フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »

2014年5月

2014年5月31日 (土)

『イケアはなぜ「理念」で業績を伸ばせるのか』って、理念だけじゃないんだけどなあ

「理念」があるから業績を伸ばせる訳ではない、ただし、その「理念」のおかげで働くものが気持ちよく働ける職場が実現し、その結果業績が伸ばせたのではないだろうか。

Photo『イケアはなぜ「理念」で業績を伸ばせるのか』(立野井一恵著/PHPビジネス新書/2014年4月1日刊)

 イケアの企業理念ってなんだ、と本書には直接触れてはいないが、ネットで調べるとこんなのが出てきた。

1.イケア製品―当社のアイデンティティ
  できる限り多くの人々が買うことができるように、廉価でよく設計された
  機能的な家庭用具製品を幅広く提供する。
2.イケア精神。力強く生き生きとした毎日
3.利益は私たちにリソースを与える
4.わずかなリソースでよい結果を得る
5.簡素化は美徳である
6.違う方法でやってみる
7.一つに集中することが成功の秘訣
8.責任を取ることは特権である
9.ほとんどのことはまだ手つかずだ。輝かしき未来!

 これは『イケアの挑戦 創業者は語る』(ノルディック出版)の最終章に示された、著者にしてイケアの創業者であるイングヴァル・カンプラードが大事にしている価値観、モットーである。

 これに、スウェーデン流の仕事に対する考え方を反映させたのが、言ってみれば「イケアの経営理念・哲学」である。

 それはどういうことかと言えば、まず、『従業員のことを「ともに働く仲間」という意味をこめて、「コワーカー」と呼ぶ』そうだ。そしてそのコワーカーはフルタイムもパートタイムも何の差別もないそうだ。つまりフルタイムであってもパートタイムであっても休暇はあるし、福利厚生面での差はまるでない。さらにパートタイマーであっても別に有期雇用ではなく、フルタイマーと同じく無期雇用であるし、パートタイマーは『店舗ごとの採用なので基本的にストアの異動はないが、熱意のあるコワーカーにはフルタイマーへキャリアアップする道も開かれている』という。

 基本的に、「同一労働同一賃金」という思想がいきわたっている北欧企業であるから『日本の企業のように、正規雇用と非正規雇用(契約社員やパート、アルバイトなど)の間に歴然と違いがあり、同じ職場で同じような仕事をしているにもかかわらず、待遇格差が大きいということもない。』

 じゃあその待遇はどうなっているのかと言えば、やはり本書にはないのでネットで調べたところ、「スーパーバイザーで年収3万5000ドル、チームリーダーで年収4万ドル」というから、日本の一流大企業ほどの年収ではない。まあ、中小企業のちょっと上くらいの感じだろうか。

 でも、そんな収入面での差を感じさせない方法として、例えば休暇に関して言うとこうなる。

●所定休日…年間127日
●有給休暇…初年度15日、6年目以降20日
●私傷病休暇
●子どもの看護休暇
●出産時休暇…1回の出産につき15日(男性コワーカーのみ)
●産前産後休暇…9ヵ月(女性コワーカーのみ)
●育児休暇…1年間

 とまあ、日本企業なら有給休暇でこなさなければならない休暇が沢山あるなあ。

 更に言ってしまうと『社内託児施設「ダーギス」』という存在だ。

 要は、それだけ社内で働く女性たちに対して、彼女たちがいかに気持ちよく働けるのかを考えた施策がなされているということなのだ。つまり、彼女たちが気持ちよく働けるということは、その配偶者である夫ももっと家事に参加できる体制を作っているということ。

 
 う~ん、こうなってしまうと我々「昭和の日本サラリーマン」では想像もできない事態になっているということがよくわかる。我々は、と言えば有給休暇とは、いざというときの傷病とかに備えて多少は休暇日数を残しておくのが当たり前だったし、ヘタをすると「休暇を取らないことがサラリーマンの鑑だ」みたいな、変な自意識があったりしていた訳だ。

 外資とはいえ、こんな会社が日本にもできてしまったんだ、ということには感慨を覚えるし、そんな風に給与以外の部分での福利厚生を考えているのであれば、多少は給与が低くても、自分の生活トータルで考えれば、その会社にいる方が幸せになれるのかも知れない、と働くものが考えても不思議はない。

 当然、「給与の低さを会社の別の価値感で納得させて仕事をさせる」という考え方は、言ってみれば「宗教法人」の考え方と同じだ。

 これも

『イケアについて「金太郎飴みたいな会社」「イケア教という宗教のようだ」と評する人がいるが、ある意味で当たっているだろう。基本的に同質の価値観を持つ人を集めることが、イケアの人事戦略のもっとも大きなポイントだからだ』

 ということに収斂される。

 まあ、日本企業であっても、アメリカ企業であってもリーダーの指導力が強かったり、経営理念・経営哲学が下部の社員までいきわたっている企業は、宗教集団とあまり変わらない。トップの持つ価値観が下部社員までいきわたっていて、上からどこを切っても同じ返事が返ってくる。

 多分、高度成長期の日本企業もそんな感じだったのだろう。サラリーマンは、トップから下部社員まで同じサラリーマンとして、同じ価値観、同じ企業観、同じ成功意識の中で仕事をしていた。その結果"Japan as No.1"にまで上り詰めたわけであるが、その後、バブルの崩壊と共に、同じ会社にいながらも幹部社員と下部社員との意識の乖離が始まり、待遇の乖離が始まり、同じ職場に働く仲間でありながら、会社からの扱いの乖離が始まったのだろう。

 そんな状況をみて育った人たちからしてみれば、同じ企業で働く仲間を「コワーカー」という言い方で、すべて平等に見る企業のあり方に魅力を感じてもおかしくはない。

 つまり、そんな「皆が働きたくなる職場」にいる人たちが作り上げた店だから、お客さんも気持ちよく買い物ができるし、その結果、業績を伸ばせたのだろう。

 まあ、日本における業績は、むしろこれからだろうけれども……。

『イケアはなぜ「理念」で業績を伸ばせるのか』(立野井一恵著/PHPビジネス新書/2014年4月1日刊)Kindle版もあり、約200円安い。

2014年5月30日 (金)

『起業したい君は、まずブラック企業に就職しなさい』という、これまた極論

 これまた挑戦的なタイトルだが、まあ、言っていることはそんなもんだろう、と納得させられる。言ってみれば、現在大企業になっている有名企業でも、創業時は何か得体のしれないブラック企業みたいなものだったって話。

Photo『起業したい君は、まずブラック企業に就職しなさい』(加藤順彦著/ゴマブックス/2014年4月26日刊)

 別に「ブラック企業に就職しなさい」って言ったって、既に社会から「ブラック認定」されている「ワ●ミのキッチンスタッフになりました」なんてことを言っているのではない。何故ならワ●ミは既に従業員が6,000人以上もいる大企業であり、いくら働いても社長との繋がりができそうもない。『イエスマンばっかりの幹部が何十人もいては、20年経っても役員になれそうもないじゃないですか』ということなのだ。

 で、加藤氏が目指せと言っているブラック企業とは

『昨対比1000%増の売上げ目標を掲げていたり、先月からノルマを10倍アップしましたと誇るように会社概要に書いてあったり、実際に社員数が短期間でめちゃくちゃ増えている、製造のノルマ設定が急伸していたり、新商品開発の進捗計画が激しい……などの、いわゆる自ら『急成長を標榜している企業』『実際に急成長している企業』のことを指します』

 ということであり

『猛烈急成長〝志向〟の『ベンチャー企業』ということになるのです。
 従業員は100人未満、できたら30人未満で、設立は3年未満の会社がいいと思います。いわゆるスタートアップ……、そう規模が小さく、人数少なく、社歴が浅く、願わくば、ここ一年で猛烈に伸びている会社を見つけるようにしてくださいね』

 ということになる。

 つまりそれは加藤氏自身が経験してきたことで、関西学院在学中から先輩が興したベンチャーの設立に参加して、そのブラックぶり(社員に給料を払わなかったり、めちゃくちゃグレーな部分で営業してきたり、というか学内で営業しちゃあマズいでしょ)を目の当たりにしてきた、というか自らそんなブラック営業を行ってきたということなのだ。

 しかし、それはある種学生ベンチャーだから許されてきた部分であり、一般企業ではそこまで学内に入り込めないところをカバーしてきたからこそ、成し遂げることが出来た事業でもあるのだ。

『従業員は、できたら30人未満で、設立は3年未満』ということは、要は、社長の行っていること、言っていることを身近で見られたり社長の経営哲学を直接知ることができたり、社員自身が会社と一緒になって成長出来たりということが可能になるということである。

 これは既に出来上がってしまった企業では経験することが出来ないことである。従業員が1000名を超える企業では、社長と直接話ができる機会もそんなしょっちゅうではないだろうし、勿論、会社と共に成長したりということはない。勿論、プロジェクトを任されるということで、ある部分経営者的な考え方をしないと仕事(プロジェクト)がうまく回らなかったりすることもあるだろうし、その段階で社長と話をしたりということもあるだろうけれども、しかし、それはあくまでも会社全体の仕事の一部分でしかないわけであり、その成果も100%自分のものになる訳ではない。

 そんな意味で、加藤氏は早い段階で経営者的な判断をしなければならない企業として、スタートアップの小さな会社を目指せと言っているわけであるな。

 そんな小さなスタートアップ企業の経営者としては

『高次元の立派な大義や社会への貢献を経営理念に掲げている会社を、あなたに選んでほしいです』

『会社にとって一番大事だと思っているのは『志』『ビジョン』『哲学』だと思っているからです。個々の部分が矮小な会社は、たいして大きくなりません』

『世で大企業と呼ばれるところも、できたばかりのベンチャー企業でも、実際にはどんなに下衆なことをやっている企業でも、上手くいっている会社、しっかり成果や実績を挙げている会社、成長著しい企業であればあるほど、社是や社訓、ビジョンは高邁なことを掲げているはずです』

 なので

『伸びてるブラック企業であればあるほど、当たり前のように『世のため人のために~』だとか『社会のため~』とかいったことを掲げていると思います。
 そういったことをいけしゃーシャーと言える会社、ある意味で矛盾したことを堂々とやっている会社の方が面白いですし、まだまだ大きな伸び代があるでしょう』

 ゆえに

『就職するブラック企業を選ぶ時は、事業の内容よりも経営者がどういった人物なのか、どういうことを言っているのか、ということに、まず注目してほしいです』

 ということであるのなら、はっきり言って、それはブラック企業じゃないだろう。

 そうした大きな社会的存在としての企業になろうと(嘘でもいいから)運営している会社だったら、自分の会社の社会内存在意義というものを相当考えているはずだ。本来のブラック企業はそんなことは考えずに、基本的に経営者が自らの利得だけを考えて、社員を使い捨てるような会社であるはずだ。企業の社会的なあり方なんてことは考えずに、ひたすら自社の利得、つまりは経営者だけの利得を考えて、従業員を使い倒し、休むなんてさせないで、何にも考えられない状態にして働かせ、身体を壊して自ら辞めていくように持っていく企業であるはずだ。

 とりあえず(嘘でもいいから)社会的な存在として会社を考えるという哲学を持った企業に働く人間は、やはり自らの社会的存在をどうするかという点で考えて行動するだろうし、そのためにはかなりキツい仕事でも、かなり長時間労働でも、残業代が出なくても、自分なりに納得して仕事をしているはずだ。

 つまり、働くものが自分で納得できないまま、キツい仕事や、長時間労働や、サービス残業をしなければならないのがブラック企業の特色というのであれば、自分なりに納得して働ける会社は、いくら仕事がキツくても、サービス残業が多くても、基本的にブラック企業ではない。

 まあ、加藤氏なりに、起業したいと考えているのであれば、それなりにキツい仕事を経験して、その結果の達成感を味わったり、社長の経営哲学を直接学べるようなスタートアップ企業に勤めて経験を積み、そして早いうちに独立起業をすべきだと言っているのであって、なんかそれは当たり前のことを言っているように思える。

 まあ、読者の目を惹くために「ブラック企業に就職しなさい」と言っているだけで、その位の気概のないひとは、普通のサラリーマンをやってなさい、と言っているだけなのだ。

 それりゃあ、当たり前だよな。

『起業したい君は、まずブラック企業に就職しなさい』(加藤順彦著/ゴマブックス/2014年4月26日刊)Kindle版(電子版)のみの発売であります。

2014年5月29日 (木)

『ダイエットは運動1割、食事9割』は理に適った本だ

 そりゃあ、ダイエットは基本的には「消費カロリー>摂取カロリー」という単純なことな訳なのだけれども、なかなかその「当たり前」に気が付かないものだ。

Photo運動指導者が断言! ダイエットは運動1割、食事9割』(森拓郎著/ディスカヴァー・トゥエンティワン/2014年2月20日刊)

 私が自転車(ロードバイク)に乗り始めたのが今から10年ちょっと前。50歳を過ぎて何かやらなければ、という思いから始めた自転車だったが、その頃の体重が82~84kg。

 毎週1回、約100kmを走るというのが、その頃の自転車メニューだった。走り終えて体重を測るとたまに2kgくらい体重が減っていることがあったが、よく考えてみれば、それは単に体の中から水分が汗として減っていただけで、そんなもの一晩寝てしまえば元に戻ってしまうというものだった。

 それでそれだけ運動をしていても、結局、体重変化(体重減少)はあまりなくて、自転車に乗っていた10年間の体重は、ほとんどの時期、81kg~85kgの間の変化と言うだけで、体重減少ということはなかった。本当は70kg台に持って行きたかったんだけどなあ。

 それが2010年頃、鎖骨骨折をしてから自転車に乗らなくなり、そうすると見る見るうちに体重は増大、2012年10月に会社を辞めた時、体重はついに93.9kgと過去最重量になってしまった。

 その後、2013年10月には90.5kgまで減少し、現在は86~85kg程度まで体重は落ちてきている。この1年半で約8kg、半年で4~5kgという落ち方である。

 ただし、これは運動によるものではない。殆ど食事を変えたことによるものなのだ。

 なので、私も森氏が言うように『ダイエットは運動1割、食事9割』というのには充分納得。

 で、現在私がやっているダイエット策は……、基本的には糖質抑制ダイエットだ。

 朝は普通に食べる。

 昼は食べたり食べなかったり。お腹が空けば食べるが、そうでなければ食べない。という生活を続けていると、あまり昼になってもお腹は空かなくなる。というかずっと前から昼になってもお腹が空かない時はあったが、サラリーマンをやっている時は、それでも昼の時間に何か食べていた。しかし、考えてみれば江戸時代までの日本人は基本的に1日2食。なので別に必ず1日3食を食べる必要はなかったのだ。

 夕食は普通に食べるが、そこでは炭水化物は一切摂らない。基本的に緑黄色野菜と魚、プラス少量の肉、という感じかな。勿論、お酒は飲みます。ただし、ビール、ワイン、日本酒などの醸造酒は飲まない。ウィスキーか焼酎などの蒸留酒のみ。

 運動はさほどしない。というか、2012年10月からFitbit Ultraを使い始めてから、歩いた歩数、距離、消費カロリーなどを記録する(というかFitbitの側で記録してくれる)ようになってから、意識して歩くようになってきた。しかし、それが決定的になったのは2013年10月にFitbit Flexを導入してから、10000歩や8km、2700Kclaという目標が見えてきて、それを突破するのが面白くなってきた。ダッシュボードの表現が面白いってこともあるんだけど。なので、今は毎日10000歩、8kmを目標に歩いている。2700Kcalというのが意外と厳しくてなかなか実践できていないが、まあ、それはその分摂取カロリーを減らせばいいというだけのこと。

 という自分で経験したことから、私もやはり『ダイエットは運動1割、食事9割』という実感はある。自転車で100km走っても痩せなかったのが、1日10000歩歩くだけでも、食事の考え方を考えることで痩せたのだから。10000歩歩いても、自転車で100km走った時ほどは疲れないのだから、やはり食事のとり方が大事だということはよくわかる。

 昔から言われていることだし、本書でも書いてあるが「高N/Cレート食品(NはNutrient value(栄養的価値)、CはCakorie(総カロリー)」の大事さだということ。この「高N/Cレート食品」の代表が日本の昔からある代表的な食材「マゴワヤサシイ食品」なのだ。

 つまり

マ=豆類(味噌、納豆、豆腐、大豆、小豆、湯葉)

ゴ=ゴマなどの種子類(ナッツ、くるみ、アーモンドなど)

ワ=ワカメなどの海藻類(ひじき、昆布、もずく、のり、寒天)

ヤ=野菜類(緑黄色中心)

サ=魚類(小魚、背青魚)

シ=シイタケなどのきのこ類(舞茸、エリンギ、干椎茸、きくらげ、えのき)

イ=イモ類(さといも、さつまいも、やまいも)

 のマゴワヤサシイである。

 基本的に、このマゴワヤサシイ食品を、適当に摂取しながら、炭水化物の摂り方を注意して、間食をしないという生活を送っていれば、(太った)人は自然と痩せてくるし、痩せた人は自然と太ってくるのだ。

 これで、私はそろそろ自転車生活も再開しようと思っている。まあ、今回は自転車で痩せようとは思わない。まあ、気分転換ですね。運動はそれで充分。

 だって、1日6000Kcalも消費するツール・ド・フランスに出るような選手でない私たちは、結局1日4時間100km走ったって、消費カロリーはせいぜい数百Kcalでしかないんだから、基本的には食事でダイエットをして、運動は気分転換でいいというふうに考えるのが一番なのだろう。

 取り敢えず、現在の第1目標は80kgを切ること。リバウンドなしで実現するためには、月1kgずつ位で体重を落とせばよい。あと半年くらいで実現だ。

運動指導者が断言! ダイエットは運動1割、食事9割』(森拓郎著/ディスカヴァー・トゥエンティワン/2014年2月20日刊)Ki dle版は2013年1月8日インプレスコミュニケーションズ刊

2014年5月28日 (水)

中央大・首の皮一枚で入れ替え戦回避!

 どうもおかしい今年の春の東都大学野球。

 現在1位の國學院大から勝ち点を上げていながら、唯一中央大から勝ち点を上げただけの青山学院大と同じく、勝ち点1、3勝8敗と青学大と同率で5位の中央大。1位國學院から4位拓殖大まですべて勝ち点4となりながら、蚊帳の外の青学大と中央大。

 ということで、昨日はその中央大と青学大の「最下位決定戦」が行われた。

 ここで敗れて、2部との入れ替え戦にも負けてしまうと、この秋シーズンは神宮第二球場ではなくて、各大学のグラウンドで公式戦を行うということになってしまう。中央大学グラウンドはまだしも、他の大学の(それも遠い遠いところにある)グラウンドまで観戦しに行くのも嫌なので、ここは中央大の応援にイカネバの娘なのだった。

2014_05_27_51792

 中央大の先発は山手。島袋不調の後を引き継ぎ、いまや中央大のエースである。

2014_05_27_51922

 試合が動いたのは2回裏。5番泉澤が内野安打、6番小川がヒットで出塁、7番金子のフライで2塁ランナー泉澤が3進すると、青学大の先発投手岡野のワイルドピッチで泉澤ホームイン!

2014_05_27_51962

 8番東のセンターへのタイムリー2ベースで小川もホームイン! この回2点!

2014_05_27_52182

 5回、やはり泉澤がヒットで出塁。怪我で故障の小川に代わって6番に入った松田が犠打で送り、7番金子のタイムリーで、再び泉澤ホームイン! 3点目。

 という具合に泉澤からの攻撃が有効に決まった昨日の試合だったが、上位打線もなんとかしたいと頑張るのだが、どうにも肩に力が入っているようで、得点ならず。泉澤のラッキーボーイぶりが目立つ。

 試合の流れが変わるかに見えたのが、8回表。青学大、四球、安打で1死1・3塁となって再び四球で2死満塁。2点タイムリーで1点差となる。

2014_05_27_52382

 堪らずピッチャー交代を要求する捕手、東。

2014_05_27_52452

 2番手は鍬原だが、結局四球となってしまい、再び交代。

2014_05_27_52532

 3番手の石垣が火消しとなって8回表終了。

2014_05_27_52652

 9回2死、最終打者のセンター前フライは福田が難なくさばいてゲームセット!

2014_05_27_52662

 3対2で中央大勝利! なんとか首の皮一枚で入れ替え戦は回避した。

 秋はこんなにヒヤヒヤさせないでくれよ。

 ということで、青学大の選手諸君、2部1位の立正大との入れ替え戦頑張ってもらいたい……なんてお気楽なことを言えるようになった。

 うん、ヨカッタヨカッタ。

NIKON D7000 AF-S Nikkor 55-300mm @Jingu Stadium (c)tsunoken

2014年5月27日 (火)

Fitbit weekly progress report from May 19 to May 25

 Fitbitからの毎週のレポート。5月19日(月)から25日(日)まで。

 一週間トータルでは77,822歩、54.48km歩いた。平均消費カロリーは2,563Kcal。体重変化は0.4kg上昇、86.2~85.5kg。今のところ80kgを切ることを第一目標にしてダイエット中だ。これについては近くブログで書きます。

 最も活動的だった日は5月25日(日)、ツアー・オブ・ジャパン東京ステージを取材に行った日。自分的には20,000歩くらい歩いたかなと思ったのだが、18,201歩、12.74km、3,029Kcal消費。

 最も非活動的だった日は5月21日(水)、終日雨で在宅で編集・デザイン作業。郵便局に確認のための編集終了原稿を送りに行ったのが唯一の外出。5,603歩、3.92km、2,197Kcal消費。

20140527_75107

『「ストーカー」は何を考えているか』というよりも「人は何故ストーキングするのか」ということ

 基本的には「何も考えていな」くて、単に男女間の関係の中で、「惚れた」「別れた」という関係変化を、普通の関係変化として捉えられなくて、その関係変化が「相手」によって強制的にもたらされたものだと考えて、相手に対して「加害的」行動を起こしながら、実は自分では「被害者感情」を持っている、というややこしい感情が「ストーカー」なんだろうな。

_edited1『「ストーカー」は何を考えているのか』(小早川明子著/新潮新書/2014年4月20日刊)

 ポイントは「人は何故ストーキングするのか」ということなんだけれども

『私の会った被害者も。そして加害者も、「こんな自分は本当の自分ではない」と悩んでいました。特に加害者は、「世間並みに成功していない自分など、本来の自分ではない」と考えます。「成功しそうにない」という焦り、「成功しているのに」という不満や疑念が抑えられなくなると自暴自棄になるのです。
 自分が「成長」することに対しては関心も意欲もない。「成功」への露骨なこだわりがあるだけで、しかもその成功とは非常に個人的なもので、仕事やお金、恋愛や結婚はあくまで「自分が世間並みになる」、「ほめられる」ための手段としてしか考えられません。
 それが得られないと、「自分も他人も信じられない、誰も自分を分かってくれない」という被害者意識を持つ。ストーキングの心理的背景には、必ず被害者意識があります』

『私はこれまで大手企業の社員、教員や公務員のストーカーにはたくさん会いましたが、自然相手の職業(農業者など)に就いているストーカーは不思議といない。安心や快適にとらわれずに生きる人は、ストーキングに縁遠いのかも知れません』

 という書き方を読んでみると、結局ストーカー、ストーキングという行為も現代社会ならではのいびつな「成功意識」がその背景にあるのかも知れない。

 ストーキング加害者の特徴

『①確固たる心理的動機があり、正当性を妄想的に信じ込んでいる。
②相手を一方的に追い詰め、迷惑をかけて苦しめることを自覚しながらも、相手に好意を持たれる望みをかけている。
③その望みが絶たれた時、心のバランスは憎しみに反転し、自殺または相手を殺害することもある』

 と、まあ殆ど自分の妄想に基づく、勝手な思い込みだけでしかなくて、まことにもって相手の迷惑だけでしかないのだ。

『ストーカーは相手に対して「疑問」や「疑念」、「要求」を抱いていて、その回答を相手から直接得ようとして「追及」(seeking)している。その現れがストーキング行為であるように私には見えます。
 回答が得られないかぎり、ストーキングは継続します。渇いた人間が水以外のことを考えられなくなるように、周囲の一般的な正論、「一般解」には見向きもしない。「もっといい人を探したら」、「過去を忘れて前向きに生きれば」などとアドバイスしても意味がありません。彼(彼女)らが渇望しているのは、相手からの個別で具体的な回答、つまり「特殊解」なのです』

 しかし、そんな「特殊解」なんて、ひとつひとつの事例に見ないとあり得ないだろう。なので、それらの事例を扱う小早川明子さんのような「カウンセラー」でないと解決できないことなのだろう。まさしく、ストーカー規制法や警察では何も解決できないのかもしれない。むしろ、ひとつひとつの事例ごとにその解決にあたる専門家やカウンセラーによる、「ストーカー問題解決支援センター」のような組織が必要なのかもしれない。

 気になるのは『私はこれまで大手企業の社員、教員や公務員のストーカーにはたくさん会いましたが』という部分。

 つまり、そんな人たちは「大手企業の社員」だったり「教員や公務員」というのは、彼らに「自分は社会的な成功者だ」という意識があるのだろうか。その辺に彼らの社会認識の薄っぺらさがあるわけ、別に「大手企業の社員」だからといって、彼らが何を成し遂げたわけでもない。人は彼がどんな組織にいるのか、どんな立場にいるのか、どんな存在なのかによって、社会的な成功者かどうかなんてことには関心はない。問題は「何を成し遂げた」のかというところなのだろう。何か優れたことを成し遂げた時、初めて他人は彼を何らかの社会的存在として認めるのであって、それ以外ではない。ところが自分が「大手企業の社員、教員や公務員」「である」ことをもって、自分が社会的成功者だと思ってしまうことこそが、彼は「そこまでの人」であるにすぎないことを自ら証明しているようなもので、そんな彼(彼女)を愛してしまった彼女(彼)も、それは同罪なのかもしれない。

 つまり、相手をストーカーにしてしまった人にも、そこにあるのは「ストーカーを生み出してしまった罪(実際の罪ではないが)」というのがあるのだろう。

 なので、そこには尚更ストーカー事案の解決を難しくさせる理由があるのだろう。

 問題は犯罪の加害者ばかりでなく、被害者にも加害者と同等の罪がある、ということになってしまえば、それは一般犯罪の場合には当てはまらないが、ストーカー犯罪というものの特殊性なのかもしれない。

『「ストーカー」は何を考えているのか』(小早川明子著/新潮新書/2014年4月20日刊)Kindle版は出ていない。新潮新書はあまり電子化に熱心ではないのだろうか。

2014年5月26日 (月)

『ツアー・オブ・ジャパン東京ステージ』総合優勝は分かっているが、やっぱり見に行くのだ

 ジロ・ディ・イタリアはまだ1週間続くが、ツアー・オブ・ジャパンは昨日が最終日。

 結局、一昨日の伊豆ステージでミルサマ・ポルセイェディゴラクール(イラン/タブリーズ・ペトロケミカル)が3位に入って、総合で2位のグレガ・ボーレ(スロベニア/ヴィーニ・ファンティーニ・NIPPO)に1分57秒差をつけて東京にやって来た。まあ、殆どミルサマ・ポルセイェディゴラクールの総合優勝が決まった状態で、参加選手は最後のステージ優勝だけが目標という、いつものツアー・オブ・ジャパンのスタイルになったわけだ。

 ここのステージ優勝は日本人にもチャンスありということで、毎年日本人選手がトップ争いに絡んできて面白い展開になる。

 さて今年は……

2014_05_25_49472

 ツアー・オブ・ジャパン東京ステージは日比谷シティ前を11時にスタート、14.7km走って大井埠頭の7km周回コースを14周する合計112.7kmの超平坦コース。1週7kmの周回コースを約9分で走ってしまうのだから平均スピードは46.6km/n。直角コーナーの多い市街地コースなので、ストレートでは50~60km/h位出ている訳で、そのスピードたるや人間業じゃないね。

 で、11時に日比谷シティをスタートしても、既に11時12~3分には大井埠頭についてしまう。

2014_05_25_49892

 レースの展開は、途中今回新人賞を取ったヒュー・カーシー(イギリス/ラファ・コンドールJLT)が少し飛び出したが……

2014_05_25_50762

 基本的には#71ダミアン・モニエ(ブリジストンアンカー)、#64インホン・ヤング(OCBC)、#111ホセ・ヴィンセンテ・トリビオ(チーム右京)の3名が逃げ集団を形成して、レースを作り上げる。

2014_05_25_51002

 当然、プロトンはグリーンジャージーを擁するタブリーズ・ペトロケミカルが集団を支配する。特にこの#45ガファリ・ヴィヒドはレースの殆どをプロトンのトップになってカバーする頑張り。

2014_05_25_50592

 たまにグリーンジャジー(ミルサマ・ポルセイェディゴラクール)自らトップ引きをすることもあるが、殆どダミアン・モニエ組の逃げとガファリ・ヴィヒトのプロトン引きでもってレースが展開する。

2014_05_25_51202

 そんなレースが活性化したのが最終周。ランプレ・メリダが集団のトップを形成する。

2014_05_25_51242

 と、ガファリ・ヴィヒトもお仕事終わりとばかりスローダウン。

2014_05_25_51402

 TOJお約束の最終ゴールの集団スプリントを制したのは、ランプレ・メリダだった。今年からUCIアジア・ツアー2.1に昇格し、プロチームが参戦できるようになったツアー・オブ・ジャパンに早速参戦したのがランプレ・メリダだった。さすがにスター、フィリッポ・ポッツアートはあまり活躍しなかったが、若い選手たちの活躍が目立った。

2014_05_25_51502

 で、ステージ優勝はニッコロ・ボニファツィオ。彼自身、国際レースでは初優勝だそうだ。

2014_05_25_51562

 総合優勝は当然、ミルサマ・ポルセイェディゴラクール(イラン/タブリーズ・ペトロケミカル)。「ジャージーを獲るのは簡単だけど、それを守るのはとても難しい」という名言を残していった。さすがにツール・ド・ランカウイの優勝者。「ジャージーを守るのはとても難しい」という言葉にも重みがある。

2014_05_25_51592

 ポイント賞もこれまた当然のグレガ・ボーレ(スロベニア/ヴィーニ・ファンティーニ・NIPPO)。

2014_05_25_51692

 で、山岳賞と新人賞を獲得したのは、本当にまだ新人のヒュー・カーシー(イギリス/ラファ・コンドールJLT)。これからどんどん国際レースで活躍しそうな選手だ。

2014_05_25_51782

 で、チーム賞はタブリーズ・ペトロケミカル。このチーム、ツール・ド・ランカウイも制していて、まさしくアジア最強チームだ。

 で、日本選手はどうなったかというと……シマノの吉田隼人がトップとタイム差なしの7位が日本人最高位だったことを報告ししておく。

NIKON D7000+SIGMA DG 150-500mm/F5-6.3 APO HSM @Ohi Wharf (c)tsunoken

2014年5月25日 (日)

『カニバル(CANNIBAL)』エグくないエグさについて

 R18+のカンニバリズム映画なので、かなりエグい演出の映画なのかと予想したのだが、全然そうじゃなくて、むしろ撮影はいかに華麗にして物静かに撮ることに集中している。さすがに、ゴヤ賞撮影監督賞を獲得しただけのことはある。

 この物静かに撮る、ということが却って主人公の犯罪を描く際にエグい演出になっているのだ。

2『カニバル(CANNIBAL)』(監督:マヌエル・マルティン・クエンカ/脚本:アレハンドロ・エルナンデス・ディアス、マヌエル・メルティン・クエンカ/製作:マヌエル・マルティン・クエンカ、フェルナンド・ボバイラ、シモン・デ・サンティアゴ、アレハンドロ・エルナンデス・ディアス)

 夜の闇の中に浮かび上がるガソリンスタンド。遠景で車がスタートする。画面右から左へ横切る車。するとそれまで画面上に写されていた映像が、実は別の車に乗った人の見た目の映像であることが分かる。別の車もエンジンをかけ、その車を追い始める。その車の内部。女が寝ている。別の車がその車の中を確認するように並走すると、追い越していく。少し行くと前からこちらに向かってくる車。どんどん近づいてくる。まるでこの車を狙っているようだ。「何をする気だ!」と叫ぶドライバーの男。たまらずハンドルを切ると、崖下に転落して天井を下にして落ちる。ぶつかりそうになった車が止まって、ドライバーが降りてくると、崖下に落ちた車から女を引っ張り出して崖の上まで引きづり上げる。道路には血の跡。

 場所は変わって、山の中の隠れ家のような家。車が止まる。玄関から女性を引きづり込むシーンを暗い小屋の中から捉える。木製の手術台のような台の上に裸にした女性を乗せ、壁にかかった包丁や鉈などを選ぶ男。女性の足の大写し。ドンッ! ドンッ! という音の度に跳ね上がる足。流れてくる血。

 ここまでのコンテは見事! まったく台詞のない芝居で設定を完璧に語っている。

 大きなカバンを持って街に帰って来る男。カバンからビニール袋に入った肉片を冷蔵庫に入れる男。

 ある晩、家に帰って来た男(カルロス/アントニオ・デ・ラ・トーレ)は、冷蔵庫から肉片を選ぶと調味料を擦り込んで味付けをし、肉片をコンロにかける。食事はこの肉とワインだけ。無言で食べる男。別に満足げにしているわけではない。マズそうに食べている訳でもない、ただ淡々と肉だけをワインで食べている。

 女人肉食はウマイのか?

 パリ人肉事件の佐川一成氏は「まったりとしてウマい」と言ったそうだが、ああ、あれは生肉か。

 ある日、やはり人肉食をしたくなったのか、カルロスは海辺のレストランで戯れる男と女を発見。裸になって海に入った男女を見定めると男の車を発進させ、あわてて取り返す男を轢き殺し、海にいる女を追い詰める。この時は残念! 女は溺死してしまい、食べることは叶わなかった。

 それまで、身元を知らない無関係の女性ばかり食べてきたカルロスがした最大の失敗は、多少なりとも知ってしまった上の階に引っ越してきたルーマニアの美しい女・アレクサンドラ(オリンピア・メリンテ)を食べてしまったことだったのではないか。

 自宅で指圧マッサージの仕事で生計をたてているアレクサンドラは、何故かカルロスに興味を持ち、何かと思わせぶりな仕草で言い寄ってくるそぶりである。別に「女」に対しては性欲はなく食欲しか興味のないカルロスは、ある日、男と揉め事をおこしたアレクサンドラを警察に連れて行ってやると告げ、車に誘い込む。勿論、食べちゃったんだろう。

 ここから話が捻じれてくるのだ。

 数日後、アレクサンドラを訪ねて双生児の姉ニーナ(オリンピア・メリンテ/2役)がやってくるのだが、アレクサンドラの恋人ボグダンがやってきて警察に届け出たりして、警察が動き出したりする。自分の部屋にニーナを匿うカルロス。

 するとカルロスが仕事から帰って来ると夕食の支度をして待っていたニーナ。メニューはパスタだ。しかし、まったく口にしないカルロス。そりゃそうだ。

 やっぱりカルロスにとっては女人肉食しか口に入らない。そんなに女人肉食はウマイのか?

 ニーナはカルロスを疑うことを知らない。

 しかし、カルロスは「家族はいない。女性と付き合ったことも一度もない。独りが好きだから、べつにそれで困らない」という。そんなカルロスに対してニーナが持つのは憐憫なのだろうか、あるいは愛なのか?

 もはや街にいることができなくなってしまったニーナとカルロスは山の隠れ家に行く。眠るニーナを一度は裸にして手術台の上に置くカルロス。壁に掛けた包丁を手にするカルロスだが……。

 翌朝、ソファで目覚めたニーナは自分が裸になっていることを知り、カルロスを抱きしめる。そこには愛はないはずだが、ニーナは錯覚をし、カルロスが自分を愛していると思ってしまうし、カルロスももしかしたら自分はニーナを愛しているのではないかと考えてしまう。

 愛を錯覚したカルロスは告白してしまう。アレクサンドラを殺して、食べた、と。

 街へ帰る車を運転するカルロス。こういう時はお約束の「無言」。

 突如、カルロスの握るハンドルに手を出すニーナ。揉み合う二人。車は崖下に。車から這い出すカルロス。車から放り出された死んでしまったニーナを抱きしめる。

 街にもどったカルロスは、職場の仕立て屋の窓から教会の行列を眺めている。

 ということはニーナも食べちゃったんだろうか。

 多分……。それが一番いい解決方法だから……。

 と、ここまで書いてきて気になったこと。

 例えば、パリ人肉事件の佐川一成氏は、知り合いのオランダ娘が自分の部屋を訪ねて来たときに、カービン銃で射殺し屍姦の後、生のまま胸の肉などを食べ、解体し写真に撮り、今度はストーブで焼いて食べたという。佐川氏はそれ以前にもに肉食目的でドイツ人に近づいて逮捕され、示談金を払った経験がある。現在は「もう白人女性は卒業しした。今は日本人女性に、特に沖縄の女性、ちゅらさん。食欲を感じます」というそうだが、結局それは何らかの形で自分とつながりがある女性を、ある種の変態性欲として食肉するのである。

 カルロスみたいに、まったく自分と関係のない女性を食べちゃうっていうのは、まるで牛や豚を食べるのと、それほど変わらない感覚なのではないだろうか。それこそ「食べちゃいたいくらい可愛い」という比喩にもある通り、自分がよく知っている人に対する気持ちの表徴としての「食欲」なのであって、いわばそれは形を変えた性欲であるはずなのだ。

 カルロスのような性欲を伴わない人肉食欲っていうのは、本当にあるのだろうか、という気分になってくる。更に、結局カルロスが崩壊するのは、「自分が知っている人を食べちゃったから」というのは実際にあることなのだろうか。

 しかし、こればかりは実際に試してみることが出来ないので、困ったことだ。

映画『カニバル』の公式サイトはコチラ

2014年5月24日 (土)

ツアー・オブ・ジャパン富士山ステージ(第4ステージ)に行ってきた

 18日にスタートしたツアー・オブ・ジャパンは堺、美濃、南信州の3ステージを終えて、個人総合時間順位では、1位がピエルパオロ・デ・ネグリ(イタリア/ヴィーニ・ファンティーニ・NIPPO)、2位がトマ・レバ(フランス/チーム・ブリジストンアンカー)、3位がグレガ・ボーレ(スロバキア/ヴィーニ・ファンティーニ・NIPPO)と日本勢が上位を占めて頑張っている(といっても国籍は外国ばかりだが)。

 個人総合ポイントもグレガ・ボーレ、個人総合山岳賞がトマス・ラボウ(オランダ/OCBCシンガポールコンチネンタルサイクリングチーム)、新人総合時間順位がジャック・ベッキンセール(オーストラリア/アヴァンティレーシングチーム)と続いている。

 さて昨日は一日休養日を挟んでいよいよ東京に近づき、遠雷が響く富士山ステージが行われた。

 数年前まで、堺ステージがマスドスタートで行われていた頃は、富士山ステージは山岳タイムトライアルで行われていたのだが、堺ステージがタイムトライアルになってからは、富士山ステージはマスドスタートのヒルクライムレースになった。

 いずれにせよ、この富士山ステージ以外はサーキットレースなので、最後のスプリントで決まることが多いツアー・オブ・ジャパンでは唯一の山頂ゴール(五合目だが)なので、この富士山ステージが最終順位を決することが多いのが最近のツアー・オブ・ジャパンの傾向である。

 なので、やはりそこは見ておかなければということで行ってきました、御殿場は須走の“ふじあざみライン”。わずか11.4kmという短さにもかかわらず、平均勾配10%、最大勾配22%というちょっと凄い勾配である。自転車で富士山五合目を目指す道は3ルートあるが、富士スバルラインは全長24km、平均勾配5.2%、最大勾配7.8%、富士山スカイラインは全長26.5km、平均勾配6.9%、最大勾配10.5%というから、ふじあざみラインの“激坂”ぶりがわかろうというもの。

 ちなみに私は富士スバルラインしか上ったことはないです。基本的に私は“坂バカ”じゃないし、大体自転車で坂道上るのが好きな人を私は好きになれない。まあ、選手は別ですが。

2014_05_23_48662

 しかし、サーキットレースじゃないので……

2014_05_23_48792

 こんな感じで……

2014_05_23_48892

 こんな感じで……

2014_05_23_49022

 選手が前を通過すると、もう見えなくなってしまって、おしまい。

2014_05_23_49142

 で、皆、何を見ているのか……というと。

2014_05_23_49102

 放送室のテレビで観戦……なのだった。

2014_05_23_49192

 ということで、第4ステージの優勝者は、38分51秒というコースレコードで勝ったミルサマ・ボルセイェディゴラコール(イラン/タブリーズ・ペトロケミカル)。あの“激坂”を平均17.6km/hで走ったのである。スゴい!

 この結果、ボルセイェディゴラコールは総合でも2位に浮上。

2014_05_23_49342

 総合とポイント賞は本日6位だったグレガ・ボーレ。ただし、2位のボルセイェディゴラコールとは17秒、本日14位だったトマ・ルバ(フランス/ブリジストンアンカー)とは22秒という僅差。

2014_05_23_49392

 山岳賞はトマス・ラボウと変わらず。

2014_05_23_49432

 新人賞がアミル・コラドゥズハグ(イラン/タブリーズ・ペトロケミカル)に変わった。

 昨日の日本人最上位はブリジストンアンカーの清水都貴で15位。

 このタブリーズ・ペトロケミカルというイランのチームはアジア・チャンピオンであるボルセイェディゴラコールを擁するチーであり、かなり強いチームのようだ。

 この富士山ステージで勝敗は決すると思っていたのだが、かなり僅差で争っている上位3者である。今日の伊豆ステージもかなりアップダウンのあるコースなので、見逃せない。とは言うものの、伊豆ステージはサーキットコースなので、どれほど差がつくか? 結局、この富士山ステージの結果がツアー・オブ・ジャパンを決めるかもしれない。

NIKON D7000 AF-S Nikkor 55-300mm @Mt.Fuji (c)tsunoken

2014年5月23日 (金)

Kindle Paperwhiteのソフトウェアがアップデートされました。……そうです

2014_05_23_49452

お客様のKindle Paperwhiteのソフトウェアがアップデートされました」というメッセージがAmazonから来た。

単語帳:読書中に辞書で調べた単語は、自動的に単語帳のリストに追加され、後で再び確認できます。

Kindel Page Flip:Kindle Page Flip機能を使うと、今読んでいるページを離れることなく、他のページ、章、本の最終ページなどのプレビューを見ることができます。

脚注ポップアップ:脚注の全文を、今読んでいるページから移動することなくポップアップで表示することができます。

クラウドコレクション:ライブラリの本が増えてきたら、クラウドコレクションを作成して自由に分類することができます。

 ということで、勝手にAmazon側でアップデートしてきた。まあ、こちらは何もしなくてもいいので、これはラクだ。

『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』という問題設定にならないために

 産業のカジュアル化というのは確かに進んできていて、第二次世界大戦後の復旧と高度成長を支えたのは、始めは鉄鋼業だし、次に自動車産業、家電ときてその後はコンピュータ産業だった。家電がダメになったのと同じように、自動車産業も最早命運尽きたのか?

 そのきっかけが「テレマティクス(Telematics)」だというのだ。

Photo『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』(桃田健史著/洋泉社/2014年3月6日刊)

 テレマティクスとは、テレコミュニケーション(情報通信)とインフォマティクス(情報工学)の融合を指す造語で、

『テレマティクスにより、たとえば交通情報や天気、ニュースなどの情報を車載器でリアルタイムに得られたり、音楽や動画などの車内エンターテインメントが楽しめたり、音声認識による自動運転、そのほかエンジンやサスペンションの制御やダイアグノーシス(車両自己診断)などのセーフティ、セキュリティサービスなどが利用できるようになる。
 わかりやすくいえば、クルマとインターネットが融合し、“クルマがスマホ化”するイメージである』

 と桃田氏は言うのだが、この言葉の前半は理解するのだが、後半「クルマがスマホ化」はちょっと省略しすぎでしょう、ということになる。

 カーナビゲーション・システムが普及した際に、何となくこの行く先が「自動運転」になるだろうということは予測できた。既に「クルーズ・コントローラー」のようなものはカーナビ以前にアナログ技術で存在したし、ホンダがマクラーレンと組んでF1を戦っている頃の「テレメータリング・システム」は、それを一歩進めればモナコの街を走っているマクラーレン・ホンダのエンジンコントロールを日本の和光研究所で行うことができる技術だったし、メルセデス・ベンツやマツダが実用化しているレーダーを使った衝突回避システムや、単眼カメラを使って周辺を見回るシステムも実用化している。ということは、当然その行き着く先に「自動運転」があることは容易に予測がつくことである。

 ところが、じゃあ自動車はみんな自動運転になっていくのだろうか、というのなら、それは絶対「No」なのだ。

 例えば現在グーグルが自動運転の研究を進めているわけだが、実はそれはむしろアマゾンが無人ヘリで商品を届ける研究をしていることに親和性が強いように思える。つまり「モノをA地点からB地点へ届ける際の最適化された方法を考える」ということなのだ。

 例えば、バス、タクシー(ヒト)やトラック(モノ)は「A地点からB地点まで着実に安全に運びたい」というモノである。そんな目的のビークルにとってテレマティクスは重要な要素になる。「A地点からB地点まで着実に安全に運ぶ」というのが目的だからだ。

 しかし、自動車の愉しみとはそれだけだろうか。

 ヒトは自分の能力を超えた存在になるとき、喜びを感じるような生き物だ。例えばスキーの滑降競技で、無動力でありながら時速百数十キロのスピードを体感できた時や、自転車競技の下り坂でやはり百キロを超えたスピードで駆け降りた時に感じる達成感というものがある。まあ、一般の人はそんなスピードを感じることはなく、せいぜい数十キロなのだが、それでも感じる達成感というのがある。

 また、数十馬力から数百馬力の出力を持つ自動車をコントロールし、サーキットコースを何分何秒で走れたが、じゃあ今度はそれを上回るスピードで駆け抜けようとするときの挑戦的な感覚。目標とするタイムが出た時の達成感というものもあるだろう。

 つまり、ヒトというのは自分が生き物として出せる能力を超えた「モノ」をコントロールして、それに成功した時に達成感を感じることのできる唯一の生物なのだ。

 なので、それは自動車を単に「A地点からB地点へ安全に動く」ための道具ではなく「それ以外の愉しみを人に与える」ための道具である、という風に考えた時、まったくそれは「自動運転」とは反対の方向へ向くベクトルとしての自動車の存在というものがある。

 勿論、そのためのある種の「自動化」というものもある。5月16日のブログで書いたような、「イマドキ6速マニュアルトランスミッション」がある一方で、F1では「速さとコントローラブル」を追求した結果、いまやオートマティックトランスミッションが普通になっているという事実があるが、つまりそれは自動車を運転する目的が「何か一つのものを目指す」ものでなくなったということなのである。「速さとコントローラブルを目指した結果がオートマになる」のも自動車の目指すものだし、一方「速さとカッコよさを目指した結果が6速マニュアルトランスミッションになる」というのも自動車の目指すものでもあるのだ。

 バス、タクシーやトラックが自動運転化されれば、それは運転する人の体調などは関係なくなる訳で、事故の減少につながるだろうし、何よりも「人件費の減少」にもつながるだろう。勿論、そのためには法改正がなければいけないが、電車では新交通システムなんかは既に自動運転が実現していることを考えれば、それほど難しい法改正ではないはずだ。

 自動車というものを「A地点からB地点へ安全にヒト(モノ)を運ぶ道具」だと考える人もいれば、「Fun to Driveを実現するための道具」だと考える人もいるし、同時に「A地点からB地点へ遊びながら楽しく勝手に移動してくれる道具」だと考える人がいるわけだ。

 つまり、桃田氏が隔靴掻痒の如くに言わんとしているのは、こうした「自動車に関する価値観の多様さ」を自動車産業は受け入れ、自ら業態変化をしていかなければならないということなのではないだろうか。

 つまりアップルやグーグルはどんどん業態変化をしてきていて、アップルなんていまや自分の所に工場なんかまったく持っていないのに「メーカー」を名乗っていたり、グーグルも本来は「広告業」が収入の大きな要素(というのは今も変わらないが)であったにも関わらず、何故か自動運転の研究を進めているというよに、いまや何がその会社の基幹業務なのかは分からなくなっている。

 日本の自動車産業もいまや「重厚長大」化してしまい、その業態を変化させるのも容易でないように見える。

 しかし、その「創業時のモノの考え方」をもってすれば、今からでもいくらでも業態変化ができる筈だ。

 勿論、製造は消費地に近いところで行えばいい、ということは昔から日本の自動車産業がやってきたところのものだ。

 で、研究開発部門を日本でも、シリコンバレーでも上海でもいいから、先進的な場所でやればいいのであるし、何も「日本企業」に拘る必要もない、ということなんだろう。

 問題は、そうした柔軟な目配りができるかどうか、ということなんだろうな。

 というのが、カーナビの言うことを聞かずに、しょっちゅうカーナビから「目的の方向と逆の方向に進んでいます」と怒られている、tsunokenの戯言なのでありました。

 そんなに怒るなよ。

『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』(桃田健史著/洋泉社/2014年3月6日刊)残念ながらまだKindle版は出ていない。

2014年5月22日 (木)

The site renewal message from Mr.Chris Guillebeau

 クリス・ギレボー氏からサイトの更新メッセージが来た。

 題して"Three Things I Learned Last Week"(先週学んだ三つのこと)。

 三つのこととは;

1. You write a book when you have something to say.(何か言いたいことがあったら本を書く)

2. "The bigger your audience gets, the greater your oppotunity to screw up."(より多くの聴衆を得られるなら、より多く前へ進む)

3. Do big things...then do them again.(大きな事を成し遂げる……それは何度も成し遂げることだ)

20140522_84116


クリス・ギレボー氏のサイト The Art of Non-Coformity/3x5はコチラ

The most photogenic downtown

「最もフォトジェニックな(東京の)下町」と言えば、それは銀座のことだろう。

2014_05_18_47522

 江戸の昔から東海道の起点として、商業地として栄えた銀座。明治になっても赤煉瓦とガス灯で知られた、多くの人が集まって栄えた町である。

 そこは他の渋谷や青山、新宿、池袋にはない雰囲気がある。

 つまり、銀座を歩く人は、その歩く人までフォトジェニックな雰囲気になっている、という(街の)力がある。

2014_05_18_47672

 しかし「街は変貌する」、そして「変貌した街」には「変貌した人たち」が集まる。

2014_05_18_47862

 銀座の老舗の本屋さんで、キリスト教関係の出版社でも知られる教文館のある専務の話では、そんな銀座でも街を歩いている人の様子がここ数年で変わってきたそうだ。

 商業地・銀座といっても以前はオフィスビルなんかもかなりあって、ウィークデーにはビジネスマンの姿をかなり見たし、教文館でもビジネス書が売れたりしていた。

 それがブランドショップが多くなってきて、オフィスビルは銀座以外の所に移ってしまい、街からビジネスマンの姿が見えなくなってしまった、というのだ。

 当然、売れる本もビジネス書から、町歩きの本や、銀座紹介の本が多くなってきたそうだ。

2014_05_18_47882

 で、そんな銀座なのだが、やはり銀座歩き(昔でいう銀ブラ)に相応しいのはカップルとかごく少数の人数で歩くのが楽しい。

2014_05_18_47892

 ところがブランドショップが増え。それを追うようにしてファストファッションのお店が増え。さらにそれを追うようにして、家電ショップやデューティーフリーショップなんかができる。

2014_05_18_47912

 となると、最早銀座は東京の人が散策する街ではなくなって、外国人の団体さんが一斉にやってきて、買い物をする街になってしまった。

2014_05_18_47702

 まあ、それは銀座に人が来る、銀座が栄えるという意味ではまったく問題はないんだけど。

2014_05_18_47922

 もうちょっと静かに歩ける街に戻って欲しい、というのは私が年を取ったから……なのだろうか。

EPSON RD1s LEICA ELMARIT 28mm/F2.8 @Ginza (c)tsunoken

2014年5月21日 (水)

資格を取ると貧乏になります

 いやあこういうムチャクチャな断定的な言い方って好きだなあ。なにしろ『資格を取ると貧乏になります』っていうんだから、本当にミもフタもない。

 ただし、それはその姿勢を最後まで貫いた時だけなのだけれどもね。

Photo『資格を取ると貧乏になります』(佐藤留美著/新潮新書/2014年2月20日刊)

 確かに、今「士業」は厳しいらしい。国が「士業」を増やし過ぎてしまったからだ。

 弁護士『司法試験合格者は長らく500人程度だったのが、99年には1000人を突破。ここ数年は2000人超にまで達する。
 その結果、弁護士の数は13年3月には3万3624人になった。01年当時の弁護士人口は1万8000人だったから、わずか10年超で2倍近くに急増したことになる』

 公認会計士『現在、日本の公認会計士の数は3万2000人。ところが、たった10年ほど前の2000年には1万6000人しかいなかった。会計士は弁護士とまったく同じで、10年にして人数が倍になった、ある意味「異様な職業」なのだ』

 税理士『この資格の保有者もまた、毎年、登録者数が数百人ずつ増え、ここ10年で1割増えた。現在税理士の数は7万4000人に及ぶ。
 といっても、全税理士の中で税理士試験合格者が占める割合は45.9%と約半数。この資格が厄介なのは、約3割が“天下り組”で占められることだ。
 国税庁に23年以上勤務し一定の要件を満たした人、公認会計士、弁護士は「試験免除者」となり無試験で税理士になれる。しかも、「税理士の中で、稼ぎがいいのは天下り組に集中している」(都内近郊開業税理士)と言う』

 社会保険労務士『合格率は7~8%の難関だが、10年の受験者は7万人を突破し。過去最高を記録。累計の取得者は約3万8000人となり、この10年で約1万人も増えている。
 特に女性に人気の資格で、13年の試験合格者のうち、女性が占める割合は35.7%。税理士に約25%、司法試験の23.2%、司法書士の23.7%と他の文系資格と比べても、圧倒的に割合が高い』
『10年度の社労士の平均年収は760万円。07年度は531万円、08年度は604万円なので、年々上がっており(厚生労働省「賃金構造基本統計調査」」)、しかもそれほど悪くない収入に思える。しかし、ある社労士に言わせると、「いわゆる数字のマジック。社労士試験は試験直前の5~3か月で詰めて勉強すれば一発で通る。それほど難しくない資格なので、一流企業にいる人事の人が結構受けるんです。だから、平均年収が上がってしまっただけ。独立して"平均"ほどの稼ぎがある人は、ほとんど見たことがありません」(都内開業社労士)とにべもない』

 TOEIC『TOEICスコアを上げたくて、一時、私も高い金を出して英会話学校に行きました。ところが、英語が喋れるようになればなるほど、TOEICスコアが下がる"不思議現象"に直面したんです』

 まあ、最後のTOEICはちょっと違うが、特に司法試験と公認会計士に関しては「完全に政府の方針が間違っていた」としか言いようのない有り様である。

『法科大学院を卒業すれば7~8割は弁護士になれます』

 なんていう「大うそ」を何故政府はついたのだろうか。

『97年時点の先進国の弁護士1人あたりの国民数を比べると、日本の6300人に対し、アメリカは290人、イギリス710人、ドイツ740人、フランスは1640人。日本はこのフランス並みの水準を実現するために、18年時点で法曹人口5万人を目標に掲げた』

 そのために「合格率7~8割、年間合格者数3000人」という目標を掲げたのである。しかし、年間合格者数3000人は達成できなかったものの、確実に合格者数は増えたわけだ。ところが、99年ころはまだ不良債権案件などのバブルの後始末やら、不動産の証券化、資産査定やM&Aなどの外資による日本買いなどの仕事があったものの、最近ではそんな仕事もなく、仕事にあぶれて「食えない弁護士」がやたら増えてしまったという訳。

 さらに、日本とアメリカの弁護士が置かれている環境が実はまったく違うということが、政府には分かっていなかったのではないか、ということもある。

 アメリカには税理士、司法書士、行政書士、弁理士などの法律系の資格がなく、それらの法律業務はすべてアメリカでは弁護士が行っているという事情がある。それでも弁護士が余っているアメリカでは、結構マッチポンプな弁護士やら、マフィアの仕事を引き受ける弁護士なんてトンデモ弁護士が多いわけで、多分日本の弁護士業界も今後そちらの方向に進むだろうという予測もある。

『これまで新米弁護士は、「イソ弁(居候弁護士)」といって、独立したボス弁(ボスの弁護士)に雇われ、兄弁(アニキ弁護士)に仕事を教わりながら、OJTで仕事を覚えていくのが常だった』

 ところが法科大学院出身の新弁護士が急増した07年頃から、事務所の軒先だけを借りる「ノキ弁」が急増し、今や「即独」の「タク弁」や「ケー弁」が増えているというのだ。

「即独」「タク弁」とは弁護士事務所への就職ができずに、司法修習終了後、即独立して自宅で開業するしかなかった弁護士で、そんなタク弁は携帯電話一本でどこへでも駆けつけ、仕事を受けるから「携帯弁護士」、つまり「ケー弁」なのだという。

 その結果、年間所得100万円以下の弁護士が22%、100万円超500万円以下の弁護士も19%に達しているという状態になってしまったのである。

 で、そんな「食えない士業」の人たちへの佐藤氏のアドバイスは以下の通り。

アドバイスその1・サラリーマン根性を捨てる
『資格職を選んだということは、潜在能力を買われてタダでトレーニングをして貰える日本の「企業人」としてのキャリアを捨てたということだ。プロフェッショナルとして生きると決めたからには、日本型の「就職できて当たり前」という常識は捨て、経験を積んで能力が高くなるまでは就職に苦労するくらいで当たり前と腹を括り、国際標準の常識に従うべきだろう』

アドバイスその2・資格にこだわり過ぎず、まずは就職を
『独立開業や有利な就職に必要な実務能力を身に付けるためには、まずは(自分の資格にこだわらずに:引用者注)就職して、OJTで先輩からノウハウを学ぶのが早道である』

アドバイスその3・サラリーマンになったらサラリーマンになりきる
『先にプロフェッショナルとして生きるからにはサラリーマン根性を捨てろと書いておきながら矛盾するようだが、「企業内弁護士」や「企業内会計士」として一般企業に勤めるからには、その組織の人として適合する必要がある』

アドバイスその4・人が行かない「空白地帯」を目指す
『いわゆる「即独」の弁護士でも、弁護士がいない土地の人からすれば立派な弁護士だ。お客さんにとって、若さが「頼りない」ではなく「頼みやすい」とかえって価値を感じて貰えるのなら、自分の存在意義も明確になるし、都会の過当競争で神経をすり減らすより、はるかに幸福な職業人生を送れるだろう』

アドバイスその5・出来ない仕事も引き受ける
『一度その仕事をものにしてしまえば、似たような案件が繰り返しできるようになる。繰り返していくうちに、手法も洗練されていくはずだから、自分の守備範囲を超えた仕事でも、まずは受けてしまうことだ』

アドバイスその6・顧客の話し相手になる
『独立するとは即ち、自分で自分を営業しない限り、仕事がないということだが、士業の人々は一般的に営業を好まないようだ。
 こうした現象を受け、社会保険労務士の北村氏は、「けち臭い単発の案件だけではなく、顧客からの顧問料が欲しいなら、ノーアポでどんどん訪ねるべきなんですよ」と活を入れる』

アドバイスその7・先輩を頼る
『士業の人は、弁護士会、税理士会などに属しているのだから、嫌でも先輩との接点があるのは大きな利点だといえる』

 というアドバイスなんだが、なんか「当たり前」みたいなアドバイスばかりだ。

 ということは士業の人たちって、あまり世間知らずで、外に出ていこうとしない人たちが多いってことなんだろうか。

 自分にはサラリーマンは向いていないと考えているから、初めから独立できると考えて「士業」に挑むんだろうか。

 んで、結局、そういう人たちに向かってのアドバイスっていっても、まあ「当たり前」と考えられるものになってしまうんだなあ。

 そこはちょっと残念。

『資格を取ると貧乏になります』(佐藤留美著/新潮新書/2014年2月20日刊)Kindle版はまだ出ていないようだ。

2014年5月20日 (火)

Fitbit weekly progress report from May 12 to May 18

 Fitbitからいつもの週間レポート。

 週トータルで79,032歩、55.32km歩いた。消費カロリーは18,088cal。平均睡眠時間は6時間46分。体重変化は-0.4kg。

 最も活動的だった日は5月14日。15,686歩、10.98km歩いた。毎月の通院日だったが、前後かなり歩いた。

 最も非活動的だった日は5月12日。6,356歩、4.45kmしか歩いていない。この日も殆ど引きこもってある本の編集+デザイン作業。夕方になって買い物にでかけただけだ。しかし、出版社の編集作業って言っても、結局原稿を読んで後はデザイナーに丸投げだったので、自分でエディトリアルデザインまでやるってこんなに大変なんだって、会社を辞めてから初めて知った。いやあデザイナーさん申し訳なかった。って、今更言っても遅いか。

20140520_91922

オボちゃんの理研の実験ノートが来た!

 Amazonで「理研の実験ノート」が買える! って知って、早速ポチッてしたんだが、どうもメーカーで在庫切れになってしまっていたようで、やっと5月10日になって届いた。

 小保方晴子さんが理研に三冊だけ提出したという実験ノートはいかなるものか?

 正式名称は「RESARCH LAB NOTEBOOK」、文房具メーカーのコクヨと山口大学が共同開発して作ったものだそうだ。

2014_05_17_47382

 こんなにパカッと開いて使えるので、ノートを開いたままで実験をやりながら書きこめるっていうスグレモノ。普通の大学ノートだと真ん中辺りはいいけど、ノートの初めの方とか終わりの方になってしまうと、結構開いたままにするのは大変だ。

2014_05_17_47422

 改ざんを防止するためのパターンがノートの「地」に印刷されていて、例えば1ページ抜いちゃったりすると、スグにバレるようになっているんだとか、

2014_05_17_47392

 ノートを開くと、最初に「RESARCH LAB NOTE(研究ノート)記載上の注意」というのと、【記入例】というのがある。

2014_05_17_47432

2014_05_17_47442

 で「記載上の注意」というのを読んでみたんだが。

必ずお守りください

◆研究ノートへの記録は、研究・実験等の作業を行った当日に行う。

◆記録年月日。記録者の署名・確認者による署名と署名日の記入を各ページに行う。(年月日は西暦で、署名はフルネームで。)※知的財産権として最適に保護する際の重要な証拠書類とするための必要条件。

◆筆記具はペンやボールペンなど黒(または青)インクで、消えにくいものを使用する。(鉛筆や色鉛筆は消すことができるので使わないこと。)

◆記入するときは、後日加筆できないようにするため、途中に余白ページや余白部分を生じさせないように、ページ順に詰めて行う。

 って、なんだか子どもに注意するようなことが書いてある。

 次の<推奨事項>【記入例】を参照してください。

 ってのも、なんだかなあという感じ。

 ここまで注意しなければならない研究者ってどうよ。

 ってな気分になりました。

2014年5月19日 (月)

嵐山・大蔵館跡

 昨日に引き続き、嵐山の城のお話し。

 都幾川を挟んで菅谷館の対岸にあるのが「大蔵館」である。

2014_05_16_47332

「虎口」という狭くなった入口の造りがいかにも武将の屋敷跡のようだ。

2014_05_16_47252

 が、現在は大蔵神社というものになっている。

2014_05_16_47272

 とは言うものの、人の存在を感じさせない神社の境内にはなにか土塁を思わせる盛り上がりがある。やはり、ここは元々は神社じゃなかったのだ。

2014_05_16_47292

 説明板によれば、源義賢という人の居城であったそうだ。神社はその中のほんの一部で、菅谷城ほどには大きくはなかったが、それでも昔はかなり広い城だったそうだ。

2014_05_16_47262

 源義賢とは、源平合戦の倶利伽羅峠の戦いで、数百頭の牛の角に松明をくくりつけて敵中に向けて放ったことで有名な木曽義仲(源義仲)の父親である。

 畠山重忠といい、木曽義仲といい部門では目立った活躍をした人たちだ。

 そんな人たちが皆、嵐山に関わりがあるというのも面白い。

NIKON D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Ranzan (c)tsunoken

2014年5月18日 (日)

ジロ・ディ・イタリアとツアー・オブ・ジャパン

 昨日第8ステージを終えたジロ・ディ・イタリア。今日の第9ステージを終えると、今年のジロ2回目の休養日に入る。

 現在、総合トップのマリア・ローザはカデル・エヴァンス(オーストラリア/BMCレーシング)が着ている。

 日本勢は別府史之(トレックファクトリーレーシング)と新城幸也(チームヨーロップカー)が参加しているが、第6ステージで新城がチームアシストをしたり、第7ステージで別府がプロトンを積極的に引いたりしていたのが多少目立っただけで、今のところ着にからんだりというような状況はあらわれない。

 まあ、全体的に山岳ステージが多いジロなので、クライマーではない別府、新城はなかなか成績を出すのが難しいようだ。平坦ステージの時にルーラーとしての期待をするだけかな。そんな訳で、取り敢えずジロの中継は毎日見ているが、なんか最後まではみていない。

 なんて言っているうちに、日本ではツアー・オブ・ジャパンが今日の堺ステージからスタート。

 昨年は堺まで見に行ったのだが、今年は富士山ステージでも見に行こうかな。勿論、最終日・東京ステージは見に行きます。

 で、今日の第1ステージはタイムトライアル。

 1位はこれまたオーストラリアのウィリアム・クラーク(ドラパックポルシェ)で3分14秒09。2位も同じくジョーダン・カービー(オーストラリア/ドラパックポルシェ)、3位がフィリッポ・ポッツアート(イタリア/ランプレメリダ)。

 日本勢では7位に西谷泰治(愛三工業)が入って3分21秒40。

 う~ん、最近のオーストラリア勢、凄いな。

嵐山・菅谷城址

 話は5月3日まで遡る。

 小千谷闘牛に向かった私は関越自動車道の渋滞ぶりに愛想をつかし、国道254号線を走っていて嵐山町にはいったところでこんな看板を発見したのだ。

「史跡 菅谷館跡」

2014_05_16_47132

 まあ別に歴史ファンという程ではないが、2011年4月18日のブログ「寄居・鉢形城址」で書いたように、関東の城に多少興味がある。

 歴史は近畿・中部地方だけで回っていた訳ではないことが、平将門以来の関東武士の存在で分かるってもんだ。

2014_05_16_46652

 で、「菅谷館」って何だろうとググッて見ると「吾妻鏡」なんて文字が出てくるじゃないですか。つまり、源頼朝の配下の武将「畠山重忠」の居城だというのだ。

 ということで早速見に行ってきた。

2014_05_16_46972

 ここが本廓のあった場所。かなり広い。これ以外にも二の廓、三の廓、西の廓、南の廓とかあって、城としてもかなりな広さである。

2014_05_16_46922

 廓と廓の間はこんな堀と土塁で警備されている。かなり堅固な守りの城だったことがわかる。

2014_05_16_46812

 城の南には都幾川が流れていて、これが天然の要害になっている。川の向こう岸の高台になっているところが菅谷城址だ。

2014_05_16_46862

 城の西には鎌倉街道が走っている。ここを通って頼朝の許へ馳せ参じたのだろう。

2014_05_16_46612

 で二の廓の前には城主・畠山重忠の像。

2014_05_16_46532

 城の入口、というか鎌倉街道が表側なので、国道254号線は城の裏口になるが、そこには埼玉県立嵐山史跡の博物館がある。畠山重忠と菅谷城のことや、埼玉県比企郡のいろいろな城の解説が出ている。

NIKON D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Ranzan (c)tsunoken

2014年5月17日 (土)

『ポエムに万歳』というポエム

『ポエムに万歳』って言ったって、別に本書全体が「ポエムに万歳」じゃなくて、それは最初に収録されているコラムだけなのだ。

 なので、別に本書に通底しているテーマがある訳ではない。

Photo『ポエムに万歳』(小田嶋隆著/新潮社/2013年12月5日刊)

 なので、本ブログもそれに対応するように、コラム別に書いていく。

Ⅰ ポエムに万歳!

1 ニュースがポエムになるとき

『ポエムは、書き手が、詩であれ。散文であれ、日記であれ、手紙であれ、とにかく何かを書こうとして、その「何か」になりきれなかったところのものだ。その志半ばにして、道を踏み外して脱線してしまった文章の断片が。用紙の上に(あるいは液晶画面の上に)定着すると「ポエム」になる』

 本来、論理的でなけえればいけないニュースまでもが「ポエム」になってしまうというのは、単純にそんなメディア担当者の劣化としか言いようがない。新聞記者がなんでそんな「不十分な自己表出」な記事を書くんだ。

2 「ポエム」化する日本

『現在進行している「ポエム化」は、ある場合には説明放棄であり、別の場面では、幼児退行ということでもある。優等生たちが切り口上で論理を振り回している一方で、多数派の庶民はポエムに逃避している……という見方はあまりにも平板かもしれないが、ネット上にあふれている素人ポエムをみていると、私は、EXILEのみなさんの絶叫を笑う気持ちにはなれない。ビッグダディの独白も、だ。だって、あの種のまとまりのない言葉が、世紀をまたいでからこっち、ものすごい勢いであふれ出してきているからだ』

 まあ、いまや首相の言葉も「ポエム」ですからね。

3 そんなにいいのかオリンピック

『結果として、招致を企図している人々が求めているのは、五輪そのものではなくて、五輪がもたらすであろう副次的な経済効果や、五輪を錦の御旗として推進可能な行政権力のリバレッジだということが、ボディコピーの行間から読み取れてしまうわけなのだ』

 オリンピックなんてすべからくそういうもの。というか、オリンピック招致の言葉もまさしく「ポエム」の集大成なんだけれども、なぜかそれにふれないっていうのは、どうしてかな。

 まあ、私にとっては学校動員でサッカーを見せられた1964年の東京オリンピックなんかよりも、ビートルズ来日の方が大きなイベントだった。

4 「式」と名のつくもの

『どうしてもというのなら、二輪ピックぐらいが妥当なセンだと思う。うん自転車競技の世界大会。ツール・ド・ジャパンぐらい。どうでしょう。道路特定財源で日本中にサイクリングロードを造るとか。私は大賛成ですが』

 おっと、残念。「ツール・ド・ジャパン」ってもうありますから。昔はそういう言い方をしていた「ツアー・オブ・ジャパン」は5月18日から堺市で開催。25日の東京ステージまで、全6ステージです。

Ⅱ 事件はスマホで起きている

1 「動員の革命」か大人の遠足か

『当時の「デモ」に参加していた人間たちの心中には、より強力な動機があり、明確な思想があった。
 そして、彼らと対峙することになる「権力」の側もまた、より敵対的かつ暴力的であり、「逮捕」の危険は、現実問題として見に迫る懸念だった。それゆえ、デモ参加者の覚悟と連帯感はいやが上にも亢進せずにはおれなかったのである。
 引き比べて、金曜日のデモは、よりカジュアルで、縛りが少ない。戦闘的な要素も無い。匿名的で、穏やかで、参加者相互の間に共通項が少なく、テンポラリーな特徴を備えている。ということはつまり、あれは、従来の分類からすれば「デモ」ではないのかもしれない』

 そう、「あれは意思表示としてのデモ」ではなく、多分「気分表示としての遠足」なのであった。

2 電子メールはあと2年で終わる

『最初に結論を述べれば、電子メールは、それが勃興したのと同じ理由で、滅びようとしている。すなわち、無料であること、手軽であること、時間と空間の制約を受けないというまさにそのことによって、電子メールは、ノイズの巣に化けつつあるということだ。ノイズとはつまりエロであり、詐欺であり、無数のものほしげな宣伝活動だ。電子メールは、いまやその種の不快なノイズの巣窟になっている』

 それは分かっているが、最初に結論から入ったんじゃ、最後まで読む気になんなくなってしまう。

3 デマを流すには1分で済む

『もともと、われわれは「リンチ」が好きなのだ。わたくしども近現代の日本人は、悪いヤツを吊し上げ、責め立てて、その悪党が苦しむ姿を見物するのが、大好きなのである』

 それも「匿名の民」としてね。

Ⅲ 制御された欲望

1 レッズサポに「群集」の未来を見た

『私の見るに、わが浦和レッズのサポーターは、かなり良い線を行っている』

 う~む、浦和レッズの「Japanese Only」の前だったのが残念っ! まあ、本人もブログで反省しているけれどもね。

2 ファッションを考える

『20歳をすぎた女性が、森ガールをやっているというのは、これは、一種の適応障害に近い、おっさんの半ズボンよりまだタチが悪いと思う』

 まあ、「可愛ければすべて許す」ってやつではないでしょうか。

3 ネディアノレッカ

『野球がつまらないのは選手が劣化したからだ。歌謡曲が面白くないのは歌手が劣化したせいだ……と、ある程度年齢の行った人間は、多かれ少なかれそんなふうな感慨を抱くようになる。が、多くの場合、何かをつまらなく感じる理由は、見ている者が、面白さを見つける目を喪失しているからで、別の言い方をするなら、何かを見て面白さを発見できない人間は、つまるところ、老人なのである』

 まあ、その通りですね。小田嶋氏も老境にさしかかっている、ということなのだ。

4 体罰はわれわれのなかにある

『スポーツ界に限った話ではない。企業も、学校も、部活や暴力団から政党や官僚組織に至るまで、わが国の集団は、多かれ少なかれ、土の下の見えない部分に、パワーハラスメントがもたらす同調圧力を根っことして、上部構造を形成している』

 まさにその通りであり、JOCが柔道連盟を批判するのはお門違いだということである。

Ⅳ オレの責任じゃない

1 偽装の発生過程

『日本の警察は、そもそも交通違反を減らそうとは思っていないのだ。なぜというに、警察官は、所轄管内の違反を減らすことで評価が上がる人々ではないからだ。というか、現行のシステムでは、むしろ違反の摘発数を増やした方が点数が稼げる。そういうことになっている。反則金も入るし。とすれば、警察官だって人間だ。親切な標識を設置してドライバーの安全意識を向上させるよりは、目立たない標識の陰に隠れて違反切符の枚数を稼ぐことの方を選ぶ。当然だ』

 つまり、「食品偽装」を叩くマスコミの「正義ヅラ」も、この交通違反の取り締まりと同じ、胡散臭さを感じるってわけですね。

2 高齢者の犯罪

『今後、新たに発生する大量の老人たちは、あらゆる分野で、必ずや新たな問題を生むと思う。強気で無反省で自分が一番だと思っているニュータイプの老人たち。「新老人」という言い方は、ちょっと気味が悪いが、でも、老人デビューする彼らのために何かのレッテルは必要だと思う。団塊老人。団老。老隗。老衆。高齢山脈。マス老』

 ま、小田嶋氏も明日は我が身だね。

3 お笑いにつかれてきた

『笑いはスパイスに過ぎない。主食ではない。
 その意味で、一日中笑い転げているいまのテレビはどうかしている。スパイスばかりが運ばれてくるテーブル。唐辛子の胡椒煮ナツネグ添え、みたいな』

 そんなにいやならテレビを消せばいいのだ。

 私なんてほとんどテレビを見ないぞ。

4 ねたみそねみひがみやっかみ

『おそらくわれら現代人の過度な謙虚さの背景には、インターネット時代になって表面化した「匿名の悪意」がある』

 まあ、「世田谷ナンバー」を否定しなくてもいいと思うんだけれどなあ。私なんか「文京ナンバー」を作るなんて話が出たら、即乗っちゃうけどなあ。

『ポエムに万歳』(小田嶋隆著/新潮社/2013年12月5日刊)Kindle版は出ていない。新潮社が腰が引けているのか、小田嶋氏が電子版に反対なのか?

2014年5月16日 (金)

Mercedes STAR Collection 2014

 メルセデスベンツというのは会社の名前ではなくて、ダイムラー社のブランドネームなのである。AMGとかマイバッハとかSmartなんていうのと同じ。

 で、そのMercedes STAR Collection 2014という催しが開かれたので、ホテルニューオータニまで私のメルセデス(昔「小ベンツ(小便つ)」と小バカにされた190シリーズの後継車種C200だけど)で行ってきた。

2014_05_15_46432

 さすがにメルセデスの展示会なので、お客さんもメルセデスばっかりだ。

2014_05_15_46442

 あれもメルセデス、これもメルセデス、メルセデス、メルセデス、メルセデス……。

 最近のダイムラーは高級車ではなくてフルラインナップ・メーカーとなって、最高級のSクラスやその下(ダイムラー的には大衆車)のEクラスのみでなく、Cクラス、Bクラス、Aクラス、Smartと幅を広げている。昔は190クラスを出すだけでも世界中から「えっ? こんな安い車をダイムラー・ベンツ(当時)が出しちゃうの?」ビックリされていたのが、遠い目。いまや、トラックの輸出では世界3位だ。

 とは言うものの、さすがにニューオータニあたりでやるお披露目であるから、基本的にはSクラス中心の展示になっている。Cクラスなんて「毛ほどもない」。トラックなんて「そんなのどこで作ってるの?」ってなもんだ。

2014_05_15_46452

 しかし、Sクラスは基本的にショーファードリブンでしょ、 なので私自身はSクラスには興味がないので、こんなのや……

2014_05_15_46462

 こんなのや……

2014_05_15_46472

 あんなのばっかりに興味が行ってしまう。勿論、購入を検討するまでもない、って訳で。 

 で、このSLS AMGは製造終了ということで、参考出品なのでありました。しかし、このガルウィング・ドアって貴重だよね。また、再現させてほしい。まあ、私は買えないでしょうけどね。

2014_05_15_46482

 ところが、気になったのがこれ。メルセデスベンツSLK 200 MT。

 エンジンはCクラスと同じ1800ccのターボチャージャーだが……

2014_05_15_46492

 なんとイマドキ珍しい6速マニュアルトランスミッション、つまりネーミングのMTはMTだからなわけですね。クラッチがあるんですよ、クラッチが、いまどき。F1だってオートマ・2ペダル時代に。

 それでお値段は500万円弱。う~ん、気になるなあ。欲しくなっちゃうなあ。でも今はお金ないしなあ。

2014_05_15_46502

 で、最後は私のC200。ナンバーはちょっと隠してごめん。

NIKON D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @HOTEL NEW OHTANI (c)tsunoken

2014年5月15日 (木)

『年収100万円の豊かな節約生活術』が実践できる人

 本作の著者・山崎寿人とは何者か?

『1960年大阪府生まれ。東京大学経済学部卒業後、有名酒類メーカーに入社して広報マンとして活躍するが、30歳で退職する。その後、日本新党の立ち上げに係わり、小説を書くことを志すも、料理にめざめてからは自宅で過ごすことが無上の楽しみとなり、定職に就くことなく20年たつ。本作は初めての著書。神奈川県在住、独身』

 ということ。なかなかご立派な経歴である。

 小説家にはなれなかったけれども、本を出すことは出来たわけだ。良かったね。

100『年収100万円の豊かな節約生活術』(山崎寿人著/文春Web文庫/2012年9月20日刊)

 で、定職にも就かずに「年収100万円」とはどういうことか?

『これまでたびたび話に出てきた「年100万円ほどの不労所得」「現金収入」というのは、実は親が遺してくれた築三十年という古マンションの一室を賃貸に出して得た現金収入のことである。月11万円の賃貸料から管理費・固定資産税などの必要経費、所得税、住民税などを差し引けば、年間トータルで手取りは例年100万円ほどになる。
  <中略>
 ところが実はこのマンション、昨年暮れに長らくお世話になった借主さんが転居され、再度賃貸に出すためには大規模なリフォームをしなければならず、とても元を取れそうもないので、金一千数百万円也で売り払ってしまった。まとまった金は入ったが、頼みの定収入はゼロに。とはいえ株などの資産運用をする適性が自分にないのは自覚しているので、今後は貯金を切り崩してゆくほかない。そうなると年間予算は、基本的にこれまでの「年100万円以内に抑える」ということに変わりはなく(仮に国民年金の受給開始を六十五歳として、それまでの15年×100万円=1500万円となり、今回のマンション売却額でぎりぎり何とかまかなえる。もちろん机上の計算だが)、従って煩雑さを避けるため、ここでの記述はすべて「年収100万円」で統一させていただくこととした』

 って、なあんだそういうことだったのか。

 で、月々の生活費には固定費と変動費がある。

『それら固定費(国民年金保険料、国民健康保険料、住居費、NHK視聴料等)を除いた、食費、光熱費、交際費などの『変動費』部分を中心にしていこうと思う。
 さて僕の場合、生活費のうち、如何に挙げる変動費部分では例年、総計年間36万円で予算を立てている。つまりは月3万円。
 内訳は、食費、光熱費(電気・ガス・水道料金)、通信費(NTT支払い分=IP電話基本料金、同通話料金。ルーター・IP電話対応機器使用料は一括銀行引き落としだが、毎月通話料が変動するため、これらをまとめて変動費に参入。またプロバイダー支払い分=Bフレッツ、プロバイダー料金は、毎月固定料金でプロバイダーへのクレジットカード支払いのため、固定費に参入)、そして交通費(原付スクーターのガソリン代含む)となる。これに加えて、『予備費』として月5000円(年間予算6万円)を別途計上。本来は日用品、雑費、医療費など不意の少額出費に備えてのものだが、実際は大部分が遊興費・交際費(友人との飲み会や同窓会参加費)に充てられている』

『ちなみにここ数年の年間収支でいえば、これら変動費と予備費に先の固定費を加えても、(年間100万円の予算で)例年3万~5万円程度の黒字が出ているのが実際のところだ』

 フムフム、なるほどなあ。

 で

『僕の場合、まず月の最初に銀行から現金2万円也を引き出して財布に入れておく。内訳は、現金払いの生活費が1万5000円、予備費が5000円。これで月の食費と日用品、雑貨、交際費、遊興費、医療費、衣料費、交通費(主に電車賃)をすべてまかなうのが基本。光熱費とスクーターのガソリン代は銀行引き落としのため、財布には入れない。
 普段は家計簿をつけていない。その代り、毎日カレンダーのその日の収支を書きとめることにしている』

 食材など通常の出費は一日500円を目安にしているそうだ。なので、月の生活費が1万5000円なわけだ。

 まあ、それもこれも山崎氏が独身だからというのが『年収100万円の豊かな節約生活』を可能にする最大の理由だろう。

 私の場合、夫婦二人と子どもが三人ということで、一番上は幼稚園から大学まですべて私立、二番目は幼稚園・中・高は私立で大学は国立、三番目が幼稚園・中・高・大学が私立だったので、それなりにお金はかかった。ただし、それなりに年収の高い職業に就いていたので、まあ、子どもたちも別に他の子どもと比較してもひもじい生活は送ることなく済んでいた。というか、下二人は大学では体育会系の部活をやっていたので、アルバイトなんかも殆どやっていなかった。

 結局、山崎氏が『年収100万円の豊かな生活術』を実行するのは、好きだった外食生活を止めて、それらの老舗の味を自分で追求するという生活に価値を見いだしたからである。基本的に「料理好き」という面があったからこそ、安い食材で老舗の味を再現させることができ、そこに友人たちを招いてホームパーティーを開くことに楽しさを見出し、友人が楽しんでくれるなら更に美味探究をするという、前向きの回転が可能になっていくのである。

 最後に

『僕のような人間が言うのもなんすが、工夫次第・考え方次第で、生活の質を落とすことなく人生など結構楽しめるものですよ。もしや見栄や体面とかに踊らされていませんか?』

 うん、確かに踊らされている。

 しかし、人間が生きていくのに「見栄や体面」も重要である。

 それを無くして生きていく価値を見いだすのは、相当に「鍛錬」がいる。

 その「鍛錬」ができる山崎氏みたいな人は、是非『年収100万円の豊かな節約生活術』を実践してみてください。

 その「鍛錬」ができない、「普通の人」はちゃんと仕事を持ってお金を稼いでください。

 

『年収100万円の豊かな節約生活術』(山崎寿人著/文春Web文庫/2012年9月20日刊)文春文庫版もある(2014年5月9日刊)

2014年5月14日 (水)

仏教は宗教ではない

 唯一神を持たない仏教が宗教ではないというのは、以前から私もそう思っていて、哲学のようなものかなと考えていたら、科学だっていうから、ちょっとビックリ。

Photo『仏教は宗教ではない~お釈迦様が教えた完成された科学』(アルボムッレ・スマナサーラ、イケダハヤト著/Evolving/2014年3月31日刊)

 で、スマナサーラ師はどんなことを言ってるのか?

『お釈迦様は宗教に断固反対していました。ヒンドゥー教、バラモン教、祈り、祈祷、占い……。そういうものにすごく反対していた』

『お釈迦様はいつでも「調べなさい」「考えなさい」「確かめなさい」です』

『お釈迦様はこう言っています。「もしも、祈ることで何かが叶うのならば、人間は仕事をする必要がないんだ」と』

『人間の言葉よりは、神の言葉のほうが曖昧で中途半端でいい加減なのです。神の言葉は不渡手形のようなものです』

『仏教の経典は、ほとんどが対話です。一方的に私の話を聞きなさいということではありません。一方的に話す場合は、学校の授業のように出家者に対して言っていたんです。出家者は弟子ですから師匠が一方的に授業をすることもあるでしょう。それ以外はすべてダイアログです。対話なんです』

『宗教というのは、常に自分たちの教えが正しく、他の教えは間違っていると言うのです』

『宗教が売りさばいている「学業成就」「商売繁盛」「家庭円満」「夫婦円満」「病気平癒」などの品物はすべて、明るく自由に生きる人間には楽に得られるものです』

『仏教という教えは、その鎖を壊す方法を教えているのです』

『生きることは残酷で「苦」です。ですから、私たちはできるだけ生命にやさしく、協力しながら、燃えるような苦しみを和らげようとしているのです』

『私は、みなさんに「生きることの矛盾」を素直に発見してほしいのです』

『答えは「生きることには、何の意味もない」なんです』

『どれくらい非論理的な感情と闘って勝てるのか、ということがだいじなポイントです。感情に勝てれば勝てるほど、人は人格者として成長するのです。感情を完全に制覇した境地は、解脱というのです』

『瞑想というか実践ですね。科学ですから瞑想とは言いません。実践です。瞑想という言葉はバーリ語で、「バーヴァナー bhavana」というんですね。瞑想と訳すのは間違いで、「バーヴァナー bhavana」というのは「improvement(改善・改良)」、「progress(進歩・発展)」という意味です。「そのままではいけません」と。キリスト教なんかは進化論に反対ですけど、仏教は毎日、「ナノ単位」「瞬間」で変化する考え方ですから、進化そのものなんです』

 う~ん、まだまだ「何故、科学なのか?」が分からない。

 イケダハヤト氏は「あとがき」で『ブッダの教えが科学的であるということを知る、もっとも端的な教えは、本文中にも出てきている「生きることには、何の意味もない」というものだと思います』と書いているが、それ自体は哲学なんじゃないだろうか。

 まあ、哲学も科学の1ジャンルであるというのなら分からないではないが、う~ん、難しいなあ。

 もうちょっと勉強しないとなあ。

『仏教は宗教ではない~お釈迦様が教えた完成された科学』(アルボムッレ・スマナサーラ、イケダハヤト著/Evolving/2014年3月31日刊)Kindle版だけの発売だ。

2014年5月13日 (火)

Fitbit weekly progress report from May 4 to May 10

 Fitbitから毎週のレポート。

 一週間トータルで、83,987歩、58.80km歩いた。体重の変化は0.8kg減少。平均睡眠時間は7時間14分。

 最も活動的だった日は5月10日。14,496歩、10.14km歩いた。この日は新しくできるマンションの内覧会があり、その後、駒込の霜降銀座商店街を通って巣鴨まであるいた。

 最も非活動的だった日は5月6日。3,513歩、2.47km。終日、家に引きこもってある人の本のデザイン、編集を行っていた日だ。近所のコンビニに買い物に行ったのが、せめてもの外出。

20140513_81249

新潟発アイドル Negiccoの成長ストーリーこそ、マーケティングの教科書だ

 Negiccoなんてアイドルグループなんて知らなかったよ。新潟には何度も行ってるのになあ。

Negicco新潟発アイドル Negiccoの成長ストーリーこそ、マーケティングの教科書だ』(川上徹也著/祥伝社/2014年3月20日刊)

 Negiccoとは2003年7月JA全農にいがたの「やわ肌ねぎ」のキャンペーンユニットとして生まれた、新潟市のタレント養成スクール「アップルリトルパフォーマーズ」出身のご当地アイドルだそうだ。

『当時、新潟市内の農産物をブランド化するということで、特産品であるやわ肌ネギに白羽の矢がたった。やわ肌ねぎは、県内の砂丘地を中心に栽培されているネギで、特に秋冬ねぎは甘味が多い。文字通りの越後美人の「やわ肌」を思わせるようなやわらかさが特徴だ。
 広告代理店やテレビ局などによりやわ肌ねぎのPRのためアイドルグループをつくろうというアイデアが出て採用された』そうである。

 一カ月限定のユニットとしてスタートしたNegiccoが何故11年経った今もアイドルグループを続けているのか?

 それも、2005年3月、母体となっていた新潟市のタレント養成スクール「アップルリトルパフォーマーズ」が無くなってしまったのに。

 解散は避けられない事態となったが、そこで救世主が現れる。新潟の古町でライブハウスの運営にか関わっていた熊倉維仁という人がマネージメントを買って出たのだった。さらに、conieという無償で楽曲を提供する人も現れ、新潟の「第1回古町音楽祭」に出場、見事グランプリを受賞、そのご褒美として新潟商工会議所がJR新潟駅前に設置していた大型ビジョンに30分に一度PVが繰り返し放映されるということになった。

 2006年には取引先の音楽会社が倒産し、リリースの継続が絶たれてしまう。

 また、その頃、以前共演したことのある、広島のご当地アイドルだったPerfumeがメジャーデビュー。一方、Negiccoは相変わらず新潟限定のご当地アイドルのままである。

 が、2009年10月、NegiccoはインータネットTV「GyaO」のオーディション番組「勝ち抜き! アイドル天国!! ヌキ天」で見事、三代目ヌキ天クィーンになる。

 が、それでもメジャーデビューの話は実現しない。

 2010年12月に開催されたご当地アイドルNo.1決定戦、U.M.U.AWARD全国大会に出場、全国から集まった地方アイドルの中から見事グランプリを獲得。

 2011年6月にタワーレコードが発信するアイドル専門レーベルT-Palette Recordの第2弾アーチストとしてメジャーデビュー。

 2012年には、代表曲のひとつ「圧倒的なスタイル」がフジテレビ系のバラエティー番組「めちゃ×2イケてる!」のエンディングテーマに採用。11月には日本テレビ「ハッピー Music “ジモドル47頂上決戦”」でグランプリ獲得。NHK Eテレ「Rの法則」で計3回取り上げられるなど、そこはあくまでも「地方アイドル」という括りのなかではあるけれども、全国デビューを果たした。

『「いつか武道館の玉ねぎの下でねぎを振り回す」という昔からの野望も、あながち夢物語ではなくなってきた』というのである。

 では、なぜこのNegiccoが「マーケティングの教科書」なのか?

 Negiccoのファンたちに「なぜファンになったのか?」と質問すると一番多く返ってくる答えが

『なぜか応援したくなる』
『思わず応援してしまう』

 というものだそうだ。

 それは川上氏によれば『ストーリーの黄金律』というものがあるそうだ。

 つまり

①何かが欠落した。もしくは欠落させられた主人公が
②遠く険しいちょっと無理なのではないかという目標・ゴールに向かって
③いろいろな障害・葛藤・敵対するもの・自分自身の弱さなどを乗り越えていく

 という三つの条件をNegiccoたちは持っているというのである。

『地方のアイドルであるうえに何度も何度も挫折を繰り返すという「欠落」を抱えながら、「武道館の玉ねぎの下でねぎを振り回す(=武道館マンマンライブ)」という高く遠く険しい目標にむかって、いろいろな障害や葛藤、自分自身の弱さを乗り越えていく物語。
 Negiccoはまさに、この「ストーリーの黄金律」の主人公そのものだ。
 もちろん本人たちが黄金律を意識していることはないだろう。
 しかし、客観的にみれば、Negiccoを「なぜか応援したくなる」のは、彼女たちがストーリーの黄金律に則った存在だからに他ならない』

 つまり、それがフィリップ・コトラーの言う「マーケティング3.0」に適っているというのである。

『「マーケティング3.0」とは、企業が生活者(お客さん)と一緒に新しい価値を生みだしていくことによって「市場をつくっていく」という手法』が「マーケティング3.0」。

 そのための条件としてひつような「ストーリーの黄金律」をNegiccoは持っていて、だからこそ『新潟発アイドル Negiccoの成長ストーリーこそ、マーケティングの教科書だ』ということになるんだなあ。

 まあ、それは別にNegiccoだけでなくて、多くのアイドル・タレントもそういったものは持っているんだろうけれども、Negiccoに注目するというのは、やはり川上徹也氏がnegiccoに惚れ込んでしまったから故なのだろう。

 川上氏はマーケティングの専門家であり、アイドル評論家ではない。

 そんなマーケティングの専門家を自分たちのファンにさせてしまう魅力って、どんなものだろうか。

 今度、新潟に行ったらそれを検証しよう。

 また、新潟に行く理由ができたぞ。

 フムフム

新潟発アイドル Negiccoの成長ストーリーこそ、マーケティングの教科書だ』(川上徹也著/祥伝社/2014年3月20日刊)

2014年5月12日 (月)

マンション内覧会

 このブログでも何回か書いてきた、私が以前住んでいた駒込のマンションがいよいよ6月12日の竣工を前に、昨日、一昨日と内覧会という、取り敢えず殆ど完成したので、居住(所有)予定者にお披露目をする会が行われた。

2014_05_11_46382

 これがほぼ完成したマンション。

2014_05_10_45832

 私の仕事場になる予定の部屋。ちょっと狭いが、居心地はよさそうだ。

2014_05_10_46092

 ベランダから不忍通りを見る。正面にあるのが、東洋文庫で左が文京区立昭和小学校。東洋文庫の右が駒込警察署で、そのお隣が日本医師会館。奥に見えるのが文京グリーンコート。

2014_05_10_46182

 最後にマンション屋上庭園から見る六義園の緑。

 私がここに引っ越してくるのは7月上旬になりそうだ。

NIKON D7000 AF-S Nikkor 10-24mm @Komagome (c)tsunoken

2014年5月11日 (日)

堀切菖蒲園への正しい行き方

 別に正しい行き方なんてことはないんだけれども、オススメの行き方はある。

2014_05_07_45352

 京成電鉄本線の堀切菖蒲園駅を出たら、ちょっと先の交差点を少しだけ左に行くと、菖蒲七福神がある堀切天祖神社の前に至る。

2014_05_07_45292

 で、その前の道から堀切菖蒲園へ行くのだ。

2014_05_07_45282

 この道が何故かクネクネと曲がっていて面白い。

2014_05_07_45242

 もしかしたら、綾瀬川に注ぐ川かなにかがあって、それを暗渠にしてできた道なのかもしれない。そういえば天祖神社の前はその狭い道の割にはかなり広い歩道がある。もしかしたら、それは川原の名残りなのかもしれない。

2014_05_07_45202

 で、そのクネクネ曲がった道を行くと堀切菖蒲園へ至る。

2014_05_07_45222

 ただし、まだ花菖蒲の時期には早く、今はつつじが咲いている。花菖蒲の見頃は6月とのことなので、その頃にまた来よう。

EPSON RD1s+LEICA ELMARIT 28mm/F2.8 @Horikiri, Katsushika (c)tsunoken

2014年5月10日 (土)

ジロ・ディ・イタリア・スタート!

 今年も三大ツールのひとつ、ジロ・ディ・イタリアのシーズンがやって来た。

 新城、別府両選手も出場している今年のジロ。アシストの期待もいいけど、やはり希望はステージ優勝だ。

 ということで。今日は昨日のダブリン~ダブリンの団体タイムトライアルからスタートした。

 普通は個人タイムトライアルでお披露目をするというのがツールでは多いのだが、団体タイムトライアルというのは珍しい。

20140510_200429で、こちらが今年のジロのコース。

 で、この人が今年のジロの最初の勝利者であり、最初のマリアローザを着たひと。スヴェイン・タフトであります。

20140510_201221

 まあ、多分今日からは下の方に沈んじゃうんだろうけれどもね。

 取り敢えず、一日だけでもマリアローザを着られてたというのは、後々にも勲章になる。

 これから、ジロ・ディ・イタリアに関しては、その時その時で気になった話題を追いかけて書きます。

 いつ書くかは分かりませんが、まあ、お楽しみに……。



『都立一貫校10校の真実』では書けない真実

 すべては当時の小尾乕雄東京都教育長が1967年に手がけ、1981年まで続いた「学校群制度」という『前代未聞の愚策』に端を発する問題なのだ。

Photo『都立中高一貫校10校の真実 白鴎/両国/小石川/桜修館/武蔵/立川国際/富士/大泉/南多摩/三鷹/区立九段』(河合敦著/幻冬舎新書/2013年11月30日刊)

『1960年代、高校の受験競争が大都市部を中心に過熱し、東京都でも日比谷高校や戸山高校、西高校といった戦前のナンバースクールに受験者が殺到するという現象が起こっていた。
 ナンバースクールに入学したいがために、わざわざ住民票をその学校の通学区域に移すという越境入学が、当時はごくあたり前に行われたいたのである』

 それを解消させようと、『ナンバースクールを含めた複数の周辺校を群(グループ)としてくくり、中学生はこの群を受験させることにしたのである。そして合格者はアトランダムに群内の学校に振り分けられる。つまり、自分が入りたい高校を受験者が個人の意思で選べないのだ。
 現在では、到底信じがたいことであろう。まさに人権の無視だといえる』

 私の場合も、まさしくこの1967年の高校入学だったので、その学校群制度の最初の適用者だったわけだ。私は都立江北高校(前身は府立十一中)に入学したかったのだが、結局、偶数順位だったために同じ学校群の都立足立高校(前身は都立足立高等女学校)に振り分けられてしまい、大いにガッカリした経験を持った。これはその後のヤル気にもおおいに影響を与え、希望していた大学にも行けなかった、という副産物を生み出したわけだ(って、学校群制度に無理やり責任を押し付けるな)。

 結局、こうした悪政は受験生を都立高校から引き離し、国立の付属や私立高校受験に向かわせるようになり、その結果、都立高校の大学受験実績ははなはだしく悪くなっていった。それ以前は、都立高校の「すべり止め」だった中堅以下の私立高校に行く人も多くなり、その結果そうした私立高校も「特進クラス」を作ったりして、有名大学への進学実績を上げるようになり、ますます都立高校は嫌われてきた。今や都立高校は受験者がほとんど入学できるようになり、そうなるとあまり勉強しなくても入学できてしまうということになり、そうなると問題行動を起こす生徒や、校内暴力や、中退者が激増するという結果となってしまったのだ。

 その結果を受けて、東京都は単位制高校や、受験指導を行う重点施策校などを作ったり、都立高校にも私立みたいな中高一貫校を作ったわけだ。

 1997年の中教審があげる中高一貫校のメリットとは以下の4点であるそうだ。

・高等学校入学者選抜の影響を受けずに「ゆとり」のある安定的な学校生活が送れること
・6年間の計画的・継続的な教育指導が展開でき効果的な一貫した教育が可能
・6年間にわたり生徒を継続的に把握することにより生徒の個性を伸長したり、優れた才能の発見がよりできること
・中学1年生から高校3年生までの異年齢集団による行動がおこなえることにより、社会性や豊かな人間性をより育成できること

 つまり、そこには「有名大学への進学実績があがること」という、親としては一番気になることには触れていない。そうなのだろうか? 子どもが進学を希望したり、親が子どもを進学させたいと思うきっかけは、やはり「有名大学への進学実績」なのだから、そこに注力して高校を立て直すというのが、一番の道なのだが、やはり公立高校としてはタテマエとしてはそのことには触れてはいけないのだろう。

 とは言うものの、やはり実態はそちらの方だろうし、本音は「有名大学への進学実績」であるに決まっている。都立高校最初の中高一貫校である白鴎高校の場合、平成17年から中高一貫校になったわけだが、特別枠、一般入試とも受験倍率はずっと低いままだったのが平成23年に突如倍率が上がるのだ。その理由は平成17年に入学した中学生が最初に卒業した平成23年、それまで途絶えていた東大合格者がいきなり5名、東大を含む難関国公立に10名、さらに早慶に52名という進学実績によるものだ。

 ただし、都立高校であるから、それほど熱心な受験指導というものはやっていないだろう。むしろ重要なのはどんな生徒がその学校にいるかということなのだ。以前の日比谷高校だって別に受験指導はやっていなかった。それにも関わらず、毎年何十人もの東大合格者を輩出していたのは、やはり厳しい受験競争を経てきた生徒たちのお互いの競い合いから、自然と自ら勉強する雰囲気というものが学校のなかに醸し出されて、その結果としての有名大学への進学実績があがるというものなのだ。

 私の息子が出た開成高校もそうで、毎年母の日に行われる運動会に参加した高校2年生は、その次の日から1年間、その運動会にかかりっきりになる。開成高校の運動会は生徒が自主的に運営するという面白い運動会で、まさしく開成高校生はまるまる1年間、この運動会の準備に没頭するのだ。で、高校3年生に運動会を終えると、次の日からアタマを切り替えて今度は受験勉強に没頭するのだ。この切り替えの良さが開成生独特なのである。

 開成高校というのは「東大に行くのが当たり前だ」というトンでもない「常識」のある学校で、殆どの生徒は東大を受験する。しかし、学校では一切受験指導などは行わないのである。というのも、もともと「できる子」しか入ってこない学校では、別に学校で受験指導なんて行わなくても、生徒が勝手に勉強するし、お互い助け合い勉強をしあうのだ。

 それは開成高校ばかりでなく、灘高校、麻布高校などでも同様であるそうだ。

 つまり、有名大学への進学実績を上げるためには、「できる子」を沢山集めることが一番大事であり、高校での受験指導じゃないことがわかる。つまり「できる子」を集めるためには、受験の際の倍率を上げること。その為に、東大や旧帝大、国公立医大などの難関国公立大学への合格実績を上げること、という具合に順番がある。

 公立高校としては特進クラスを作るなどの受験指導に力を入れることはできない。なので、初めから「できる子」を入れたいという本音があるということがよくわかるところなのである。まあ、都立高校の先祖返りというか、都立の私立化なのだなあ。

 最後に、現在東京都では中高一貫校どころか、小中高一貫校でしかも6・3・3制ではなく、4・4・4制を考えているそうだ。基礎期(小学1年生~4年生)、拡充期(小学5年生~中学2年生)、発展期(中学3年生~高校3年生)に分けて考えるということで、要は受験勉強をやりやすくしようというのだ。しかし、これはまったく意味がない。そんなことをやるよりは、今、ほとんどの中学卒業生は高校に進学するのだから、高校の無償化をするべきなのではないだろうか。

 財政的に問題のない東京都がまず取り組むべきは教育の無償化である。ヨーロッパなんかは大学まで殆ど無償で進めるというのがデフォルトになっている。

 エリートを作ろうというのも分からないではないが、まずやるべきことをやってからにしてもらいたい。

『都立中高一貫校10校の真実 白鴎/両国/小石川/桜修館/武蔵/立川国際/富士/大泉/南多摩/三鷹/区立九段』(河合敦著/幻冬舎新書/2013年11月30日刊)Kindle版も出ているぞ、少し安い。

2014年5月 9日 (金)

『1000年の山古志』を買おう。山古志村への支援になるからね。

 山古志闘牛場で牛の角突きを観た日に買ってきたDVDだ。定価¥10,000(高い!)のところ「被災地限定特別価格¥2,000(安い!)ということで、思わず。

1000『1000年の山古志』(プロデューサー:武重邦夫/監督:橋本信一)

 2004年10月23日(土)17時56分に中越大地震は起こった。震源は小千谷市。しかし、より大きな被害を受けたのは、急峻な山地である旧古志郡山古志村(現在は長岡市山古志地域)だった。

 私が初めて長岡市山古志の虫亀闘牛場に行ったのは2009年のことであり、最初の頃は中越大地震のことはまったく意識していなかった。ただ単に日本式の牛と牛が闘う闘牛というものに興味を持ち、それが意外と東京から近いところで開催されているということを知ったからなのだった。むしろそれから山古志のことをいろいろ調べていくようになった。

 山古志村は民俗学者の宮本常一氏が手伝って村おこしを行った、錦鯉と棚田を牛の角突きの村だ。この山古志地区は隆起した海底がそのまま山になった地域で、その急峻な地形なるが故の美しい棚田や錦鯉の養殖池が有名な地区である。人が住み着いて約1,000年になるという。

 牛の角突きが何年前から行われていたのか記録はないが、元々岩手から牛に荷物を載せてやって来た人たちが、そのまま牛を山古志村で売ってしまって岩手に帰ったところから、山古志の牛の歴史が始まる。同時に、多分岩手の人たちは闘牛文化ももたらしただろうから、人が入植してからかなり早い時期から牛の角突きが行われていたとされている。つまり、牛の角突きも約1,000年の歴史があるという人もいるのだ。

 そんな急峻な地形であるため、中越地震の際にはかなりの地域で山崩れがおこり、道路は寸断され、山古志村は孤立状態になった。全村民2,167名は自衛隊のヘリコプターで長岡市に非難した。死者が2名というのは、それだけ大きな被害が出た割には、まあ少なかったということだろう。10月の17時56分に起きた地震なので多くの人が家の外にいたためだろうか、もしこれが夜中にでも起きたとしたら全壊した家の中で押しつぶされた人が相当出たのではないだろうか。

 映画は農家の上田照枝さん、錦鯉養殖農家の石原正博さん、タカノファームで畜産業の松井浩二さんにフォーカスを当てて、取材する。

 上田さんは7人姉妹の長女として山古志に生まれた。結婚したのかどうかは触れていないが、今でも90歳を過ぎた母親と一緒に暮らしているということは、未婚なのか婿を貰って夫を早く亡くしてしまったんだろう。

 当然、その上田さんの田圃も「棚田」である。なので、なくしてしまった棚田の代わりに国からもらったのも当然「棚田」なのである。まあ、山間の地域であるからそんな棚田しかできないのは無理はない。

 で、そんな棚田だから重機は入れないので、水を引き入れることができない。

 ところが、上田さんは山の上の方の水源から自らホースを引いて田圃に水を引いてしまうのだ。すごいな、このサバイバルは。まあ、こうやって山古志の人たちは、自然からどうやってそれを克服し、自分たちの生活に役立つ方法はないだろうかという、昔からのやり方を身に着けている、本来的な「サバイバルの達人」なんだろうな。

 その辺は、錦鯉の石原正博さんや、タカノファームで畜産業の松井浩二さんなんかも、同じなんだろう。基本的に「山の生活」である山古志に関しては、「人に頼らず自分でやる」という山の生活の基本が出来ている人たちなんだろう。

 勿論、タカノファームは肉牛だけじゃなくて闘牛用の牛も飼っている訳で、その辺でお気楽に闘牛を見物しに行っている私のような人間にとっても近しい存在なんだけれども、でも気になるのは「肉牛」と「闘牛」の分け方なんだよなあ。どうやって、肉牛と闘牛用の牛を分けているのだろうか。どうやって肉牛と闘牛に対する愛情のかけ方を変えているのだろうか。その辺が、私たちのような「串焼きの牛肉を食べながら闘牛を見ている単なる観客」には理解(理会)できないところなのだ。

 東日本大震災でもそうなのだけれども、被災者の大変さは分かるけれども、ある時を過ぎたら被災者の復興を助けるべく動く必要があるだろう。もう「同情」の時期は過ぎたのだ。そこで他の土地からの人間は何をすべきかは最早自明である。被災者たちがやろうとしているイベントや、被災者たちがやっている事業に積極的に参加することである。

 ということで、私も積極的に山古志と小千谷の牛の角突きを見に行って、出来るだけ山古志にお金を落とすようには心がけているんだがなあ。どうでしょうか?

 映画の最後は「古志の火祭り」である。

 まあ、それが最後になることは予想通りなのであるが、それでもパターンを見せられたという気にはならない。何故か、多分、そこまでの部分で山古志復興に賭ける様々な人たちの思いを見せてくれたからなのだろう。

 ともあれ、毎年何度も山古志・小千谷に通っている私としては、再度この「中越地震」というものを思い来させてくれる映画だったし、ある意味で「中越地震」を再認識させてくれる映画でもある。

 最後に、私が山古志闘牛を見に行ったころは虫亀闘牛場で山古志闘牛が行われていたわけなのだが、本来の山古志闘牛は山古志闘牛場で行われていたらしい。が、その頃は山古志闘牛場は改築途中で、その変わりとして虫亀闘牛場で山古志闘牛が行われていたというのが正しい解釈のようだ。

 で、その改築前の山古志闘牛場での神事には「あっちゃん」がいるんですね、まあ、当然ではあるんだけれども、やっぱり、自分が知っている人が映像に写っているというのを見るって言うのも楽しいもんで……。

 なんか、素人っぽい感想ではありました。

Amazonの扱いはないようなので、欲しい人はコチラから

中越大地震をテーマにした映画は、こういうのもある。私は見てないけどね。

2014年5月 8日 (木)

肝が据わった公務員になる!

『大学卒業後、1年間のニート生活を経て1989(平成元)年、奈良県・大和郡山市役所に入った(地方公務員:引用者注)のを皮切りに、在職中に国家公務員I種試験を受け直して旧労働所に入省(キャリア国家公務員:引用者注)、本省の課長補佐で役所を辞めました。その後、公募で兵庫県立大学大学院の助教授(地方の専門職公務員)に転じました。今年(2014年)4月に私立大学に移るまで、公立大学教員を含めて25年の公務員生活を送った』中野雅至氏による公務員として働く上での仕事哲学のあり方に関する本である。

Photo『肝が据わった公務員になる! 新しい仕事哲学と自分の鍛え方』(中野雅至著/朝日新書/2014年4月30日刊)

 今私の身内の一人が公務員試験に挑戦中ということでこの本に興味を持ったわけなのだが、私自身は公務員になるなんて考え方は一切なかったので、それはちょっと不思議なことであったのだ。がしかし、私の姉夫婦は都立高校の教員だったし、父親は文部省(当時)の教育研究所の技官だったし、妻の父親は半官半民の研究所の研究員だったわけで、彼が公務員になるべく挑戦中というのも、なんかそんなDNAがあったのかなと妙に納得した。

 とはいうものの、公務員だって私のような私企業のサラリーマンと同じ労働者な訳で、別に特に変わった仕事哲学なんていらないんじゃないか、と思ったらそうではないようだ。

 まあ、私企業のサラリーマンの場合の仕事の目的ははっきりしている。要は売り上げの向上とコストダウンで、企業の業績(儲け)を最大化するということだ。勿論、それだけが企業の目的ではなく広く社会に奉仕するという目的もあるんだけれども、基本的にはそこには企業が利益を生み出して始めてその他の目的もかなうということがあるだろう。

 しかし、公務員にはそうした「利益」というものはなく、そこにあるのは「公益にかなう」というのが公務員の唯一の存在意義なんだろう。でも、そう考えればその「公益」というものが企業にとっての「利益」と同じものであって、それはそれで公務員であっても私企業のサラリーマンであっても、目指すは一つということではないのだろうか。

 問題は『「全体の奉仕者」という、公務員全体を貫く仕事の哲学があまりにも曖昧模糊としているだけでなく、現実離れしている』ことだという。

 そこで、中野氏は以下の通り結論づける。

『まず、対外的な仕事の哲学はもっと実践的なものを掲げるべきです。仕事をする時、公務員の多くは「私は全体の奉仕者だ。こんなプレッシャーに負けちゃダメだ」とは思っていない。全体の奉仕者はそんな実践的な概念ではない。もっと実践で使えるような仕事哲学を見つけるべきだと思うのです。
 ただ、どのような概念を持ってくるのであれ、公務員全体に適用できる哲学となると抽象的にならざるを得ない。また、公務員の仕事が役所によって相当異なる以上、共通の仕事哲学を本当に作り出せるのか疑わしい。そんなことを考えると、実践に落とし込んだ仕事の哲学に関しては役所毎に違っていい、と思うのです。本来は財務省と厚労省は違った仕事哲学を持っていてもいい。これが極端な考え方であるなら、キャリア・ノンキャリア国家公務員、都道府県職員、市町村職員などで、それぞれの仕事の哲学を作るべきだと思います。そうしないと実地に役立つ現実的なものにならない。
 二つ目は、仕事は自分自身にどう役立つのかなど対内的な仕事哲学については、全公務員に共通するものを作り上げるべきだと思います。理由は今まで述べた通りです。また、これまで全公務員に共通する対内的な仕事哲学を作る努力をしてこなかったからです。さらに、全体の奉仕者ばかりが強調されていて、公務員という仕事が公務員自身にどう役立つのか、その意味づけが遅れてきたからです』

 当然、公務員といったってその仕事は多岐にわたるわけで、その一つ一つの仕事に関する仕事哲学が変わって当然なのだと思っていたのだが、それが「全体の奉仕者」というたった一つの言葉で収拾されてしまうというのはよくわからない。

 つまりそれは憲法第15条の二項に『すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない』と規定されていることから、そんな言葉が一人歩きしているのだという。

 まず「全体」とは何か?

『個々の公務員の立場によって、「全体」の対象は全く違います。
 例えば、国家公務員と地方公務員では仕事を通じて奉仕すべき対象が異なっており、「全体」について共通した具体的なイメージを持つことは難しい。そればかりでなく、時と場合によっては、国全体あるいは産業全体などを優先的に捉えるキャリア官僚の考える「全体への奉仕」と、地域の利益を優先的に捉える地方公務員の考えるそれが矛盾することもあります』

 次に「奉仕」とは何か?

『この言葉も全く公務員には響きません。「奉仕する」という気持ちで仕事をしている公務員など、まずいません』

 当然、公務員も仕事としてそれをやっているのだから、労働の対価を求めるのは当たり前だろう。それは確かに「奉仕」ではない。

 ならば「全体の奉仕者」なんて言葉は憲法だけにとどめておいて、公務員個々で自分のそれぞれの仕事に対する哲学を持てばいいのではないだろうか。

「仕事に対する哲学」とは何か? つまりそれは、それぞれ個々の人たちが、それぞれに持っている「仕事をする際に自分が一番大切にしているモノ」ということだろう。それがない人は、私企業であっても、公務員であってもロクな仕事もできないのである。

 で、そんな『仕事に対する哲学」を持った公務員のことを、中野氏は『肝が据わった公務員』と呼ぶ。

 つまり、「肝が据わった公務員」は、別に公務員でなくても、私企業に行っても同様に「仕事ができる人」になれるのだ。

『肝の据わりを決めるのは、決して性格ではない。仕事に対する姿勢・哲学が生み出すものです。その哲学を支えるのが自己啓発で培われる「どこでも食っていける」という能力です』

 という中野氏の結論は、どんな仕事をしている人にも共通した結論でもある。

『肝が据わった公務員になる! 新しい仕事哲学と自分の鍛え方』(中野雅至著/朝日新書/2014年4月30日刊)

2014年5月 7日 (水)

生田緑地・日本民家園はすごいぞ!

 その昔、枡形城が築かれた川崎市多摩区にある枡形山。そこが川崎市生田緑地なわけだが、その生田緑地で一番大きな施設が川崎市立日本民家園なのである。

2014_05_01_40622

 行く前までは、川崎市内の古民家なんかをいくつか集めて移築したんだろうなんて予想をしていたんだけれども……

2014_05_01_40882

 行ってみたら、福島の宿屋とか

2014_05_01_41002

 飛騨白川郷の合掌造りとか

2014_05_01_40752

 日本中からいろいろな古民家を集めて移築している。

2014_05_01_40882_2

 中にはこんな水車小屋とか

2014_05_01_40712

 沖永良部島の高倉まであって

2014_05_01_40902

 その数、25軒。

2014_05_01_41012

 なかなか見事な「日本民家」群なのでありました。

2014_05_01_41162

 いやあ、ちょっと侮っていましたなあ。

 ただし、山の中のアップダウンの多いところに建っている民家群なので、全部見て回るのは結構キツい。

 生田緑地のサイトはコチラ

 日本民家園はコチラ

2014年5月 6日 (火)

Fitbit weekly progress report from Apr.28 to May 4

 Fitbitから毎週のレポートが来た。

 1週間合計で69,721歩、48.80km歩いた。ちょっと少ない。本当は1週間で70,000歩歩かなければならないのになあ。

 体重は1週間で0.1kg減少。最も重い時で86.7kg、最も軽い日が86.2kg。

 平均睡眠時間は7時間22分

 最も活動的だった日が5月1日。15,944歩、11.2km。

 最も非活動的だった日は4月30日。5,001歩、3.50km。

20140506_92343

小千谷市の橋。ううん、マジソン郡の橋ではないのが別の意味で残念!

『1965年8月8日の朝、ロバート・キンケイドは、自宅の小さな二部屋のアパートのドアに鍵をかけた。
 ~
 2014年5月3日の朝、tsunokenは、自宅の大きな家のドアに鍵をかけた。
 ~
 各種のフィルムが二百本、ほとんどは低感度のコダクロームだ。三脚、クーラー、カメラ三台にレンズが五本
 ~
 SDカードが数枚、デジタルカメラなので感度は関係ない。カメラ二台にレンズが18-105mm、55-300mmの二本。まあ、デジタル時代になってしまって機材の運搬がラクになったことだけは認めよう。
 ~
 それから、国道65号線に出て、月曜日の朝早くデイモンを通過し、一九六五年八月十六日、アイオワ州道92号線を西に入って、マディソン郡に向かった。『ナショナル・ジオグラフィック』の編集部によれば、そこに屋根付きの橋がいくつかあるはずだった。
 ~
 関越自動車道を小千谷インターチェンジで下りて、JR小千谷駅前まで行って、三国街道へ出る。そこから国道291号線へ右に曲がって小栗山に向かった先に「屋根付きの橋」があるはずだった。
 ~
 彼はコダクロームを入れたニコンを取り出し、それを重たい三脚に取り付けた。カメラには24ミリレンズがついていたが、それをお気に入りの105ミリに交換した。
 ~
 tsunokenは取り敢えず、手持ちのニコンD7000に18-105mmズームでもって撮影を開始した。
 ~
 ふたつめの橋の撮影は、順調に進んだ。その橋は谷間にあって、彼が到着したとき、まだ霧に包まれていた。300ミリのレンズで、画面の左上に大きく太陽を入れ、残りの画面には、曲がりくねって橋までつづく、白い岩石の道と橋そのものを入れた。
 ~
 ふたつめの橋もないんだから、取り敢えずtsunokenは55-300mmのレンズで画面一杯に橋とトンネルを画像を入れようと試みた』

 ……というのが、『マディソン郡の橋』のロバート・キンケイドと、tsunokenの嘆かわしい違い。

2014_05_04_41552

2014_05_04_41522

2014_05_04_41582

 さらに残念なのは……

『最低限のどうしても必要な用事を除いて、フランチェスカ・ジョンソンも農場の仕事を放棄した。そして、ふたりはずっといっしょにすごした。話をするか、そうでないときは、愛し合った』

 なんてこともないほどに、日本の農村は疲弊しまくっているのか? というか、そんなセックスしたくなるような農家の嫁さんはいなくなってしまったんだろうか。いやいや、いる筈だよね。メリル・ストリープ位のカミさんならいくらでも……。多分、私が会えないだけ。

 まあ、どうでもいいことなんですけどもね。

 で、この橋は上越新幹線の小千谷市の山間にある。多分、冬季の積雪に備えた「屋根付きの橋」なのでありました。まあ、なので今までも山古志闘牛場に行く時に何回も見てきた橋なんだけれども、どうもネタにするのはどうかと考えていたのだけれども、取り敢えず一回はネタにしたいな、ということでネタにしました。

 すいません。別にメリル・ストリープみたいな農家のカミさんに会いたいわけではないけれども……、でも多少はそんな気持ちはなかったり、あったり……。

 まあ、イタリア生まれのおカミさんが山古志や小千谷にいるとは……、あんまり思えないしね。あ、別に日本生まれでもいいですよ。

 というだけで……、それ以上のことはないです。

Kindle版は英語版だけなんだ。

NIKON D7000+AF-S Nikkor 18-105mm @Odiya (c)tsunoken

2014年5月 5日 (月)

5月4日と5日は山古志牛の角突きの初場所だ!

 さあ、5月3日の小千谷闘牛の初場所の次は、5月4日の山古志牛の角突きの初場所である。

2014_05_04_41872

 3月8日にはあんなにあった雪も、5月になるとこの程度になってしまう。というか今年は積雪は多くなく、例年に比べると早く春がやってきたような山古志地方なのであった。

2014_05_04_42172

「牛の角突きは神事」というだけあって、今年の闘牛の無事を祈って、神主が祝詞をあげ、闘牛場を清める。

2014_05_04_41942

 この人が「勢子兼アナウンサー兼解説者」の「あっちゃん」。同時に「山古志 牛の角突き」ブログの管理人でもあります。普段は長岡市役所の職員だというのだが、よくわからない。

2014_05_04_43182

 山古志の闘牛は、小千谷に比べるとちょっと規模が小さい。前日の小千谷闘牛は21の取り組みがあったのに比較して、5月4日の山古志闘牛は14番。ただし、5月は5日に連日で闘牛を行うので、二日合わせれば山古志も27番の取り組みがあるのだ。

 勢子の服装も、そろいの法被を着ている小千谷に比較して、山古志はTシャツだったり、それぞれ自由なものを着ている。

2014_05_04_42472

 で、昨日は一番取り組みの「岩手 柿之花vs.大阪 山仁」から始まった。両牛ともまだ3歳と若い牛で、この闘牛がデビュー戦。ということで、綱をつけたままの試合となった。

 まあ、でも秋になればこの綱もなく、自由に戦えるようになるんだけれどもね。

2014_05_04_42522

 これもまだ若い5歳牛同士の戦いだ。

2014_05_04_42682

 こんなブナ林のなかで牛の角突きが行われる。

2014_05_04_42602

 勢子もかなり大変な仕事(と言ってもギャラが出る訳ではない)で、こんな感じで牛に振り回されて転がったりする。

2014_05_04_42842

 で、結びの一つ前の対戦(大久保 角蔵号vs.木篭 黒龍)でアクシデント発生!

 体重が1トンを超える黒龍の鼻を持っていた勢子が、対戦直後黒龍に引っ張られ転倒、その上に黒龍の足が乗ってしまったのである。

 勢子はすぐに場外へ運ばれて、救急車で病院に行くことになった。まあ、意識はあるので内臓破裂とかじゃなくて、骨折くらいだろう。

 
2014_05_04_43492

 ということで、試合は結びの一番。「中野 庄八vs.岩手 支援ありがとう号」である。

 支援ありがとう号は、岩手の柿之花牧場の牛で、ここ山古志闘牛には毎回数頭参加している。

 で「支援ありがとう」とは東日本大震災への支援に感謝ということで名付けられた牛で、今から10年前の中越大地震の際の岩手県の人の山古志支援に、今度は山古志が福島などの東北支援をしたことへのお返しという意味なのだ。

 というところで……

山古志闘牛の開催日は

5月4日(祝)、5日(祝)

6月8日(日)全国闘牛サミット記念大会、29日(日)

7月20日(日)

8月3日(日)、15日(金)

9月14日(日)、21日(日)

10月12日(日)、19日(日)震災10年復興感謝大会

11月3日(日)

13:00~16:00頃

入場料 2,000円

2014年5月 4日 (日)

小千谷牛の角突き・初場所

 5月3日は小千谷の牛の角突きの初場所である。

Photo_19

 ということで、小千谷へ行ってきた。

Photo_22

「みまもり岩」も健在だし

Photo_20

 当然、よし太くんも健在である。

Photo_27

 なおかつ、この小千谷弁丸出しのアナンサーのおじさんも健在である。

Photo_24

 ということは、この菅豊氏も健在であるということなんだあ。

 Photo_25

 この菅豊氏ってのは、東京大学の民俗学の教授なんだけれども、その研究のあまり、自ら牛持ちになってしまった人なのだ。

Photo_21

 で、その菅氏の持ち牛がこの「天神」なのだ。勿論、牛の鼻を引いているのは菅先生。

 結びの前に取り組みを行うとことまでに出世したのであります。まあ、横綱級ってとこですね。

Photo_26

 で、結びの一番は、この「新将vs.拓輝号」戦。

 で、今日・明日は山古志の闘牛だ。

小千谷闘牛の開催日は

5月3日(祝)

6月1日(日)

7月6日(日)

8月14日(木)

9月7日(日)

10月5日(日)

11月2日(日)

それぞれ13:00~16:00頃

入場料は

一般席 1,000円(屋根がない)

特別席 2,000円(屋根がある)

2014年5月 3日 (土)

上野千鶴子の選憲論

 まあ、これが「憲法記念日」らしい企画かな、ということで……。

 上野千鶴子氏の言う、「護憲」でも「改憲」でもない、「選憲」ったって、結局それは改憲なわけなのである。

 むしろ、自民党の言う「改憲」の前で、結局何もしない「護憲」、後ろ向きに「保守」するだけの「護憲」ではなく、もっと違った立場から積極的に「改憲」をしようというのが「選憲」なわけなのだな。

Photo『上野千鶴子の選憲論』(上野千鶴子著/集英社新書/2014年4月22日刊)

 つまり

『憲法に対する選択肢は。ざっくり分けて次の三つがあります。護憲か改憲かの二者択一に加えて、ここでわたしは選憲という第三の選択肢を示したいと思います。
 第一は改憲です。自民党は改憲派です』
『第二に、それに対して護憲という選択肢があります。憲法は今のままでよい、変える必要はない、という立場です。
 ところが、改憲か護憲かという対立に、奇妙にねじれが起きています。
 いまのままではよくないから変えようという立場を、ふつう革新派とか改革派と呼びます。いまのままで変えなくてよいから、現状を維持しようという立場を、保守派とか旧守派といいます。ということは、改憲派の人たちが改革の旗手であり、護憲派の人たちは保守派だということになります。
 かつての保守対革新の構図が、憲法に関しては攻守逆転してしまいました。どんなゲームでも、攻めと守りの対立では、攻めのほうがどうしても勢いがあります。守りの側は、土俵際に追い詰められがちです』

『これに対してもう一つ、第三の選択肢が選憲です。選憲とは、現在ある憲法をもう一度選びなおしましょうという提案です』
『同じ憲法を、もう一度、選びなおしたらいいではありませんか。だって、もう七十年近くもたつのだから。できてからおよそ七十年、手つかずのままの憲法は諸外国にもめったにありません。アメリカ合衆国憲法も、ドイツ連邦共和国憲法も、なんども手直しされています。憲法は変えてならないものではありません。金科玉条のように「守れ」と言わなくてもよさそうです』

 ということで上野千鶴子氏のいう選憲でまず一番最初に直したいのは日本国憲法第一章一条の「天皇」の項なのだ。

『象徴天皇制というわけのわからないものは、やめてほしい。これがある限りは、日本は本当の民主主義の国家とはいえません』
『もし選憲するのであれば、日本に共和制国家になってもらいたいと私はつよく思います』

 つまりこれは自民党案とは別の意味での「改憲案」なわけだ。

 というのだが、むしろ自民党憲法草案では「象徴天皇制」から「天皇元首制」にして天皇の立場をより強くしようというのだから、真っ向から反対の提案である。

 私も日本が共和制にならない限り、本当の民主主義は根付かないと考えているが、だからと言って天皇廃止論というのはかなりこの国では難しい提案であろう。つまり、それは革命でも起きない限り「あり得ない」テーマである。

 およそ世界の国々でも、平和的に憲法改正で王政から共和制になった国なんかはなく、すべては革命によって王政が倒されている。ところがこの国ではまず革命は不可能であろう。それくらい日本国民は変化を好まない人種なのだ。

 でも、多分この国の天皇は共和主義者が「天皇制を廃止せよ」と声高に宣言し、それが国民の大勢になったら、多分、自ら天皇制の廃止を告げてしまい、国民を二分するような闘いには持って行こうとはしないような気がする。

 それくらい、日本の天皇は(今では)闘いを好まない家族であるようだ。

 但し問題は、天皇制を廃止し共和制になった時に、多分それは首相公選制かあるいは大統領制になるのだろうが、そうなると強大な権力をもった首相・大統領が登場することになる訳であり、その方が政治的に中立な天皇がいる現在よりも、日本はより危険な方向に行きそうな気がする。

 上野千鶴子氏が書くように

『天皇の威を借りて、敗戦直後の混乱のなかにある日本国民を統治しようとした占領軍の創作物、象徴天皇制というものが、統括戦略としてはウルトラC級の見事な作品だったことがわかります』

 という通りなのだ。

 結局、自民党も憲法9条改正が現実的でない、意外と九条擁護派が自民党支持者の中でも多数派だということに気が付いたので、むしろ憲法改正はせずに解釈改憲の方向に舵を切ったのだろう。

 しかしまあ

『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』

 と言いながら、いまや堂々とアジア第2位の自衛隊という軍隊を持って、国連平和維持作戦といいながら海外派兵もする日本って、まさしく「ホンネとタテマエ」の国、日本らしくていいですね。

 これこそ、本当に日本(あるいは日本人)らしいありかたなのかもしれない。

 じゃあ今の憲法でもいいじゃないか。

 あ、それを選びなおそうっていうことですね。

 それが「選憲論」。

『上野千鶴子の選憲論』(上野千鶴子著/集英社新書/2014年4月22日刊)今のところはKindle版は出ていないようだけど、すぐに出るだろう。

Kindle本 ゴールデンウイークセール

2014年5月 2日 (金)

ロボット革命が切り開く人類の未来

『ニューズウィーク日本版』4月29日/5月6日号のカバーストーリーは『ロボットと人間の未来』。

 きっかけはグーグルが、アメリカ国防総省の防衛先端技術研究計画局(DARPA)が行ったコンペで1位をとった、災害救援の人型歩行ロボットなどを開発した、東京大学情報システム工学研究室から生まれたベンチャー企業SCHAFTや、米軍の資金援助で四足歩行ロボットやヒューマノイドを開発したボストン・ダイナミクスなどのロボット関連の先端技術を持つ8社を買収したことなんだろう。

Photo『ニューズウィーク日本版』4月29日/5月6日号(阪急コミュニケーションズ)

 記事の中身は

テクノロジー ロボット革命が切り開く人類の未来
■歴史 ロボット開発の4世紀の軌跡
課題 避けて通れないリスクと責任
Q&A 「ターミネーター」を禁止せよ
軍事 兵士とマシンの奇妙な愛情
日米 鉄腕アトムをあきらめないで
■比較 こんなに違った日米のロボット観

これまで日本のロボット技術はハードウェアやメカトロ志向できており、それを制御するソフトウェアやセンサー技術や処理技術などはアメリカに比べて立ち遅れていた。一方、ソフトウェアの研究開発が進んでいるアメリカでは、ロボットの自動化、知的化への可能性が出てきており、それが人々の懸念の材料になっているようだ。

 例えば、米ノースロップ・グラマン社のX47Bという無人戦闘機は、今は人がコントロールしているが、これにAIを搭載して完全に無人で飛んで無人で敵に攻撃を与えるようになった場合に、本当にそんな無人戦闘機が戦闘員か市民か、大人か子どもかを完全に区別ができるのだろうか、攻撃が本当に必要な局面かどうかを判断することができるのか、という懸念があるのだ、という。

 日本では、ロボットというと「鉄腕アトム」とか「ドラえもん」とか、基本的に人間から愛されるキャラクターというものが基本になっていて、ホンダのASIMOとか、宇宙開発のKIROBOなんかもそんな方法論の延長線上にある。ところが、そんな「性善説」とは違う立場にいるのが、西欧人なんだなあ。彼らは基本的に「性悪説」なのである。

 基本的に「他所から来た分からない人たちは、自分を困らせるだろう」というのがあって、でもそんな彼らと一緒に暮らさなければいけないから、その為の「法律」とか「村の定め」とかを決めたわけだ。

 つまり、欧米人にとっては「ロボット」というの、「フランケンシュタイン」とか「ターミネイター」とか、基本的には今に生きる人間にとっては「性悪説」の中の人(?)たちなのだ。これには基本的にはキリスト教の考え方があったようで、人を作るのは神の仕事であり人が人を作るというのは、こうした神への冒涜であるという考え方だ。

 アイザック・アシモフのロボット工学三原則

『第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない』

 というのも、そんな「他所からの人」に対する恐れというものが関係しているのかも知れない。

 なので、欧米ではロボットというと産業用ロボットというのがその開発の基本であり、それをどうやってコントロールするのかというソフトウェアや制御技術がこれまでのロボット開発の中心だった。

 ところが、産業用であれなんであれ、基本的には「人間のやることを如何にして機械にやらせるか」というロボット開発の目的に沿った考え方からすれば、その究極的な姿は結局「如何に人に似せるか」ということになるのである。

 しかし、そういうことになると先のX47Bの問題ではないが、AI(人工知能)でどこまで人の代用になるのかという問題がある。

『AIこそ今世紀最大のリスク要因だ』という考え方もあるようだ。

『意識のある人間の脳(と体)には人権があり、脳の一部を別のもので置き換えても脳として正常に機能していれば完全な人間でなくても「人権」があると見なすことができる』

 というまさしく「ロボコップの人権」とか「草薙素子の人権」だとか、そんなものがあるのか? という疑問も出てくるが、更には

『脳や体の半分以上が人工物なら人間よりロボットに近く。「ロボットの権利」という問題が現実味を増すだろう』

 なんて訳のわからない問題も起きてくる。まさしく、アシモフのロボット三原則を真剣に考慮しなければならない時代がやってくるということなのだろう。

 更に現在大きな問題となっているのはロボット兵器というか戦闘ロボットの問題だ。現在はまだ人が最終的な判断をして戦闘を行っているが、それが自律的に判断をして人を(あるいは敵ロボットを)攻撃するようになると、その倫理的な判断はどうするのだろうか、という問題にはまだ誰も答えを見いだしていない。

 なんてことを考えながら5月1日の朝日新聞を読んでいたら一面に『ロボットビジネス 主役交代 挑む孫氏 ソニーは撤退』という記事が。フランスのロボット・ベンチャー、アルデバラン・ロボティクスの大株主がソフトバンクという記事。ただし、そのソフトバンクもアルデバラン・ロボティクスが開発し販売しているロボット「ナオ」の使い道には困っているようで、取り敢えずはマスコットロボとしてしか考えていないようだ。

 まあ、日本のようにこうした平和的な方法でしかロボット技術を考えていない国は珍しく、海外では基本的にロボットというと兵器という風に考えている国の方が多いようだ。まあ、確かにその方が大金をロボット開発に注ぎ込むことができるしね。

 まさしく孫氏が言っているような

『脳型コンピュータがモーターという筋肉と合体するとロボットになります』

 ということが実態として感じられる時代になったんだな。

『ニューズウィーク日本版』4月29日/5月6日号(阪急コミュニケーションズ)

2014年5月 1日 (木)

『だから日本はズレている』でいいのだ。

 今日から五月だ、と言っても関係ないじゃんという人には本当に関係ない。取り敢えず、私だけに関係あるんだ。

 まあ、それは別として、下記のお話しを読んでください。

 実は「だからなんでって言うんだよぅ」ってのが、本心なのですが……。

<以下、真面目に>

『大きく分けて本書は二つのパートに分けられる。前半は、文字通り日本の大きな「ズレ」に焦点を当てる。そして後半では、「ズレ」の中でもがき苦しむ「若者」たちを描いていく』

 ならば、どんな「ズレ」があるのか各章ごとにキー・フレーズを上げながら見ていこう。

Photo_2『だから日本はズレている』(古市憲寿著/新潮新書/2014年4月20日刊)

「リーダー」なんていらない
『いくら小さな集団でもリーダーは優秀なほうがいいが、フォロワーが一緒になってリーダーを育てていけばいい。うまくいかなければリーダーを替えればいい。別にリーダーだからって、24時間リーダーである必要はなくて、ある時にはリーダーになり、ある時はフォロワーになればいい。それでも厳しいなら、その集団を解散して、また新しいことを始めればいい』

「クール・ジャパン」を誰も知らない
『要するにクール・ジャパンとは「ジャパンブランドによる外貨獲得戦略」である。別に日本文化論を語らずとも、いかに「日本」というブランドを使って外貨を獲得できるかということを考えれば、議論はもっとシンプルになる』

「ポエム」じゃ国は変えられない
『そもそも、国民的な経験に根ざさない憲法や建国の理念は、結局国の形を何も変えないだろう。革命や独立に代わり、かろうじて日本における国民共通の記憶と呼べそうなものは、およそ70年間続いた「平和」意識くらいだ。良くも悪くも、治安が良く、平和であるという意識だけは国民の間で共有されている、だとすれば、「平和」意識から乖離した憲法が国民から受け入れられることはないだろう』

「テクノロジー」だけで未来は来ない
『新しい技術を用いたところでそれが作り手の思った通りに活用されるとは限らない。しかも、そのテクノロジーというのも、往々にして不完全なことが多い。技術だけで社会は変えられそうにない』

「ソーシャル」に期待しすぎるな
『「マスメディアの時代は終わり、次はネット時代だ」と言われることがある。しかしそれ自体が一つのメディアが世の中をくまなく覆い尽くす、というマスメディア時代の発想だ。実際は、両者が共存していくに過ぎない。ソーシャルメディアに過度に怯える必要はないが、必要以上に期待をしても仕方がない』

「就活カースト」からは逃れられない
『就活というのは、自分を売り込むという最も簡単な営業の一つだ。自分さえも売り込めない人が、社会人になった時。誰かが作ったモノを売り込めるかは怪しい。何かを「売り込む」というのは、もはや文系や理系と問わず必要とされるスキルである。
 就活を楽しめる人は、たぶん入社後も働くことを楽しめる。そして就活が大変だった人は、たぶん働いてからも大変だ。日本で生きる限り、就活カーストの呪縛から逃れるのは、難しい』

「新社会人」の悪口を言うな
『新入社員が使えないのは当たり前である。仕事ができないのも当然である。
 なぜならば、「仕事ができる」というのは多くの場合、その人が所属するコミュニティや業界のルールを多く取得できたかということに依存しているためだ』
『「新社会人」の悪口を言うくらいなら、彼らの活用方法をきちんと考えてあげてほしい。しかもそれは、若者のためというよりも、企業のために必要なことなのだから』

「ノマド」とはただの脱サラである
『ではなぜ「自由」を求める議論は繰り返し亡霊にように現れてくるのだろうか。それはノマド論信者の多くが、雇われて働く人だからだろう。日本において就業者総数に占める雇用者(雇われて働く人)の割合は実に約8割。
 つまり「自分らしい生き方」や「会社に頼らない働き方」は、あくまでも夢だからこそ、繰り返し何度も語られるのだ』

やっぱり「学歴」は大切だ
『アメリカでは社会で成功する要因として51.7%、イギリスでも37.4%の若者が「学歴」が重要だと答えているのに、日本ではそれが10.4%に過ぎない』
『社会階層上位層のほうが、授業の理解度だけではなくて学習意欲が高いのだという。
 一方で、社会階層下位層では「努力」からの撤退が起こっている。彼らは学校で学ぶ意義を見つけられずに。将来よりも現在を楽しもうとする。結果、勉強を頑張るよりも「自分探し」に奔走するようになるという』
『きちんと勉強をして、「いい大学」に入り、「いい会社」に入るというのは、とても効率のいい人生だ。漫画家になるための王道はないが、東大をはじめとした「いい大学」に入るためのメソッドはたくさん開発されている』

「若者」に社会は変えられない
『アメリカという国にはわかりやすい「貧困層」と「富裕層」が溢れている』
『やはり若者のデモが盛んなヨーロッパも、若年失業率がとにかく高い』
『2013年に内閣府によって実施された「国民生活に関する世論調査」によれば、現在の生活に「満足している」と答えた20代の割合は78.4%にも達する』
『社会は、ちょっとずつ変えていくしかない。ということは、社会をよくするためには「静かな変革者」を少しずつでも増やしていくしかない。
「静かな変革者」と対照的なのが自称「保守」の人々の間に広がる相互不信や他者攻撃だ。誰かをバッシングして自分のちっぽけな自尊心を満たすぐらいなら、実際に日本の役に立つことを出来る範囲で、明日から始めたらいい。少なくない若者たちは、既に動き始めている』

闘わなくても「革命」は起こせる
『かつての対抗文化運動を知っている人からすれば、「暮らしの実験室」や「One Kitchen」はとても社会運動には見えないだろう。確かに彼らは、資本主義や消費社会に対する違和感を表明はするが、真正面からそれに立ち向かっているようには思えない。
 闘うのではなく、むしろ降りている』
『明治維新から一世紀半、戦後およそ70年。僕たちの暮らすこの社会は、少なくとも人の一生分くらいは古い。高齢者がある日突然それまでの価値観を捨てることが出来ないように、この社会も突然には変わらない。社会全体を無理やり変えようとしても、ダイエットのようにリバウンドするのがオチだ』
『「やさしい革命」は、「今、ここ」にいる「僕たち」を充実させることから始まる』

このままでは「2040年の日本」はこうなる
『この絶望の国に終焉は訪れるのだろうか』

 うーん、こうやってエッセンスだけを抽出してみると……、なんか当たり前のことばっかり言っているように思える。

 そうか、「ズレ」というのは当たり前のことであるのだなあ。「おじさん」と「若者」は当然に「ズレ」ているし、我々が目指そうとしている社会と「今ここの社会」も「ズレ」ている。そんな「ズレ」を何とかしようとして、我々は生きているのだし、だからこそそこに「生き甲斐」なんてものを持ったりするんだろう。

 ということは、世の中すべて「ズレ」ているのである。

 それでいいのだ(@バカボンのパパ)

『だから日本はズレている』(古市憲寿著/新潮新書/2014年4月20日刊)Kindle版はまだ出ていない(いずれ出るだろうけれども)

Kindle本 ゴールデンウイークセール

« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?