フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« The new mailmagazine from Mr.Chris Guillebeau, titling "The cure for boredom is curiosity." | トップページ | Fitbit progress report from Jan.20 to Jan.26 »

2014年1月28日 (火)

『名取洋之助』の秘密がわかる本

 名取洋之助と言えば1960年に東松照明との間で交わされた「名取・東松論争」が有名である。

Photo『名取洋之助 報道写真とグラフィック・デザインの開拓者』(白山眞理著/平凡社コロナ・ブックス/2014年1月10日刊)

「名取・東松論争」とは、『アサヒカメラ』1960年10月号に掲載された名取のエッセイ「新しい写真の誕生」において、東松が撮影した米軍基地の写真が物語性がないと言って批判したのに対して、11月号で東松が「僕は名取氏に反論する」と反批判したものだ。

 名取の言う「報道写真」とは『LIFE』なんかのフォト・エッセイ・スタイルの、写真をいくつも使って写真に物語性を持たせるようなスタイルの写真のことを言うのだが、これは戦中から引き続く「報道はプロパガンダである」という方法論に対して、東松などのどちらかと言うと「パーソナル・ドキュメント」の視点からの批判だったのである。これは東松が奈良原一高や細江英公などと作ったVIVOなどの写真集団の考え方であり、言ってみれば写真における世代間論争なのであった。

 しかし、当時すでに50歳の名取洋之助と30歳の東松照明の間で交わされた論争であり、名取と言えば近代的写真家の祖のような存在であり、まだデビューしたての東松との間の論争と言うものは、当時ではまず「あり得ない」ものなのであった。

 結局、その論争は決着をみないままに終わってしまったのだが、基本的には東松は「報道写真という言葉は、戦争の記憶とまつわるもんですから、私はすごく抵抗があったんですよね」という言葉を後に残している。

 これは名取が戦前に『NIPPON』という写真誌を出していた訳なのだが、その『NIPPON』というグラフ誌こそ対外宣伝誌として軍部に帯同した姿勢を持っていたことに対する抵抗なのであろう。まさしく写真と報道の両義性の危うさに気がついた世代と、そうした両義性に対する無批判な世代との世代間論争だった訳だな。そんな訳で、東松らの世代は写真をもっとパーソナルな方向に持って行こうとする。

 なあんてこと言ってる間に、写真はどんどんパーソナルな方向に動いてしまい、今やまさしくパーソナルな表現手段というものになってしまった。まさに国民総写真家時代である。なわけなので、私のようなトーシロであっても「フォトグラファー」なんて名刺に肩書を入れたりしているような訳である。まあ、別にフォトグラファーとかライターなんて別に資格が必要な仕事じゃないから、別にいいでしょうてなもんである。

 28ページに載っているコンタックスⅡやローライフレックス・スタンダードは名取が持っていたのと「同型機」だが、130ページに載っている、名取が『ロマネスク・1959‐1692』のために使った外付けファンダー付きのニコンSPは本物だ。いやあ凄い「本貫禄」のいいカメラだなあ。

 面白いのは48ページの「屋根付きの橋 バーモント」という写真。そうか、別にアイオワ州マディソン郡じゃなくても屋根付きの橋って言うのはあるんだ。しかし、アイオワ州じゃないとメロル・ストリープみたいな農家のカミさんと会えないなあ、なんてことを考えたりしながら読むのも面白い。

 更に、名取写真家デビューの切っ掛けが、実は同棲相手のエルナ・メレンブルグが撮影した博物館の火事の写真で、それを組み写真にして新聞社に持ち込んだら、それがミュンヘンの週刊絵入り新聞『ミュンヘナー・イルストリアーテ』に掲載されたことだというエピソードが面白い。

『自分の生涯の仕事は小説家でもなく、画家でもなく、ジャーナリストとしての写真家なのではないだろうか。妻が撮した写真で、生涯の仕事の自信をつけるなどとは、随分おかしな話しでしょうが、私は、まじめにこう思いこんだわけです』

 まあ、バウハウス流のデザインはドイツで教わった名取だが、写真術は別に教わったわけではなくて、国の兄からライカを送ってもらったというのが出発点であるようだ。

 しかし、結局写真なんて誰に教わるかということよりも、沢山撮影してそこから選ぶという、一種の編集者的な作業なわけで、どちらかというとそうした編集者的な部分の作業の方が重要だということになるのだろう。

 しかし、別にライカでレオン・トロツキーの写真を撮ったわけではない名取は、帰国してから写真を基本的に仕事にした訳なようである。その辺がロバート・キャパとは違う訳だ。しかし、キャパは『LIFE』のカメラマンとして民主主義のプロパガンダに励んで、名取は『NIPPPON』の編集者として国粋主義(ないしはファシズム)のプロパガンダに励んだわけだ。まあ、その写真をプロパガンダに使ったという点では、両者とも同じことなんだろうなあ。

 その辺が、東松あたりからは「あいつには気を付けろよ」という風に映ったんだろうけれども、それは対象が民主主義だったのか、国粋主義(ファシズム)だったのかの違いでしかない。結局、写真がプロパガンダに使われたという意味ではまったく同じというところが、なんとも「旧世代の写真観」というところであろう。

『名取洋之助 報道写真とグラフィック・デザインの開拓者』(白山眞理著/平凡社コロナ・ブックス/2014年1月10日刊)

« The new mailmagazine from Mr.Chris Guillebeau, titling "The cure for boredom is curiosity." | トップページ | Fitbit progress report from Jan.20 to Jan.26 »

写真・本」カテゴリの記事

コメント

まあ「右傾化」と「藤田嗣治」再評価は別でしょう。
私は名取洋之助をファシストとして糾弾したいわけでもなく、かと言って東松照明を持ちあげたいわけでもありません。
ただし、二人の写真に共通しているのは、やはり「写真はプロパンダ」ということが通用していた時代の、今から言ってみれば「幸せ感」ではないでしょうか。
今や、(スチール)写真じゃなくて。、ムービー写真の時代ですからね。
それも、「誰でも写真家の時代」なので。もはやジャーナリズムの世界では、下手をすると「写真家はいらない」という時代になるかも……。

名取に関する興味深い考察ですね。戦後大家とされた木村伊兵衛なども従軍カメラマンとして戦地にいって取材をしていたと記憶していますが、戦争プロパガンダに動員されたあるいは積極的に協力したという側面はいまだにタブーなのでしょうかね。文学報国会はじめ、日本美術及工芸統制協会、日本美術報国会などの存在は日本の文芸界・アート界からは消し去りたい記憶なのでしょう。それとは裏腹に日本の昨今の「右傾化」風潮から行くといずれ藤田嗣治再評価なんてことも出てくるかもしれませんね。最近では皇国2600年を記念して戦時中に作られた「海道東征」が熊本県主催で再演されたようですし、復古アートが今後の日本美術のワンシーンを占める状況が出てくるかもしれませんね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/59013251

この記事へのトラックバック一覧です: 『名取洋之助』の秘密がわかる本:

« The new mailmagazine from Mr.Chris Guillebeau, titling "The cure for boredom is curiosity." | トップページ | Fitbit progress report from Jan.20 to Jan.26 »

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?