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2014年5月 8日 (木)

肝が据わった公務員になる!

『大学卒業後、1年間のニート生活を経て1989(平成元)年、奈良県・大和郡山市役所に入った(地方公務員:引用者注)のを皮切りに、在職中に国家公務員I種試験を受け直して旧労働所に入省(キャリア国家公務員:引用者注)、本省の課長補佐で役所を辞めました。その後、公募で兵庫県立大学大学院の助教授(地方の専門職公務員)に転じました。今年(2014年)4月に私立大学に移るまで、公立大学教員を含めて25年の公務員生活を送った』中野雅至氏による公務員として働く上での仕事哲学のあり方に関する本である。

Photo『肝が据わった公務員になる! 新しい仕事哲学と自分の鍛え方』(中野雅至著/朝日新書/2014年4月30日刊)

 今私の身内の一人が公務員試験に挑戦中ということでこの本に興味を持ったわけなのだが、私自身は公務員になるなんて考え方は一切なかったので、それはちょっと不思議なことであったのだ。がしかし、私の姉夫婦は都立高校の教員だったし、父親は文部省(当時)の教育研究所の技官だったし、妻の父親は半官半民の研究所の研究員だったわけで、彼が公務員になるべく挑戦中というのも、なんかそんなDNAがあったのかなと妙に納得した。

 とはいうものの、公務員だって私のような私企業のサラリーマンと同じ労働者な訳で、別に特に変わった仕事哲学なんていらないんじゃないか、と思ったらそうではないようだ。

 まあ、私企業のサラリーマンの場合の仕事の目的ははっきりしている。要は売り上げの向上とコストダウンで、企業の業績(儲け)を最大化するということだ。勿論、それだけが企業の目的ではなく広く社会に奉仕するという目的もあるんだけれども、基本的にはそこには企業が利益を生み出して始めてその他の目的もかなうということがあるだろう。

 しかし、公務員にはそうした「利益」というものはなく、そこにあるのは「公益にかなう」というのが公務員の唯一の存在意義なんだろう。でも、そう考えればその「公益」というものが企業にとっての「利益」と同じものであって、それはそれで公務員であっても私企業のサラリーマンであっても、目指すは一つということではないのだろうか。

 問題は『「全体の奉仕者」という、公務員全体を貫く仕事の哲学があまりにも曖昧模糊としているだけでなく、現実離れしている』ことだという。

 そこで、中野氏は以下の通り結論づける。

『まず、対外的な仕事の哲学はもっと実践的なものを掲げるべきです。仕事をする時、公務員の多くは「私は全体の奉仕者だ。こんなプレッシャーに負けちゃダメだ」とは思っていない。全体の奉仕者はそんな実践的な概念ではない。もっと実践で使えるような仕事哲学を見つけるべきだと思うのです。
 ただ、どのような概念を持ってくるのであれ、公務員全体に適用できる哲学となると抽象的にならざるを得ない。また、公務員の仕事が役所によって相当異なる以上、共通の仕事哲学を本当に作り出せるのか疑わしい。そんなことを考えると、実践に落とし込んだ仕事の哲学に関しては役所毎に違っていい、と思うのです。本来は財務省と厚労省は違った仕事哲学を持っていてもいい。これが極端な考え方であるなら、キャリア・ノンキャリア国家公務員、都道府県職員、市町村職員などで、それぞれの仕事の哲学を作るべきだと思います。そうしないと実地に役立つ現実的なものにならない。
 二つ目は、仕事は自分自身にどう役立つのかなど対内的な仕事哲学については、全公務員に共通するものを作り上げるべきだと思います。理由は今まで述べた通りです。また、これまで全公務員に共通する対内的な仕事哲学を作る努力をしてこなかったからです。さらに、全体の奉仕者ばかりが強調されていて、公務員という仕事が公務員自身にどう役立つのか、その意味づけが遅れてきたからです』

 当然、公務員といったってその仕事は多岐にわたるわけで、その一つ一つの仕事に関する仕事哲学が変わって当然なのだと思っていたのだが、それが「全体の奉仕者」というたった一つの言葉で収拾されてしまうというのはよくわからない。

 つまりそれは憲法第15条の二項に『すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない』と規定されていることから、そんな言葉が一人歩きしているのだという。

 まず「全体」とは何か?

『個々の公務員の立場によって、「全体」の対象は全く違います。
 例えば、国家公務員と地方公務員では仕事を通じて奉仕すべき対象が異なっており、「全体」について共通した具体的なイメージを持つことは難しい。そればかりでなく、時と場合によっては、国全体あるいは産業全体などを優先的に捉えるキャリア官僚の考える「全体への奉仕」と、地域の利益を優先的に捉える地方公務員の考えるそれが矛盾することもあります』

 次に「奉仕」とは何か?

『この言葉も全く公務員には響きません。「奉仕する」という気持ちで仕事をしている公務員など、まずいません』

 当然、公務員も仕事としてそれをやっているのだから、労働の対価を求めるのは当たり前だろう。それは確かに「奉仕」ではない。

 ならば「全体の奉仕者」なんて言葉は憲法だけにとどめておいて、公務員個々で自分のそれぞれの仕事に対する哲学を持てばいいのではないだろうか。

「仕事に対する哲学」とは何か? つまりそれは、それぞれ個々の人たちが、それぞれに持っている「仕事をする際に自分が一番大切にしているモノ」ということだろう。それがない人は、私企業であっても、公務員であってもロクな仕事もできないのである。

 で、そんな『仕事に対する哲学」を持った公務員のことを、中野氏は『肝が据わった公務員』と呼ぶ。

 つまり、「肝が据わった公務員」は、別に公務員でなくても、私企業に行っても同様に「仕事ができる人」になれるのだ。

『肝の据わりを決めるのは、決して性格ではない。仕事に対する姿勢・哲学が生み出すものです。その哲学を支えるのが自己啓発で培われる「どこでも食っていける」という能力です』

 という中野氏の結論は、どんな仕事をしている人にも共通した結論でもある。

『肝が据わった公務員になる! 新しい仕事哲学と自分の鍛え方』(中野雅至著/朝日新書/2014年4月30日刊)

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