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2014年2月

2014年2月28日 (金)

『「2つの名刺」を持ちましょう』で大切なこと

 まあ、そういうことなんだよな。

 取り敢えず会社から支給される名刺はひとつあるとして、それだけでは「何も自分を語った、自分を演出した、自分をイメージさせる」名刺にはなっていないってことなんだよなあ。

Photo『「2つの名刺」を持ちましょう』(後藤光正著/ナナ・コーポレイト・コミュニケーション/2012年10月13日刊)

 実は私もサラリーマンをやっていた頃から、もう一枚の名刺を持っていた。

 最初の名刺は、単に会社のものだけではなくて、自分の住所や電話&FAX、メールアドレスが書かれた名刺だ。要は、会った人によって会社の名刺だけを渡す人、自分個人の名刺を渡す人を分けて、そんな名刺を渡していたわけだ。

 その次は、ブログを始めた4年前。当然、ブログのURLが名刺の書きこみ情報に加わったわけだ。勿論「著述業&写真家」という勝手につけた肩書は、その頃から入れ始めたかな。まあ、両方とも資格とかはいらなくて、自分で名乗れば出来ちゃう肩書だからね。

 しかし、どうもそれだけでは面白くないなと、私は考えた。で、その後に作った名刺には「本のこと 映画のこと 写真のこと 毎日1冊 毎日2000字」という、ブログのキャッチフレーズを付けたわけだ。

 で、その結果どうだったのかというと、別にどうもなっていない。前と変わらぬアクセス数ではある。当たり前である。そんな「個人マーケティング」なんだからね。

 でも、後藤氏の言う『「2つの名刺」を持ちましょう』というのはちょっと違うようだ。

・名刺は分身
・名刺はラブレター
・名刺は宣言書
・名刺はビジョン・ボード
・名刺はキャッチボールを生む力』

 という「自分名刺」の持つ力という部分で行くと、私の名刺は「ラブレター的要素」「ビジョン・ボード的要素」はないかもしれない。基本的に自己PRであり、肩書を見たり、キャッチフレーズを見たりして興味を持った人との会話の糸口にはなっている。

 勿論

『やりたいことより、やるべきことが多い人生』
『やるべきことより、やりたいことが多い人生』

 どちらの人生がいいですか? と聞かれれば、私も当然「やるべきことより、やりたいことが多い人生」である訳だし、ブログを書くこともそのひとつであったりする。

 後藤氏は現在30代の創童舎という仙台にある広告制作会社のサラリーマンである。この創童舎という会社はちょっと面白い会社で、「センダイ自由大学」というイベントを運営していたり、「東北文庫」というサイトを運営したりしていて、単なる広告制作会社という部分からはちょっとハミ出した活動をしている会社だったりする。

 そんな会社であるからこそ、後藤氏の「名刺セラピー」なんていう活動もアリで、面白い。

 で、後藤氏の「名刺セラピー」とはどんなもんだろうか。

「名刺セラピー」のワークはまず「自分分解」で自己表現の材料を集めることから始まる。

ワーク1 自分分解「私は○○」である。
ワーク2 自分力の棚おろし

 そして、その自分分解で棚おろしをした「自分がどんな人なのか」を使って「自分名刺」をつくるのである。

1日目:その「自分名刺」、誰に渡したいですか?
2日目:「自分メニュー」を考える
3日目:「あなたは誰ですか?」ひと言で自分を表すキャッチフレーズを考える
4日目:あなたを伝える3つのポイントを考える
5日目:あなたが伝えたいことを100文字で表現してみる
6日目:「自分プロフィール」を考える
7日目:出会いを引き出す「自分名刺」づくり

 こうして作った「自分名刺」。会社の名刺よりも先に相手に渡すのがポイントである。つまり、会社名刺では所属や肩書、連絡先が書かれているだけなので、もらった相手も何を話せばいいのかがわからない。しかし、「自分名刺」なら、渡したあなたについて、いろいろな引き出しを持っているので、相手がその中から気になったことをあなたに尋ね、そここから話が広がってくるのである。

 と言っても、なかなか自分名刺から相手に渡すというのも難しい。そんな名刺を出してしまったら「何て人だ」などと思われる可能性もある。私は基本的に、自分名刺を渡そうとした人には、会社名刺と自分名刺を一緒に渡していた。これなら、相手から「何て人だ」と思われることもなく、同時に自分名刺に書かれた「興味ある部分」にも目がいくので、それを話題にすることも可能だ。

『「自分名刺」で、相手の興味を喚起し、そして最後に、「会社の名刺をまだお渡ししていませんでしたね」と言って、会社名刺を渡せばいいのです』

 というのは、ちょっと高等テクニックかも知れない。

『私はみなさんに、「自分名刺」をつくることで、自分のセルフイメージをアップしながら、どんどん行動的になっていってほしいと思います。ですから、「自分分解」や「自分の棚おろし」で思い出した、大切なこと、やりたかったことにもう一度、目を向けてほしいのです』

 というところがポイントなのであろう。

 つまり、自分名刺を作るためには、自分自身のことを自分自身でよく理解していなければならない。そして、その時に「本当になりたい自分」が見えてくるのであろう。

 むしろ、それが一番大事なのである。

『「2つの名刺」を持ちましょう』(後藤光正著/ナナ・コーポレイト・コミュニケーション/2012年10月13日刊)紙版は2011年3月24日刊。Kindle版は1,015円も安い!

2014年2月27日 (木)

Cloud Days Tokyo 2014 Spring

 2月26日と27日は「Cloud Days Tokyo 2014 Spring」が開催中だ(「Big Data Expo Tokyo 2014 Spring」「Security 2014 Spring Tokyo」「Smartphone & Tablet 2014 Spring Tokyo」と共催)。

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 クラウドとビッグデータは同じ相性のモノであるから、基本的には同じ会場で共催される意味はあるだろう。同時にセキュリティも同じ情報セキュリティという観点から、企業にとってはある意味重要である。

 しかし、スマートフォンやタブレットというのが同じ場所で開催されているっていうのは、ちょっと分からない。がしかし、企業でタブレットを導入したりしている所もあるのだから、そんな部分での共催なのかな。

 いずれにせよ、基本的にはビジネス・ユースが前提の技術であるから、会場の展開は地味で、CEATECなどの一般向けイベントではないから、実質的ではある。

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 じゃあ、そんなイベントに何で毎年行くのかと言えば、別に私が自分の仕事にクラウドを導入しようとか(まあNiftyは一種のクラウドではあるけれども)言う訳ではなく、要は現状はどうなっているのかを確認するためである。

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 なので、取り敢えず会場を一周するとほとんど目的は果たしてしまって、あとは周囲をブラブラするだけ。

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 まあ、そんな興味のある方は、是非会場へご足労を。

Cloud Days Tokyo 2014 Springは2月27日までホテル・ニューオータニで開催。公式サイトはコチラ

2014年2月26日 (水)

The new mailmagazine from Mr.Chris Guillebeau titling "How to Start a Successful Blog."

 クリス・ギレボー氏の新しいメールマガジン&サイトの案。

 タイトルは"How to Start s Successful Blog"(どうやってうまくいくブログを始めるか)。

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クリス・ギレボー氏のサイトはコチラ

『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』

 ポイントは三つ。一つ目は、ネットの普及によって「書きことば」が急速に衰退していき「ネットことば」に置き換わっている、ということ。二つ目は、それによって国民国家というものも衰退し、経済のグローバル化によって日本語自身も衰退していく、ということ。三つ目は、しかしそんなネットによって「つながる」ということが、実はつながっていないで、個々の人間は逆に個々に閉ざされてしまう、ということ。

Photo『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』(藤原智美著/文藝春秋社/2014年1月30日刊)

『ネットことばは紙の書きことばに近いようでありながら、話しことばのようなスピードで文章がつくられていいきます。典型はメータイメールです。そこに推敲や熟慮など入りこむ余地はないようにも感じます。またネットことばでは相手の顔も見えなければ、電話のように声も聞こえてきません。これは書きことばと同じなのですが、ことばを書きこむスピードは会話と同じです。会話のようでありながら相手の顔も声も分からないというネットことばの特性を、ぼくたちはまだほうとうに体得してはいないのです』

『国民意識はその国のことばによってもたらされるといっても過言ではありません。そしていうまでもないことですが、その共通の書きことばが、国のさまざまな決まり事を内外に明示して、国家を言語的にたばねています。まず憲法と法律があります。それらを網羅した六法全書は六〇〇〇〇頁をこえます。さらに判例や条例があり、膨大な数の行政文書、国会や地方議会の議事録など、近代以前の領主や王などによる統治にくらべると、国民国家の仕組みははるかに複雑でこみいっていて、組織として体系化するためには、膨大な書きことばが欠かせません』

『英語による他言語の駆逐という数百年つづいた言語運動が、ここにきて加速化し、いよいよ世界語としての覇権を確立しようとしています。近代以降の世界を言語という尺度で見ると、さまざまな言語が入り乱れた言語闘争の歴史だったことが分かります』

『このような社会の英語化は新しい格差を生むでしょう。英語がうまくなれなかった人と、うまくなった人との格差です。英語をある程度使いこなす一部の人と、日本語しか使えない多くの人のあいだには新しい明確な壁ができます。いままでエリートといわれたきた層でも、かならずしも英語力は問われなかった。しかし、それもなくなるでしょう』

『ネット上のことばはモノ化(たとえば紙に書く)させる必要もない。デジタル化、すなわち情報化させればいいのです。情報化でネットにアップされたひとつの文書は無数にコピーされます。しかも瞬間的に全地球規模で伝えることもできる。この記録性、伝達性はモノ化した書記言語とは次元の異なる便利さを発揮します。
 さらにネットは一方通行ではなく、たがいに瞬時にことばをやりとりできる。まるで会話するようにネットことばを交換できます』

『楽天的なものとしては、二一世紀のネット社会がマクルーハンが構想した中枢神経が身体の外に拡張し、それらがつながった地球村のような共同性を獲得するもので、悲観的な見方としては、ジョージ・オーウェルがSF小説『一九八四年』で描いたような人の心理までコントロールされた高度な管理社会になっていくというものです』

『ネットというと全地球的に開かれたオープンで自由に使える道具というイメージがありますが、じつはパーソナライゼーションによってきわめて限定された狭い世界を行き来しているだけで、なおかつネットからはあなた自身のすべてを推測され、読みとられているということもありうるわけです』

『書きことばが衰退するということは、読む力も衰退するということです。よって読者の力も同時に衰えていきます。現在、紙に書かれる文章も歎文化が進んでいますが、短文しか読まない読み手がふえているからにほかなりません。長文を読めない人がふえているのです。
 ネット上では「長々と書いて説明しなければならないのは、そもそもダメなアイデア」と見なされています』

 という具合に読み進めていくと、なんかネット(及びネットことば)によって、我々の社会は衰退していき、英語による言語格差(それは経済格差でもある)が進行し、それこそ国民国家が滅亡していきそうな勢いである。「グローバリズム」というのは国家の発想ではなく、企業の発想であるし、英語化というのも国家の発想ではなく、企業の発想だ。となると当然、ネットによって出来上がるこれからの世界は、国民国家という発想はなくなってしまって、全地球国家のようなものになってしまうのだろう。

 しかし、その全地球国家はマクルーハンが楽天的に予想したような地球村ではなく、やはりオーウェル的な全体主義国家になっていくのではないだろうか。グーグル、アマゾン、アップル、マイクロソフトなどのアメリカ企業がビッグブラザー群となって、ビッグデータで国民全体を把握し、洗脳するような全体主義国家だ。

 そんな国家に対抗するために、「長々と書いて説明しなければならないのは、そもそもダメなアイデア」と言われようとも、私のブログは2,000字以上を書き続けるのである。

『書くことは思考であり、その思考を深めること、継続することで、生きのびる力を得ることができる』のであり、『結局は社会を形成することばの軸が、書きことばからネットことばへと移行しつつあるだけなのです。書きことば中心の近代社会であっても、人々の日常は話しことばなくしては成り立ちません。ネットことばの時代となっても、日常から紙とインクの書きことばがすっかり消えてなくなるのは、もっと先のことでしょう』いやいや、『すっかり消えてなくなる』ということはあり得ないのだ。

 ネットであっても、そこにはネットことばだけではなく、書きことばの世界はずっと残るだろう。

 大体、140字で何が書けるというのだ。

『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』(藤原智美著/文藝春秋社/2014年1月30日刊)

2014年2月25日 (火)

Fitbit weekly progress report from Feb.17 to Feb.23

 Fitbitの一週間レポート。

 トータルでは103,795歩、72.66km歩いた。

 最も活動的だった日は2月18日、20,589歩、14.38km。確定申告で税務署まで歩いて行った日だ。だって、税務署の駐車場が普段は使えるんだけれども、確定申告の期間だけは使わせてくれなのだ。で、やむなく歩きで。

 最も非活動的だった日は2月17日、11,742歩、8.22km。月1回医者に通っているんだけれども、その日。でも、それでも1万歩以上は歩いているのは立派でしょ。

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『歩くスキーハイキング』を、これからはやろうかな

 普通こうした書評ブログでもってスポーツ関係の本が書評されることはないだろう。私も別に書評めいたことを書くつもりはない。ので、今回はあくまでも本の紹介と自分書きでしかない。

Photo自然を楽しむ 歩くスキーハイキング――クロスカントリースキーツアー』(吉原宜克著/本の泉社/2012年10月23日刊)

 スキーと言えば、以前は完全にアルペンだった。

 私も、以前はヤマハの(昔はヤマハがスキーを作っていたんですよ)パラマウントカスタムGS(GSはジャイアント・スラロームという意味)なんていう205cmの大回転用の板を持っていて、結構スキー場では大きな顔をしてブイブイ言わせていた時期がある。ただし、実際のコンペティションには出場したことはなくて、まあ、ゲレンデでの見栄っ張り用の板だったわけですね。ただし、「固い」「重い」スキー板であることは事実で、次第に疲れが溜まるようになってしまった。しかし、若いころは「疲れより見栄」で、そんな板でもOKではあった。

 その後はスポルディングの板(!)ってのに換えたんだが、それもやはり見栄を捨てきれず205cmの板であった。バカですね。当時は既に身長に近い長さの板が普通になっていたんだけれども、でも「スキーは長い方がカッコイイ」というのが固定的な考え方でいたんだな。

 しかし、長じて子どもが受験期になってしまって、「スベるのはダメ」ということになって、数年スキーをしなくなってしまってからは、技術と体力も衰えてしまい、その後スキーを再開した時には自分の体力と技術の衰えに気が付かされてしまい、その後は最早スキーをするのは諦めてしまった。

 しかし、この本に出合ってから、「そうか歩くスキーがあったんだ」ということになり、それは以前からは知っていたことはいたんだが、忘れていたということだったので、再確認ということ。

 で、本を読んでみると、いやあ最近はクロスカントリースキーって言ってもいろいろ種類があるんだなあ。「クラシック・ノーワックスタイプ・スキー(ウロコ付きまたはノーワックス)」これが一番初心者用のスキーで、レースが目的ではない人が使うスキー。「クラシック・ワックスタイプ・スキー」クラシック走法(ダイアゴナル走法)の競技者向けスキー。「エッジ付き・ノーワックスタイプ・スキー」バックカントリー用のスキー。「スケーティング・タイプ・スキー」スケーティング走法用の競技者向けスキー。「エッジ付き・ノーワックスタイプ・テレマークスキー」。「ダウンヒルタイプ・テレマークスキー」昔のスキーはすべてこれだった。勿論、アルペン・スキーも最初はこのタイプだったわけで、登りはシールを付けて行う。その後、踵が固定されるようなスキーが出来て、アルペンとノルディックが分かれるようになったわけである。「バックカントリースキー」ダウンヒルタイプ・テレマークスキーの発展型で、踵が固定されたりフリーになったり変換できるものを使う。

 とまあ、本当にいろんな種類のスキーができたもんだ。ノルディックで言うと、これとは別にテレマークから発展したジャンプ用スキーというのもある。

 で、私がこれからやろうとしているのは、一番最初の「クラシック・ノーワックスタイプ・スキー(ウロコ付)」というスキー。とにかく「歩く」ということだけに集中して、他の競技とかスケーティングとかは一切考えていないし、テレマークみたいにゲレンデで優雅に滑ろうとかということも考えていない。普通に、林道とかスキー場周辺のノルディック・コースとかを「歩く」のが目的のスキーなのだ。

 そう、今やっている「毎日一万歩以上歩く」ということを、スキーでやろうとしているだけなのだ。

 そうしてみると、歩くスキーをやれる場所というのは、無限大に広がる。フィールドの選定では「平坦派」「登り下り派(アップダウン派)」「アウトバック派」があり、利用場所では「林道」「遊歩道、自然歩道」「ハイイングコース」「公園」「スキー場周辺」「クロスカントリースキーコース」「公有林」などなど。コース取りタイプでは「逍遥ぶらり型」「往復コース型」「A点からB点到達型」などがあり、ゲレンデ派しかないアルペンでは味わえないような「いろいろなスキーができる場所」があることが分かる。それこそ、この前の大雪が降った後の石神井公園でもスキーが出来てしまうかもしれないのだ。すごいね「ノルディック」って。

 更に言ってしまうと、アルペン用のスキー場だとリフトやゴンドラを作るなどの自然へのダメージを与えてしまうこともあるんだけれども、歩くスキーの場合はそんな自然環境へのダメージは与えないし、冬季以外は遊歩道にするなどの配慮をすれば、観光客の誘致も可能であるし、地元の人たちも森へ入りやすくなるなどのメリットもある。

 まあ、アルペンをやっていると、「もっと速く滑りたい」とか、「もっと急斜面を征服したい」というような誘惑だけでスキーをやっているというような感じがあって、それがうまくいかないとかえってストレスになったりする。

 その辺、歩くスキーだと、初めからそんな向上心とは無縁の世界にあるわけなので、無理して何かをすることもないわけで、あらかじめ何かのオブリゲーションを抱えてスキーに挑むというようなことはない。あとは、自然を楽しめばいいということだけなのである。

 勿論、これはノルディックであっても「歩くスキー」だけの特典であって、競技スキーになってしまえば、いろいろなストレスにとらわれてしまうんだろうな。

 歳をとってくると、若い時とは別のこんな楽しみ方もできるのかなというのが歩くスキーの愉しみということなのかもしれない。

 まあ、人間、年相応なのかなという感じはあるけれども、それはしょうがないことなのかも知れないな。

 ようし、来年は歩くスキーをやろう。初心者用の4点セット(スキー、ビンディング、シューズ、ストック)だと4万円位で揃えられそうだし、少なくともアルペンよりは易しそうだ。

 だって、ボーゲンもできないらしいんですよね、ノルディックって。

自然を楽しむ 歩くスキーハイキング――クロスカントリースキーツアー』(吉原宜克著/本の泉社/2012年10月23日刊)

2014年2月24日 (月)

「谷根千」紀行

「谷根千(やねせん)」とは台東区谷中、文京区根津、千駄木の略で、不忍通りの周辺に展開する下町風情溢れる商店街のことである。

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 谷根千のランドマークと言えば、この根津神社。春には「つつじ祭り」、秋の「例大祭」で有名だ。

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 で、下町風情と言えばこ、こんな甘味屋さんとか

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 寿司屋

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 煎餅屋

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 鯛焼き屋さんや今川焼屋さんなんかがイメージなのだが

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 あれ? 「谷根千」なんてモロの名前があるなあ、なんて近寄ってみたら接骨院でありました。

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 でも、最近増えてきたのがこんな感じの中華屋やラーメン屋。

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 で、私が勝手に谷根千のランドマークにしているのが、この往来堂書店。

 店長の笈入氏が独自の視点で棚を「編集」した書店として有名で、2月15日に行ってきた下北沢のB&Bの内沼晋太郎氏もアルバイトをしていた時期がある。

 何で勝手に谷根千のランドマークなのかというと、古本評論家の南陀楼綾繁(なんだろうあやしげ)氏が提唱して始められた「不忍ブックストリート一箱古本市」という、沢山の人が段ボール箱一箱の自分の古本を持ち寄って不忍通りに並んで売るというイベントの中心人物が、この往来堂書店の笈入店長だからだ。

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 まあ、それだけのことですがね。

EPSON RD1s+LEICA ELMARIT 28mm/F2.8 @Ya-Ne-Sen Shinobazu Street (c)tsunoken

2014年2月23日 (日)

アンディ・ウォーホル展:誰でも15分は世界的有名人になれる

 六本木ヒルズにある森美術館で『アンディ・ウォーホル展:永遠の15分』が開催されている。

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「永遠の15分」というのは、アンディ・ウォーホルが話した有名な言葉「将来、誰でも15分は世界的な有名人になれるだろう」というところからつけたものであることは、それこそ誰でもわかることだ。

 しかし、かの有名な「キャンベル・スープ缶」からマリリン・モンローやエルビス・プレスリーなど、お馴染みのウォーホル作品の展示に終わらず、様々なウォーホルの遺品や生前写真なども豊富で、なおかつウォーホルのワークショップを再現するなど、結構気合が入っている展示だ。

 国立新美術館の「アメリカン・ポップアート展」では、その一部しか展示されなかったアンディ・ウォーホルの全体像が見られるようになっている。

2010021909160472c(c)Andy Warhol

 なかでも一番ワクワクさせたのが、この「エンパイア」の上映である。

「エンパイア」はウォーホルの友人でもある、インディペンデント・フィルムの巨匠、ジョナス・メカスが製作に参加し、とにかく8時間にわたってニューヨークのエンパイアステートビルディングを撮影しただけの映画である。モノクロ16mmのフィルムはとにかく延々とエンパイアステートビルディングを撮り続ける。映像はとりあえず延々と8時間、エンパイアステートビルディングを上映する。まあ、途中でキングコングが出てくるとか、UFOが写っているとか、エンパイアステートビルディングが変形するとかいった噂があったりしたのだが、私が学生時代に東京駅大丸で行われたアンディ・ウォーホル展で上映されたこのフィルムを、とにかく8時間(!)ぶっ続けに見た結果は、そんなことは何もなくて、とにかくエンパイアステートビルディングの朝から晩までを写し続けているだけということがよくわかった。っていうか、まあ私も学生だったからなのか、本当にヒマだったんだなあ、という思い出だけがある。

 で、今回の『アンディ・ウォーホル展:永遠の15分』でも、10時から22時の開館時間中ずっとこの映像を流しているのかなと思ったのだが、残念! 第1リールだけの上映だそうだ。映画の全長8時間を流していても、結局は朝から夕方、夜になるだけの映画なんだから、そのままオリジナルを上映して欲しかったなあ。

 それこそ、ストーリーのある映画ではなくて、言ってみれば環境映像のハシリみたいな感じの映画ではあったのである。映画はストーリーを語るためにあるのではなくて、そこに映像を提供するためにある。

 映画を見て、感動したり、憤ったり、泣いたりするものではなくて、単にそこにあるというだけの映画、というあり方を提示した映画「エンパイア」。であるならば、本当に「そのまま」で上映して欲しかった。まあ、フィルム代やビデオ代が無駄になるのはよくわかる。さらに、昔の私のような、「本当に8時間見続けるバカな客」がいるかもしれないという危険性を考慮したのかもしれない。

 しかし、そんなバカな観客がいることをも、アンディ・ウォーホルは認めて、この映画を製作・公開したのである。なので、やはりこの映画を公開する人は、ウォーホルと同じ立場に立って考えて、バカな観客にも対応して欲しい。それが製作者に対するリスペクトというものではないだろうか。

 あまり、現在に生きている人間の価値感だけで判断すると、昔の製作者に対する毀損という問題が起きてきてしまう、というようなことも考える必要があるだろう。

 アンディ・ウォーホルは当時の画壇に対する破壊者、革命家だったわけだ。なので、その作品を公開する人間は、やはり現在画壇に対する破壊者、革命家であることを求めるのは、無理なんだろうか?

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2014_02_20_14152アンディ・ウォーホルがペイントしたBMW M1。実際にBMW M1のワンメイク・レースには出場したらしい。

『アンデ・ウォーホル展:永遠の15分』は5月6日まで開催。公式サイトはコチラ

EPSON RD1s+LEICA SUMMICRON 35mm/F2 @Roppongi, Minato (c)tsunoken

2014年2月22日 (土)

築地「フォーシーズン」の「ハーフ&ハーフ」

 別に普段も美食をしている訳ではないが、タマにジャンクな食べ物を食べたくなる。

 で、今回出かけたのが築地。

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 築地で何でジャンク?

 いえいえ、別に寿司を食べに行ったのではありません。目標はこの「coffee 4 SEASON」と言うお店。築地寿司清新館の斜め前の韓国食材のお店の2階にある。

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 店の中にはこんなお店の宣伝になるような漫画が飾ってある。反対側の壁には、この漫画を描いた人なのだろうか、キャラ入りの色紙も飾ってあるのだ。

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 店名も「4 SEASONS」じゃなくて「4 SEASON」だったり、店内のBGMも懐メロだったり、なんか凄く「築地」らしい喫茶店なのだ。

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 で、出てきたのがこの「ハーフ&ハーフ」っていうスパゲティ。要はナポリタンとミートソースが半分ずつっていう訳。キャベツの大盛りが乗っているんだけれども、これはナポリタンと混ぜて食べてください、という説明が食事の前に来る。

 まあ、結局、最後にはナポリタンとミートソースも混ぜちゃうんだけれどもね。

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『散歩の達人』2013年11月号の第2特集「懐かしスパゲティブームを追え!」に掲載されていたお店。

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 勿論、「さぼうるⅡ」のナポリタンも掲載されている。量はコチラの方が圧倒的に多い。

EPSON RD1s+ELMARIT 28mm/F2.8 @Tsukiji, Chuo (c)tsunoken

2014年2月21日 (金)

『正しいマスターベーション』には「まさしく騙されました」なあ

 ええ、私もタイトルに釣られたクチですよ。

 だってねえ、オナニーに正しいオナニーと間違ったオナニーがあるなんて知らなかったもんなあ。

20140217_204652大人の教科書シリーズ 泌尿器科医が教える「正しいマスターベーション」 カップル、夫婦、家族で考えよう! 自分の種と子孫を絶やさないためのムスコ運用法』(小堀善友著/Impress Business Development LLC/2013年6月15日刊)

 で、どんなオナニーが間違っているのか。

[1]ふとん、または畳にこすりつけるようなpush法
[2]強く握りすぎてしまうマスターベション
[3]ある特定の体位でないと射精できない
[4]包茎手術の術後
[5]ひとりでないと射精できない人

 などで、『これらの方法でオナニーをしている人は“射精障害”になりやすく、膣の中で射精できないため、“男性不妊”となってしまう可能性がある』のだそうだ。

 しかし、[1]のふとんや畳でオナニーしてる人っているんだろうか。あるいは[3]のようなケースでは『仰向けで足をピーンと伸ばしていないと射精できない』という人もいるそうだが、じゃあ騎乗位でヤれないいじゃないか、という訳にもイかないそうである。[4]も包茎手術の術後っていうのもよくわからないが、更に言うと『[5]ひとりでないと射精できない人』って、それが普通じゃないかとも思うのである。他人に自分がオナニーしているところを見せるのが好きという人もいないことはないだろうが、普通は誰も見ていないところでやるものですよね、オナニーって。

 でも、そういうことじゃなくて、基本的には男性が女性といい関係を作るためのセックスを良好な形にするための、その基本としてのオナニーのやり方を、というかやっちゃいけないオナニーのやり方を書いた本であり、実は真面目な「性教育」の本なのでありました。

 要は「気持ちいいオナニーのやり方の本」ではないということなんだなあ。

 で、そうじゃなくてちゃんとした性生活を送るための知恵本なのである。

 つまり『早漏は脳の病気、遅漏は性生活習慣病』だというのだ。

『遅漏の場合、思春期からのマスターベーションの方法や、アダルトビデオの見過ぎで性的興奮をする対象が特殊になってしまっていたり、夫婦関係の問題であったり、現在までの生活習慣が大きく関係していると考えられます』

 まあ、「早漏」は最早私にも当てはまる問題なので、別にいいですね。イッてしまう瞬間に「もうちょと待て」ってチンポに言えばいいのだからね。

 問題は[童貞と処女のカップルの悲劇]という話。

『恋愛結婚して1年半の夫婦のケース。ふたりとも婚前にセックスの経験はありませんでした。結婚後、セックスしようとしましたが、うまくいかないのです。
 夫は、妻に内緒でマスターベーションをしていて、入浴時に、浴室の壁にペニスをこすりつける方法で、ほぼ毎回射精にいたっていました。
 このカップルには問題点が3つあります。
(1)夫婦そろって、新婚初夜までセックスとは具体的にどうするものかわかっていなかった。
(2)夫はマスターベーションの方法も、普通とは異なったやり方でしていた。
(3)夫は女性生殖器(膣や子宮)についてほとんど知らなかった』

 って、そりゃ問題ですね。この人(夫)にとっては「射精」と「セックス」と「出産」っていうのは繋がっていなかたんですね。「射精」は自分が気持ちいいからやるだけ。「セックス」は出産のための方法。「出産」は妻が勝手にやるもの。ということなんでしょう。

 それじゃあ、なんで二人が結婚したのかも、その理由がよくわからない。結局、結婚ってのは子孫を作るための儀式なんじゃないのかなあ。

『昔は地域によって『性』について年長者から教わっていくような慣習があったが、現在はそのような性的な話題がタブー視されており、かえって情報が得られなくなってしまったのではないか』

 ということなのか。

 まあ、『不妊の原因は3分の1は女性、3分の1は男性、3分の1はその両方にあるものと考えられています』

 というのはよくわかる。

 しかしまあ「妻にだけ性欲を感じない、性欲障害」って何やねん? と私なんかは思ってしまうんだがなあ。

『(1)「妻のことが肉親に思えてしまう」「家族の一員のよう」ということで性欲が無くなってしまう
(2)「そのときになると、やる気が無くなってしまう」人たち』

 なんてものもあるらしい。うっそでしょう、と思ってしまうんだけれどもなあ。

まあ『例えば、タイミング法で、「この日にセックスしてください」と言われると急にできなくなってしまう。
 または、やる気があったにもかかわらず、奥さんのたるんだお腹を見て性欲が急に無くなってしまうなんて場合もあります』って、前半は分からないでもないが、後半はやっぱり「何でやねん」という気分にもなってしまいますなあ。

 まあ、日本男性の草食化が進んでしまうと、こんな状況も生まれてくるのかなという気もしないでもないが、まあ、それも我が日本の進む姿かなとも思えてくるのだ。

 明治維新から150年。そろそろ日本も「滅び」の時を迎える頃なのかも知れない。そんな滅びの時をずっと昔に迎えたヨーロッパの歴史に少しは学ばなければならない日本が来るんではないか?

 アメリカばっかりじゃなくてね。

大人の教科書シリーズ 泌尿器科医が教える「正しいマスターベーション」 カップル、夫婦、家族で考えよう! 自分の種と子孫を絶やさないためのムスコ運用法』(小堀善友著/Impress Business Development LLC/2013年6月15日刊)

2014年2月20日 (木)

『黒本』が何故「黒本」なのか……よく分からないのだが、私が鈍感なだけ?

 どうも最近思うんだけれども、こうした電子書籍で「本」を読むってのは、本当に本を読んでいるんだろうかっていうことなんだよなあ。

 確かに、「文章を読んでいる」という意識はあるし、その結果、知識は入ってくるんだけれども、その入り方がなんかちょっと違うという意識はある。もっとも、結局「本を読む」という行為は「コンテンツを取り込む」訳なので、その結果は同じなんだけれどもね。

20140215_115410『黒本』(高城剛著/高城未来研究所/2014年2月5日刊)

 で、なんで『黒本』なのか?

『メールマガジンで読者からご質問頂いた質問の回答の中から、日本のマスメディアではなかなか答えづらい日本の本質的問題に関わるアンサーを集めました。かつてなら「発禁本」だったでしょうし、今も大手出版社からこのような本は出せない状況にあります。『白本』だけだったら各社喜んで出すでしょうが、それでは全く意味がありませんので、あわせて個人でデジタル出版した次第です』

 とのこと、じゃあそんな大手出版社(講談社?)が出版することを躊躇するような内容とはどんなものなのか、抜き書きしてみよう。

『日本は日本式儒教システムを土台にした封建制度な社会主義だったのですが(旧社会主義国の空港とそくりな成田空港などのデザインひとつを見てもわかるように)、今は封建制度を守りながら新自由主義に移行しようとしているので、無理が生じています』

『つまるところ、日本の儒教は「目上の権力者が築いたフレームを壊すな」という教えなのです』

『とにかく国民が「考えないようにする装置」が日本のテレビの現在なのです』

『今一番の反政府活動は「住所不定」じゃないでしょうか』

『インターネットは、ただのバックテクノロジーに過ぎません』

『もう音楽産業ではなく、キャラクター産業の副産物となっているのが、残念ながらよくわかります』

『日本のテレビ局が多様化し、国民が考える行為をしなければ、日本人のレベルは落ちる一方です。表層的にはテレビが大問題ですが、その元凶は先進国では違法とされるメディアのクロスオーナーシップ制とズバリ日本記者クラブにあります』

『報道でさえ年々芸能に近くなっています』

『日本の暴力団は、配下の芸能プロダクションを通じてテレビ出演者を支配し、テレビ局もその構造に甘んじ、「大企業の広告」を共犯関係で握って、結果的に反社会組織に大金が流れています』

『放送レベルがヤンキーとファンシーになり、本当のことを知らされずに、国民が愚民化され、新産業は芽が出ず、ソフトパワーを軸とする国力が衰退する』

『日本の近代史の転換期は、団塊の世代の失態にあったと思います』

『やりたいことをやったり、言いたいことを言ったりすると、危険な目にあったり、マスコミに叩かれるような国ではなく、あたらしい風を起こせるような国家になることを願うばかりです』

『日本のテレビは、広告主や政府の代弁者のようです。今テレビに出ているタレントも広告主や政府の代弁者ですので、素人はいじりますが、古参の政治家や官僚、企業家をいじることは滅多にありません』

『マスメディアを含む日本式システムの鍵は「鎖国」なのです。資本も内容も含め、マスメディアがグローバル化(資本関係だけを指すものではありません)すれば、必ず日本は大きく変わると思います』

『(クールジャパンは:引用者注)東の外れにある国の「変わった文化」が面白い、と思っている人がいるだけです』

『もし、今の仕事を楽しめないのでしたら、すぐにとは言いませんが、どこかでお辞めになるべきです』

『たったひとつだけの仕事を一生する時代は、もうとっくに終わりました。なぜなら、それこそが実は世界の標準になっている現在のシステムだからなのです』

『他国になくて日本にしかないものに規制をかけ、取り締まる事です。産業で言えばGDP500兆円のうちの6%を占めるパチンコ産業(約30兆円)、10兆円産業の風俗産業、1兆円産業の覚せい剤などアンダーグラウンドにはじまり、フッ素やブロイラーの鶏など、禁止されている国もあるのに、内緒にされ、日々我々が口にしているものまで様々です。そして、これらの真実を報道しないマスメディアのクロスオーナーシップを先進国に倣い違法にし、それによって皆同じ方向を向き、社会に声を出さないように飼い慣らされている仕組みを変えることです』

『(同性愛者が:引用者注)テレビに以上に露出している半面日本は、LGBTに関してかなり閉ざされていると思いますので、目に見えない封建制度がいっぱいある国なんだと思います』

『今の日本の映画産業は、70年代のハリウッドとそっくりです。日本の暴力団排除条例は、日本がアジアを代表するソフトパワー王国になれるのかどうか、の分岐点になるんだと思います。きっとあまり変わらないと思いますけどね』

『日本の電子投票アプリがいつの日か登場して、結果政治家の顔ぶれも大きく変わり、日本のターニングポイントになると思います。それは技術とは関係なく、20年後だと思いますけどね』

『観光産業が短期的に大事だと僕が思う理由のひとつに、「地域不復権による中央集権の崩壊」へとつながるというのがあります』

『結局、ガラパゴス化の元凶は政府主導であることが、よくわかる事例です』

『数年おきに国を越えて移動する「会社のノマド化」によって、より匿名性の高い正体不明の会社を作ることができるのです』

『僕は、この「失った霊性」こそが、今日の日本や日本人をダメにしてしまったと思います。それは、根性論やナショナリズムとは全く違う大和魂の根幹をなすものだと僕は考えています』

『テレビが低俗どころか気がつくと末期的であることと、日本社会が低俗どころか気がつくと末期的であるのでテレビがそれを映し出しているんだと思います』

『日本政府はアメリカに追従しようとしていますので、アメリカの現状が日本の未来となります。すなわち、あらゆるものが数字化(株式化)されることによって起こった格差がますます酷くなり、食料が買えず貧困に喘ぐ人たちが増え、どこかの都市が破綻するのです』

『実は今、日本人すべてがこの「護送船」に乗っていて、また、自身が乗船していることさえも気が付いていない人がかなりいると思います。その護送船は旧式も旧式で、さらに向かうべき方向を失い、各船の船長はいまひとつ信用がおけない人物で、一部から選ばれた船団の団長も長続きすることはありません』

『楽しまずに、寡黙に言われた通りにやって、自分の発言をせずに、社会に迎合しなさい、と言われた結果が現在の日本で、シャープ、ソニー、パナソニックの1年間の赤字合計1兆7000億円です。これでも、日本はまだ社会システムを変えようとはしません』

 う~ん、そんなに過激かなあ?

 この程度なら、講談社だって出版できそうだけれどもなあ。問題は、読者がどれだけ見込めるかということなので、その部分が心配だ。

『黒本』(高城剛著/高城未来研究所/2014年2月5日刊)

2014年2月19日 (水)

『不動産投資は東京17区!』って、どこだ?

 昨日、確定申告に行った立場からすると「不労所得って、い~いなあ」というところなんだけれども、ああそうか私は既に年金生活者。日々の生活が不労所得によるものなのだった。

Photo『不動産投資は東京17区! 中古ワンルームを選ぶ!』(牛込雄一著/クロスメディア・パブリッシング/2014年1月14日刊)

 で、取り敢えず「17区」ってどこなんだ?

千代田区:日本の政治、経済、文化の中心地として発展/中央区:経済と商業の中心地、湾岸エリアにも注目が/港区:人気スポットも多いビジネスの中心/新宿区:多国籍な商業地と住宅地が織りなす大都市の縮図/文京区:「文の京(ふみのみやこ)」と住宅の街/台東区:江戸の町民文化とアートが共存する街/墨田区:東京スカイツリーのお膝元/江東区:東京五輪開催決定で湾岸エリアに開発の波が/品川区:企業誘致が進む交通至便なエリア/目黒区:閑静な住宅街と人気のエリアが共存/大田区:羽田空港を有するモノづくり企業の集積地/世田谷区:23区最大の人口を誇る、東京のベッドタウン/渋谷区:副都心を形成する、文化とファッションの街/中野区:再開発で変わりつつある住宅の街/杉並区:下町風情も味わえる閑静な住宅地域/豊島区:池袋を中心に、特長ある街が混在/練馬区:緑豊かでアクセスも充実の住宅エリア』ということなんだけれども、但し、世田谷区や練馬区でも環状八号線の外側は、投資対象としてはお勧めできない地域だという。

 まあ、これはあくまでも「投資対象」としての判断なのだから、板橋区、北区、足立区、荒川区、葛飾区、江戸川区に住んでいる人には申し訳ないけれども、それは「投資対象」でないということだけで、別に住むのに適していない場所と言うことではない。「住まい」という観点で見ればまた違った見方も出来るのである。

 で、何故「中古ワンルーム」なのかと言えば;

『物件数も新築に比べて格段に多いため、広い選択肢の中から投資に適した物件を選ぶことができます』

 ということ。「新築」であっても、それは買った瞬間に「中古」になってしまうわけであるし、『物件そのものの価格に業者の広告費や宣伝費といった販売するための費用が上乗せされているため、どうしても購入価格が高めになってしまう点』が問題なのだな。

 勿論、『家賃に“新築プレミアム”を上乗せするわけです。しかし、最初の入居者が退去した後は中古物件扱いになるため、家賃は相場の水準に下げざるをえなくなります、最初の入居者の都合にもよりますが、早い段階での家賃の下落は覚悟しておかなければなりません』ということなのだ。まあ、「新築」のメリットは最初の入居者だけであって、その後の入居者には関係ないって言えば、その通りだ。

 じゃあ、入居者はどこを見て物件を選んでいるのだろう。

1位が、男性は「宅配ロッカー」で、女性が「バス・トイレ別」
2位は、路線、駅、エリア
3位は、最寄り駅からの時間
4位が、通勤通学に要する時間

 つまり、賃貸マンションの入居者の物件選びの条件は;

 基本的には、会社や学校までの時間のかかり方であり、そしてもっと重要なのが「建物や部屋の設備、仕様」なのである。基本的には「築年数」にはあまり気にしないようである。築年数よりも、部屋の内観や設備で決める傾向があるようだ。

 だから、「中古ワンルーム」なんだよね。

 ただし、中古と言っても建設時期が大事である。

『80年代の終わりから90年代の初頭、つまりバブルの時代に投資用のワンルームマンションが飛ぶように売れました。当時の投資物件は売り手の効率が最優先。手狭でバス・トイレは3点式のユニットバスが当たり前で、居住性は二の次でした。さらに、洗濯機置き場のないという致命的な物件が目立つのも、この時代の特徴です。
 しかし、バブル崩壊以降、それまでの売り手目線でのつくり方から入居者目線へとマンションの開発業者は大きく舵を切りました。そして平成7年頃から「バス・トイレ別」のワンルームマンションが建てられ始め、ほどなく、それが主流となっていったのです』

 なるほどなあ、ということで牛込氏が薦める「投資用ワンルームマンション」は、平成7年以降に建てられた、中古マンションということなのだ。

 勿論、不動産を取得する際の「印紙税/登録免許税(司法書士への報酬)/不動産取得税/固定資産税・都市計画税/管理費/修繕積立金」 というのは当然である。

 更に、マンション不動産投資に関する8つのリスクというのがあるらしい。

『家賃滞納リスク/火災リスク/地震リスク/金利変動リスク/家賃下落/価格低下リスク/瑕疵リスク/倒産リスク』

 の八つだ。

 が、まあ。ここのリスクはもはやしょうがないリスクであり、事業を行っている以上は(マンション経営だった充分事業である)抱え込まなければいけないリスクなのである。というか、リスクのない事業はあり得ないからね。

 で、どうだろうか。

 もはや公的年金だっていつまで支払われるかも分からないし、そんな年金に対する「私的年金」として、こうした「自分が住むマンション」以外のマンションを持っておくってのもありじゃないだろうか。というか、私も今の家に移ってマンションが空いた時に人に貸して「不労所得」を得た時期がある。これは最高ですね。だって私が何をしなくても、勝手にマンションがお金を産みだしてくれるんだもん。株投資なんかよりもずっと「見える」投資だ。

 ということなので、多少なりとも余裕のある人には、このマンション不動産投資はおススメします。ただし、東京に住んでいる人だけと言うのは、ちょっと残念ではあるけれども。

 いいですよ「不労所得」って。

『不動産投資は東京17区! 中古ワンルームを選ぶ!』(牛込雄一著/クロスメディア・パブリッシング/2014年1月14日刊)

2014年2月18日 (火)

Fitbit weekly progress report from Feb.10 to Feb.16

 Fitbitから先週のレポート。

 週トータルで75,755歩、53.03km歩いた。

 最も活動的だった日は2月16日で15,188歩、10.63km。

 最も非活動的だった日は2月15日で4m741歩、3.32km。この日と前日2月14日は二度目の大雪の日で、2月14日は殆ど一日中家に閉じこもっていて5,159歩、3.61kmしか歩いていない。2月15日も雪が上がって雪かきしたのが唯一の外出だった。

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『新白河原人』って何やねん?

 今日はこれから確定申告に行く。e-taxは嫌なので、紙で提出だ。なんだ電子書籍、電子書籍

 って言うこととは関係なく、B&Bで買ってきた本、その2は守村大『新白河原人』だ。

『モーニング』では『万歳ハイウェイ』で読んだ守村大氏は、的確なメカ描写と結構可愛い女の子キャラで覚えているが、こんな自給自足の生活をしていたとは……。

Photo『新白河原人 遊んで暮らす究極DIY生活』(守村大著/講談社/2011年8月5日刊)

『北海道から沖縄まで同様のコンビニ、スーパー、ファストフード店が展開していて、旅先でバイパスを走っていると、既視感に幻惑され、自分が今どこにいるのか不明になる。
 日本中、同じ情報と開発になめつくされてしまい、かつて「田舎」といわれた、のどかで、多少泥くさい生活感は心細くなり、廃れつつある。
 私も買い物は車で5分程の街のスーパーやホームセンターで済ます。なんと、新幹線の駅まで10分とかからない。
 雲行きの怪しい地球環境の未来や、快楽に行き詰まって迷う社会を人並みに憂うけれども、私は文明を批判するものでも、原理に頑なな自然主義者でもない。山暮らしも高邁な思想性や哲学に基づかない。
 それは単純な選択。アスファルトよりも土、便利よりも面倒を覚え、効率・利便イコール快適てのが嘘の気がした。
 時間に追われて忙しく働くより、シフトダウンして生活を切り詰めたほうが、より安楽なのではあるまいか。
 お金をかけずに自分の心と身体の力を試して遊び、生活するほうがカッコイイ気がする』

 というのが、守村大氏が田舎暮らしを決めた理由だそうだ。

 それはそうだが……、しかし普通の人がこんな「田舎の不便な暮らし」を実現できるかといえば、そうはいかないのだろう。「年間食費20万円」って言ったって、それはそこに至るまでの食費は入っていない訳で、じゃあどうすりゃいいのさ、って言ったってそうはなかなか思い通りにはいかないのである。結局、「フツーの人」は、そんな生活に憧れながら、しかし、現実はそうはいかないのだから、たまの休みの時なんかに、どこか「原人的」な生活が出来るところを探してキャンプに出かけたり、野や山に出かけたりするんだろう。で、数日のそんな生活を楽しんだ後は、またまた都会の「北海道から沖縄まで同様のコンビニ、スーパー、ファストフード店が展開していて、旅先でバイパスを走っていると、既視感に幻惑され、自分が今どこにいるのか不明になる」生活に戻り、アスファルトの生活に戻る訳なのであるな。

 まあ、やはりそうした「原人的」な生活を実現できるっていうのは、守村大氏のように、取り敢えず東京でそれなりの成功を収めた人だから、その余裕でもって、その後の「好きな人生」を送れるのである。

 すなわち、この本を読んで、守村氏の生活に憧れて(というか憧れる人は多いと思う、今の世の中では)、単に憧れるだけならいいけれども、実際にそんな生活を自分でも始めてしまうと、ちょっと困ったことになってしまうだろう。

 取り敢えず『広さは4町歩、1万2000坪。東京ドーム約1個分の面積てことになる。広い広い。坪単価は、都心の郊外に我が家を求めた時の1/1800、約500円。ごひゃくえん。山林手のは経済的に虐げられている』

 と言っても、総額600万円である。

 多分、守村氏は、ちゃんと東京にも家を持っている筈であるから、プラスの出費でこの土地を手に入れたんだろう。フツーの人が、まず600万円を支払い、なおかつそれに倍する以上の、「土地開発費」あるいは「開墾費」をかけることを考えれば、機械の購入費や材料費などで数千万円という、ちょっとしたお金が必要になる訳だ。それを、「不退転」でやっちゃあいけない。基本的には、こうした新生活(それもかなり厳しい)を始めるためには、撤退した時のことも考えてやらなきゃいけないってことは、自分の家が東京なり都会の普通に便利なところにあって、なおかつ収入というか所得というか財産といったものに、多少なりとも余裕がなければ、やっちゃあいけないということなんだろう。

 まあしかし、こうしたとんでもない田舎に、山林を東京ドーム1個分くらい買って、そこを開墾し、ログハウスを作って、竈を作って、サウナを作って、そこに暮らすっていうのは、言ってみればある種の「男のロマン」である。『BE PAL』が売れる訳である。

 実際に、ログハウスを一人で作るなんてことは、実に大変なことである。普通の大工仕事でも、自分ではやらなくなってしまった都会人が、ログハウスなんて作れるわけはない。釘さえ打つことのない都会人が、サウナ小屋なんて作れるものではない。鋸の使い方も知らない都会人がチェーンソーなんて使える訳がないじゃないか。

 ということなので、「モノ作り」なんて出来ない人たちは、結局、他人の作った家に住んで、他人の作った服を着て、他人の作った食材でせいぜい最終的な食事の形だけは自分で作る生活を送らなければならないのだ。

 で、どういうことかと言えば、これは究極の「ゼイタク」なのである。

 今の世の中で、こんなに「苦労しなければならない生活」「こんなに不便な生活」「こんなに困難な生活」を「送ることが出来る」(つまり「送らなければならない」のではなく)生活って、実は物凄く「リッチな生活」なのではないでしょうか。

 フツーの人では味わえない生活を、とんでもなく「不便な生活」を普段は味わえて、しかし、軽トラで10分も走れば、東北新幹線新白河駅について、そこから上野までは1時間ちょっとで着いちゃうんですよ。スゴいなあJR東日本……じゃなかった、スゴいなあ、「白河の原人生活」ってことですね。

 そう、それは現代の東京に住む人の永遠の魅力だけれども、でも、誰をしもそれが出来るとは限らない生活でもあるんだよなあ。

 できれば、そんな原始的生活と、現代的生活を往還できるような生活が、多分、現代的生活を送っている人たちの希望なんだろうけれども、実は、なかなかそれは叶わない希望だからこそ、なおさらその希望も募ってくるんだろうなあ。

 なので、なおさら守村大氏の生き方が羨ましくなるのである。

 だって、そんな原人生活を送っていながら、それを『モーニング』で連載しちゃったら、なんだやっぱり漫画家生活をネタにした、「ネタ漫画」にすぎないんじゃん。

 ってなっちゃうんだよなあ。

 別に、羨ましいだけだけどね。

『新白河原人 遊んで暮らす究極DIY生活』(守村大著/講談社/2011年8月5日刊)さすがに講談社、Kindle版もある。ただし、イラストがかなりあるので、紙版の方が読みやすいかも。

2014年2月17日 (月)

「その手は浦安の焼き蛤」じゃあ洒落になってないじゃないか!

「その手は浦安の焼き蛤」では本当に洒落になっていない。

 だからと言って、その為だけで三重県桑名市まで行くわけにもいかないし……。

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 ということで、取り敢えず浦安に行ってきた。

 これまでも何度も浦安には取材に行ってはいたんだが、いつもこの「うなぎ朝川」で鰻で一杯、という調子で終わらせてしまい、何故か「浦安名物やき蛤」の越後屋焼蛤店には一度も行ったことはなかった。

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 ところがいつも気にはなっていて、一度ここの焼き蛤を食べてみないとなあ、と考えていたのだった。ここの店が中で食べられるようになっていれば、そこで食べたんだろうが、そうはなっていないのが、そもそもの原因なんだけれどもね。つまり、販売専用ということ。

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 で、昨日はついに「焼き蛤を買うために」浦安まで出かけたのであります。

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 越後屋焼蛤店の店先には蛤の殻が埋まっていて、まさしく「蛤屋さん」なのでありました。ここ(浦安市猫実5-18-19)の本店と、浦安魚市場にも店はあるんだけど、魚市場店は午前中で閉まっちゃう。

「この蛤って浦安で捕れたの?」って聞いてみたんだけれども、残念ながらその焼き蛤は浦安で捕れたのではなく「輸入モノなんですよ」とのことだった。まあ、でも浦安(で作った)名物なんだから、それはそれでいい。

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 で、買ってきたのがこの「蛤5本、浅利15本」で税込1,430円也の折詰。

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 中身はこんな感じで、このタレをつけていただく。

 まあ、酒の肴にピッタリだ。レンジでちょっと温めてもいい。

 越後屋焼蛤店のサイトはコチラ

EPSON RD1s+ELMARIT 28mm/F2.8 (焼き蛤はFujifilm X10) @Urayasu (c)tsunoken

2014年2月16日 (日)

『キャラ立ち民俗学』は民俗学はどこまで学問なのか、ってことね

 ってことで、「B&Bで買ってきた本」その1はみうらじゅん氏の『キャラ立ち民俗学』だ。

 みうらじゅん氏が言いだしっぺであるという「マイブーム」は広辞苑第六版に掲載されているが、「ゆるキャラ」はまだ載っていない。次の版では載るんだろうか。

Photo『キャラ立ち民俗学』(みうらじゅん著/角川書店/2013年3月31日刊)

 腰巻には『無駄な努力と無駄な物量。みうらじゅん的研究論文。天狗もエロも学問。』って、民俗学をバカにしてやしないか? とも思うのだが、そんなユルさが実は民俗学なわけではあるなあ。つまり、民俗学者って基本的には単なる収集癖を「民俗学」と称して「ガクモン」であるかのように装っている、単なる「オタク」だったりする。

 で、みうら氏が取り上げている民俗学的対象とは何か?

 基本的には「性」にまつわることども。まあ「男根」と「女陰」ですな。町のそこらじゅうに見られる「車止め」を「チンチン」に見立てた「確珍犯」的な見方だとか。「双体道祖神」とか「キリストの墓」「土偶」「天狗」などなど。

 あるいは「海女」とか「飛び出し坊や」「ヌードサックス」「○ッキー・マウス」や「角兵衛獅子」「菊人形」、フィギュアならぬ「フィギュ和」。

「ゴムヘビ」なんかも、確かに昔はよくあったなあ。

 さらに「地獄」なんかも、民俗学的対象と言ってしまえば、言えないこともないしなあ。

『三十代も終わりを告げようとした時、オレの頭のどこからか“海女はどう?”という甘い問いかけが聞こえてきた(気がした)。どう? って聞かれてもどう? 人生というものは現世で湧き起こった疑問をすべて解決してこそ“全うした”といえる。一人電通としてはAMAをブームにするべく海女のメッカである伊勢志摩を訪れるしかなかった』

 というけれど、みうら氏がこの文章を書いた三年程後にちゃんと「海女ちゃんブーム」が来たわけですな。ただし、伊勢志摩や千葉じゃなくて、もっと北の方で……。まあ、取り敢えずこれはみうら氏的には「自分の仕掛けじゃなくてちょっと悔しい」かもしれないが、一人電通的にはどこかでつながっているこの社会の面白さでもあるかもしれない。えっ? 宮藤官九郎がみうら氏のこの文章を読んでいた可能性があるって? う~む、その可能性もなくはないか。

 だったら、一人電通大成功じゃないか!

「ヌードサックス」というのは、私は見たことはない。横須賀の街にもジャズ・プレイヤーはいたのだが、これはちゃんと服を着ていた。

Img0142サックスじゃなくてトランペットだけど、ちゃんと服を着ているでしょ。

Img0252ただし、こんな変なタトウ付きのマネキンやら

Img0182フィギュ和屋さんなんかもあって、ヨコスカも十分、みうら的民俗学の対象になるかもね。

OLYMPUS PEN FT+F.Zuiko Auto-S 38mm/F1.8 @Yokosuka (c)tsunoken

『キャラ立ち民俗学』(みうらじゅん著/角川書店/2013年3月31日刊)角川だもん当然Kindle版も出ている。

2014年2月15日 (土)

B&Bに行ってきた

 一昨日のブログで書いたB&B(Book & Beer)に行ってきた(実際に行ったのは2月11日)。

2014_02_11_11652まずは吉祥寺から可愛らしい井の頭線に乗って

2014_02_11_11552下北沢で降りたら南口商店街をMacの前を通り過ぎて

2014_02_11_11542ちょっとだけ進んでSoft Bankの前を左折

2014_02_11_11442するとすぐにB&Bの看板が見える左の方へ行って2階に上がれという表示

2014_02_12_11852で、ビルの脇に回ると入口の階段がある

2014_02_11_11462階段を上がって

2014_02_12_11862B&Bに到着

 で、店内の印象は、千駄木往来堂書店を更に過激にした感じで、往来堂も笈入店長が「編集」した棚構成で普通の書店とはかなり違って選書には多少慣れが必要だが、ここB&Bは更に慣れが必要だ。

 基本的にはアートや民俗学などが目立つ感じの印象だが、慣れてくると並んでいる本の関係が見えてくる。さすがに内沼氏とそのスタッフの「編集力」も面白い。

 ただし、これはまず第一印象なので、何度か通っていくとまたまた印象は変わってくるのではないだろうか。

 う~む、こりゃ攻略するためにはちょっと時間がかかりそうだな。何回かはこの店に行くことにしよう。

 で、取り敢えず今回の戦果はこれ……

Bb

EPSON RD1s+ELMARIT 28mm/F2.8 @Shimokitazawa, Setagaya (c)tsunoken

2014年2月14日 (金)

CP+2014開幕!

「CP+」とは「Camera & Photo Imaging Show」のこと。つまり。カメラに関する総合的なショーということで、カメラ関連メーカーの新製品発表の機会というわけなのだが……

2014_02_13_11892

2014_02_13_12102キャノンのブースでは専らミラーレス機のPower Shot G1X MarkⅡの売り込みが主で、何故か最高級EOSシリーズの売り込みはあまり目立たない。高級1眼レフではあまり業績が良くないキャノンの実情が現れているのだろうか。

2014_02_13_12162一方ニコンは、Dfという「お遊び用高級1眼レフ」と当時に……

2014_02_13_12182ちゃんと次期フラッグシップ1眼のD4sを参考展示するなど、総合「カメラ・メーカー」としての体面を保とうとしている。

2014_02_13_12122更に「カメラ日和」とか「女子カメラ」とか「カメラのある生活」の提案など、いろいろソフト部分の提案もあるなあ。

2014_02_13_11912オリンパスは当然、今売り出し中の「OM-Dファミリー」の売り込みに注力。

2014_02_13_11992エプソンはRD1シリーズの有線基線長のもう少し長い新製品を期待しているんだが、やはり今年もプリンターがメインの展示で、レンジ・ファインダー・デジタル(RD-α)の新製品はなかった。残念ではあるけれども、そこでライカと争ってもな、という大人の判断なのだろう。

2014_02_13_12222しかし、このGoProだとか……

2014_02_13_12302「プロ向け動画エリア」なんてのも見ると、デジタルによってますます静止画と動画の境目が無くなっていることを感じさせる。

2014_02_13_12342こんなラジコンの空撮デバイスなんて欲しくなってしまう。かなり小さくなっている。勿論、これは動画用ですよ。まあ静止画でも使えるけれども、意味ないでしょ。

CP+2014は2/16までパシフィコ横浜で開催中。公式サイトはコチラ

 ところで、CP+に行かれたら、ちょっと足を延ばして関内にあるKN日本大通ビル(旧横浜三井物産ビル)まで行ってはどうだろうか。

2014_02_13_12582このビルの1階に「GALERIE PARIS」と言う画廊があって、CP+と同じく2/16までの会期で、犬を使ったユーモラスな写真で有名な「エリオット・アーウィット in YOKOHAMA」という写真展をやっている(入場無料)。

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GALERIE PARISのサイトはコチラ

Fujifilm X10 @Yokohama (c)tsunoken

2014年2月13日 (木)

『本の逆襲』は楽しい本だ

 タイトルを見て、また紙の本礼賛かと思ったら、そうじゃなかった。

Photo『本の逆襲』(内沼晋太郎著/朝日出版社/2013年12月15日刊)

『たとえば「飲食業界の未来」と「食の未来」、「アパレル業界の未来」と「ファッションの未来」とが別であるように、「出版業界の未来」と「本の未来」とは別のものだと考えるようになりました。「出版業界の未来」ははっきり言って暗いけれども、生き残る方法はたくさんあるし、「本の未来」に至ってはむしろ明るく、可能性の海が広がっているとぼくは考えています』

 という内沼氏は「本に関するクリエイティブ・エージェンシー」であるnumabooksを運営しており、更に、下北沢で「B&B」という書店を経営している人だ。

 そんな内沼氏が「本の未来についてどんな可能性があるか」と考える際の切り口として10項目を上げる。

1 本の定義を拡張して考える
2 読者の都合を優先して考える
3 本をハードウェアとソフトウェアとの分けて考える
4 本の最適なインターフェイスについて考える
5 本の単位について考える
6 本とインターネットとの接続について考える
7 本の国境について考える
8 プロダクトとしての本とデータとしての本を分けて考える
9 本のある空間について考える
10 本の公共性について考える

 という10の切り口だ。

 そもそも電子書籍が登場して以降、本はもはや定義できないものになってしまっている。『本を狭い定義の中に押し込めずに、あれも本かもしれない、これも本かもしれないと考えることが、これから本の仕事をするにあたっての大前提になる』ということ。

『時間はかかるかもしれませんが、おそらくいずれ、コピペできない電子書籍はもちろん淘汰され、ファイルがDRM(デジタル著作権管理)で保護されることもなくなり、電子書籍ストアの境もなくなり、フォーマットも統一されていくだろう』、何故か? その方が『読者にとって都合がよい』からである。

『いまハードウェア(=スマートフォン)を買っているのが誰で、求めているソフトウェア(=コンテンツ)が何なのかを考えることは、日常的に書店を訪れる人よりもずっと大きな母数の潜在的な「読者」を目の前にして、そのチャンスを活かそうとする』ことになる。

『大前提として、最適なメディアやインターフェイスというのはコンテンツによって違います。本全般を一括りにして、紙の方がいいとか、電子書籍がいいとか言うのはナンセンスです。これからの本を考えるにあたっては、そのコンテンツに合ったメディアを選択し、そのコンテンツに最適化したインターフェイスを設計する』という考え方が欠かせない。

『いま電子書籍のプラットフォームの多くでは、一部の雑誌が記事単位で本と並列に売られていたり、紙で1冊だった書籍が2分冊にされて販売されていたりします。目次に沿って章単位で分割し、ユーザーが自分なりに再編集して扱えるようにするべきだ、といった議論もよく見られます』つまり、音楽販売が以前はCD単位だったのが、今は1曲単位で販売されているようなものである。つまり、本の最小単位は「論点」である、ということ。

『本の定義を拡張して考えると、そもそも電子書籍もウェブサイトも広義では同じデジタルの本であり、その違いはないとも言えます。無料で読めて広告収入で成り立っているウェブマガジンやニュースサイトが存在する以上、絶版となってしまった紙の本をウェブサイト化して無料公開し、広告収入でマネタイズするという方法も、まだ事例は見当たりませんが』充分考えられる方法だ。

『インターネットの登場により、本が国境を飛び越えやすくなりました』という。いやいや翻訳の問題があるじゃないか、と言っても、そんなものはクラウドソーシングでもって安価にできるし、インターネットのおかげで印刷・製本・流通コストは圧倒的に安くなる。更に、2050年にはコンピュータによる自動翻訳も可能になるという予測がある。

『いま電子書籍と呼ばれているものが主流になるかどうかはさておき、紙に印刷された本ではなくデータにお金を払い、何らかの端末でそれを読むという行為は、これからは多くの人にとって、よりポピュラーになっていくでしょう。米国人乗客の多い飛行機にのっていると、もはやみなKindleやiPadなどの端末で文字を読んでいて、紙の本を読んでいる人などほとんどいないと言います。その一方で少なくとも日本では、電子書籍のユーザーからはよく「この本は電子書籍でほしいけど、この本は紙でほしい」といった声が聞こえてきます。プロダクトとしての本とデータとしての本を分けて考えるというのは、この二つの「ほしい」の違いについて考える』ということ。また、『データは200円で、普通の紙版は500円。革で装幀された豪華版とグッズのセットは、限定500部で1万円。さらに生原稿をリトグラフで複製し額装したものが付いているのは、限定10部で10万円』というような売り方も出てくるかもしれない。

 本のある空間ということで言えば、書店や図書館だけではなく、とにかく本が置かれている空間であり、更に言えばコミケや文学フリマのようなイベント、東京の谷中・根津・千駄木エリアで毎年やっている「不忍ブックストリート」なんてのもある。

 本の公共性というところは、まだ著作権との考え方とのバランスが必要になるのかもしれない。

 う~む、この内沼氏という人も面白そうだが、彼の経営する「B&B」にも興味が湧いた。彼がアルバイトをしていた千駄木の往来堂書店は私もよく知っているし、店長の笈入氏もよく知っている。

 うん、今度「B&B」も行ってみよう。

2014_02_11_11472ということで行ってきた。

 そしてどうだったかは、明日のブログで……。

『本の逆襲』(内沼晋太郎著/朝日出版社/2013年12月15日刊)Kindle版も出ている。

2014年2月12日 (水)

『迷わない。』って言うのは怖いねえ。

『迷わない。』って「モーニング娘。」か? ってどうでもいいことなんだけれども。

Photo_2『迷わない。』(櫻井よしこ著/文春新書/2013年12月20日刊)

 ポイントは

『あのころの私はリベラルな考え方をしていました。ポンドさんの人脈もそうでしたし、時代背景も若さも、リベラルを推し進める要素だったことでしょう。そんな思考にあわせて、雑誌「世界」などを毎号読んでいました』

 という櫻井よしこ氏が、何故、今のような「ゴリゴリのタカ派的思考」になったのか、というのがこの本を読んでみようかなと考えた理由なのである。

 私も日本テレビの「きょうの出来事」で初めて櫻井よしこ氏を知った訳だが、その頃の櫻井さんはそれほど政治的な姿勢は表に出していなかった。というかニュース番組という性格上あまり個人のオピニオンを出せるものではなく、それは仕方のないことであったのだが、しかし、実際には当時から保守派に属する立場だったんだろうな。

 なにしろ

『海外での日本の地位、評価、存在感は下降していました。段々と追いつめられています。その典型例が歴史問題です。このまま日本が本当にアジアの悪者にされてしまう。大変な危機です。
 また、台頭をはたして大国となった中国の前で、日本の国防は甚だしく脆弱です。この脆弱さを乗り越えて、国防の基本を整えなければ、これまた大変なことになります。
 国際社会に日本の姿を正しく見てもらって共感を得なければ、この危機は乗り越えることができません。逆にいえば、日本を正しく理解してもらえば、必ず世界は日本の目指すところをきちんと受けとめ、共感を示してくれます。そのために、日本自身が自らについて語り、発信しなければなりません。私たちがいまどんな国を目指しているのか、日本はどんな歴史を歩んできたのか、どのような価値観を抱いているのかを説明しなければ、国際社会の共感を得ることは、およそ不可能です』

 と言ったって、その発言を櫻井さんがすることで、かえって国際社会は日本を誤解するだろうし、敵対するのである。

『前にお話ししたように、若いときの私は、リベラルな考え方をしていました。若さは、理想を求めます。戦争がないほうがいい、核兵器がないほうがいい、と。であるならば、そのような理想の国や、良い社会を作るために、自分は尽くして発言し、情報を伝え、働くべきだと思います。
 しかし、取材を通していろいろ学んでみますと、現実世界は理想的には動かないのがわかってきます。人間は冷徹な鉄の法則で縛られているという面があります。悪を閉じ込めていたパンドラの箱を一度開けてしまった人類は、出てきた悪をもう一度箱の中へ戻すことはできないのです。性善説と性悪説でいえば、性悪説で考え、備えるべきだという現実が見えてきます。取材を通して現実を知るにしたがい、現実から目を逸らしてははならないことを学びとっていきます。
 そのプロセスを、私は辿ってきたと思います』

 なるほど、

『朝鮮半島問題も、歴史認識問題も、日本テレビにかぎらず各局の報道は、得てしてリベラル系です。私は自分の限られた学びを通して、世の中に事実として報じられることは、必ずしも事実そのものではない場合もあるのではないか、と感じ始めていました。
 そこで、報道局の若い部員たちと、気になる事柄について、つとめて話すようにしました。
 たとえば、歴史認識についてです。「南京事件は、大虐殺などなかったんですよ」「慰安婦の強制連行はなかったのですよ」などなどです。
 みんな真面目な顔で聞いていました。しかし、陰では、
「櫻井さんは気が狂ったのでは」
 などと言っていたのが伝わってきました』

 いやいや「気が狂った」のではなく、心底そんな考え方をしているのであったのだろうなあ。。

『そういえば、ベテランのデスクから、こんなふうにも言われました。
「櫻井さんはウルトラ右翼だからなあ」
 冗談めかしていましたが、この人は多分本気だったと思います。私は自分の立ち位置が右翼だなどとは全然思っていません。国際社会から見るときわめた真っ当な、中道の考え方です。その私を「ウルトラ右翼」という人の立ち位置は、控えめに言っても国際社会では「リベラル」ないしは「左翼」ということになるのではないでしょうか』

 って、そんなことはない。だいたい日本テレビに左翼なんている筈ないじゃないか。基本的に讀賣新聞系列の日本テレビ放送網である。保守論壇に属する讀賣系列の日本テレビの社員は「保守」かせいぜい「リベラル」である。その人を捉えて「左翼」だなんて言うのだから、櫻井さんの右翼ぶりも相当なものなのである。

 で、結局、そんな「自分のオピニオンを言えないテレビ・ニュース」の世界には自分の居場所がないと感じたので、活動の場所を雑誌に求めたのではないだろうか。

『それにしても、「きょうの出来事」の直接の仲間との思い出は、たくさんの楽しいことばかりです。番組が夜中に終わりますと、日本テレビ報道局の社員だけではなく下請けのスタッフもみんな誘って、二、三十人で繰り出しました。朝までよく飲み明かしました。一升瓶が一晩で何本も空きました』

 というのは私も感じていたことである。

 実は私も学生の頃、日本テレビ報道局でアルバイトをしていて、昼間の学生だったので基本的には夜バイト。1年目は報道部のボーヤさん(格好よく言えばニュース番組のアシスタント・ディレクター)で、2年目がニュース・フィルムの編集助手。まあ、この辺が私を映像思考を更に加速させた理由なんだけれども、やはり「きょうの出来事」の後の「反省会(という名前の社内の飲み会)」や、社員の人たちやバイト仲間などとの飲み会などなど、思い出もいろいろある日本テレビなのである。だからこそ櫻井よしこさんにも親しい感じあがるのだが、その彼女がねえ、あのエレガントな雰囲気で、超右翼的なご発言をするんだから、もう困っちゃうのである。

 だって、その雰囲気だけでOKになっちゃう男もいそうだから怖いんである。

 そんなに徴兵制をやりたいですか? そんなに戦争をやりたいですか?

『迷わない。』(櫻井よしこ著/文春新書/2013年12月20日刊)当然、Kindle版もある。

2014年2月11日 (火)

Fitbit weekly progress report from Feb.3 to Feb.9

 Fitbitから先週のレポート。

 トータルで85,281歩、59.70km。

 最も活動的だったのが2月9日(日)で20,735歩、14.51km。

 最も非活動的だったのが降雪で一歩も家から出なかった2月4日。3,309歩、2.32km。これはやはり降雪で家から出なかった2月8日もそうで、3,872歩、2.71kmだった。

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更に風雅を極めんと六義園に

 家入一真は獲得票88,936票と残念ながら都知事選の供託金は没収の憂き目に。

 しかし、今後は今回作った「インターネッ党」でもって区議選、区長選、都議選なんかに関係者を出馬させる方針なので、これは楽しみだ。それらの選挙は都知事選に比べれば、はるかにハードルは低いので、本来の「草の根選挙」が出来るっていうわけで、「草の根」っていうのはネットの世界とは親和性が近いので、取り敢えず声を上げるために都知事選に出た家入氏の発想も間違ってはいなかったということなのだろう。

 今後が楽しみだ……。

 ということとは関係なく……

 一昨日は『更に「風雅=詩経大序にいう六義中の、風と雅」(「広辞苑」第六版)を極めんと、駒込六義園に行こうと思った』が、行けなかったので昨日改めて行ってきた。まあ、リベンジって訳でもないけれどもね。

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 が、やはりこちらは整備された庭園であるので「除雪の影響のため通路を一部通行規制したおります」という看板が。

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 とは言うものの、人が通るところは除雪されていて歩きやすくなっている。さすがにこの辺が「公園」と「庭園」の違いだな。

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 交通規制がかかっていると思ってた藤代峠も上がれて、峠の頂上からの眺めも楽しめる。

 白梅が花をつけていて、春の近さを物語る。

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 藤代峠からの眺めをもう一つ。正面に見えるのが建替え中の我がマンションであります。クレーンが脇にあるビル。いいだろう。出来上がれば、逆にマンションの屋上から六義園の花見とかも出来ちゃうんだよな。それもタダで。

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 とまあ、六義園の雪景色でした。

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 ということで、何とか一昨日の目標達成!

EPSON RD1s+ELMARIT 28mm/F2.8 @Rikugien Komagome, Bunkyo (c)tsunoken

2014年2月10日 (月)

風流韻事

「風流韻事=風流なおもむきのあるあそび。自然を楽しみ、詩歌を作って楽しむこと。」(「広辞苑」第六版)

 これも風流なのかなということで、都知事選挙は家入一真に投票した後は、石神井公園方面へ。

 なので、今日は野暮なことは書きません。取り敢えず石神井公園とその近辺の自然(疑似自然?)をお楽しみください。

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 更に「風雅=詩経大序にいう六義中の、風と雅」(「広辞苑」第六版)を極めんと、駒込六義園に行こうと思ったのだが、なんか最近慣れない雪道歩きで、妙に疲れたので家に帰った。

NIKON D7000+AF-S NIKKOR 18-105mm @Shakujii Koen Park (c)tsunoken

2014年2月 9日 (日)

JHONSON AIR BASE!

「JHONSON AIR BASE」(ジョンソン航空基地)というのは、現在は航空自衛隊入間基地の1945年から1958年までの呼び方だった。

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 それ以前は陸軍航空士官学校。第二次世界大戦の敗戦によって米軍が進駐し、東京湾上空で遭難したジェラルド・R・ジョンソン大佐にちなみジョンソン航空基地と名付けられたもの。

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 1958年に同基地の一部に航空自衛隊入間基地が発足し、米軍との共同使用を経て1961年に飛行場部分、1973年に住宅施設部分が返還され、1978年に最終的に残っていた通信施設が返還された。

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 組織は18部隊、4,300人の将兵がいる、航空自衛隊最大級の基地である。

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 所属する航空機は、コミューター機のU-4、YS-11、U-125、輸送機のC-1、ヘリコプターはCN-47J、訓練機のT-4などで、戦闘機はいない。

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 現在「ジョンソン基地」の遺構は残っておらず、基地の西側に「ジョンソン基地跡池公園(彩の森入間公園)」というのがあるだけである。

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 と言おうとしたら、基地脇に「ジョンソン・カフェ稲荷山」なんてのがあった。なんか建物は昔の米軍ハウスみたいなんだけれど、ジョンソン基地があった頃からやっていたんだろうか? どうなのかなあ。カフェのサイトもある。

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 で、基地の周辺にはかならずいる「ベース・ウォッチャー」のおじさんなのであった。

EPSON RD1s+ELMARIT 28mm/F2.8 @Sayama (c)tsunoken

2014年2月 8日 (土)

『本当はこんなに面白い「おくのほそ道」』の読み方もあるのかな

 TPRG(テーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム)というのは、ちょっと前に流行ったゲームジャンルではあったのであるが、それは基本的に「自分を主人公にして、いろいろな条件を設定しながら進む、ストーリー」である訳なので、まあ、言ってみればどんな小説でもRPG的に読めるということでもあるし、どんな小説もRPGとして読むことも可能、ということなのだ。

Photo『本当はこんなに面白い「おくのほそ道」 おくのほそ道はRPGだった!』(安田登著/じっぴコンパクト新書/2014年1月24日刊)

『月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして旅と栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれかの年よりか、片雲の風にさそはれて漂泊の思やまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひてやゝ年も暮、春立てる霞の空に、白川の関超えんと、そゝろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取る物手につかず、股引の破れをつづり笠の緒つけかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかゝりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、

 草の戸も住かはる代ぞ雛の家

 表八句を庵の柱にかけておく。弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として、月は有明にて光をさまれるものから、不二の峯幽にみえて、上野谷中の花の梢又いつかはと心細し。睦まじきかぎりは宵よりつどひて、舟にのりて送る。千住といふところにて舟をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻の巷に離別の涙をそゝぐ。

 行く春や鳥啼き魚の目は泪

 これを矢立の初めとして、行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、後影の見ゆるまではと見送るなるべし』

 というのが、松尾芭蕉の『おくのほそ道』で出だしの記述だ。

 その『おくのほそ道』を安田氏は「江戸を出立して平泉に至るRPG」、つまりこれは源義経の霊を鎮魂するための旅だというのだ。

 で、この旅を4つのステージに分けて考える。

 まず第1のステージが「深川から日光」に至るファースト・ステージ「死出の旅」。

『出発前の芭蕉は「ただの人」である。荷物の重さにぶつぶつ文句をいい、別れのつらさに涙する。そんなふつうの人である。そんなふつうの人間がRPGの旅に出るような英雄(ヒーロー)になるには、一度「死」を体験しなければならない。それをするのがこのステージである。死ぬのであるから、むろん何もゲットしない。すっぴん芭蕉だ』

 そして次の第2ステージが「日光から白河」に至るセカンド・ステージ「中有の旅」。

『「中有」というのは、死んで再び生まれ変わるまでの宙ぶらりんな状態をいう。「ふつうの人」ではなくなったが、まだまだ鎮魂の旅に出るには早い。「死」の傷も癒さなければならない。そんなステージだ。ここでゲットするのは、これからの旅の糧となる生活エネルギー「ライフ」である。おいしいものを食べ、酒を呑み、旅銀もゲットして、衣食足りてはじめて「こころの旅」に出るのである。ここでの芭蕉のジョブは商人である。句会を開き、句の添削をしながら、生活エネルギーをゲットしていく』

 続く第3ステージは「白河~飯塚」に至るサード・ステージ「再生の旅」。

『このステージで芭蕉はさまざまな「歌枕」に寄る。歌枕こそ、今回もっともゲットしなけばならないアイテム、「詩魂」を入手できるところだ。詩心のある詩人が歌枕に寄る。そこで昔のことに思いを寄せ、あるいは句や歌を詠む。それによって「詩魂」のパワーが手に入る。この「詩魂パワー」こそ、鎮魂にもっとも必要なアイテムであり、「詩魂」のパワーによって、芭蕉たちは怨霊や亡霊の魂を慰めることができるのだ。

 最後の第4ステージは、勿論「飯塚~平泉」への「鎮魂の旅」である。

『ふつうのRPGでは、最後にすごいボスキャラが出てきて、ゲーマーたちはそれまでにゲットしたさまざまなアイテムを使って、このボスキャラを倒してエンディングを迎える。が、『おくのほそ道』RPGでは戦いはしない。
 最大のボスキャラである義経の霊に対して、最大の号泣をし、渾身の句を読み、その魂を慰めるのだ』

 というのだが、まず西行が当時の後鳥羽院だろうかわからないが、その命を受け崇徳院の鎮魂を行なったというのが分からないし、それと松尾芭蕉が徳川幕府からの命で、同じように源義経の鎮魂を行うという理由がよくわからない。

 が、まあこれは一種の「見立て」であるから、原典をどのように読もうが、それは読み手の勝手である。まあ、もともと松尾芭蕉という人物自体が、伊賀の土豪一族出身の父・松尾与左衛門と百地氏出身の母・梅の三男として生まれたということからしても、松尾芭蕉=忍者(スパイ)説というのが昔から言われており、『おくのほそ道』自体も幕府の命による、奥州・伊達家の内情視察だったという話もまことしやかに伝えられているのである。

 ということなので、まあ読後感としては「まあ、そんな読み方もあるのね」というレベルでしかないのであるが、やはり問題は『おくのほそ道』の後半部分をなんで捨象してしまうんだろうか、ということなのである。

『ここから先の旅は、今まで読んできたような深刻な旅とは違い、さまざまな俳人や、遊女、商人、僧などとも会っていく。華やかな旅となる。飯塚の宿で苦しんだ「ノミ」も、あるいは馬の尿なども、後半の旅では風流の一興として句にしてしまったりする。つらい現実はありながらも、それを深刻に受け止めずに笑い飛ばしてしまう、そんな旅となるのだ』

 と「あとがき」に書いているけれども、私としてはそんなに前半(平泉まで)と後半(大垣まで)とで書き方が違うとは思えないのである。まあ、確かに前半では「平泉に行きたい」という目的があって、しかし、それは「幕府の命」ではなくて、「西行への思い・憧れ」だったのではないか、そして歳をとるとある種の人に出てくる「漂泊」への思い、というのが普通の読み方だ。

 なので、後半はその思いを遂げたので、どちらかというと、蕉門の弟子を増やすことが旅のメインの目的になったのかも知れないが、やはり基本的には西行への憧れ(出家して勝手に各地を彷徨う)が芭蕉をして種々の旅に誘うことになったのではないだろうか。

『おくのほそ道』であっても最後に引用したのは西行の歌であったのである。

 終宵嵐に波をはこばせて
  月を垂れたる汐越の松

『本当はこんなに面白い「おくのほそ道」 おくのほそ道はRPGだった!』(安田登著/じっぴコンパクト新書/2014年1月24日刊) 原典はコチラのKindle版で。そんなに難しいものではないので、現代語訳になっていなくても読めます。

2014年2月 7日 (金)

新老人の思想

『新老人の思想』は「新『老人の思想』」なのか、「『新老人』の思想」なのか?

Photo『新老人の思想』(五木寛之著/幻冬舎新書/2013年12月10日刊)

『すなわち、「老人階級」の出現だ。
 高齢者層とか、老人層とかいった「層」ではなく、あきらかにこれは「階級」である。
 第一、第二、第三、といった区分分けが味気なく感じられるのなら、「階級」でいい。
「若年階級」「勤労階級」「老人階級」の三つの階級である。
 階級というものは、対立するものだ。三つの階級は当然のことながら対立する』

 で始まって、

『長命、長寿ということを、必要以上に美化するのはまちがいだと思う。マスコミには、とかく元気な長寿者を誇大にクローズアップする風潮がある。それによって老いに対する幻想がはびこり、おのれの現実との落差から絶望におちいる人も多い。生命を尊重するということは、人間を自然の一部と覚悟することだ。そこに目に見えない感動も、アイデンティティーも存在するのではないか』

 で終わる本書は、まさしく「老い」と「死に向かいあう」ことを説いた本なのである。

『平凡パンチ』誌で『青年は荒野をめざす』で五木寛之氏の作品と出合った私も、氏の近年の親鸞への傾倒を知っているし、それなりの「死」への覚悟もそれとなく理解できる。しかし、一冊全編「老い」と「死」について書かれた本を読んでみると、ちょっとショックではあるが、それも仕方のないことなのかも知れない。五木氏もすでに81歳であり、ある意味で「死を目前に抱えている」訳なのであるな。

 五木氏によれば「気高きアングリー・オールドメン」には5つのタイプがあるそうだ。それが「タイプA 肩書き志向型」「タイプB モノ志向型」「タイプC 若年志向型」「タイプD 先端技術志向型」「タイプE 放浪志向型」の5つだそうだ。しかし、これはちょっと単純化しすぎたきらいがある。実際には、これらをないまぜにして、あるいはもっと細分化して、もっと多くのタイプがあるだろう。

『かつて団塊の世代がこの国の成長を支えた時代があった。そして十年後、二十年後には巨大な老人群が出現する。それは誰がなんといおうと、動かしがたい現実である。それらの巨大な老人層は、当然、年金で生活を支えることになるだろう。年金では足りないので、貯金を取りくずしながら老化と認知症の世界へ移行していく。晩年に待っているのは介護によって生かされる生活である。胃ろう、透析、睡眠療法、人工呼吸、その他の延命治療の進歩発達とともに、「逝けない人びと」がこの列島にあふれ返ることになるだろう』

『現在、五万人をはるかにこえる百歳以上の長寿者の八十パーセントが寝たきりで、要介護の状態にあるという。私たちには錯覚があるのだ。元気で長生き、は理想であって現実ではない。マスコミは特別に元気なお年寄りをピックアップして紹介する。その背後に、海の底のような深い世界が広がっていることを直視しようとはしない』

『世界中がかたずをのんで日本を見守っている。経済大国再登場への期待などではない。
 恐るべき急激な高齢化に、国としてどう対応するか、そこをみつめているのだ』

 では、わが国はそんな世界の期待に応えて、理想の老人国家になれるというのだろうか。

『世界中の先端医療機器の六割以上は、日本が購入しているという。そして予防医学も高度治療も、日進月歩して人びとは長寿への道をつっ走っていく。ガンも八割は治る、という大きな記事が出ていた。エイズも発症せずに生涯を送ることが可能になってきたという。
 人びとはメタボを恐れ、体調をコントロールし、健康な日々をめざす。タバコをすう人も、少なくなってくるだろう。酔っぱらいの数もへってきた。早期発見、早期治療のかけ声のもと、この国はさらに世界のトップを走る長寿国となっていくのだ』

 それはただ単に「命を長らえる」だけで、健康で長寿というものではないだろう。寝たきり老人をいくら増やしても意味はない。かといって、結局は超後期高齢者となれば、それは寝たきり老人を増やすだけでしかないのである。この矛盾はどうしたって消せないものなのである。

『高齢者の医療と介護には、おどろくほどの社会的支出が必要だ。ある意味で、それは大きな産業でもある。子供や若者を育てることよりも、はるかに多くの公的支出がそこに向けられることになる。
「老人を処分せよ!」
 という、新しいファシズム運動がおこる危険性はゼロとはいえない。敬老という習慣は、老人が古来稀ナリといいわれた時代のものだ。
 高度医療の発達は、おどろくべき高齢者社会をつくりあげつつある。命の大切さ、ということがヒューマニズムの基本なら、いまそれが揺らいでいるということだろう。全世界がそれをかたずをのんで見つめているのである』

 結局、人間というものはそうした矛盾を抱えて生きていかなければならない存在なんだろうな。

 で、そんな「長寿化→寝たきり老人の増加」という矛盾した社会となっても、人間というものは最後は死ぬのである。そこで、今度は「どうやって死んでいくのか」という問題が大きくなる。

「孤独死」「単独死」「平穏死」「独居死」などといういろいろな死に方に対する呼び方がある。しかし、死にはそんな「死に方の違い」などというものはない。結局、死ぬ瞬間というものは、すべて同じ意味しかない。単に「精神的な存在から、単なる物体になる」というだけなのだ。

『花の下で如月の望月に死にたいと願った西行も、予定通りに「逝った」人だ。キザともいえるが、見事ともいえる』

 ここでいう「花」とは桜のことである。確かに昔から桜の花と死は結び付けられて考えられていたようだ。

『死をケガレとして忌む歴史は今も続いている。生が勝利で死は敗北という感覚も、まだ克服できてはいない。老いに対する恐れと不安感も根づよい。
  <中略>
 しかし、生まれて成長し、生の営みを終えて世を去ることは、自然の理である。現在の医学は、老いと死に対する基本的な姿勢が定まっていないのではないか。
 もし、現代に宗教というものが意味をもつとすれば、この点にまともに向かいあうしかないだろう。老いと死を、どのように落ち着いて受容するかは、それこそ宗教の出番ではないのか。死者をとむらうよりも、死を迎える生者に、安らぎと納得をあたえることぐらいしか。現代の宗教には求められてはいないのだ。
 死を悪として見る文化。そして老いを屈辱として恥じる文化からの脱出こそが、私たちにいまつきつけられている直近の課題なのである』

 なるほど、これが五木氏の近年の親鸞への傾倒の理由なのだろうな。

『「非僧非俗」とは「半僧半俗」ではない。「僧・俗」を共に否定し、僧でもなく、常民でもない第三の非常民を目指した親鸞の志と、とらえるべきだろう』

 なるほどなあ。

 で、ところで冒頭の疑問〈『新老人の思想』は「新『老人の思想』」なのか、「『新老人』の思想」なのか?〉への答えなのだが、つまりは「『新老人』による新『老人の思想』なのであった。

 なあんだ。

『新老人の思想』(五木寛之著/幻冬舎新書/2013年12月10日刊)う~ん、幻冬舎って電子書籍に後ろ向きなのね。

2014年2月 6日 (木)

家入一真が120の政策を発表! えっ? 何だ?

 家入一真氏が120の政策を発表してます。

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 それは何だ? と言ってみても前の3つの政策の発展形です。で、それをまたまた支持者(?)からのTwitterやFacebookからの投稿によって拡げたもの。

 まあ、取り敢えず読んでください。

 ということで、ここに

『コンサルタントの読書術』と書評家の読書術に共通する点

 ということで、家入一真氏への選挙応援は終わり……。

 いつもの書評じゃない書評ブログになります。

 で、今回は書評を書いているようなつもりで書いてみたのだが……。

 本書は「コンサルタントが実践する読書方法」についての本なのだが、しかし、それは書評(私のブログも「タテマエ上」は「書評ブログ」なのであります。実際には「書評」になっていなくてもね)を書くための読み方にも似ている。

 つまり「アウトプット」を前提とした読み方という点。

20140130_101807『コンサルタントの読書術 確実に成果につながる戦略的読書のススメ』(大石哲之著/tyk publishing/2013年12月8日刊)

『コンサルタント流の読書法では、読書(インプット)と実践(アウトプット)は同時に行います。同時といところがポイントです』

 ではインプットとアウトプットをどうやって同時に行うのか。

①本を全部読もうとしない。始めから読まない
②必要な部分はゆっくりでもいいので考えながら読む
③事実、解釈、アクションを読み分ける
④読書のPDCAサイクルを回す
⑤読むことに集中できない要素は思い切って排除する

「読書のPDCAサイクル」って何だ?

Plan-何のために読むか、目的を絞る
Do-本を読む
Check-考える
Action-実践してみる

 なるほど、このActionの部分が書評の場合の「書評を書く」ということになるのだろうな。

『頭を良くする読書とは、読む→考えるの「PDCAサイクル」をたくさん回す読書です』

『読書も仮設思考で行うことが大切です。まず、部分的に本を読む。そして、自分なりの結論〈仮説〉を立てる』

『読む→考える→さらに読む→再び考える(または行動する)というPDCAサイクルを短時間のうちに回すと、飛躍的に本の理解度が増してきます』

『1冊の本から多くを学ばない。本は全部は読まない。
 必要な箇所のみ読んでいくいという「目的に対する効率」、読んだ箇所が確実に実践につながる「生産の効率」、この2点を重視するほうが良いと考えます』

 ではどうやってその本の「読むべき個所」を見つけるのだろうか。

『①パラパラめくって重要なところを探す
 
  <中略>
 読書の前に、本を手にとって、パラパラとめくりながら、図表や見出しをチェックしていきます。これは、書店で本をスクリーニングするときの方法と同じです。もう一度図表や見出しを読みながら、どこか役に立つポイントかということを、俯瞰してチェックするのです。パラパラ見ながら、ちょっと目につく見出しがあれば、少し読んでみます。役に立ちそうだと思ったら、チェックする意味で、ページに折り目をつけておきます。
  <中略>
 ②折り目をつけたところから読んでいく
  <中略>
 2、3ページ読んだところで、確かに重要で、目的に沿ったことが書いていると思えば、熟読モードに入っていきます。
  <中略>
 ③熟読モードで読む
  <中略>
 ④残りをざっと流し読みする』

 という読み方である。

 ふ~ん、これまた私と同じような読み方だなあ。ただし、私の場合は「折り目をつける」のではなく、ざっと読んだ際にポストイットの付箋をつけるのである。電子書籍の場合は、「ハイライト」機能でマークしておく。

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 住友スリーエムの「Job is Clear」という透明見出しの付箋。これをアラ読みの時にどんどんつけていって、次にその付箋をした部分を読む。

 当然、アラ読みの際には殆ど書評の方向を決めていきながら読んで、付箋をしたところを読むときには、その書評の方向性の再確認と、抜き書きする部分を決めながら読んでいく。そうすると結構、その本の本質が見えてくる。勿論、その逆もあって、「えっ? 予想していた方向とは違ったものになる」ということもありますがね。その場合は、方向を修正するだけである。

 てな感じで、毎日毎日本を読みながら、言ってみれば「読書ノート」みたいな感じでブログを書くのであり、つまりそれは他人のために書いているのではなく、実は自分のために書いている訳なのである。

 そんな自分のための読書ノートを、毎日毎日読んでくださるこのブログの読者には感謝しつつ、今日の書評(もどき)ブログの筆を置きます。

『コンサルタントの読書術 確実に成果につながる戦略的読書のススメ』(大石哲之著/tyk publishing/2013年12月8日刊)

2014年2月 5日 (水)

The new mailmagazine from Mr. Chris Guillebeau titling "Lessons on Freedom and Money form Six Creative Pros."

 クリス・ギレボー氏からの新しいメールマガジン。題して"Lessons on Freedom and Money from Six Creative Pros."(6人のクリエイティブなプロフェッショナルからの、自由とお金に関するレッスン)

 クリス・ギレボー氏のサイトはコチラ

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家入一真氏の政策発表③

 一昨日、昨日に引き続き、1月31日の家入一真氏の政策発表記者会見から

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 3つめの政策「遠い政治がもっと近くなるぼくらの東京」

『先ほど冒頭で言ったように、今の政治ってすごく遠いなあって僕は思うんですよ。

 選挙で言っても、誰が勝った負けたとか、右だとか左だとか、原発のワンフレーズで人を選んだりとか、なんかそういう政局沙汰ばっかりやってて、結局、僕らの生活と何がどう関係しているのか、全然分からないんですよね。

 そんなとこで僕らの未来って決められているんだなあって思うとすごく悲しいし、何かがおかしいと思うんですよね。

 この選挙も僕らが稼いだお金の一部を使って行われているわけだし、なのに政治家の人たちは高いところから一方的に、その、見せかけの答えですよね、何度も言ってるんですけど、選挙カーの上に乗って、これが答えです、みたいな感じで押し付けるように語るのが僕にはしっくりこなくて。

 それ本当に答えなのかなって思うし、往々にして公約なんかも掲げても守られなかったりするし、だったら公約ってそもそもなんだろうって思うし、だから政治っていうものを政治家だけのものにしちゃっているんじゃないかなって、僕は思うんですね。

 それでいいのかな、と。

 政治を政治家だけのものにしちゃいけないと思うし、選挙活動も始めて僕はすごく感じるようになりました。

 だからこそ、今回僕らは、「#ぼくらの政策」っていう形で、皆の意見を集めるということをやりました。

 これについても、政策がないっていうのは前代未聞だよって怒られたし、皆から集めるとか前代未聞だと言われますし。

 だけど、本当の意味で対話して意見を吸い上げてきた、特に23,000件っていう数字ですけれども、そういう数字で意見を吸い上げた政治家の人って他にいたのかなあって僕は思うんですよね。

 あとネット選挙っていうことを考えても、ただ一方的に配信して終わり、っていうそれは全然わかっていないと僕は思っていて、インターネットの良さっていうのは声を上げられない人たちの声が届くってことですよ。

 そこをちゃんと認識して戦っている候補者って、他にはいないと僕は思っていて、やっぱり大事なのは、ネットを使うんであれば、ただ一方的に配信して終わりじゃなくて、候補者自身がインターネットを使って、皆の意見を対話、キャッチボールしながら拾い上げていくと。それが本当の意味のネット選挙なんじゃないかと僕は思うんですよ。

 多くの人たち、多くのメディアさんは、やっぱり若い子は政治の関心が低いっていう風に言いますけれども、そういうことは決してないと思ったんですよね。今回意見を集めることで。
 ただ単に、政治が僕らに近づくっていう努力をしてこなかっただけだし、お年寄りのお年寄りによるお年寄りのための政治が行われたいただけだし、ただ参加する機会がなかっただけなんだと思うんですよね。
 だからまず、東京都の委員会みたいなものをすべてネットで中継して、皆が見られるようにしたいと思うし、例えば、都知事室を24時間生中継するとか、僕もずっとこの事務所やってるんですけど、24時間生中継するとか、どんどんどんどん見える化していくと。それはすごく重要なんじゃないかと。

 誰でも問題提起とか、アイデアを出せるネット上の窓口を作ると。

 どんな用途で税金を使ったのか。

 税金をこういう風に使ってほしいみたいなのを、ひとりひとりが、じゃあ自分は福祉にどんぐらいとか、そういうのを設定できても面白いかもしれないですね。

 自分の出したお金が、ここにこんだけいってるとかっていうのが全部わかるとすごく面白いし、そういったアイデアもたくさんここに集まっています。

 で、投票ももちろんネットから直接できるようになる。これは世界で見てもまだ数か国ぐらいしか実現していないんだけど、その中でも日本が先駆けてやることができればすごく注目されますよね。

 あとは積極的に民間と手を組んで行って、これまで行政だけで決めてやってきたことも、東京都と民間でジョイントベンチャーを作っていろんな居場所作りをやっていくとか。

 先進的な技術を大学とも提携してどんどんオープンにしていくっていうこともあり得ます。

 そうやって、行政だけでやっていたことをいろんな人とか、いろんな会社・団体が参加できる仕組みを作って、政治に立ちはだかっている壁っていうのをぶち壊していきたいなと、そう考えています。

 この3つが、誰もが東京をぼくらの街だって胸をはって言えるようにするための政策です。

「#ぼくらの政策」っていう合言葉のもとに皆から集めてきて、だからこの政策を実行することで、例えば、いじめられている学生とか、セクシュアルマイノリティとか、シングルマザーとか、あとは社畜と呼ばれるような人とか、一人暮らしのお年寄り、挑戦した人、失敗した人、海外から来た人、政治家を志す人、そんな多様な人たちがお互いを認め合えて挑戦できる街になるんじゃないかなあ、と思っています。

 だから、みんなにとって誇れる街、東京にするためここにあげる3つの政策を実現していけばいいなと思っています。

 以上です。

 ありがとうございました』

 ということで、家入一真氏の政策発表記事は終わり。

 まあ、後は選挙結果を見るだけだ……と言っても、結局家入氏は落選だろう。むしろ供託金が没収される「有効投票数の十分の一」が取れるかどうかなんだけれども、約65万票を獲得できるかどうかは分からない。結局、家入氏を知る若い人たちの投票行動だけが頼りの選挙ではある。

 皆さん、都知事選の投票に行きましょう。

 もし、当日選挙に行けない人は、期日前投票に行って、投票済証を「#期日前投票祭り」に投稿しよう。

 家入かずま(家入一真)氏の政見放送はコチラ

2014年2月 4日 (火)

Fitbit weekly progress report from Jan.17 to Feb.2

 Fitbitからの週間レポート。

 トータルで94,174歩、65.92km歩いた。

 最も活動的な日は1月27日で20,944歩、14.66km。

 最も非活動的な日は2月1日で10,478歩、7.33km。先週は木、金と親戚の通夜・葬儀があったので、あまり週後半は動いていない。

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家入一真氏の政策発表②

 昨日に引き続き、1月31日の家入一真氏の政策発表記者会見から……

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2つめが「新しい技術でもっと豊かな生き方ができる東京」というもの。

『これは、僕はインターネットサービスを作る会社をたくさん経営してきてまして、そのうち一つは上場するところまで行ったんですけれども。

 東京都がインターネットなどの新しい技術を積極的に活用していく、ということで、多くの人の可能性を広げていくことができるんじゃないかなあ、と思っています。

 例えば、クラウドソーシングという遠くに離れた人にネットを経由して仕事とか、お願いごとを依頼できるという仕組みが昨年ぐらいから、わりと浸透してきています。

 これを使うことで、仕事で忙しいお母さんとかお父さんが、家事や子育てを他の人にお願いをしたりとか、逆に、主婦の方が空き時間を使って、在宅をしながら事務仕事をすると。まあ、こういう主婦の方は実際増えているんですね。かなり。

 そういったことが可能になる。

 あとは、これまで毎日8時間、週5日、会社に行かなきゃいけなかったような仕事も、ネットを使うことで、もっと多様な働き方ができるようになるんじゃないかなと。

 また、今回僕らはクラウドファンディングという仕組みを利用したんですけれども、クラウドファンディングを簡単に説明すると、インターネットを使って、沢山の人たちから、少しづつのお金を集めようという仕組みでして。

 今までだったら、例えば、映画を作りたいという感じだと、スポンサーが一口数千万円とか一億とかでどんと出すケースが多かったと思うんだけれども。インターネットを使うことで、例えば、一人1,000円で1万人から集めれば1,000万円になるし、一人1万円を10,000人から集めれば1億円になるでしょ、と。ネットを使ってお金と応援を集める。

 こういうクラウドファンディングという仕組みを使えば、新しいプロジェクトを始めようとしている人が、応援する人から広くお金を集めることができると。

 今回、僕の選挙資金はすべてクラウドファンディングで集めました。

 開始から5日間だけの募集だったんですけれども、700万円ほど、皆さんからご支援いただきまして、これでまず供託金300万円、堀江さんから借りていたんですけれども、返すことができるな、と。

「日本初! クラウドファンディングで選挙に立候補。僕らの力で政治の常識をひっくり返そう!」

 目標額500万円だったんですけれども、740万円をサポーターといってお金をくれた方々なんですけど、700人ほどの方から支援をいただきました。

 このお金を供託金であったり、ポスターの印刷代だったり、事務所の開設費用だったり、あとは今追加のポスターだったり、ビラを作ったり、選挙カーかな、今手配していたりとか。

 オーバーした分でいろんなこと、活動の幅が広がりつつあります。こうやってインターネットを使って、実際いろんな支持基盤がなくてもネットの向こう側にいる人から少額づついただいて、お金を集めるということが可能になりました。

 これで僕らも戦うことがようやくできるようになったと。

 こういった形で、チャレンジする人の背中を押すことができたら、どんどん新しいビジネスが生まれていって、仕事も増えていくし、生活者も便利になっていくんじゃないかなと。

 あとは例えば、いろいろ問題になってますけれども、最近だと学費が払えなくて学校に行けない子も多いですよね。高校を含めて、大学生もそうだし。

 だから、そういった学費を集めるというのにも使えるかもしれないし、あとは入院費用とかにも充てられるのかもしれません。

 こういうものに使っていくことで、どんどん便利で、助け合える世の中になってくんじゃないかなと。ただ、やっぱりそのためには無駄な規制が多いのも事実で、クラウドファンディングも、実際まだちゃんと、アメリカとかだと例えば投資なんかに使えるようになっているんだけれども、日本だと遅れていてできない。そういった問題もあります。

 だから、新しい仕組みをどんどん他の都市より、先駆けて東京がやっていくことで、他の都市も使えるようになっていくんじゃないかなあ、と。

 実際、海外だと、町おこしだったりとか、赤字に陥っている地域の公共施設の修理とかをクラウドファンディングで集めたり、というそういった事例もあります。

 もっと行政的なところでいうと、例えば僕らの情報をデータとして管理していくことで、今までの管理コストが数分の一に抑えられるんじゃないかなあと思っています。

 これまで煩わしい手続きが必要だった健康管理とか、僕ら自身に関する情報も、もっと簡単に管理できるようになるんじゃないかなあ、と。

 今例えば、落し物を落としたら、その届けられた交番以外ではそれを受け取れないですよね。なぜかというと情報が共有されないから。だけど、インターネットで情報が全部共有化されるようになれば、落し物をしても、どこの交番でももらえるようになるだろうし。

 まあ、そうやって不便で古い仕組みが残っているんですよね。

 今回、選挙に出ても思いましたけれども、選挙ポスターの位置とかもすべて紙でしか管理されていなくて、そういった古い仕組みが残っている東京をもっとアップデートしていくことが大事なんじゃないかなあ、と思っています』

 3つめの「遠い政治がもっと近くなる僕らの東京」は明日のブログで……

2014年2月 3日 (月)

家入一真氏の政策発表①

 家入一真氏が政策発表記者会見を1月31日に行った。ニコニコ動画でも見られるので、コチラをどうぞ。

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 家入氏は立候補にあたって「東京をぼくらの街に」というメッセージのもと、5つの質問を有権者に向けて投げかけた。

1.ぼくらの生活はどうしたら良くなるだろう?
2.東京はどうしたらすごい街になるだろう?
3.政治はどう変えていけばいいだろう?
4.東京をまもるにはどうしよう?
5.どんなオリンピック・パラリンピックにしたい?
未来に答えなんてありません。政治家の見せかけの答えに依存して裏切られるくらいなら、小さな問いから一緒に考えていきましょう。東京をぼくらの街にするために。

 という5つの質問だ。

 これに対して、Twitterで23,000件の書き込みがあり、それをもとにして「誰もが生き生きと生きられる東京を作る3つの政策」というものを発表したものだ。

1つめが、「どんな人にも居場所がある東京」

2つめが、「新しい技術でもっと豊かな生き方ができる東京」

3つめが、「遠い政治がもっと近くなるぼくらの東京」

 という3つの政策だ。

1つめの「どんな人にも居場所がある東京」に関しては、

『いま居場所がないと感じている人がすごく多いんじゃないかなと思っています。
 あらゆるものが多様化して、これまでの仕組みじゃもうもたなくなってきていると思うんですよね。

 孤独を感じたり、ないがしろにされている気分になったり、自殺を考えてしまったり。

 豊かなのに自殺がこんなに多い国は日本だけらしいんですよね。聞いた話によると。

 この状況を変えるために、新しい居場所を作らなきゃいけないんじゃないかなあと。
 それは、この選挙オフィスのようなリアルな居場所でもそうだし、あとはひとりひとりが承認される、自分の役割を見つけられる、そういう2つの居場所が必要なんじゃないかなあと、僕は思っています。

 これについてもいろんな意見が集まっていて、

 例えば、シェアハウス。

 僕は、シェアハウスを日本中に作っていて、どういうシェアハウスかというとドロップアウトしてしまった若い子たちが、たくさんの人数でシェアハウスに住むことで、生活コストを下げるんですね。月2~3万で生活できるように生活コストを下げちゃうんです。

 そうすると、どうなるかというと、東京に住む以上、生活費がとても高いので、一人暮らしをしようとすると、それだけで、生活費を稼ぐために仕事をすごく頑張んなきゃいけないっていう。

 そして、どんどん心身共にすり減らしてしまうと。

 そういう子が多いなと思っていて。

 そうじゃなくて、生活費を下げることができれば、例えば、バイトを週に二回ぐらいすればなんとか生活費が稼げるかもしれないし、その空いた時間でいろんな顔を作っていくことができるんじゃないですか。

 そこに住んでいる住人と一緒に新しいプロジェクトとか、新しいビジネスを始めるってこともできるかもしれないし。

 本当に自分がやりたかったことはなんだろう、っていうのを考える時間になるかもしれないし。
 そうやって、皆でシェアハウスに住む。ただ単に安いから住むんじゃなくて、安いっていうのも一つの理由なんだけれども、そこに住むことで、自分を見つけるというか、お互いを承認しあって、自分のいろいろな顔を作っていくっていうシェアハウスですね。

 そういうシェアハウスを、僕は日本中に今作っているんですけれども、こういったシェアハウスというような形態で、そういう居場所を作っていくと。

 あと他には、実際に集まった意見、政策をお話ししながらピックアップしたいんですけれど。

 例えば「フリースクールが取り上げられているけれど、これをネットを使ってもっとうまくできなかな」と。たとえば通信制のスクールみたいにオンラインを使うとか。

 こういう意見が来ていて、これも居場所だと思うんですよね。学校からはみ出してしまって。

 やっぱり日本の居場所って、家庭と会社か、家庭と学校しかないと思うんですよ。そこに居場所を失ってしまうと、もう俺は生きていけないと思って自殺してしまう。そういう人が多いんですね。あまりにも。

 だから、実は学校に行かなくたって、世界は本当に広いし、会社に行かなくたって、いろんなところで求められる役割ってあるし、そういう居場所がもっとあることを知ってほしいし、もっとそういう居場所を僕らは作っていかなくちゃいけないんじゃないか、と思っていて。

 だから、様々な事情で学校に行きづらくなってしまった子どもたちのために、欧米ではもうメジャーになっているフリースクールを整備して提供し、居場所を作っていく。

 欠席しがちな、オンラインで連絡を取り合うなど孤独にさせない仕組みづくりを促進していくっていう形で僕らは政策に落とし込んでいます。

 また、他の意見だと「しばらく前から、公立小学校では地域の学校」という改革を進めています。

 居場所のない高齢者に、子どもたちの教育をお願いすることで子どもは知恵を授かり、敬う心や道すがらの挨拶を知り、高齢者は見守る役割意識と居場所を得ます。

 若い人も参加した取り組みに発展させてほしい。

 こういう意見がきていて。

 これを、僕たちは「地域の人たちが、学校現場に参画し、共に学校や教育現場を作り上げていくという、コミュニティスクールの導入を促進していく」という公約に落とし込んでいます。

 こんな感じで、いろいろな意見を取り入れて、政策を作っているんですけど、実際にお年寄りの方と若い子とか、お年寄りと子どもが一緒に生活するっていう生活圏を作るっていうのが、これは民間だけでやることでもないと思うし、逆にいうと行政だけでやることでもないんじゃないかなあと。

 お互い一緒になって、協業してやっていくことができるんじゃないかなあと思っています。

 また、これもいただいた意見を参考にしたんですけれども、社会的に弱い立場の人が駆け込める窓口、それがないんじゃないかなあと思っています。

 例えば、家出してしまった少年とか少女が、取り敢えずはどこに問い合わせしていいか分からないとか、ホームレスの人がお腹が痛いんだけどどうしたらいいか分からないとか、そんな感じで居場所を失ってしまった人が、取り敢えずどこに電話していいか分からない。

 窓口が沢山あり過ぎるんですね。だから取り敢えず電話してくれたら、居場所を探しますよ、という窓口を作るとか、そういったこともあり得るんじゃないかと。

 これは意見としては「居場所を探す課を作ってほしい」というつぶやきからあ政策に落とし込みました。

 そういう窓口を作ったり、どんな人でも子育てがしやすい保育サービスも進めていかなきゃいけない。

 障がいのある人も、もちろんストレスなく暮らせる環境作りをやっていかなきゃけないんじゃないかなあと。

 また、wi-fiを東京全域に整備をして、インターネットがどこでも繋がるという状況を作ることができれば、どこにいても仕事ができますし、どこにいても仲のいい人とコミュニケーションをとることができると。

 これは、こういう人の繋がりですとか、インターネットを使って、いつくるかと言われていますけれども、震災であったり、そういった災害の緊急事態でも必要な情報だったり、お互いの安否の確認であったり、助け合うということができるんじゃないかな、と思っております。

 こういった施策をどんどん形にしていって、どんな人でも居場所を感じられる東京を作っていきたいな、と思っています』

 2番目は明日のブログで……

2014年2月 2日 (日)

都知事選は家入一真に投票します

 今度の都知事選には家入一真氏に投票することにした。

Photo

 都知事選の公示前までは、特に誰にしようかなということも考えずに、でも結局誰がいいのか分からないという状態だった。まあ、舛添、田母神はないだろうということだけだったのであります。まあ、私と同世代の都民は大体そんなものだろう。

 ところが、突然(本当に突然)家入かずま(一真)氏が立候補を表明してからは状況が全面的に変化した。こりゃあ家入氏に投票しなきゃあということに急展開したのであります。

 取り敢えず、下の表を見てくださいな。

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 要は、今回立候補した人たちの、現在の年齢と(もし、もう一回選挙で勝てれば可能な)次回東京オリンピック開催時の年齢であります。

 後期高齢者が6人、前期高齢者(って言うのかな)が7人です。

 トンでもないよね。そんなヨイヨイの爺いが「東京オリンピックの顔」として君臨するのかよ。まあ、日本は確実に「年寄り大国」なので、総理大臣とか都知事とかの要職につく人は、確実に欧米に比べて歳が取っているのは事実なんだけれども、それにしたって皆年寄りばかりだよね。

 本来であれば、働き盛りの40代が出馬すれば一番いいのだろうけれども、それもいない。というか、多分政党選挙の考え方では「40代で都知事」という選択肢はないのだろう。何せ、東京都の年間予算はカナダ一国と同じくらいのスケールがあって、言ってみればヨーロッパの中小国の大統領を選ぶ選挙以上の重みを持った選挙なのだ。そんな「大きな選挙」に、政党内では「まだまだ若手(!)」の40代が割り込める筈もない。

 で、まあこれまでの普通の都知事選と同じように、誰を選んでもたいして変わらないよなあという選挙になるのかなあ、と思っていたら、私もその著書でよく知っていた家入一真氏が立候補するって? そりゃあ面白い。ということで、取り敢えず、公約なんてどうでもいいから、政策なんてどうでもいいから、取り敢えず、家入一真氏を応援することにしたのであります。

 と言っても、私は家入事務所のメンバーでもないし、単なる支持者でしかないから、そこで出来ることは、私のブログを読んでいる方たちに「家入一真さんに投票しましょう」ということを呼びかけるだけなのだろう。

 家入氏には「公約」と言ったものはない。しかし、1月31日に「政策発表記者会見」なるものを行なったそうなので、その要約を明日のブログで書きます。

 取り敢えず、私が家入一真氏を支持します、という宣言をしたところで今日のブログはおしまい。

 家入一真氏の本に関する過去ブログはココココ

 まあ、今回当選する確率は限りなく低いけれどもね。

 まあ、でも今後の可能性に賭けるっていう意味では、何とかなるんじゃないだろうか。

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2014年2月 1日 (土)

『この世でいちばん大事な「カネ」の話』は、西原理恵子さんの「愛」の歌なのだった

 まあ、まさしく「壮絶なカネの話」なんだけれども、基本的には書かれているような「貧乏の連環」から抜け出した西原理恵子さんには感動なんだよなあ。

20140131_192319『この世でいちばん大事な「カネ」の話』(西原理恵子著/角川e文庫/2012/10/1刊)

「貧乏」というのは、実は哀しいことではなく、普通のことなんだ。

『貧富の差がなかったから、いわゆる「貧乏人」がいなかった。町中みんなが貧乏だと、だあれも自分が貧乏だってことに気がつかないのかもね』

 ということなんだけれども、しかし、多少大人になると「自分の置かれた場所」と、「金持ちがいる場所」の違いが見えてくる。

 しかし、なので;

『「貧しさ」は連鎖する。それと一緒に埋められない「さびしさ」も連鎖していく。ループを断ち切れないまま、親と同じものを、次の世代の子どもたちも背負っていく。わたしが大人になってから出会ってきた人たちの中にも、子ども時代にかなしい思いをいっぱいしてきた大人がたくさんいる』

『女の子たちは、いい目が見られる若いうちに、町から出て行っちゃう。いつの時代も「若くてカワイイ」は女の子が世の中と渡り合うときの有効な武器だからね。
 でも、そういうなけなしのカードさえ持っていない男の子たちは、育った町から飛び出すことがなかなかできない。だから、男の子は「いかに自分は根性がある人間か」をまわりに示すために、地元で盛大にはっちゃけるしかない』

 まあ、こんな「負の連鎖」のような連環から抜け出すことが大変なんだよなあ。

 西原さんの場合は、まず土佐女子高校に入ったことがあるんだろうなあ。そこから「上の階級」の人たちの考え方なんかを知り、「ああ、そうか私が生きてきた世界と違う世界があるんだ」ということに気が付いて、そこから世界が始まるのである。

 まあ、取り敢えずは東京の大学に行くことである。そこで、故郷の町や、人と離れることはできる。つまり「故郷にいた自分とは別の人格をそこでは獲得できる」と言う場所が「東京」だったわけだ。

 まあ、それは地方出身者ではよくある気分のようで、私のような元々東京に生まれた者にはよくわからないのだが、そんなにも東京が凄いの? ってな気分もありながら、一方で、やっぱりそんな魅力が東京にはあるんだ、ということを再認識させられたりする。

 西原さんにとっては「東京の美術大学」と「東京」は対価じゃなかったのではないだろうか。まあ、確かに「絵を描く」ことが好きだった西原さんにとっては、東京の美大に行って絵のスキルを上げるというもの重要なことだったのかも知れないが、もっと大きかったのは、「東京に行って自分がどれほどその街で通用するのか?」ということを試したかったんじゃないかなあ。

 結果として、まあ「美術」としてはどうだかわからないれれども、「絵」としては勝ち組の方に入って、漫画家としてデビューできたんだものね。

 それが「エロ本」ジャンルだったってのが素晴らしい。

 要は「エロ」要素だけ入れておけば、あとは何をやってもいいという「ユルさ」がエロ本業界にはあった、って言うのは『NEW SELF』『ウィークエンドスーパー』『写真時代』というセルフ出版(今の白夜書房)の考え方であって、まさしくそこにはいくらでも勝手なことをやってもいい「解放区」がそこにはあったんだよなあ。

 でも、そうして高知の田舎町から出てきて東京で「功成り名遂げた」西原さんも、結局、結婚した相手は鴨志田譲っていう、これまたアルコール依存症の男だったっていう皮肉。

 結局、ここでも「貧しさの連環」があるんだよなあ。

 西原さんの生みの親の親父が「アルコール依存症」で、育ての親が「ギャンブル依存症」だったってのは、必ず西原理恵子さん自身にも繋がっていることであり、それは、一種の運命なのかとも思うのだが……。

 でも、そんな「鴨ちゃん」がアルコール依存症から還って来た時、西原さんはキチンと鴨ちゃんを受け入れるんだよなあ。

 そこで、そんな運命とも思われる「負の連環」を断ち切ることができるのである。

 まあ、それが西原理恵子さん自身なのである。

 むしろ、感動すべきところは、そこなのであろう。

 まさしく、「鴨ちゃん」に対する「愛の歌」ってとこでね。

 合掌

『この世でいちばん大事な「カネ」の話』(西原理恵子著/角川e文庫/2012/10/1刊)角川文庫版は2012年6月23日刊。価格があまり違わないのが、ちょっと残念!

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