M1(E-M10も)の守備範囲は広い。う~ん、これは購入を検討するに値するなあ。

 と言う具合に、見事にオリンパスの戦略にハマったわけですね。

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 で、第2部はお待ちかね「モデル撮影」の時間だ。

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 モデルはクリクリッとした目が可愛らしい、舞台女優兼モデルの来栖梨紗さんと……

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 エキゾチックな顔立ちの、新宿生まれ、池袋育ちのシティガール梓媛さん。

 両嬢ともまだ19、20歳で将来が期待されそうな若手タレントだ。先物買いの皆さんは要注目ですな。

 どうも、Map Camera主催のモデル撮影会なんかも結構開かれているみたいで、終始なごやかな雰囲気で、お仲間同士のお話が進みながら進行する。

 しかしまあ、私はこうしたモデル撮影会っていうのは初めて参加するので、その雰囲気がよくわからなかったのだけれども、皆さん積極的に前へ前へ出て、モデルに話しかけながら撮影をしていく。その撮影枚数と言えば……。

 なるほどねえ、そうやってモデル撮影会は進行していくのか。

 で、最後は参加各氏がその日のベストショットを提出して、斎藤先生の講評の時間だ。

 実は、私、本日のセミナーに遅刻してしまったので、一番端っこの席。ということなので、多分講評も一番最初か最後だろうということで、2種類用意して、結局最後みたいなので、お約束のモデル単体の長焦点レンズの写真じゃなくて、こんな写真を出した。

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 本来はモデル撮影会ではこんな写真は「禁じ手」なんだろうけど、まあ、最後の写真なんでいかにもって感じで、斎藤先生も褒めてくれた、っていうかすべての写真を褒めたんだけれどもね。

 しかし、いやあモデルさんって可愛いね。

OLYMPUS OM-D E-M10 M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO @Shinjkuku (c)tsunoken

2014年6月14日 (土)

『この写真がすごい2』のすごさについて

 写真集という本のジャンルは面白い。

 勿論、ある写真家の写真を収録したのも写真集だが、その他にもタレントの写真集なんてのもあるし、あるテーマに沿って撮影された写真を写真家とは関係なく集めたものもある。

 で、こんなテーマもなく、写真家による収録でもなく、タレント写真集でもなく、ただ単に「この写真がすごい」というだけで、いろいろなソースから集めた写真集だってあるのだ。

2『この写真がすごい2』(大竹昭子著/朝日出版社/2014年5月25日刊)

 大橋仁のこの写真につけられた大竹昭子のコメント。

Jioh_surrended_01(c)大橋仁

『肉が駆けてくる、という感じがする。周囲が暗く、ほかに何の要素も写っていないことが肉の塊を強調している。ヒト科の生き物が誕生してから現在に至るまでの、長くて遠かった道のりを想う。ただ裸になって駆けているというだけなのに、生物の歴史が浮かんでくる』

 あるいは石川直樹のこの写真につけられたコメント。

Photo(c)石川直樹

『建物のタイル張りの壁と、男の笠の背後に浮かぶ蛍光灯の光に注目。異様な雰囲気をたたえた「神」が、ふつうの住宅の庭に立っていることにぞくっとする。ありふれた場所に、ふっと現れ、いつもの日常を非日常に変えるのが「神」の仕事なのだ。その意味はタイルの壁が入っていなければ消えてしまう』

 更に菱沼勇夫の写真についてのコメント。

Photo_2(c)菱沼勇夫

『周囲は完璧な闇で、足下には水が満ち。朱色の影が水面を照らしている。救出不可能のような印象を与えるのは、正方形の画面のど真ん中に、どの辺からも等しい距離をとって立っているせいだろう。絶体絶命の状態が神々しさを放っている』

 などなど、70点の写真からランダムに選んだだけのコメントであるので、それぞれのコメントにも一貫性はない。ただただ「この写真がすごい」ということで、大竹昭子氏が如何にその写真から「すごさ」を感じたかを、「ねえねえ、この写真ってすごいって思わない?」という感じで書いているだけ、っていうのが実は「すごい」のだ。

 実は、それらの写真を選び取るセンスが「すごい」のだ。
 

『この写真がすごい2』(大竹昭子著/朝日出版社/2014年5月25日刊)

2014年6月13日 (金)

『イケダハヤトはなぜ嫌われるのか?』という自分マーケティング

 イケダハヤト氏が嫌われようが嫌われまいが私にはどうでもよいことだけれども、結局、その「嫌われ方」を見てみると、なんかネットを見ている人たちの浅薄さが見えてくる。

Photo『イケダハヤトはなぜ嫌われるのか?』(イケダハヤト著/エレファントブックス新書/2014年6月1日刊)

 例えば、「第二章 イケダハヤトの炎上記録」を見てみると……

『炎上例①「10年に1度の台風」のなか、社員に出社させる会社は「ブラック企業」だ』

『炎上例②「入社3年目までは下積み期間」という「一面的な」価値観』

『炎上例③「狂った日本の奨学金制度:大学卒業のために「720万円の借金(利子付き)」を背負うのは自己責任?』

『炎上例④『無断転載』の何が悪いの?』

 う~ん、これを見ていると、結局、イケダ氏を嫌う人(「批判する人」とはちょっと違う)は単にブログのタイトルだけを見て、脊髄反射的に反応しているだけじゃないのだろうか、と思ってしまう。

 ブログであれ本であれ、人に自分の書いたものを読んでもらおうと考える人は、人目を惹くタイトル、反発を買いそうなタイトルをあえてつけるものなのだ。それを見て、「ムッ?」と思った人がそのブログを読んだり、本を買えばそれでOK。で、読んでみると意外とマトモなことしか書いていなくて、ちょっとガッカリなんてこともあるのだ。イケダ氏のブログもそうで、タイトルだけで脊髄反射せずに、ちゃんと本文を読んでみると結構普通のことが書かれていたりするもんです。『年収150万円で僕らは自由に生きていく』という本なんて、まさにこの典型。内容はごく当たり前のことが書いてあるのだ。

 結局、イケダ氏を嫌う人たちは、初めからイケダ氏が嫌いなのだから、とにかくイケダ氏が書いたものをクサしたいだけなんだな。だったら初めから無視して、イケダ氏のブログなんて読まなければいいのだが、わざわざそれを読んで、「私はイケダ氏が嫌いだ」ということをツイッターなどでつぶやくというのは、結局、自分自身の承認欲求を満たしたくて書いているだけなんじゃないだろうか。

「第三章 イケダハヤトが嫌われる10の理由では……

『01 イケダハヤトは偉そうだ。上から目線だ』

『02 イケダハヤトは無責任である。影響力があるのだから、責任ある発言をすべきだ』

『03 イケダハヤトのブログはすべて売名行為である』

『04 PVを稼ぐために炎上を狙っている』

『05 イケダハヤトの意見は矛盾している』

『06 イケダハヤトは社会のシステムをバカにしている』

『07 イケダハヤトは中二病だ』

『08 イケダハヤトのブログは社会への復讐なのか?』

『09 イケダハヤトは嫌われてもいいと開き直っている。その態度がムカツク!』

『10 イケダハヤトは所詮、承認欲求を満たしたくてブログを書いているだけじゃないか!』

 と、列挙しているのだが、まあ、これはイケダ氏自身が勝手に書いている「10の理由」なので、その列挙にはちょっと問題があるかもしれない。

 とは言うものの、上の列挙にしても『上から目線』なんて当たり前で「下から目線」でオズオズ書いたものなんて誰が読みますかいなだし、『無責任である』だってライターは基本的に無責任に書き飛ばすもので、社会的責任なんて考えていたらライターなんてできないし、『売名行為』なんて当たり前でしょ、売名したくなくて文章を発表する人なんていないだろうし、『炎上を狙っ』ちゃいけないのかな? というかそれは炎上させたアタナがいけないんでしょだし、『意見は矛盾』しているのも当たり前で、絶対に矛盾しない意見ばかり書いていたら、多分、おもしろくなくてアナタはそれを読まないだろうし、『社会のシステムをバカ』にしていたっていいじゃないか、それとも社会のシステムをありがたがって書くブログのどこが面白いんだろう、基本的に社会的に正しいと思われていることを批判するから、ブログは面白くなるんだろうし、『中二病』という呼び方はそれだけで対話を閉じてしまう言い方であって、それは批判にはあたらないものだし、『社会への復讐』という呼び方はむしろ逆にイケダ氏に対する賞賛になってしまうということをアナタは知らなければならないし、『嫌われてもいい』と考えているから自由にモノを書けるのであるし、『承認欲求を満たしたくてブログを書』くのはごく当然のことで、承認欲求のない人がブログなんて書く訳がないじゃないか。フー……。

 私自身はイケダハヤト氏の書くものには「なるほどそういう考え方もあるんだな」と思えることが多いので、別にイケダハヤト氏を擁護するつもりもないのだが、むしろ、上記の通り、イケダハヤト氏を嫌っている人たちの浅薄さの方が気になるので、こんなことを書いてみた。

 イケダハヤト氏を嫌いな人は、嫌いになる前に、まずキチンと批判することを行った方がいいだろう。つまりそれはたかだか140字位のツイートではなく、せめてイケダハヤト氏が書いた文章と同じだけの分量の文章を書いて、イケダハヤト氏が間違っている点をキチンと指摘することだ。

 まあ、そんなことができるような人だったら、ツイッターなんて姑息な手段はとらないでしょうけどね。

 でないと、「炎上」を好むイケダハヤト氏にとって、反イケダハヤト・ツイートはそれこそ大歓迎の「ネタ」なのだ。イケダハヤト氏は自分に対する嫌悪感を露わにしたツイートを読んで、それをネタにして更に自分の意見を展開しようとして待ち構えているのだ。そんなイケダハヤト氏の餌食になりたくなかったら……。

 イケダハヤト氏のブログを読まないことですね。

『イケダハヤトはなぜ嫌われるのか?』(イケダハヤト著/エレファントブックス新書/2014年6月1日刊)電子版のみの発売。Kindle買おうね。私は3Gをお勧め。

2014年6月12日 (木)

『モノマガジン』は「ちっちゃいクルマ」だ!

『モノ・マガジン 6月16日(716)号』(遅っ!)のカバーストーリーは「男が惚れ込むちっちゃいクルマ スモールカーパラダイス」である。

 こういう企画大好き!

 クルマは「小さくて、(それなりに)パワフル」が基本なのであります!

Photo_2『モノ・マガジン 6月16日(716)号』(ワールドフォトプレス)

「軽自動車、コンパクトカーと呼ばれる小さなクルマが大人気。デザイン的にもポップで遊び心があるものが多く。スモールカー好きの男子も増えてきている。小回りが利き、居住性もよく、さらに燃費もよいとなれば、多くのユーザーから支持されるのもうなずける。そこで、モノ・マガジンではスモールカーを大特集。内外のカワ・カッコイイ小さなクルマをさまざまな角度から紹介するぞ!」って、なんか一昔前の「POPEYE」か「Hot Dog Press」みたいな惹句ではじまる本特集。はたしてその結果は?

 取り敢えず表紙に載っている「ケータハム SEVEN 160」、というかこれっきゃないっていうくらい。そうケータハム・スーパーセブンじゃないのだ。つまり、これはケータハムにスズキの660cc直3ターボという、ジムニーと同じK6A型エンジンをECUチューンして80psを発生させたエンジンを載せたクルマなのだ。「軽タハム」って書いてあったけどね。クルマの大きさから言って当然「軽ナンバー」、お値段は400万円弱って、イイネ。

 ネーミング「160」の意味は、車重1トン当たりの出力、ということで車重約490kgのボディに載るエンジンユニットは80psなので、倍にして「160」ということ。このスペック「550ps/1,740kg=0.316ps/1kg」というニッサンGTRに比較して「80ps/490kg=0.163ps/1kg」という数字からだけ見れば「おとなしい車」に見えるけれども、じつは大事なのこのクルマの「軽さ」なのである。

 GT-Rはケータハムの実に3.55倍の重さ!

 確かに「大馬力」というのは「夢」である。しかし、問題はそんな大馬力を発生させるために「大重量」になってしまうことの、つまらなさがある。つまり、大重量になってしまうために、慣性重量が大きくなってしまい、そのためには運動性を損なわなければならなくなってしまうのだ。ストレートでドッカーンと速くても、コネコネ曲がりくねったワインディングロードで操縦を楽しむことができなくなってしまっては、それはスポーティーカーとは言えない。そんな意味では、日産も最初のスカイラインGT-BからGT-Rになってからも、基本的には「スカイライン」では操縦性を大事にして軽量化に努めていた(まあ、GT-Bの操縦性は最低だったけれどもね)。「スカイラインR32 GT-R」あたりまではまあ、よかった。それが「ニッサンGT-R」になってからは、完全に「マッチョ路線」に走ってしまい、どんどん車重は重くなり、出力は上がっても、多分それは操縦を楽しむクルマではなくなってしまった。スーパーGTシリーズでもって、まったく元のクルマとは違うレーシングカーとしては速くてもいいという路線に走ってからは、実は実車「スカイラインGT-R」は若者からは支持されない単なる「お金持ちのおじさんクルマ」になってしまった。

 そこへいくと、このケータハム SEVEN 160は潔い。

 パワースペックよりは操縦性にクルマを運転する楽しさを求め、徒にパワーを求めずに小さなエンジンを載せ、なおかつそれによって「買いやすさ」を求めたわけだ。

 とにかく「フォーミュラカー・ライク」な操縦席である。運転席で吸っていた煙草を路面で消せるっていうのは本当。そこはフォーミュラみたいに肩までボディが覆っていないからね。ワインディングロードを走った時の安定性は勿論あるだろうし、ラインをトレースするする時の安定性はスカイラインGT-Rの比ではないだろう。まあ、昔のフロントエンジン・フォーミュラみたいな感じだろうけれども。

『テストドライブした小林可夢偉氏によれば「最近のクルマはクルマがドライバーを制御するモデルが多いけど、このゼブンは笑ってしまうくらいなにもないから、ドライバーの思った通りにドライブできる」』

 という通り、まさしく「FUN TO DRIVE」なクルマの代表選手なのだ。まあ、フロントエンジン・リアドライブなので、基本的には弱アンダーステアのそのままアクセルを踏みながらコーナリングすると徐々にリアが流れていく「いい感じ」(?)。

 まあ、RADICAL SR3SLもいいけど、これは完全にミッド・シップのロードゴーイング・レーシングカーだからあまり興味はない。

 ということなので、私はこの「ケータハム SEVEN 160」に惚れてしまったのであります。

 昔のロータス・セブン、ケータハム・スーパーセブンのころからファンであった私は、道でそんなクルマたちとすれ違う際に、いつもカミさんに「いいね、いいね」を言ってきた。

 もう、子どもたちを後席に乗せる必要がなくなっている以上は、別に二人乗りでも問題はない。

 カミさんはこのクルマにどんな反応を示すだろうか。

 まあ、休日にスーパーマーケットに買い物に行くには、ちょっと向いていないかもしれないけれども……。

『モノ・マガジン 6月16日(716)号』(ワールドフォトプレス)

2014年6月11日 (水)

Site renewal message from Mr. Chris Guillebaeu titling "Why I Started The Art of Non-Conformitey"

 クリス・ギレボー氏からサイトの更新案内がきた。

 題して"Why I Started The Art of Non-Conformitey"(何故私はブログを始めたのか)。

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『貨幣という謎』より、取り敢えずは「肩たたき券」だな

 昨日の続き……「通貨のない世界」なのだが……。

マウントゴックス事件で話題になった「ビットコイン」って何だ、取り敢えずお勉強してみようというつもりで読んだ本なのだが……。

 実は、ビットコインというのは本当は単純な発想で作られたものであり、それは別に特別なものでもないし、もともとネットの中だけで流通していたものが、実は実社会でも使える場所があるというので流通し始めたのだということが分かると同時に、麻生財務大臣が「こんなものは長く続かない、どこかで破綻すると思っていた」という発言が、実はまったくビットコインを理解していない発言だったということも分かった。

 ビットコイン自体は破綻しないのだ。

Photo『貨幣と言う謎 金と日銀券とビットコイン』(西部忠著/NHK出版新書/2014年5月10日刊)

『ビットコインは二〇〇九年に登場した当初は、国家(中央銀行)が発行した金融機関を通して決済される中央集権型の通貨ではない分散型ネットワーク通貨として、P2Pの設計思想に共感したハッカーなど一部の人たちが利用していたにすぎませんでした。それで買える物などほとんどないので、あたかもネットゲーム内マネーでしかなかったといいます。しかしある時、誰かが一万ビットコインでピザを買うことができると、さらにいろいろな物品や情報が買えるようになりました。こうしてビットコインはそれで買える物の数を増やしていくことにより、その購買力を高めていったのです』

『ビットコインの設計思想は、フリーソフトウェアとP2Pにあると言えます。ビットコインのマイナーたちもマイニングによって対価を得ることだけでなく、その自由主義で非中央集権的な設計思想への共鳴から参加しているように見えるからです』

『一言でいえば、集権性を核とする国家通貨や地域統合通貨が支配的である現状において、P2P型分散的ネットワークを活用する民間通貨がそれらと競合しうる世界がリアリティを持ち始めたということです。円やドルのような国家通貨は国家の権力や法律という後ろ盾を持ち、中央銀行が多大な労力やコストをかけて発行管理するのですから、きわめて大きな購買力を持つ強い通貨です。これに対して、市民や企業、団体などがビットコインの負の側面をうまく克服し、「採掘」をビルトインした民間通貨を独自に普及させれば、国家通貨と競争することが可能になってきたことを物語っているように思います』

『ビットコインが広まったのは、国家通貨の危機に対する市民の対抗手段として用いられたからだということも忘れえてはなりません。そして、すでにある電子マネーやコミュニティ通貨もビットコインの技術システムのメリットから学び、一定のニッチを確保すべく競争に入っていくことになるでしょう』

 結局、貨幣というものは「裸の王様」と同じ、そこで価値を同じくする国民(共同体)の共同幻想なわけであり、だからこそその国(共同体)に住む人たちの中で共通して使われる「価値」として意味を持つ。のであれば、別にそれが国でなくとも、もっと小さなコミュニティなどで共通する価値観を持つものを、そのコミュニティだけで通じる貨幣として定めることもできるということなのだ。

 なので、そのコミュニティにいる人々が「あるもの・こと」をそのコミュニティでの「共同幻想」ととして認めれば、その「あるもの・こと」が貨幣になる。

『グローバリゼーションの流れにある現行通貨制度については悲観的にならざるをえない面がある一方で、この一〇年ほど新たな貨幣が群生する動きも目立ってきました。世界各地で盛んに実施されているのは、市民団体・NPO、自治体、商工会議所などが地域経済や地域コミュニティの活性化のために独自の名称の通貨を発行し、特定の地域やコミュニティ内で流通する、先ほど述べたコミュニティ通貨です。また、日本でこの間急速に普及が進んでいるのは、貨幣価値をデジタル情報としてネット上のサーバーやパソコン、ICカード、携帯に保存し、特定の企業グループやインタネットの中で取引決済に利用できる電子マネーです。そして、それ以外にも、「採掘」というユニークなアイディアを導入した仮想暗号通貨ビットコインも挙げられるのです』

 ところがこうしたコミュニティ通貨や、電子マネー、ビットコインは現行の通貨と交換できなければ税収に繋がらないので、国としてはそれらの「新通貨」を認めることはできない。しかし、だからと言ってそれらの発生を法律で取り締まることはできない。なぜなら、それらの「新通貨」は単にそのコミュニティに属する人たちだけの「約束」にすぎないからだ。国家はコミュニティの内部にまで踏み込むことはできない。

 更に問題なのは、これらの現行通貨制度を否定する動きは、結局、現行の通貨制度では「バブル」が必然であり、そんなバブルに対するアンチとして存在するということなのだ。「成長神話」とともにある資本主義と現行通貨制度では、かならずバブルが起こるしそして、当然バブルは破裂するものなのだ。

 つまり

『ミクロレベルでの相互に強化する関係がエンジンとなって、それが加速度的に作動することで、バブルというマクロ的な秩序が作られます。そして、このマクロ的秩序の成長が、さらにミクロレベルに燃料を注ぐことで、ミクロとマクロの間にもループが作動し続けます。しかし、何らかのきっかけで、支配的トレンドと支配的バイアスが相互に否定し合い、弱め合うと、マクロレベルの秩序であるバブルは自己崩壊してしまうのです』

 ということ。

『マルクスは、商品生産が一般的な資本主義経済では、貨幣は必ず発生し、それは価値増殖しうる資本になると考えました。それは、人間が貪欲だから金儲けを行うのではなく、貨幣があるから人間は貨幣を増やそうとするのだということに他なりません』

 とは言え、マルクスは『貨幣なき社会主義計画経済こそ資本主義市場経済に取って代わるべき理想社会である』とは考えていなかったようで……

『経済社会が協同的に運営される「自由な人々のアソシエーション」では、労働貨幣のような疑似貨幣は使えるかもしれないが、それは「劇場の切符」(商品券ないしバウチャー)のようなものであり、資本として利用できる「貨幣」ではないということです』

 という考え方も、現在の資本主義経済のリアルな実態からすると、なんかマルクスが批判したロバート・オーエン何かのユートピア思想にも感じられてしまう。

 まあ、とりあえず「肩たたき券」から始めますか。えっ? 「肩たたき券」? と言ったあなた。「肩たたき券」はだって親子というごく小さなコミュニティで通じる立派な「通貨」なんですよ。

『貨幣と言う謎 金と日銀券とビットコイン』(西部忠著/NHK出版新書/2014年5月10日刊)

2014年6月10日 (火)

Fitbit weekly progress report from June 2nd to June 8th

 Fitbitからいつもの週間レポート、6月2日から6月8日まで。

 一週間トータルでは56,065歩、39.25kmとノルマ未達成。週後半の雨がやっぱり問題だな。

 合計カロリー消費は16,281kcal、平均睡眠は6時間21分、体重変化は一週間で0.8kg減。

 最も活動的だったのは6月4日(水)で13,214歩、9.25km歩いた。

 最も非活動的だったのは6月7日(土)で2,903歩、2.03kmと、やはり雨が関係している。

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『資本主義の終焉と歴史の危機』のあとに来るもの

「資本主義の終焉」というのは、今や私たちにも「実感」として感じることのできる状態だ。「ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレ」という状況に陥っている我が国を見ていると、本来「成長神話」の存在を前提としている「資本主義」が最早「終わりの始まり」の段階にあるのだろう、という実感である。

 では、資本主義の後にやってくる経済体制ってなんだろう。当然、革命が起きない以上は社会主義や共産主義にはならないだろう。ではどんな……。

Photo『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫著/集英社新書/2014年3月19日刊)

 基本的には、もともと資本主義ってなんだろう、というところから問題は始まる。

『永続型資本主義の始まりはオランダ東インド会社であり、それ以前の地中海世界における資本主義は一事業ごとに利益を清算する合資会社による資本主義でした』

『資本主義の性格は時代によって、重商主義であったり、自由貿易主義であったり、帝国主義であったり植民地主義であったりと変化してきました。IT技術が飛躍的に進歩し、金融の自由化が行き渡った21世紀は、グローバリゼーションこそが資本主義の動脈と言えるでしょう。しかし、どの時代であっても、資本主義の本質は「中心/周辺」という分割にもとづいて、富やマネーを「周辺」から「蒐集」し、「中心」に集中させることには変わりありません』

『それでも資本主義は資本が自己増殖するプロセスですから、利潤を求めて新たなる「周辺」を生み出そうとします。しかし、現代の先進国にはもう海外に「周辺」はありません。そこで資本は、国内に無理やり「周辺」をつくり出し、利潤を確保しようとしているのです。
 象徴的な例が第一章で述べたように、アメリカのサブプライム・ローンであり、日本の労働規制の緩和です』

『あらかじめ結論を言うならば、グローバル資本主義とは、国家の内側にある社会の均質性を消滅させ、国家の内側に「中心/周辺」を生み出していくシステムだといえます』

『あらかじめ富める人の定員は15%しかないのが資本主義ですが、曲がりなりにも今日まで存続してきたのは、その過程で資本主義の暴走にブレーキをかけた経済学者・思想家がいたからです。『道徳感情論』でお金持ちがより多くの富を求めるのは「徳の道」から堕落すると説いた18世紀のアダム・スミス、『資本論』で資本家の搾取こそ利潤の源泉であることを見抜いた19世紀のカール・マルクス、失業は市場で解決できるとはせず、政府が責任をもつべきと主張した20世紀のジョン・メイナード・ケインズらが近代の偉大なブレーキ役でした』

 まあ、そんな意味では、マルクスの存在も別に社会主義・共産主義を推し進めたわけではなく、資本主義の本質は何かを示しただけで、別に革命思想を植え付けたわけではないことが分かる。むしろ、資本主義を延命させることにも協力したのではないか。

『マルクスのブレーキは、19世紀半ばからソビエト連邦解体までは効き目がありました。そのうえ、1929年に世界が大恐慌に直面すると。ケインズ主義が暴走する資本主義のブレーキとなり、1972年ぐらいまではもちこたえることができました。しかしオイル・ショックが起き、スタグフレーションになって、ケインズ政策の有効性が疑われるようになると、一転してブレーキ役たるケインズが停滞の犯人のように考えられるようになってしまった。
 代わって、あらゆるブレーキを外そうと主張したのがミルトン・フリードマンやフリードリッヒ・ハイエクが旗振り役となった新自由主義です。21世紀のグローバル資本主義は、その延長線上にありますから、いわばブレーキなき資本主義と化しているのです』

 という具合に、もはや資本主義は終焉の危機にさらされているというのだが、じゃあ、それに対する「答え」というものがあるのだろうか、と問いかければ、それはまだ見つかっていないという。

 ということなので、『資本主義の先にあるシステム』が描けるようになるまでは、現在の状態を「定常状態」において、取り敢えず資本主義を延命させるしかないというのだ。

 で

『この定常状態の維持を実現できるアドバンテージをもっているのが、世界でもっとも早くゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレに突入した日本です』

 ということになる訳ですね。

 しかし、資本主義の未来像が描けない状態で定常状態を維持するというのはどいうことなのだろか。

 つまりそれは「増税」でもって基礎的財政収支を均衡させるということなのだ。つまり、消費税は20%まで上げて、法人税も上げる。

 しかし、そうなると富裕層の海外移住、企業の海外移転がますます激しくなるのではないか?

『87年の時点では金融資産ゼロ世帯は3.3%です。1972年から1987年にかけての16年間の平均は5.1%です。つまり、この時期は、金融ゼロ世帯は。20世帯のなかの一世帯だけです。ところがバブルが崩壊し、新自由主義的な政策が取られていく過程で、3.3%から31%へと跳ね上がったわけです。この31%はおそらく家ももってないでしょうから、無産階級といえます』

 という具合に、無産階級だけが日本に残って、というか残らざるをえなくなって、資本家は皆海外に移住、企業も基本的には海外に移転してしまい、日本に残されるのは自分で自分の運命を決められない人たちばかりになってしまう。

 となるともはや暴動でもおこして、政府を倒すしかなくなってしまうが、当然そんな先の目当てのない暴動では新しい価値観を生み出すような「革命」には至らず、その政府を倒した勢力は再び次の勢力に倒されるのであろう。という具合に、数年から数十年の混乱を経て、新たな体制が成立した時の日本の姿ってどんなものなのだろうか。

 私は、個人的にはそこには「通貨のない世界」が誕生して欲しい、と考えているのだが……。「通貨のない世界」については、改めて別稿で話す。

 なんて言っているうちに欧州中央銀行がマイナス金利を始めてしまった。欧州のデフレ対策なんだけれども、果たしてうまく行くんだろうか。

 多分、欧州バブルが起きるだけなんじゃないか?

『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫著/集英社新書/2014年3月19日刊)

2014年6月 9日 (月)

阿佐ヶ谷アニメストリート!

 阿佐ヶ谷にアニメストリート出現! なんて言っても「ヘー、クールジャパンね。ふん、まあ勝手にやればいいんじゃん」なんて中二病的に反応してはいけない。

 ここ、阿佐ヶ谷は元々アニメには親和性のある街だったのだ。

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 昔、丸山正雄氏が運営する「プロジェクトチーム・アルゴス」や「マッドハウス」が南阿佐ヶ谷の書原(と言う名前の本屋さんです)の3階にあった時から出入りしていた私としては、やはりここ阿佐ヶ谷パールセンター商店街(都内でも有数の商店街です)で、毎年七夕祭りのときに「宇宙戦艦ヤマト」なんかの飾り物があるのは当然と思っていたわけです。

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 で、パールセンターからちょっと外れた、中央線の高架下にはゴールド街という商店街があるんだが、こちらは寂れてしまって下校途中の高校生が歩くだけの寂しい商店街になってしまっている。

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 そのゴールド商店街をずんずん進むと、もっと暗くなってしまう駐車場がある。

 それでも、もっとずんずん高円寺方面へ進むと、ありました「阿佐ヶ谷アニメストリート」。ここは最早高円寺なんじゃないかとも思えるのだが、やはり「アニメは阿佐ヶ谷」というイメージなのかもしれない、というくらいの場所。

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 阿佐ヶ谷アニメストリートに入ってみれば、GoFa LABOとか……

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 アニメ屋バロックカフェとか……

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 SHIROBACOとかの、アニメ関連カフェスペースがあったり……。

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 COSMENIAというコスプレ専門店とか……

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 Copinという「ありそうでなかった男装コスプレ」の専門店なんかがあったり……

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 阿佐ヶ谷駐屯地というガチャガチャのお店なんかがある。

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 勿論、阿佐ヶ谷MADHOUSEもあります。

 イベントスペースもあって、全部で16店舗あるのだが……。

 まあ、私にとってはマッドハウスという会社はマルさんとともにある会社なので、その昔「レンズマン」でお世話になって、脚本プロデューサーとして関わった「カードキャプターさくら」までが、私の知っているマッドハウスで、それ以降のマッドハウスにはあまり興味はない。

 で、今年3月29日にオープンした「阿佐ヶ谷アニメストリート」はなんとか応援したいんだけれども、どうも、直接的にアニメと関連のあるショップがないんだなあ。これじゃアニメーターも来ないよなあ。という気分にさせられてしまうのだ。

 街のコンセプトとしては

『阿佐ヶ谷駅のある杉並区は以前からアニメ制作会社が多い都内有数の“アニメを生む街”。
この阿佐ヶ谷でアニメの作り手とアニメファンであるユーザーが交流できるスポット「阿佐ヶ谷アニメストリート」が誕生しました。
作る人と観る人が集える場所として新たな交流を生み、新人クリエイターの創出に繋がる新しい施設です。
次世代の担い手が求められているアニメ業界の更なる活力のきっかけとして、高架下がまたひとつ生まれ変わります』

 というのだが、なんか「商売主導」「行政主導」で作られた街は、やはりそれだけでしかなく、本当にアニメーターが来たくなるような街にしないと、それを取り巻く人たちも来ないような街になってしまうような気がする。

 もう、一工夫必要だな。

NIKON D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Asagaya, Suginami (c)tsunoken

2014年6月 8日 (日)

アサヒカメラ『NUDE!』とヌードの終焉

『アサヒカメラ』は毎年7月号が「ヌード特集」で、その月だけは沢山の部数が売れるそうだ。

 まあ、皆好きなのね。

Photo『特別編集 アサヒカメラ「NUDE!」』(アサヒカメラ編集部/朝日新聞出版/2013年11月30日刊)

 その『アサヒカメラ』特別編集版MOOK『NUDE!』が出ている。

 面白いのは、1990年代のヘアヌードブームを樋口可南子の『water fruit』、宮沢りえの『Santa Fe』などの女優ヌードで先頭を切って突っ走っていった篠山紀信ではなく、『NADIA 森の人形館』『少女アリス』などの、どちらかというとロリータ色の強いヌード写真で有名になった沢渡朔を特集していること。

 沢渡はこの本のために『アイスクリーム』『雨』という撮り下ろし新作ヌードと、1990年代から2000年代に『アサヒカメラ』7月号などに発表してきたモノクロ・ヌードを「モノクローム」というタイトルで再録している。

 モノクロとカラーとの違いもあるのだろうけれども、最近の写真の方がより直接的な表現になってきているという、御年74歳の沢渡朔の進化にも驚かせるが、しかし、『NADIA』や『少女アリス』などの「ヘアヌード以前」の写真に懐かしさを覚えるのは何故だろうか。

 沢渡にとって1970年代に『NADIA』『少女アリス』でもってデビューを果たし、二度目のターニングポイントとなった1990年代の『アサヒカメラ』のヌードシリーズを発表した頃に、写真家としてスタートを切った笠井爾示との対談「女を撮ること ヌードを撮ること」が面白い。

『沢渡 アサヒカメラでヌードを撮っていたら、そのうちヘアヌードブームになっちゃった。それから、伊佐山ひろ子さんと『昭和』(94年)を一緒に作ったことは大きかった。また仕事がバンバン来るようになって、調子に乗っていまに至るという感じだけど(笑)。いい女に出会えば、いい仕事ができる。でしょ? 爾示も。
笠井 まだ僕は、そこまでの境地に達していないですね』

 とは言うものの、沢渡などの年齢の写真家のヌードと、笠井などの年齢の写真家のヌードで明らかに違うのは、やはりヌードに対する気負いのようなものの違いだろう。明らかに沢渡世代のヌードには気負いがあるのに対して、笠井世代のヌードはより自然な感じなのだ。

『戦後ヌードとアサヒカメラ』という上野修の原稿の最後は

『日本における戦後のヌード写真は、陰毛のタブーと欧米への憧れをバネに独自の展開を果たしてきた。感性の変化とバブルによって、それらが払拭されたとき、ヌードというジャンルそのものが希薄になっていったのかもしれない。ヌード写真は果たしてこれからどこへ向かっていくのだろうか』

 と締めくくられているが、まさしく日本の戦後写真は、というか戦前から引き続いてなのだが、日本のヌード写真はこの「性器と陰毛」を獲得する戦いだった。

 それまでのおおらかだった「春画」の世界が、一瞬に無くなってしまった明治以降の日本の歴史の中で、「性器と陰毛」は女(男もそうだが)の身体から引き離されて「ないもの」として扱われるようになってしまった。それが何故なのかは、私はポルノグラフィや写真の専門家でも研究家でもないので、よくわからない。しかし、いずれにせよ当然「女(男も)の体に当然のように付いている性器や陰毛」を、欧米とは異なり「女(男も)の身体から引き離されて」しまった「性器や陰毛」という存在にされてしまったのが、日本の歴史でもある。

 そんな「女(男も)の体から引き離されてしまった性器や陰毛」を取り戻す戦いが、やっと部分的ではあっても(未だ性器は全面的には許されていない)勝利を収めたのが1990年代なのだ。『感性の変化とバブルによって、それらが払拭されたとき、ヌードというジャンルそのものが希薄になっていったのかもしれない』というのは当然で、それまでヌード写真が必死で取り組んできた「陰毛を取り戻すための戦い」がなくなってしまった現在、 「ヌード写真の特殊性」というものはなくなってきたわけなのである。

「性器や陰毛が女(男も)の体に付いているのは当たり前」ということになる。

 つまり、「ヌード写真の終焉」がやってくる。

 そんなことを考えながら、見ていくと面白いMOOKではある。

『特別編集 アサヒカメラ「NUDE!」』(アサヒカメラ編集部/朝日新聞出版/2013年11月30日刊)

2014年6月 7日 (土)

『安部政権の罠』というよりは、それに囚われてしまったマスメディアの罠だな

 結局、小泉内閣の「ワンイシュー」「Yes or No」という単純化された二元論の政治に、いまやマスメディアもそれに倣って、二元論で語ることに慣れてしまっている。そのことの危険性を訴えた本書ではあるが……。

Photo『安倍政権の罠 単純化される政治とメディア』(清水克彦著/平凡社新書/2014年5月15日刊)

 そうした問題に「そんな簡単に二元論で語れないのだ」と「第一章 安倍「一強」体制」「第二章 アベノミクス」「第三章 TPP参加」「第四章 改憲と国家主義」「第五章 原発と普天間移設」「第六章 教育再生」という、安倍首相が進める政策について問い、最後に「第七章 マスメディア」について反省しつつ問いかけるわけなのだ。

 が、「おわりに」を読んでしまうと、そこには何と本書を簡潔にまとめてしまっているのだなあ。

・官邸主導 官僚は巨大コンピューターのようなもので、政治家がきちんと主導すれば高い能力を発揮する。ゆえに望ましいことだが、安倍晋三―菅義偉体制は永遠のものではなく、トップに指導力がなければ、民主党政権時代の「政治主導」のように有名無実化する恐れもあるのでは?

・アベノミクス 消費税増税後の経済への影響が現時点では未知数。とはいえ、社会保障費の増大を考えれば10%でも足りない。増税は誰もが嫌だが、有権者にいい顔をせず、軽減税制を導入したうえで税率を上げるべきでは?

・TPP 経済効果はあるが、アメリカのルールがまかりとおれば、農業などへの打撃は大きい。交渉の展開しだいでは乗合バスから降りる勇気も必要なのでは?

・原発再稼働 感情的には「脱原発」。電力会社への不信感も強い。ただ、再生可能エネルギーのシェアが低い現状では、「即、ゼロ」というのは無理があるのではないか?

・普天間移設 沖縄だけに大きな負担を押しつけていることに国民の関心が高くないのが問題。普天間飛行場周辺の「危険除去」という点では名護市辺野古地区への移設でベターな状況が生まれるが、政府の姿勢以上に国民意識の変化が求められるのでは?

・憲法改正 今の憲法は時代に合わない。したがって改憲は必要だが、96条からいじろうとしたり、集団的自衛権行使を憲法の解釈を変えて容認しようとするのは姑息。改憲問題では9条に焦点が当たるが、13条や21条も大事ではないか?

・教育再生 教員の質を上げ、勤務にゆとりを持たせなければ、制度を変えても効果は上がらない。教育委員会制度改革は、偏った考え方の首長が、自分の意に沿う教育長を選ぶ可能性があるので危険を伴う。大学改革も都会の総合大学に軸足を置きすぎていて、地方の大学との格差が拡大するのではないか?

 とまあ、世の中は「ワンイシュー」「Yes or No」ではうまく行かないということなんだよな。

 つまり、この「あとがき」を先に読んでしまうと、本書全体を読まなくても十分書いてあることは理解ができるという次第。私のように、「はじめに(はしがき)」と「おわりに(あとがき)」をまず最初に読むような読者にとっては、それを読んで本書に対する興味を持つというよりは、そこを読んでしまえば本書を読んだのと同じ、というのはどう考えればいいのだろうか。便利なのか、余計なことなのか?

 問題は、そんな安倍政権の「一強」体制の問題を語ると同時に、それを伝えるマスメディアの問題にも触れていて、実はそちらのほうが大事だったりする。

『これまで述べてきたような重要課題を、安倍がぐいぐい前へ進めようとしていることもリスクなら、それを伝えるマスメディアの姿勢もリスクという観点から、伝える側の問題点について述べていくが、まずは、テレビメディアの一点集中主義とも言える情報の取り上げ方について触れておきたい』

 といって反省する姿勢も見えるのだが

『筆者をはじめメディアにいる人間は、「他局と同じなら安心する」側面がある。だから、政治にせよスポーツにせよ、どの局も切り口が同じになったりするのだが、独自の構成や別の視点が求められると思うし、受け手の視聴者もまた、メインで伝えられていないものにも目を向ける姿勢が必要になると思うのである』

 といった具合に、結局、自分たちの至らなさをタナに上げて、視聴者にのみ「いろいろ見ろ」と要求するのはいかがなものか。

『筆者をはじめ取材するマスメディア側は、記者会見などをベースにした「発表報道」だけでなく「調査報道」も行い、「それぞれの動きの裏にはこんなことが隠されていますよ」とか、「この法案が成立すれば、こうなることが予想されますよ」といった情報を、視聴者や読者に提供する姿勢が今以上に求められてくる』

 と書くわけであるが、基本的にテレビジャーナリズムは、そうした調査報道にはまったく興味は持たずに、ただただ「今」のみを追いかけて、地味な「調査報道」は殆ど行っていないというのが実情ではないだろか。清水氏が属するラジオジャーナリズムでは、多少はそうした調査報道なんかもあるのかも知れないが、今やラジオは本当のマニアだけの存在でしかなくなってしまい、社会的に与える影響力は低い。

 結局、「分かりやすい見せ方」ばかりを追求するテレビジャーナリズムは、政治家以上に「ワンイシュー」「Yes or No」報道に堕してしまい、そんなテレビかテレビを見てツイートするSNSが数少ない情報源である人々は、ますます「モノ」を考えずに、単なる「脊髄反射」でもって世の中を見るようになってしまう。

 確かに、「ワンイシュー」「Yes or No」という単純二元論は分かりやすい。しかし、世の中は決して分かりやすくは出来ていない。物事には裏表があり、大事なことはメディアに表から見える表情だけでなく、そこにどんな裏側が隠されているのだろうかと考えるのが、要は「メディアリテラシー」なのである。

 とは言うものの、世の中の大半の人はそんなメディアリテラシーは持てずに、単純化した表の顔だけで判断する。

 そんな時に大事なのは、週刊誌などの「ゲリラジャーナリズム」なんだけどなあ。「発表報道」にはまったくあずかわれない週刊誌は、結局、(時間は短いけれども)「調査報道」しかできないんだ。

 でも、その世界は清水氏には見えてこないようだ。

 それが残念っ!

『安倍政権の罠 単純化される政治とメディア』(清水克彦著/平凡社新書/2014年5月15日刊)

2014年6月 6日 (金)

『田舎暮らしができる人 できない人』という分け方をするのなら、私は「できない人」?

「プロブロガー」のイケダハヤト氏が今週末位に高知県に移住をするそうだ、という話で「ブログ界(って、そんなものがあったんだ!)」が盛り上がっているようだ。だって、ブログの世界って言うと、情報の新しさで勝負しなければならないのだから、「そこはやはり東京でしょ」というのが普通だと考えられているからだ。

 更に、よせばいいのにブログのタイトルを「ihayato.書店」から「まだ東京で消耗してるの?」なんていう、それこそ炎上ネタになりそうなタイトルに変えてまで。

 何で?

Photo『田舎暮らしが出来る人 できない人』(玉村豊男著/集英社新書/2007年4月22日刊)

 ということで、「イケダハヤトが高知県に移住した10の理由」を見てみると……

1、端から見て面白いんじゃないですか。ぼくが高知に行ったら。
2、人がいい!
3、食事がうまい! 安い!
4、気候がいい!
5、自然が近すぎる!
6、コンパクトシティで便利!
7、意外と空港が近い!
8、歴史に対するリスペクトがある!
9、龍馬的人材が多い!
10、酒文化

 というのが理由らしい。割と「単純」。なんかなあ、これだけ見てしまうと、近いうちにイケダハヤト氏は東京に帰ってきてしまいそうだなあ。

 更に、「高知でやりたいこと」を見ると

・「クリエイター移住」の促進をやります
・ハイパーローカルメディアやります
・バーチャルリアリティやりたい
・県外の面白人を読んでセミナーやります
・地域イノベーションにマーケターとして関わる
・時間と場所に縛られない収入を増やしたい
・商品開発とかやりたい
・古民家暮らしをしてみたい
・生活実験を有料メルマガで応援してください

 ということなので、別に高知に移住したからといって、そこで農業を始めて「農業ブロガー」になるというわけではなくて、結局、高知でも「プロブロガー」生活を送るということなのだろう。ただし、ネタ的にはやはり「高知ネタ」が増えてくるだろうし、そうした「地域ネタ」をブログの世界に持ち込むというのも、有名ブロガーのやることとしては面白いかも知れない。まあ、別にMacネタ、Appleネタばかりじゃ面白くないものね。

 ただし、「まだ東京で消耗してるの?」はちょっと言い過ぎだし、別に東京にいても消耗しない人は沢山いるし、逆に消耗する生活の方に魅力を見いだしている人もいるかもしれない。私に関して言うと、私もヨメさんも「東京生まれの、東京育ち」であるからして、初めから「田舎暮らし」は視野にはない。別に、東京暮らしではストレスは感じないし、逆に田舎での生活はたまに旅行に行くぐらいが一番快いし、田舎暮らしなんかを実行したら、それこそストレスまみれになってしまいそうだ。「田舎暮らし」って旅行者として短期滞在するだけなら迎え入れてくれるけれども、そこに暮らすっていうことになると、イロイロ大変だ。

 ということなので、イケダハヤト氏の田舎暮らしは、結局、田舎暮らしとは言っても、農業生活ではなくてブログ生活なんだから、それはそれで納得できる。つまり、別に高知に行っても、これまでの生活環境とそれほど変わりはないわけだ。

 一方、玉村氏のこの本は、基本的に2007年の「団塊世代の定年」に絡んだ企画だったわけである。こちらは、基本的に「定年後、農業生活を送りたい」という人に向けたもの。

『田舎暮らしは、できる人と、できない人がいます。
 田舎暮らしなど端から考えていないような人の中にも実は田舎暮らしに向いている人がいますし、田舎暮らしを望んでいる人の中にも、本当はあまり田舎暮らしに向いていないのでは、と思われている人がいたりします。後者の場合は、よく見極めないと、自分の決断を後悔することにもなりかねません』

『田舎にもいろいろな田舎があります。
 本当に人里離れた山の中。
 町からは遠く離れていて、緑の中だが、付近には何軒かの人家がある。
 町はずれの、何軒かの古い家が散在している地域で、周辺には田畑が広がっている。
 農村地帯の、集落の中。
 森を削って造成した土地で、業者によって複数の区画が売りに出されている。住民は都会から引っ越してきた人がほとんどである』

 という定義なので、イケダハヤト氏の移住は……

『東京や大阪からどこかの地方都市に移るのは田舎暮らしではなくて転勤に近いかもしれませんが、それでも地方都市の郊外だったりもっと小さな町だったりすれば、田舎暮らしを味わうことは十分に可能です。地方に生活する人は、平日は町の会社で働きながら、週末には家の田んぼを見てまわり、夏は近くのアユを釣りに行き、冬はクルマで二十分のスキー場に行く、という、まさしく田舎暮らしを楽しんでいるのですから』

 というものに近いだろう。

 まあ、「平日は町の会社」に勤めていないのではあるけれども、ブログを毎日書くということを基本の生活に置いて、時にいろいろな場所に出かけるというイケダハヤト氏の生活は、言ってみれば、東京であれ高知であれ、実はあまり変わらないんだろうかと思うわけですね。まあ、あとは行動範囲の問題だな。

 つまり、イケダハヤト氏は東京でやっている生活と殆ど同じ生活を高知でやって、なおかつ高知らしい部分を加えた生活を実践してみようというわけだ。

 まあ、問題は「プロブロガー」という生活が東京以外の場所でもできるのであれば、それ実践した人は、それで最先端の生き方になる訳だ。

「頑張れよ」とは言わない。

 まあ、ゆるゆるとおやりなさい、と言っておこう。

 本書に関するテーマは、実はもうひとつ頼んである本があって、それが来てから再度言及します。

『田舎暮らしが出来る人 できない人』(玉村豊男著/集英社新書/2007年4月22日刊)ちょっと前の新書なのでKindle版は出ていないようだ。

2014年6月 5日 (木)

古屋漫画版『人間失格』は少し甘く、そして優しい

 オリジナル版(太宰治版)『人間失格』は大庭葉蔵という、太宰が知らない人の手記を基に書かれたという形をとったものだが、当然それを原案として漫画を描く古屋兎丸氏の方法論も、同様に、漫画家・古屋兎丸がある日ネタとしていろいろなサイトを覗いているうちに、『人間失格』という日記サイトに行き当たり、それを読むというスタイルで描かれた漫画なのだった。

Photo『人間失格』(古屋兎丸:漫画/太宰治:原案/新潮社/2012年1月20日刊)

 時代は現代と言う設定になっているが、基本的にはストーリーの流れはオリジナル太宰治版『人間失格』と同じである。

 日記は全部で12ある。

<第一巻>
第一の日記「大庭葉蔵」
第二の日記「歪んだ顔」
第三の日記「堕ちる」
第四の日記「鎌倉心中」

<第二巻>
第五の日記「自殺幇助」
第六の日記「寄生虫」
第七の日記「男めかけ」
第八の日記「楽園」

<第三巻>
第九の日記「光と闇」
第十の日記「崩落」
第十一の日記「中毒」
第十二の日記「人間失格」

 古屋版『人間失格』の主人公・大庭葉蔵の仕事も太宰版と同じ漫画家。ただし、オリジナル版とちょっと違うのは、「セッカチピンチャン」という漫画で、少年漫画雑誌「コロポン」にヨータローというペンネームで連載している漫画がそこそこ当たってきて、タバコ屋の看板娘・佳乃との半ば駆け落ちのような形で同棲を始めた生活も安定してきた。

 そんな時、訪ねて来た親友の堀木から聞かされた「罪人」という言葉。

「罪人……」

「その言葉にドキッとしました」

「今までの行いを償う日が
いずれ訪れるかもしれない」

「その刑の執行は
いつなのかと考えたら
ぞっとしました」

「でも その時は
すぐそこに迫っていたのでした」

 担当編集者の布川に無理やり犯される佳乃

「以前から恐れていた神の罰
刑の執行が行われたのです…」

 実は布川は社員編集者ではなくて、漫画では「派遣社員」という呼び方をしているが、要はフリー編集者というやつで、リストラで解雇された腹いせに、会社で暴れまわり、その勢いで葉蔵の許にやってきて、佳乃を犯してしまったのだった。

 壊れていく葉蔵。最後は佳乃とも引き離されてしまい、自暴自棄になる。

「僕は今年25歳になりますが
たいていの人に50以上に見られます。

   人間失格 終」

「あとがき」として堀木の文章が続いているのは、オリジナル版と同じ。

「葉蔵はある日こつ然と姿を消してしまいました。
彼の消息をご存知の方はメールでご連絡していただけますでしょうか」

「この男を描きたい」と考えた古屋兎丸は「コロポン」編集部を訪ね、「バー マノス」を訪ねる。

 大庭葉蔵の存在は確かにあった。周りの人は口をそろえていい人だという。

 自分も彼のような人生を歩んでいたかもしれない、と考える。

 しかし、大庭葉蔵の消息を知ることは出来なかった。

 バー マノスからの帰り道、大庭葉蔵によく似たホームレスの老人がいたのだけれども、彼が大庭葉蔵であるという確信は持てない。

 しかし、そのホームレスが最後に言う言葉

「次元上昇が始まったようだ…」

 という言葉に、漫画家・古屋兎丸にはなくて、太宰治にある残酷さが現れる。

 太宰は本当に突き放したように、絶望や破滅を描く。そこまで徹底できない古屋の弱さというか、優しさがそこにはある。

 なんか、少しホッとさせるものがね……。

2014_06_04_54572太宰が愛人・山崎冨枝と入水自殺をした辺りの玉川上水。現在の水量からはとても自殺ができるような水量ではないが、昔は結構水量豊富だったことが、三鷹駅付近の説明版を見ると分かる。それにしても川幅がねえ……。

『人間失格』(古屋兎丸:漫画/太宰治:原案/新潮社/2012年1月20日刊) 全部Kindle版で紹介。勿論紙版もあり。

2014年6月 4日 (水)

『女たちよ、女性専用車両に乗れ!』という以上に重要なこと

 確かに「痴漢冤罪事件」は、映画「それでもボクはやっていない」で描かれた通りであり、重要だ。しかし、それはまだしもそれ以外の問題についいては、もうちょっとユルく対応してあげてもいいんじゃないでしょうか、と思ってしまうんだけどなあ。

Photo『女たちよ、女性専用車両に乗れ!』(通勤電車環境向上委員会編/小学館/2009年4月15日刊)

『被害女性の証言だけで冤罪がベルトコンベア式に生産される司法の現状を考えると、女性があまりにも安易に人を痴漢と決めつけるのは、大いに問題がある。被害者のほうも、多くは「とりあえず駅事務所で話し合いを」と思っているのだろうが、現実には話し合いなど行われていない。被害者の意思がどうあれ、駅事務所に同行した時点で自分が容疑者を「逮捕」しているということに、女たちはもっと自覚的になるべきであろう』

 というとおり

『刑事訴訟法(213条)では、現行犯(現に罪を行い、又は現に罪を行い終わった者)もしくは準現行犯(罪を行い終わってから間がないと明らかに認められる場合)にかぎって、私人逮捕ができると規定されている』

『痴漢事件では、当事者が「任意同行」だと思っているプロセスが、実はすでに「現行犯逮捕」になっている』

 なので、自分は痴漢の被害に遭ったと思った女性が、犯人と思しき男性を捕まえ、駅事務所に連れて行った時点で、実は既に容疑者を逮捕したことになってしまう。

『それまで(96~97年頃:引用者注)は、女性が痴漢の被害を申し出ても、駅員や警察が容疑者を説教するだけで帰すことが多かったんです。ところが97年前後からは、容疑者が認めたときはもちろん、否認しても起訴するようになった。当時、警察の検挙率が全体的に下がっているという批判が強まっていたので、数字を上げる必要があったのでしょう。その点で、痴漢事件は実に都合がいい。ふつうの事件は、被害届を受理してから捜査を開始し、加害者を見つけ出さなければいけません。しかし痴漢事件の場合、黙って待っているだけで、被害者が加害者を連れてきてくれるんです。捜査費用がかからない上に、被害者が犯人を現行犯逮捕してくれるのですから、警察にとっては一石二鳥ですよね』

 ということで、客観的な証拠もないままに、「自称被害者」の証言だけで起訴されてしまい、なおかつ刑事訴訟の99.9%が有罪という、日本のトンデモ裁判の場に引き出されてしまうのである。

 そんな意味では

『電車内の痴漢冤罪を撲滅するには、男女分離乗車がもっとも手っ取り早く、しかも確実だ。もちろん、女性の痴漢被害もなくなる』

 というのは事実である。

 が、だからといって

『失礼ながら密着したくないタイプの女性にかぎって、やたら肌の露出度が高い服装をしていたりするのである。肩とか背中とかヘソとか(下手すりゃ半ケツまで)見せている。スケスケの洋服から下着らしき物を見せている女も少なくない』

 とか

『短いスカートの尻を押さえながら階段を上がる女子高生』

 とか

『電車内で化粧する女』

 とか

『ピューラーをライターで温めて使っている奴』

 とか

『よく言えば堂々と、悪く言えばきわめて図々しい態度で携帯電話を使い、周囲の顰蹙を買っているのは、圧倒的に女が多い。多いと思う。多いんじゃないかな』

 とか

『なぜ、混んでいる電車の中で物を食べるのか。そのほとんどが女性ですよ』

 とか

『朝から香水や化粧品の臭いをプンプンさせている女はホントに迷惑』

 とか

『冬場はブーツを履く女が多くなりますが、それを電車内で脱ぐ女がいます。その足の臭いがハンパじゃない』

 とか

『「脳内お花畑状態」になった女たちは、噂話というやつも大好きだ。いつでもどこでも、「アラまあイヤだわねえ」で始まる井戸端会議がくり拡げられる。口調は「ヒソヒソ声」なのに、実際は周囲によく聞こえるあたりが、女の噂話の不思議なところだ』

 とか

『夕方のそこそこ混んだ電車で必ず目にするのが、座席に座れない女子高生たちの奇行。制服姿のまま、3人か4人でドア近くの床にベタ座りしてるんです。場所を取る上に、大声でワイワイ騒いでいるので、邪魔くさくてしょうがない』

 とか

『女のほうは、平気でハンドバッグを周囲にぶつけてくる』

 とか

『先の尖ったヒールも、男にとっては重大な脅威だ』

 とか、いちいち八つ当たりしてもしょうがないでしょう。

 結局、彼女たちは「女=か弱い」というところに居直って、「女=か弱い=じゃあ、何をしても、誰も文句言うな」というところに帰結する、所詮は脆弱な論理しか持っていないのである。

 じゃあ、それに対抗する男側の論理はどうするのか、と言っても結局「論理」なんてものは無視する「女」という存在には対抗できない。

「サラリーマンよ蜂起せよ」なんて団塊の世代風にアジってみたって、今の草食サラリーマンが蜂起なんかする訳はない。

 まあ、「お前らの親の顔を見てみたい」と言う程度で溜飲を下げるというくらいが、男の対抗戦略でしかないわけですね。

 それよりは「痴漢冤罪」をどうするのか、というテーマの方が100倍重要だ。

『女たちよ、女性専用車両に乗れ!』(通勤電車環境向上委員会編/小学館/2009年4月15日刊)Kindle版は出ていないようだ。

2014年6月 3日 (火)

Fitbit weekly progress report from May 26 to June 1

 Fitbitからいつものレポート。5月26日から6月1日まで。

 一週間トータルでは67,806歩、47.46kmとノルマ未達成。消費カロリーは17,468kcal。体重変化なし。平均睡眠6時間26分。

 最も活動的だったのは5月26日。13,247歩、9.27km、それでも消費カロリーは2,657kcal。

 最も非活動的だった日は5月31日。6,164歩、4.31km。赤城旅行の1日目で、殆ど車に乗っていたので、まあ仕方ないか。

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赤城温泉の不思議な宿

 昨日の続き……

 何故、今回群馬県に行ったのかというと、いつもの大学時代の悪友との温泉旅行なのだった。

 普通、群馬県の温泉と言えば、草津温泉とか伊香保温泉とかがまず出てくるのだが、何しろ温泉通のH坂氏の推薦である。「渋温泉」(長野県だけどね)か「赤城温泉」のどちらかという渋い提案があり、私tsunoken、Y川氏、N嘉村氏の三者の合意で赤城温泉に決まったという次第。

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 で、H坂氏が仕込みで、私が行程担当と言うことで、今回の群馬行となった。

 で、当然のように伊勢崎で「おっ切り込み」を食した後は、伊勢崎市国定にある国定忠治の墓、養寿寺に。

 やはりギャンブラーY川氏は墓石を削って行こうとするが、それはダメ! と叱っておいて、取り敢えずお賽銭を入れて……、ところが10円玉は見事賽銭箱から外れてしまい、やむなく1円玉でゴメンということで、合掌。

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 で、次なる「お約束」は赤城大沼にある赤城神社へ参詣。さすがにここまで赤城山を登ってくるとひんやり涼しい。30℃を超える平地の気温は嘘みたい。

 Y川氏は翌日(6/1)の日本ダービー勝利を祈る。Y川氏はクリスチャンなんだけど……、神様ならなんでもいいのか?

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 とお参りをすませて、毎回渋い宿選びをするH坂氏の推薦する「赤城温泉 御宿 総本家」へ。

 赤城温泉自体が赤城山中にある小さな温泉地(なので温泉の空気もひんやり)で、旅館はわずか5軒ほどの地味な温泉である。

 むむっ、流石はH坂氏。こんな地味な温泉をよく選ぶものだ。

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 で、この「赤城温泉 御宿 総本家」なのだが……

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 ご主人の趣味なんだそうだが、やたら沢山の民芸品やら、何やら、○○○○(「ガラクタ」と読んでもいいです)やらがそこら中に置いてある、なんかわけのわからない宿なのだった。

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 上の上の写真のようなサッチモの置物(オッキモの)やオリベッティのタイプライターがあるかと思えば、こんな豹の皮やら、土人(失礼!)の使う矢やら。

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 なんか訳の分からない物で埋め尽くされている旅館なのだ。がしかし、一番訳のわからない物(者)は、クロアチアのボスニア人でウィーン大学在学中の女の子が何故か赤城温泉の温泉宿でインターンとしてこの旅館で仲居さんをしている、ということ。

 写真は、照れちゃってNGになったのでアリマセン。東欧はこういう娘が多いのかなあ。

 それも含めて、う~ん、まったくよく分からない。

Fujifilm X10 @Akagi Spa, Gunma (c)tsunoken

2014年6月 2日 (月)

高崎市・保渡田古墳群を往く

 久しぶりに群馬県は高崎市に行ってきた。

 群馬県立土屋文明記念文学館という施設が高崎市にある。

 土屋文明という人は、高崎市に生まれ、一高・東大を経て、「アララギ」派に属する歌人であるとともに、国文学者としても「万葉集」の研究でも有名な人だ。

 が、しかし、私が行ったのは土屋文明文学館ではなく、そのすぐ裏にある「保渡田古墳群」の中の八幡塚古墳なのであった。

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 この八幡塚古墳は、保渡田古墳群と総称される、二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳という三つの前方後円墳を合わせた呼称で、そのなかでも八幡塚古墳に関しては、その昔、5世紀後半から6世紀前半に造られた古墳をかなりその実際の姿に近い形(であろう姿)に再現しているのである。

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 この八幡塚古墳の特徴は、そこに置かれている6000体と言われる「円筒埴輪」なのである。

 その数はこれまで日本で発見された古墳の中で最大の数なのだそうだ。

 まあ、例えば宮内庁が仁徳天皇陵の考古学調査を認めれば、そこには八幡塚古墳以上の「円筒埴輪」が発見されるかも知れないが、それがない以上は「八幡塚古墳が円筒埴輪の発見最大数」なのである。と、ちょっとイヤミ。

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 八幡塚古墳の頂上に上ると二子山古墳が良く見える。ただし、この右90度あたりにあるはずの薬師塚古墳は、林やお寺などがあってちょっと見えづらい。

 ここ保渡田古墳群の中で一番大きいのが、この二子山古墳だ。

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 で、これが八幡塚古墳の埴輪群。

 勿論、これらは5世紀後半に作られた「ものではなく、現代に作られたもの。

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 まあ、こんな具合に作った日付が入っているものがかなりある。

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 つまりこれは、保渡田古墳群に隣接している「かみつけの里博物館」で行われている、「あなたも円筒埴輪をつくりませんか」というイベントの結果なのでありました。

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「かみつけの里博物館」と八幡塚古墳についてはこちらのサイトから

Fujifilm X10 @Takasaki (c)tsunoken

2014年6月 1日 (日)

鼠小僧次郎吉の墓

 2013年10月26日のブログ「国定忠治のお墓は二つあった!」の話をカミさんと話していた時、カミさんから、昔「蛍雪時代」(今でも出ているんだ!)に鼠小僧次郎吉のお墓も削って持っていると受験に受かるっていう話がでていたわよ、という話を聞かされて、ちょっと気になっていたので、早速両国は回向院まで見に行った。

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 回向院境内に入るとすぐに鼠小僧次郎吉の墓は見つかる。

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 俗名・中村次良吉、戒名・教覺達善居士というのが鼠小僧次郎吉の正式な名前だったようだ。しかし「教覺達善」というのがよくわからない。

 だって、鼠小僧次郎吉って窃盗犯だった訳でしょ。彼が大名屋敷から盗んだ金を貧しい人に配った義賊だったって言う話は、河竹黙阿弥の『鼠小紋東君新形』という歌舞伎の出し物で創作した話であって、結局、大名屋敷から「盗んだ金のほとんどは博打と女と飲酒に浪費した」というのが定説らしい。

 大体、大名屋敷っていうのは外に対する警護は堅かったが、中に入ってしまうと楽に動き回れるというので、鼠小僧は大名屋敷を狙ったそうだ。

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 ところが、この鼠小僧次郎吉がどこの大名屋敷にも忍び込んだところから「すんなり入り込める」というので、受験生からご利益にあやかりたいということで、この墓石を削って大事に持っていたというのである。

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 ところが、そうやって墓石を削られてしまっては寺としては困ったことになる。

 ということで、回向院としては正式な墓石の前に「削り取り用の石」を置いたんだなあ。

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 てなことで、『こちらの「お前立ち」をお削りください』という立て看板と共に「お前立ち」という小さな石が置かれている。

 お寺の気持ちは分からないでもないが、しかし、こんな「身代わり石」でもってご利益があるのかなあ、どうなんだろうなあ。

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 回向院と言えば、勧進相撲で有名である。この回向院境内で開かれた勧進相撲が現在の大相撲の原点であるのである。なので、両国に国技館が置かれている訳である。

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EPSON RD1s LEICA ELMARIT 28mm/F2.8 @Ryogoku (c)tsunoken

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